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1981-02-12 第94回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十六年二月十二日(木曜日)     午前十時一分開議  出席委員    委員長 小山 長規君    理事 越智 通雄君 理事 金子 一平君   理事 唐沢俊二郎君 理事 小宮山重四郎君    理事 三原 朝雄君 理事 大出  俊君    理事 川俣健二郎君 理事 坂井 弘一君    理事 大内 啓伍君       足立 篤郎君    宇野 宗佑君       上村千一郎君    小渕 恵三君       越智 伊平君    海部 俊樹君       鴨田利太郎君    熊川 次男君       始関 伊平君    白川 勝彦君       瀬戸山三男君    原田  憲君       藤本 孝雄君    細田 吉蔵君       武藤 嘉文君    村山 達雄君       阿部 助哉君    石橋 政嗣君       稲葉 誠一君    岡田 利春君       中村 重光君    野坂 浩賢君       山田 耻目君    横路 孝弘君       岡本 富夫君    草川 昭三君       神田  厚君    林  保夫君       寺前  巖君    松本 善明君       三浦  久君    河野 洋平君     ―――――――――――――  出席公述人         一橋大学教授  大川 政三君         日本労働組合総         評議会事務局         長       内山達四郎君         大阪学院大学助         教授      池田 勝彦君         東京都青梅市教         育委員会教育長 谷合 良治君         横浜市立盲学校         教諭      五十嵐光雄君         経済評論家   高原須美子君  出席政府委員         内閣官房長官 瓦   力君         総理府総務副長         官       佐藤 信二君         行政管理政務次         官       堀内 光雄君         防衛政務次官  山崎  拓君         経済企画政務次         官       中島源太郎君         国土政務次官  大塚 雄司君         法務政務次官  佐野 嘉吉君         大蔵政務次官  保岡 興治君         大蔵省主計局次         長       矢崎 新二君         文部政務次官  石橋 一弥君         厚生政務次官  大石 千八君         農林水産政務次         官       志賀  節君         通商産業政務次         官       野田  毅君         運輸政務次官  三枝 三郎君         労働政務次官  深谷 隆司君         建設政務次官  住  栄作君         自治政務次官  北川 石松君  委員外出席者         予算委員会調査         室長      三樹 秀夫君     ――――――――――――― 委員の異動 二月十二日  辞任         補欠選任   後藤田正晴君     熊川 次男君   根本龍太郎君     白川 勝彦君   矢野 絢也君     岡本 富夫君   不破 哲三君     三浦  久君 同日  辞任         補欠選任   熊川 次男君     後藤田正晴君   白川 勝彦君     根本龍太郎君   岡本 富夫君     矢野 絢也君   三浦  久君     不破 哲三君     ――――――――――――― 本日の公聴会意見を聞いた案件  昭和五十六年度一般会計予算  昭和五十六年度特別会計予算  昭和五十六年度政府関係機関予算      ――――◇―――――
  2. 金子一平

    金子(一)委員長代理 これより会議を開きます。  委員長が所用のため、指名により私が委員長の職務を行います。  昭和五十六年度一般会計予算昭和五十六年度特別会計予算昭和五十六年度政府関係機関予算、以上三件について公聴会を行います。  この際、御出席公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  公述人各位には、大変御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。昭和五十六年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。  次に、御意見を承る順序といたしましては、まず大川公述人、次に内山公述人、続いて池田公述人順序で、お一人約二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えを願いたいと存じます。  それでは、大川公述人お願いをいたします。
  3. 大川政三

    大川公述人 ただいま御紹介をいただきました大川でございます。  初めに、本院予算委員会公聴会において、政府予算に関して私が日ごろ考えておりますことについて意見を申し上げる、そういう機会を与えられたことを大変光栄に存じております。  私は財政学を専攻しておりますが、特にその中でも、財政的な問題を経済学的な立場から考えようとしている者でございます。経済学的立場から財政問題を考察するといいますと、財政景気対策の手段として利用する、こういう立場としばしば混同されやすいのでありますが、私は、財政景気対策機能必要性を否定するものではありません。しかし、財政の最も基本的な機能景気対策機能であるという考え方には必ずしも同意するものではございません。なぜなら、財政の基本的な機能は、近年の経済学言葉で申しますれば、有限な経済資源効率的配分機能にある、そういうふうに思うからであります。有限な国民経済資源の利用を図る場合の効率性を高めることに財政の基本的な機能があり、景気安定機能所得分配機能も、そのような効率的資源配分機能を侵さない限りにおいて、あるいはそれを尊重する条件のもとで遂行されるべきである、そういうふうに考えております。このことがしばしば、財政機能の間の優先順位関係について、むしろ逆転したような関係議論されることが多いように日ごろ考えております。  このように、財政問題、その具体的表現である政府予算決定に当たっては、経済的効率性という立場から判断し、取捨選択すべきである、また、そのようなことを容易にするような予算仕組みに改善すべきであるというのが私の基本的な立場であります。とのように申しますと、しばしば遭遇する反論は、これこれの問題は経済理論どおりにはいかないんだよ、これこれの問題は経済問題の外にあることである、こういうような反論がございます。また、現実社会は生き物である、だから、一般的な経済原理のみでは決定できないんだというような意見に遭遇することがあります。要するに、政府予算決定は、経済的効率性によって律せられる以上に、非経済的あるいは非合理的な要因、もっと端的に申しますれば、経済原理とは別な目的を持つ政治的な要因によって動かされるべきであるといった意見によって反論されるわけでございます。  政府予算経済的効率性と申しましても、その判定尺度は必ずしも明確ではありませんから、政府予算決定において政治的な要因が入ってくる余地が十分にあり、また、そのことが必要なことを否定するものではございません。むしろ、政府予算決定に伴う政治的な責任が明確になるような、そういうような仕組みを考えるべきだとすら思っております。しかしながら、もし、政府予算決定においては、経済的効率性といった要因など全く無視することができるとか、あるいは経済的効率性に関する議論に発言する自由も価値も認めないんだというようなことになってまいりますと、私としては強く反論しなければならないと思っております。  私の立場から具体的に申させていただくならば、福祉問題であれ、教育問題であれ、公共事業の問題であれ、さらには防衛問題であれ、すべて経済の問題として考えるべきだというふうに考えております。それらの諸問題は、経済的効率性の吟味から決して逃れ得る聖域ではないと思っております。すなわち、それら諸問題の決定に当たっては、経済的な費用便益の分析並びにその比較が行われて、最大の便益の余剰が得られるように選択されるべきであると思います。けだし、それらの諸問題の解決には、多くの場合、有限であり、われわれの欲望に比較して希少な人的、物的資源消費を伴うからであります。かくて、私は、経済的効率性を尊重し、その追求に厳しい経済的な政治原理といったものの重みが、政府予算決定において増していくことを期待したいのであります。経済政治にもし政策決定要因を分けるならば、経済を尊重する政治の結果として政府予算決定が行われることを期待したいのであります。  このようなことはあるいは当然過ぎることであるかもしれませんが、政府予算決定をめぐる議論において、しばしば、ある提案事項効用とか便益の一面のみが主張され、そのために要する費用とか、そのために一方で放棄される便益、犠牲といったものの面が明らかにされないうらみがあるからであります。すなわち、政府支出によって実現されるある政策効用とか便益が、その政策効用を他のことから切り離して絶対的に評価されるにとどまり、その反面において生ずる放棄便益という意味での費用比較して相対的に評価されることが少ないように思うからであります。私はかねがね、このことを費用意識が希薄な政府予算決定というように表現しております。  すでに先生方も御承知のように、「赤字政治経済学」という翻訳名のジェームズ・ブキャナンの書物についてはしばしば引用されております。そのもともとの題名は「デモクラシー・イン・デフィシィット」という、赤字の中の民主主義といいますか、赤字に抱かれた民主主義といいますか、そういうタイトルでありますが、その中での言葉をここで引用させていただくならば、しばしば、サムシング・フォー・ナッシングというような態度あるいは姿勢の議論が多くなされる。サムシング・フォー・ナッシング、まあ何の代償なしにあるものが得られる、こういうような立場議論が多いのではないか。現実にはそういうことはあり得ないのでありまして、サムシング・フォー・アザー・サムシング、やはり何かを得るためには他の何らかのものを放棄しなければならない、これは当然のことなのでありますが、しばしばそのようなことが忘れられがちである。したがって、私は、そういうサムシング・フォー・アザー・サムシング、こういうような考え方政府予算編成の中にもう少し浸透できないものであろうかということを考えております。  御承知でもあると存じますが、アメリカ連邦政府並びに連邦議会におきましては、政府予算効率化ということについて、PPBSとかあるいはZBBというような新しい予算方式導入をめぐって真剣な議論が行われ、現実に実行の努力が行われておりますが、私も、わが国においてそのような努力がもう少しあってよろしいのではないかというふうに考えております。  しかし、私も希望が全然ないわけではございませんで、最近の新聞報道などを見ましても、費用意識とか選択という言葉がしばしば使われるようになってまいりました。このことは、まさに政府予算経済的に考察するそのことのあらわれというふうに私は解釈しております。したがって、かなりだんだんと、そのような経済的な考察というものが政府予算についても浸透してくる望みを持っておりますが、しかし、私としては、私の立場から申しましてまだ若干疑問に思い、あるいは不満に思っておることもないわけではございません。その幾つかを具体的に、五十六年度予算案編成審議をめぐって具体的な問題を二つ三つ挙げさせていただきたいと思います。  まず第一は、防衛予算に関することであります。  五十六年度予算編成過程において、政府部内においても、防衛予算決定されるまでに非常な折衝が行われたように承知しております。そして、防衛予算一般会計予算において占める構成比とか、対前年度伸び率とか、あるいはGNPに対する比率とかが議論されているようであります。これはまたそれなりの意味を持つと存じますが、少なくともわれわれ部外者として一般に入手し得る資料によって見たところでは、そのような巨額の防衛予算を使うことによって、一体いかなる防衛効果というものが得られ、一体それが一般国民生活にとってどういうような関係を持つのであろうか、こういう面がよくわからないのであります。すなわち、防衛目的のためにいかなる人員とか機材とか艦船、航空機が投入されるか、大変威力のあるそういったものが投入されるかということについては若干の知識が得られるのでありますが、いわゆる防衛のためにどういう資源を投入するかということについてはある程度資料知識は得られるのでありますが、そういう機材とか人員を投入することによって、その結果においてどういう防衛効果アウトプットとして出てくるのか、この点がわれわれにとっては非常にわかりにくいものであります。  これは防衛予算の規模とかその配分について選択し判断する以前の問題として、もう少しわれわれ一般国民に対して、防衛効果のわかりやすいようなそういう知識を提供してほしい。もしそういうことがなければ、先ほどわれわれが言ったような政府支出便益といったものについての基準がございませんものですから、経済的な選択のしようがないことになります。  先ほど申しましたアメリカ連邦政府PPBSという新しい予算編成方式導入が、まずこのような国防予算アウトプット産出本位にしていくということから始まったことをここで思い出さざるを得ないのであります。もちろん防衛予算につきましてはすべてを公表することはできにくい、そういう点が多々あることは十分承知の上でありますが、なお何らかの工夫が欲しいように思っております。  あと時間がわずかでありますが、さらに第二に、福祉問題についてでありますが、私の立場から申しましても、やはり社会保障関係費といったものが近年目覚ましく増大してきておる。五十六年度予算においても増加額のほぼ五〇%近くは社会保障関係費によって占められておる、そういう数字を聞いております。そのことは社会保障あるいは社会福祉ということについて非常に政策の力点が置かれておることを反映するものではありますが、それだけに、そのように予算の中で重要な位置を占めているだけに、社会保障関係費予算は、特に予算効率化については率先して努力する責任をまた一方で背負うものではなかろうか、そういうふうに思います。  特に、簡単に申しますれば、いろいろ医療費とか年金とか保育所経費等々の問題が議論されますが、やはりそのようなものの便益効果の面のみを説くのではなく、そのために必要な、ほかに放棄されるものの便益との比較において議論する必要がなおあろうかと思います。社会的弱者救済という政策目的からはみ出ていながら、その政策の恩恵を得ている受益者の層は、社会的弱者救済政策の外にある単純な受益者として、すなわち、必要経費負担能力を十分に持つ者として、社会福祉政策上位置づけられるべきではないか。そのような十分に経費負担能力を持つ者の負担増加による社会福祉効果マイナスは、真の社会的弱者救済措置充実強化によって相殺するのみならず、社会福祉効果の純計をむしろ増大させるようにすべきではないか、そういうふうに考えます。  まだ言い尽くせないところがございますが、時間が参ったようでございますので、最初の私の公述をこれで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
  4. 金子一平

    金子(一)委員長代理 どうもありがとうございました。  次に、内山公述人お願いをいたします。
  5. 内山達四郎

    内山公述人 総評内山でございます。  たくさんのことを申し上げたいのですけれども、時間の制約がありますから、今後の予算審議に当たって、労働団体立場からどうしてもこれだけはという点にしぼって私の考えを申し上げたいと思います。  いま日本勤労者労働者が一番大きな関心を持っているのは物価税金、この二つであると言っても過言ではないと思うのです。昨年の秋、総評は百十一万人の組合員を対象にしてアンケート調査を行いましたけれども制度政策にかかわる問題でぜひ取り上げてもらいたいというのは、この二つがトップを占めました。したがって、五十六年度の予算の中でこの二つ動向いかんは、いま安定していると言われております企業労使関係にもかなり大きな影響を及ぼすのではないかというふうに考えます。  御承知のように実質賃金は、昭和二十七年以来初めてマイナスを記録いたしました。昨年の春の賃上げで、私どもは、物価春闘と言われるほど、物価問題を重視をいたしました。賃上げ要求基準を、かなりの反対があったにもかかわらず八%というふうに定めたことにも、それは反映をしていると思うのです。残念ながら、私どもの力が弱かったために、六・九%程度賃上げしかとれませんでしたから、春闘が終わった後も、労働団体政府に対して、何とか物価安定のために対策強化をしていただきたいということを申し入れました。昨年の十一月二十六日に労働団体代表は直接総理にお会いをして、五十六年度予算編成に当たっての労働団体としての考え方をお話し申し上げたわけですけれども、その時点で総理は、五十五年度の消費者物価上昇率を六・四%に抑えることは決して不可能ではないというふうに私どもに申されました。ところが、それから一月もたたないうちに政府は七%に修正をされ、さらに最近では七・七%とか七・八%という数字が出ておりますことは御承知のとおりだと思います。  七五年の賃上げは、前年に比べますと半分以下、第二次石油危機影響を受けて一三%程度になったわけですけれども、それでも七五年の実質賃金は前年に比べますと二・七%上昇しております。その当時の実質成長率は御承知のようにマイナスを記録しておりましたし、労働生産性企業利益も軒並み低下をしておりました。その中で二・七%実質賃金が上がっております。七六年から七九年までも、労働組合立場に立ちますと賃上げはうまくいかなかったわけですけれども、それでも七七年の〇・五%増を除けば、大体二・五%程度実質賃金はふえております。したがいまして、いまの経済情勢景気にかげりは見えておりますけれども実質成長率は五%程度の水準を維持しています。あるいは労働生産性も二けた台の上昇を示している。三月決算は多少落ち込むことはあるでしょうけれども、しかし、昨年の九月までは企業経常利益は連続六期増収増益という状況の中で、〇・九%とはいえ実質賃金低下を見ているということは異常なことではないかというふうに私どもは考えております。  昨年の九月十六日に、臨時国会を前にして労働団体政府に対して、実質賃金の目減りが続いている状況の中では何とか臨時国会物価調整減税をやってもらえないだろうかというふうに申し上げましたし、十一月二十六日の総理との会見のときにもそのことを申し上げたのですけれども官房長官なり総理は、物価調整減税をやらないでも済むように物価対策強化をするというふうに申されました。  そうした状況を考えますと、物価問題について果たして政府政治責任はないと言えるのかどうかということを、私どもは率直に申し上げなければならないと思うのです。したがって、五十六年度の予算編成に当たっては何よりも物価対策重視をしていただきたい。もちろん政府かなり対応をされておりますけれども、たとえば私たちが繰り返し強調しております四月以降の公共料金の値上げについては何とか極力抑制をしていただけないだろうか、あるいは円高差益社会的還元について何らかの方途を講ずることはできないものだろうか、あるいはまた、いま物価についてのモニター制度がありますけれども、これは行政管理庁が指摘をされましたように必ずしも効果を上げておりません。したがって、勤労者なり消費者参加をする物価監視委員会を設置する、所定の調査権なり査察権を与えて国民全体が参加をして物価を抑制する、物価を安定するような制度的な措置もぜひとも講じていただく必要があるのではないかというふうに私どもは考えておるわけでございます。  二番目は、税金の問題でございます。  財政再建問題が大変に重要な問題になっていることは、私どもも十分に承知をしております。国会予算審議状況を聞いておりますと、やはり財政再建理由にして、政府減税要求について厳しく拒否をされております。しかし、財政再建が本当に国民が納得いくように行われるためには、不公平税制の是正であるとか、あるいは行政改革による歳出のカットというものが前提条件として必要だと私は思うのですけれども、これについての政府対応は、外からの印象ですけれども、必ずしも明快なものがないように私どもは感じております。率直に申し上げまして、どうしても足りないから取り立てるんだ、しかも取りやすいところから取り立てるのだというような思想が、どうもいまの政府答弁をお聞きいたしますと、私どもは感じられてならないのでございます。  総理は、たしか施政方針演説に対する質問の御答弁の中で、総理が日ごろ強調されておられる和の政治というのは公平の政治でもあるというふうにおっしゃられましたけれども、果たして増税で公平の原則というものが貫かれていくのかどうかということについて、私はかなりの懸念を持っております。  これも昨年の予算編成の前に、労働団体代表渡辺大蔵大臣にお会いをして、減税問題についてお話をいたしました。そのとき、大蔵大臣は、所得減税をやることはいまの財政事情ではできない、一部では投資減税をやるべきだという意見も出ているけれども所得減税をやらない以上投資減税もやることはできない、やらないというふうにお答えになったのですけれども、率直に言って、空前の大増税の一方で、所得減税はやられませんけれどもエネルギー対策効果があるという理由投資減税がやられている、このことについても、私は公平の原則から言って疑念を持つというふうに言わざるを得ないのです。     〔金子(一)委員長代理退席委員長着席〕  詳しく申し上げる必要はございませんけれども、いま日本勤労者生活を苦しめているのは、実質賃金低下と同時に税金社会保険料負担増大をしている、いわゆる非消費支出増大勤労者生活を圧迫していることは、もう詳しく申し上げる必要はないと思うのです。課税最低限が三年間据え置きになっていることからこの状況は生まれているわけですけれども、そういう状況の中で、夫婦子供二人の四人家族の場合には二百一万五千円という課税最低限ですから、この階層というのは最低生活すら維持できないような状態に置かれていると言っても過言ではないと思うのです。  ことしの春闘で、いろいろ紆余曲折はありましたけれども労働団体は一致して一〇%、大体二万円前後の賃上げを実現しようではないかということを申し合わせました。一〇%賃金が上がると、税金社会保険料負担は一体どのぐらいふえるのかという計算をいまいろいろやっておりますけれども、たとえば十九万八千円の月収で四人家族の場合には、一〇%賃金が上がりますと、一万九千八百円賃金が上がるわけです。ところが、所得税地方税で二千二百六十円引き上げられます。それから雇用保険健康保険厚生年金で千九百七十円の負担増になります。合わせると四千二百三十円、税金社会保険料で持っていかれてしまいます。そうしますと、一万九千八百円賃金が上がっても、実際は一万五千五百七十円しか賃金が上がらない。つまり、一〇%の賃上げであっても、二・一三%は税金社会保険料によって差し引かれてしまうというのが現実の状態になるのではないかと思うのです。そうしますと、先ほど申し上げましたように、物価の方は七%の線が崩れて七・七%とか七・八%というふうに言われているわけですから、これに二・一三%加えますと、果たして、一〇%の賃上げをやっても、勤労者の実質生活水準が維持できるのかどうかという疑問を持たざるを得ないのです。ただ、ボーナスを計算をいたしますと、ボーナスは厚生年金の掛金の対象になりませんから、五カ月程度のボーナスが出ると仮定をいたしますと、二・一三%は一・五六%ぐらいに下がるわけですけれども、これは年収大体三百二、三十万ぐらいの階層です。年収六百万円ぐらいの階層になりますと、四月から健康保険の報酬の上限が上がってしまいますから、一〇%賃金が上がってもやはり二%ぐらいは持っていかれてしまうのではないか。  たしか、この三年ぐらいの間に家計支出に占める非消費支出の割合は、八・七%から一三・一%ぐらいに上がっていますけれども所得減税が行なわれないで、あるいは社会保険料負担がいまの政府原案のままに通りますと、五十六年度の家計支出に占める非消費支出の割合は恐らく一五%を超すことになるのではないかというふうに私どもは考えています。  そうしたところから、労働団体の一〇%、二万円前後の要求は低過ぎるという批判、不満が職場から起こっております。総評のアンケートの結果では三万円以上の賃上げというのが六〇%近くを占めていたわけですけれども、率直に言って、そういうものを含めて全部企業の側に要求をしていいのかどうかという問題点も残ります。  そういう状況を考えますと、政府は厳しく拒否をされていますけれども、何とか課税最低限を上げるという措置が必要ではないだろうか。それと同時に、俗にトーゴーサンとかクロヨンと言われておるような税制上の不公平の問題について何とか改善することはできないだろうか、率直に言って、私どもはこの考え方を持っております。  一昨日、労働団体政策委員会を開きまして、現在四人家族で二百一万五千円の課税最低限を二百十八万円程度に引き上げられないものか、自民党を含めて各政党にお願いしようということになりましたけれども、ぜひ今後の国会審議の過程で、この所得減税の問題についてはひとつ真剣に取り上げていただきたいということをお願いいたしたいと思うのでございます。  率直に言いまして、七五年以降労働組合は、賃上げの面でもあるいは減量経営、合理化の面でも大変な譲歩をしてきたと思うのでございます。したがって、いま申し上げましたような物価やあるいは税制上の対策が講じられませんと、どうしても賃金闘争の方向にそれが向けられてしまいますから、いままで安定していると言われていた労使関係がこの春闘を契機にして基盤が揺らぐようなことになるのではないか。そういう立場に立ちますと、多くを申し上げたいんですけれども、一番大切なことは、一人一人の勤労者が将来に希望を持って生き生きとして働いていく環境をどうやってつくっていくのか。そのための予算措置をどうするのか。このことを今後の予算審議に当たってぜひとも最大の焦点にしていただきたい。その面では、防衛費を別枠に扱うというような今度の政府原案に対しては、私どもは率直に言って不満を持っていることを申し述べまして、簡単ではございますけれども、私の公述を終わらしていただきます。(拍手)
  6. 小山長規

