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尾形(憲)参考人 立教
大学の
尾形先生と紛らわしいのですが、法政
大学の
尾形でございます。
教育の問題を経済学の角度から見る、そういう立場で研究をしておりますので、そういう観点から意見を申し述べさしていただきたいというふうに思います。
私、七年ほど前、石油ショックの次の年になりますけれ
ども、これからの
進学は恐らく低下するだろうというようなことをある雑誌に書きました。と申しますのは、
日本の
教育は、人間一人一人を大事にするという
教育、一人一人の可能性を引き出す
教育ではなくて、もっぱら経済のための
教育である。これは十年ほど前に参りましたOECDの
教育調査団が、経済という機関車に連結された列車であるというぐあいに
日本の
教育を言っております。もっぱら人間をふるい分ける、そういう手段として
教育が各
段階とも使われているということをずばり
指摘しております。そういうもの石ある以上、低成長経済ということで経済が変わり始めた、そうなりますと、当然、それに乗っかってきた
教育は変わらざるを得ない。具体的には、
進学は低下するだろうというぐあいに
考えました。
いい
大学というのは一体何を言うかといいますと、
教育・研究内容のいい
大学ではありませんで、中央官庁あるいは大企業への就職率のいい
大学、そういうところへの
進学率のいい高校がいい高校、以下いい幼稚園にまで及ぶということになります。
その後の経緯を見ますと、御存じのように昭和五十一年春、戦後初めて四年制
大学への進出者数が前年よりも三千数百人減りました。と同時に、それまで毎年二、三%ずつふえてきた
高等教育の
進学率が、〇・八%増ということで一挙に鈍化いたしました。その後は、十八歳
人口の変遷に伴って、
進学率もしくは
進学者数が上がったり下がったりするという低迷状況になりました。五十四年には、進当者数が二万二千以上減るという大幅な減少があったために、
進学率自体が一%も下がってしまうという、これまた未曽有の事態になりました。この年は、戦後一貫してふえてまいりました四年制
大学の学生の総数が、戦後初めて一万六千の大幅な減少を来した年です。次の五十五年、昨年ですけれ
ども、十八歳
人口に見合う
進学者増があったために
進学率はもち合いになりましたけれ
ども、
進学志望率は四年連続ダウンという状況になりました。
私が重視しておりますのは、
進学率は十八歳
人口が分母でこれに左右されますから、上がったり下がったりするというのはあたりまえですけれ
ども、高校在学中すでに一校も短大も
大学も受験しない、
進学志望しないという者の比率が上がってきた、これはやはり非常に重大なことではないかというぐあいに見ております。
この春については、昨年労働省で調査したところによりますと、やはり
進学志望率が下がっております。そういう中で、たとえば
私学の比重、これも戦後一貫して上がってきたのが、最近は低迷よりもむしろダウンという状況になっております。
中教審答申が昭和四十六年、短大、
大学を含めて昭和五十五年の
進学率を四七・二というぐあいに予想しましたが、これが
高等教育懇談会の五十一年春の報告では、五十五年に高専を含めて四〇・三、高専を引きますと三九・八ぐらいになりましょうか、というような引き下げが行われる。
これが実際どうなったかということを申しますと、昨年の春は、短大、
大学、それに高専を含めますと三七・九というような実績です。
高等教育懇談会は、この五年間に三万一千五百の増員を見込んで四〇・三というぐあいに
考えたわけなんですが、実績は、入学者数が八千人ほど逆に減りました。したがって、すでに四万という開きが予想よりも出ております。
こういうような状況は、特に細かく見ますと、現役、男子、それから大都市ではなはだしい。東京とか大阪というようなところでの
進学率を見ますと、東京では五十年と五十五年を比較しますと、六一・五%だったのが五二・六%、実に九%もの低下という大変な低下を来しました。
そういうような流れがどう変わったのかというぐあいに申しますと、よく言われますような
大学離れということで、
専修学校や
各種学校にどんどん流れているという状況になる。したがって、昨年の春の入学状況なんかを見ますと、いま言った
