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1980-02-21 第91回国会 衆議院 内閣委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十五年二月二十一日(木曜日)     午前十時三十三分開議  出席委員    委員長 木野 晴夫君    理事 逢沢 英雄君 理事 有馬 元治君    理事 唐沢俊二郎君 理事 塚原 俊平君    理事 岩垂寿喜男君 理事 上原 康助君    理事 新井 彬之君 理事 中路 雅弘君    理事 吉田 之久君       麻生 太郎君    上草 義輝君       三枝 三郎君    住  栄作君       田名部匡省君    田中 六助君       森  美秀君    伊賀 定盛君       石橋 政嗣君    上田 卓三君       木原  実君    市川 雄一君       鈴切 康雄君    山田 英介君       瀬長亀次郎君    辻  第一君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      小渕 恵三君  出席政府委員         内閣官房内閣審         議室長内閣総         理大臣官房審議         室長      清水  汪君         内閣法制局第一         部長      味村  治君         内閣法制局第二         部長      関   守君         内閣総理大臣官         房管理室長   関  通彰君         宮内庁次長   山本  悟君         皇室経済主管  中野  晟君         防衛庁参事官  多田 欣二君         防衛庁装備局長 倉部 行雄君         防衛施設庁施設         部長      森山  武君         沖繩開発庁総務         局長      美野輪俊三君         外務省北米局長 淺尾新一郎君  委員外出席者         宮内庁長官   富田 朝彦君         宮内庁書陵部長 福留  守君         宮内庁管理部長 小幡祥一郎君         法務大臣官房営         繕課長     増井 清彦君         外務大臣官房儀         典官      荒  義尚君         大蔵省理財局国         有財産第一課長 田中 泰助君         大蔵省理財局国         有財産審査課長 安部  彪君         文部省初等中等         教育局教科書検         定課長     上野 保之君         文化庁文化部宗         務課長     安藤 幸男君         建設省都市局公         園緑地課長   田辺 昇学君         自治省行政局行         政課長     中村 瑞夫君         自治省行政局振         興課長     木村  仁君         内閣委員会調査         室長      山口  一君     ――――――――――――― 委員の異動 二月二十日  辞任         補欠選任   麻生 太郎君     江崎 真澄君   上草 義輝君     始関 伊平君   三枝 三郎君     荒舩清十郎君   住  栄作君     坊  秀男君   市川 雄一君     矢野 絢也君 同日  辞任         補欠選任   荒舩清十郎君     三枝 三郎君   江崎 真澄君     麻生 太郎君   始関 伊平君     上草 義輝君   坊  秀男君     住  栄作君   矢野 絢也君     市川 雄一君     ――――――――――――― 二月十九日  農林水産省設置法の一部を改正する法律案(内  閣提出第四五号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  皇室経済法施行法の一部を改正する法律案(内  閣提出第五号)      ――――◇―――――
  2. 木野晴夫

    木野委員長 これより会議を開きます。  皇室経済法施行法の一部を改正する法律案を議題といたします。  これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。上原康助君。
  3. 上原康助

    上原委員 まず最初に、法案について若干お尋ねをさしていただきたいと思います。  申し上げるまでもございませんが、今回、皇室経済法施行法の一部を改正する法律案改正案提案をされているわけですが、もちろん、・提案理由概要説明の中でも改正点につきましてはある程度説明がなされておりますし、また、今回の改正法案の提出は、相当日時がたっていることもあって、改正をする必要性等については一応納得し得ないこともないわけですが、改めて、今回この皇室経済法施行法改正するに至った理由なり内容等をいま少し明確にしていただきたいと思います。
  4. 富田朝彦

    富田説明員 お答えいたします。  定額改定理由はどうかというお問いでございますが、内廷費定額及び皇族費算出基礎となる定額は、委員承知のように、皇室経済法施行法第七条及び第八条の規定によりまして、現在それぞれ一億九千万円及び千七百六十万円となっております。これらの定額は、三年前の昭和五十二年四月に改定されたものでございますが、その後の経済情勢、なかんずく物価趨勢及びこの間三回にわたりました国家公務員給与引き上げ等事情を考慮いたしまして、法案といたしましては、内廷費定額を二億二千百万円、皇族費算出基礎となる定額を二千四十万円にしようとするものでございます。  この内廷費及び皇族費定額改定基準と申しますか、これにつきましては、昭和四十三年の十二月二十六日に開催をされました皇室経済に関する懇談会におきまして、それまでのいろいろな諸状況検討されました結果、原則として物価趨勢職員給与改善などによって算出される増加見込み額定額の一割を超える場合に実施するということが了承をされまして、自来、この基準によりまして、必要の生じた都度に改定をさせていただいておる次第でございます。  この内廷費なり皇族費なりというのは、いま申し上げましたように、施行法によりましていわば法定をされておるわけでございます。そういうことで、物価にスライドするというような形ではなくて、できる限り安定した姿でそれぞれの費用を定めていただく、そういう意味で、ぎりぎりまで皇室方々の御工夫を願うということをいたしておるわけでございます。  しかし、いま申し上げましたような状況から本年の状況を考えてみまするに、今回の改定は、消費者物価指数というものを、過去三年間のものを見ますると一六・九%、累計になるわけでございますが、一六・九%の上昇を示しております。また、三回の給与改善は、人事院勧告でございますが、昭和五十二年が六・九二%、以下毎年三・八四、三・七〇というような改定が行われてまいりまして、その姿を通算してみますると一五・一三%の上昇に相なるわけであります。こういうような姿を、先ほど申しました一つルールと申しますか、基準に照らして算出をいたしてみますれば、内廷費につきましては、先ほど申し上げました二億二千百万円、それから皇族費につきましては二千四十万円、こういう姿に相なるわけでございます。  しかし、先ほど申し上げましたようにぎりぎりまで御工夫を願って、どうしても何とか措置をしていただかなければという事態においてお願いをするわけでございますが、この五十五年度の様子を見まするに、財政、経済事情もいろいろ複雑、深刻な面もございます。また、それが国民生活の上に反映するということもございますので、本年度に限りましてその定額の変更の実施を半年間繰り下げるというような算定をいたしまして、内廷費につきましては二億五百万円、皇族費については千九百万円、こういう数字お願いをいたしておるのであります。  それぞれの現行定額に対しまする増加率を申し上げますと、内廷費につきましては七・九%の増加率でございます。皇族費は八・〇%の増加率、かように相なっておる次第でございます。
  5. 上原康助

    上原委員 いまいろいろ御説明がありましたが、理屈といいますか、理論で言うとおおむねそういうことかと思うのです。また、今年度については特に若干の御配慮もしたということですが、これも理解できないわけではございません。  そこで、いまも御説明がありましたが、この皇室経済懇談会というのは現在はどうなっているのか。昭和四十三年にこの懇談会で、内廷費やあるいは皇族費については原則として物価趨勢職員給与改善等がなされた場合を考慮して、おおむね一割程度上昇があった場合は改定をするという一定の方針をそれ以後持ったということですが、今回の改定に当たってもそういう経緯を踏んでおやりになったのかという点が一つ。  もう一つ、いまパーセンテージで内廷費あるいは皇族費改定の率をお示しになったわけですが、それぞれ七・九、八・〇ということでしたが、これは今年度に限った数字ではないでしょうか。この二点、改めて確かめておきたいと思います。
  6. 富田朝彦

    富田説明員 お答え申し上げます。  ただいまのどういう手順を踏んで改定お願いをいたしておるかということでございますが、定額改定を必要とするか否かということにつきましては、皇室経済会議、これは皇室経済法規定をしてございますが、総理大臣議長になられまして、両院議長、副議長、それに大蔵大臣、それから会計検査院長、それに宮内庁長官、こういう形で皇室経済会議が構成されておりますが、この議を経るを要するという規定に相なっております。毎回の定額改定につきましては皇室経済会議において御審議を願いまして、定額改定しかるべしという御意見会議決議といたしまして内閣に送付をし、内閣はそれを決定をいたしまして国会報告をする、こういう手順でございます。今回お願いをいたしておりまする改定に関する皇室経済会議は、昨年の十二月二十日に開催をされ、この定額改定について改定すべしという決議をなされたわけでございます。  なお、いまお尋ねがありましたが、皇室経済に関する懇談会というのは一回、昭和四十三年に開かれております。これは先ほど申し上げましたような定額改定ルールというものをきちんと一応定むべきじゃないかというようなことで、それまでのいろいろな諸データを整理をされまして、先ほど申し上げたような一つルールというものを一応決められた。たしかその時点においては、あわせて各皇族殿邸等について整備、補修を要するものについてはそういうことをきちんとやるべきじゃないかという御議論もされたかと思いますが、これは決議とかそういうものではございません。  それから、五十五年度のパーセントについて申し上げましたが、総体のパーセントを申しますと、内廷費の二億二千百万円、これは現行定額に対しまして一六・三%の増でございます。それから皇族費の二千四十万円は一五・九%の増という数字に相なっております。
  7. 上原康助

    上原委員 なぜいまの二点を確かめたかというと、それなり理由もぼくはあるわけですね。七・九、八・〇とあたかも低く抑えたということなんですが、実態は全体、トータルとしてはそうじゃない。  そうしますと、皇室経済会議というのはもちろん皇室典範規定をされております。この皇室経済会議には総務長官は参加していないですね。
  8. 富田朝彦

    富田説明員 参加されておりません。
  9. 上原康助

    上原委員 そうしますと、内廷費あるいは皇族費改定をする場合には総務長官意向はどうなるのですか。
  10. 富田朝彦

    富田説明員 内廷費皇族費をいろいろ改定を要するや否や検討をいたします過程におきまして、これは一つは、そういう法律経済施行法改正ということと、それから予算案にこれをお願いをするという二つの道になるわけでございますが、そのいわば研究過程、いわば最終段階過程におきまして総務長官等にもいろいろ御説明を申し上げ、御意見を承るということの措置をいたして、一応行政宮内庁を監督される立場にある総務長官の御意向を反映したい、こういうことをいたしております。
  11. 上原康助

    上原委員 これは以前にも問題になったわけですが、宮内庁は一体総務長官指揮監督権のもとにあるのかないのか、ぼくはその是非は余りお尋ねするつもりはないわけですが、これは若干矛盾点がありますね。その点を指摘をしておきたいと思います。たしか皇室経済懇談会には総務長官も入って懇談をした経緯はあったと思うんですね。直接といいますか、機構上から言うと総理府総務長官管轄下にありながら、この内廷費皇族費を決める場合においては直接総務長官が参与、参画できないという現在のあり方というのは、もちろん、それはいまお答えがあったように意見を求められ、あるいは御意見を聞くということは当然おやりになっているかと思うのですが、疑問点があるという点を指摘をしておきたいと思うのです。  これは総務長官の見解を聞くまでもないと思うのですが、以前からその指摘があったという点も含めて、改めて問題提起――問題提起というほどのことでないかもしれませんが、しておきたいと思います。  そこで、五十二年の四月一日に改定をしてそれから今回ですから、その間いまおっしゃったように物価相当上昇をした、また公務員関係方々給与もこの三年間にかなりといいますか、一定のベースアップがなされたというようなことからすると、確かにその必要性というものは否定するというわけにはいかない論理になるわけですが、問題は、その内廷費皇室費を決める基準というものがきわめて不明確であるということですね。これはよく言われるように、お手元金なんだからもちろん税金の対象にもなってないし、どういうふうにお使いになろうがそれは御自由だということになると、われわれとしては若干疑問点が残るわけですね。基準というものが定かでない、ここいらはどうお考えなのか。もし何か明確な根拠なり、いまお述べになった以外に、これだけの生計費というかあれがかかるのだ、だからこういう改定が必要なんだというものがあれば、お聞かせいただきたいと思うのです。
  12. 富田朝彦

    富田説明員 昭和四十二年にいろいろ御議論をいただきました際のそういう詳しい速記録というものは残っておりませんが、当時の関係者のいろいろな状況報告を聞いてみたりいたしまして感じましたことは、それまでに、昭和四十三年でございますから、もう二十三年間の御生活の積み上げがそこにあったわけでございます。そういうことをいろいろ分析をされ、そしてそこに何かルールを見つけた方がいいんじゃないかというようなことから、いろいろ御研究をいただいたと承知をいたしております。  御案内のように、内廷費で例をとりますと、皇室が私的な契約によりまして雇用いたしておりまする人が、ときに欠けたりいたすことはございますけれども、おおむね二十五人、これを雇用いたしておるわけでございます。これは全員がいわゆる常勤の形ではない、一部非常勤のような形の者もおりますけれども、そういう職員を抱えておるところに、この人たちにつきましてはやはり国家公務員に準じた待遇をしてあげるということが大事なことと存じておるわけでございますけれども、こういう方々に要する人件費というものが相当の部分を占めております。三三%なり四%なりの割合を全内廷費のうち占めておるわけでございます。そういうことからいたしますと、どうしてもいわゆる国家公務員給与改善状況というようなものの要素を織り込むということも必要であるというふうに考えられたことには、私は何かそこに一つの筋道が感ぜられるのでございます。また、それ以外のいろいろな諸経費につきましては、やはり物の購入というようなことも相当ございますので、そういう面から申しますると、物価というものがそこに反映してくるということも、これは一つの筋があるように存ずるのであります。  そうした要員を抱えていないということでありますれば、その二つの――いわゆる公務員給与改善というものはあるいは物価とある程度連動性を持っているという場合もありましょうと存じますが、そういうようなことから、やはりそういう公務員に準ずるような待遇をしようとしておる職員を抱えておるということで、いま申し上げたような二つルールというようなものが私は現実に今日働いていることに意味があると考えておる次第でございます。
  13. 上原康助

    上原委員 その点はなかなかこう明確にそうですかと言える御説明でもないような感じがするわけですが、仮に内廷職員給与が三三から三四%を占めているにしても、二億二千百万円、約六千万程度ですよ。そのほかはその他の内廷費というふうにお使いになられる。そこいらの基準というものも、これはやはりもう少し明確にする必要があると思うのです。その点を申し上げておきたいと思います。それと、後ほどちょっとお尋ねしますが、内廷費宮廷費のこの使い分けの問題、これも以前から議論がなされてきたことですので、そういう点をあわせてわれわれとしてはもう少しすっきりした形を今後とるように御検討をいただきたいという点を申し上げておきたいと思います。  時間の都合もありますので次に進みますが、天皇の最近の公務といいますか、日常の御状況、そういう点についてひとつ御説明をいただきたいと思います。いろいろといいますか、若干の資料を手に入れて、宮内庁要覧あたりにも出されてはおるわけですが、非常にお元気であるということは結構なことですが、相当お年を召されていることは事実であります。最近のそういった公務に携わる状況なり現在の天皇の御身辺というものがどういう状況なのか、国民にはなかなかわからぬ面もある。こういう機会でないとお聞かせ願えない面もありますので、せっかく宮内庁長官おいでですから、御説明できる範囲でひとつお答えをいただきたいと思います。
  14. 富田朝彦

    富田説明員 天皇陛下の御健康状況について簡単に御報告を申し上げたいと思いますが、ただいま七十八歳におなりでございまして、この四月二十九日のお誕生日を迎えられますと七十九歳、こういうお年でございまして、いまおっしゃられましたように、社会一般のあれから言いましても相当高齢ではございます。しかし、御健康状態は、私どもが常日ごろいろいろな機会拝見をいたしましても大変にお元気でございます。いわゆる持病と申しますか、そういうものはお持ちになっておられない。これはお若いころからの節制が効いておられるのかどうか、私はその辺はつまびらかでございません。ただ、最近は一、二新聞でごらんになったかとも存じますが、軽いかぜを召されることはございます。その程度でございまして、非常にお元気にいろいろな御公務をこなしておられ、また、それをこなされることに非常にいろいろ気配りもなされますと同時に、そういう御活動そのものに非常なお喜びをむしろ持たれるという風情も拝察されるわけでございます。  陛下の御公務状態でございますが、あるいはもう資料をお手元にお持ちであろうかと存じますけれども、これは日本国憲法に定めます国事に関する行為があるわけでございますが、これは憲法三条によりまして、この国事に関する行為はすべて内閣の助言と承認に基づいて行われるわけでございます。具体的には、六条、七条について内閣閣議決定をされまして、これを書類としてお手元まで送付されますものを、毎日、宮殿あるいはいろいろな行事でお忙しいときにはお住まいの方にお持ち帰りになりましてごらんになった上で、それぞれの御署名なりあるいは裁可なりの印を押されることをみずからされておるわけでございます。  これらの昭和五十四年度の例を一応総括してみますると、いま申し上げました中の、一々法律の公布とかいうようなことを項目を挙げませんけれども、約九百件の書類がお手元に上がってまいっております。  それからその一方、いわゆる行事としましては、国事行為としての儀式というふうに閣議決定を受けておりまする新年祝賀の儀がございますが、その他国事行為に関連をした儀式として総理最高裁長官親任式あるいは認証官任命式とか外国大使信任状捧呈式というようなものがございまして、これは年間通じまして約四十数回でございます。そのほかに、いわば象徴としてのお立場から催される儀式行事外国の首脳あるいは元首というような方々との御会見、茶会あるいは謁見、拝謁というようなことを通じまして昨年は二百四回。それから外国元首その他との御親電の交換というのが五百件ございます。  こういうことに関連しまして、さらに宮内庁の内部の処理としまして、陛下にいろいろな書類を差し上げるということも相当の数に上っておるわけでございます。  さらに、いわゆる行幸ということでございますが、国または公的団体が催す式典に御臨席になられるというのは、国会開会式等でよく御存じと存じますが、そのほかに学士院賞授賞式とかあるいは全国戦没者追悼式でございますとか植樹祭でありますとか国体、こういうようなものに行幸になっておる、こういう御活動がございますが、このうち平均しますと、一日に相当のものが集中するような日もございますし、私どものメモ、日程表を見ましても、そういうことに関連しての、いわば一日おきぐらいに非常に大きな行事があるというような状態でございますけれども、非常に元気におこなしになっておられるように拝見をいたしております。
  15. 上原康助

    上原委員 それは時折、新聞なりあるいはその他の報道を通しても天皇が御丈夫であるということ、お元気であられることはわかるのです。しかし、天皇とて人間ですから、かなり高齢でこれだけの御用務、御公務を遂行するのは並み大抵でないということは常識的に判断もできるわけで、これは後ほどお尋ねします。  そこで、いま御説明があったことについては、先ほど申し上げましたこの要覧でも、五十四年度あるいはそれ以前のものも大方似ているようですが、あります。国際情勢についていろいろ各界といいますかその筋の人から御進講を受けるとか、帰国後の大公使からの外国事情についてのお話というかご説明をうけるとか、産業界の現状とか経済問題、自然科学関係ども大体回数なども書いてあります。それはそれなりに慣例としてといいますか、慣行となっている面もあろうかと思うし、また国事行為あるいは公的行為というような、よく議論される範囲でいろいろと天皇公務に携わることはあり得ることで、その辺について私たちはとやかく言うつもりは毛頭ございません。  そこで、これらの記録の表に出ないあるいは拝謁とか接見といいますか、そういうことで以前にも問題になったこともあるが、かつて統幕議長天皇認証官にすべきだというような発言をして物議を醸した方もおった。最近は自衛官幹部天皇との接見といいますか、こういうことは年間どのくらい行われておるのか、これまでの実態をひとつ明らかにしておいていただきたいと思います。
  16. 富田朝彦

    富田説明員 自衛隊幹部拝謁でございますが、これは昭和四十年から行われておりまして、年一回でございます。これは防衛庁から申請があるわけでございますけれども、年一回か、いわゆる幹部会同様子は存じませんが、そのいずれかの幹部会同の折にいわば拝謁申請をしてまいられる。それを受けまして、その拝謁が行われるわけでございます。  拝謁という問題に関連してちょっと敷衍をいたしますと、皇居において天皇陛下にお目にかかるという例を挙げますれば、先ほども抽象的に申しました拝謁というのは大体百回から百十回ぐらい。これはしかし勲章とか褒章とかいうことになりますと、一回に参加される方は相当の数に上る場合もございますけれども、そういうような場合とか、あるいは外国諸国への赴任大使夫妻拝謁、こういうこともございますし、また文化功労者あるいは国会関係では衆参両院議長、それから常任、特別委員会双方委員長等拝謁お茶等もございます。  この自衛官のあれに似た形のものとしましては、裁判官、地裁の所長等が年に数回東京で会同が行われるようでありますが、地裁、家裁の所長会同の折に同じようなことが行われております。また、検事正等の会同についても同じことが行われているわけでございまして、行政官庁のそういうことの一環として昭和四十年から、一、二回欠けたことがありますけれども、年一回そういう機会申請をお受けして拝謁ということが行われている、こういうことでございます。
  17. 上原康助

    上原委員 そこまで宮内庁長官が一々弁護していただかないでも結構なんです。私もこれは前にもお尋ねしたことがあって、確かに、いま裁判官とか外務省高官とか、そういった方々がお目にかかるのはあり得ることで、この件はきょうは主要な質問の内容でありませんので、内容だけにいたします。  そうしますと、もう一遍確認をしておきたいのですが、年一回幹部会同ですか、そういうことでお会いになる。そのメンバーとか氏名、そういったものは全部防衛庁が推薦するわけですか、数も含めて、そこらはどうですか。
  18. 富田朝彦

    富田説明員 ちょっと多少のでこぼこがあるようでございますが、毎回大体六十名くらいでございます。氏名その他といいますか、推薦は全部防衛庁でございます。
  19. 上原康助

    上原委員 数もだんだん多くなっているみたいですね。その事実関係だけを明確にしておきたいと思います。  次に進みます。天皇家であっても庶民であっても大変祝福すべきといいますか、お祝いすべきことだと思うのですが、子供や孫が成長して成年に達するということは結構なことで、最近新聞報道でもかなり取り上げられておりますが、浩宮様が、この二十三日といいますからあさってですか、成年式をお迎えになるということが報じられております。  そこで、これについては、天皇家といいますか、私的にお祝いをするということはあり得ることなんですが、何か漏れ聞くところによりますと、今回のこの浩宮様の成年式の式典というものを宮内庁が計画といいますか、その方針をお立てになってやるということが報じられているわけですが、これは事実なのか、あるいはまたどういうふうに今回の成年式を宮内庁としてはやっていかれようとするのか、お考えを明らかにしていただきたいと思うのです。
  20. 富田朝彦

    富田説明員 お答えいたします。  この成年式というのは、御案内のようにいわゆる元服の制に当たるもので、民間の慣習、習俗と共通する面もございます。しかし、皇室では八世紀のころからこの制度が始まっておりまして、九世紀の清和天皇のころにいわゆる成年式の制度が確立をしておるわけでございます。  いわばそういう意味の伝統的な儀式ということで、天皇皇族の御成長に伴う通過儀礼の一つというふうに考えられるわけでございますが、このたびの浩宮殿下の御成年は、いま申しました成年式の意味というものにのっとりまして、御本人に対する、成人になられたことの自覚を深め、いわば皇族としての今後の御行動というものを十分りっぱになすっていただきたい、こういうことも一面ございます。  同時に、現行の皇室典範天皇、皇太子の成年は十八年とすると規定しているわけでございます。旧皇室典範は当然そこは規定しておりますが、さらに加えて、皇族の成年は満二十年とすると書いて規定しております。現行の典範はそこの皇族の部分は規定しておりませんけれども、当然前に規定された精神と社会の習俗というようなものから考えますと、この二十歳を御成年というふうに考えて、すでに戦後におきましても皇太子殿下の御成年、これは昭和二十七年でございます。それから常陸宮殿下の御成年、これが昭和三十年、それから三笠宮家の三親王のそれぞれの成年、これがそれぞれいわば公的な宮廷行事として行われてまいっておるわけであります。  ただ、皇太子殿下の御成年に当たりましては、皇太子殿下のいわば御身位と申しますか、皇位継承権第一順位者であるというお立場、そういうことと立太子礼というものをあわせ行いました関係もありまして、これは国の行事として閣議決定を受けて、国のいわば国事行為たる行事ということで陛下がみずからこれを取り仕切られた形の儀式があったわけでございます。  いまの浩宮徳仁親王殿下は、御成年になられますと、これは継承権第二順位でありますが、摂政あるいは国事行為臨時代行者あるいはまた皇室会議の議員、こういうものに成年皇族として就任されるいわば法的な能力を持たれるわけでございます。未成年の間はすでに御承知のとおりのいろいろな制約があるわけでございますが、そういう法的な能力をお持ちになる、そのことをお喜びし、また、その御自覚を深めていただくように求める、こういう事柄の性格がもう一面あるわけでございまして、この性格に着目をいたしまして、その伝統的なものとあわせて、いわば公的な行事として冠をたまうとか以下諸儀を行っていく計画になっておるものでございます。それが事実でございます。
  21. 上原康助

