○
鯉渕参考人 ただいま御紹介いただきました
鯉渕鉱子でございます。
先生方には、全国
未亡人会として大変お世話になっておりまして、ありがとうございます。私は三人のお方と違いまして実践の方を主としてやっておりまして、泣いている母親たち、泣いている
未亡人たちとともにひざ突き合わしていままで三十年間歩んできた者でございます。
それで、一番先結論から申しますと、妻の代襲権というものをぜひ認めていただきたいということをお願いするわけでございます。
全国の
未亡人会ができましたのは
昭和二十五年で三十年前でございます。そのときは、我妻栄先生それから中川善之助先生そして田辺繁子先生とか、あらゆる
法律の
関係の方にお願いしたのですけれ
ども、お三人とも、それから宮城タマヨ先生なんかもおっしゃることは、
遺言を書けばいいじゃないか、それからもう
一つは養子縁組みすればいいじゃないかとか、そういうことなんですけれ
ども、そういうものは絶対できるものではございません。やっぱり血を分けたわが子ほど、嫁よりはかわいい者はないということでございます。現在母たち、もうわれわれの年代、私も戦争
未亡人でございます。考えてみれば、夫と暮らしたのはたった一年間足らず、夫の方の名前を名のって四十年になります。女一人がここで耐えていく、しかも妻の代襲権も何もなしで、夫の
遺産というものは何もなしで、ここまでかみしめて自分に言い聞かせ言い聞かせ、戦争の犠牲のもとに泣いている女というのはたくさんおるわけでございます。
私も、
財産のことで十年間裁判いたしました。それの
弁護士に払うお金の大変なこと、
裁判所へ行って相手方の人と顔合わせるののいやなこと、弁護料を払うお金なんというのは本当に大変だったです。そういう
弁護士にもかかれない女一人の
未亡人の生きざま、それを妻の代襲権というのがないためにどれほどまだ泣いているか、そしてそれとともに、八十、九十になる夫の親を見ております。そして今度は夫の親が死ねば、何もめんどう見なかった——こちらは三十年も四十年も夫の親と暮らしている、この種の
未亡人が、今度は
遺産相続になると、だんなさんの兄弟たちが持っていってしまって、そしてそのままほうり出されるというのがいま泣いている
未亡人たちでございます。それがほとんど大正生まれの女でございます。
そういうことで、妻の代襲権があったらということを私たちはここ三十年間叫び続けましたけれ
ども、だめだったのです。それでこの間、二月の新聞を見ましたらば
寄与分というのがあったので、ああやっと認めてくれたんだなと思って喜んでおりましたらば、あなたたちは
相続人の
範囲になりませんよ、直系尊属、きょうだいということになると嫁はだめですよと言われたときは、もうがくんときてしまった。それできょう幸いにこういうところへ出て、いま生き証人がたくさんあるということをどうぞお認
めいただきたいと思います。
一番大変なのは、やはり夫のおしゅうとさん、それからおまけがつく人は小じゅうともおります。嫁に行きはぐれた女の人、そういうのまで抱えている。小じゅうと鬼千匹だと私たちはよく言っておりますけれ
ども、六十過ぎてもやっぱりわれわれ年上の小じゅうとを抱えている。その人のみとりまで私たちはやらなくちゃならないのかなと思うと、嫁に行った先を去るに忍びずそのまま同居している。そして不安におののきながら、私がもし今度はこういう年代になったらだれがめんどう見てくれるのかと思うときに、妻の代襲権でもあって
遺産でもあったら、おいも
めいも見てくれるのじゃないかということも考えております。
だから、どうぞ、この
法律において
寄与分というところに、お三人の
先生方がおっしゃったように、何か亡き夫の妻の座の確立ということで
財産を分けるというようにしていただきたいと思うのです。離婚するときだって慰謝料を払っているのです。それを、夫の親も看病し、きょうだいも看病している、しかも二十年、三十年どころか四十年もたっている、その妻に、お嫁さんですね、嫁にはまだそういうものがないということは、本当に何のために世の中生きてきたのか。夫のために暮らしたのでなくて、その家のために、親のために、きょうだいのために私たちは一生犠牲になるのかと思うときに、本当に寝たきり老人になった親を抱えたときに、勤めばやめなくちゃならない、そして、わが本当の親ではないから、言うにも言われないつらさはやってみた人でなかったら、これはわかりません。子供のように甘える親を見たときに、本当にどうしていいかわからない。そして、今度は追い出されたときの泣きどころも何もない。
弁護士の費用のことを考えたり、そういう泣いている一人の女ということをお考えいただいて、どうぞ妻の代襲権をぜひこの
民法の
改正の中に、
寄与分の中に、私は
法律のことは何も知りませんけれ
ども、そういう項目を入れていただきたいと思うわけです。その項目でどうしてもだめだったらば、何かの
制度でつくってもらうとか、何かそういうことをぜひ先生たちのお力で守っていただけたら、本当にああ生きていてよかったということをしみじみと味わうわけでございます。
実は、
寄与分というところで、私はある人を二十年以上やっぱり子なしの御婦人でしたからめんどうを見てまいりました。そして
財産づくりも一緒にやりました。二十何年問いろいろとそれこそ最後のみとりまでやりました。だけれ
ども死んだときに、そんなに看病もしなかった妹が全部
