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1979-05-22 第87回国会 参議院 内閣委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十四年五月二十二日(火曜日)    午前十時三十一分開会     ―――――――――――――    委員異動  五月二十一日     辞任         補欠選任      塚田十一郎君     長谷川 信君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         桧垣徳太郎君     理 事                 岡田  広君                 林  ゆう君                 山崎  昇君                 向井 長年君     委 員                 源田  実君                 斎藤栄三郎君                 西村 尚治君                 長谷川 信君                 林  寛子君                 原 文兵衛君                 堀江 正夫君                 片岡 勝治君                 野田  哲君                 村田 秀三君                 和泉 照雄君                 黒柳  明君                 山中 郁子君                 森田 重郎君                 秦   豊君    国務大臣        国 務 大 臣        (総理府総務長        官)       三原 朝雄君        国 務 大 臣        (防衛庁長官)  山下 元利君    政府委員        内閣官房内閣審        議室長内閣総        理大臣官房審議        室長       清水  汪君        内閣法制局長官  真田 秀夫君        内閣法制局第二        部長       味村  治君        内閣総理大臣官        房総務審議官   大濱 忠志君        宮内庁次長    山本  悟君        防衛庁長官官房        長        塩田  章君        防衛庁人事教育        局長       夏目 晴雄君        外務大臣官房長  山崎 敏夫君        外務大臣官房領        事移住部長    塚本 政雄君        外務省条約局長  伊達 宗起君        文部省初等中等        教育局長     諸澤 正道君    事務局側        常任委員会専門        員        鈴木 源三君    説明員        警察庁警備局公        安第二課長    岡村  健君        宮内庁長官    富田 朝彦君        法務大臣官房参        事官       吉野  衛君        外務省アメリカ        局外務参事官   北村  汎君        通商産業省機械        情報産業局次長  杉山 和男君        自治省行政局振        興課長      木村  仁君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○元号法案内閣提出衆議院送付)     ―――――――――――――
  2. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日、塚田十一郎君が委員を辞任され、その補欠として長谷川信君が選任されました。
  3. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) まず、参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  元号法案審査のため、参考人出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 御異議ないと認めます。  なお、その日時及び人選につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
  6. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 元号法案を議題といたします。  前回に引き続き質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  7. 野田哲

    野田哲君 まず、防衛庁長官の日程があるそうですから協力する意味で、最初に防衛庁関係について質問を行いたいと思うんです。  去る二月の十一日の日に、宮城県民ホールで、「建国記念日奉祝宮城県民大会」、このような集会が開かれているわけでありますが、この集会陸上自衛隊東北方面総監柏葉陸将、それから同じく東北方面自衛隊音楽隊がこれに協賛をして出席をしている。この「建国記念日奉祝宮城県民大会」というのは、これは主催者のパンフレットでも明らかなように、スローガンとして、「一世一元制法制化を実現しよう」「自主憲法を制定しよう」、こういうスローガンが掲げられて、そして同様趣旨決議が採択をされている。柏葉陸将はこの「一世一代制法制化を実現しよう」という大きなスローガンが掲げられているその前に着席をしている。そして音楽隊部隊としてこれに参加をしている。自衛隊は、このような現在国会でも国民の間でも大きな論争になっている「一世一元制法制化を実現しよう」という趣旨スローガンを掲げた、きわめて政治性の強い、そしてもう一つは「自主憲法を制定しよう」、こういう趣旨を掲げた、現在の憲法否定をすることが明らかになっている、こういう集会に、東北方面総監という自衛隊の最高の幹部の人が出席をし、しかも音楽隊部隊としてこれに参加をしている。自衛隊行動としてこういう行動が許されるんですか。
  8. 山下元利

