○増田盛君 昨年の十二月十八、十九の両日、茜ケ久保理事、
藤田、二宮、山中、栗林各
委員と私、増田は、小笠原諸島のうち、父島における
振興事業の進捗
状況及び硫黄島の現況について
調査してまいりました。
以下、その主な
調査事項について概略御報告いたします。
小笠原諸島は、日本の南太平洋上に散在する大小三十余の島々の総称で、小笠原群島(聟島・父島・母島列島)、火山列島(硫黄列島)、及び三つの孤立島(西之島・南鳥島・沖の鳥島)から成っております。
まず硫黄島について申し上げます。
硫黄島は、東京から南千二百五十キロ、太平洋上に浮かぶ孤島で、摺鉢山をかなめに扇状に広がる小笠原諸島唯一の台地状の島で、面積約二十平方キロであります。
島には、現在、海上自衛隊厚木基地分遣隊隊員約六十人、米国沿岸警備隊三十人が駐留しており、日米両国が基地として島の総面積の約五〇%を使用しております。
昭和十九年には強制疎開が実施され、現在まで一般島民の帰島が認められていないため民間人は全くおりません。かつてはこの島にコカやサトウキビ栽培に従事する約千二百人が住んでおりました。
島の中央部には飛行場、隊舎、燃料タンク、通信
施設等が設けられており、飲料水は滑走路に降った天水を
利用、その他食料品等はすべて空輸に頼っております。島全体は、戦後米軍が航空機で散布したギンネムが生い茂っており、バナナ、オレンジ、ヤシなどもところどころ見受けられます。
また、火山活動も活発で、いまも隆起や沈下が続いていると言われており、今後さらに地殻
調査を継続する必要がありましょう。
厚生省による遺骨収集は、
昭和四十四年から開始され、現在までで約五千体を収容しております。収集は、原則年一回、二十日間ほどを費やし、生還した将浜の記憶をもとにして進められてきておりますが、延長二万メートルにも及ぶと言われております地下壕と、余りにも長い歳月を経たため、年々発掘が困難になっていると言われております。
硫黄島についての戦後処理として大きな
課題は旧島民の帰島問題でありましょう。
東京都の
調査によると、帰島希望者は
昭和四十七年に十七世帯五十五人であったものが、五十一年には五十九世帯百六十四人にも達していると言われております。このような
状況を踏まえ、慎重
調査の上、帰島問題について早急に結論を出すべきであります。
次に、父島、母島についてであります。
父島は、東京の南約手キロメートルにあり、その広さは二十四平方キロメートル、島の周囲は五十二キロメートルで、比較的海津線に恵まれています。
母島は、父島の南、約五十キロメートルに位置し、広さは約二十一平方キロメートル、島の周囲は五十八キロメートルで、ほとんど急峻ながけとなっています。
この小笠原は、明治九年に国際的に日本領土と認められ、明治十三年東京府の管轄下に置かれて以来、太平洋戦争まで東京都による行政が施行されてきました。
戦後の
昭和二十一年から米軍の直轄統治下に置かれましたが、四十三年四月五日に米国との間で小笠原返還協定が結ばれ、六月二十六日に返還、小笠原村が設置されました。返還に伴い、小笠原諸島の荒廃した現況及び復帰までの経緯にかんがみ、旧島民の早期復帰と小笠原諸島の急速な復興を図るため、小笠原諸島復興
特別措置法が制定され、これに基づき、
昭和四十五年、小笠原諸島復興
計画を
策定、
生活基盤及び産業基盤を
整備し、同諸島の自然条件に即した産業の
振興を図ることを目的として、諸
施策が実施されました。
さらに、
昭和四十九年、小笠原諸島復興
計画の改定十カ年
計画が閣議了解され、五十三
年度末まで復興
事業費二百七十八億六千三百八十九万円を投じ、各
事業が実施され、
住宅、
道路、港湾、上
下水道等の
生活基盤づくりを進めてきたところであります。しかし、同諸島は、本土を遠く離れた外海離島であるという自然的条件等のため、
人口の定着、産業の育成等が十分に達成されていません。
したがって、
昭和五十四
年度以降においても、復興
事業を補完するとともに、社会
経済の変化に対応した新しい
施策をも実施することにより、地理的及び自然的特性に即した同諸島の自立
発展の基礎を確立するために必要な諸条件をさらに
整備する必要があるため、
昭和五十四年三月三十一日、小笠原諸島復興
特別措置法を同
振興特別措置法に改め、五カ年間期限を延長、六月十三日、新たに五カ年間の
振興計画を
策定するに至ったのであります。
昭和五十四年四月一日現在、小笠原村の
人口は、父島に一千四百七人、母島に四百六十五人、両島合計一千八百七十二人で、
農業、漁業、観光サービス業等に従事しております。この中には、住民登録をしていない
建設業者等短期滞在者三百二十四人が含まれており、復興
計画の目標
人口である三千人には遠く及んでおりません。
人口増を図るためには、活力の源泉であります
人口の定住策が強く
推進されなければなりません。
また、旧島民の帰島
計画のおくれは、島での
生活設計と密接に
関係するものであり、産業の
振興とあわせて考慮されなければなりません。そこで、
人口を定住させるためにも、旧島民の帰島を
促進する上でも、産業の
振興及び観光の
開発が重要と
考えるものであります。