    上原委員 おっしゃることもわからぬわけではありません。じゃ、この場合の行事といいますか、その儀式は法的にはどういう性格なんですか。それが一つと、その費用はどういうふうな面から支出をなさるのですか。
  22. 富田朝彦

    富田説明員 いま申し上げましたような浩宮の皇室における身位ということに関連をいたしまして、いわば公的な行事、こう観念をいたすのでございます。しかしながら、その中に三殿に奉告をする儀とか、あるいは浩宮が学友あるいは恩師、昔いろいろ世話になった方々、こういう方々を招きましてやられるような事柄、あるいはそれに記念品を上げるというような事柄は、これはやはり私的な事柄でございます。したがいまして、それはいわゆる私的な行為としてその費用の分担区分も明らかにいたしておるところでございまして、いわゆる公的な行為に当たる部分は、五十四年度の予算に約五百五十万円が計上をされておるところでございます。いま申し上げた私的な部分、これについてはいわゆる内廷費、お手元からそれに要する金を工夫される、こういう形になっております。
  23. 上原康助

    上原委員 その公的な行事という場合ですが、それは何に基づくのですか。皇室典範に基づくのですか。どういう根拠に基づいての公的行事なのか。そこをもう少し明らかにしていただきたいと思うのです。これは天皇の公的行事じゃないわけでしょう。どこの公的行事ですか。宮内庁のですか。
  24. 富田朝彦

    富田説明員 いま仰せのように、これは天皇が御主催される行事という性格ではございません。両親殿下、つまり皇太子殿下御夫妻がいわば主催をされることでございますが、同時に、おじい様、おばあ様としての両陛下がそれに参加なさってやられるわけでございます。したがいまして、当然、国事行為たる陛下が取り仕切られる行事儀式、こういうことには相ならないことは明らかでございますが、両陛下も御参加になる、それで皇太子殿下がとり行われる、そういう意味で、これは皇室の公的な行事と私どもは観念をいたしております。
  25. 上原康助

    上原委員 ですから、皇室の公的な行事という場合――これは皇室という立場で私的におやりになるということに私は物を言っているわけじゃないわけですよ。しかも、その公的部門については五十四年度予算でたしか五百五十万、五百万以上の予算も計上されているわけです。内廷費も一応二億二千万今度改定するとやる。本来なら成人式とかあるいは子供の誕生日を祝うのは私的な行事です。さらにまたこれに対して公的行事だ、あんな説明ではまだ私は納得できません。さらにこれは予算の多い少ないの問題じゃないと思うのです。それをあたかも国家行事みたいに今度大宣伝をこの二十三日にやるわけでしょう。そこは宮内庁は実際どのようにお考えなんですか。公的部門と私的な部門を予算の分担についても区分けをしてあるのだと言うのですが、それは実際には総額ではどのくらいかかって、私的な部分は幾らで、公的部分は五百五十万円ぐらい計上している、それは内廷費から出るのもあるのですか。
  26. 富田朝彦

    富田説明員 いま言葉が足らなかったかとも存じますが、公的な行事ということに対して国の予算として五百五十万円、これはいわゆる宮廷費でございます。それから、お手元金内廷費から約七百万余という金をこのために一応準備をし、支出をいたしておるところでございます。合わせますと千二百数十万円、こういうことかと存じます。
  27. 上原康助

    上原委員 一応そういう区分けはやっておられるということなんで、お答えの上では理解できますが、確かに浩宮徳仁様が第二継承者であられる、そういう意味では成年になられるのでお祝いをしてあげたいという宮内庁のお考えも否定はいたしません。しかも、さっきもありましたように、八世紀、九世紀の時代からこういう儀式をやってきたのだからそれをずっとこれからもやっていくのだ。しかし、われわれからしますと、いまの新憲法ができた後は、皇室なり皇族のあり方、天皇の地位も完全に変わったはずなんですね。そうであるならば、そういう現行憲法下に見合うようなといいますか、適応するような方向に皇室なり皇族生活といいますか、そういった儀式というものも簡素化すべきものは簡素化していく、国民にもっと全体的理解が求められるような方向にやっていくというのが本来のあり方じゃないのか、そのことを指摘をしておきたいわけです。ますます華麗になり華美になっていく傾向がいま強くなっているでしょう。それを天皇を神格化していくと言う。そういうことにつながらないのかどうか。それが当然視されるような感覚が私たちは今日の政治の世界でやはり問題だと言うのです。この点について何かお感じの点がありますか。私は本当にそう思うのだ。
  28. 富田朝彦

    富田説明員 いま上原委員のそういうお考えにつきまして拝聴したのでございますが、私どもも、これはやはりいまの憲法のもと、また、一つの時代の進展の現状というものを踏まえまして、いたずらに伝統にこだわるということではなくて、簡素化すべきところは簡素化し、そして一般の国民とのつながりというものを十分心にとめ置いて事柄を進めていきたいと努力はいたしております。  その意味で、先ほど挙げました八世紀、七世紀ということは、何もそれをそのまま現実に踏襲したいとかそういうことではないのでございまして、そういうような意味を持っているものであるので、今日そういう成年になられる皇族の自覚を求める、そしてりっぱな、憲法が予想しておる皇室の一員となっていただく、それをまた国民にも知っていただく、こういうつもりでございます。したがいまして、これをはでにはでに宣伝するというつもりは毛頭ないのでございますけれども、どうしてもいろいろな角度からそういうものがいろいろな媒体を通じましてお目に触れ、耳に入るものと存じますけれども、私どもの気持ちはそういう気持ちでございます。
  29. 上原康助

    上原委員 そこはいろいろ受けとめ方といいますか、戦後の戦争体験あるいはその政治風土、そういう面での違いもあろうかと思うのですが、私は、元号問題この方いろいろの動きを見てみますと、現行憲法下における天皇の地位、天皇のあり方、あるいはそれを取り巻いている権力構造というか、そういうものをながめてみますと、やはり旧憲法下、明治憲法下における実態と何ら変わらない、むしろその方向を強化をしていこうとする面が非常に色濃く出ているという点だけを改めて指摘しておきたいし、この種の問題もかえって逆効果になりますよ。その点はよく御配慮いただきたいと思います。  そこで、この儀式の模様について何か生中継というか実況放送をするというのもすでに計画されているというのですが、これは宮内庁が御計画なさったのですか。どういう立場でやるわけですか。そこも確かめておきたいと思うのです。
  30. 富田朝彦

    富田説明員 これは宮内庁がやるというよりは、そういう場所、その他報道室等に使い得るような場所があるものでございますから、宮内庁がそういうものを提供をするということでございまして、むしろこれは一般の報道機関の強い要望にこたえた、こういう形でございます。
  31. 上原康助

    上原委員 次にあと一点。これとの関係もあるわけですが、先ほどの天皇の御公務状況なり、相当高齢であられるというようなこと、また今度の浩宮様の成年式を迎えた、まあ言えばお孫さんですよ、お孫さんが二十歳になったということ。そういう面からしますと、いろいろ憲法上も皇室典範上も、実際問題として摂政を置くことができるわけです。また記録を見てみましても、たとえば現在の天皇の場合は、大正十年の十一月二十五日に摂政に御就任をなされている記録もかつてあるわけです。もちろんそれは、その都度都度の、ときどきの天皇の御健康の状態、いろいろな社会情勢、政治状況にも影響された面もあると思うのですが、いま直ちにでないにいたしましても、宮内庁として摂政というものを、これもかねがね議論されてきたことなんですが、私がずばり言わせていただけば、そろそろお考えになってもいい時期ではなかろうかということを思うわけです。この点について御検討なさったこと、あるいは何かお考えがあれば聞かせていただきたいと思います。
  32. 富田朝彦

    富田説明員 先ほど申しましたように、また委員もいま申されましたように、陛下は御高齢ではございますが、大変お元気であられるという御状況でございます。  摂政についてのお尋ねでございますが、これは法律上に規定された制度として、そういう意味ではいろいろ研究はいたしておりますが、御案内のように、皇室典範第十六条に規定しております文言を読みますれば、ここに書いてある表現では「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」こういう言葉をかぶせております。重患である上に国事に関する行為をみずからすることができないとき。非常に一般的なあれを考えますと、そういう天皇の意思能力というものが、みずからのことをいろいろ決し得ないというような状態が現出しましたときに、制度としては摂政を置く、こういうことだと存じます。そういう意味から申しますと、いまの時点では、そういうことを具体的な問題として考えるという気持ちは持っておりません。  いま一つ国事臨時代行というのもございます。これはしかし、いまの陛下がみずからの意思によって外国旅行をされるとかというような、いわゆるこれに比べますと軽い事項でございますが、そういうようなときにみずからの意思で委任をされるということでございますので、これも一応規定として、二回の外国御旅行の際に発動されましたけれども、いま直ちにそういう状況ではないように存じております。しかし一面、いま委員も御指摘のように、御高齢ということの御負担というもの、もしできるところがあるならば、その御負担というものを少しでも軽くして差し上げる、そうすることが私どもの務めだと存じております。なかなかはかばかしいことにはいかないのでございますけれども、いろいろ地方からもお成り願いたい、あるいは都内でもそういうのが多うございますが、定型的なもの等については、陛下ではなくて、何とか別な方におかわりいただくというような形で少しずつは私どもも実現をさせておりますが、さらにそういう気持ちを十分深めて補佐申し上げたいと考えております。
  33. 上原康助

    上原委員 まあ御心中はお察ししたいわけですが、地方からおいで、おいでという声もあるというが、沖繩へのおいではお断りしますので……。  それで、余り御無礼なこともこれでは言えないようなことなんですが、もちろん国事行為の臨時代行については、これまでもいまの皇太子殿下がおやりになったこともあるわけでしょう。それはないですか。
  34. 富田朝彦

    富田説明員 いま申し上げたつもりでございましたが、昭和四十六年に両陛下でヨーロッパ御訪問、それから昭和五十年にアメリカ御訪問、この際に、これは長く御旅行で国をあけられますので、国事臨時代行制度の発動を閣議の承認とあれによりましておとりいただいて、皇太子殿下が国事行為臨時代行者としての務めをその間果たされたわけでございます。
  35. 上原康助

    上原委員 そこで、確かに皇室典範のいまお読みになった十六条の条文からしますと、なかなかそう簡単にもいくまいということだと思うのですが、しかし、それは自然の摂理というのもありますね。そこいらもよくお考えになっていただきたいし、失礼になっても困ると思うのですが、やはりもうお孫さんだって成年に達しているわけですよ。いまの皇太子殿下だってもうやがて五十歳にもなられる。そういう面からすると、私はいろいろ検討するに値する面があると思いますよ。これはぼくらが心配すべきことではないと思うのですが、その点を申し上げておきたいと思うのです。  そこで次に、これもちょっとだけ確かめておきたいのですが、この皇室参与というのは一体どういう性格のものですか、いまお二人おられるようですがね。――どうも天皇の話になると、もう敬語がむずかしくて容易じゃないのですが……。
  36. 富田朝彦

    富田説明員 皇室参与についてのお尋ねでございますが、いま委員からお話がございましたように、ただいまでは二人の皇室参与を委嘱しているのが現実でございます。  これはどういうものかということでございます。これは制度としてあるというふうにはちょっと考えられないことでございまして、公務員として恒常的に特定の地位を与えられて任務を果たしていくというようなものではございません。さらにまた、非常勤の職員の中で、各省設置法等で顧問とか参与とかいうようなものを規定し、それに見合う給与などが規定されているのもあるように記憶いたしておりますが、この私どもの方でお願いをいたしておりまする参与は、言ってみれば名誉職と申しますか、そういう給与、報酬というものは一切ないわけでございまして、皇室の重要事項につき、陛下から必要のあるときに御意見を求められて申し述べるという、そういう御相談相手と申しますか、それから、もっと軽い気持ちでお会いになって、世の中の一般の事柄等についてお話を交わされるというお話し相手、こういうような性格でございます。
  37. 上原康助

    上原委員 この種の参与も、実際から言うと、皇室典範にも何にもないわけですね、置けるとも。もちろん置けないとも書いてないとまた言うかもしれませんが、何か根拠がなければいかぬと思うのですがね。どうもそこいらも給与やあれを支給しないから相談相手としていいんだということで、どんどん拡大をしていくというようなことがあっては困るということだけ指摘をしておきたいと思います。  そこで、元号法案のときに若干問題になりましたので、皇統譜令についてちょっとお尋ねをしておきたいのですが、端的に申し上げて、現在の皇統譜に登録し得る事項というものはどういうものがあるのですか。法制局いらしていますね。
  38. 関守

    ○関(守)政府委員 ただいまの皇統譜令では、第一条で「当分の間、なお従前の例による。」ということは書いてございまして、そのほか、現在の皇統譜令で書いてあることもございますけれどもお尋ねは、元号法案のときの関連でございますと「従前の例による。」ということについてのお尋ねだと思いますけれども、その点につきましては、当然のことでございますけれども、この皇統譜令というのは皇室典範に基づいて定められている政令でございます。したがいまして、皇室典範でできる範囲のものしかできないわけでございまして、皇族の身分等に関することがたしか書いてあると思いましたけれども、それ以外のことは皇統譜令では、本来は、皇統譜なりそういうものに載せるべきものではないというふうに考えております。
  39. 上原康助

    上原委員 これは元号法案のときに、私も若干お尋ねしたのですが、うちの法律に詳しい山花先生がいろいろお尋ねをしてあるわけですね。だから、いまの皇室典範範囲でできるものしかできない。しかも前法制局長官は旧皇統譜令は効力を失っている、また全部廃止された、こういうこともはっきり言っておられるわけですね。そうしますと、仮にいまの天皇が御崩御なされたというときにこの現在の皇統譜令、いまありました政令第一号ですね、これは昭和二十二年五月三日に皇統譜令が発布されている。確かにこれの第一条には、「この政令に定めるものの外、皇統譜に関しては、当分の間、なお従前の例による。」この「従前の例による。」というのは、元号法案のときにもはっきり答弁があったように、この皇室典範範囲のものしかできないということになりますと、旧皇統譜令はしかも効力がないということになりますと、どういう事項を記載するのか不明なんですね。そこいらどうなんですか。きょうこの問題では余り時間がありませんのでなんですが、深く議論できませんが、現在の皇統譜令については検討が必要でございますと法制局長官は言っておるわけですね、元号法案のときに。といいますのは、ぼくの方で言いましょうか、この旧皇統譜令の第二章大統譜というところの十二条には「天皇ノ欄ニハ左ノ事項ヲ登録スヘシ」一から十四まであるのですね。その七項に「元号及改元ノ年月日」というのがあるのです。皇統譜には「元号及改元ノ年月日」をどういうふうに記載をしようとなさるのか、この点明確にしておいてくださいよ。いまの皇統譜令を改めなければいけないのか、政府元号であるいまの元号は天皇元号でないわけだから、旧皇統譜令と明らかに違う。そこいらの精査といいますか整理は、政府はどういうふうに考えているのか。これはこれからの議論としても重要な問題ですよ。お答えください。
  40. 富田朝彦

    富田説明員 いまお示しがありましたいわゆる旧皇統譜令による登録事項とされている「元号及改元ノ年月日」について、現在でも登録事項とすべきか否かということは従来からも検討をしているところであり、またその旨をお答えしてまいったかと存じますが、もちろん現在の政令一号の皇統譜令というのは憲法のもとの典範、それに基づく皇統譜令でございますから、憲法の精神を十分に踏まえて運用実施をしなければならないということは明らかでございます。  そこで、いまお話しのございました元号法が成立をいたしておりまして、その制定手続が、すでに御承知のように、旧制度下のいわゆる制定手続とは異なっておることが明示されておるわけでございます。そういう性格を明らかに法定をしたことになるわけでございます。そういうことを考えますと、いまお尋ねの「元号及改元ノ年月日」という項については、その法定された性格が変わってきましたので、皇室典範の二十六条に表現をいたしております天皇の身分に当たる事項とは考えにくいと私はいま考えております。     〔委員長退席、唐沢委員長代理着席〕  そういうようなことで、昨年いま委員からお示しもありました当時の法制局長官が、登載事項になじまないと考えられるべきではないかという、たしかそういう趣旨の答弁をしておりますが、いま申し上げた二つの事項からその点を踏まえていま検討をいたしておるところでございます。
  41. 上原康助

    上原委員 いまの御発言は私は大変重要だと思いますよ。それであればそれでいいの。それは聞き置く程度にとめておきましょう。だから、元号問題というのは、われわれはあの当時からいろいろ尾を引くということを考えていましたので、皇統譜令の成文もなされてない、また記載事項がどういうものであるか、記載事項はいまの御説明があったように、憲法上も皇室典範上も旧皇統譜令のようにはできないわけですね。その点はぜひ法制局ももう少し明確な点をお示しをいただきたいと思います。  そこで、時間もだんだんたってまいりますので、あと贈り名の問題についても少し触れようと思ったのですが、それはまたいずれかの機会にいたします。  これとの関連でもう一点お尋ねをさせていただきたいわけですが、もうすでに昨年の内閣委員会、四月十九日の内閣委員会でしたが、沖繩の地位と関連をして、沖繩の戦後の米軍統治下に置かれた件と関連をした天皇メッセージというのが昨年四月の「世界」という雑誌で明らかになって、いろいろと議論がなされてきました。  簡潔に申し上げますと、一九四七年九月二十日付でシーボルトGHQ政治顧問がマッカーサーに提出したいわゆる書簡の中で、沖繩処分、琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解といいますかあるいは考え方といいますか、そういう書簡が出された。これが沖繩を本土から切り離してアメリカの軍事占領支配に置く重要なきっかけになったのだ、米国の政策に大きな影響を与えたのだというようなことですね。さらに一九四七年の十月十五日付のジョージ・ケナン氏を団長とする国務省の政策企画部がロヴェット国務次官に提出した報告書などでも、要するにこの天皇の見解というものが非常に影響を与えたと私は思うのですね。その一部を引用してみますと、「政策企画部は、米国が沖繩並びにその他の必要な島々に対する軍事占領を、主権は日本が保持したままで、長期の租借――二十五年ないし五十年あるいはそれ以上――に基づいて継続すべきであると、日本の天皇提案していると伝えられていることに留意する。当部はこの方式を戦略信託統治の代案として検討するのが当然だと考える。」  そのほかにもたくさんありますが、いま引用しました二つの書簡によって沖繩が二十五年間実際にアメリカの占領支配下に置かれた。今日なお日本全国の五三%の基地を抱えて、いまでも大変な状況に置かれている。こういう実態からしますと、われわれはこの天皇メッセージというものを簡単にうやむやにするわけにはいかないのですよ。  そこで、改めて取り上げるわけですが、私が四月十九日に取り上げている。その以前には同僚議員が取り上げておられる。また、沖特でもこの問題は取り上げられております。そこで取り上げた際に、政府、総務長官、あれは当時のアメリカ局の参事官でしたかね、関係者の御答弁は、事実の有無が明確でない、事実関係を明確にした上でないと答弁することは慎みたい、事実不詳であるからはっきりしたことは言えない、そういう答弁だったんですね。したがって、事実関係をもっと調査をせよという私なり同僚委員の主張に対しては「慎重に取り扱ってみたいと思うところでございます。」これは三原前総務長官ですかの御答弁ですね。私がまたずばり天皇に聞くこともできるのではないのかということに対して宮内庁は、「これは慎重に考える必要のある事項だと思います。」慎重にということは国会ではやらないということにつながるようですが、私たちはこれだけの問題をうやむやにするわけにはいかないわけですね。その後どういうふうに調査をなされ、あるいはまた検討してこられたのか、改めて宮内庁、外務省の御見解を聞いておきたい。  そして同時に、いまの沖繩の現状をある程度知っていらっしゃると思うので、総務長官、長い間お座りで少しお立ちになって答弁もしたくなっているころだと思うから、総務長官の見解もぜひお聞かせをいただきたいと思うのです。
  42. 富田朝彦

    富田説明員 お答えいたします。  いまお尋ねがありました件につきましては、昨年の当院並びに参議院の委員会等におきましてもたびたび関係省庁にお尋ねがあった事柄でございまして、その後私、当時宮内庁には寺崎氏がこういう表現でこう述べたということのメモ、記録、その他一切を調べましたけれども、全く見当たらない、こういうことを申し上げたと存じます。  その後もそれに関しては調査を続けておりますが、それに関連した、あるいはと思われるようなものも発見いたしておりません。また当時の関係者、これもほとんど物故いたしておりまして、ごく最近まで存命でありましたのは大金という侍従長をやった方がごく最近――最近といいましても昨年の春だったと思いますが、それまで存命しておられた。そういう方にも「世界」に出ました後、遺族なり何なり、何か御記憶なりメモなりが残っていることもあるのかということも調べたように報告を受けておりますが、そういう方からのあれも、そういう関連したものは見つからない、こういう状態で、これ以上私どもの方としては調べようがないのじゃないかというふうに考えます。
  43. 淺尾新一郎

    ○淺尾(新)政府委員 お答えいたします。  昨年当委員会その他で問題となりました件でございますけれども、その当時あるいはその後外務省からお答えをいたしましたように、外務省自身としては、いわゆる先生が言及されました発言についての裏づける資料はなかった。しかし、アメリカの国会図書館からの資料については四月十九日に一部提出済みでございます。  それから、その後先生から、関連資料がまだあるんじゃないかということでアメリカに照会いたしました。その結果、何分にも国立公文書館と申しますかナショナルアーカイブズにある資料というものは非常に膨大で、かつまだ整理されていないということで、なかなかその関連の資料の発掘に手間取ったわけでございますけれども、ただ一つだけ一九四八年二月二十六日付シーボルト発国務長官あて書簡というものは外務省として見つけたわけでございます。その書簡は、実は時日もたっておりますし、英文そのものを外務省で読みましたけれども、非常に判読しにくいという、ことでございますが、大体においてアメリカと中国との関係等をその書簡の中で列記しているということでございます。
  44. 上原康助

    上原委員 われわれもその後いろいろ追跡をしてはいるわけですが、なかなか容易ではありません。また政治的な変動もあって、目下この問題については勉強をしているところですが、私はこの問題を皆さんの方から、あるから出しなさい。いまの政府はそう簡単に出さないですよね。もみ消すことはあっても、こんなことがありましたなんて、そう簡単に出すとはわれわれは期待していないのですが、事はそう簡単でないという点だけは指摘しておきたいと思うのです。  そこで時間もありませんから、いま北米局長おっしゃったその一九四八年二月二十六日の資料というものを改めて提出してください。同時に、この間内閣委員会で要望をしたら、日本の国会なんだから一こんな見えない、しかも英語文だって十分見えないような英文の資料を出した。この点も問題にしようと思ったのですが、雑誌その他で翻訳されているものもあったから間に合ったのですが、こういうことは外務省慎んでもらいたい。これだけ重要な資料は、当然和文も英文もきちっとして出していただかなければ困る。  ですから改めて、ここにある一九四七年九月二十二日の書簡、それからもう一つ、一九四七年九月二十日の書簡、もう一つは一九四七年十月十五日、これを国会に出したものを翻訳をして、英文も見えるものをちゃんと資料も一緒に提出をしていただきたい。いまの一九四八年二月二十六日付の新たに入手したというものも、よろしいですね。
  45. 淺尾新一郎

    ○淺尾(新)政府委員 先ほどもお答えいたしましたように、その原文自身が非常に不鮮明でございましたので、恐らくその当時提出した資料が不鮮明であったということは事実であったかと思います。いま御指摘資料についてはできるだけきれいな形で提出いたしたいと思いますが、ただ、翻訳の点につきましては若干時日をかしていただかないと、時間を要するということだけ御了承願いたいと思います。
  46. 上原康助

    上原委員 外務省でも時間がかかるというのはしようがないでしょうね、すぐできるかと思ったのですが。できるだけそれは出してください。  何か総務長官は参議院の方へ行かれるようですから、いま申し上げたように一言も言わぬで行くのは失礼ですよ、あなた。天皇のことも含めて、いまの件については責任継承の原則ですからね。元号法案も問題が出たらあなたの責任ですよ。いまの天皇メッセージの問題も、沖繩開発庁長官という立場でも、われわれはこれをこのままうやむやにするわけにはいかない。この件についての御見解をいただいて、岩垂先生の都合もあると思いますので……。
  47. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 ただいま御指摘をいただきましたシーボルト書簡等につきましての御指摘はきわめて重要な問題だと心得ております。しかし、ただいま宮内庁並びに外務省から御答弁のありましたように、現時点におきましてはその書簡の正確度その他まだ不明な点が多々あるようでございまして、私といたしましては、それら官庁からの現在までの報告によりますればその事実関係が明確でないことでもあり、かつその事実はないという報告を得ておりますので、本問題につきましてここで明確に御答弁することはできかねるということでお許しをいただきたいと存じます。
  48. 上原康助

