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1979-05-31 第87回国会 参議院 内閣委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十四年五月三十一日(木曜日)    午前十時三十分開会     ―――――――――――――    委員異動  五月三十一日     辞任         補欠選任      野田  哲君     佐藤 三吾君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         桧垣徳太郎君     理 事                 岡田  広君                 林  ゆう君                 山崎  昇君                 向井 長年君     委 員                 源田  実君                 斎藤栄三郎君                 塚田十一郎君                 西村 尚治君                 林  寛子君                 原 文兵衛君                 堀江 正夫君                 片岡 勝治君                 佐藤 三吾君                 村田 秀三君                 和泉 照雄君                 黒柳  明君                 山中 郁子君                 森田 重郎君                 秦   豊君    国務大臣        国 務 大 臣        (総理府総務長  三原 朝雄君        官)    政府委員        内閣官房内閣審        議室長内閣総        理大臣官房審議        室長       清水  汪君        内閣法制局長官  真田 秀夫君        内閣法制局第二        部長       味村  治君        総理府総務副長        官        秋富 公正君        内閣総理大臣官        房総務審議官   大濱 忠志君        総理府賞勲局長  川村 皓章君        宮内庁次長    山本  悟君        文部省初等中等        教育局長     諸澤 正道君        文化庁次長    吉久 勝美君    事務局側        常任委員会専門        員        鈴木 源三君    説明員        警察庁交通局運        転免許課長    森田 雄二君        法務省民事局第        四課長      稲葉 威雄君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○元号法案内閣提出衆議院送付)     ―――――――――――――
  2. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  本日、野田哲君が委員を辞任され、その補欠として佐藤三吾君が選任されました。     ―――――――――――――
  3. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 元号法案を議題といたします。前回に引き続き質疑を行います。  質疑のある方は、順次御発言を願います。
  4. 片岡勝治

    片岡勝治君 まず初めに、これまでの審議状況の中で、率直に言って政府答弁きわめて不満であります。私ども質問に対して、まあ全部とは言いません、誠意を持ってお答えを相当部分しているわけでありますけれども、しかし、ある部分では私たち質問の焦点をぼかして、大変遠回りに、肝心なところを避け、よけいなところをつけ加えるというような答弁が間々見えるわけでありまして、大変私はそういう点で遺憾に思うわけであります。まず冒頭そのことを皆さん関係者にしかと申し上げておきたいと思います。  それから次に、五月三十日、朝日新聞の社説に「終盤国会への三つの注文」、こういう社説が掲載をされました。御承知のように終盤に至りまして大変重大な問題、松野頼三氏等に係る大きな疑惑等があるわけでありますが、その中で、こういう、元号問題について記載をされております。   同時に元号法案審議に注目したい。各党の態度がなお賛成、反対に大きく分かれていることは、とりもなおさず、国会での力関係審議時間数だけでは割り切れない元号問題の歴史的、質的な深さを物語っている。性急な法制化には同意しない人が世論調査で八割にものぼる事実は、それを裏づけている。   これまでの元号法案審議が、そうした世論を十分に吸い上げ、国民的合意を形成させる努力をつくしたとは、とてもいえまい。「元号法」が持つ法的拘束力強制力を懸念する声も根強いが、しっかりした歯止めがなされているとはいえない。   今国会での成立を急ぐ政府・自民党や一部野党の主張は、説得力に乏しい。政府国民の支持のもとで、元号の将来にわたる安定性永続性をはかりたいというなら、今国会で無理押しは避け、少なくとも継続審議にしたらよい。時間をかけて国民的合意づくりを目指すべきである。  こういう社説が掲載されました。元号を担当しております大臣外関係者は恐らくお読みになったと思うわけであります。これは今日の国会における元号法審議状況をきわめて素直に見ておるし、また、こうした声が、私は率直に言って、国民の素朴な意見だろうと感ずるわけでありますが、大臣、このいま申し上げました社説、この意見に対して何か所見がありますればひとつこの際御発表いただきたいと思います。
  5. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 朝日社説について、これを引用しての御意見でございました。私も、朝日社説につきましては十分読ましていただいておるのでございます。私は短い議会生活ではございますけれども、重要な法案について審議が進められてまいっておりますいろいろな事跡等を顧みておるわけでございますが、そうした点から見てまいりましても、衆参における真摯な元号法案に対する審議の状態というものはきわめて私は信頼し、尊敬できる審議内容ではないかと思うのでございます。慎重審議が続けられておるものと受けとめて感謝を申し上げておるところでございます。  なお、法案の性質なり、重要性等から、もっと審議が進められ、そして国民理解を受ける必要があろうという御意見等も十分理解できるわけでございます。そうした点において、私ども審議の過程を通じて大変な御審議が重ねられておると思うわけでございます。  そこで私といたしましては、やはりこの法案につきましては、法案提出時点から、恒例的な提出の時期等につきましても、早く提案を願って事前の御検討も賜りたいというようなところでおるわけでございまして、そういう点から見て、私はできますれば、というよりも、ぜひひとつ今国会において本法案の議了を賜りたい、そういうお願いを申し上げておるところでございまして、その方針をいま変更するというような気持ちはございません。ぜひひとつ本議会中にできるだけ速やかに御審議を議了願いますればまことにありがたいことだとお願いを申し上げる次第でございます。
  6. 片岡勝治

    片岡勝治君 この元号法案は、場合によってはこれから行年、五百年、千年、そういう長き将来にわたる大きな問題でもあるわけでありまして、そういう意味からすれば、よしんば、三月や半年あるいは一年かけて論議をいたしたにしても、それは決してむだではない、むしろ非常に大切なことだろうと思うわけであります。しかしながら、私は冒頭質問で申し上げましたように、何よりも何よりも元号法案が最重要法案なんだ、これさえ上げればもうほかはどうでもいいんだというような、そういう声がささやかれているということについて、私たちは大変大きな疑問を感ずるわけであります。何で一体そんなに急ぐのか、そういうことを――これは私だけではなくして、きっと大部分国民が、元号法に賛成すると反対するとを問わず、そういう大きな疑問が残っているわけであります。  この社説にも指摘してあるとおり、そういう疑問に本当に政府が、あるいは関係者がこたえているかどうか、あるいは国民合意を得るために本当に努力しているかどうか、政府のこれまでの一連の動きや行動を見ましても、そういう努力は余り見当たらない、率直に言ってそう言わざるを得ないわけであります。しかし、まだこれから審議も続けられるわけでありますから、どうかそういうことをひとつ念頭に置きまして、冒頭申し上げましたように、誠意ある答弁国民がやはり大きな疑惑を持っておる、それに率直にこたえる、そういう姿勢を堅持していただきたいと思うわけであります。  前回の、一昨日の質問に対して政府答弁が、大変率直に言って私の質問に対する答弁がなかったわけであります。その点をまず初めに政府の方からお答えをいただきたいと思います。
  7. 清水汪

    政府委員清水汪君) 私がお答えを申し上げたことに関連して考えまするに、ただいま先生のおっしゃいました点は、事実たる慣習についての御議論の部面があったかと思いますので、そのことであるということがございますれば、私が前回に続きまして答弁をさせていただきます。  前回も申し上げたわけでございますが、昭和という元号は、新憲法施行のときから以降におきましては、その法的根拠を欠いたまま今日に至っておりまして、その間、事実たる慣習ということで、これがわが国における紀年の方法として用いられているということは御案内のとおりでございます。  そこで、その事実たる慣習のいわば内容と申しますか、事実たる慣習におけるところの昭和という元号についての基本的な観念の問題ということになろうかと思いますけれども、これは要するに、現在の陛下の御在世中において使われるものだと。したがいまして、恐れ多いことでございますが、陛下に万一のことがあれば、そのときからは使われなくなるものだというふうに理解をされているということが一般的な見方であろう、こういうふうに申し上げているわけでございます。  なお、そのことに関連いたしまして、それは、何か前の一世一元という旧皇室典範亡霊がそこに再び顔を出しているようなことになるのではないかというような御指摘もあったわけでございますが、その点につきましては、亡霊という言葉が当たっているかどうかは私はわからないと思いますけれども、いずれにいたしましても、この昭和という元号が当初制定されましたときには、当時におきまする旧法制、つまり一世一元という法制のもとにおいてつくられたということは事実としてあったわけでございます。したがいまして、そのような定められたときのいきさつ、そのようなことがやはり国民がこの元号について認識する場合には反映しているだろうというふうに思います。  いずれにいたしましても、現在、明治大正昭和と来たこの元号というふうにもやはり理解を持たれているわけでございますし、これはたまたまの新聞社世論調査の一部を引用させていただきますと、また、都合のよいところだけというふうにおっしゃられますと大変困るわけでございますが、事実問題として、このような調査があるということもあわせて御報告申し上げたいと思いますが、それは、昨年の七月の読売新聞社調査、あるいは十二月の時事通信社調査のときにおきましてもそれに関連する部分といたしましては、「元号の将来についてあなたの考えに最も近いものは、次のうちどれですか。」というような聞き方をいたしているわけでございます。  まず、読売新聞社の方から申しますと、「元号の将来はどうあるべきか」という問いに対して選択肢が五つ六つ並んでおりますが、「いまの「一世一元制」を維持する」というのが約五〇・五%の回答になっております。  それから十二月の時事通信社の場合ですと、「元号の将来についてあなたのお考えに最も近いものは次のうちではどれですか。」という問いに対しまして、これも選択肢が六つほどございますが、最初の、「天皇がかわるごとに元号を変える一世一元制を維持する」というのが五九・六%というような回答になっていることもあわせて御報告させていただきます。
  8. 片岡勝治

    片岡勝治君 そこまで質問しているわけじゃありません。事実たる慣習としての昭和、これは御承知のように新憲法施行によって――旧憲法及びその憲法に基づく皇室典範等によって、いわば昭和が勅定された、これが廃止されたわけですよね、つまり年号は、新憲法施行によって制度としては廃止されたわけです。その後そうした法律とか、あるいは命令とか勅令とか、そういうものによってわれわれが使用しているのではない。まさに慣習として以後は使われているわけでありますから、その慣習は、われわれが意識するとしないとにかかわらず、これまで事実上昭和ということを国民は使ってきたわけであります。それが事実たる慣習でしょう。したがって、これは天皇の逝去によってその慣習がどうしてストップするか。たとえば、そういう事態があったときに国民昭和という年号をぴたり使わなくなるか、あるいはお役所昭和という年号を書いてきたときに受けつけしないのかどうか、そんなことはないでしょう。慣習というのはそういう客観的な事実によってストップされるものではなくて、昭和という年号が使う必要がなくなれば自動的になくなるでしょう。あるいは法律なり、命令なりによって、ある権力の行使によって使ってはならないというようなことになれば、これは使われなくなるであろう。  そういう外的な条件がない限り昭和という年号はずっと続けられていくでしょう。現実がそうじゃありませんか。天皇在位とは関係なく、ただ何となく使われているのが事実たる慣習昭和でありますから。そういうことを私は質問しているんですよ。これに対して、いまの答弁というのは全くわかりません。私の質問に対する答弁になっていないんですよ。これは、大臣どうですか。
  9. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) ただいま清水室長お答えをいたしましたが、先生の御質問に対する返答について十分に理解できないぞという御指摘でございますが、確かに言われますように、事実たる慣習というようなものは、旧憲法が廃止され、新憲法になりましても、なおかつ国民はその使用をし、その存続を希望してまいったことは御指摘のとおりでございます。しかし私は、元号がそうしたことで旧憲法と新憲法との、画然と本質的に天皇地位等が変わってまいり、元号制定というようなものが新憲法によって天皇がやられないということで、そういう制定については全くだれが制定をするのかというようなことが決められずに、そのまま事実たる慣習として使用されてまいっておることは事実でございますけれども、しからば、この元号というようなものは永久的に使用されるものかどうかということになってまいりますれば、私は、元号というのは国民認識理解によってある時期において終末をするということをやはり考えてまいっておるのでございます。それは過去の元号使用経過等から見て、終末がいつかの時点にあるという判断に立つわけでございます。そうしたことを考えてまいりますれば、その終末時点というのは、天皇地位なり、あるいは機能というものは全く新憲法において変わってはまいりましたけれども、やはり新憲法において象徴天皇制が確立をされたその天皇在位期間というようなもので、国民は元智の終末時期というものを考えておられると、先ほども清水室長が申しましたように、そうした私は考え方に立つわけでございます。  そうした点で事実たる慣習はいつかの時点終末がある、永久に続くというようなことは考えられないのではないか。そのいつの時期かということは国民理解をしておるところに基づいて、私どもは重ねて申すようでございますが、天皇在位期間天皇の全く性格地位というようなものは変わりましたけれども、そうした受けとめ方をしてまいりますれば、いま清水室長も申し上げましたように、改元の時期、だれがしからば、天皇がやられたのでございますが、だれがやり、いつの改元の時期にそれを受けとめていくかというようなことを考えてまいっておるのでございます。こういう点でひとつ私どもは今回の法案提出申し上げておるということでございます。
  10. 片岡勝治

    片岡勝治君 全然そういうお答えではわかりませんね。これ、法制局長官はどうでしょうか、事実たる慣習というものはそういうもんでしょうか。たしか原先生質問の中にも、和服から洋服に変わった、事実たる慣習洋服を着ている、事実たる慣習というものはそういうもんだと。確かにそうでしょう。この洋服を私たちはまた別の洋服に切りかえる場合には、この洋服を着る必要がなくなった、あるいは法律によって、その他の権力によって洋服を着ちゃいけない、こういうことであれば変えざるを得ない。しかしそういうものがない限り、われわれは事実たる慣習、ならわしとしてずっと続けられていくもんでしょう、朝のあいさつにしたって、服装にしたって。慣習というものはそういうもんじゃないんですか。それがある程度法律と同じような効果が出てくれば、これは慣習法としての機能を果たしてくる。しかし法制局長官は、いままでの答弁によれば、元号がいま事実たる慣習として使われているけれども、これは法律となる、慣習法となるようには固まっていないとはっきり答弁されておりますね。それは、事実たる慣習というものはそもそもそういう性格なもんであります。  では、お尋ねいたしますけれども、繰り返してお尋ねしますがね、いま万一皇位継承があったときに、本当に昭和という年号がぴたりやめられますか。大臣は文章を書くにそれをやめますか、あしたから西暦にするんですか。役所は全部西暦でなければ受け付けない、こういうことになりますか。法制局長官ちょっとお伺いします。
  11. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 事実たる慣習について、私、御説明いたしたことがございます。そのときの説明は、法的確信を持ったいわゆる慣習法と事実たる慣習との違いという点に実は力点を置いて御説明したわけなんですが、ただいまの御質問に対してまたお答えを申し上げますと、事実たる慣習としてこ三十年国民の間で慣用されておる、これも確かなんですね。その事実たる慣習につきまして、ただいまお述べになりましたように、外的な原因によって、たとえば法律ができてその慣習が行われなくなるということはもちろんあり得ます。あり得ますが、それと同時に、たる慣習として行われている、その基礎になっている国民理解、感覚、そういうものの中身として、われわれはこのいまの昭和という年号元号使用、事実たる慣習としての使用基礎には、国民は現在の天皇の御在世中に限って事実たる慣習として昭和という元号を用いているんだという理解をしているわけでございますので、そういう内的な事由によって事実たる慣習がなくなるということも理論上は十分考えられるというわけでございます。
  12. 片岡勝治

    片岡勝治君 私は端的に、具体的な例を出して、いま答弁された内容が果たして妥当かどうかお答えを要求したわけでありますけれども、私もその外的にある条件があれば当然事実たる慣習はストップするであろう。しかし事この元号については、いままでの歴史的な経過からわれわれ国民の間では事実たる慣習がストップをした、つまり事実たる慣習が行われている中で皇位継承があった、そういう経験はないわけですよね。つまり新憲法後ですから、そういう慣習は私たちは持ってないわけですよ、そういう経験は。そういう経験を二度、三度持っておれば、それはかつてこういう事態があった、そのときに国民はぴたりやめた、元号がなくなったから一斉に西暦を使った、役所西暦でなければ受け付けなくなった、そういう経験があれば、なるほどかつてそういう経験があったから事実たる慣習の中には皇位継承があれば、その慣習はストップする、こういうことが言えますね。しかし残念ながらというか、そういう経験を持っていない。だとすれば、そういう事態が発生したときに――想像してみてください、本当にぴたりやめられますか。やめたときに一体どうなるんですか。それこそ大混乱を来すでしょう、あなた方が心配するように。私はそういうことを考えれば事実たる慣習というものはそういうものではない、これは認められるでしょう、だれが言ったって。冒頭私が申し上げましたように、そうした国民質問に対して素直に答えていないじゃないですか。――あなたに質問をしているんじゃない、大臣答えなさい。
  13. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 御意見については一応理解できぬわけでもございません。そういう御意見もあろうと思います。また学者の中にもそういう御意見を吐く人もあることも承知をいたしております。しかし元号というものにつきましては、私はずうっと永続的に国民元号使用いたしたい、存続させたいということを考えておられ、しかし、元号におきましてのこの昭和とか明治とか大正とかいうその名称につきましては、私は一時期を画しながら国民の心情、観念の中にはあると思うのでございます。法制局長官も申されましたが、外的な云々で、そういうことで事実たる慣習というようなものがやめられる場合もありましょうし、しかし、昭和という元号内容としていつの時期か、改元のときはわかっておりますけれども、いつの時期か、この事実たる慣習改元されることがあるという内容を持っておると思うのでございます。その内容というのは、国民大方の方々の昭和という元号に関しまするやはり受けとめ方、理解認識というようなものを私どもは中心にして考えてまいりたいと思っておるのでございます。そういう点におきましては、私は国民大方の御理解なりの中にはこの昭和という元号ば、現在の天皇が次の天皇皇位継承される、その時期までであろうということでございます。しかし、それが急に問題が起こったときにどうだということになりますれば、それはいまその手続につきましては混乱が起こらぬようにどうするかということは別個の問題として私どもは処理してまいりたいと考えておるわけでございます。決して永久的に昭和を使うというような考え方ではない、昭和という元号に対する国民理解あるいはその終末ということについての内容的な理解というようなものは、いま申し上げましたようなことではなかろうかという判断に立っておるわけでございます。
  14. 片岡勝治

    片岡勝治君 私も、昭和が今後永久に使われていくという、そういう想定はむずかしいと思うんですよ。百年、二百年、まだ昭和か、そろそろ変えてみたらどうかなんという意見国民の中に出てくるかもしらぬ。私はそういう一つの将来展望で言っているんじゃなくて、事実たる慣習というものはそもそもそういう外的な条件でぴたりやめられるものではないじゃないかと、大臣最初はそういう意見について理解もできるということを言っておりましたね。そうでしょう。事実たる慣習というものは、そういう条件が出てきたときにぴたりやめられる、そういうものではないでしょうに。それが、いま言ったように法律で決まったとか、あるいはそれと同じような一つの、何といいますか、法の支配権力支配というものがあったときには、これはもうしようがない。あるいは、ちょっと想像はできませんけれども、全くもう元号を使う必要がなくなったというような、ある現象といいますか、そういう事態が出てきたときにはやめるけれども、そうでない限りは、これは事実たる慣習そのものは続けられていくということじゃないんですか。もしあなたがそれを余りにもこだわるんならばおかしいじゃないかと、それじゃ旧皇室典範が生きているのかと、そういう認識に対してこれは弁明できないでしょう。  それからもう一つ現実の問題として、しからば、繰り返して申し上げますように、そういう事態が出てきたときを想定してみてごらんなさい。恐らくやめませんよ、国民は。私もやめませんね。政府だって、あなた自身だってそういう事態になったときにぴたりやめますか。現実の問題として不可能でしょう、それは。そういう点は率直に私はお答え願いたいと思いますね。
  15. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) お言葉にございます、私は事実たる慣習という言葉があらわしておりますそれ自体は、私はいま御指摘のような事実たる慣習というようなものはいつやめるのかどうかということ、その自体の言葉の中には明確でないものがあろうと思う。しかし、いま先生は具体的に昭和という元号をとらえて事実たる慣習ということの意見を述べておられるわけでございます。そこで、私は事実たる慣習という、その事実たる慣習というものは続くものであろうが、しかしいまの元号、具体的な年の紀年法である昭和という元号というものの持つ性格なり内容というようなものは、やはり国民自体がどう受けとめておられるかということでその終末判断をせざるを得ないという考え方に立っておるわけでございます。そうして、それならばいますぐ変えねばならぬというようなことになるのかどうかということでございますが、いま法案の中では皇位継承された場合ということを言っておる。  そういうような不幸な事態が起こったときにすぐどうするのかと、準備ができておらねばどうするのかということでございますが、それは衆参でも申し上げておりましたように、いま法律によってだれがやり、またいつの時期にするかというようなことをいまお決め願って、審議を願っておるわけでございますが、そういう場合にはどうするかというような点につきましては、先般来、いまここにおられます西村総務長官時代に内閣告示というようなことを言われたのでございますが、いま政府がやるとすれば、そういう処置で国民の心情にこたえなければならない、そういうふうに考えておるわけでございます。  そこで、重ねて申すようでございますが、私どもといたしましてはこの元号という事実たる慣習は、その実態というのは国民がどう受けとめておられるか、そういうような点を中心にして私ども終末なり改元の時期はここであろうという判断に立っておるわけでございます。
  16. 片岡勝治

    片岡勝治君 いままでの質疑答弁を繰り返していてもしようがないんでありますけれども、やっぱりずばり具体的な例を、しからばこういう事態を想定したときに一体どうなるのか。事実たる慣習昭和使用というものが一体どうなるのかということを繰り返し繰り返し質問をしているわけです。恐らく答弁しにくいから、そういう点お答えにならぬと思うんですよね。具体的なそういう事態を想定したときに一体どうなんだ。私が申し上げておりますようなそういう現象が、つまりそこで昭和という慣習で使われてきた年号がぴたりストップしますかということなんですよ。そういうことはあり得ないでしょう。慣習というものはそもそもそういうものじゃないですか。ぴたりやめるというんなら、はっきりそういうことが断言できますか。やめた場合に一切の役所は、それでは全部どうやって受け付けるんですか、文書を。そういう具体的な例を持ち出して私は質問をしているわけでありますから、こういう点はやっぱり率直にお答えいただきたいと思いますね。やっぱり国民の素朴なあれですよ、疑問の一つなんですよ。
  17. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 率直にお答えいたしますが、そういう点が明確でございませんから、法律によろうということでございます。法律制定してない場合に、いますぐどうだというような不幸な事態が起こったときにはどうだということでございますから、それは私どもがいま法律がない場合にはどうするかというような問題であろうと思いまするが、それはいま私がここですぐ申し上げるということは非常に不見識だと思うのでございまするけれども、先ほども申し上げましたように例示を引いて、そういうときは内閣と申しますか、政府が責任を持たざるを得まいということを申し上げておるところでございます。しかし、それがいま問題が起こったからすぐこれをするというようなことがなかなか困難でございますので、法案の中には皇位継承が行われた場合ということで、その時期という、その時点だというようなことを書かずに、「場合」ということを入れて、多少の、国民混乱をされないようなこと、そういう点を配慮いたしておるわけでございます。
  18. 片岡勝治

    片岡勝治君 先の先、それはそういった問題についてはこれから質問しますよ。ですから、今聞いているのはそういう事態になったときに本当に昭和という年号使用が停止されますか、そうじゃないんでしょうと、こう聞いているんですよ。これ、だれが想像したって、そこでぴたりいままで使用してきた年号がとまるはずがないじゃないですか。そんなこと子供に聞いたってわかりますよ、そんなことはないと。ごく常識的にお答え願いたい。余り後それ言ったら突っ込まれるんじゃないかと、私はそんな意地悪な人じゃないんですからね、正直にお答えいただきたいと思います。
  19. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) いや、私はいままでもそうでございますが、物を含んでとかいうことはございません。率直に、正直にお答えを申し上げておるつもりでございます。  その点につきまして、いま不幸な事態が起こった場合には、いますぐどうするのかということでございますが、それは私はいますぐどうだということはできませんので、やはりこれは内閣の責任において慎重に処理してまいります。しかし、それを変えませんとできませんとかいうようなわけではございません。これは最善の道を選んで改元のことを、行為をやらなければならぬ、そう考えておるわけでございます。
  20. 片岡勝治

    片岡勝治君 やっぱり大変遠回しなお答えで、ですから、そういう事態になったときには政府として何らか対処したい、それはいいんですよ、政府のお考えは。ですから、そういう事態は認めるわけでしょう。つまり、ある日突然皇位継承があった、やっぱり国民はずうっと使っていく。多少国民の中にもこれでいいのかなという疑惑があるでしょう。率直に私もそういう国民があるということを否定するわけじゃないんですよ。だから、政府がどう対応するか、それはあなた方でお考えになっていいんですが、私は事実たる慣習というものはそもそもそういうものだということを繰り返し言っているわけですからね、これはお認めになるわけでしょう。そういう事態の発生というものがあるから、あなた方は一体どうしたらいいかという、そこから出発してこういう法律案を出してきたんでしょう。そうでなければ根底が崩れますよ、法律案の提出という。それは率直にお認め願えますね。清水さんはまたぐるぐるした答弁をするから、大臣にひとつお答えをいただきたいと思います。
  21. 清水汪

    政府委員清水汪君) どうも恐縮でございますが、万人が一〇〇%画一的な意味におきましてぴたり使わなくなるというような現象が起きるとは考えられません。それは先ほどから申しますとおり、混乱の状態が起きるということ、政府としては国民の大多数の認識は、昭和が御在世中のものであって、陛下の崩御の時点で終わりになると、したがってその後は昭和という元号はなくなると、こういうのが大多数の認識であろうというふうに理解をしておりますし、政府自身もそのように理解をしておりますので、その混乱を避けるためには、先ほど大臣も言われましたように、最善の方法を政府としてはとらざるを得ない、混乱を避けるために今回の法案お願いをしたと、こういう考え方でございますので、御理解をいただけるのではないかと思うわけでございます。
  22. 片岡勝治

    片岡勝治君 国民の願望、政府認識、そのことを私は否定しているんじゃないんですよ、繰り返し申し上げましたように。そのことを否定しているんじゃないんですよ。まあ、いま清水さんの答弁の中でも、初めの部分は私の意見について賛成をする、それを肯定をするお答えがありました。ですから、私はこの辺で次の問題に移りたいと思いますが、これで何と四十数分を使ったわけでありまして、やっと最後に私の意見に賛成をする、これ最初ずばり答弁すれば一分間で済んだ話なんですよ。そういう点で、私はこの審議状況について大変不満なんですよ。三十分も四十分も使わなければ正しいお答えが出てこないということにはならぬわけでありますからね。大変大臣は良心的なお方ですからちらりちらりそういう姿勢を見せてはおりますけれども、やっぱりずばりお答えをいただきたいと思うんですよ。  いま私がこの問題について深く政府の見解を求めたというのは、この元号制度のいわば基本に触れるわけであります。今度の法律案の提出というのはまさに、制度的に言えばコぺルニクス的転回であるわけですね。中世、古代の元号はどういうシステムによってつくられたかは定かではありません。法律があったわけでなし、天皇制定をしたと、そういう事実は事実であるようでありますけれども、制度的に確立をしたのはいわば明治改元というときからだろうと思います。この制度的に見た元号の変遷といいますか、そういう点についてお答えをいただきたいと思います。
  23. 清水汪