    ○小山委員長 どうもありがとうございました。  次に、池田公述人お願いいたします。
  7. 池田勝彦

    池田公述人 大阪学院大学の池田と申します。  私は、昭和五十六年度予算の性格と財政再建と税制の問題について述べさせていただきたいと思います。  昭和五十六年度政府予算案は、一口に申しますと、財政再建の道を歳出の徹底的な見直しによる経費の節減合理化によるよりは、むしろ増税、しかも戦後史上空前と言われる増税路線を選択したことにあるというふうに思います。  そう申し上げても、一般会計規模の伸び率が九・九%といった一けたにおさまったのは二十二年ぶりでございますし、そのことから財政規模縮減に相当の考慮が払われているということが認められると思います。また、二兆円の特例公債発行額減額により、公債依存度は二六・二%と四年ぶりに二〇%台になったわけです。  先ほど増税路線を選んだと申し上げましたが、税制改正による増税は、先生方御存じのごとく、直接税では法人税率の二%上昇、間接税の増税につきましては酒税、たとえばビール、ウイスキーの二五%、清酒は一五%になっております。物品税における課税対象の拡大、これは新たに課税対象を二十四品目拡大する、それから有価証券取引税の税率アップ、印紙税の引き上げを内容とするものでございます。  法人税の税率アップ、それから有価証券取引税、それから印紙税率の引き上げ等は、財政再建のためには企業にも応分の負担を負わせることを志向したものであるというふうに言えます。法人税の基本的仕組みの改革による負担増加ではなく、つまり配当軽課、受取配当免税引き上げ等といったふうな現行企業税制の問題となっている点につきましては触れられずに、税率の操作によって増収を図ったというふうに考えられると思います。この法人税率二%上昇で基本税率は四二%となりまして、実効税率は五二%台となったわけです。これは欧米の水準並みになったわけでございます。例を挙げますと、西ドイツの実効税率は五六%でございますし、イギリスは五二%でございます。以上のごとく、税制改正による増税額は、御承知のごとく一兆三千九百六十億円でございます。法人税が六千三百四十億円で増税のうち約四五%、間接税が約五五%となっています。  法人税の上昇で問題となるのは、次の二点であろうかと思います。  一つは、税率上昇が法人の競争力を弱体化させるのではないかという点。この点につきましては、西ドイツの実効税率は五六%でありますから、そう著しく企業の競争力弱体化の作用はないというふうに見られております。  もう一つは、軽減税率も二%一緒に引き上げられたわけでございますけれども、そうしますと、軽減税率適用企業による税負担もまた比例的に二%直に増加するわけです。これは法人税の転嫁が可能な大企業においては恐らく企業負担とはならないかもしれませんが、軽減税率適用企業においては実質的な企業負担となるのではないかというふうに考えるわけであります。  次は、所得税の問題でございます。昭和五十五年の消費者物価上昇率は七%から八%の間だというふうに認められておりますが、所得税は減税なし、課税最低限据え置きということになっております。課税最低限は、昭和五十三年度以来据え置かれたままになっているわけです。  御承知のごとく所得税は累進税率をとっていますから、貨幣価値の下落による名目所得上昇は税負担増大をもたらしまして、実質的には増税と同じ効果を持つわけでございます。また、所得税納税人口の下方への一層の拡大を意味しますから、たとえばある統計では、この四年の課税最低限の据え置きによりまして納税人口は六百二万人増加するということになっております。これは昭和五十六年度の納税人口の約二〇%に当たるというふうになっております。したがって、実質的な増税、しかも低所得層ほど負担増大を強いられるということになるかと思います。  住民税の課税最低限所得税のそれよりもかなり低く決められているのは先生方承知のとおりでございますが、そのため、今回の政府案におきまして生活保護の扶助基準額が引き上げられましたから、これが住民税の課税最低限を上回ってしまった事例が生じてしまっております。これは東京都の標準家族の例でございますが、そのため昭和五十六年だけ、ごく小規模の減税をしなければならないというぐあいになっております。生活保護基準が、元来、生活するのにぎりぎりの線で考えられていることを考えますと、課税最低限の引き上げは必要であろうかというふうに私ども国民は考えます。  さて、今度は公共料金の問題でございますが、公共料金の値上げが昨年度に相続いてなされておりまして、しかも、昭和五十六年度政府予算においても、消費米価、それから麦価、それから国鉄運賃、それから国立学校入学料、それから塩、それから郵便料金の値上げ、それが盛り込まれております。これらは消費者物価を押し上げ、国民の家計を圧迫します。その上、物品税の増徴がございます。こういうことは、言うまでもなく物価上昇要因となるわけです。こうして租税負担増大物価上昇の双方から国民生活を圧迫するようになるのではないかというふうにいまから予想されるわけでございます。  それから今度、歳出面における特徴は、第一に、軍事費の伸び率社会保障のそれを上回ったということ。それから第二には、公債依存度が四年ぶりに二〇%台になった。第三に、公共事業伸び率昭和五十五年度に引き続きましてゼロになった。その他エネルギー対策費、経済協力費の伸び率が非常に大きいということが特徴とされます。  まず第一の点でございますが、伸び率において軍事費が社会保障費を上回るという事態は戦後初めてのことであり、このことが国民防衛社会福祉かということを考えさせる事態を生ぜしめます。  そこで、防衛費についてもう少し述べさせていただきますと、一般会計から公債費と地方交付税交付金を除いた一般歳出に占める防衛費の割合というのは前年度は七・二六%であり、今回の政府予算案では七・四%となっています。今回の防衛予算はそういった意味で優遇されておるわけでございますけれども、その優遇措置によりまして、中期業務計画はすでに二年目にして約四〇%の達成率を示すのではないかというふうに言われております。  今回の予算案では、先生方承知のごとく、防衛費に占める正面装備、艦艇とか航空機それから戦車等の割合が昨年度よりも大きくなっております。昭和五十六年度の政府予算案で新規調達の認められた兵器の総額は七千五百二十五億円であり、そのうち本年度に計上された金額は約四百五十億円ということになりますから、残りは継続費または国庫債務負担行為という今後何年かにわたって支払っていかなければならないということになっておるわけでございます。そういうことですから、防衛費の伸びは昭和五十七年度以降は大幅に上昇するのではないかというふうに考えられます。一説によりますと二けたの伸びになるのではないかというふうになっております。  もっとも、防衛費の伸び率が大きいということにつきましては、防衛費の絶対額がそもそも小さいこと及び諸外国との比較において、GNPに占める比率ですが、これが小さいということから、必ずしも防衛予算を優先したわけではないという説もございます。しかしながら、これらの点につきましては、わが国の防衛費は、たとえばNATO諸国の軍事費に含まれている日本の海上保安庁費、それから旧軍人恩給費、遺族、留守家族援護費などというものが、わが国の防衛費では除かれております。それをNATO基準に合わせて計算しますとGNP比が一・五六%になります。そういたしますと、絶対額においてもフランス、イギリス並みの水準ではないかというような指摘もなされております。  次は、社会保障費の問題に入りたいと思います。  社会保障費は、昭和四十九年までは著しい伸び率を見せていた費目なんですが、昭和五十年度以降鈍化の兆しを見せ、一般会計における構成比においても低下傾向を示している費目であります。そして昭和五十六年度においては、伸び率において軍事費に抜かれたわけでございます。  昭和五十六年度予算におきましては、厚生年金国民年金物価上昇分のアップ、これは従来どおりでございますけれども、原爆被災者手当、障害福祉年金等、従来よりも、福祉の面から申しますと前進を見ている費目もございます。しかし、その反面、健康保険掛金の引き上げ及び健康保険自己負担金の引き上げ、これは初診料と入院料でございますが、それから児童手当制度における所得制限の強化等、福祉的に言えば後退とも言える改変がなされております。児童手当の場合、昭和五十六年度の改正によりまして約十万人以上が対象がら外されるようになるという指摘もございます。  第三の公共事業費でございますが、昭和五十六年度予算においてはこれは横ばいであります。従来優先された道路整備、港湾等のいわゆる産業基盤整備がマイナスに抑えられ、住民対策、下水道、環境整備等の生活基盤整備に重点が置かれているのが特徴であると思います。もっとも、道路につきましては財政投融資計画に回されております。わが国の公共事業政策というのは、高度成長期においては道路、これは産業道路でございますけれども、これの中心の時期から、昭和四十年代後半より生活基盤の整備に重点を置くように変化してまいりましたが、その傾向は、本年度予算においてもずっと続いているというふうに思われます。  それから最後に、財政再建計画と税制の問題について申し上げます。  財政再建の方法というのは、結局は経費の削減とそれから増税との二つしかございません。財政再建にはその双方が必要であるというふうに考えます。  経費削減について申し上げますと、歳出構造及び歳出規模というのは、そのときどきの政治経済情勢を反映しながら積み重ねられてきておるものでございますから、一朝一夕にこれをすぐ変えるというわけにはまいらないと思います。しかし、今日のように財政が肥大化しているような状況にあるときには、財政の合理化、効率化は徹底的にやる必要があるように思われます。  考えますと、なぜこのように肥大化したのかということなんでございますが、よく言われておりますのは予算の方式の問題、つまり、従来の予算方式は前年度の実績をもとに予算を増分する、いわゆる増分主義と呼ばれているものでありますが、これは各グループの利害の調整という点ではメリットがありますが、総花主義になりやすく、したがって財政規模を大きくさせる要因になる、そういうデメリットを持つとされています。財政再建を図っていくには効率的な観点から歳出項目を徹底的に洗い直す必要があるというふうに主張されておりますが、この点については賛成でございます。そして財政再建の問題になりますと、これは短期間に達成できるというようなものではございませんし、数年間にわたる長期的な計画が必要になろうかというふうに考えられますが、そのためには従来の予算編成の方式を改める必要も出てこようかというふうに考えられます。先ほど大川先生がお話しくだすったPPBSなどというのもございますし、それからイギリスの例もございます。しかし私は、予算編成を合理化するという点については賛成でございますけれども、行政府主導の予算改革というのは、たとえばアメリカの例におきますように失敗するというふうに考えております。むしろ議会が主導権を持って改革を進めていく必要があるように思われます。  それから次に、財政再建増税関係でございますが、比較的短期間のうちに大量の国債を減らし、さらに償還していくというためには、前にも申し上げましたように、経費の合理化、節減のほかに大規模な増税を必要とするわけでございますが、今回は法人税、間接税の増徴という形、つまり既存の税目で増徴するという形になったわけでございます。しかし、これだけでは、昭和五十七年度以降さらに一層の増税が必要であるにもかかわらず、それが十分には期待できないということから、たとえば新聞、雑誌等では、新しい形の一般消費税なるものが準備されているというふうにうかがえます。しかし、それには、何か新税を考える前に、いわゆる不公平税制、たとえば利子配当の軽減措置、それから所得捕捉の問題などというような、そういった不公平税制に対する税制措置が先決ではないかというふうに思います。  以上でございます。(拍手)
  8. 小山長規

    ○小山委員長 どうもありがとうございました。     ―――――――――――――
  9. 小山長規

    ○小山委員長 これより各公述人に対する質疑を行ないます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。熊川次男君。
  10. 熊川次男

    熊川委員 大川公述人に対してお伺いいたしたいと存じます。  先ほど、予算編成に当たっては経済的効率性、こういうものを大きな基準にすべきだという趣旨に拝聴いたしたわけで、戦後私どもがややもすれば権利意識が非常に強い中で、費用意識とでも申しましょうか、そういうものに留意しつつ配慮するという反省の材料を与えたというふうにも私なりに受けとめて、感銘深く拝聴したわけでありますけれども、他面において、戦後このようにわが国が民主的にあるいは文化的に成長したその基底には、何といっても憲法の精神、趣旨、そういう枠組みがあったからだと存じます。  経済的効率の名のもとに、少なくとも憲法が保障している最低基準というようなものを下回ってはならないと思うのですが、先ほどの話を聞いていますと、経済的効率を十分考えるならば、場合によっては、先般大変問題になりました義務教育に関するところの教科書無償配付というようなことも当然俎上に上るかと思うのですが、このような点についてはどうお考えでしょうか。とりあえずは簡潔にお願いしたいと思います。
  11. 大川政三

    大川公述人 ただいまの御質問の第一点は、費用意識とはいっても、それに対する権利意識に支えられて、わが国の国民の権利、生活の内容を向上する上において十分な効果があったのではないかという点でございますが、私は、費用意識ですべて割り切れとは申しません。すなわち、国民の権利についての社会的認識が低い状況の場合においては、国民の権利という理解のもとに最優先課題にするような、そういう準備なり手続は当然必要だろうと思います。  ただ、私が申したことは、いろいろなことが権利意識に支えられて、あちらからもこちらからも出てくる。権利意識に支えられて、これは絶対に重要なことなんだという形で絶対的に主張される考え方に対して疑問を投じたということで、絶対的な主張同士がぶつかり合った段階では力で解決するほかはないと思います。もちろん、最終的にはそういうような政治的な要因によって決定されることは、先ほど申したとおりでありますが、そこに至るまでは、それぞれの経済費用なり経済効果便益といったものを明らかにしながら選択していく、めんどうではありますがそういう手続が必要ではないか、そういうふうに考えたわけであります。  それから、先ほど具体的な問題として、義務教育の教科書無償給付の問題でありますが、これは御指摘にありましたように、確かに憲法の条文に義務教育は無償とするという規定が明文であるわけでございますが、私の申し上げたい真意は、義務教育を本当に充実するためにはどういう方途があるのか。教科書を無償で給付することが最善の、またそれだけが義務教育拡充の効果的な手段であるのか、そういう問題について、義務教育を本当によくするためには一体どういう手段があるか、もう少し複数の手段を考えた上で、そしてその中での優先順位を考えるべきではないか。私は、やはり財政といいますか、政府支出がまずめんどうを見るべきことは、一般的な利益を与えること、公共的利益と申しても結構でございますが、そのようなものを最優先課題とした上で処理すべきである。すなわち、校舎とか運動場とか講堂であるとか、そちらをまずやるべきではないか、私見としてはそのように考えております。
  12. 熊川次男

    熊川委員 義務教育が無償であるというのは、他の憲法の条文と比べて、たとえば国民は文化的な生活を営む権利があるというような抽象的規定とは異なっておりますので、義務教育に直接関係のある義務教育の授業料とか教科書とか、こういうものは、いま御指摘のありましたような、あるいは共用されるであろう講堂とか教室というようなものよりはむしろ先に無償化が強く要請されるべきものではないでしょうか。経済的効率、経済的判断よりは、日本の民主化のためには、何といっても国民の幅広い、最低限度の教養が前提になっておると思うのです。そういうことも考えあわせ、また他面、ワイマール憲法あたりでも学用品等に至るまで無償にするという精神が盛られておりますけれども、そのような配慮からするならば、講堂とかそういった共用的なもののブルドーザーの前に教科書無償配付が押し流されてはならないと思いますが、いかがでしょうか。
  13. 大川政三

    大川公述人 先ほども申しましたように、教科書の無償給付そのものだけを独立に取り上げれば結構なことでございまして、これに対して異論はございません。ただ私は、そのほかに、義務教育を充実する手段と比較しての相対的な評価を加える余地がある。そうしてどちらを選ぶかは、私は政治決定立場にはございませんのでそこまでは言いませんが、考え方のプロセスとしては、そのような比較対照の上で、そうして、先ほど申しましたように、義務教育無償ということをとれば他の方をがまんする、足踏みをしなければならないわけでありますから、そのような足踏みをさせている費用を払っておるということの上に立って政治的に決定すべきである。そうして、教科書無償給付の効果の反面においてそのような経済費用を払ったということに対する政治的な責任を明らかにしていただければ幸いと思っております。
  14. 熊川次男

    熊川委員 他面、今度は義務教育と離れて高等教育になると、その経済的効率性あるいは国立、私立の両大学の研究内容といい、あるいは教育条件といい、最近はきわめて類似しておると思うのです。同時にまた、卒業生としても、その社会的な働き、先生御指摘の効用というか機能というか、卒業生の社会に及ぼす効果というものもかなり類似しておるかと思います。にもかかわらず、国立大学においてはきわめて恵まれた条件のもとできわめて低い授業料負担、強いて言えば学生及び父兄の負担もきわめて低い中でやっておるわけですが、法のもとの平等の配慮からしても、私立学校に対する補助を充実すべきか、あるいは国立大学の学生及び父兄に費用負担の増額を図るべきかという結論が導かれるような気がするのですが、いかがでしょうか。
  15. 大川政三

    大川公述人 高等教育は、先ほどの義務教育問題と多少問題のレベルを異にすると思います。  国立大学と私立大学の類似性という御指摘でございましたが、これは、私が日ごろ申しておりますことをまさにそのまま言っていただいたような気がいたします。つい最近も、ある雑誌にそういうようなことについて書いたばかりでございます。ただし、ただいまの御質問を、余り条件なしに述べますとしばしば誤解を受けることになるかと存じますが、国立大学と私立大学、日本の高等教育の現状を見ますと、卒業生の進路の問題あるいは教育の内容の点においては基本的に異なるところがなくなってきておるのではないか、そういうふうな基本的な立場を持っております。ただし、費用負担問題についてはなおまた、もう少し詳しく述べなければいけませんが、基本的な点においては一応、先生の御指摘のような類似性ということについては考えております。これは欧米の高等教育とはかなり違っておるところだと思っております。
  16. 熊川次男

    熊川委員 一点だけ。参考で結構ですけれども、国立大学に対する学生の負担を増加するか、あるいは私立の方に逆に、実質的公平を図るために、学生の負担を軽くするために国庫補助をすべきか、そのどちらがベターか、御意見ないでしまうか。
  17. 大川政三

    大川公述人 いま言った国立大学と私立大学との間の教育の内容、あるいは卒業生がどういうような仕事につくかという点については基本的に相違はないということからすれば、現状の個人の、両親あるいは学生の費用負担の相違というものは縮められるべきである。そのような奨学金制度の充実あるいは助成金制度というようなものを活用してその格差を縮めるべきである。しかし、同時に、やはり高等教育の内容を本当に質的によくする努力を重ねるべきだろうと思います。
  18. 熊川次男

    熊川委員 貴重な御意見ありがとうございました。これをもって終わります。
  19. 小山長規

    ○小山委員長 次に、横路孝弘君。
  20. 横路孝弘

    ○横路委員 三人の公述人の皆さんには、お忙しいところ大変それぞれに貴重な御意見、ありがとうございました。  二、三お尋ねしたいと思いますが、初めに内山公述人に幾つかの点をお尋ねをしたいと思います。  先ほど、総評が百十万の人に対するアンケートをやったところ、物価税金の問題が一番大きな関心であったという御発言がありました。各新聞社の世論調査を見ても、大体国民の関心はやはり物価問題、税金問題にあるようであります。  この物価問題なんですが、石油ショック以降の物価状況というものを国際的に比較をいたしますと、日本というのは、物価はきわめて落ちついている模範的な国だとよく言われるわけです。霞が関かいわい、このかいわいでは、したがって物価問題というのはもう何か、あたかもわが国のいまの課題からは消え去ってしまったかのような発言が往々にして見受けられるわけですけれども、世論調査の結果とのずれ、国民の方から言うとやはり物価が大変だ。先ほども実質賃金が昨年マイナスになったというお話がありましたけれども、この辺のところを、そのアンケート調査を踏まえて、内山さんはどのようにお考えでしょうか。
  21. 内山達四郎

    内山公述人 確かにほかの先進国と比較をすれば、日本は一けた台でほかは二けた台ですから、その意味からすれば日本物価上昇は高くないではないかという主張はされていますけれども、私どもは、単に為替レート上の物価比較というのは余り意味がないのじゃないか。つまり、実質賃金という観点から見ますと、むしろ賃金の購買力を中心にして比較をしなければならないのじゃないか。そうしますと、この点は経営者側の主張と労働側の主張はかなり共通性があるのですけれども、たとえば住宅取得に要する費用あるいは子供の教育に要する費用あるいは老後生活保障のための費用勤労者生活の中で一番お金のかかるこの三つの生活課題に対する支出は、結局日本の場合にはかなり高いものですから、そういうものを計算すれば、やはり実際の賃金の購買力は低くなってしまうのじゃないか。そういうものがありますから、現実労働者勤労者生活実感から言うと、一けたではあってもかなり高いという認識が生まれるのではないかと思うのです。
  22. 横路孝弘

    ○横路委員 大川公述人、いまの問題なんですが、先ほどの、経済効率を重点に考えなきゃいけないというお話を承っておりまして、私も、先ほど大川さんがこういう反論が予想されるとおっしゃいましたけれども、確かに、毎日毎日生活している人間の姿というものがそういう経済効率中心に処理をされた場合に、どうもコンピューターに数字を入れて出てくるときには、そういう生きた人間の姿というのがなくなってしまうのじゃないかなという感じがいたすのです。いま内山さんから、物価問題についての国民生活レベルの実感というものが御発言ありましたが、確かに西欧との数字で言うと低い数字は出てくるのですけれども、そういう数字と実際の生活とのずれというのは、これは経済の御専門のお立場から言いますとどのようにお考えでしょうか。
  23. 大川政三

    大川公述人 政府予算編成に当たって経済的効率性重視すべきだという場合、私は決して政府予算編成がコンピューターでたちどころにできるというような考えは毛頭持っておりませんし、先ほど言いましたように、最終的な決定はやはり政治家の先生方の判断によって決められると思います。ただ、そこへ至るまでにもう少し判断の材料といいますか、選択資料を整備するような努力が、政治家の先生方にとっても、あるいはまた、われわれ一般国民にとっても判断の材料として必要だということを申しております。したがって、理屈で考えたことが生活の実感と距離があるということは、私の考え方から言えば、本当に社会的に弱者である人を見出す努力が足りなければそういうことになるわけで、そういう努力をせずに一律にやれということは、むしろ社会福祉政策なり社会保障政策が非効率化するわけで、同じお金を投入するならば、やはり社会的弱者を本当に救済できるような、そういう効果を上げるという意味効率化を図っていただきたい、そういう意味であります。
  24. 横路孝弘