    上原委員 きょうはこの程度にとどめます。  防衛庁と防衛施設庁にちょっとお断りしますが、時間が来ましたから、那覇におけるミサイル爆発の件と読谷村のパラシュート降下訓練の件についてお尋ねする予定でしたが、約束の時間ですからきょうは割愛をして、後日また分科会なり委員会で取り上げたいと思います。ありがとうございました。
  49. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長代理 岩垂寿喜男君。
  50. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 関連という形で質問をいたしたいと思います。  ごく簡単でございますから明確な御答弁をいただきたいと思うのですが、神奈川県の三浦郡葉山町所在の葉山の御用邸の問題についてお尋ねをいたしたいと思います。四十六年に焼失してその後再建されつつありますけれども、再建の予算あるいは建て坪、完成の見通しを宮内庁から御答弁をいただきたいと思います。
  51. 富田朝彦

    富田説明員 ただいまお尋ねの葉山御用邸の再建につきましてお答えを申し上げます。  これは昭和五十三年度の予算からこの営繕関係の予算をいただきまして、五十六年度までの四年間の事業といたしまして、ただいま第二年の終わり、やがて三年目に入る、こういう段階でございます。  規模は、御殿としましては千二百五十平米、鉄筋コンクリート建てで平家、ごく一部が二階、こういう形のものでございます。  予算としましては、御本邸関係だけで申しますと約五億円。これに庭園の造成あるいは付属舎の建設あるいは車庫その他そういう付帯施設等がございますので、四年を終了しました時点で一応見通しますと九億から十億ぐらい、本邸を含めまして総体のものがそうなるのではなかろうか、こういうふうに考えております。
  52. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 本邸の完成がだんだん近づいているわけですが、付属邸はどうなさるおつもりか、その点をお尋ねしたいと思います。
  53. 富田朝彦

    富田説明員 四十六年に焼失しまして以後、いろいろ地元その他の方面からの、長いおなじみだということで、再建してはどうかという陳情等もございました。そういう過程において、付属邸をどうすべきかといろいろ研究したのでございますが、いま申し上げたような形でコンパクトなものにして集約をしよう、こういうことで、付属邸はこの葉山御用邸が一応完成時期に、主として土地だろうと存じますが、土地につきましてはいわば皇室財産の用途を廃止をいたしまして、大蔵省の担当の財産というところに一応お返ししよう、こう考えて研究をいたしております。
  54. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 付属邸の機能も含めて本邸部分にコンパクトに集約をするわけでございますから、付属邸は用途廃止ということで、大蔵省の普通財産にお戻しになるということをいま承りました。  これは、面積は大体付属邸部分というのは海岸部分を含めて一万八千五百四十六平米というふうに理解してようございますか。
  55. 富田朝彦

    富田説明員 そのとおりでございます。  ちょっと一言つけ加えさせていただきますが、付属邸と本邸の間に、現在葉山町の公園という部分がございます。これが約一ヘクタール、一万平米余ございますが、これは大正十三年に現陛下の御成婚がありました折に、その記念として葉山町が公園として使用したいということで、それを無償で貸与するということで今日まで継続しておるわけでございます。これはやはり葉山御用邸の付属邸と一体をなすとも考えられるところでございますので、これは葉山町が現に使用をいたしておりますので、これをどういう形で必要な部分だけを皇室財産に保留しまして他をお返しするかということになりますと、ここはちょっと、現に使っておられるところでございますから、その辺のことは十分配慮した上で措置をいたしたいと思っております。
  56. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 いまの葉山町の公園部分というのを入れて、それよりも本邸から離れたところに付属邸があるわけですから、当然これは普通財産にお戻しになることが筋道として適当ではないだろうか、こんなふうに私は思いますので、そういう御配慮を願いたいものだと思います。  それからこれについて昭和四十九年の三月と昨年の十二月の二十四日に葉山町議会から、葉山御用邸付属邸の払い下げを決議して宮内庁に要請をいたしておりますが、それは承知しておりますでしょうか。  同時に、その葉山町の要望に対して宮内庁は、これは長いおなじみという言葉がいま長官からございましたけれども、そういう立場から見て町の気持ちというのは理解ができるだろうと思うのですけれども、その点についてもちょっと御意見を承っておきたいと思います。
  57. 富田朝彦

    富田説明員 ただいまお示しになりました葉山町議会の決議その他、これは承知しておるのでございます。ただ、町議会の方から正式に何か文書でいただいているというわけではないのであります。しかし、そのことは十分承知をいたしております。
  58. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 それから長官のお気持ちをこの際。
  59. 富田朝彦

    富田説明員 これはいま申し上げましたように、完成時期を一応のめどにいたしております。皇室財産の用途を廃止しまして大蔵省の所管にとりあえず移すということでございますが、そうなりますと、こちらから物を言うというあれはなかなかないわけでございます。しかし、そういう措置をとります過程におきまして、私としましては、明治二十七年以来の長いこと葉山町にお世話になっておることでもございますと同時に、あそこで現陛下が御即位になった、こういうこともございます。そういうこと両面を踏まえまして、公共の用に立つような、そしてまた地元の皆さんの御要望というものを十分くんだ配意をしてほしいということをいままでの経緯説明とともに申し添えたいと思っております。
  60. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 それじゃ大蔵省からおいでをいただいておりますが、いまの富田長官のお話、私は、地元の要望があるわけですから大変喜ぶ御答弁だろうと思います。そのことを前提にして、大蔵省、ぜひひとつ地元の要望をかなえていただくように。いまから申し上げるのは少し早いのかもしれませんけれども、しかし、もう一年とちょっと後で問題が出てくるわけでございますから、その点で歯切れのいい御答弁をいただきたいと思うのです。
  61. 田中泰助

    田中説明員 お答え申し上げます。  大蔵省といたしましては、ただいま宮内庁長官から御答弁がありましたように、宮内庁からこの付属邸の敷地を引き継ぎました場合には、国有地の有効利用を図るという観点から、地元の御意見を含めまして十分慎重に検討いたしたいと考えております。
  62. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 払い下げということもございますけれども、公園部分はいま長官からお話しいただいたように無償貸与の形式をいただいているわけです。これは長い歴史のいきさつがありましてそういうことになっているわけでございますので、無償貸与という方式も含めて地元の要望にこたえていただきたい。このことをもう一遍念のために第一課長お尋ねをしておきたいと思います。
  63. 田中泰助

    田中説明員 具体的にその処分をいたしますときにどういう方法が可能であるかということは、まだ引き継ぎ前でございますので、引き継ぎを受けましてから検討させていただきたいと思います。無償貸し付けということも法律上は可能でございますが、具体的運用といたしましてどういう方法をとるかということは、もう少し検討させていただきたいということでございます。
  64. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 くどくて恐縮ですが、この長い歴史的ないきさつ、それから地元の要望、そして御用邸と町民との結びつきというものを踏まえて、この際、地元の要望にぜひこたえていただきたい、そういうことを繰り返してお願いをして、もう一遍地元の要望を含めて前向きに御考慮をいただくというふうに理解してよろしいかどうか、御答弁をいただきたいと思います。
  65. 田中泰助

    田中説明員 地元の御要望を含めまして、地元にそういう御要望が強いということは十分わかりましたので、これも含めまして慎重に検討させていただきたいと存じます。
  66. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 では終わります。どうも済みませんでした。
  67. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長代理 午後二時から委員会を再開することとし、この際、暫時休憩いたします。     午後零時十四分休憩      ――――◇―――――     午後二時二十七分開議
  68. 木野晴夫

    木野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。新井彬之君。
  69. 新井彬之

    ○新井委員 昨日だったですか、新聞に載っておりましたけれども天皇陛下がちょっとおかぜぎみだということでございますが、天皇皇后両陛下のいまの健康状態について、まず初めにお伺いしたいと思います。
  70. 富田朝彦

    富田説明員 お答えいたします。  いまお尋ねの両陛下の健康の御状態でございますが、天皇陛下はただいま七十八歳でいらっしゃいまして、この四月のお誕生日をお迎えになりますと七十九歳、こういうお年でございますが、一般的には非常に御健康でございまして、非常に数多い国事行為やら、またそれに付随するいろいろなことを初めといたしまして、特に最近は外国からのお客様が非常にふえておりまして、前は国賓という形で政府が遇するお客様は年に一回かというような程度でございましたが、昨年などはサミットもありました関係もありますけれども、それも含めて五回そういう国賓の御接遇をなさる、そのほか公賓という形で政府が接遇をいたします外国総理大臣、そういうような方の御接遇も非常に積極的におやりになっておられます。ただ、いまお話がありましたように、時折かぜを召されることがございます。一昨日の夕方私もお目にかかりましたら、ちょっとおかぜかなと思ったのでありますが、やはりその晩から多少おかぜぎみでございまして、いまもう大分快方に向かっておられるように聞いております。ときどきかぜをお引きになるという程度でございますが、一般的には至って御健康である。  それから皇后陛下でございますが、現在七十六歳でございますが、近々三月の六日がお誕生日でございます。誕生日を迎えられますと、一般に言う喜寿という年をお迎えになるわけでございます。皇后陛下は、三年前の昭和五十二年の初夏に、那須の御用邸においでになりました際にお腰を痛められたのでございますが、やはり老人性の腰椎の変形ということに起因をするようでございます。しかしそれも、その後治療等もいたしておりまして、順調に回復をしておられます。ただ、時折肉離れというようなことも経験をされたりして、ついこの一月にも軽い肉離れがございました。そういう関係で、須崎の方への両陛下のお成りを延期をしていただくということもございましたが、もっぱら腰部のそうしたものがさらに再発をするといいますか、そういう状況が他の部位に及ばないようにできるだけ注意をいたしておる、こういうことでございますが、大事なお行事には、たとえば新年の祝賀の行事でございますとか、一月二日にいわゆる一般参賀というのがございますが、そうした折には、皇后陛下も、天皇陛下並びに各皇族とともにこの行事に参加をされてお元気にこなしておられる、こういう御状態でございます。
  71. 新井彬之

    ○新井委員 お年もいかれておられることでございます。そういうことで、それと関連をいたしまして、天皇陛下の御公務と申しますか、いろいろな予定があろうかと思いますけれども、大体どのようなものがあるか。日にち的には年間でどのぐらいになって、時間的にはこういうことになるのだ、そういうようなことで、まだ御公務にたえられるといいますか、そういうようなことを若干伺っておきたいと思います。
  72. 富田朝彦

    富田説明員 お答え申し上げます。  天皇陛下の御公務としましては、いまお述べになられましたように、非常に多種多様、相当に多いのでございます。そこで、その一、二といいますか、その概略を御報告をいたしますと、まず日本国憲法に定める国事行為に関する行為があるわけでございまして、この国事行為は、御承知のように、憲法三条によりまして内閣の助言と承認のもとに行われるわけでございます。  これは具体的にどうなるかということでございますが、具体的には、憲法六条、七条に規定しておりまする事項に関して、内閣がそれぞれの手続をとりまして、これを書類として送付をしてまいるわけでございますが、この送付してまいりましたものを、陛下は毎日宮殿でごらんになった上で、やはり御署名を要するものが相当にございますが、これは毛筆で御署名になります。それからまた印でいわゆる可というような意思の表示をなさる行為もあるわけでございますが、こうした文書は合わせますと、年によって異なりますけれども、昨年の例を累計いたしますと九百件でございます。この一件一件が、付属資料その他がずいぶん添付されました相当に分厚いものもございますし、わりあいに簡単な文書もございますけれども、合計しますと九百件でございます。これは宮殿へお出ましになっておられましても、いろいろな行事がその間に入っておりますので、その行事の終わりました後ごらんになる程度で、なかなか終わらない場合もございます。そういう場合には、お住まいであります御所の方へお持ち帰りになって、それぞれの処理をされておられる。こういう文書処理だけでも九百件ございます。  それ以外に、いわゆる儀式行事というのが、これは非常に頻繁にございます。一例を申し上げますと、日本の国に外国から駐在をしております大使の数がだんだんふえてまいっておるようでございますが、百十カ国ぐらいあるのじゃないかと思います。中には兼任、兼轄大使がおりまして、常駐は九十数カ国ですが、この大使の任期というのは、別に決まっておりませんけれども、平均すると三年余という方が多いようであります。そうしますと、一年間に三十数カ国の大使の交代がございます。そうしますと、大使の信任状の捧呈、接受、それから大使が新任のあいさつ、退任のあいさつ、あるいはその間にいろいろ親善の意味でお話し合いをされる、こういうように、一例を挙げましても非常に行事が多いのでございますが、そうした宮殿で行われます行事というのは、そのほか総理あるいは最高裁判所長官の親任式その他約四十回余ございます。  また、いわゆる公のお立場で催される外国賓客とのお会いとかあるいは茶会とか、宮中晩さんとかいろいろのものがございます。それに拝謁とかいうことを合わせますと、約二百回余それにさらに加わるわけでございます。  それから外国の慶弔電報、あるいはこれは親書の場合もありますけれども、こういうものの交換を一々サインをされ、また一々ごらんになるわけでございますが、約五百件ある。これだけでもあれでございますが、さらにこれをどういうふうにしていただくかというような必要がある場合には、宮内庁独自で文書を添えて差し上げるということもございまして、非常に多くのことをとり行っておられるわけでございます。  そのほか、国会開会式でございますとか、あるいは植樹祭でありますとか、戦没者の慰霊式でございますとか、こういうものに都内あるいは地方にお出かけになるということも、時間の許す限り、またその行事の性格がふさわしい限り、お出かけになっておられるのでございます。  いま委員の御指摘にもございましたけれども、かような状況のお仕事をこなしておられるわけでございますが、お年も召しておられますので、むだな御負担にならないように、できるだけその辺は細心の注意を払って補佐申し上げていかねばならぬ、かように考えておる次第でございます。
  73. 新井彬之

    ○新井委員 ただいま答弁いただきましたけれども、一般の国民方々から見まして、陛下はお元気でいらっしゃるだろうか、あるいはまた非常に御多忙ということはわかりますけれども、どのような内容でどういうようにお忙しいのだろうかというようなことは、余り知られてはいない事実だと思います。ただいま私もお伺いいたしまして、これは激務中の激務ではなかろうか、こういうぐあいに拝察するわけでございますが、そういう意味からも、憲法で保障された国事行為であるとかそういうことについては、これはもう仕方がないことでございますけれども、そうでないことで、極端に言えば代理でできるようなことについては、極力そのお仕事の軽減をしてあげなければならないという考えに立つわけでございます。そういう面についてはよく御配慮をお願いしたい、このように思います。  それと関連いたしますが、いまのような御多忙な中で、御公務の間に生物学の研究をされたり、あるいはまた御用邸で御自由になさるということもあろうかと思いますけれども、そういう期間といいますか、そういうものはどの程度とれるようになっておりますか。
  74. 富田朝彦

    富田説明員 ただいまお尋ねのございました陛下がプライベートなライフワークとしておられますような御研究の時間をどの程度とれるかというようなお話でございますが、これは、東京での日常の御生活の中ではいま申し上げましたようないろいろなことがございます。その中でも暇をお見つけになられまして、曜日はおおむね月曜と木曜日の午後。そういうときに飛び込みの行事が入ってまいりましてつぶれることも多いのでございますが、月曜日と木曜日の午後。それと土曜日にまたそういうあれがない場合は土曜日に、皇居の中に生物学御研究所という小さい施設がございますが、そこで研究員とかあるいは昔の大学のそういう専門の研究者ですでに名誉教授になっておるような方々との合同の研究というようなことを、東京ではしておられます。  地方にお出かけと申しますか、須崎とか那須にお出かけになられまして、その地の植物、あるいは須崎でありますとその地の海洋生物、こういうものをあわせて御研究になっておられますが、那須の方は大体夏、七月の末ぐらいから八月にかけて御滞在をしていただいております。しかし、この間も何回か東京にいろいろな御用務でお帰りになりますけれども、それが大体植物の分類学的な研究に専念をされておられるときでございまして、このときの成果として、那須の植物史というような意味で何冊かの本が生物学御研究所編というような形で出ております。また、この御研究には皇后陛下も一緒に苑内をお供されまして、いわば助手的なお役目をお努めになる、そういう風情も見えるわけでございます。  須崎の方では主にそういう海洋生物でございますが、最近は陛下も須崎の、下田周辺の植物というのはいわば日本の南の地域、高知でありますとか鹿児島でありますとか、ああいうところの植物との相似性というものが相当あることに着目されまして、那須の植物ばかりでなくて、伊豆の植物も御研究になりたいということで、いま鋭意その伊豆須崎の植物というものを整理されつつあるように聞いております。  また、海洋生物の研究におきましてはすでにもう委員とっくに御承知のとおりでございまして、そういうような業績の関係から、英国に世界では相当の権威のあるロイアルソサエティーというのがございますが、これのいわば名誉会員に推戴をされておられるような、いわば学問的な評価は受けておられる研究をお続けになっておられるのが現状でございます。
  75. 新井彬之

    ○新井委員 葉山の御用邸がいま再建されておるわけでございますが、それの進捗状況、また、葉山の御用邸が完成後にはどのような使用状況になるのか、お答え願います。
  76. 富田朝彦

    富田説明員 葉山の御用邸は昭和四十六年の一月に部外から侵入しました者の手によりまして焼失してしまったわけでございますが、その後いろいろ地元葉山町等からの長い御因縁、おつき合いというようなことからぜひ再建をしてほしいというような声も非常に強うございまして、あれこれそれらの経緯を踏まえまして昭和五十三年度から四年計画でこの再建に着手をいたしております。このうちの御殿部分、本邸と申しますか、これについては五十五年度の末、来年の三月までに一応の完工を見る予定でございますが、いわば焼け跡でございますので、その辺の整理とか、あるいはそれを復元して若干の庭園の整理を行う、あるいは付属施設の整備、建て増しを行うというようなことが残っておりまして、若干並行してやってはおりますが、総体が完工いたしますのは五十六年度ということを予定をいたしております。現在でも本邸の外側の工事は大体終わっておりますから、姿は現出をいたしておるような状況がただいまの状況でございます。  この御用邸が完工いたしますれば、五十六年度末ということであろうと存じますが、どういうふうに使うか、こういうお尋ねでございますが、これは、明治二十七年に英照皇太后さんの御静養というために葉山にこの御用邸が設けられたと聞いておりますが、それ以来の本邸と、それから大正十年前後に建てられました付属邸と二つあったわけでございます。その本邸の方が焼失したわけで、付属邸の方は現在も時折御使用になっておられますが、その本邸と付属邸を、ちょっと率を申し上げるのは正確かどうか疑問ですが、合わせまして約四分の一ぐらいのものに集約をして非常にコンパクトなものにしてお使いやすい形をつくり出そう、こういうことで実施しておるわけでございます。  それができ上がりますと、東京から距離的に非常に近うございます。そういうことで、非常に短期間の御使用にも十分機能し得るということから、両陛下あるいは東宮の御一家、あるいは各皇族がいわば自由に御静養になったりする場所として、さらにはもしそういう御希望の方があれば、外国の賓客を御接待するということも一応は考えられるわけでございます。そういうような使い方を考えつついま実施しておるところでございます。
  77. 新井彬之

    ○新井委員 国民的な文化財であります桂離宮の解体修理が進んでおりますけれども、その進捗状況はどのようになっておりますか。それからまた桂離宮の参観の状況、これはどのようになっておるか、お伺いいたします。
  78. 富田朝彦

    富田説明員 いま委員から国民的文化財というお言葉で桂離宮の表現をしていただいたわけでございますが、非常に貴重な文化財でございまして、すでに三百五十年以上を経過いたしておる建物でございます。その建物の維持保管には代々のいわば朝廷の関係の者が非常に苦心をしてまいったと存じます。今日に至りますまでも数回大修理が行われて今日の形を維持しておるわけでございますが、しかし、相当に腐朽が激しくなってまいっておったのが、もう五年前の時点からはなはだしく腐朽が目立ちまして、いわゆる殿上に人を上げるということは当時一切やめてしまったほど腐朽が激しかったのでございます。そういう意味で、五十一年から六カ年の計画でいわゆる修復工事を実施させていただいておりますが、今度お願いをしておる予算は、五カ年目の計画の予算をお願いしておるわけでございます。いろいろ詳細の部分等につきましてさらに御質問がございますれば、責任を持って工事の監督をいたしております管理部長からお答えをさせたいと存じます。  なお、離宮の参観でございますが、これは五十一年度から工事が始まりました折に、ああいう工事が始まると参観はないんじゃないかという誤解が一部にあったのでございますが、そういう工事をいたしております中で、いわゆる庭の部分に対してずっと休むことなく参観は継続をして今日に至っております。五十四年度におきまする年間の参観者総教は約三万人でございます。これは特段参観者の資格とかなんとか制限をいたしておりませんが、ただ、ああいう庭園の中の道でございますので、細い道が曲がりくねっておるという、それに飛び石が飛んでおるというような式の道路でございますから、そういうことのいわゆる庭園の保存と危険の防止ということから、数の方を制限いたしておりまして、一日に八回、三百二十人を限度として行っておるというのが現状でございます。
  79. 新井彬之

    ○新井委員 それから、さっきの管理部長さんですか、答弁よろしいんですか。
  80. 小幡祥一郎

    ○小幡説明員 お答えいたします。  ただいま長官から概要については説明がございましたけれども、もうちょっと詳しく申し述べますと、桂離宮の工事は、面積といたしましては九百七十七平方メートルございまして、この解体修理を五十一年度から六カ年計画で実施しております。昨年、五十四年の九月に古書院、中書院、一番お庭の方からよく見えるところでございますが、この部分の復元工事がほぼ完了いたしまして、ただいまでは引き続いて、これに隣接しております新御殿、その他裏の方にございます事務的な部分でございますけれども、旧役所とか臣下廻とか、そういうところの解体工事を現在実施しております。  五十五年度と五十六年度、これからの仕事を申し上げますと、解体した部材を十分に調査し、調査というのは技術的な調査並びに歴史的な調査がございますが、調査いたしまして、修理、組み立ての工事を実施しまして、五十七年の末に復元を完了する予定でございます。この修理方法につきましては、文化財方面のその道の権威者の御意見等を十分に聴取して実施している次第でございます。  以上でございます。
  81. 新井彬之

    ○新井委員 次に、内廷費皇族費宮廷費の経理区分についてお伺いいたしたいと思います。
  82. 中野晟

    ○中野政府委員 内廷費皇族費宮廷費の区分でございますが、内廷費天皇及び内廷にございます皇族の日常の費用、たとえば御服装とかお食事あるいは私的な御交際、それから内廷職員給与とか旅費あるいは祭事、こういうような費用その他のものに充てるためのものでございまして、これは定額で決まっておるわけでございます。  なお、内廷費として支出されたものにつきましては、これはお手元金ということになりまして、宮内庁の経理に属する公金とはしないということになっております。  それから皇族費でございますが、これは年額によりますものと、それから独立いたしましたような場合に一時期に出ているものがございますが、年額によるものにつきまして御説明申し上げますと、これは天皇及び内廷にあります皇族以外の皇族、四宮家でございますが、この宮家が皇族といたしましての品位保持の資に充てるため年額によりまして支出するものでございまして、これも定額でございます。これも内廷費と同じように皇族費として支出されたものにつきましてはお手元金ということになりまして、宮内庁の経理に属する公金としないということになっております。  宮廷費でございますが、これは天皇皇族の公的なお立場、公的な地位にかかわりまして、また公的活動に関連いたしますいろいろな経費に充てるものでございます。例を申しますと、儀式とかあるいは国賓、公賓の接待、公的な行幸啓、それから皇室財産につきましての管理、そういうようなものに充てる経費でございまして、これは宮内庁の経理に属する公金でございます。一般の各省庁の予算のような形でそれぞれの内容が積み上げられでおるわけでございます。  以上でございます。
  83. 新井彬之

