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1980-11-04 第93回国会 参議院 内閣委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十五年十一月四日(火曜日)    午前十時開会     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         林  ゆう君     理 事                 藏内 修治君                 竹内  潔君                 矢田部 理君                 藤井 恒男君     委 員                 板垣  正君                 岡田  広君                 源田  実君                 林  寛子君                 桧垣徳太郎君                 堀江 正夫君                 片岡 勝治君                 野田  哲君                 山崎  昇君                 中尾 辰義君                 安武 洋子君                 秦   豊君    政府委員        行政管理庁長官        官房審議官    林  伸樹君        行政管理庁行政        管理局長     佐倉  尚君    事務局側        常任委員会専門        員        鈴木 源三君    参考人        早稲田大学教授  片岡 寛光君        福岡助役    武田 隆輔君        熊本経済同友会        名誉幹事     平塚 泰蔵君        林政審議会委員  田村  武君        四国行政相談委        員連合協議会会        長        西川 春夫君        鉱業審議会会長  平塚 保明君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○地方支分部局整理のための行政管理庁設置法  等の一部を改正する法律案内閣提出、衆議院  送付)     —————————————
  2. 林ゆう

    委員長林ゆう君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。  地方支分部局整理のための行政管理庁設置法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、参考人方々から御意見を聴取することといたしております。午前は、早稲田大学教授片岡寛光君、福岡助役武田隆輔君熊本経済同友会名誉幹事平塚泰蔵君の三君を参考人として御出席を願っております。  この際、参考人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多忙中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございました。皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の本案審査参考にしたいと存じております。  これより参考人方々に順次御意見をお述べ願うのでありますが、議事の進行上お一人二十分ないし二十五分程度お述べを願い、参考人方々の御意見陳述が全部終わりました後、委員の質疑を行うことといたしますので御了承願います。  それでは、片岡参考人にお願いいたします。片岡参考人
  3. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) ただいま御紹介にあずかりました早稲田大学片岡でございます。  私からは、行政改革全般との関連におきまして、本日の主題であります地方支分部局整理につきましての私見を述べさしていただきたいと思います。  大きく分けまして、行政改革には、戦術的な行政改革というものと戦略的な行政改革と呼ばれるものがあろうかと思います。  戦術的行政改革と申しますのは、いまあります行政サービスの水準を低下させることなく、簡素合理化を図りまして効率化を達成しようとするものでございます。この種の行政改革は、主として技術的でございまして、社会に対して及ぼす影響もないわけではございませんけれども、しかし、それがきわめて局地的に限られておりまして、主として行政部内的な意味を持っているたぐいの改革でございます。  それに対しまして、戦略的行政改革と申しますのは、社会において行政が果たすべき役割りそのものの再検討から、パブリックセクタープライベートセクター役割り分担、あるいは新しい時代に適合した新しい行政システムというものを根本にさかのぼって考え直してみるたぐいの改革でございます。この種の改革におきましては、まず行政のあるべき姿ということを示しまして、そして、行政構造をそれに従って抜本的に改める。したがって、その及ぼす影響も単に行政部内にとどまりませんで、広く社会的な意味を持つものでございます。  両者は必ずしも相反するないしは矛盾するものではございませんで、戦術的な行政改革を重ねていきますうちに、どうしても戦略的な行政改革を行わなければならないよう事態に至ることもございますし、また逆に、戦略的な行政改革を実行していくためにはそれを戦術的な行政改革に置きかえていかなければならないというふうな事情もあるわけでございます。  本日、問題になっております地方支分部局の廃止ないし整理の問題は、いわゆる昭和五十五年行政改革計画の一環として推し進められているものでございますけれども、この計画自体は、どちらかといえば戦術的行政改革に属するものでございまして、支分部局整理自体はきわめて戦術的性格というものを強く持っているというふうに評価いたしております。  今回、整理の対象となっておりますブロック機関は十省庁三十五に及んでおりますけれども、そのうち、法律改正を必要といたしますのが行政管理庁管区行政監察局、法務省の入国管理事務所、あるいは大蔵省財務局、厚生省の医務局等でございます。で、数にいたしますと八省庁十四機関法律改正を必要としているということでございます。ブロック機関整理いたしましても、現在行政が行っておりますサービスというものを低下させることはいかないわけでございますから、削減されます省庁におかれましては大変御苦労なこととは存じますけれども、財政危機の折から、このような形での減量計画を図っていくことは必要やむを得ざるところであろうかと存じております。  今回の整理によりまして軽減されますのは、主として内部管理事務でございまして、これにより直接お金が幾ら浮くかというふうな問題ははっきりいたしませんけれども、しかし、次に予定されております府県単位機関整理とあわせまして、やはり財政再建の第一歩をしるすことができるというふうに考えている次第でございます。  わが国におきましては、いわゆる戦術的な行政改革を実現する手段といたしまして、昭和四十二年以来一律削減方式あるいはそれに基づくスクラップ・アンド・ビルド方式ないしは昭和四十四年に制定されました総定員法によります公務員総量に対する規制というふうなものが定着してございます。今回のブロック機関整理も、いわゆる一律削減方式によったものでございますけれども、このよう方式合理性につきましては、いろいろと批判がありますことは先刻御承知のとおりでございます。  行政の中にむだがたくさんあります段階におきましては、一律削減方式によって行政改革を行うことも意義があるわけでございますけれども、だんだんむだのない状況になってまいりますと、もはや一律削減だけでは合理的な行政あり方を実現していくことはできなくなってくるというふうな状況が出てくるわけでございまして、これからは、より合理的に社会的ニーズというものに対応して、そのニーズの予測される量に応じたたとえば公務員数でありますとか、あるいは機構あり方というものを考えていかなければならないかと思います。しかしながら、行政にとりましては、企業の場合と決定的に異なりまして、いわゆる最適化基準と申しますか、たとえば、企業の場合では利潤の極大化ないしは採算性という基準があるわけでございますけれども、行政におきましてはそのような明確な基準というものが存在いたしません。そのよう現状の中では、やはりこのよう方式で上限を抑えていかない限り、行政は肥大化していくことを避けることができない。そういった意味におきまして、これからは、どんなにやはり合理的な手法を導入することが必要であると言いましても、やはり一律削減よう方式あるいは総量規制よう方式を放棄してしまうことはむずかしいというふうに私は判断いたしております。  特に、わが国行政分化と申しますか、ないしは政治分化と申しますか、そのよう状況の中では、いわゆる一律削減方式による不満の公平なる配分と申しますか、どの機関不満ではあるけれども、ほかの機関も同じく不満をのまなければならないということによってがまんするという方式が最も受け入れやすい方式でございまして、そういった意味におきましても、わが国におきましては定着した行政改革、戦術的な行政改革一つ手法であるというふうに評価いたしておるわけでございます。  もちろん、今回の整理によりまして、従来の行政機関は手足の一部を失うわけでございますから、大変御苦労なことと思いますし、従来八ブロックを標準といたしておりました支分部局あり方というものに根本的な修正が加えられるわけでございまして、それ自体には大きな問題があろうかと思いますけれども、しかし、当面このような形での簡素合理化ということを図っていきますことが国民的に課せられた一つ課題にこたえることであるというふうに判断いたしております。  このような一律削減方式あるいは総量規制方式で行われます戦術的な行政改革と申しますのは、その性質上部分的で、そして不徹底であることを避けることができません。したがいまして、このよう改革を繰り返しておりますうちに行政全体の仕組みにそごを来しまして、期待されたとおり行政の全体の仕組み機能しない、あるいは社会の変化に迅速に行政仕組みそれ自体が対応していくことができないというふうな事態が生まれることも十分考えられるわけでございます。  今日では、財政危機というものを契機といたしまして、行政そのものをより抜本的に見直し、行政の果たすべき役割りから、その任務の再検討というものが求められているわけでございます。この種の行政改革は、もはや戦術的な行政改革の範囲を超えた、いわゆる戦略的な行政改革でございまして、その及ぼす影響は広く社会構造経済構造にまで及ぶというふうに考えられるわけでございます。そのよう現状の中におきましては、やはり従来の行政改革手法だけでは十分目的を達成することができないわけでございまして、やはり新たに予定されております臨時行政調査会よう機関設置ということが必要となってこようかと思います。  そこで、いま国民的衆知を結集いたしまして行政のいまある姿、現状というものを徹底的に洗い直し、そして、その行政の新しい理念というものを導き出しまして、それに従って現在の構造を再構成するという手続が必要になってこようかと思います。このような新たに設けられます臨時行政調査会というのは、単に学問的に行政あり方を分析するというだけではなしに、やはり国民的なコンセンサスを得ていくための重要なチャンネルともならなければならないというふうに考えております。戦略的な行政改革社会価値配分に非常に大きな影響を及ぼすものでございますから、やはりこれに対しましては非常に大きな抵抗というものも予想されるわけでございます。したがいまして、滞りなく改革を実現していくというためには、まずもって国民的なコンセンサスをつくり上げることが必要であるわけでございまして、臨時行政調査会というのは、そのようコンセンサスを得るためのパイプとしての役割りも同時に果たすべきであろうかと思います。  昭和三十七年に設置されまして、昭和三十九年に答申書を出しましたいわゆる第一次臨時行政調査会の成果というのは、自後の行政の運営に多大な影響を与えております。たとえば、今日推進されております規制とか、補助金整理あるいは特殊法人整理というふうな問題も、このようなここに示された改革案影響されるところが少なくないわけでございます。前に申しました総定員法にいたしましても、スクラップ・アンド・ビルド方式にいたしましても、やはりこの臨時行政調査会答申影響されているところが少なくないわけでございます。この臨時行政調査会答申は、個別的な件数で申しますと、七、八〇%は実施されておるわけでございますけれども、ただ、ここで一番目玉とされましたいわゆる内閣補佐官制度の導入や、内閣府の設置というのがいまだ実現されるに至っていないわけでございます。  そこで、今回の臨時行政調査会設置に当たりましては、まず第一次臨時行政調査会答申を実現することが先決であるというふうな御意見もございますけれども、何分にも答申が出されてからすでに十六年の歳月が経過いたしております。行政あり方も本質的に変わってまいりました。そればかりではございませんで、他の諸国におきまして、一九六八年から七〇年にかけましていろいろ行政改革が試みられまして、基本的には臨時行政調査会発想と同じような、いわゆる企画機能実施機能を分離いたしまして、内閣総合調整機能を強化しようとする発想でございますけれども、しかし、諸外国において試みられたことは必ずしも十分に成功しなかったということがあるわけでございます。なぜ成功しなかったかと申しますと、私の私見ではございますけれども、これはやはり大統領制議院内閣制とは本質的に違うんだということでございます。いわゆる補佐官制度とかあるいは大統領府に類似いたしました内閣府というふうなものは、これは大統領制のもとで適合したシステムであるわけでございます。大統領制のもとにおきましては、いわゆる大統領を頂点といたしました垂直的な調整というのが行われるわけでございますけれども、内閣制の国におきましては、むしろ水平的な調整ということが重要になってくるわけでございまして、もっと別のあり方での総合調整機能の強化ということが必要とされるのではないか。したがいまして、この部分に関しましては、前回の臨時行政調査会答申をそのまま実現することが必ずしも妥当ではないというふうに私は考えている次第でございます。  最後になりますが、今日公務員や裁判官、あるいは公務員ではございませんけれども、公共的な役割りを担っております医師によります不祥事が後を絶たない社会的現状におきまして、本来的行政の主体であります市民の利益を擁護するためのオンブズマン設置等が同じ重要な課題として今日論議されておりますけれども、私は、やはり市民の権利を守るためには何らかのオンブズマン制度ようなものが必要であるというふうには考えるわけでございますけれども、しかし、それにつきましては三点ばかり留意すべき事項があるというふうに存じております。  第一番目は、オンブズマンは決して諸悪の根源を断ち切るための万能薬ではないということでございます。諸外国オンブズマンが果たしております役割りは、政府市民との間に立ちまして、そして市民の側の苦情政府に伝え、そしてできるだけそれが迅速に解決されることを助けるための役割りで、きわめてモデストな役割りを果たしているわけでございまして、決してオンブズマンはスーパーマンではないわけでございます。わが国現状におきましては、何かオンブズマンをつくることによってすべての悪が解消されるかのごとき印象がございますけれども、決してそうではない。たとえば、そのためには議会が御自身の国政調査権を強化しなければならないし、あるいは政治的な団体そのものがみずからの姿勢を正していかなければならないわけでございまして、オンブズマンをつくったからといって、それによって解消されるものではないということが第一点でございます。  第二点は、日本に導入しましてそれが機能するためには、そのオンブズマンシステム日本政治風土というものにマッチしていなければならないということでございます。オンブズマンというのは、北欧の人口の少ない国で生まれた制度でございます。今日ではイギリスとかフランスとか、相当程度人口を抱えた国におきましてもそれが採用されておりますけれども、しかしイギリスにいたしましてもフランスにいたしましても、人口から比べればはるかに日本より規模が小さいわけでございまして、諸外国において成功したオンブズマンがそのまま日本において成功するという保証は必ずしもないわけでございます。たとえば、諸外国では国民の中に、手紙を書いて自分苦情を相手に伝えるということが習慣でございますけれども、日本におきましては手紙によって自分苦情を伝達するという風習はございません。電話によりましてもなかなか伝えられない。むしろ面と向かって相対することによって初めてその苦情を打ち明けるというふうな習慣があるわけでございまして、そういうふうな現状におきましては、このオンブズマン社会に浸透していきます一つチャンネルといたしまして、やはり日本的な仕組みというものを考えていかなければならないかと思います。  それから第三点は、オンブズマンが諸外国におきまして遂行しております機能のうちの相当部分は、すでにわが国行政仕組みの中で実際に遂行されております。たとえば行政管理庁行政相談あるいは行政監察というものもございますし、そのほか各省庁の中における内部監察あるいは行政救済制度というふうなものがございまして、すでにある程度オンブズマンに類似した役割りが果たされているわけでございます。したがいまして、日本において新たに日本的なオンブズマンを導入する場合におきましては、これらの既存のシステムをいかに有機的に関連づけ、そしてそれとの関連において新しいオンブズマン機能せしめるかということが重要な課題となろうかと思います。  以上、行政改革を戦術的、戦略的、二つに分けて御説明申しましたけれども、概してわが国行政システムというのは諸外国に比べまして軽減でございます。決して公務員数も多いというふうには言えません。諸外国との単純な比較はむずかしいわけでございますけれども、たとえば人口千人当たりにおける公務員数というのをとってみますと——いや、パーセントで申しますと、日本では四・二%が人口百人におきます公務員数ということになってまいりますけれども、イギリスではこれが八%でしょうか、あるいは九%ぐらいに相当すると思います。あるいはドイツ、アメリカ、フランスというのは、はるかに日本よりも多い公務員数というものを抱えているわけでございます。これは「どうしてそのようなことがわが国で可能であっただろうかと申しますと、やはり総定員法によります総量規制というものが果たした役割りがそこに大きいわけでございまして、自後どのような抜本的な行政改革が行われるにいたしましても、このような形での枠というものを取り外すことはできないというふうに私は考えております。  以上をもちまして、はなはだ簡単ではございますが、私の意見とさせていただきます。
  4. 林ゆう

    委員長林ゆう君) ありがとうございました。  次に、武田参考人にお願いをいたします。武田参考人
  5. 武田隆輔

    参考人武田隆輔君) 私は福岡市の助役でございます。国会の諸先生には、大変重要法案の御審議に連日御苦労様に存じます。  私は、ただいま御審議中の国の地方支分部局整理のための行政管理庁設置法等の一部改正にかかわる北九州財務局南九州財務局とを統合して九州財務局設置されるということについての参考人としての陳述の機会を与えていただきまして、まことに感謝にたえません。  国においては、昭和五十五年度以降の行政改革計画推進方針を思い切って打ち出されまして、行政簡素化効率化を図られておりますことには多大の敬意を表したいと思います。私ども地方公共団体に携わる者としましても、この国の方針に従いまして、地方自治体みずからも事務、事業の見直し、行政機構簡素化合理化の実現のためにさらに一段の努力を傾注しなければならないと、さように痛感いたしておるわけでございます。  さて、ただいま御審議中の法案のうち、先ほど申し上げました北九州財務局南九州財務局とを統合して熊本九州財務局設置されるということについては、大変政府ではいろいろと御苦心をなさっておるようでございますが、残念ながら反対の意見を開陳せざるを得ないものでございます。  このことを考える場合に、私は、まず大蔵省出先でございます財務局存在意義というものを一度振り返ってみる必要があるんではないかと、さように考えます。つい先日大蔵省は、「大蔵省財務局三十年史」というものを御発行になっております。その三十年史の中で、財務局存在意義というものがはっきり明示してございます。その要旨を申し上げますと、財務局設置以来三十年の歳月を経て、地域社会において大蔵省出先機関として定着をしておる。本省の企画立案した施策を具体的に実施している出先であって、本省の意思を地域に伝達するだけでなく、各地域情報を次の政策決定に役立てるべく本省に報告する重要な任務を持っておるとされております。財務局は、大蔵省施策を迅速かつ適確に実施するとともに、地域経済状況をよく把握して、政策立案に資する情報収集機能を果たすところに財務局存在意義があると明示されております。もう一度申し上げますけれども、情報収集機能を果たすところに財務局存在意義があると、こういうふうにされております。  もちろん、財務局業務の内容でございますが、これは公共団体関連業務経済官庁としての関連業務がございます。公共団体関連業務は、御承知よう地方債審査でございますとか資金運用部資金融資等でございます。また、経済官庁としては、銀行や保険、証券会社等指導監督とかあるいは預貯金等投資家の保護が大きい役割りともされておりますが、いま財務局存在意義の中で申し上げましたように、これからの財務局というものは政策決定のための重要な役割りを果たす情報収集機関でなければならないと、さように考えるわけでございます。  そういう意味からして、財務局の適正な配置を一体どうしたらいいのかということを論議する場合には、いま申し上げましたように、財務局が持っておる機能、権限と地域経済社会の情勢との関連、均衡を十分分析して、冷静な判断のもとに御決定していただくべきだと考えます。たくさん行政需要が発生するところに行政機関存在意義があるわけでございまして、私は、現在の財務局機能からして、地域行政需要の一番多いところに、なるべく多いところに行政機関が置かれることがその存在価値を高めるものでございまして、現北九州財務局存在する福岡市に設置されることがきわめて常識的ではないかと、さように考えるわけでございます。  ちなみに、九州における経済指標は、先生方も御承知と思いますが、農業生産については確かに南九州が、北の三四対六四ということで非常にウエートが高うございますが、その他のたとえば商品販売額北九州が六八対三二、工業出荷額北九州が六一対三九、金融機関にしては預貯金の残高でも六四対三六、貸付も六六対三四、ほとんどの金融機関都市銀行政府系銀行、あるいは商社、メーカー等九州母店福岡市に存在をいたしておるわけでございます。  また一例を申し上げますと、中小企業対策として企業倒産防止対策がございまして、たとえば南九州である企業倒産が起きまして、この連鎖防止対策をする場合には、南九州北九州財務局あるいは九州金融を総括しておる銀行民間機関等が一堂に会して、福岡の通産局で緊急対策を講じておられます。福岡九州の経済的な中心を示すということは、この一例を見てもおわかりだと考えます。さらに、九州における交通の要所は、御承知よう航空等に関してもほとんど福岡にその利便さを持っておるわけでございます。  北九州財務局南九州財務局に統合するということによって南九州の発展浮揚につながるとの御意見も一部ございます。このたび行われております行政改革の趣旨は、行政簡素化効率化を図るということが目的であろうかと存ずるわけでございまして、特定地域の発展浮揚を重点とする行政改革には理解いたしがたいものがございます。出先機関の統合は、人減らし、仕事減らしによる行政のコストダウンが意図されておるものだと考えます。二つあるものを一つにするということは、確かにコストダウンではございますが、行政改革で最も大事なことは、地域の経済社会においてもその不便、しわ寄せが来ないようにすること、いわゆる行政サービスが低下されないように、経済的にも不利が来ないように、全体的なトータルコストダウンによってこそ初めて行政改革の効果があらわれると考えるわけでございます。もちろん私どもも、南九州の発展浮揚については、国はもちろん、各県とも協力して広域的な立場に立って対処してその浮揚を図らなければならないと考えます。  大変いろいろな例を挙げて恐縮でございますけれども、福岡熊本との位置づけということを一言だけ付言さしていただきますと、国は第三次全国総合開発計画においては、東京や大阪等の三大都市圏の産業、人口の集中を地方に分散させる、そして地方を振興して過疎過密に対処した全国の土地利用の均衡を図るという政策、すなわち定住圏構想の選択をされております。その中で私どもの福岡は、札幌、仙台、広島、福岡、こういうブロックの拠点都市は、中枢管理機能の受け皿として位置づけるとされております。なお九州地方開発促進計画におきましても、福岡市は中枢管理機能を図るものとするとされております。しかし、人口が三大都市圏ほどございませんけれども、今後の増加等を考えた場合には、やはり熊本や鹿児島の中核都市への分散を図るということも、人口の過度集中を抑制する上から今後考慮しなければならないと書かれております。  私どもの市におきましては、いたずらなる人口の膨張というようなことを考えておるのではございませずに、秩序ある発展と都市制御の理念を持った都市づくりを考えておりまして、もし分散するとするならば適正なる分散、たとえば物流、工業機能、中枢管理機能に関係のない試験研究、そういう機能についての適正分散というものは、他都市との均衡あるいは他都市の特性を配慮しながら都市機能の純化を図っていくということが中枢管理機能の集積を図る都市としての位置づけだと考えております。  南九州開発浮揚については、三全総やあるいは九州地方開発促進法についても、水や土地の資源に大変恵まれた土地でございますし、農林水産業や工業の集約こそ南九州開発の大きな浮揚策であると考えます。その基盤整備、環境整備に国の誘導施策を講じながら、われわれ九州各県の者もそれに協力をしていくことがこの開発につながるものではないかと考えます。  また一つ、この熊本九州財務局設置することについて、歴史的な過程についての意見もございますけれども、その経過については先生方も御承知ように、昭和二十四年、国税局が分離する場合の当時の原案につきましては、福岡の財務部を一カ所置くという経過がございました。これは、参議院の修正によって熊本福岡が存置されたわけでございます。昭和四十五年の行政監理委員会の意見書には、北陸と南九州を廃止するということも一時うたわれておると聞いております。また昭和五十二年、自民党の行財政調査会の中間報告でございますけれども、それには北九州財務局に統合をうたわれておると聞いております。こういう過去の経緯からしても、今回北九州財務局の統合を南九州財務局の所在である熊本市に新たな九州財務局設置されるということについては、歴史的な経過から見ても不合理の感じをいたすわけでございます。  最後に私は、地元の各界各層の要求しております北九州財務局を存置することについて付言さしていただきます。  福岡市議会は二回、県議会あるいは福岡、佐賀、長崎の地方公共団体、百余りの団体が北九州財務局の存置の意見書の決議をいたしております。北九州地方における政財界の各団体の存続要請はもちろんでございますが、四十万人の住民の署名も存続を強く要望して提出されておるところでございます。このことは、今回の行政改革の案に北九州住民がきわめて不満を持っておると言わざるを得ないわけでございまして、せっかく国がかつてない行政改革をみずから断行しようとされておるとき、国民の期待も大きいわけでございますが、このことが逆に政治不信のみが残るようなことになってはきわめて残念だと考えます。マスコミはこの問題を取り上げて、かねてから財務局問題に関連して、九州の南北戦争という見出しでたびたび報道をしております。九州各県がいま協力し合って、九州全体の発展をお互いに努力しようという中にきわめて残念なことでございます。選挙には勝ち負けがございますけれども、行政には私は勝ち負けはあってはならないと考えます。行政はあくまで筋と理論の上に成り立った、手段を尽くして公平な行政をされて住民の理解を得ることが最も必要であると考えるわけでございます。財務局行政官庁としての性格と役割り、その特質、地方におけるそのそれぞれの地方の特質、こういうものをひとつ十分勘案していただきまして、何分にも九州全体の発展と合理的な行政簡素化効率化が達成されますよう、諸先生方の御審議に慎重な上にもさらに十分の御審議を賜りまして御理解いただくようにお願いをして、私の陳述を終わらしていただきます。ありがとうございました。
  6. 林ゆう