    ○横路委員 内山公述人に、減税に関連して賃金の問題についてお尋ねしたいと思います。  いまヨーロッパ諸国と日本との間の貿易摩擦が大変大きな問題になっていますが、その中で、ヨーロッパの方から見ると、日本というのはどうしてあんなに労働生産性がよく上がるのだろうか、しかも賃金を上回って伸びている、大変労使関係が安定しているということが、最近、ヨーロッパの方で日本に対する関心の一つになっていますが、同時に、私、昨年ヨーロッパに行ったときに、西ドイツの労働組合の人が、もうちょっと日本労働組合はしっかりしないといかぬのではないか、どうもきちんと労働者の要求を出して獲得するものをしていないのじゃないか、それが日本企業がヨーロッパにどんどん進出してくる一つの要素になっているのではないかということで、賃金の問題とそれから週休二日制、時間短縮というものを、もうちょっと日本労働組合はしっかりして獲得するようにしてもらいたいという大変強い考え方が、ヨーロッパやあるいはオーストラリアあたりの労働組合にもあるようであります。  先ほど、今春闘の一〇%アップというのも、たとえば減税措置をとらなければ、税金であるとかあるいは年金等の負担で二%以上、実は一〇%が実現しても持っていかれるのだというお話がございましたけれども、この一〇%というのは、ある意味で言うと、一つは減税措置を行うということが前提になって一〇%、しかもこれはぎりぎりの最低の要求じゃないかというふうに思うのですが、この一〇%を決められた経過をお話しいただければと思います。
  25. 内山達四郎

    内山公述人 先ほど私が二・一三%という数字を挙げましたけれども、これはいろいろな計算の仕方があるものですから、年収比較をした場合には二・一三が一・五ぐらいになるんじゃないかという推計もありますが、この点については、さらに私どもの方でも中身について精密な検討を進めなければならないと思っています。  ただ、労働団体がことしの春の賃上げで一〇%要求基準というのを決めたのは、何といっても労働組合全体が共同歩調をとらない限りは、過去数カ年の賃金交渉を振り返ってみますと、どうしても低いところに抑えられてしまう、そういった全体の労働組合の共同歩調、結束を大事にしなければならない、そこにやはり最大の重点が置かれて一〇%という要求基準が決められたわけであって、もちろん、いまいろいろな職場、地域の段階で討議をしていますけれども一〇%、まあ総評の場合には、二万円というものが最低のリミットになるのではないか。したがって、物価の動向なりあるいは税金の動向によっては、先ほど申し上げましたように、一〇%で果たして実質生活水準が維持できるのかどうかということについては、率直に言って、私どもはやはり深い危惧を持っておるというのが現状でございます。
  26. 横路孝弘

    ○横路委員 今春闘の要求の中に、ぺースアップのほかにも幾つかの問題があるので、ちょっと基本的なことについてお尋ねをしたいと思のです。  やはり働いている人たちの関心は、一つは雇用問題です。雇用の中では高齢者対策がこれから大変大きな柱になっていくだろうと思うのですが、今年度予算のシルバー人材センターであるとか、雇用開発委員会というようなものについてどうお考えであるのかという点が第一点です。  それからもう一つは、定年制の延長という大変大きな問題について、これを法制化するかどうかということが議論になっておるわけでありますが、労働省は行政指導でできるだけ定年制の延長を図っていきたいという話なんですが、実質的にこれは労使の話し合いですべて解決することができるのか。皆さんいろいろ具体的におやりになっていて、そこのところをどう考えておられるのかという点が二点目です。  それから週休二日制、時間短縮についてどう考えているか。何か聞くところによりますと、総評の本部も週休二日制に踏み切るのだそうですけれども、全体的にこの週休二日制をどうやって実現をしていくのか。これは銀行法の改正等いろいろな問題がございますし、特に最近、経済摩擦の中で西ヨーロッパの方から提起されている問題でもあるわけでございまして、その辺のお考えを内山公述人からお伺いできればと思います。
  27. 内山達四郎

    内山公述人 急速な高齢化社会への移行の中で、高齢者の雇用問題というのは、景気がある程度よくなって雇用全般の指標が改善をされても、高齢労働者の雇用条件というのは必ずしも改善をされていないのが現状だと思うのです。したがって、今度の予算に当たっても、高齢労働者に対する対策あるいは身障者に対する雇用対策をぜひ重視をしてもらいたい。そして高齢労働者に関して言えば、これはいろいろ経過はありましたけれども、昨年からシルバー人材センターが全国百カ所で設置をされ、今年度これがさらに百カ所ふえたわけですけれども、一カ所当たりの国の補助金というのは七百万程度にとどまっているわけですね。したがって、実情を見ますと、積極的に取り組んでいる地方自治体では何とかこれをふやしてもらいたい。そうふう面では、私どもとしては、少なくとも一カ所二千万円ぐらいの国の補助を出していただけないだろうか。あるいは地方雇用開発委員会は、これも労働組合かなり強くお願いをして全国で十カ所、今度の予算では五カ所ふえることになっていますけれども、これに対する国の補助は年間四百五十万円なんですね。したがって、もちろん自治体も負担をしていますけれども、やはり地域の経済開発等と結びつけてこの地方雇用開発委員会の活動を強化するということになれば、これもやはり、去年も五千万円程度は出していただけないだろうかという要請をしたわけですけれども、いま四百五十万円では、ああもしたい、こうもしたいと思っても、なかなかその活動ができない現状ではないだろうか、したがって、何とかこの面については、高齢者対策強化という観点から国の補助というものをふやすことが必要ではないだろうかというふうに私は考えております。  定年制延長については、御承知のように、雇用審議会で一年近く討議をしてまいりました。一月の初めに雇用審議会の答申が出されたわけですけれども、これは御承知のように、法制化については、労使双方の意見が異なるために、定年延長の状況を見て引き続き検討をするという内容になっております。もちろん、定年延長問題を法律によってやるということはなじまないという経営者の意見も理解できるわけですけれども、しかし、率直に言って、いまのこの労使交渉の現状の中で、政府が考えておりますように昭和六十年までに定年制六十歳が一般化するかというと、私どもはきわめて悲観的な見解を持っています。したがって、罰則規定を伴うような法制化については問題があると思うのですけれども、現行の雇用対策法なりあるいは高齢者雇用促進法ですか、そういった法律の一部手直しをやって、制度的に労使の自主交渉が促進をするような措置はぜひとっていただく必要があるのではないかというふうに考えております。  それから、三番目の労働時間の短縮の問題については、労働時間問題についてはもう多くを申し上げる必要はないと思うのです。この点についても、いままでかなり労働団体として取り組んでまいりましたけれども、ことしは労働団体が一致をして、年間実労働時間を何とか二千時間以内に短縮をしていく、そのために週休二日制の一般化あるいは残業の規制、あるいは年次有給休暇の消化率がいま六割から七割にとどまっていますけれども、これを今年度からは完全に消化をしていく、その三点を中心にしてひとつ労働組合も積極的に運動を起こしていこう、労使交渉の大きな課題としてこの問題を据えようということになっております。この点については労働省も積極的に推進計画に取り組まれていますけれども、やはりそういった労使交渉を側面から援助するための行政指導の強化というものは、現状よりももっと強化をされる必要があるのではないかというふうに考えております。
  28. 横路孝弘

    ○横路委員 大川公述人にお尋ねしたいのですが、先ほど防衛予算について、国民生活との関連で防衛効果はどうなのかということをしっかり検討された方がいいのではないかという御発言がありましたが、つい先日の委員会でもそんな議論をいたしまして、防衛庁の方はどうも余り十分やっていないということが明らかになったばかりなんですが、この防衛効果というもの、このメルクマールが一体何かということは大変むずかしい問題なんですね。特に国民生活との関連で先ほどちょっとお話がございました。関連で防衛効果はどうかということを検討された方がいいのじゃないかというお話があったのですが、その中身をもう少し、一体何をメルクマールにしてお考えになっておられるのか、先生の頭の中にあることをちょっとお話しいただきたい。
  29. 大川政三

    大川公述人 防衛効果と申しても、私、先ほど言いましたように専門家でないものですから、そういう防衛効果を一体どういうふうにあらわすのがよろしいか、これはむしろ先生方にお伺いしたいところなんですが、少なくとも防衛予算に限りませんで、政府予算というのは、戦前なんかの政府予算は大体投入物本位の予算の立て方だったのですね。人件費幾ら幾らとか物件費幾ら幾らだとか、こういうようなやり方から漸次、戦後は、もう少し経費の使用目的を明示するようなそういう分類の仕方で国民にも知らせ、国会でも議論される。そういう意味では、戦前に比べるとかなりアウトプット本位になってきたというふうに、改善の効果を考えておるわけであります。したがって、防衛効果をどういうふうに表現するか。少なくともアメリカの国防省でやったときには、陸軍の予算がこうだとか海軍の予算がこうだ、空軍の予算がこうである、それはB29を何機だとかなんとか、こういうような立て方に対して非常に反省が行われ、一体どういう戦術的な効果がこういうものから出てくるのか、あるいはどういう戦略的な効果がこれらのいろいろな兵器体系、人員の組み合わせによって出てくるのか、そういうふうなあらわし方であれば、そういう経費社会的に本当に必要なのかどうか、あるいは国民生活、と言っても必ずしも消費生活だけではなくて、われわれ国民にとってその必要性なるものがいかなる形で生まれてくるのか、そのようなアウトプットと言っても、防衛費などは特にアウトプットの表示の仕方がむずかしいのでありますけれども、いろいろ国際情勢の中でいかなる防衛必要性をいま抱えておるのか、持っておるのかという方面からの表現の工夫をすれば、国民の判断を非常に助けるのではないか、そういう意味では大変具体性を欠きますが、以上のお答えでお許しいただきたいと思います。
  30. 横路孝弘

    ○横路委員 確かに防衛予算というのは、兵器が古くなったと称して次々と新しい、いまの国際技術水準に合ったものにかえていくから高くなるばかりなわけです。御指摘の点はよくわかるわけです。  最後に、内山公述人行政改革について、財政再建の一つの柱、行政改革の推進ということで今度第二臨調も出発するわけですが、総評の皆さんの基本的立場というのはどうなのか。世間では、官公労が中心だから、どうも総評というのは行政改革にさっぱり熱心じゃないじゃないか、こういう意見もあるようでございますので、この際、内山さんの基本的なお立場というものを明らかにしていただきたい。
  31. 内山達四郎

    内山公述人 私は、民間の出身ですから、官公労の諸君とは若干ニュアンスが違うかもしれませんけれども総評は官公労の組合員が多いから、行政改革に対してはたてまえと本音が違うのじゃないかという批判をしばしば受けます。しかし、これはかなり突っ込んだ論議をこの一年ほどやってまいりました。先ほども申し上げましたように、いまの財政状況の中では行政改革は断行しなければならない。ただ、その場合に私どもが考えますのは、ただ役人あるいは公共企業体の職員の数を減らせばいいのだというような行政改革であってはならないと思うのですね。一つは、行政の民主化の問題あるいは効率化の問題、そして三番目には、やはり一番大事なことなんですけれども、福祉とか教育とかあるいは住民の生活にかかわる問題について、国民のニーズはかなり多様化し、また、ふえていると思うのです。したがって、当然、そういう国民のニーズにこたえるという立場は放棄してはならないと思うのです。国民に対する社会的、公共的なサービスは低下をさせてはならない。そういう三つの原則的な立場を踏まえながら、私ども行政改革対策委員会をつくって、いろいろな意見はありますけれども、この行政改革問題についてはやはり積極的に臨んでいきたい。第二臨調も発足をするわけですけれども、それに対しても、むしろ労働組合の側から積極的な提言をするような方向をとっていきたいというふうに考えております。
  32. 横路孝弘

    ○横路委員 どうもありがとうございました。
  33. 小山長規

    ○小山委員長 次に、岡本富夫君。
  34. 岡本富夫

    岡本委員 三人の公述人の先生方、大変御苦労さまです。  二、三質問を申し上げます。  一つは、来年度の予算を見まして、政府財政再建に名をかりて大増税を行っていくのではないか。このたびは物価調整減税がなく、若干のベアで上昇しても結局物価上昇ということで目減りをして国民生活が圧迫される。国民の声の中から、政府財政再建に名をかりてその犠牲を国民に押しつけているのではないかというような意見も出ているわけでございます。また、物品税の増収が考えられておりますけれども政府はこの考えから、将来新種の一般消費税を導入しようと意図しておるのではないかというような意見もあるわけです。これについて池田先生の御意見がございましたら伺いたい。
  35. 池田勝彦

    池田公述人 お答えいたします。  こういった一般消費税の導入について、五十七年度、一般消費税でなくても、一種の製造者課税みたいな増税なんですが、たとえば庫出し税みたいなものを考えているわけですけれども、これはカナダに例があります。それからもう一つ、それは福祉的な方に回しているからいいではないかという議論もございます。しかし、一般消費税と言わなくても、付加価値税も一般消費税ですが、これは非常に逆進的である、しかも逃れようがない。そういった点から、一般消費税の導入につきましては慎重であるべきだというふうに私は考えております。一般消費税を導入すると非常に税収が上がるということでいつも選ぶわけですけれども、それでしたら、むしろ税体系をもう少しきちっと考える。どこから取るか、直接税から取るか、間接税から取るかということから考える。所得税から取るか、財産税から取るか、また消費税から取るかということを考えてから始めても遅くはないというふうに考えております。
  36. 岡本富夫

    岡本委員 もう一点お聞きします。  来年度の予算の中で法人税は一律二%、こういう上昇になっておりますけれども、これで中小企業に及ぼす影響は非常に大ではないかと私は考えるわけなんですが、これに対する池田公述人の御意見を伺いたい。
  37. 池田勝彦

    池田公述人 今度の法人税の税率のアップで比例的に二%ずつ上がっていくわけです。本来、法人税につきましては、比例税が理論に合っていて、たとえば実在説的な考え方をとって、累進税みたいなものはなじまないのだという主張もございます。しかし、たとえばアメリカは累進税率みたいなものをとっていますし、必ずしもそうとは言えないわけです。アメリカにつきましては、累進税率よりも、むしろ小さな企業に対する軽減税率を細かくしたのではないかというような意見もございます。それで私は、今回の税率アップの場合には、軽減税率適用企業者の負担を大きくするものですから、むしろ軽減税率の段階を少し小刻みにしてもよろしいのではないかというふうに考えております。それでよろしゅうございましょうか。
  38. 岡本富夫

    岡本委員 ありがとうございました。  大川先生にちょっとお伺いしたいのですが、先ほど、これは私の聞き違いだったかもわかりませんけれども、福祉政策につきまして、社会的弱者に対する福祉が大事で、その範疇から出た人たちにまで福祉が行われている、そういうものは切るべきじゃないかというような御意見だったと思うのです。この福祉という観点は、お恵みといいますかそういう観点でなくして、福祉社会、一人一人の福祉を充実していくというのがやはり政治としては大事だと思うのです。この点について、先生がおっしゃった実態ですか、どういうところがどうなんだということをひとつお聞かせ願えたらありがたいと思うのですが、よろしくお願いします。
  39. 大川政三

    大川公述人 社会福祉といいますか社会福祉政策目的はどこにあるのか、この政策目的の立て方によってもいろいろ考え方は違ってまいると思いますが、私は、社会的弱者一般に言われておる人々を人間としてと申しますか、少なくともそれらの人々の生活を保障するというところに社会福祉政策目的があるというふうに思っております。したがって、当然、もし社会的弱者とは言えないくらいの所得なり財産を持っておられる方が現実社会福祉政策の枠の中で受益しているとすれば、その方には御遠慮いただいた上で、本当に社会的に弱者である人々の幸せのために向けるべきだ、これが社会福祉予算効率化であるということで、現実にどういう点を問題とされておるのかという御質問でございますが、これは専門家ではございませんが、よく申されますように、相当な所得を持っておられる方に対してゼロ負担の給付が行われる、あるいはかなり所得水準が高いと思われる方々に対しても非常に低額な料金が適用されておる、そういうようなことがあるとすれば、その分は片っ方で救済から漏れておる人々、たとえば保育所なんかが少なくて保育所便益に浴し得ない人々を掘り起こして、その方々を救済するような形に使えば、社会福祉予算全体がもう少し効率化することに通ずるのではないか、そういうことを考えております。
  40. 岡本富夫

    岡本委員 そこで、先ほどちょっとお話がありましたけれども、先生のお考えを伺いたいのですが、たとえば教科書の無償配付の場合、一年生に入ったお子さんに、あなたのお父さんは収入が多いから、あなたはお金を出しなさい、あなたの方はお父さんが収入が少ない、貧乏だから、あなたの方はただで上げます、こういうようなことになりますと、先生も教育者ですから、一年生の時代からそういう差別といいますか、これでは教育にならないのではないか、こういうふうに考えるわけですが、いま先生がおっしゃった範疇の中にそういうものが入っているのかどうか、これをひとつお聞きしておきたいと思うのです。  それから、もう一点は行政改革。何と申しましても財政再建、歳出の方の行政改革をやはりやらなければいかぬ。これの決め手がありましたら、これだというようなのがありましたら、ひとつ御意見をいただきたい。  それから内山先生には、先ほどお話がありましたが、物価の問題を非常に強調されておりましたが、物価監視委員会というような方法はどうだろう、これはどういうことを想定なさっておるのか。  二つ目は、現状では物価調整減税もございませんし、今後の総評さんの運動方針はどういうように、どういう運動を現実に起こしていかれるのか、これについて御意見を承って終わりたいと思います。
  41. 大川政三

    大川公述人 先生のお尋ねの第一点は、先ほど問題になった義務教育教科書無償給付の中に、もし有償制ということを取り入れた場合に、児童生徒の家庭の所得状況によって何か差別的な取り扱いが行われるという御心配でありますが、それを考える場合に、教科書無償給付という政策措置目的がどこにあるのかということをまず考えたい。もし教科書無償給付の目的が先ほど言った社会的弱者救済ということにあるとすれば、そのような社会的弱者の方々に対してのみ給付すべきである、ある意味ではその範疇に含まれる方に無償化という措置を講ずるということです。  それからもう一つは、教科書無償給付ということが義務教育を充実するという目的でもし考えられているならば、先ほど申しましたように、義務教育を充実する最も効果的な手段を複数考えた上で、その中で教科書無償給付が義務教育拡充のために他の方法、手段と比べて、校舎を整備したり、あるいはりっぱな先生方を養成するというような義務教育充実手段と比較して果たして効率的かどうかというふうな考え方をしていきたいと思います。  そして、有償化を導入した場合に児童生徒を差別するのではないかということでありますが、この点は教育の現場においては十分に考慮しなければなりませんが、たとえばそういうような一部無償、一部有償ということは、現に義務教育の現場において教科書以外のことでは行われていることでありまして、その点、教育の現場においては十分な注意が払われておると思います。問題は、そういう差別によるデメリットと、もしそのほかに義務教育を充実するために使った場合のメリット、この比較で考えていただくことが義務教育を本当によくすることにつながるのではないか、そういうふうに考えます。  それから第二点の、行政改革の決め手というのは、これは私、専門家ではございませんが、ただ、私のいま考えておりますことは、行政改革とか行政整理ということを一般的に言っても余り意味はないのではないか。どこの政策部面を行政改革によって削減なり整理すべきか。たとえば社会保障なんか、教育面での行政整理なのかあるいは公共事業関係するところでの行政整理なのか、そこに結びつけて考えませんと、私の立場で言う便益費用との間の比較選択というセットに入ってきませんもので、その点、私、行政改革というものが一般的なレベルで考えられていることに対しては若干の疑問を持っております。
  42. 内山達四郎

    内山公述人 先ほどもちょっと申し上げましたけれども、いまの物価モニター制度は、たしか企画庁なり農水省がそれぞれモニターを持っているわけですね。いわば縦割りのモニターになっている点に、守備範囲が非常に限定されてしまう傾向があるのじゃないか。それからもう一つは、その地域社会全体の意向を反映するようにするためには、労働組合代表あるいは使用者の代表あるいは公益代表、厳密な三者構成ではなくとも、政労公使四者構成でもいいと思うのですけれども、そういうものを都道府県なりあるいは市町村レベルでつくって、そこで物価の単なる監視だけではなしに、やはり物価問題についてどうやったら物価が安定できるのかというような問題について意見を闘わしていく、そしてそういうものを、これはこのところ開かれておりませんけれども中央の物価問題政策会議に反映して、政府物価安定対策を補強するような形にしてはどうだろうかということを私どもは考えております。  それから二番目の、春闘問題だと思うのですけれども、これはいろいろ申し上げたいことがあるのですけれども、一番大事なことは、労働団体が共同歩調をとるだけではなしに、労働組合のさまざまな要求、これは単に賃金要求だけではなしに、物価の安定とかあるいは税金とか、そういう問題について、できるだけたくさんの勤労者の方との合意形成をやる必要があるのじゃないか。そこで一つの国民的な機運みたいなものを盛り上げていくことが、まず何よりも大事ではないだろうか。そういうものの基礎の上に、できればその中には経営者もぜひ入っていただいて、物価税金の問題は経営者も非常に深い関心を持っておりますから、そういった機運というようなものを盛り上げながら労使の自主交渉を展開をしていくような、そういう組み立て方をぜひことしはしなければならない、したいというふうに思っております。
  43. 岡本富夫

    岡本委員 終わります。
  44. 小山長規

    ○小山委員長 次に、林保夫君。
  45. 林保夫

    ○林(保)委員 公述人のお三方、御苦労さまでございます。時間がございませんので、端的にお伺いし、また端的にお答えをいただきたいと思うのでございます。  本年は実は財政再建元年と、総理大蔵大臣も大変張り切っておられます。確かに伸び率九・九%、四十六兆七千八百八十一億円という予算になっておりますが、申し上げるまでもなく、国家予算は戦後まさに膨張の一途でございます。GNP、国民総生産に対比いたしましても、それと全くかかわりなく常に一〇%以上二〇%、ときには三〇%近い膨張の一途であったわけでございます。もちろん、国民総生産と予算の伸びをそれなりに完全に比例して伸ばすということにはいかぬとは思いますけれども、なお国民は、そういう印象を禁じ得ません。民間が苦労しておるのに国家は一体何だ、こういう批判が常につきまとってきた三十五年でございましたが、大川先生、財政学の見地から、五十六年度の予算をどのようにそういった面で追い続けになっておるか、御見解を率直にお伺いしたいと思います。
  46. 大川政三