    政府委員清水汪君) 元号の歴史的な変遷という御指摘でございますが、元号制定の手続といいますか、その制定の姿と申しますか、そのような面で申し上げれば、究極的に天皇がお定めになるという点におきましては、大化以来この昭和に至るまでそれは一貫していたところであろうと思います。ただ、それはある意味においては形式的なことであるかもしれません。むしろ長い武家政治と言われる時代、あるいはそれだけに限らないかもしれませんけれども天皇の統治の実質的な力というものが衰微をしていたような時代も歴史的にあったように記憶をしておるわけでございますが、そのようなときにおきまして、実質的にはその決定の過程で幕府なら幕府からの影響が強かったというようなことはあったと思いますが、形式的な面で申し上げればいまのような点は一貫していたと。  それから、また天皇がお決めになるにいたしましても、御自身お一人でできる仕事ではございませんので、当然のことながらそれは補佐の任に当たる者があるわけでございまして、それが明治より前で申し上げれば、大筋といたしましては太政官からの指示を受けました特定の公家ないしは学問の職をつかさどる者が原案を作成いたしまして、そして一番そのような手続がはっきりいま伝えられておりますのは平安の中期以降と申しますか、その辺のことで申し上げれば、何人かのそういう学問の職にある者が原案を出しましてこれを元号案の勘進という言葉で当時言われておりましたが、申し勧めるというような意味でございますが、勘進をいたします。勘進をされる者はかなり数が多いわけでございますが、その一つ一つにつきまして公家の会議がございまして、そこで難陳というような言葉で言われておりますことが行われます。これはいまの言葉で言えば、いわば吟味でございまして、批判をする方の公家の詰問に対し――詰問というと言葉が少し適当でないかもしれませんが、批判に対しまして提案をした者がそれを弁護するというようなことで難陳ということのようでございますけれども、そのような過程を経てしぼられたものが、最後に天皇の、いまの言葉で言えば御裁下を得て決定される。そういうようなのが明治より前の決定の仕方の典型的な姿であったように思います。明治になりましてからはそのような太政官の制度自体が、当初明治改元自体はまだ太政官の制度の時代でございましたが、その後明治憲法体制下で法制が整備されましたときから申し上げれば、現在のようなこのような近代行政機構に相なっているわけでございまして、したがいましてその場合には大正の例、昭和の例が二つあるわけでございますが、これは内閣の方から原案を上奏いたしまして、その後それを枢密院に諮詢されまして、枢密院の答申を経て陛下が勅定される、このような手続で定められてきた、こういうことが言えるかと思います。
  24. 片岡勝治

    片岡勝治君 いま御説明のありましたとおり、明治改元前ば制度的に必ずしもはっきりしない点があることは古いことでありますからやむを得ないといたしましても、明治改元後は非常にはっきりした一つの制度として確立をした、こういうことが言えると思いますね。そういたしますと、新憲法施行によって元号にかかわる皇室典範等の廃止があったわけでありますから、制度としては新憲法施行によって日本の元号は廃止された、こういう認識でいいわけですね。
  25. 清水汪

    政府委員清水汪君) 元号というものについての法律上の根拠というものは明治二十二年の旧皇室典範第十二条にございましたし、もう一つそれを補足するものとして、その後に出ました皇室令であるところの登極令においてさらにその手続が定められていたわけでございますが、その旧皇室典範及び登極令は、ともに新憲法施行の前日をもって廃止になっております。そして、その後それにかわるような新しい法令上の根拠とか制度の根拠になるようなものは今日まで定められてないできておりますので、その意味におきましては、制度としての法的根拠がないということになるわけでございます。したがいまして、たとえば先ほど申しましたように、それを定めるに至るための手続自体は、言うなればどうなったかということになりますれば、これはそのこと自体が非常に不分明になっているということであろうと思います。で、申し上げるまでもないことと思いますが、いま手続の部分に関して、先ほど申しましたたとえば天皇がこの種のものをお決めになる前の段階として作用しておりました枢密院というような組織、それはそういうものも現在ないことはもちろんでございます。
  26. 片岡勝治

    片岡勝治君 余り先までお答えいたしますと私の方も混乱いたしますので、質問をしたその部分だけお答えをいただければ結構です。  つまり制度としては、元号制度は新憲法施行によって廃止をされた。いいですね、これは。その先はまた私が質問しますから、それはいいですね。
  27. 清水汪

    政府委員清水汪君) そのように思います。
  28. 片岡勝治

    片岡勝治君 そうすると、今度の元号法案は、まさにそうした廃止された元号、新憲法施行から今日までの間は制度的には元号制度というものがなくなった時代である、そういうことになるわけでありまして、したがって今度の立法はまさに新しい元号制度、そういうものを制定する、そういうふうにこれは言えるわけですね。
  29. 清水汪

    政府委員清水汪君) もちろんある意味で私もそのように言えるかと思いますが、ただ一つ、あえてお言葉を返す意味ではございませんけれども元号制度という言葉でございますが、この法律の上で法律の形なりそういう法令の形で規定をされております制度、そういう意味のものとしては、先ほど来申し上げましたように、昭和二十二年の新憲法施行後それはないわけでございます。ただ別の言葉で言いかえれば、事実上の元号というものが国民観念されて、それが先ほど来のように使われているわけでございますから、何らかの意味において事実上のいわば制度、紀年のための方法という制度として存在したという程度のことはこれは言えるのではないかというふうに存ずるわけでございますが、いずれにいたしましても、今回の法律はその内容から見ましても、先ほど申し上げましたこととの対比においてはきわめて明瞭な違いを持っているわけでございまして、これは後のまた御指摘によりまして御説明申し上げることかと思いますが、天皇の決めるようなものでない、今後は内閣が政令で決めるというようなことを打ち出しておるわけでございますので、まさにそこは大きく違うという、その意味において全くその点は新しいことになると、こういうことは申し上げられると思います。
  30. 片岡勝治

    片岡勝治君 この今度の法律がまさに新しい制度、そういう年号の新設である。これももういま答弁でもそういうことを否定なさらないわけでありまして、元号制度といえばどういうものを意味するかと、元号とは何ぞや、そういう元号の定義といいますか、そういうものがまずあると思うんです。今度の法律案見るとそういう点は全然抜けておるんですが、しかし常識的に新しい制度をつくる、新しい法律をつくるときには、目的とか趣旨とかそういうものが大体第一条にありますわね。どうしてこういうものが抜けているかはよくわかりませんけれども、まずそういう一つの目的なり趣旨なり、元号に例をとれば元号とは何ぞや、そういう定義づけがある。それから元号は固有名詞でありますから、どういう元号の名称にするかと、歴史的に見れば元号というのは未来永劫にわたるんじゃなくて変えられてきた、その歴史的なものを踏襲するとすれば改元はどういうふうにするのか、どういう手続でこれを変えるのか、さらにそれをどうやって使用するのか、使用の方法、まあ義務といいますか、そういうもの。そういう四つが一つの制度としては欠くべからざる、まあそのほかいろいろあると思いますけれども、欠くべからざる要件だろうと思いますね。これはどうでしょうかね。私のいま申し上げましたような、つまり制度としてはこの四つは欠くべからざることであろう、付随的な問題はいろいろあると思いますが、そう思うんですが、これはどうですか。
  31. 清水汪

    政府委員清水汪君) その点でございますが、私どもはこのように考えているわけでございます。つまり、わが国における伝統的な紀年の方法という意味におきましては、元号あるいは同じ意味でございますが年号というものは千年以上にわたる歴史を有し、ことに近年においてはそれがそういうものとして国民の間に全く疑義なく定着をしているわけでございます。したがいましてそのような、そしてまた、その元号の将来における存続を希望する国民が大多数である。このような実態に基づきまして私どもはこの法案を立案をいたしたわけでございまして、そういたしますと、いまたまたまお挙げになりましたものから申し上げれば、その中で何が従前と、つまり千年以上の歴史との間で何が違うことになるのかということで考えてみますると、やはり一番大きな点は制定者がどうなるのかという点がまずあろうと思います。そのほかの点につきましては、いままでの確立しております紀年法としての元号というものの中身に全部入っていくというふうに思うわけでございます。したがいまして、もう一つ申し上げれば、使用の問題についても、これは特に法律でどうこうということを決める必要はない、こういうふうに考えて、その点は法律に全然書かないと、こういうことになっておるわけでございます。
  32. 片岡勝治

    片岡勝治君 私の方で一つ落としました。そうですね。制定者が基本的に大変大切な要件であるということは、これはそのとおりであります。  そこで、いままでの御説明でありましたとおり、新しい元号制度をここでつくる、こういうことでありますから、私はやっぱり必要な要件というものを国民の前に明らかにする、それが親切なやり方だと思うんですよ。しかも、あなた方のお答えによれば、まあこれからも元号制度をずっと続けていくということなんですから、そういう点はやはり明らかにしておく必要がある、そういう意味で私はこの元号をだれがつくるのか、あるいはこの点は大変基本的な問題であります、制定者をだれにするのか、あるいはまた元号を改正する場合の手続あるいはその使用、そういうことが、とにかく新しい元号制度をここでつくるわけですから、そういう点を明確にする必要があるだろう。元号制度が廃止されてすでに三十有余年たっているわけでありますから、このブランクを埋める意味ではまさに初歩的な事項から決めるべきだろうと、こういうふうに考えるわけであります。  大変奇異な質問とお受けとめになるかもしれませんけれども、この元号法案、附則の二項ですね、この二項の最初の発音は、これはどういうふうに発音をするわけですか。
  33. 清水汪

    政府委員清水汪君) ショウワでございます。
  34. 片岡勝治

    片岡勝治君 これはどこかに書いてあるんですか、ショウワと読みなさいという、発音はショウワですということはどこかにありますか。
  35. 清水汪

    政府委員清水汪君) その読み方につきましては特にいま書いてあるということではないんですけれども、これはもう国民の間にこれができましたときからそのように読まれているわけでございまして、その当初のときにおきましては、昭和元年十二月二十五日の内閣告示によりまして、「元号ノ称呼左ノ如シ」という告示が一つ出ておりまして、そこに漢字で、いまの「昭和」という二文字が書いてありました右側にかたかなで「セウワ」とかなが振ってございます。当時の旧かな遣いでございますから、それは「セウワ」と振ってあるわけでございますが、もちろんそれは当時からショウワと発音をされ、言いならわされてきたように理解をしておるわけでございます。
  36. 片岡勝治

    片岡勝治君 なぜそういうことをお尋ねしたかというと、とにかく新しい制度――元号制度をここでつくるわけですからね、その新しい元号制度の第一号の年号なんですよ。新憲法に基づく年号制度の発足第一号の年号がこの昭和です。いまあなたが言っているのは古いやつでしょう。旧皇室典範の時代の昭和というのは、なるほど「セウワ」とかなが書いてありまして、当時のかな遣いでショウワと発音をさしているわけです。新しい元号制度の発足に当たる第一号の年号昭和である。こういうことですね、よくわかりました。  しかし、それはやっぱりどこかに書いておく必要がありますよ、発音は。この昭和という字もいろいろ読み方がありますからね。これはどこかでお書きになるんですか。
  37. 清水汪

    政府委員清水汪君) 特に改めて、何か公式の形式のものでその読み方を定めると申しますか、国民に示すというようなことは考えておりません。
  38. 片岡勝治

    片岡勝治君 これはやっぱり元号というのは固有名詞ですからね、固有名詞でしょう、人の名前と同じですから。この呼称を間違えるというか、その読み方を他の読み方にするということは、これは適当ではありません。元号制度というものが一たんなくなって、新しく制度をつくる第一号の年号ですから、これははっきりとどこかに書くべきである。しかし、これは法律でこの昭和ということに決めるわけでありますから、本来ならば、本則でいけば政令で決めるわけですね。そうでしょう。第一号の年号も、この附則がなければ政令で決めなければならぬ。しかし、附則の中で書いてあるわけでありますから、やっぱりこれはちゃんと、何と読むか、昔の昭和というのは、あれはもう廃止になった、全く無縁の関係でありますから、これはそういうふうにするのが親切なやり方だろうと思います。  公布の日は、これは、法律ができなければそういうことははっきり言えないと思いますけれども、どういうことを想定しておりますか、公布の日。
  39. 清水汪

    政府委員清水汪君) 御質問は、この元号法案が成立をさしていただきました暁におきまして、この法律の公布の日という意味でございましょうか。
  40. 片岡勝治

    片岡勝治君 そうです。
  41. 清水汪

    政府委員清水汪君) その意味におきましては、これは通常の例によりまして、国会で最終的な議決を得た後、できるだけ速やかに公布の手続をとるべきものだというふうに考えております。
  42. 片岡勝治

    片岡勝治君 まあ、私たちはこの法案に賛成をしておりませんから、よけいなことかもしれませんけれども、しかしこの点、これから申し上げることも、大変私自身疑問な点になっているわけです。  ひとつ仮定の話としてお聞きをいただきたいと思いますが、まあ仮に、いま六月ですから――全くの仮定の話でありますから、余り気になさらずにお聞きいただきたいと思うんですけれども、仮に八月三十一日に国会で議決になった――全く仮定の話ですよ、とすると、まあなるべく早くということでありますから、いつごろ公布ということになりますか。
  43. 清水汪

    政府委員清水汪君) これは私、いま正式に書類を見ておりませんのであれでございますが、一番速やかなのは、その日の日付の官報号外の形で公布されている法令というものがたしかあったように思います。あるいは翌日かもしれませんが、私は、そういうようなものがたしかあったように思いますので、そのように申し上げさせていただきます。  公布の――議決をいただきましてからその公布するまでには、たしか一カ月ぐらいというのが――一カ月以内に公布をしなきやならないというような、たしかそういう制限の方がもちろんございますですが、あとは、できるだけ速やかにというのは、これはまあ当然の考え方だと思います。その一番早いやり方というのは、そのようなことがたしか例としてあったのではないかと記憶いたしております。
  44. 片岡勝治

    片岡勝治君 まあ仮に、八月一日としましょう、国会の議決が。そうすると、なるべく早い機会ということで、事務手続が仮にあるとして、これは私の全く――これまた仮定の話ですが、八月十日に公布されたと、ことしはこの新しいとにかく元号制度の発足ですからね、新しい元号制度の発足で、発足第一号の元号昭和と決めた。そうすると、ことしが昭和元年になるわけですね。
  45. 清水汪

    政府委員清水汪君) それはそのようにならないと考えておりまして、これは現在、昭和というのが使われております。その昭和をとらえて、それにこの法律に合わせた基礎をつなげるという意味で、附則第二項のような書き方を特にしているわけでございまして、この点は先般も法制局長官から――失礼しました、これは衆議院だったかもしれませんが、そのような趣旨の御説明があったわけでございますが、それはそのとおりでございますので、改めて元年になるというふうには全く考えておりません。
  46. 片岡勝治

    片岡勝治君 あんたが考えてなくたって、いままで私がずっと初歩的な――私も法律に詳しい者ではありません。まあ、ささやかな議員の生活の中で、この元号法案、熟読玩味いたしまして、いまずっとこう質問をしてまいりました。全く新しい元号制度だ。そしてその新しい元号制度、いままで天皇が決めたものは廃止されて、三十年ブランクがあって、ことし新しい元号制度が法律としていま決まった――仮に決まった。そして、その新しい制度による元号第一号は、本来政令で決めるんだけれども、どういう意味か法律の中に書いてあるから、第一号は昭和である。こういうことはずっとあんた方認めてきたわけである。したがって、新しい元号制度をつくって、第一号の昭和ということであれば、これは大臣ほか、特に清水さんが繰り返し繰り返し答弁してきたように、年号ではなくて元号なんだ、それは元号という新しいものをつくったときに、一から二とだんだん数えていく、そういう意味で、年号よりも元号の方がいいんだということをあなたはずいぶん繰り返し――私も速記録を見ましたが、答弁されておりましたね。そういう年号をあえて元号にしたという、あなたの理屈もわからないわけじゃありません。そういう答弁からすれば、新しい制度、そして第一号は昭和に決めた、元号昭和に決めた、やっぱり一から数えていく。これがもう、これまた小学生が聞いても、うんそうだということになるんですがね。そうでしょう。第一号の元号を決めた。そうすると、新しい年号昭和というのはどこから出発するんですか、まさか十年ということでもありますまい。昭和十年から出発する――何年から出発するんですか。
  47. 清水汪

    政府委員清水汪君) その点は、繰り返して恐縮でございますが……
  48. 片岡勝治

    片岡勝治君 何年からというのを、それだけ言えばいいんですよ。
  49. 清水汪

    政府委員清水汪君) いまも使われております昭和が、当初制定されましたその時点からの問題でございます。それは昭和というものが元号として一貫して使われているという、そういう定着している実態を踏まえてこの法案を起草しているということは、先ほども申し上げたとおりでございますので、そのようになるわけでございます。
  50. 片岡勝治

    片岡勝治君 それはおかしいでしょう。だって、いま繰り返しずうっと私が質問していたときに、古い制度の昭和というのはもう廃止されたんだと。だから、私は繰り返し、制度というものはなくなったんだと、新しい制度をつくるんだと、書いてあるじゃありませんか、提案説明に。大臣、もう一度見てくださいよ。したがって、元号を制度として明確で安定したものにしたいと、制度として。そうですよ、この法律というのは。制度として新しくつくるんでしょう法律で。だから、あなた方がそう言っているから、制度として新しくつくった年号を、その第一号が昭和だと。それは八月一日に国会で議決した、八月十日に公布した、その日から効力があるというんならば、八月十日からは昭和元年にならなくちゃおかしいじゃないですか。たまたまこの昭和、これが大平だったらどうですか、大平だったら。八月十日から大平元年になるんでしょう、そうでしょう。そうじやないですか。それは理屈ですよ、書いてないんだもの、公布の日から施行するんですから。遠回しで運動会みたいにぐるぐるした答弁じゃなくてね。
  51. 清水汪

    政府委員清水汪君) 大変恐縮でございますが、簡単に申し上げますと、元号というものは、昭和という元号が具体的には事実たる慣習という状態において現在使われておりますが、これには法律としての、法律上の根拠がないわけでございます。そこで、元号というものが法律上の制度という意味においては、現在そういう制度がないということは先ほど来申し上げたところでございまして、その制度を確立したいというのがこの法案でございます。  ところで、元号自体は、現実昭和という元号が、従前からこれは全く問題なく継続をしておるわけでございますので、それを踏まえて私どもとしてはこの元号法を起草しているわけでございますし、そのことは国民一般も昭和というのが一貫して元号であるという認識を持っていることは事実でございますので、そこに別段のそごと申しますか、そのようなことは生じないものと考えているわけでございます。
  52. 片岡勝治

    片岡勝治君 そういったことはすべて私もわかっているんですよ。だから、事実たる慣習とかなんとかという――私もしつっこく失礼にわたるほどくどく言ってきたんですから、そういうことをすべて踏まえて、ようやくここまでいま到達をして、この元号法を見れば、本来、「元号は、政令で定める。」こういうことになっているんですよね。ですから、附則がなければこの国会で議決した後政令で定めることになるわけですよ。しかし改元は、つまり元号法を発足さしたときに第一号がなければ改元ということはあり得ませんね。人の名前をつけた――途中で変えるんですから、改元というのは。ですから、出発したときにはやっぱり何か元号の名前がついてなければ、今度皇位継承があったときに、それを変えることができない。したがって第一号を決める。それは必然的に出てくるわけでしょう、第一号がなければ。  そこで、第一号の名前をどうしようか。この法律によれば、附則第二項によって、法律に基づく新しい元号制度の第一号の名前は「昭和」ですよと。ショウワと読むということですから、できればかなを振ってもらいたいんですけれども、「昭和」ですよということが書いてあるんですよ。非常によくおわかりになると思うのですがね。「昭和元号は、」ここの法律に基づく「昭和」というのは、「この法律は、公布の日から」効力を発するわけでしょう、施行するわけでしょう。それまで昭和という年号はないんですよ。はっきりしているじゃないですか。
  53. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 先ほど来の御質問を聞いておりまして、私少し不正確な御発言があるのじゃないかというふうに、失礼ながら感ずるわけなんですが、つまりどこが不正確かといいますと、制度としてなくなったというふうに簡単におっしゃいますけれども……
  54. 片岡勝治

    片岡勝治君 だってそういう答弁しているじゃないか。
  55. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) それは、法律の根拠がなくなったというだけであって、三十年来事実上の慣習として、昭和というのはまさしく国民の間に通用しているわけでございまして……
  56. 片岡勝治

    片岡勝治君 そんなことわかっているよ、私は。それも認めた上でじゃないの。
  57. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) この附則の第二項に言う「昭和元号」というのは、昭和元年の昭和改元のときのその昭和をとらえているんじゃなくて、現在事実上の慣習として国民の間に行われているその昭和の呼称は、第一項の政令によって定められたものとする。と、こういうふうにお読み願いたいと思います。
  58. 片岡勝治

    片岡勝治君 そうじゃないでしょう。あなた不正確って、ずいぶん失礼な発言をするけれども、私はずうっと質問をしてきて、あなたの言っているようなことを認めているのですよ。事実たる慣習として昭和が使われてきたと言っているじゃないですか。そのことを不正確なということなんですか。(「不正確な答弁だよ。」と呼ぶ者あり)それは失礼でしょう。あなた方が認めていることを一つ一つ私は確認をしながら、ここへ来てあなた不正確だからということを言われたんじゃ。それはあなた方の答弁をそのまま参照しながら私は質問をしてきたんですからね。自分で自分の顔につばをかけるようなことになるじゃありませんか。不正確というのはそっちだということになりますよ。そういう不正確な答弁をもとにして私は審議できませんね、それじゃ。そういうことになりませんか。
  59. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) ですから、先ほど失礼ながらというふうにお断りしたわけなんですが、何か制度がなくなっちゃったのを、ここで新しくまた制度をつくるんだというふうな前提で御質問になっておるように受け取られますので、この法律の趣旨はそうではなくて、昭和二十二年以来法律上の根拠がなくなって、事実上の慣習として行われておるその昭和、それに法律的な根拠を与えるということがこの法案の中身でございまして、この法案によってまた新しくここに第二昭和ができるというような感じではございません。したがいまして、ことしがまた昭和元年になるのかというような御質問は、少し的外れじゃないだろうかと、失礼ながらそういうふうに考えた次第でございます。
  60. 片岡勝治

    片岡勝治君 いやいや、それはあなたの方から見れば的が外れているように見えるけれども国民の側からしてずうっとこう、まあこういう言葉ちょっとどうかと思うんだけれども、論理的に積み重ねてきて、ここまで来たんですからね。そうでしょう。私は事実たる慣習なんというのは否定していないんですよ。私自身だって使ってきたんだから、そんなことあなたに言われるまでもない。法的根拠を与える、これは常識で、よくそういう言葉を使いますけれども法律制定というのはみんなそうですよ。あしたから年金を二十万円にしましょう、その法的根拠を与えるということがそういう法律をつくることでしょう。あなた専門家だから。そうでしょう。法的根拠をつくる。法律用語じゃなくて、われわれが一般に言われている言葉というのは、法律根拠を与えるということは、新しい法律制定する、あるいは法律を改正する。汚職、疑獄がないように法律をつくる、法的根拠をつくる。証人喚問はもっとびしびしやりなさい、それができるような法的根拠を与えるということは、そういう法律をつくるということでしょう。だから元号法制定、これはまさしく新しい法的根拠をつくるということでもいいんですよ、言葉は。イコール元号法案を新しく制定するということでしょう。新しく元号法制定するという、この元号法は一体だれがつくるのか、どういうふうなときに改正するのか、それが書いてあるんです。そういうことを積み重ねた上で私は質問をしているんです。その点については全然答弁がない。これはもうちょっと審議を続けるわけにはまいりませんね、率直に言って。あなたがここに来て質問していたら、きっとそう、これはおかしい、やっぱりしまったなと思っているんでしょう。いや、冗談抜きにして、ちょっと審議を続けるわけにはまいりません。時間もそろそろちょうどいい時間でありますので、ここで休憩してください、委員長
  61. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 午前の質疑はこの程度にとどめます。  午後一時から再開することとし、休憩いたします。    午前十一時五十二分休憩      ―――――・―――――    午後一時五分開会
  62. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。  元号法案を議題といたします。  休憩前に引き続き、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  63. 片岡勝治

    片岡勝治君 先ほどの私の質問に対する政府の見解を求めます。
  64. 清水汪

    政府委員清水汪君) 私から先に一言申し上げさしていただきたいわけでございますが、それは先ほどの先生との質疑応答の中で、この元号の制度というものがなくなった、あるいはそれはこうだというような点の御議論があったわけでございますが、私の言い方が必ずしも十分でなかったかとも思いますが、私の申し上げました真意は、法律基礎あるいは法律の上に制度としてあらわれている、そういう形の制度というものは、昭和二十二年のとき以来なくなったと、しかしながら、元号というものはその後は、事実たる慣習として、昭和がその元号として使われていると、このような趣旨で申し上げておったわけでございまして、そしてその事実たる慣習として使われておりますその昭和をとらえて、その「昭和元号は、」というふうに附則第二項もうたっていると、こういう趣旨で申し上げたわけでございますので、その点を、繰り返しになりまして恐縮ですが、申し上げたい次第でございます。
  65. 片岡勝治

    片岡勝治君 まず初めにということですから、後あるのですか。  まず初めにということですからほかに答弁があるかと思ったのですが、いま清水さんの御意見、私も百も承知なんですよ、それは。そういうことはいま繰り返しここで論議されてまいりましたから。しかしこの法律案から見れば、あんたがおっしゃっていることはただの一言も書いてないでしょう。素直にこれを見れば、繰り返すようでありますけれども、「元号は、政令で定める。」ですから、この法律案ができたときの第一号の元号は、政令で定めることになるわけですよね、本来。そうでしょう。しかし手続を簡略するために、第一号はこの法律を決めるときに同時に決めましょうと。だから、本来は政令で決めるのだけれども、この場合は昭和という元号は政令で決めたことにしましょうという、そういう約束ですよ、この法律は。過去のことには何ら触れてないです。つまり手続上の問題でしょう。本則第一項と附則第二項というのは、この法律によって発足した第一号の昭和という年号を決める手続をここで決めたわけですよ。そうでしょう。それしか書いてないじゃないですか。その昔皇室典範がどうだこうだというようなことは一切触れてないわけですから、素直に読めば私の意見が正しいと思うのですよ。どうですか。
  66. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 午前中の当委員会の最後の機会に私から申し上げましたとおり、昭和という元号の制度そのものは、旧皇室典範の廃止にもかかわらずずっと継続して残っておる、使われておって、ただその法的根拠がなくなっておった。しかし制度は継続しておったわけでございまして、その昭和という継続しているその制度に、今度の法案法的根拠を与えるということに実は尽きるわけでございまして、これによって新しくまた第二昭和ができるというようなことは毛頭考えておらないし、そんなふうに読めるような条文でもございません。と申しますのは、たとえば旧皇室典範昭和二十二年に廃止になりまして、そして事実上の慣習としての昭和が行われるようになったときに決して昭和元年と言ったわけじゃなくて、やはり昭和二十二年と、それから昭和二十三年というふうに継続して昭和の制度は続いてまいったわけですから、その継続して存続してきた制度としての昭和というその年号にこの際法的な根拠を与えるというのがこの法律案の趣旨でございます。それに尽きるわけでございます。
  67. 片岡勝治

    片岡勝治君 それは違うでしょう。昭和二十二年のときとまるっきり逆の話ですよ。そうでしょう。それまでは制度があったんでしょう。旧憲法そして皇室典範に基づいてこれはいわば法律以上の絶対権力という、そういう非常に強制力を持ったそういう制度があった、それが廃止をされた、使おうが使うまいが国民の自由であったんですよ、そのときは。そうでしょう。それが慣習じゃないですか。それとこれとは全く逆なことですよ。今度はそうじゃなくて、そういう制度というものがなくなった、法律的にはブランクでしょう、この三十何年間、これはさっきもそう言っているんですから。法律があるわけじゃない、条令があるわけじゃない、政令があるわけじゃない、そのブランクでは困る、繰り返し繰り返し言っているわけです。制度として確立をしたい、そこでこの法律をつくった、それで第一号の年号昭和ですよ。しかしその昭和は政令で、本来この法律ができた後政令で決めるんだけれども、手続を簡素化するために本則第一項の規定に基づいて定められたものとする、つまり政令で定められたものとしましょうと、こう書いてあるじゃないですか。昭和二十二年のときとは全く逆の現象ですよ、今度の法律案は。  それからもう一つ法的根拠を与える、さっきも言ったように法的根拠を与えるというのは法律制定するということでしょう。法律制定するという場合にみんな根拠を与えるという言葉を使っているわけですからね。あんた専門家だからよく御存じだろうと思うけれども、それはもうこの法律に非常に無理があるんですよ。素直に見ればそう読めるじゃないですか。お答えできないでしょう。  それじゃこの法律に基づいてなるほど新しい元号制度ができた、そして昭和という第一号の元号も決まった、昭和何年になるんですか。仮に八月一日に議決して八月十日に公布した、八月十日からは昭和五十四年になるんですか、そういうこと書いてありますか。三十年ですか。私は素直に見れば昭和元年、昭和一年になる。十年になるはずがない、昭和三十年から出発するはずがない。昭和五十四年とも書いてない、そうだこれは法律で決めた第一号だ、日本の歴史以来初めて法律でつくった元号制度第一号が昭和だ。かって昭和というのがあって紛らわしいけれども、しかし昭和だ、こういうことじゃないですか。これを否定できないでしょう、書いてあるんならいいんですよ。これを否定するということになったら、それは大変なことですよ、どこに書いてあるんですか。
  68. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 午前中にも申し上げましたとおり、制度がなくなったというふうにお考えになるのはどうも私の方は……
  69. 片岡勝治