    ○新井委員 今回の内廷費皇族費定額改定理由、それから積算の内容についてお伺いしたいと思います。
  84. 中野晟

    ○中野政府委員 改定理由につきまして、それから積算につきまして御説明申し上げたいと思います。  内廷費定額皇族費算出基礎となります定額につきましては、御承知のとおり皇室経済法施行法第七条と八条の規定によりまして、現在それぞれ定額といたしまして一億九千万、千七百六十万円と定められておるわけでございます。これらの定額は五十二年度に改定されたわけでございまして、現在まで三年間その額となっておったわけでございます。ただ、前回改定後の経済情勢の変動、なかんずく物価も上がっております。また、三回にわたりまして国家公務員給与の引き上げが行われておりまして、内廷の職員につきましても国家公務員に準じて改定をしなければならないというような事情もございまして、内廷費定額を二億二千百万円に、皇族費算出基礎となります定額を二千四十万円に改定いたしたいということで提出をいたしまして御審議願っておるわけでございます。  内廷費皇族費算出基礎となります定額改定基準につきましては、昭和四十三年十二月に開かれました皇室経済に関する懇談会というのがございまして、ここで御協議をいただきまして、原則としまして物価趨勢職員給与改善等によりまして算出される増加見込み額定額の一割を超える場合に改定を行うというように実は御了承いただきまして、この基準により必要が生じた都度改定をいたしてまいっておるわけでございます。  定額改定をいたします際におきましては、内廷費皇族費を通じまして積算の基礎として物件費と人件費に区分いたしまして、先ほど申し上げましたけれども、御交際、御用品その他に要する物件費につきましては、前回改定時以降の東京都区部の消費者物価指数上昇率によりまして、また人件費につきましては同じく前回改定時以降の国家公務員給与改善率によりましてそれぞれ増加見込み額算出いたしまして、その算出された額の合計額の一割を予測できない不時の支出等に充てるためということで予備的な経費として加算いたしまして、定額を算定するということにいたしております。  今回の改定につきまして用いられた率でございますが、消費者物価指数は一六・九%の増でございます。それから人件費につきましては、三年間で一五・一三%の増となっておりまして、これらの数字基礎にいたしまして計算いたしますと、現行定額に対する増加見込み額の割合が内廷費で一六・三%、皇族費で一五・九%となるわけでございます。そこで内廷費定額が二億二千百万円に、皇族費算出基礎となる定額が二千四十万円ということになっておるわけでございます。  しかし、今回の定額改定を行うに当たりまして、現下の厳しい経済情勢、また、国の財政事情等を考慮いたしまして、御日常の御生活に御不自由がないように留意しながらも、経費の節減につきまして一層御工夫をしていただくというようなことで、普通は年度の初めから改定をいたすというのが従来からのやり方でございますが、今回は五十五年の十月一日からその定額の変更を行うものとして算定するという形で、五十五年度分につきましては増額分の半分程度を減額いたすというようなことをいたしまして、その結果同年度におきます内廷費定額は二億五百万、これが現行定額に対しまして七・九%の増でございます。それから皇族費定額は千九百万ということにいたしたわけでございます。
  85. 新井彬之

    ○新井委員 もう一度ちょっと確認をしておきたいのですけれども、半額にしたと言っておりますね。本来いまの物価上昇率と、それから人件費のアップ、それを計算した場合には幾らになるのですか。
  86. 中野晟

    ○中野政府委員 お答え申し上げます。  本来上がります割合が先ほど申し上げましたように約一六%程度になるわけでございます。それを上がる分の大体半分を五十五年度はカットして御節約を願うということにいたしまして、先ほどの約八%くらいの数字になるということでございます。
  87. 新井彬之

    ○新井委員 金額にしては幾らになるのですか。ちょっとそこをもう一遍。
  88. 中野晟

    ○中野政府委員 内廷費で申し上げますと、現在が一億九千万でございます。それが五十五年度におきましては千五百万ふえまして、トータルで二億五百万、増加分が千五百万でございます。それが五十六年度以降におきまして千六百万。五十五年度の二億五百万に千六百万足しまして二億二千百万、これが五十六年度の数字でございます。  それから皇族費につきましては、定額が千七百六十万でございます。これに五十五年度は百四十万上乗せになりまして、したがいまして合計が千九百万、これが五十六年度にまた百四十万プラスになりまして、二千四十万になるという形になるわけでございます。
  89. 新井彬之

    ○新井委員 総理府総務長官にお伺いしたいのでございますが、先ほどお話が出ました皇室経済閣僚会議ですね、これに出席をされたと思いますが、そのときにいろいろ論議されたことの内容をちょっと御説明願いたいと思います。
  90. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 私は出席をいたしておりませんです。
  91. 富田朝彦

    富田説明員 今回改定お願いをいたしております額についての皇室経済会議開催お願いしましたのは、昨年末の十二月二十日でございました。これは総理大臣議長で議事を取り進められるわけでございますが、原案の説明に対して御不自由なことはないかという点の、正式な御意見ではございませんが、いわばそういう御発言があったと記憶をいたしております。
  92. 新井彬之

    ○新井委員 私、金額的にどうのこうのと言うつもりはさらさらないのでございますけれども基礎額というのが、順番にまいりまして物価上昇であるとか、あるいはまた給与のアップ、そういうもので計算されるということはわかるわけでございます。ただ、内廷費皇族費、それから宮廷費に分かれているわけでございますけれども、本来家賃とかそういうようなものは一切内廷費とか皇族費には含まれていないと思うわけです。それから内廷費の場合におきましては、電気代が上がったりいろいろする、そういうような費用も別に個人の費用でお払いになるということは一切ないわけですね。確かに人件費なんかは、使用人の方に給料をアップしてあげなければいけない。しかし、一般の一つの家を持っている家庭の方が受ける、たとえて言いますと水道代が上がりました、あるいは電気代が上がりました、ほかのそういうような一般的な費用、こういうものは宮廷費にほとんど吸収されていると思いますので、内廷費そのものがどの程度そういう影響を受けるかということですね、そういう面の計算はどのようになっておりますか。
  93. 中野晟

    ○中野政府委員 お答え申し上げます。  お話しのとおりお住まいなどのメンテナンスと申しますか、管理の関係につきましては、おっしゃるとおりでございます。そこで、内廷費関係でございますけれども人件費が実は三割以上を占めておるわけでございまして、これはベースアップの関係でもって上がっていくというかっこうになると思います。それから先ほど内廷費の中身につきまして、たとえば御服装とかあるいは御交際とか、そのほかいろいろ申し上げたわけでございまして、これがどういう形でいまのような情勢の中で上がっていくかという見通しをつける問題になるかと思うのでございますけれども、そこら辺はやはり定額改定する際に、昭和二十二年にこの定額が最初にできたわけでございますけれども、いろいろなやり方でそこら辺を見てまいって、そのときどきの実情に応じました形でやっておるようでございます。  それを、先ほども申し上げましたけれども、実は昭和四十三年の懇談会におきまして、人件費関係につきましてはベースアップの率、それから物件費関係につきましては消費者物価指数使いまして、増加見込み額定額の一割を超えた場合に改定するというルールをつくっていただいたというかっこうになっておりますので、それに従いまして定額改定いたすというような形で行っておるわけでございます。
  94. 新井彬之

    ○新井委員 皇族方々が普通一般に電車に乗られたり、そういうときにまさか個人で汽車賃をお払いになるとかいうことも考えられません。だから、世間で一般に言われるところの物価上昇というものが、普通の家庭みたいに払っている場合はもろにこたえてくると思いますが、しかし、世間で上がった分、たとえば電気代、水道代、汽車賃、はがき郵便代、そういうようなことについて、具体的には一体何が影響するわけですか、要するに内容として。
  95. 富田朝彦

    富田説明員 いまお尋ねのことは、先ほどある部分は政府委員からお答えをいたしたと思いますが、例を皇族費にとってみますと、殿邸という建物は国がつくって供与して生活しておられる。ただ、その中のいま仰せの光熱水料あるいは燃料、こういうものは、多くの部分はお住まいの皇族皇族費から支弁をしておられる。つまりお手元金のようなものから支弁をしておる。ただ皇族が、いろいろな日本に来ております使臣、あるいはそれ以外の外国関係者等が東京に来ましたときに訪れたり、あるいはそういう公的な活動相当おやりになっておられます。そういう意味で居住そのものも普通の家よりは多少広い皇室部分と称する部分が、応接間とかそれに類する食堂とか、そういうスペースを持った設計ででき上がっております。そういうような部分の費用は、正確ではございませんけれども、公邸という制度がありますけれども、それのたしか維持管理に関する法律があると思います。それでも、そういう公邸の皇室部分に要すると算定されるような経費は国が持つ、しかしそれ以外は自費で持つ、こういうような似た形をとっております。これが皇族の場合でございます。それからまた、皇族が旅行をされる場合は、新幹線でありましょうと飛行機でありましょうと、皆それにふさわしい切符を購入して旅行をされる、こういうことでございます。  内廷の場合は、いまお示しのように建物それからそれに要する光熱水料、こういうようなものは宮廷費で持っているという計算になっております。  ただ、いろいろ社会福祉事業や何かにお手元金から御激励になるようなものでも、直接公共料金に類するようなものの値上がりを反映はいたしておりませんけれども、世間の常識的に見た額というものに少しずつ手直しをしていくということもございますし、それからいろいろお誕生日などに旧奉仕した人たちとかたくさんお祝いを言いに宮殿に参りますけれども、そういう方々にある程度のお祝いのお弁当を出してあげるというようなことも内廷でやっておられます。それなんかはそれ相応物価にスライドいたしまして経費が上がっていくわけであります。これの数も相当あるものでございますから、どうしても内廷費の方の人件費にあらざる部門というものもある程度その辺をにらんで措置お願いしたいというわけは、いま申し上げたようなところでございます。
  96. 新井彬之

    ○新井委員 私は何もこの計算自体が間違っているとかどうのこうのということはないのです。これだけ上げてほしいという法律案でございますから、それに対して賛成するか反対するか、これは少ないではないかということがあるなら言ってあげたいわけですね。ところが、現実的には何もないわけでございまして、何かお困りのところがございますかと皇室経済閣僚会議でもお話しになったら、これで結構ですというお話なんですから、足りているのだろうと思います。  今度は逆の面から、もう一つ国民の側から見まして、決して御不自由をおかけしてはいけないという考えを持っている方も多いと思います。内容的には一体どうなっているのだろうということも、またある程度わかった方がわかりやすい、説得しやすいということがあろうかと思います。そういう意味でお伺いしているのでございますが、これはこの程度にいたしまして、お困りでないということなら、それで結構だと思います。  もう一つ、逆の面からいきますと、そういう意味でたくさんの費用が余るから、どこかの大使館の方も招待しよう、何もしょうというようないろいろの御予定も、ある意味では今度は立てられて、外交的にも非常にプラスになる、そういうような面まで考えられるのかなということを、こっちはわかりませんから、思いながらいま質問しておったわけでございます。  それから、昨日午後でしたか、浩宮様が成年式を前に東宮御所において記者会見をされたわけであります。その様子がテレビでも報道されました。その報道の中で、非常にりっぱないい記者会見であった、国民の人々にもこの様子を生の声で聞かせてあげられないのが残念だ、宮内庁で許してもらえないからだ、そのような趣旨の報道が載っておったわけでございます。宮内庁というのは、私が言っているわけじゃないのですけれども、世間一般で言われているのは、非常に閉鎖的で、本来の天皇陛下のお考えであるとか宮家のお考えは、もっともっと国民の皆さんと接して対話を重ねていろいろなことをしたいのだけれども宮内庁が邪魔をしている、そういうような閉鎖性があるということをたまたまお伺いするわけでございます。そういうことについてはどのようにお考えになっていらっしゃいますか。
  97. 富田朝彦

    富田説明員 ただいまの御指摘につきましては、私ども平素から、少しでもそういうことのないようにというつもりで努力はいたしておるのでございますけれども、なかなか御理解をいただけるようなところまで熟し切らないうらみのあることを残念に思う次第でございます。  ただいまのことは、ちょっと私もそのテレビの言葉を聞き漏らしましたので、よく事情を確かめてみたいと思っております。新聞各紙にはほとんど当時の状況を再現したような形で出ているように報告を聞いておるわけでございます。
  98. 新井彬之

    ○新井委員 憲法第一条の精神にのっとりまして、やはり国民の象徴としての天皇陛下でございますから、そういうことをわきまえつつ、本当の国民との接触といいますか、そういうものを常日ごろから図っていただきたい、こういうぐあいに御要望を申し上げておく次第でございます。  それから、皇室は政治的機能は持たないわけでございますから、外交という言葉はこれはまあなじまないかもわかりませんけれども、一般的に皇室外交というようなことがよく言われているわけでございます。これを辞書風に言えばどのように解釈をされておるか、お伺いしておきたいと思います。
  99. 富田朝彦

    富田説明員 お答え申し上げます。  ちょっと最後の「ジショー」という言葉の意味が聞き取れなかったのであるいは違ったことをお答え申し上げるかもしれませんが、皇室外交という外交をすべき立場にはないわけでございまして、これは委員もいま御指摘になられたとおりでございます。国と国、国民国民との間の国際的な友好親善を深める意味においてお役に立たれようというふうに、陛下を初め皇族はお考えになっておられるわけでございまして、そういう意味で、日本国内におきまして、それぞれの国から駐在をいたしておりまする大使等との御交際、あるいは国連事務総長が東京を訪れたとか、あるいは難民救済の組織の長が訪れたというような際にも、外務省の判断等も加わるとは存じますけれども、お会いしてひとつよく話を聞いてほしいというようなこと等から、お会いになられる。しかし御会話の中身は、非常に一般的な人道的な、あるいは科学的、文化的なことに終始されるのが大体の状況でございます。  それ以外に、国外に両陛下も二回お出になられましたが、皇太子殿下、同妃殿下初め皇族方々がそれぞれ相手国の要望を受けられまして、純粋に国際親善に役立つならばということでお出かけになっている例はかなりあることを承知いたしております。
  100. 新井彬之

    ○新井委員 先ほど辞書と言いましたのは、字引とか辞書という意味の辞書でございまして、これは皇室外交というのは辞書の中に別にないわけでございまして、そういうのを言ってみればどういうことになるか、いまのお答えは非常にごりっぱでございます。そういう、言ってみれば皇室外交、それに対する何か原則的なものはお持ちでございますか。
  101. 富田朝彦

    富田説明員 この原則と申しますのは、一つは、陛下がそういう行動をおとりになる、あるいはそれに準じて皇太子殿下ほかがおとりになるということは、これは私人の活動ではございません。やはりそれぞれの憲法上に規定をされました御性格というものに基づくあれでございますから、これは国事行為というふうには規定はされておりませんが、非常に大事な国と国との間の関係でございますから、これはやはり内閣が最終的には責任を持つ、つまり判断も、あるいはそれの結果につきましても責任を持てるという形におきましてとり行われる。したがいまして、当然象徴というお立場からは、これが政治的なことであったり、あるいは象徴という性格からにじみ出します事柄に違っておるということであってはならない。またもう一つは、TPOと申しますか、その時期、ところ、機会というものがやはり本当に純粋に国際親善の場となるにふさわしいというそういう時期、場所、機会というものをいろいろな角度から考えて実現をされるということだろうと存じます。
  102. 新井彬之

    ○新井委員 これは宮内庁にお伺いするよりも外務省の方がいいかどうかわかりませんが、外国の賓客にはランクづけというものがあるようにお伺いしておるわけでございますが、そういうランクづけはございますか。
  103. 荒義尚

    ○荒説明員 お答え申し上げます。  外国から賓客が訪日される場合でございますけれども、ランクづけとは私ども申しておりませんが、当該国の賓客が元首である場合には国賓としてお迎えしておりまして、首相あるいは副大統領という地位の方がお見えの際は公賓ということで接遇いたしております。
  104. 新井彬之

    ○新井委員 ことしも国賓として来日が予定されている元首というのは、私いま手元資料を持っておりますが、決まっていても一カ月前までは絶対に発表しないというのが外務省の基本方針だそうでございますが、そういうぐあいになっておりますか。
  105. 荒義尚

    ○荒説明員 お答え申し上げます。  本年度の外国の賓客の来日予定でございますけれども、私どもとしましては、当該国との協議を了して決定したものにつきましては、閣議決定等の手続を了し次第発表いたしておりますが、今年度につきましては現在幾つかの国と現実に協議中でございます。  それで、きょう現在といいますか、現在決定しておりますのは、四月中旬にスウェーデンのグスタフ国王が国賓としてお見えになることと、それから五月の下旬でございますが、中国の華国鋒総理の来日が予定されております。それ以外につきましては、先生御指摘のように、相手国との関係もいろいろございますので、公表はまだできない段階になっておるということでございます。
  106. 新井彬之

    ○新井委員 外務省と宮内庁基準では元首と首相とでは接待の仕方が異なるのかどうか。異なるとすれば、どこがどう異なるのか、お教え願いたいと思います。
  107. 富田朝彦

    富田説明員 これは宮内庁といいますか、皇室のお取り扱いと外務省のあれとはまさに一致しておると存じますが、私どもの理解の仕方では、元首とか首相とかいうことからこうだというのではなくて、先ほど外務省から御説明がありましたように、閣議決定をして国賓として遇する、あるいは公賓として遇する、こういうふうに閣議決定が相なりますれば、私どもの方はその国賓にふさわしい御接遇をいたす、公賓にふさわしい御接遇をいたす、こういうことでございます。
  108. 新井彬之

    ○新井委員 別に外務省ありませんね。  一昨年の秋に訪日した中国鄧小平副首相の接待の格づけはどのようになっておりましたか。
  109. 荒義尚

    ○荒説明員 お答え申し上げます。  一昨年の鄧小平副総理の訪日でございますけれども、当時閣議了解をやりまして公賓として接遇いたしております。鄧小平副総理の場合は、もちろん隣国、中国との関係ということもございまして、通常の公賓とやや違った点がほんの少しございますけれども、冒頭申し上げましたように、閣議を通しまして公賓ということで接遇いたしました。
  110. 新井彬之

    ○新井委員 いまもお話がありましたが、ことしの五月二十七日から五日間来日が決定されております中国の華国鋒首相の接待はどのような格づけで行われるわけですか。
  111. 荒義尚

    ○荒説明員 お答え申し上げます。  ただいまお尋ねの件でございますけれども、華国鋒総理がお見えになったときにどういう接遇をするかにつきましては、実はこれから政府部内におきまして鋭意検討の上決定する段取りになっております。
  112. 新井彬之

    ○新井委員 さっきも答弁がありましたけれども、公賓として鄧小平副首相をしたのですけれども、それはちょっとまた別のあれをやられたというぐあいにお伺いしておりまして、外務省としても今後そういうことについては問題なきようにひとつ配慮を願いたい、このように思うわけでございます。  こういう一つ皇室外交といいますか、先ほど長官からもお話がございましたように非常に成果を上げておるといいますか、大事なことだろうと思います。今後ともこういう皇室外交というものをどんどん広めていただきたいと私自体は希望するわけでございますけれども、そういうことについての御見解を承っておきたいと思います。
  113. 富田朝彦

    富田説明員 お答え申し上げます。  皇室外交というお言葉を御使用になられましたが、これは先ほど私が答弁申し上げたことで、そういう意味で御理解をいただきたいと思いますが、いまお尋ねのように、これは広げるというような何かこう意図的なことというよりは、ある意味では、私どもの感じでは受けて立たれるということでございまして、国の交際が頻繁になり、また、日本の世界における立場がいろいろとその意味を持ってまいりますればおのずから広がる、内閣その他のいろいろな判断というものを尊重しまして、それに応じて御接伴なりいろいろな御行為をなさる、こういうことに理解をし、万遺漏なきを期したいと思っております。
  114. 新井彬之

    ○新井委員 これは、外務大臣はきょうはお見えになっておりませんけれども総理府総務長官として、こういう皇室外交というものを――確かに、皇室としては、そういうものをお受けして少しでもお役に立ちたいという、受けられる立場であろうかと思いますけれども、国として外交をやっていく上におきまして、今後この皇室外交というものについてはどのようにお考えになりますか。
  115. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 いわゆる皇室外交というものにつきましては、先ほど宮内庁長官が御答弁されましたような精神をもって行ってまいることでありますとすれば、まことに結構なことだと存じております。
  116. 新井彬之

    ○新井委員 では、時間が参りましたので質問を終わりますけれども、担当の総理府といたしまして、今回のこれは何年越しかで提案をされた皇室経済でございます。そういうわけで、物価上昇、いろいろの面がありまして、経済に影響を及ぼさないようにしなければいけませんけれども、余り差が開かない間に見直しをするというのが基本的な考え方ではなかろうかと思いますので、そういう面もひとつ御配慮をしていただきたい、これを要望いたしまして、質問を終わりたいと思います。
  117. 木野晴夫

    木野委員長 次に、上田卓三君。
  118. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 きょうは小渕総務長官富田宮内庁長官もお見えでございますので、私は前にも申し上げたわけでございますが、政府の各大臣、あるいは各長官においてはすべて政府委員になられておるわけでございますが、宮内庁長官が政府委員になられていないと記憶しておるわけでございます。その点の確認と、そしてなぜ宮内庁長官が政府委員に任命されていないのか、その点について総務長官なり宮内庁長官から直接お聞かせいただきたい、このように思います。
  119. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 上田委員指摘のように、宮内庁長官は現在政府委員としての任命がなされておらないわけでございます。本件につきましては、昨年四月に当委員会におきまして、委員から同様の御趣旨の御質問がありまして、その後検討いたしてまいった次第でございますが、宮内庁長官の職務としては、行政の長としての立場と、また側近奉仕の責任者としての立場の両者をあわせて持っておりまして、陛下行幸啓、お出ましの場合供奉し、また宮中の儀式行事の際にもそばにおることが非常に多いということで、政府委員として常時委員会に出席することは事実上困難だ、こういう考え方でございます。したがいまして、従来、宮内庁次長並びに皇室経済主管が政府委員として委員会に御答弁申し上げてきたところでございます。  お尋ねの件につきましては、内閣官房と相談をいたしてまいりましたが、従来どおりの立場宮内庁としてはお願いをいたしたい。しかし、国会におきましてもできる限り委員会には出席をいたしてまいりたいと思いますので、特に政府委員としての国会ごとにおいての指名がなくとも、可能な限り出席をいたしたいということでございますので、政府委員の任命をいたさないということに相なっておる次第でございます。
  120. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 長官のお言葉でございますが、国会中は常時政府委員が出席しなければならぬというよりも、その関係する法律が提出されたときに、また、その質疑に出席するわけでございますので、元号法案のときも宮内庁長官も御出席されておりましたし、きょうまた、このように御出席いただいておるわけでございますから、私は今日の状況を考えた場合に、政府委員にしても何ら差し支えはないのではないか、こういうように思っておるわけでございます。  各大臣なり各庁の長官なども大変多忙をきわめておるわけでございますが、そういう多忙の中でも、やはり政府委員として国会に出向いて国会議員の質問に答えるということになっておるわけでございまして、たとえば警察庁長官なども、いろいろな形で大変お忙しい方であろうと思いますが、警察庁長官も政府委員にもなっておられるわけでございまして、宮内庁長官だけ政府委員にならないことによって何か別格扱いを受けておるのではないか。実際なったからといっていまとそんなに大きく変わるものではない、そういうように私は思っておるわけでございます。前の長官にも申し上げて、もしか任命されたら、政府委員にならさしていただくことにやぶさかでないというお言葉をいただいておるわけでございます。  そういう点で、宮内庁長官の方から、私が申し上げている中身が果たして理解できるのか、やはり政府委員でない方がいいというふうに考えておられるのか、その点ひとつ当事者からお聞かせいただきたい、このように思います。
  121. 富田朝彦

    富田説明員 昨年の四月にお尋ねもあり、自来研究してまいりまして、先ほど総務長官からその研究の結果に基づくことにつきまして御説明をいただいたわけでございます。  委員のおっしゃることもまたよくわかるわけでございますが、ただ、これはどこの省庁の行政の責任者についても同じ面が非常に多々あると存じますけれども、側近業務という場合に、それこそ外国交際の問題とかそういうことが最近だんだん頻繁になっておりますような状況もございますし、そういうことで、政府委員出てこいというような形で日程のやりくりがなかなかつかなくなってしまうことも多い、かえって御迷惑をかけるというようなこともございます。本日こうしてこちらに出席さしていただいておるわけでございますが、そういうことの取り仕切りができます限りは、こちらに出席さしていただいて御答弁をさしていただくように、そのように御理解を賜れば大変ありがたいと思っております。
  122. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 いまの御答弁ですが、私は納得できないわけでございまして、やはり各省庁と同じごとく政府委員になるべきであるというように思いますし、いまの答弁で、天皇がいろいろ外国の賓客もあり云々ということでございますが、長官がおそばにおらなければならないという、そういう必要性は私は余り感じないわけでございます。そのことよりも、何か宮内庁が別格扱いといいますか、国会から超然としている、そのことがひいては、戦後新憲法によって天皇が象徴という地位にとどまったわけでございますが、何か天皇というものを戦前の天皇制に引き戻そうとする、国民から遠ざけて雲の上に押し上げていこうという、そういうような機運すらあるわけでございまして、そういう意味で、私は宮内庁の役割りというものは非常に重大ではないか、こういうふうに考えるわけでございます。  前の宇佐美長官にも、あなたは何年長官されているんですかというようなことを、失礼であったかもわかりませんが私は申し上げたわけでございまして、二十数年間も長官を勤めるということで、各大臣級ではそういうことは全然ないわけでございます。そういう意味では、人事の停滞というのか、長官だけではなしに宮内庁全体が非常に他の省庁に比べて人事が停滞し、よどんでおる。そういう意味では国民から見ても非常に奇異に映るわけでございまして、長官におかれましては、ぜひとももっともっと日本の皇室というものを考えられて、庁内の民主化というんですか、人事についてももっともっと他の省庁とも大幅に交流をするというようなそういうことがなければならぬ、こういうふうに考えるわけでございます。先ほどの政府委員の問題については私は発言を留保させていただいて、さらにこの問題について詰めていきたいと思うわけでありますが、後段の方についてひとつ長官の御意見をお伺いさしていただきたいと思います。
  123. 富田朝彦