    大川公述人 財政学立場からどういうふうに考えるかということでありますが、私ども学生時分に習った財政学では、比較的お金のつじつまを合わせる、支出を賄うに足る収入をどういう方法で賄うか、いわゆる貨幣的な収支バランスをいかにしてつけるかということが財政学の基本的な問題だったと思いますけれども、私は、いま御指摘がございましたように、国民経済における財政の地位が高まった現状におきましては、単にお金のつじつまを合わせるというだけで財政問題を考えることはできないのではないか。先ほど私、国民経済における資源配分機能ということを申しましたが、やはりもうお金の流れの底にひそんでいる資源の利用の仕方というところまで突っ込んで、そこまでおりて考えるべきではないかということが、先ほど私が最初に申し上げたことのバックグラウンドにあるわけでございます。  したがって、財政再建という問題を考える場合でも、単にお金のつじつまを合わせるというだけではなかなか国民の納得も得られないのではないか。やはり公債を発行して賄う場合あるいは増税をして経費を賄う場合、一体それによっていかなる資源の使い方が犠牲になるのか、そして、そのお金が何かに使われた場合にどういう便益なり効果があるのか、そういう二つの面を見比べながら考えていかなければならない、こういう基本的な考え方を持っております。
  47. 林保夫

    ○林(保)委員 ここに渡辺大蔵大臣財政演説がございまして、これは大蔵大臣に聞いた方が本当はいいのかもしれませんけれども、こういう大変すばらしい表現があるのでございます。「予算は有限、欲望は無限であります。」ということをまず最初にうたわれまして、それから最後のところに「問題の所在は明らかとなりました。道は近きにあります。順次、実行あるのみです。」と、大変威勢のいい演説に実はなっておりまして、まさにこれが財政再建元年なんだ、こういうことでございます。  しかし、なおこの結論と前提を踏まえますと、「予算は有限、欲望は無限であります。」ということからいきますと、欲望が無限である限りにおいて道は近くない、こう実は言わざるを得ない。大変矛盾していると言わなければならぬ。その間にちゃんとした施策をやって、これがうまく整合するようにやろうという御決意だとは思いますけれども、五十六年度の予算財政再建元年と言われるに値するものであるかどうか、それを財政再建元年とするにはどのような手法をこれから財政上とっていかなければならぬか、お三方にお伺いしたいのでございますが、まず池田先生から、今度は逆にひとつそれぞれの御意見を、政治として心得るべきこれからの問題点というものを御指摘いただけたら非常にありがたいと思います。
  48. 池田勝彦

    池田公述人 先生の質問は非常にむずかしゅございまして、はっきり申し上げて、どうしたらよろしいかというのはこれからの問題だろうと存じます。  ただ、一つは、財政再建元年だと言われるというふうにおっしゃいましたけれども行政改革の点から言えばそういったお話は当たらないであろうというふうに思います。それならどういうふうに違うかというと、そうではなくて、財政再建の道を本格的に踏み出したのだということは、おっしゃるとおりでございます。  それから、どうしたらよろしいかというのは、実は国民生活との関係をよく考えまして、余り国民生活を圧迫しないような、しかも今回の場合は恐らく昭和六十年度に償還が始まりますから、それに合わせて早く償還しようというのでそういうふうにやっているのだろうと推量するわけですけれども、そのために増税をする。そうではなくて、もう少し計画をきちっと立てて、長期になっても構いませんけれども整合的にやるべきではないか。ごく抽象的で申しわけないのですけれども、率直に申し上げて、実は私にはよくわかりません。
  49. 林保夫

    ○林(保)委員 内山先生、民間の活力の活用についてというような点もひとつあわせて承りたい。
  50. 内山達四郎

    内山公述人 財政は有限で、欲望は無限ということになりますと、無限の欲望をできるだけ抑えろ、がまんしろということにも受け取りかねないのですけれども、私は、それだけでは財政再建はできないと思うのです。やはり国が果たさなければならない役割り、あるいは企業、個人あるいは地方自治体それぞれが果たすべき役割りといいますか、任務みたいなものを明確にして、そしてそういうものを有機的に結合するようなやり方をやることによって限られた財政の効率が生かされるのではないだろうか。  その意味では単に国民の欲望を抑えるのではなしに、やはりそのひずみをどういうふうに是正をしていくのか、これは個人の努力だけでは限界があると思うのです。そこで、いまおっしゃられたように、民間の活力も生かす。しかし、民間の活力を生かすための国なりあるいは地方公共団体政策はいかにあるべきか。そういったものを有機的に結合することが財政再建のためにはどうしても必要ではないだろうか。ところが、率直に申し上げまして、そういうものが重複しているようなことによってかえって問題の所在を複雑にしてしまっているような傾向がなきにしもあらずという感じを持っております。
  51. 大川政三

    大川公述人 大蔵大臣の演説を御引用なされた上での御質問でございますが、欲望は無限、資金は有限ということは、先ほど私が言いましたように、私は資源という言葉を使いましたが、まさに欲望は無限に対して資源は有限である、こういうことをまた別な言い方をされたと思いまして、これは基本的には全く同意見であります。  そういう認識があって初めて効率化という要請が出てくるわけで、先ほど言った費用意識ということが出てくるわけでございますから、これは別に個人的な主張ではなくて、客観的な厳然たる事実である。  ただし、道は近きにあるということは、どういう内容で言われたのか私わかりませんで、その点についてのコメントは差し控えさせていただきますが、要するに、先ほど申しましたように、政府予算といえども経済原理の枠から外れることはできないんだということを改めて認識したいと思うのでありますが、その上に立って財政再建をやっていく基本的な手段としては、繰り返すようでありますが、費用意識を高める上での予算決定なり審議が行われるべきではないか。すなわち、最終的な政治決定を下す前に、経済的な意味での費用効果を明示するような形で政治的な責任をそれぞれ明らかにされた上で御審議をし決定していただく、これが、遠回りではありますが、財政再建の基本的な解決策である、そういうふうに思います。
  52. 林保夫

    ○林(保)委員 お三方の貴重な御意見、多様な手法を使って経済的な効果のあるやり方と政治的な決定というような先生の御意見もございましたが、大変私ども心配しておりますのは、ここにまた政府から出しました「昭和五十六年度の経済見通しと経済運営の基本的態度」、こういうことで、先ほど内山先生に特に承りました「民間経済の活力ある展開」ということを言っております。そしてまた、予算増税の項目を見ますと、法人税二%を初めとして、民間経済に活力を与えるよりはむしろマイナスになる要因を多く五十六年度予算の前提として踏まえていると思います。  そしてまた、ここにございますのは「総じてみれば明るさが増す」というふうに五十六年度を見ておりますけれども、御承知のような在庫調整、さらには来年の民間投資、民間住宅、さらにはいろんな項目を見ましても、決してそのような明るさを増すどころか、かえって悪くなるような情勢が五十六年度予算運営の前提にあると思います。これについてどのようにお考えになりますか。内山先生、もう一度、恐縮でございますけれども、率直な御判断を、明るいか暗いか曇りか、こういった点で承れればと思います。
  53. 内山達四郎

    内山公述人 民間活力を生かすということ自体に私は決して反対はしないのですけれども、ただ、国が果たさなければならないものまでも民間の企業に押しつけるということは、これは率直に言って、企業の経営者もあるいは労働者にとっても非常に迷惑なことではないだろうか。したがって私は、先ほど申し上げましたように、物価をどうするとか税金をどうするというようなことは、これは国がやらなければならない問題だと思うのですね。そこのところは、率直に言ってうまくやらないで、そのツケが民間の方に回ってきますと、やはり労働者生活を守るために賃上げというものをどうしてもやらなければいけなくなる。そこで労使紛争などが起きますと、せっかく安定している労使関係というものが国の施策によって崩されてしまうような懸念もあるんじゃないか。あるいは国民経済全体の立場に立った場合に、物価なり増税動向いかんによっては五十六年度の日本経済が、できれば早く停滞を脱却して安定成長を遂げなければならないのですけれども、それがむしろ逆の方向に動いてしまうようなことにもなりかねない。したがって、国の果たすべき責任を放棄してとまでは言いませんけれども、それをある程度たな上げにして民間活力ということについては、私は余り明るい予測、希望というものを持つことができないということを率直に申し上げなければならないと思うのです。
  54. 林保夫

    ○林(保)委員 お三方の貴重な御意見、ありがとうございました。
  55. 小山長規

    ○小山委員長 次に、三浦久君。
  56. 三浦久

    三浦(久)委員 共産党の三浦久でございますが、公述人の先生方には大変御苦労さまでございます。大変お疲れだと思いますけれども、二、三御質問をさせていただきたいと思います。  今度の予算を見ますと、御承知のとおりに軍事費が大分増強されているわけですね。そして、初めて福祉の伸び率を〇・〇一%であるけれども上回った、そういう結果が出ています。しかし、こういう傾向がこのまま推移をいたしますと、軍事予算というのは後年度負担が大変大きゅうございますね、これはもう御承知のとおりであります。ですから、来年度は伸び率が恐らく一〇%を超えるんじゃないか、こういう予想がされております。ところが、福祉の方は所得制限が強化をされる。また、老人医療とか教科書の無料制度、こういうようなものが五十七年度からは見直しがされる、そういう方向であります。  そうしますと、軍事費の方は前向きに増強されている、福祉の方は後ろ向きにずっと切り捨てられようとしている。上り竜と下り竜みたいな関係ですね。五十六年度は〇・〇一%という伸び率の違いがありますが、これがどんどん差が開いていくという、そういう傾向が出てくるのではないかというふうに私は思うわけであります。  その上に、いま議論がありましたような大増税、さらに公共料金の引き上げ、こういうものが重なってまいりますと、今後、国民生活というものはその水準がますます低下するんじゃないか、現在の生活水準を維持することができないのではないか、こういうふうに私は危惧をしているのですけれども大川先生並びに池田先生の御意見をお伺いいたしたいと思います。
  57. 大川政三

    大川公述人 大変大きな御質問でございまして、御趣旨は、防衛費と社会福祉費との間の選択関係において、防衛費の比重が漸次増大しつつあるという点をどう思うかということでございますが、私、冒頭の発言で申しましたように、防衛予算の内容説明といいますか、防衛費の表示の仕方において、私ども一般国民にとっては大変わかりにくいあらわし方になっておる。どういう機材、兵器を投入するかは述べてありますが、それによって私ども一般国民がどういう便益を受けるかについては大変不親切と申しますか、そのような説明の仕方になっておる。これはいま先生がおっしゃいましたような、防衛費と福祉費とどちらにウエートをかけるべきかという非常に高度な政策的判断を行うためには、私どもには必ずしも十分な材料が提供されているとは考えておらないわけであります。  しかし、これは御指摘の点がございましたように、将来もし防衛費の増大というものが相対的にも予想されるような状況であるとすれば、ぜひとも国民に対して防衛効果の内容について十分な御説明をいただき、国民のコンセンサスを得るようにすべきではないかと考えております。  そして、それに対する社会福祉費の伸びが停滞し始めておるということをどう考えるかということでございますが、そのあらわれとして、所得制限が加わったり教科書無償についての疑点が提起されておるという点を御指摘いただきましたが、いままで私がるる答えてまいりましたように、所得制限が即社会福祉の後退であるかどうか、むしろ前進のためにそれを使うべきではないか。もちろん、所得制限を加えた結果、その社会福祉費の浮いた分が他の政策目的に使われるならば、おっしゃるように社会福祉費が相対的に後退することになるかと思いますが、限られた資金の中で社会福祉の内容をもう少し効率的にやるとすれば、所得制限即社会福祉の後退というふうに即断は私としてはできないと思っております。
  58. 池田勝彦

    池田公述人 先生の御質問は、福祉費と軍事費との国家の選択の問題が一つございますね。これにつきましては、いまのところ即断するのは早いと思いますけれども財政再建という非常に重大な事態で軍事費の伸び率社会福祉費を上回ったということは、政府が軍事優先の選択をとったと評されてもいたし方がないと考えております。
  59. 三浦久

    三浦(久)委員 それでは、また大川先生と池田先生にお願いいたしますが、私は、財政再建というのは何のためにやるのか、やはり国民生活を守るためだと思うのですね。ところが、今度の予算を見てみますと、財政再建のためだと言って大増税をやる。この増税も一方ならぬ増税なんですね。たとえば五十六年度一兆四千億円の増税、また、お話がありましたように、四年連続所得減税がゼロであるとか、また中期税制答申を見てみますと、一年間に国税でGNPの二%を増税しなければならぬとか、地方税では一%だ。これだけの増税をやるということになりますと、五十七年度ベースで見ますと、GNPが三百兆円というふうに見込まれておりますから、そうすると九兆円の増税というような答申まで出されている。ということは、実現するかどうかわからないけれども政府自身が形を変えた一般消費税の導入を考えているということはまた、間違いないだろうと思うのですね。そのほかに、いま申し上げましたような福祉の切り捨て、公共料金の引き上げというような予算になっております。そうすると、これは自民党の幹部の方が言われたことですが、今度の予算はやらずぶったくりの予算になっている、だから人間として良心の痛みを覚える、そんなことを言わなければならないほどの予算だったわけですね。  財政再建のためだからと言って国民にだけ犠牲を強要する、そういうやり方ではなくて、もっとほかにやり方があるのじゃなかろうか。たとえば不要不急の支出をもっと削減できやしないだろうか。これはたとえば、いま大川先生も疑問を提出されました軍事費ですけれども、これなんか、いま急速にどんどん増強する必要はないというふうに私は考えております。ですから、増額は認めない、それどころか一定の程度減額もできるのじゃなかろうかというふうに考えるわけですが、そういう不要不急の支出を削減するということ。それからまた、不公正税制というものを是正をする。大企業に対する特権的な減免税、こういうものをやはり是正をして収入を図るとか、そういういろいろな工夫が当然なされなければならないというふうに私ども考えているのですけれども、両先生のお考えをお尋ねいたしたいと思います。
  60. 大川政三

    大川公述人 財政再建国民生活を守るためのものであるという御指摘で、私も申しましたように、財政再建というものは単にお金の面でのつじつまを合わせるだけで済むものではないということはさきに申したとおりでございまして、先生のお言葉では国民生活を守るためということでございますが、私の言葉で言えば有限資源の効率的な活用を政府が民間とともに行っていく、そういう実が上がって初めて財政再建の実態が整うと思います。お金勘定だけが合えばそれでよろしいというふうには私も考えておりません。  そこで、一方において大増税といったことあるいは不公平税制が存在しておるという御指摘に対するお答えでありますが、増税という場合も、増税が行われれば、それが強制的に国民から徴収されるものである限り、国民としてはいやがることは当然であります。それがいかなる方法であれ、その意味では負担でありますけれども税金の面を考える場合には、やはりその税金を取ることによっていかなる資源の利用が犠牲にされたのか、家計においてか企業においてか、どういう資源の使い方が放棄されたのか、その放棄された犠牲によって他方においてどういう便益が支出面において確保されるのか、そういう総体的な評価によって判断されるべきである。支出面は支出面、収入の税金面は税金面だけで判断するのは片手落ちになるのではないか。あるいは効率的予算を考えていく場合には、やはり収支両面の比較のもとで判断さるべきではないかということであります。  そして不公平税制ということがしばしば言われる。これは確かに、かつての高度成長期においては特権的な優遇措置が行われたことは事実でありますが、また、公平ということはいかなる基準でやるのか、大変むずかしい。そして現在の、特に所得税制における一番不公平と考えられる原因は、個人の消費であるのかあるいは個人の事業の費用なのか、この点がきわめてつかまえにくい。ここに現在の所得税の最もむずかしいといいますか、不公平な実態を生じさせている根本の原因があるのではないかというふうに考えております。十分なお答えでないかもしれませんが……。
  61. 池田勝彦

    池田公述人 第一点は軍事費の件だと思いますが、これにつきましては先生方の御専門でございますので……。  ただ、一言申し上げたいのは、軍事費を増大させる、その場合には、どういうような防衛をするのかということをはっきり国民に知らせてから増大していただきたいというふうに考えております。  それから、もう一つの不公平税制の点については、増税の場合に、もし国民が現行税制は公平だというふうに感じておれば、多少の増税はがまんすると思います。したがって、増税する場合には、まず不公平税制をやめるということが大事だというふうに考えております。
  62. 三浦久

    三浦(久)委員 ありがとうございました。  終わります。
  63. 小山長規

    ○小山委員長 以上で各公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位には、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。  午後一時三十分より再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時三十一分休憩      ――――◇―――――     午後一時四十八分開議
  64. 小山長規

    ○小山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  この際、御出席公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  公述人各位には、大変御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございました。昭和五十六年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。  次に、御意見を承る順序といたしましては、まず谷合公述人、次に五十嵐公述人、続いて高原公述人の順序で、お一人約二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えを願いたいと存じます。  それでは、谷合公述人にお願いをいたします。
  65. 谷合良治