    委員長林ゆう君) ありがとうございました。  次に、平塚参考人にお願いをいたします。平塚参考人
  7. 平塚泰蔵

    参考人平塚泰蔵君) 平塚でございます。  私の南北財務局統合の問題についての考えを申し上げます。  ブロック行政機関設置場所をどこに決めるかという問題につきましては、行政需要を考慮することは当然でございますが、そのほかにも、当該ブロック機関設置の歴史的いきさつあるいは地元の経済的、社会的背景というような点を含めまして、長期的視野に立ち、かつ多角的視野から総合的に検討さるべきものと私は考えます。  南北財務局の統合について、どうしても考えねばならない重要な問題について簡単に申し述べます。  第一点、財務局機能に関することでございます。財務局機能は、御高承のとおり、地方自治体への融資、国有財産管理、金融機関の指導等でございますが、時代が進みますにつれまして、特に過疎対策、災害復旧事業等にまつわる国庫金の支出が増大しております。これに伴いまして、地方自治体との関係は年々緊密の度を加えております。このよう行政需要の動向より見まして、南九州財務局が管轄する地域の面積は全九州の七割を超えております。所在市町村数は約三百、北の二百に比べまして格段に多うございます。かつその中には多数の辺地、僻地を抱えておりまして、これら地方自治体に対する国の資金配分融資等行政機能は、経済的先進地域である福岡に比べ、格段にきめ細やかさ、身近さが要請されるわけでございます。このような後進地域独特の行政需要への対応といたしましては、現場的かつ医療にたとえますならば触診的機能が求められるわけでございます。  第二点、南九州北九州とは経済産業構造が大きく違っております。三全総にも描かれておりますとおり、わが国の食糧基地として第一次産業所得の比重が高く、特に農業経済の地域経済金融への影響力は依然としてすこぶる大きいものがございます。一方、南九州地域の各地方自治体の財政的指数は残念ながら非常に低うございます。国への財政依存度が依然として高いわけでございまして、七〇年代の南九州各県の経済成長は、農業所得の成長と公共投資増の複合効果によって中小サービス業の成長という特殊なパターンでございます。したがいまして、財務局、農政局両局が南の熊本に引き続き配置され、それぞれの行政機能の緊密な連絡のもとに経済金融行政が展開される意義はきわめて大きいと存じます。  第三点、いわゆる三全総が定住構想の中で描くところの地方都市の個性論から見ますと、熊本市は明治以来一貫して官庁都市、文教都市及び軍都として発展してまいっておりますいわゆる行政の町でございます。財務局も、もとはと言えば明治二十九年に九州一円を管轄する目的で南九州財務局の前身が熊本設置されたわけでありまして、熊本の場合は国の行政機関と都市とのつながりがきわめて密接でございます。したがいまして、経済活動の面で九州における卓越した地位を確保しておる福岡とは対照的に、財務局が廃止されますと、そのショック、その打撃は大変大きいわけでございます。特に熊本市は、このような生々発展のいきさつを踏まえながら、個性豊かな町づくりを目指して九州全体の発展に寄与しようとしているところでございます。  政府におかれましては、長期的かつ多角的見地から判断を下されたものであると受けとめております。三全総でもうたわれている一点集中主義を排し、分散と個性ある地方都市の育成の趣旨に沿った御判断であると理解しているわけでございます。私どもといたしましては、北九州財務局南九州財務局に統合することに賛成でございます。  以上、まことに簡単でございますが、私の意見陳述を終わらしていただきます。ありがとうこざいました。
  8. 林ゆう

    委員長林ゆう君) ありがとうございました。  以上で参考人各位の御意見陳述を終わりました。  それでは、これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  9. 矢田部理

    ○矢田部理君 最初に片岡参考人にお尋ねをしたいと思いますが、片岡先生は先ほどの陳述で、地方支分部局整理は戦術的な行政改革だという位置づけをなさいました。同時にまた、先生が以前に書かれたものを拝見させていただきますと、福田内閣と大平内閣の二代にわたる行政改革は、一般消費税を導入するための露払い的色彩が濃厚に込められているという指摘がございました。この地方支分部局整理のための法律も、言うならば大平行革の延長線上でいま行われているわけでありますが、依然としてそういう位置づけをお持ちになっているのかどうかということをお聞きしたいと思うわけであります。  もちろんこれは、昨年の総選挙以前の状態を指摘したようにも考えられるわけでありますが、昨年の総選挙で、言うならば露払い的役割りは、一般消費税に対する非常に強い反発から、消費税そのものの導入を一時あきらめざるを得なかったという経過も手伝って、薄くなったというふうにも考えられるわけでありますし、しかしながら依然として財政危機は続いておりますし、今回の総選挙を通して再び新しい増税を構想せざるを得ないような方向づけがずっとなされてきているわけでありますけれども、その辺、財政再建なり今後の増税との関係における支分部局整理法の位置づけについてお聞きをしておきたいと思います。
  10. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) お答え申し上げたいと思いますけれども、ちょっと御質問の趣旨が十分理解できない面もあろうかと思います。  まず、大平さんの前の行政改革財政再建の露払い的性格であったと申しますのは、必ずしもその時点においてその行政改革を断固として実行しなければならないという意図が必ずしも読み取れなかったということから、私はそのような表現を使ったわけでございます。  大平行革は、これは二期に分かれておりまして、実は特に五十五年行政改革計画と申しますのは、四十五年の十二月に閣議決定されたものでございまして、この時点におきましてはもはや単にそのようなアドバルーンを掲げただけではいけない、むしろこの財政再建そのものに取り組んでいかなければならないという姿勢が、その段階では明確にあらわれているというふうに私は感じてそのように書いておるわけでございます。  財政再建と申しますと、そもそも財政危機とは何かという問題から入らなければならないかと思いますけれども、経済学の先生によれば、財政危機はないんだというふうな議論もあるわけでございます。しかし、私ども税金を負担する国民の観点からすれば、やはりできるだけ軽減な負担によって必要なサービスが行われることの方が望ましいわけでございまして、今日一般歳出の三〇%以上が国債に依存しているというのは、不健全な状態であるというふうに私は判断いたしております。  そのようにいたしますと、財政再建に対しますアプローチの仕方は、これは一つには、消費税等を含めましたいわゆる歳入の改善という問題から考えられると思います。もちろん、私が消費税に賛成ということではございません。ただ、アプローチの仕方として租税収入を増大するという可能性が一つございます。もう一つは、出るを制すということでございまして、出ていく方を抑える、この両方が相またない限り、いわゆるいかに増税いたしましても行政の規模がますますふくらんでまたすぐに赤字になるという、この悪循環があるわけでございまして、その悪循環を切るためにもじみちないわゆる戦術的という行政改革ではございますけれども、そういう形で支出の節減を図るということが、やはりこれは国民的期待にこたえるものであるというふうに考えている次第でございます。
  11. 矢田部理

    ○矢田部理君 それから、こういう分け方がいいのかどうか学問的にはわかりませんけれども、行政改革を行う場合に、行政サービスを低下させてはならない、住民のニーズにこたえていかなきゃならぬというファクターがあろうかと思うのでありますが、その行政サービスの中心になるのはどうしても窓口、現場部門がそうなるわけであります。したがって、現場部門の切り詰め、簡素化効率化にはおのずから限界があると思う。どちらかと言えば、管理部門というところの減量を考えるべきではないかといべふうな見方が一つございます。  ところが、今度の支分部局整理の中には相当現場部門が含まれているわけであります。たとえば、鉱山保安監督部を四国の方を廃止するとか、大阪を名古屋に統合するとかというのもその一つでありましょう。あるいは林野庁、すでに特別措置法で行革が進んでいるわけでありますが、出先の局を統廃合していくというようなこともその重要な一つになってくるわけでありますが、そういう現場部門に対する行政改革、管理部門との関係でどういうふうに考えたらいいのかというふうなことについて、二点目の御質問を申し上げたいと思います。
  12. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) お答え申し上げます。  今回のいわゆるブロック機関整理というものが、主として管理部門の軽減ということに向けられておりますことは事実でございますけれども、それと同時に、先ほど御指摘ありましたような、現場部門の縮小ということも実はあるわけでございます。ただ、その場合に、それでは従来行ってまいりました行政あり方、現場部門の配置の仕方が妥当であったかということになりますと、これはまたいろいろ考える余地があるわけでございまして、いろいろ行政の機動化、いわゆる出先機関に職員がいなくても問題が発生する、事に応じてあるいは問題が発生する以前に事前の監査を行うことによってそういう問題の発生を防ぐというふうな形で行政ニーズに対応していくこともできるわけでございまして、必ずしもいままであったサービス部門の配置の仕方が最適であったというふうに考える必要はない。むしろ現在の状況では、より効率的な仕方で行政の配置そのものを再検討していかなければならない段階に来ている。それによって行政サービスというものが著しく低下するということがあってはならないわけでございますけれども、しかし、そういうことによって従来と変わらない行政サービスの水準が確保されるという保障があります場合におきましては、そのよう改革も必要となってくるというふうに私は判断するわけでございます。で、今回の改革はやはり一律削減主義というふうに言われてはおりますけれども、しかし、その一律削減の枠の中で各省庁はそれぞれ御判断をお持ちでその減らす機関を決定されたわけでございます。その判断の中にこのような配慮を加える余地は私は十分あったというふうに考えている次第でございます。
  13. 矢田部理

    ○矢田部理君 従来の行革を受けてさらに中曽根行革がこれから進められようとしているわけでありますが、この中曽根行革の方向は第二臨調ということで一つ目玉になるわけでありますが、先生の位置づけによりますと、それは戦略的なものというふうに受けとめておられる。そこで、幾つかの戦略的な行革の課題を示されたわけでありますが、特に八〇年代行革を長期的に、総合的にやるという中曽根さんのお話がありますが、その場合に、やっぱり基本の柱として幾つか問題を立てなきゃならぬと思うのです。この戦略的な行革の基本的な柱としてはどういうものを考えるべきかというようなことについて、先生の御所見があれば伺っておきたいと思うんですが。
  14. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) ちょっとお伺いしてよろしいですか。——私の私見ですか、それともすでに出されている柱でございますか。
  15. 矢田部理

    ○矢田部理君 先生の御所見で……。
  16. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) 私の私見でございますか。——やはり今回の戦略的行政改革と申しますか、臨調をつくって行政改革を行います場合に、基本的に重要になってまいりますのは、パブリックセクタープライベートセクター役割りの再検討であろうかと思います。過去の高度経済成長期に、いわゆる税の自然増収と相呼応する形におきまして、行政サービスというものが拡大してまいりました。その中には不要不急なもの、あるいは逆にそれが行われることによって民間の活力をそぐようなものもございます。それから、従来行政の中で行われておりました業務の中にも、民間に移行することによってより効率的に行われるようなものもあろうかと思います。このパブリックセクタープライベートセクターあり方をより国民的見地から再検討するということが一番大きな課題になろうかと思います。  ただ、そこで一番重要になってまいりますのは、従来政府で行っておりましたことを単に民間に移行すれば問題が解決するというようななまやさしい問題ではないということがあるわけでございます。端的に言えばミルトン・フリードマンの言っておりますように、小さな政府政府はアンパイアですね、社会的な利益の調整役にとどまっていればいいという時代はもはや過ぎ去ったわけでございまして、今日人間生活の相互依存性というものが高度に発達しております状況の中では、やはり政府が果たす決定的な役割りというものがあるわけでございます。したがって、そう簡単に規制とか助成というものを廃止してしまうということは一概には、考えているほど簡単にはいかない。それどころか、既存のそういう諸制度によって利益を受けている人がいるとすれば、必ずその方々が反対するであろうことは明らかでございますし、また改革によってただ利益を受ける人が変わるだけであっては意味がないわけでございまして、むしろその場合にやはり基本となりますのは、役割りの分担をすることによっていかにして社会正義を実現していくかということが最もその基本になろうかと思います。行政の目的というのは、やはり社会正義の実現ということにあるわけでありまして、社会的活力というのはむしろ民間に任せたらいいわけでありますけれども、社会的な活力によって各民間の企業とか個人が私的な努力を積み重ねているプロセスの中で生じてまいります不公正というものを是正するということがやはり行政にかけられた基本的な課題であろうということで、この公正な社会を実現することのできるよう行政というものを生み出すということがまず第一の課題であるというふうに考えるわけでございます。  それから、もう一つ課題といたしまして、やはり行政の精神と申しますか、公務員倫理の問題、これは何も行政改革によらないで常日ごろやらなければならない問題ではないかということがございますけれども、しかし、いわゆる専門的知識、行政官に限らず専門的知識を持っている方々がその専門的知識を利用して国民の利益には必ずしもマッチしないことをすることもあるという社会的風潮の中で、公務員倫理、公務員あり方行政あり方というものをここで問い直す必要性が私はやはりあるというふうに考えております。ただ、その場合に、行政官にだけ特別の倫理を課すというのではなく、すべての職業人に共通する職業倫理を社会的に確立していく一つのプロセスとしてそのような問題を考えていかなければならないというふうに私は考えているわけでございます。  基本的にはその二点、いわゆる公正なる社会を実現する、そして、公正なる社会を実現するために行政というものを担っていく方々は、その目的にコミットした高度の倫理を持っていただきたいということが私の基本的な考え方でございますけれども、行政改革を実現するに当たっては、またそれなりに私の意見もございますけれども、それにつきましては……。
  17. 矢田部理

    ○矢田部理君 もう一点だけ、片岡参考人に伺っておきたいと思いますが、先ほど外国との比較で日本公務員はヨーロッパ諸国に比べて少ない、あるいは住民との対比で率が低いということを指摘をされておるわけでありますが、これは総定員法との関係その他があって、かなり厳重な定員については枠はめがなされていることも一つの原因だと思いますが、外国はどうしてそんなに数が多いのか、日本が諸外国に比べて、たとえばイギリスなどに比べて先生のお話によれば半分以下ということになっているのはどういう事情なのか、もう少し詳しく御説明をいただければありがたいと思います。
  18. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) お答えいたします。  ただいまの質問は非常にむずかしいわけでございまして、外国日本との単純な比較というのはまず意味がないことでございます。したがって、公務員日本人口のわりに少ないということは、それ自体では余り意味を持たないということをまず第一点として指摘さしていただきたいと思います。と申しますのは、それぞれの社会において行政の果たす役割りというものも違っておりますし、それから公務員の範疇に考える範囲がまず違うわけですね。ですから、比較可能なデータというのはまずないわけでございます。たとえば、イギリスではすべてのお医者さんが公務員の範疇に入ってまいりますし、フランスではすべての教員というのが公務員の範疇に入っております。そういう段階のもとで単純な比較というのは困難ではございますけれども、しかし少なくとも日本におきましては、たとえばパーキンソンが言ったようなパーキンソンの法則の仕方で公務員の数がふえていないということだけは確実に言えるわけでございます。すなわち、パーキンソンは、仕事の数が算術級数的にしか増大しないのに対して、公務員の数は幾何級数的に増大するというふうに言っておりますけれども、決してそういうことはない。それは少なくとも総定員法において歯どめがあったのが一つの原因であるということが私の申し上げた趣旨でございます。  いまの御質問は、むしろ諸外国においてどうして行政事務が拡大してきたかということでございますけれども、これはもう諸外国それぞれ異なった理由によってやはり福祉国家的な道を日本よりも古くから歩んできておるわけでございます。諸外国におきましても、一番多いのはやはり管理職部門ではありませんでこれは現業的な部門、あるいは専門職業的あるいはサービス的な部門が多いわけでございまして、これはいろんな社会の変動にその国がそれぞれの仕方において対応していったことの結果、そのよう人口に対する公務員数の増大というのがあったわけでございます。しかし、少なくともそれらのいずれの国においても、日本におけるよう総定員法よう発想はなかったということですね。そういう試みはされていないということが、やはり原因の少なくとも一つではないかというふうには考えられるわけでございます。
  19. 矢田部理

    ○矢田部理君 武田参考人にお尋ねをしたいと思いますが、今度の法律によりますと、五十九年度末には北九州財務局を「廃止するものとする。」ということになっています。直ちに「廃止」というふうには言っておらない、「ものとする。」と、こう言っておるわけでありますが、したがって、そこには微妙な問題もまだ残されていないわけではありませんが、仮に北九州財務局が廃止になった場合に、具体的にどんな不便が出てくるのかということが第一点。  したがってまた、それとの関係で、今後廃止した場合には住民サービス等を低下させないためにどういう措置をとることが望ましいのか。運用面で特に御要望があればお尋ねをしておきたいと思います。
  20. 武田隆輔

