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1979-12-06 第90回国会 参議院 内閣委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十四年十二月六日(木曜日)    午前十時三十七分開会     —————————————   委員氏名     委員長         古賀雷四郎君     理 事         岡田  広君     理 事         林  寛子君     理 事         林  ゆう君     理 事         山崎  昇君                 源田  実君                 塚田十一郎君                 中西 一郎君                 原 文兵衛君                 桧垣徳太郎君                 堀江 正夫君                 片岡 勝治君                 野田  哲君                 村田 秀三君                 和泉 照雄君                 黒柳  明君                 山中 郁子君                 向井 長年君                 森田 重郎君                 秦   豊君     —————————————    委員異動  十二月四日     辞任         補欠選任      向井 長年君     中村 利次君  十二月五日     辞任         補欠選任      中村 利次君     井上  計君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         古賀雷四郎君     理 事                 岡田  広君                 林  寛子君                 林  ゆう君                 山崎  昇君     委 員                 中西 一郎君                 原 文兵衛君                 桧垣徳太郎君                 堀江 正夫君                 片岡 勝治君                 村田 秀三君                 和泉 照雄君                 山中 郁子君                 井上  計君                 秦   豊君    国務大臣        外務大臣臨時代        理        正示啓次郎君        国 務 大 臣        (行政管理庁長        官)       宇野 宗佑君    政府委員        行政管理庁行政        管理局長     加地 夏雄君        行政管理庁行政        監察局長     佐倉  尚君        防衛施設庁施設        部長       森山  武君        防衛施設庁労務        部長       伊藤 参午君        外務政務次官   松本 十郎君        外務大臣官房長  山崎 敏夫君        外務省アメリカ        局長       中島敏次郎君        外務省欧亜局長  武藤 利昭君        外務省中近東ア        フリカ局長    千葉 一夫君        外務省条約局長  伊達 宗起君    事務局側        常任委員会専門        員        鈴木 源三君    説明員        外務省アジア局        外務参事官    渡辺 幸治君        外務省アメリカ        局外務参事官   色摩 力夫君        大蔵省主計局主        計官       畠山  蕃君        文部省初等中等        教育局教科書管        理課長      藤村 和男君     —————————————   本日の会議に付した案件調査承認要求に関する件 ○外務省設置法の一部を改正する法律案内閣提  出、衆議院送付)     —————————————
  2. 古賀雷四郎

    委員長古賀雷四郎君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  去る十一月十五日、斎藤栄三郎君が委員辞任され、その補欠として私、古賀雷四郎が選任されました。  また、十二月四日には向井長年君が委員辞任され、その補欠として中村利次君が選任されました。  また、昨日、中村利次君が委員辞任され、その補欠として井上計君が選任されました。     —————————————
  3. 古賀雷四郎

    委員長古賀雷四郎君) 議事に入る前に一言ごあいさつを申し上げます。  このたび内閣委員長に選任されました古賀雷四郎でございます。当委員会が所掌しております事項は、きわめて広範かつ重要な問題が多く、職責の重大さを深く認識しております。微力ではございますが、委員各位の御協力を得まして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じます。何とぞよろしくお願い申し上げます。  なお、申しおくれて恐縮でございますが、前委員長桧垣先生におかれましては、長期間にわたりいろいろと御苦労をいただきまして、その御苦労に対し、心から感謝を申し上げます。  簡単ではございますが、ごあいさつとする次第でございます。ありがとうございました。  桧垣委員長から発言を求められておりますので、この際、これを許します。桧垣徳太郎君。
  4. 桧垣徳太郎

    桧垣徳太郎君 先般の委員長交代に至りますまで約一年間、委員長の席を汚したわけでございます。その間、理事の諸先生委員の諸先生方の御指導と御鞭撻を賜り、御協力をいただきましたおかげで、何とか無事に職責を果たすことができました。ここに心から感謝の意を表しまして、お礼のごあいさつといたします。ありがとうございました。(拍手)     —————————————
  5. 古賀雷四郎

    委員長古賀雷四郎君) 調査承認要求に関する件についてお諮りいたします。  本委員会は、今期国会におきましても、国家行政組織及び国家公務員制度等に関する調査並びに国の防衛に関する調査を行うこととし、この旨の調査承認要求書を議長に提出いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 古賀雷四郎

    委員長古賀雷四郎君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  なお、要求書の作成につきましては委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 古賀雷四郎

    委員長古賀雷四郎君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  8. 古賀雷四郎

    委員長古賀雷四郎君) 次に、外務省設置法の一部を改正する法律案議題といたします。  まず、政府から趣旨説明を聴取いたします。正示外務大臣臨時代理
  9. 正示啓次郎

    国務大臣(正示啓次郎君) ただいま議題となりました外務省設置法の一部を改正する法律案について、提案理由及び内容概要を御説明申し上げます。  改正の第一は、中南米局設置であります。中南米地域は域内に三十カ国を有し、国際政治の上においてもその比重を高めつつある地域であります。また、鉄鉱石食糧難重要資源供給先である等わが国との経済的関係も密接であり、さらに九十万人に及ぶ日系人社会が存在し、わが国とは伝統的に友好関係にある重要な地域であります。したがって、この地域に対する外交政策の一層強力な展開のため、中南米局設置し、もって、外交実施体制の整備を図ろうとするものであります。  改正の第二は、中南米局設置に伴いアメリカ局北米局に改め、また総合的外交政策に関する企画業務の強化に対応するため大臣官房調査部大臣官房調査企画部に改め、あわせて、それぞれ所掌事務の一部について改正を行うものであります。  改正の第三は、中南米局設置に伴う行政機構の改革として、情報文化局文化事業部アジア局次長及び外務省大阪連絡事務所を廃止するものであります。  この法律案は、第八十七回国会及び第八十八回国会に提出されましたが、いずれも審査未了となったものでありまして、施行期日に関する附則の規定以外に当初提出のものと内容の変更はありません。  以上が、この法律案提案理由及びその内容概要であります。  何とぞ慎重御審議の上、速やかに御賛同あらんことをお願いいたします。
  10. 古賀雷四郎

    委員長古賀雷四郎君) 以上で説明の聴取を終わりました。  これより質疑に入ります。質疑のある方は順次御発言願います。
  11. 山崎昇

    山崎昇君 本来なら外務大臣出席をして審議をしなきゃなりませんが、大変外交上の問題等もありまして、臨時代理でやるということはこの委員会としては異例のことでありまして、そういう意味では少し私どもこころもちひっかかるものがあるのでありますが、この一部改正案内容がこれまた重要な案件等もありますので、私ども多少の点についてこの機会でありますから質問をしておきたい、こう思うわけであります。  いま提案説明ございましたが、この局を設置することによって外務省人員等々はまずどういうふうになっていくのか、概略ひとつ説明を願いたいと思うんです。  なお、加えまして、少し以前でありますが、外務省からこれだけの定員を当面ふやしてもらわなければ外交活動ができないというので、私ども要請書をもらっておるわけですが、ちょっと数字的にはいま記憶を失しておりますけれども、その点もあわせて御説明をいただければと思います。
  12. 正示啓次郎

    国務大臣(正示啓次郎君) ただいま御指摘のように、大変大事な法律案でございまして、しかも私のような臨時代理で御審議をいただくことはまことに恐縮でございます。  いま御質問の点につきましては政府委員から御説明をいたしますが、基本的な考え方としましては、外務省は非常に局限されました人員機構をもって年々大変大きく伸びていく外交分野のあらゆる問題に取り組むわけでございますが、特に中南米局設置することは、外務省多年の懸案であることは委員各位もよく御承知のところかと存じます。しかも、ただいまのところ人員増加機構の拡大については非常にシビアな政府方針がございますので、それをしのぎつつぜひともこれを実現したいと、こういうことでございます。  詳細は政府委員から数字等について御説明をいたします。
  13. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) お答え申し上げます。  最初に、この中南米局設置に伴って外務省定員がふえるのかということでございましたが、それはふえません。従来中南米関係は、便宜上官房審議官の一名を中南米審議官という名称を与えまして所掌さしてまいったわけでございますが、その官房審議官を廃止しまして中南米局長を設けるわけでございますので、定員増加はこれによってございません。ちなみに、そういう体制ができましたときにどうなるかと申しますと、中南米局局長が一名、参事官が一名、ほかに中南米一課に十八名、中南米二課に十四名、合計三十四名の職員を持つわけでございます。  それから、外務省定員人手が足りないということについて先生の方にもいろいろと御陳情申し上げておることは仰せのとおりでございまして、外務省としましては現在三千四百名の定員を持っております。本省が千五百五十二名、在外が千八百四十八名でございますが、このスタッフでは非常に人手が不足しておるということで、われわれとしましては五千名の定員を何とか実現したいということで皆様にも訴えておるわけでございます。ただ、こういう時勢でございまして、非常に定員管理も厳しい事態でございますので、一挙に五千名に持っていくわけじゃございませんが、六年間でそれを達成したいということで、昭和五十五年度にはその第一段階として二百三十六名の定員増をいま要求いたしております。しかし、これも大蔵省あるいは行管の方からもその数の達成は困難であるという感触を得ておりまして、われわれとしては何とかその最小限度要求を認めてもらいたいということで鋭意折衝を重ねておる次第でございます。
  14. 山崎昇

    山崎昇君 少し最初事務的なことをお聞きしておくのですが、私どもも外へ行ってみて、いま在外公館というのは、大使館あるいは総領事館領事館等々ひっくるめましてどれぐらいあって、そして、二、三私どもも関連する文献等を見ているんですが、大きいところは百名も二百名もありますが、きわめて小さいところですと五名以下ぐらいの在外公館が六十ぐらいあるとも聞いておるわけです。したがって、私ども行っていろいろ聞いてみますというと、実際に日本を代表して活動がなかなかできない、ましてや最近のように国際化が進む、あるいは国際経済分野がきわめて重要性を帯びてくる、そういう専門家配置がほとんどない、こういう話もわれわれ聞かされるものですから、したがって在外公館実態について、簡潔で結構でありますが、お聞きをしておきたいと思います。
  15. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 在外公館配置状況でございますが、実館で申し上げますが、現在大使館は九十九、総領事館が四十八、領事館が六、政府代表部が五、計百五十八ございます。数としては相当あるわけでございますが、いま申し上げましたような定員、つまり在外全部合わせて千八百四十八名しかおりませんので、平均すれば十一名程度ということになるわけでございますが、各館の実情を見ますと、山崎委員からの御指摘のとおり非常に小規模のものが多い。外務省皆様にも御配付申し上げております。パンフレットにもお示しいたしておりますけれども、七名以下の公館が全体の約六割を占めております。また、五名以下のものも半分近くになっておるわけでございまして、こういう状態で、他方日本の国力は非常に伸長しまして、自由世界では第二の経済力を持っておる。したがいまして、どんな小国といえども日本に対する期待は非常に大きくて、貿易の問題あるいは経済協力の問題でもいろいろな申し出があるわけでございまして、それに対応していくためには、四名、五名の館員ではとうてい仕事が賄い切れないという現状にあるわけでございます。私たちが今度定員をふやしていただきたいということを申しております特に重点にいたしておりますのも、そういう小規模公館の充実ということをうたっておるわけでございまして、いまの現状からいたしますと、最小限度どんな小さいところでも八名の規模にしたいというふうに考えておる次第でございます。
  16. 山崎昇

    山崎昇君 いま実態がわかりました。  そのほか私が先ほど触れましたように、最近資源問題一つにしましても、エネルギー問題一つにしましても、あるいは国際的な経済援助問題一つとってみましても、商社の方がきわめて進んでいる。在外公館の方が商社から情報をもらわなければ何にもできないような印象もわれわれ得るわけです。そういう意味で言うなら、これからの在外公館というのは、一般的な外交官もさることながら専門官配置といいますか、そういうものが私はやっぱり相当重要性を帯びてくるのではないだろうか、ますます国際性が強くなればなるほどそういう形のものが必要になってくるのじゃないかと思うんですが、それらについてどんなお考えを持つのか、あるいはまたどんな見通しを持ってやられておるのか、聞いておきたいと思います。
  17. 正示啓次郎

    国務大臣(正示啓次郎君) 詳しいことは後で政府委員が申し上げますが、山崎委員指摘のとおり、本当にただいまのところ外交の中で資源エネルギーを中心とする経済問題、また経済協力の問題も大きなウエートを占めておることは御指摘のとおりでございます。  そこで、私も実は臨時代理で詳しくは存じませんが、いままでの外務省または国の方針は、できる限り各省からも専門家を入れましてその要請にこたえておるように承知をいたしておりますが、なかなか十分とはいってないと、こういうふうな状況であろうと思います。民間協力ももちろん適正な限度において得ることは必要なことと存じますけれども、これが乱に流れますといろいろのまた問題も起こりますので、その点は外交自主性といいますか、日本国を代表する在外公館としてはおのずからりっぱな態度という限界を守るべきであるということは御指摘のとおりだと思います。  詳しい実情等については政府委員から御説明をいたします。
  18. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 外務省はそういうわけでございまして、非常に人手が不足しておりますために専門家配置が意に任ぜないかということは事実でございますが、しかしながらその少ない中におきましてもその相手国母国語が話せるような専門家養成には意を用いておりまして、現在外務省専門職試験というのを設けて、それぞれの土地の言葉を研修させております。ただ、これの養成にもなかなか時間がかかりまして、また現実実際の配置はまだ非常に不足しておるというのが実情でございます。  それから、民間方々が非常にいろいろと情報を収集しておられることは事実でございまして、大使館といたしましてもその点は現地におられる商社方々その他とは十分情報の交換をするように指示してございまして、お互いに大使館として得た情報民間方々に差し支えない範囲で流し、また民間方々情報も御商売に差し支えないような範囲でいただくというふうなことをやるようにということを実は最近も改めて訓令いたしておるわけでございます。ただ、開発途上国のような場合には、何といいましても政府というものが非常に力を持っておりますので、その政府、ことに上層部情報というものは、やはり大使あるいはまたその代理の者ががんばって接触を試み、情報を収集いたしませんと十分なことはできないわけでございまして、その意味においてはやはり大使及び上級館員活動が期待されるゆえんでございます。  それから、大使館現状におきましても外務省だけの人間で運営しているのではございません。先ほど在外全体で千八百四十八名いると申し上げましたが、そのうちには各省庁より、ほとんど全省庁が出ておりますが、各省庁よりの在外公館への出向者は現在二百七十九名に達しております。しかも、この方々はほとんど全部国家公務員上級職試験合格者でありまして、大変大きな戦力になっておりまして、大使を助けて各方面で専門的な知識を生かして活躍していただいておるわけでございます。さらにわれわれとしましては、まだその点人が足りませんので、政府関係機関、特に銀行とか政府関係金融機関とか、そういうふうなところから九名の方を中途採用いたしております。また、民間銀行でも二十三名の人を中途採用いたしております。さらに報道機関出身者の方も五名採用いたしております。その他五名、合わせまして四十二名そういう方を中途採用いたしておるわけでございます。こういう中途採用方々は、そのまま外務省に残られる方もございますが、大部分の方は三年ぐらいおられてもとの民間企業なり政府関係機関に戻られるというふうな形になっております。そういう意味で、外務省としては民間ないし政府関係機関におられる専門家の活用にも十分意を用いておるわけでございます。ただ、これはますますわれわれとしても強化したいと思っておりますが、何分にも先ほど申し上げましたように、定員がふえませんと採用する余地が余りないというのが実情でございます。
  19. 山崎昇

