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美濃部亮吉君 私は、今日、鹿児島県の大隅
開発計画にしぼって
質問をいたしたいというふうに思います。
長官がおられませんで非常に残念でございますが……。
大隅
開発計画は、私は、時代錯誤の
計画であり、欠陥を多分に持っている
計画であってどういうふうな事情があろうとも、どうしても廃案に持ち込まなければならない。こういう
計画がもし実施されますならば、これは大変なことになるというふうに
考えております。
それで、まず時代錯誤の
計画であるという点から簡単に申し上げますと、この案の何といいますか、
もとは、金丸氏が鹿児島県知事であった時代に鹿児島県
開発計画会議というのを発足させました。そして、それとほとんど同時に東京において鹿児島県ビジョン研究会というのを発足させまして、その会長が大来君でありまして、大来君は鹿児島県の
開発計画会議の
委員にもなっております。そして、この東京の鹿児島県ビジョン研究会というもの、それから鹿児島県
開発計画会議というものの審議を踏まえまして四十三年の十月に「二十年後の鹿児島」というのを鹿児島県が発表をいたしました。その「二十年後の鹿児島」というのを受けまして、これがどのくらいの影響を持ったかは若干問題もございますけれ
ども、新全国総合
開発計画、いわゆる新全総というのができまして、
日本全体の大規模な工業基地といたしまして苫小牧、むつ小川原、志布志の三
地域が指定をされまして、その後苫小牧、むつ小川原は埋め立てが実現をしたわけでございます。
それで、この新全総を受けまして、鹿児島県は四十六年の十二月に大隅
開発計画、これは第一次と申し上げていいと思いますけれ
ども、大隅
開発計画を発表いたしました。この
開発計画は二千七百三十ヘクタールの埋め立てをいたしまして、そうして、その埋め立て地の上に食品コンビナート、造船業、金属業、石油精製業、石油化学等を建設するという
計画でございます。
しかるに、この案に対しましては住民の猛烈な反対がございまして、この第一次試案は四十七年八月に廃案になりました。県はしかしこの
計画を絶対にあきらめたわけではございませんで、鹿児島の各市町村に
地域開発調査研究
協議会というのをつくりまして、これにはいろいろとからくりがございますけれ
ども、この
協議会の賛成を得たと称しまして五十一年六月に第二次大隅
開発計画を発表いたしました。この二次案では、埋め立ての面積を約半分、千百六十ヘクタールに削減凄いたしまして、石油化学の建設を外しまして、そのかわり一千万バレルの石油の備蓄を追加いたしました。そうして、志布志を含めたいわゆる三全総というのが五十二年にできたわけでございます。そうして、五十五年六月になりまして、この大隅
開発計画をなし崩し的に進めるという
意味、当局者はこれを極力否定しておりますけれ
ども、これは総
計画の
一つとして企てられたものであって、志布志湾
計画というものを、拡張
計画というものをつくったわけでございます。そうして、五十五年十一月になりまして、鹿児島県議会の議決を経て第二次の大隅
開発計画というものを正式に決定したわけでございます。
それでございますかち、いまつくられております第二次大隅
開発計画というのは、古くは四十二年にその歴史がさかのぼって、いわばこの四十二年の
経済状況の
もとにつくられた
計画であると言っていいと思うんです。そうして、この時代というのは
日本列島改造論が盛んでございまして、高度成長論が非常に盛んであって、
日本列島を改造して生産力をどんどんふやすべきである、そうして高度成長を実現すべきであるという旗を掲げて
日本がどんどんと暴走をした時代でございます。この時代と現在とを比べますと非常に変わっております。高度成長はもはや望むべくもない
状態であって、低成長の時代に入った、あるいは安定成長と言っていいかもしれませんけれ
ども、それは万人の認めるところであり、それから、その後市民運動が各
地域で非常に盛んになりまして、その
地域地域の自然はどうしても守るべきである、それは子孫に伝えなければならないということで、列島改造、つまり自然破壊をしてでも生産力の増強ということを
目的にすべきではなくて、これは
長官の施政方針にもございましたように、自然破壊は極力慎むべきであるということになっております。それでございますから、この案ができたときと状況は非常に違っておりまして、その
意味において時代錯誤の案だと言っていいと思います。
それでは、この
計画がどういう点で欠陥があるか。非常にたくさん欠陥があって、いまここですべて申し上げる時間はございません。それでございますから、私は最も重要な二つの点についてこの欠陥を
指摘したいと思います。
その第一は、これは志布志の海岸十六キロのなぎさ、白砂青松のこの海岸の破壊であるということでございます。