    国務大臣山下元利君) 本年の二月十一日の建国記念の日に仙台におきまして第十三回建国記念日奉祝宮城県民大会が開催されましたことは御指摘のとおりでございます。そして大会長は、県議会議長の方でございますが、その御案内状をいただきまして、建国記念日国民祝日でもあり、これを祝おうという大会東北方面総監出席いたしましたことは事実でございます。そしてまた、自衛隊音楽隊がその主催者側から要請がございましたので、国民皆様親和を図るため有意義なことと判断いたしまして、それは防衛庁訓令に基づきまして出席いたしましたことも事実でございます。  ただ、総監が御案内状によりまして出席いたしましたのは、建国記念日県民皆様お祝いになるという趣旨出席いたしたわけでございますが、会場出席いたしましたところ、ただいま御指摘のとおりの大会スローガン大会場に掲げられておったということは、総監出席いたしました後、そのスローガンが掲げられていたことは、その後に承知したと考えておるわけでございますが、そうした事実関係にございまして、この国民祝日を祝う県民大会出席いたしましたことは、これは私どもとしては、また音楽隊参加いたしましたことは、ただいま申しましたような趣旨でございまして、これはしかるべきことであったと、かように考える次第でございます。
  9. 野田哲

    野田哲君 しかるべきことであった、こういうふうにあなたはいまでも考えておられるんですか。明らかにこれは、出席をしたら会場正面に、この写真でもはっきりしているように、「一世一元制法制化を実現しよう」「自主憲法を制定しよう」、こういうスローガン会場正面に掲げてある。そして大会の次第の中には、スローガン、そして決議の予定、これらが全部掲げられている、こういう政治性の強い集会出席しても、国民祝日行事であるから当然だ、こうおっしやるんですか。
  10. 山下元利

    国務大臣山下元利君) 自衛官政治的行為につきましては慎重にすべきことはもう当然でございます。総監もただ、御案内いただきました段階におきましては、国民祝日を祝われる県民大会であるということで参加いたした次第でございますが、会場に参りますると、ただいま御指摘のようなスローガンが掲げられておりました。しかしながら、それにつきまして、その決議に積極的に参加したことはございませんし、ただ国民祝日出席したということにとどまったと思うわけでございます。
  11. 野田哲

    野田哲君 国民祝日参加をしたということは、国民祝日というのは別にそこに参加しなくても、祝日だから休むという、方法はいろんな方法があるわけであって、明らかにこれは自主憲法の制定、一世一元制法制化、こういう内容をスローガンに掲げ、決議として行っているわけでしょう。それは会場に行けば、その模様からしても、その性格がどういうものであるかということは会場の状態を見ればわかるんだし、次第にも載せているわけでありますから、当然そういう政治的な性格を持った集会であれば、自衛官は政治的には中立性を要求されているわけでしょう。政治的行為には介入してはならないということになっているわけでしょう。決議参加しなかったから、こう言われたって、現にそこへ大臣席に座っている。そして音楽隊協賛をしている。これは明らかに自衛隊部隊として公式にこの行事参加をしている、こういうことじゃないですか。それでもあなたは、この行為については国民祝日行事であるから当然だ、こうおっしやるんですか。
  12. 山下元利

    国務大臣山下元利君) 御指摘のとおり、自衛官政治的中立立場を守り抜くことは当然でございまして、今後ともこの点につきましては疑惑を招くことのないように十分指導してまいりたいと思いますが、ただ、本年の二月十一日に県議会議長の御案内国民祝日を祝う県民大会出席してほしいということがありましたときに、やはり総監といたしましてはその趣旨に従いまして出席いたしましたことは私は当然であると思う次第でございます。ただ、大会場におきまして御指摘のようなスローガンが掲げられたり、あるいは決議がされたことも事実でございます。私といたしましては、その大会の性質につきましては御指摘のように考えますが、ただ、総監といたしましては、冒頭の趣旨がそのような趣旨出席いたしまして、そしてまた、決議には積極的に参加したわけではございません。また音楽隊訓令に基づきまして国民親和を図るために参ったわけでございまして、そうした大会スローガンの掲げた趣旨に賛同することで演奏したわけでもございません。したがいまして、その総監出席音楽隊参加につきましては、今後とも政治的中立立場を守るという点につきまして、疑惑を招かないように努力いたしますけれども、ことしの出席につきましては、私は、そうしたいま申しました趣旨に従いまして、この総監出席また音楽隊参加は、これは当然であると思うわけでございますが、ただ、大会場に入りまして、そういうスローガンが掲げられておるというときに、やはりこれは決議参加――積極的に参加いたしますれば、これは問題でございますけれども、あくまでも国民祝日を祝うという立場において参列されたにとどまると思う次第でございます。
  13. 野田哲