    山崎昇君 それに関連しまして、ことしも私参りましたら、海外交流協会というものがございますが、これもここから派遣されている者がかなり国会議員なんか参りますというとお手伝いで動員をされてくる。しかし、いろいろ聞いてみると、海外交流協会に所属する方々も二年か三年ぐらいで帰ってくるようでありますが、帰ったら就職先ないというのですね。きわめて不安な状態で手伝いをしておる。こういうことを判断しますというと、いまいろいろな御説明ありましたけれども在外公館活動そのものとしては人も少ないし、それからだんだん最近は活動の幅も広がってくる、専門的にもなってくる、こういうこと等考えますと、どうも私は少しまだ在外公館問題点としては解決すべきことがたくさんあるような気がいたします。この点はきょう時間余りありませんから多くのことを申し上げませんが、その点もひとつ配慮を願っておきたいし、それからある——これは名前伏せますが、大使にお会いをしたら、最近現地の意向というよりもほとんど細かなことまで中央から縦で訓令が来る。そういう意味で言うならば、ある人の著書じゃありませんが、大使館無用論なんというのも最近出てまいりました。一体大使館というのは何なんだろうか、こういう疑念さえやっぱり持つ半面があります。そういう意味では、これからの外交のあり方として現地大使館というものをどういうふうにあなた方はやっていこうとするんだろうか。この点も私はことし行ってみまして幾人かの方々から私どもやっぱり要望、意見が出ました。何か余り中央といいますか、東京から細かなことまで一々訓令で来る、これは現地無視ではないかという意見さえありましたけれども、その辺の運営についてお聞きをしたいと同時に、それから先ほど専門職員試験の問題もありましたが、私は最近ある本を読ましていただきました。それはこの肩書きによりますというと、元西独大使館一等書記官高柳芳夫さんという方の本でありますが、これを読みますと、表題は「疲れ切った“日本の顔”たち 実感・外務省批判」と、こうなっておるわけなんですが、中身見て私もびっくりした。ざっと申し上げると、館員なんというのはもう大使、公使の顔色だけうかがっている、私事がまことに多い。また、極端に言えば、余り大使には語学にすぐれた人がいないという点でありますとか、あるいは全く関係のないようなところへ転勤させられるとか、あるいはいま出ました採用試験にいたしましても、キャリアの諸君だけがどんどん、どんどん上っていって専門職員採用試験を受けて受かった者でも、この本によりますというと、五十名の採用のうち一年間に半分ぐらいはやめていっているという驚くべき事実がありますと、こう指摘をされている。外務省内部運営について痛烈な、二十年も外務省にいた人が批判をしています。あるいはまた、私がもう一つ持っておりますのは、これは「財界展望」という雑誌でありますが、「外務官僚の人事・人脈研究」という表題で特集があります。  こういうものを見ても、外から私どもはこの外務省の中身というのはよくわかりませんが、こういう方々の告白を見ると、外務省というのは一体どういう役所なんだろうか、内部はどんなになっているんだろうか、こういう疑問がもうわいてまいります。したがって、いま試験の話も出ましたが、いま二、三指摘いたしましたけれども、そういう点について一体外務省はどんな見解を持たれているのか、この機会にお聞きをしておきたいと思うんです。
  20. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 最初にお触れになりましたのは、例の国際交流サービス協会というところから派遣しております派遣員の問題かと存じます。  これは国際交流サービス協会という団体がございまして、ここと外務省との間で委託契約を結びましてそこから派遣員というものを出しているわけでございます。人数はたしか五十名余りだと存じますが。これは在外におきまして、まあいろいろと空港出迎えをしたり、あるいは便宜供与をしたり、そういうことの仕事がかなりありまして、そういうことについてやっていただくためにそういう協会から人を出していただいておるわけですが、これ非常に若い方々ですが、なかなか意欲のある方々が来ていただいておりまして、大使館としても非常に助かっておるわけでございます。ただ、この方々が三年なり四年なりおられて、日本に帰られたときに再就職の保証がないという場合もかなりあるようでございまして、実はこれはわれわれとしても非常に頭を痛めておる問題でございまして、この点については本人が派遣される企業とも話をして、それだけの経験を積んできたわけですから、帰ったらまた採用してもらいたいということをわれわれとしてもそういう親元の方にも話したりしておるわけでございます。ただ、まだ学生の身分で行っておられる方もございまして、こういう方々現地の言葉を勉強し経験になるから、それからゆっくり就職は探すんだという人もございます。ただ、この方々についての身分が不安定であるということは否めない事実でございますので、われわれとしてもさらにその点についてはいろいろ工夫をして努力してまいりたいと思っております。  それから第二の点でございますが、大使とは何ぞやというお話でございまして、これは確かに最近は世の中が非常に複雑になり、また専門化してまいりまして、非常に細かいことまで本省が指示してくる。これは本省といいましても外務省本省だけの問題じゃなくて、まあ他省、通産省やその他の方々からのいろんな調査依頼もあり、またそういうものにこたえていかなきゃならぬということで、在外に対して非常に細かい調査依頼が来たりあるいは指示が来るということがございます。この点につきましては、実は本省としても頭を痛めておりまして、やはり大使自主性を尊重してもっと自由濶達に働いてもらいたいと思っておるわけでございますが、関係方面の要望も強いものですから、ついそういうことになりがちであるということは否定できません。この点につきましては、本省としてはさらによく注意いたしまして、余り細かい指示は与えないで大使の判断でやっていただくというふうにしたいと思っております。  なお、外務省の制度といたしましては、大使というものは常に総合的に現地において物を見、判断をして、必要な場合にはどんどん意見具申をするという考え方になっておりまして、現実に電報その他でいろんな意見具申が来ております。こういう意見具申というものを大いに尊重して、外交の事務を活力のあるものにしていきたいと考えております。  最後に、高柳氏の論文についてでございます。まあ高柳氏の論文につきましては、外務省に二十年在職された方の批判でございますから、われわれとしても多くの傾聴すべきものがあることを感じております。やはり率直に申し上げて、大使も百人近くもおりますので、その中にはかなりいろんな方もおるということも事実でございますし、在外の生活は少人数の人間がいわば二十四時間共同生活をするような感もございまして、まあそこにいろんな問題なり摩擦が生じてくるということも否定できませんが、私たちとしましては、全体としてはやはりそれぞれの大使はよくやっておると信じております。ただ、高柳氏の御指摘の点で中級試験、最近は専門職試験と称しておりますが、この出身者の人が十分活用されていない、あるいはそのために不満として多くやめていくという話がございます。高柳さんの同期の方は半分近くがやめたという話がございます。この点につきましてわれわれとしても調べてみましたが、この点は、それに関する限りは残念ながら事実でございますが、これは実はそういう高度成長時代でもあり、特殊な語学を研修した人は民間企業から見ればいわば金の卵でありまして、たとえばアラビア語を専攻した人を外務省館員に選考したのを民間企業が引っこ抜くという形で引っこ抜かれてしまったのが何人かあるわけであります。しかし、その後わが方としましても、そういうことでは非常に困るので、せっかく国費をもって養成した人が民間企業に引き抜かれるということは、われわれの方の待遇その他において問題があるのだという認識のもとにいろいろと改善策を講じまして、最近はそういう中途でやめる人は非常に減っております。  数字的に申しますと、昭和三十八年以来約十年余りの間で外務省に入りました中級語研職員のうちの中途退職者は一五%程度でございます。そのうちには、また中級語研にはかなり女性が合格いたしておりまして、この女性の方はやはり結婚という問題がありまして、結婚されるとどうしてもやめられるという例もあるわけでございまして、まあこの一五%という数字もわれわれとしては決して低いとは思っておりませんで、もっと減らして、皆こういう方々が一生の仕事として外務省仕事をやっていただくようにしたいと思っております。  それからさらに、まあそういうわけで一生の仕事としてやっていただくわけでございますから、われわれとしてはそういう中級語研出身者、あるいは最近では専門職試験の出身者につきましても登用制度というのを実施しております。これは外務省しか実はやっていないわけでございますが、昭和五十年度以降実施しておりまして、これらの試験の出身者の方で優秀な方々を登用して、上級試験出身者といいますか、合格者と同等の待遇をするということをやっております。この制度によりまして、大体毎年平均二人ぐらい登用されておりまして、現在上級職に登用された者は十二名おるわけでございます。さらにちょっと申しますと、そういう登用によらない以外でも、中級試験等の合格君の中で優秀な職員は本省の課長あるいは在外公館長に抜てきしております。これはもう前からやっておりますが、現在そういう方々で本省の課長になっている者は四名、在外公館長になっている者は三十六名を数えております。
  21. 山崎昇

    山崎昇君 大筋であなたは、いま私の出しましたこの高柳さんの論文についてはほぼ認めたような答弁になっておるわけです。これは、私は時間ありませんが、膨大な内容ですね。たとえば、試験制度にしたって明治二十七年にできたものがいまだにやっているとか、あるいはその試験のやり方も東大卒にきわめて有利でその他どうだとか、たくさんこれは書いてあります。一々やったらとてもじゃありませんが、時間ありません。いずれにいたしましても、私は、外務省は外から見ていると何か——外国へ行くとわれわれもお世話になりますから、大変だ大変だという気持ちだけが先に来ますが——きわめてやり方が非民主的なような要素が多いのではないか。言葉としては、外務省の中身は陰湿だという言葉を使っております。きわめて。そして何でもキャリア組だけがどんどんどんどん優遇されて、ノンキャリアというのは全く下積みか、多少登用されても課長に二、三人ぐらい。私はこの間、ある中南米の総領事に会いましたら、ずっと自分はフランス語かドイツ語が専門なんだけれども、いまの年になって、五十過ぎてからここへ来てポルトガル語をやれと言われてもできないと言って、まあ涙はこぼしませんでしたけれども、夜、会食をやったらそういう言葉が出てきました。だから、あなた方は優遇しているつもりかもしれぬけれども、転任させられた本人から言えば、これは死ぬより強いような環境で仕事しているんですよ。そういう意味で言うと、私は速やかにこれ十分ひとつ検討してもらって、もっともっと、外務省というのは全体的に国を代表してやるわけでありますから、最近は外交はもう内政でありますから、そういう意味では内政に対する影響がきわめて大きいだけに、改善を強くひとつ要望しておきたい。  それから、さっき出ました海外サービスセンターの方ですか、これもきわめて外務省から行っている方々とは待遇も違う。そして三年も四年も現地でやりますから、語学はきわめて達者なんですね。帰ってきたら働くところもないし、それをまた生かすすべもない。こんなことで外国にいる間だけ適当に使われて、後はもう何にもないなんというようなことのないように、これもひとつ真剣な討議を願っておきたい、こう思います。  行管長官参りましたからちょっと中断しまして、行管長官に一、二点聞いておきたいのですが、いまもあなたが来られる前に外務省定員問題でちょっとやっておりました。実は今度の中南米局設置に当たって、私は昭和四十三年に佐藤さんが内閣総理大臣のときに一局削減というのをやった。あのときに、ショック療法だと彼らは言って何の整合性もない、そういうことを何でやるんですか、これはやがて必ずあなたまずくなりますよということを当時私は指摘いたしました。考えてみれば、今度の中南米局も、当時の中南米移住局をつぶして、まあ移住局という名前はありませんが、復活みたいなものですよね。だから、整合性のないような行政機構改革をやっても結果は何もならない。これはそのいい見本ではないかと思うんです。そういう意味で言うならば、一体行管長官としてこれを承認をした真意と、さらにお聞きをしておきたいのは、いまも外務省から別途五千名ぐらいの定員要請が各党に回っています。これはきのうきょうの問題ではありませんが、しばらく前の話であります。いま説明によりますというと、せめて五十五年度は二百三十六名ぐらいふえなければとても在外公館活動がおぼつかないという話であります。  今度の第四次の定員削減と関連をして、これからの外交に関する定員をどういうふうに行管としては進められるのか、まずその点をお聞きをしておきたい。
  22. 宇野宗佑

    国務大臣(宇野宗佑君) 御承知のとおり、総定員法が制定されましてから十年ばかりたつわけでございますが、これはこれとして非常に大きな私は務めを果たしてきたのではないかと、かように考えておりまするし、今日におきましても、やはり国家公務員の勤務態度等々からいたしまして、もっともっと人減らしができるんじゃないか、そういうふうな声も、いわば一つの大きな声として国民の間にあるということを私は十分承知いたしております。しかし、仰せのとおりに、やはり政治というものは常に時代の趨勢あるいは社会的、経済的な要請もございましょう。国民の方々のニーズもございましょう。そうしたことに機敏に対応していかなくちゃなりませんから、一律的に、いや、一%減らすんだ、二%減らすんだというふうなわけで事を処してはならない。私は、やはり政治は重点的に、ふやすべきところにはふやす、減らすべきときには減らす、そうした弾力性をもって臨まなければならないと、かように存じておる次第でございまして、すでに定員削減法も四次にわたりまして実施されてまいりましたので、明年からは御承知の第五次定員の削減をいよいよ計画として実施に移す段階を迎えたわけでございます。ちょうどそのときに、やはり行政改革という厳しい要求が国民の方々からも出されておるということを考えますと、この問題は一層慎重を期さなければならないと思いますが、先般も、率直に申し上げまして、外務大臣を初めいろんな外務省関係方々から、もう少しく日本外交にも力を入れたいから、何とかわれわれの微衷を察してもらいたいという要請は私も聞いておる次第でございます。  今日までの経緯をお話申し上げますと、一応わが国外交が重大な局面を迎えておりますし、さらには一九八〇年代も、エネルギー大切だとか資源大切だとか、食糧も自給率低いとかいっぱいございますから、私は外交というものは、いま先生仰せのとおり、もう内政である、それぐらいの気持ちで外交をやはり見ていかなければならないと存じておりますが、さような意味とは申しながらも、やはりそうむちゃくちゃに要求どおりし得ない状況にあるということも現実でございます。しかしながら、一般的に考えますと、今日までの実績では、外務省定員は他の省庁のうち一番伸びておりまして、二四%、おおむね総定員法制定以来伸びておるわけでございます。せめてそうした形においてわが国外交を充実し、その機敏なる活動をわれわれも期待いたしておりますので、今回もひとつ、そういう情勢で厳しゅうはございましょうけれども、一応われわれといたしましては完全な姿はとれません。しかしながら、今日までの実績を考えていただきまするならば、そういう面におきまして十二分にこの面を検討いたしまして、ある程度やはりわが国の新しい仕事をきびきびとやっていただくためにも、その枠内でできるだけ考えていきたいと、かように存じておる次第であります。
  23. 山崎昇

