○戸
叶武君 これはいろいろな
憲法改正——奥野さんあたりもなかなか慎重な面もあるが、意地悪な質問があるから、ついにあそこまで頭にきちゃったのでというけれども、
無条件降伏にまで追いやったのは
日本の
明治憲法です。
軍国主義国家のビスマルクに傾倒して
視野の狭かったウィルヘルム一世の
カイザー、
明治三十六年八月の二十六日でしたかな、あの
カイザーに説得されて、
大変自由民権の
イギリス流の
憲法を追い落とすことによって、
薩長の
藩閥政府を樹立した手前上、
ドイツを
憲法制定の地と選んであの時分
軍国主義の赫々たる威力を発揮した
ドイツに
まねをして、
イギリス憲法も
ヨーロッパの歴史も知らない、それが
天皇の名によるところの軍隊、
宣戦布告はすべて
天皇の名によって、
最後には
無条件降伏にまで、
伊藤博文が意図した、
薩長の軍閥が意図したものはみんな返還する、返還するどころでなく北方
領土まで
ヤルタ協定によって奪われてしまった。戦いには勝ち負けがあるんです、冷静に。しかし、それを
無条件降伏というだらしのない、勝ったら勝ち、負けたら負けても
柔軟性を持って、
民族の
生命力を、
民族の力を温存させることが
外交です。
そんなことのできない、
無条件降伏によって手も足も出ないようなぶざまな
まねをしたのは
明治憲法じゃないか。昔は
上杉慎吉流の単純なあれで済んだかしれないけれども、
明治憲法に対する思慕の念はわかるかしれないけれども、
最後に
天皇に大きな恥をかかせ、
人間天皇となって
国民とともに訴えて、再び
戦争はしないといって
憲法を制定した
天皇は、
憲法改正をするときには辞職しなきゃならないのです。信義ということがあらゆる道義の根幹です。
人民に対して、海外に対して、いまの
政治家なら食言することも許されるかもしれないが、
権謀術策はやがて滅びるのです。一貫した道統というものを
日本民族は持たなければ、私は
明治以前にあのような神格化された
天皇を、神聖化した
天皇にすべてをなすりつけてしまって、大恥をかかしめて
最後に
天皇が救い、
人間天皇となって、号泣して
天皇は恥を忍んで
戦争を片づけた、
無条件降伏の原点はあの
統帥権にあるのだ。
軍事優先の特別の枠だなんてこのごろ言ったり、増強なんかをねらって、そうして
戦争へのぎりぎりの道まで行って、それに必要な核は全部
日本の周囲に埋められている、あるいは
イスラエルを守るために
アラブに、あるいは
石油産油国の港に埋められている。潜水艦は
陸上でないところでいつでもやる。
アメリカは安全かもしれないけれども、
石油産油国なり
日本なりがいま
イスラエルの
テロリズムのようなことをやってどうして安心できますか。経済的に伸びてきた
日本をたたきつけ、
石油を持っている
アラブを
アメリカのメジャーや
軍事産業に言うこと聞かなければ邪魔だからというような形でぎりぎりのところまで行って、まかり間違えばそこで問題を起こす、こんなような
やり方に私はただ
ひとり命がけでも
反対せざるを得ない。
私は、
野党だから無
責任というのじゃない、やっぱり
アメリカにでも
ソ連にでも本当のことを言えば、言い過ぎても悪いかもしれないが、
アメリカの中にも
良識はあり、
ソ連の中にも
良識はあると思うのです。
お互いにもっと話し合って、
アメリカと
ソ連と
イギリスだけが組んでいれば何でもできるというような
ヤルタ協定は、
ベルサイユ条約がファシズムやナチズムを生んだ絶望的な
戦争への道を生んだ
発火点であったと同じように、やはりいまの
ヤルタ協定における
他国の
主権を無視して
領土を分割し、そうして
米ソ間だけには
お互いに
正面衝突をしないようなパイプが通じており、
自分のことは安全にして、
核競争をやって、
瀬戸際作戦をやろうというダレス的な
封じ込め政策というのは