    野田哲君 政治的な中立性を求められている自衛官であれば、会場に行ってそういうふうなスローガンが掲げてあれば、そこで理由を述べて出席を断るべきではないですか。そうじゃないですか。  それでは重ねて伺いますが、現地柏葉総監なり幕僚長と、現地のこの行為に対して批判的な団体代表人たちとで一問一答がやられているここに記録があるわけでありますが、それによると、去年はこの建国祭には音楽隊は出るなという中央からの指示が来た、そこで出なかった、こういうふうに言われているわけですが、去年この集会音楽隊は出るなという指示中央から出されたのはどういう理由でどういう文書が出されているわけですか。
  14. 塩田章

    政府委員塩田章君) いま御指摘のように、建国記念日に限りませんで、そういったいろんな行事自衛隊音楽隊が出る場合の基準といたしまして、政治的な行為等につきまして十分注意するようにということは確かにいたしております。そういうことでございます。
  15. 野田哲

    野田哲君 いまの官房長答弁では、音楽隊はそういう政治的な行為については、政治的な集会等については十分その状況を勘案をしてやっている、こういうことで、したがって、去年出るなという指示は、つまりそういう趣旨なんですね、政治的な性格を持ったものには出るな、こういうことですね。
  16. 塩田章

    政府委員塩田章君) そのとおりでございまして、具体的に何県のどの行事に出るなというふうに指示したわけではございませんで、政治的な行為については配慮するようにという趣旨でございます。
  17. 野田哲

    野田哲君 長官の先ほどの見解と大分違いますね。長官国民との接触を深めるために国民祝日である建国祭に出たんだと、こういうふうに言っておられます。しかし、そういう政治的な性格を持ったものには出ちゃいけない、こういう中央からの指示があったということで昨年は出ていない。現地でもやはりこの昨年の二月十一日の建国記念日集会は政治的な性格判断をして出席を取りやめたと、こう言っているわけです。それをことしはなぜいま長官が言われたように出てもいいという判断に立ったんですか。去年よりもことしの方がもっと政治的な色彩はこの集会は強くなっておりますよ。その点はいかがですか。
  18. 山下元利

    国務大臣山下元利君) 自衛隊員政治的中立を守るべき立場にあることは、あらゆる場合を通じましての大事なことでございますから、それはもう変わらないところでございます。ただ、私が申しましたのは、この本年の大会音楽隊参加いたしましたのは、この防衛庁広報活動に関する訓令の規定に従いまして、まあ国民との親和を図るため効果があると認められるときは出るという訓令に基づいて出たわけでございますが、しかし、やはり政治的な中立を守るということは、これはもう当然のことでございまして、私は十分わきまえておったと思う次第でございまして、何も政府委員の申しましたことと私との間において政治的中立を守るということにつきましては、いささかも食い違いがあるわけではございません。
  19. 野田哲

    野田哲君 去年は政治的な集会には出るなという訓令があったから去年は出なかった。それがことしは出てもいい、出ても当然だ、これはどういう意味なんですか。去年よりもことしの方がもっと政治的な性格は強くなっているんですよ。去年出ないという判断したものが、ことしはなぜ出てもいいという判断に立つんですか。
  20. 山下元利

    国務大臣山下元利君) どのようなお話し合いがあったかは、私は直接承知いたしませんけれども、去年はいけなくってことしはいいという指示をいたしたことはございません。あくまで去年もことしも同じく、これはもう指示いたすまでもございません、政治的中立を守らにやならぬことは当然でございます。それで本年は、要するに大会委員長県会議長さんであって、それで国民祝日を祝う県民大会である、それに対しては訓令に基づきましても親和を図る意味において意義のあることと思って参加いたしましたし、総監お祝いのために出席いたしたわけでございますが、大会場に参りまするとスローガンが掲げられておったというわけでございまして、その点につきましては先ほど来申し上げているとおりでございますが、決して積極的に政治的行為参加したわけではなくって、あくまでこの祝日を祝う大会お祝いし、また親和を図るために意義あることと思って参加したというにとどまるわけでございまして、何も昨年と変わったわけではございません。しかしながら、今後ともあくまで政治的中立を守るということはもう大事な原則でございますので、国民疑惑を招かないようにいたしたいと思っておる次第でございます。
  21. 野田哲