    山崎昇君 何かわかったようなわからないような説明ですね。  私の聞いているのは、一局削減という方式をとった、そのときにわれわれもこの場でずいぶん議論しましたよ。詰めて詰めていったら、不合理だけれどもショック療法だという言葉を使って、これが第一次だということで使った。ところが全部復活しちゃって、一体あの一局削減というのは何だったのか。結局は行政機構論というのは、整合性がある程度なければ、日にちがたったら元に戻っちゃうんですね。ですから、いま私ども社会党もこれには賛成している立場ですから余り多くのことは言いたくないつもりでおりますが、行政機構改革という名前でやられた結果が、またこれが復活して中南米局設置するわけでしょう。そういう意味で言うならば、一体あれは何だったのかということが、どうも私ども胸にすっと落ちない。加えて定員が、総定員法できたときも私ども議論しましたよ。しかし実際は何も減ってないのです。何も減ってない。  そうして先ほど来外務省説明聞きますと、私も外地行っていろいろ見てみるというと、大体在外公館が七名以下、五名以下という一つの領事館でありますとか、大使館。私の参りましたスペインの大使館のときは、大使以下七名でしたね。これで一体日本を代表しまして対外活動ができるかと言ったらできないと言うのですよ。さればといって、簡単にどこかから配置転換で持っていけるかといったら持っていけないですね、この外務省の問題は。そういうこと等を考えますというと、私は、やっぱり行政機構というのは慎重に扱わなければならぬではないんだろうか。そこへ、しばらく前でありますが、外務省は五千名なけりゃ当面できないんだと、こういうので各党回って、私のところもえらいりっぱな宣伝文もらいましたよね。いまもその話が出ました。とりあえず、何か五十五年度は二百三十六名だかいま要望しているという話も聞きました。そういう意味で、私は少しこの問題点というのはせっかくの機会でありますからやっぱり掘り下げておきたい、こういう気持ちでいまあなたに聞いているわけです。  そこで、いま外務省はこの局をつくっても人はふえぬと、こういう話であります。そこで、去年の「行政管理研究」という本に行政管理庁の事務次官が論文を書いています。その一節を見ますと、こういう言葉になっているんですね。「局を増設しても局長がふえるだけで金がかからないのにどうして反対するのかという意見がある。しかし、その年度では課の増や人員増を伴わなくても、少し長い目でみれば、局がふえれば課がふえ、課がふえれば課長補佐や係長がふえる。また、一つの省での増設は他の省に波及し、結局じわじわと機構が肥大化し、人員増につながってゆく」と、こう行政管理庁の専門家は言うわけですね。だから、この中南米局ができて、いまは確かにどこかの局次長減ったりなんかしてふえないかもしれない。しかし、これ月日たったら必ずこの指摘のとおり私はふえていくんではないだろうか、こういう気持ちも反面持っています。したがって、行管としてはそれらにどういうふうに対処するのか、一局削減やった結果がまた復活してきて、こういうものができればまたふえますよということを行管の責任者が言っているわけですから、それらに対するあなたの見解もこの機会に聞いておきたいと思います。
  24. 宇野宗佑

    国務大臣(宇野宗佑君) 佐藤内閣当時、一省一局削減、これはあの当時といたしましては一つの果断なる措置であったと思います。ただ、時代の要請また中南米重要性、そうしたものが加わってまいりましたから、広く中南米局の新設ということに相なったと考えておりますが、いま局長が申しました点は確かにさようでございまして、今回の行革はできたらそうしたふえる入れ物も少なくしたい、これが私の考え方でございます。入れ物があればやはり人がふえると、こういう気持ちで人減らしよりもまず入れ物減らしをするべきであるというのが今回の行革に臨む私の考え方でございます。  したがいまして、総定員法のこの枠内というものは非常に大切でございますから、その中で外務省等々に関しましてもやはり考えるべきところは考えたいと思いますが、新規行政需要等に関しましては極力抑える、そして当然総員の縮減を図ると、これが今回の行革の定員に関する考え方でございます。
  25. 山崎昇

    山崎昇君 そこで、行管の見解も聞きましたが、やっぱりいろいろ問題点を含んでおりますので、別の機会に私は行政機構でまた質問をしたいと思っていますが、本題の外務省に移りたいと思うんですが、本来なら外務大臣が御出席いただいておれば一九八〇年代に向けての外交方針等々私は聞きたいと思って準備をしていましたが、しかし、臨時代理だからどうという意味ではありませんが、それ専門でもいまのところないわけでありますから、大臣にそれをお聞きすることは少し私も遠慮をしておきたいという気持ちもあります。  そこで、ごく具体的に一、二点お聞きをしておきたいんですが、この北方領土の問題について、これは条約局長ですか、おいでになっているのは——お聞きをしておきたいんですが、私のいま手元にありますのは、昭和十四年に北海道庁に千島調査所というのがありまして、当時設けられている。そしてそこの所長を五年ほどやられた方が、これは二部作でありますが、「北方領土物語」というのを書かれました。私もこれを読ましていただいているわけですが、これを読みますと、なぜ北方領土なんぞというあいまいな言葉を使うんだろうか、この意味がわからないというのがまず第一点です。それから、第二点は、国後、択捉、色丹、この三島は千島国と言って南千島と呼ばれておった。しかし、それが色丹だけこの南千島から外されたのはどういうわけなんだろうか。これが第二の、たくさんありますが、指摘事項になっております。第三は、昭和三十九年六月十七日、欧東合第一八三一号「国後・択捉両島の名称について」という外務事務次官の通達が自治省の事務次官に出されておる。これによりますと、「北方領土問題に関連して、国後・択捉両島を指すものとして「南千島」という用語が使用されている場合が散見されるところ、このようなことは下記の理由から一切避けることが適当であり、また、地図等における表示においても、国後・択捉両島(止むを得ない場合を除き漢字表示とする)が千島列島とは明確に区別されて表示されていることが望ましいので、関係機関に対してしかるべく御指導方御配慮を煩わしたい。」そして、「記」として「わが国は、サンフランシスコ平和条約によって「KurileIslands」(日本語訳「千島列島」)を放棄したが、わが国固有の領土である国後・択捉両島は、同条約で放棄した「Kurile Islands」の範囲の中には含まれていないとの立場をとっている。上記立場からして、国後・択捉両島を「南千島」と呼ぶことは、これら両島があたかもサンフランシスコ条約によりわが国の放棄した「Kurile Islands」の一部であるかのごとき印象を与え、無用の誤解を招くおそれがあり、北方領土問題に関するわが方の立場上好しくない。」こういう通達が出されている。このときから何か色丹島が千島から外された、こういうふうにこの人は理解をしているようであります。そして、御存じのとおり千島は、南千島もひっくるめまして、樺太千島交換条約で北千島が日本に入ってくる。入ってくると同時に、これは千島国という行政区域内に入れて今日までやってきている。だから、厳然として千島列島ということになれば、北千島も南千島も全部入るのではないか、こういう見解が示されておるわけです。したがって、もし返還要求するとすれば、全部返還要求するのがたてまえではないかという趣旨のようであります。  そして、さらに続いて、北方領土の定義について政府の統一見解を問うということで、北海道庁の総務部長から外務省にまた照会をしておるんですね。これは昭和四十三年五月七日です。外務省の欧亜局長から回答が出されています。欧東第二六三七号。これによりますというと、「一般に北方領土という語が使われる場合には、広義の北方領土と狭義の北方領土とがある。」広義の北方領土とは「わが国固有の領土としてソ連邦にその返還を要求している地域(国後島・択捉島)」「2、日ソ共同宣言第九項において、ソ連邦が日ソ平和条約締結後にわが国に引き渡すことに同意した地域(歯舞群島・色丹島)」「3、わが国がサンフランシスコ平和条約第二条(C)において放棄し、その帰属が未決定の地域(千島列島・南樺太)」「狭義の北方領土は、前記1及び2のみをさすものと解する。」こうなっている。通常北方領土返還運動ということになると、あなた方は狭義の北方領土ということを指すんだろうと思うんです。しかし、外務省の中には、北方領土ということになれば、広い意味と狭い意味とある。ただ、いまのところは狭い意味だけとっているけれども、広い意味をもしとったとするならば、北方領土の返還というのは単なる国後、択捉や色丹や歯舞だけには限らない、こうなってくるんではないのでしょうか。これは、私はやっぱり事実問題として自分も理解をしておきたいからいまお聞きをしているんですが、外務省のひとつ見解を聞いておきたい。
  26. 正示啓次郎

    国務大臣(正示啓次郎君) 山崎委員の御質問に後で条約局長から詳しく事実に即してお答えを申し上げますが、北方領土については終戦のときのいきさつ、これはたしかソ連軍が大変初めはちゅうちょしておったようですが、アメリカの動きを見てだんだんと日本の固有領土にも進駐してきた事実があるわけでございます。それから、サンフランシスコ平和条約のときのいろいろの議論、そういうものを踏まえまして北方四島、これをいまいわゆる北方領土として返還運動を進めておることを一応われわれの立場として申し上げておきたいと思います。  いろいろ過去のいきさつ等については、外務省の方で条約の根拠その他で考えもあろうと思いますので、それらの点については条約局長からひとつ事実に即してお答えを申し上げます。
  27. 伊達宗起

    政府委員(伊達宗起君) ただいま山崎委員から北方領土につきましていろいろな四、五点問題点を含みました御質問があったわけでございます。  まず第一番に、北方領土の意味というものは何であるかと、これは一番最後の広義、狭義の問題と一緒にしてお答え申し上げたいと思いますので、第二番目の質問にお答えいたしたいと思うわけでございます。  国後、択捉、色丹島をも南千島という呼称において言われていたことがあるのではないかと、これは私は、実はここに資料がいま手元にございませんので詳しくお答え申すわけにはいきませんけれども、このいわゆる国後、択捉、色丹、歯舞島の国内における行政区画に関しましては当初から一定していたわけではございませんで、郡部に、北海道の一部とみなされて色丹島あるいは歯舞島が北海道の一部という行政区画の中に入っていた時代もございます。したがいまして、これは国内の行政区画の区分というものの変更によりまして、それぞれそのときに南千島と呼ばれておったときに色丹が入っていたということもあるのではないかと思うわけでございます。しかし、これは後にもつながりますが、私どもが北方領土と言いますときには、特に領土の返還要求問題に関連しまして北方領土というふうに言われているのが大部分の場合でございまして、その場合には、先ほど先生がおっしゃいましたように、狭義における北方四島、普通四島と申しますが、実際上細かく勘定しますれば四島ではございません。しかし、国後、択捉、歯舞、色丹というものを北方領土としてその返還要求というものをいたしているわけでございます。  一番最後の御質問に答えることになりまするが、広義の四島と申します中には、ただいま申した狭義の四島のほかに、日本国がサンフランシスコ平和条約第二条によりまして放棄いたしました千島列島及び南樺太が含んでいるということでございますけれども、それは領土返還要求の対象としては入っていないわけでございます。つまり、わが国が放棄いたしました地域に関しましては、御承知のように平和条約第二条におきまして日本国は放棄いたしたわけでございまして、その帰属については日本国が決定する権限はないわけでございまして、連合国が決めることである。したがって、これは放棄したものでございまして、日本国としては何も申し上げることはない。ただし、狭義の四島すなわち歯舞、色丹、国後、択捉に関しましては、わが国の固有の領土であるから返還していただきたいということを言っているわけでございます。普通の場合、私どもは領土返還に関して申しますと、広義の北方領土というようなものは現在のところは頭に置いておりません。普通北方領土と申しましたときには、きょうの先生のおっしゃいました狭義の北方領土というものを考えているわけでございます。  第三番目の御質問を抜かしてしまいましたけれども昭和三十九年六月に、国後、択捉の名称について外務省の方から南千島という呼称を避けた方がよいというお話があったわけでございますけれども、それはただいま御質問にお答え申し上げましたところで尽きておると思うのでございますが、平和条約の締結の際にいろいろ議論が行われました。それは、第二条におきまして放棄した千島列島の範囲というのは何であるかということにつきまして議論が行われたわけでございます。先生も御承知だと思いますが、当時の平和条約審議国会におきましても、北千島は当然のことながら南千島を含むのか含まないのかというような議論がございまして、わが国の立場といたしましては、平和条約第二条において放棄しました千島列島の中にはわが国の固有の領土である国後、択捉は含んでいないのだという立場でございますので、千島という言葉は千島列島等の関連におきまして非常に、千島列島と言いますといわゆる南千島も含まれているのではないかという議論が生じますので、その点を明確にいたしますために、わが国固有の領土である部分につきましては南千島という俗称と申しますか、そういうものは避けていただきたいということを外務省の立場として通達、連絡いたしたものだと思うわけでございます。
  28. 山崎昇

    山崎昇君 もう時間ありませんから多くのことを申しません。改めて私やりたいと思います。しかし、これはやっぱり歴史上の事実とは少し相違するのじゃないかと私も多少疑問持っているわけです。まあこれは一冊の本でありますから、こればっかりではいかぬかもしれませんが、これによると、千島という呼び方というのはたくさんの島ということなんだ。そして最初は「蝦夷が千島」と、こう呼んでおった。それが明治二年になりまして、松前藩が所管をしているところの蝦夷地を北海道と直して、そうでない択捉と国後というのはこれを千島国と名づけたというんですね。その後、明治八年に千島と樺太の交換条約で日本に戻ったときに、戻ったといいますか、交換できた土地を千島国に編入したというんですね。だから、北千島も南千島も行政区画上千島の国となった。このときから地理上の千島列島というものと行政区画上の千島国というものが一緒になったというんです。この本によれば。だから、千島の放棄ということになると、この南千島も入るのではないかという見解もやっぱりそこから成り立ってくる。これは歴史的な事実の問題でありますから、私は聞いているわけです。私は何もそれがいいというんでいま言っているわけでありませんが、聞いている。そして、続いて明治十七年に樺太交換条約に基づいてこの千島全体が千島国になったんですが、その北千島占守島の土着民族を色丹島に移したときに歯舞沖に散在する、俗に言う歯舞諸島から色丹を根室国から分離をして千島国に入れたというんですよ。だから、色丹と択捉と国後は南千島であって、いま歯舞、色丹という言い方で択捉、国後と分離していることはおかしいのではないかという意見もまたあるわけですね。これは実際に北海道庁千島調査所におってずっと千島問題を専門にやった諸君のこれは記述ですね。  こういうことを考えてみますというと、あなた方がこれは有利だとか不利だとか、これは誤解を受けるとかという趣旨だけで、あの通達だけで私はこの北方問題を考えることはどうかなあという気もしているわけです。そういう意味で、いまあなたにお聞きしているわけです。あなたからいま狭義の場合は四つだと、広義の場合もあり得るということをあなた方考えているわけですね、広義の場合。しかし、実際に返還運動やっている者はこれは狭義か広義かなんていうことを言ってやっていませんよ。そういう点から行きますと、私はもう少し外務省はやっぱり歴史的な事実というものは事実としてきちんとしてやりませんと、ただ自分の願望だけで運動だけ展開すればいいというものじゃないんじゃないだろうか。そういう意味で、いま時間ありませんでしたが、お聞きしたんで、少しこの点は今後も私は、このほかもう一冊出ておりまして、私も北海道庁におりましたから千島調査所についてはもう少し調べてみたいと思っていますが、きょうは問題点だけ提起をして終わっておきたいと思います。時間過ぎましたから終わっておきたいと思いますが、重ねて答弁があればお聞きをしておきます。
  29. 伊達宗起