時代錯誤です。みずからの
責任で、私
たちは頼まない、力がない。しかし、いまのままでいけば
ソ連も
アメリカも
世界から孤立してしまうと、祈るような
気持ちで
国連にもっと
平和維持機構としての積極的な機能を果たさせ、そうしてみずからは
ヤルタ協定を清算するだけのものがなければ、私は
他国の
領土、
他国の
主権を無視してふんだ
ぐってきたというような前提のもとに
平和条約というものをつくろうというのが無理なんです。
ソ連にだけ言えないのです。ぐるじゃないですか、そう言っちゃ悪いけれども。これはまあなるたけ
アメリカさんに急に
——そういう人はかりじゃなく、
良識ある人がいると思いますから、
アメリカの中でも強硬論やる人でも
モンロー主義に返れと言い、
アメリカだけが安全であり、
アメリカの繁栄を保つ、しかし
戦争はいやだという
アメリカ人に
戦争はされない。こういう
奴隷戦争をやった国がギリシャでもローマでも皆滅んでいったじゃないですか。
ヨーロッパ社会の崩壊は、
メディチ家の言うことを聞いて、
神聖ローマ帝国に行くまでの
ローマ法王の堕落、
俗権との妥協、それにおいてやっぱり私は
キリスト教にあらざるものは皆やっつけろというような
主義ではどうにもならない
ヨーロッパの困難が生まれたので、それで
コペルニクス的な転換が
世界から起きる。
コペルニクスはポーランドに生まれたのだが、やはり
天文学を学ぶためにはアルバイトをして
海底調査をやり、
星明かりを頼りとして潮の流れや何かを探り、アレクサンドリアにおけるところの
天文学の方が
キリスト教の単純な神話的な
世界観とは違うということがわかって
地動説をつくり上げたのです。権威には頼っていないのです。
ローマ法王から
弾圧は受けた。しかしながら、
コペルニクスや
ガリレオはどんなに
権力が抑圧しても地球は動いているのだと
地動説を崩さなかった記録を残している。しかし
弾圧を避けるために、バット・ノーと、
真実を書いて、その後でしかしそうではないと、こういうような形がいま現実の
政治から
国民が離れてしまった根底のあれです。
人民が怒ります。
世界の
人類が怒ります。何が
権力ですか。真理は
一つです。
ローマ法王庁でもいまごろ
コペルニクスの
地動説を認めたが、そんなことは認めなくても世間が認めている、常識になっている。ばかばかしいことはいいかげんにしてもらいたい。そういう点において武器を持たなくともやはり
真実は
一つである。排他的な
ショービニズムで、
自分だけがすぐれた
民族であって、ほかのやつはつぶせというような
モーゼの
十戒を打ち破ったところにモハメッドの抵抗があり、
預言者は
モーゼに返れと言っている。
やはりすぐれた
民族が他
民族を
奴隷使役して、
奴隷の
戦争の結果は皆つぶれているじゃないですか。
ベトナムだってそうです。黒人が荒れたのは、麻薬を飲まして、そうして突入させたのじゃないですか。太平洋
戦争のときにアイケルバーガーは、
日本は
天皇陛下のためならばと言って、そうして突撃をやってくる、
アメリカの青年の
犠牲を多くするから、
陸上軍なしに飛行機と
艦砲射撃だけでやろうと思ったが、それだけでは勝てなかった。
ベトナムでもやはり同様です。山あり谷あり瘴癘の地あり、いろんなむずかしい形で、
ヨーロッパのNATOにおける
作戦のような形にはいかなかったから
ベトナムで失敗した。
アジアを知らない、
アジアの
憂えを知らない。
エジプト、
アラブの
憂えを知らない。人々の心をかち得ないようなものが
世界から孤立しないとだれが言えますか。私
たちは
野党だから少し厳しく勝手なことを言いますが、せめて
日本が、
アメリカを救うためにも
ソ連を救うためにも、エコノミックアニマルどころか野獣に返って、
奴隷戦争、
局地戦争によって、
