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吉田委員 立場からあなたが議論をかみ合わせようとしないだけでありまして、普通の人間の常識から言えばわれわれの方が普通だと思うのだけれ
ども、私はそれ以上あなたの立場を責めるわけでもないし、あなたに反論を言っているわけじゃないのです。ある
会社の社長は、一ドル狂えば一カ月飛ぶんです、こう言うのですね。一カ月か二カ月か半カ月か私は知りませんけれ
ども、そんな計算をすることが私の任務ではないけれ
ども、ことほどさようにこれは重要なウエートであるということは恐らくみんな御認識のはずなんです。しかし、この場合にこうしましょう、途中で、三カ月後に
料金を変えましょう、そんなことできませんね。だから後の処理の仕方について何かルール化すべき必要があるのではないか。それをしないならば
一つの方法はあります。ぐっと抑えておけば、また向こうはいたたまれなくなって来年
値上げをする。そのとき、前にはちょっと低く見たから少しその分も見てやろうかとか、いろいろ調整の方法はあるのですよ。しかし、これが
物価に及ぶ
公共料金であるというところに、なるべくならば一たん決めれば動かしたくないという
考えは、
会社としても行政の側としても
国民としても一緒だろうと私は思うのです。そうすると、その中で、行政上
政府はこれからどんな
努力をしていかなければならないのだろうかという問題を、形式論理ではなしに、本気で
考えていかれないと、私はわが国の
エネルギーを守ることはできないと思うのですよ。それは今日まで明敏な判断でいろいろの御指導をいただいております点につきましては深く敬意を表します。しかし、それにもかかわらず与えられた問題というのはなお大きい、深刻な局面に来ておるのではないかと私は
考えるわけなんです。
それから同時に、企画
庁長官に御
質問したいのですけれ
ども、普通の
物価料金問題ならばそこでおさまるわけなんですけれ
ども、これはさらに
公共料金という性格で、他の
物価のいろいろな基準になっていくわけですね。尺度になっていきます。そういう点で、
インフレを抑えるべき立場から、国家としてはこれをどうコントロールしていくべきであるかという問題にいま頭を悩ましていらっしゃると思うのです。
それから同時に、これは両
大臣にまたがる問題でございますけれ
ども、この
料金問題をにらみながら、わが国の省
エネルギーというものをどう推進していくべきかという問題をやはり
考えないと、ただ形式的な原価主義で、
コストを全部販売
電力量で割って、そしてこれだと言えば、それは一番単純明快でございますけれ
ども、私はそういうことが本当のこれからの政治的な指導にはならないと思うのです。したがって、たとえば御
承知の
電力労連という労働組合があります。
電気労働者十三万、
関連企業を入れて二十万の組織でございますけれ
ども、この
電力労連自身がかねてから提言いたしております中に、時間ごとの
電気をそれぞれ別個の財とみなして、各時間の限界費用に等しい料率を求めることは理論的に妥当である。
電力というのはその都度いろいろと需要が変わってまいります。それに対する設備のつくり方がいろいろと問題になってまいります。したがってそういう点から見れば、各時間ごとにその単価は違うんだという判断をしても決しておかしくない。私は
一つの主張だと思うのですね。そういう
考え方を大いに
国民に合意を求めながら、恐らく今度の季節別
料金というものもそういう発想の一歩踏み出してこられた形だろうと思ってわれわれは高く評価いたしておりますけれ
ども、一層その辺を大胆に、
国民の合意、納得を求めながら活用していくべきではないか。あるいは
段階制の
料金制度の導入でございますけれ
ども、私はこれもこんなにわずかの差ではなしに、もっと思い切っていろいろと
考えていい時期に来ているのではないか。たとえば月々百二十キロワットアワー以下の
需要家が大体三分の一ほどあるそうでございます。これはシビルミニマムの立場から申しましても〇・七六ぐらいにして、そして百二十一キロワットアワーから二百までを大体一として、そして二百一キロワットアワー以上を一・一五ぐらいの
料金差にしよう。私は
一つの新しい試みであると思いますけれ
ども、
電気に限っては、あるいは
ガスもそうでございますけれ
ども、消費は決して美徳にならない。これは、われわれは
国民として人間として、いかにむだな
エネルギーを使わないで済ませていくか、節約するかということを
考えなければなりません。しかし、やはり人間というのは、手軽にあれば便利でございますし、しかも比較的安ければどんどん使うという習性を持っておるわけです。どんなに概念的にもったいないなと思っても、しかし実感として自分に余りこたえなければやはり使いますよ。ですから、本当に零細な家庭のあるいは子供たちが勉強しておる、あるいは細々と生きておる人たちの家庭の
料金というのは思い切って
政策的にその部分だけ低くしてもいい。平均的なところを平均に求め、そして多少高くともそんなにその
事業として、その生活としてこたえるものではありません、相対的な比重はきわめて低いんです、私たちは使いたいだけ使うのですというような方々に対しては、それは使ってもらって結構だけれ
ども、しかしあなたの方のお使いになる
電力は高いのですよ、
電気料金は高いのですよ、こういう制度を導入することによって初めて
国民を教育し、また省
エネルギーというものに一歩ずつ近づいていくことができるのではないか。逆に下げる方はもっと下げるべきでありますし、このシビルミニマムに達しない方々に対してさえ依然として
電気税がかかる仕組みになっておるわけでありまして、この辺は免税点の引き上げというものをもっと大胆に手直ししないとおかしい問題が出てくると思うのです。
時間がありませんからかためて申し上げますけれ
ども、国鉄の場合グリーン車というのがあるのですね。あっていいと思うのです。これは
料金はほとんど倍近いでしょう。あるいは急いで行く人は特急
料金を払って、私鉄もみんなほとんど五割ないし倍額に近い負担をしながらもみずからそれを選んで乗っているわけですね。町でタクシーが走っております。ハイヤーもございます。やはりハイヤーを必要とするときはあるわけなんですね。私は、
電力でも原価主義の形式論にこだわらないで、本当に総合的なきちんと原価に見合う
料金を各界、各層からいただき、かつそれが独立採算をちゃんと行って、国鉄のような赤字の二の舞をつくっていかない。しかしその中身についてはあくまでも前向きに国家的な課題を果たすべく配慮されなければならない。私は、そういう意味で、厳正で適正で、かつ配慮ある中身の
料金改定というものを今度はやってのけられなければならぬのじゃないか。まあいますぐできない部分は今後に向かっていろいろ大いに
考えていただきたい。
電力会社の社長は立場上、
考えてもそれを余り強く主張できない立場にあると思うのです。これは挙げてやはり国の行政の側がその辺をよく配慮しながら指導してやるべき時期に来ているのではないかと思うわけでございますけれ
ども、
経済企画庁長官のお
考えをお聞かせください。