○森(喜)議員 お答えをいたします。
いつもながらの
木島先生のまことに崇高なる
教育の
理念、哲学、いろいろと御教示をいただいた
感じがいたしまして、率直に感服をいたしております。
しかし、若干また私
どもの考えているところを
——本当に
議論をまたしなければならぬということになると、時間がありませんので、ちょっと困るのですけれ
ども、私は、いまの
大学というのは、確かにおっしゃったように、
明治からずっと大正、
昭和という歴史の中で
大学の
価値観というものは変わってきたと思うのです。
木島さん、これは私の個人的な意見ですが、いまの
大学、
高等教育機関というものは、必ずしも本当に素直にいまの状況がいいとは私は思っていないのです。
大学に入って、とうとい
学問をし、そして
真理の探求をし、技術を身につけて、それぞれ
社会のために寄与していくということも、もちろん
一つの
目的でしょうが、もう
一つ、
大学に入って全人格的な
形成をしていく、教授やあるいは仲間を通じ、学友を通じて人間的な教養を高めていく。いろいろ
目的はたくさんあると思うのですが、少なくともいまのこの
社会の断面から見ますと、
大学に入れば、世の中に出ていくといいことがあるのではないか、あるいはこの
大学さえ行っておけば
就職がうまくいくのではないかというふうな認識で
社会ではどうもとらえられているのではないだろうか。それはむしろ、受験生である高校生といいましょうか
子供たち、
生徒というよりも指導していく
学校の
先生にもあるし、もっと端的に言えば父兄にもある、そんな気がしてならないのです。
ですから、
社会全体を、そういうふうになっていく
大学というものをどう改めていったらいいのか。これは私
ども自民党の
文教部会としても、今日までずいぶん
議論をしてみたことがあります。
特に私は、先ほど御
指摘いただいたように
私学の出でありますから、もっとも
早稲田大学商学部出で、余りいまでかい顔はできないのでありますが、しかし本当に、
早稲田なら
早稲田、
慶応なら
慶応、
同志社なら
同志社ということを愛してその
学校に学びたい、その
学風に触れたいと言って受けている人がどうもいないのじゃないだろうか、何となくそこの
大学に行けば
就職にいいのじゃないか、
社会に出ていくと、その肩書きとかレッテルといいましょうか、そういうものでプラスになるのじゃないだろうかというような
考え方から入っておられるというようなこと、すべてだとは言えませんが、若干そのきらいがあって、そして、そのために倍率が高くなって競争が激しくなるからよけい
試験問題をむずかしくしていく、むずかしくしていくから結局
偏差値というものが出てきて、
偏差値を
中心にして、
生徒たちの好む
学校に進めなくて、その進学の
方向をむしろ
高等学校の
先生の方で決めてしまうというのが現実の
社会だろうと思うのです。
ですから、そういうふうに考えますと、何とかこの辺を打開して、もっと本当に
自分たちの進みたい、また将来の
目的に沿って
高等教育の
機関で勉強したいというふうに、
高等教育機関全体をどう導いていくのか、そういうことが私
ども党としての政治的な責任だろうと私は考えておるのです。
これは恐らく、
文部省にそんなことやれと言ったってできるものではないわけで、いま
宮地さんと
木島先生のやりとりのような大体そういう
四角四面の
議論しかできないだろうと思います。
四角四面というか、三角形と言っていいのか、とにかく枠から出られない、そういう
答弁しかないわけです。
後ほど
西岡さんから少しまた
お話があるかもしれませんが、
西岡さんが
文教部会長をいたしておりましたとき、われわれも勉強したのですが、
建学の
精神を志し、その
学風にあこがれている
学生・
生徒たちが、本当に
自分の好むところに行って学べるようにして差し上げるにはどうしたらいいのだろうか、当時いろいろな
議論をして、表には出てきませんでしたけれ
ども、たとえば
大学の
試験日をみんな同じにしてしまおうじゃないか、そして
国公・
私立もみんな
一緒にしてしまったらどうだろうかとか、そんな
議論も、
西岡私案として出したこともありますし、私は、いまでも、いいことではないかもしれませんが、
共通一次
試験なんかを、これはもう
私立もみんな加えちゃって、
偏差値中心ではなくて、また
大学を受けるための
高等学校ではないような形に何とか手直しをしてやれる方法はないだろうかということで、その
共通一次に
私学が全部入ることは若干また
危険性があるかもしれませんが、そんなことも思い切ってやってみて、そして、もうちょっと自由な発想で、本当に
高等教育で
学問を身につけて
真理の追求をしていきたいという人はそういう
方向へ進めばいいし、もっと自由奔放にして全人格的な
形成をして人間の幅を広めるのだ、人格を高めるのだという人は
それなりのそれに応じた
学問の場へ進んでいく、そういう道を開いていくとか、何かそんなことを、私
どもは、まだずっとそういう苦悶をしながら、煩悶をしながら、何とか
文部省を指導していきたい、あるいは導いていきたい、こんなふうに私たちは思っております。
そういう一環の中でいま
私学の制限法みたいなことをお願いしなければならなかったのは、やはり
私学の振興、つまり
私学助成のこの二分の一の
精神は何としてもぼくたちは生かしていきたいし、そして何とかこれを努力目標として到達をさせたい。この法律を
提出いたしましたときには、本当に野党の皆様からおしかりをいただくように、ずいぶん乱暴な提案をし、その日に可決するというようなことがあって、野党の皆さんからおしかりをいただきながら、それでも最終的に野党の皆さんの御協力をいただいたのは、やはり
私学を大事にしたいし、
私学をきちっと国で認めてあげたいという、先ほどから
木島先生がおっしゃっている、いわゆる
教育の平等といいましょうか、そういう崇高な
理念に基づいてきたものだろうと思うのです。
しかし現実に、いま
私学助成全体の問題は、第二臨調とのいろいろな意見も絡み合って、必ずしもこのまま進んでいかないような
感じがいたします。
われわれは、何としてもこれを日本の国の財政の状況ともにらみ合わせながら、将来はやはりきちっとして差し上げたい。そのためにはもう少し、いまおっしゃった
大学の存立の基盤みたいなもの、形態みたいなもの、
精神みたいなものも一遍検討してみなければならぬし、中央といいましょうか、大都会と
地方の
大学との
格差であるとか、あるいは医科系や歯科系と文科系との差であるとか、いわゆる四年制と短期
大学との
一つの差であるとか、いろいろな角度から
私学助成全体というものも考え直して、将来は、やはり
私学を国がきちっと
整備をし、そしてお手伝いをしていくというこの
精神は、到達をさせるという大
目的、大前提のもとにいろいろな角度から一遍修正をしてみるというか、立ちどまって一たん考え合わせてみるとか、こういう気持ちもあって、この法律を三年ほど延ばしていただきたいなということで、何度も私はこの間から
委員会で申し上げているように、何もこれは三年でなくてもいいので、できれば一年でも二年でも早くやりたいところでありますが、このくらいの作業は少し必要ではないだろうか、こういう
考え方から出てきているものであります。
お答えになるかどうかわかりませんが、
木島先生も、答えというよりも、何か言うことがあったら言えと、こういうことでございましたから、
先生のそうしたお
考え方や私
どもの
考え方を、やはり議事録にとどめおきたいというような気持ちもございまして、まあ私の個人的な意見としてお聞きをいただき、御理解をいただければ幸いであります。