    片岡勝治君 あんた答弁で、制度がなくなったと言って何度も何度も、大臣からなんか答弁しているじゃないですか。
  70. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 法律の根拠がなくなったということでありまして、昭和という元号制度はずっと健全に継続しておったと、こういうふうにまず御理解願いたいと思います。  それからこの法律が成立し、公布され、施行されますと、当然昭和五十四年に相なります。
  71. 片岡勝治

    片岡勝治君 どこに書いてあるんですか、それは。
  72. 味村治

    政府委員(味村治君) 私から補足して申し上げます。  非常に表現だけの問題でございますが、附則第二項に、「昭和元号は、」と書いてあるわけでございます。つまり昭和という元号がすでに存在するんだということを前提といたしまして、そういう「昭和元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。」と、こういうふうに規定をいたしたわけでございまして、もう昭和という元号は存在しておるんだ、どういうふうにして存在しておるか、それは事実上の慣習として存在しておる、そういう事実上の慣習として存在しております昭和という元号は、この法律ができますれば、この本則第一項の規定に基づいて定められたものになるんだと、これが附則第二項の趣旨でございまして、決して新たに昭和という元号をこの附則によってつくったという趣旨ではございません。
  73. 片岡勝治

    片岡勝治君 それはおかしいじゃないですか。昭和という元号は繰り返しあなた方も答弁しておりましたよね。旧憲法、旧皇室典範の廃止によってその制度も廃止になった。その旧憲法、旧皇室典範に定めた昭和というのも法律的に言えばなくなっているんでしょう。そうでしょう。しかし国民は旧皇室典範に基づく昭和ではなくて、それまで続けられた昭和をたまたま慣習として使ってきた、これはあなた方の答弁はずっと一貫してそう言ってきたじゃないですか。慣習で、制度としてはない、死んだ、しかし国民慣習として使われてきた。私はあなた方の意図を理解できないんじゃないですよ。それだったらなぜ親切に法律というものをつくらないんですか。第一項をどう見たって昭和元号はすでにある。すでにあるということは法律的にあるという前提にしなければこの法律の土台ができないでしょうに。だから、何らかの形で旧昭和というものが制度として、ここで言えば何らかの法律的な表現によって持続されていればいいんですよ。そうじゃなくて、それはもう断ち切られているわけですから、新しく昭和という元号というものがここで誕生する、政令で決められたものとみなす。新しく昭和という元号を政令で決めるわけでしょう、政令で決めたものとみなすわけでしょう、法律で。全然わからないですね。ですから、この法律が出てきたときに昭和というのは、一体新しい制度として生まれた昭和というのは何年から出発するかというのは全然わからないじゃないですか――こっちが首かしげたい方ですよ。
  74. 味村治

    政府委員(味村治君) 私の御説明が足りなかったのかと思うのですが、昭和という元号でございますね、現在昭和五十四年という元号を使っておるわけでございます。これはもう事実たる慣習として使っているわけでございますね。
  75. 片岡勝治

    片岡勝治君 国民が自由意思で使っているんですよ。
  76. 味村治

    政府委員(味村治君) はい。それは元号として存在しておるから使っているわけでございます。そういう存在しておる元号昭和という元号、それはいま事実たる慣習として使っているけれど、それに法的な、この元号法が成立いたしますれば元号法によって定められたものとする。法的な根拠を与えるんだというだけでございまして、決して新しく昭和という元号をつくるわけではございません。従前からございます昭和という元号、これに法的根拠を与えるだけのことでございますから、その昭和というのは昭和元年から始まっているわけでございまして、それをどうするこうする、昔から始まっております昭和元号を取りやめにして、ここで新しく昭和という元号にしようというわけではございませんで、昔から使われております昭和という元号を今度の法律の本則一項の規定に基づいて定められたものとするというだけの趣旨でございまして、したがいまして、仮にこの元号法が成立になりまして、施行になりまして、本年中に施行になりますれば昭和、やっぱり元号法に基づく昭和五十四年、本年は昭和五十四年ということになるわけでございます。
  77. 片岡勝治

    片岡勝治君 いままでのあなた方の答弁をみずから否定することになりますよ、それは。だから、不備なら不備だと言えばいいんですよ。わかるんですよ、私は。事実たる慣習として継続してきた昭和という、それをあんた方は継続さしたい、だから法律をつくったんでしょう。だったらそういうことを書けばいいんじゃないですか。どこから持ってきた昭和なんですか。事実たる慣習ということが一言も触れていますか。いわば国民の側が自由意思で使っている。そういう昭和じゃありませんか、そうでしょう。それはおかしいですよ。あなた方が繰り返し繰り返し言ってきた、制度としては、つまり旧制の昭和、要するに元号というものは廃止されたとあなた方が繰り返し答弁をされているわけでありますから、それに基づいて私は申し上げているんであって、そのいまの政府の見解というものは、それは理解できない。どこに不備があるのか、どこを補完したならば私の、何といいますか、疑問に答えられるのか。そういう角度でひとつ検討していただきたいと思うんです。どういう表現にすれば――法律の修正とかなんとかりていいですよ。どこに私のような――あなた方に言わせれば誤解と言うかも知らぬ。どこをそれでは補完すればそういう解釈というものがなくなるのか、この点ひとつ検討していただきたい。いいですね。
  78. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 先ほど来口を酸っぱくして申し上げておりますように、附則第二項がそういう意味合いを持った規定でございまして、附則二項の解釈として先ほど来申し上げているような結論が出てくると、こういうふうに御理解願いたいと思います。
  79. 片岡勝治

    片岡勝治君 あなた方はそういうふうに言うかも知らぬけれども、これは素直に法律を見れば、それは非常に無理がある。それだったら施行の年月日に合わせた昭和五十四年なら五十四年、どっかにそういうものがなきゃ法律としての形態が整わないでしょう。事実たる慣習というのは全く国民の自由意思でずっと使ってきたやつですから、この法律に基づく昭和ということと結び合わせるためにはどっかでドッキングさせなきゃいかぬでしょう。あなた方が新しく法律でつくった昭和と、事実たる慣習と使われてきた昭和というものがどっかで結び合わなきゃ、一年でも狂っていたら大変だから、そういう指摘がなければ、これは極論すれば昭和十年から始まるのかな、元年から始まるのかなということになるんじゃないですか。法文のどこで結び合わせるんですか。どこを補完したら私の誤解がなくなるのか。この点をひとつ後ほどで結構ですから。私の持ち時間も大分この問題で使ってしまいましたので、あと若干ありますので、先に進まして、ひとつそれは宿題としてあなたの方に御検討いただきたいと思います。  それでは次に、この法律制定の中でも、安定させ、あるいは持続させ、そういうことが提案説明にもあり、趣旨説明にもありますね。そのために法律をつくりたいと、こういうことでございました。で、従来政府は御承知のように告示でやりたい、あるいはやってもいいというようなことを言っておりました。法律ならば安定、その他の方法ならば不安定、これもちょっと私たちにはなかなか理解ができない。この理由を御説明いただきたいと思います。
  80. 清水汪

    政府委員清水汪君) 最も簡潔に申し上げれば、内閣が告示をするということは、その内閣の判断で物事を決定して、その告示は、その知らしめる手段ということで告示の形式があると思いますけれども、それだけのことでございます。その内閣がそういう元号を決めるという決定をするかしないか、そのようなことがそもそもその内閣限りの判断によって左右されると、こういうことになるわけでございます。それに対しまして、このいま御提案申し上げているような、こういう法律の形で元号というものはいついつの場合には内閣が政令の形で定めるということに規定されるわけでございますので、これは内閣自身の好ききらいと申しますか、そのようなことによって左右される余地はないわけでございまして、これは一義的に一定の場合においては改元をしなければならなくなる、こういうことでございます。  したがいまして、元号が将来にわたって存続をしてほしいと、こういうふうに希望しております国民の、また政府といたしましても、わが国の紀年の方法として元号というものを存続させることが適当であると、こういうふうに判断をしておるわけでございますが、そのような判断の立場、それらからいいまして、法律によってこのような基本的なルールを定めていただくということの方がはるかにそのもののあり方として安定した姿になる。このような意味で安定ということを申し上げているわけでございます。
  81. 片岡勝治

    片岡勝治君 現在の議院内閣制あるいは議会制民主主義からすれば、内閣総大臣国会の選挙によって選ぶわけですね。その内閣総大臣が閣僚を任命して組閣をする、いわゆる政府を構成するわけであります。ですから、この国会の意思と政府の意思というものは本来一体であるべきですね。それでなければ政府機能というものは果たせない。原則的にはそういうことが言えると思います。つまり国会の意思によって内閣が構成される。そういうことからすれば、これはいま言ったように、内閣の告示制度と、法律で定めるいわゆる法律というものと、私はそんなに基本的に差がない、あるべからざることだと思うのですよ。御承知のように毎国会、私、詳しい数字は覚えておりませんが、百本ぐらいの法律案を制定したり、改正したり、廃止したり、法律といえども毎年百本ぐらいのそういったこの改廃があるわけであります。これは法律で決めたからその未来永劫ということにはならぬ。時代時代の情勢に合わせて新しい法律も必要だし、古い法律は廃止をする。現代に適応しなくなったものはどんどん改正していく。それが国会機能ということでありますから、法律で決めたからこれが未来永劫安定する、未来永劫というのはちょっとオーバーですけれども、安定するということにはならないんじゃないですか。
  82. 清水汪

    政府委員清水汪君) いまの最後におっしゃいました法律といえども改正ということがあるということは、もうおっしゃいますとおりだと思います。そのことはもう少し別の局面の問題かと思いますが、前段の方でお話のございました問題でございますが、この議院内閣制という現在の憲法上の国会、それから行政府との関係は、制度といたしましてそのようになっておることばもちろんよく承知をいたしておるわけでございますが、法律でということになりますと、それは国権の最高機関である国会の意思としてそのようなことが定められて、それが国民一般に対しまして明確になると、こういうことであると思いますけれども、そのような国会の明確な意思がある状態と、それに比較しまして、そのようなものがなくて、たとえて言えば、議院内閣制の内閣ではあっても、そのある内閣がどういう判断をするかということとの比較の問題になるわけでございますから、それは常識的に考えましても、その内閣限りの判断で物事をやるということとの間には、非常に大きな違いがある。法律というのは、つまり制度として議院内閣制であるということと、もう少しさらに具体的な一つ元号なら元号と、こういう事案につきましての問題でございますので、私がいま申し上げておりますように、国会の意思として定められた法律というものと、そういうことには関係がなくて、具体的なものについて内閣が、あるときにある判断をするとかしないとかということの間には、非常に大きな違いがある、こういうことは申し上げられると思います。
  83. 片岡勝治

    片岡勝治君 法律制定される、そういう手続としては、国権の最高の国会の意思、これによって決められる、おっしゃるとおりであります。しかし同時に、これが廃止され修正されるという場合においても、同じように国権の最高の意思によって行われるわけで、いわばこの法律案が仮に議決され成立いたしましても、まあ一事不再議ですから、今国会でこれを修正なり何なりすることはできませんけれども、もう次の臨時国会からはこれは自由に修正できるんです。そうでしょう。だから、そういう意味からすれば、法律だから非常に安定している、内閣告示だからそれは不安定だということにはなりませんよ、それは手続から言ったって。いつでもこれは修正される、議決された後からはそういう状況にさらされるわけですからね。それは内閣告示だって同じだと思う。そこにやっぱり国民からすると、何も法律でなくったっていいじゃないか。法律は、もう毎日のように新しい法律をどんどんつくる、改正もしているじゃないか。そういう意味では、何も法律でつくらなくたって同じじゃないか。そういう国民の、しかもこれは大方意見ですよね。先ほど申し上げました朝日新聞の社説でも、八割の人がそう感じておると。やっぱりこれは政府の側の答えに無理があると思いますよ。制度として議会制民主主義、そして内閣あるいは告示、立法、そういうことからしてもね。法律で決めるということが安定だという、そういう論理は成り立たないと思うんです。どうですか。
  84. 清水汪

    政府委員清水汪君) 繰り返しになって恐縮でございますけれども、やはり議院内閣制というのは、一つのそういう三権分立の基本原則という、そういう近代法制考え方に根差してできている問題だと思いますが、わが国の場合においては、憲法によりましても、国会が国権の最高機関であると、こういうことでございます。そういうことでございますから、行政権を持っております内閣の立場から言いましても、ある具体的な事案につきまして、国会法律基礎を置いて、そのことによって行政をいたしておる、これが通常の姿でございますが、そのような姿から言いましても、そのような法律基礎のもとで内閣がある具体的な委任された行為をするということと、それから、そういうことがなくて、一般的な日常の行政をあずかっておるという立場からの判断といたしまして、何か国民の必要にこたえるような行為を行っていくということとの間には、これは質的な違いがあるということは御理解いただけるものと思うわけでございまして、そうしたことと、一たん定められました法律が、その国会の意思によりまして、またある時期において改正が行われるということ、改正が行われれば、結果としては、またその改正されました後の法律に基づいて内閣がそれによって拘束をされて、一定の行為をしていくことに当然なるわけでございますが、それはその物事の局面がいささか異なる問題だろうということを申し上げているわけでございまして、私も一たん定められた法律自体が、改正があり得ないというふうなことは毛頭考えておりません。申し上げたいことは、法律があるという状態と、法律がなくて、単に内閣がその内閣限りの判断として、つまり自由な判断の立場で、ある物事を決定するとかしないとかということとの間には、きわめて大きな質的な相違があるということを御理解願いたいと思うわけでございます。
  85. 片岡勝治

    片岡勝治君 三権分立の民主主義機構といいますか、そういう政治体制といいますか、しかし行政権とこの立法権、議院内閣制の場合には、いまお答えになったように、それでは内閣が全く自由意思で、仮にこれは元号問題だけではありません、内閣の権限とされております行政行為として、本当に自由意思でできるか、それはできませんよ。それはあなた方御存じのように、やっぱり内閣を形成する政治的な力の背景というものがあったればこそできるわけでしょう。それは不離一体だと思うのです。そういう背景がなくて、大平内閣が、大平さんが、今度次の元号は「大平」にしようなんと言ったって、これは国会が許しませんでしょう、それは。自分の名前を元号にしやがってということでね。ですから、それは内閣の告示行為たりといえども、そういう国会の立法機能というものとこれは不可分ですからね。元号問題だって同じでしょう。内閣告示だから自由意思でできるなんということは、これは詭弁ですよ。ましてこういう、率直に言って、非常に政治的な問題ですよね、政治的に重要な問題が内閣の勝手な意思でできるなんということを考えること自体、これはもう全く大きな間違いだ、こういう認識だったならば、これはもう大変なことだ。そういう政府には政治は任されないということさえ私は感じますね。大臣、どうですか、この際そろそろあなたの出番ですよ、こういう問題は。
  86. 清水汪

    政府委員清水汪君) 私、自由というような言葉をちょっと使いました点につきまして、一般的に何か内閣が自由にいろいろなことができるという意味におとりであれば、それはそのような意味で申し上げたつもりではございませんので、そこはそうでないということで御了解賜りたいと思いますが、先ほど来申し上げておりますように、やはり一つの具体的な事案につきまして、法律ということになりますれば、これは国会の意思でございます。したがいましてそのことと、それから一般的に法律のもとで拘束をされております、まさにそれは拘束をされておる行政でございますけれども、そのような法律がない状態で、何か一つの物事の判断をして決めるとか、あるいは場合によっては決めないという判断をすることもあるかもしれませんけれども、そのこととはやはりきわめて大きな質的な違いがあるというふうに思います。一般論的なことは、私が申すだけの専門的な権威はないわけでございますけれども、法にはいわゆる法的安定性というようなこともよく言われておるところでございますので、法律で物事が決められているということと、そうでないこととの間の違いはやはり大きいものと思うわけでございます。
  87. 片岡勝治

    片岡勝治君 私はいま申し上げましたように、行政行為、内閣のそうした行為について、議院内閣制の場合には、それはもう九分九厘不離一体のものである。法律をつくる、そういう機能を持った国会と全く別の意思で行政行為をするということは、ほとんど不可能だろう。ましてこういう元号という基本的な問題について。ですからそれは、形は法律で決められたもんですよ。言葉は違うかもしれませんが、こっちは内閣告示でやりましたよというような、なるほど言葉は違うと思いますけれども、あなた質的に違うとおっしゃいましたけれども、質的には私は変わりはない、そういうふうに存じます。これはやっぱりいまお答えを聞いておりましても、素朴な国民からすれば、それは内閣総大臣だって、内閣だって国会で選ぶんじゃないか。国会で多数を得なければ内閣ができないじゃないか。だから、それはもう法律で決めるあるいは決めない、そういうことの大きな疑問をやっぱり国民の側から持つと思うんですよ。  さらに、それに関連をいたしまして、法律で決めるまでもないじゃないかということはこれまでも繰り返されておりますとおり、元号法について何らこれを使用する、そういう面について触れられていない。あなた方のいままでのお答えでは、いや強制しないんだからそのことは何も触れる必要ないんだということを、そういうお答えでしたね。強制するまでもないことだからということを繰り返し申し上げたんですが、しかしあらゆる法律を見て、やっぱり何らかそういうことが明確でなければ、これは不安なんですよ。ちょっとひがみ根性かもしれませんが、われわれ日本国民は、長い間、率直に言って、これは天皇命令だ、政府で決まったことだ、法律だ、こういうことでがんじがらめになった苦い経験を持っているものですから、そういう経験があるものですから、やっぱり法律というのはよくよく見て、その裏までよく考えてみなければ、という意識が恐らく大方国民はそう考えていると思うんですよ。もし、強制しないんだということであれば、なぜそういうことを法律の中に書かないのか。そうすればそういう疑問に対して、見なさい、書いてあるじゃないですかと、一言言えば、ああそうかと、こういうことになるんじゃないですか。そういうことをわざわざ書かないものですから、これはもう政府というのはきっと、いまはああいうことを言っているけれども、わからないぞ、こういう疑い持たれますね。これも衆議院で答弁されておりますが、ちょっとその点についてこの際お答えをいただきたいと思うんですけれども
  88. 清水汪

    政府委員清水汪君) 私ども理解といたしましては、まずある事柄を国民に義務づけるとか強制をするとかというようなことであれば、これは現在の憲法のもとにおきましては法律をもってしなければそういうことをすることはおよそできない、こういうふうにまず理解をしておるわけでございます。  ところで、この元号につきましては、その使い方とか使われ方とか、いわゆるその使用という問題につきましては、本来そのようなことを考えることになじまない、そのようなことをすべきでない、物事の性質としてそういうふうに考えております。したがいまして、初めから強制とか義務づけとかというようなことにすべきでないというものとして考えております。  そこで、何が必要かというと、この法律で御提案申し上げていますような、基本的な点だけで結構であると、このように考えておるわけでございまして、そういう観点から、これは前からも申し上げているように、使用についてそもそも規定がないわけでございますので、まあたまたまいまおっしゃいましたけれども、たとえば、なおかつ強制するものではないというような規定を書くまでもなく、もうそういうことはあり得ないと、こういう法律になっていると、こういうことを申し上げているわけでございます。
  89. 片岡勝治

    片岡勝治君 あり得ないなら、素直に書けば国民理解というものは、納得というものは、仮に元号を賛成する方々、書いてないからそういう疑問が出るんでしょう。それはそうですよ。あなたが百万遍そういうことを答弁して、強制する必要がない、書くまでもないほどそれは自由なんだと言われても、やっぱり国民の側からすれば、いやそうじゃないだろう、それは私たちがかつて苦い経験があったということもあるでしょう。  もう一つは、私たちもこうした議員として広い意味では政治にかかわる一人として、こういうことを余り言いたくないんですけれども、やはり政治不信というものがあるんですよ、率直に言って。ですから、そういう不信感をやっぱり除くということは、不信感を持たせるような私たち政治にかかわる全体が大きな反省をしなきゃなりませんけれども、やっぱりそういうものに一つ一つこたえていくためには、それはくどいようでも、あるいは屋上屋を重ねるようなことでも、一つ一つ書いて国民理解を求める。そういうことによって不信感というものがなくなるんじゃないんですか。問答無用だと、そんなことはもう何も考えていない、書くまでもないんだ、そういうことだけで国民は納得すると思いますか、素直に考えてどうですか。書かないよりは書いた方がいいと思うでしょう。大臣、どうですか。
  90. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) いろいろ深く掘り下げての御意見だと承っておるわけでございますが、私ども事実たる慣習として紀年法としてお使いを願っておる現実の流れそのものを、一つ欠落をいたしておりますだれがいつそれを改元をするかという、それだけに今回の法律案というようなものを限定をいたしておるわけでございまして、使用の状態につきましては現行のとおりでございます。実際にお使いになっておるとおりでございますということで、そうした点には触れていないわけでございますが、しかしいま申されましたように、国民のいろいろな疑問があり批判があり、また、そのことが衆参の審議の中で出てまいっておることは、今後の制定をしていただいた後における運用については十分配慮をせなければならぬというような次の段階のことは、そういう点で十分拝聴して受けとめてまいっておるわけでございますけれども、この法律につきましては、この使用法を特に書かなかったというのは、現状のままでございます、それ以上のものはございませんという、そういうようなところでこうした法案制定をして国会審議お願いをいたしておるということでございますので、御理解を賜りたいと思うのでございます。
  91. 片岡勝治

    片岡勝治君 私は、三原さんが内閣総大臣になって元号法律あるいは政令その他告示で強制するなどということは恐らくやらないでしょう、これだけ答弁していますからね。私の信頼する三原さんですからそういうことは万々あり得ないと私は思うんですよ。しかし、法律というものはできれば、しかもこういう簡単な法律ですからね、何らの注釈もない。ですから、仮にこの元号法に基づいて非常に強制力の強いとまではいきません、いかないけれども、その使用について何らかの法律あるいは政令というものをつくったときに、法律違反にはならないんですよ、そうでしょう。政令というのは、法律の枠を越えてはみ出してつくるわけにはいかぬ、そうでしょう。これは枠はありますか、使用について。この使用のことについて全然書いてないということは、これはもう枠はないということなんですよ。だから私たちは心配する。しかし、三原さんはずっと答弁しているから、私は三原さんがいる間は、閣僚にいる間もしそんなことをだれかが言ってくれば、とんでもないということであなたは抵抗するでしょう。しかし将来十年、二十年先これがひとり歩きしたときに、そういうチェックする機能はこの法律の中にはないということが大きな不安になるということは、これは否定できないでしょう。そういう心配をするということは、これは異常な心理ですかね。私は正常な心理だと思うんですよ。これだけの法律をつくる、私たちはそういう点で大変大きな責任を感ずるんです。率直に私は大臣お答えを聞きたいのですよ。
  92. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 御指摘のように、私どもがいま企図いたしております政令におきましても使用上の云々というようなことは考えておりません。おりませんが、いま片岡委員の御指摘のように、この法の運用のいかんによってはいま法が拡大解釈されてひとり歩きをするという懸念をおればするが、その点について君はどう思うかということでございましたが、確かにそういう点が悪用されるというようなことにつきましては、私どもは大いに警戒をして今後の運用をやらねばならぬということは衆参の審議の中でも承ってまいっておるところでございますから、特に今日いま御指摘のように、国民に勝手な義務づけをしたり、拘束をするような方向に運用されるというようなことのないように特にひとつ注意を払わねばならぬ。そういう使用、運用上のことにつきましては十分配慮してまいらねばならぬと思うのでございます。しかし実態は、いま国民の中で自由に御使用願っておるそのままの姿で使用、運用をしてまいりたいという私ども考え方でおります。に対しましてもそうした使用、運用を期待しておるところでございます。
  93. 片岡勝治

    片岡勝治君 あるべからざることが現実にずいぶん出てきていますよね。こういう席で、三原さんの前でこう言っちゃ申しわけないんですけれども、あんな大きな金額がやみからやみに受け渡されている。われわれ国民からすればあり得べからざることでしょう。しかも現実大臣をやられた方、総理大臣をやられた方がああいうことをやっているじゃないか。そういう現実を見たときに、私は三原さんは信頼するけれども、やっぱり心配になるんですよ。ああいう現実がなければいいんですよ。この法案審議している最中にああいう問題さえ出てきているではありませんか。だから、やっぱり法律というのは国民のそういった心配、疑惑に対して親切にこたえていくということについて何であなた方はそう遠慮されるんですか。やっぱり将来は考えているなと疑わざるを得なくなるんですよ、私自身。あなたがそういうふうに、全くこれは強制しないんだと言うならば、そのあかしとしてぴしっとこの法律の中になぜ書き得ないんでしょうか。そういう点については本当にわからないんですよ。あなた方の答弁国民理解絶対できませんね。この点もひとつもう一度考えていただきたいと思うんです。これを乱用しない保証というものについて、一体どういうふうに補完をしていけばそういうことがなくなるのか、そのことを宿題にして、私もう一点ばかり聞きたいんです。  政府の都合で行政の事務合理化、能率化の上からやっぱり協力を求める、こういうことで、特に戸籍等については強制じゃない、協力を求めるというふうに終始一貫言っておりますね。事務能率からすれば私はわからないわけではありません。しかしどうですか、いま公務員の皆さん方に聞いてみて、やはり年号というのは本当にめんどうくさい。将来はいずれにいたしましても、いま明治大正昭和、そういうものがあって事務の合理化に大きく阻害をしているんであって、つまり事務の統一性あるいは能率化、そういうもののために国民に協力を求めるんじゃなくて、そういう非常に非能率的なものをむしろ政府の側から、行政の側から切りかえて能率を上げるという、そういういまチャンスじゃないんですか、逆に。特に電子計算機なんか、いま銀行はほとんど西暦を使ってますよね。それは一々大正とか明治とかなんとか書く必要がない。もちろん国際的な関係もあるでしょうけれども。つまり、いま政府のやっている行政のシステム、そういうものに国民よ合わせろ、こういうことじゃなくて、一体どうして統一性、能率性を考えなきゃいかぬかと言えば、やっぱりいま言った年号制を使っているというところに問題があって、むしろ私は政府の方が頭を切りかえて能率的な西暦を採用するということも検討していいんじゃないですか。  これはどなたかの質問で、国会図書館の方がここで、国会図書館はどうして西暦を使っているんですか、こういう質問に対して挙げた。実になるほどそうだ。これを行政の中で取り入れられたならば、これはもう非常に統一性があり、能率性があるんじゃないか、こういうふうに考えますが、この点に対する、つまり行政の側に国民が合わせるということじゃなくて、行政の側が頭を切りかえてひとつ行政の能率というものを見直していくという私は時期に来ていると思うんです。それからもう一つ、常に行政側に合わせるということじゃなくて、やっぱり行政側が国民の側に合わせていく、こういう姿勢が必要ですね、やっぱりサービスですから、政治というもの、行政というものは。  横浜の希望ケ丘高等学校で卒業証書にはぜひ西暦で書いてもらいたい、そういう希望が出た。私は、やっぱり素直にそういうものはこたえてやったらいいと思うんですよね。そうじゃなくて、何を言っているんだ――そういう高等学校生、まあ広く言えば国民の願いや要求にやっぱり可能な限りこたえていくという姿勢が必要じゃないですか。それがあなた方の言っている使用の自由だ。自由というのは国民の相互の関係だけじゃなくて、国民と行政という、そういう言い方はおかしいんですけれども、行政側と国民の側の相互関係においてもそういう自由が保障されなければこれは自由にならぬですよ。特に卒業証書ということでありますから、これは西暦で書いたって学校の権威、教育行政に支障を来す、統一性を壊すなどということにはならぬじゃないですか。しかし現実には、いやこれはもう困る。ですから、国民の側の要求に合わせるということ、あなた方はそうじゃない。行政に合わせろ、協力をしろ。こうじゃなくて、国民のそういう願いや要求、国民生活の側に立って、合理的な生活に行政側が合わしていくという、そういう姿勢も元号使用の自由、そういうものが保障されなければならぬと思います。この二点についてお答えをいただきたいと思います。
  94. 清水汪