    参考人武田隆輔君) 今度の法案の中に、五十九年度末に九州財務局福岡支局を「廃止するものとする。」という条文がございます。お答えする前に私は、私たち福岡あるいは北九州地域に居住する関係者は実はびっくりいたしております。国の閣議決定までにずいぶんいろいろな熱心な陳情を各界がいたしましたときには、絶対に地域の不便になるようなことはしないんだというのが、政府並びに自民党首脳の皆さん方の陳情者に対するところのお答えでございました。そういうものが、法案の提出をされてその中に支局すら「廃止するものとする。」と、たとえその支局がその時点において判断されて法律が出されて改正されるにしても、まさかその支局まで廃止するというような基本的な考え方があるというようなことは全然福岡の関係者は予想だもしていない問題でございまして、いま先生からどういうものが不便が来るかというようなお尋ねでございますが、先ほど私が陳述をいたしましたように、財務局そのものが福岡になければ九州の経済の浮揚というようなのはできないんじゃないかと、福岡におる金融経済のほとんどの母店機能、中枢的な機能を持っているのは、福岡だけの問題ではなくて九州全体のサービスする機関であって、私どもはその管理中枢機能というものは九州サービス機関だと、そういうふうに考えております。全体的な相互の関連と、そのたくさんの過半数の三十幾つかにも上る国の出先機関とがございますが、その相互作用によって九州地域開発なり住民の利便というようなのがもたらされているわけでございまして、これは基本的に支局の問題については、私どもは支局が存置されること自体は絶対に好んでいないわけでございますので、その点はひとつ御了解をいただきたいと思います。  もし仮にの話でございますが、いま先生からお尋ねでございますが、金融機関あるいは公共団体の関連業務については、これは先ほど御説明申し上げましたように、地方債審査とかいろいろございます。地方債審査とか運用部資金の融資とかいうようなものがございますけれども、国の直轄事業とか補助事業に関するものは財務局はタッチされておりません。これはそれぞれの本省の枠内において地域の公共事業でございますとか、直轄事業とか補助事業という事業は財務局の関知しないところで公共事業等が遂行されておるわけでございますので、結局いま実施されております財務部の仕事、これは私は各県でそれは処置されておりますので、これが将来第二次臨調でどういうふうな位置づけをされるかは別としましても、実質問題はそういう各県で対応されておる。しからば残るものは何かというと、やはり一番重要な問題は、財務局存在意義の中で大蔵省御自身が明示されておりますように、地域の経済発展の状況を詳細に把握して、それを国政に、次の政策に運用していくというところにその重点、意義があるわけでございます。  したがって、福岡にあります金融機関等はその大半母店がございますが、この監督指導、それから経済把握というものに大変な不便を私は来すだろうと思います。たとえ情報が発達しておるといいましても、いまありますコンピューター、情報機能というものはほとんど福岡に完備されておるし、経済調査機関もほとんどございます。そういうものが相寄って一つ財務局の重要な経済の地域発展のためのいろいろなデータを集めて大蔵省にお送りし、各省が利用されるわけでございますから、一番不便を感じてこられるのはやはりそういう面があるだろうと思います。  もう一つは、公務員の宿舎問題もあると思います。これはたくさんの人が、国有財産の評価額にして八割は福岡北九州財務局の所管になっておりますが、国家公務員の宿舎の管理はそれぞれの財務局が所管をなさっております。そういう宿舎等の維持管理あるいは国の各出先機関、これも三十幾つが福岡地区に集中しておりますが、そういう庁舎の建設、維持、そういう問題についても財務局の所管でございますけれども、そういうものについてもむしろ熊本の方に大半の官庁が出かけて御相談をなさらなきゃいけない。国有財産地方審議会等は熊本でしか設置できないような今回の法律になっておるようにお見受けいたしますが、その大半の人は福岡に在住されておりますが、金融機関といい、経済機関の人々は熊本に出向いて、そこで審議会をお開きになる。不便さというものについては、私は、長い間かかって都市機能、中枢機能が集積しておる福岡だけに、熊本設置されますことに対する、先ほど申し上げましたようなトータル的なコストダウンというものもありましょうし、時間的な不便さもございましょうし、そういう問題についていろいろな支障を来すんではないか、そういうふうに考えます。
  21. 野田哲

    ○野田哲君 片岡参考人にお伺いしたいと思うんですが、先ほどの御意見の中で、戦術的行政改革戦略的行政改革、こういうお説を述べられたわけで、そのおっしゃっている意味について私どもも理解できるわけですが、お聞きしたいのは、いままで進められてきた行政機構改革というのが、まず一つ機構を縮小していくという方向、それからもう一つは定数を削減をしていくという、これが画一的といいますか、一律的な方式でずっと進められてきたわけですが、私は機構いじり、それから定数削減、このことと並行して、いまの日本公務員制度が抜本的に見直しをされなければ本当の意味での実は上がっていかないんじゃないか、こういう感じを持っているわけです。  それは、日本公務員制度というのは公務員になる入り口のところでコースが選別されてしまう、つまりキャリアとノンキャリア、こういう形で決定されてしまう、そしてノンキャリアの場合には、本省で言えば課長補佐のところが大体頂上、こういうよう仕組みになっています。そしてまた、機構の上でも、本省から全国に散在している各機構の中でキャリアの占めるポストとノンキャリアで占めるポストというのが区別をされていく。ノンキャリアの方は、幾ら一生懸命に努力をし勉強しても、行き着くところはおよそ決まっている。こういう仕組みが入り口のところで、公務員になるときに区別されてしまっている。こういうよう公務員制度、そしてもう一つは、キャリアのポストというのが各省別になわ張り争いがやられている。  例を挙げて言いますと、防衛庁とか、あるいは経済企画庁とか国土庁とか総理府とか行政管理庁、こういうふうな庁の中にあるポストは、この局長のポストは自治省のポストとか、この局長のポストは大蔵省のポスト、この局長のポストは通産省のポスト、こういう形で各省庁がそれぞれのポストの取り合いをやっている。あるいはまた、外郭団体のポスト、道路公団とか住宅公団とかいろいろな外郭団体、これらのポストについても、それぞれの省庁がそこの総裁とか理事長とか理事のポストのなわ張りを取り合いをしている。こういうよう公務員制度がずっと温存をされている限りは、私は本当の意味での行政機構改革というものは実が上がらないんじゃないかと思いますし、またこういう人事管理方式というのは、日本公務員制度以外には、諸外団でもあるいはまた民間企業の中でも例を見ないんじゃないかと思うんです。  あわせてまた、武田参考人にもお伺いしたいと思うんですが、たとえば福岡市においては、こういうふうに、採用のときにこの人は局長になる人とか、この人はもう課長どまりとかいうふうな、そういうふうに入り口で、たとえば九州大学から福岡市へ入ってこられた人は局長までとか、あるいは福岡市の私立大学とか高校を卒業して試験で受かった地方公務員は、福岡市の職員は課長どまりとか、そういう画然とした整理が恐らくないんじゃないかと思うんです。私は、入ってきてからの本人の研さんなり努力なり、あるいは庁内で設けられている研修制度とか試験制度とか、そういう形の中で公務員になった以降の人事は決められていくんじゃないかと思うんですが、そういう点について、片岡参考人武田参考人、あわせてお伺いしたいと思うんです。
  22. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) お答え申し上げます。  非常に複雑なむずかしい問題でございまして、単純には回答できないんでございます。と申しますのは、実は世界の諸国にいたしましても、また日本にいたしましても、このようないま日本がとっておりますよう仕組みが持っておりますメリットと、逆にそうではなくした場合の問題点というものも実はあるわけでございます。  日本では、東京都がこのような選抜時点における格づけではなくして、後における試験を通じましてコースを選別する仕組みをとっております。ただ、その場合には、やはり非常に大きな行政上の非能率というのが起こっているわけでございまして、と申しますのは、この試験を受けるために、職場にありながら実際に職務につかないケースというのが多々見られるわけでございます。このようなことを考えますと、必ずしも現在行われておりますシステムが決定的に諸悪の根源であるというふうには言えないわけでございます。どうしましても、昇進していく場合に、行政組織はピラミッド型でございますから、下のポストと上のポストは数が違います。したがって、上にいく場合にどこかでフィルターというものを通していかなければならぬ、そのフィルターをどこに設けるか、入り口のところで設けちゃうのか、後における業績でするのかという大きな違いがあろうかと思いますけれども、従来この入り口のところで選別方式をとっておりましたイギリスが——イギリスでは行政官階級と執行官階級、書記官階級という三つに分けまして、こういう階層区分をしていたわけです。それをフルトン報告というものに基づきまして改革いたしまして、これを一本化したわけですね。先生の御指摘のように、それはいけない、すべて同じくしょうという考え方でこれを一本化いたしました。しかし一本化いたしましても、どうしても選別の問題というのはそこで残ってくるわけですね。そこでファーストストリーム——速く流れるストリームと、遅くゆっくり行くストリームと、これ二つをやっぱり分けるんですね。その中で、行政運営の要請からいきますとどうしてもそこに分けざるを得ないという、その実際の要請というのが実はあるわけでございます。アメリカでは、むしろ職階制というものが伝統的にしかれておりまして、いわゆるイギリス行政官階級に相当するようなエリートコースというのは存在しなかったわけですけれども、しかしそれではうまくいかない、あるいはゼネラルな、一般的な知識を持ったいわゆるゼネラリストとしての行政官が育たないということで、シニア・エグゼキュティブ・サービスという、新しく執行官かまあ行政官階級に相当するようなものをつくるという、そういう事態もあるわけでございます。  そういうことを考えますと、必ずしも——確かにいま問題を抱えていると思います。問題を抱えていると思いますが、しかし先生の御指摘のように、入り口で一本化したならばそれで問題は解決するということは言えないわけでございまして、むしろ私は入り口のところのいろいろな、高等学校を卒業しましてすぐ公務員になられる方もありますし、あるいは短大を卒業してすぐに公務員になられる方あるいは大学を卒業して公務員になられる方、いろいろございますが、しかし、公務員になってから上のキャリアに移行する道というものを開いていくということが一番望ましいやり方で、現実的な解決策ではないか。これは実際にフランスなどで、たとえばENAという教育機関公務員の研修機関でございますけれども、これへの入学者というのは、大学からとる人間と、それから下級公務員からとる場合とありますね。そして、ENAを卒業すればすべて皆平等で行政官になっていくという形がとられておりますけれども、こういう形で現実的に問題を解決していく必要があるのではないかというふうに考えております。
  23. 武田隆輔

    参考人武田隆輔君) 福岡の例、これは多くの公共団体がそうだと思いますが、採用時には御承知ように人事委員会の公正な採用試験を受けております。その後の昇格等についても昇格時における試験制度で昇任をさしております。もちろん本人の勤務成績、あるいは上司の推薦というようなものを勘案しながら試験は試験としてのやはり制度を堅持しておりまして、公正な人事行政というものをやっております。ただ、非常に特別な例につきましては、どうしても専門職で地方で得がたい人については、その人なりの資格をもって招聘をするということは、非常に例は少のうございますけれども、そういう制度をとっておるわけでございます。
  24. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 武田さんにお伺いしますが、質問が重複するかしれませんけれども、今度の法案をこの委員会で審議をしておるわけでありますが、政府側の答弁を聞いておりますと、今度の地方ブロック機関削減につきましても、いろいろと各省庁間のバランス、地域的なバランスも考え、地方の局が支局あるいは部になりましても、従来持っておりました局長の権限というものを省令その他の内部の規程によって部長なり支局長に委任できるんだから権限はほとんど変わっていない、住民サービスも変わっておりませんと、ただ、もうこれから局でやらなきやならないのは統計とか調査とか、そういうものは局でやるけれども、だから決して住民の皆さんには御迷惑かけませんのでと、こういうのがいままでの政府側の答弁であったんですけれども、こういうことに対して、武田さんの御意見ちょっと拝聴したいと思います。
  25. 武田隆輔

    参考人武田隆輔君) 先ほど申し上げましたように、ずいぶん政府の方でも支局を設置して財務局と同じような権限を与える——権限を与えてない部分もございます。しかし、そういうことで、大変政府当局も御苦心をいただいて、本来ならばそれにお礼を申し上げなきゃならぬかもしれませんけれども、私どもは、先ほどから言いましたように、行政改革というものは本当に必要な行政需要がたくさんあるところにやはりやることが一番効率的であるし、行政機関としての機能を発揮できるんですから、それが全然逆な立場で支局にされるということは、これはどうしても本質的に筋としても理解ができにくいわけでございます。何がそれじゃ支局になったら不便かと、ほかの管理機能の大半が一緒になって行政の効果をそれぞれ上げていこうとしておる中に、それは実質的な権限が与えられますと何も変わりがないじゃないかと言えばそれまでですけれども、やはり局長、国の出先の通産局長、いろいろな局長さんがたくさん一緒になってやる仕事の相互補完的な仕事がございます。そういう場合にでも、やはり九州の中核的な役割りを果たす行政機関の長が支局長さんであるということについては、私は大蔵当局の御自身がやはりやりにくいところがあるんじゃないか。少なくとも大蔵は国の出先機関の中核的な役割りを果たしておられると、そういうふうに考えます。  具体的な問題については、先ほども申し上げましたように、たとえば国有財産地方審議会等でも権限が委譲され——いまのところはどうされるか知りませんが、法律的にはされていないわけですから、やはり熊本に皆さんが出かけて、会長自身から出かけて行かなきゃならぬというような矛盾もあるような感じがいたします。いずれにしましても、支局に対する権限を十分与えてサービスの低下をしないようにするんだという本省の大変なるお気持ちはよく理解はできますけれども、行革の本旨としての考え方が理解しがたい点がございますので、ひとつそういうことで御了承いただきたいと思います。
  26. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 片岡先生にちょっとお伺いしますが、いまもお聞きのとおりでありますけれども、行政改革というのは、総論は皆賛成なんですけれども、各論になりますといろいろと利害が対立してなかなか進まないと。  そこで、大まかな質問になりますけれども、行革に対してこういう問題解決するにおいて一番大事な配慮せなきやならないそういう点はどうなのか、どういうふうにお考えになっていらっしゃるのか、それが一点と、それから二番目に、先ほどオンブズマン制度に対する御意見を拝聴いたしましたが、今度も第二臨調の法案が出るわけでありまして、それにオンブズマン制度審議をお願いをするというふうな新聞報道でありますけれども、ヨーロッパにおきましても、いわゆるオンブズマン制度も議会の附属機関としてある制度もあるわけでありますし、行政府に設置してあるのもあるわけですが、日本の場合は、仮にオンブズマン制度を導入するとしたらどういうような型がよろしいか、その辺、御意見ちょっとお伺いしたいと思います。
  27. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) お答えいたします。  まず第一点でございますけれども、行政改革の場合には、行政が日ごろ扱っております問題につきまして、行政部内でいろいろ検討を重ねまして改革案をつくります場合、これは今回の支分部局整理というのがそれに相当いたします。この場合には、日ごろ行政を扱っている専門的な見地から行政あり方というものを判断いたしまして、それに基づいて簡素化の案を立てられるわけでございます。しかしその場合にも、社会に及ぼす影響というのは皆無ではございません。いろいろその行政改革によりまして、たとえばブロック機関がなくなった地域におきましては、これは地方の存立の上でもきわめて不自由な影響を及ぼすということは私も十分承知いたしておるわけでございます。たとえば、四国の管区行政監察局が廃止されますけれども、これにつきましては、四国の側からすれば、これは四国というものを一つの自治的な単位とみなさないで、中国四国というものを一つのものとしてみなす発想であるというふうな批判が地元ではあるということを十分承知いたしております。しかし、それにもかかわらず、やはり国民的な見地からいたしますと、そういう改革をも受け入れていく必要性というのがあるわけでございまして、そこでまず必要となってまいりますのは、国民の側がいわゆる行政改革に対する理解を十分持つということだと思います。自分の住んでいる地域への影響はできるだけ受けたくない、ほかのところでそれをやってくれというのではいけないわけでして、自分たちのところでもその犠牲をこうむらなければならないときにはそれを喜んで受ける。いわゆるそれを私は市民にとっての内なる行政改革と言っておりますけれども、単に政府に対して要求をする、政府から利益を引き出すという心を、やはりそこで市民の側も抜本的に改めて、行政のあるべき姿というものをみずからも考えていくべきであるというのが私の考え方でございます。  それから、より抜本的に行政改革というものを考えてまいります場合にもやはり同じことが言えるわけでございますけれども、まずその改革の案というのは、できるだけ理性的に、専門的な知識というものをフルに動員した形でつくられなければならないわけですけれども、しかしその改革案は、政治的に受容可能性と申しますか、あるいは政治的フィージビリティーというものがなければ、これはどんなにりっぱな改革案をつくっても絵にかいたもちに終わらざるを得ないわけでございまして、やはり政治的なフィージビリティーというものに対する配慮というものも十分その段階におきまして行われるべきであるというふうに考えております。  それから、第二のオンブズマンの問題についてでございますけれども、御指摘にありましたいわゆる議会オンブズマン行政オンブズマンというものが世界的にあるわけでございますけれども、私、この夏アメリカにアメリカのオンブズマン制度を視察に行ってまいりまして見てまいりました結果、議会オンブズマン行政オンブズマンということの区別は余り意味がないというふうに私は結論づけております。議会に設置よう行政設置ようと、それだけでオンブズマン機能に決定的な影響を及ぼすものではない。むしろオンブズマンとなられた方、あるいはそのオンブズマンに対して何を期待するかということによって大きな違いというものが出てくるわけでございます。アメリカで、市のレベルにおきまして行政オンブズマンというのがよく置かれているわけでございますけれども、この場合には、しばしば市長の政策の片腕としてオンブズマン機能するということがございます。このような形でのオンブズマンがもしも置かれるとすれば、私は必ずしも望ましいものではない、むしろオンブズマンというのは独立性を持って機能しなければならない。しかし、それならばオンブズマンは議会に置かれなければならないかといいますと、必ずしも私はそうは思わないわけでございます。イギリスフランスオンブズマンを議会オンブズマンと言うのか、行政オンブズマンと言うのか知りませんけれども、これは、いわゆる行政府の首長が指名して国王が任命する、あるいはフランスの場合には議会が決議するんでしたでしょうか、ちょっと正確に覚えておりませんけれども——ごめんなさい、フランスの場合にもやはり政府ですね、政府が決定するわけです。オンブズマンは。しかし、任命するのは政府ですけれども、機能するのは議会の一部として機能するわけでございます。  どういう形で機能するかと申しますと、いわゆる国民からの苦情を受けつけるのに、議会をフィルターとして機能をするわけでございます。すなわち、議会の方々を通じて国民苦情を申し入れる。それしかできないわけです。直接苦情を言うわけにいかない。国会議員さんにお願いして、そしてその苦情を取り次いでいただくという形がイギリスフランスにおいてとられております。それは、両国とも小選挙区制をしいております関係というのが重要な要因となっておるわけでございます。ただ、その場合にも、小選挙区制の場合に逆に問題はあろうと思いますのは、小選挙区制の場合ですと、反対党を支持している、自分の支持する政党の側から議員を出していないケースというのが間々あるわけでございまして、そういった場合に実際どのような不便が生じるのかというふうな問題があろうかと思います。  日本で、たとえば議会に置かれるにしましても行政に置かれるにしましても、これはどちらに置かれてもよろしいわけでございますけれども、しかし、私が一つだけ望ましくないと思いますのは、やはり議員さんをフィルターとしなければ苦情を申し込むことができないというシステムでございます。これは、議員さんを通じて苦情を申し込むルートがあってもよろしいとは思いますけれども、しかし、それだけに限定されるということは、いまの日本現状からいって必ずしも妥当ではない。と申しますのは、普通の一般国民というのは、必ずしも日常において議員さんと接触していないからでございます。議員さんとの接触の密度がそんなに密でない段階において議員さんをフィルターとしたオンブズマンが設けられるということになりますと、今度は、苦情を申し込むそのチャンネルを利用する国民の間に区別、断層ができてくる可能性があるというふうに考えております。ですから、それは議会オンブズマンと言うのか、行政オンブズマンと言うのか知りませんけれども、少なくとも国民から苦情は広く吸い上げるパイプがなければならない。そういう意味におきましては、やはり日本におきましては、既存の行政相談委員というのが人口五万に一人実際に配置されております。そういう形で苦情が吸い上げられるそのパイプをやはり断つことはできないわけでございまして、それとの関連でやはりそのオンブズマンシステムというものを考えていくべきであるというふうに私は考えております。
  28. 安武洋子

