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田島委員 そこで、もうそろそろ時間が少なくなってきましたけれ
ども、いままで何のために私がいろいろ下手なお話をしてきたかというと、いまの財政
事情の悪化した要因というものは一体どこにあったのか。一体、
国民にも責任をしょってもらう要因があるのか、そうじゃないのじゃないか。
国民の
皆さんにはできるだけ負担をしょわせずに、むしろ
政府が、そして政治が、きりきりいっぱい自分の身を削り骨を削るような努力をすることによって、
国民の負担に肩がわりをさせるような財政再建を避けるべきじゃないか。そのためにそのことを取り上げ、それからまた、現在の行財政の中にある、当然これは直さなければまずいじゃないかという点を取り上げ、それらの要因から考えていった場合に、もっとわれわれのみずからの努力、身を切るような努力、その中には欲しいものもがまんしなければならぬ努力もあるでしょうけれ
ども、そういうことを追求していくことにわれわれみんなの目が向き、勇気が決まればそれなりの前進があるだろう、こういうふうに思うわけです。
細かいことを言うようですけれ
ども、たとえば、この予算
委員会の
会議時間をできるだけ縮小することもそうだろうし、貴重な時間をできるだけ貴重に使うこと。しかし、それもまた考えようによると悪くも考えられるので、予算審議をときどきやめちゃって、それで予算の審議の時間を少なくしちゃって、
田島衞なんかに余り時間をやらないで、それで土壇場へ行って多数決で、自民党の横暴か何かの声の中ではっと決めちゃおう、実質審議の時間を少なくしちゃおうなんて考えてやっているのだったら、これはまた、まことにけしからぬ話でありますけれ
ども、そうでない限りは極力われわれ自体が、
政府自体が、そして公務員自体が、自分の身を削るような痛い思いをしなければ、
国民の
皆さんに顔向けができぬと思う。そういうことをやりながら、しかもなお、この予算の中にあるところの
国民の税負担ということについてできるだけ慎重な考慮を払う、これが一番大事なことだと思うのですよ。
少しくどいようですけれ
ども、何人にも責任のないところへ義務をしょわされるのは望ましいことではない。一般
国民の
皆さんにしてみれば、国は財政
事情が悪くなった悪くなったと言う、だから何とかしなければならぬならぬと言うけれ
ども、何かおれ
たちが悪いことでもしたのかなと首をかしげていると思うのですよ。
現実、先ほど来の応答の中でも、本当に責任をしょわなければならぬ者というのは
国民以外の立場だろうと思うので、その立場での最善の努力をせずして
国民の負担に肩がわりするということは、どんなことがあっても許されてはならない。このことを真剣に考えれば、きょうの冒頭取り上げた決算にあらわれたところの事項についての
質疑応答の中に出てくるような、私の立場から言えばまことにふまじめというか、勇気のないというか、誠意がないというか、そういう答弁は出てこないはずだと思う。人間ですからだれだって間違いはある、失敗もある。だけれ
ども、それは直すことによってまた新しい道が開けるわけです。
きょうの時間の中では、そう多くを取り上げることができませんでしたけれ
ども、われわれですらわからない、いわんや一般
国民は全然わからないところで、労使の協約によるところの、それが表へ出て一般の日に触れたら、何でこんなことをという批判を受けるであろうところの事実が、まだたくさんあるわけです。絶対にある。これだけは、だれが何と言おうと、私は絶対あると主張して譲りません。だけれ
ども、それも調べられてわかったからこうだとかどうだじゃなくて、知っている者はみずからの自浄作用によってもうそろそろ自粛をして、一体どっちが主人公でどっちが奉仕者なのかということを明らかにする必要があるだろうと思うのです。そこらのところを考え、今度の予算を考えてみますと、軽々に賛成いたしかねるような
内容を含むものだと思うのです。
ただし、たとえその要因が那辺にあれ、特例公債をこのままにしておいてはそれはもう先が大変心配ですから、その特例公債の
発行を少しでも依存度を抑えるために努力をする姿勢については、全面的に賛成をいたしますし、また、そのための協力もいたしたいと思いますけれ
ども、その要因からするところの責任感の追及が十分でなしに、責任のない
国民に負担の肩がわりをさせようという考え方と、いまなお行政の万般の中にあるところの甘えというか、勇気のない、誇りのないもののやり方、考え方というものがそのまま存在するということについては、断じて許しがたいという気持ちを率直に表現して、まだ少し時間がありますけれ
ども、私の質問を終わりたいと思います。