代理戦争を他の地域でやって、
自分たちの安全を図り、
軍事費の交代をやっていこうなどというさもしい
気持ちだと、
地獄です。いままでの
戦争とは違います。絶体絶命の
地獄への道をだれがやめますか。
そういう
意味において、今度はいろいろ苦しい。だれがやっても苦しいし、
鈴木さんや、いまの
外務大臣の心境を見ると、批評することは勝手だが、いまのような環境の中において、とてもむずかしい中でよくやれるものだなあ、本当にやれるだろうか。本当に
世界の人々の声を結集していかなければ、
立場、
立場があるけれども、われわれが武器を持って戦うのじゃない。しかし、やっぱりワルシャワにおけるポーランドの自主管理の労働者があれほどぎりぎりのところへ行きながらも、大地からはい上がってきたもののような明るさを持って耐え忍んで、
一つの
自分たちの独立を、
自分たちが最大の
ヤルタ協定の
犠牲者だが、
民族独立によってグローバルな、
世界にふさわしい
世界新秩序をつくり上げようという
悲願は、ガンジーの無抵抗運動よりもさらに私は厳しいものがあると思うのです。
中国だってそうです。東西南北から怒濤のように、グローバルな
時代にふさわしい
平和維持のための潮がとうとうとして流れてくると思うのです。どうぞそういう
意味において、
ECを知りあるいは
中東の悩みを知り、別にその特殊な肩を持つ必要はないけれども、彼らも耐え忍びます。
日本の説得によって
テロリズムはよそう、世間に迷惑をかけないようにしようと、やっぱり
国連の場で本当に話し合って、問題をぎりぎりの点で民主的に片づけよう、
権謀術策でなく、
お互いに相手の
立場を、
立場があるのだけれども、理解し合って問題を片づけようと、その糸口くらいは
——なかなか
鈴木さんも
園田さんもひらめきはすばらしいものを持っているけれど、どうぞひらめきだけでなく、ひとつ大地の中からわくような
民族のうめきを、苦悩を率直にくみ取って、地下三千尺の水の心を惻隠の情を持って生かしてくれるような、
国連をして曲がりなりにも
平和維持機構によみがえらせるような、それ以外に、行きがかりや何かがあって、
アメリカを責めたり、
ソ連を責めたって、しょせん、われわれ
野党ならいいけれども、
政府はそうもいかぬでしょう。一応は気がねをしながらも、やっぱり貫くものを持って
平和維持しなけりゃ
地獄への道ですよ。
今度はノーベル賞候補者は
園田さんと
鈴木総理大臣という評判がありますけれども、ないかもしれない。つぶされちゃうかもしれない。しかしその志が、東西南北の人々の
憂えを
憂えとし、悲しみを悲しみとしてそこに貫くところのミリタントなヒューマニズムを発揮するあっせん役をやったというだけでも
——佐藤榮作さんでも
戦争はやらなかっただけでノーベル賞で、佐藤榮作さんが照れたけれども、それ一杯飲める賞じゃないかと言っていましたが、やっぱり彼なりの苦労はしたと思います。どうぞそういう
意味において、やたらに政変、だけをやって、興味本位のマスコミのえさなり、派閥の次元の興味本位の流れの中に埋没しないで、大衆を愛する者は孤独に陥ってもいいんだ、ばかやろう呼ばわりされてもいいんだ、誇大妄想呼ばわりされてもいいんだ、歴史が物を言ってくれると。大切な歴史の中に
政治家というものはその見識を生かすことであり、大衆に対する迎合でなく、投票本位の支持者にテレビの顔を見せるのではない。見せなくても、孤独に徹しても、
一つの歴史を見識ある
政治家が創造するというだけの
責任感を大衆とともに、大衆はばかじゃないです。共鳴します。知らないのです。あっちこっちおもしろおかしく茶番狂言のようなものに操られていく面がある。しかし冷静に返ったときには、エリート官僚が言っているような、マスコミの力で何とでも操作できるというふうな思い上がった形でなく……狂っているじゃないですか、あのジスカールデスタンでも