    ○安武洋子君 共産党の安武洋子でございます。  参考人の方には、お忙しい中おいでくださいまして、貴重な御意見をお聞かせくださいましてありがとうございます。  私は片岡先生にお伺いをいたします。今度のブロック機関整理統合に当たりましては、一省一局削減とか、現行、国民の中では八ブロックというのが定着いたしております。それを七ブロック以下にするというふうな、非常に出発の時点で機械的な基準の設定をいたしております。でございますから、法案として国会に提出されましていま審議をいたしておりますけれども、その中で、それぞれの機関国民の生命とか、財産擁護とか、行政サービスを切り下げることができないというふうな非常に問題をはらんだ機関整理統合の対象にされているというふうな点が出てきております。御存じのように、一方では防衛庁、こういうふうなところなどは対象にはなっておりません。国民はひとしく行政サービスを受けるという権利があると思いますが、地域によってがまんせよというのではなくて、地域の差別が生じないように配慮してまいるのが私は行政ではなかろうかというふうに思います。それで、行政改革を進めます上で、機械的なやり方というふうなのは非常にまずい。こういうふうなやり方でなくて、関係行政機関国民生活のかかわりなどを十分に考慮しまして、不要不急の部門に思い切ってメスを入れるというふうな合理的な行政改革をやらなければならない、こういうふうに配慮すべきではないかというふうに考えておりますけれども、先生のお考えをお伺いいたします。
  29. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) お答え申し上げます。  従来のブロック機関の標準的な数というのが八つでありますことは、御指摘のとおりでございます。特に、法務省関係のものにおきましては、高等裁判所の設置との関係がございまして、これが大体八つということが標準的になっておるわけでございます。その八つブロック機関を持っておりましたものが、今回三つ整理の対象となっております。で、これが七ブロック機関ないしは六ブロック機関に移行するわけでございます。それでさらに、従来十のブロック機関を持っていたものが、一つずつそれが減らされて九つのブロック機関になるというのが三つございますでしょうか。そのような問題から、本来的にはこのブロック機関がどのような形で全国に配置されることが望ましいかという問題がまず根底にあろうかと思います。しかし、このブロック機関と申しますのは、やはり各行政の型、態様というものによって異なってくるわけでございますから、必ずしもこの八つという数だけに合理性があるというふうに考える必要はないわけでございます。むしろ社会の変動に対応いたしまして、あるいは技術の発達によって、通信それからコミュニケーションそれからトランスポーテーション等の発達によってこのブロック機関の数というものもまた変わってくるわけでございまして、必ずしも従来八つあったものが七つになる、あるいは十あったものが九つになるということによって決定的に支障がくるというわけでは私はないかと思います。  一律削減について一番問題となりますのは、いわゆる減らす機関を持たない機関が一番困るわけでございます。いわゆる、もはや減らせない、あるいはそんなに余裕がない。たくさんの種類のブロック機関を持っている行政省庁であれば、そのうちの最も切りやすいのを切っていくことができますけれども、たとえば行政管理庁には一つの種類のブロック機関しかございません。管区行政監察局というのだけしかございません。これが実際に環境庁の公害行政をも代行いたしておるわけでございます。したがって、御指摘のような問題も発生してくるわけでございますけれども、行政管理庁の場合には、四国行政監察支局というものがそれにかわりまして設置されまして、従来と変わらないサービスというものをする体制がとられておるわけでございます。逆に、それならば単に看板の書きかえではないかということにもなりますけれども、しかしやはり少なくとも管理部門というのはそれによって多少軽減されるわけでございまして、長い長い行政改革の道のりの第一歩として私は位置づけるならば、それは位置づけることができる。  しかし、御指摘のように、これだけでは決して十分ではないということも言えるわけでございまして、たとえば公務員数にいたしましても、昭和四十二年の公務員の数というものを固定して、それ以上ふやさないということでございます。昭和四十二年にあった公務員数がそれじゃ妥当かというと、これは必ずしも妥当かどうか、合理性は必ずしもないわけですね。ただ数の上から抑えるというだけの問題でございます。そういう形で行政に多少なりともだぶつきがありますときには、こういう方法が非常に有効に機能するわけですけれども、もはやだぶつきがなくなってくるということになりますと、このような方法だけでは行政改革を実現していくことができない。やはり社会的なニーズというものを測定いたしまして、それに対応する行政の対応というものを打ち立てていくという形での改革というものに移行していかなければならないのは御指摘のとおりでございます。  ただ、この場合にも一番問題でございますのは、単にそこにニーズがあれば、それじゃそれを充足しなければならないかという問題ではないんですね。一つニーズと他のニーズとの相対的な関係においてどちらを優先的に充足していかなければならないかという問題がここに入ってくるわけです。その場合に、その判断をする客観的な基準、いわゆる最適化基準というのは行政にはないんです。一つの異質的なサービスと他の質の異なったサービスの相対的な比重を決定するその尺度というのは、これはどんなに努力いたしましても出てこないんです。と申しますのは、これ市場における国民の選択というものを集約して意思決定する経済のメカニズムとは全く異なっているわけでして、そういう国民の願望というものを集約するメカニズムを持たない公共部門におきましては、最適化基準というのはないわけですね。で、最適化基準を持たないままできるだけ最適化に近い形でわれわれは努力していかなければならないわけです。そのためには、いろんなまず地域情報というものを収集して、そしてそのニーズを把握してその強度をはかる、そしてそれに必要な対策を立てるということが必要ですけれども、しかし、単にそれだけでは問題は決定できない。ある場合には、きちっと上から一律的に抑えていかなければ、総論賛成各論反対ということを乗り越えて行政改革を実現していくことができないという側面もあるということを申し述べさしていただきます。
  30. 秦豊

    ○秦豊君 きょうはどうも御苦労さまです。秦でございますけれども、最初に片岡参考人にちょっと伺わしていただきたい。  いま、中曽根康弘さんが言うまでもなく長官でいらっしゃいまして、大方の受けとめ方は、大物長官だから何かやってくれるだろうというムードがちょっと広がった。ただ、行政管理庁長官について申し上げれば、これは、そういうことはむなしい表現であって、大物だろうが小物だろうが変わらない、長官であれば。なぜかといいますと、やっぱり行政管理庁長官といえども、時の官僚の許容範囲が行政管理庁長官のなし得る限度になっているんです。歴代そうなんですよ。先生はもちろん行政学の権威でいらっしゃるけれども、私は門外漢として、辻清明さんもたしか行政学だと思いますが、あの方の六〇年代に書かれた著作、どなたであっても行政学の著作ほど状況に応じて増補改訂を要さない部門は少ないと思うんですよ。もうはるかいにしえのものもやはり何か適応性を持っているということは、つまり現実がそれほど変わってないということの証左であろうと思うんですよ。  それで、きょうわざわざいらしていただいて、学窓にいらっしゃるから生臭い点はあえて私も避けますけれども、一つだけ伺っておきたいのは、いまは地方機関の問題やっていまして、特に私どもが納得できないポイントとして、今度の財務局問題があるわけです。平塚参考人には申しわけないけれども、ついこの間この同じところに、ちょうど平塚さんのところに中曽根さんが座っておられた。それでいろんな委員の質問がありまして、論理と根拠を持って追及する野党委員を論破すると、こうあってほしいのが行政管理庁長官だと、いやしくも。ところが、答弁にやや窮したらしくて、局長連は言うまでもない、ついに何と言ったとお思いですか、つまり歴史のふるさとに返ったんだと、今回のことは歴史に返ったんだと、やはり歴史の重みが大きくてですねと。それで同僚委員が、あなたはずいぶん理性的かと思ったら情緒的な方ですね、新発見ですよと皮肉られたわけですが、それでも正面を向いて昂然としておられたようですけれども、やはり平塚参考人の方はまあ熱烈歓迎の方ですね、受ける方だから。それは伺ってみてもちょっとせん方ないんですけれども。このことが実行されて、一カ年間に熊本を中心にして熊本県の経済プラス効果がどう高まったか、九州全体として負の効果がどれぐらい高まったか、これを冷静、的確に計量をする第三者機関がもしあり得たとすれば、私は非常に今後のブロック機関整理の大きなデータになると思いますよ。ぼくは負の効果が大きいという結果が必ず出るだろうということを憂えている一人なんですよ。私はこのことに反対している一人なもんですから、だから平塚さんにはあえてその意味では伺わないわけですけれども。  それで、片岡先生の方に返りますけれども、一九六〇年代から行政改革についてのあらゆる答案は提出をされました。提出されていない部門は、たとえば中央省庁の抜本的な改編——予算編成権とか補佐官制度とかオンブズマンとか、部分的にはかなり提起されまして遅まきながらゆるゆると実現の方向をとっているものもあるが、ほとんどはとまったままであると。だから、六〇年代の辻清明先生の著作じゃないけれども、三十八年ごろから、それこそ汗牛充棟のようにどんどん活字になったリポート、答申はそのままなんですよ。古典は古典のままであるところに、私は歴代政権の大きな過誤と責任があると思うんですよ。だからいま、昭和三十八年のときの答申案を出してきて中曽根長官に出したって物を言いますよ、これは。ことごとくごもっともですというものばかりがひしめいていると。  私は教授に伺っておきたいのは、行政監理委員会、いろんな方が入られて苦労されたり、オクターブの高い方もラッパの大きい人もいらっしゃいましたけど、それでもなおかつだめ。で、私は、やっぱりフーバー委員会じゃないけれども、もっとすぐれて行政機関的な、行政権的なものを持たされた、いわゆる審議答申の戸を突き破るようなというものが仮にもっと設置されて、そうしてかなり大型委員会つくって、それで当面する問題、それから宿題の問題ありますから、幾つかの分科会に分かれて行政改革三カ年プランとか、五カ年プランとか、十カ年プランとかいうものに取り組んでいくような姿勢がないと、中曽根さんがいつまで在任かわかりませんよ、そろそろ来年からはまた総裁選挙の方で気持ちが急ぎますからな。いつまで居座っているかわからないけれども。とにかくいずれにしても私は、それぐらいやって、ぼくら立法府と彼ら行政機関がもっと鋭い対立関係、緊張関係にあって、そうして立法府が場合によっては大型議員立法でもって対処するというふうにしないと、いつまでもあちらを向いていてはもう話にならないと思っている一人なんです。  そこで、生々しい財務局の問題について、即物的なお答えはちょっと御迷惑かと思いますけれども、私はややそうした意味合いでは、歴代政権が進めようとし、中曽根さんがややポーズとして、まあ中曽根さんにしてみれば窓際ですよ、言ってみれば、いまのありようは。だけど一生懸命虫を殺して務めていらっしゃると思いますが、中曽根さんがどんなにがんばろうとしても、私はしょせんはさっき申し上げたような限界があると思うし、日本行政改革が実を結ばない一番大きな宿命的な欠陥と原因が一体どこにあるのか、それをもうどなたにも御遠慮されなくて結構ですから、片岡参考人から頂門の一針としてちょっと伺っておきたいんですよ、あえて。
  31. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) お答え申します。  過去いろいろ行政改革が提案されまして、それが実現しないいきさつがございますけれども、それには三つの理由がございます。  一つの理由は、要するに、行政改革行政改革によって影響を受ける官僚の手を経てしか実現できないということ、それが第一点でございます。いわゆるそれに対する抵抗が多いわけです。しかし、これに対して抵抗するのはただ行政官だけではございません。さまざまな利益を受けておりました国民のその階層も反対いたしますし、したがって、それを受けて議会でもその法律が通らないという事情もございます。いわゆるさまざまな反対によってそれが挫折していくというのが第一点でございます。  第二点は、その行政改革の案が書かれた筋書きどおり実行されなかった。その実行される段階で何かミスが起こったということですね。どこかにボトルネックがあって、予定どおりの筋書きが踏まれなかったというのが第二の理由でございます。  第三の理由は、行政改革の案そのものが間違っていたということでございます。先生はただいま、行政学は最も変わらない学問であるとおっしゃられましたけれども、しかし、これは最も変わる学問でもあるわけでございます。辻先生が六〇年代一生懸命いろいろ物を書かれた、私も尊敬はいたしておりますけれども、しかし私はやはり違った考え方というものを持っております。六〇年代に出されたさまざまな行政学上の考え方が私は最善だとは思っておりません。やはり最初にも意見を申し上げるときに申しましたけれども、いわゆる基本的には企画立案というものと実施機能というものが分離可能という前提でいろいろ六〇年代は議論されていたわけでございました。しかし、これは諸外国で経験、実践した結果でも、たとえば西ドイツで総理大臣官房の機能を強化するためにそこに企画部門というものをつくりましたけれども、これは実際には機能し得ない。企画をするにも、やはりそれはむしろ実施と結びついて機能しなければならない。そういった点への行政学の認識というのが、必ずしも昔どおりでは今日なくていいのではないか。そういう三点から行政改革はこれまで実現してこなかったというふうに私は判断いたしております。
  32. 秦豊

    ○秦豊君 片岡さん、たとえば時の長官によって機構減らしとか、つまり仕事減らし、人減らしと、ときどきこのキャッチフレーズを使っているんですよ。要は根本に、核心に肉迫をしない。だからおっしゃったように、抵抗の少ないところで一応つじつまを合わせようという配慮がそういうふうになってくるんです。で、恐らくぼくは、宇野宗佑さんは失礼ながら中曽根派の——いま派閥復活していますから派と言っていいと思うんですが、中曽根派のもう重鎮ですよね。その領袖がいま長官だけど、恐らく重鎮と領袖の実績にぼくは差はないと思いますよ。同じですよ。そういうふうになっているのは非常に宿命的な、フェイタルな行政改革の領域の限界、それこそ宿命だと思うんです、私は。で、もし片岡教授がこれから行政管理庁が主宰をするたとえば審議委員に仮におなりになったとすると。そうすると、当面かなりロングレンジでながめなきゃこの問題だめです。ロングレンジの物差しを、尺度を持っていて、当面の、短期のという、そういう私はやり方が妥当だと思いますけれども、やはり日本行政改革ではあえて——あえて意見を伺いたいんだけども、やはりどうしても避けて通れない重要な課題は、片岡先生の御研さんの領域からすれば何であるのかと。たとえば、大蔵省の予算編成権というところにあるのか、あるいは行政を管理し、あるいは行政に対し、つまりオンブズマン的なそういう観点が最も欠け落ちているのか、あるいは各省庁がいたずらに越権行為にのめり込まないよう行政組織法的な立法を優先する必要がある時期にあるのかないのか。こういう観点を含めて、今後あるべき、それこそあるべき行政改革の当面の進め方、長期の進め方を念のために伺っておきたい。
  33. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) お答えさしていただきます。  大変むずかしい問題で、これ一様にお答えすることができないかと思いますけれども、現状におきましては、行政改革を推進する母体であります行政管理庁が、一つの横並びの行政機関一つでしかないということですね。で、これはこういう法則があるんですけれども、いわゆる官庁は、民間はコントロールしやすい。ところが他の官庁というのはコントロールできないという言葉がございますけれども、これはやはり行政管理庁行政改革の実を上げるために必要な権限が現在のシステムでは欠けているということが一点言えようかと思います。  ただ、管理庁の長官の資質云々、長官によっていろいろ事情が異なるということは、必ずしも私はそういうふうには思っておりません。要するに、行政改革というのは国民課題でございまして、長官がだれであろうとこれは変わるわけです。宇野長官が機構減らしというものを中心に考えたのに対しまして、中曽根さんが仕事減らしを言った、変わったじゃないかと言いましても、これは伝統的な考え方からすると機構から抑えていくというのが考え方なんですけれども、しかし財政危機を解決するという前提に立てば、機構を幾らいじってもこれ以上お金は出ないという前提もあるわけです。そういう前提で考えれば、やはりどうしても今度は仕事減らしに移らなければならないという論理的な必然性もあるわけでございまして、私は必ずしも長官云々の問題とこれは関係がない、事の必然的な発展の経過であるというふうに理解いたしております。  日本の官僚制はいろいろ批判の対象となっているわけでございますけれども、しかしまた、逆に世界的に見れば日本の官僚ほど優秀なものはないというふうなことも言われておるわけでございますね。実際に先進諸国が重大な危機に直面している、特にアメリカにおきましていま生産性の危機というものに直面しておりまして、これを改革するためにいかに日本のまねをするか、いわゆる悪い言葉で言えば株式会社日本のノーハウを導入するかということが問題となっておるわけでございます。  行政仕組みを抜本的に変えなければならないというふうな御意見があったわけでございますけれども、これは世界的に見ますと、戦後官庁が変遷した度合いというものを比較してみますと、これはやはり日本が一番変遷しておりません。安定性がある、ある意味では安定性がある。逆に言えば硬直性があるということでございます。これは一つには、ドイツが最もそうなんですけれども、イギリスにおきましてもフランスにおきましても、これはいわゆる組織権というのは行政に所属しているわけです。行政が、まあ昔の日本の官制大権、いわゆるドイツではオルガニザチオン・ゲバルトというふうに言いますけれども、いわゆるゲバルトを持っておるわけでございます。そのために、省庁の変遷、それからその内部組織の改革というのが行政の独自の判断で行うことができるようになっております。しかし、そのために逆に、政権が交代するごとに官庁の名前が変わったり、省庁を合併してみたり、また分離してみたりということが繰り返されておるわけでございまして、逆にそこには行政改革から生じるコストというものが非常にあって、必ずしも諸外国でうまく機能しているわけではないわけでございます。  アメリカの場合におきましては、やはりこの行政組織あるいは省庁及び独立規制委員会というのは、これは法律によって決めなければならないことになっておりますけれども、もう一つ、いわゆるリオーガニゼーションプランというものがございますね。これは、大統領が議会に再組織計画というものを提出しまして、六十日間議会がそれに反対しなければそれで案がそのまま通るという事情がございます。したがって、比較的日本よりも容易に官庁の再編成というものが実際には行われているという実情がございます。  それに比較いたしますれば、日本は余りにも硬直的過ぎるという御指摘は、それはごもっともでございます。たとえば、いま大蔵省の予算編成権のことも問題になりましたけれども、逆に、イギリスの場合には大蔵省からシビルサービスデパートメントというのを分離いたしまして、いわゆる行政監察的な機能を含めましてそちらの方に移管いたしました。しかし、その結果は、予算査定を通じていわゆる日常の行政の運営に対するにらみをきかすことができなくなった大蔵省の立場の凋落、これは単に立場の凋落ではなくして、有効に予算査定というものを通じて機構や定員というものをコントロールすることができないという事情がそこに生まれてきているわけでございます。現在の日本では大蔵省行政管理庁が分かれておりますけれども、しかし予算編成権というのは大蔵省にありますから、その大蔵省の毎年の査定を通じて機構、定員に対する実質的な裏づけ、お金の上の裏づけで一応歯どめがかかる可能性があるわけでございます。逆に、行政管理庁でどんなに節減を考えていても、大蔵省の方で予算をつけてしまえばこれは問題の解決にならないという事情もありますけれども、しかし私は、諸外国に比べて決していまのシステムが悪いというふうにも思いませんし、いまのシステムを変えたからよりよくなるというふうには考えてはおらないわけでございます。
  34. 林ゆう

    委員長林ゆう君) 他に御発言もなければ、午前の審査はこの程度にとどめます。  参考人方々には、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  午後二時再開することとし、休憩いたします。    午後零時六分休憩      —————・—————    午後二時三分開会
  35. 林ゆう

    委員長林ゆう君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、地方支分部局整理のための行政管理庁設置法等の一部を改正する法律案について、参考人方々から意見を聴取いたします。  本日午後は、林政審議会委員田村武君、四国行政相談委員連合協議会会長西川春夫君、鉱業審議会会長平塚保明君の三君の御出席を願っております。  この際、参考人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多忙中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございました。皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の本案審査参考にしたいと存じております。  これより参考人方々に順次御意見をお述べ願うのでありますが、議事の進行上お一人二十分ないし二十五分程度お述べを願い、参考人方々の御意見陳述が全部終わりました後、委員の質疑を行うことといたしますので御了承願います。  それでは、田村参考人にお願いをいたします。田村参考人
  36. 田村武