    ○谷合公述人 御紹介にあずかりました谷合でございます。  きょうは、政府昭和五十六年度予算案について賛成する立場から意見を述べます。  まず、教育というものは国の将来の運命を決する基本というふうに私ども考えております。この教育の点にしぼりましてお話を申し上げます。  この教育の問題でございますけれども、教育を実践するために学習指導要領なるものを基準として行われるわけでございます。これは戦後たびたび改善、改定されてまいりまして、現在、昭和五十五年度からは小学校、五十六年度からは中学校、五十七年度からは高等学校というふうに改定され、そしてそこからゆとりと充実のある学校教育を実施すべくその推進に当たられているわけでございます。そういうふうなところにありまして、児童生徒、また教師自体の立場、またその学校の施設、設備という、この三つから大体教育というものは成り立っているわけでございます。  そういうふうなときにおきまして、児童生徒の件につきましては教科書の御配慮をいただいたり、また、教師につきましては教職員の定数の御配慮をいただき、かつまた先年は人材確保法の成立を見て、そして待遇の面においてもいろいろと御配慮をいただいたわけでございます。そして、学校施設、設備の面につきましては、体育館または老朽校舎等の改善の基準措置をやはり御配慮していただいたのが現状でございます。  しかし、このようにしていろいろと御配慮いただいている教育の面におきましても、決して安穏の状況ではございません。最近、特に学校内暴力とか学校内におけるいろいろトラブルとか、そういうものがマスコミにのっているのが現状でございます。そういう点について二、三述べたいと思います。  まず、教育は師弟間における信頼が第一でございます。これは物において結びついているものでなく、また、金において結びついているものでなく、係累において結びついているものでもありません。ただ信頼関係においてのみ教育というのは結びついているものでございます。かつて、ことわざに、三尺下がって師の影を踏まずというものがございましたけれども、あれは三尺下がって師の影を踏むなという教えではなくて、逆に、教わる者が師を敬って三尺下がったわけでございます。三尺下がれと言ったのではない、みずからが教えを請うために三尺下がった、そういう言葉であるわけです。現実においてはそこに問題が若干あるのではないかと思う節がございます。そういうふうな点、そして明るく健全な伸び伸びとした青少年の育成がそういう中に出てこなければならないというふうに考えております。  まず、校内における最近言われます暴力は、一体どうしてこういうことが起こったか。私もかつては一教師として、四十一年間その道に携わったものでございます。長い間の経験を通して見ましたときに、自分で理解でき得ない点も多々見るところでございます。この校内暴力的な問題は、五十二年ごろから徐々にその芽を出してきて、特に統計でいった場合には五十五年、五十四年、この辺が非常な山になっている感じがいたします。今後これがさらに高くなるか、あるいはこのまま現状維持をするか、これが低くなっていくか、これはいかんともここで申し上げるような立場でもございません。  そういうふうなものを全般的に見たときにどんな状況であるかということでございます。日本の国が全部暴力教室になってしまったかというのは、これは錯覚でございまして、中学校の例をとりましても、大体、約一万あります学校の中で、三百七十二件、五十四年度にあったわけでございまして、三・七二%でございます。大体の学校はきちっとしてやっているわけでございまして、すべての学校が狂っているわけではございません。また、先生に対する暴力にいたしましても、これがその暴力の中の一つの大きな主因になりますけれども、それすべてがそういうことで行われているわけではございません。  私どもが子供のころを考えたときに、餓鬼大将になるためには、まず駆けることが速い、石を投げることが強い、組み討ちをして上になることが強い、これがわれわれの餓鬼大将になる三条件であったと思うわけです。かつてはやはり学校の中において、そういうお互いのけんか、血を流すようなこともあったわけでございますけれども、それはそれで大きな問題にならずに終わりました。いまは違います。いまあれば、すぐそれはマスコミの一つの取材源になります。一日、数時間ならずして全国的に広がる、これが一つの大きな特色とも言えるでしょう。  また、教師に対する暴力も二通りあります。一つは、厳しく厳しく言われて、追い詰められて逃げようとして先生にぶつかっていった暴力と、意識を持ってあの先生をやろうと考えてやった暴力と、二つに大きく分けられるわけでございます。この二つがやはり一緒になって、いま校内暴力といって先生に対することとして言われているわけでございまして、これもかつてを見たときに、全く皆無であったか。そうではありません、あったわけです。あったけれども、この問題は良識においてお互いに抑えられたわけです。先生の方も騒がない。そのことを大きく社会的な問題にとらえない。陰湿ではあったかわかりませんけれども、できる限り抑えたというのが実情ではなかったかと思います。いまはそれがすべてマスコミの上にのるわけです。何件起こった、どこで何が起こった、どこでどうした。しかも、それは週刊誌の材料にもとられ、さまざまのその中の問題が理由づけられてくるというのが現状ではないかと思うわけでございます。ですから、特に現在すさまじいもので、日本の中をそれが巻き込むということは考えられませんけれども、この問題は現在の時点で、私どもは国を挙げて十分考える必要があるわけでございます。そういう意味において、推進地区の制定とか推進校の設定とか、何とかいろいろな手だてを尽くしながら物事を考えていかなければならないと思います。  さて、その原因は何にあるか。これは私どもずいぶん考えたことでございますけれども、なかなか原因をつかみ切れません。社会環境が悪いんだ、いや家庭がなってないんだ、甘やかしがあるんだ、いや違う、これは先生が悪いんだ、先生が一生懸命やらないんだ、いや違う、学校の管理体制ができてないんだ、校長の言うことを先生が聞かないからだと、さまざま言われます。しかし、どれ一つとっても、その原因を突き詰めるものがあるとは考えられません。それぞれが皆織りなして一つのものができているように私には考えられます。  まず、こういう点に論をしぼりまして申し上げていきたいと思いますけれども、校内暴力の芽は、中学校や高校において発生するものではございません。小学校の四、五年からその芽は出ます。もう中学校に来たときには、悪くなった生徒をもとへ戻すには、先生が相当の努力をしても戻らないものでございます。この点を感づかれないで事象だけが問われているのが現状ではないでしょうか。  では、小学校四、五年からそういう芽がどうして出たかということでございますけれども、私は、子供の世界が過去と違いまして、一人とか二人とかという核家族になっていったため、やはりそこに甘やかし、この子が死んでしまったら大変なことになるぞという親の感じ、そういうものが子供に自然と甘やかしをしていったのじゃないか。かつては、イモ洗いの中にイモが洗われたごとく、きょうだいで自分のわがままを抑えられていたわけです。ごろごろごろごろぶつかり合ってきれいにみがかれた。そのぶつかり合う世界が家庭になくなって、そしてこれが学校へと移ったわけです。学校へ行っても、そういう一人一人の子供たちが、わがまま同士が集まりますから、そこにおいての構成的な一つの問題も考えなくちゃならない。そういう点が考えられます。もう一つは、一人きりいない子供であるために、父兄の子供に対する期待感が非常に多いということ。この子こそ将来はかくかくにしたいという熱望が強いことでございます。子供というものはそんなにすべてがりっぱになるものでございませんで、千差万別あって世の中が順当に動くものでございます。そこの期待感、そういうものも一つの問題点を持つと考えられます。  さてその次に、先生のそれらに対する対応でございます。ここで私は、大きな観点に立ったときに、教員養成の問題にもう一回メスを入れる必要があるのではないかと思うわけです。そしてその問題点といたしましては、現在の小学校の教諭の例をとってみましても、全国平均においてすでに女子が六〇・七%、男子が三九・三%、これが五十四年度の比率でございます。そうなってまいりますと、小学校高学年もやはり女子の先生が担当しなければならない。かつての学校は女子組と男子組ですから、女子の高学年は女の先生が持った。いまは暴れん坊も女子の先生がどうしても担任しなければならない。ここに抑え切れない一つの芽がふえていく原因があるわけであります。このことは案外感づかれないけれども、これは小学校の実情を見たときによくわかるわけでございます。女の先生では困るとかなんとかという意見がいろいろと出ますけれども、女の先生でも優秀な方は大ぜいおりますし、やはり日本の教育を背負う一つの大きな柱でございまして、決してそれをとやかく言うものではございませんけれども、男子が男というものを自覚して成長過程に立ったときに、それを取り扱うのに男子の先生でなければならないということが痛感されるのが現状でございます。この点に対する配慮、これをどうやってするか。ところが、教員養成の大学の入学試験を見れば、優秀なのは女子ばかりである、こういうふうな点を考えるときに、非常にさびしいわけでございます。しかし、中学校におきましては、まだ男子が六八・七%、女子が三一・三%、約七対三の比率を保っている、これがまあまあ防げている一つの大きなことになるのではないかと思います。  その次が、社会の問題について問うわけではございませんけれども、いかにいろいろと子供たちをやりましても、自動販売機なるものが至るところにばっこして、酒、たばこは自由であるし、週刊誌が自由に買えるし、これをどうやってセーブするか。十時以後は禁止するとか、何かそういう大きなものを持っていかない限り、興味しんしんたる子供たちの、その抑えるものがないわけでございます。大人の私が読んで非常に楽しいものであって、大人のするものを取るものではございませんが、子供がそういうものを好奇心に駆られて見たときにどういう現象を示していくか。わが子がそうであったとき、親はどう考えるか。親では喜ばしいことであっても子供にはどうであるか。それを思ったときに、このことについては手放しにでき得ないものがあるわけであります。そういうところが自由という名のもとにそのまま開放されていて、片方で厳しくとか片方でどうとか言ったって、なかなかこれはできるものではございません。  もう一つはマスコミでございます。マスコミは情報提供で、やはり現在社会において欠くべからざる必要なものでございます。しかし問題は、テレビにおいても新聞においても雑誌においても、また週刊誌においても、広げたものを見ただけでも大人が目を覆わなければならないような露骨なものが出ているわけでございます。随所に出ている。それを見て子供が慢性化するまでどれだけかかるか。映画の看板においてもそうです。そういうふうなことを考えたときに、やはり規制できなければできないだけに、あらゆるものが国の中に蔓延していく。その中で、間違いなく正しい道を歩めといかに学校の教師が説いたところで、これはなかなかむずかしいものでございます。  私は先生方の実態を見たときに、いろいろと先生方が批判されていますけれども、大部分の先生は、子供の前に立ったときには私をなくなして夢中になるものです。どんな考え方を持っても、どういうふうなものを持っても、子供の前に立って素っ裸になって、あぐらをかいているような先生はおりません。やはり子供の前に立ったときは皆一生懸命やります。しかし、人間ですから怠け者もいるでしょう。さまざまでしょう。大勢は一生懸命やっている。その一生懸命やっている先生方においても対抗でき得ないさまざまなものがあるということでございます。万引き、盗み、それから始まって怠け、おませ、そういうものがだんだん非行の方に行って、その非行が高じてから先生の言うことを聞かなくなって、逆らって暴力的なものになる。父兄会をやっても地区座談会をやっても、そういう父兄は参りません。だから、どこで意思の伝達――先生が毎日のように家庭に行って話しても、父兄と子供とは全然折り合いがつかぬ。子供もまたそれを無視していく。そういうふうなことから漸次子供の性格ができていく。  こういう話がございます。中学校を卒業して、成績が悪いから、もちろん高等学校には進学でき得ない。どこにも就職できないから土方になる。土方はいつでも使ってくれる。土方に行ってその棒頭に、きさまみたいな怠けたやつはだめだぞとどやされ、そんななまやさしいものではないと言われて初めて翻然と悟った卒業生がいるわけです。これがまさに最大の教育であるわけです。やはり教育は所によって変えて、上っ面だけやってもうまくいかないということがそこで言えると思います。そういうふうなことは、やはり私どもが皆土方の棒頭から学んでいることです。そういうふうなことに心がけながら日夜皆さんが努力をしている、先生方がやっているとわれわれは感じております。  さて、こういうようなことにおきまして、日本家族制度の構成も変わりました。私たちが考えていたものも次第にすばらしい速さで変わっていきます。また、社会悪というのも、社会が進歩すればするだけそこに出てくるわけです。これは当然なことです。そういう中にあってどうやって子供たちを防衛するかということで、私としてははりきりした明言はございません。しかし、今度の政府の原案に盛られました生徒指導の各種の原案につきましては、現時点においてはそれを推進しなければならない、それでやって、そしてできるかできないかを確かめていかなければならない、こう思います。そういう点におきましては、何々をやれば何々ができるという解答のないこの時代において、模索しながらも、出ましたそういう案を一刻も早く成立させていただきまして、日本の国によりよき子供が生まれるように私は願うわけでございます。  以上でございます。(拍手)
  66. 小山長規

    ○小山委員長 どうもありがとうございました。  次に、五十嵐公述人にお願いいたします。
  67. 五十嵐光雄

    ○五十嵐公述人 私は、ただいま御紹介いただきました五十嵐でございます。  ふだん盲学校に勤務しながら、実際の教え子、障害児たちが将来どうなっていくかという面では、雇用の問題を初めとして市民の生活、そして教育問題にわたって障害者運動、教育運動、そして地域では、ちょうど十年前、自治省からのモデルコミュニティー地区指定の一地区でありましたし、それ以降コミュニティー運動についても深くかかわっております。     〔委員長退席、金子(一)委員長代理着席〕 そうしたさまざまな立場から、五十六年度政府予算についての若干の意見を述べさせていただきたいと思います。  すでに御存じのとおり、各地で言われております、ことしが国際障害者年でございます。ちょうど五年前、一九七六年に国連で決議されたこの国際障害者年が、最初の段階ではインターナショナル・イヤー・フォー・ザ・ディスエーブルド・パーソンズ、障害者のためと言われていたこの国際障害者年が、やがてオブ・ザ・ディスエーブルド・パーソンズ、オブに変わった。この前置詞がフォーからオブに変わったというところに画期的な意義がございます。障害者自身がまず中心になって、いままで長い間地球上において虐られていた、あるいは差別されていた、いろいろな不利益をこうむっていたことに対する問題解決を、健常者が障害者のために考えるのではなく、障害者自身がまず考え、行動し、そして広く市民を初め行政、企業等の理解の中でこれを解決していく、この基本的な考え方が非常に重要な意義があるということと、もう一つは、完全な参加というテーマであったのが後に平等という一文字が加わったということですね。ややもすると、参加というのではただ参加をさせる、しかし意思決定は行政が行うというような形がえてして行われておりますが、そうではなくて、平等ということを本当の意味で実現していくためには、まさに画期的なテーマであると思います。  さて、この国際障害者年に視点を当てながら現状を見てまいりますと、幾つも問題が出てまいります。その中から、特に教育問題と経済生活所得の問題と就労、雇用の問題に、時間の限りがありますので限定して述べさせていただきたいと思います。  まず、教育の問題でありますが、明治五年に日本に初めて近代教育の制度がしかれました。しかし、これは長い鎖国から目覚めた明治政府が、先進諸国に追いつけ追い越せということで、いわゆる言うところの殖産興業、富国強兵政策を国家的にとっていく、そのために必要な人づくりとして義務教育をしいた。したがって、言いかえれば富国強兵に役立つ人づくり、つまり、工場で働く人間あるいは銃を持って戦場で働く兵隊、それを人づくりとして最小限度の読み書き、そろばんを教えるのが義務教育である。言いかえれば、そうした場面に役立たない障害児者に対しては、教育を行うのはむだな投資であるということから、明治、大正、昭和の初期に至るまで、言いかえれば第二次世界大戦が終わるところまでは、障害児に対する義務教育はなかったのであります。そして、第二次世界大戦が終わって、新しい憲法のもとに昭和二十三年に初めて盲教育、聾教育における義務制がしかれ、そして、あと残された肢体不自由、知恵おくれ、病虚弱については五十四年、養護学校義務教育ということで完成したわけでありますが、そこに一つ問題を残してしまいました。  それは、国際障害者年の五つの目標の中の一つに、教育はすべて地域で、健常児も障害児も一つの教室の中で机を並べて学ぶことがうたわれ、しかも先進諸国においても、また開発途上国においても、それぞれこうした言うところの統合教育、インテグレーションが実現しているわけですが、残念ながらわが国の教育は、この世界の動きとは全く逆行して、盲教育、聾教育においては、昭和二十三年度の当初においては盲学校、聾学校でも、また地域の学校でもその教育の場が保障されておりましたが、昭和三十五年前後のいわゆる高度経済成長政策をとり出したころから、分離、そして選別をして、これこれこういう条件の者は盲学校に、聾学校にという場所の指定が行われ、そうして一昨年の養護学校義務化でこの分離、隔離そして専門の学校での教育ということが貫徹されたわけであります。このことは、まさに国際障害者年の精神からも、また、現実の欧米諸国あるいは開発途上国の流れとは全く相反することであります。  二、三例を申し上げますと、たとえば東京都でも、足立区におきます金井康治君の例があります。最初は養護学校へ入学し学んでおりましたが、自分のきょうだいが地域の学校に行くに至って、自分もやはり身近なところで、すぐ通える近くの学校できょうだいと一緒に勉強したいのだという強い願いを持って、親たちもその子供の願いにこたえるべく教育委員会と折衝し、これが五十三年度、五十四年度、そうした動きの中で足立区教育委員会も、週二回の交流から、さらにできるだけ早い時期に地域の学校に転校させるという見解をとったわけでありますが、いまの学級、児童定数あるいは教員の配置、物理的条件等々が理由となってなかなか学校側の理解も得られず、方針は決まったものの、いまなお地域の学校に行けない状況があります。  またもう一例は、全盲の子、全然見えない子供さんで、これは神奈川県下でしたが、IQが一四〇、幼稚園までは地域の幼稚園に行っておりました。小学校に入る段階で、大和市の柳橋小学校というところへ入りたいということで、その学校の先生方の七人が受け入れることに賛成し、四人が担任をやってもいいということでしたが、市の教育委員会、そして県の教育委員会が物理的条件、人的条件等々を理由にこれを拒否し、結局、一時間離れた私立の小学校へ行って、健常の子供の間へ入って一緒に学ぶということがいまなお続いております。  しかし、杉並区やあるいは都下町田市、あるいは関西では大阪を中心にしてその周辺、全国各地で先進的な取り組みもありまして、教育委員会も、現場の教師も、そうして父母たちも、深い理解のもとに重度の障害児も地域の学校に通っている例が数多く見られてまいりました。  これらを考えますと、いま一度に全部の障害児が地域の学校にというわけにもいかないでしょうが、しかし、たとえばアメリカにあるように、まず地域の小学校なら小学校へ籍を置くのがあたりまえで、そうしてそこで学ばせることが当然で、いろいろな手だてを講じてもその子供にどうしても十分な教育ができないときのみ、親と教育委員会の了解を得て専門の機関に送るが、一日も早くまたもとへ戻すということが行われております。日本の場合は、それ以前に就学指導委員会という行政サイドでの意思決定機関が、地域の学校長を初め現場の教師の何のかかわりもつくらないままに、事前に処理してしまうというシステムになっております。  これでは、先ほども前の公述人の方がおっしゃっていた校内暴力の問題一つとりましても、実は障害児を受け入れないあるいは障害児の存在を認めない社会は、それがアブノーマルなのであるということが最近言われております。ノーマライゼーションという言葉は北欧で、メーンストリーミングというのはアメリカで、インテグレーションというのはイギリスを中心にして言われておりますが、いずれも、壁を取り除き、いままで亜流であったものを主流に乗せ、そうしてどんな人たちも一つになって社会をつくるのが、これがノーマルな社会であるという考え方になっております。そのことからすれば、基本的に文教政策の中で、どんな障害児もなるべく早い時期に地域の学校で受け入れていく、そうした物理的条件と人的条件とを整備していくことこそが――ゆがんだ社会病理的な現象である教育現場でのひずみ、それが暴力に発展していく。そうではなくて、教師も子供たちも障害児と手をつなぎながら人間的な成長、深い理解をはぐくんでいくことに本当の意味の教育が育つのではないかと思います。そうした世界の流れに逆行しない施策こそ、国際障害者年のことしからとるべき教育政策だと私は信じております。  次に、所得と就労の問題ですが、国民所得が二百数十兆円というならば、単純に素朴な疑問としては、それならば、国民所得ですから、したがって国民の人口でこれを割れば一人一人の頭割りの所得が出てくるはずであります。だとすれば、年収二百万ということになります。果たして、赤ん坊からお年寄りまで年収二百万というところで計算したときに、それが皆さんの納得するところになるでしょうか。  私は考えます。とかく障害者は、あれもよこせ、これもよこせ、何も半額にしろ、何もただにしろというような、言いかえれば、手当たり次第何でももらうという受け身の、いわゆるネガティブな心だけにむしばんでしまうそうした施策であってはいけない。むしろ所得の面では二つに分けて、いわゆる障害補償、障害をこうむったがゆえにどうしても支出がふえますし、それらを考えての障害補償と、それから所得保障と、この二通りでまず整理していく。所得保障についてはできるだけ就労、雇用、働く機会を積極的に生み出す中で権利としての労働を保障していく。そして、少なくとも最低賃金、いま外されておりますが、障害者も含めて最賃を適用させ、月額約八万くらいの所得を保障していく。あとは障害補償として、その最低賃金の二分の一が重度、四分の一が中度、八分の一が軽度という形でその障害に応じた補償を行う。これが成立した段階では、すべて半額、すべてただというような温情的な制度は全廃していく。そのことによって障害者自身が、あたりまえの市民として資質を考え、社会に主体的に参加していく、そうした心構えと態度が出てくると思います。それが実現してこそ、初めて国際障害者年の完全参加と平等が実現していくと思います。  そのためには当然就労――特に身体障害者雇用促進法が五十一年に大きく改正されたとはいえ、軽度障害者は確かに雇用が若干伸びましたが、しかし、視覚障害あるいは脳性麻痺を中心とした重度の障害あるいはダブルハンディ、こうした方々にはこの法改正も何ら有効に働いていないのが現状でありますし、大企業に至ってはこれを納付金で、ペナルティーをお金でかえていく。そうしてしかも、唯一残された社会的制裁としての公表制度がいまなお実現していない。したがって、一つは、この納付金を現行月額三万円から十万円くらいに引き上げる。そうすれば当然、それだけのものを払うならば雇用した方がいいという発想の転換にもつながりますし、また、法に認められている公表による社会的制裁は一日も早く実現させて企業社会責任を果たさしていく、このことが必要でしょうし、また、職種、職域の開発のための専門機関、研究機関、システムを積極的につくり上げていく、そうした労働行政が必要になってくると思います。  障害者といえども働きたいのです。生産性が仮に低ければ、それは北欧諸国が行っているような公的な給付とセットで最低賃金を保障していけばいいと思います。そうした残された能力をできるだけ発揮して社会に貢献したいという一人一人の願いを実現しながら市民の生活としての一翼を担っていく、社会に貢献していく、その道筋をつくるべき絶好の機会ではないかと思います。ただ受け身の形で保護されることを決して障害者は望んでおりません。  それやこれやを考えますと、この国際障害者年の五つの目標、十四の行動計画の指針を着実に、一つ一つの、現行の制度に照らして不備な点をこの十年間で完全に解消していく。一九九一年のチェック年には、なるほど経済大国にふさわしい、すべての障害者を含めたノーマライゼーションが実現するんだ、これは教育において、労働において、市民生活においてそれが実現して初めて日本が世界に誇れることになるんだろうと思います。いまのように、一部犠牲をそのままにしておいて、経済発展が結局は――むしろフランスやイギリスやドイツ、アメリカにおいて、障害者政策をいろいろ加えながら、お互いに傷つきながらも、しかし犠牲を強いずにともに助け合いながら、日本のようにしゃにむに、弱い者を切り捨てて邁進してきたエコノミックアニマルの行き方ではなく、たとえテンポは遅くなっても、すべての障害者をその戦列に加える中で国の政策をとってきたこの行き方こそが、いま日本に問われていることだろうと思います。  私ども、第一次世界大戦、第二次世界大戦で、いつも戦争の中で犠牲になっていったのは障害者であったわけです。国に役立たない、国賊、匪賊、穀つぶしというように言われていた。そして戦争こそが、民主主義と人権尊重の精神を最も劣悪に破壊していく恐ろしいことであることを、はだを通して体験してまいりました。その意味では、ぜひもう一度人間らしい社会をつくることがまず国策の優先施策であることを代議士の皆様十分に御認識いただき、政府予算をその観点から再検討いただきたい。  政府におかれましても、国際障害者年をただ空念仏に流してしまうのではなく、一つ一つの行動計画指針を各省庁における一つ一つの政策の中に生かしていく、その意味で、いま組まれている予算には私は反対いたします。その意味で再度御検討を強くお願いし、私の意見とさせていただきます。  ありがとうございました。(拍手)
  68. 金子一平