    政府委員清水汪君) 大変恐縮でございますが、先ほど宿題とおっしゃられましたんですけれども、先ほどの法律と政令との関係につきましては、この法律からは使用の問題について、たとえば政令の形にせよ、何か使用を義務づけたり、拘束したりするというようなことはおよそできない。本来それは政策的な意欲の問題とはかかわりなく、この法律自体の問題としてそういうことはできませんし、もちろん政府もしたがってそんなことを考えておりません。そのようなことにつきましてはるるこの御審議の場で御説明を申し上げているところでございます。  それから、現実のいまおっしゃいました使用の問題でございますが、私どもといたしましては、たとえば例にお挙げになりました国会図書館の例でございますが、そのような現象が公務のいろいろな分野におきましてもいろいろあるということはもちろん承知いたしておりますし、そのようなことはそれで結構だと思っているわけでございます。私どもがこの法案との関係で申し上げておりますことは、国民全体を通じまして元号による表記の方法というものを希望するという、その国民の希望が非常に大きいということを踏まえておるし、またわれわれ公務の場におきまして元号によって表記をしておるというのも、そのような国民的な慣習を踏まえておると申しますか、あるいはある意味でそれが反映されている、こういう現実だろうと考えているわけでございます。しかしながら、使用の問題につきましては、究極的にはおっしゃいますように将来の国民の良識と申しますか、そのようなことの中でさらに形成されていくであろう、それはそのように考えておるわけでございまして、元号に関するこの法律ができることによって別段そのところが固定されるとかというようなこともないものと存じております。
  95. 片岡勝治

    片岡勝治君 若干時間残っておりますけれども、保留さしていただきたいと思います。
  96. 森田重郎

    森田重郎君 私は、元号法制化賛成論者の一人といたしまして、幾つかの質疑を試みたいと思います。  この元号法制化問題は、これは一口で言いますと昭和の後は空白か西暦か、これはある本の実は副題に載っておったことを記憶しておるわけでございますが、実はまさにそのとおりであろうと、かように思うのでございます。またこのことは、その裏を返して言いますならば、千三百年余のわが国固有の文化、伝統の上に立った日本人の大方の歴史観というものを何らかの形で後世に継承していくか、いやその必要はないと、その辺は宙ぶらりんにしておいてよろしいんだと、国際化の進む現在に即応して計数的把握から来る便宜さに重点を指向する、この際はそういう意味から西暦指向に力点を置く、言うなればこの二者択一を迫られておる、実はそういうような気がしてならぬのでございます。えてして日本人は、これはもちろん私自身をも含めましてでございますけれども、中途半端的な性格、こういう言葉があるかどうかわかりませんけれども、あえて私中途半端な性格、つまりイエスとノーをはっきり言えない、こういう性格の保持者の方が案外多いというようなことを実はよく耳にするのでございますが、言うなれば、それかあらぬか元号法制化してもこれを強制しない、西暦使用は従来どおりであると、いずれの紀年法でもよろしいといったような政府自体に責任のある姿勢が一体あるのかないのか、その辺について長官の御答弁をちょうだいしたいと、かように思います。
  97. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 御指摘の点について率直にお答えをいたしますが、政府元号使用につきましては、公的な機関におきましては原則としていま元号使用が続けられておるわけでございまして、先ほど御論議もございましたが、今後も英知あるいは合理性に基づくようなもので西暦へ移行した方がよりベターであるというようなものがございますれば、そういう方向に変わるというものも、内容的には、たとえば外交文書であるとかあるいは通し年次を換算するために必要であるとか、そういうもの等につきましては私は西暦使用が多くなるというようなことも理解できるわけでございますが、しかし原則的には元号をひとつ公の機関におきましてはお使いを願うことになろうと、またそういうことで協力をお願いいたしたいという方針を持っておるわけでございます。国民の方々におきましても、政府のそうした立場というようなものを十分御理解願って、公的な機関に対しまする届け出あるいは手続等につきましては、そうした統一的な行政事務を合理的に運用をしてまいりたいという立場で御協力を今日までも願ってまいりましたし、今後もお願いをいたしたいというような方針でおるわけでございます。しかし、先ほど申しておりまするように、国民の方方の公的機関に対する窓口においての手続等につきましては、どうしてもしかし君が言うようなことには、政府が言っておるようなことにはならない。自分は西暦がどうしても使いたいと言われる方につきましては、これはひとつそれを受理をいたしますという方針を堅持してまいりたいと思っておるところでございます。
  98. 森田重郎

    森田重郎君 私は、およそ自分の国の歴史と伝統に誇りを持つということ、このことは世界各国において共通した一つの現象じゃないかと、かように思うわけでございます。どこの国を見ましても、やはりその国を象徴するところの国旗というものもございましょうし、国歌というものもあろうかと思います。またその国のシンボルマークもございましょう、あるいはその国独自の民族衣装というようなものもあるし、あるいはさらに民族歌謡というようなものもその国独自の文化として存在しておる。最近何か世界各国のその国をシンボライズするような意味での民族衣装展が開かれるというような話を聞いておるわけでございますけれども、やはり歴史的、文化的な所産を後世に伝え残す、若いゼネレーションに引き継ぐということが、これはある意味ではわれわれの使命ではなかろうかと、かように存ずるわけでございますが、再度その辺につきまして長官の御答弁をちょうだいしたいと思います。
  99. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) お答えをいたしますが、先ほど私は森田委員のお尋ねに、どうも使用上の――実際問題だけをお答えをして、再度そうした御質問を受けたことに対して申しわけないと思っておるわけでございますが、もちろん国際性の問題でございますとか、あるいは使用上の便、不便とかいうような問題だけでいろんなものが処理されるというようなことではございません。もちろんよき伝統あるいは歴史的な文化とまで考えられる元号等につきましては、それはそれなりに私は大切にすべきものである。しかしそれ自体が、いま御指摘のように国際性を傷つけたりするようなことにはつながってまいらない、そういうような基本的な考え方に立っておるわけでございます。
  100. 森田重郎

    森田重郎君 ただいま長官の御答弁の中で文化という言葉が出たわけでございますが、私も文化という言葉を実は何冊かの国語辞典で引いて見たわけでございます。いろいろな説明解釈がございますけれども、文化という意味合いは、物質的所産である文明に対して特に精神的所産の称と、こういうような説明がついておるわけでございます。私たちがよく口にいたしますところの文化というものは、これは古代文化もございましょう、あるいは中世、近世の文化もございましょうし、さらにまた今様の現代文化、こういう古代から続いております文化というものがそれぞれ統合、連動、そしてまた継続性を持って今日に至っておる、このことがやはり真のその国の持つ文化ではなかろうかと思うのでございますが、今回の元号問題につきましても、この辺との意味合いを連動させて考えたいというふうな感じを持っておる者の一人でございますが、文部御当局どなたかいらっしゃいましたら御説明を賜りたいと思います。
  101. 吉久勝美

    政府委員(吉久勝美君) 森田先生のただいまの御質問につきまして、私文化庁の立場から御答弁申し上げたいと思いますが、確かに元号というものは先ほど来からお話のごとく、わが国の社会におきまして千三百年の長きにわたって国民が共通に年を表示する方法として用いられてきたものでございまして、そのこと自体私どもの立場から申し上げましてもきわめて重要な意義を有する文化的所産と考えるわけでございまして、これらの所産というものをそれぞれの国の長い伝統の中で形成されてきたものとして適切にこれを保存していくということは、文化行政の立場からも非常に大切なことではなかろうかと私ども考えておるわけでございます。
  102. 森田重郎

    森田重郎君 そこで実は、元号問題に具体的に移ります前にもう少々お伺いしたいのでございますけれども、この問題はすでに衆参両虎におきましていろいろな角度からかなりの面で論議をし尽くされたような感じがいたしますが、言うなれば当用漢字と旧漢字の問題、あるいは尺貫法とメートル法との関係、あるいは現地名と旧地名、こういった問題に対しまして、これらの問題を元号法制化の問題と関連して同様な形で位置づけて論ずるということはそもそも次元の違う問題だというような御意見も一部にあったようでございますが、実は私は必ずしもそう思わない。私別に文学者でもございませんし、文化的な素養があるわけでもございませんので大変これはきざな表現になるかと思いますけれども、真に民族的なものが真に国際的だ――これは何かゲーテの有名な言葉だそうでございますけれども、私もまさに名言だと、かように思っておるわけでございます。これは必ずしも適当な例じゃないかもしれませんが、外人の方々が日本に参りまして新宿の高層ビルや丸の内のオフィス街を見ましてもそう感ずるものが私はないと思うんです。やはり日本的な意味の、そして古代からつながるところの文化遺産、京都であるとか奈良の遺跡であるとか、彼らが見たいところ行きたいところというのはやはりそういった、またあるいは地方につながる文化遺産、そういう問題であろうかと思いますが、その辺につきまして、もう一言文化庁の方からの御答弁をちょうだいいたしたいと思います。
  103. 吉久勝美

    政府委員(吉久勝美君) ちょっと先生の御質問の御趣旨がわかりかねておるところもあるわけで、あるいは御答弁が陳腐化になるかも存じませんが、私ども文化庁が、文化行政の立場といたしましては、わが民族が日本列島の上に生活を始めて以来いろいろな有形無形のいわゆる遺産というものが残っておるわけでございまして、これらを適切な状態に保存するということは、わが民族の心、魂というものを子孫に伝えていくゆえんのものではなかろうかと存ずるわけでございます。そういう意味におきまして、今日連綿として残されてきたわが国の有形無形の文化財につきましては、文化財保護法によりましてこれを指定をし、後世のために適切に残ってまいりますようにいろいろな法制的あるいは財政的処置を、都道府県、市町村あるいは国民各位の御協力を得ながらやっておるわけでございまして、これは現在に生きろ私どもの大切な務めではないかと考えるわけでございまして、そういうことがわが国がよってもって立つ一つ基礎を培うものではなかろうかと思うわけでございます。そういう趣旨で文化財の保存、文化行政の推進に努めておるわけでございます。
  104. 森田重郎

    森田重郎君 実はこれは真田長官にお伺いしたいのでございますけれども天皇は日本国の象徴であって国民統合の象徴であるから、天皇の交代とともに新元号が定められるのが自然で、またそれなりにふさわしいといった、こういう考え方に対しまして、憲法原理の観点から、一世一元というのは明治憲法と一体をなすものであって、国民主権主義を原則とする限り、現憲法のもとでは法制化は許されない、というような学者の方もおられるようでございますが、どうもそういった論理を要約していきますと、私自身は元首天皇制か君主天皇制と改元そのものがイコールであるといった考え方に帰着するのでございますけれども、長官いかがでございましょうか。
  105. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 今度の元号法案のそもそもの出発点といいますか考え方基礎には、国民の非常に大多数の方が元号制度を将来にわたって存続したいという願望を持っていらっしゃるということがそもそもの出発点でございまして、そういう意味合いの元号ということになりますと、これは西暦とは異なりまして改元ということがぜひ必要になるわけでございまして、どういう機会に改元を行うかという次の問題に入りますが、いろいろな考え方がございます。それで、この御審議お願いしている法案は、その改元の機会といたしまして、それは皇位継承があった場合に限って改元を行う、こういう方式をとっておるわけでございますが、このことと天皇憲法上の地位が、旧憲法のいわゆる主権天皇であられたころの天皇性格と、現在の憲法における天皇性格、つまり象徴天皇であるということとはこれは直接の関係はございません。決して、今度の法案皇位継承があった場合に限って改元を行うという方式をとりましたからといって、天皇性格を旧憲法時代の天皇性格に近づけるとか、そういう下心があるというような意味合いのものでは毛頭ございません。
  106. 森田重郎

    森田重郎君 ただいまの問題に多少関連するわけでございますが、次に元号法制化が実現した場合を想定しての話でございますが、これは憲法二十条の政教分離にもつながる問題でもあろうかと思いますが、法制化イコール強制化につながるといったような、先ほどもちょっと申し上げましたようなことでございますが、こういった場合に、法律で決まったことに従わないという考え方は、言うなれば反法治国家主義というようなことでもあろうかと思いますし、さらに平たく申せば、法律ができて、その法律を遵守、守らないという者は、言うなれば非国民だということにも相なろうかと思いますが、その辺につきましてどんなお考えをお持ちでしょうか、御所見をお聞かせ願いたいと思います。
  107. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) たびたびここの席上でも御論議になっておりますように、この法案の中身は、元号は政令で定めると、しかもその改元はこういう場合に限って行う、というルールを書いているだけでございますので、この法案が仮に成立いたしました場合でも、これに従うとか従わないとか、そういう元号使用の問題とは全く関係がございません。したがいまして、この法律が成立しました後においても、その元号を使わないで西暦を使う人がおりましても、その人が法律違反であるとか非国民であるとかというような観念には結びつかない性格のものであるというふうに御理解願いたいと思います。
  108. 森田重郎

    森田重郎君 次の質問に移らしていただきます。  そもそも元号は紀年法の一種であるとの考え方の中で、現在問題になっております一世一元という考え方は、歴史的に見ますと明治からの問題であって、比較的近い時代に日本歴史にあらわれてきた問題である。こういうこと自体から言うなれば、日本古来の伝統文化とは言いがたいというような考え方も一部にあるようでございますが、こういった考え方は、結論的に申し上げますと、天皇元号が一体であり、ひいては天皇が治める日本の国という観念と切り離し得ないといった欽定憲法、旧来の明治憲法にその精神がつながる考え方というふうに思量されるのでございますが、この辺につきましてそれらの意見を明確に反論し得る論旨をお持ちでございましたら、どなたかに御答弁をちょうだいしたいと思います。
  109. 清水汪

    政府委員清水汪君) 国会の御審議の場におきましても、ただいま先生のお挙げになりましたようなお話が出ておったことも承知いたしておりますが、その点につきましてはこのように申し上げられるのではないかと考えております。  一世一元ということが一つ法制度の、それも近代法制度というややかた苦しい言葉で恐縮でございますが、そのような形のものとして、つまり別の言葉で言えば非常に厳格なものとして確立をいたしましたのは、明治以降のことということはそのとおりだと思いますが、しかしながら、私ども元号の問題を考える場合には、やはり元号というものが千三百年にわたる歴史的な過程を経てわが国の中に定着をし育ってきたというものと切り離すことはできないわけでございます。そのように元号をとらえた場合には、一つの実例といたしまして申し上げれば、やはり奈良時代あるいは平安時代あるいはその他のその後の時代を通じましても、一代の天皇の間におきまして一度だけしか改元が行われなかったという例はかなりの数あるわけでございます。もちろんその方が多いというようなことはございませんで、むしろそうでない方が非常に多くて、御一代の間におきましても、いま申しましたのは代始改元というようなことにむしろ相当するわけでございますが、代始改元のほかに祥瑞改元とか災異改元とかあるいは甲子というような、そういう年回りによるところの改元というようないわゆる革年改元、そういうようなケースがあったわけでございまして、ただいずれにいたしましても元号というものは、そのいずれかの形でもってときどきに改元をされて継続をしてきたと、こういうものでございます。  そういうふうに、元号というものを長い歴史の存在というようなことでとらえてみますと、必ずしも一世一元ということが、言葉は別といたしまして、実態としての一世一元というような元号の中に含まれる性格が、全く明治以降突然に出てきたというようなものではもちろんないということは、ただいま申し上げたことから御理解いただけると思うわけでございます。ただ、明治以降におきましては改元の事由の中で祥瑞改元とかそういった式のものはこれをやめると。当時の明治元年の詔書の言葉によれば「旧制ヲ革易シ、」というようなことを言われておるわけでございますが、そのような改正のもとに、以後は一代一号ということになったわけでございます。したがいまして、私は元号をわが国における伝統的なわが国独自の発達を遂げてきた紀年法であるという場合には、その中に、もちろん一世一元というようなやり方をすることも含めてその中に入っているというふうに申し上げられると思うわけでございます。そういうことを含めまして、全体として文化的伝統ということも同時にこれは言えるのではないかというふうに考えております。
  110. 森田重郎

    森田重郎君 次に、この元号の普遍性、国際性といったような考え方の中からの質問でございますけれども、これも衆議院であるいは取り上げられたような記憶があるんでございますけれども元号法制化に反対をなさっていらっしゃる方々の御意見の中で、ローマ法王のことを例にとられまして、昨年ローマ法王がお亡くなりになった。引き続いて就任された法王がまた他界をされた。そして現在の法王ができた。言うなれば一年間のうちにバチカン市国民にしてみれば、一世一元の立場に立つというような考え方から出発すると、大変不安定性のある元号制度を余儀なくされておるというような、言ってみればそのような欠陥のある紀年法だというようなことが言われておったようでございますが、そうした考え方に立った元号制度というものは尺度としていかにも短い。しかも恣意的にその起点というものが来てしまうようなもので、結論的に言って決して賛美された紀年法ではないというようなことを言っておられる方もあるようでございます。やはりこの紀年法というものは特定の社会で使われるだけでなく、広く国際性を持ったものでなければならない、こういった御意見。そしてそういう御意見の中から引き出される結論として、文明国家としての日本が年を数えるというような場合はあくまでも合理的な紀年法、結局西暦による紀年法を取り入れるべきだというような形で反対の立場に立っておられる方がおありのようでございますが、この辺につきまして政府の統一的な見解がございましたら長官に御答弁を賜りたい、かように思います。
  111. 清水汪

    政府委員清水汪君) 二つほどの問題を御指摘いただいたと思います。  元号につきましては申し上げるまでもないと思いますが、ごく簡潔に申し上げれば、やはり元号としてのよさがあって、わが国においてこのように長く伝統的に根づいてきたということが言えるかと思います。そのよさにはいろいろの面があるわけでございますが、細かいことは省略させていただきますが、と同時にしかしながら、そこにはその元号につきまとうところの、たとえばいま御指摘のような例から連想されるような、いわゆるそういう、何といいますか不便さというようなものも、これは否定できないところかと思います。しかしながら、それらを総合いたしまして、元号というものがいろいろのよさがある。短期の尺度としての便宜性とかあるいはまた伝統を背景とするところからくるところの国民心情の面における一つの価値、そのようなものもやはり持っているわけでございます。そのようなことの結果として現在の国民におきましても大多数の方が元号の存続ということを希望しておられると、このように思うわけでございますので、一面において全くいま御指摘のような不便さがないというようなことは、これは申し上げるつもりはないわけでございます。  それともう一つ、そのことに関連をいたして第二点の国際的という問題が出てくるわけでございますけれども、この点につきましては、やはり短期の尺度と長期の尺度を二つ持つということのよさということが、やはりそこで指摘できるかと思います。もちろんそのいずれによるべきかということは、時代の変遷あるいは国民のそのときの常識的な判断というようなことで使い分けが行われている、いままでもきたと思いますし、それは今後もそうなっていくであろう。国際的ということと、一つのものに合わせてしまうということとは必ずしも同義でないし、またそのことがいいということにもなり切れないというようなお話は、先ほど来文化の問題等々の場合にも出てきたところでございますので、私もその点は同じように考えておりますので、省略させていただきます。
  112. 森田重郎

    森田重郎君 元号論議の問題につきましては、これはもう西暦との比較対比の中で、すでに戦後三十年間の長い間繰り返されて今日に至っておるわけでございますが、要はどちらが便利であるか、またそのいずれを使用した方がより国民生活の実態に即応しておるか、適応しておるかといったような意味で、言うなれば御都合主義、便宜主義の上から論じられておる面もないではないと思いますが、私はこういう問題はもう率直にそれを受けてよろしいと思うんです。そこで元号がよいか西暦が便利かといったような問題から、個人の場合で言うならば、何回も当委員会においてすでに問題提起がなされましたが、出生の問題であるとか結婚、死亡の問題であるとか、選挙権の問題であるとか、あるいは住民登録いろいろな問題が提起されましたが、これはあくまでも実は自然人の場合でございます。われわれ人間の場合でございます。  ところで私はけさほどちょっと通産省と法務省から、調査資料とまではいきませんけれども、若干調査をさせていただいたわけでございますけれども、現在日本に会社が何社ぐらいあるだろうかということをちょっと聞いてみたんでございます。そうしましたら、法務省の御回答昭和五十二年末で約百九十万社、通産省の方が睡眠会社やなんかを除いて約百三十万社、とにかくこういう言うなればたくさんの法人企業ですね。もちろんこの中には、社団法人であるとか、あるいは財団法人であるとか、政府関係の特殊法人、こういうものは含んでおりません。一言で言って、有限会社であるとか、合資会社であるとか、そういったものを含めた、言うなれば企業法人でございますが、これが約百九十万社ある、こういうお話なんです。五十二年の調査でございますから、あるいは二百万社ぐらいになっているかもしらぬ、あるいはそれ以上であるかもしらぬ、こう思うのですね。そうしますと、一億一千万の国民というふうにわれわれ仮に想定いたしますと、国民の方々五十五人あるいは六人になるか、その辺は定かではございませんが――に一社会社がある、こういうことになろうかと思うんです。  私、会社関係が非常に長かったので、あえてこういう御質問を申し上げるわけでございますけれども、自然人、人間が誕生するのと同じように、会社も会社の設立登記ということによって法人格を付与されて誕生するわけでございます。誕生した会社は、あるいは本店の移転を登記する場合もありましょうし、定款の目的変更、この登記もございましょう。支店設置の問題であるとか、いろいろな意味での登記事項というのが、これが生じてくる。これは登記所の事務にかかわる問題であろうかと思うのです。自然人との関係から言いますれば戸籍簿でございますね。この辺の混乱等につきまして、何かお考えになったことがございますかどうか、その辺をちょっとお伺い申し上げたいと思います。
  113. 稲葉威雄

    説明員(稲葉威雄君) お答え申し上げます。  先生の御指摘のように、法人につきましては登記という制度がございまして、それによって法人格の付与の初めから、その組織がどのように変遷していくかという一連の過程を登記という形で公証し、公示しているわけでございます。この辺につきましては、登記原因というものを明らかにする。いっそういう登記原因が起こったかということを明らかにするということと、それからいつ登記がされたかということを明らかにするために年月日というものが常に登記される、そこに記載されることになっております。  しかしそれは、要するに、どのようにその年月日というものを特定するかということの便宜の問題でございまして、それは西暦でありましょうと、元号でありましょうと、それが普遍的にわかりさえすればよろしいということになろうかと思います。私どもの感じから申せばそういうことになろうかと思います。そして、それは現在のところ非常に普遍的に元号が用いられているという現状がございまして、この現状を特に現在のところは改変する必要はないし、この法案の成立によって特に取り扱いを変えなければならない必然性があるわけではございませんので、特に混乱が生ずるというようなことはないのではないかというふうに考えております。
  114. 森田重郎

    森田重郎君 そうですね、おっしゃる意味合いのことはわかるんでございますけれども、たとえばの話でございますが、あの会社は非常に歴史の古い会社だ、だから恐らく五、六十年ぐらいたっているだろう、その設立というのは恐らく一九一〇年代かあるいは二〇年代か、こういうような西暦紀年法で、われわれ実は考えてみましても、どうもぴんとこない。これは私自身だけの問題であるかと思いますけれども昭和初期にできた会社である、あるいは大正末期にできた会社というようなことで、私たちは、言うなれば元号法制化賛成論者の一人としてあえて申し上げておるわけでございますけれども、ただいま登記事務のことをおっしゃいましたけれども、これはときに会社の状態がよくなくて解散ということになれば、これも登記をしなければならぬ。いよいよ清算事務に入る。清算の結了というのが人間で言うなれば死亡ということになるかと思いますね。清算の結了の登記をしなければならない。この辺が昭和西暦紀年法との関係でいずれを使ってもよろしいということに相なりますと、事務的に大変錯綜した、またある意味では混乱が予想されるのではないかと思いましたので、あえて御答弁を求めたわけでございます。再答弁はもう必要ございません。  次に、私自身はどちらかと申しますと、幕末であるとか、明治維新であるとか、明治史あるいは大正史、大正デモクラシー、昭和史といったような時代区分というものが、何かそれなりにロマンがあって非常に結構じゃないかというふうに感ずるものの一人でございますけれども法制化反対の立場をとられる方々の中にも、実はたまたま一緒に食事などをしておりまして、「お年は」というようなことで、実は大正である、あるいは昭和である、あるいは私は明治だと、法制化反対の立場をとられる方が無意識のうちにそういう発言をなさる。何回かそういう場合に私は出会ったわけでございますが、どうでしょうか、この辺は。
  115. 清水汪

    政府委員清水汪君) 私といたしましても、まことに同感に存ずるわけでございます。ただいまおっしゃいましたように、元号のよさの一つは、ある時代区分とか、その時代の特徴なり、意味内容あるいはいろいろの意味というものを、一目と言いますか、これは字でございますからあれですが、その元号一つを言うことによってぱっと念頭に浮かべることができるというような点が、まさに一つのよさということがしばしば言われておるところでございますが、ただいまのそのお話もそのようなことの一つの具体的なあらわれではなかろうかというふうに理解するわけでございます。
  116. 森田重郎

    森田重郎君 実は私、私の家の前でちょうど子供さんが遊んでおったもんですから、四人の子供さんに、青年もいらしゃいますけれども、伺ったのです。九歳の子供さん、十一歳のお子さん、ともに小学生、それから十六歳の高校生、十九歳の大学生。この方々に、「君は幾つになったの」と。「昭和何年生まれか」と、こうは聞かなかったのです。「生まれたのはいつですか」と、こう聞いたわけです。全部昭和という形ではね返ってくるわけですね。西暦を答えられた者は一人もおりませんでした。(「それはそうだ」と呼ぶ者あり)それはそうだという意見もあるようでございますが、全くそのとおりなんでございます。そこで私は、いかにこの昭和というのが国民の中に、しかも若い世代の中に定着をしているかということをあえて申し上げたいがためにこういうことを申し上げたわけでございますが、多少余談に走りまして恐縮でございますが、次に移らしていただきたいと思います。  私はここで何も憲法論議をするつもりはございませんし、同時にまたそういった方面に対して実は特段の何ものをも持っておるわけではございませんが、明治憲法下での天皇は言うなれば統治権の総攬者であられた。統治権の総攬者であられたということは、天皇が一切の国家権力を行使することを意味したものであろうかと思います。立法の問題についても、司法の問題についても、行政の問題についても、究極、天皇みずからこれを行使されるというふうなたてまえで欽定憲法はあったかと思いますが、そういうことからか、欽定憲法三条では、言うなれば、天皇の神聖不可侵権、そういうふうなことがうたわれておるわけでございますが、戦後これが民定憲法に大きく変わったと、国民憲法になったというようなことで全面改正をされたと、こういうことに相なっておるわけでございます。憲法の前文におきましても、「自由に表明された国民の総意によって確定された」憲法であると、こういうふうになっておりますが、実はある大変高名な学者の方でございますが、これは現在の日本国憲法というのは、全面改正とはうたっておるけれども、それは改正じゃないんだと、新憲法制定だと、こういうことを断言されておられる方がいらっしゃいますが、その辺真田長官いかがでございましょうか。
  117. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) ただいま御指摘の点は、学説上もいろいろ言われているところでございまして、この前も何らかの機会に私がここで憲法の改正の限界いかんというような形で問題を取り上げたことがございますが、そのときに、その主権の所在を変えるというような場合は、恐らく現在の憲法は予想していないんだろうというふうに申し上げたことがございます。で、それに近いような考え方から、旧憲法から現在の憲法に移ったときには、ただいま御指摘のように、主権天皇から主権在民というふうに変わったと、その点をとらえてこれはもう改正の限界を超えているんではなかろうかと。つまり新憲法制定とも言うべき実質ではないかという有力な学説がございます。ただ、しかし御存じのとおり、現在の憲法は旧憲法の全文改正という形式で行われ、またその形で公布されておる次第でございます。
  118. 森田重郎