    参考人(田村武君) 御紹介をちょうだいしました田村であります。  本委員会で審議されております政府提出の地方支分部局整理のための行政管理庁設置法等の一部を改正する法律案につきまして、意見を述べる機会を与えていただきました。まことに感謝申し上げたいと思います。  私は、本法律案のうち、第五条の農林水産省関係の分について意見を述べさせていただきたいと存じます。  本法案は、行政機構簡素化を図るために、各省庁地方支分部局のうちブロック単位に設置された機関等について整理再編を行おうとするものであるようでありますが、私は行政機構簡素化効率化は、それ自体国民ニーズにこたえるものとして、その実現に努めなければならないものと考えておるものでありますけれども、この行政機構簡素化効率化というものは国民へのサービスの維持向上、また行政の公平と民主化を前提としてなし遂げられるべきものであると考えるのであります。  そういう立場で考えてみますときに、本法案の提出に至る過程や内容は、必ずしも行政サービス向上、公平、民主化に沿ったものとは言いがたい部分があると言わざるを得ないと思っております。すなわち、地方支分部局ブロック機関について画一的に八ブロック整理統合するとか、あるいは一律に一省一局削減を行うとか、行政業務の実態をつぶさに検討されたとは言いがたいものがあると考えるからであります。  特に、農林水産省の国有林野関係について見ますと、営林局の統合はきわめて矛盾かつ実態を無視するものと言わざるを得ないと考えるのであります。  その第一は、国有林野事業は、御承知ように国有の森林を対象として特別会計制度のもと事業運営を行っている現業機関でありまして、したがって、国有林野の賦存状況と、それにかかわる現場の事業量の状況に基づいて組織、機構と要員が合理的に配置され、管理運営されているかどうかを検討さるべきであると考えるのであります。一般の行政事務を所掌する行政機関の性格及びその配置とは本質的に差異があるものでありまして、一省一局削減というやり方で画一的に扱うのはきわめて無理があると考えるのであります。  第二に、国有林野事業につきましては、すでに改善特別措置法に基づいて五十三年度から十カ年の計画期間を策定し、いわゆる行政改革の一環として経営改善合理化を進めているわけでありまして、しかも、これはいま緒についた段階でありますけれども、すでに組織、機構、要員についてその縮減、削減が他省庁のそれ以上に急ピッチに進められているのであります。しかも、私どもから見ますと、適切な森林施業上すでに限界を超えるまでになっていると考えられるのであります。ちなみに、その内容を見ますと、営林局については改善計画発足時の五十三年度において全国十四営林局のうち四局を支局化し、現在十局になっており、営林署については五十三年度において九営林署の統廃合が行われました。今後、引き続き一割三十五署の整理統合というものを目途に推進しているという内容になっているのであります。事業所、作業所について見ますと、五十三年度以降改善計画の実施に入ってからは急テンポで統廃合を進め、この三カ年に三百カ所に達しようとする事業所、作業所等の統廃合が行われているのであります。さらに、要員につきましては、過去の林野庁職員の一番多かった時期に比べてみますというと、五十五年度の今日では六八%までに激減し、この間要員補充の状況では、定員内職員では八名の欠員に対して一人の補充、定員外職員に至っては三十四名の欠員に対して一名の補充というような状態であります。これでは、もはや適切な森林施業は困難となりまして、不成績造林地の続出、不安全労働による労働災害の多発、非効率的な事業運営など健全な森林造成や適切な国有林の管理、保全にとってきわめてゆゆしき事態にあると言わざるを得ないと考えるのであります。  第三に、国有林野事業につきましては、すでに述べましたように、改善特別措置法に基づく改善計画を立て、目下組織、機構の統廃合を含めた経営改善を進めているわけでありますが、この改善計画には、北海道の四支局化以外に営林局の統廃合は含まれていないのであります。しかも、改善特別措置法案及び北海道の四局支局化についての農林水産省設置法の一部改正案を国会において審議されてきました経過の中でも、政府は、営林局の四局の支局化以外は考えていない、北海道の四局の支局化は北海道の特殊性に基づくものと理解をしてほしいと、こういうように発言されているわけであります。  第四に、改善特別措置法第二条第一項において、国有林野事業の経営の健全性を確立することを目標に、必要な基本的条件の整備を六十二年度までに完了することとして、五十三年度から十カ年の改善計画を立て国有林野事業を運営するとしているのであります。この改善計画の内容については、林政審議会においても慎重審議の上で確定しているのであります。国有林野事業は、目下この改善計画に基づく経営改善を進め、その緒についた段階でありますが、今回の本法案では、五十九年度末までに営林局統合を進めようとするもので、実質的に改善期間を繰り上げ、短縮して追い打ちをかけるような変更を迫っているものと考えるのであります。改善計画の変更には林政審議会の意見を聞くことに改善特別措置法上で規定しているのでありますが、林政審議会にはこの点の諮問は行われておりません。このよう事態を見ますときに、まさに行政改革という名前のこの合理化案というのは、朝令暮改のそしりを免れ得ないと思うのであります。  第五に、国有林野事業を推進している組織、機構としての営林局、営林署は、農林水産省設置法における所掌事務の規定として、民有林野の造林及び営林の指導並びに森林治水事業に関する業務を行うこととされているのであります。しかし、現状における実態は、全く民有林野にかかわる行政業務は行われておりません。今日、一般会計からの民有林野関係の補助事業負担は大きな額になっているのでありますが、この補助の対象のほとんどは器具、機械等の施設あるいは営林事業に必要な測量、調査、指導等の人件費などを負担しているのでありまして、現状においてはこれらの補助事業は分散的で、きわめて非効率的になっておると考えられます。これらの業務の一定部分は、現行の営林局、署の組織、要員を有効に活用し行政需要に対応させていくべきであると考えるのであります。本来の行政サービス向上と効率化への実現には、国の行財政の全般を通じて非効率的な部分はどこにあり、活用すべきものがどこにあるのか、これを徹底的にメスを加え、検討し、見直すべきものと考えるのであります。  以上の大要五点にわたって私の意見を明らかにいたしましたが、この際、国有林野事業の組織機構の改廃問題と関連して、国有林野事業における経営問題について若干見解を述べさしていただきたいと思います。  御承知のとおり、国有林野事業は特定会計制度をとり、いわゆる独立採算制のもとに置かれている現業機関であります。しかし、国有林野事業を企業的に運営し独立採算制を維持し、しかも単年度収支均衡の原則を確保していくことには、多くの制約条件のもとに置かれていると考えます。  すなわち、国有林野事業が対象とする森林としての国有林は、国土保全など森林の多元的な公益的機能の最高度発揮とその維持が国民的要請として強く求められ、特に近年における高密度社会の形成のもとでこの傾向は一層顕著になっていると考えられます。しかも国有林野は高山地帯を多く保有し、かつ、保安林、自然公園なども含めて自然的地理的条件、法令上の制約など施業制限林地を六〇%以上も抱えていること、事業収入の基本となっている国有林材の国内市場占有率は一〇%そこそこであり、しかも木材価格は、外材を含む国内に流通する木材一般と同一の市場条件のもとに置かれているのでありますし、長期の生育期間の要する林木を扱っているだけに、短期的な経済変動に対応しての企業的運営がきわめて困難であること、しかも民有林野においてさえ全般的な国からの助成等の援護措置のもとでも、外材主導の木材需給状況下の今日では、林業経営における企業的採算はきわめて困難なものとなっていることなど、このよう状況下での国有林野事業について単年度ごとに収益を期待することはとうてい困難なことであると思うのであります。  荒廃した森林によって風水害が多発し、国の負担が多くなっている今日、国有林野事業に課せられた効率化とは、むしろ組織、要員を有効に拡充、活用し、適切な森林施業を通じ風水害等を未然に防除し、このことによって国の負担の軽減を図ることにあると思うのであります。  以上、私の意見を述べてまいりましたけれども、本法案の第五条関係は、すでに国有林野事業改善特別措置法の附則に同様趣旨が明定されているわけでありまして、削除修正してしかるべきであると考えるのであります。  以上、私の意見の開陳を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  37. 林ゆう

    委員長林ゆう君) ありがとうございました。  次に、西川参考人にお願いをいたします。西川参考人
  38. 西川春夫

    参考人(西川春夫君) 私、行政相談委員制度というのができまして、制度開設以来、行政相談委員ということの委嘱を受けまして、香川県坂出市で委員の一人をやっておるわけでございますが、たまたま四国行政相談委員連合協議会のいろいろお世話をいたしておりますので、今回のブロック整理法案が、事、四国管区に関係したことでございますので、この機会に先生の皆様方に私たちの苦衷を聞いていただく機会を得ましたことをまことに幸せに思っておるわけでございます。  ブロック整理法案に対する私の意見でございますが、行政相談意義と申しますか、年とともに行政は非常に複雑になってまいりまして多様化していく一方、国民の方は権利意識がだんだん高まってまいりまして、行政に関しましての国民苦情、要望、意見などがだんだんと増加してまいっておるわけでございます。ここ十年ぐらいの過去からの事例、件数を考えてみますと、十年前の昭和四十五年には十二万件ぐらいの相談委員に対する申し出があったわけでございますが、それから五年たちました昭和五十年、大体十三万件に増加をいたしておるわけでございます。昨年の五十四年には、その件数が十八万件という非常に大きい件数に上ったわけでございます。行政相談と申しますのは、これらの申し出人からの、国民苦情を簡単な手続で受け付けましてその解消を図っておるというのが私たちのやっております行政相談業務でございます。  行政相談の次に効果でございますが、国民の権利、利益の保護を図るとともに、行政運営の改善にこれを反映させてまいりまして、行政に対する国民の信頼を確保して、行政の民主的運営の実現に寄与してまいっておるわけでございます。  次に、行政管理庁行政相談業務の特色でございますが、各省庁、公社公団等の業務全般にわたる総合的な相談窓口でありまして、また、行政監察局が政府部内の第三者的機関であるということがら、公平な立場で客観的な苦情の処理ができるものと私たちは思っております。また、行政監察を所管する行政監察局が行っておりますので、申し出られました苦情につきましては、問題の根源にまでさかのぼりまして検討し、必要に応じては監察を実施するなどいたしまして、行政制度または運営の改善を図りまして、類似の苦情の発生を防止するなどの効果を上げておるわけでございます。住民の身近な相談の窓口といたしまして、私たち行政相談委員、これは昭和四十一年の法律九十九号によりまして行政相談委員法というものができたわけでございますが、各市町村に一名以上の委員がおります。大きい都市には人口五万に一人というような割合で配置をされておりまして、広く国民苦情を吸収する窓口業務をやっておるわけでございます。私たち委員はもちろん民間人でございまして、それぞれの自分の職業を持ちながら、政治的に中立の態度を保ち、同時に、この法に規制されておりますように、無報酬で国民のそうした要望、意見を取り次ぎ、これに助言を与えておるというようなわけでございまして、全国に現在四千五百七十六人の私たちの委員がおるわけでございます。  それでは、四国における行政相談の活動はどうであるかということを考えてみますと、一番目に、四国管区の行政監察局を中心にいたしまして、徳島、愛媛、高知行政監察局が行政相談委員二百四十七名と共同いたしまして行政相談活動を実施いたしておるのでございます。四国で一番大きい人口を擁しております県というのは愛媛県でございますが、ここに委員が八十二名おります。次に高知が五十八名、それから徳島が五十六名、私たちの香川管区の方では五十名というので、合わせまして二百四十七名の委員がおるわけでございます。これに関連しております行政監察局では、四国管内に九十二名の職員の方がおられまして、数少ない職員数ではございますが、非常に私たちとしましては民間サイドから見てよくやっているなという、順調な仕事をやっておられるように敬服いたしておるものでございますが、相談件数としまして、先ほど全国では十八万件あったわけでございますが、四国では昨年度一万二千件の申し出があったわけでございます。つまり全国の十八万件に対しまして大体六・六%という申し出件数があったわけでございますが、かようにいろいろな国民のそうした要望、申し出があって、しかも着々とその成果を上げておりますというその陰には、やはり私は行政相談というものがこのように成果を上げていくことができますのは、私たちの身近にありまして、常時各行政機関業務を厳正に監察して行政改善を進めておる地方行政監察局の強い力と支援によるものでありまして、地方行政監察局または管区行政監察局存在なくしては私たちの活動は成り立たないわけでございます。そうした両々相まちまして、非常な件数の増加を見ておりますことを一応御報告申し上げておきます。  また、ついででございますので、四国地区でいろいろ私が記憶しております行政相談のうち、一、二件行政相談の事例について申し上げたらと思うんでございますが、一つは、五十三年の末から五十四年にかけて半年ぐらいかかったわけでございますが、これは高知の問題なんでございますが、高知空港まで、バスが高知のはりまや橋からどこへもとまらないで空港へ直行しておるわけでございます。高知市内から乗る人ばかりとは決まっておりませんので、南国市ありいろいろ町がございますもので、何とか市民の側からそのバスが途中でとまってもらえぬものかと、南国市の人がわざわざ飛行機に乗るためにはりまや橋まで出かけていって、また自分のバスに乗っていって途中でタクシーに乗りかえて終点まで行って乗らぬと空港への連絡がとれぬというのは非常に困るじゃないかというような申し出がございまして、いろいろと会社その他と折衝いたしまして、約半年かかりましてそのバスが途中三カ所ほど停車することになりまして、中間のお方がその中継場所まで来ますと空港行きのバスに乗れるということで、現在非常に助かっておる現象が起こっておるわけでございます。半年という年月がかかりますのには、やはり会社の営業サイドでここでとめ、ここで中継するということには、いろいろ組合方面でのその業務に対する人間の増員というような問題もございまして、大変長い間かかったわけでございますが、これは高知の陸運局といいますか、高知にあります陸運事務所では決がとれませんで、結局高松の陸運局というところの場へ参りまして、やっと高松の陸運局からいろいろ認可の申し出がありこれを認可したというようなことで、その申し出人の言っておるあちらこちらへは中継をしながら、三カ所ほどとまってやっていくというようなことが実現したわけでございまして、管区局の存在というものがこうした苦情あっせんの事例においても明らかに必要であるということを私たちは痛感いたしておるものであります。  またいま一つは、これは高松の出来事でございますが、高松の周辺へ参っておるバスに大川バスというのがございまして、もう一つは琴電バスというのがございまして、それが全く同じコースを走っておりまして、交互に時間を決めて走っておるわけでございます。これの回数券が、それぞれの会社が発行しておりまして、共通性がないわけなんでございます。子供とかあるいはお年寄りなどがバスに乗りまして、やっと来たバスに乗っておりるときに、回数券入れますよと言って入れますと、いまの回数券、下にベルトがずっと走っておりますので、あらあらと言っているうちに違った会社のバスに違った回数券を入れまして、さあお客さんこれは会社が違うんだと、もう一つ運賃もらわぬといけませんというようなことで二重払いをやっておると、そんな不便があったわけでございますが、これもいろいろと局の方に申し出がございまして、大いに陸運局との折衝をいたしまして、会社が二社入っておりますのでそれぞれ会社の業積上からの問題もございます。単によろしいというものではありませんで、いろいろとその会社の扱う人員の比例というようなこと、いろんな実績も出さぬといかぬわけでございますが、それが約一年半かかりまして両社の共通回数券というのが発行されたと。非常にちまたのささやかなことではございますが、ずいぶん念を入れてやっとそういうことが成り立っていくというのは、やはり管区局があり、その局が陸運局と何か会合があるたびに、いままでのその経過の過程を督促しながらだんだんと実現に向かってやっていける。非常な大きい管区局がなければできない一つの申し出の実現、申し出人の要望にこたえた一つの実例ということでございます。時間もございますので、いろんな事例がございますが、そういったことをひとつ参考までに事例として申し上げておきます。  なお、このよう行政相談国民生活に身近かな問題を取り扱っておるのでありますが、最近はだんだんむずかしい問題も行政相談委員に持ち込まれてくるようになってまいったわけでございます。このために、私たち行政相談委員といたしましても、四国管内で始終お互いのいろいろ知恵を教え合うと申しますか、そんな意味で研修会を開催いたしまして意見交換等を活発に行いまして、申し出事案の的確な処理をするために日ごろ努力をいたしておる次第でございます。  それで、結局、今度はブロック整理法案に対する私の所見でございますが、まず一番目に、行政機関の統廃合ということは即行政区画の決定というように考えてもいいのじゃないかと思うわけでございます。行政区画は、単に行政機関側の都合なりあるいは実情だけで決定さるべきものではないと思うのでございまして、地域の実情を十分に顧慮して行政区画のあり方を考えるべきではないかと思うのであります。この点から四国地方を考えてみましたときに、御存じのように北は瀬戸内海南は太平洋、そこに囲まれた四百五十万の島民の住んでおります四国はまさに孤島でございまして、私はいつも四国は一つの島国であるという考えから離れるわけにはまいらないのでございます。  事、水の問題をとりましても、御承知ように大きい河川はございません。徳島に吉野川があるだけでございまして、その川の水を今日では各県知事その他の非常な努力と譲り合いによりまして、香川県に、香川用水としてその吉野川の水がつい三年、四年前から香川に通じておるわけでございますが、従来狭い香川県には干ばつのときもよくございまして、高松など、御承知ように本当に一時砂漠のような現象を起こしたことがあるわけでございますが、今日は水飢饉なんて全然なくなりました。そうした四国は一つというみんなの譲り合いの精神が、今日吉野川の水を香川の高松と言わず本当に末端までくまなく流しておる。そうした一つの、水一つからいってもそうした大きいかたまりであること、私は地理的にも社会的にも、また歴史的にも一つブロックとして今日に及んでおることをはっきりと認識いたしたいのでございます。  まあ国鉄、いろいろ非常な進歩発展をいたしましたが、今日、国鉄の中で電化されておりませんのはただ一つ、四国本島があるだけでございまして、それほどいろいろな面で四国は何かおくれがあるわけでございます。そのことあってこそ、今日、海を隔てての本土との教育あるいは文化、経済の離島おくれを何か解消する意味で、国は挙げて本土四国連絡橋というものの架橋工事に鋭意努めておられるわけでございまして、そういったことを思うにつけましても、私たちは、中国四国ブロックという今日の行革において考えておられますような、中国四国というようブロックの観念というものは私たちには全くないわけでございます。まさに中国四国ブロックということは、現実の私たちの日ごろの長い間の体験なり習慣というものを全く無視した、私は言うならば暴挙であるとさえ言いたいのでございます。  四国を一つブロックとして全国を八ブロックに分割するという考え方、いろいろな各省庁出先ブロック機関を考えましても、ほとんどがそうした八ブロックのもとでいろいろ組み合わせが行われておる。これが一番合理的な行政区画ではないかということを私たちも身をもって常々考えておるわけでございます。  今回のブロック機関の統廃合によりまして、四国を一つブロックとするものや、あるいは中国四国を一つブロックとするものなどが混在いたしますが、行政区画というものは、ますます私たち国民にとってどれが本当の行政区画なのかと、本当にわかりにくいものになっているような気がするわけでございます。  私は今日、生きた行政というものは、やはり国民の強い強い信頼を受けながら、国民の権利、利益の保護に役立つように運営面での改善に努めるべきだと思うのであります。したがって、私たち四国の相談委員二百四十七名にとっては、行政相談委員として四国管区を廃止するということで行政上に一体どれだけの利益があるのか、また私たちの、四国に住んでおりますこの四百五十万の私たち国民にとりまして一体どれだけのこれまた利益があるのかと、むしろ今回の行革に対しまして皆様、先生方に私はお尋ねしたいわけでございます。  いままでいろいろお話しいたしましたように、行政相談業務というものは本当に、受け付けた事案を行政監察局がその行政機関にあっせん解決する仕組みでございまして、あっせん対象がブロック機関である場合には管区行政監察局があっせんすることとなるわけでございまして、先ほどの高知とかあるいは高松のバスの運行その他にいたしましても、相手方に高松陸運局、四国のブロックにある高松陸運局があり、管区があっての解決がなるわけでございまして、これが仮に広島にその管区の母体を持っていかれた場合、私はここで見る一年半でできたこうした両社の交通上のバスの共通券にしましても、一々広島から出かけてきて、しかもそうした会うたびの折衝というような、間髪を入れない、長い長いいろいろな解決事項ということには不向きではなかろうかと、かように思うわけでございます。  先般来、私たちは何回も何回も行政改革の波の筆頭に立たされたわけでございますが、いつも、全国の私たち相談委員の組織もございまして、あるいはお役所の方あるいは担当のトップの方にいろいろ要望をいたしておるわけでございますが、その要望書の一部をちょっと読ましていただきまして、何かと御参考に供したいと思うのでございます。   今回の閣議決定で、行政管理庁は四国管区行  政監察局が整理されることとなりました。われ  われ行政相談委員は、管区行政監察局整理さ  れるのであれば全省庁の基幹的なブロック機関  を一律に削減されるよう再三にわたって強く御  要望いたしたところでありますが、今回の決定  を各省庁横並びにみますと行政管理庁に最も厳  しい結果となっているものと考えざるを得ませ  ん。   行政管理庁では、さきの行政改革で各省庁に  先がけて北海道の三地方局を失い、今回また基  幹的なブロック機関である四国管区行政監察局  を失うことは、あまりにも犠牲が大きく、われ  われ行政相談委員の中にも志気沮喪と業務遂行  上の支障を懸念する声が強いことは極めて憂慮  すべきことであります。  申すまでもなく、行政相談業務における管区の行政監察局の果たす役割りということは、私たちの行政相談委員の指導及び事案処理の上できわめて重大なわけでございます。私たちは、まあそういう意味合いからも、何か行政監察局だけが、よく議会などでいろいろな場面を拝見し、あるいは新聞報道その他によりましても、隗より始めよという言葉で何か一番犠牲にならなければならないという立場に置かれ、しかも、その役所のもとで相ともに相談業務をやっております相談委員にとりましては、これほど悲しい、これほどつらいことはないわけでございます。  どうかひとつ委員先生方の、この四国二百四十七名の気持ちを今日代表して申し上げておるわけでございますが、どうかこうした改革におきまして、できれば四国の島が一つであるというお気持ちを十分に御高配いただきまして、今回の行革になお私たちは管区の残存することを願ってやまない気持ちでありますことを重ねて申し上げまして、私の意見を終わらしていただいたらと思います。ありがとうございました。
  39. 林ゆう