ここで自然破壊という
意味を申し上げてみたいのですけれ
ども、それは自然を直接に物理的に破壊をするという
意味と、外部から見た景観がむちゃくちゃになる、つまり外部からの景観が非常に悪化するという二つのものが含まれていると思います。それで、志布志の海岸について申しますと、志布志の海岸それ自体が壊されるということと、それから白砂青松のながめ、たとえば志布志湾の沖に枇榔島というきれいな島がございますけれ
ども、その枇榔島からなぎさを見た景色がめちゃめちゃになるというようなことと、二つの
意味があるというふうに思います。
それで、この
計画は志布志湾のなぎさを二キロ沖の方に埋め立てるという
計画でございまして、さらにべらぼうなことには、志布志湾の海底から土と砂を掘り起こしてそれで埋め立てると、これは実にべらぼうな
計画だと言わなければならないと思うのです。二キロ埋め立てるということによって美しいなぎさ、それから白砂青松の松林が相当破損してしまうということは明白でございますし、それから二キロ出て埋め立てた場所に工場を建てる、石油の備蓄タンクを建設する、そのときにこの白砂青松の景色はどうなるか、外から見た景色がめちゃくちゃに破壊される、これも自然破壊の
一つだと思うのです。
そうして、最近では、これは正式にどうかわかりませんけれ
ども、出島方式というのを
考えておりまして、一キロ海に出て、そこから二キロから三キロ埋め立てるという案でございます。これは埋め立てるのに国立、国定公園法ですか、めんどうくさい
法律がありまして、なかなか埋め立てが進まない。これは通達によって一キロ沖まで国定公園であるということが決められておりますから、それをのけ、その向こうは自由に埋め立てられるということからこういう本当にばかな案を
考えたんだと思うのです。というのは、いま申しましたように、今度はほとんど枇榔島かすかすまで埋め立てられてしまうと、その上に石油の備蓄タンクができ、工場ができる、そうすれば志布志の白砂青松の景色はめちゃくちゃになるということは言うまでもございません。さらにそれ以上に悪くなることは、つまり一キロ埋め立てていない海面は外海とは
関係が遮断される、そうなってくれば、よどんで水が汚くなって腐敗するということは火を見るよりも明らかでございまして、そうなれば、つまり志布志の海岸の美しさというものは全面的に損われてしまうと思うのです。
それから、どちらにいたしましても、埋め立てるには、先ほ
ども申しましたように、海底の土を一億二千万立米を動かして埋め立てなければ、つまり十二キロの長さの二キロの幅の土地を埋め立てることはできないのだそうでございます。そうすれば、志布志湾の海底の地勢というのは非常な変化が起こって、従来の魚類は生息できない、モもちっともつかない、したがって魚類の生息もできない。そういうふうに、漁業を初めといたしまして、海底の砂をそれだけあれするとしますと、海水の汚濁が激しくなって、それがまた漁業に甚大な影響を及ぼす。さらに海底の砂をそれだけとると、地震の影響というのが非常にこわいのだそうでございます。私はよくわかりませんけれ
ども、それでございますから、この埋め立てというものは、白砂青松自体が直接的に汚されるというだけではなしに、海がめちゃくちゃにされる、それから外から見た志布志の景観が破壊されるというふうに二重三重に自然破壊ということになると思います。
それで、国定公園でございますから、普通
地域は五十ヘクタール以上は
長官が首を縦に振らないと実施できないのだけれ
ども、それ以下なら大丈夫だと、それから特定
地域は二十ヘクタール以上は
長官が首を縦に振らないとだめだと。これは私は偶然に知ったわけでございますけれ
ども、
環境庁とそれから
建設省と運輸省とで、志布志湾の周辺においては十五ヘクタール以上の埋め立てば許可しないという覚書が四十九年に交わされております。
長官御存じかどうかわかりません。古い書類の中から見つけたものでございますが、いまここでお探しに
——それはあってもなくてもいいんですよ。それは重要なことではないので、そういうふうにつまり昔の役人たちはとにかく自然を大事にしていたんだということを言いたいのです。それがいまは逆で、石油備蓄が非常に大切であるということは言えるでしょうけれ
ども、それだからといって、そこいら辺の
地域の住民の
生活環境を悪化させていいということにはならないと思うのです。
それから、もう
一つ重大な欠陥があるんです。それはつまり石油備蓄をやると、そのためには一万トン以上五万トン、十万トン、ある場合においては二十万トンのタンカーが入ってきて、そうして油を出したり入れたりしなければならない。そこで、そのタンカーが事故を起こして石油がたれ流されるおそれがあったならばそれこそ大変なことになる。それで一九七八年にアモコ・カジス号というのが
フランス沖で座礁をいたしまして二十二万トンの原油が流出して、そうして四千億円に上る損害を出したということがございます。もしこういう事件が