    野田哲君 山下長官詭弁を弄しちゃいけないですよ。県会議長がこの行事主催代表であるから、県会議長として県会代表して出ているというわけじゃないんです。県会議長というのは公務員でも特別公務員であって政治的な行為も許されているわけなんだし、あるいは個人としての知事とか市長とかいうことであれば、これは真田長官見解によると私人であれば許されるんだ、こういうふうに言われているわけです。しかし自衛隊ということになって、しかもそれが音楽隊ということで部隊として参加をし、あるいは自衛隊代表する総監という立場にある人が制服を着て参加をしていった。これは県会議長参加することとはおのずから意味が違うわけですよ、公務員の身分の関係から言って。そうしてしかも決議参加してないと言っても壇上に、席に着いて、大会来賓席に着いて、そして音楽隊というのは大会のアトラクションとして大きな役割りを果たしているわけです。それが去年は中央からの訓令があって政治的な集会には参加してない、取りやめた、ことしは出る、これはどう考えたって正当な理由はないじゃないですか。出てもいいという積極的な理由がどこにあるんですか。あなたは、この行動については、一切自衛隊参加したことについては何の落ち度もないと、違反もないと、こういうふうに言われているわけですか。
  22. 山下元利

    国務大臣山下元利君) 先ほど来繰り返し申し上げておりますとおりに、自衛隊員政治的中立を守るべきことは当然でございます。そして、その政治的中立を守る立場において慎重に行動すべきことを昨年申したといたしますれば、それは昨年にとどまらず本年にも、それこそ来年にもずっと続く、あくまで政治的中立というものは自衛隊員である限り守らねばならぬ原則でございます。  本年二月十一日の国民祝日に当たりまして、お話ございましたように、大会委員長県会議長さんであられますが、あるいは県としても、また宮城県の市長会町村会も後援せられているというふうな趣旨で御案内状も参っておるわけでございまして、県民を挙げての大会でございますから、やはり総監といたしましてももちろん政治的中立を守りながらこの自衛隊の職務に邁進いたしておるわけでございますけれども、やはり関係地方団体等との協力ということも不断に心がけていることでございますので、そういう形におきまして国民祝日を祝うという大会出席を要請されるときに、これは私は政治的意図ということとは全然無関係出席したと思うわけでございますので、その点は御理解賜りたいと思うわけでございまして、私も決して詭弁を申すつもりはございませんで、あくまでそうした趣旨出席いたしたと了解いたしております。したがいまして、もしその会場出席いたしましたところが、そういう決議等が行われたときに積極的に参加いたしますとするならば、これは決していい行為ではございません。しかしながら、ただ、あくまで国民祝日を祝う県民大会参加するという趣旨出席しておったと、このように私は理解するものでございます。
  23. 野田哲

    野田哲君 私は大会主催者大会構成員、あるいは後援団体がどういうことであったのか、あるいは国が祝日と決めている日の行事であるから、そういうことだけで済まされる問題ではないと思うんです。大会の中で決議されたこと、スローガンに掲げられたこと、これが明らかに現行憲法否定をし、そしていま国会審議を通じて国民の中に大きな議論を呼び起こしている一世一元制を実現しようというスローガンを掲げられている。そういう性格を持った集会に公然と自衛隊参加をすることが政治的な中立性を保ったことになるのかどうか、これを問題にしているんです。どうなんですか、その点は。
  24. 山下元利