    委員長林ゆう君) ありがとうございました。  次に、平塚参考人にお願いをいたします。平塚参考人
  40. 平塚保明

    参考人平塚保明君) 参考人平塚でございます。  私は、ただいま通産大臣の諮問機関でありまする鉱業審議会の会長を務めておりまするが、現職は海外鉱物資源開発株式会社の社長をいたしております。この会社は半官半民の会社で、もっぱら海外におきまする金属鉱山の探鉱開発を行っております。また、国内問題につきましては、現在金属鉱業緊急融資基金の理事長も兼務いたしております。この機関は、数年前、石油危機による世界的経済不況の影響を受けて国内の非鉄金属鉱山の経営は極度に悪化し、歴史的な名門鉱山も相次いで休閉山の状況に立ち至ったのでありまするが、国会におかれましてもこの問題を大きく取り上げられまして、昭和五十三年の五月に、衆議院において金属鉱業政策に関する決議が採択されました。その結果として、同年の十月に設立した機関でございまするが、鉱山会社及び地方自治体からの出資金をもって設立して、金属鉱業事業団が政府の保証によって市中銀行から調達いたしました資金をこの基金が借り入れまして、同時に、政府からの利子補給金を得まして鉱山会社に低利の資金を貸し付ける事業でございます。この貸付金の使途は、確認探鉱事業及び保安対策事業でございまして、これは坑内の充てんとか、保坑とか、通気あるいは排水、また堆積場の維持管理並びに減産に伴う一時的の対策、すなわち施設の撤去あるいは退職金などを対象に融資いたしておる次第であります。さようなことで参考人として選ばれたものと考えておるわけでございます。  では次に、参考人といたしまして、今回の地方支分部局整理のための行政管理庁設置法等の一部を改正する法律案関連いたしまして、鉱山保安監督部に関係した問題について意見を述べさしていただきます。  御承知ように、鉱山は地下作業を伴う関係から他の多くの産業に比べて災害率が高く、また鉱害発生の要因も多いところから、この災害防止や鉱害防止の保安確保を図ることが重要な課題でございます。かようなことから、昔から商工行政におきましても一般の工場、事業所と違った取り扱いを鉱山に対して行っております。戦前、地方への中央からの出先機関が少なかった時代でも、鉱山につきましては全国の五カ所に鉱山監督局が設置されておりまして、保安につきましては鉱業法の中の鉱業警察規則によって取り締まりを受けておったのであります。昭和二十四年に鉱山保安法が制定されてからは、各通産局に鉱山保安監督部が付置され、この鉱山災害、鉱害防止などの保安行政を行ってきたのは御承知のとおりでございます。  一方、鉱山業界では、鉱山保安法が施行されてから後も幾たびか不況の波に見舞われましたが、この間におきましても、鉱山保安の重要性を認識し、鉱山保安監督部の指導監督のもとに保安管理体制の整備、保安教育の徹底、保安技術の向上等に努め、鉱山、製錬所におきまするいわゆる自主保安の確立に努めてきたところであります。  今日では、災害発生率は逓減の傾向にありまするが、環境問題も一層やかましくなってきております折から、今後も鉱山、製錬所における作業環境の改善や鉱害防止事業の促進等につきましてはさらに一層推進して、鉱山保安の確保に積極的に取り組んでいかねばならないと考えております。  現在では、鉱山数の減少、鉱山保安技術の向上、事業者の保安体制の整備などもありまして、昔に比べますと災害件数は確かに著しく減少しておりまするが、しかしながら鉱山の災害率は他の業種に比較しますとまだ相対的に高く、また環境問題がやかましくなった今日、鉱害問題の発生も多くなり、この解決に対して地域住民の要望も多くなってきております。  さらにまた、休廃止鉱山や堆積場の見直し問題などが起こりまして、鉱務監督官の業務は稼行鉱山への巡回件数は減ったものの、一方で新しい仕事がふえてきております。かように、鉱山保安監督部が民間事業者を指導監督して、こうした問題の解決に当たる必要性は一層大きくなったものと考えられます。  いささか私事にわたりましてまことに恐縮でございまするが、私は、以前に秋田県にありまする小坂鉱山及び岡山県にありまする棚原鉱山の所長をいたしておりました。両山とも、御承知よう日本の代表的な大きな鉱山でございまするが、在任中保安統括者として保安には大いに力を入れたものでございます。幸いにして私が所長をしていた間は、小坂では二年、棚原では四年、ともに連続して毎年全国保安優良鉱山として中央での通産大臣賞を受けておりました。また、私自身も通産大臣の個人表彰をいただいておりますが、これは一にかかって両鉱山の全従業員の保安に対する熱意と精進の結果でございまするが、同時に、これはまた鉱山保安監督官の平素の熱心な監督指導によるものであります。何といいましても保安は心構えが大切でありまして、働く者の一人一人がその気になってやらなければ保安の確保は絶対にできません。監督官の熱意ある監督指導の態度が鉱山従業員の心に反映して、仕事に対する態度や注意力にも大きく影響し、これが災害防止に大きく貢献したものと確信しております。鉱務監督官は、わずかの特殊勤務手当しかもらっておりませんのに、坑内の危険な業務などに真剣に従事してどろまみれになって働いている現場に私は当時しばしば出会ったもので、その仕事ぶりにはまことに感心したものであります。  今回、広島及び四国鉱山保安監督部並びに名古屋及び大阪鉱山保安監督部の統合につきましては、行政の刷新と適正化が強く求められている現在の情勢のもとで、国として抜本的な行政機構、組織の合理化を断行する必要があるとの認識に基づいて、一連の整理再編成の一環として実施されるものと聞いておりますが、私といたしましては、それが鉱山保安監督行政の実質的な後退を招かないものであれば、行政組織の簡素合理化に対する国の積極的な姿勢としてやむを得ないものと受けとめております。確かに、四国と大阪は鉱山の数も少なく、許可認可件数や検査数も二局六部の中では一番少ないようであります。また、四国と広島は、石灰石鉱山の危害防止の監督や瀬戸内海に面して多くの製錬所がありますが、この排煙排水問題など共通点があります。また大阪、名古屋は、非金属鉱物の耐火粘土あるいは珪石などが多く、また、ともにカドミ鉱害による土壌汚染問題を抱えているなど共通の点が多く見受けられます。  今回、統合後の体制につきましては、四国及び大阪にそれぞれ支部を設置し、内部委任で権限の委譲を行い、鉱山保安行政実務の実質的な後退を生じないよう十分に配慮されるとのことでございまするが、必ずこれを実現させていただきたいこと、また今回の再編成でいささかでも鉱山保安を軽視することのないように、さらにまた、鉱山保安監督官の業務に対する熱意を失わせ、保安監督指導の低下を来すようなことのないように十分の配慮をいたすこと、以上の三点をお願いいたしまして、私の陳述を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  41. 林ゆう

    委員長林ゆう君) ありがとうございました。  以上で参考人各位の御意見陳述を終わりました。  それでは、これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  42. 矢田部理

    ○矢田部理君 田村参考人に何点かお尋ねをしたいと思いますが、先ほどの陳述の中で、営林局の統合と一般行政事務を扱うブロック機関における統廃合は本質的に差異があるというふうな指摘がございましたが、これは具体的に言いますとどんなことなのか、少しく詳細にお話をいただきたいというふうに思います。
  43. 田村武

    参考人(田村武君) 田村でございます。  先ほども申し上げたのでありますけれども、一般の行政機関ブロック機関と、こういうことになりますと、その下にその出先ような、もう一つ出先を持っているというようなところはほとんどありません。そして、扱っておりますのが一般行政事務であります。ところが、営林局の場合にはその下に多くの営林署という出先機関があります。そしてまた、その営林署の先に担当区であるとかあるいは事業所、作業所、こういうようなものがずうっとありまして、そこでもって多数の職員を擁して実際に自分でもって営林の仕事をやっていると、こういう点が一般の行政機関とは全く違ったものと、そう私どもは受けとめているわけであります。  したがいまして、その仕事というのが、いま申し上げましたよう機構であるとか組織であるとか要員配置であるとかというようなものを通じてよりよい森林をつくり上げていこうとする仕事であります。対象がこれまた森林という生き物であります。そして、そこに他のブロック機関等には見られない多数の労働者を擁して仕事をやるわけでありますので、これから国有林野事業の改善というものが非常に強く言われております昨今、しかも取り巻いている情勢がきわめて困難な状態にあるとするならば、これまた今後国有林の改善を遂行し得るかどうかというのも、やっぱり労使の理解協力、こういうものに大きくかかっているような気がするのであります。  こうなってまいりますと、扱うものも森林、林木という生き物、そしてそれをやっていくのに労使関係というまことにこれは厳しいものがあるわけでありますから、そういう考えで見ますというと、一般の行政機関とは全く違ったもの、これを同一物差しでもって見るということは不可能なことだというふうな感じが強くするわけであります。
  44. 矢田部理

    ○矢田部理君 また、先ほどの陳述の中で、例の特別措置法の実施に伴い、あるいは行革の一環として北海道四局を支局化された旨のお話がございました。この四局を支局化されるに当たって、他の局についての統廃合は今後考えていないというようなことが言われているというふうにも述べられておるわけでありますけれども、その経過、具体的な状況等についてはどんなふうになっておるんでしょうか。
  45. 田村武

    参考人(田村武君) お答えいたします。  この国有林の改善特別措置法、これが審議されておりました前の国会、このときには、ちょうど農林水産省、当時の法律で言えば農林省設置法の一部改正法案審議をされておりました。当時私は、北海道の全北海道労働組合協議会という組織があるのでありますが、そこの議長を務めておりました。そして、あれほど鳴り物入りでもって騒ぎ立てられましたこの行政改革というのが、最後になっていきますというと、実質で残ったのが北海道の四営林局の廃止、これだけになってしまったと、そういうよう現状の中で、北海道としては非常に大きな問題になったわけであります。道議会でも取り上げられまして大きな問題になりました。その中で、道知事の議会における答弁は、農林省、林野庁の説明を聞くと、営林局は廃止をするけれども、実際の仕事のやり方、内容、そして地元住民に対する利便等々についても全く現状とは変わらないと、こういう説明であるので、これについてはあえて反対する必要はないと思うというような答弁がありました。そういうようなものを見て私たちもびっくりしまして、そんな何も変わらないものだったら何でそうせんけりゃならぬものなんだろう。人も減らない、仕事も変わらない、何も変わらないというのだったら、一体どうしてなくするということでこれほど大騒ぎをするのだろうかと思いまして、道知事に対しても、それはちょっと反対しなくてもいいなんて言うのは無責任ではないかというような話をした経緯もあります。また、私も直接政府の関係の人たちとも会って公式、非公式にこの問題についての話もずっとやりました。結果は、支局ということで存続が決まりまして、農林省や林野庁が道当局に対して説明した、いや名前変わったって何もいまと変わらぬよというようなことが結果としては出てきておるように思うんですね。  そういう中で、私たちも何で北海道だけこういうものを押しかぶせるのだ、これほど全国的に騒ぎ立てておる行政改革が北海道の営林局四つ廃止だけということはどういうことだということで、激しくそういうやりとりをやったことがあるのです。それで、内地もやるのか、本州、四国の方もやるのかと、何で北海道だけ差別扱いをするのだというような話をやりましたときに、これは非公式な話としては、いやともかく北海道の四局廃止というのは、北海道の社会的、経済的情勢というものがほとんど同じだ、生えている木も同じだ、何も同じだ、そうして北海道という一つ行政区域の中にあると、そういうことになればやっぱり北海道一つのものとして総合的にいろいろやった方がメリットのある部分があるんだ、決して迷惑はかけないと、そうしてやっていくんだからというようなお話のある中で、これは北海道という特殊的な条件の中で出てきておることであって、全国的に営林局統廃合ということを及ぼそうという考えはないと、こういうお考えが私たちに示されておりました。  それから、国会審議状況もずっと私たちも注目しておったのでありますが、衆議院の農水委員会における質疑の中で、やはり同じような趣旨のことが、絶対に手はつけないよということは言われておりませんけれども、北海道の特殊的条件の中で出てきたものと理解をしてほしいということが政府筋の答弁として出ておるのも、この国会の議事録等でも私たちは見ておりまして、いまこの問題が、全体的な行革の中で営林局問題がまた一つ出てきてこぶがつくというようなことは毛頭考えておらなかったことについて申し上げておきたいと思うんです。
  46. 矢田部理

    ○矢田部理君 三点目でありますが、国有林野事業の経営事情等についても先ほどお触れになりましたが、どうも組織の要員だけを減らすということでは、林野事業の本格的な改善はなされないのではないかというふうに考えられます。とりわけ、構造的な要因があるというふうな指摘もあるわけでありますが、いま国有林野事業の全体的な改善計画、これはどんなふうに考えておられるのか、構造的要因とは一体何なのか、どうやってこれから林野事業について問題点を解決の方向へ導いていくのか等々について御所見があればいただきたいと思っております。
  47. 田村武

    参考人(田村武君) いま、国有林野事業の改善特別措置法が五十三年に成立をしまして、五十三年から十カ年間、六十二年を一つの区切りにしてこの改善計画を進めていく、六十二年を過ぎれば国有林野の特別会計、これは収支均衡を保って、あとは順調に発展をしていくんだというような内容のことが言われておるのでありますけれども、私ども、やはりずっと客観的にながめて、六十二年以降になって、この計画がこのとおり進められたならば、果たして収支均衡ということになるんだろうかというような気がするんです。  御承知ように、この国有林、林野庁というのは、特別会計でもって独立採算というような形での経営がされておるんですけれども、復興から高度成長期を通じまして、やっぱり資源状態が決定的に悪くなっておる。これはやっぱりイデオロギーの問題でも何でもないんですよ。現実、事実の問題だと思うんです。そして国有林だけではなくて、日本の森林全体がそういう状態になってきている。  しかし、これは私がいつも言うんですけれども、あの敗戦のときのことを考えてみれば、いま何をせんけりゃならぬということははっきりしているんではないだろうか。国破れて山河ありという言葉がある。あの戦争に負けたときに、金を貸してくれる者もなければ物を持ってきてくれるところもない、厳重な規制の中で日本の努力、日本人の努力でもって復興せんけりゃならなかった。あのときに日本の森林に木が立ってなかった、仮にそういう状態であったとするならば、日本の復興ってこういう状態になったんだろうか。国破れて山河ありという言葉があるけれども、まさに昭和二十年、戦争に負けたけれども日本の山も海も川も生きておった。これをもとにして独自の力でもって日本の復興をなし遂げた。  そして、それが高度成長にずうっと連なってくる中で、もう資源状態がどうにもならなくなったときに、投げておいた山の枝や切った根元をもう一回切って紙やパルプの原料にするというような話が二十九年の春ごろ出ておったんですね。ところが二十九年の洞爺丸台風であります。紙パルプ業界というのはあれを神風だと言って喜びました。そうして、人間の歴史始まって最大の森林被害が起きたわけでありますから、この被害木を原料に利用してまたまた高度経済成長を維持することができた。  しかし、これも何年かかかって整理がつきました。そのときに、有史以来最大の森林被害によって生じたその被害木の収穫というようなものに比べて、この整理が終わった後も日本の国有林からの収穫量というものを減らさないで維持しようとしたわけであります。そうすると、これはいままでの考え方をあきらめなきやなりません。あきらめなきやならぬものですから、考え出したのが、いままでの成長するだけ切っていくという考え方、これじゃだめなんだ、そんな考えではだめだと、もっと早く成長する木を植えれ、そして天然林よりも成長する量の早い人工林に切りかえていけという林力増強計画というものを出しまして、将来の太るものを当てにして先食いしていく、そして、いつかいったら苦労してよくなるんだという理屈でもって林力増強計画というものが始められる。そして、これも能率を上げるというために、大面積の一斉皆伐というような方法がとられたわけですね。それで、これでいってまだ足らないというので、木材増産計画という名前に改められまして、どんどんどんどん、もうとにかく将来太るんだからいま切ってもいいんだというので、太る量の二倍以上の伐採がずうっと続けられたんです。その結果がいまのような状態になっているんですね。  そうすると、いま国有林の経営が赤字だというのは、これあたりまえの結果ではないんでしょうか、資源を食っちゃったんですから。資本を食いつぶしてしまって、そして裸になってこれから収支均衡、独立採算制で日本の森林をよくするということができるんでしょうか。そして、いまこの森林の持っている機能というのは、木材の生産供給というものよりもむしろ国土保全であるとか、環境保全であるとか、水資源の涵養だとか、あるいは大気の浄化とかいろいろのことの方が大きいんだと、こう言われております。しかし、いまの改善計画というか、国有林経営というものの底を貫いておる思想というものを見ますと、結局それほど大事な森林機能というものを発揮して——生きている人間全部がこれは受け取る利益であります。それなのに、それらのものを守っていく費用は森林がつくり出す木材の代金だけ。だから、木材を使う人だけにこの森林の多元的機能保持というものについて責任を負え、おまえたちの出す金でというこの物の考えというものは誤りじゃないんでしょうか。  ですから私は、そこら辺のところをきちっと考えて、やっぱり国有林を復活させる、復興させる、一日も早く復興させるどいうような考え方をとらなけりゃだめなんでないでしょうか。そして、国有林も民有林も同じといえば同じなんですけれども、自分のつくった商品を、原価が幾らかかったからそれを上回るもので売らなきゃならぬといったって、そうはいかない仕掛けになっております。外国の材料が安いとなれば、おれの木材つくったのは人工林なんだから原価幾らだ、だからこれ以上でなかったら売らないよと言ったって、売らなきゃ買わないよということにしかならぬわけであります。ですから、自由市場の決める値段でなかったらどうにもならない。これはとても公企業として、いまのような状態だけで、全く自由市場の競争原理だけが働く中で、国有林経営というものをきちっと独立採算でもってやれということがいま無理でないんでしょうか、吸い上げてしまったんですから。結局、郵便局だったら、郵政事業だったら財政悪化、赤字ということになれば郵便料値上げをすれば事は済むんです。ほかのところは郵便事業やってないんですから。電電公社もそれと同じであります。  しかし、全然これは国有林の場合には違います。ですから、いまこういう状態にして資源をここまで悪化さした、これまでまさに食いつぶしてしまった、資本をこれから投下してつくりかえていかねばならぬ、再生しなきゃならぬという段階に来ている。そのときに、ただ単に一つの仕事だけとらえて、それが能率がよければいい、たとえば切る仕事だけをとらえて、切る仕事の能率が上がればいいという形というのは、私は、経済的合理性ように見えて実はそうではないと思います。森林をつくりかえていく、再生していく、これが林業だと考えますならば、切るときには、植えて、それがりっぱな林に育つまでを見てどういう切り方をしたらいいか。たとえば一本切るのに百五十円かかっても、再び植えて成林するまでには、いま百五十円かかった切り方の方がいいんではないか。切るだけなら百円で切る方法はある。しかしそれでは、将来まで見通すというとずっと費用は多くかかる。いま百円の金をかければ百三十円木が太るというんなら、やっぱりいま百円かけるべきでないか、そういう考え方をこの林業というものの経営の根底に据えていく。その辺の哲学を変えなければだめなんでないだろうかというような感じを私は強く持つんです。  そして、同じやるんでも、国有林の人間は余っている、営林署は人が余っている、余っていると言いながら、一般会計の中を見ますというと、林業構造改善事業でもっていろいろな仕事が補助対象としてどんどん挙げられてきます。挙げられてくるものの中をずっと見ますというと、ほとんどが技術的な、測量であるとか、いろいろな林業の労働力の調査であるとか、また労働災害の調査だとか、いろいろなものの調査とか何とか、いわゆる技術的な人件費の補助対象というのがほとんどを占めている事実です。国有林に働いているりっぱな技術者がこれほどいるのであります。そして、法律を見れば、営林局長というのは民有林の経営の指導も何もやるということが法律の所掌事務には書いてあるんです。ところが、なわ張り根性というのでありましょうか、何というんでありましょうか、もうそんなものは営林署は人が余っているから減らしていけばいいんだ、片方では一般会計で民有林に対する莫大な量の補助事業をどんどん計画していく、こんな、矛盾もはなはだしいと思うんです。  これは単に国有林だけの問題ではありません。山村へ行きますというと、学校を統合するというので、文部省の方の補助でスクールバスみたいなやつができます。今度は片方は、また同じような過疎対策でもって、ほかの省がまたバス一台補助をしてつくる。一つにすれば一つでできるものを、全部が縦割りでもってむだなことがものすごく行われておる。この辺のことをメスを入れてきちっとすることこそ行政改革というものではないのかなと、私ども地方におるものは強くそういうふうに感ずるのであります。ですから、いまこれほどの国民的な要請があるわけでありますから、行政改革というものに。もっともっとそういう点を、だれが見ても、なるほどな、この改革ならやるべきだと、そういうものをお示しいただきますように特に希望したいというふうに思います。
  48. 矢田部理

    ○矢田部理君 もう一、二点伺っておきたいと思いますが、従来、林野庁の場合には改善特別措置法によってそれなりに改善を進めてきた。お話がありましたように、北海道の四局を支局にしたこと、人員の点でも、ピーク時から比べれば六八%にまで減員されているというよう状況などの努力の跡が見られるわけでありますが、特に私が疑問に思っておりますのは、改善特別措置法をつくったときには、今後十年間の期間で改善計画を立て、それを遂行していく、その結果を見て改めて次の方針を出すということになっていたように思うんです。その十年間が来ないうちに、今度の法律では五十九年度末にさらに行政改革を進めるべしというような向きの法案になっていて、ついせんだってつくった改善特別措置法との整合性が大変問題になるわけでありますが、その辺はどう考えておられるのかということが一点であります。  もう一つは、先ほど参考人も触れられましたように、特別措置法の二条三項では、改善計画の変更をする場合には改めて林政審に意見を聞かなければならぬという規定がございます。林政審の委員として、今度のような改定がブロック整理法でなされるとすれば、当然のことながら林政審に意見聴取があってしかるべきだというふうに考えますが、そう考えられるのかどうか、あるいは意見聴取があったのかどうか等も含めてお答えをいただきたいと思います。
  49. 田村武