    金子(一)委員長代理 どうもありがとうございました。次に、高原公述人にお願いします。
  69. 高原須美子

    ○高原公述人 いま御紹介いただきました高原でございます。  私は、経済に多少強いという、そして家計を担当している主婦の立場から、五十六年度の予算案について意見を申し述べさせていただきたいと思います。  いままでのお二人の方々の、教育者としての非常にお高い立場からの話と違いまして、家計サイドからでございますので、かなりみみっちい話になるのではないかと思います。  最初に、今度の政府予算案を見ましての最初の私の印象を申し上げたいと思うのです。確かに、鈴木総理が二兆円国債減額ということをおっしゃっていらして、その公約は果たしているわけですけれども、公約の中で二兆円減額だけ言ってらして、その裏側の増税の枠がなかったために、非常に大きな増税というものが行われてしまっているわけです。私は、公約としては、やはり国民のいやがる増税の方も最初から言っておいていただかないと、政府の案を見たときに、あれっという非常に裏切られたような気がするわけでございます。これを家計にたとえますと、借金を減らせ、減らせということで、家計を担当している主婦が借金は一生懸命減らしたのだけれども、歳出の方はちっとも切り詰めないで、かせぎ手である主人のしりをたたいて、かせいでこい、かせいでこいというような形の予算案になってしまったのじゃないかなという気がするわけです。そういう意味で、全体の印象としては、公約が行われたと言われながら、その裏で何かうなずけないものがあるわけでございます。  次に歳入の面、つまり、国民の側から言いますと負担という面について申し上げますと、法律を改正しての増税というのが一兆四千億円ということになっております。さっき申し上げたように、増税というものに、増税ゼロで国債を減らすとか、増税を何千億円以内で国債を減らすというような枠がついていれば、こんなにも増税がなかったのではないかと思うわけなんです。  ただ、中身を見ますと、比較国民としては抵抗できるものが多いのではないか。つまり酒税のアップなんというのは、酒を飲む量を減らせば多少は抵抗できるのではないかという気がするわけです。ただし、それは税の増収にはつながらないで、むしろ減収を引き起こすのではないかという気がするわけで、財布を預かる身としては、税の上がったものはなるべく買わないというような形でしか対抗できないのかという気がしているわけでございます。この辺も今後の御検討で、一兆四千億そのままが増税されるのかどうかは御検討になるでしょうけれども、私が受けた感じとしては、そういう形で抵抗していくということを考えざるを得ないと思うのです。  私は、問題は、増税としてはっきりあらわれている一兆四千億円の方ではなくて、むしろ、法律を変えないで、目に見えない形で行われる隠れた増税の方が家計にとっては負担が大きいのじゃないかという気がするわけです。それはどういうことかといいますと、所得税の減税が引き続き行われないということでございます。そうしますと、特に給与所得者にとっては非常にしんどいことになるのではないかと思っております。  実は私も最初のうちは、政府財政再建ということを強くおっしゃっておられますので、もう一年ぐらい減税をがまんしなくてはならないかなという意見を持っていたわけですけれども、昨年末からいろいろな数字を見ておりますと、サラリーマン世帯にとっては近年にない非常に厳しい家計の状況になっているわけです。昨年の実質賃金が〇・九%の減少であるということで、これは二十七年に統計をつくって以来初めてのことだと新聞は報じているわけなんです。そうしますと、ベースアップその他で給料が上がったものがまるまるふところに入ってくればいいわけですけれども、逆に実質ではマイナスになっているということで、これではちょっと家計としては苦しく、このあたりで私は物価調整減税というものが考えられていいのではないかなという気がするのです。  昨年は確かに賃上げの幅が少のうございました。私は、この賃上げの幅が少なかったということが物価の狂乱を防ぐ上で役に立った、八%ぐらいまでいきましたけれども、それ以上にならなかった、コストアップを引き起こさなかったのは、ベースアップを抑えたことではないかと思うのです。そうしますと、せっかくベースアップを抑えたことが、結局はサラリーマンにとってマイナスの結果を生むことになったのでは何とも納得できないことですので、この辺で何か隠れた増税にならないような形のものを御検討いただきたいと思うのです。  いろいろ所得税の中でも、サラリーマンの場合には課税最低限の引き上げもなく、サラリーマンの中で納税者の数が急速にふえると言われておりますし、それから累進税のために、比較的低いサラリーの人たちの税額が急速に伸びるというような報道を拝見しております。そこで、ぜひ物価との絡み、実質賃金マイナスになったということの絡みで、何か隠れた増税にならないような形のものが今後御検討いただけないかと思っております。  次に、歳出面について申し上げますと、これも増税というものの枠がなかったためにかなり膨張しているのではないかと思うわけです。財政再建ということになりますと、国民もそれから皆さん方も、総論では賛成を表明するわけですが、各論になるといろいろ問題が起きて、なかなかそれが削れないわけです。したがいまして、増税の枠というものをはっきり決めておかない限り、歳出を削るということはなかなかむずかしかったのではないか。その意味で、今度の歳出削減というのは不十分であったのではないかと思うわけなんです。  その中の一、二について意見を述べさせていただきますと、いつも言われているのが行政改革であり、これは国民の側からいつも声が強く上がるわけです。私も、行政というのは、一面では能率アップということで改革を進めなければいけないし、もう一方では仕事減らしというような形で改革を進めないといけないと思うわけです。ところが、最近の記事などを見ておりますと、この辺でも私たち非常に納得できないものがあるわけです。たとえば第二次臨時行政調査会というのが誕生して、行政改革に本格的に取り組むということでございます。しかし、そのためにスタッフが百何十人も配置されるということであるわけです。そうしますと、そういう民間の英知をしぼって、それを中心に行革が進められるということでしたら、行政管理庁の方は一体要るのか要らないのかというあたりで、大変私などは納得できないものがあるわけです。それから、仕事を減らすという意味では、いろいろ今後第二次臨調で検討されると思うのですけれども、たとえば塩とかアルコールの専売をやめて民営に移すのだというようなことが耳に入ってまいります。その一方では個人郵便年金というのが誕生する。一方では民営に移しておきながら、他方では民営でやっているものを官営で行わなければならないというようなことがあって、それぞれ理由はおありなんでしょうが、何か納得できないものがあるわけです。  それから、行政改革の一面として、公務員の給料なんですけれども、今度は一%アップの予算が計上されているということですけれども、一体この一%というのはどういう意味を持つのかというのが大変疑問に思うわけです。一%でしぼるのか、それともまたもっとベースアップをするのかというようなことで、この辺も、民間に勤めている人にとってはなかなか理解しがたいことだと思うのです。民間の場合には、私も、自分の主人が民間会社で大変経営の苦しいところにおりましたために、ベースアップもありませんでした。それからボーナスも何年ももらえなかったという経験がございますので非常に身につまされるわけですけれども、それに比べれば公務員は、どんな赤字であっても常に適当な水準のベースアップが行われ、昨年暮れには十分なボーナスを早々と受け取っておられるというようなことで、ことしは一体どうなるのかというあたりを私はぜひ見守りたいと思っているわけなんです。  いま行革について申し上げましたけれども、次に福祉の面について申し上げますと、私は、本当に困っている人に手厚く福祉をつけるという意味では、今回所得制限などの制限が行われたということはやむを得ないのかなという気がしているわけです。十分所得のある方に福祉をつけることはないではないか。そして非常に困っている人たちに手厚く福祉というものをつけていってほしいと思うのです。と申しますのは、私自身の母が完全に寝たきりになりましてもう四年たっております。私はいま病院にお願いしているわけで、その病院に納めるお金を一生懸命かせいでいるわけなんですけれども、家庭で寝たきりの老人を見ている主婦の方々の話を聞くと本当に大変なんです。高齢化社会になれば、これからはそういう人がふえていくことはわかり切っていることなんです。ですから、そういうところに手厚く福祉がつくような形の対策を考えていただきたいと思うのです。本人も大変だろうと思うのですけれども、次の世代の主婦というのは本当に何もできないというような大変さでございます。これからもどんどんふえていくということは数字でわかっていますので、そういう困った人たちに福祉をつけるという対策をつけていただきたいと思うのです。そういう意味で、所得制限で、所得のある方はやむを得ないということになるのではないかと思うのです。  ただ、その場合、私、二点申し上げたいのです。  一つは、困っている人に福祉をつけてほしいと申し上げますと、それは昔の救貧的な発想への逆戻りであるという批判をよく受けるわけです。そうしますと、困っている人がありがたがって福祉を、哀れみを受けるような形ではない、そういう形での制限を考えていただきたい。所得制限というのはやむを得ないと思いながら、なるべくそれが哀れみというような形につながらないということをお考えいただきたいと同時に、もう一つ、高齢化社会での福祉の問題という場合には、健康度とかそんなものでも判断して、元気なうちは自分でやるけれども困ったときには福祉をお願いするというような形になっていかないかなと思うのです。ですから、所得制限だけじゃなくて、お達者バッジというようなものでもつけて、お達者な方は自分でがんばっていただくというような形を何か考えていただきたい。所得制限が福祉について厳しくなり始めておりますので、この際、その辺も御検討いただけないかなという気がするわけです。  それからもう一つ、所得制限での問題は、税の把握に関して非常に不公平が生じるのではないかと思うわけです。サラリーマンは、クロヨンあるいはトーゴーサンというような形で言われておりますが、所得を大変ばっちり把握されているわけでございます。そうしますと、所得制限ということで何百万円以上ということになると、ばっちり把握されましたサラリーマンが大変損をして、把握が不十分なところの人たちは福祉を受けれて得をするという形になるわけです。実際に今度の児童手当の問題でも、サラリーマンよりも自営業者の方がはるかに児童手当を受けれる割合が高いという数字が出ております。そういうことで、所得制限をお進めになる上には、なるべくそういう把握の面での不公平をなくした上でやっていただきたいという気が強くいたしております。  それからもう一つ、生活している家計担当者の立場から申し上げますと、いま行革、福祉と申し上げて、今度はちょっと小さくなりますけれども、住宅の問題なんです。  今度の場合、住宅金融公庫の貸し付けの戸数が減っておりますし、それからここでも所得制限をつけまして、所得の高い者には利率を高くしているわけでございます。その辺で私、政府の住宅政策というのは変わったのかな、どうなっているのだろうかなという気がするわけなんですけれども、従来から政府の住宅政策を見てまいりますと、持ち家政策が中心であるわけです。つまり、住宅金融公庫にお金をつけてそれで持ち家を持たすというのが中心であったわけで、しかもその住宅政策景気政策との絡みで、景気が悪い五十二、三年ごろは住宅金融公庫の融資をふやし、今度は財政再建で住宅金融公庫の融資を減らすというような形で、非常に二次的に住宅政策が扱われていると思うのです。  ところが、けさの新聞にも出ておりましたけれども、現在のところ、もうすでに宅地は二けた上昇しておりまして、私どもにはもう手が出ない状況になっているわけなんです。ですから、もし住宅金融公庫の融資を今回減らすということが住宅政策の転換であるとするならば、もっと賃貸住宅の充実に変わっていっていただきたいと私は思うのです。もういまや高くて、普通のサラリーマンでは首都圏周辺で家が買えるような状況ではないわけです。そうしますと、土地を持っている人にもうちょっと融資して安い賃貸住宅を建てさせるとか、そういうように根本的に住宅政策をチェンジして、ぜひ私たちが住みよい環境で暮らしていけるような対策を何か考えていただけたらと思っております。  非常に細かいところになりましたけれども、時間が参りましたので、以上、意見を申し述べさせていただきました。(拍手)
  70. 金子一平

    金子(一)委員長代理 どうもありがとうございました。     ―――――――――――――
  71. 金子一平

    金子(一)委員長代理 これより各公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。白川勝彦君。
  72. 白川勝彦

    白川委員 谷合先生に二点ばかりお伺いしたいと思うのですが、お答え願いたいと思うのです。  財政再建が言われましてから、予算編成のたびに大蔵省の方から、教科書の無償配付をやめるということ、それから児童手当ということが、教育の分野に関してはいつも出てくるわけでございます。  これはわが自由民主党の中にもいろいろな御意見がございまして、大勢としてはわが党としても存続ということなんでございますが、一部に相当強い廃止論があることは御承知おきのとおりだと思います。私も別にどちらという立場ではないのですが、どちらかと言えば、小学生で二千円前後、中学生で三千二百円前後と言われている教科書代を負担できないという、少なくとも日本の家計の実態ではないと思うわけでございます。出したら出したでよろしいのでしょうけれども、これは一つのけじめの問題で、多分、年間のおやつ代とかおもちゃ代とか、そういうものがはるかにこれを大きく超える中において、それとの絡みで教科書という教育の基本的な問題を家庭がどう考えるかという問題だと思うのでございます。そういう点で、額は小さなことで、国家予算全体にとっても小さなことなんですが、教育と子供と、教科書以外の一般の子供の生活費とかいうものをどういうふうに御家庭で考えるかという、一つのけじめをつけるべき問題として、私は大事な問題じゃないかと思うわけでございます。  しかし、先生の御意見では、教科書の無償配付を初めとして非常に教育の現場について温かい配慮がなされているという御意見があったわけでございます。現場を直接担当されている先生といたしまして、あるいは長い教師経験を持つ者といたしまして、どういう点が教科書の無償配付というのは現在の教育に役立っておるのか、ひとつ率直に御意見をお聞かせ願いたいと思います。  ただ、その前提といたしまして、たとえば教科書の無償配付ということについては、もし本当にそれが捻出することが不可能なような家庭、たとえば生活保護世帯などについては、何も学校経由ではなくて、生活保護費の中に教科書を買う分はあらかじめ別個計上しておくということで、困った家庭にはそういう心配がないように、そして一般家計の分からこれだけは教科書の分なんだから、お父さんやお母さん、手をつけないで子供さんに回すんですよということで、子供さんをみじめな目に遭わせないということを前提にして私は教科書を無償配付したらいかがかと思うのでございますが、先生の御意見をお聞かせ願いたいと思います。  それから第二に、校内暴力について私ども知らない点をるる御説明いただいて、大変参考になりました。校内暴力と言われる場合、私の記憶では、学校の先生からえらい暴力をふるわれたなという経験はあるのですが、少なくとも私どもが学校の先生にふるったという記憶がないのですが、当節は、われわれがあずかり知らない校内暴力というのが問題になっておるようでございます。  私は実は弁護士でございまして、幾多のそういう校内暴力を起こしたような人がさらに成長したものを何度か見てきたわけでございますけれども、率直に言って、日本の刑罰体制というのは世界では類例がないほどやわらかいものでございます。非常にマイルドなものでございます。だから、司直の手にかかったからといっていわゆる実刑を受けるということは、そういう落ちこぼれの人の中でもごくまれでございますし、さらにその制裁たるや、昔のような刑務所とは違い、大分環境もよくなっておるわけでございます。だから、本当に人間を肉体的に痛めつけて、悪いことをすれば罰があるのだということ、そういう因果応報みたいなことで人を教育することは、たとえ刑務所制度、少年院制度というようなものを使ってもだめだと私は思うのでございます。そして、それは多分われわれ人類の一つの理想で結構だと思うのでございます。そういたしますと、直接苦役を科すということ以外で人を善導しなければならぬわけであって、それはもう警察のおしかりがいい、検察官のおしかりがいい、最後は裁判官のおしかりがいいんだということではなくて、どこでも同じなわけでございます。精神に直接加える制裁であり、同時に社会から受ける制裁であるわけでございます。そういたしますと、小学校四、五年のころからいろいろな芽が出てくるということでございますが、基本的には、子供にとっては学校が一番身近な、しかも大きな社会だと思うわけでございます。その学校内の秩序というところから厳しい制裁を受けるということを通じながら、ああ悪いことをすれば制裁があるんだな、その社会的な制裁に比べたら、いまこれをやりたいけれどもやってはならないんだというようなことを教えていく必要があるのではないだろうが。  私はそんなに年寄りでなくて、昭和二十年生まれでございます。したがいまして、小学校に入ったころは昭和二十七、八年でございましたが、当時、校長先生といえばふるえ上がるほどこわかったような気がいたします。私どもが悪いことをすると、派出所の巡査を呼んでくるというのと、学校の先生に言いつけるぞということが、私どもにとりましては、親から言われてこれほど恐ろしいものはなかったように思うわけでございます。それがいまどうなんだろうか。やはり学校内の秩序、それは校長先生を中心とした、何も労使の関係とかというのではない、何とも言いがたいと思うのでございますが、校長先生を先頭にしてぴりっと引き締まったものが学校内にある、そして学校内の規律や、やってはならないことをやった場合にその秩序から厳しい制裁を受ける、そしてそれを通じて、悪いことをすればいかぬのだというようなことがなければならないのじゃないだろうか。私は最近の小学校や中学校の現状を知りませんが、聞くところによると、そういうものが昔に比べて欠如しているのではないかというようなことを聞くわけでございます。  先生の長い御経験の中で、そういう点でいまわれわれが問題にすべきことがないだろうか、御意見をお聞かせ願いたいと思います。  以上でございます。
  73. 谷合良治

    ○谷合公述人 二点とも御説のとおりでございます。  第一点が教科書でございますけれども、わが子が学校へ上がるときに教科書を買ってやる親の喜びというのは最大のものでございます。それはもう何物にもかえがたい。その金が二千円でも三千円でも一万円でも問題じゃない。巣立った子供に新しい教科書を買ってやる喜びでございます。そういうものの大切さということも片方にございますけれども、もう一面、この教科書問題につきましては、保護家庭、準保護家庭については国の方ではすでに配慮されておりますから、そのほかに全体に行き渡ったという精神でございますけれども、これはやはり行政にある方が、そういうふうなことも片方にはあるけれども、全体においてみんなが使うものだからこの範囲だけは尽くしてあげようという親心であると私は考えます。そういうふうに教科書問題は受け取っております。  第二点の、学校の校長先生並びに先生方の尊厳でございますけれども、いまでも校長先生がおっかない、あるいは尊敬するというのは相当数ございます。これは何割とかなんとかは申し上げません。しかし、逆に、そうでない学校もあるということは否定できません。その原因は何かということでございますけれども、これは根源を探ったときに、やはり家庭において教師に対する見解というものがさまざまなものに変わっていったということでございます。これは家庭の父兄の教育水準が高まったというものと同時に、さまざまなものがそこに作用すると思います。  しかし、まだまだ日本の国全体を見たときに、先生に対する尊敬度というものは地に落ちてはおりません。これが落ちたらば、信頼によって結ばれているわが国の教育はもう破壊されると思います。現実に、高度成長になった裏を返せば、やはりがっちりした学校教育、特に義務教育が存在したからこういうふうになったわけでございまして、そのひずみは現在出ておるわけでございますから、このひずみをどう直していくかがわれわれの悩みであって、これが即国が滅びるところに通ずるものではないと思います。ですから、学校の威信はまだ地に落ちずという見解を持っております。
  74. 白川勝彦

    白川委員 どうもありがとうございました。
  75. 金子一平

    金子(一)委員長代理 次に、川俣健二郎君。
  76. 川俣健二郎

    ○川俣委員 公述人の皆さんには、本当にありがとうございました。特に五十嵐先生は、目の不自由なところを奥さんを煩わしまして、心からお礼を申し上げます。  そこで、私は順に伺いたいのですが、まず、青梅市で教育長をなさっておられる谷合先生に伺いたいのです。  さすが先生、四十一年ですか、教壇の御経験から信念をお持ちになって、しかも教師、児童、設備、この三つだということで非常に組み立ててお話し願って、校内暴力、「ブリキの勲章」ですか、近く映画になるのだそうですが、その中で先生は最後に、いかに学校教育がしっかりしてもやはり社会だ、この訴えが、私たち為政者というか、五十嵐先生は代議士という言葉を使われたのですが、そこで二つ伺いたいのだが、この予算委員会でも、教育問題はかなり過去ありました。私も江川選手の問題を、それを取り上げる意味じゃなくて、子供の目から見ると、テレビのブラウン管から飛び込んでくるのを直視するわけだが、たとえば例を申し上げて悪いのだが、鄧小平が中国から見えて、田中閣下にお会いし、そして天皇陛下にもお会いする、この訪問の日程をアナウンサーが言って、後になると、公判から帰ってきた人なものだから、被告田中は、こうなる。そうすると、一体、田中さんという人は偉い人なんだろうか、こういうことを私ら自身が質問されると――こういうときにやはり先生は、いまいろいろな問題を羅列して、最後に予算に賛成する、これでやってくださいというのじゃなくて、何か注文というか、せっかく国会にお見えになったのですから、その辺、少し注文などおつけになればどういうことなんでしょうか。  それから、五十嵐先生がお話しされました中で、養護学校なんですが、いよいよ養護学校が義務化される。文部省の通達で、障害者は養護学校に行かねばならない。普通学級に行ってはいけない。たとえそこを卒業したって修了証書をやらない、したがって卒業はできない。ところが、養護学校というのはそうたくさんあるわけでないから、ぽつんぽつんと建っている。田舎なんか特にそうだ。いままでは五体満足の姉さんが手を引いて、弟の身障者を連れて普通の学校へ行って、学級に入れて、そして帰り際にまた鐘と同時に一緒に帰る。それはだめだ。もう姉と一緒に行くのをやめて養護学校に行かなければならないという通達がぼっと出たものだから、これはちょっと問題ではないかというので私も取り上げたら、何となく運営の措置でやるということなんですが、やはりアブノーマルだ。こういったものの教育政策というのを五十嵐先生が訴えているような気がしますので、長年教壇に立たれて、しかもいま肩書が教育長でありますので、その辺をちょっとお聞かせ願いたいと思います。  私たちの質問は時間が規制されておりますから、五十嵐先生に御質問して、時間が余りましたらぜひ高原さんにも聞きたいことがあるので、後で申し上げます。  五十嵐先生は全く全盲で教壇に立っておられる。私たちは身体障害者雇用促進法を何回も改正しました、四十一年、五十一年、五十五年と。そこで問題は、幾ら法律をつくったって雇う方が理解、認識に立たないと何にもならないからというので公表制度を迫るのだが、どうしても与野党がが激突して、いまだに公表制度というのは日の目を見ない。そこで先生は、もし雇えなかったら、雇えないかわり一人につき三万円というのがいまの制度なんですが、これを十万円ぐらいにしたら雇うのではないかと言われるけれども、これはだめだと私は思うのですね。問題は、その辺もう少し、先生がせっかく御経験になっておりますので、何とか拡大する方向というのはないものだろうかということを、実例を挙げられましたけれども、いま少しお話し願いたいと思うのでございます。  さてそこで、今度は視点を変えて、クラスの中に障害児がいた、それを担任する教師――先生は目が不自由ですが、目の不自由でない先生の場合、これにもやはり何となく政治に要求するものがあるのではないだろうか。この二点を五十嵐先生に伺いたいと思います。
  77. 谷合良治

    ○谷合公述人 お答えいたします。  第一点の、子供の目からさまざまの状況を話されて、そして政府原案に賛成したけれども何か注文はないかというお話でございますけれども、注文はたくさんございます。  まず第一に、先ほども申しましたように、教員養成制度について抜本的に検討していただきたいと思います。  第二点につきまして、義務教育の経費に対して一層の補助を願いたいということです。助けていただきたいということです。もうすでに相当やっていただいておりますけれども、私はまだまだこれは努力を願いたい。特に定数改善等は、片方において迫られていることでございますけれども、やっていただきたいわけです。  時間がございませんから、そのくらいにしておきます。  第二点の養護学校についてでございますけれども、普通児とそういう障害を持っている生徒について選別し、区別して二つに分けていくというふうなお話でございましたけれども、これは状況によってでございます。重度の者で、とても普通学級において就学でき得ない者をそうやってやっているわけでございまして、普通学級に就学できる者をしているわけじゃございません。決して選別するとか区別するとかいうのではなくて、よりよい場所を与えられて、そこでひがまず、とにかく伸び伸びとできるような場所というふうに私どもは考えているわけでございます。そういう気持ちがない限り、選定委員会等でそういうことはできません。しかも、選定委員の中には校長先生も含まれておりますし、先生方も含まれている。そしてまた、心理判定員その他さまざまの方が含まれて組織されていまして、私の市で言えば大体五、六人、ことしは一人しかございませんでしたけれども、そのぐらいのものですから、綿密に時間をかけてやっております。そして、本当にこれは普通学級では無理だといった場合に養護学校の方へお願いするわけでございまして、ことさら何でもない、大したことのない程度の身体障害者については普通学級でやっていただくことが最上でございます。  以上でございます。
  78. 五十嵐光雄