    国務大臣山下元利君) 先ほど来申し上げているところですでに御理解いただけるものと存じますが、もし総監事前にそのような政治的な目的を持つ大会であり、あるいはそのような政治的な問題のこととして自衛隊員として慎重すべきであるとするならば、これはもうそのときはそうしかるべき判断をしておったと思います。それで、音楽隊にいたしましても、これはあくまでも先ほど来申し上げているとおり、訓令に基づきまして、このお祝いの日に親和を図る意味において音楽隊が非常に喜ばれるものでございますから、お祝いのために演奏したということは、これは私は御理解賜れるものと思うわけでございますが、ただ、その政治的中立につきまして私どもは絶えず注意いたしております。これはもう去年、ことしに限らないものでございますから、それはもう大原則でございますから、しかしそうしたときに、あらかじめそういうふうな大会決議が行われ、スローガンが行われるということを承知しておったかどうかという問題でございますが、あくまでも国民祝日を祝う趣旨参加いたしておりますので、その点につきましては、私どもとしてはこれは当然のことだと思います。  ただ、この政治的な中立を守るということは大事なことでございますので、従来ともそうでございますが、今後とも疑惑を招かないように慎重にすべきことは当然でございます。
  25. 野田哲

    野田哲君 昨年は、中央訓令で政治的な集会には出席してはいけないという訓令があるから昨年は取りやめたというふうに言っているわけですよ。昨年取りやめたということは、この集会は政治的な意味を持っているということを昨年すでに承知をしていたわけなんです。そういうやりとりになっているわけです。それをことしあえて出席をしたということは、明らかに政治的な集会であるということを承知をしておりながらこれに出席をした、こういうことじゃないですか。あなたが言われたように、知らなかったから出ていった、出ていってみたらだまされた、こういうことではないと思うんですよ。昨年取りやめたということは、明らかに政治的な中立性を損われる、こういうことから昨年は取りやめているんじゃないですか。
  26. 塩田章

    政府委員塩田章君) いま、昨年何か訓令が出たようにお話しでございますけれども、そういうことじゃございませんで、いわゆる宗教的活動はいけない、いわゆる政治的活動について配慮しなければいかぬということにつきまして従前から訓令は当然出ているわけでございますが、それにつきまして念を押しただけでございまして、いわゆる、御指摘のような建国記念日行事には出てはいけないというふうに指示したわけではございません。
  27. 野田哲

    野田哲君 中央からの指示は特定したものだということではない。それはそのとおりだろうと思うんですが、現地幕僚長総監が昨年の行事について判断をしたところ、その訓令があるからこれは取りやめた方がいいと、こういうことで昨年は出席しなかった、こう言っているんです。それがことしは出席をしてもいいということにはならないんじゃないですか。去年すでにこの集会は政治的なものであるから取りやめるということを判断しているんですよ。それがなぜことしは出席をしてもいいと、こういう判断が成り立つんですか。そこなんですよ、問題は。
  28. 山下元利

    国務大臣山下元利君) 自衛隊員政治的中立を守らねばならぬということは、柏葉総監は十二分に承知をしていると思います。本年になりまして、大会出席するにつきましても、自分の判断でその原則を十分理解した人でありますが、国民祝日を祝う県民大会の慶祝のために参加したと、このように私は承知をしておる次第でございます。
  29. 野田哲

    野田哲君 国民祝日の日の行事であればどういう性格集会であっても参加しても構わないと、こう言うんですか、あなたは。
  30. 山下元利

    国務大臣山下元利君) 政治的中立を守らねばならぬことは、私もいま重ねて申し上げている次第でございます。もしそれが事前にその政治的な集会であるというならば、当然自衛隊員である総監はその出席につきまして慎重な配慮をしたと思うわけでございます。
  31. 野田哲

    野田哲君 そうすると、あなたの答弁によると、柏葉総監音楽隊現地主催者にだまされて出席をした、こういうことですね。そういうスローガンが掲げられたり、そういう決議がなされるということを知らないで、何にも意味を知らないでだまされて出席をした。あなたの方では国民祝日招待状さえくればどこへでものこのこ出かけて行くんですか。
  32. 山下元利