    富田説明員 いまお示しの御意見、これは私どもとしても当然かみしめてその努力をしていかなければならないところでございます。これは一時になかなかきれいな形といいますか、そういうことにはならない、徐々にその方向に、外には見えないかもしれませんが努力をいたしておるところでございます。  ただ、仕事柄によりましては、どうしても長年の人間関係でお互いに相許すような相互関係のもとに仕事を進めていくというようなところも、これはごく特殊な部門でありますけれども一部存在いたしますので、そういうような特殊性を踏まえつつも、いまお話しのようなことについては努力を続けてまいりたいと思っております。
  124. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 次に移りますが、新憲法に基づくところの天皇の地位、いわゆる象徴天皇そのものについて私は異議はございませんし、そのことを理解するものでございますが、しかし、若い世代にとっては天皇あるいは皇族、そういう方々と一般国民と一体どこが違うのか、同じ人間ではないか、昔であれば何か現人神のような神様扱いをされる状況があったわけでございますが、人間天皇ということになったわけでございます。そこで一体何がどう違うのか、こういう疑念があるわけでございまして、日本国民の中にすぐれて尊敬されるといいますか、とうとばれる人があるということで、とりもなおさず人間の下に人間を置くという差別の関係が生まれてくるのではないか。今日の差別部落の実態あるいは在日朝鮮人、あるいはその他多くの人間外の人間としていろいろ差別され、抑圧され、人権侵害されている方々があるわけでございまして、そういうものを考えたときに、天皇皇族との関係を抜きにしてわれわれは考えることができない、このように考えるわけでございます。  一般論で非常に恐縮でございますけれども、大体血の濃い者同士の結婚といいますか、そういう親族での結婚というものはよくないのだというような形で議論される場合があるわけでございます。私の個人的なことですけれども、妹の結婚のときも、いとこ結婚というようなことがありまして、相当反対が双方にあったわけでございますけれども、私は本人同士が好いておるならいいのではないか。私だけが一人推進論者で、本人たちがそういう反対を知りながらもあえて決断するならば結婚させてやるべきであるということで、いま二人の子をいただき、幸せに生活を送っておるわけでございます。  しかし、日本全体の状況を見た場合、そういういとこ結婚とかあるいは血の近い人間同士の結婚というものについて余りいいと思われない傾向があるわけでございまして、そういうようなことで、いわゆる万世一系の血筋というものが果たしてどこまでとうとばれていいのかということで、われわれ理解に苦しむわけでございます。  そういう点で、単純な質問になるかもわかりませんが、宮内庁として、天皇というものがなぜ尊敬されるのかといったときに一体どのように説明をされるのか、ひとつお聞かせいただきたい、このように思います。
  125. 富田朝彦

    富田説明員 非常にむずかしい御質問でございまして、天皇がなぜ尊敬されるかということでございますが、これは一つは、歴史的にある程度長い期間、いろいろな変遷はありましたけれども、京都にありまして、いわゆる権力ではなしに権威という形で、しかもその中に、日本文化とかそういうようなものを保持し続けて今日に来たそのお姿というものが一面にあろうかと思います。そういう面と、それからやはり何と申しましてもその立場にあられる方の持っておられる人間味と申しますか、風格と申しますか、そういうようなものがああという感じで一般の国民の方に映る。そういうような諸要素が総合されましていまお話しのようなことに、直接お答えになっておるかどうか知りませんが、そういうものではなかろうか。  突然のことでございますから、一応お答えを申し上げる次第でございますが、なおそのほかに、いわゆる国民が採択した憲法のそれぞれの条章においてその立場というものを規定されて、その規定に従ってその職責を十分にお果たしになっておるということ、そういうことも一つの全一体となっておるのではないかというふうに考えております。しかし、これは私の私見でございます。
  126. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 私見という言葉がありまして、何かよくわからないわけでございまして、われわれ国民に比べて特別な才能なり資質なりあるいは非常にすぐれて知能が発達しておる、そういうことでもないのではないかというように思いますし、血筋といってもわれわれだって皆血筋があるわけでございまして、いろいろな経過があるわけでございまして、われわれは木のまたから生まれてきたわけではないのですから、天皇も恐らくそうじゃないだろう、こういうように思います。  それから日本の文化とか、いろいろそういう天皇家の果たしてきた役割りというものを考えた場合に、それだけで見るならば、歴代の徳川幕府においてもそうでございますが、それ以前においてもいろいろな、もっともっと日本の歴史の中で重要な役割りを果たされた方々もたくさんあるわけで、そういう中でとりわけ天皇家だけがすぐれてとうとばれなければならないという理由を見出すというのは、個々人によって大分それは違いがあると思いますが、統一してしかじかかくかくなんだということが果たしてどこまで言えるだろうか。  それよりも、われわれはもっと身近な問題としてあの太平洋戦争、第二次世界大戦というものを考えた場合に、あるいはもっと先には日清、日露戦争というものがあったわけでございまして、やはり何千万という国民天皇の名のもとに侵略戦争をし、その中で多くの戦死者を出してきた。あるいはわが国民に対してだけではなしに、中国や隣のモンゴル、ソ連、朝鮮半島の方々、その他多くの世界の国々の方々にいわゆる侵略戦争といいますか、間違った戦争をし、迷惑をかけてきた。そういう意味では、やはり国民の中には天皇こそが戦犯ではないか、こういうような考え方すらあることも事実でございます。  しかしながら、そういう過程の中でも、わが国の戦後におけるこういう国家統一というのですか再建というのですか、そういう状況の中で主権が天皇にあるのではなしに国民にあるのだ、主権在民ということ、そして新しい平和憲法が制定されたわけでございまして、そういう意味では、天皇と言いましても、戦前の天皇制のもとでの天皇と戦後のそういう象徴という地位の天皇とではまるっきり違いがあってしかるべきだろう、私はこういうように思っておるわけでございます。  元号制のときにも私申し上げたわけでございますが、大嘗祭というのですか、いわゆる宗教儀式ですね。即位というならわかるのですね。天皇が亡くなられて新しく皇太子が天皇になる、そういう意味では即位をする、これは一つ儀式としてわかるわけでございますが、何か国家神道に基づいて宗教的儀式というのですか、そういう色彩が非常に戦前もあったわけでございますが、戦後においてもさらにそのことが大きく引き継がれてきている。そういう大嘗祭という儀式自身が、人間から神様になるための儀式であるというような、われわれから見ると、そういう神様、仏様というのは名前は聞いたことはあっても見た者は恐らくなかろうというように思うわけでありまして、それが果たして存在しているのか存在してないのか、これはもう個々によってまちまちでございます。  いずれにしても、そういう一つ天皇家の宗教というのですか、神道という宗教的儀式で神様になる儀式がいまだにあるということのようでございまして、恐らくいまの天皇がお亡くなりになられるということになりますと、今度は皇太子が人間から天皇になる儀式をまたなされるということにもなるわけでございまして、これらが、全く国家的行事としてそういう儀式をなされないことは当然のことであり、前回においても、国事行為としてそういう宗教的色彩のあるものにはしない、それは全く天皇家の個人的な宗教行事というような形でお答えがあったわけでございますが、その点についてもう一度確認させていただき、私のいまの発言に対して感想的なものがあれば、ひとつ述べていただくとありがたい、このように思います。
  127. 富田朝彦

    富田説明員 お答え申し上げます。  ただいまいろんな論点からのお尋ねがございましたが、いわゆる天皇家と申しますか、これはずっと続いておるということ、またそれを現在の憲法が受けまして、世襲とするという考え方を憲法規定の上で明確に出しておることによって、そういう一つの連続性のあるものを一応現憲法のもとにおいて維持をしていきたいということのあらわれであろうかと一つは思っておりますが、いまの大嘗祭の問題につきましては、これは非常に長いこと皇室行事として引き継がれ今日に至っているものであり、いわば普通の、大嘗祭と同じものであります、いわゆる中身は同じものを持っておる新嘗祭というのがございますけれども、これは元来は日本が農本国であったというところから生まれてきた一つのいわれがあるように聞いております。それがいわば天皇の即位というような時期にいわゆる大嘗祭という形、名前において行われてきた、こういう伝統があるわけでございます。  そういう意味合いにおいて、まあ先のことを推しはかることははなはだいかがかと私は心情的に存じますが、いろいろな行為というものが、やはり憲法の精神、規定、こういうものを十分に踏まえて考えられるべきことでありますから、今後、現時点に即応した皇室一つの厳粛な行事として、どういう形であるべきか。これはそういう憲法の条章、精神、そういうものを十分踏まえた上で、検討を十分に尽くしていきたいと思っております。
  128. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 次に進みたいと思います。  御存じのように、東京拘置所の跡地に、われわれから言うならば、戦争犯罪人である東条英機以下の人間を戦争の犠牲者として顕彰したり、あるいはそういうことによって軍国主義的風潮をあおり立てよう、そういう動きがあるわけでございまして、この問題について具体的にお聞かせいただきたいわけでございます。  何を言いましても、数千万人のアジアの国民を筆舌に尽くしがたい戦争の苦しみにたたき込んだということは言うまでもなかろう、こういうように思うわけでございます。戦争の犯罪人といいますか戦争の下手人で、天皇の名のもとにということにもなるわけでございますけれども、特に戦犯でございます東条英機以下のそういう戦争犯罪人をいささかでもたたえたり賛美することは絶対に許せない、こういうように思うわけでございます。  問題のこの跡地は、いわゆる内外の世論に糾弾されたところの戦争犯罪人が処刑された刑場でありまして、政府の言うような戦争裁判の遺跡などというあいまいなものではない、こういうように考えておるわけでございますが、ひとつ関係当局よりこの問題についてお答えをいただきたい、このように思います。
  129. 増井清彦

    ○増井説明員 御案内のとおり、三十九年の七月三日の閣議了解で了解されている事項と申しますのは、戦争裁判の遺跡として戦犯刑場跡地を保存する措置を講ずるということでございます。御質問の中にありましたように、一部巷間戦犯の記念碑をつくるとかいうふうに伝えられたりすることもあるわけでございますが、そういった趣旨は全く含まないものでありまして、豊島区でもそういった内容のものをおつくりになるというお考えはないものと考えておるわけであります。あの場所を選びました理由というのは、もういまになりますとよくわかりませんけれども、わが国が戦争裁判を受諾したということで、戦争裁判は極東国際軍事裁判だけでなく、海外各地でもあるいは国内その他の地でも行われているわけでありますけれども、それらを全部含めて、歴史上いまだかつて例を見なかった戦争裁判というものを受諾したということで、最もつながりが深いと思われるような位置を選んで保存の措置を講ずることにしたものだというふうにしか考えられないように思います。
  130. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 あの跡地は、戦争裁判を受諾したその跡地ですか。あそこは東条英機以下の戦争犯罪人が処刑された場所じゃないんですか。
  131. 増井清彦

    ○増井説明員 あの場所は、一応戦犯刑場跡というふうに了解でも表示されておりますので、そういった死刑の執行も行われたと思われますが、いわゆる巣鴨プリズンの一部でございまして、あそこでは未決の拘禁を受けた者も拘禁されていたわけでございますし、それから有期の自由刑の執行もまた行われているわけであります。そういった、あそこで現に拘禁され、あるいは刑の執行を受けた裁判だけでなくて、海外あるいは国内その他別の個所で戦争犯罪法廷から刑の言い渡しを受けた、そういったものも全部含めた戦争裁判の遺跡としてあの部分を保存する、そういう趣旨でございます。
  132. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 いえ、それはあなた方ははっきり申し上げて戦争裁判の遺跡として位置づけたということであって、その位置づけ自身が間違っているわけです。いわゆる遺跡とは何かという問いにもなるわけでございますが、あそこは、あくまでも遺跡というならば、東条英機以下の戦争犯罪人が処刑された場所なんです。それもありますが云々ということで拡大解釈すべきでないと思うのです。その点についてどうですか。
  133. 増井清彦

    ○増井説明員 閣議で了解されている内容は、単に戦争裁判の遺跡として保存するという表現になっているわけでありまして、単にA級戦犯の処刑を記念するとかそういった表現は一切設けられていないわけであります。たまたま、そういうことで最も戦争裁判の刑の執行とつながりが濃厚であるというふうなことはお説のとおりでございますけれども、あの場合に保存の措置を講ずると申しております戦争裁判の内容は、広くもろもろの戦争裁判を含めた趣旨であるというふうに思っております。
  134. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 戦争裁判という言葉がちょっとなじまないので、あれは戦争犯罪人を裁判にかけたんですな。そうですね。その点どうですか。
  135. 増井清彦

    ○増井説明員 一応そういうことになろうかと思います。
  136. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 ちょっと、一応ということはどういうことですか。渋々という意味ですか。そうじゃないんでしょう。一応ということを取り消しなさい。戦争犯罪人が裁判にかけられ、そしてその場所で処刑されたんでしょう。正確に答えてください。
  137. 増井清彦

    ○増井説明員 戦争犯罪者として名指しされて未決拘禁された人あるいは戦争犯罪人として起訴されてあそこに拘禁された人、それから刑の言い渡しを受けて執行を受けた人、そういった人たちがあそこに拘禁されたということになろうかと思います。一応は、取り消します。
  138. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 それじゃあれですね、いわゆるその碑というものは、これははっきり正確にしておかなければいかぬですが、戦争犯罪人を戦争の犠牲者として顕彰するということではないですね。答えてください。
  139. 増井清彦

    ○増井説明員 そういった趣旨は毛頭ございません。
  140. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 それは当然のことでしょうね。戦争犯罪人を、加害者が被害者のごとく、戦争の犠牲者として顕彰されるということは絶対あってはならぬ。それはかつての侵略戦争を肯定するものであると言わざるを得ない、新憲法に違反するものであると言わざるを得ない、こういうように思っておるわけでございます。  そこで、この閣議決定でございますが、これもはっきり申し上げて、われわれにとっては名うての軍国主義者と言ってもいいというように思うわけでございますが、賀屋興宣氏がこの閣議了解でも重要なそういう役割りを演じた、こういうように言われておるわけでございますが、そういう意味で、閣議了解の目的ですね、どういう目的でこの閣議了解というものが決定されたのか、その趣旨、目的というものをこの場で再度ひとつ確認をしたい、このように思います。その点があいまいになるとあとの問題が大きく崩れてまいりますので、その点についてひとつもう一度明らかにしていただきたい、こういうように思います。
  141. 増井清彦

    ○増井説明員 閣議了解につきましては、当時法務大臣と大蔵大臣から求められているわけでございますが、何分にも古いことでございまして、当時の書類はすべて残っておりません。ただ、いままでわかっておりますところでは、昭和三十三年に旧東京拘置所の移転が閣議で了解されまして、その後池袋周辺の都市計画が検討されている中で、三十九年の六月、日本遺族会など七団体から東京拘置所刑場跡地を戦争裁判の遺跡として保存することを内容とする陳情がなされましたので、戦争裁判の遺跡として保存されることになったもののようであります。
  142. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 閣議了解のときのそういう文書というのですか、そういう証拠というのですか、そういうものがないわけですか。
  143. 増井清彦

    ○増井説明員 閣議了解の内容につきましては、三十九年七月十五日付の官報の資料版にいきさつの記事がございます。それから、閣議了解自体につきましては、内容はわかっておりますけれども、わずか二行しか書いてないわけでございます。
  144. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 そうすると資料がない、こういう状況であろうと思うわけでございますが、それでは、そのときの閣議了解の目的、そういうものについてはいろいろ解釈できるわけですか。たとえばわれわれは、戦争犯罪人が処刑された場所であり、逆に言ったらそれが事実であるということから、そこにそれを記念というのか、あるいは後世にここが東条以下が処刑された場所であるということで目印になるというのか、そういう意味にしか理解できないんだけれども、物の考え方によれば、東条英機以下はお国のために戦争の犠牲者になったんだというような形で碑がつくられるんだということになりますと、これはまた先ほど言いました大きな憲法違反だけでなしに、本当にいまの世界の流れに逆行する、そういう犯罪人を英雄視することにもなりかねないわけでございますから、この点は明確に位置づけることが先ではないか、こういうふうに思うのですが、その点どうですか。
  145. 増井清彦

    ○増井説明員 抽象的な表現で記載されておりますので、解釈の余地はあろうかと思いますが、戦争裁判の記念とかそういった表現を使わないで、ただ遺跡というふうに表現されているところから考えますと、歴史的事実として過去に戦争裁判が行われた、その事実だけを明らかにするということで了解が行われているというふうに考えられます。
  146. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 ちょっとあなたでは答弁が役不足というよりも、ちょっと荷が重いんじゃないか、私はそういうように思います。これは非常に重要な問題でございますから、この問題につきましては、いずれ予算の分科会なりあるいはその他の委員会においても質問がなされることだというように思うわけでございますが、さらにこの問題について先へ進みたい、こういうように思います。  あなた方は閣議了解を根拠にして、資料というものがない中で、要するに閣議で了解したんだということが前提になって、公園用地の無料貸し付けの条件として、保存の仕方、それから記念碑の大きさとかあるいは形とか碑文の内容まで大蔵、法務、建設の三省で決めて、そして豊島区を縛っているとわれわれは言わざるを得ない。また、われわれはそういうように仄聞しておるわけでございますが、その点について、事実であるのかどうか、各省別にひとつお答えいただきたいと思います。
  147. 増井清彦

    ○増井説明員 裁判遺跡の保存方法につきまして、国側で現地豊島区に対して押しつけるとかといった事実はございません。この問題につきまして、実は遺跡を含めまして周辺が都市公園になっております関係上、遺跡の保存と都市公園の設置をどのように結びつけて考えたらよいか、その点について説明してほしいという要望が豊島区から法務省にございましたので、当時閣議了解の趣旨を説明する一つの方法といたしまして、便宜法務省でスケッチを作成いたしました。それからまた、碑文ではなくて、当時そのスケッチでは、私どもは記念碑をつくるということは考えておりませんで、単に遺跡の説明文、そういったものをつくる方がいいのではなかろうかというふうなお話をしておりましたので、説明文の一つの案として現地の方に参考として内容をお知らせしたことはございます。しかし、それに基づいてどのように豊島区の方がそれを扱われたかということにつきましては、私の方は必ずしも十分に承知していないわけでございます。まして記念碑をつくるなどといったことは私の方からは毛頭言い出しておりませんし、高さを指定するとか、そういったことも一切言っていないわけでございます。  なお、法務省でつくりましたスケッチにつきましては、大蔵省と建設省の担当の方にお示ししておりますが、大蔵省の方では何ら意見がないというふうなことでございましたし、それから建設省の方でも若干スケッチにつきまして、かた苦しい築地のようなものでなくて、生けがきにした方がいいのではなかろうかという程度意見は聞かされておりますけれども、三省で合意したというほどの事実はございません。
  148. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 三省の中で特にあなたの方で具体的には御指導されたようでございますが、ここにあなたの方が参考にしたらどうかということで区の方に示された原文、これはあなたの方でつくってお示しになったものですか。
  149. 増井清彦

    ○増井説明員 いまお手元にあります説明文でございますが、それは法務省で一応起案したものでございます。わが国は平和条約の十一条で戦争裁判というものを受け入れておりますので、その表現を参考にいたしまして、歴史的事実だけを最も簡潔に表現する方がいいのではないかということでそういう例を示したものでございます。
  150. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 そうしたら、これは碑文ということで、表は戦争裁判の遺跡ということになっているんですね。われわれは、あえてもしかこういう碑をつくるとするならば、戦争裁判の遺跡というよりも、戦争犯罪人の処刑遺跡というか、はっきりと戦争犯罪人と、いわゆる二度とこういう間違った戦争を起こしてはならぬと、後世の人間がそこを見たときに、ああこういう間違った戦争があったんだな、日本の国民だけではなしにアジア、ひいては世界の平和に大きなマイナスを犯したんだな、そういう反省になるようなものでなければならぬのであって、何か見方によれば、戦争裁判の碑で、先ほど申し上げたような、何か東条というかつてお国のためにやった人間が無謀な国際裁判にかけられて犠牲者になったんだ、それを弔っているんだというようなことを少しでもにおわせるようなあいまいなものであってはならぬ、私たちはそう考えておるわけでございます。特に閣議決定の際の発議者というのですか、賀屋氏の前後のそういう言動、彼のかつてのそういう役割りというものを考えた場合、もう二度とそういう戦争があってはならないんだとか、私が申し上げておるいわゆる平和的な立場からやっておるとはどうしても理解できなわけでございますので、特にこの問題について、閣議了解のときのこの目的というものは一体どこにあったのか。そしてそれが証拠のないあいまいなものであるとするならば、やはり今日の時点において、そのことを逆にもっと国民に誤解のないように明確にされるべきが当然ではないか、こういうように考えておるわけでございます。  そこで再度お聞きしますが、これはあくまでも参考であって、区の方で自主的にどのような、表に何を書き、裏には何を書き、碑の大きさとか、いわゆるデザインですか、そういうものすべてにおいて、要するにその場所で東条氏以下日本の軍人がそういう世界の軍事裁判にかけられて処刑されたということさえわかればいいということであって、そういう一つ一つの言葉について、あなたのところはあくまでもこれは参考で出しただけのことであって、逆に言ったらこれは何も参考にしなくても、先ほど言ったような趣旨というものが十分に生かされるならばそれでいいということであるのかどうか、その点もう一度お聞かせいただきたいと思います。
  151. 増井清彦

    ○増井説明員 お話しのようなことも一つの見解かと思います。しかし、都市公園の一部を構成する都民の憩いの場所でありますので、そういったところに処刑をされたとか何かというような表現をするのはいかがかとも思います。いずれにいたしましても、その表現につきましては、私どもは拘泥はいたしていないわけでございまして、都市公園の設置、運営に当たられる豊島区でお決めになるのが適当かと思います。
  152. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 課長、都市公園だからそこに処刑されたとかいうのはいかがかという、それはあなたの省の意見ですか、個人的な意見ですか。個人的意見だったら、余り意味がないですから撤回してください。
  153. 増井清彦

    ○増井説明員 法務省の意見であります。
  154. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 都市公園の一画であるから、そういう処刑された場所であるということが明確にされない方がいいのですか。それだったら碑は要らないのじゃないですか。ない方がいいのじゃないですか。聞かせてください。
  155. 増井清彦

    ○増井説明員 私どもは記念碑というようなものをつくるということは別に考えていなかったわけでありますし、現在も碑をつくるということにつきまして賛成しているわけでも何でもないのです。ただ、反対もいたしておりません。いろいろ意見が分かれているようでございますけれども、私どもとしては、閣議了解の趣旨を率直に読みますと、単にこれは戦争裁判を受諾した、そして拘禁あるいは刑の執行が行われたという歴史的事実だけを簡明に表現すれば足りると考えているわけでございます。
  156. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 碑をつくることも何も法務省としては考えていないというのだったら、碑の文句についても一々参考までにとか、それは必要ないのじゃないですか。閣議決定の二行というものに基づいて、豊島区の方でそれを碑にするのかどうするのか、どういう形にするのか、そういうものは一定のそういう趣旨を踏まえて、区の方で自主的にそのことを判断するべき問題であって、閣議決定に基づいて云々と、碑の文句までこういう形で出すからいろいろ問題が出てくるのじゃないですか。もともと碑でも何でもいいのだったら、別段何もそういう文言についてまで、処刑云々はいかがなものかというようなことも必要ないのじゃないですか。いわんや法務省の見解ですというようなことも、余りにも大上段に振っておるのじゃないですか。
  157. 増井清彦

    ○増井説明員 法務省の見解かどうかということにつきましては、お尋ねがございましたから、個人的見解であるかどうかお答えしただけのことであります。もとより遺跡として保存される措置さえ講ぜられればいいわけでございますので、私の方から積極的にそういう説明文を差し上げたわけでも何でもございません。そういう説明でなければいけないということも考えておりません。ただ、一般常識といたしまして、遺跡として保存するということになりますと、やはりどういう種類の遺跡かということだけは普通表現するのではないでしょうかというふうに言っただけでございます。
  158. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 それだけでいいのだ。それを犯罪人の処刑された場所ということを書くことはいかがでしょうかと言うから、私はひっかかっているのですよ。そんなことを言う必要はないんだよ、あなた自身は。  きょうは建設省の方もお見えでございますので、その点についてひとつお答えください。
  159. 田辺昇学