農業面を見てみますと、五十三
年度生産高は六千六百万円で、主に島内消費野菜、内地向けカボチャ、ジャガイモ等が
生産されており現在、農家戸数五十二戸、約六十九ヘクタールの畑で営農に従事しています。かつての気候条件の有利性は本土の
農業技術の進展により失われており、適作物の選定、観光との結びつき、病害虫対策、流通機構の
改善等が検討の対象とされているようであり、亜熱帯
農業センターでは、適作物の選定、優良種苗の育成等、
農業振興の基礎的試験を実施し、和牛放牧試験場では和牛を
導入して合理的営農の指導をしています。これにも後継者難、三十年間の空白による農耕地の荒廃、一居住区による通勤
農業、病害虫対策等、問題点が多々あります。
一方、漁業面を見ますと、漁業協同組合員は父島、母島を合わせて百十四人、所属漁船は七十七隻となり、マグロ、サワラ、エビ、カメ、サンゴ採取等の漁業を行い、年間二億一千四百万円の水揚げとなっています。何分漁船の大部分が三ないし四トンの小型船であり、本土から繰り出して島の回遊魚をさらっていく大型船にはとても太刀打ちできる状態ではありません。が、中でもアオウミガメの養殖が地場産業として有望視されています。都の水産センターでは、アオウミガメの放流と養殖の実験を行っており、水槽内の養殖も海より成長が早く、順調に成果が上がっているようであります。このアオウミガメの放流と養殖をもって島の有力な特産業とし、また各種のカメを収集展示することも観光産業
振興策の一つとして将来性が期待されるところであります。
また、港湾は、遠洋漁業の中継基地として、さらに台風時の避難港として重要な
役割りを果たすべき機能を備えています。
ここで、農漁業就業者の一人当たり所得を見てみますと、五十
年度比較で、小笠原村六十九万二千円、東京都平均百五十八万一千円、国平均百十七万六千円となっており、都平均の半分以下という所得
状況にあります。この格差は復興途上にある村の現況としてはやむを得ない面もありましょうが、今後の農漁業の
振興を図る上で、
生産基盤・漁業基盤の
整備、協業化対策、試験研究
施設整備、経営指導の
強化等により、就業者の所得アップが図られますよう、きめ細かな
施策の
推進が強く要請されるところであります。
次に、観光の
開発ですが、昨年四月、本土−小笠原間に総トン数三千五百トン、乗客定員千三十八人の高速船「おがさわら丸」が就航し、航海時間は二十八時間になり、また、父島−母島間にも新造船「ははじま丸」が就航、
所要時間が二時間二十分に短縮されました。この大幅な時間短縮によって「肥えた地、豊漁の海と常夏の島へ」のキャッチフレーズのもと観光客は相当ふえそうですが、島内のホテル、民宿、観光
施設等の観光客受け入れ
施設の
整備、また、亜熱帯、海洋性のすぐれた景観の
保全策、
土地利用のあり方、観光
開発の主体の選択等、
課題が山積しています。
村政を見ますと、去る四十三年本土に復帰、小笠原村となってからも島民が少なく、村としての行政運営が行えないため、東京都小笠原支庁長が村長職務
執行者となり、住民から選ばれる六人の村政
審議会
委員の意見を聞き、変則村政を代行して復興
事業に邁進してきたところであります。ようやく五十四年四月、統一地方選挙により、村長と村
会議員八人が選出され、本格的な地方自治体としての村政が発足を見たところであります。農漁業の
振興、観光地としての
整備等、難問を数多く抱えていますが、早速、小笠原村総合
開発審議会条例を制定して
審議会を設置、村の
振興開発、
土地利用計画、
都市計画を円滑に運営するため活動を開始したところであります。
当面する問題点としては、村長から強く要望がありましたが、一、通信
施設の
確保、特にNHKテレビ・ラジオの受信
施設設置の早期実現であります。島内には、文化・教養・娯楽
施設がほとんどありません。テレビ・ラジオの視聴が十分可能になることであります。現在、テレビは、夕刻の六時から九時三十分までの間、民放から購入したフィルムを有線テレビで受像していますが、公共放送であるNHKの受像を常時可能にしていただきたい。同じくラジオの受信もできるようにしていただきたい。二、医療体制の
整備であります。短期間の交代勤務となっている医者と看護婦の定着化を図っていただきたい。三、硫黄島への対処方針の明確化であります。旧島民の帰島問題を含め、硫黄島の位置づけを国政レベルで明確にしていただきたい。
以上、三点にわたる当面の強い要望がありましたが、
政府におかれましても、早期にこの要望にこたえられることを強く希望するものであります。
最後に、小笠原諸島
振興計画の完遂を目指し積極的な諸
施策を講ずることは無論でありますが、何よりも村
予算の一割以下という村税収入に見られる
財政の立て直しや、住民の
生活水準をアップさせるためには、国や都のバックアップなしには進まないという現実を踏まえ、村、都、国との連携を密にしつつも、住民の自治意識に基づく積極的な参加と
協力により、よりよき小笠原村
建設が進みますよう強く期待するものであります。
終わりに、今回の
調査に際し御
協力を賜りました
関係者各位に心から感謝の意を表する次第であります。
以上で報告を終わります。