    国務大臣山下元利君) 御指摘もございますが、ただ、私は事実として申し上げておりますのは、国民祝日を慶祝する大会出席するようにという要請がありましたので出席いたしましたと。そしてそのようなことは、大会出席承知いたしたと、このことはもうはっきりしていることでございますので、そのお受け取り方につきましてのお言葉もございましたけれども、私どもとしてはそのようには考えておりませんが、あくまで事実といたしまして、出席したところがそういうスローガンが掲げられておった。またその決議がなされた。しかしながら、総監並びに音楽隊はあくまでその慶祝の目的を持って出席したのでございますので、参加したのでございますので、その趣旨に従っておったというふうに考えるわけでございます。
  33. 野田哲

    野田哲君 政治的な中立性をよく承知をしてそれを守ろうとする立場がとられるのであれば、会場に行けば柏葉総監は「一世一元の法制化を実現しよう」というスローガン、「自主憲法を制定しよう」というスローガン、そのスローガンの前に座っているんですから、着席する前にこういうスローガンがあれば、これは私は自衛官としては出席をすべき大会ではありませんと、こういうことでそこで断って退席をされるのが、これが政治的中立性を保ち、憲法を守る、こういう立場に立った自衛官の出処進退ではありませんか。いかがですか。
  34. 山下元利

    国務大臣山下元利君) ただいま御指摘のような行動も一つのとり得る行動であるかもしれません。ただ、東北地方の自衛隊を統括する立場にある総監が、やはり関係町村会なり市長会等の後援のもとに行われている大会出席いたしましたときに、またどう考えるかという問題はございますが、しかしあくまで政治的な中立を守るということは十分認識しておったと思います。ただ、またそのときに、よくそういう大会にわれわれも御案内を受けますと、すっと案内のとおりに参りまして着席いたします。一々スローガンを見るという場合もございますし、ない場合もございます。そういうことがございますので、一々入っていってどうだこうだということも、これは私、自分の経験でいたしますとやっぱり、たとえば舞台へ参ります、照明が消えているが、どうぞお座りくださいといって座らされる、それで座っておるという場合もあるわけでございます。いろいろ状況は、これは決してわかりませんが、あくまで政治的中立ということを守るということの趣旨には徹しておったと思います。ただ、重ねて申しておりますように、もし事前にこのことを承知しておったならば、総監は当然慎重な配慮をしておったと思いますので、その点は御理解賜りたいと思いますが、重ねて申しますが、あくまで政治的中立を守るということは、われわれ自衛隊員として守るべき重大な眼目でございますので、今後とも十分慎重にいたしたいと、このように私は考えておる次第でございます。
  35. 野田哲

    野田哲君 これは長官、総理は四月末の私の本会議の質問の中で、この問題を質問したことに対して、これはやはり非を認めておられますよ。あなたのような詭弁は弄されてないですよ。非を認められておる。総理の見解とあなたの見解とは大分違いがある。これはいずれにしてももう一回あなたの見解と総理の見解について、両方あわせて私はたださなければいけない、こういうふうに思いますので、この点はぜひ委員長、そういう機会を計らってもらいたいと思う。
  36. 山下元利

    国務大臣山下元利君) 大平総理といたしましては、ただいま御指摘の機会におきまして自衛官公務員であるから、その行動は逸脱することのないよう心がけていくべきであるという御趣旨を申されております。全く私も、まさにその趣旨は当然一緒というどころか、そのとおりでございます。それで、決して総理と私との間において食い違うものではございません。御理解賜りたいと思う次第でございます。
  37. 野田哲

    野田哲君 そうすると、あなたも柏葉総監並びに音楽隊行動については、いろいろあなたはいまそこであれこれあれこれ言われておるが、結果的に見ては、これはやはり政治的な中立性を侵したと、こういう認識をお持ちになるわけですか。
  38. 山下元利

    国務大臣山下元利君) 本年の建国記念の日に出席いたしましたり、参加いたしましたことは、私はあくまで祝日を慶祝する意味において出席いたしたと理解いたしておりますので、これは公務員としての立場、それから政治的中立を守る立場を逸脱してはおらないと思いますが、しかし一般的に言いまして、自衛官は逸脱することのないように心がけるべきであるという総理のお考えはそのとおりでございます。
  39. 野田哲

