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説明員(高木文雄君)
公共性というのをどこまで考えるか。私どもは普通の私企業と違います。そういう
意味で公共的役割りを担っているということで考えております。
ただ、公共的役割りを担っておるというがゆえに
採算性を全く忘れるということはできない。特に飛行機が発達し、自動車が発達してきますと、われわれ
輸送業とはいえ、これ非常に競争関係に立ってまいりますから、そういう
意味で
採算ということも従来よりはより強くウエートを置いて考えていかなければならないというふうに思います。それをより強くウエートを置いて考えるようになりますと、
公共性ということについての配慮は多少とも後退をしていくような感じになることは否定できない。でありますから、たとえばいま特定地交線等につきまして、これは
バスにかえさせていただきたいとお願いいたしますのも、ある
意味ではその陰において
公共性の退却といいますか、
公共性が薄れるといいますか、その部分についてはより
採算性の方を強く見ていくという姿勢であるということは事実でございます。
しかし、たとえば私鉄の場合でありますと、非常に多くの私鉄さんはもうすでに貨物
輸送は全部やめてしまうというようなことをやっておられるわけでございますし、私どもとしましても、現在貨物
輸送が非常に
負担になっている、
経営の面で
負担になっていることは事実なんでございますけれども、これはやはり生活物資とかあるいは肥料とか米とかというものを運んでいる役割りから言いますと、これ貨物を
輸送することは引き合わないからといってやめるということはできないわけでございまして、そういう
意味では
採算性のゆえに
公共性を全く犠牲にしてしまうということは考えてないわけでございます。
また、よく引く例でございますけれども、私鉄の方は黒字で
国鉄は
赤字だとか、あるいは私鉄の方が安くて
国鉄の方が高いとかいうようなことが都市近郊で起こっておりますけれども、一つにはそれはやはり私鉄よりも朝早くから汽車を走らせておりますし、夜遅くまで走らせております。それはお客が少ないんで本当はもっと朝をおくらし最終を早くした方が
採算的にはいいことはわかっておりますけれども、しかし、
国鉄の通勤電車が朝早くから夜遅くまで走っているというのは、これはやはり非常に重要な役割りだと思っておりますので、そういう
意味では
公共性ということが後退しないように歯を食いしばってがんばっていくつもりであります。
しかし、率直に申しまして、従来よりはどうしても
採算にウエートを置いて考えますと、公共的な面というのは多少とも後退することは否定できないわけでございまして、今後この
再建計画を立てるときにそこをどう考えたらよろしいかと。たとえば自動券売機で切符を売るようになりますと、目の悪い方だとかお年寄りだとかなれない人は窓口で買った方が機械で買うよりもサービスがいいというふうにお感じになる方が多いわけでございますから、機械に切りかえるということ一つとりましても、やはり多少ともサービスが後退するというかっこうになるわけでございます。しかしそこは、どこまでならばお許しいただけるかということを考えながら、そして人手を減らし得ることによる能率の向上を考えながら、
公共性と
採算性の接点を見つけてやってまいりたいというふうに考えます。
そこで、その場合の三十五万人との関連で申しますと、それは中には三十五万人では甘いじゃないか、もっと、三十万人でやれないのか、二十五万人でやれないのかというお話も出てくるわけでございますが、そんな一挙にそういうことをいたしましては、とても
公共性といいますか、そういう点が維持できませんので、
公共性の後退をある程度はお認めいただきながら、ぎりぎりのところが三十五万人くらいではないかということで決断をいたしておるということでございます。