    政府委員(伊達宗起君) ただいま先生の御指摘は、私どももさらに研究を続けたいと思います。ただ、領土返還要求の際に問題となりますのは、条約において国際法上放棄しているのは何かという問題になりますので、国内においてどういう行政区画であったかということが論拠であるよりは、むしろ日ソ間において一八五五年の日露通航条約ないしは樺太千島交換条約、これは一八七五年でございましたが、そういう経過をたどりまして、平和条約の第二条によって放棄した千島列島というのはどの範囲であるかということを詰めてまいります際には、この国際間における条約というものが一つの判断の基準になるんではないかと。したがいまして、私どもといたしましては、従来の経緯から見ましても、過去の条約において示された——日ソ間の条約において示されましたところの、日本国がソ連から奪取した地域というような分類にはどうしても入らない地域といたしましてこの四島——国後、択捉、歯舞、色丹は日本国の固有の領土であるというふうに主張いたしておるわけでございます。
  30. 和泉照雄

    和泉照雄君 私は、まず、中南米局設置の理由についてお伺いをいたします。  今回のこの提案理由説明では、中南米局が今回初めて新設をされるということであればあるいは納得できる説明であると、このように言えるかもしれませんけれども、しかしながら、今回の場合は中南米局の新設ではなくして、過去中南米移住局、昭和四十年に設置された移住局として存在をしておったものを、佐藤内閣の一省一局削減という行政改革によって廃止されたものを今回復活させようというものである以上、この提案理由説明だけでは中南米局の復活の理由には乏しいと思います。今回、行政改革の必要性は佐藤内閣時代以上に厳しさを増していると認識をしているわけでございますが、そのために現に政府はこの中南米局復活の見返りとして文化事業部、大阪連絡事務所等の四つのスクラップの犠牲を払わしめていることを承知をしておりますけれども、なぜ今回これほどの犠牲を払ってまで中南米局を復活せしめようとしたのか、詳しく説明をしていただきたいと思います。
  31. 正示啓次郎

    国務大臣(正示啓次郎君) ただいま和泉委員がお尋ねの点、これはもう本当に外務省としては過去からのいきさつを申し上げますと、先ほど山崎委員も御指摘になりましたように、一省一局、これも非常に無理だったんですが、あのときはやむを得ないということで一局を削減すると。しかし、当時から非常に中南米を専管する局が要るということはやっぱりあったわけでございます。もう一つさかのぼってやはり外務省実情を考えてみますと、先ほど山崎委員が御指摘になった点にもあるんですが、吉田元総理が外務省だけはもう絶対に膨張を許さぬと、こういう非常に固い鉄則を持っておられましてね、それが非常に今日まで外務省定員問題、機構問題に大きく尾を引いておると。これはりっぱな一つの見識であったことは私もうそのとおりだと思いますが、そういうようなことでやむを得ず佐藤内閣の一省一局に協力し、しかしそれはもう本当にやむにやまれない気持ちで年々この中南米局復活問題、実態は先ほど説明いたしたとおりでございますが、それをこいねがってきたんでございますけれども、ついに今日の新しい行政改革の直前にまでそれが実を結ばなかった、こういう過去のいきさつがございます。  なお、詳しいことは政府委員からお答えを申し上げます。
  32. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) ただいま大臣から御説明のありましたとおりでございまして、当時中南米移住局というものを廃止することにつきましてはわれわれとしても非常に断腸の思いでございましたが、各省一律一局削減だということで、やむを得ず削減いたしたわけでございます。その後、移住関係につきましては、領事移住部というものが設けられましてそちらへ吸収し、そこで全般的な移住行政をいたしておりまして、この点は非常にうまく機能しておるわけでございます。ただ、中南米地域提案理由にも申し上げましたようにますます重要な地域になってきております。そしてまたアメリカ、北米とは伝統的にも文化的にも違う地域でございまして、これはやっぱり一つの地域としてとらえる必要性はますます増大しておるわけでございます。また非常に端的に申しまして、わが国中南米地域を重視しているんだということを幾ら言いましても、相手国から見ればそれならなぜ中南米局をつくらないんだと、なぜ過去つぶしてあのままにしておくんだと、こういう議論が出てまいりまして、それに対してはわれわれとしては返す言葉もないというのが実情でございまして、中南米地域を重視するならばまず中南米局をつくるべきだという議論が非常に中南米諸国の国からありまして、また在京の中南米大使は、この局がなかなかできないことに業を煮やして、国会議員方々にも直接陳情申し上げるというようなことまであったようでございまして、われわれとしても日本中南米外交を強化するためにはどうしてもこの局が必要である。ただ、いまの時勢でございますので、やはり行政機構簡素化の見地からしかるべき代償を出せという政府の御方針に従いまして、非常に多くの犠牲ではございますが、二、三の機構を簡素化して中南米局をつくらしていただきたいというふうに考えておる次第でございます。
  33. 和泉照雄

    和泉照雄君 やはりそこらあたりに外務省の腰の弱さといいますかね、必要なものを幾らそういうふうに決められたとしても、こういうようなふうに削減をしてすぐ復活運動がずっと続いて七年目にやっと実現するというような、そんな重要なものをなぜ削ったかと、なぜ削ろうとしたかというところにも非常に問題があって、これは後から行官の方にも言おうと思っておりますけれども、そういう問題があろうかと思います。  歴代の内閣総理大臣の中にも南米の訪問をされた方もいらっしゃいますし、また本年におけるアルゼンチンの大統領の訪日ということもございまして、両国間の首脳の相互の訪問ということで非常に緊密な外交の展開ということがされておるということ、また重要性もわかるわけでございますけれども、最近における中南米諸国とのこういうような具体的な事例、貿易の実態経済協力民間の投資の実情、こういうことについて詳しくお述べいただきたいと思います。
  34. 色摩力夫

    説明員(色摩力夫君) お答えいたします。  先生一番初めに御指摘になりました要人の交流でございますが、過去数年の実績を申し上げますとこういうことになります。わが国の要人の中南米諸国に対する訪問につきましては、一九七四年田中総理がブラジル及びメキシコを訪問しております。一九七五年福田副総理がブラジル及びベネズエラを訪問しております。一九七六年には三笠宮・同妃殿下がメキシコを訪問していらっしゃいます。一九七八年には皇太子及び同妃殿下がブラジル及びパラグアイを訪問しておられます。そのほか同年村山大蔵大臣メキシコ訪問、櫻内建設大臣ブラジル及びメキシコ訪問、稻村総理府総務長官ブラジル訪問の事例がございます。また、中南米諸国からわが国に対する関係各国の要人の訪問といたしましては、枚挙にいとまがないわけでございますが、若干の例を申し上げますと、一九七六年ブラジルよりガイゼル大統領が国賓で訪問されました。同年には、たとえばキューバ、グレナダ、ジャマイカ、メキシコ、ウルグアイ、それぞれ副首相、首相、外相級の方が訪問されております。また、一九七七年にはパナマ、グアテマラより、パナマは副大統領、グアテマラは当時外相が訪問されております。一九七八年におきましてはメキシコからロペス・ポルティーリョ大統領が国賓として訪問されております。本年にありましては、最近のことでございますが、アルゼンチンの大統領が国賓として訪問されております。また、中南米諸国及びアメリカを加盟国とする米州機構の事務総長が公式に訪問しております。これが彼我双方の要人の交流の事実関係でございます。  次の先生の御質問は、わが国中南米諸国との間の経済関係現状いかんということかと理解いたしましたが、若干の数字を申し上げますと、まず貿易関係といたしましては、大体わが国の全体の貿易から見まして中南米はどのぐらいのシェアを占めるかという見地から申し上げますと、各年大体異動がございますが、たとえば一九七八年の統計の数字で申し上げますと、輸出においては六・八%、輸入においては三・八%、いずれもわが国から見た数字でございます。シェアとしては必ずしも大きい数字とはいまだ言えない現状でございますが、絶対額では年々着実に増加しております。たとえば一九七八年、輸出は大体六十六億ドルでございます。輸入が三十億若干と、そういう関係になっております。また貿易のパターンといたしましては、わが国は恒常的な出超という関係になっておりまして、その黒字幅は全体の長期的傾向としては増加の一途をたどっているのが現状でございます。貿易の商品別の内容といたしましては、典型的な相互補完貿易と申しましょうか、わが国が工業製品を中南米諸国へ輸出し、中南米諸国からはわが国は一次産品、たとえば銅、鉄鉱石、亜鉛、その他そういう鉱山物あるいは食糧品、そういうものを輸入していると、そういう姿になっております。  次には投資でございますが、わが国の投資は対中南米投資という見地から見ますと、世界各地域と比較いたしましてかなり投資先としては重要な地位を占めております。現在、アジア北米地域に続いて第三位にあるということができます。  また経済協力といたしましては、たとえば資金協力については大分前からいろいろな事例がございますが、いわば政策的に、つまり対中南米に資金協力という形で政策的に金が流れるようになったのは一九七〇年代の初めでございまして、大体七一年、七二年にペルーに三件の円借を突破口といたしまして、毎年中南米諸国、主要なわが国にとって重要度の高い、またニードの高い、そういう国へ毎年何件かの実績がございます。
  35. 和泉照雄

    和泉照雄君 今回の措置内容を見ても、局長一の新設のみで、定員とか規模、予算的には何らの増強を見ていないわけでございますが、果たしてこれで中南米諸国との外交政策の強力展開と言えるのか、疑問とせざるを得ないわけでございます。  この点について、去る八十七国会衆議院内閣委員会での本法案の審査の際、前園田外務大臣は、その趣旨の質問に答えて、「予算も変わらぬ、人間も変わらぬ、名前が変わるだけじゃないか、」「私は、先生の御指摘は、まさに当たっておると言わざるを得ません。」と、このように答弁をしております。それからまた、「アジア局次長、大阪事務所の問題はごまかしじゃないか」「答弁すれば弁解になるだけでありますが、」「これは中南米局をつくりたい一心のために出てきた矛盾でございます。」と、大臣自身率直にかぶとを脱いでいるのは事実でございます。  ともあれ、今回の法案は外務省中南米局をつくりたい一心のための措置と理解をして、次にそのために出てきた矛盾の方に質問の矢を向けたいと、このように思います。  今回の中南米局設置は、各省庁の部局の増設は認めない、法人の新設は行わないとの内閣の昭和五十四年度の予算の編成方針にもかかわらず、この特例的な例外としてやっと認められたものと了解をしております。そのためスクラップ・アンド・ビルドの適用も特に厳しく、一ビルドのために四スクラップという条件をのまされております。そのため、中南米局長ポストのために文化事業部、大阪連絡事務所、アジア局次長、それに政令職たる大臣官房審議官の四つの廃止という事態に至っております。  端的に言って、文化事業部の廃止は、文化の時代ということを内閣の表看板として施政方針演説等においては必ずこのことに触れておられる大平内閣において、果たして総理の指導性が発揮されているのかどうか疑わざるを得ない事象でございます。軍事力を持たない日本においては、これからますます文化外交が経済外交と並んで車の両輪としてプロモーターにならなければならないことは自明の理であります。福田前総理も外交における文化交流の必要性を強調されましたが、国際交流基金もこのような趣旨のもとに各方面に協力が呼びかけられ、発足を見たのもつい数年前のことではございませんか。衆議院内閣委員会における答弁でも、文化事業部の廃止は文化外交推進には悪影響を及ぼさないように今後努力する旨の答弁を行っておられますが、外務省当局は今回の文化事業部の廃止の波及効果についてどのように考えているのか、この際伺っておきたいと思います。  さらにまた、この際諸外国との文化交流、文化外交現状について御説明をお願いをいたします。  同様のことはアジア局次長、大阪連絡事務所の廃止についても言えると思います。アジア外交の重視をうたっている大平内閣のもとで果たして妥当と言えるのか。次長一の廃止の条件というのであれば、経済局次長の廃止ということも考えられるのではありませんか。大阪連絡事務所ももともと大阪府知事以下、現地各界の強い要請で設けられたもので、現在でもその存在が国民の立場から大いに重宝がられているというのがその実情のようであります。そういうものを犠牲にして中南米局設置に踏み切るというのはどうも納得しがたいことでございますが、この点をどのように考えておられるのか、御説明をお願いいたします。
  36. 正示啓次郎