    参考人(田村武君) お答え申し上げます。  まず、今度のこの法案の五条関係を見まして私もびっくりしたのですけれども、先ほどもちょっと触れましたが、五十三年にあの改正がなされた。そして五十三年のときには、政府筋として、この営林局問題というものについてはそんな近々出てくるような問題ではない、少なくとも六十二年までの改善期間を過ぎてそこで出てくるのならあるかもしれませんけれども、その前にあるものじゃないというふうに思っておったのが出てきておりますのでびっくりしました。その経緯等も非公式にもいろいろと各方面から聞いておるのですけれども、これは国有林の経営改善という視点から出たものではなくて、別のいわゆる全体的な行政改革というものの中の横並びで、ここにも何か一つだけアクセントをつけておかなきゃどうにもならないんだというような感じで出てきたというような話も聞くわけなんですね。ですから、国有林野事業の経営改善という立場からこの問題が出てきているものではない、横からのものだというふうに私は感ずるわけです。  それからもう一つは、この改善措置法の中に林政審議会の業務ということで書いてありますが、その中に、国有林野事業の改善計画を定め、もしくは改定しようとするときには林政審議会の意見を聞かなければならないと、こういう法律上の規定があります。ちょうどことしの五月九日だったと思うんですけれども、重要な林産物の需給見通しの改定という問題がありまして、林政審議会が開催されました。ちょうどこの時点は、前国会でこの法律案が成立していくのかしないのかというような山場のような時期でありました。そこで、私はあの法律案の最終的に決まった内容を見まして、これは五十三年に決まっておる国有林野事業改善措置法の改定に——改定ということだろうというふうに思ったんです。したがいまして、この五月九日の——九日だとたしか思うんですけれども、その林政審議会の席上、そうであれば林政審議会の意見を聞く、いわゆる内閣総理大臣の諮問があるわけですから、それがあるのかないのかということについて事務当局に聞いてみました。そうしたら、いや、それはないというわけであります。それじゃどうしてないんだろうと、改定ではないのかなと、それなら委員会の席上こっちから意見を出さなきゃいかぬじゃないだろうかというふうな話もしていたんです。そしたらそのときに、関係筋の方の言い分は、いやこの第五条というのは、何も統合する、こう決めているわけではない。だから、統合するということを政府として決めたというならばその改善計画の変更に当たるのだから、これは内閣総理大臣からの諮問ということを手続をせんきやならぬというふうに思うけれども、そうではないのだ、これは統合するかしないかという問題をまだ未定の、決定してない状況にあるというものなんだ、この段階では。だから変更ではない。変更ではないのであって、もし統合するという方針が固まったならば、その時点で林政審議会に諮問するということになるでしょう、こういうお答えでありました。ですから、そういう見解ならば何も林政審議会でその問題をあの時点で問題にする必要もないなと思って、私は林政審議会での発言は差し控えた、こういう経緯がございます。
  50. 矢田部理

    ○矢田部理君 西川参考人に伺いたいと思いますが、今度のブロック整理法をずっと見てみますと、言葉は悪いんですが、一つは四国整理法じゃないかと思われるぐらい四国関係の整理対象が多いわけです。お話がありました行政管理庁出先、それから厚生省の出先になっております四国地方医務局、これを廃止して支局にする。さらには、先ほど平塚参考人からお話をいただきました鉱山保安監督部も四国が一つ対象になっているわけであります。この四国の行政需要から見て、とりわけ他の行政機構は全国八ブロックということで四国もその重要なブロック一つにされているわけでありますが、今回の整理に見る限り、四国をめった打ちに切るというようなことが、たまたまなのかどうかは別として、結論的には出てきているわけでありますが、四国の立場から見てこれをどうお考えになっているのか。先ほど四国は一つである、一つブロックであるというようなことをお話しになったわけでありますが、その点をもう一度伺っておきたいというのが一つ。  それからもう一つは、平塚参考人にお尋ねをしたいのでありますが、鉱山保安業務の重要性を先ほど強調をされました。なるほど四国の山は全国的に見れば少ないのかもしれませんが、同時にまた、最近は環境問題が新しい仕事としてつけ加わっておる。鉱山等における内部の災害とあわせて、住民に対する影響も非常に大きいと考えられます。特にカドミとか水銀とか六価クロムとか、いわば有害有毒物質を含む山などが、あるいは堆積場などが依然として数多くあるわけでありますから、そういうものに対する保安監督行政というのは依然として重要だというふうに考えられるわけでありますが、特に私は前回から問題にしておりますのは、鉱山保安法が古くからあって、他の産業と比べて特別な対策を従来立ててきた。特別な対策一つの大きな特徴は、通常ですと各省庁の全体的な業務一つとして受けとめられるわけでありますが、鉱山保安法の場合には、特に鉱山保安監督局長あるいは部長に特別の権限を与えている条項があるわけです。これは他の産業政策から見ると、やっぱり特別な役割り任務を実は期待しているあるいは責任を求めているという趣旨でもあるわけでありますが、四国に鉱山保安監督部がなくなる。そうしますと、部長に与えられた権限が四国では、その地場では行使できないということに実はなるわけだし、その責任の所在もなくなるということになるわけですから、そういう意味では非常に多くの問題点を提起をするのではないかというふうにも思われるわけでありますが、その点についての見解を一点伺って、私の質問を終わりたいと思います。
  51. 西川春夫

    参考人(西川春夫君) それではお答えいたしますが、全くおっしゃるとおり、これ四国が私らも自分の関係していることだけではなく重なっておりますので、先生のお言葉のとおりでございます。私たち、いろいろ四国に御存じのような通商産業局もあれば、また四国の陸運局もあり、それぞれやはり私らの申し出人によるいろいろな行政相談の事案というものは、そうした四国にある局と対等な形で先ほど申し上げましたように監察局の厳正ないろいろな調査、監察によっていろいろと改善などを、管掌しております役所と私たちと一緒になって初めていろんなことをいち早く解決に持っていける道があるわけでございますが、これが仮にも広島ということになりますと、非常にこれ縁遠いことになります。やはり四国の、やはりあの霧にちょいちょいと閉ざされまして、飛行機に乗りましても徳島とかあるいは高知とかそれは行くそうでございますが、香川県の高松のようなのは、飛んでみて上まで行って霧でおりられないということがよくあるわけなんです。このごろは生活様式が非常に変わってまいりましたのか、霧なども従来の、季節だけじゃなしに、何か回数が多くなったような気がするわけでございます。海陸ともに孤島というようなことが時折起こってまいるわけでございますが、私はそうしたいろいろな私たちに起こってきます相談の業務を円満に、また申し出人に何かこう即刻いろいろな返事ができるような対応を持つためには、やはりいろいろな行政機関の横の並びに局があるんですから、私は管区局のようなものがやはりあってもらわないと、対等な形でいろいろそうした調査、また要望にこたえる道がとだえると思いますことが一つと、私らは決して大を望むものではないんでございまして、たとえ簡素でもいいから権威の高い、国民に期待される役所というものをやはり四国で持っておりませんと、とかくおっしゃるよう一つ減り二つ減りということになりますと、もう四国はなくなってしまうような気もするわけでございます。  私、先ほど申しましたように坂出でございますので、目の前では瀬戸大橋の工事がいまは海底工事、だんだんと進んでおります。やはりああした大きい国家事業としての本四架橋というものができますまでは、やはり四国というものは孤島であり、皆様が、これを何とか水準を一般に持っていこうというよう先生方の御意向が身にしみるわけでございます。電力問題その他を考えましても、やはり一つにまとまっていくという気持ち、しかも行政ブロックという形から言って八つあることが、私たちにはもう国民的に——長い私の生涯で戦後いろいろ考えられますことは、これでいいんだなということと変えねばならぬということがあると思うのでございます。あえていいんだなというものまで、余り利益もないのに変えていくのはどうしたんだろうかという疑問があってしかたがないわけでございます。どうか事情のわかった者がそのいろいろな要望に、その土地にふさわしい解決、助言をできるような私らの一番大切な役所というものを、やはり四国の範囲に管区の現存ということ、私はどうしてもあきらめ切れぬものです。大変問いに対して答えになっておるかどうか別でございますが、私はそういう観念を堅持いたしております。  お答えにかえさせていただきます。
  52. 平塚保明

    参考人平塚保明君) お答えいたします。  ただいまの矢田部先生の御指摘のように鉱山保安監督部長には権限を与えておりますが、今回支部になるということになりますと、いま先生の御指摘のとおり、支部長にそういう権限を与えるのかということに相なるのでございまするが、私も先ほど申し上げましたように、支部長に権限を委譲して実質において仕事に渋滞を来さないということにするということを聞いておりますので、これは内部権限の委任で十分できるそうでありますし、過去においては、いまはやめておりまするが、平支部、宇部支部というようなものがございまして、そこで現実に監督をいたしておりました。それと同じ方法をとるということを監督部の、立地公害局で申しておりますので、私はそれを信頼いたしますと同時に、ただいま申し上げましたように、必ずそれを実現するようにお願いするということを申し上げておるわけであります。お答えになりましたか、どうでございますか……。
  53. 矢田部理

    ○矢田部理君 お話でありますが、この点は実は論争になっておりまして、鉱山保安法自身が特定の局長とか部長に与えた権限、つまり法律によって与えられた権限でありますから、法律以外の方法によってそれを分掌、委譲できるというふうには考えられません。その点が実は問題なんであります。一般的に、通産省全体に与えられた権限であるならば、それを設置法でその権限を分掌することができるという規定がありますから、それはそれで一般的な通産省の権限であればいいのでありますが、特に鉱山保安法は局長と部長にのみ特定して与えた権限でありますので、それをどうしても与えろということになるとすれば、鉱山保安法の改正を伴わなきゃならぬ。それをやらずして内部規定で委譲ができる、委任が可能だという議論がおかしいというのが私の見解なんでありますが、それはそれとして、そんな問題点があることをひとつお含みいただきたいと思います。特に会長さんでありますから。
  54. 平塚保明

    参考人平塚保明君) はい。
  55. 野田哲

    ○野田哲君 田村参考人に一点だけお伺いしたいと思うんですが、国有林野事業は独立採算制ということになっているわけですが、私は、国有林野事業、国有林の現場を何回か回って見たことがあるんですが、国有林というのは山に木を植えて育てて切って売るということだけではなくて、やはり現地をずっと回ってみると、自然環境の保護あるいはレクリエーション地域の提供とか治山治水とかあるいは林道による交通とか、こういう面で非常に大きな範囲の役割りを国有林が果たしている面をやはり現地に行くと理解することができると思うんです。このような国有林の果たしている林野事業以外の国家的な大きな役割り、これは金の上で相当、金額に見積もればこれはなかなか有形な面無形な面もあって見積もりにくいと思うんですけれども、金額的に言えばかなり大きなものがあると思うんですね。そういう点は、やはり独立採算制というたてまえになっている以上は、国としてやはりそれだけの果たしている役割りについては評価をしていかなければいけないんじゃないか、こういうふうな点を思うんですけれども、この点は田村委員は林政審議会の委員としてどういうふうにお考えになっておられるか、あるいはまた、国がそういう役割りを林野事業の中で果たしている役割りを評価しているのかどうか、伺いたいと思います。
  56. 田村武

    参考人(田村武君) お答えさしていただきます。  いま先生おっしゃっておりましたようなことを正しく評価していると思います。正しく評価はしていると思うんですけれども、問題は、私どもも林野庁や農水省の方々ともいろいろ話したことがあるんですけれども、それはそうなんだけれども、いまのこの国有林の財政事情じゃそんなことを大蔵省に言ったって相手にもされないと、どうにもならぬという言葉しかないんですよ。私たちも、林野庁の偉い人たちとも、まさにこれは林野庁長官と言ったって林業技術者なんだから、林業技術者という立場の良心に基づいてどうなんだろうと、これは労働者と経営者ということでないと。日本の山をよくして次の世代に引き継ぐというのはイデオロギーの問題じゃないんじゃないかと、政党の問題でも何でもないと。しかもアメリカ人やロシア人のために財産残すというんでないんだから、その残した財産を使うのは日本人なんだし、だれが利益を受けたって日本人の利益じゃないかと。なら、いまもっともっと人手を加え、金を加えてやれば、もっともっと木材の増産という面でも、あるいはいま先生がおっしゃっておられますいわゆる森林の持つ公益的機能というようなものの十分な発揮という面でも物すごく効果があることわかるんですからね。だから、その辺もっと大胆に大蔵省に物を言うんではなくて国民に物を言うと、そういう立場でやっぱりやるのが行政を預かっている人の立場でないんだろうかというような話もするんですよね。何か私たちも知りませんけれども、日露戦争のときに、船つくる材料にあの日比谷公園の木を全部切るという話が出たんだそうですね。当時しかし山林局長が、そんなことはおれが命にかけたってさせぬと言ってがんばってあの日比谷公園の木を残したという、そういう気概がいま必要なんじゃないでしょうか。そういうようなことを私は特に強く訴えたいというふうに思うんですよ。  それから、いまのこの効用については、四十七年に林野庁が森林の効用というもので、水資源の問題だとか大気浄化の問題だとか酸素生産の問題だとかというようなことでいろいろやって計算したものがありますね。あれによれば、日本の森林の持っている効用をいまの物価指数で言えば二十二兆六千億円を超えるというんですね、一年間に。そうして国有林だけでも七兆六千億を超える効用を日本人のために生産しているというんですよね。だから、そういうものを、先ほども申し上げましたように、森林が生産する木材利用者のみにそれらの効用を全部賄えというようないまのやり方がいいのかどうかと、ここのところを鋭く問い直してみるべきだろうというように私は常々考えております。
  57. 野田哲

    ○野田哲君 ありがとうございました。
  58. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 田村参考人に一点だけ、これは参考にひとつ具体的にお伺いいたしますけれども、ほかの行政機関は大体八ブロックになっているのですね。それから、営林局関係は九州から北海道まで十になっておるわけでして、九州熊本に一カ所、四国に高知、それから近畿、中国関係で大阪と、さらに愛知、富山、岐阜、これは名古屋。それに新潟、長野、この辺で長野にある。それから東京都を中心にして関東の一部、これが一つ。それから群馬、福島、栃木で前橋と、秋田、山形で秋田と、青森、岩手、宮城で青森と、こうなっているのですね、あとは北海道がありますが。  そこで、これはどういう御意見か知りませんけれども、仮に名古屋関係と長野関係、これを統合したらどういうような難点があるのか、仮に今度は秋田と青森の局を統合した場合にはどういうような難点があるのか、その辺のところを、大まかなことでしょうけれども、お伺いしたいと思います。
  59. 田村武

    参考人(田村武君) お答えいたします。  統合した場合にどういうような障害が起こるのかというお話なのですけれども、私の意見としましては、いま国有林をめぐっておりますいろいろな情勢はきわめて厳しいと、だからこそ五十三年に国有林の経営改善特別措置法というものが制定されて、この十年間でもって改善をしようというようにスタートをしておるという状況なんですね。そういうよう状況を見ますと、先ほども言いましたように、一般の行政機関というのは日本の全土にくまなく分布しておる、対象は国民と、こう考えたとするならば、それはもうずっと分布しているわけでありますから、これを八ブロックということで全体的にやっていってもそれなりの理屈はあると思うんですよ。しかし国有林というのは、これは森林でありますから、日本全土に同じように分布しているわけじゃありません。北海道は五つの営林局があって多過ぎるのじゃないかと盛んに言われましたけれども、国有林の四割は北海道にあるんでありまして、そういう事情があるわけですね。ですから、そこをきめの細かい生き物相手の施業、しかも人間関係、労使の関係というものもより理解を深め、お互いに協力し合ってというようなことを考えるならば、それなりのきめの細かい手入れが必要だと思うんです。そして、生き物が相手なんですから、紙に書いた通達だとか電話でもって済まない面が非常に多い。私はいつも言うんですけれども、お医者さんが自分で診察しないで処方せん書くわけはないでしょうと言うんですよ。書けないんでしょうと、そういうものは。そうすると、生き物を相手にしてあそこにどういうものをどういう方法でやって、どういう手入れをして、手入れをしないからどうなっているのかというようなことを見ないで処方せんは書けないんじゃないですかと。だから、そこを見ると、そこから良好な経営というものの基礎が出てくると私は思うんですね。  山も森林も所番地あるんですよ、全部。ここは何林班の、またここはその何小班とかということで、何条何丁目みたいな所番地があるんですよ、国有林には。ですから私たちの若いころ、営林署におったんですけれども、私たちの若いころは、これは戦時中の話なんですけれども、大体第何林班の何小班といいますと、私ら、営林署のあそこへ行ったら、何の木があそこにあったなというようなことは、営林署の職員なら大体皆知っていたものなんです。いまは全然だめですよね。行くと言えば、旅費がないからだめだというでしょう。遊んでいる遊んでいるということを言いながらも、どこへも行くなと、こういういまの状態ですもの。だからこんなことが、木を見て森を見ないという言葉があるんですけれども、よくもうまいことを言ったものだと思うんですよ。ですから、そういう点をずっと考えまして、やっぱりたとえば青森、秋田というものでこうやりますと、青森営林局には——県は小さいですけれども、国有林は多いものですから四十七営林署があるんです。それから秋田局には三十四あるんですね。これを合わすと八十一になります。営林署が。八十一の営林署を一つの局でもって見ていけるのではないか、それでいい経営ができるのではないかというなら林野庁一つでいいんじゃないでしょうか。そんなように思うんですよ。  いま全国三百四十二ですけれども、これをもうあと二十幾つ減らすというような計画なんですね、改善計画は。そうですけれども、そういう状態を見ますと、全く何と言うのか、いま営林局を減らすのでなくて、むしろ充実強化をしてきめの細かい改善の努力をすべきときに来ているのじゃないかなと、私は逆にそんな感じがするんですよ。ですからとても、どこをどうやってどんな弊害が出るのだと言われても、まさにいい森林をつくって子孫に残すために逆行する、そういうことはいけない、そういう気持ちでいっぱいです。
  60. 安武洋子

    ○安武洋子君 共産党の安武洋子でございます。  参考人の方には、お忙しい中お越しくださいまして、貴重な御意見をお聞かせくださいましてありがとうございます。  私は、最初に西川参考人にお伺いいたしとうございます。その前に、お話を伺わせていただきましたけれども、行政相談委員といいますのは大変幅広くて専門的な知識を必要とするお仕事で、四国で二百四十七名の委員の方が定期的な相談とかあるいは巡回相談など適切な非常に困難な数多い業務をなさっていらっしゃるということを伺いました。最初に、そのお仕事に対して敬意を表させていただきます。  まず、問題点でお伺いいたしたい点でございますけれども、三点ございます。  第一点でございますが、四国の管区局の存在と申しますのは、他省のブロック機関への監察とか、行政担当の処理の上でも私は重要だと思っております。支部という出先機関への格下げということになりますと、他省とのかね合いが大変心配で、そのことが職員の士気にも影響するのではなかろうかというふうに思っておりますが、この点いかがでございましょうか。  それから、第二点でございます。「行政相談の受理」というのを見てみましても、この五年間で昭和五十年には七千八百八十三件、そして五十四年には一万一千五百七十一件と一・五倍にふえております。同時に、問題も大変複雑化しているのではなかろうかと、処理に手間取るものも多くなっているのではなかろうかというふうに拝察いたします。  それで、行管庁職員の場合は、一方では管理しているところということもありまして言い出しにくい面もあろうかと思いますので、そこで西川参考人にお伺いいたしたいところでございますけれども、行政相談一つとってみましても、率直に言っていま拡充が求められている、人員の面でも増員が必要な状態ではないかというふうに思っておりますが、この点いかがでございましょうか。  それから、第三点でございます。現在、全国八ブロック国民的にも定着いたしております。今回の行革の基準というのがブロック機関は七つ以下というふうに非常に機械的にされているわけでございますけれども、地域全体を面的にカバーしているブロック機関というのは、いずれも整理対象になっているのは四国でございます。これは、四国が地理的にも歴史的にも、もちろん社会的にも経済的にも私は一単位のブロックだと思いますし、そういうお話もございましたけれども、本四架橋ができたといたしましても、急速にこの状態が変わるものではないと思っております。今回の一連の中国との統合案についていかがお考えでございましょうか、重ねてお伺いいたしとうございます。
  61. 西川春夫

    参考人(西川春夫君) それではお答え申し上げます。  順序が変わっておるかもしれませんが、いまの御質問に対して、一番最後におっしゃいました八ブロックの点でございますが、これはお役所の行政監察局とは別に、私たち行政相談委員が全国の行政相談の連合協議会というのをつくっておるわけでございます。略しまして全相協と私らは申しておりますが、その理事を四国の代表ということでいたしておるわけですが、いつも理事会といいますと、その八ブロックから理事が一人ずつ出まして協議をするわけでございます。  今回、四国管区というものの変動ということも一度議題に上がりまして、たとえ管区がなくなっても、これは役所のサイドじゃないんだと、民間サイドとしては八ブロック制というのは尊重して守っていこうじゃないかと、おっしゃるように今回くっついてまたどうこうと、支局というんじゃなしに、全相協においてはいままでどおり一つブロックとして八ブロックでやっていきましょうと、そういう決議をし、今後もそのようにということで皆約束したわけなんです。したがいまして、もし私たちの全相協という組織が四国のブロック制をずっと永久に続けていこうということになりますと、おっしゃるような四国のいわゆる八ブロック制というのは、やはりできることならば依然として私たちは続けてまいりたい、たとえ橋がつこうとつくまいと、島としての風土的条件というものはいつまでも続いていく問題じゃないかと思うわけでございまして、皆でよく手を握り合ってやっていきたい、こう思っております。  それからもう一つ、むしろ役所としては増員をすべきじゃないかというようなお話がございましたが、私も全くそのとおり思っておるわけでございます。今後行政改革というのがいろいろな形で進められていきますと、国民がいろいろ要望をしたり、何といいますか人間が減るんですから、どうしてもそこに行政サービス面というものに不足が起こってこようと思うんでございます。その行政サービス面の何か足りないところをやはり国民としてこうしてほしいというような要望は、むしろ今後行政相談委員というわれわれの窓口にかかってくるんじゃないかと。私たちは決してこれを解決するだけの能力があるわけじゃございませんので、やはりこれを行管のそれぞれの担当の職員に物事によりましたらよく相談して、また納得のいく解決を図らねばならぬ、助言をせねばならぬと思っておりますので、そうしたいろいろと行政が進むに従って国民の窓口に対する不平、不満というものがむしろ増してくるんじゃないかと。それに応じていくのは、私たちが老骨にむち打ちながら、また若い人も一生懸命に自分の職務というもの、委嘱されたこの仕事に邁進していくためにはどうしても相談相手がより要りますので、むしろそうした監察をやりいろいろ改善をやっていく役所なんというのは何もかも減らすんじゃなしに、私たちから考えますならば、むしろ筋を立てて増強していくべきじゃないかと、そのように思っておるわけでございます。  それから、先生最初の四国管区という問題でございますが、私ちょっと聞き漏らしましたが、どういう……
  62. 安武洋子