専修学校等々へ流れる。他方、
大学、特に私大の入学者数が減るということがありまして、
高等教育懇談会が、この五年間に一%
国公立・
私立の入学者数の比率を是正しようというぐあいに
考えておりましたのが、予想よりも倍上回って二%の是正ということが達成されてしまいました。
そういうような背景には、私が
先ほど申しましたような低成長経済というものがあります。もうすでに大卒がブル−カラーあるいはグレーカラー化ということで、大卒の肩書きが物を言わない。そうしますと、おのずとこれが入り口にはね返ってくる。企業の方も終身雇用、年功序列が動揺してきたという状況がある。そういうわけで、
学歴社会がいままでのとおりいくということはあり得ない。
外国の状況を見ますと、すでにアメリカ、西ドイツ等では、十八歳
人口がどんどん下がっておりまして、毎年十も二十も
大学がつぶれるという状況が出ております。これは決して人ごとではありませんで、わが国でも
私立短大が毎年何校もつぶれるという状況があります。今後十一年間はまだ十八歳
人口がふえ続けますけれ
ども、昭和六十七年の二百六万を
ピークにして、その後十年間下がります。百三十万ぐらいまで下がるだろうという予想がありましたけれ
ども、もっと下がるのではないか。最近の出生率を見ますと、ひのえうま並みの出生率という状況になっておりますから、もっと下がるのではないか。あるいはそれ以前に、すでに
大学離れの傾向が十八歳
人口の
増加を上回る、そういう状況が恐らく今後出てくるのではないかというぐあいに私は見ております。
したがって、基本線としては、本
法案で
考えられております背景については、十分理解できますし、そのとおりだろうというぐあいに思います。
ただ、問題は質の問題です。量的な
抑制はあっても、一体
大学というものをどう
考えるのか、そういう
考え方が、実は中教審答申、
高等教育懇談会の報告、あるいは一昨年の
設置審議会の報告、そういうところでもすっぽり抜け落ちております。
大学の質の問題、これはいままでほかの参考人もおっしゃいましたけれ
ども、ただ単に教員一人当たりの
学生数とかいう量的な問題ではありませんで、もっと深いかかわりを持っているというぐあいに思います。
ありていに申しますならば、いまの大方の
大学はレジャーセンターになっているのではないかというぐあいに思います。
教育・研究の場という名前を掲げながら、実はパスポート授与場になっている、全部が全部とは申しませんけれ
ども。そういう状況をどう変えていくのか。特に
日本の場合は——ヨーロッパですと専門型の
学部ですし、アメリカの場合ですと人間づくり、リベラルアーツ型の
大学ですが、
日本の場合一体どっちなのか、非常に中途半端な存在です。
そういうような質の問題を深く問われたのが、実は十数年前の
大学闘争だったわけですが、そのときの問題は、その後たな上げになってしまった、この問題が実は今後の
中心的な問題なのではないか。
私たちは、全国で、国庫助成に関する全国
私立大学教授会連合という組織をつくって国庫助成運動をやっておりますけれ
ども、その場合に、国庫助成というのは、ただ単に金をよこせ、そういう運動ではない。
大学の
進学率が高まったとは言いながら、入れない人たちが過半数である、しかも今後もっとふえるだろう、そういう人たちからも取り上げた税金をわれわれによこせという論理、これは
私学はもちろんのこと、
国公立はまる抱えですからなおさらのこと、一体どういうぐあいに言えるのかということをきちっと踏まえないでは国庫助成運動は成り立たない。したがって、これからの
大学の
あり方、これを見据えて、これに接近する努力を重ねる、これを根底に据えての運動だろうというぐあいに
考えております。
結論的に申しますと、
先ほど触れましたように、本
法律の改正が出てくる背景については全く賛同できますけれ
ども、しかし問題は、こういうような
法律という形でもって
教育・研究を縛ることには賛成できません。本来、
教育・研究というものは権力に対して独立であるべきである、自立であるべきである。そういうことで、すでに
大学設置審議会があり、
私学については
私立大学審議会がある。そういうようなところで十分意を尽くし、議論されるわけですから、それ以上に
法律でもってこれを縛るというのは穏当ではないのではないか。
以上のように
考えます。