    森田重郎君 戦後ある方がGHQに、元号をやめて西暦一本化にしたらどうかというような御意見を吐かれた方があったようでございます。その折に、GHQのピーク藩士がこのように言っておるんですね。それはよくないことだ。西暦はキリスト紀元だ。またBCにしてもADにしても、ともに西洋の国はキリスト紀元だ。キリスト教団においてこれらの紀年法を強制することは当然だが、日本は仏教徒が圧倒的に多い。もちろん新教徒もあるでしょう。あなたは西暦一本化と言うが、このことは信教の自由に反する。これはまさに憲法違反ですよと、逆にたしなめられたという事実があるようでございますが、何かそういう事実につきまして御存じの点がございますか。
  119. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) それに関連しまして一言申し上げたいんですが、いまの憲法に移りましたときに、旧皇室典範を廃止して新憲法の付属の重要な法令を審議するために臨時法制調査会というのができまして、そこでその旧皇室典範の第十二条にございました元号に関する規定は皇室典範からは外すということになりまして、そして別に元号法案という単行法案をつくって、そして枢密院の方へ回したということがあったようでございます。で、その際に、当然当時は占領中でございましたので、GHQの方にもその承認を求める手続をとりに行ったということがあったようでございます。その際に、GHQの方では、当初は結構だと、オーケーだというふうに言ったようですが、その後その元号法案は、司令部が占領している間はとにかくやめてほしいと、これはもう司令部の命令であるというふうないきさつがあって、それで日の目を見ないで今日に至ったという話を聞いたことがございます。  で、それに関連してのことだろうと思いますが、当初司令部の方では、西暦でなしに、元号法制化することも一向構わないんだというふうに言ったという話を物の本で読んだことがございますので、いまのこのピーク博士のお話も、それに関連してのことではなかろうかと存ずる次第でございます。
  120. 森田重郎

    森田重郎君 ある方が、奈良の正倉院の文化は大事にしなくちゃならぬ。古代の彫刻としてもまた建築物にしても、これは日本古来の歴史と文化の所産として永久に保存すべきだと言っておられますが、まさにそのとおりだろうと思います。しかし、それ以上にやはり大事なものは、何といっても精神文化、換言すれば心の文化、このことがより大事なことではなかろうかと思うのでございます。  私は、実は今回の法制化そのものにつきましては、ずいぶん悩んだ者の一人でございます。西暦紀年法も私自身でも使っておりますし、ある意味におきましては、かなり深刻に悩み、苦慮した者の一人でございますが、現在この時点に立ち至って、法制化をすることによるところのマイナス面と、法制化はしない、空白化しておくことのマイナス面、この両面を比較対比した場合には、あえてこの際法制化に踏み切っていった方がよろしいんじゃなかろうかというようなことで、むしろ反対論者の立場に立ちまして幾つかの御質問を申し上げたわけでございますが、どうぞさような意味におきまして、心の文化をより大切にしてほしいということをお願い申し上げまして、大変時間が余っておるようでございますが、私の質問はここで終わらせていただきます。ありがとうございました。
  121. 秦豊

    ○秦豊君 森田先生が早くお済みになっても、社会民主連合の持ち時間がふえるわけでもないので大変残念なんですが、そっくりいただきたいくらいなんですが、本論に入る前に、三原総務長官、これ何でもない御質問ですがね、あるいは本論と全く関係ないかもしれません。「難陳」という言葉は御存じでしょう。
  122. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 私も承知をいたしております。
  123. 秦豊

    ○秦豊君 まあ法制局長官の耳打ちで俄然思い出されたわけじゃなくて、ちゃんとこの辺にインプットされておったわけでしょう。
  124. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 実は総理府におきましても、この問題が話題になっておりますので、そういう点でその際私は「難陳」ということを承知をいたしておるわけでございます。
  125. 秦豊

    ○秦豊君 ちなみに、私の理解と総務長官の理解が、難陳についてどう違っているのか、あるいはぴったり一致しているのか、後学のために伺っておきたい。
  126. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 私は平たい言葉で申しますと、陛下、まあ勅定――これ歴史的な回顧になるわけでございますが、千三百年の歴史といいますか、その間において、この元号を例にとって申し上げますと、元号を勅定される以前には、輔弼の任に当たる者に、あるいは学者の時代もあるようでございますが、そういうお側におります輔弼の任に当たるような人々が、まず一つの原案を作成をする。その原案を作成したものを、また輔弼の任に当たる者が――これを作成をした学者がこれに進講をして、それに対して意見の交換なり協議をして、最終的にこれが決定されてくる、そういうようなことを私は難陳というようなふうに理解をいたしておるのでございます。
  127. 秦豊

    ○秦豊君 なぜか中国の古典に出典を求めますね。日本のいわゆる古典といわれるものには依拠しない。なぜかは私もわかりません。  それで、昭和という、いままさに二字――元号というのは不思議に二字でずうっと貫いているんだが、昭和という年号ですね、これは一体、難陳、その議を経て、どういう基準で選ばれたんですか。どういう理由で。
  128. 清水汪

    政府委員清水汪君) 昭和という元号につきましては、これは出典といたしましては、中国の尚書というものの中にある言葉からとられたということは一般に知られているところでございます。この昭和改元の場合におきましては、これは大正昭和といずれも同じように旧皇室典範の制度のもとで行われたわけでございまして、したがいまして、その具体的な手続につきましては、ただいま総務長官が歴史的回顧の立場からおっしゃられましたこととは、たとえばその職に当たった者の資格とか名称というようなものはもちろん変わっております。大正昭和の場合について申しますれば、これは内閣の方とそれから宮内省――当時でございますからそちらの方との、それぞれが原案を研究したようでございます。それぞれの方からいろいろしぼられてきましたもの、そのとき考案を命ぜられた者は、やはり政府の、いまで言えば総理府のような役所の系統におりました者、あるいは当時たしか外部の学者の先生の方にも一人ほどお願いをしたように記憶にあったと思いますが、それから宮内省の側におきましても、やはり当時の言葉で言えば何々掛というような職名の、まあ学者のような方がおられたようでございますが、その方に命ぜられて、それぞれが考案をいたし、それをお互いに煮詰めまして、そうして最終的には政府の立場で、内閣の立場で候補名を上奏いたしまして、そうして陛下から枢密院に対して、その案についての検討を諮問されたわけでございます。そういたしまして、枢密院は慎重審議の結果、陛下に奏上をされ、それに基づきまして、昭和で言えば、今上陛下が勅定をされ、詔書が出されたと、このような手続であったと記憶をいたしております。
  129. 秦豊

    ○秦豊君 清水さん、大変失礼だけれども、私は基準を伺っているんですよね。あなたの御答弁は、該博の反映か何か知らぬが、衆議院の議事録も全部拝見した。あなたの答弁は非常に御丁寧で結構だが、冗漫なんですよ、長きをもってたっとしとせずというふうに私には対応していただきたい。  昭和が選定されたときには、ちゃんと五項目、基準があったでしょう。ぴしっと、宮内省大臣が出した、そういうことを一つ一つ言ってもらいたいんですよ。そうすれば、この討議を通じて国民の皆さんが、元号というのは、そんなに事大主義的なものなのかと、まさに国民生活とは縁もゆかりもないなと、非常にはっきりするんですよ。だから伺っているんです。五ヵ条あったでしょう。念のために言ってみてください、簡潔に。
  130. 清水汪

    政府委員清水汪君) 失礼を申し上げました。  一つは、「元号ハ、本邦ハ固ヨリ言ヲ俟タズ、支那・朝鮮・南詔・交趾等ノ年号、其ノ帝王后妃人臣ノ諡号、名字等及宮殿、土地ノ名称等ト重複セザルモノナルベキコト」ということが第一でございます。  それから次は、「元号ハ国家ノ一大理想ヲ表徴スルニ足ルモノナルベキコト」  それから第三点目は、「元号ハ古典二出処ヲ有シ、其ノ字面ハ雅馴ニシテ、其ノ意義ハ深長ナルベキコト」これは深く長いということ。  それから第四は、「元号ハ称呼上、音調講和ヲ要スベキコト」音調がよく調和をしているという趣旨でございます。  それから第五は、「元号ハ其ノ字画簡明平易ナルベキコト」このようなことが指示をされているところでございます。
  131. 秦豊

    ○秦豊君 どなたもお聞きのとおりであって、ああいう雰囲気で元号を練るんですね。そうして、やはりこの何というか、聞いていても荘厳で荘重で、恐れ多いのだけれども、それで難陳の式が行われて、初難・初陳、二難・二陳、そうしてそれを繰り返す。ある案を得る。蔵人から奏聞をして聖旨をいただくと、まあ舌をかみそうな手続が要るわけですね。総務長官、あれですか。今後あなた方は、私らは断然として強く反対なんだけれども法制化にもね。あなた方はこれを推し進める。こんな距離がありますね、あなたと私の間には。これは埋まらない、今後とも。で、やはりこういう伝統を背負った古色蒼然とした、荘厳無比な、いかにも旧皇室をほうふつさせるような難陳の式、こういうふうなもの、あるいは一定のこういう基準、五つもあった。こういうものは今後ともあれですか、恐れ多くもかしこくもいただいて、それを踏襲されるおつもりなんですか、今後とも。どうなんです。
  132. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) この点につきましては、まず元号の候補名を製作願います方の人選におきましても、なおまた、それらの策定を願います方々に対しましても、私どもは現在の政治の流れ、あるいは新憲法下において開かれた元号、あるいは民主的な元号という立場で対処してまいりたいという基本的な方針でおるわけでございますので、いま挙げられました五項目を堅持していこうという考えはございません。そういう方針で進みたいと思って、きょうも午前中、しからばどういうようなことを、一応は全然基準がないのかということで、清水審議官から数件をお答えをしましたが、とにかくよき元号であり、国民の方がなじみやすい元号であるとか、そういうことは申し上げるかもしれませんけれども、決していま申されたような古色蒼然とした、そういう考え方に立って処理してまいろうというようなことは考えておりません。
  133. 秦豊

    ○秦豊君 歴代ずっと一番依拠したのは中国の古典ですね、そのことは外さないわけですか。
  134. 清水汪

    政府委員清水汪君) ただいま申しましたように、学識経験者を広い視野からお願いをしまして御考案をいただこうと、このように考えておるわけでございまして、その方々がどのような出典で物事をお考えになるかは、全くその方々の御判断お願いをしようと考えておりますので、言いかえれば、私どもの方から、たとえば特定の範囲の何かの点に、出典がなければ取り上げないというような考えは全く持っておりません。国民のためによいものを選ぶという基本的な考え方で対処したいと、また対処すべきものである、そのように考えております。
  135. 秦豊

    ○秦豊君 そうすると、こう理解していいですか。いままでは重々しい基準があった。今後はそういう基準にはとらわれないというふうに理解していいですか。
  136. 清水汪

    政府委員清水汪君) 簡潔に申し上げればそのような趣旨でございますが、別の言い方をすれば、やはり元号ということ、つまり年の表示の名称でございますので、たとえばかつて使われたことがないものというような基準であるとか、あるいは漢字でつくられるとすれば書きやすい字であるとか、読みやすい字であるとか、使いやすい字であるとか、それからまたやはり国民が使う元号、この元号一つの歴史的な意味合いから言いましても、国民の理想を示すようなよい意味を持った字が選ばれるのが望ましいのではなかろうかというようなことは考えておりますけれども、その辺のところは私どもが特に基準として指示をいたさなくても、恐らく委嘱を受けていただいた方方が御考案するに際しても、やはり同じような考えを持って臨まれるものと期待をいたしております。
  137. 秦豊

    ○秦豊君 たとえば祥瑞という言葉がありますよね。めでたいこと、恭しくめでたいこと、祥瑞、瑞兆、こういう字がありますね。かつては祥瑞をこいねがう、つまり帝王の弥栄を祈りまつるというふうな感じの年号が非常に多かった、権威のシンボルだから。これからは、いまの答弁だとそういうことには余りこだわらないと。まあ難陳の式にという、名前も変えるのかどうかもわからないけれども、そういう式に参加してくれる人々の意向は尊重するがこだわらないというふうに私はとっておく。そうすると、たとえば国家の一大理想を表徴するに足るというふうなものであればよいということになると仮に、そういうことは踏まえると思うから、日本の新憲法をいただいた日本の一大理想というと、平和、和平ですね。そういうふうなものはやはりあり得るわけですね。そういう抽象概念的なそういうものはあり得るわけですね、別に天皇の弥栄を祈る必要がないんだから、これからは。そうでしょう。そう理解してもいいのかな。
  138. 清水汪

    政府委員清水汪君) 趣旨としてはそういうことで全く同じでございます。天皇のということで考えるのではなくて、国民のと国家の一大理想という言葉があえて、先ほどの例でありますけれども、むしろ現在の国民感覚からいけば、国民の理想というぐらいの表現の方がなお一般的にはわかりやすいとも思いますけれども。  それからもう一つ、ただいまたまたま例としてお挙げいただいたわけでございますが、その言葉自体の問題といたしましては、よく言われますのは、たとえば福祉元年とかというような言葉がよく言われますけれども、そのようにいわゆるそれを、言葉が適当かどうかわかりませんが、いわゆる俗用されているようなものは、やはりこれは紛らわしくなったりいたしますので、そういうものは避けるというようなことがやはり配慮としてはすべきことではなかろうかというふうには想定をいたしております。
  139. 秦豊

    ○秦豊君 総務長官、私どうしてもわからないことがあるんですよね。この法案審議に参加している一委員として、またあるいは一人の市民としてもわからないんですが、国民として。一番わからないことは一番素朴なことです。政府側の席からおっしゃれば、そちらの側からの感覚から言えば、そんなこともわかっていらっしゃらないのと言いたいでしょう。そういうことをこれから何問か聞きます。こだわりがあって、わだかまりがあって解けないんですよ。素朴なんです。しかし非常に根強い疑問なんです。そのことに、私をまず説得していただきたいんです。そういう意味でお伺いしますが。  総務長官、あなた方はごく普通の手続に従って、いい時期だし、世論が盛り上がっている、いわゆる世論。この世論は括弧つきの世論ですよ。いわゆるをつければ――断じてだめですよ、いわゆる世論。あなた方の側の世論だから。だから何事の不思議なしでこの法制化を推進されようとしている。一方、私の側からあなた方を見ると、なぜそんなにお急ぎになるのか。なぜかくも急ぎたもうやというふうに言いたいの。なぜ、天皇は非常にお元気だ。そういう天皇の健康状態が非常にお悪いというふうな場合に、あなた方が一種の焦燥感を持つ、臣総務長官として、臣三原として。それはわからぬでもない。非常にいい状態にあられる天皇、結構じゃありませんか。そういう天皇の健康状態ないしいついかなる変事にも備え得るのが臣たるの努めであると言えば身もふたもないけれども、一体なぜこんなにお急ぎになるんです、総務長官。
  140. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 決して突如として元号法案国会に提案申し上げ、そして急いで云々しようということではございません。やはり新憲法制定以来、新憲法制定年次の前の年あたりから元号というものの取り扱いについては、これは国事に関する行為である、国政に関する行為であるから法律として制定をすることが必要であろうということが当時提案をなされた経過もあるわけでございますが、自来歴代の政府におきましても、この問題を考えてまいったことも事実でございます。また、ときおりこの問題は公式制度のこの調査会等におきましても問題となってまいりましたし、そういうことで、新憲法下におきます政治の流れとして、そうしたものが流れてまいっておったのでございます。また、このことは国民サイドにおきましても、全国民がというわけではございませんけれども国民の間におきましても、元号の将来について存続を希望はしておられますが、しかし、これの改元の時期あるいはだれがするかということが安定をしていないというような意見もあったわけでございます。そういうことを政治の流れの中から、具体的にここ数年前ごろからこの問題をどう始末をつけるかということを考えざるを得まいということを、政府、特に与党の間において提示されてまいり、昨年において、昨年の年度末の臨時国会等において上程をいたしたいというような御意見等も出てまいったような経過があるわけでございまして、決して突如として、また急いでこれを決めねばならぬということではございません。  なお、また先ほど天皇の御健康の問題等がございましたが、特に元号というものとこれの改元の時期等については象徴天皇に関連をして、その皇位継承の場合ということがやはり一つ国民の心情と申しますか、考え方の中にあるのではなかろうかということでございますが、しかし、それは同時に天皇のいま御健勝でございます、その健康だけにとらわれておるわけではございません。先ほど申しましたように、長いそうした元号に対する決めねばならないことをこの時期にということで、先ほど申しましたように御提案を申し上げるに至ったということでございます。  くどくどと申し上げましたけれども、決して突如あわてて急いでというようなことではないわけでございます。したがって、国会審議も数によって強行採決をするということでなくて、やはり国会慎重審議の結果、今国会においては――臨時国会では無理でございましたが、百五十日間の通常国会において御審議を賜りたいという方針に立っておるわけでございます。御理解を願いたいと思うのでございます。
  141. 秦豊

    ○秦豊君 やはりあなたがるる述べられてもなお理解ができません、これは残念なことですね。あなた方はやはりいたずらに――この参考人の御意見にもずいぶんあったんだけれども、いたずらに平地に波乱を起こしていらっしゃる。客観的にはそうなんですよ。毛を吹いてきずを求めている。合意の形成を置き去りにしたままで見切り発車をしようとしている。まさに元号法案というのはそういう段階にある。  私がいま述べることは、本論に入りますが、かなり衆議院の段階からやると政府委員にしてみれば重複、また同じことの繰り返しだという論点がかなりあると思う。それはあなた方の答弁が問題のポイントをあえて回避していらっしゃるから、あいまいな疑念が残ったままだから私があえて繰り返すんだというふうにお受け取りを願いたいと思うんです。  そこで、法制局長官、きょうはあなたにずいぶん伺わなきゃならぬことがあります。真田長官にも持ち前の明敏な、シャープな頭脳を駆使していただいて、的確に簡潔に、なるべく簡潔にお答えを願いたい、二時間ちょっとしかありませんから。  そこで、元号法案のあなた方の法的な根拠をさらに繰り返し、巻き返し伺っておきたいんだが、あなた方の考え方は、長官、こうですか、天皇は国の象徴である、統合の中心である、象徴を象徴するものであるからこれは合憲の範囲内であると、元号法案が。こういう考え方に立っていますか。
  142. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 象徴を象徴するものだからというところにちょっとひっかかりがあるんですが……
  143. 秦豊

    ○秦豊君 どうぞおっしゃってください。
  144. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 天皇は象徴であらせられることは、これは憲法第一条に書いてあるとおりでございますね。今度の法案元号制度をとにかく採用するわけですから、そうしますと、論理必然的に改元ということが起きるわけなんです。どういう機会に改元をするかというチャンスといいますか、それについて幾つかの考えがございますが、いまの憲法の第一条の精神から見れば、それは天皇は日本国の象徴であり国民統合の象徴だと、主権の存する国民の総意がそう厳然とうたっているわけですから。ですから、その皇位継承の機会をとらえて改元という制度を設けることは憲法には違反しないと。またそのことが国民の多数の方の持っていらっしゃるイメージにも合うのであろうというふうな理解のもとにこの法案ができていると、こういうふうにお読みいただきたいと思います。
  145. 秦豊

    ○秦豊君 私の読み方が悪いのかな。  宮内庁に伺っておきたいのですが、ヨーロッパの国々で、たとえばイギリス、フランス、時間がないから二つだけでいいと思いますが、国の象徴にはどういうものがありますか。
  146. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 外国のことをしかく私も存じない、勤務したこともございませんし存じないわけでございます。イギリスの王室は君臨すれども統治せずというようなことを言われておりますが、やはり王室としての御存在をなさっている。フランスの場合には当然革命によりまして王室はなくなっていて、いまの場合何が象徴かと言えば、恐らく三色旗あたりというような言葉なんかも出てくるんじゃないかと存じますけれども、これは私の私見でございますので、あしからず御了承いただきたいと思います。
  147. 秦豊

    ○秦豊君 せっかくの御答弁ですけれども、五十点ですね、一つしか合ってないから。入学試験ならばとても無理だと思います。国会答弁だからよかった。イギリスの象徴はクイーンエリザベス、王室じゃないんですよ。これなんですよ、王冠なんですよ。お調べになってください、私は調べてありますから。王冠です。フランスはまさにずばりおっしゃたように三色旗です。しかしどの国も、キリスト教は十字架ですね、言うまでもありません、こんなことは。日本だけなんですよ、私いろんなあれを調べてみた。象徴として、シンボルとしていやしくも憲法にまでうたわれたシンボル、この象徴というのが非常に日本語にややなじまないような語感を持った、いわゆる翻訳調ではありましょうけれども、あえてそれを捨象すれば、生きた人間が、私人が象徴になっている例はどこにもありません。  そこで、法制局長官、私これは憲法学を専攻したわけじゃありませんから、専門家の意見を聞いてみました。そこで長官に聞くんですが、東京大学の小林直樹教授、御存じだと思いますが、その方の憲法論を拝読しますと、「本来、国の象徴となるのは国旗、国章、それから国歌等であって、人間がそのシンボルとなるのはむしろ異例と言うべきである。」と、こういう記載があるんです。長官はどうお考えですか、この小林さんの御意見
  148. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) ただいま御引用になりましたようなことを小林先生がおっしゃっておれば、それは小林先生の御主観の問題でございまして、私たちとしてはいまの、先ほど申しました日本国憲法が主権の存する国民の総意として厳粛に書いている、つまり天皇が日本国の象徴であると、こういうのが私たちの持っている憲法論でございます。
  149. 秦豊

    ○秦豊君 それはもうあなたは待ってましたとばかりばちっとこう返されたわけだから、そういうことが勤まらないようじゃ法制局長官じゃないから、それはあらゆる反論を組み伏せ、説得し、中央突破をして輝かしく邁進しなければならないお立場だからそれはわかりますが、そうすると、こういうことですか、元号法案の一種の法的根拠ということになると思いますが、やはりあれでしょう、象徴天皇制でしょう。違いますか。ぐさりそうなんでしょう。
  150. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 御質問が簡単過ぎて、ちょっと浅学非才の私には……
  151. 秦豊

    ○秦豊君 あなたならわかっていただけると思っている。
  152. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 理解できないんですが、天皇象徴制であることは間違いないんですね、憲法の規定からいって。ただ、今度の元号法案天皇象徴制を、また特に象徴制だから象徴として持ってきたんだというんじゃないんですよ。改元の時期として憲法にうたってある皇位継承、象徴である天皇皇位継承を契機として改元を行うということを書いているわけでございまして、その象徴天皇制がじかにここに出ているんだというふうな理解とは少し違うんですね。
  153. 秦豊

    ○秦豊君 少ししか違わないでしょう。  真田さん、今度の問題であなた方が一番避けていらっしゃるのは元号法案と皇室の問題、元号法案天皇制、この問題ですよね。幾ら質問したって、いえいえと、こういう一種のすれ違いに終わっているんだけれども、だれが考えてもこれはやっぱり憲法をどう解釈するか、なかんずくそのポイントである象徴天皇制に対する判断、価値観、こういう問題で議論が大きく変わってまいりましょう。もっと積極的なとらえ方をする人は、現在の象徴天皇制はまことにお痛わしいと、不完全であると、欠落をしていると、もっと天皇のお立場を強化すべきであるという非常に正直な議論もあります。決して少なくはありません。あなた方はさすがにそういうことはおっしゃらない。非常にこう言葉を選んではいらっしゃるようなんだけれども、しかし小林教授の意見は確かに小林教授一個人の意見ですよ。しかし憲法学会にいろいろ聞いてみますと、それからクォータリー、季刊のあの論文なんか読んでみると象徴天皇制についての学説というのは必ずしも熟してはいない、完熟してはいない。Aという立論も可能ならばBという立論も可能だから、あなたは小林教授の意見をそういうふうにこうやられたら、それは真田さんの意見もまたある少数意見かもしれない、幾ら法制局長官でも。そういう相対的なものなんですよ。あなたの言うことが金科玉条じゃないんですよ、象徴天皇論については。  ならば伺いますけれども、たとえばあなた方はすでに連合審査において天皇元号の結びつきを初めは否定しておられた。ところが、だんだんだんだん国会の会期が大詰めになって、委員席を見回してもどうも賛成の顔ぶれの方が多くて頼もしいと、もう反対の声は余り聞こえないと、国会の外のラウドスピーカーは右の翼ばかりだと、ますます心強いと思ったわけではないにしても、最初答弁といまの答弁かなり食い違っているんですよ。たとえばきのうなんかはどういうことを――二、三日来の論議を反すうしてみると、これは三原長官に伺いますが、この昭和、いまの天皇は裕仁という名前をお持ちですよね。追号になった場合、贈り名の場合には昭和たり得ると、途端に天皇元号が結びつくじゃありませんか。だからそういうことを否定されるのは大変無理な立論だということを含めて私はお伺いしているんです。そういう答弁は衆議院段階じゃなかったですね。参議院の連合審査で出てきましたね。なぜ変わったんですか。あなた方は変わっていないとおっしゃりたいだろうが、明らかに変わっている。議事録をごらんください、追号一つをとってみても変わっている、なぜですか。
  154. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 私ども答弁は終始一貫してまいっておるわけでございます。この連合審査で追号の問題に答えたわけではなくて、この内閣委員会野田先生から追号の問題のお尋ねがあったときに追号の問題をお答えしたときに、それではという最後のまた詰めがございました。それではこの昭和という元号というようなものは、これは新天皇が決められるわけですから、私がここで申し上げることはできませんと言ったんです。しかし、もしも追号が昭和というようなものから選ばれるというようなことが、――そういうお言葉ではなかったと思いますけれども、あり得るのか、ないのかということでございます。そこで、私はこれをあるともないとも言えないわけでございますから、相変わらず、私ではここでは申し上げられませんと言えばよろしゅうございますが、おまえ個人として、あるのかないのかということになれば、あり得る場合もあるだろうということでございますので、私は、そういうことも考えられますということを言ったわけでございまして、それは昭和が絶対に使われないということでもございませんし、使われる場合もあるかもしれませんので、そういう場合もあり得ると思いますということを言ったのでございます。決して、追号に対する衆参における答弁は変わったものではございません。
  155. 秦豊

    ○秦豊君 法制局長官、結局のところ、元号法案の論議する場合の根本的な問題点というのは、まさにいま三原長官も言われたけれども象徴天皇制との距離感、距離関係、これが大きな一つの分岐をなすものであると、私は思うんですよね。それで、いまの憲法のも一とで、実質は一世一元だということを清水さんも何回も答えていらっしゃるし、三原長官もそうだし、衆議院からずっと読んでみると、実質確かに一世一元です――言葉は削除したが、そうおっしゃってますね。これをいまの憲法の中で、実質一世一元的な元号制度を設けようとしている、その根拠を一体どこに求めるべきかということが実は元号法案では最大のポイントだと私は思うんです。長官、いかがですか。
  156. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 改元の時期として、象徴天皇皇位継承の場合に限って行いますよということを書いている、そのことをとらえておっしゃってるんだろうと思うんですが、それは先ほど来申し上げておりますように、憲法自身が、天皇は国の象徴であり、国民の統合の象徴であるというふうに書いているではないかと、それからまた、国民の多数の方の抱いていらっしゃるイメージ、理解も、やはり皇位継承の機会に行うというのが、一番ぴったり国民の方々の御理解に合うんであろうというふうな判断基礎になりまして、そしてこの法案の本則の第二項ができていると、こういうふうに御理解ください。
  157. 秦豊