    国務大臣(正示啓次郎君) 和泉委員から適切ないろいろな御質問がありまして、詳しいことは政府委員が申し上げますが、基本的な考え方は園田前外務大臣が申しておるように、いわば皮を切らせて肉を切るとでも言いましょうか、大変な犠牲を払ってとにかく中南米局をつくる、この要請の非常な深刻な問題であることを物語っております。さらに、それの代償としていろいろお挙げになりましたが、たとえば文化の問題につきましては、情報文化局というものは厳然として残るわけでございまして、その中の文化部、これも本当は残していただけば一番よいのでございますけれども、行政管理庁の立場、政府全体の立場で機構の縮小、膨張を抑える、あるいは人員増加を抑えるということになりますと、やはり一律の物差しで抑え込まざるを得ないという立場もあるわけでございまして、それに対して非常に無理な犠牲を払いつつ、なお中南米局をつくりたいという要請にこたえた次第でございまして、大阪連絡事務所等についてもわれわれも十分伺っておるんでありますが、これにはそれ相応の対応もいたしたいという考えのようでございます。  詳しいことは、事務に詳しい政府委員から一応お答えを申し上げます。
  37. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) ただいま大臣から御答弁していただいたとおりでございますが、いま御指摘のありました点につきましてさらにちょっと敷衍して申し上げたいと思います。  最初の文化事業部の廃止でございますが、この文化事業部とは、もともと情報文化局の中の文化事業部でございまして、文化事業部があります体制のもとにおきましては、情報文化局長はまあ文化関係は大綱のみを掌握しまして、他は文化事業部長に実務をやらせる。情報文化局長は主として情報関係をやっておるわけでございます。ただ、今回中南米局設置に伴いまして代償が必要であるということで文化事業部をやむを得ず廃止することになりましたので、情報文化局長がみずから文字どおり情報と文化の両面を把握してやっていくというふうに運営してまいるつもりでございます。もちろん業務はますますふえておりますので、特に情報文化局には参事官を二人置きまして、一人は情報担当、もう一人は文化担当というふうにして局長を補佐さしていきたいと考えておる次第でございます。  ただ、文化外交そのものにつきましては、外務省はますます重視していく方針でございまして、これは予算規模にも反映されております。和泉委員からの御指摘もございましたように、国際交流基金が発足いたしまして年々基金の規模も増大いたしております。外務省自体が扱う予算も増大しております。この点は、予算の面では十分の手当てをして文化外交の推進に遺憾のないようにしていきたいと考えております。  次に、アジア局次長の廃止でございますが、この点につきましては、御指摘のとおりわが国のアジア外交はいよいよ重要となってきておりまして、本来ならばこの次長はそのまま存続させたかったわけでございますが、これも行政機構簡素化ということで、参事官をして、あるいは局長みずからが大いにもっと働いて何とかこの次長の廃止をカバーしていきたいと考えております。経済局次長はまた別の機能がございまして、経済問題は関係各省にまたがる事務が非常に多うございますので、調整事務が非常にたくさんあります。これは局長だけではやり切れない面もありますので、やはり経済局次長はどうしても存続する必要があった次第でございます。  それから、外務省大阪連絡事務所は、関西地方の府県庁との連絡あるいは外国公館、特に大阪には多くの総領事館が置かれておりますが、そういう公館との連絡の事務もあります。また国公賓の接遇の事務もございます。国公賓はたいてい関西地区に参りますので、その関係仕事もいたしております。さらに一般の方々の利便のために、外国へ渡航される方とかあるいは日本商社方々が外国公館に提出される文書についての証明事務もございまして、和泉委員指摘のとおり大変重宝がられておるのでございます。したがいまして、われわれとしましてはこれを廃止することについては非常に慎重に検討したのでありますが、出先機関はできるだけ廃止するようにという御方針もございまして、今回大阪事務所を廃止することにいたしました。しかしながら、ことに一般の方々の御利便の問題もございますので、何にも人がいないというわけにはいかないということもございますので、本省から官房審議官クラスの人を随時出張させたり、その他の方法で皆様に御不便をかけないような措置は講じてまいりたいと考えておる次第でございます。
  38. 和泉照雄

    和泉照雄君 次は、行管庁来ておられますか。——いろいろ答弁がありましたが、非常に厳しい条件のもとでやっと中南米局設置を認めるということになったわけでございますけれども、こういうふうな決断を下されたのは金井前行管庁長官の時代のことと思いますが、それを引き継がれて、また現在第二次大平内閣のもとで綱紀の粛正、行政改革の新しい展開に腐心されている行管庁に対してお尋ねをしますけれども、スクラップ・アンド・ビルドの原則の一律適用のもたらす、先ほどいろいろるる答弁がありましたそのような弊害、悪影響というものについてどのようにお考えになっておるか。特に申し上げたいことは、必要なものをこのように削減をしたということですぐ復活要求が出て、長い間そういう運動が続けられてやっと認められたということは、行政改革というただ何でもかんでも数をそろえればよいというそういうようなことにはならないと思うんですが、そこらあたりについてどのようなことをお考えになっておるのか、お答え願いたいと思います。
  39. 加地夏雄

    政府委員(加地夏雄君) ただいま先生指摘のように、財政再建を中心にいたしまして行財政をめぐる環境が非常に厳しいものがございます。御案内のように、一昨年の十二月に第一次の行政改革計画をまとめましたけれども、さらに引き続きまして現在政府部内におきまして行政改革の懸命の努力をやっておるような状況でございます。  ところで、直接の御質問の問題でございますが、こういった行政改革の問題とは別に、ここ数年来政府部内におきましては行政改革とあわせまして、毎年の各省の要求に対する審査、査定という段階でいわゆるスクラップ・アンド・ビルドということをやってまいっております。この考え方は、申し上げるまでもございませんけれども、やはり行政機構なり行政事務というのは簡素にして統一的なものでなくてはいけないと、こういう国民サイドの御要請があるわけでありまして、そういう趣旨にのっとりまして極力行政機構全般にわたりましてその膨張を抑制しなきゃいけない、こういうことがあるわけでございます。御承知のように、昨年の予算の編成の際には、中南米局要求の関連で先ほどからるる御説明もございましたような経過をたどりまして中南米局の新設を政府として決めたわけでございますが、私どもはそういった機構の膨張を抑制するという観点から実はスクラップ・アンド・ビルドをお願いしてまいっておるわけでございまして、今回の場合で申し上げれば、確かに文化事業部ほか四つのポストの削減をお願いしたわけでございます。外務省にとっても相当厳しい負担であったことは重々存じておりますけれども、いま申し上げたような趣旨で政府部内で相談をしてまとめてまいったわけでございます。結果としてどういう障害があるかという問題につきましては、先ほど外務省の方からいろいろこれに対する御努力をしていただくという話が出ておりますけれども、さような形で仕事全体が組織の改廃にかかわらず円滑に運営されていくように私どもも期待をしておるわけでございます。
  40. 和泉照雄

    和泉照雄君 行政改革は非常に言うはやすくやりがたいということも理解の上でお尋ねをしておるわけでございますが、やはり必要なものは残しておいて、必要でない、いま問題になっておる特殊法人とかそういうようなところはばっさりばっさりやってぜい肉を切ることが本当の意味の行政改革ではないかと、必要なものはどんなことがあろうと残すという、そういうような決断をされることが行管としても必要ではないかと、こういう立場で質問したわけでございまして、やはり財政再建という大きな命題のもとに非常に苦慮されておるということは私たちもよくわかります。しかし、やはりそこで感ずることは、スクラップ・アンド・ビルドということの一律適用を、やはり大臣クラスでいろいろお話し合いになって、それを具体化するということじゃなくて、いままでのやり方というのは上からずっと下におろしてしまって、そして横の方にそれを平面化、公平化するようなかっこうにしておったところにこういうような弊害が出てきたんじゃないか、こういうように思われてならないわけです。やはりそこは大臣、政治家の決断力が非常に要請をされるところと思うわけでございますが、今後の行政改革について、行管庁としてはやはりこういう反省を踏まえていろいろ方針は出ておるようでございますけれども、どのような取り組みをされるおつもりか、お聞かせ願いたいと思います。
  41. 加地夏雄

    政府委員(加地夏雄君) ただいま先生指摘のように、一律方式というのはいかにも無策ではないかとか、あるいは不合理ではないかと、こういう御指摘でございますが、私どもはそういった御批判があることは重々承知をいたしております。  もちろん先生のおっしゃるように、行政改革を進める場合の一つの手法としましては、やはり個個の事務とか事業とかあるいは行政組織に当たりまして、そういったものが時代の要請に十分マッチしておるかどうかと、あるいは内外環境の変化に十分対応しておるかどうか、こういった個別の見直しをやりまして、その結果に基づきまして整理するものは整理をしていくと、こういう方法をとるのがもともとの行政改革のやり方であると、これは全くそのとおりでございます。ただ、私どももそういう意味の努力は個々の事項によってはそういうことを積み重ねてまいっておりますけれども、たとえば一つのある問題につきましては一つの目安なり基準というものを設けまして、その基準、目安に従ってそれぞれの事業なりあるいは各省なりにおいてお考えをいただくと、こういうこともやむを得ない措置としてとらざるを得ない場合があるということをひとつ御理解いただきたいと思います。何も一律、機械的にこうしてほしいという形の方法を考えておるわけではございませんで、各論問題に入りますと非常に複雑な議論がございましてなかなか進展をしないと、そういう際にはいま申し上げたような一応の目安なり基準というものをお示しする場合も一つの手法としてはやむを得ない措置ではないか、こういうふうに考えておるわけでございます。
  42. 和泉照雄

    和泉照雄君 設置法に関する質問は以上で終わりますが、今度は関連で二、三お尋ねをしておきたいと思います。  まず、朴大統領の射殺事件の発生を告げる第一報がわが国は米国に大幅なおくれをとったと伝えられておりますが、この教訓を生かして外務省情報の収集管理体制の根本的な洗い直し作業を促進をして、本省と主要な大使館のいわゆる二十四時間体制を強化する新しい実施大綱の成案を近々のうちに行うと言われておりますけれども、これはどのようになっておるのか、外務省にお尋ねをいたします。
  43. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 現在、本省におきましては電信官が現実に二十四時間の勤務体制をとっておりまして、また守衛等とは別に事務官が夜間の宿直及び休日の宿直を行っております。さらに、緊急事態が発生いたしました場合には、在外から本省関係者に電話連絡が行い得るように本省幹部以下の首席事務官クラスまでの者の自宅電話番号はすべての在外公館承知しているという仕組みになっております。そういうわけで、一応のそういう在外から本省への連絡体制は整備されておるわけでございますが、もちろんさらに欲を言いますと、アメリカのように一種のウォッチオフィサーと申しますか、そういう制度を導入して複数の当直者、いろんな問題が判断できるような当直者が複数いるようなことにいたしたいのでございますが、ただ、この点は先ほどからも申し上げておりますような定員現状ではなかなかそれが実現できないというのが現状でございます。  先ほどの御指摘の韓国の朴大統領射殺事件のときの一報がおくれたのではないかという点でございますが、この点につきましては、もちろん後ほど韓国の問題についてはアジア局の参事官から答弁していただきますけれども、われわれとしましても在外情報をいかに速くキャッチするかということについてはいろんな工夫をこらしておるわけでございます。これはもちろん自分たち自身が足で情報を集めるということも必要でございますが、まあなかなかそれぞれの国の事情で十分でない点もございますので、その点につきましては、その任国の当局者とふだんから接触を重ねまして、大きな事件があったときは知らしてもらうようにする、あるいはこちらから問い合わせる、あるいはその任国のマスコミとの連絡を密にして一報が速く入るようにするとか、あるいは友好国の外交官とこれもふだんのつき合いを通じて情報を知らしてもらうとかそういうふうなこと、あるいはまた日本商社方々もなかなかそれぞれの土地で御活躍でございますから、そういう方面とも御連絡を密にして情報交換が行い得るようにするとか、そういうことをやっておりますし、この体制はますます強化しなきゃならぬと思っております。実は外務省も今回のことを一つの教訓にしまして、特に問題のある国についてはその体制をさらに整備するように訓令いたした次第でございます。
  44. 渡辺幸治

    説明員(渡辺幸治君) 先般の朴大統領死亡事件の第一報がおくれたという点につきまして補足説明させていただきます。  十月二十六日、夜七時四十分ということになってございますけれども、発生いたしました朴大統領の死亡事件については、御案内のとおり韓国政府部内においても情勢の把握に手間取った面があったようでございまして、二十六日の深夜から二十七日の未明にかけて閣議等が開催されて、その結果については午前四時三十分ごろ韓国政府の文化公報部長官から一部韓国人記者に対して、朴大統領に事故があって非常戒厳令が宣布されたということが明らかにされたということが発表されたのが最初でございます。  他方、先生指摘のとおり、米国政府はこの第一報をかなり早く把握していたことも事実のようでございますけれども、この点は先生御案内のとおり、米国政府と韓国政府は韓国において米韓連合軍司令部を設置しておりまして、韓国政府において戒厳令を宣布するためには一部の軍隊を米韓連合軍司令部の指揮下から外す必要があって、そのための事前通報があったということでございます。その時期については二十七日早朝であったというように承知しております。
  45. 和泉照雄

    和泉照雄君 次は、外務省に中国東北地区の旧満州慰霊巡拝団の派遣についてお尋ねしますが、御承知のとおり中国東北地区には多くの同胞が倒れて永眠いたしておりますが、そこで昨日訪中した大平総理に対する旧満州引揚者による慰霊巡拝団派遣実現の期待は絶大なものがあるようであります。厚生省は慰霊巡拝団派遣予算として五十四年度には約五十人分として七百万円を計上していると伝えられておりますが、中国との折衝の経過と結果はどのようになっているのか、お尋ねをいたします。
  46. 渡辺幸治

    説明員(渡辺幸治君) 満州と申しますか、中国の東北地方への慰霊団の派遣の問題については、従来からわが国外務大臣、厚生大臣あるいは在中国大使等高いレベルで機会あるごとに中国側に申し入れを行ってまいっておりまして、先方の理解と協力を求めてまいってきている次第でございます。わが方といたしましては、一方においてこの問題はなお中国側の国民感情と申しますか、住民感情で機微な点があることが指摘されておりまして、中国側において地域住民との関係で可能な方式で慰霊訪中団というようなものの実現を図るように努力しているわけでございます。  御指摘の、このたびの大平総理の訪中に当たってこの問題をぜひ提起してほしいという関係者の方々の御要望もございまして、中国側の協力を改めて機会をとらえて求められるというように承知しております。御案内のとおり、第一回の首脳会談は昨日行われまして、第二回の首脳会談が本日、中国時間で午後三時三十分に行われます。また本日の夜、外務大臣同士の話し合いもございますので、何らかの機会でこの問題が提起されるのではないか、その結果がわが方の関係者の御要望に沿うようなものになることを期待しておりますけれども、先ほど申しましたように、中国の方ではなお住民感情等機微な点があるということも十分認識しておく必要があるのではないか、かように考えておる次第でございます。
  47. 和泉照雄

    和泉照雄君 特に旧満州関係者で組織しております国際善隣協会、こういうところの関係団体では、今度総理と外務大臣が行かれるんですから具体的な答えを引き出してくださいと、去年条約を締結して、もう一年がかりで予算も計上しておって、中には個人的にハルビンあたりでは慰霊祭をおやりになった人もおるようでございますから、ぜひともと、そういうような要望が強いんですが、きょうの午後三時とかあるいは夜とか、会談があるようでございますけれども、その感触は非常に明るいものがあるようなのかどうか、そこらあたりをひとつ最後に御答弁を願って、私の質問を終わります。
  48. 渡辺幸治

    説明員(渡辺幸治君) こういうことはお話し合いでございますから、総理あるいは外務大臣のお話し合いの結果について私ごとき者が申し上げる立場にございませんけれども、先方の中国政府側も、累次のわが方の申し入れの意のあるところは理解しているということは確かでございますので、その点について中国側がどういう態度を示してもらえるのかということを期待して待っているという状況でございます。
  49. 山中郁子

    山中郁子君 外務省設置法改正内容の一つであります大阪連絡事務所の廃止の件について初めにお伺いをいたします。  現在ここの仕事量、具体的にどのくらい消化しておられるのか、初めにお尋ねします。大阪事務所の現在の仕事量です。
  50. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 外務省の大阪連絡事務所は非常にいろいろな仕事をいたしております。まず第一は関西地区の県庁との連絡でございます。それからさらに、関西地区には多くの外国公館が設けられておりまして、その公館との連絡をいたしております。それから、国公賓が多くの場合関西に参りますので、その接遇に当たっております。さらに最後に、これは一般の方々にとって非常に関係の多い仕事でございますが、外国へ渡航する方々あるいは日本商社方々領事館等に提出される文書についての証明事務というものをいたしておるわけでございます。
  51. 山中郁子