アメリカのカーターでも、なぜですか、
権謀術策のブレーンを持ち過ぎている。そこに貫くものがないから、
自分が大統領になるためには、
目的のために手段を選ばないという、側近の
権謀術策の茶坊主が誤っているんです。
自己に徹することは孤独の道を行くことです。
園田君も、いまの
鈴木さんも、やはり歴史に残るような、人間は一度しか生まれて来ないのだから、やっぱり生きがいのある生涯をもって貫いていってもらわんことを。
日本人のやろう、もう人の顔色だけ見てやっているというそしりを見ると、
日本人の魂はどこへ行ったのかと、
日本人はどっかにいないかと、ちょうちん行列でもされて顔のぞかれると恥ずかしいから、どうぞそういう
意味において、今度の
中東行きはチャンスです。最悪の事態が歴史転換のチャンスです。真理は
一つです。やっぱり
国連を
平和維持機構として生かすためには、外務省は
外交、防衛を担当するというけれども、最終的にその国の運命に対して、
国連を母体としてモデル的な
国家として誕生した
責任があるのですから、だんだんになし崩しをしてうまく踊ろうなんという田舎歌舞伎の役者みたいなことでいると花道から落っこちてしまいますから、どうぞそういう
意味において、ひとつ虚心になって、おのれをむなしゅうして、
日本だけでなく
世界を救ってください。ぼくはもういま足を折られて、手をきょうは内出血したからエックス線に呼ばれていますけれども、まだ口があります。口は残らなくてもいいです。どこで死に場所を探そうかということだけを壮烈に、平和を守るため・に、やっぱりみんなと同じ
地獄までは道行きは御免ですから、
地獄へ行くのなら志を残す。楠木正成のように、前に進むか退くかなんて、成功するか成功しないかなんてことを考えていない。両頭を裁断すれば一剣天にかかって寒し。志というものが残れば永遠に残るんです。迷いに迷わず、どうぞそういう
意味において、私はきょうは質問というよりはもう本当に祈る
気持ちで、やはり
日本から
総理大臣がノーベル賞を、これはノーベル賞が問題じゃないけれども、やっぱり外国からも平和に貢献したという、危機の中にあって貢献したという人を、佐藤榮作さんだけでなく、やっぱり私はいまの
鈴木さんなり
園田君なりも持ちたい。事を得なくてもいい、あしざまにののしられて、あのやろうは腰抜けだと言われてもいい。もって瞑すべきじゃないですか。
日本のためじゃない、
人類の危機を救う土壇場に来ているのです。
私は
枝葉末節の質問はしない。きのうの自民党の中西君の意見でもあるいは公明党の質問、うちの松前君も、みんな参議院は一院制度でいいじゃないかなどという形のあれじゃなく、参議院の
良識をもって、政権をとるための手段でなく、派閥でなく、
国民に直結する
良識をもって
国民に訴え、
国民の力で私は
日本全体が火の玉になって
平和維持に従っていくというときが来なければ、幾ら内閣なんか変わっても、いまはゴキブリ
時代です。やっぱり
地獄へ近づくとだんだんゴキブリみたいなのが出てきますけれども、どうぞ本物の
日本人どこへ行ったというふうに警視庁に頼みに行かないように、
世界の
人たちから
日本は魂を失ったんだろうか、志を失ったんだろうか、
自分のことだけしか考えていないんだろうかと言われないように、ひとつ心して
中東行きをなしていただかれんことを切にお願いします。あなたから言えばわかります。あれだけに
総理大臣が怒ったというけれども、言葉じりやいろんな日米同盟のあれにもいろんな問題はあると思いますけれども、あれよりほかに方法はあの
一つしがなかった。われわれはいろいろ批判はしますけれども、よかれあしかれとにかく
アメリカ側に無用な刺激を与えないように配慮しながらも、
ソ連に対しても無用な摩擦を好まなくとも、本当のことを言えば、