    ○秦豊君 この席で参考人の方の御意見聞きました。あのときは、清水さんが一生懸命メモをとっておられたようだが、だから御記憶だと思います。いま引用するのは行政学の高柳先生意見ですけれども、これはだから法制局長官と総務長官、お二人から伺っておきたいんだが、こういう御意見です。この元号法案には義務の限界が示されていない、範囲がわからない、そんなあいまいな状態で政府国民に協力を求めてきた場合、国民は裁判的保護も期待できない。ここで、この席で述べられたんですがね。それについては、総務長官と法制局長官はどういう答弁ができましょう。
  158. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 法制的な、法律的なことは法制局長官お願いをいたしたいと思いまして、元号法案使用、運用の項がございません。そういう点で、今後のこの使用、運用について歯どめがないではないかというような御指摘であろうと思いまするが、しかし私どもは、現在の元号国民の間に事実たる慣習として使われておると、そのままの実態に即してまいりたいと思っておりますということを申し上げておるわけでございます。そこで、なお突っ込んでお尋ねになりますのは、したがって、法律ができることによって国民を義務づけたり、拘束したりするというようなことはございません、ということを申し上げておるわけでございます。  先ほどの質問の中にも、君たちはそういうことを言うけれども、今後の運用いかんによっては――君などもいつまでもそこの地位に、職責におるわけではなかろうが、実際の運用の段階になったり、あるいはまた地方においてこれが使用されるという場合には、そうした義務化、拘束化というような問題が出てくると、そういう点についてはひとつ大いに注意を要するし、これについては警告をしておくということでございましたが、そういう点については私は、立法の当時の精神なりあるいは立法の際の考え方というようなもの、姿勢というようなものを受け継いでもらいたいという、そういうことでおりまするし、そういう点について国民に大きな負担をかけたり、義務化したり拘束したりするようなことにならないように、今後は戒めてまいりたい、そういう御回答を申し上げておるところでございます。
  159. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) ただいまの御質問の中で高柳先生が、元号の範囲が決まってないじゃないかというような……
  160. 秦豊

    ○秦豊君 義務の限界と範囲。
  161. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 義務の限界と範囲……。つまり、使用関係でございますか。
  162. 秦豊

    ○秦豊君 そうそう。
  163. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) その点につきましては、もうかねがね申し上げておりますように、使用を強制するというようなことは絶対ないと、国民に対してですよ。国民に対して新しい元号使用することを義務づけることは絶対にないと。もし義務づけが、仮にですよ、そういうことがあってはならないことなんですが、仮にその元号を用いないで西暦役所に届け出を持ってきたと、それで受理しないというようなことがあれば、これは裁判所へ訴え出てその救済を求める道はあるんじゃありませんか。
  164. 秦豊

    ○秦豊君 いま総務長官退席されているから、ちょっとこの流れとしての質問は留保しますけれども。  それは長官が、真田さんが幾らおっしゃっても、やはりいままでの歴代保守党政権が積み重ねてきた政治姿勢とか、あるいは行動の様式、そういうものの全体が国民の皆さんからどういう目でながめられているかということに、実は根元で根源的にかかわっているんです。余り政権が信頼されていないから、一九七九年の五月三十一日の午後三時半にはこう言っているが、後はわかったもんじゃないという不信感が大平政権を直視しているから、幾ら繰り返さない、義務はない、強制はしない、それは一教授の片々たる意見にすぎないと幾らおっしゃっても、なおかつわだかまりが残るのはそういうことなんです。また、法案自体の構成と表現があいまいだから、ぼくはいつも言うんだけども、法三章じゃなくて法三行的なもので、どっかにも書いてあったがたった二十九字、あいまいな法案なんです。あれ以上表現するといろいろとつかれるべきもろいポイントが露呈さわるから、知恵を働かして、あなたも相当貢献さわたと思うが、ああいう表現になったんだ。  ところで、総務長官いらっしゃらないからあなたに聞いておきますが、公務員ですね、それからわれわれ人間、市民。公務員と市民――ぼくらもまあ特別国家公務員なんだけれども国会の場合ですね。この場合、あなたの答弁は非常に明快、真田ばりです、公務員についての使用義務は何ら憲法違反でもない、あたりまえだと。ところがね、じゃあ伺いますけれども、公務員に対する元号使用義務というのは、直接この元号法から発する、発生するんですか、それとも上司ですね、上司から下される、おりてくる職務命令から生ずるのか、どっちなんです。
  165. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) その点も繰り返し繰り返し実は申し述べているのですが、一般の公務員で申しますと国家公務員法の九十八条に、一般職の職員は法令に従わなければならない、また、上司の職務上の命令には従わなければならないとあるわけなんですね。で、そのうちの、法令に従わなければならないとは書いてはありますけれども、この法案使用のことを何にも言っているわけじゃないんですから、その公務員法の九十八条の前段といいますか、法令に忠実に従わなければならないという条文が働くわけではなくて、合理的な理由のもとに上司が職務上の命令を発すれば、それは公務員である以上はそれに従わなければならないということにならざるを得ないと、こういうふうに明瞭に申し上げているわけでございます。
  166. 秦豊

    ○秦豊君 余り明瞭じゃないですよ真田さん。つまり法律制定したのは国会、立法府、わかり切っている。国自体はなるほど使用義務があると考えられる、国自体ね、国ですよ。それからこの考え方に立つと、国の機関で働いている公務員にもしたがって使用義務が生ずるという、あなた方の考え方演繹するとね。そうすると、ところが、現実には、じゃどういう、国の機関と一口に言ったって、いかなる場合にいかなる範囲で元号使用をなすべきであるかということは、一種の法律の解釈というよりは政策的な判断でしょう、違いますか。政策的な判断が必要になると私は思うんです。だから、直接には元号法案ができた、だから職務命令違反だというのではなくて、政治判断を踏まえた職務命令が次々に出される、だから現実から言うと、職務命令というのが元号使用義務の根拠になるんでしょう、違いますか。
  167. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) その点も私繰り返し申し上げているのですが、一口に役所あるいは各省、各庁と申しましても仕事の中身は非常に雑多でございまして、たとえば外務省の渉外事務とか、あるいは国際的な関連のあるいろいろな調査研究の報告書とか、そういうものにまで元号を使いなさいというような命令を出すことは、私はそれは行き過ぎだろうと思います。結局役所役所の行政事務の処理上合理的な必要があってそういう命令が出た場合には、その命令には従わなければならぬだろうというふうに申し上げておるのでありまして、どの役所がどういう場合にいまの命令を出すかというようなことは、実は申しわけありませんが、それは私の所管でございませんので、各省、各庁の義務を実態に応じて、たとえば統計をとらなければいかぬとか、そういう合理的な理由がある場合には職務上の命令の対象になるでしょうと、そしてそれに従わない場合には、これも理論上の問題としては懲戒の対象になると言わざるを得ないと、冷ややかな法律論としては、そういう意味でございます。
  168. 秦豊

    ○秦豊君 総務長官に伺っておきたいのですが、いま総務長官が考えていらっしゃる、頭の中でイメージしていらっしゃる使用範囲ですね、国の機関だという、自治体という言葉もちらっとちらついた、あなたの考えていらっしゃる範囲、義務づけられる、拘束を受ける、これを例示してください、念のために。
  169. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 拘束を受けるということであるかどうかは法律的には非常に問題があると思いますけれども、私は国会法律として御制定を願いました時点において考えてみるわけでございますが、現状のままでございますということでございます。公的機関におきましても、あるいは地方公共団体も、公的機関と言えばその中に入ると思いますが、しかし特にその名前を挙げてと言われますれば、まずは国会あるいは政府、それから司法機関、そういうところ、それから地方におきましては地方公共団体、これは統一的な事務処理というようなことで、特に国の委任事務等についてはそういう点が一つの流れとして出てくるでございましょうが、その他の地方公共団体独自の行政事務にいたしましても、やはりいままで御使用なさっておった分についてはそういうことでお願いをいたすことに協力を願いたいという心境でございます。国民自体に対しましては私は拘束はいたしません。自由な立場でやっていただきますが、しかし国の届け出事務等につきましては、事務の統一的な処理という点で御協力を、いままでもお願いしてきておりましたが、今後もそういう形でひとつ元号使用願いたい、そういう理解とまた期待をいたしておるということでございます。
  170. 秦豊

    ○秦豊君 やっぱり法制局長官無理ですね。政令で使用のこの義務化の範囲ですね、これを政令でやっぱり明示しないと。それはもちろん森羅万象こんなにあるんだと、一々網羅できないという短絡的な反論を言いたいかもしれないが、やはりここは拘束されるされないを質疑の中で言いっ放し聞きっ放しじゃなくて、まさに政令の事項じゃありませんか、違いますか長官。
  171. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) この法案は、もうたびたび申し上げておりますように、国民に対しては何ら使用について義務化するということを考えていないわけなんですから、その政令で、こういう場合には義務がある、こういう場合には義務がないなどというような、そういう取捨選択をするようなこと自体がわれわれの念頭にないわけなんで、それは書けとおっしゃる方がむしろ無理な話なんで、私が申し上げておるのは、そうじゃなくて、一般国民ではなくて、特別権力関係と申しますか、国家公務員なり地方公務員なりあるいは国会職員なり、そういう地位にある人に対して公務の統一的、効率的な執行上必要な場合には職務命令が出ることはあり得ると、そう申し上げているわけで、政令で書くべき事項ではないというふうに考えるわけでございます。
  172. 秦豊

    ○秦豊君 そうすると、じゃ、あなたに聞きますが、このあなた方の言う元号法案の第一項ですね、あなたそれを引用されたんだが、あなた方の言う政令というのは、じゃいわゆる委任政令と考えていいんですか。
  173. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 第一項は具体的な元号の名称といいますか、呼称を政令で書いてよろしいという委任命令でございます。
  174. 秦豊

    ○秦豊君 ならば進めますけれども清水さん、四月十日の衆議院の内閣委員会であなたが答弁されて、それを見ると、政令のところで、一、元号名、二、その元号名がいつから効力を生ずるか、これを政令に委任すると答弁されましたね。そのように、あなたの答弁のように政令事項を限定して解釈するということは、まさにいま長官の言われた本則第一項からは無理じゃありませんか、解釈として、違いますか。
  175. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) それは私が少し言葉足らずであったんでございまして、おおよそ政令に委任をして、その委任によって政令が制定される場合には、当然その政令の附則で、この政令はいつから施行するということは、これはもう書くわけなんで、恐らく清水室長はそのことを指して御説明だったんだろうと思います。
  176. 清水汪

    政府委員清水汪君) 私も全くただいまの御答弁と同じ意味合いで申し上げたわけでございまして、むしろその際に強調いたしたかったことは、それ以外のことはこの法律から政令で何かやるというようなことは全く出てまいりませんということを申し上げているわけでございます。
  177. 秦豊

    ○秦豊君 少し政令と本法のやつを詰めてみたいと思うんですけれども、結局考えますと、そういう答弁ではあるが、本則の第一項というのは「元号は、政令で定める。」とだけですからね、ぽきんと。私のような法律の門外漢が素直に読んでみますと、元号に関するあらゆる事項が政令に委任されることになるんだなというふうに思うわけですよ、私の読み取り方ですね。ところが、私的な読み取り方は必ずしも少なしとしない。つまり先ほど申し上げた使用の義務がないので安心してくださいと、公の人だけですと、公僕だけですと、市民の皆さんに関係がありませんと、あなた方はもううんざりするほど答弁されても、なおかつ不信がわだかまるのはまさにそこにあるんです。そういうことについてはもっと政府側は謙虚に常識的に対応をされても、いささかも法制局長官や総務長官の権威に傷がつかぬと思うんだけれども、なぜそのようにかたくななのかがむしろ逆にわからない。
  178. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 素直に読んでいただけば、元号は政令で決めると言っているわけですから、元号の中身、つまり呼称を決めるというだけであって、もしおっしゃるように、この第一項による授権が元号の呼称以外に使用関係まで仮に書くつもりであるとすれば、あるいはこれは元号についてはとか、あるいは元号及びその使用についてはというふうに書かないと読み取れないというのがむしろ素直な条文の読み方でございます。
  179. 秦豊

    ○秦豊君 それはあなたが幾ら言われても、それは法律が大体国民の権利制限あるいは義務を課する、こういう関係で近代芽生えている。ところがこの元号法案の場合、じゃ国の公権力、国の権力がどこまでこの問題の場合入り込めるのか。それは国家機関だけです。市民に一切、国民には強制しないんだから、年齢の数え方に関するものよりもっとやわらかいんですということをあなたも答えている。あなたもそれをなぞっている。ところが、どこからは入ってはならない、どこまでははいれるという範囲と限界が、つまり強制の範囲、これがはっきりしないから疑問がふつふつとわだかまるのは、これはあたりまえなんです。この方が素直なんですよ。長官、重ねてどうですか。
  180. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 何度も申し上げますけれども使用ということはもう少しも書いてないんで、これは衆議院の内閣委員会でも申し上げたんですが、もう使用の「使」の字も「用」の字も強制の「強」の字も書いてないわけですから、ただ「元号は、政令で定める。」と、つまり具体的な元号の名称を政令で決めるというだけでございますから御心配には及ばないというふうに考えるわけでございます。
  181. 秦豊

    ○秦豊君 警察見えていますね――私の会館の方へこの法案審議が始まってしばらくしてからかな、電話をずいぶん、はがきもいただいていますが、こういう質問があるんで、非常に細かいようだが、これが平均的なドライバーの方の中で持っている御疑問だと思うのでお答えください。非常に小さな問題のようですが、あなた方の公安委員会、車のライセンス、免許ですね、これを聞いてくれと言うんですがね。元号が通ってしまいますと、この法案が。公安委員会発行のライセンスをもらうわけですね。恐らく元号でこう刻んでくると思うんだけれども、特定のドライバーの方が、そのお電話の方も十幾つあったんですが、私はその元号法案に反対である。言行一致したいから、たとえばささいな例だが、自分が公安委員会から交付されるライセンスの元号のところ、これを昭和何年というのを一九七九なら一九七九、八〇なら八〇と書き改めた場合には一体どういう措置が私たちを待ち受けているのかという御質問ですがね、どうなるんですか。
  182. 森田雄二

    説明員森田雄二君) 現在の運転免許証は、御存じのとおり写真で撮影をいたしまして、上にプラスチックのカバーを重ねておりますので、一たんつくられました運転免許証の記載事項に変更を加えるというのは事実上物理的に非常に困難だろうと思います。
  183. 秦豊

    ○秦豊君 それをもし物理的にむずかしいところをですよ、がんこに改めた場合には文書変造になりますか。
  184. 森田雄二

    説明員森田雄二君) 仮にこの免許証を一部壊して記載事項に変更を加えた場合、法律上、刑法上どうなるかという御質問だと思いますが、これはまあどういう変更を加えたか、ケースによって異なるというふうに言わざるを得ないと思います。
  185. 秦豊

    ○秦豊君 しかしそのケース、もちろん無数のケースを特定はできません。ケースによっては、あなた方が仮にこれは悪質だと、物理的にできないものを引っぱがしたと、改めた、改ざんしたと、これは文書変造でしょう。
  186. 森田雄二

    説明員森田雄二君) 内容について変更を加えた場合、たとえば来年まで期限となっているところを再来年までというようなことにした場合は当然そういう問題は出てくるだろうと思います。
  187. 秦豊

    ○秦豊君 では元号昭和西暦に、つまり数字が変わるわけですからね、これもそれに該当しますか。
  188. 森田雄二

    説明員森田雄二君) 年を換算して西暦に書きかえたというだけでは、まあいまとっさに刑法上どうなるか正確に答える自信も私はございませんけれども、まあそれはならないかもしれないと思うんです。ただ、そういう免許証を持っている人につきまして、その免許証が本来どういう記載であったかということはわからないわけでございますから、それを調べなくちゃいけない。大変な御迷惑をそういう人たちにかけることになりかねないと、そういうことはお願いしたくないなと、何とかやめていただきたいというのが私たち考えでございます。
  189. 秦豊

    ○秦豊君 結局そうなるわけですよね。窓口のいわゆる協力依頼とかね。真田さんの答弁を、何かきのうの連合審査かあるいはその前のこの席でもあったのかもしれないけれども、たとえば諸官庁に対して、元号法案が通った場合、文書について、まあ統一的な規定というか、定めというか、通達というか、これはそれぐらいは考えられますねということを答弁されましたね、その意味のことを。あなた違いますか。
  190. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 正確に申しますと無条件にそういうことが考えられるというふうにお答えしたつもりはございません。先ほども申しましたように、合理的な理由があって、その範囲内において職務上の命令を出すということは、これは理論上考えられるという趣旨の御答弁は申し上げました。
  191. 秦豊

    ○秦豊君 そうしますと、たとえば総務長官、こういう場合どうなりますか。諸官庁においては、作文を配る、新たな作文を。元号法案の成立にあたって、公務員よろしくこうしたまえというふうな意味のことを総理府が唱道を使嗾するのか、統一的にどうするのか、その辺も伺っておきたいが、元号法案通りますね、ある時期に、残念ながら通るとしますね。通るとした場合、某月某日をもって政府は――政府と言った方がいいかもしれませんね。公機関、国の機関に対しては具体的にどういうことをなさるんですか。通ったことは通ったこと、何もされないんですか、どうされます。
  192. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 現時点におきましては特別な処置をしようということは考えておりません。ただ、衆参の審議の中でいろいろな御心配の点も承っておるわけでございまして、こういうのをいま一々整理をさしておるわけでございますが、そういうようなことを総合してやはり何らかのそういう元号使用についての解説なり何なりをする必要があるかどうかというようなことをひとつその時点において判断をしてまいりたいと、そういうふうにいまのところ考えておるところでございます。
  193. 秦豊

    ○秦豊君 もっとわかりやすく言うとどういうものになるんですか、それは。衆参両院のいろんな質疑、参考人の方々のいろんな貴重な御意見、なおかついろんなものが残る。残らない、明快だと、わからないのは野党のわからず屋ばかりだとおっしゃらないで、行政の衝にあるあなた方としてはもっと誠実に謙虚に国民の皆さんに対しなきゃならないという場合に、その程度のあいまいなもので処理されようというおつもりですか。
  194. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) いまその整理等を進めさしております担当者からひとつ説明させます。
  195. 清水汪

    政府委員清水汪君) お答えを申し上げます。  元号法案が通りましても、元号を公務の場において使用しているというこの問題、使用の問題につきましては、実は別の言い方で簡単に申し上げれば、この法案とは関係なく現在の慣行的に確立しておる公務の処理の仕方がそのまま続いていくと、この法案が成立した時点で何かそれが変わると、変わらなければならないというふうには全く考えていないわけでございます。これがまず実態的な問題でございます。  そこで、それでは法案が成立した段階にどのような措置をするかという御質問でございますが、そういうことでございますので、たとえて言えば、もっと元号を使いなさいというような、そういう方向での何か統一的な指示を出すとかいうようなことは考えておりません。そうではなくて、ただいま大臣が申されましたことの主たる趣旨は、この元号法案審議におきまして、ただいまも御指摘のございますように、仮にも何か法案ができたことによってよけい拘束的にやっていいんだとか、やらなければならないとかというような、むしろ誤解などが末端において出てはいけません。そういうことはないように十分注意しますということもるる申し上げているわけでございますので、そういう方向の配慮といいますか、指導といいますか、それが必要ならばそれは十分やらなければならないと、そのようなことは現在考えておるわけでございますが、この元号法ができたことをきっかけとしてもっと元号を使わせようというようなことは特段には考えていないわけでございます。  先ほど来公務員における拘束の問題が御議論があったわけでございますが、その問題もこの法案がない現在ただいまにおいても、公務においては、公務の処理の仕方というものは大体の役所は、きのうも例がありましたが、たとえば総理府で言えば総務長官の、大臣の訓令という形で事務規則と申しますか、文書管理規則という名前のものがあるわけでございますし、そういうような式に各省とも大体はできておるわけで、そのような指示のもとに統一的な事務が行われておると、これが公務の現場の実態でございますけれども、そういう状態はそのまま続いていくと、こういうことを申し上げているわけでございますので、御理解を賜りたいと思います。
  196. 秦豊

    ○秦豊君 総務長官、大体この元号というふうな問題は、あなた方は文化、伝統というような言葉をあえて使っていらっしゃるようだが、かな遣いというのがありますね。例の衆議院でも議論があったようだが、当用漢字というのがある。ところが当用漢字とかかな遣いというのは、そもそもある一種の表現に関連するものだから、一極あれは内閣の訓令のような処理をしてますよね。法律ではありませんね。訓令というか通達というか、文部省で言えば指導要領的なものというふうなもので処理をしていますね。法的な強制という措置をとっていないでしょう、かな遣いとか当用漢字は。本当は元号というのはそういうものなんですよ。すぐれて個人の心情とか天皇観とか歴史観とか、そういうものに密接したものなんですよ。そういうものを一々法律によって、国の権力によって強制をされる、拘束をされる、拘束はしないと幾ら言っても、法律をつくるということは、一種の権力行為、政治の行為なんですよ。国の行為になるんですよ。そういうことに本来なじまないものをあなた方はあえてつくろうとしているんだから、不満や不信や疑念がわだかまってなかなか払拭できないのはあたりまえなんですよ、むしろ。本来そういうもんなんですよ。法制化とか法律なんていうものになじまないんです。そうはお考えになりませんか。
  197. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) いま使用上の問題を中心にして言っておられるようでございますが、私ども法制化をあえてお願いをいたしましたのは、このままの状態でまいりますと、昭和元号というのが空白になるのではないか、だれかがいつの時点に決めておかねばならない。それが存続を、年の紀年法として事実たる慣習で続いておりますこの元号をだれかがせなきゃならぬということになれば、国民のそうした願望にこたえてやるとすれば、政府がこれを取り上げて国会の場でといういま手続をいたしておるわけでございまするが、そういうことでやっておるわけでございますので、御理解を願いたいと思うのでございます。使用上の云々とかいうような問題を中心にしてのいまの論議から生まれたものではないわけでございます。
  198. 秦豊

    ○秦豊君 こういう点を総務長官お約束願えますか。強制は何らしない。市民生活は何らきのうに変わらない。きょうもあすも変わらないんだと。事元号については。言うならば、私は東京の郊外に住んでいるが、そこの近所の集まりでも、奥様方の集まりでも、青年の集まりでも、さはさりながら信用ができない。実際に窓口に行ったときのことを危惧していらっしゃる。じゃわかりましたよ、そこまでそうおっしゃるならば。ならば全国の自治体にいわゆる戸籍とか市民課とか、そういう窓口に対して、これは強制をしてはならないということを、あなた方からすれば蛇足と思われるようなことをよく相談をされて、元号法案の成立に当たってというわかりやすい通達を出して、いたずらな混乱や紛争が起こらないように措置されるおつもりはありませんか、積極的に。
  199. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) この問題に、総理府総務長官がそういうことをここでずばりお答えすることは適当でないかもしれませんけれども、昨日の連合審査の際に、澁谷自治大臣がこのことにお答えをなさっておられましたが、これは要すれば必要があるとするならば、そういう点については配慮いたしたいと思いますということでございましたので、そういう点について非常に混乱があり、問題があるとすれば、各省庁において行政事務執行の問題としておやりになるのではなかろうかと、そう私はきのうのお答えを聞きながら感じておったところでございます。
  200. 秦豊

    ○秦豊君 だから、確かに自治大臣のそれはわかっています。だけどもあえて伺っておきたかったのは、元号法案というのは国会という舞台ではある時点では終わるかもしれない。けど、国民の皆さんの中にこの問題が持ち込まれるわけですよ、改めて。そうすると、非常に信念的な方々は、やはり元号拒否運動というのをこれからお始めになるわけです。窓口だろうが、どこだろうが、さっきのライセンスの問題だろうが、それはそうなんですよ。だからいたずらな混乱が起きちゃならないから、だから私に対する約束としては、澁谷自治大臣三原総務長官と関連の長官、大臣がいたずらな国民生活の混乱を防ぐために善処をすると、具体的に考えてみたいと、必要なことだなあというお考えをにじました御答弁をいただいておきたい。
  201. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) ただいまのお尋ねに対しましては、私も澁谷自治大臣と同じような考えに立っておるということを先ほど申し上げましたように、そういう点について混乱が起こるようなことがあってもなりませんし、要すればそういう処置をいたさねばなるまい、そう考えておるところでございます。
  202. 秦豊

    ○秦豊君 真田長官、どうしてももう少し私こだわりたいと思うのですが、つまり、まさか日常会話とか、手紙の日付とか、そういうようなものに立ち入る権限もなければ、つもりもない、これは常識の範囲である。ところが、たとえば通産省とか何かの関係で、これも投書なんですけれども、いま折から蒸し暑い季節だが、ビール業界などのびん生などの表示、商品の製造年月日、これは西暦なんですよ。いろいろ比べてみた。西暦の方が数は多い、メーカーとしては。1979でパンチが入って、4、5、6、7と書いて、この間にどうぞと、そういう親切な表示がある。これはこの法案が通ると、通産省あたりから何かお得意の行政指導なんていうことにならないように、総務長官としても閣議あたりで漫画の材料を提供しないように、歯どめを設けていただきたいと思います。これはささやかな投書ですが、何通か来ています。どうですか。
  203. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 私は企業の良識が解決をすると思いますから、特別そういう指示等はいたしませんけれども、そういう企業の良識に従ってなさることは、私はそのままにとるべきではないかということでございます。特別、そうしてはならぬというようなことは私から申し上げません。
  204. 秦豊

    ○秦豊君 こういう疑問に対してお答えをいただきたい、真田さんから。つまり、合理的な判断が一方にあると思います、合理的な分野というか、判断が。あなた方の考えの中に、まさかこういうことはないでしょうね。いま非常にシリアスな命題だから、余りこれ以上踏み込んだ表現もいかがかと思う、だから二十九字なんだと。将来たとえば戸籍を考えた場合に、窓口でいろいろやってみたがどうも混乱が絶えない。運動は根強い。ますます厳しくなったと、どうしてもこれは個別な法律を改めておかないと、せっかく元号法制化した意味合いがなくなる、存立の基礎を脅かされるというふうな時期が仮に到来したとして、元号法自体はもう修正しない、手を加えない。ところが個別の、たとえば戸籍法を改めて拘束義務を課するというふうなことはまさか考えていらっしゃらぬでしょうね。
  205. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) これは秦先生、どうも申しわけありませんが、私の所管じゃございませんので、担当の係官を呼んでお確かめください。
  206. 秦豊

    ○秦豊君 いや、私はあなたが法律の解釈の最高の衝というのはわかり切って、あえてあなたの個人的な見解を、法律の権威としてのあなたに聞いているんであって、法制局長官の所管、分掌規程を伺ったわけじゃないですよ。そういう悪知恵をまさか働かさないでしょうねということを聞いているわけだから。
  207. 清水汪

    政府委員清水汪君) 権威はとうてい及ばないわけでございますけれども、私の立場でこの問題についてお答えをするとすれば、私はまず第一には、そのような混乱のような事態が起きることは決して好ましくないと、願わしくないと、そういうことにはならないということを国民の良識について期待をしておると、そういうまず考え方を持っております。  で、いずれにいたしましても、しかしながら、好ましくないにせよ、何らかの混乱というような事態が起きたときには、それはやはり収拾すると申しますか、解決を図らなければなりませんけれども、それはそのときのその状態に即して、いろいろの政策当局の立場においての具体的な判断の問題になると、このようなことだろうと思います。したがいまして、それは先ほどの法制局長官が御所管に関連して申されたことと、平仄が合う考え方ではなかろうかと、このように思うわけであります。
  208. 秦豊