    山中郁子君 一定の業務量があるという御答弁でございますけれども、これ廃止ということになりますと、やはり行政の基本とする国民へのサービスという点でのマイナス面というのは出てくると、この点については具体的な今後の保障ですね、それは外務省としてはこういう措置をとられるについてもちゃんと保障はしていくんだというお考えを持ってそのようにおやりになるのかどうか、お尋ねいたします。   〔委員長退席、理事林ゆう君着席〕
  52. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 機構としては廃止いたしますが、確かにことに一般の方々に御不便をおかけしてはいけないとわれわれも考えておりますので、先ほども申し上げましたが、本省から官房審議官クラスの者を随時出張させるとかその他の方法を講じまして、どうしてもそういう必要なサービスは提供できるようにいたしていきたいと存じております。
  53. 山中郁子

    山中郁子君 近畿や西日本の方たちの便宜のための渉外事務が引き続いて保障されるという御答弁でございますので、その点については遺漏のないような措置をとられることを要求をしておきます。  二点目ですけれども、今回の設置法の改正の主要な一つの柱であります中南米局設置の問題で、これはひとつ大臣にお尋ねをしたいんですが、この中南米外交の問題の一つとして先般前外務大臣の園田さんがチリの軍事独裁政権のピノチェトを日本に招待したということがございます。御承知のようにこの軍事独裁政権は、選挙で成立したアジェンデ政権を武力で倒すと、そういう軍事政権であると同時に、引き続きチリの国民に対して人権侵害を行っているということで国際的な問題にもなっているそういう政権の代表者であるわけですけれども、ごく最近も、これは朝日の記事ですけれども、十二月一日にアメリカでの「七六年にワシントンでオルランド・レテリエル元チリ外相が爆殺された事件で、チリ政権が犯人三人の引き渡しを拒否した報復として、」の報復措置を行ったということが報道されております。こうした人物を日本が招待するなどということはあるまじきことだと私は考えておりますけれども、この具体的な日程などの計画がおありなのかどうか、その辺をまずお尋ねをいたします。
  54. 正示啓次郎

    国務大臣(正示啓次郎君) 前外相の園田さんが先般中南米諸国を歴訪しました際に、わが方は訪問三カ国の大統領あるいは外務大臣に対しまして儀礼上訪日招待を行ったのであります。   〔理事林ゆう君退席、委員長着席〕 そういう一連の外交儀礼上の配慮から、御指摘のピノチェト大統領についても訪日招待をした次第であります。わが国といたしましては、従来からチリとは時の政権の性格いかんにかかわらず伝統的な友好関係の増進に努めてきているところでありまして、右訪日招待もかかる努力の一環として行われたものと承知いたしております。  なお、同大統領訪日の具体的日程は外交ルートを通じまして協議することとなっております。  詳しいことは担当の者からつけ加えて御説明をいたさせます。
  55. 色摩力夫

    説明員(色摩力夫君) いまの大臣の御答弁を補足させていただきます。  まず、具体的な日程はどうなっているかというお尋ねでございますが、これは園田前大臣がチリを公式訪問なさったときに、外交儀礼として相手国の元首、この場合には大統領でございますが、それから外務大臣の招待ということを申し上げました。そのときの了解は、両国政府の都合のよろしいときに実現すべく両国政府外交チャンネルを通じて話し合うという了解になっておりますが、いまだその話し合いは始まっておりません。もちろんわれわれの承知するところによりますと、先方政府の希望とか、それから将来訪日が実現したときの関連行事その他については承っておることがありますけれども、御参考までに申し上げますと、アジア地区においてはわが国のほかに、中国及びASEAN諸国が同様に招待しております。その関係を先方政府がどう念頭に置いて近い将来どういう形でわが方にアプローチしてくるか、これからのことでございます。
  56. 山中郁子

    山中郁子君 中南米外交の強化ということを大義名分として、そしてまたすべての国との友好などという隠れみので軍事独裁政権への応援ないしは友好を深めるなどという、そういう外交姿勢というものの基本的な問題を私は指摘をせざるを得ません。日本国民の民主主義を大事にし、そして発展させていきたいというその切実な願いを政府はもっと真剣に受けとめて外交姿勢の中で確立をしていくべきだと考えておりますが、そのことを強く指摘もし、意見を申し上げておきます。  次に、この機会に防衛施設庁にいわゆる米軍提供施設の整備費の関係でお尋ねをしておきます。  これは思いやり予算ということを金丸さんが言い出しまして、それが通称になっているわけなんですけれども、最近私の方で五十四年度予算から組まれたいわゆる思いやり予算の五十五年度概算要求ですね、これについてお尋ねをいたしました。そしてその資料をまとめてみますと、契約ベースで昨年は後年度負担も含めて二百二十六億だったものが、五十五年度では契約ベースで新たに二百九十四億九千万という要求になっております。このような莫大な思いやり予算というものがアメリカに対して負担をする何ら義務がないということについては、かねてからこの内閣委員会で私も解明もし、追及もしてきたところですけれども、基本的にこうした予算をさらに増大をさせていくという考え方の根拠がどこにあるのかということをまず初めにお伺いをいたします。  それから、いま私が申し上げました施設庁から聞きました概算要求を取りまとめたものをちょっとお示しをしたいんですけれども、よろしいですか。(資料を示す)
  57. 森山武

    政府委員(森山武君) 日米安保体制の堅持ということがわが国の防衛の基本方針でありまして、そのために米軍がわが国に駐留し、それに対してわが国が施設及び区域の提供ということを行っておるわけでございますが、石油ショック以来のわが国の賃金や物価の急騰、高騰等に伴いまして、在日米軍の駐留経費というものが非常に窮屈になっている実情にあります。このために日本国政府としましては、在日米軍の活動が円滑を欠くような事態に至ることを懸念いたしまして、できる限り協力する必要があると考え、米側の意向も聞きながらいろいろと検討した結果、幾つかの施設についてその改善を図る必要があると認められましたので、地位協定の二十四条の規定によってわが国の経費負担により施設及び区域を整備提供する必要があると、このように判断するに至ったものであります。
  58. 山中郁子

    山中郁子君 四十五年の八月十八日に、内閣委員会で当時の山上施設庁長官が、米軍が入りました後においていろいろな備品をつくる、設備をつくる、家を建てる、これは自分でやるのがたてまえになっておると、このように答弁をされています。このことについては何回も議論が繰り返されておりました。それにもかかわらず、政府はその後解釈を変更して、そのような答弁は地位協定の運用について述べていたのであって、地位協定の解釈を述べたものじゃないと、こういうようにすりかえてきたわけですね。この点についてまた議論を蒸し返す時間はきょうは限られておりますのでありません。  改めてお伺いをしたいのは、七三年の三月十三日の当時の大平外務大臣が、政府としてはその運用、つまり地位協定二十四条ですね、この運用につき原則として代替の範囲を超える新築を含むことのないよう措置すると、こう答弁しているんですね。これもすでに議論をしたところでございますけれども、ここで改めてこれをなぜ変更するのか。五十四年度予算もそうですし、五十五年度概算要求もそうですけれども、これをお尋ねいたします。
  59. 森山武

    政府委員(森山武君) ただいまの先生指摘の当時の外務大臣答弁は、当時の国会におきます論議を踏まえた上で、既存の施設区域におけるリロケーションとかあるいは改修、改築等の代替の場合において、原則として代替の範囲を越える新築というものは含まないように措置するという政府としての地位協定運用上の方針を示したものであって、一般的に新規提供及び追加提供について述べたものではないと私ども承知しております。
  60. 山中郁子

    山中郁子君 それじゃこの時期から新たにこうしたものについても運用上できるんだという解釈をされてお金を出してきたのはなぜですか。それまで出してなかったですよ。
  61. 森山武

    政府委員(森山武君) 実際問題としてそのような必要性といいますか、そのような実態がなかったと承知しております。
  62. 山中郁子

    山中郁子君 じゃ、アメリカの方で、アメリカが大変だから思いやったということの金丸さんがさんざん言ってらした、そういうことだということですか。
  63. 森山武

    政府委員(森山武君) 在日米軍の駐留費というのが非常に窮屈になっておる、そのような実態を踏まえまして当時の防衛庁長官であられる金丸大臣が、そのようなことを考えることが日米安保体制の堅持の上で必要である、それで日米関係を維持することができるんだと、このような考えで日本国政府の負担において地位協定二十四条の範囲内においてできるだけのことをしようということになったと承知しております。
  64. 山中郁子

    山中郁子君 二十四条の範囲内じゃないんですよね。で、私はここに金丸さんがお書きになった「わが体験的防衛論」、サブタイトルに「思いやりの日米安保新時代」となっておりますけれども、ここに金丸さんがその経過を連綿と書いていらっしゃるわけで、大変興味深い本です。残念なことに短い時間でございますので、いろいろ御紹介できないんですけれども。こう書いておるんですね。まずアメリカから何も要求されてはいないということを繰り返しあなた方は言ってこられました。しかし、金丸さんはここで、丸山事務次官、当時の亘理施設庁長官が私のところに来て、「ラビング在日米軍司令官がやってきて、円高・ドル安で困りきっている。なんとかしてもらいたいと訴えている」と、こう言ってこられた、まずですね。そして「当時、基地施設に関しては、地位協定上、政府の解釈として「代替の範囲を超える新規提供はしない」」こういう大平外務大臣答弁があり、「新規の施設の提供は難しいということになっていた。」そして、しかし「ここで、日本側が思い切ったテコ入れをしないと、在日米軍は財政面でパニック状態になってしまう。」ので、「責任は私が持つし、できるかぎり野党対策も引き受ける。発想の転換でやってみてもらいたい」と強く指示した。」私ここに書いてあるとおり読み上げていますよ。で、「私の指示に、丸山事務次官、亘理施設庁長官も深くうなずく。われわれは極秘のうちに、地位協定の思い切った柔軟解釈による、在日米軍に対する財政援助を実現する決意を固めたのであった。」こう書かれています。それで、その後「亘理君は「条約上、日本として非義務の支出であっても、予算案に計上し、国会の承認が得られれば、歳出しても違法ではない」という財政法上の強気の解釈をも示し、分担増実現の道を開いたのであった。一方、私も野党側の協力取り付けに全力をあげた。社会党は石橋政嗣君、公明党は矢野書記長ら、民社党が永末英一君、新自由クラブは西岡幹事長らと非公式に懇談して、協力要請して回った。」と、こういうことまで書いて、そして本を発売しているんですよ。あなた方言ってきたことみんなうそじゃないですか、そうでしょう。何回そういうことを言ってきましたか、米軍からは何も要請は来ていない、地位協定上できるんだ。できないけれどもいろいろ苦労してこうやってこじつけた。金丸さんがもう舌の根の乾かない先に書いているじゃないですか、どういうことですか、これは。
  65. 森山武

    政府委員(森山武君) 最初のお尋ねの米軍の要請のことについて私の経験からも申し上げますが、私どもいろいろと米軍と交渉いたします。その際に、米軍がああしてくれこうしてくれということじゃなくて、米軍の困っている実情というのはよく実例を挙げたりして訴えられます。それで私、そこで言われていることは米軍の公式な要望ということじゃなくて、在日米軍の駐留に対してどれだけ困っているかというふうな話はたびたび聞いております。それはまたそのようなことを聞いたことがないという御答弁もしてなかったと思いますが、そのようなこと……
  66. 山中郁子

    山中郁子君 要請を受けてないといいましたよ、何回も。
  67. 森山武

    政府委員(森山武君) 公式な要請はございませんが、困っている実情をいろいろと聞かされることはたびたびありました。そのようなことでわれわれも実態を知り、それでこのような困っている在日米軍の駐留経費というものを何とか手伝う方法はないかというふうに考え始めたわけでございます。  それから、第二点の件につきましては、私ははっきり言って当人じゃないのでその件はよくわかりませんが、ただ当時、政府の解釈としても現在の思いやり予算に関する解釈というのは当時からあったと、ただ、大平答弁の政府の指針との関係でそれが非常にやりにくくなっていたということは事実でございますが、その辺の事情を述べたものかと思われます。
  68. 山中郁子

    山中郁子君 森山さん、あなたついこの間まで横浜防衛施設局長されていらっしゃいましたからよく御存じだと思いますけれども、厚木基地、住宅二百十戸ですね、五十四年度予算で建設するということについて神奈川県や綾瀬市が反対している、御承知のとおりでしょう。そして、この膨大な莫大なお金をですよ、何の義務も、義務づけされていない——それは地位協定二十四条自体問題ですよ。しかし、それを横におくとしても、亘理さんだってここで義務づけはされてない、義務づけはされてないけれども出せるんだという強引なしかも最大な柔軟な解釈をして出したと御自分も言っているし、金丸さんも書いているんですよね。  で、私、大蔵省にお伺いいたしますけれども、こういういま国が盛んに財政危機だ、財政危機だ、やれ、あれも削る、あれも削る、いろんなアドバルーンを上げていらっしゃる。しかし、義務にもなっていないものを、こんな莫大なお金をアメリカ軍の施設整備のために提供するという防衛施設庁の概算要求についてはよもやお認めになれないと思いますけれども、いかがですか。
  69. 畠山蕃

    説明員(畠山蕃君) 米軍の施設提供の整備費といたしまして、契約ベースで約二百九十五億円の概算要求が出されていることは御指摘のとおりでございます。現在、主計局内部におきましては使途、他の経費も含めまして鋭意査定作業中でございまして、現在どのようにするかという最終的なことを申し上げる段階にございません。  なお、今後とも引き続きましてこれら他の諸経費とのバランスを十分考慮いたしまして、防衛関係費全体及びその中におきますこの施設提供整備費につきまして適正な規模の予算を計上するために慎重に検討してまいる所存でございますが、いずれにいたしましても、五十五年度予算におきましては非常に厳しい形になりますので、どの経費につきましても厳しい結果となろうというふうに考えております。
  70. 山中郁子

    山中郁子君 もう一つ基本的な考え方をお伺いしたいんですけれども、当時の施設庁長官の亘理さんはこの問題について、もう一度読み上げますよ「条約上、日本として非義務の支出であっても、」義務のない支出であっても「予算案に計上し、国会の承認が得られれば、歳出しても違法ではない」。いまこの大変な財政危機だと言っておられて、それで教科書の無料もやめようか、あるいはお年寄りの医療費の無料も制限つけるとかさまざまなことを言って国民の中で大問題になっているときに、義務がない予算を出すなんていうことはもってのほかですね。そんなことをするお考えはないわけですね、大蔵省の予算編成の基本的な考え方として。
  71. 畠山蕃