    ○五十嵐公述人 二点ほど御質問であったと思います。  一つは、身体障害者雇用促進法が再三改正されているけれどもなかなか進まない、ほかに手だてはないかというお話だったと思いますが、まず、身体障害者雇用促進法で言えば、決定的にウイークポイントになっているのは障害別、程度別規定がないということであります。できればまずその実態として、労働省あたりが現在雇用されている障害者の障害別、程度別の実態をまず明らかにしてもらえばその辺がわかると思います。つまり、なるほど雇用が進んでいる面については、恐らく肢体不自由と、最近は聴覚障害も若干伸びているようですが、その比較的中度、軽度の方々なわけです。したがって、たとえば民間一・五%、官公庁一・九%というこのパーセントですが、これも神奈川県は、私ども雇用運動を展開しまして神奈川県の長洲知事に再三折衝した結果、昨年から法定雇用数一・九を三%に十年で実現するということで、現に昨年、ことしと、毎年二十名ずつ、県職員の障害者別枠雇用というのを開始しています。このように、いわゆる雇用率をいまの一・九から三%、これは西ドイツなんかでもそうですが、三%に持っていくと同時に、民間についてもできれば一・五を二%ぐらいまで引き上げてもらうことが望ましいでしょうし、それともう一つは、何といっても障害別、程度別で、たとえば三%、――二%でも結構ですが、視覚障害がそのうちの〇・五%とか、肢体不自由が一%とか、聴覚障害が〇・五%とかいうふうに、障害別に割合を規定していく。さらに、その障害別の中から、今度はまた重度、中度、軽度の割合を設けていく。いまダブルカウント方式があります。重度の障害者を雇用したら一人で二人分カウントする。これは考えようによっては重度障害者を二人分に見るという非常に侮辱した話で、あくまでも一人は一人なんですから、そうではなくて、重度と中度と軽度の割合を一定率で障害別の中にまた設けていく、こういうふうにして、あとは企業なり官公庁でその割合を達成するように職種、職域をできるだけ積極的に工夫して生み出していく、このことが一つは大事だろうというふうに思います。  あとは、中途障害者が最近労働災害、交通災害等々で激増しているわけですが、中途で障害をこうむった、だからもうだめだということでなくて、これは国家公務員、地方公務員には分限規定がありまして、そういう障害をこうむると解雇できるようになっていますが、これも国際障害者年の精神から言えばなじまないことですから、こうした規定は撤廃していただく。そして、ともかく中途障害でも再度訓練をして、仮に配置転換をしたとしてもその職場でケアしていく、これだけの考えは持っていただきたいし、そのことが逆に――たとえばこういう例があります。アメリカで数年前ですが、中学校の教師が全盲になりました。解雇するということになりました。そこで、連邦裁判所にこれを訴えました。その結果、連邦裁判所は、これは不当な行為だということで、解雇取り消しということになりました。それで全盲の方が一般の中学校の教壇に立てるようになりました。それがきっかけで、いまではもうすでに二百人近くの全盲の教師が、一般の中学校、高等学校で教壇に立っています。つまり、中途障害者の解雇を防止することによって新たな雇用を生み出すことができる、こういう面もあるわけです。  それから、第二点目でございますが、いわゆる統合教育を進めるに当たって、一般の教師が労働過重で拒否するような心理状態になるのじゃないかというようなお話ですが、確かに、いまの四十五人学級はできるだけ早く四十人学級にする。欧米諸国では三十人、二十人学級なんですね。やはり一人一人に行き届いた教育をするには、できるだけ一つの学級の中の児童生徒数を減らして、生徒と先生が本当に気持ちが触れ合えるようにしていくことが一番大事なんだ。当面、障害児を受け入れた学級については、まず先行して児童生徒数を減らしていく。四十五人学級を四十人なり三十人学級にして障害児を受け入れていくというようなことをすれば、教師の過重負担もなくなるでしょうし、そういう面での解消、あとは、視覚障害、聴覚障害、肢体不自由等の専門的な教育を受けた教師が、巡回教師制度というものを設けて順次巡回し、ケアしていくという面が必要でしょうし、また、場合によっては介助職員や複数担任制等々を考えながら、障害を持ったお子さんが、健常な子供なら十分、十五分で行ける学校があるのに、一時間も二時間もかけて遠くへ行くというような、まるで反対の、逆さの論理がまかり通らないようなことに一日も早くしていただきたいというふうに思います。  以上です。
  79. 川俣健二郎

    ○川俣委員 まだ時間がありますので、一点だけ高原さんに伺います。幾つか質問したいのですけれども、これだけはちょっと伺いたいのです。  高原さんは、国民の対抗手段として、酒が上がったらひとつ父さんの酒の量を減らそう。奥さん稼業としては私は非常によくわかる。ところが、所得税減税はしてくれない、物価はどんどん上がる、実質賃金は〇・九%下がったということが数字で出た。そういう論理の展開から、先生のお気持ちを私はもう少し聞きたいのですが、ベースアップをある程度抑えたおかげでコストアップが抑えられた、こういう非常に控え目の気持ちが奥さんの方にある。ところが、そんなことをしたってやはり物価はどんどん上がるし、賃金は目減りする。そうなると、酒が上がれば買わない、飲まないという対抗手段と同じように、私ら食えないと言って、ありていに言えばベースアップ闘争にいかざるを得ないのじゃないか、こういうように思うのですけれども、その辺はどうですか。
  80. 高原須美子

    ○高原公述人 私は、主婦の立場でいきますと、やはりまず家計を切り詰めるということから抵抗せざるを得ないと思うのです。そういう意味で、今度上がりますお酒、私も自分で飲みますから、主人のお酒だけじゃなくて私の方も削ることになるわけでして、両方削るとか、そういう立場でいかざるを得なくて、ベースアップの方は、主婦の立場からしては何ともこれは手の出ない問題ではないかと思うわけなんです。  ですから、まずとりあえず私は対抗していくということで、先ほどベースアップで人件費の上げ幅が少なかったので物価比較的安定したというお話をしましたけれども、もう一方では、やはり主婦が非常に切り詰めたということが、物を買わないということで需要を抑えて物価を安定させたということではないかと思うのです。したがいまして、私は、ベースアップについてお答えできる立場ではなくて、むしろこれからは切り詰めていかざるを得ないということと、ぜひ皆さん方に物価調整減税の方を御検討願えないかとお願いせざるを得ないわけでございます。
  81. 川俣健二郎

    ○川俣委員 どうもありがとうございました。
  82. 金子一平

    金子(一)委員長代理 次に、岡本富夫君。
  83. 岡本富夫

    岡本委員 大変御苦労さまです。  今度は反対側からちょっとお聞きしておきますけれども、高原さんにいろいろと家計の上から参考の意見をいただきました。家計も、赤字を消すためには、入ってくる金が少ないとやはり支出を抑えていく。同じように国の方も、財政再建をするためには歳出の方の検討が必要だと思うのです。  そこで、約十三兆から十四兆に近い補助金――日本の国では補助金行政が非常に行われておりまして、御承知だと思うのですが、これはある県の話ですけれども、ある団体に年間十万円の補助金が出ておる。ところが、この団体は十万円ぐらいでは何にもならないので、十年間貯金をしてからやった。しかし、その団体に聞くと、やはり諸種の活動はしておりますというようなお話がありました。また、ある県では、年間八万円の国からの補助金がある。ところが、この八万円の補助金ではどうしようもないということで、各市長さんあたりあるいは知事さんも、こういうひもつきでなくして、メニュー方式といいますかそういう補助金にしてもらいたいというような話もあるわけです。  また、いま補助金の中を見ますと、たとえば、最近土地が高いですから、各地方自治体において、一階は老人福祉センターをつくる、二階は公民館をつくる、三階は図書館にする。その場合に、一階の方は厚生省から補助金、二階、三階は文部省ということになりますと、この補助金に対しては、出すときには必ず一つの規定があります。たとえば管理室が要る、あるいはまた応接室が要る、各階にこれをつくらなければならないというように、非常に合わないのが現在の補助金行政の姿なんです。しかし、この補助金を削りますと、いま官僚が要らなくなるということじゃないかと思うのですが、そういうようなことで、この点についてあなたの方はどういうふうにお考えになっておるか、ひとつ御意見を承りたいと思うのです。
  84. 高原須美子

    ○高原公述人 補助金についての御質問でございましたけれども、私自身は補助金の中身まで全部詳しく知っているわけではございませんので、ちょっと的外れなお答えになるかもしれません。  ただ、先ほど十三兆あるいは十四兆ぐらいとおっしゃいましたが、これは聞くところによりますと、たとえばさっきからお話が出ている義務教育の教職員に対する給料の一部を負担するとか、そういうもので出ているものもずいぶん多いというふうに聞いております。そうすると、そういうものはやはり削れないと思うのです。結局、いま御質問になったようないろいろ細かい補助金がたくさんあるのじゃないかという気は非常にしているわけでございます。そういうのは私たちちょっとわかりかねますので、ひとつぜひ御検討いただいて、なるべく効率的でない補助金は削るようにしていただければ、財政も小さくなりますし、それに伴う人も要らないのじゃないかと思うわけです。  その行政改革と絡みまして私がいつも疑問に思っておりますのは、中央官庁と地方の自治体との関係なんです。補助金が出ても、たとえばある知事さんに伺いますと、その補助金のうち中央に往復している旅費なんかで九割方とられてしまって、実際に地方の自治体が使えるのは一割だったなどというお話も聞いているわけでございます。そういう地方と中央との二重手間のむだがずいぶんあるのじゃないか。その辺を整理していただいただけでも相当行政改革ができて、非常に行政が能率アップできるのじゃないかというふうに私は思っております。
  85. 岡本富夫

    岡本委員 次に、谷合先生にお聞きいたしますけれども、ある県の教育長さんにいろいろお伺いしますと、現在の学校暴力を学校側は、社会が悪い、家庭が悪いと、責任を各家庭や社会の方に向けてしまって、若干責任を回避しているのではないかということも考えられるわけですが、この教育長のおっしゃるには、たとえば教員室において一人の子供のいろいろな話が出る、その話を先生がその子供に直接伝える、そうして陰で扇動する、その子供の方は先生がついておるわけですから、最近の、先生を殴ったりけ飛ばしたりするような非常に厳しい状態があるのだというお話があります。  また、先ほど子供たちは皆先生を尊敬しているのだというような話がありましたけれども、幼稚園のあたりから先公、先公と言う。先公とはだれかいなと思ったら、先生のことを言うているわけですね。その尊敬をされない原因はどこにあるか。これは校長さんを中心に団結した先生同士がお互いに尊敬し合う、そして秩序を守る、こういう努力が非常に欠けておるのではないかということを常々考えるのです。あなたの話では、どうも高学年を担当する先生は女性が多い。私も実は小学校五年生、六年生まで女の先生に習った。こわかったですがね。ですから、女性の教師だからだめだというのではなくして、やはり校長さんを中心に――実は教頭さんというのが中にいまして、校長さんと各先生方の間に入って非常に気を使っておるわけです。私の弟も教頭をやったことがあるのですけれども、もうやめてしまいよった。  こういうことで、そこらの点について教育委員会のベテランである先生からひとつ御意見を承りたい、こう思うのです。
  86. 谷合良治

    ○谷合公述人 お答えいたします。  いま前段お話ししましたことは、そのとおりでございます。  まず第一に、学校においてどういう状態かというふうなことでございますけれども、私が言いましたのは学校の大勢について申し上げたので、個個においては、やはり問題点のあるところはいま起こったわけでございませんで、昔からあるわけでございます。中学校であれば一万あるわけでございますから、その何%かは昔からやはり問題はございました。その問題の根源はさまざまの理由があって、暴力でないほかの問題もございましょう。ですから、問題は昔は全然なかったということではございません。  それからその次に、先生に対する尊敬度でございますけれども、私は全般的に広くながめたときに、まだ先生の尊敬度は地に落ちてないということを申し上げたわけでございまして、昔から、やはり尊敬されない先生もいたわけでございます。学校の中でさまざまの見解で分かれていて、まとまらない学校もあったわけでございます。これには校長さんの経営手腕ということもございましょうけれども、現在問題を多く持っている学校は、学校の中の職員において校長さんを中心にまとまりがないところが大体原因のもとになるような感じがいたします。あくまでも感じでございます。  学校というところはおもしろいところで、同じ一人の生徒をしかるにも、みんなが同じ見解を持ってしかればいいわけです。一人が、おまえ何で怒られたんだ、そんなおまえ怒られる理由はないよと言えば、もうその生徒はその先生の方につくわけでございまして、意思統一に欠ける場合でございます。不幸なるかな、こういう学校もなきにしもあらずでございまして、大体気がついたときには遅いというところでそういう問題が起きるのではないかというふうに感ぜられるわけでございます。  以上でございます。     〔金子(一)委員長代理退席委員長着席
  87. 岡本富夫

    岡本委員 公述人として来ていただいていろいろと参考意見を聞かせていただきましたが、ぜひひとつ教育委員会の方で、そういった線で校長さんを中心に団結をして、秩序ある学校経営といいますか、これをお願いしたいと思うのです。私立の学校の方は、余りぶん殴ったとか、け飛ばしたとかいうのは少ないように考えます。だから、公立の学校よりも私立の学校の方がいいのだというような意見を言う父兄の方もいるわけです。これは私のそういったいろいろな調査、いろいろ聞いてきた話でございますので、一〇〇%正しいとは思いませんけれども、これに対する御意見を承っておりますと時間がかかりますので、次に五十嵐先生にお伺いします。  先ほど、国連の障害者年の最終年度一九九〇年にはこういうような改正ができたという、一つの日本の障害者対策といいますか政策制度がなければならぬ、こういうお話でございます。そういうときに五つの項目等の要請のようなお話がありましたけれども言葉としてきちっと議事録の上に残しておきたい、こう思いますので、この点についてひとつお話を伺いたい。  以上です。
  88. 五十嵐光雄

    ○五十嵐公述人 十四の行動指針になっておりますが、五つの目標を具体的に展開したことですから、大体五つの目標を申し上げれば後は具体的になっていくと思います。  一つは、何といっても、先ほどから申し上げているとおり、教育の問題では、小さなうちからともに学ぶ、言うところの統合教育、地域の中で健常児も障害児もともに学ぶのがノーマルな姿であるし、そのことを実現していくことがまず第一点です。  第二点は、障害を理由労働、雇用、就労の機会を失うようなことのないように、できるだけ創意工夫の中から全障害者が働く機会をつくり出すようにということが第二点であります。  第三点は、町の中での移動を含めて、あるいは建築物の利用を含めて、物理的条件が障害者の社会参加を阻むことのないように、これは残念ながら、いままでのわが国の建築基準法もそうですが、道路、交通機関も含めて、およそ半数の健常者のためにつくられてきた経過がございます。あと残された半数の非健常者といいますか、妊産婦の方もいらっしゃるでしょうし、お年寄りの方もいますでしょうし、小さなお子さんもいるでしょうし、障害者も含めて半数の非健常者のためにこれは考えていかなければならないということになるかと思います。そのことが三つ目になります。町づくりの問題であります。  それからもう一つは、医療的なケアとして予防とそれから早期発見、早期訓練、治療、そういう医療的なケアが障害の予防と早期発見、治療ということにつながっていくかと思います。  そうして何よりも大事なのは一般市民への啓蒙で、何といっても市民自身が、広範な市民が対等の人間としてその人権を認めていくという意識的な改革なくしては、この種の問題は解決いたしませんから、そのための啓蒙を徹底させる、大体このことを具体的に展開していく必要があるのではないかと思います。  以上です。
  89. 岡本富夫

    岡本委員 終わります。どうもありがとうございました。
  90. 小山長規

    ○小山委員長 次に、林保夫君。
  91. 林保夫

    ○林(保)委員 公述人のお三方、御苦労さまでございます。  大変じみちな大事な問題提起をお三方にしていただきまして、私どもこちらで聞いておりまして、子供をどう育てるか、社会をどうするか、こういうことでいつも思うのでありますが、子供たちがお父さんやお母さんのようになろう、おじいさんやおばあさんのようになろう、こういうふうな社会でなければならぬ。三十五年間こういうことをほっておいたのかなという実感でもございました。お父さんがだらしない、おじいさん、おばあさんは寝たきりだ、これでいいわけはやはりないと思います。  問題点をしぼりまして、まず谷合先生に一つ。私ども民社党も教育問題を大変重要だと思っています。このままでいいとはとても考えられない。こういうことから、受験地獄とか教育の荒廃、これが極度に達しているという認識のもとに、国の将来に対してこの面からの不安も感ぜられるから、ひとつこれを解消する制度上の問題を、もちろん心の問題もございますが考えなければならぬ、こういうことで、今日問題を提起し、努力しているのでございますが、たくさんございます。しかし、なおしぼりまして、谷合先生に、中等教育過程における受験制度の問題、もう一つその前に、あるいは六・三・三・四の制度がいいかどうか、こういう問題があろうかと思いますので、四十一年間実地に御体験なされた結論と申しますか、それをお聞かせいただきたいと思います。
  92. 谷合良治

    ○谷合公述人 お答えいたします。  六・三・三・四制が果たして是かということでございますけれども、私は、六・三・三・四制というものが日本に定着してきたと思います。しかし、私ども自分で現職におりましたときには、どうしても四年はなくては学校教育は満足ではな・い、五・四・四制あるいは幼稚園を一年繰り上げて義務教育十年にして六・四・四制、そういうふうな考え方も考えたこともございます。しかし、日本人というのは同化作用が非常に強くて、あちらさんからいただいた教育制度を三十年でもうすでに物にしたというのが現実でございまして、非常に定着化しております。  しかし、その定着の中にも、かつての旧制高校が三年間で一つの完成教育をしたというのは、あの間が非常にフリーで、語学をゆっくりと勉強できて、そして東京帝国大学を除けば必ずどこかの大学に入れたという一つの大きなものがあったわけです。そういうふうな中でゆっくりと、受験勉強は厳しかったけれども、高校三年間はできた。私どもは、どう考えても、三年間の教育というのは、二年半で大体終わって、あと半年は仕上げをしなければならない。初めの一年のときの半分はまた入学のときにつぶれる。すると、二年でやらなくてはならない。伝統ができないわけです。  こういう点では、どういうふうにして抜本的に変えるかというのはずいぶん悩んだことでございますけれども、小学校五年、中学校六年、高校四年、あるいは小学校六年、中四、高四、そういう形でいくか、あるいは高三にしていくか、さまざまのコースを考えました。しかし、現実の点において定着している状況を見たときには、これもやむを得ないかなというところで、自分としてもはっきりした見解はございません。  それから、受験地獄でございますけれども、受験地獄といいましても、いまの地獄は地獄じゃないのです。昔の旧制中学へ入ったときの志願の率からいったら問題じゃございません。東京であっても一・四、五倍ですね。大体昔は五倍から六倍受けたわけです。それが何で試験地獄かといいますと、これはやはりその受け方にあるわけです。これは非常に考えなくてはいけないわけです。それだったら、高等学校を全部つくれば受験地獄は解消するわけです。何もそんなに大騒ぎする必要はなくて、義務教育にしなくても全部つくれば問題はないわけです。そこにやはり社会的なさまざまな問題があるのじゃないでしょうか。  果たして高等学校まで完全に全部、勉強することがいやな子供までなわをつけて引きずっていって国家の得策かどうか、中学校三年ですらもたくさんだというのがいるわけですから、もう勉強よりか何かやりたいというのがいるわけですから、そういうふうなところをよく検討していったならば、まず義務教育はこの程度でいいんじゃないか。もう一つは、高校に行かなかったら一人前の人間になれないという一つの錯覚があるわけですね。錯覚がそこに存在するわけです。こういうふうな点ももう一回考え直さなくてはいけない。  しかし、現実の、現在の事実としては、やはり二倍ないし一・五倍の競争率がありますから、それを称して教育ママたちは試験地獄と言うわけです。受かるためにはやはりそこで努力しようとする。その努力は私はあたりまえのことだと思うのです。何も地獄なんて騒ぐ必要はない。一・五倍くらいのところをやらなくてはならない。それだけの努力をしないで上に上っていこうという気持ちは、私は間違いだと思っております。そういうところが何かしらすりかえる錯覚があるのじゃないか。このところは高校をつくらなければ絶対になくなりません。ですから、なくなすのだったら、ぜひそういう点国会でがんばっていただいて、高校を全部つくって義務制の方に持っていかれれば解消すると私は思います。  以上でございます。
  93. 林保夫

    ○林(保)委員 大人の責任政治責任ということで感銘深く承りましたけれども、なお勉強させてもらいたいと思います。  もう一つ先生に、学校教育とか社会教育とか家庭教育とか仕分けしていろいろ考えること自体大変おかしいわけでございますけれども、なおそういう問題で提起いたしてみますと、大体暴力をふるうとかどうとかいうのは、子供がよちよち歩きで敷居をまたいで家の外に出た瞬間からの問題だろうと私は思う。幼児のしつけが大変大事だ、このように思うわけで、今日の核家族の時代で、なかなかそういうしつけが行き届かないところに非常に問題があろうかと思いますが、それについてどういう案があろうか、ないとすればどういう配慮を今日の社会で大人が果たしていったらいいか、この点をひとつ承っておきたいと思います。
  94. 谷合良治

    ○谷合公述人 大変むずかしい問題で、私が教わりたいというところでございます。暴力というふうなことは、やはり人間は野生動物ですから、殴るとかけるとか組み打ちするとかいうのは本性ですね。それを教育というものあるいは家庭のしつけというもので、出すべきときでないときに出さないようにしつけていくことが一つの道であるわけです。変な話ですけれども、私どもも学校へ上がって、小学校の一年生のときに、小便を教室へたらしたい、そのときに、がまんするのだよということをそこでするわけですね。そういうものがだんだん積もり積もっていって、だんだんと、こんなところでこういうことをやってはいけないというふうなことが生まれてくると思います。  ですから、私ども、現在幾つかの暴力の事件ができているというのは、まさに私ども責任として痛感するわけでございます。教師が本当に一年生から着実にそのことを習慣づけてきたかどうか。家庭はともかくとして、わが身を反省するわけでございまして、どういうところでそうなってしまったか、どこでそこが手抜かりがあったかということをいろいろ考えて、先ほどのああいう意見を申し上げたわけでございます。
  95. 林保夫

    ○林(保)委員 大変貴重な御意見、ありがとうございました。  続きまして五十嵐先生に承りたいのでございますが、先ほど、国際障害者年と関連いたしまして、障害者の雇用とか所得の問題について貴重な御提言がございました。やはりこれはいわゆる障害者を選別するという選別主義、そしてまた、それに対する手当あるいは雇用の面でパーセント主義がどうも横行している、このように今日の問題として考えられてならないわけでございますが、それにつきましての先生の御意見と、それから、先ほどおっしゃいました公的給付というか、給与をセットしてのいわゆる生活保障といいますか、給与保障といいますか、そういう点につきましてどういうふうに具体的にはお考えでございますか、承っておきたいと思います。
  96. 五十嵐光雄

    ○五十嵐公述人 まず、公的給付との関連で所得保障という問題ですが、これは私、昨年も労働省と話し合ったときに、労働省の日本労働行政の考え方としては、健常者のおよそ八割ぐらいの生産性があれば、これは労働行政の対象にする。逆に言えば、それ以下であれば、これは労働行政の対象になり得ない。つまり雇用というものに結ばれない。つまり雇用保険とか労災保険の対象にもならず、したがって、いわゆる言うところの雇用ではなくて、それは労働行政から今度は厚生行政、民生行政の方へ回っていく。つまり、労働市場における落ちこぼれを授産なり何なりでケアする、こういうふうになっていくわけですが、正直に言って、私自身も自宅を開放してミニ授産所をやっております。十名ほどの障害者が働いております。さらに今度、通所授産施設を新規にやろうとしておりますが、これはもう本当ならば、ここに働く人たちが少なくとも最低賃金ぐらいのものは収入になって、あとは自分がもっとがんばれば収入も上がる、そして自分たちの経済生活を自分たちの判断でやり繰りしていける、こういうふうにしたいものだなと強く願っておるわけです。  しかし、いわゆる授産所は、全国の状態を見てもおわかりのとおり、少ないものは月額五千円、千円から、多くても二万、三万というところであります。そうしますと、これで自立するということはおよそ考えられません。そこで当面は、今度の政府予算でも若干引き上げて、いわゆる老齢福祉年金との連動で障害者福祉年金一級重度が三万六千円ですか、それから二級が二万四千円というふうになっておりますが、これに一万、二万の授産等での収入を足しても、やはりとても生活するところに達し得ないわけですね。できればこの授産施設も、とにかくそこで働く本人にしてみれば一生懸命働いているんだから労働行政下でケアし、最低賃金が適用できるようなシステムをつくっていく。そうは言うものの、生産性等で、いわゆる作業高で支払うところにまで達し得ない。その不足の分をいま言うところの福祉年金、これをこういう働くということに結びつければ、労働給付金とかなんとかという形で、いわゆる福祉年金とは違った形で、とにかく本人の働いた高とそれから公的給付とをセットで最低賃金まで達しさせるというふうにして、それ以外の生活面の問題を厚生、民生行政でやるけれども、とにかく本人が働くということにおいては労働行政で一貫してケアしていくというシステムがとれないかどうか。北欧諸国ではとっているんだが、日本ではそれがとれないのかどうなのかが今後の課題なんじゃないかというふうに思うわけでございます。  もう一点、申しわけございません……。よろしゅうございますか。
  97. 林保夫