    ○秦豊君 私が先ほど申し上げましたわだかまりの、次の一つにまいりたいと思いますけれども、この元号法案というものが政府側のいかなる主張も、これほど言葉を並べられてもなおかつ説得力を欠いていますのはなぜかといいますと、やはりこの本当のいわゆる世論に背を向けているからなんですよ。本当の世論世論世論という、あなた方のはいわゆる世論であって、世論をすりかえているから皆さんの合意が、納得が得られないんですよ。幾ら専門的な言辞を弄されても、いかに慎重そうな答弁を行われてもそれはそうなんです。  それは、たとえば一番新しいデータを、総務長官、引用しますと、やはりこの三月の下旬に行われた共同通信調べなんだけれども、これはずばり法制化のことを聞いていますから、あなた方が四回もなすった、あえて避けて通った法制化をずばり聞いていますからあえて引用するんですけれども元号法律で決めることに賛成、法制化賛成二三・三%。法律で決めなくても現在のような形で存続をすればよろしい、五五・一%。元号そのものに反対、四・二%。どちらでもよろしい一一・五%。無関心、三・七%。以下と、こうなっているわけですよ。そうしますと、総務長官、存続はなるほど圧倒的に大きいんです、八割ですよ、法制化が二三・三なんですよ。これはその前に行われた各マスメディアの調査でも大体二〇%台であって、三〇を突き破ったものは一つもないことはまた御存じのとおりじゃありませんか。あなた方の答弁を幾ら積み重ねていただきましても、一野党議員たる私も腑に落ちないのは、まさにあなた方の世論というのは存続希望の世論をむしり取って、いいところをつまみ食いして、それをバックにしょってらっしゃる。私たちは、そういう合意はまだ形成されていない、市民社会に、国内に。むしろ反対の方が圧倒的に多いじゃありませんかと、ならば、ここは立ちどまって考えるべきではないかと、せいぜい許し得て継続審議というのが私たちの主張の格底にあるわけです。  この両者の隔たりは、やはりいま私が引用したたった一つのこの数字、ペンクラブからも安岡章太郎さんが送ってくれたけれども、やはり圧倒的に、たとえば法制化賛成は、六百五十四名の作家の中で四十二名。法制化の必要はない、しかし、習慣的心情的の使用は認め得る、百九十五。法制化または元号使用そのものに反対、五十二。それから法制化については、たとえば、今国会で急いで決定されることに賛成、二十五名。もっと論議を尽くしてからにすべきである、百五十三名。これがペンクラブの六百五十四名の方のアンケートなんですね。これはもうこういうものを引用すると大変多くなる、それは御存じのとおりだと思うんですよ、三原総務長官も。あなた方の一番弱い点はそこなんですよ。あなた方は決して正しい世論を踏まえていらっしゃらないじゃありませんか。法制化が八八%ならば、私は粛然として脱帽します。そうじゃないんでしょう、逆の比率でしょう。  だから私はそこを言うんです。あなた方が説得力を根元的にお持ちになり得ないのはまさにそうなんです。世論そのものを踏まえ方が違っているじゃありませんか、総務長官違いますか、私の立論はどうでしょう。
  209. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) いまの御意見は御意見として理解できるわけでございますが、私どもはいまもお話がありましたように、現状のままで使用させろということが大多数でございます。そういたしますと、私どもは現状のまま御使用、運用を願い得るという考え方には変わりございません。ところが問題はこれをこのままの状態で置いておくと空白になる、存続に影響してくるということでございまするので、存続させるためにはいかなる手段、方法をとるかということで実は法制化お願いをいたしておるわけでございます。したがってその中身は、なぜ法制化をおきらいになるかというようなことも私ども反省をいたしておるわけでございますが、それは一つには、先ほど来るる先生からも御指摘がございますように、法の拡大解釈あるいはひとり歩きをするのではないかという御心配の点が一つあります。それが天皇統治の憲法違反につながっていくのではないかというような、そういう点が一つございます。一つには、法律をやれば国民を義務化し、拘束するというようなところにありはしないかというような点もあろうと思うんです。そういう点についての国民の皆さん方に対する理解と協力を得る広報活動が欠如いたしておった点は私自身反省をいたしておりますということを申し上げましたが、これは国会の衆参の審議の中で長時間にわたり、長期にわたって委員会ばかりでなく、他の面におきましてもこうした論議が行われておるわけでございまするので、いま申し上げましたような本旨に沿って法制化をやっておるのでございますということを申し上げてまいっておるわけでございまするので、御理解を願いたいと思うのでございます。
  210. 秦豊

    ○秦豊君 さっき片岡委員質問をされていたようです。長官、あなたいまの御答弁はやや国対委員長的な御答弁であって、やっぱり元号担当の総務長官としては、ぼくの質問に対してまともにはお答えになっていらっしゃいませんよ。大変私は三原長官らしくないと思う。私は、あなた方のいわゆる世論はすりかえているじゃございませんかと、存続希望は圧倒的ですよ、それは認めますよと、法制化という、あなた方なさるのは法制化なんだから、それは逆に少数意見じゃありませんかということを申し上げているんで、その世論の踏まえ方について真っ当なお答えをいただきたかったんですよ。そのことについてお答えいただきたい。あなた方は正しい世論を踏まえていらっしゃらない。だからそれがいわゆる合意の形成を基本的に未完にしている原因だし、なぜ急ぐかという反論にもつながるし、そうして多くの不満にも、不信にもつながっていく。その根元には世論合意の形成を置き去りにしているという見切り発車という面と、もう一つは、世論世論といったって、政府世論はうそじゃないかと、すりかえているじゃないかという声ね、認識ね、これは避けて通れませんよ。そうじゃありませんか。
  211. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 法制化についての問題でございますから、またこれも一つの我田引水的な解釈であろうということであろうと思いまするが、数機関の報道機関によって調査をされた、その中で、ある報道機関は五七%の法制化賛成ということもあるわけでございます。したがって、世論を聞く場合の私はアンケートの取り方等もやはりいろいろあるなあということも考えます。しかし、それは私どもはアンケートの取り方がよかった、悪かったというようなことを申し上げておるわけでございます。聞き方によってはいろいろ聞き方があるなあということも一つ問題はございます。  そこで私といたしましては、このほかに存続の国民の希望とともに地方議会、私はやはり地方議会の議決というのはそれなりに尊重すべきものでもあろうと思うのでございます。都道府県なり、市町村議会等におきまするこれらの問題を取り上げられて論議をなさった、そうした成果等も踏まえてまいりたいと思うわけでございます。そういう点もひとつ御理解を賜りたいと思うのでございます。
  212. 清水汪

    政府委員清水汪君) 私の立場からいまの大臣の御答弁につきましてもう一点補足させていただきたいと思いますが、御指摘世論調査の中で元号はあった方がいいが、その方法についていまのままでいいじゃないかというような趣旨の回答が五十数%に達しているという点の御指摘があったわけでございますが、これは私ども理解、それから大多数の国民がそのような理解でいると思うわけでございますが、いまの昭和という元号が事実上の慣習としてこれは現在用いられておるので、現在時点について言えば何ら不足はないわけでございますが、問題はこの昭和元号にいずれは終わりがくるわけでございまして、さてその場合において、元号はさらに次のものが存続してほしいということになるわけでございますが、結局元号というものは自然年のようにずっと何もしなくても存続していくというわけにはまいりませんで、これはだれかが新しい呼称を決めなければ元号というものが続かなくなるわけでございます。つまり元号が空白になるというのはそのことを言っているわけでございます。  そこで、だれがいつのときにそれを定めるかということだけははっきりしなければならない。そのことはしかし、慣習に任していけばということの中からはその答えが出てこないわけでございます。そこでその混乱が起きるというようなことになるわけでございますので、その点についてだけ政府としては国会にこのような法案を御提案申し上げて、その場合には政府国会の御委任のもとに新しい呼称を決めるということだけをお決めいただくと、それによってそのような混乱も回避されると、元号を存続してほしいという大多数の願望にもこたえることができるという、そういう考え方で御提案申し上げているということでございます。
  213. 秦豊

    ○秦豊君 総務長官、私初めて伺ったんだけれども法制化賛成の回答が五十数%、七%ですか、そういう調査があったとは寡聞にして知りませんが、圧倒的な媒体の調査はまさに逆転なんですよ。二割程度が、二〇%が法制化賛成、八〇%が反対と、これが平均的な回答なんですよね。だから、自衛隊に対する世論とそれから元号とはやや次元も違うし、分野も違うが、かなり似通った反応を示していらっしゃるんですよ、市民の皆さんは。どういうことかといいますと、あなたも防衛庁長官でおられたからさんざん議論しましたね。あの自衛隊存続もなるほど八十数%を超えました。ところが中身を見ると、現在程度の装備とか編成とか予算とか、それでそういう前提条件つきで存続希望、つまりこの場合は自衛隊については存続じゃなくて肯定になるんですが、元号法案についても私どもの知り得る限り、知り得た限りあなたのデータとは違うんです。その一点は違うんだが、さっき引用したような比率なんです。元号が続くことはやむを得ないと、やむを得ないを含めて八十数%ある。法制化にはなじまない、これが圧倒的だ。ちょうど自衛隊に対する反応と似ているといった意味はそうなんですよ。せっかくお二人が次々に答弁をされたけれども、肝心の世論の踏まえ方についての答弁は、私はなお納得ができない。どうでしょう。
  214. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 先ほど法制化について御理解を願っておる一社の五七%の世論調査の結果が出ているということを申しましたが、他社についてどの社、どの社ということを申し上げませんでしたから、私はそれを遠慮さしていただいているわけでございまするが、数社の中の一社の調査はそういうデータも出ているわけでございます。それと、私は都道府県、市町村における議会のことも申し上げたのでございます。  それから、いま御指摘のように、アンケートのとり方、配列の仕方、そういうものにもいろいろ影響するものがある。国会法案を提案いたしましてから、私ども政府としてそうした世論調査をやらなかったというのも、国会で大事な審議をしておられるときに私どもなりの配列やらアンケケートのとり方等をやりますと、また我田引水的なものに陥るおそれもあるということでそれはやむべきであるということを、私どもはそういう態度でおるわけでございまして、決して私はすべての方々が、全く私どもが取り上げたことに対して相反する世論が充満しておるというようなことは考えておりません。先ほど清水室長が申しましたように、このまま置いておけば空白になりますというようなことは私どもまだ訴えてもおりませんので、そういう点において私どもとしてはこの時期に、いろいろな世論のこともございますけれども、この際御決定を願っておきたい、そういう考え方に立っておるわけでございます。
  215. 秦豊

    ○秦豊君 踰年改元という問題がありますね、これちょっと確認しておきたい。衆参両院の、参議院は議事録ができてないのがまだかなりありますけれども、四月十日、三原総務長官答弁、衆議院内閣委員会、「踰年というようなことはいまのところ考えておりません。」こういう答弁に誤りがないかどうか。私もこれはあなた方が国会提出をされたその当時は即日改元という真意ではなかったかと思うが、あわせて御答弁、確認しておきたい。
  216. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) お答えをいたしますが、きわめて簡潔な法案提出をいたしておるわけでございますが、その改元の時期につきましては、「皇位継承があった場合」ということを記しておるのでございまして、それは、この皇位継承時点を云々というようなことは申し上げていないのでございます。したがって、その「場合」というのには、全体を通じて私どもが法を考えておりまするのは、できるだけ速やかにということはその中に含まっておるわけでございますけれども改元があったらそれと即時にというようなものではない。「場合」という意味は、ある程度の私は期間をやはり置いて慎重な審議を進め、結論を出したいという政府の責任をそういう立場で果たしたいということでおるわけでございます。そういう点で、私は第一の質問はそういう考え方でおるということでございます。  次は、踰年改元というのはどうかということでございますが、その点につきましては、私は、そういういま申し上げましたような、一つの時間的な幅なり、あるいは皇位継承の時期、当時の国民の感情、そして国民生活に及ぼす影響等を考慮をいたしていきたいと考えておりまするので、即時即刻というようなことではなくて、多少の幅を持って考えたい。そういう点で踰年という貴重な御意見等も踏まえながら対処してまいりたいという考え方に立っておるわけでございます。
  217. 秦豊

    ○秦豊君 そうすると、四月十九日のあの大平総理の答弁に近づかれたわけですね。四月十日は、「いまのところ考えておりません。」四月十九日、大平総理は、「るる承りました踰年改元に対する御意見、私どもといたしまして十分尊重しつつ、検討を進めさせていただきます。」という答弁に総務長官は近づかれたわけですか。
  218. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 私は、当初からいま申し上げまするように、踰年改元という貴重な意見のあることは承知をいたしておりまするので、そのことは当初からそういう貴重な意見は参考にしなければならないという姿勢でおりましたので、その点は大平総理の本会議における答弁と変わりはございません。現在も同様な考え方でおるわけでございます。
  219. 秦豊

    ○秦豊君 極端なケースは想定しません。しかし、いやしくも踰年は文字どおり年をまたぐ、越える、改まる。そうすると極端に言えば即時とか即日ということは考えたわけではないけれども、常識的に考えられる範囲内で改元ということに当然なりますよね、おっしゃった表現をずっとたどっていけば。そうすると、たとえば現在の天皇がみまかる、亡くなられる。すでにその前あたりから難陳に当たる方々の選考は終わっているであろう。そうすると常識的に、宮内庁にも伺いますけれども、当然、やはり数ヵ月というふうな時間は、やや長い過程ではないか。そういう不幸なことがあった後、少なくとも一、二カ月の間には改元ということについてのすべての準備が終わり、発表に至るというふうなことを考えても間違いではありませんか。どうでしょう。宮内庁と両方に伺っておきましょう。
  220. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 今回の元号法案に基づきます元号制定というものは、従来あくまで政務として内閣でお決めになる事項でございます。それは政令という形でございますから当然のことでございまして、したがいまして、それがいつまでにということを皇室の国家事務を御補佐申し上げる宮内庁という立場で申し上げるべきことでないと存じますので、御容赦を賜りたいと存じます。
  221. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) いまここで四カ月とか五カ月とかいうような数字的なことを御回答できないことは申しわけございませんが、やはり常識的な範囲というものがおのずからあるであろうし、また国会審議の中で出ました貴重な意見等も参考にして決めたいということを御質問に対して御回答申し上げる以外にないと思っております。
  222. 秦豊

    ○秦豊君 ただ、総務長官、こうじゃありませんか。宮内庁は山本さん、そういう御答弁でしょう。それは当然です。私もわかります。元号というのは、天皇の即位、大嘗祭、それから崩御までの期間ですね。つまり、在位の期間と元号は一致する。これはまず論理的に当然ですね。この解釈が当然であれば、踰年改元というのは論理的に整合しないんです。違いますか。
  223. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 質問のお言葉は違っておりましたけれども、昨日の連合審査の際に、御同様な御意見がございました。全くそういう不幸な事態は起こってはならないということを祈念をいたしておりまするけれども、そういうことも論理的というか、仮説的にはそういうことも考えられる点もありましょう。したがって、そういう場合にはそれなりの対処をしなければならぬということで、準備をいたしておりますということをお答えを申し上げましたが、先生に対しましても、そういうことがあった場合にはどう対処するかというような点についても検討を進めておるということでございます。
  224. 秦豊

    ○秦豊君 かつては、法制局長官元号制定というのは、これはいろんな決め方がありましたね。代始とか祥瑞とか天変地異とかありましたね。革命とか革令とか、いろいろあったと。しかし、明治以来はこれは代始に局限されたから一世一代になったと、こういう解釈でよろしいですか。
  225. 清水汪

    政府委員清水汪君) さように存じております。
  226. 秦豊

    ○秦豊君 そうすると、これは確認のために聞いておいて、次にいくためですが、本来、元号制定というのは、旧皇室典範で言えば、第二章「践祚即位」つまり皇位継承儀式の欠かせない一環であったわけですね。言うまでもないと思いますが、確認をしておきたいと思う。
  227. 清水汪

    政府委員清水汪君) 今回の法律は、全く違うことは申し上げるまでもないわけでございますが、従前の例で言えば、旧皇室典範第十二条の規定に基づいておるわけでございます。ただ、一言申し上げれば、先生ただいま践祚あるいは即位、あるいは大嘗祭、そういった一連の儀式の一環だと、こういうような意味合いでおっしゃられたわけでございますけれども、私といたしましては、践祚の儀とかあるいは即位の大礼、それからその即位の大礼に引き続いての大嘗祭というような、そういう側面の一つの儀式の流れは相互に関連して存在したと思いますけれども元号をお定めになるという第十二条の行為は、それ自体として行われたということだと理解しております。しかも、それは登極令自身によりまして、直ちにという手続規定がございましたから、それにのっとって直ちに行われたと、このようなことであったと思います。
  228. 秦豊

    ○秦豊君 こういう意見があるのですよね。たとえばあなたの言われたその部分がそうだと思いますがね。旧皇室典範が廃止になって、新しい典範ができた。四七年の一月、法律三号ですね。それで旧典範の第十条「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践昨シ祖宗ノ神器ヲ承ク」十一条に「即位ノ礼」があって、十二条が「践昨ノ後元号ヲ建テ一世ノ間二再ヒ改メサルコト」こういう表現がずっと続いていますね。しかし、いずれにしろ新典範の第四条には、旧典範のそれを継承して、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」と、こうなっているから、旧皇室室典範と新皇室典範はその点では継続性があるということも事実ですね。  そこで、これは法制局長官に伺うのが至当なのか、どなたが一番ぴったりかわかりませんが、たとえば京都大学の上山教授あたりの所論を紙上で拝見すると、政府と宮内庁は、なぜ皇位継承の儀式を法制化しておかなかったのか。今後とも法制化しないのだろうか。元号制定というのは、本来は天皇の大権の一環であった。天皇神権の表現であったと。ところが、確かに皇室典範は変わった。憲法も質が変わった。しかし宮内庁、政府としては、なぜ皇位継承の儀式を法制化しておかないのか、私は疑念なきを得ないという所論を発表していますね。つまり元号は、これまでは、法制化以前は事実たるの慣習である。これに満足していた。今度法制化しようとする。ところが、一方の皇位継承の儀式は、それこそ事実たるの慣習で、今後とも満足をし続ける状態なのかどうか、お考えなのかどうか。これは上山さんの所論にも答える意味で、いかがですか。私もこの点は伺っておきたいなあと思っているんですが。
  229. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 皇位継承の儀式につきまして、ただいまのところは皇室典範の二十四条に、「皇位継承があったときは、即位の礼を行う。」という規定のみでございまして、その内容の具体化がない。御指摘のその点につきましては、まさにそのとおりでございますが、宮内庁といたしましては、この儀式というのは、やはり伝統的なものをば十分尊重しつつ、同時に国及び国民統合の象徴である天皇地位にふさわしい内容を持つべきものであるというような考え方から、いろいろと検討はいたしているところでございます。  なお、法制化すべきかどうかということでございますが、皇位継承はもちろん頻繁に行えるものでもございませんし、また現代の非常に激しいこの変化の時代に即しまして、日本国憲法になりましてからも一三十数年たっておりまして、やっぱりそれぞれの時代によって考え方国民考え方、受け取り方というものもいろいろあるわけでございます。そういったようなことを考えまして、その時代において国民に納得のいくものということが、やはり常に考えておく必要のあることではないか、こういうような気持ちから、従来宮内庁といたしましては、直ちに成文法でもって決めるということはいかがなものかというような考え方に立って、研究はいたしておりますが、成文法はいかがなものかと疑問を持っているところでございます。
  230. 秦豊

    ○秦豊君 真田長官、元号制定という行為自体、この行為自体は国務的な行為なんでしょうか。それとも、いわゆる国事的な範疇に入りますか。
  231. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 国事的な行為とおっしゃいますのは、憲法に定めている天皇の国事行為の意味でございますですね。天皇憲法上の国事に関する行為というのは、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、」云々という規定がございますので、もちろん元号を定めるということは、これはいわゆる国事行為ではございません。
  232. 秦豊

    ○秦豊君 そうすると、元号制定の主体ですね、最高責任者は、言うまでもなく三原総務長官ではなくて大平正芳総理大臣ですね。
  233. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) ただいま御審議を願っておる元号法案によりますれば、「元号は、政令で定める。」とございますので、政令を制定する主体は内閣でございます。
  234. 秦豊

    ○秦豊君 そうすると、皇位継承の儀式は今後とも京都において即位の大礼――これからどういう言葉使うかわかりませんが、大嘗祭という言葉はそれこそそのままお使いになるかどうかそれもわかりません。わからない段階で聞く以外にありませんけれども、次長、これはどうなるんですか、一世一元はさっき申し上げたように代始で始まるんですよね、代始の元号明治以来は実質なっているということなんですね。仮にそうだとすると、代始の元号制定というのは皇位継承儀式のこれは欠かせざる重要な一環であったんだから、これまでは。みなさんの年来の主張、価値観からすると、元号制定の主体が総理大臣だというのは基本的におかしいんじゃありませんか。どうなんですか。
  235. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 即位の礼の、従来からの分も含めまして、即位の礼というものの中にどれだけの儀式があるのかと、いろいろございますけれども、旧来の登極令におきましても、元号改元をするということ自体は、登極令に規定されておりますいわゆる儀式にはございません。これは御承知のとおり、たとえば践祚の儀式のときには四つございますけれども、その中にはないわけでございまして、そういう意味でのいわゆる儀式という中には入っていないんではなかろうか。それからもちろん従来の憲法下におきましては、元号を決めるのは最終的には勅定ということになっているわけでございますが、そこはもうるる、今回のものはそれと性格の違ったものという御説明にはたびたび出ているわけでございまして、それはそれなりに意味があることでございまして、私の方からとかく申し上げるものではないと存じます。
  236. 秦豊

    ○秦豊君 さっきの真田さんの答弁だと国事的な行為ではないとおっしゃいましたね。そうすると国務的な事項というふうなみなしになりますか、元号制定は。
  237. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 国務という語は、憲法でも使用していないわけではないですが……。
  238. 秦豊

    ○秦豊君 憲法では使っていない。法律的な範崎の解釈。
  239. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) むしろ国政という言葉をお使いになればそのとおりだと思います。
  240. 秦豊

    ○秦豊君 そうすると、元号制定も国政的な事項、皇位継承の儀式等も国政的な事項と、こういうふうになりますか。
  241. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 憲法天皇の国事行為が羅列してございます。その第七条の末号に、「儀式を行ふこと。」というのがございまして、それから皇室典範に、「即位の礼を行う。」という規定がございまして、これはまさしく天皇の国事行為の第七条末号の「儀式」に該当するというふうに考えられますので、その即位の礼はこれは国事行為として行われます。で、元号を定めることは、これは先ほど申しましたように国事行為ではございません。
  242. 秦豊

    ○秦豊君 前の憲法と前の典範のときには改元の儀式ありましたね。改元の儀式、改元の詔書というのが発布されていましたね、歴史的な事実として。これは山本さんあそこの資料があるでしょう。つまり、何年何月以後を何々となす、「主者施行セヨ」というたぐいの、つまり政府に対して新しい年号使用というのを命じた改元の詔書があったんですよ。儀式もあったんです。当時は詔書というのは天皇の大権を施行するための一つの形式であったんですね、改元の詔書は。神権天皇の持っておられた権限の一つと解釈がありましたからね、当然そうなるわけですが。したがって、法律上の効力があったわけです。だから、改元の詔書というのはその当時には純然たるそれこそ国務的事項であったと、こういう解釈が成り立ったわけでしょう。違いますか、長官。
  243. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 改元の詔書自体はとにかくといたしまして、元号を定めるということはこれは国務であるというふうに私の手元にございます美濃部達吉先生憲法撮要には書いてございます。
  244. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 元号の定められましたときにはやはり元号の詔書というかっこうでは出ておりますが、そのほかの特段の儀式というのはちょっと私どもも存じてはいないところでございます。  なお、元号の詔書は、いまの国務ということで内閣総大臣以下各国務大臣の副署という詔書でございます。
  245. 秦豊

    ○秦豊君 今度は新憲法下は、常識的な意味で改元の儀式はないわけでしょう。
  246. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 従来もなかったものでございますから、特段に恐らく即位の礼の一環として改元の儀式ということは考えにくいのではないかと存じます。
  247. 秦豊

    ○秦豊君 いま公文書の紀年法ですね、公文書に限定しますよ。公文書の紀年法を定めた法律とか法規とかそれに類するものはございますか。
  248. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) いわゆる公文書全体を通じまして一般的にそれを紀年方式として元号を使えというような法律またはそれに類するものは私は存じません。ただ、各省、各庁で、先ほど来問題にしておりますように、合理的な理由がある場合に訓令の形で決めているという例はあるだろうと思います。
  249. 秦豊

    ○秦豊君 元号法が一方では通るかもしれない。通ったと仮定して、公文書の紀年法というのは改めて必要になりますか、あるいは依然としてそれは必要でないままで推移しても何ら妨げがないでしょうか。
  250. 清水汪

    政府委員清水汪君) 紀年法の問題につきましては、現実に定着をしております原則的には元号によって表示をしておるわけでございますが、この実態にのっとっていけばよろしいと、このように考えておりますので、格別に何かそのことのための一般法というものを設ける必要はないと現在のところ考えております。
  251. 秦豊

    ○秦豊君 ちょっと真田さん、古い話であれなんですけれども、四六年の十二月十八日に、まだ参議院が貴族院とかいういかめしい名前で呼ばれていたころに特別委員会があって、皇室典範の改正をめぐる議論がいろいろあったんですよね。当時は金森さんが答弁されている金森答弁ですが、「内閣で決ったところの元号ということを儀式の面におきまして天皇の御権能の範囲に導き入れることは考へ得べきものと思っております」と、こういう答弁がありまして、いまいろんな資料を調べ直してみるとこういう答弁があったので、この解釈はどうなんですか、ちょっと無理な感じもいたしますが、どうでしょう。金森答弁だったら、これは元号制定というのは国事行為になるんですよ。どうでしょう。
  252. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 金森大臣いろいろ御答弁なさっているようですが、いま聞いたところでは、どうもやはりわれわれの現在の公式な考え方では、元号を定めることは国事行為ではないというふうに考えております。
  253. 秦豊

    ○秦豊君 この元号制定という一つの行為ですね、確かにそれは一方で国務的な行為だと、これをあなたの言葉であれば国政的行為であると言い、一方では国事行為だという解釈をすることは確かに両立しない、無理がある。金森氏の答弁も、だからそのときどきによってずれていますけれども、それはそうだと思います。  それでは、さっき真田さんも言われた憲法第七条第十号に言う「儀式」というものはどのような範囲のものなのか、これを具体的に列挙してもらいたい。
  254. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 憲法第七条第十号に定められております「儀式」といたしまして、現在のところ恒例的なものといたしましては、昭和二十七年の十二月十二日の閣議決定によります国事行為たる儀式として、毎年の元旦に行われます新年祝賀の儀、決められております恒例的なものといたしましてはこの一つだけ、現在のところはそういうことになっておると思います。臨時に行われました国事行為たる儀式といたしまして一、二考えてみますると、たとえば皇太子殿下の立太子の礼あるいは皇太子の成年式、これは一緒にやったと思いますが、そういったものでございますとか、あるいは皇太子の御成婚式、こういうものはそれぞれそのときどきの閣議決定によりまして国事行為としての儀式として行われておる、かようなことになっておると存じます。
  255. 秦豊

    ○秦豊君 こういう点について政府側にちょっと念のために聞いておきたいんですが、決してこれは皮肉な意味じゃありませんよ。たとえば非常に意気込んでいる人々、神社本庁とか生長の家政治連合とか、ああいう意気込んでいる人々にとってはいまの元号法案さえ歯がゆいと思いますよ。しかし、それは一種極端な立場に立つものだから、総務長官に聞いてもどなたに聞いてもなかなか本音ではお答えにならないと思う。たとえば生長の家政治連合というふうなあの人々の主張を散見すると、元号法制化して、つまり内閣告示では断じていけない、断じて法制化すべきである。それがいわゆる天皇制というものを永久不滅のものにするゆえんである。われわれはためらわないで――われわれというのは生長の家政治連合ですよ、われわれはためらわずに、あしたに一城を抜き夕ベに一城を落とすくらいの気魄でじりじりと敵の牙城に肉迫すべきである。つまり、正統憲法に立ち返る重要なこれは道程である。こういう主張だと、さすがに真田長官も総務長官もちょっと待ってくださいよとおっしゃりたいと思うが、こういう主張が元号を推進している人々からまるで矢玉のように飛んでくる、すごい迫力で。さっき聞こえてきたあの音も全部そういうグループの声なんです。そういう主張については、三原総務長官と真田法制局長官はどういう認識をお持ちですか。
  256. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 何回も申し上げますように、今度の元号法案元号を政令で決める、しかも、皇位継承があった場合に限って決めるというルールを書いているだけでございまして、天皇性格を現在よりいささかたりとも変えるというようなつもりは毛頭ございませんので、あしたに一城、夕べに一城とか、あるいは旧天皇制への逆行の一里塚にするとか、そういう荒唐無稽なことはわれわれは考えておりません。
  257. 秦豊