    ○田辺説明員 お答えいたします。  建設省といたしましては、公園の施設として記念碑というものがございますので、記念碑が設けられることは何ら法上差し支えないと考えております。
  160. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 その文言についても何ら意見はありませんな。
  161. 田辺昇学

    ○田辺説明員 意見ございません。
  162. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 大蔵省。
  163. 安部彪

    ○安部説明員 大蔵省の立場としましては、普通財産でございます国有地の所管官庁としてこの問題に関与しているわけでございます。したがいまして、閣議了解もございますので、遺跡として碑を設置するという前提がございますれば、碑文の内容とかそのほか碑の形状とか、碑の位置を若干移動させるとか、そういうような自主的な問題については直接関与するものではございません。
  164. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 区議会の議論を見ましても、こういうものが右翼などに利用されるべきではないし、また、絶対にそういうことはいけない。そういう軍国主義的風潮をあおるようなことになれば大きな問題が起こってくるということで、そういう考え方が支配的であるようでございますし、当然区長も、平和憲法を守って二度とこのような忌まわしい戦争を繰り返さない、そして戦争犯罪人を二度とつくらない、こういう立場で、いわゆる戦争じゃなしに、これからの日本の平和、世界の平和のためのそういう平和の遺跡として考えておられるようでございます。そういう意味で、記念碑の大きさとか、あるいはデザインとか文章とかは当然各省においてとやかく言うべき問題ではなしに、区に自主的に任せるべきだ、こういうことでございます。  いま三者の方から聞きましたら、もう区の方でそういう場所であるということさえ一それも果たして明記したらいいかどうかも別であって、そういう閣議了解の趣旨ということだけが明らかであって、それが目的であって、いま言うたようにそういう碑にすべきかどうか、あるいは碑にするにしても、その大きさとかデザインとか文言については区に任す、一任するということであろうと思いますので、もう一度各省から、それで結構です、いや任されないなら任されないと明らかにしてもらいたいと思います。区議会なり区の方々、区民の方々はこの問題に大きな関心を持っておられるので、国が一々そういう形で介入するのか、区に任されているのかどうかということで注目されておりますので、ひとつ一言ずつ簡単にお答えいただきたい、このように思います。
  165. 増井清彦

    ○増井説明員 遺跡の保存さえ行われるのでありましたら、その方法その他につきましては、全部区で責任を持っておやりいただくのが相当かと存じます。
  166. 田辺昇学

    ○田辺説明員 建設省といたしましても、公園施設に適合するように進められるものであれば、区の方に自主的にお任せして結構でございます。
  167. 安部彪

    ○安部説明員 大蔵省といたしましても、法務省と同意見でございます。
  168. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 それで結構でございます。  最後に、わが日本社会党としてこの問題に対してこう考えておるということに言及いたしまして、この問題については終わりたいと思います。  まず第一点は、公園用地の貸し付けの条件に、いわゆる戦争犯罪人の賛美につながるどのような設備あるいは記念碑をも絶対に反対するというものでございます。  第二点目は、公園は、戦争を二度と繰り返してはならない、戦犯はつくらないという決意を示す平和公園として維持管理されなければならない、このように考えております。  第三番目には、公園施設の規模あるいはデザイン、文章などは全く自治体の自主性にゆだねるべきである。その際、戦争犯罪人の処刑場という動かしがたい事実をあいまいにすべきでないということ。  それから四番目には、そういう趣旨からして、戦争を賛美したり戦争犯罪人を英雄視するような、いわゆる右翼によるところのそういう公園の利用は絶対に禁じるべきである。それは公園の趣旨に反すると考えております。  こういう社会党の基本的な考え方というものを明らかにいたしまして、この問題について質問を終わりたいと思います。  次の問題に移ります。  われわれの反対にもかかわりませず、元号の法制化が決まったわけでございます。どう言いますか、時間というものをあるいは歴史の流れというものを天皇の生死によって区分することは全く非合理的である。元号によるところのそういう歴史の区分は、かつて天皇が土地と人民を支配し、それだけじゃなしに、あわせて時間をも支配するという絶対主義天皇制の痕跡であるというふうにわれわれは理解しておるわけでございまして、そういう意味では、主権在民の今日の平和憲法のもとでは、全くそういう元号というものは考えられるべき問題ではなかろう、こういうふうに思っておるわけでございます。  確かに、年を数える場合は、明治何年に生まれたとか大正何年とか昭和何年で、自分の年はいま幾つだということで小さいときからならされてきたこともあって、年を数える場合は西暦じゃなしに年号を使っている方がわりと多いわけでございまして、そのことは別段、個々人の自由意思だからいいというものの、しかし、それではたとえばフランス革命が何年に起こったのか元号で言えといますぐ言われたら、はてどうかな。われわれは小さいときに日本史にしても世界史にしても一応西暦を頭に入れて、そしてそのもとに括弧づけで年号を頭に入れたものであります。世界史と日本史の歴史の区分を考えた場合に、かえって西暦でやった方が非常に便利がよいというのはわれわれ小さいときからならされておるわけでございます。尺貫法よりもメートル法というようなことで、いまではそういうことが世界常識というのですか、日本の若い世代においても取り入れられておりますし、総理大臣の施政方針の中にも八〇年代は、ということで、五十五年のどうのこうのと言うた人はだれもなかったと私は思っておるわけでございます。そういう点でかえって元号は不便だ、そして国民生活を大きく混乱させるものだとわれわれは考えておるわけでございますが、法制化されたということでございます。  しかし、われわれはその質疑の中で、決して国民に元号を押しつけるのではない、強制はしないということを厳に確約させたところでございます。にもかかわらず、国民に元号が押しつけられつつあるというのが現状ではないかと考えておりまして、非常に遺憾に思うわけでございます。  そこで、文部省の方もお見えでございますのでお聞かせいただきたいのですが、学校の教科書の検定に際して、あるいは教科書の執筆者に対して、元号が法制化された以後一体どのような指導がなされておるのか。特に聞きますれば、自民党筋からということのようでございますが、元号を先に書いて後に西暦を書くべきだというような指導もしているということですが、その点について統一した指導をしておるのかどうか、その点についてちょっとお聞かせいただきたいと思います。
  169. 上野保之

    ○上野説明員 教科書のそういう年号なりの記述につきましては、まず著者の判断にゆだねております。それで歴史の教科書、特に日本史の場合でございますが、これは西暦なり年月が書いてあるわけですが、それに年号を併記するかどうかということは、教科書上、教育上それが必要で適切なことだと検定の関係審議会で判断されますと、それにつきましては西暦だけじゃなくて年号を併記してほしいというような意見はつけております。けれども、先生おっしゃられましたような年号を先に書けとかというようなことは一切やっておりません。
  170. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 それはひとつぜひとも徹底してもらいたいと思うのです。そういう圧力が自民党筋からある、これはまた具体的な資料が出た段階で追及したいと思っておるわけでございますが、文部省の方では、そういうどっちが先でどっちが後だというようなことはしていない、執筆者の意向に任しておるということですから、あくまでも言論統制というのですか国家統制にならないような形で、本当に執筆者の意向を十分尊重してもらいたいと思います。  去年の六月九日付で行政的な手続の際に元号は強制しないという趣旨の自治省通達が出されておるわけでございますが、そういう点で中央の諸官庁、それから地方自治体での公的文書に印刷された不動文字は、はっきり言って元号だけにすることに大きな問題があるのじゃないか。国民に強制しないというならば何も書かないか、あるいは元号と西暦どちらも書けるような書式にすべきだと私は思うのですが、その点についてどうなっておるのかお聞かせいただきたい、このように思います。
  171. 木村仁

    ○木村説明員 お答えいたします。  昨年の六月九日に法務省から戸籍事務に関する通達が出ておるようでございますが、自治省としては年号の所管省でもございませんし、また、自治省関係の基本台帳等は地方公共団体の固有事務でございますので、そういう通達は出しておりません。
  172. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 いや、地方自治体だけじゃなしに、国の諸官庁のそういう行政手続の印刷された文書にどういうような元号表記があるのですか。
  173. 清水汪

    ○清水政府委員 政府の中央官庁あるいは地方公共団体についてもでございますが、いわゆる様式というようなものについて考えてみますと、年月日のようなところに不動文字で昭和年月日というふうに印刷をしておるものも現にあろうかと思います。あるいは昭和という部分が何もないのもあろうかと思いますけれども、いずれにいたしましても、昨年元号法案を成立させていただきました後の問題として申し上げますが、政府といたしまして、その法案の成立の前に比べまして今後は法律ができたことだから特にどうしろというようなことは全く指導しておりませんで、当時三原総理府総務長官の談話でも申し上げたわけでございますが、元号法というのは、従前からいわば確立された慣行としてわが国における主たる年の表示方法としてあったものについて法的な根拠ができた、そういう趣旨である、むしろ元号法自体は将来における改元の手続をはっきりさせたものであるにとどまるというような趣旨についてはわざわざ談話の形で説明をいたしまして、誤解のないように努めたわけでございます。  もう一つつけ加えますと、そのようないわば不動文字で表示されております場合におきましても、その昭和という部分は便宜そういうふうに示されている、いわばそこに年を表示するという趣旨を示しておるということが主たる眼目でございます。したがいまして、それによらないで記入されたものにつきましても、適法のものとして受理をしておるというようなことは、それ以前と以後と全く変わっておらないということでございます。
  174. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 やはり年月日だけにするとか、あるいはその前に昭和であれば昭和、あるいは西暦何年、いまで言えば一九八〇ということになるわけでございますが、そういう形で、要するに昭和何年何月何日というような形だけでそれ以外は書いてはならないのだというような印象を与えるような、あるいは何かそのとおりにしなければ窓口で精神的な苦痛を受けるというようなことのないような、国民に元号を強制しないというならば、やはりそういう役所の窓口で国民に負担にならないような形がとられるべきだ、こういうように思いますので、そういう具体化については、その点については特に留意されたい、このように思います。  次にちょっとお聞きいたしますが、たとえば天皇の判を押したところの外交文書がありますが、こういう文書はいままでは当然日付は西暦になっておったわけでございますが、それはそのまま、外交文書であるから、元号法制ができたからといって元号であるというような、そういうことは考えておりませんね、どうですか。
  175. 富田朝彦

    富田説明員 お尋ねの外交文書と申しますか儀礼的な親電、慶弔の電報あるいは文書、これは電報には日付が昔からないのでございます。それで、国際電電の受付のところの判があるだけであります。それから文書になりますと、これは一貫しまして正文でございますね、もとになります、オリジナルな。これは元号によっておるわけでございます。それで、それを翻訳いたします。翻訳してつけて出すわけでございます。これはフランス語の場合、英語の場合いろいろあろうかと思いますが、それは今度西暦に直してついていく、こういうあれでございます。
  176. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 よくわかりました。  次に、元号の選定の手続ですが、われわれは、密室である日突然決まるということでなしに、逐一そういう選定の手続が国民に公開されてしかるべきだ、こういうように思うわけでございます。特に、選定については数人の学識経験者によってなされるのだろうというように思うわけでございますが、そういう点について五人でやるのか、六人でやるのか、七人でやるのか、あるいはそれ以外の数字でやるのか、いまのところ一体どの程度の、どの範囲のそういう選定委員の選考が進んでおるのか、そういう点についてわかればひとつお聞かせをいただきたい、このように思います。
  177. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 元号の選定の手続につきましては、昨年十月二十三日の閣議に報告をいたしまして了承されたところでございます。  実際の選定過程の公表につきましては、事前に元号の候補名や考案者の名前を公表することは微妙な問題であり、むずかしいと思いますが、事後には国民説明し、国会にも御報告をすることは当然なことだと思います。  そこで、御指摘にありましたように、どういう方に委嘱してどのくらいの人数の方かということでございますが、この件につきましては若干名の高い識見を有する者に次の元号とするにふさわしい候補名の考案を委嘱することにいたしております。その人選に当たっては、りっぱな元号を選ぶために慎重な配慮をすべきと考えておりまして、現在具体的人選に当たって慎重を期して検討中でございまして、何人、どういう方ということにつきましてはまだ具体的に決定をいたしておらない段階でございます。
  178. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 新元号の選定基準というのもできているのですか。
  179. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 いまお答え申し上げましたように、昨秋、十月二十三日に、「元号選定手続について」ということで閣議に御報告をいたしまして、決定をされておる次第でございます。
  180. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 基準を言ってください。
  181. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 選定の基準といたしましては、第一に「国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること。」第二に「漢字二字であること。」三番目に「書きやすいこと。」四番目に「読みやすいこと。」五番目に「これまでに元号又はおくり名として用いられたものでないこと。」その次「俗用されているものでないこと。」以上の事項に留意するということでございます。
  182. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 いま大平内閣ですから、大平元年というようなことになりますと非常に政治色が出てくるわけでございますけれども、ちょっと聞きますれば、いまのこの昭和の元号が決まったときには元化とか同和、いま私ら同和対策ということで口を酸っぱくして言っているわけですけれども、同和というのもあったようです。結局、俗化されていないというようなこともあるし、そのくせ国民にわかりやすい、これはなかなかむずかしいですね。これはすぐ決まるようでなかなか決まりにくいというようなことになっておるわけでございまして、当然やはり漢書、孟子とか論語とか書経とか、そういう古い教典から出典を求めるというようなことにもなるのじゃないかというように思うわけでございますが、いずれにしても、最終決定総理がされるのだろうというように思うわけでございまして、やはり国民に、なるほどそういうふうに決まったのか、こういう人たちで決めたのかということで、決められた元号は国民に強制しないとは言うものの一つの物差しになるわけでありますから、使わない者は勝手に使わないのだから云々ということじゃなしに、そういう意味ではやはり民主的に決めていくべきであろう、こういうふうに思いますので、その点について特に要望しておきたいと思います。  そこで、新元号ができるということですけれども、これは実際政府の公布の翌日の午前零時に元号が切りかわる、恐らくこういうことになるのだろうというように思うわけです。しかし問題は、天皇のそういう生死というのですか、そういうことの中で起こることでございますから、予測されるわけじゃございませんので、そういう点でやはり一つの大きな混乱というか、過去にもそういうことを経験してきたところであるわけでございます。たとえば国債の償還計画などのときに、特に長期にわたって元号を記載しているというようなこともあるわけでございまして、そういう国債の問題、切手とかはがきとかスタンプ類。これは前回も私は質問したわけでございますけれども、こういう印刷されたものをどう処理するのか、あるいは手帳とかカレンダーなどの民間の印刷物は秋口に印刷に取りかかるわけでございまして、これらをどうするのか、あるいはそういう問題が起こって民間の方々に実害を及ぼしたときの補償はどうなるのか、こういうことを考えたときに、それは元号のところを抜きにして西暦を大きくするというようなこともあるのかもわかりませんけれども、手続的には、実際問題として各官庁においてはそういうことをどう考えられているのか、わかる範囲で手短にひとつお答えいただきたい、こういうように思います。
  183. 清水汪

    ○清水政府委員 ただいまの御質問でございますが、一つは、たとえば国債というものにはずいぶん長い将来にわたりまして支払い期日のようなものが表示されているわけでございますが、そのような表示につきましては、仮にその途中で改元ということがございましても、特定の年月日を表示するという点においては明瞭でございますので、何ら効力の上で差し支えはないというのが従前からの解釈にもなっております。したがいまして、そのようなものにつきましては、格別特に急いで何かするということは必要ではないというふうに考えているわけでございます。  それから、そういうようなものでなくてごく日常的に存在するものにつきまして、ただいま先生のお挙げになりました用紙類とかスタンプ、そういうものがすぐ思い浮かぶわけでございます。そのような問題、つまり切りかえに伴ういろいろの影響と申しますか負担、そういうようなことがあることは十分わきまえていかなければならないと思っております。改元の必要が生じた場合におきまして、新しいものにどのような切りかえの仕方をするかという問題が一つございますけれども、その点につきましては、前々から御答弁申し上げておりますように、どういう場合にその必要が生じたかというようなこと、あるいはそのときにおきます国民感情、それからまた、いまの実社会あるいは経済、取引界などに与える影響というようなことについてもやはり慎重に配慮をし、総合的に判断をすべき事柄であろうというふうに考えておるわけでございます。  やや具体的な視点で申し上げますれば、用紙とかそういうようなものは、できるだけむだを少なくするように、国民方々におきましても御協力をいただけると大変ありがたいというふうに考えておるわけでございます。しかしながら、そう申しましても、書き直して使うとかというような点についておのずから制約があるということは考えられるわけでございますけれども、できるだけそのようなことで一つの対応をお願いしたいということではなかろうかと思います。  さらに切手というようなこともございましたが、切手とかはがきということになりますと、通常のものには元号なり西暦なりは記入されていないように思います。記念というようなものについてそういうことがあろうかと思いますけれども、その点までどういう場合かということで具体的に想定することはちょっと困難かと思いますので、お許しいただきたいと思います。  それからもう一点、カレンダーという例でございますが、おっしゃいますようにこれはかなりの前もった期間、ある長さの期間におきまして製作されるというようなことから、従前におきましても一つの大きな問題として言われておりました。ただ、これにつきましては、いままでも申し上げましたことから御推察いだだけると思いますが、元号というものが、法的な意味におきましては決して強制するという立場に立っておりませんけれども、事実上広く使われていることは十分認識しておるわけでございます。また、それだけに改元に伴う影響というものは非常に広く国民全般に及ぶというような現象でもあろうかと思います。したがいまして、特定の問題だけを取り上げて、いまそれについて特にどうするというようなことを申し上げることは無理ではなかろうかと思います。実際の場合におきまして、その実態に応じて検討しなければいけない問題があれば、それはそのときに真剣に検討すべきことではなかろうかというふうに考えております。
  184. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 次に移ります。  二月十一日、建国記念の日奉祝式典というのか明治神宮会館で開催されたようでございますが、これを政府が後援されておる、こういうように考えるわけでございますが、このときにだれが行かれて、そしてそのときの模様というのですか、大体どういう内容のものであったのか、そういうことがわかりましたらひとつお聞かせいただきたい、このように思います。
  185. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 建国記念の日の奉祝式典には私出席をいたしました。式典次第は、開会の辞から始まりまして閉会の辞までごく一般的な式典次第によって行われました。その中で、私、祝辞の中で総理府総務長官として祝辞を申し述べてまいりました。
  186. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 そんな一般的なことじゃいかぬですよ。長官、初めからしまいまでおられたのですか。
  187. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 出席いたしておりました。
  188. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 運営委員長は黛敏郎さんですね。この方が開会のあいさつでこう述べているのです。私たちはすでに元号法制化をかち取った。しかし、今後まだ祖国のために一命を捨てた人々を祭る靖国神社の問題、有事立法の問題、国家機密保持の問題があり、それらのもののすべてにつながる憲法改正の問題がある、こういうように述べているのですね。それから運営委員の清水幾太郎さんは閉会のあいさつで、私たちもまた日本のために赤い血を流し、身命を君国にささげる覚悟を持たねばならぬ、こう言っているのですね。  これは大変な集会ですな。憲法を否定するというのですか、憲法改正ということですけれども、これは改悪ですな。先ほどのそういう東条英機以下の戦争犯罪人を英雄視するような動きの人々ですね、そういう人々が建国記念日というその日に祝賀ということにかこつけて、さらに憲法をねじ曲げていこう、世論をねじ曲げていこう、そういう集会に総理府の長官が出席し、政府が後援するということはどうなんですか、それは。そういう集会に出るということが望ましいのですか、お聞かせいただきたいと思います。
  189. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 奉祝祝賀会には五十三年以来、当時の稻村長官、そして昨年は三原長官が出席をいたしました。私、今年も出席要請がありまして、総理府として検討をいたしました結果、是なるものと判断をいたしまして出席をいたした次第でございます。
  190. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 二年前に、たしか稻村総理府長官のときにその後援を決めたということですね。しかし、そのときに稻村長官はこういうことを言っておりますね。政党色それから宗教色がなく、国民的な気持ちで祝うこと、これを条件にしているのですね。ここまでなら私はあえてそのことについて問題にしないというふうに思うのですね。建国記念日というのが決まったわけですから、祝う、祝わぬはそれは国民の心のいろいろの差があるにしても、国としてもそういう祝う人々の集会を後援し、祝辞を述べるということは、そこはあるのかもわかりませんが、しかし、あくまでもそれは政党色と宗教色を抜かさなければならぬのですね。  そういう前提に立って、今回のそういう式典についてもそういうものがないかどうか、もっと端的な言葉で言うなら、長官、そういう政党色、宗教色というものは、それもあってもいいんだということになっているのか、稻村長官のときに決めたそういう条件というものがいまなおまだ生きておるのか、生きておるとするならば、先ほどの黛運営委員長の開会の言葉とか、あるいは清水さんの閉会の言葉とか、あるいは会全体の流れというものが、あなたはずっとおられたわけだから、どうですか、出席してよかった、これは感銘したということなのか。えらい違うじゃないか、これは本当に憲法を改悪しようというえらい集会に来たというように思ったのか、その点どうですか。
  191. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 総理府が後援するに当たりまして基準となっております、当時稻村長官のとき考えられた政党色、宗教色をなくし、国民すべてが祝われるような会であるべきであるというようなことについての基準はそのままに守っておるつもりでございます。  そこで、出席いたしまして、いろいろ御発言のあったことも私も聞きましたが、しかし、会そのものは、会長が式辞で述べられたことが会を催すすべでを物語っておるわけでございますので、他の方々がいろいろ御発言されましたことにつきましては、会を行うことの趣旨を決議するとか云々するものでないと思いましたので、私としては、特に留意をそばだたせるようなことはなかった次第でございます。
  192. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 ですから、今後もそういうことしのような中身の――会長が言った言葉だけじゃなしに、やはり個々の、運営委員長とかその他いろいろな方々が発言する全体の流れというものをつかまえなければならぬというように思うのですよ。それは長官は、個人的な政治家としてのそういう考え方をどう持っておられるのかわからぬけれども、少なくとも総理府の長官として政府を代表して行かれているわけですから、そして政府が後援しているということですから、そういう改憲につながるところの、そして現在の憲法を否定するような、そういう集会に行くということは、一党一派に偏するというのですか、本当に一つの宗派に国が肩持ちをするというようなことになりかねないというように私は思うので、そういう意味で、そういう集会は来年も再来年もあれでいいんだという考え方であるのかどうか、その点ひとつお聞かせいただきたいと思います。
  193. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 建国の日は、国民全体がひとしく祝われるものでなければならぬかと思います。そういった意味合いで考えますれば、こういう式典を後援するということにつきましては、実は毎年御要請がありまして、毎年決定をいたしておることでございますので、明年以降のことについての態度をここで明確にすることはできませんが、しかし、例年行われておりますことの中身等につきましては、やはり参考にしてなされなければならぬかと思います。  そこで、私もテープレコーダーを持っていったわけでもございませんので、どういう発言があったかというようなことにつきましても、せっかくの御指摘でありますので、自分でももう一度よく聞いてみて、また考えてもみたいと思います。
  194. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 やはりあくまでも政党色、宗教色がないということが前提でなければならぬ、こういうふうに思いますので、長官は出席しておられたけれども私はその場に出席しておったわけでもないので、さらに改めてそういう内容について点検して、問題がないかをひとつ研究してみたいということであります。テープレコーダーであるか速記であるか、いずれにしても何か資料があるのではなかろうか、議事録ですね、そういうものを、知り得る限りの分についてひとつぜひとも私の方にも報告していただくということで返事をいただけますか、どうですか。
  195. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 私ども後援をいたしておりますが、会の主体は主催者でございますので、その主催者にその存否につきましてもよく問い合わせてみたいと思います。
  196. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 いや、問い合わせるというよりも、後援しているのだから、当然公開されてしかるべきだと思います、秘密の集会じゃないのだから。そうでしょう。あなたもおられたわけですから、会長提案以下一切の発言について政府は知る権利がある。そのことを政府を通じて私が質問しているわけですから、私の方へその一切の資料を提示願いたい、こういうことです。あなたが手に入れるだけじゃなしに、私の方にその資料をいただきたい。あなたも検討しなければならぬけれども、私の方も検討させてもらわなければいかぬわけですから。そういう点で、いただけますね。どうです。
  197. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 努力をしてみます。
  198. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 ぜひとも実行していただきたい、こういうふうに思います。  次に、ことしの十二月の二日、明治神宮で予定されておりますところの教育勅語渙発九十周年記念奉祝大会、これが行われるようでございます。これは明治神宮創立六十周年記念式典と一体の行事として行われようといたしておるようでございますが、この場に高松宮夫妻が臨席するという報道がすでになされておるわけでございます。まず、宮内庁長官はこの行事、事実を知っているのかどうか、それから、高松宮殿下の出席を考えているのかどうか。私は、皇族が政治色というか宗教色というか、そういう行事に参加することは憲法違反である、こういうふうに考えておるわけでございますが、その点について見解をただしたい、このように思います。
  199. 富田朝彦