    ○林(保)委員 結構でございます。ありがとうございました。大変貴重な御提言でございますので、これからも勉強していきたいと思います。  先ほど時間が来ましたから、一言だけ高原先生から、こういうふうに所得減税もなし、手当が十分でない、心配だ、こういうことから、買わないという対抗措置を声明なされましたけれども、本年度の予算は、前提条件が民間活力を活用するということになっておりまして、もし買わないとなるとこれは前提が崩れてしまいまして、民間の投資あるいは民間の消費、これが活気づかなければならぬのでございますが、エネルギー危機が二度ございました。それと比べまして主婦の実感、時間がございませんので一言だけ承りまして、私の質問を終わりたいと思います。
  98. 高原須美子

    ○高原公述人 私は、最近の方が主婦はやはり非常につましくなってきていると思います。特に第一次、第二次と続いたのですけれども、たとえば家庭の光熱費なんかを見ましても、結構その間、省エネと言いながら伸びてはいるわけです。ところが、昨年あたりからエネルギーの値段が非常に上がったために、光熱費まで落ち込んで来ております。そういうことで、この物価高でベースアップの伸び悩みを防ぐには、やはり主婦は買い控えを続けると思うのです。私たちの暮らしというのはある程度水準が上がっておりますから、買い控えもまだまだ続けられるのではないかと思います。そういう意味で、私は、余り個人消費支出は伸びず、活力にはならないのではないかと思うわけで、その辺、政府の見通しなどは、主婦という個人消費の担い手である立場を非常に軽く見ておられるのではないかという印象でございます。
  99. 林保夫

    ○林(保)委員 そのとおりだと思います。  お三方には本当に貴重な御意見をありがとうございました。これで終わります。
  100. 小山長規

    ○小山委員長 次に、三浦久君。
  101. 三浦久

    三浦(久)委員 公述人の先生方、大変御苦労さんでございます。お疲れのところ恐縮でございますけれども、二、三お尋ねを申し上げたいと思いますが、まず最初に谷合先生にお願いいたします。  予算には賛成だけれども、いろいろ注文があるんだ、こういうお話でありました。それでお伺いをいたしたいのですが、今度の五十六年度の予算案ですけれども、文教費の伸びが四・八%、戦後二番目の低さに抑えられているということですね。予算全体の中でも一〇%を割って九・六%のシェアになっておる。これは昭和二十七年以来の二十八年ぶりのことだ、こういうふうに言われていますね。義務教育の教科書の有償化ということは一応五十六年度は避けられたわけですけれども、その金額にほぼ見合う公立文教施設整備費、これは四百十六億円ほどカットされてしまったのですね。その公立文教施設整備費の中でも小学校、中学校の危険校舎の改築費、これは百八十六億円カット、それから高校建設の助成金、これが七十四億円カットされているわけですね。こういうことについては先生はどういうふうにお考えになっていらっしゃるのか、お尋ねをいたしたいと思います。
  102. 谷合良治

    ○谷合公述人 お答えいたします。  老朽校舎の基準の件につきましては、私どもも全国の都市教育長会の決議といたしましても、ぜひとも点数を下げないでほしいという要望を強く申し上げております。これは点数一万点基準でやっているわけでございますけれども、四千五百点のところが境目で、五百点かどこかということですね。やはりこれは、わずか千点違っても校舎が建つところと建たないところができてきまして、急務のことであったわけでございますけれども、大体その点についてはある程度確保できたような、ほかは若干削られてもやむを得ないというような見解さえも立つに至りました。  それからもう一つ、ほかの文教予算が削られていく現実、それでよろしいかというわけでございますけれども、やはり教育というものは幾ら削っても幾らでも削れるものなんです。削れてできないものではないわけです。それだから削っていいというものじゃないのです。これは経済とか目に見えるものと違いまして、幾らでも詰めれば詰められる、倹約すれば倹約される。しかし、これは何年か後にそのおつりは、要するにそのお返しは来るということでございます。そういう意味におきまして、高校増設なんかの問題につきましても、現在時点においてはやはり削るべきではないと私は思います。  以上です。
  103. 三浦久

    三浦(久)委員 五十嵐先生からお話を承りまして、私、全く同感なんですね。大企業の八割が障害者雇用率を守っていないわけであります。これは大変けしからぬことだと私どもは思っておりまして、予算委員会でもわが党の不破書記局長が、この問題で政府を追及いたしております。大企業は利潤の追求を第一の目的とするとはいえ、社会的な存在でありますから、その社会的な責任をやはり自覚し、それを実現してもらうということのために、ことしは国際障害者年でありますので、先生の御要望をぜひ実現をするために私ども全力を挙げて奮闘いたしたいというふうに考えております。時間の関係で質問は省略をさせていただきますので、あしからず御了承いただきたいと思います。  高原先生にちょっとお尋ねいたしますが、物価が上がって困るということなんですね。物価を上げていく主導的な役割りを果たしているのは公共料金じゃないか。特に今度の予算を見てもそういうことが言える思うのですね。国鉄も上がりますし、お米も麦もいろんなものが上がるわけですが、国鉄運賃というのは五十二年から毎年上がっているわけですね。これは大変家計を圧迫しているわけですけれども、毎年なぜ上がるのかといいますと、五十二年の十二月に国鉄運賃の法定制が緩和されたわけです。それまでは財政法の三条に基づきまして国会の議決ないしは法律が必要だというので、国鉄運賃法の改正で全部国会審議をしておったわけですね。ところが、一定の限度はあります、確かに経費増の範囲内という限度はありますけれども、その中ではもう自由に上げることができる、運輸大臣の判こ一つで上げられるのだ、こういうふうに決まってしまったのですね。それで毎年毎年上がっているわけです。これは国鉄だけでなくて、たばこもそうなりました。そしてまた、この前の臨時国会で郵便料金もそうなりました。今度、残っているのは電報とか電話とか、そういう電電公社の関係だけですけれども、これもまた法定制を緩和しよう、そういう動きがあるわけですね。  こういう財政法の規定に違反をしたような法定制の緩和が続くということは、公共料金の値上げを野放しにするということで、そのことは物価上昇に大きな影響を及ぼして家計を圧迫してくるというふうに私は思っているのですが、この公共料金の法定制緩和の問題については、先生はどういうふうにお考えになっていらっしゃるでしょうか。
  104. 高原須美子

    ○高原公述人 今度の予算案を見ましても、公共料金はおっしゃるように幾つか上がるようになっております。そういうことで心配せざるを得ないわけですけれども公共料金とてコストを反映して上がらざるを得ないと私は思うわけです。だから、いずれは上がらなきゃいけないということで、その上げ幅がどうなるかは別として、やむを得ないと思わざるを得ないわけなんですね。  その法定制の問題でございますけれども、法定制であったときに国鉄料金がもうちょっとコストを反映して上がっていれば、あんなふうに国鉄が破綻にいくまでいかなかったのじゃないかという気がしているわけです。そういう意味で、国会審議に文句をつけるわけではございませんけれども国会というのはいろんな審議をなさらなければならないものがおありのために、コストを上げるべき的確な時期に上がらなかった。そのために赤字が積みに積み重なって今日再建せざるを得ないような状況になっているのではないかと思うわけです。十分にそういうコストを反映した上げ幅で、むしろ細かく上げてくれた方が家計にとっては負担ではないわけなんです。ぐっと抑えつけていて、いつまでも抑えつけてくださるんならそれはそれでありがたいことですけれども、国鉄を見ましても、その後やむを得ないことになるとばっと上がってくるわけです。そういう意味で、国会で小まめに審議がおできにならないような場合には、厳しい枠をはめた上で、法定制を外して家計の負担に余りならないような適時適度の幅の値上げをしていただいた方が私としてはいいんではないかと思っております。
  105. 三浦久

    三浦(久)委員 きょうは論争をする場所でなくて、私の方が御意見を拝聴するという立場でございますので反論はいたしませんけれども、大体国鉄は、いま八千二百億円以上の利息を払っているのですね。国鉄を再建するという場合に、利息も払う、元金もそのまま払うというようなことで果たして再建ができるのかどうか、私ども大変疑問に思っているわけです。  それはさておきまして、公共料金について、先生と同じように、政府もよく受益者負担ということを言われるわけですね。私は、公共料金についての考え方は、やはりこれは日常生活に欠くことのできない商品であり、サービスでありますから、生活困窮者であってもそういうサービスや商品を得ることができるようにというような政策的な配慮でやはり料金や値段を決めていかなければならない、私はそう思っている。しかし、その当否は、意見が違いますからさておいて、もしかそれなら受益者負担というのを貫くというのであれば、たとえば電電公社がもうかり過ぎているわけですね。今度の予算でも、納付金を取ろう、もうけの上前を国に入れさせよう、こういうわけですね。受益者負担という点をぴしっと貫徹するというのであれば、私はその金は利用者に返すべきだと思うのです、利用者の金ですから。また、料金を下げるとか、そういういろいろな形があるでしょう。当然利用者に還元をしなければならないと思うのですが、その点はいかがでしょうか。
  106. 高原須美子

    ○高原公述人 私は、やはり公共料金というのはコストを反映して決まるべきだと思うわけです。したがいまして、コストを賄い切れなくなったときには、いま政策的に見るとおっしゃいました。結局それは税金で見るということになりますので、終局的に私は受益者負担ということが決定的な要因になると思います。したがいまして、電電公社がもうけ過ぎているような場合には、何らかの形で値下げするというような形をとるべきであると私は思うのです。特に電電公社の場合は、私は一回ずつの料金というのはそんなに高いとは思いませんけれども、遠隔地への料金というのはほかの諸外国なんかに比べて非常に高うなっておりますので、その辺を下げるとか、そういう形で、むしろもうかった分は受益者に返すべきだというふうに私は考えます。
  107. 三浦久

    三浦(久)委員 高原先生、もう一問だけ恐縮ですが……。主婦の立場でお話しになったわけですが、軍事費の増強の問題ですね。この問題について一つもお触れになっていらっしゃらないので、ちょっとお尋ねしたいのですが、財政法というのは原則として赤字国債を禁止しているわけですね。これは財政法の第四条で禁止されている。その財政法が何でそうなっておるのかということですね。何で赤字国債を発行しちゃいけないのか。それについて、この法律が制定された当時の大蔵省の主計局の法規課長、これは平山という人ですけれども、「財政法逐条解説」という本の中でこう言っているのです。「戦争の防止という観点から言えば、戦争と公債がいかに密接不離の関係であるかは各国の歴史をひもとくまでもなく、わが国の歴史を見ても、公債なくして戦争の計画遂行も不可能であったことを考慮すれば明らかである。公債のないところに戦争はないと断言し得るのである。したがって、財政法第四条は憲法の戦争放棄の規定を裏書き保証せんとするものである。」これは大蔵省の当時の法規課長さんがお書きになった本なんです。  ところが現実にはどうなっているかというと、ここ数年来ずっと赤字国債を発行している。そうして軍事費はどんどん増強する。お金には色がついておりませんから、その金が、赤字国債が全部どこへ行ったということじゃありませんが、しかし、少なくとも全体として予算を構成しているわけですね。そうすると、私は、こういう財政法のたてまえから言って、立法趣旨から言ってどうなんだろうかというふうに疑問を持っているのですが、主婦の立場としてはどんなふうにお考えになっていらっしゃいますか。
  108. 高原須美子

    ○高原公述人 主婦の立場として、二つだけまず前提を置きたいのです。  私は自分自身、まだ子供でしたけれども戦争の記憶がございますし、私自身にも子供がおります。ですから、平和というものはもう人間にとって一番大事だということは、男の方以上にやはり女の方が強いと思うのです。それが第一点です。  第二点は、赤字というのはどんな場合にも家計においては出せないものなんです。ところが、国の場合はそれが借金ということになるので、簡単に赤字国債がふえてきてしまっているわけです。  この二点を前提に置きました上でお答えいたしますと、今回の赤字国債がこんなに、十何兆円のうち、むしろ建設国債より赤字国債が多くなっている。これは私は、防衛費というよりはむしろ経済政策ということで、不況克服だということで出てきたのだと思います。私は、その過程でもっと早くチェックするべきであったのに今日まで膨張してしまったということが、非常に納得できないわけでございます。ですから、防衛費と赤字国債というのは、今回の場合には余り深い関係はないんじゃないかなという印象なんですね。  それからもう一つ、防衛費に関しましては、私は平和というものを本当に願うわけなんです。ですけれども日本がここまで世界の経済大国になった以上、何にも国際社会に対して負担しないということはやはりできないんじゃないか。おまえだけ何か憲法を守ってというのは、家庭にたとえますと、家訓を守って国際社会に一人前に参加しないというようなことは、やはりちょっとできないんじゃないかなと思うわけです。  私自身は防衛費についてどうこうという考えははっきり持っていないわけなんですけれども、もし防衛費をふやすのであれば、もうちょっと将来の日本の国の防衛力がどういう形になるのかということを青写真を示していただいた上で防衛費を論じ合っていただきたいということが第一点と、これは非常に素人考えですけれども、やはり国際的な責任を果たさなければならないという以上は、防衛費ではなくてむしろ発展途上国への経済協力費というような形のものをふやすことによって何か国際的な責任というものを果たせるような道がないのか。その辺、私としてはぜひ御検討いただいて、日本がもう二度と戦争に巻き込まれないようなことにしていただきたいと思います。
  109. 三浦久

    三浦(久)委員 ありがとうございました。終ります。
  110. 小山長規

    ○小山委員長 次に、河野洋平君。
  111. 河野洋平

    ○河野委員 大変時間も長時間になりましたから、私は谷合さんと高原さんに一問ずつ伺いたいと思います。  先ほどから、校内暴力の問題がいろいろ各角度から論ぜられておるわけでございますが、その中で谷合さんがおっしゃったように、校内暴力というのは、もう中学や高等学校でこれを阻止したり矯正したりするという、そういうものじゃないんだ、もっと早い時期の問題なんだという御指摘があったように思います。  私も全くそのとおりだと思います。むしろ幼児教育――幼児教育というよりもっと前、乳幼児教育と言った方がよいかもしれませんが、そういう時期から、つまり家庭のしつけの問題が非常に大事じゃないかと思うのですが、教育を余り行政に寄りかかって考えるというのは私は賛成じゃございませんけれども、いまは文教行政も、相当行政が手とり足とりいろいろとめんどうを見ているわけですが、その中にあって乳幼児教育というものは、行政はなかなか手の出しにくい部分、介入しにくい部分ですね。  私なりにいろいろ聞いてみますと、たとえば文部省でも、生まれたばかりの赤ちゃん、一歳、二歳、三歳の赤ちゃんにどう教育するか、とてもこれは文部省は手が出ません。それじゃ厚生省でどうだろうか。厚生省は新生児、いろいろ赤ちゃんのお世話をするわけですけれども、厚生省に伺うと、厚生省で興味があるのは赤ちゃんの身長と体重だけで、頭の部分とか心の部分は厚生省には余り関心がないといいますか、それは自分のテリトリーでない、こういう感じでございます。したがって、赤ちゃんの部分が行政の部分から全く欠落してしまう。  先ほど申し上げましたように、私は、何でもかんでも行政が指図をしたり何かするということに賛成ではございませんけれども、やはり少なくとも最近の教育の問題のかなり重要な部分が、三つ子の魂百までとか、氏より育ちとか、そういったことで語られるように、生まれ落ちてから本当に最初のしつけの部分で大事だということになれば、どこかが、そこは大事なんだよ、こう言ってあげる必要はあるんじゃないだろうか。いや、それはもうそれぞれ御家庭の問題で、そこはそれぞれのおうちがやるべきことで、言うべきことじゃないんだ、そういう見方もあると思うのですが、やはり最初が大事だよというようなことを教えてあげる、つまり母親教育ですね、そういう部分が必要なんじゃないか。  もちろん文部省には社会局に母親教育がありますけれども、文部省の言っておる母親教育は非常に受け身で、母親教育を受けてみようという気持ちが出てきたお母さんは、もうそれで問題はないわけですね。むしろそういうことができない、あるいはそういう気持ちにならない方が問題なわけですから、そこに何かサゼスチョンをするとか誘導をする、指導をする、そういうことがいいんじゃないだろうか、あるいはそういうことができるんじゃないかと思うのですが、谷合さんに後で一言その点について御見解を聞かせていただきたい。  それから、高原さんにお伺いをしたいのは、先ほど行政改革についてお触れになりました。行政改革は行政の能率アップとか仕事減らしとかということが非常に重要だというお話があったのですが、私は二点お伺いをしたいと思うのです。  行政が仕事減らしをしますと、その分は、たとえば家庭の主婦にそれだけ手間暇が行ってしまうということがありますね。つまり何でもかんでも行政がやってあげますよということから、少なくともここまではおうちでやってください。たとえばごみの出し方とかですね。ですから、行政が仕事を減らすということはかなり家庭の主婦にも負担がかかるということになるかもしれないのですが、家庭の主婦の判断からすれば、いや、多少よけいお金がかかってもめんどうなことがない方がいいわとおっしゃる奥さんももちろんおられると思うし、いや、私の方は多少そこまではやっても、やはり小さな政府といいますか、チープガバメントの方がいいわとおっしゃる奥さんもおられると思うのですが、その点がまず第一点。  もう一つは、行政改革が必要なのは、行政の能率アップ、仕事減らしだけじゃなくて、納税者の意欲を喚起するかどうかということに昨今はなっているんじゃないか。税金を払う方も、やはりこれだけ行政府行政改革が進んでいるよということになれば、それじゃ払いましょうと。まあちょっと極端な言い方ですけれども……。ところが、幾ら私が払ってもお役所はどうも何にもやらないじゃないかということでは、納税意欲にかかわってくるんじゃないかという気がするのですが、昨今の行政改革で、家庭の奥様方が、ああよくおやりだ、これなら私も税務署へ勇んで行きましょうというお気持ちになるほどの目立った行政改革だと点数をおつけになるかどうか、この点をお伺いをしたいと思います。
  112. 谷合良治

    ○谷合公述人 お答えいたします。  幼児教育につきましては、全くお説のとおりでございます。  私、顧みまするに、現在の家庭が、夫婦とおばあちゃん、おじいちゃんがもう大体別にいるという、この構造がやはり問題ではないか。二十二年に民法が改正になってから日本家族制度が崩壊したわけですけれども、これが最大の原因じゃないか。たとえば、おむつから出る青いうんちで、おばあちゃんがいればそれはこう、かくかくと解決できるのが、若夫婦では解決できないで、それを抱えてあっちこっち飛び回らなくてはならない。あるいは知らないでそのままおく。育児ノイローゼが出る。これは若い母親にいかに教育をしても、実際にその場に即さない限りだめなものなんです。  教育なんというものは、口で言って、それを耳で聞いてわかるものじゃなくて、現実にその場でやってみなくてはならない。たとえば図画なら図画を、理論じゃなくてかいてみなくてはならない。音楽なら音楽で、ピアノなり笛なり何かやらなくてはならない。体験しない限りこれは身につくものじゃない。それが欠けているわけでございます。これはもうぜひこの場で、日本家族構成というものを検討していかなくてはならない。それに対する手当てをしない限り、大きな問題になると思います。  さて、その行政でどうかということですけれども、保育園と幼稚園で厚生省と文部省ががたがたしている状態で、とても行政なんというものではございません。私も行政の一員になりまして、行政というのはよく流れるけれども、全く形だけ流れているんだなというふうに感じます。これは行政の力だけではいけない。しかし、何か主管するところがなくてはいけない。これもやはり考慮しなくちゃならない問題だと思います。  実際いま一番問題は、若い夫婦がいかにしていい家庭をつくるため、子供を教育するために努力をしなくちゃならないかというところを感じます。  以上です。
  113. 高原須美子

    ○高原公述人 第一点でございますけれども、私は、行政改革というのはまずお役所の能率アップからぜひやっていただきたいわけです。私ども生活関係ない部分で能率アップできるのじゃないかとも思うのです。日本ではまだ公務員の数が外国に比べて少ないとは申しますけれども、民間に比べれば能率はかなり低いのではないかと私は思うわけです。したがいまして、まず能率アップというのが前提です。能率アップをしていただいた上で、なおかつ増税をしないために小さな政府ということでしたら、私は喜んで協力したいと思います。  せんだって浜松市長さんから直接伺った話でございますが、あそこで一〇%のごみ削減運動というのをしたそうです。そうしましたら主婦が大変協力いたしまして、その目標よりも早い時期に一〇%削減が達成できた。つまり毎晩水をきちんと切ってごみを出せば一〇%くらい減るわけなのです。そうしますと、エネルギーの節約になるばかりか、ごみの役人の節約にもつながるわけですので、私は、そういう形でいろいろ協力できる面があれば、主婦として十分していくべきだというふうに思っております。  それから二番目に、行政改革と納税者の意欲でございますけれども、いまは、この行政改革というのはむしろ非常に象徴的な言葉になっておりまして、ここをどうにかなさらない限りはなかなか納税者の意欲というのは高まらないのではないかと思うわけです。ただし、一つ条件をつけさせていただきたいのですけれども行政改革をしたのだよという、何か業績を上げるためだけの行政改革というのにはしないでほしい。たとえば、先ほども申し上げた、塩というのを民営に移すというのですけれども、これを民営に移した場合に果たしてどれだけ行革の効果があるのかないのか、それと塩を民営に移した場合に、それこそ民間への影響はどうなのかというあたりのところを十分御検討いただいて、ただこれをやったから行革したのだよということにならないようにお願いしたいと思います。
  114. 河野洋平

    ○河野委員 ありがとうございました。
  115. 小山長規

    ○小山委員長 以上で各公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次回は、明十三日午前十時より公聴会を開会いたします。  本日は、これにて散会いたします。     午後四時十三分散会