    説明員(畠山蕃君) 一般的に法律及び条約に基づく義務費のみを予算に計上するということではなしに、たとえば予算補助というものもたくさんあるわけでございまして、そういう必要性につきまして十分検討の上それぞれ計上するということになりますので、この経費につきましても、他の経費との関係等考慮しまして慎重に検討をいたしたいと思っております。
  72. 山中郁子

    山中郁子君 文部省においでいただいていると思いますけれども、この予算の問題との関連で二点お尋ねいたします。  いま大きな問題になっております。先ほども申し上げました小・中学校の義務教育の教科書代です。これが有料にするというようないろいろな論議だとか、あるいは伝えられる問題がございますけれども、文部省としてどれだけの金額をどのように要求されて、どのように考えていらっしゃるか。  あわせてもう一点、高校建設の補助金の問題です。五カ年計画で、これが来年度で五カ年計画が終わるという状態になると思いますけれども、その後の問題についてどのようにお考えになっていらっしゃるか、あわせてお伺いいたします。
  73. 藤村和男

    説明員(藤村和男君) 来年度の教科書無償についての予算でございますが、来年度の児童生徒数の見込みが千六百九十八万人でございますので、それらの数にあわせまして四百十六億円の概算要求をいたしております。
  74. 山中郁子

    山中郁子君 高校建設の方はわかりません。——四百億ですね、そういう大きな問題になっている国の教育上の重要な一つの基礎になる義務教育の教科書代が財政再建ということで大きなまないたにのせられているような状況があります。この問題と関連して考えてみていただいてもわかりますけれども、条約上義務がない、思いやりだ。しかも、それまでのいままでそういうことで強引に支出をしてきた経過は、私がいま若干拾い読みをしただけしか時間がありませんでしたけれども、この背景が綿々とここに語られているんです。そういう中身で二百九十億、そしてこれを五十四年度で決まったものの五十五年度歳出分を含めますと、これが約八十六憾ありますから三百五十億を超えるわけですね。その四百億に匹敵するぐらいのお金が条約上義務がないということである米軍に対する思いやり予算だといって支出をされるという、この問題は私は政治の基本の重要な問題だと思います。アメリカに対して思いやる前になぜ日本の国民の、日本の暮らしを思いやらないんですか。そこのところを私は強く指摘をし、意見として申し上げておきます。  最後に外務大臣に、大平さんが外務大臣のときに、先ほどから私が引用いたしました答弁をされていらっしゃるわけです。しかし、それにもかかわらずその経過はずっとごまかしごまかし、うそをついて、そしてやめられたら早速こういう本音を書いて、野党の人たちにまでみんな根回ししたといってあからさまに書いて、そういう政治のあり方というのはあなたどう思われますか。みんなごまかしているのよ。国会をだまして、うそをついて国民をごまかして、そして切り抜けてくるそういう政治のあり方というのはどう思われますか、大臣の御意見を伺います。
  75. 中島敏次郎

    政府委員中島敏次郎君) 事務的な問題につきまして私から御説明若干させていただきます。  先生の御所論には多少誤解があるのではないかという気がいたしますので、若干御説明させていただきます。まず、いまのような支出をやることは条約上義務がないというお話でございましたが、一亘理次官がいかなる意味でそういうことを言われたのかは私の思い知るところでないわけでございますけれども先生承知のように、地位協定の二十四条におきまして、施設区域の提供は日本側の義務である、この協定の存続期間中施設区域を米側に負担をかけないで提供する義務が日本側にあるというのが基本でございます。  そこで問題は、具体的にどのような施設を提供することになるかという点は、これは具体的な事情に即しましてそのときの安保条約の目的達成との関係とか、わが方の財政の状況とか、社会的経済的影響というようなもろもろのファクターを勘案しまして具体的にどの施設を提供するかということが決まりまして、それを予算に組んで国会の御承認を仰ぐ、こういう経過になるわけでございます。  ところで、先生のお話のありました大平答弁は、先ほど施設庁からもお答えがありましたように、地位協定の運用上の指針として、代替関係があるようなものを、既存の施設区域の中に新しい建物をつくるとか、老朽施設を改築するとか、そういうような場合の運用上の指針を外務大臣として当時述べられたものでありまして、当時の国会の御論議にも明らかでございますが、私どもといたしましては、その既存の施設区域、すでに提供した施設区域の中に新しい建物をつくって提供するということもこの地位協定二十四条の施設区域の提供に該当するものであって、条約上の解釈としては、そのような新規の建物を既存の施設区域の中に提供し、または老朽施設を改修改築するということは条約上できるところでありますということを当時よく御説明申し上げたわけでございます。ただ、具体的に当時岩国とか三沢の隊舎の改築の問題でいろいろ御論議が出て、その御論議を踏まえて当時の大平外務大臣が、代替性のあるようなものについては、代替の範囲を、前の取りつぶすものの規模を超えないようにすることによって、施設の整理統合を名として基地の中における建物等をふやしていく、大きくしていく、そういうようなことはするつもりがありませんということをお述べになったものだという序うに理解しておるわけでございます。ただ、先ほど先生からも御指摘があったように、じゃ当時どうしてそういうのがなかったのだという点でございますが、まさに当時そういう実体的な必要性がなかった。それが近時、日本の物価の上昇とか、米軍の予算の逼迫とかというような時代において、金丸長官がいみじくも言われたように、米側に対する思いやりを示して、日本としてできるだけできることがあればこれを行うということが日米安保条約の目的を達成する上で必要であるのだと、それは単に安保条約の問題のみならず、ひいて、やがてはわが駐留軍従業員の雇用の安定というようなところまで響くような問題として日本側が自主的にこれを処置することが必要だというふうにお考えになられて私どもにも御相談があり、この問題を進めたと、ことしも同じような考え方に立って防衛施設庁が予算の要求をしていらっしゃる、こういうふうに私どもは理解している次第でございます。
  76. 正示啓次郎

    国務大臣(正示啓次郎君) 山中委員からいろいろ御指摘がありまして、関係者からお答えをいたしました。若干立場の違いのあることは、私も聞いておりましてはっきりいたしました。今度、財政再建第一年度という意気込みでただいま政府全体が強い姿勢で臨んでおります。しかし、強いばかりがあれではございませんので、やはりそこにはおのずから緩急順序を立て、来年度の予算編成までにはいろいろ苦心をしなければならぬことは申し上げるまでもございません。いまお述べになったような御意見も十分考慮に入れながら、しかしまた対米関係日本の防衛の問題非常に大事な問題でございますから、彼此勘案しながら十分りっぱな予算を組むようにわれわれ内閣挙げて努力をいたしたいと、こう存じております。
  77. 山中郁子

    山中郁子君 引き続き次の機会に解明並びに究明をすることにいたしまして、きょうは時間が参りましたのでこれで終わります。
  78. 秦豊

    ○秦豊君 きのうの決算委員会で少し不満が残ったものだから、きょうこの設置法に絡んで改めて千葉さんの担当の範囲、中近東問題を少し変わった角度からアプローチしてみたいと思うのですが、たしか今度の国会は十一日に終わるわけですけれども外務省としては中近東の大使会議をすでに予定されて、たしか十二月の十一日から十三日までの期間ではないかと思います。当然UAEに駐在されている村田さんも帰ってみえる。で、会議が終われば当然アブダビに帰任をされるわけですがね。そうしますと、この前私も去る五月に三時間半ばかりゆっくり会ってきたオタイバ氏の仲介で、いわゆるPLO側と日本外務省との、いわばやや非公式やや公式というふうな第一回の会談が持たれたわけですよね。その結末は必ずしもつまびらかにはされていないけれども、せっかく本省で中近東の大使会議があれば、千葉さんね、当然村田さんが帰るのを待ちかねたようにして第二回のPLO側との接触があるというのは、これはもう常識的に考えてあり得ますよね。もちろん、カラカスの会議がありますからその連関もありますけれども、しかし、いずれにしても二回目の会談のときに一回目でのりピートというわけにはいかないですしね。当然、たとえばPLO側としては大使会議の結果はどうだったのだと。一体日本政府としては、大平さんは本会議で一応概念を述べる、大来新外相も、これも干からびてはいたがやや前向きともとれるニュアンスを少しこぼしたと。これは一つの積み重ねだというそういうサウンドは受け取っているとは思いますが、そこから向うが全くわからない。それで千葉局長に伺っておくのだけれども、私は、第二回会談があり得るとして、日本政府側からやっぱり少し前向きの感触を当然彼らは欲しているに違いないと思います。どうでしょう。
  79. 千葉一夫

    政府委員(千葉一夫君) 秦委員指摘のとおり、確かに二回目の会議は予定されておりますが、ただ、いまの段階ではいつというふうには決まっておりません。また、だれとやるかということは決まっておりません。ただし、アブダビではやると。それで、御指摘のとおり、村田大使現地に帰任してから後ということでございますが、まだはっきり決まっておりません。  そこで、その話の内容でございますが、これはまだ話は進行中でございますので私の方から御報告するということはちょっとお許し願いたいのでございますが、第二回目におきまして、第一回目の話を受けて何らかのいろいろな意味での前進ということは当然あるわけでございます。ただし、この第二回の会議でもって果たして全部話が終わるのか、またさらに続けてやる必要があるのか、あるいは場所を変えてやるとか、そういった可能性は十分ございますので、いまの段階では、私どもとしては私たち自身明確なる見通しは持っていない次第でございます。
  80. 秦豊

    ○秦豊君 私、こういうふうに思っているのですがね。第一回会談は瀬踏みのようなものですよね。やることに最も積極的な意味合いがあって、しかも全体としてプラス効果があった。第二回は、ずばり申し上げればアラファト氏の来日問題です。焦点をいろいろ考えてみると、一つしかないです。そうすると、村田さんせっかく本省の会議へ行かれたのだから、日本政府は本当のところはどうなんですかと、必ず詰めてきます。これがいわゆるプロとプロのアプローチの普通の形ですよね。そういうときに、いや実は今度の大使会議でも本省から指示を得るに至らなかったと、申しわけありませんねと言ったのでは、私は身もふたたもないと思う。そういう素人の会談のようなことはできません。国際学生会議みたいなことはできませんよね。そうすると、当然一歩の踏み込みを向こうは求めてくる。そのときに白紙で村田大使を帰任させるのでは本省のガバナビリティーの問題を問われますよ。だから、アラファトさんの訪日問題については、どういう回答だったら村田大使にゆだねられるのか、その辺ぐらいの方向がないと、すでに大使会議だからいろいろあなたも考えておられるでしょう、ぎりぎりのところをやはりきょうはお答え願いたいと思う。どうでしょう。
  81. 千葉一夫

    政府委員(千葉一夫君) 先ほど御答弁申し上げましたように、現在進行中の会談でございます。厳密な国際交渉ということであるかどうかはまたこれは別でございましょうが、国際交渉に類する問題でございます。したがいまして、その内容につきましては、先の予想も含めまして、先ほど御答弁申し上げましたとおり、もうちょっと時間をかけてみないとわからない、いま申し上げる段階には私どもにつきましては来ておらないということをお答えするほかはございませんので、御了承願いたいと思います。
  82. 秦豊

    ○秦豊君 そうしたら、ちょっとこの使う日本語を変えてみましょうね、あなたに対して。こう聞いたらあなたはどういうふうに答えますか。たとえば、私の知る限りでは三木内閣のときにカドゥミ氏が東京に見えた。ぼくたちは当然どういうふうに接遇するかなあというような大きな関心を持っていましたよね。そうすると、報道された限りで言えば、ちゃんと当時の三木総理が会っている。現職の外務大臣が会っている。もちろんそれは公式ではありませんよという、見出しはどうつけてもいいんですよ。現実に会っている、ちゃんと時間を正式にとって。こういうことがありましたよね。そうすると、あのときもそうであったと、あれから日本外交としての中近東外交への傾斜というか、深まりはかなりあったと私は思うんですよ、部分的評価ときのうも申し上げたんだけれども。そうすると、三木内閣のときにそうだったのであれば、われわれパレスチナ友好議連が、もうこれ、ことしの夏にインビテーションレターを送っているんで、ところが、宇都宮さんとか木村俊夫元外務大臣とか、みんなわれわれのメンバーなんだが、一向にはかばかしくないのはなぜか。ただ一つ、外務省の対応がどうもわかりませんのでねと、これですよ。何回レター送ってももうだめですよ。  そこでぼくは何回も聞くわけなんだけれども、三木内閣のときにもうその程度の接遇をされたのであれば、今度仮に八〇年の、明年のある時期にアラファト氏が来日をされた場合には当然しかるべき接遇のあり方はあるでしょう、たとえば総理が会うとか。そのころも多分大平さんだと思いますが、大来さんも多分外務大臣だと思いますけれども、当然しかるべき対応はあり得るでしょう、ケースとしては。これはどうですか。
  83. 千葉一夫

    政府委員(千葉一夫君) 昨日、参議院の決算委員会で御質問に答えまして私が御答弁申し上げましたとおり、カドゥミ政治局長の前回来日の際の前例というものをわれわれは参考にしてやっていくつもりであるということを申し上げたわけでございます。  ただ、それでは具体的にいまどういうふうなことを考えておるかということになりますと、実はまだ、いまアラファトさんというお名前を先生おっしゃいましたですけれども、アラファトさんにいたしましてもあるいはカドゥミさんにいたしましても、まだ現実にこちらへおいでになるということが決まっているわけではないわけでございます。ただいま先生おっしゃったとおりでございます。そこで、仮に訪日が実現した場合どうかと、いわば仮定の問題でございますけれども、われわれとしては、たとえばわが方の中東政策とか、特にその中のパレスチナ問題とか、あるいはPLOに対しますわが方の態度でございますとか、そういったようなことを踏まえて、それから先ほど来申し上げておりますとおりのカドゥミさんの前例等も参考にしながらこれが具体化したという段階においていかに処遇するかは検討していかなくちゃいけないと、こう思っているわけでございます。
  84. 秦豊

    ○秦豊君 まあ慎重が美徳である場合もあるが、あなたのは過剰だよ、それは。その程度のことを、日本語をこぼして、全然妨げありませんよ。日本外交や国益を損ねる、みじんもありませんよ、あなた。いいですか。だから、じゃこう聞いたらどうですか。カドゥミさんのカドゥミ・ケースをエグザンプルにするとおっしゃるならば、アラファト氏が来れば——ランクは言いませんよ、PLO内部における。当然、当時三木政権がなした接遇程度はケースとしてはあり得ますというふうに私がとってもいいでしょう。違いますか。
  85. 千葉一夫

    政府委員(千葉一夫君) まあカドゥミさんのときの前例をも参考とするということを申し上げておりますので、おのずと意のあるところはおくみいただけるかと存じます。
  86. 秦豊