コペルニクス的な転換が可能なんです。真理は
一つです。何だ俗界の権威にこびて、
ショービニストの
ヨーロッパにおけるあの
戦争への混乱の中に、ニーチェが神を信じられなくなったといって絶望し、ツァラトゥストラを読んで光を東方に求めたのや、シュペングラーが「西欧の没落」を第一次
世界戦争の悲劇を見て訴えたのも、トインビーが本当に人々が心が触れ合っていくならばそこに
世界の新しい秩序ができるという考え方を述べたのも、
アインシュタインがあれだけの知性人でありながら
ユダヤとか
ショービニストとかを乗り越えて、湯川秀樹さんでも何でも、やっぱり
一つの平和を保つためにわれわれはもっと心の武装をしなけりゃならないというふうに決意を決めたように、
ユダヤの人の中にも
日本人の中にもロシア人の中にもソビエトの人の中にも偉いやつはいっぱいいるんです。どうぞその
人たちが勇気を持って
世界の平和への道をゴキブリによって妨げられないように私は一大決意が必要だと思います。
心していかなきゃならないのが
政府でしょうが、やっぱり歴史の記録は最悪なときにのみつくられるのです。どうぞそういうことに対してどういう決意を持って一体として進めるか。もう時間が近寄ってまいりましたから、ひとつ
鈴木さんにもよろしく伝えて、あなたと一緒に
世界の平和を守るために死ぬつもりでおのれを無視してやってください。やっぱり外務当局でもいろんないきさつもあるでしょうし、一国の
責任は
天皇にかぶせるのじゃない、
天皇はみずから一番悩んで苦しんでいる。眼を見ればわかる。私は遠ざかっていたが、
明治の
時代から、伊香保の御用邸
時代から見守っているけれども、難波大助に殺されはぐれ、死刑になったときは難波大助は無
政府共産
主義万歳を叫んで死んでいったのです。そういう
時代もあるのですよ。皆裁判が偽ってでっち上げているのです。楢橋君はそのことを知っているはずです。どうぞそういう
意味において
天皇もやっぱり聖徳太子の苦悩はわかっております。私のところへ不思議に遠くの方にいたのに声かけたって何も話をすることはないけれども、やっぱり私は健全だからやると言うけれども、一人いまのむずかしいときに
平和維持をするために
天皇が利用されたのじゃかなわぬという、うっかり言葉には言えないけれども、あのまなざしの中に見えているのです。やっぱり悪いときには人に
責任を転嫁し、みずから
責任を持たないようなやつは
政治をやる資格はない。どうぞそういう
意味においてひとつ
鈴木さんの御意見もわかっておるでしょうが、一体となって、
鈴木さんとあなたとは幾らかニュアンスが違っている、違うぐらい
枝葉末節あっていいのです。志の中に多様性の中に最大限において割れるものがあるのです。
アラブだってあれだけにまとめていくことができたっていうのは、多様性の中に
一つの統一を求めていくところに
政治の、多元的な
国家論の中で私らは育ったのですが、やはりナショナルガバメントの運営というものがあると思うのです。どうぞ
人民と離れて、大衆とともに苦悩し、大衆が理解できないようなことをしでかした日には取り返しのつかないことになるということだけ御承知の上に、ひとつ
鈴木さんを助けてください。意見は違ってもいいのです、二人でつかみ合いのけんかしてもいいのです。本当のことを話し合いながら、せめて
総理大臣と
外務大臣でも
世界に悲劇をつくらないような努力を願います。
時間が参りましたと言うから、簡単な御決意のほどをお願いします。言わない方がいいかもしれないけれども。まあひとつりっぱな死に方をしてください。死ななくてもいいけれども、捨て身になってやってください。
人民を殺すのじゃなくて、一国の
総理大臣なり
外務大臣が、武器なぎ
国家においては、先頭に立って平和を守るだけの決意が私は必要だと思いますので、どうぞそれを一言でもお願いします。