    富田説明員 いまお尋ねの大会が開催されるということは、全く聞いていなかったところでございます。したがいまして、また、両殿下に出席願と申しますか、出席していただきたいということがあることも、現在までは聞いておりません。  さらに、もしそうであれば、そういうことについてどう考えるかというお尋ねのように承ったのでございますが、当該大会が、私も名前だけただいま承ったわけでございますので、それに臨席されるのがいいかどうかという問題は、その中身がよくわかりませんし、ちょっとお答えいたしかねるのですが、一般論として申し上げてお許しを得たいと思います。  皇族が御臨席になるというような場合には、その行事の趣旨とか性格というものと皇族としてのお立場というものを十分に勘案して、慎重に御対処されるというふうに私は考えております。これが一般的な一つの見方と申しますか、私どもが考えておる考え方でございます。
  200. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 教育勅語というのは、新憲法あるいは教育基本法の理念に照らして一応否定されておる、こう見なければならぬと思うのです。教育勅語の中身の一々の文言についてまた見直すべきだという意見も聞いているし、それについても大きな問題はありますけれども、少なくともあの教育勅語のもとで先ほど申し上げたような忌まわしい戦争犯罪が行われ、われわれにとっては、教育勅語というのはどうしても戦争という響きを持たざるを得ないわけでございます。そういう意味で、戦後の日本の教育、教育基本法というもの等を考えた場合に、やはり本質的に違うと考えざるを得ないと思うので、そういう教育勅語の復活というのですか、これも一つの政治的、イデオロギー的な性格を持っていると思うのです。式典という名のもとであるわけでございますが、そういうのに皇族が出席するということは大きな問題がある、ぼくはこう思いますので、そういう予定があることを知らなかったということでございますが、そういう行動を厳に慎んでもらいたいということを申し上げておきたい。十二月のことでございますから、まだ時間的な余裕があるようでございますし、長官、ひとつもっと詳しく情報をキャッチしていただいて、しかるべき対応をしてもらいたいということを要望しておきたい、こう思います。  次に、靖国神社の参拝問題につきまして御質問申し上げたい、こう思います。  そもそも靖国神社というのは一体何か、こういうことになるわけでございますが、これは天皇の命によって建てられたことは事実でありまして、特に戊辰戦争のときにいわゆる官軍側で死んだ三千五百余名を祭るところから始まった、こう言われておるわけでございます。官軍側で死んだ戦士を祭る、そうすると、幕府方について死んだ多くの方々国民の朝敵であるということで一切顧みられない、こういうことになるわけでございます。本当は人間が亡くなれば、神にもなり仏にもなるということでございますけれども、そういういろいろな経過の中で敵味方に分かれて死傷者が出ているわけでございますが、相手側のやつは同じ日本人であっても朝敵であるということで官側の方を祭っていく、そういう天皇の名のもとに死んだ人間を祭る、天皇家のために尽くした者を祭っていくのが靖国神社。そういう意味では、狭い範囲の偏狭な――それは宗教心と言うのかどう言っていいのかようわからないのですが、そこにも大きな問題があるのではないか、私はこう思っておるわけでございます。  そういう点で靖国神社というものを考えた場合に、天皇がこの靖国神社に参拝するということは、あくまでも私的なものである、私的な立場から行われたものであるというふうに私は理解をしてきたわけでございます。つまり玉ぐし料は内廷費、お手元金から出されていたということでございますが、そういう点でやはり私的行為、こういうことであったとしても、天皇憲法を遵守するという義務が当然あるわけでございますし、神社側は最近特に憲法に敵対するというのですか、改憲の方向を打ち出して、七八年には役員会で、一大国民運動を展開して現行憲法改正をその筋に要望する、そういうことを最大の目標として決議しておるようでございます。そういう意味で、天皇の参拝自身が私的行為といえどもやはり憲法に抵触するのではないかとわれわれは疑わざるを得ないわけでありますが、この点について明確な見解を出していただきたい、このように思います。
  201. 富田朝彦

    富田説明員 靖国神社に戦後両陛下がお参りになりましたのは、終戦直後の特殊な時代は別にいたしまして昭和二十七年以降今日まで七回お参りになっておられます。これはいま御指摘のように、天皇の御行動のうち私的な御行動と申しますか、私的行為としてあそばしておられる。したがいまして、玉ぐし料と申しますかそういうものも、委員承知のようにお手元金から差し出されておる、こういう性格でございます。  私的なことでも憲法違反ではないかという御見解でございますけれども陛下が七回お参りになりました後を振り返ってみますと、戦後二十年あるいは三十年たった折とか、あるいは非常にたくさんのいわば戦争の犠牲者が合祀されたというようなかどあるようなときにのみ陛下としての個人的なお気持ちをあらわすという意味で御参拝になっておりますので、私としてはそれは憲法に直ちに抵触すると考えていないところでございます。
  202. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 私ははっきり申し上げて、天皇というのがある特定の宗教というんですか、そういう靖国神社とのかかわりがない――たとえば天皇自身が無宗教であるとか、ずばり言うなら宗派が変えられるのか、ほかの宗教を信仰することが果たしてできるのか。まあ本人の問題だろうと思いますが、どの宗教がいい悪いという、私自身そういうような考え方を持っておりませんけれども、宗教と政治は別だということにもなるんですけれども、先ほど申し上げたように、靖国神社自身が非常に幅の狭い宗教ではないのか、非常に排他的なというか差別的なというか、そういうようなことを感じてならないわけでございます。他の宗教などを見ますと、そういう点は他の宗派に対して非常に厳しく臨んでいるところもあれば、非常に幅広いところもあるわけでございまして、天皇の地位というものとそういう国家神道というものと不離一体であるということで、何か天皇あるいは皇族を宗教的、政治的に利用していく、そういうようなものが一方にある中で、天皇家の一宗教的行事である私的行為であると言われても、天皇は個人と言ったって、やはり個人でないわけですよね。やはり憲法を遵守する立場にあるし、少なからず象徴天皇として国民から敬愛されるということになるならば、まさしく国民の中にはいろいろな思想信条の方々、政党政派の方々がおられるわけですから、国民の象徴だというなら、それこそ脱政党というのか脱宗教というのですか、そういうことがあってしかるべきだと私は思うのです。  だから、そういう点で、われわれ国民はなかなか納得しない、理解できない、こういうことになるわけでございまして、いまの状況から見るならば、一私的行為であったとしても、天皇のそういう参拝というものは違憲につながるのではないかとすらわれわれは強く指摘をせざるを得ない、こういうように思っておるわけでございます。  そこで、一つ詰めてお聞かせ願いたいのですが、この靖国神社に対する天皇の参拝というのは公的行為となるということは絶対にないですね。そのことはどうですか。
  203. 富田朝彦

    富田説明員 お説のとおりと私は存じております。
  204. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 いや、お説のとおりと言うのですが、ただ、これは総理大臣でもそうでございますけれども、私人、私的な立場と言ったって、実際、公的な人間が私的な行動をとっても、それは私的と果たして言えるかという問題になってくるわけです。  それで、次の問題にも関連するわけですが、三木内閣以来、総理大臣の靖国神社に対する参拝については、肩書きに内閣総理大臣と書いているわけですね。まあ一個人の名前を書くならまさしくそれは私的と言える。しかし、国民から見るならば果たして私的であるか。一国の総理が一神社に参拝したということになりますし、また公用車一つ見ても、それに乗って行っているというようなこともあるわけですから、やはりこれは行き過ぎではないか。天皇の参拝も含めて、歴代の総理大臣が参拝されておるわけでございますが、これについては厳に慎むべきである、私はこういうふうに思っておりますので、あわせてその問題についてもお聞かせいただきたいと思います。
  205. 味村治

    ○味村政府委員 憲法二十条によりまして、国またはその機関は、宗教的な活動をしてはならないことになっております。しかし、他方におきましては、総理あるいは各大臣も私人としての立場におきまして信教の自由もまた憲法規定によってお持ちになっているわけでございます。したがいまして、総理大臣なり各国務大臣が私人としての立場において靖国神社なりその他の神社に参拝されるということは、憲法の趣旨から言いましても違憲だということはとうてい言えないわけでございます。
  206. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 いや、憲法の趣旨からしても違憲だと言えないと言ったって、それは公的なものと私的なものということを私は区別しているのだと言えばそうなるのかもわからぬけれども、やはり公人という立場から見たら、私的な行動も皆公的な立場になるわけです。だから、そこらあたりの問題を、やはり普通のわれわれと違うわけでございますから、国民の注目しているそういう地位にある人々でありますから、そういうあなた方の解釈は何ぼでも成り立つかもわからぬけれども、果たしてそれがすべての国会議員にどれだけ納得されるか、国民がそのことに対してどの程度理解を持つかということになるのじゃないかと私は思うのです。  私は、天皇の地位というものあるいは開かれた天皇家というものを考えた場合に、何か権力の道具に使っていくというような、天皇家のことを思ってわしらがやっているんだ、ぼくらは天皇家のことは一向思っていないんだという形で理解されがちだけれども天皇家のためにやっていると言われている人たちのやっていることが、果たして実際天皇家のためになっているのか。その点がだんだん天皇というものを一つの枠の中に、こうやって人間天皇から神格化された天皇へと戦前のもとへ持っていこうというそのことが、果たしていまの天皇自身が望んでおられるのかどうか、私は非常に疑わしい、こう言わざるを得ないと思っておりますので、この点についてはすれ違いみたいな形になっておりますので、私としては納得できないということを申し上げておきたいと思います。  次に、七八年七月に、当時の真田法制局長官の答弁では、公金によるところの玉ぐし料、閣議決定による国の公的な行事のこの二要件が、公式参拝ということになれば条件だということのようでございますが、最近、聞きますれば、地方の都道府県、市町村の議会でいわゆる公式参拝の要求決議が出されておるということを聞いておるわけでございまして、この点について、決議の数がどの程度上がっておるのか、あるいはその決議自身が憲法違反になるのではないか、私はこういうように思っておりまして、七九年十一月の千葉県での一つの町ぐるみで英霊をたたえる会への加入を図ろうというような事件もあったわけでございまして、そういう意味で、この点について自治省として一体どのように考えておるのかということでひとつお答えいただきたいと思います。
  207. 中村瑞夫

    ○中村説明員 御説明を申し上げます。  お尋ねの都道府県における決議の点でございますが、私ども全体の状況について把握をいたしておるわけではございませんけれども、都道府県の議会における最近の状況について申し上げますと、五十二年の十月から五十四年十二月までの間に十七県ほどにおきまして靖国神社の公式参拝に関する議決がなされておるというふうに聞き及んでおるわけでございます。  これらの議決書の内容を見ますと、若干の差異はございますけれども、概して靖国神社には大ぜいの戦没者が祭られておるということで国民として尊崇の念を禁じ得ないところであるので、政府において公式参拝が実現するように御努力をお願いいたしたいという趣旨のもののようでございます。この点につきましてはいろいろと憲法上との関係等の問題がございますけれども、都道府県の議会におきましては、こうした靖国神社に関する問題がいろいろと論議をされておるといったようなことからこの問題を取り上げまして、政府に対しましてその要望をいたすという趣旨のものではないかというふうに存じておるわけでございます。
  208. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 時間がございませんのでちょっとはしょりたいと思います。  浩宮の成人式が二月二十三日に行われる、このように聞いておるわけでございますので、いわゆる加冠の儀など十項目が発表されているわけですが、全体の予算はどれだけか、あるいは十項目のうち宮廷費から支払われる項目はどれとどれか、さらにこの成年式はいかなる法的根拠に基づいているか、細目は長官が決めるのかどうか、あるいは皇太子のときとの違いがあるのか、それはどれでなぜか、そういう諸点についてひとつ手短にお答えいただきたい、このように思います。
  209. 富田朝彦

    富田説明員 来る二月二十三日に浩宮親王殿下が満二十歳の誕生日を迎えられるわけでございますが、そのときに成年式をとり行う、こういうことでただいま準備を進めておるところでございます。  これに要する予算としましては、一応宮廷費としまして五百五十四万円本年度予算に計上してございます。その宮廷費予算で主として処理するものは、いわゆる賜冠の儀と称する成人の冠を天皇がたまうという儀式でございますが、これ並びにあとは加冠、朝見の儀、それから祝宴、こういう儀式に一応宮廷費からそれぞれ賄いまして処理をいたそうといたしております。  なお、そのほかに三殿に奉告されるとか、あるいは浩宮殿下が主催をして恩師でありますとか学友でありますとか、あるいは昔いろいろお世話になった人というのをお招きになって茶会をやられる、あるいは若干の記念品を出されるというようなのはすべて内廷費から処理する、こういうふうになっておりまして、これが内廷費の所用としましては約七百万ばかりではなかろうか、かように計算をして実行しつつあるところでございます。
  210. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 時間が来ておるわけでございますけれども、もう三十分ばかり質問の予定というのですか時間がかかるようでございますので、後刻続きをさせていただきたいということで後の方に譲りたい、このように思います。
  211. 木野晴夫

    木野委員長 次に、中路雅弘君。
  212. 中路雅弘

    ○中路委員 できるだけ短縮して御質問したいと思います。  先ほども若干御質問がありましたけれども法案の前にもう少しお聞きしたいのですが、二月十一日の建国記念式典の問題ですが、二年前にこの奉祝国民大会に政府が後援する際に、先ほどお話しのように、宗教色、政党色をなくして、出さないということを条件に付されたわけですが、それまでの、七七年までの奉祝大会を十分検討されてこうした条件もつけられたんだと思いますけれども、後援されるについて奉祝大会の中身について十分検討されたのかどうか、まず長官にお聞きしたい。     〔委員長退席、塚原委員長代理着席〕
  213. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 事務当局をして十分検討いたさせました。
  214. 中路雅弘

    ○中路委員 この問題で長官にお会いした際に、私も主催団体についてもお話をしまして、たとえば勝共連合も主催団体の一員に入っているとお話ししましたら、長官がその際に、入っているのかどうかということで、すぐ事務局に、同席の方に問い合わされているのを見まして、長官自身がそれほど検討されてないんじゃないかという感もしたのですが、昨年はこの大会は日本青年館で行われております。一昨年は国立劇場でやられていたわけですね。政府が後援の前までは、明治神宮の神宮会館で行われていたわけですが、昨年、一昨年と会場が変えられているわけです。これはそうした政府後援の際の条件とも関連して考慮されたのではないかと思うのですが、いかがですか。
  215. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 まず、主催をいたしますに協賛する団体が七、八十あるようでございまして、その中の一つ承知しておらなかったということは事実でございます。  それから、明治神宮会館についてでございますが、実は私、当日参りまして、会が始まります前に、ちょうど委員長であります黛さんと隣り合わせましたので、この会館を使用した経緯について若干お尋ねいたしましたところ、いろいろ会場を当たったけれども、この会場しか予定できなかったということで、もっぱらそうした会場探しの結果決定したものである、他意はないことであるという向きのお話がありましたので、私もさようなことだと存じております。
  216. 中路雅弘

    ○中路委員 一昨年も明治神宮会館を決めていたわけです。しかし、政府後援ということの関係で会場が変更されているのですね。これは、明治神宮会館というのが宗教法人明治神宮の所有で、所管はその明治神宮の社務所、いわゆる宗教の施設の一つなわけですから、そういった点で、一たん決めてあったわけですけれども、政府の方が宗教色、政党色を出さないということを条件にした関連もあって、わざわざ決めた会場を変更して、政府後援の一昨年は国立劇場でやられたわけです。だから、ことしはたまたま会場がなかったから神宮会館でやるんだというのは少し詭弁じゃないか。一昨年、条件をつけた際に、一たん決めてあったところまで変えてやられたわけですよ。これはどういう経過なんですか。
  217. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 昨年の経緯をお話しいただいておりますが、いま事務当局からお聞きをいたしましたら、昨年申請のありました段階では、その経過についてのいかんは私ども存じませんが、すでに会場を決定をされてこられたということでございまして、変更云々のことについては私ども承知しておらないとのことでございます。
  218. 中路雅弘

    ○中路委員 政府の後援の前までは、国民奉祝大会というのを、たとえばこれは一九七七年、十一回目の奉祝大会を見ますと、午前中から全部通して奉祝大会になっています。午前中は明治神宮の紀元祭へ代表が参列をして、そこで玉ぐしの奉奠もされているわけですし、これは神社新報という機関紙に内容が詳しく出ていますけれども、そして奉祝大会は午後の部が続いているわけですね。それが明治神宮会館へ会場を移して、奉祝実行委員会の主催するのが行われているということで、明治神宮会館でいままで行われてきたのは、その午前中の玉ぐしの奉奠も含めました紀元祭の参加、そういったのを全部含めた奉祝大会としてやられてきたわけです。だから、明治神宮会館で行うということは、その大会の会場として当然だったわけですね。政府が後援になるということもあって、一昨年、私も調べましたけれども、一たん借りてあった会場を一応変えた。政府の方は、今度は午前中のことは知らないんだ、午後の式典だけ後援したんだというお話ですけれども、これは余りにも詭弁なんですね。  今後の場合も、長官御出席ですから御存じですけれども、集会の冒頭に、司会者、運営委員長を初めとして代表が、明治神宮に紀元祭に行ってきたということも報告されて、そしてこの集会が始められているわけですから、政府はそれまでのことを知らないと言っても、大会の参加者、主催者は、それ全体を通してやはり一つの奉祝大会ということで進めている、経過からいくと、それを事実上後援されているということになるんじゃないですか。主催者自身の大会ということですが、午前中の経過を見ましても、わざわざ午前中の行事について、午後から参加された方に、皆さんの代表が参加して午前中はこういうことをやられたということも大会で報告されて、続いてこの式典が開かれておるわけです。この点はどのように理解されておりますか。
  219. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 真実紀元祭なるものを承知いたしておりませんので、あくまでも奉祝記念式典はそのままに開かれておるものだというふうなことでございますので、詭弁を申し上げているつもりはさらさらない次第でございます。
  220. 中路雅弘

    ○中路委員 事実上宗教法人の施設を使用されているということにも、私は、政府の後援の条件も今回の場合は踏みにじられているということもはっきり指摘せざるを得ないわけです。  先ほども若干ありましたけれども、この式典の中身ですね、長官は終わりまで出席されていたということですから、長官自身が御存じだと思いますが、先ほど会長のあいさつが会を代表するすべてだとおっしゃったんです。しかし、運営を見ますと、やはり運営委員会が会の中心なんですね。閉会のあいさつもみんな運営委員がやっております。そして先ほどお話しのように、黛運営委員長の式典の運営委員会を代表してのあいさつは、まさに憲法改正を目指す集会というのが、あいさつの中身を見ますと中心のテーマになっていますし、閉会のあいさつは、運営委員の清水さんが三点述べています。第一点は、来年から国、政府の主催にしてもらおうということ、二番目が、建国の日というのを昔の紀元節に改めようということ、三番目に徴兵制を主張されている。この三点が会のまとめの閉式のあいさつです。  長官は最後までこれに出席されているわけですが、少なくとも運営委員長のあいさつの中心は、先ほども紹介がありましたように、憲法改正ということが中心であるわけです。憲法を厳守しなければいけない国会議員、政府、閣僚が、こういう式典に後援者として、そして政府を代表してごあいさつをされるということは、明らかにこれは最初の条件も全く踏みにじった非常に問題の集会だと私は思うのですが、長官自身出席されて終わりまでおられて、この最後の、来年から政府の主催にしてもらおう、あるいは建国の目じゃなくて紀元節に改めよう、徴兵制も一つ主張されている、この閉式のあいさつについて、長官自身のお考えはいかがですか。
  221. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 先ほども上田委員に御答弁申し上げましたが、この会の主たる催した意義につきましては、会長式辞に尽くされているものだと思います。ただ、その他の方々からいろいろ御発言がありましたことは事実でありますが、そのことは、直接的にその会において決定いたすべきものだというようなことであっての発言だと私は理解しておりません。  それから中身につきまして、憲法改正についていかような発言、言辞を使ったか、現在記憶に定かでありません。特に、黛さんはなかなか言葉が巧みな方でもございますので、いろいろと上手にお話しておったのではないかというように私どもそのときはお聞きしたわけでございます。それから、清水さんの発言も聞いておりましたが、私が記憶しておりますのは、総務長官がここへわざわざ出席をしてもらっておるが、あなた自身は悪い人ではないと思うけれども総務長官でなくて政府でやれというような意味の御主張がありましたが、私は私の判断で出席いたしておることでございますので、総理府後援という姿が望ましいことだと思いましたので、先ほど申し上げましたように、特にそれ以上の留意をそばだたせなかった、こういうことでございます。
  222. 中路雅弘

    ○中路委員 先ほども要請がありましたけれども、ことしのこの式典の中身については、政府が後援されているわけですから、主催された方から一度正確にとっていただいて、御報告をいただきたいと思うわけです。  これは主催者の記録ではありませんけれども、出席された方の記録の中ではたとえば黛式典委員長のあいさつの中では、元号法制化をかち取ったが、しかも多くの問題が山積している、靖国神社の問題、有事立法の問題、国家機密保護の問題それらすべてにつながる憲法改正の問題、ここで大拍手が起こっている。また、式典の閉式のあいさつで、運営委員の清水幾太郎さん、元学習院大学教授として紹介されていますけれども、そろそろ来年あたりから首相出席のもとに、日本国政府主催のもとに本日の式典は行われるべきだ、あるいは建国記念の日を改め、もとの紀元節に改める、日本の運命は再び危ういものになっている、祖国が赤い血を流したようにわれわれも赤い血を流し、身命を君国にささげるという覚悟を持たねばならないと言って、徴兵制をその後主張されているわけです。  だから、こうした点についてはもう少し正確に御報告をいただいて、私は、政府が後援されているということについてやはり重要な問題だと思いますし、また、国民すべてが祝われるということで条件をつけられていますが、主催者を見ましても、中心は一部の宗教団体と一部の右翼団体というのが主力です。詳しく申しませんけれども、後のパレードの部隊を見たらわかるわけです。決して国民全体が奉祝されるような集会ではないわけですから、政府が主催される、しかもことしのようにもとへ戻りまして神宮会館を使用してさらにやるということは、最初条件をつけた政府自身の条件も踏みにじっているわけですから、建国記念の日についての論議はここでいたしませんけれども、ことしの集会については、皆さんの方からどういう集会の中身だったのかということはぜひ御報告いただきたいと思うのです。重ねてお願いしますが、いかがですか。
  223. 小渕恵三

    ○小渕国務大臣 先ほども御答弁いたしましたが、主催者側にその資料の存否等まだ確かめておりませんが、努力いたしまして資料を集めてみたいと思います。
  224. 中路雅弘

    ○中路委員 資料を集められた上で、ことしの集会に参加をされたことが最初つけられた条件からいってどうだったのかという御見解も含めてひとつ出していただきたいと思う。改めてまた論議をしていきたいと思います。  それから、法案について二、三お聞きしておきたいのですが、内廷費及び皇族費改定するときの基準の問題で、いままでと同じように、皇室経済会議決議を受けた定額変更を要する理由、これに基づいて行われていると思うわけですが、具体的に物件費の場合は東京都の消費者物価指数人件費国家公務員のアップということで出されていますが、今度この基準に基づいて検討された具体的な結果について御報告をいただきたいと思います。
  225. 中野晟

    ○中野政府委員 お答え申し上げます。  いま御質問ございましたように、内廷費皇族費定額改定につきましては、皇室経済会議の御審議を経まして、四十三年の十二月の開催されました皇室経済に関する懇談会におきましていろいろ審議がございまして設けられましたルールと申しますか、原則として物価趨勢職員給与改善等によって算出される増加見込み額定額の一割を超える場合に実施するということでございますけれども、これによりまして四十五年度以来実はやっております。今回もこのルールに従いまして、消費者物価指数が三年間で一六・九%、それから三回の給与改善率が一五・一三%の上昇である。これらにつきまして上昇率を乗じた後に、予備的経費一割を加えまして、内廷費につきましては一六・三%の増、それから皇族費につきましては一五・九%の増、一割を上回るわけでございまして、この数字によりまして額を二億二千百万円、これは内廷費でございます。皇族費につきましては二千四十万円という形で改定お願いするということでございます。  ただ、五十五年度につきましては、大変経済情勢が厳しいという状況でございますので、諸経費の節減につきまして一層御工夫お願いするというようなことから、半年実施を繰り下げるような形で算定するということにいたしまして、内廷費につきましては七・九%増の二億五百万、皇族費につきましては八%増の千九百万円ということでお願いしておるわけでございます。
  226. 中路雅弘