    ○安武洋子君 これは、支部という、出先機関というふうに格下げした場合に、やはりそのことが職員の士気にも影響するんではなかろうかと。
  63. 西川春夫

    参考人(西川春夫君) 大変失礼いたしました。  それに関しましては、いま申し上げたように、全相協でそういう決議もいたしておりますので、やはり管区というもので物事を、通産局の問題もございますし、いろんな問題があるわけですが、対等な役所と肩を並べてやはり私たちにいろいろ指導をいただくためには、これが支局になり分局になるというようなことでは、せっかくの私たちの長年の努力というものが……。どこかで格下げということになりますと、私はやはり権威のある役所としてその内容を持ち続けまして、やはり管区としての局そのものが私たちの拠点というか、頼りにする城でございますので、ぜひそのものの存続を期待いたしておるものです。  以上です。
  64. 安武洋子

    ○安武洋子君 どうもありがとうございます。  重ねてですが、四国管区局の存在と申しますのは、格下げとか縮小とかというふうな経緯をたどるのではなくて、いま、時代の要請に応じても充実を目指さねばならないときではなかろうかというふうに考えておりますが、その点についてお伺いをいたしとうございます。  それから、申しわけございませんが平塚参考人にお伺いいたしとうございます。  鉱山保安の特殊性でもございますけれども、稼行鉱山の数が減りましても休廃止鉱山の保安の業務がございます。稼行鉱山につきましても、採掘が深部になっておりますので、こういう深部移行に伴いまして、保安行政の要請というのは引き続き強まっているのではなかろうかというふうに思います。単に稼行鉱山数だけ見て保安行政機構とか人員を削減するというふうなことになりますと、大変危険なことだと思っておりますけれども、この点いかがお考えでございましょうか。  それから、第二点でございますが、現在鉱務監督官の方が監督とか指導、調査などに回られております。実際は人手不足で回った後でも安心ができない。とりわけ休廃止の鉱山などは保安の面で一手に責任を負わなければならない状態だというふうに思います。人命と財産にかかわる問題でございますので、現行の機構の充実は絶えず求められているというふうに私は思っております。こういう点についてどういう御見解をお持ちでございましょうか。  それから、第三点でございますが、廃止鉱山の工事補助金の枠の拡大について少し御見解をお伺いいたしとうございますが、地元自治体負担につきましても、山間僻地の自治体が大変多うございます。ですから、大規模工事の地元負担には耐え切れない状態がございます。こういう点で負担軽減措置などについてどのようなお考えでございましょうか、御見解ございましたらお聞かせ願いとうございます。
  65. 平塚保明

    参考人平塚保明君) お答えいたします。  ただいま第一の御質問の点でございまするが、実は稼行鉱山が減っても、坑内が深くなってくると、あるいは休廃止鉱山の問題が出てくるから、こういうことで仕事がむしろふえてくるんじゃないかという御質問だと思いますが、はっきり申し上げまして、四国ではメタルマインで坑内の深くなるところは現在残念ながら一つもございません。
  66. 安武洋子

    ○安武洋子君 いや、一般的にお伺いいたしております。
  67. 平塚保明

    参考人平塚保明君) 一般的には御指摘のとおりでございます。鉱山の深部になりますが、深部になるというのは大きな鉱山しかない。現在、日本で大きな鉱山というのは十指しかない、十ぐらいしかございません。さようなことで、むしろそれの休廃止の後の水の処理とか、あるいは休廃止ダムの管理とか、そういうことで仕事はふえてくると思います。したがいまして、私も先ほど申し上げましたように、直接生きた鉱山の巡回検査というのは、昔はもうそれを定期的にやっておりましたが、それは減りましたけれども、それにかわるものが出てきたということを申し上げている。いま先生御指摘のとおりでございまするが、その絶対量は前より大いにふえたかといいますと、それほどでもないと申し上げていいと思います。  次に監督官、これも同じようなことでございまするが、休廃止鉱山がふえました。これは一番の問題は、やはり選鉱廃滓のためてありまするダムの決壊、これが一番大きな問題であろうかと思います。それともう一つは、鉱山でございまするから雨が降ると水が出てくる。したがってどろ水が出てくる。それから、常時坑内から悪い水が出てくる。それは今日鉱山保安法でやかましく取り締まっておりまして、その処理を命じておりまするから、それの監督に行くということでございまして、したがいまして巡回監督に参る、そういう機会は従来にも変わらなくあると思います。  それから、鉱害問題について御指摘の、ただいま国から補助金が出て、四分の三国が出して、四分の一が地元の負担になっております。これは県によって非常に困るという発言がありました。私も実はこの春まで坑廃水問題懇談会というものの座長をやらされておりました。各都道府県の方々地域方々ともいろいろ折衝がありましたが、この問題はいま先生の御指摘のとおり、自治体から非常に困るということが出ております。私も個人の見解では、この水は今日ではもと持っておった鉱山会社——現在でもそれは持っておるわけですが、鉱山会社にその責任を——どうも失礼いたしました。休廃止ですから、鉱山会社のないものでございます。これはいま先生のおっしゃったとおり、四分の三を国が持ち、四分の一を自治体が持っておりますが、これも本来ですと、いまおっしゃったように都道府県としては負担に耐えない。実はこの山が生きておりますれば、少なくともその山の生きていることによってその地域がやはり経済的に潤ってくる、また若干の税金も入ってくる。ところが、死んだ山からは何にも入ってこないということで、この問題は非常に都道府県からすると困る問題であると思いまするが、私は、できればこれはやはり国がある程度、もうちょっとめんどうを見てやったらいいんじゃないかと思っておりますが、これはなかなか大蔵省ががんとして、やはり地方がそれによって水がきれいになるとか、そういうようなことから景観がよくなる。確かにそういう意味から地方も受益するではないか、だから、若干それは持ったらいいんじゃないかという考えだと思いますが、さようなことで、いまの御指摘はまことにごもっともで、私どもはやはり国が持ったらいいんじゃないかという考え、は持っておりまするけれども、現在のところは、やはり一部を地方が、受益者負担という思想があります限り、なかなか実現はむずかしいんじゃないかと考えております。
  68. 安武洋子

    ○安武洋子君 ありがとうございました。
  69. 秦豊

    ○秦豊君 私は田村参考人に御質問を申し上げたいと思いますが、その前に、西川参考人に、これは質問ではありません。ただ、あなたが言われた四国管内のさまざまな問題について、同僚議員がいみじくも言われた今回のポイントとねらいはあたかも四国整理法案のごとく受け取られるということを私はほろ苦い実感で受けとめている一人なんで、それは地縁血縁的に愛媛出身であるということで変わりますけれども、しかし、もちろんここは国政を議する場であって、純客観と冷静、公平の原則を貫くべきであることは私どもの言うまでもない原則ですけれども、しかし、たまたま林委員長におかれては高知出身でいらっしゃるし、藤井先生におかれましては愛媛出身でいらっしゃるという、まさに地縁血縁を分かち合っているわけですが、純客観に徹しようと思っても、なおかつ今回の改革の方向が、田村さんも言われたように、果たして公平であり、行政サービスに欠落なきを期しているのかとか、あるいは手続の民主化とか民主的な慣熟度とかあるいは法的な、矢田部氏も言われた整合性の脈絡とかいういろんな点が欠け落ちていて、ただ中曽根長官の大号令のもと、ひたすら貫こうとしているのは画一の原則であるというふうに私は受けとめておりますので、遠路はるばるいらしたからという意味じゃなくて、おっしゃったことが正当であったから、私は実感を持って受けとめている一人です。  そこで、田村参考人の御意見を伺っておきたいんですが、あなたのずうっとこう何回かのお話をいま伺っておりまして、私はこういうふうに感じたわけですよ。私は、林野行政は全くのど素人なんですけれども、ただ確かに、この林野を相手にしている行政というのは教育事業に似ているなという感じがしました。つまり、単位が時間ではなくて年月であって、しかも相当長い年月が尺度にならざるを得ない。しかもいま生きている世代よりは、もちろんそれも含まれますけれども、次の世代に何をどう残すかという観点を抜きにして林野行政を論ずることはできないという受けとめ方をしたわけです。  それで、いまいろんな地方から、非常に熱心に書かれたおはがきやそれから封書をたくさん、毎日のように会館にちょうだいをしております。骨子は、もちろん財務局問題もありますけれども、分量として多くを占めているのは、まさに営林関係、林野行政に関するものであります。それで、私は思い出すんですけれども、数年前に、まだ私がジャーナリズムの一隅にいましたときに、たまたまあるときの企画で空撮を——空中撮影で列島のかなりな部分を撮影したことがあります。それは、自然は生きているかというふうな統一テーマで、あえて赤外線フィルムを使用したわけです。普通のカラーやモノクロに比べると、御存じのように、赤外線で空撮をしますと、非常な迫真力を持って、国土がどの程度荒廃しているのかという、かなりなポイントに迫り得る非常にリアルな画面が放映されたことを私も思い出しています。あれは数年、いや、もう七年以上前の話ですから、それから国土がよみがえったのじゃなくて、国土はさらに荒廃を深めつつあると思うのです。  そこで、単なる会計原則や単なる合理性や単なる市場原理がなかなか妥当しない対象なんですね、森というのは。森というのは、生きていてこそ森なんで、泣いていたり死んでいては森ではないと思うわけで、まさに森は泣いているというふうな時代をいま迎えていると思うのですよ。  そこで、さっき田村参考人が言われた中で私が伺っておきたいのは、田村参考人は、長年のそういう御体験からして、森、緑、それから国有林、木材、こういういわゆる森林、林野行政という点で、やはり次の世代をも貫いた哲学や理念を持っていて、それを非常にうまく運営している国として、あなたが専門家として刺激をされ、啓発をされている対象の国は、たとえばカナダなのかあるいは北ヨーロッパの国々なのか、あるいは私の知らない他のテリトリーなのか、そういうところがあったらお教えいただきたいのと、それから外材が物すごい比率で、年率で物すごく進出をしています。言われたように、国有林とか民有林を含めて、手数がかかって、高くて、集約的でもう大変だから、合理採算でどんどん入れなさいと。カリマンタンもあるし、カナダもあるし、シベリアもあるよというふうな観点だけでは私は森はますます追い詰められると思うので、せめて第二点としては、日本の国有林、特に国有林に限定します。この場合は。としては、外材の圧倒的な進出の中でどういう材種、どういう木材だけはせめて守り通すべきなのか、そのためにはどうすればよいのか、こういう観点をあわせてあなたから伺っておきたいと思います。
  70. 田村武

    参考人(田村武君) 非常にむずかしいお尋ねだと思うのですけれども、私ども世界の林業の実態というのもそんなに詳しく見たわけでもありません。ただ、いろいろな自分で見た目とか、あるいは人の話を聞いたり本を見たり、いろいろなもので見る限り、やっぱり日本の戦後——昭和三十二年ごろからのこの林力増強計画に入っていったあたりですね、この辺からのいろいろ仕事のやり方とか、それから後の手入れの手抜きとかというようなものは、ちょっと世界に類がないのじゃないだろうかという感じがするのです。まあシベリアにしてもヨーロッパ、ロシアにしましても、後の造林がそれほどうまくいっているなんという状況ではないように私は思います。  それから、たとえば苗畑での苗の仕立て方、これなどについても技術的にもあるいは手数をかけるのでも、日本の方がずいぶん多くやっているような気がします。それから、アメリカの森林で見ますと、資源のある豊かな国というのは自然までああなのかと思うくらいうらやましく感ずるのですけれども、日本の森林、日本の林学というような本を見る限りでは考えられない状態なんですね。もう日本ですと、針葉樹林を伐採しますと、跡には二次林でもってシラカバとかドロとか、ああいうものがばあっと生えますね。これはシベリアでもヨーロッパでも大体同じです。アメリカの森林を見ますというと、針葉樹林をばあっと切った後も、もう苗畑に種をまいた以上にもとの林相がばあっと出るのですね。道路なんか切っておりますと、こののり面に、日本の山の中ならシラカバだとか、それからイタドリだとか何とかいう草が生えますね。あそこに生えるものは、もう苗床の播種床と同じように、針葉樹林がばあっと生えるわけです。四十五年たちますと、一回皆伐をしたところを、四十五年たったところを見てきたんですけれども、もうこんな木がありまして、もう日本の原始林に入ったと同じような感じがします。樹幹析解をやったのを見ますというと、片側でもこのぐらいふえているそうね。一年に十センチふえているところありますね、ああいうのを木と言うのかどうかは別にしまして。造林しなくてもいいというんですね、自然に生えるから。そして、ちょっと生えの悪いところは飛行機でばあっと種まくと、それでいいんだというんですよ。あるところというのはどこまでついているものかという、本当にうらやましく感じました。  そんなようなことでずっと見て、私らもそんな専門家でもないのですけれども、カナダもなかなか再生はむずかしいぞと、やっぱり緯度の関係ではないでしょうか。それからソ連、ヨーロッパ、似ています。それから、ドイツはちょっと違うようですけれども、似ていますね。それから、南米もなかなか再生はできないという。それから、ユーカリ植えていいと言っているけれども、あれも一回育てて後はなかなかそうはいかぬぞと。東南アジア、砂漠になってしまうんではないかと言われる。というよう状況を見ますというと、あと五十年たつと世界の森林資源というのは、なかなか金出すから売ってくれなんと言ったって売ってくれるところないぞという状況だと言われますね。そしてまた、こういう資源ナショナリズムが進行している状況では、いまのような値段で木材を買えると思っていたら大間違い、石油の二の舞ということになるんじゃないでしょうか。石炭も同じだと思いますね。  そういうような観点に立ちますと、有限の資源ですね、地球上にある資源は。しかし、人間が力を加えれば再生できる資源は農業資源、森林資源ですよね。だから、人間の力を加えれば再生できる資源があり、それを再生する土地があるとする。しかも、日本ように、手入れすればりっぱな森林になるところは世界じゆう日本が一番だと言われます。そういう日本で、やっぱりただ能率性、安ければいい、しかも全体を見ないで、切るときは切るのが安くできればいい、道路つけるときは道路つけるのが安くできればいいというんですよ。  中部山岳地帯に行きまして、あの破砕帯へ行って、私も前に行ってみてびっくりしたんですけれども、ここまで来ればもう林業技術でも何でもないと、哲学があるかないかの問題でないかと言ったことがあるんですよね。あの破砕帯でしょう、ようやく均衡を保っているんですよ。林道をばあっとつけるわけです。ブルドーザーでもうそのまま谷底へ落とすんです。そうすると、もう立ち木の何メートルも埋まっちゃうんです。ようやくその破砕帯で生えている下草や何かでもってもっていたところが、ばあっと土崩してやるものですから腐るんですよ。これが潤滑油のような働きになりまして、上からは崩落する、下には落ちるという——あの治水事業でやって苦手ね、川底の堰堤、土砂どめの。いま仕事やっているうちにそれ越えるんですから、この崩落してくる土砂が。ダムなんか、計画では百年たって埋まるというところが三年ぐらいで埋まるんですよね。こういうことを行っているわけですよね。いやびっくりしましてね、これは林野庁に来て当時の業務部長に言ったんですよ、余りひどいんじゃないですかと。現地で聞きましたら、いやそう言ったってA点からB点まで道路をつけるのに、林道をつけるのに予算何ぼだと言う。それ以上かけたらいかぬというから、そうすればブルドーザーで落とすよりないと言うんですよ。これはひどいというんですよね。労働者がそこの仕事をやめれば仕事の働き場がなくなるから困るということもあります。しかし、そのことはみんなが努力し、知恵出し合ったら解決できますよ、これ。何もそこでしがみつかなくてもいいんですもの。だから、そういうところをみんな労働者の理解も何も得る道がある、国民的合意も得る道があるのに、ただもう金がない、大蔵省へ言ったら怒られる、そんなこと言われない、というようなことでしかないですよね。だから、その辺をやっぱりきちんと改めなきゃならぬと私は思うんです。  そして、どうしたらいいんだという点につきましては、やっぱりあれでないんでしょうか、生き物育てるんですからね、たとえば林野庁がずうっとやってきておりましたやり方では、下草刈ったら伸びるんですよね。いいことわかっておりますね。予算がないとなりましたら、植えた木の周り一メートルぐらい刈れというんですよ。その方が能率上がるというんですよ、ずうっと刈らないでね。ところが、一メートルぐらい刈ったやつは、一雨降って三日か四日たったらもうかぶさってだめだというんですよ。そこで働いている労働者がむなしい気持ちになるというんですよね。何でこんな仕事せんけりゃならぬだろう、こんなことをやるんならやらぬ方が同じでないだろうかというんですよ。そうして、帳面づらはやったという整理になるでしょう。こういうことがずうっと行われているわけですね。  ですから、ここまで来ますと、やっぱり本当の姿というものをきちんと国民の前に示して、これでいいのかと。有限の資源で、つくろうとすれば再生できる資源であり、かつその条件がこれほど整っているのに、いま金がないからといってそういう仕事を放置しておくということがいま生きている人間の責任を果たすことになるんだろうか。こういう点をやっぱりきちんとしなきゃいけないんでないでしょうか。  ですから、いま労働組合にも私らもそういう現役離れましたから言っているんですよ。自分だけのことを考えておってはだめだと、みんながよくなるというために自分たちもよくなろうとしたんだから、やっぱり全部がよくなるという点でもって、人間として、国民としての知恵を出し合おうでないか、そういう立場をとらなきゃだめじゃないかと。だから、労働組合にしてみれば頭の痛いようなことがあるかもしらぬけれども、遠慮なく言わしてもらうぞと。それに耐えるだけの決意があるかと、こう問えばあると言うんですよ。同じ日本人なんですもの。できた資源をそのときにだれが利用し、だれが利益を上げるかなんかということは小っちゃいことじゃないでしょうか。そのとき考えればいいんですもの。その力がいまの日本にないのかといったら、十分にあるんじゃないでしょうか。財政再建とかなんとか、苦しいとかなんとか言うけれども、戦後何十年かのうちに壊してしまった日本の森林をもう一回つくり直すその責任というのはあるんでないんでしょうか。そこが私は哲学だと思うんです。緑の哲学を持ってくれと、そこを言いたいんですね。  いま林産業界の方々ともその話しているんですよ。もうともかくみんな何でも言いたいことを言い合って、そして日本の森林をよくしようでないかと。ただ針葉樹植えればいいんだからと杉、トド、エゾ、ヒノキを植えていっているばかりではだめだと。たとえば北海道にマカバとか、タモとか、センとか、イタヤとか、まさにこれは世界に誇る優良広葉樹がありました。いまほとんど絶滅しておりますね。ならば、それを仕立てるのに二百年かかるか二百五十年かかるかわからぬが、その立地条件があるんですから、北海道に。なら、そういう世界に冠たる優良広葉樹を北海道の木として再生しようと、そういう気にどうしてなれないんでしょうか。  戦後やりましたが、釧路の近くにパイロットフォレストというのがあります。あれの仕事は、本当に熱意を持って、誠意を持ってやったんだと思うんですよね。カラマツを植えているんですよね、全然人も何も行けなかったところに。いまとっても日本にあんなところがあるとは思えません。だから、私は林野庁のやったことというのはいいことって余りないけれども、あすこだけは大したものだと、やっぱりあすこへ行って望楼に上がって、こう見ますと、やっぱり天然自然の美もさることながら、人が誠意を持って、真心を持ってつくった人工の美というやつをはだで感じますよ。たったの十億かけたらあれができたんですよね。だから、林野庁にも国会議員の先生方にも行って見てもらう。そして、大蔵省にも行ってもらって、金かけてこうやればこうなるんだということを、見てもらえばだれでも理解してくれるんでないのかなというようなことも言うんですけれども、なかなかそれもうまくはいかぬようですけれども、私はそういうように考えております。  お答えにならなかったかと思うんですけれども……。
  71. 秦豊

    ○秦豊君 いやいや、結構です。どうも。
  72. 林ゆう

    委員長林ゆう君) ほかに御発言もなければ、本日の審査はこの程度にとどめます。  参考人方々には、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきましてありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時二十分散会      —————・—————