    ○秦豊君 私はじゃあ、独断と偏見ではなくて、そのようなカドゥミ・ケースはアラファトケースにも当てはまるあり得るケースと、それぐらいは日本外務省もどうやら考えているというふうに私は受け取りますよ。間違っていたらあなたは取り消さなきゃだめですよ。  そこで、私は、まあ元首級とか承認というふうな国際法に絡んだ厳密な対応はとてもいま無理だと思う。やっぱり穏歩前進で、すり足ですよ、こういう問題は。しかし、アメリカのケースを調べてみると、たとえばストラウス中東特使などはニューヨークにでんとした事務所を構えて、ヤング氏の首ははねた、ヤング氏をパージにしたって、ストラウス事務所はもうPLOの高官がどんどん頻繁に出入りしているんですよ。あらゆるジャーナリストの衆人環視のもとでね。公然たるものですよ。表は表、裏は裏、みごとなまでの使い分けをアメリカ外交はしている。だから日本外務省も、千葉さん、それは非常にガードのかたい局長でいらっしゃるようだけれども、そんなに過度に、特にこれは国会の舞台なんだから、それでしかもPLOはわれわれパレスチナ友好議連の動きをよく見ているんだから、多少のことはお述べになってもいいと思うので、きのうきょうしつこくあなたを攻めているわけですよ。  それで大体わかりました。来日の場合どうされるかはわかりました。それでいいでしょう。またそうしていただきたいと思います。だから元首級なんていうことになると、元首として日本に見えたのであれば天皇陛下までの接見行為が生ずるから、なかなか外務省だけでははかばかしくないというふうな過度な配慮をされないで、だから私はきょうの受けとめ方は、アラファト氏が仮に東京を来年の初夏なり春なりに訪問することがあれば、しかるべき粗略のない対応はあり得るというふうに聞いておきます。  それからもう一つだけちょっと聞いておきたいんだけれども、PLO問題に絡みまして、この間オタイバ氏がやってきましたね。オタイバ氏に対して勲一等なんていう措置はちょっとやや私は余りぴんとこなかったんだけれども、まあまあいいでしょう。オタイバ提案といいますか、PLO問題の解決に絡んでかなりぐさりとした率直な提案は外務サイドにもたらされたんですか、何もなかったんですか。表敬訪問的な和気あいあいたる会談で終わったのか、オタイバ提案なるものがあり得たのか、どうなんでしょう。
  87. 千葉一夫

    政府委員(千葉一夫君) 大変恐縮でございますが、そのオタイバ提案とおっしゃいますのは、今度のPLOとの話においての提案か、あるいはこちらへお見えになったときに総理とか外務大臣とお会いになっていますが、両方でございますか。
  88. 秦豊

    ○秦豊君 はい。
  89. 千葉一夫

    政府委員(千葉一夫君) こちらへ来られて総理や外務大臣にお会いになりましたときは、PLOとの対話を一層密にした方がいいでしょうと、私、すなわちオタイバさんが橋渡しをしてもよろしいと、こういうことをおっしゃったわけで、要するにそれに尽きるわけでございます。それから、実際上のPLOとの対話、話し合いでございます。アブダビの。ここにおきましては、先ほども申し上げましたとおり現在進行中でございますからちょっと申し上げる自由はございませんけれども、特にオタイバさんの方から何か独自の御提案があったというふうには私ども印象を受けておりません。
  90. 秦豊

    ○秦豊君 この問題、一応きょうはこの程度にしておきましょう。  官房長、あなたに突然で恐縮なんだけれどもちょっと伺っておきたいことがあるんですがね。それは、いまそこのホテルで日ソ円卓会議なるものが開かれていまして、それぞれの専門家が日ソ問題をいま討議している。それで、日ソ問題について私の知る限りでは、たとえば善隣協力条約なるものは園田外相は受け取っていないという対応をしていますよね。正式に別に読む義理もなければ受け取っていない、こういうふうな。ところが福田政権全体として見ると、一応表面とは別に前進があったのではないか、公式とは別に。そしてそれが大平内閣にはどのように引き継がれているのか。つまり日本外交と日ソ善隣協力条約の位置づけですね。たとえば外務委員会や予算委員会の論議をずうっとひっくり返してみると、まあ一言で言えば、もうにべもないと、対応する必要のない、やっぱり日ソ間については平和条約の締結、つまり北方領土問題との連関以外にオーソドックスな対応はあり得ない、こういうのが議事録には頻繁に出てくるので、善隣協力条約については福田政権のときにも裏表合わして前進は何らなかった、日本外交方針は変わっていなかったというふうな理解でいいですか。
  91. 武藤利昭

    政府委員(武藤利昭君) 善隣協力条約につきまして日本政府の対応はただいま御指摘のあったとおりでございまして、そのような基本的態度を維持いたしております。すなわち、日ソ間において残された課題は北方領土問題を解決して平和条約を締結するということであって、まずその目的のために前進しなければならないというのが政府の態度でございます。
  92. 秦豊

    ○秦豊君 それで欧亜局長せっかくいらしているのだから、もう一つ二つちょっと伺わしてください。  いまソ連問題を専門にしているジャーナリストとか研究家、学者の中には、今度の円卓会議というのは大平訪中に対する一種のあえて言えば牽制球であると、政治効果は。まあ観測は自由だと思うんだが。そこで、会議の最終日に恐らく打ち出されるであろうものは、ソ連側から、モスクワから東京への一種のバロンデッセの機能を円卓会議に託しているのではないかと、どういうバロンデッセかというと、たとえば欧亜局長がいま答弁されたように、まさに善隣協力条約はもうたなざらしと、ほこりをかぶっていると。ならば、この際どうするかという一つの手として、国家と国家の間の一種のドクトリンですね、ちょうど周恩来外交における平和五原則のようなもの、だれが読んでも当たりさわりのないものを何カ条かにしぼってそれを打ち出す。基本原則、日ソ両国間にあり得るケース、つまりたとえば平和とか友好とかそれぞれの当たりさわりのないものを打ち出して、それを文書化すると、そういうものについてまず日本がその程度ならいいのではないかというならばサインをする。たとえば日ソの外相会議なら外相会議で、つまり平和路線、内政不干渉、領土不可侵というような問題について、あるいは友好協力、経済文化協力の増進というふうなものを五つなら五つの部門にしぼってそれで両方合意した文書をリファインしてまとめる、サインするというふうな手を打ってくるかもしれませんね。非常にこそくだし、余り意味がないとぼく自身は思っておるんですよ。ただそういうふうな報道もそろそろまた意見としても散見されるので、せっかく欧亜局長いらっしゃるから、たとえば霞が関の感覚からするとそういうものはどうなんですか。
  93. 武藤利昭

    政府委員(武藤利昭君) 日ソ円卓会議、これは御承知のとおり民間レベルのものでございまして、政府はそのオーガナイゼーションには関知いたしておりませんので、総理の訪中をにらんだものであるかどうかというような点についてお答え申し上げる立場にはないわけでございますが、ただ、いま御指摘のございました何か文書をつくるという件につきましては、実は昨日共同コミュニケのようなものが採択されまして、その中で日本とソ連が新しい友好善隣の国家関係の諸原則についての文書を作成するための協議を開始することが必要であるというようなことが述べられているということを承知いたしております。ただ、これはいまも申し上げましたとおり、政府レベルの話ではございませんし、その諸文書につきましても一体どういう内容のものを考えておられるのかもわからない段階でございますので、政府としてのコメントを申し上げることは差し控えたいのでございますが、ただ本件につきまして基本的な外務省の考え方を申し上げさせていただきますと、一方におきましては、日ソ間の関係を律する原則というものは一九五六年の日ソ共同宣言にもすでに盛られているわけでございますし、一九七三年の、当時の田中首相が訪いされましたときのコミュニケにもかなり詳しく盛り込まれているわけでございまして、基本的にはそのようなもの、まず、先ほど申し上げましたとおり平和条約締結を目指すということが目標でございますし、また仮にソ連の方がそういうような友好善隣の国家関係を律する文書というようなものに関心を有するのであれば、われわれといたしましては、まず現段階において、つまり北方領土においてソ連が軍備を増強していると、日本国民にとってはなはだこの非友好的な行動を一方においてなしながら、他方において友好善隣を口にするというのは若干矛盾しているのではあるまいか。まず友好善隣を言うのであれば、その友好善隣の精神を行為でもってあらわしていただきたいというのがわれわれの偽らざる心境でございます。
  94. 秦豊

    ○秦豊君 外務省からこれ簡単な資料をちょっといただきまして拝見してみたので、これを踏まえてちょっと伺っておきたいのですが、官房長大変これ厳しいですよね。いままでの増員のペースと今後の定員拡充六カ年計画とは、それはもう相当ギアの切りかえをやってもこれは無理だな。二百七十名の増員というようなことが果たしてこれ可能ですか。たとえばいままで八十人台ですよね、ほとんど三倍増でしょう、こういうふうなことは果たして一体、まさにペーパープランに終わるのではないかと、私懸念を持っているんですけれどもね。定員拡充六カ年計画のリアリティーというか現実性というかな、これを仮に逆に行管のサイドから見ると、これどういうプランに見えますか、局長
  95. 加地夏雄

    政府委員(加地夏雄君) 私ども外務省から六カ年計画という計画の話を伺っております。先ほどの官房長からの答弁にもございましたように、行政管理庁も実は厳しい定員管理をやってまいっておりますけれども、やはり外交機能あるいは外交体制の強化という点については、十分そういう厳しい中ではいままで相当な増員をしてきたつもりでございます。先ほど申し上げましたように、実績で申し上げれば、率から申しますと全省庁について一番高い率の増員をしてまいっておるわけであります。したがって、今後もそういう基本的な考え方を私どもちっとも変えておりません。ただ今日、現在の時点で申し上げれば、御案内のように非常に厳しい状況の中で公務員総数全体を縮減をしなくちゃいけない、こういう状況がございます。そういうこともありまして、私どもとしては当面の問題として申し上げれば、やはり等しからざるを憂うというふうな御理解もいただきまして、極力私どもも増員の配慮はいたしますけれども、そういった面もひとつ外務省の方としてもお考えいただきたいと、こういうふうに考えておるわけでございます。
  96. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 非常に非現実的な計画ではないかという御指摘でございますが、われわれは平均すれば二百七十名の増員をお願いしていることになるわけでございますけれども、初年度でもございますので、五十五年度につきましては先ほども申し上げましたように二百三十六名の増員をお願いしておるわけでございます。一方、計画削減というものがございまして、これは実は大体三十四名になっておりますから、実質は二百二名でございますから、従来のペースが八十九名といたしますとその二倍ちょっとでございまして、それほど非現実的ではない。しかも、われわれは非常に人手が要りますということをもう切実に感じておりますので、実は配置転換をぜひお願いしたいと、どこの省庁からでも結構ですから、外務省の事務をやっていただける人がおるならば喜んで受け入れますということも行管に申し上げている次第でございます。
  97. 秦豊

    ○秦豊君 それは山崎官房長はそうお答えにならなきゃ、弱気な官房長じゃ第一百人も突き破れませんわな。そうすると、伺っていると行管庁としてはやっぱり有力な援軍にはなりそうもありませんな。何かシビアですよ、かなり。しかもこれから行革路線というのは恒常的な路線でしょうからね、基本的な。これはやっぱり頭が痛いですね。  そこで伺うのだけれども、配転推進連絡会議というのはおつくりになったんでしょう。いままでにどういうふうな洗い出しでどんな成果があったですか、余り実りがないですか。
  98. 加地夏雄

    政府委員(加地夏雄君) 国家公務員全体を通じた配置転換の問題というのは、実はこれは非常に古くてしかも新しい問題でございます。それほどむずかしい問題であるということがございます。かつて四十年代におきましても、配置転換の考え方を打ち出したときがございますけれども、実は率直に申し上げまして、現実に配置転換という形で動いてきたのはいままでございません。ただ、今日の時点におきまして、私どもとしては真剣にこの配置転換の問題をいま打ち出して具体的な検討を始めておるわけでございます。ただいま外務省の官房長からお話ございましたように、そういった全体の厳しい中でそれぞれ定員の充実を図っていきたいと、こういうお立場から各省の中には配置転換を受け入れましょうと、こういう省庁も出てまいっておるわけであります。非常にむずかしい問題でございますが、来年度最初の試行と申しますか、ともかくも手がかりをつける意味におきましても具体的な成果を得るようにやっていきたいということで、実は先般各省の官房長を会員とする配置転換問題協議会をつくったんでございまして、これから暮れにかけまして出す方と受け入れる方ですね、それぞれ調整をいたしまして具体的な着手に入っていきたいというふうに考えております。
  99. 秦豊

    ○秦豊君 これはなかなか、たとえばじゃよろしいと、ある程度供出——言葉は悪いが差し出しましょうと言ったって、どの省庁だってピカ一のあと十何年で何々というようなランクの見えているような、前途の非常に開けたえりすぐりのエリートをおのれの省庁を犠牲にして外務省に差し出すと、これはあり得ない。そうすると実際にはやや失礼だけれども、なるべくどうぞというような方がかえって希望したりして間尺に合わないと、だからいかに外交官適性を広義に解釈されようとも、単に語学適性だけじゃなくて、外交官適性を広義に解釈してもぼくはなかなかこれは至難だと思う。大来さんはああいう体質の人だから開かれた外務省だなんて言い出しているようだが、たまたまマスコミ出身の方は山崎さんのお話を聞くと五名ですね。私の友人の波多野氏もいまロンドン在勤しているが、あれは一つの成功例に必ずぼくはなると思うんだけれども。アメリカとかヨーロッパの場合は、わりとジャーナリストあるいは学者、プロフェッサーが外交官に抵抗なくさっと横滑りする。日本の場合は外務省が知られ過ぎているためか、なかなか二の足、三の足を踏んじまう、余り外務省が愛されていない。だから必ずしも省庁間においてもぼくはほとんど絶望的と思う。でも、なおかつ努力を要請しましょう。  それから、開かれたほかの世界からのいわゆる輸血ですね、俗な言葉で。これもしんどいと思います。しかし、せっかく努力あらんことを最後に要望いたしまして、質問を終わります。
  100. 古賀雷四郎

    委員長古賀雷四郎君) 他に御発言もなければ、質疑は終局したものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  101. 古賀雷四郎

    委員長古賀雷四郎君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより討論に入ります。——別に御発言もないようですから、これより直ちに採決に入ります。  外務省設置法の一部を改正する法律案を問題に供します。  本案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  102. 古賀雷四郎

    委員長古賀雷四郎君) 全会一致と認めます。よって、本案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  103. 古賀雷四郎

    委員長古賀雷四郎君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  この際、正示外務大臣臨時代理から発言を求められておりますので、これを許します。正示外務大臣臨時代理
  104. 正示啓次郎

    国務大臣(正示啓次郎君) ただいま外務省設置法の一部を改正する法律案を御可決いただきまして、まことにありがとうございます。私といたしましても、本法律の執行につきまして遺憾なきを期し、外交機能の強化に一層の努力を払ってまいる所存でございます。
  105. 古賀雷四郎

    委員長古賀雷四郎君) 本日はこれにて散会いたします。    午時一時二十三分散会      —————・—————