日本の瀬戸内海で起こったならば瀬戸内海全部が油づけになる。東京湾で起こりましたならば、これは火災が起こりまして東京湾の周辺は大火事になってしまう。それはもう万が一そういうことが起こったならば非常に危険であるということ。したがって、タンカーの事故に対しましては非常に予防をしなければならないということでございます。
ところで、これは四十九年三月の運輸省の第四港湾建設局企画課でありますか、企画課が十年間、そのころのお金で何千万円か使って
調査した結果というものが私の手に入りました。志布志港についてのそれは実に詳細な
調査でございます。そして、この
調査の結論を申しますと、志布志港は巨大な船が出入する港にはなり得ない、不可能であるという結論なのでございます。専門的でございますから私にもよくわかりません。しかしながら、ごく簡単に申しますと、志布志湾というのは東の方、太平洋に向かっているんですか、太平洋に向かっている港であって、そして深いものでうねりが非常に激しい。それで防波堤をつくっても十分な遮断ができない。そこで、暴風雨のときには避難するよりほかしようがない。それで、この志布志の近くにある港として適当だと思われるのは、四国の宿毛ですか、それと大分県の佐伯湾この二つである。ところが、志布志を出ましてそこの避難港まで行くのには七十二時間かかるというのですね。つまり避難するかしないかを決定しなければならないのだけれ
ども、その七十二時間以前に、台風がどういうふうに進行しているのか、それを知ることは非常にむずかしい。それだから、どうしても避難の途中で台風に遭って座礁、衝突、沈没等の事故を起こす可能性があるというのでございます。
そうして、
日本ではもうタンカーの海難は、五十二年に八十一件ございましたし、五十三年に九十九件ございましたというふうに、一年間のタンカーの海難は決して少なくはない。幸いにして、非常な大きな事故でもって瀬戸内海がみんな油づけになるというふうな状況はいまのところはない。いままでには幸いにして起こっておりませんけれ
ども、しかしながら、これは台風だけではございませんで、温帯低気圧、つまりおとといだか吹きました春一番とか、あそこら辺で言う台湾坊主ですね、そういうふうな温帯低気圧というものはつまり、来るか来ないかは数時間前にしかわからないのでございまして、こういう台湾坊主や春一番に遭ったならばとうてい避難をすることができないということでございます。
それからさらに、この運輸省の
調査によりますと、ここら辺は非常に波が高いところであって、一年間に大きな船が行動する日はわずか百日しかないと、こういうわけでございまして、この運輸省の
調査の結論は、志布志は重要港湾としては失格である、十万トン、二十万トン、五万トンという巨大なタンカーが入るような大きい港には不適当であるということであると思うのです。そういうわけでございますから、ここを埋め立てて石油の備蓄を行い、また多くの企業を誘致する、しかしながら、その問題もまた非常に問題でございまして、苫小牧の埋め立て、それからむつ小川原の埋め立て、それから福井の埋め立て、すべて失敗でございまして、埋め立てて場所はできたけれ
ども、企業が全然来ない。地方公共団体は赤字に非常に悩む、ペンペン草が生えて、福井などは子供が野球場に使うくらいがせいぜいである。それが高度成長のときでさえそういう状況であるのですからして、低成長のときに企業を誘致しようとしたって来っこない。まあ簡単に申しまして、もう時間でございますからこれ以上は申しませんけれ
ども、この鹿児島の第二次大隅
開発計画というのは時代錯誤的な
計画であって、非常に多くの欠陥を持った
計画であるということでございます。
それで、
環境庁長官はつまり最後のかぎを握っておられるのであって、運輸省及び
建設省は石油の備蓄のタンクをつくりたくてしょうがないのでございますから、
環境庁長官にお願いするよりほか仕方がございません。この案の実現に対しては、どうぞ首を縦に振らないで、先ほ
どもお話があったように横に振っていただきたい。もしこの
計画が実現に着手するならばといいますか、工事に着手するならば、それは大変なことになるということ、そうしてそれは非常に莫大な金がかかる、海に捨てるようなものであって財政的にも非常な問題であると思います。どうぞ、どういう態度をおとりになるかここでお返事を迫ることはできないだろうと思いますけれ
ども、私のいまの話、恐らくは御存じなかったことがたくさんあると思いますけれ
ども、こういうことをお聞きになってどうお
感じになったか、それを聞かしていただきたい。そうして、
環境庁のお役人は、私が参りましたときに、この埋め立てのためには絶対に許可しないと、それから
環境庁長官も新聞には許可をしないという意向を申し述べられたと出ておりますが、その点もう一度確かめてみたいと思います。