財産を持っていってしまって、生前生きている人が常に言っていた言葉、
遺言状を書いてなかったために、あるいは書いていたかもしれないけれ
ども見つからないのですけれ
ども、とうとうそっくり
財産を持っていった、何も余り
貢献しなかった妹が
法律をたてまえに持っていってしまったという、私も体験がございます。ですから、死んだ人の意思というものは、その後育英資金に使いたいとかなんとか言っていた、そのことすらできなくなった。
寄与分でそういう特別の、
相続権はなくても二十年とか三十年とか特別
寄与したということで、私は、やはり
法律上にある
相続人というのに、直系とかきょうだいとか何かおいとか
めいとかでないものがあると思います。それでなくても、いま独身婦人が百五十万人もございまして、その人たちも自分の親のめんどうは見て、その後のことを考えたとき、やはりお先真っ暗だというのは子なしの
未亡人と同じことだと思います。
それからもう
一つは、子なしの
未亡人の次に悲劇なのは後妻さんに入った妻でございます。乳飲み子を抱えているからかわいそうだということで後妻に入りました。だんなさんの方は子供が三人もいるからもう子供は生まないでくれという約束で結婚します。そして結婚して、ここにも事例も持ってきてもございます。こういう「私の足あと」という事例の中にもはっきり書いてございます。父親は生きておる。こういう事例は私たちの聞くところでは親が生きているということが大体多うございますけれ
ども、その中で御主人が交通事故で三十五歳で亡くなってしまった。残された全く義理の子供を育て、そしてその後おしゅうとさんが亡くなるということになると、妻の代襲権というものはございませんので、全く義理と義理の中で、その後妻に行った一人の婦人は何の
寄与分もなしに、しかもその年とった父親が寝たきり老人になったのを何年も看病した後、
財産分与は何もなし、そして分けられるものは何もなしというようなこともございます。
本当に、
裁判所にも行けないこういう泣いている妻というものが
日本に、しかも何十年も生き証人で生きているということ。この人たちも私は本当はお助け願いたいけれ
ども、いまこの
法律では何か今後のあれになりそうですけれ
ども、この際、大正生まれとか明治四十四年から
昭和の十年までとかというので、何かのことでこういう場合は拾って、そして
制度で結構ですから助けてもらったらば本当に安心して、ああ私はこういう何かわからないような
生活してきた中でも、こういうものを国が認めてくれた、今度の
民法の
改正でこういうものができたということになっていただけたらありがたいと思うのですけれ
ども、私はそれがどんなふうな
法律改正になるかはかいもくわかりませんけれ
ども、何か
国会の
先生方のお力でこれをやっていただきたいと思います。
それからもう
一つ、税金の問題でございますけれ
ども、ついこの間参議院の予算
委員会で婦人に関する問題の質疑がいろいろございました。その中の記録を読みますと、木島則夫先生はこの妻の代襲権について非常に発言しておりますけれ
ども、こういうことを質問するのならもっと私たちに生の声を聞いてほしいなと思いながら、私は、しょせん、ここに男性がいて申しわけないけれ
ども、女の気持ちは男にはわからないのだなということをこれを読んだときに最後に思いました。それでこの記録を拝見しますと、離婚の際の
財産分与は非課税の取り扱いをしているということを書いてあるのです。離婚した場合の
財産分与は非課税だということを言っているので、ああそうかなと思って、私も初めて離婚者はこういうことなんだなと思ったのです。ところが、われわれ
未亡人の方は四千万までであとは課税されるということになると、何もなしのとき、たとえばマンションぐらい買ってそれから今後の
生活費というのを考えたときに、余りにもこの妻の控除が少ないではないかと私は不思議に思いました。ですから、どうぞこの
相続税、妻の控除の方もぜひ大幅に上げていただきたいと思います。今後妻が何年生きるか、その死なれた段階でも、せめて女の平均年齢ぐらいまではやる、そういう計算で非課税対象にしていただけたらありがたいと思います。みんなうちを持っている人ばかりが
未亡人になるわけでございません。うちのない人が多いということをどうぞ御記憶いただきたいと思います。
そういうことで、私は裁判を十年間やって妻の座というものの確保に非常に苦労した。忘れようとしても、いま思い出すと涙が出まして何も発言できませんけれ
ども、とにかく結婚して夫と一緒にいたのは一年足らず、こういう私がいつのまにか四十年間夫の方の名を名のりながら、女一人が小野田さんよりもっとひどい世間のうるさい口の中で生きてきたということは並み大抵なことではございません。そういう子のない
未亡人、後妻に入って、それもなさぬ仲で暮らした人たちの犠牲があるということをどうぞ御記憶願いたいと思います。
それから
財産問題で一番大きいのは
農業とそれから中小企業と漁業、それにこの間もウナギの養殖をやっている
未亡人が土地の問題で大変苦労した話をしています。それからその次は、大きな料亭に嫁いで
未亡人になって子供のいない人が何ももらわずに出された話も聞きました。離婚するときだって慰謝料をもらうのです。ですから妻の代襲権というものをどうぞ認めてくださいますように、ここに強くお願いいたします。(拍手)