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鯨岡国務大臣 野口先生の御
質問は余り大きい
質問で、短い時間に申し上げることはとてもできませんし、また系統立てて
お答えをすることも大変むずかしいのですが、私が
考えておりますことを、断片的になりますけれ
ども余り時間をとらないで
お答えをしたいと思います。
私は、自然を征服するというような
考え方は間違えていると思う。しかし、今日までわれわれはそういう間違えた
考え方をとってきた。たとえば山に登った場合に、山を征服した、こう言いますが、あんなもの征服できるものじゃない。われわれは山に教えられているわけなんです。だから、自然に生かされているわけなんです。その自然を
人間のあさはかな知恵で壊してしまうというようなことがあれば、その反動は必ずわれわれ
人間に返ってくる、こういうふうに
考えて、この自然というものはわれわれが先祖から受け継いだものですから、
あとう限りこれを自然のままにわれわれの子孫に譲っていきたい、自然からわれわれは生かされているのだという
考えに立たなければいけない、こう思っている。これは私は
環境庁長官になったから言っているのではないので、私も山歩きが好きでございましたから、つくづくそんな
感じがするのです。
それから、いま
野口先生の
お話の中にもありましたが、いま五%
ちょっと強くらいの
経済成長をしませんと
失業者がふえますから、そうなったら大変ですから、どうしても五%強くらいの
経済成長をしていかなければならぬ。それは
政府もそういう
方針を立ててやっていることは御
承知のとおりでありますが、
考えてみると、五%
ちょっと強の
経済成長をずっと続けていきますと、
西暦二〇〇〇年になる前に
日本の
経済は倍になりますから、この三十七万平方キロという必ずしも大きくない
国土の中、しかも二割くらいしか可
住面積のないというこの中で、これだけの
経済を、いま
先生言われたように一億一千六百万人の人がひしめき合ってやっているわけですから、これがこの倍の
経済になったときに、質の
変化があれば別です、
ただ量だけでふえていったという従来のような
考えでやっていたとすれば、そのときの
環境というものはどうなるだろうかという
心配が私はなされて仕方がない。
そこで、
経済という活動、これは重要です。
経済はますます発展していかなければならない。これはだれだって否定する者はない。しかし、
経済というものはしょせんは手段であって、
目的は
人間の幸せな
生活ということにあるのですから、早い話が、お金はいっぱいたまりましたけれ
ども病気になりましたとか死んじゃいましたというのでは、何のための
経済なのか全然わけがわからなくなる。そこでわれわれは、その
心配をして
環境行政を厳重にやっていきたい、こう思っているのです。
それから第三番目ですが、私
どもは、一生懸命
国民の幸せを願いながら、何か大きな間違いを犯してしまったのではないかなという
感じがしてならない。これは私
自身のことでございますが、大きな反省をしているわけなんです。どういう間違いをしたかと言えば、やはり
経済が大きくならなければ、もっとも終戦直後なんか特に貧乏でしたから、
食べ物にしても着物にしても満足なものがなかったですから、それさえあれば幸せになるかと思って一生懸命になってやってまいりました。そのために
経済がうんと動きました。消費なんかは王様だ、
使い捨てだ。そうすれば工場がどんどん動くし、所得もふえるし、それこそ幸せだと思ってやってまいりましたら、とんでもないことになってしまいまして、精神的にも失われたものがたくさんあって、いままでのやり方ではだめなんだ、幸せというのはそんなものじゃないんだということがわかりました。そういう
方針でやってきた私
自身としては、間違ったことをしてしまったんじゃないかな、取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないかなという
感じがしてならないわけでありますので、もしそれが間違えていたとすればその
軌道修正をしなければならぬ、こんなことを
考えて、
環境行政をお預かりして、
皆様の御
協力をいただいてやっているわけなんですが、
考えてみると、一番悪い時期ではないか。油の問題にしても、
エネルギーの問題にしても、もうとにかく大変でございますから。いつも言うように、私は
ブレーキですから、
アクセルを一生懸命踏んでいかなければならぬときに
ブレーキなんか
邪魔者だ、
ブレーキなんか要らない、しばらくの間
ブレーキこわれちゃえという
考えたって、私はないわけではないと思う。
経済に重点を置いて
考えると、どうしてもそういう
考えになりがちなんでしょうけれ
ども、それは間違えていますと言ってもなかなかこの声が届かない。私が微力で申しわけない。もっと何か有能な
環境庁長官ならやるすべがあるのかもしれませんが、私としては一生懸命やっているのですが、この
アクセルを踏まなければならないときによけいな
ブレーキなんか要らないというその
考えたって、私はわからないわけではありませんが、そういうことで、
バイオリズムで言うといま一番下がったときで、とても大変だという
考えがしているわけです。
最後に一言加えておきたいことは、いま
野口先生からも
お話がありましたが、だれが勘定してみましても、
西暦二〇〇〇年のときには六十三億五千万人と言う。それ以下の人はいないのですね。そんな先のことわかるかと言う人がいるでしょうけれ
ども、私は正確なことはわかりません、しかしその道の
学者のだれが勘定してみても、そしてどこの
学者が勘定してみても六十三億ぐらいにはなる。いま四十二億ですから、ざっと二十億はふえるわけです。それから、その先のことはもっとわからないのですが、
西暦二〇三〇年から五〇年の間には百億になるというのですね。そうなりますと、大気の問題、水の問題、
炭酸ガスがふえてくるというような問題、それから
食べ物をどうするかという問題、南北問題はますます激しくなってくるだろう。これは大変な
心配ですよ。
ですから、
環境庁は、
先生方の御
協力をいただいて
西暦二〇〇〇年の
地球ということで
心配をしなければならぬ。これは単に
日本民族だけというのではなしに、
世界の人類の問題だというようにとらえて、
先進諸国の行動とともに――むしろ
政治的には早い方でしょうね。いま、私のところの
次官の
金子君はフランスへ行っておりまして、一両日中に帰ってまいりますが、OECDもこれを取り上げてそのための
会議をして、特に
日本からこの問題の
懇談会の座長を務めた大来さんに来て
説明をしてもらいたいなんというようなことでしたが、不幸にして大来
先生はかぜを引いて行かれなくなってしまいましたが、原稿ができておりましたので、それを持っていって
金子次官が代読したというようなこともありました。
環境庁はおかげさまで十年になります。
先生方の今日までの御
協力に感謝いたしますが、この十年を記念して行事をしようと思います。その際には、すでに御
承知のアメリカがつくりました「二〇〇〇年の
地球」というあのレポートを作成した人に来てもらいまして、その人に
記念講演を東京や大阪でしてもらい、あるいはラジオなんかに出ていただいて、
日本の
学者と対談をして、
国民の
皆様にこの
心配を真剣に聞いてもらおうなんというようなことを
考えているわけですが、どうも微力で申しわけないですけれ
ども、
環境庁という
役所は、大仰に言えば
政治哲学に立脚する
役所ですから、当面の
行政ということから見ると
邪魔つけな存在だなと思われる
傾向もありますが、これこそが大事なことで、これを忘れてやっていたらば何回でも同じ
過ちを繰り返す。われわれがこれを言うのは、
一つには、あの悲惨な
公害によって命をなくした人を忘れてないからです。それから、それによって体を悪くして、
あと何年の寿命が、とにかく生きている間じゅう苦しまなければならない患者のいることを忘れていないから、私
どもは再びそういう
過ちを繰り返してはならない、こう思いまして一生懸命やっているわけです。
どうも
お答えにはなりませんでしたけれ
ども、
考えの一端を述べて御
理解をいただきたいと思います。