    ○秦豊君 そうでしょうね。
  258. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 法制局長官と全く同じ考え方に立っております。
  259. 秦豊

    ○秦豊君 当然でしょう。ひいきの引き倒しという言葉はあの人々にささげたい言葉だね。確かにおっしゃるとおり、お二人の答弁が常識です、あたりまえです。  そこで、あの人々は憲法を改めたいという立場、あなた方はそんな憲法改正とかなんかに一切かかわりがない、ただ皆さんの慣習を踏まえただけですという答弁を衆議院からずっと幾十時間繰り返してこられた。だから、私もいまのお二人の答弁がごくあたりまえな、たてまえではない本音の部分として受けとめておきたいと思います。  そこで、こういう問題についてはいかがですか。天皇在位五十年という式典がかつて祝われたんですね。そのときにかなり国民的な論議を呼んだ。その論点の一つは、主張の大きな一つは、在位五十年を祝うということは、敗戦前の天皇の行為をも包摂をすることである、したがっていかがなものであろうかという立場のマスコミの社説がかなり並びました。特に戦争と天皇とのかかわりにおいて立論をする媒体が多かった。ところが、今回の元号法案というものをいろいろ考えてみるまでもなく、今回の元号法案によって昭和に法的な根拠を与えられ、元号がいよいよ皆さん待望の、念願の法制化が実現したという場合には、昭和の歴史全体に対して、あえて言えばこれは承認を与えることになる、法的権威を与えることになるとして、なおかつそのことをも反対の論拠にする人々も決して少なくはない。こういう立論に対しては総務長官はどういうふうに反論をされますか。
  260. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) いろいろな御意見もあろうと思いまするけれども、先ほど来申し上げておりまするように、この元号制度というのは、紀年方式を決める、紀年方式として機能しておりました元号に対して、その改元を決める意味を持つものでございます。他に意味はございません。
  261. 秦豊

    ○秦豊君 さらに伺っておきますけれども元号を定める作用ですね、行為というのは、定立作用という言葉を専門家は使っているようですが、元号の定立作用というのは、本来的に立法作用なのかあるいは行政作用なのかという点はいかがですか。
  262. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) その点につきましては、秦先生もよく御存じだろうと思いますけれども、立法と司法と行政の区別の仕方というのは非常にむずかしい問題があるわけなんで、まず普通は、司法、立法に属さないそれ以外のものが行政であるというふうに行政法の教科書には書いてございます。そこで、今度のこの法案によりまする元号制定は、形式的に見れば、これは法律の授権によって政令の形で行われますので、それで国の意思の発現の方式と申しますか、手続から言えば、これは立法に準ずるものであろうと思います。ただ、実態はどうかということであれば、これはあるいは学者の言う行政作用というふうに思われてもいいんじゃないかという解釈でございます。
  263. 秦豊

    ○秦豊君 非常に真田さん用心深いからね、この質問答弁によっては小さな落とし穴がありますからね。あなたはさすがに非常に慎重に答えられたんだと思うけれども、しかし、あなたも後段のところでは、実態からすれば行政作用という意見も退けられないとおっしゃいましたね、その意味のことを。行政作用だとすれば、あなた方の法制化になじみませんよ。行政作用という立論をあなた方が規定できないとすれば、少し理屈でいきますがね、あえてここは大事だから理屈を言っておきたいんだ、真田さんに。オーソリティーにあえて言っておきたいんですがね。行政作用という主張があながち荒唐無稽ではない、非現実じゃない、成り立ち得る、そういう面も肯定できるとおっしゃるならば、元号は内閣限りで決定することはできるじゃありませんか。そうじゃありませんか、違いますか。
  264. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) それは、かねがね問題になっておりますとおり、内閣の告示で元号制定することも、これは法律上不可能ではございません。ございません。ただ、先ほども問題になりましたように、内閣の告示限りで行うというよりも、国会の御承認を得て政令で行う方が、それが制度の安定化なりあるいは憲法の理想としている民主主義の原理に合うじゃないかという形でこういう法案にしているわけなんです。  そこで、実質的には行政作用と言ってもやむを得ないだろうと申しました真意は、これもこの元号法案に限らず、たとえば都市計画区域だとか国立公園の区域だとか、そういう区域を仮に環境庁長官なり建設大臣が告示で決めるということであればこれは行政ということになるわけなんですね。しかし、それはそういう方法でなければいけないんじゃなくて、法律自身が国立公園の区域を、たとえば法律の別表で書くというような方法も考えられるわけで、そういう方法をとった場合には、これはもう立法作用という範疇に入るわけなんで、ですから、国の意思の発現手続、発現形式をとらえれば立法と、しかしその実態は、それは行政の上の形で政府限りで行うということも可能であろうと、こういう意味でございます。
  265. 秦豊

    ○秦豊君 いや、長官ね、だから聞いているんです。つまりあなたの議論を素直に、それこそ素直に聞きますよ。内閣告示でもよかったと、しかし法制化によって国会の皆さんに、これが国民の皆さんにもつとも謙虚に聞くべき物を聞くゆえんであると、方法としてよりベターだとおっしゃったんだけれども、私が言いたいのは逆でありまして、内閣告示でもよかったと、それで、ではわざわざ法律で定める根拠と実益ですね、これが私は疑わしいという立場だからあえて聞いてみたんです。重ねて。
  266. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 内閣の告示という方法をやめて、元号法案という形で国会の御審議を得ることにしたその根拠は、先ほど申しましたように、この方法による方が、これが将来にわたる制度の安定化及び民主主義の原則に合うということでございます。  それから、実益というお言葉でございますが、この法案の形になっておれば、これは憲法の七十三条一号で、内閣は法律を誠実に執行しなければならないという憲法上の義務がございますので、この法案が成立した暁におきましては、この第二項に書いてある改元の事由が起きた場合には、これは政府は政令を出して改元をしなければならないという法的な効果が出てまいります。内閣の告示限りの場合には、それはそのときどきの内閣がもう元号をやめようと思えばやめられると。まあそういうこともないと思いますけれども、理論上はそういうふうに違いが出てまいります。
  267. 秦豊

    ○秦豊君 これ社会党の岩垂委員が四月十日にかなりねちねちと質問しているんですが、元号をじゃ法律で規定すること、内閣告示で規定すること、一体その法律上の効力の差異というのか、これはかなり、政府委員も二、三人答弁に立ち上がっていますけれども、必ずしもすぱっと割り切れていない。反すうの意味で伺っておるんだけれども、どう違いますか。
  268. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 衆議院の段階における岩垂先生の御質問のときには、不幸にして私出席しておらなかったわけなんですが、いまの御質問お答えしますと、その効果の点においては、先ほども申しましたように、内閣の告示のみに任せる場合とこの法案のように政令に授権をしていただく場合とでは非常に違います。先ほども申したとおりでございます。
  269. 秦豊

    ○秦豊君 文部省見えてますね。――ちょっとこれ元号法案審議に直接関連しますことであなたをお待ちしていたわけですが、二、三ちょっと質問しておきたいことがあります。  御存じの方がすでに多いと思いますが、五月二十一日の各紙、テレビの報道等でも、福岡県若松高校で君が代斉唱のピアノ伴奏を例のジャズ調に弾いた教師が分限免職という措置を受け、解雇という措置を受けていますね。  そこで伺っておきたいんだけれども、いま文部省の指導要領では、国旗とか国歌というのはこれは指導要領ですか、通達ですか、確認の意味で。
  270. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) どこの部分お答えすればよろしいのか。国旗、国歌についての規定は通達で定めておるのか、指導要領で定めておるのかという点でしたならば、それらは小、中、高等学校学習指導要領という文部省告示がございますが、その告示に定めてございます。
  271. 秦豊

    ○秦豊君 そうすると、この国旗、国歌――国旗、国歌というのはいま御存じのように法制化されていませんからね。そうすると、通達のたぐいと理解してよろしいわけですね。法的拘束力は持たない、その範疇ですね。
  272. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 学習指導要領は学校教育法施行規則に基づく告示でありまして、これは法的拘束力を持つという立場で指導をしております。法律的に言うと拘束力を持つわけですが、ただ具体的中身としては、指導要領全部が拘束的な文言ではなくて、たとえば音楽の部分で言えば、これとこれは共通教材として必ず教えてくださいよというようなところが拘束力があるわけでありまして、またいま御指摘になったように、卒業式などで君が代を斉唱するかどうかというようなことは、これは学校の特別活動のあり方についての指導要領の規定でありまして、このくだりは、学校において卒業式などの儀式を行う場合には国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましいとなっているわけで、その部分は拘束はございません。
  273. 秦豊

    ○秦豊君 これ諸澤さん大事な点ですよ。望ましいというのはあらまほしき、願望でしょう、これ、法的な拘束力になりませんね。つまりこんなものを踏まえて、望ましいというふうなものを踏まえて校長が一般の教員に対し国旗を掲揚すべし、国歌を歌わすべしという職務命令はじゃ出せませんね。
  274. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) これちょっとそれじゃ説明をさしていただきたいんですけれども、この本件の先生が分限免職になる、公務員法上分限免職にするときは文書をもって分限処分を明らかにいたします。それでこの先生の分限処分は冒頭に掲げてあるのが、この先生は勤務時間中に自動車学校へ通って自動車の練習をすると、それから無届けで欠勤、遅刻をすると、自分の授業時間に非常におくれて教場へ行くと、あるいはまだ授業時間が残っておるのにさっさと帰ってきてしまうと、あるいは学校へ出てきておって授業をサボっている子供がいてもこれを指導しないとか、そういったような一連の服務違反があり、最後にいま言ったように卒業式の場合に生徒が斉唱する君が代の伴奏をロック調の伴奏をして、これは私も実際録音を聞きましたけれども、とても歌えないような伴奏をしたと、これら一連の行為がいわば高等学校の教師としてルール違反であると、つまり高等学校の先生としての適格性を欠くということで分限免職にしたわけでありまして、最後のくだりだけではないわけでございます。  なおもう一つつけ加えて申しますならば、学校の行事をどういうふうにやるかということは、運営の責任者として校長が決めますけれども、通常の場合は学校の教員の協力を得、同意を得て参加をするわけでありますから、その学校が決めたルールというものを教師が破った場合には、これは直接指導要領の問題ではなくして、公立学校の先生の服務として問題であると、こういうことでございます。
  275. 秦豊

    ○秦豊君 五月二十一日の朝日新聞夕刊を引用しますと、あなたと全く逆な評価になるんですよ。あなたはもちろん文部省の局長だからわかり切った話、そういう答弁なんだけれども、この総論的処分、生徒指導の面とか、あるいは勤務状態等を検討しての総論処分であると言う。しかしその県教委の挙げた各論について、この教師はきわめて説得力ある反証を挙げており、やはりだれが何と言っても君が代が主題になったと疑わざるを得ない。生徒はジャズ調とはいえ混乱もなく斉唱をし問題にされなかったと、混乱はなかったと、こういうことがあるからそれはあなたのそういう答弁を聞いても、ああ、なるほどそうですかというふうには私は素直には腑に落ちないわけですよ。  それで時間が何か猛烈に迫っているようでありますけれども、私がここで皆さんに申し上げたかったのは、何ら強制力を持ち得ない学習指導要領を引用をしてさえ総合的判断として、いわゆる分限免職、免職処分さえ発動されるようなこの教育界の現状がある中で、元号法制化されて、いいえ拡大解釈はされません、信用してくださいというふうなことを幾らおっしゃっても、つまり不信感がぬぐえないというのは、たまたま近い時期にこういう事件さえ起こっているということがやはりあずかって大きいと私は思うからあえて聞いたんです。だからますます政令をもろと精密に練り上げてこの本法とともに政令を精緻に練り上げて、国民の不信を重ねて解消すべきではないかという主張をさんざんしたけれどもあなた方にはそのつもりはない。せめて窓口の混乱がないように措置をするで行きどまってしまっているわけです。だから初中局長には重ねてこの点については答弁を求める必要はないと思います。  そこで、もう一つ文部省と法制局長官に伺っておきたい問題があります。去る四月十日に、あなたの部下の法制局第二部長が、教科書と元号問題について次のような答弁をされています。歴史など教育目的のため元号を教えることが必要な場合、教科書の著者に元号を書いてもらうのはやむを得ないことである。そのことで著者の表現の自由が若干制約されても教科書の性格から来る制約であり、これは問題はないと、こういう発言があった。四月十日ですね。ところが、その前は諸澤さんのところの大臣が二月二十日の衆議院予算委員会におきまして、同じ問題に対して、たとえ元号法制化されてもそれによって教科書執筆には制約を加えない。元号記述はそれは著者の判断に任せてあると、明らかに大きく食い違っていますね。いまこの時点ではこの答弁はどう整理されていますか。
  276. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) ちょっと大臣答弁も、言葉が率直に言って十分尽くしてない点があろうかと思いますが、こういうことなんですね。教科書の検定というのは、要するに民間の著述者が書いてきた教科書原稿を学校の教材として適当かどうかとして判断をするわけです。ですから、その中身が間違っていたり、あるいは程度が高かったり、あるいは子供がその内容理解する上で適切な配慮が記述上なされているかどうかというのが検定の基準でございますから、そういう観点から従来も教科書の検定におきましては、いまの年代の記述の仕方なども含めて、一般的に教科書の内容についていろいろ修正を要求することがあるわけでございます。したがって、これまでもやりました修正要求として、たとえば教科書の本文の中には昭和何十何年にこういうことがありましたと書いてある。ところが、同じその事件をグラフにして巻末なり別のページに書いてある場合に、その事件の年月日が千九百何年と書いてあると、低学年の子供じゃやっぱりそこのところの総合性がわかりませんから、そこのところは昭和何年と括弧して入れたらどうですかと、こういうことをやるわけで、それは従来もやっているわけです。それで、今回この元号法が通りましても、私どもはそういう意味での修正要求というのは、つまり教育上の必要から見て修正を求めることに合理的な理由があるものは修正を求めますよということは申し上げているわけで、大臣が従来と変わりありませんと言ったのはその点を指すわけでございまして、しかし、そういう合理的な理由がなければ今後元号法が通ったからといって格別な取り扱いをすることはございません、そういう趣旨でございます。
  277. 味村治

    政府委員(味村治君) 私が四月十日にお答え申し上げましたので補足させていただきますが、四月十日には、ただいま初等中等教育局長のおっしゃいましたような検定の取り扱い、これと同じことを文部省の方から御説明がございました。そしてそれについて、それを受けまして、教科書の目的上、目的を達成するために必要である限りにおいては憲法上問題はないということを申し上げたわけでございまして、決して文部大臣の御意見、御説明と食い違いはないと存じております。
  278. 秦豊

    ○秦豊君 いや、それはやっぱり食い違いがあるね。諸澤さん、合理的な根拠があったら修正を求めるんでしょう。
  279. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) そうです。
  280. 秦豊

    ○秦豊君 じゃ、文部大臣答弁は制約は求めないと言っている。局長は求めると言っている。どっちが正しいんですか。
  281. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 大臣答弁先ほど言葉が足りなかったんじゃないかと私が申し上げた趣旨は、大臣が、参議院の本会議だと思うんですけれども、別のところでこういうことを言っておるわけでございますね。「教科書においては、教科の目標、内容等に照らして適切な年代の表示方法がとられることが必要であり、特に社会科の日本の歴史の年代については、元号及び西暦を学ぶことが学習を進める上に必要であるので、教科書の検定において元号西暦の併記を求めることもございます。」というんで、全く教科書の、出てきた原稿にこの点に関しては何ら修正要求をしないということではない。そういうことは従来もやっておる限度において今後もやりますということで、ただ今後新しい観点から制限を加えたり制約をしたりすることはいたしません。こういう趣旨でございますので、ひとつ御理解をいただきたいと思います。
  282. 秦豊

    ○秦豊君 そうしますと、気になるのはあなたが言われたさっきの、いまの部分じゃなくて最初部分、この前ですね、合理的な根拠があった場合には執筆者と話し合うわけでしょう。その合理的な根拠とあなたが考えている内容というか基準というのはどういうものなんですか。
  283. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) これは、教科書は記述内容が非常に多種多様でございますから抽象的な基準しかないわけでございまして、いま申しましたように、程度とか範囲とか、あるいは記述が教育上子供の理解に即しているかどうかという観点から、これは、ここのところはこういうふうに直した方がいいと、これは先生、検定の実態をごらんいただけば、一冊の教科書が来ますと大体二百カ所ぐらいあるんです。そして、もうさんざん著者と検定調査官が議論をしたあげくそれで一つの一致点に達するわけでございますから、それでなおかついまおっしゃるような点が問題になって、ここは直しなさいと、しかしどうしても直しませんというような議論になれば、それは審議会に上げてそこで判断してもらう、こういう運用になっておるわけでございます。
  284. 秦豊

    ○秦豊君 時間が参ったようでございますから、これ最後になるかもしれませんけれども一つだけこれは総理府とそれから真田さんの方に、法制局の方に伺っておいた方がよろしいという問題があります。  五月の中旬に各日刊紙が報道をしていて、扱いの大小はあるが、元号法案審議がいよいよ切迫してきた。そういうさなかに金鵄勲章の復権を求める請願が国会の中に盛り上がっているというのがあって、「「元号」の次は金鵄勲章だ!?」というすぱっとした見出しが出まして、かなりこれは大きな記事になっているわけです。で、復権請願がすでに三十一件ですか。「社共は〃右旋回〃と警戒」という記事があった中で、この昭和二十二年の五月三日といえば新憲法だけれども、それと同時に金鵄勲章の叙賜条令というのはたしか廃止されていますね、これは。そのとおりですか。
  285. 川村皓章

    政府委員(川村皓章君) 廃止になっている、そのとおりでございます。
  286. 秦豊

    ○秦豊君 そうしますと、国会で議員が請願を受理する、これは当然の業務、仕事、権能の範囲で、そこで有権者の方と結びついている。それはちっとも妨げない。ところが、この報道によると、総理府はどう言っているかというと、「「既に叙勲された者については勲章としての着用を認める」と、政令で〃復活〃させる道を内閣法制局との間で詰めを始めている。しかし勲記だけをもって勲章の実物を手にしていない叙勲者もおり、この人たちの扱いをどうするか」それから金鵄勲章でも、「未叙勲の太平洋戦争戦没者遺族から要求された場合に断り切れるか、など総理府にも復活に疑問を投げかける声も多い。」という、こういう報道なんです。東京新聞五月十四日報道。こういう報道なんですけれども、総理府と法制局はすでにこのような報道の意味での話し合いはお始めになっているんですか、それともそういう事実はないんですか。
  287. 川村皓章

    政府委員(川村皓章君) まず新聞の記事の中身でございますが、これは実際の事実が正確に伝わっておるかどうかという意味では、大変私どもそうではないと思っております。  それからなおこの問題、請願が出ているという事実は私ども承知をいたしておりますが、現在の段階ではいわば慎重に検討してみなければならない問題だと考えておりまして、法制局と具体的な打ち合わせはいたしておりません。
  288. 秦豊

    ○秦豊君 法制局の立場からしますと、法の解釈という立場から、一たん効力を失ったもの、まさか死者の復活ではないが、死者の栄誉をたたえることが何の問題があろうというふうな声がちらつく中で、法制局的な見解からは、立場からは、請願は国会の行為ですよ。けど、法の解釈として金鵄勲章の復活機運ないしそれを目指す行動、こういうものについては真田さんはどうお考えなんでしょうね。
  289. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 昭和二十二年五月三日政令四号でしたか、金鵄勲章叙賜条例が廃止になって、そのとき以来金鵄勲章はわが国の栄典制度から実はもう削除されてしまっているわけなんですね。それで、実は一部の方々の中に非常に、そのまあ復権という言葉がいいかどうかは別といたしまして、そういう栄誉の復活を非常に望んでいらっしゃるという事実があることは私承知しております。それから、国会に請願が幾つか出ているということも知っておりますが、しかしそれは大変なやはり政治問題にもなることでございますので、私はまだ結論は出しておりません。ただ、そういう御希望がありますので、請願の国会におけるお取り扱いを見守りながら、もしこれが請願が成立した場合にはどういう扱いをしたらよかろうかということで、私一人で実は頭を悩まし続けておるというような実情でございます。
  290. 秦豊

    ○秦豊君 総務長官、まだ時間が二、三分あるようだから、元号法制化について海外からこの法制化の動きを見詰めている目があることも忘れてはならぬと思うんですね。たとえば、東南アジアの民衆あるいはここに引用したいのはル・モンドの論調なんですけれども、やはり見逃せない「ナショナリズムの復活か」というタイトルで、元号法制化問題を東京特派員のP・ポンス氏が論述をしているんだけれども、その中でやはり誤ちを繰り返さない決意が日本の外交姿勢、政治姿勢の上に実証的に示されているかどうかはきわめて疑わしいというずっとこう例証がなされていて、A級戦犯の靖国合祀、これが平然と行われる国なのである、いまだに植民地主義的発想から脱していない云々とか五、六項目のポイントを挙げて、戦争を一過性の狂気と片づけて贖罪を忘れた日本人のこのきわめて危険な傾向は憂慮すべきではないのかというふうな論述がある。やはり海外からこの元号法制化そのものを見詰めている目があるということについての総務長官の認識も伺っておきたい。
  291. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) お答えをいたしますがいま御指摘の点は、やはり国会審議の場においてもそういう御指摘のあったことを私は承知をいたしておるわけでございますが、わが国におきましては国民挙げて新憲法を、みずからの心はもちろんでございますが、肉体的に骨の髄までやはり定着させる努力が私はいま払われなければならなし、払われておると思うのでございます。そういう点において、過ぎましたが、第二次世界大戦における東南アジア等において日本に対する理解というようなものについては、私いろいろな見方はあろうと思いますが、しかしそういうような声が出てまいらない努力が大きな大戦の反省として国民自体が努力を続けておると思っておるわけでございます。私自身もそうした外国からの批判というようなものが誤解であり、架空である、大勢を事実行為の上で、実態の上でひとつ受けとめられる努力を一層積み重ねたい、そういう考え方に立っておるわけでございます。
  292. 秦豊

    ○秦豊君 まだ二分もありますから申し上げておきたいんだけれども、いろいろと伺った、確かに重複をした論点が多かった。あえてそうした。恐らく今後幾十時間こういう場を設定しても、そういう疑念が多くの野党議員の中からはぬぐえない、私は改めてそう思ったんですよ。それで、政府側の真意というのは、これはもう答弁などは要らないけれども、結局法制化によって元号を恒久化する、つまりみだりには変えがたくする、歯どめをかける。たとえば皆さんの心情の中には、胸中には、やはり皇室に対するあなた方からすれば恐ろしいような世論の変化が何とも突き刺さっていると思う。政治状況をながめて、いまのうちに元号法制化によってやはり大きな予防措置を講じておくべきではないか、あるいは歯どめをつくり上げておくべきではないか、いまの政治状況ならば突破できる。それは確かに神社本庁やさまざまな右翼団体の皆さんほど皆さんは極端な考えは持っておられないと思う、総務長官も真田さんも山本さんも、それはわかる。だけれども、やっぱりこのことはいたずらに国民合意の形成を置き忘れて、まさに国民の中に対立を、あつれきを持ち込むゆえんであるという考えを私は変えるわけにはいかない。したがって大平さん、そして三原総務長官のなし得る最良の選択というのは、私はもう少し立ちどまって考えてみようという選択でなければならぬと思うが、もはやそれも及ばないと思う。私はそういう点で今回の元号法案についての政府側の取り組みには本当に大きな疑念を抱いたままで質問を終わらなければなりません。改めて機会があれば、討論の機会とかいろんな質疑の機会が改めてつけ加われば、またさらに申し上げたいと思いますが、そういうことを申し上げておいて私の質問全体を終わりたいと思います。
  293. 山中郁子

    ○山中郁子君 一昨日の委員会の質疑におきまして、私は皇室典範二十六条に基づく旧皇統譜令の中の大統譜十二条の七号になりますが、元号並びに改元年月日を天皇の戸籍ともいうべき大統譜に記入する、登録すべしとなっている点について、当然のことながらこれは、元号が皆さんがおっしゃっているように単なる改元のきっかけであって、直接天皇と結びつくものでないと言われるならば、削除をするということをこの元号審議の中で、国会国民に明確に確約すべきであるということでただしました。重ねて政府の御見解をお伺いいたします。簡潔にお願いをいたします。
  294. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 現行憲法下におきまして皇統譜の性格をどのように理解し、登録事項をどうするべきかということは全体的に検討すべき問題であると思うので、ここで特定の事項につきまして取り上げまして申し上げることは差し控えさしていただきたいと思うのでございますが、宮内庁といたしましては現行憲法におきます元号、あるいは今度の元号法に基づきます元号というのが旧憲法のものとにおきますものとは性格を異にすることは十分に承知をいたしているところでございますし、また去る五月二十九日の、ただいまおっしゃいました当委会におきましての御議論の際に、法制局長官から元号は皇統譜の登録事項になじまないと思うという旨の御発言も、御答弁もあった次第でございますので、その趣旨を踏まえまして法制局等とも十分協議をいたしまして、さらに検討を進めさしていただきたいと存じているところでございます。
  295. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) ただいま宮内庁から答弁を申し上げたところでございますが、この問題につきましては憲法及び皇室典範との関連を十分配慮いたしまして、速やかに結論を出すことに努めてまいる、このことを申し上げてお答えにいたしたいと思うのでございます。
  296. 山中郁子

    ○山中郁子君 私は何回もこの元号法案審議の中で政府がその確約をしなければ、そのまま元号法案を成立、もし仮にさせてですよ、そしてその約束がされないままに大統譜に元号並びに改元年月日が天皇の戸籍として記入されるということがあり得るという、その中身を残しているということを重ねて指摘しているんです。つまり申し上げたいことは、繰り返し天皇と直接かかわらないから憲法上問題はないとしてきた答弁が大きなごまかしを含んでいるということを改めて明らかにするというのが、いまの政府の態度だと私は言わなければならないと思います。それは一昨日総務長官が、それほど基本的な重要な問題ではないんだという趣旨のことも答弁されましたけれども、その認識自体が私は重大な問題があると考えております。  たとえば昨日の連合審査でも、この元号法案に賛成をしていらっしゃる党の方の質疑の中で、天皇といろいろ、政府はそう言うけれども、結びつけていると、もし結びつけているならば、自分たちは賛成の立場をいまとっているけれども、反対せざるを得なくなるかもしれない、こういうお話さえ出たんです。つまり元号法案に賛成できるのか、反対しなければならないのか、そのことについては、この憲法のもとでのあり方として、その判断の帰趨を決める重要な根本的な問題であるということを私は重ねて指摘せざるを得ません。そしてこの問題はさらにまた一層解明をしなければならないことがあるし、この大統譜の中では改元の七号だけの問題ではありません、そのほかにもいろいろ問題が残っております。それからまた私の質疑でも、それからこの参議院の内閣委員会質疑の中でも、国民への強制の問題だとか、追号などを初めとする象徴天皇制のもとでのこの元号法案の問題点、それからまたさらには私たちが何回も重ねて主張してきました天皇の沖繩の問題に関するメッセージの問題、そのほか問題が山積をしております。  だからこそ、私は一貫して最初から最低でも十時間の質疑時間が要るということを何回も繰り返し理事会においても要求をしてまいりました。しかし、委員長裁断という形で私の質疑時間は五時間ということに制限をされてしまいました。私はこの点は、この参議院の質疑に十分で慎重な審議を要望している国民の期待を大きく裏切るものになるということを改めて指摘しなければなりませんし、委員長のその裁断については重ねて抗議を表明するものです。いま政府から答弁がありましたことは私はとうてい承服できません。それはさきに申し上げましたように、この元号法案憲法下における根本的な問題にかかわる重要な本質を持っているということです。私はこの元号法案審議の期間の中に、政府が明確な責任を持って国会国民に少なくともこの大統譜の十二条における元号並びに改元年月日を記入するという項目を削除するという約束をすべきだ、そのことを確約すべきだということを重ねて要求をするものであります。
  297. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 本案に対する質疑は本日はこの程度にとどめます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時二十三分散会