    ○中路委員 いまおっしゃった方式で、より定額アップが合理性、妥当性があるように一見見えるわけですけれども、実際はこの内廷費皇族費皇室皇族の私的費用であるということで、いままで実態については公表を差し控えておられるわけですね。いままでの御答弁ですと、過去の通例によるとということで支出の構成比についてはお話をされているわけですが、内廷費の場合、人件費と物件費の割合を一対二の割合で、さらに合計の一〇%を予備費として加えているというお話ですが、大体全体の過去の構成比というのはいまも変わらない、これを基準にされているのかどうかということをお尋ねしたいのです。
  227. 中野晟

    ○中野政府委員 内廷費の構成比でございますけれども、内容の内訳と申しますか、従来、割合で申し上げておるわけでありまして、これはそれほど変化というものは実はないわけでございまして、しかも大体申し上げております割合が、たとえば三年間の平均とかそういう形になっておりますので、ほとんど変動がございません。
  228. 中路雅弘

    ○中路委員 ほとんど変動がないといういまの御答弁ですが、だから、この数値を逆に現行定額に割り掛ければ一定の数値を出すことは可能ですけれども、しかし、それが現実の内廷費の支出実態を示すものであるかというと決してそうでないと思いますし、だから、出されている法案の是非を判断する材料、十分な根拠となるそれがいつも提出されないということになっていると思うのです。第一番に、昭和四十三年以降すでに五回の定額改定を行っておられますが、そのたびにいままでの公務員賃金と消費者物価上昇率を掛けていくわけですが、公務員賃金と消費者物価上昇率とは一致したことはいつもないわけですね。当然人件費、物件費の比率というのは変動していなければならないわけですが、改定のたびに大体一対二を前提で算出を繰り返されるということになれば、やはり本当に検討する実態が出てこないと私は思うわけです。  それから、もう一つお尋ねしておきたいのですが、宮内庁定額で過不足を生じた場合ということで、昭和二十二年に不時の支出のためということで、当時の金額で千五百万円の有価証券を含めた預貯金として運用されているわけですが、この実態についても、これは私的ということで明らかにされていませんが、大まかな中身については御報告していただくことはできますが。
  229. 中野晟

    ○中野政府委員 最初の定額の物件費と人件費との割合で、これは片っ方は消費者物価指数使い、片っ方はベアを使うのだから、したがって、この率に相違があるわけなんであって、一定の割合というものが変わるわけじゃないかという御指摘だと思います。そういうことで率がまさに違うわけでございますけれども、その差というものはそれほど実はウェートとして出てこないわけでございます。それともう一つは、たとえば五十二年度の場合におきましては物件費を一割カットしたというようなこともございまして、したがって相対的に比率が若干変わるというようなこともございました。たとえば五十二年度の人件費と物件費を見てみましても、定額の方におきましても大体人件費の割合が二対一ぐらいに実はなっておるわけでございます。したがって、定額の物件費と人件費との割合、それから内廷費の方の物件費と人件費とのウエートが少なくとも現在の段階ではおおむね同じような割合を維持しておるということが言えるかと思うわけでございます。  それから二点目の問題でございます。  新憲法の発足いたしましたときに、皇室の所有する財産はすべて国に移管されることになったわけでございますが、その際に不時の用に充てるためということで千五百万、御質問にございましたように預金を留保することが認められたわけでございます。物価がこの時期には大変上昇いたしておるわけでございまして、当時の定額の増額が十分でなかったということなどもございまして、当初千五百万円の一部を取り崩さざるを得ないような状況が続いたため、千五百万円をかなり下回ると申しますか、そういうことになったわけでございますが、その後運用の面におきまして努力をいたしておるわけでございまして、また一方、内廷にある方々の御結婚によりまして、この方への支出もあるということが実はあったわけでございます。私ども内廷基金を幾らでも多くすればよいということを実は考えていないわけでございまして、当初不時の用に充てるためということでございますので、そういう用に充てる程度のものを保有するように努めたいと実は考えておるわけでございます。  なお、この問題につきましては私経済に属する問題でございますので、額などにつきまして申し上げることは差し控えさせていただきたいというふうに存じます。
  230. 中路雅弘

    ○中路委員 定額アップというのは一応の方式としてあるわけですけれども、しかし、なかなかこれだけでは支出の実態というのが事実上明らかにされないわけです。「註解日本国憲法」という書籍を見ましても、「本憲法皇室の存続を承認すると共に、天皇の神秘性を払拭してこれを真に国民皇室たらしめんとし、その立場から皇室の財政についても、従来国民から隠秘されていた経済を明朗化して、国民の疑惑を一掃するために、これを国の財政の一部となして、皇室の自律主義を廃止した。」というふうにも書かれておるわけですが、こうした精神からいって、もちろん支出、収入の細かい私的な経済を言っておるわけじゃないのですが、全体として実態を明らかにされないと、このアップ自身が妥当なのかどうかということの審議もなかなかできないわけです。  そういう点で、これまでずっと同じ方式を採用されておるわけですけれども宮内庁長官皇室経済会議のメンバーとして出席されておるわけなんで、この皇室経済会議で決められました、昭和四十三年ですか、皇室経済会議の議員懇談会で定式化された方式について、改めて妥当なのかどうかという御検討も一度していただく必要があるのではないかというふうに私は考えるわけですが、いかがですか。
  231. 富田朝彦

    富田説明員 いま御意見を承ったわけでございますが、物件費に見合う消費者物価上昇率、人件費に対応します公務員給与改善率、これは先ほどちょっと経済主管から御説明を申し上げましたけれども、毎年全く同じ姿というのじゃなくて、やはり微動はいたすわけでございます。ことに人件費が若干じり高と申しますか、そういう傾向を示しております。これは国家公務員給与に準じて処遇を極力いたしたいという観点がらそういう姿が出ておるかとも存じますけれども、そういうことがございますので、どうしても物価公務員給与改善人事院勧告というものが非常に相関連しておる部分が多いのだという御指摘は私もよくわかるわけでございますけれども、いま申しましたような内部に相当大きなウエートをする、五十二年の折には三三%と申し上げたかと思いますが、その後三五%になったときもあり、ここ数年をあれしてみますと三四%ぐらいを示しております。  そういうことから言いまして、昭和四十三年にいままでの皇室経済の歩みや道筋というものをいろいろ研究され審議されまして、そこでそのときの総理大臣給与のアップにスライドさしたらとか、いろいろな意見もあったようでございますけれども、一番中立的なと申しますか、そういうようなことで平均した一般公務員改善率、それからいろいろな諸経費が物価の高騰によって圧迫をされるわけでございまして、そこは非常に御工夫を願っておるわけです。  実は五十四年度においても、われわれ事務段階のあれでは、いまお話しがありましたいわゆる原則、これに照らしますと、すでにそれを超えておる、と同時に、人件費なんかもある程度処理しなければならない、そういう数値が出てまいっておりまして、これをどう措置するか、いろいろ苦心、工夫をいたしたのでございますが、やはりそれほど大きく上回っておるわけでもないという状況から、昨年度はいわば一応見送ったわけでございます。それが本年にずれ込んできておるという事実はございます。そういう形でぎりぎりのところまで、多ければいいというものではございませんから、ぎりぎりのところまで御工夫を願って、いよいよのところで皇室経済会議審議を経て国会の方に御提出を申し上げる、そして御審議をいただきたい、こういうことで本年はお出ししたような経緯でございますので、その点をひとつ私の気持ちとともに御了承いただければと存じます。
  232. 中路雅弘

    ○中路委員 私も、天皇が象徴天皇としての職にある、いわば特別公務員とも言えるような立場にあられるわけですから、それに必要な支出というのは認めるわけですけれども、しかし、妥当かどうかということを検討する際の合理的な根拠がなければいけませんから、五回にわたって同じ方式で一応いままで定額アップをされてこられたわけですから、この方式についても、この次の機会には一度御検討を願いたいということを重ねて要請もしておきたいと思うのです。  というのは、特殊で、構成が違うので、単純な比較はできないというお話もありますけれども、たとえば今度の改定後の定額内廷費の場合で見ますと、五十四年度のベースアップ後の国家公務員の平均年収手取り額――この内廷費皇族費も所得税法第九条一項で非課税になっていますから、平均の手取り収入額は、いただいた資料で見てみますと、国家公務員の平均の場合は三百二十六万五千円ということになりますから、これの約六十数倍ということになっているわけです。あるいは先ほどお話しの総理大臣の税引き所得千五百七万四千円の十三、四倍ということにも当たるわけですから、税込みの名目収入で試算すると大変な額になります。こういった点で見ると、いまの国民生活実態から見て、果たして妥当性があるということで受けとめられるかどうかというふうにも思うわけです。そういった点でも、実態についてもう少し明らかにしていただきたいし、この方式についてももう一度検討していただきたいということを重ねてお願いをしておきたいと思います。  大変短い時間で私きょう御質問するというお約束なので、あと一問だけ、一つの問題だけ。これは午前中同僚議員も質問されましたので、簡潔にお聞きしたいのですが、例の葉山御用邸の問題です。  昭和四十六年の一月に御用邸が焼失してからずっとそのまま放置されていたわけです。四十九年の二月十九日に本委員会で私がこの問題を取り上げまして、焼失されて三年余そのまま放置されている、どうされるのかという御質問もし、また、地元のいろいろ声もお伝えもしまして御質問しました際に、当時のたしか宮内庁次長瓜生さんでしたか、御答弁の中で、再建とともに一部開放も検討するという御答弁がありました。本邸の再建との関連で、一部開放の可能性というのは、対象は付属邸を中心に検討しているということがありまして、それから後の四十九年の三月二十日に葉山町議会の、再建とともに敷地の一部を払い下げてほしいという決議が皆さんの方にも寄せられてまいりまして、何度かこうした要請が来ていると思います。昨年の暮れも、十二月二十四日に、これは町議会が満場一致で葉山御用邸付属邸の払い下げ決議についてというのを寄せられています。いよいよ再建の方も、私も聞きましたら、本邸の方ですね、相当外壁も終わっているようですけれども、いつごろこの御用邸の本邸の方の工事が完成をするのか。また、付属邸の一部を移築するというお話もありますから、それを含めまして、本邸の完成は大体いつごろなのか。また、本邸が完成しますと、この使用はどういう形になるのか。那須、須崎の方にも御用邸がございますし、それとの関連で、葉山の方の再建された御用邸はその後どういうふうなお使い方になるのか、あわせてお聞きをしたいと思います。
  233. 富田朝彦

    富田説明員 お尋ねの、葉山御用邸の建設の現状でございますが、五十三年度から着工いたしまして、委員ごらんになられましたように、現状は二年を経過しているわけでございますが、三年目に入りまして、五十五年度で本邸は完工になる予定で工事を取り進めております。現在は六割方と言ってよろしいかと思います。  さらに、並行して一部作業を進めておりますけれども、いわば焼け跡の整理に関連をした庭園の造成の問題でありますとか、あるいは付属施設の整備、それから、皇宮警察なんかの施設もその中に入りますので、そういうものとの関連というようなことで、最終年度を五十六年度ということに置いております。  したがいまして、御使用ということになりますれば、何か急なことでもありますれば別でございますが、五十六年度に完工をいたしました暁というふうに一応考えております。したがいまして、集約した後をどうするかという問題、土地の問題等は、その時点において具体的な問題として登場してくる性格のものであろうと存じます。  付属邸の方は、大正八年かにできました建物がそのまま残っておるわけでございますが、これも由緒のある数室だけを本邸の中に木造建築として取り込むということで移築をする予定でございます。これも徐々に進んでおることと思いますが、そうなりますと、こちらの方のいわば土地の有効利用という観点からの解体という問題も起こってくるかと思います。そういうものも五十六年度に入るというふうに一応考えております。  その跡の始末でございますが、これはいま委員がおっしゃいましたように、地元葉山の皆さん方、ことに町議会に集約されました御意見というのは、ぜひ再建をされたい、また、その跡地を有効に地元のために活用をしたいという御趣旨と受け取られます決議等がなされておるわけでございます。これは現物は実は来ていないのでございますが、昨年十二月にその決議があり、こういう内容であったということも十分承知をいたしております。承っております。そういうことでございますので、これを用途廃止をしまして、国有財産として大蔵省に一応引き継ぐ形になるわけでございますが、そういう際に、これは別に法的な権利としてこちらが言うということではなかろうと思いますが、当然、その用途廃止をして移管をするということに関連した経緯説明なり、そういうことは十分なしておくべき責任があろうかと存じますし、そういう過程におきまして、御用邸の地元との非常に長いおつき合いといいますか、そういう因縁、それから、ここで即位の儀があったというようなことから、そういうことを十分経過として申し継ぎをいたしまして、さらに、地元の皆さんの要望を十分検討をされて、さらに、公的なものとして十分考えてほしいというような要望と申しますか、希望は当然その過程の中でつけることだと存じます。そういうふうに取り扱いたいと思っております。
  234. 中路雅弘

    ○中路委員 これで終わりますが、そちらの方には決議文がまだ行っていないというお話なので、こちらにありますから、きょうにでもお渡ししますけれども、私どもの方の二名の議員を含めて、全員の議員が連署をした町議会の決議になっています。昨年の十二月二十四日に決議されたものですが、町長もまだ跡地の計画については具体的に提出をしていませんけれども、払い下げということもありますけれども、できたら国の方が所有をしたままで、有効に地元に貸していただいて使用したい。私も現場に入らしていただいて見ましたけれども、自然も非常に残されたところですから、あれが壊されるということになると、どういう利用でも大変だと思いますし、隣接して御用邸がまた再建されているわけですから、一般財産と同じような形で今度大蔵省が跡を扱われるということになると大変なことだと思いますので、十分地元の意思も尊重していただいて、最初のお約束のように、そういうことで地元のために有効に――いま維持するだけでも大変なんですね。地元の方がみんな勤労奉仕で草刈りなんかやっておられるんですよ。そういう意味では、そういう皆さんの意思にふさわしい方法でひとつ活用さしていただけるように、いずれ皇室財産から大蔵省の方に一度移るのだと思うのですが、その際に、いまお話しのように、宮内庁の方からもその経過については大蔵省に十分意思が伝わるような形でお願いをしたいということを重ねてお願いしておきたいのです。一時、民間のデベロップの話もあったんですね。そういうことがうわさで出たのですが、そういう開発ということになりますと大変なことにもなりますから、その面はぜひとも、いま地元のこうした満場一致の超党派の決議もあるものですから、その意思に沿ってひとつ活用できるように、大蔵省とも十分話をしていただきたいということを重ねてお願いをして、御答弁をいただいて終わりたいと思うのです。
  235. 富田朝彦

    富田説明員 ただいまの御要望、御意見を十分踏まえまして、地元の方々のいわばお役に立つように、また公共的な性格を保存できるようにという私どもの希望、意見を十分大蔵当局にその時点においてお伝えをしたいと思っております。
  236. 中路雅弘

    ○中路委員 終わります。
  237. 塚原俊平

    ○塚原委員長代理 上田卓三君。
  238. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 引き続いて御質問申し上げたいと思います。  文部省の方がお見えでございますので、靖国神社及び神社神道に属する各神社は、戦後のいつごろ宗教法人法によって登録されたのか、その点をお答えください。
  239. 安藤幸男

    ○安藤説明員 お答え申し上げます。  戦後、宗教法人令がまず出まして、それに基づきまして昭和二十一年に大方の神社が法人格を所有するに至ったわけでございますが、靖国神社は、昭和二十一年七月二十三日に宗教法人として設立されております。その後、宗教法人法が施行されまして以降、昭和二十七年の九月五日付をもちまして、宗教法人法による宗教法人として設立されたわけでございます。
  240. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 靖国神社には、宗教法人法第二条に言う、宗教団体に値する礼拝の施設の数はどのぐらいありますか。
  241. 安藤幸男

    ○安藤説明員 数ということで数え上げるとかなりあるのでございますが、主たる施設は、本殿、拝殿、記念殿、社務所、神饌所、神門、手水舎等約十カ所ぐらいございます。
  242. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 鳥居とか神殿は、神社神道の宗教的施設に含まれますか。鳥居などはどうですか。
  243. 安藤幸男

    ○安藤説明員 鳥居が必ず神社神道であるかどうかということにつきましては、仏教の場合でも鳥居を持っているところもありますので、必ず鳥居が神道の性格を持つということにはならないかと思います。
  244. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 神社神道によるところの宗教的儀式行事は、大体何種類ございますか。
  245. 安藤幸男

    ○安藤説明員 すべての神社について共通のというのは、ただいまちょっと資料がございませんが、靖国神社につきましては、大きな行事といたしましては春季例大祭、みたま祭り、秋季例大祭それから靖国講社祭、こういったものがございます。
  246. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 そうすると、新年祭とか春と秋の例大祭は宗教行事ですね。
  247. 安藤幸男

    ○安藤説明員 おっしゃるとおりでございます。
  248. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 神社という名称からも、靖国神社が宗教団体であるということは明白だ。また、宗教法人法によって登録されているということですから、宗教団体ですね、それを確認しておきます。
  249. 安藤幸男

    ○安藤説明員 宗教団体であるという証明は、靖国神社が設立される際に、靖国神社の側から出ております。したがって、宗教団体であることに間違いございません。
  250. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 これは、先ほども私申し上げたのですけれども、仏教あるいは神道各宗派がたくさんあるわけでございますけれども、とりわけ靖国神社は、私から言いますと、宗教性は非常に強烈なものがあるわけでございますが、同時に、非常に偏狭性があるのではないか、こういうふうに思うわけでございます。それは、特に第二次の世界大戦の犠牲者を一つとってみても、それが明らかでありまして、たとえば広島の原爆で亡くなった六十万の広島の市民、県民、また長崎で亡くなった二十万人の市民、県民、あるいは日本の軍部に駆り出されて、とうとい命を落としたところの台湾や朝鮮の人々、日本の侵略によって犠牲になった中国の約三百万人の人々に靖国神社は全く背を向けておる、こういう現実があるわけでございます。  そればかりか、何度も申し上げておりますように、この靖国神社はいわゆる天皇を押し立てて戦争を起こしたいわゆる戦争犯罪人である、張本人そのものである、こう言わなければならないわけでございまして、そういう戦争犯罪人、張本人としての、そういう一番活躍したところの、中心的活躍をしたところの軍人や軍属を祭っておる、こういうことでございまして、そういう点で、それが靖国神社の教義だと言えばそれまででございますけれども、やはりそういう性格だと私は認識しておるわけでございますが、あなた方は一体どのように認識されておるのか。私がいま言った事柄について否定される部分があれば、ひとつ否定していただいて結構だ、こういうふうに思います。
  251. 安藤幸男

    ○安藤説明員 個々の宗教法人の教義の中身にまで立ち入ることは宗教法人法上行政機関に許されておりませんので、中身の点につきましてはお答えを差し控えさせていただきたいと思います。
  252. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 先ほど私が申し上げたように、広島とか長崎とか、あるいは日本の軍部によって駆り出されたところの台湾人とか朝鮮の人々とか、あるいは中国の人々とか、そういう人の霊を祭るということにはなってないですね。それだけ答えてください。
  253. 安藤幸男

    ○安藤説明員 靖国神社における合祀の対象の中に長崎、広島等の戦没者が入っておるかという御質問でございますが、私どもが調査したところでは、それは入っておらないというふうに聞いております。
  254. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 天皇は皇居の堀を越えたすぐ隣にありますところの千鳥ケ淵墓苑にこれまで幾度足を運ばれ、多くの戦死者の追悼をされたことがあるか、具体的にひとつお答えをいただきたい、このように思います。
  255. 富田朝彦

    富田説明員 千鳥ケ淵戦没者墓苑は昭和三十四年の春にあの地に竣工され、それから春夏のお祭りが行われていると承知をいたしております。春の祭りは厚生省が主催をし、秋の祭りは墓苑奉仕会、こういう形で行われておるように承知をいたしておりますが、天皇皇后両陛下は今日まで竣工追悼式の折から去る五十年の十一月の間、合わせまして四回お参りでございます。皇族は、皇族同士で必ず春、秋のどちらかに出ようというようなお話し合いもあるようでございまして、今日まで通じまして三十三回出ておられます。そういう状況でございます。
  256. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 三十三回ということでございますけれども、われわれ国民の目から見れば、何か天皇家は靖国神社というものを中心に置いて――本当にそういう戦犯を除くところのすべての戦没者に対して平等に追悼するということが大事ではないか、そのことが第二次世界大戦を深く反省する具体的な行動ではなかろうか、私はこういうふうに考えますし、また、そのことが天皇の義務であってしかるべきではなかろうか。天皇のもとにおいて多くの犠牲者が出ておるわけでございまして、何も靖国神社に祭られておる魂だけが大戦での戦没者ではない。いわんや、あえて言うならば、そういうところに祭られておる人こそが戦争の張本人といいますか、犯罪者と言ってもいいような状況にあるのではないか、決して英雄視されるべき問題ではない、こういうように考えておるわけでございます。そういう意味では、天皇だけじゃなしに、政府の要人、総理大臣においても、公人、私人を問わずそういう差別のない行動があってしかるべきだ、こういうように思いますので、つけ加えさせていただきたい、このように思います。  時間の関係もございますので、次の点に移らしていただきます。     〔塚原委員長代理退席、委員長着席〕  元号にも絡んでまいるわけでございますけれども、たとえば天皇の即位とかあるいは御喪儀というものがあるわけでございます。これらの方法については国会の議を経て行わなければならないことは私は当然のことだろう、こういうように思うわけでございます。そのことは同時に、わが国においては少なくとも近代国家にふさわしい非宗教的な形をとる必要が絶対ある、こういうように思っておるわけでございます。もしも古い形式をそのまま適用するということになれば、すなわち践祚から喪儀、即位礼から大嘗祭までおよそ二年間にわたって六十以上の儀式が積み重ねられなければならない、こういうことが先般の国会でも明らかになっておるわけでございます。一九七八年の十一月に宮内庁はこれらの主要儀式をメモの形で明らかにされておるわけでございますが、従来の規模で行ったときの費用も計算しているのかどうか。そういう点の詳細についてお聞かせいただきたいし、また、現在の皇室予算の何倍ぐらいの予算が実際要るのかということにつきましてもわかればお聞かせいただきたい、こういうように思います。  要するに、国会での議を経ることもなくこれらが決められないということは当然のことではないか、こういうように思っております。そこで、これらの行事決定の際の基準が非宗教的、非政治的なもの、すなわち憲法の枠内に置かれなければならないということは当然でありますが、この点について、基準も含めてひとつ明確にお答えをいただきたい、このように思います。
  257. 富田朝彦

    富田説明員 皇室典範の二十四条、二十五条に大喪の礼並びに即位の礼のことについて規定がございますが、そういう事態が生じました場合の事柄については、研究すべきものは研究を進めておるというのが現状でございます。その際に、皇室典範規定しましたいわゆる礼という、これは新しく即位をされた天皇が前代の天皇の御喪儀をとり行われ、またみずからの即位の礼を行われる、こういうことになるわけでございますが、これは当然天皇憲法の七条に規定しております国事行為の儀礼として行われる行為でございます。したがいまして、これは当然憲法の趣旨、条章をきちんと守った形においてとり行われるべき事柄でございます。したがって、そういうものの中に古来の伝統ある文化的なにおいというようなものをどう残すべきかというようなことは、これは工夫の仕方であろうかと思いますが、大きな枠は、そういういま申した枠の中で考えられることだと存じます。しかし、そのほかに皇室独自の各家庭でもございますような事柄がございます。これはいわゆる国の行事ではなくて、皇室の独自の行事として考えらるべきものがあるわけでございます。これもいまどういうふうにいたすべきか、いろいろな時代の推移もございますから、そういうことを十分しんしゃくしつつ研究を続けておるところでございます。  費用の点について何かお尋ねがあったように存じました。これは前のときの例しかないわけでございますけれども、大正天皇の大喪の際の大喪費予算総額というのが昭和元年十二月二十九日の官報に載っておるわけでございまして、これが二百九十八万九千百五十一円というふうに記載をされております。ただ、これはいまどうなんだ、こうもし仰せがありますると非常にむずかしいのでございまして、この中にはいわゆるいまで申します警察所用の経費、それから当時の儀仗、それから若干の賞じゅつというようなものも含まれておりまして、小さな解説みたいなものが残って、これは明確じゃないんですが、たしか大蔵省の資料だったかと存じます、実際に直接費というのは半分だろう、こういうあれがあります。それからいまの今上陛下の御即位の際における大礼費総額は千二十四万八千九百十一円、こうなっておりまして、これもいま申したようなもの、さらには当時のことでございますから、観艦式だとかそういうような費用までも含んでおるようにも見える経費でございますが、内容の詳細はちょっとわかりかねます。
  258. 上田卓三

    ○上田(卓)委員 まだ質問したいことがあるんですけれども、大分時間も経過したようでございますので、これでもって終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  259. 木野晴夫

    木野委員長 次回は、来る二十六日火曜日午前十時理事会、十時三十分から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後六時四十二分散会