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栗田委員 通ったのでは生命の維持がむずかしいお子さんが本当なら在宅で、そうでなければできる限り集団の中で
教育を受けられるようにすべきだと思います。ところが、この「
訪問教育の全国
実態調査1」によりますと、「子
どもの
障害の性質、
程度はどうか。
学校にいけない子
どもなのか。」ということでは、そのかなりのところで、「中には通学及び入舎適の子も何名かいる。通学をすすめても親の不安が大きい。」とか、茨城のように「通学方法の手だてさえ保障すれば通学可能な者は相当いる。」、栃木もそうですが、「通学、入舎できる子
どもがいる。」、千葉もそう書いてあります。「手だてさえ保障すれば通学可能」、ずっと見ていきますと、通学可能な
子供がかなり在宅しているわけです。
ところで、できる限り通学を可能にしていくかぎは何かということですが、私は、時間がありませんからこちらから言わしていただきますが、やはり
一つは、適切な場所に
養護学校があること、余り遠くまで通わないで済むようにすることだと思います。それからもう
一つは、いま
学校が適切な場所になくても、まあ適切な場所になくては困るのですが、通えるようなスクールバスがたくさんあれば通うことが可能になると思います。
さっきの資料の中で、これはやはり愛知の
障害児教育の資料ですけれ
ども、こんな子が在宅児になっていたのかといった例があるのです。ある
養護学校でことしになってスクールバスの運行路線が変更になったために三人が長期欠席になり、逆に、
訪問指導を受けていた
子供がバス路線になったために
学校に来るようになりましたが、
教師たちは、こんな
障害の軽い子が
訪問指導にいたのかとびっくりしています、こういうのが出ているわけです。つまり、バスの路線が変わったために、路線に近い
子供は来られるようになったけれ
ども、路線から遠くなった
子供は在宅になってしまった。結局、
子供にとって、バスが通るか通らないかが
養護学校の集団の中に入るか入らないかの分かれ目になっている、こういう例が出ているわけです。
それから、
脳性小児麻痺の伊藤早苗さんという
子供さんの話が中日新聞の去年の六月一日からの「あしたこそ」というシリーズの連載の中に出ているわけですけれ
ども、こういう記事があるんですね。「「でも、私たちって、ついていました」五十二年春、早苗ちゃんが進学しようとするその年、小牧
養護学校が開校となった。隣の町だ、通学できるかもしれない。」「すぐスクールバスの経路を調べた。この“壁”が通学できるかどうかの唯一最大の問題なのだ。それが、なんと自宅から十数メートルの道路を通るではないか。」「早苗っ、
学校へ行けるよ」、こういう記事があるのです。つまりスクールバスが通るかどうか、これが通学できるかどうか唯一最大の問題なんだということなんですね。そうしますと、まさしくくじ運のようなもので、うまく通るか通らないかでこの子は
学校へ行けるか行けないかということになってくる、そういう状況があります。
これは同じように新聞に出ておりました。毎日新聞七八年の十月二十九日の記事なんですけれ
ども、「脳性マヒ少年生き生き 岡崎
養護学校」「大学生らの善意で「九年の夢」かなう」ということで、岡崎の天野裕史君、この男の子は前々から
学校へ通いたくてたまらなかったのですが、
親御さんが商売をやっているために、連れていって行き帰りすることができなくて九年間
学校ヘ行けなかったんですね。それで、だれかボランティアとして
子供を
学校へ連れていってくれる
子供はいないかということをビラにしてみんなにまいて募ったり、あらゆる
努力をしまして、とうとう六人の人たちを募って、一週間の
うち毎日一人ずつ交代でこの天野君を
学校へ連れていく体制ができたのです。やっと九年目にこの裕史君は通学できるようになりまして、そして
学校へ行くようになったら実に生き生きと楽しそうになって、体も健康そうになって、家に帰っての話題は
学校のことばかり、討論会でも積極的に発言し、仲間と語り合う喜びを感じてますのよとお母さんが言っているとか、こういうすばらしい変化があるわけです。私こういうのを見ますと、
障害児教育を受けている
子供たちができる限り集団の中に入っていけるように、
学校へ行くことが健康上問題になるというのではいけませんけれ
ども、そのことが通学手段によって補われたら
学校へ行けるという
子供たちがたくさんいるわけですから、国としてももっともっと通学手段を完備させていかなければならないのではないかと
考えております。
ところで伺いますけれ
ども、現在スクールバスの配車はどんなふうになっておりますか。