    野田哲君 一般的に言えば政治的な中立性を侵してはならない、具体的な例を挙げて言えば逸脱してはいない、これはどういうことなんですか。ちょっとあなたの見解には無理があるんじゃないですか、どうですか。
  40. 山下元利

    国務大臣山下元利君) 大会決議総監が積極的に参加いたしますれば、これはもう当然逸脱しておると思いますけれども、ただ要するに国民祝日を慶祝する大会出席いたしたと、それはもう先ほど来申し上げているとおりに御理解賜ると思うわけでございますが、それでその慶祝の意味においてずっと出席しておったと。その決議が行われましても、それは積極的に参加しておらないということははっきりいたしておりますので、私は逸脱しておらないと、このように考える次第でございます。
  41. 野田哲

    野田哲君 総務長官、一般の公務員の人事管理を担当されておる総務長官に伺いますが、国家公務員、地方公務員、一般の公務員は、そうするといまの山下長官の論法でいけば、どのようなスローガンが掲げられ、どのような大会決議が行われようとも参加することは構わないと、こういうことなんですか。決議に積極的に発言をしたり、手を挙げたりしなければどのようなスローガンを掲げられ、どのような決議が行われるような集会であっても出席することについては一向差し支えないと、こういう認識に立つわけですか。
  42. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) お答えをいたしますが、総理が参議院において答弁をいたしましたように、一般公務員におきましては政治的なそうした集会等参加をすることは私どもといたしましては慎まなければならぬ、そういう方針でございます。したがって、いまお尋ねのように具体的に事前にそうした政治行為集会であったりいたしますれば、私どもといたしましてはそれに参加することはとめさせなければならぬ、そう考えるわけでございます。
  43. 野田哲

    野田哲君 事前にそういう決議スローガンが掲げられているということを知らずに出席したんだと言えば、公務員であろうともどんな集会に出ても構わないんですね。
  44. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 事実、具体的な問題についてお尋ねでございますが、しかしいま申し上げまするように、政治的な集会である場合は事前に私どもがキャッチせずして、そういう場合に公務員が行ったという場合におきましても、先ほど来いろいろな御意見が出ておりまするように、そうしたことが政治色がはっきりいたしておる場合には、その時点において対処せなければならぬものもあろうと思うのでございますが、いま具体的な問題が論議されておるところでございますので、その点につきましては山下長官のお立場等を考えて、あの建国記念日の際には非常にむずかしい事態だったなあという私はいま考えておるところでございます。
  45. 野田哲

    野田哲君 まあその辺で仙台の話は……。  北海道の例ですけれども、旭川市に北海道護国神社というのがあって例大祭を六月ごろにいつもやられておるわけです。これにやはり北海道の部隊やあるいは幹部の人が例年参加をしておるという記録、報告が来ておりますが、これは許されることですか、どうですか。
  46. 塩田章

    政府委員塩田章君) いま具体の旭川のことについては承知いたしておりませんけれども、先ほどもちょっと申し上げましたように宗教的行事参加してはいけないということはそのとおりでございまして、くれぐれも注意しているところでございます。
  47. 野田哲

    野田哲君 くれぐれも注意をしておると言うけれども、ちっとも注意されてない。昨年の場合も、六月四日から六月六日まで、北海道護国神社の例大祭が開催をされておる、これに部隊として自衛隊参加をしている具体的な例があるわけです。そして、あわせて旭川の駐とん地では、この六月四日から六日の間に、六月の四日、五日の二・日間、これを護国神社の例大祭協賛行事として、そういう看板を掲げて駐とん地祭りというのを開いている。これは宗教的行事にかかわりのないということが明確に言えますか。あるでしょう、例大祭協賛駐とん地祭り。こういう事例がたくさんありますよ。いま北海道の例を挙げたわけですが、この行為はいかがですか。
  48. 山下元利

    国務大臣山下元利君) 宗教的活動につきましては、私どもといたしましては、宗教的色彩を帯びた行事自衛隊音楽隊、ラッパ隊等が参加することは宗教的活動に関与したことになるので、厳に慎むべきであるというふうなことで申しておる次第でございますが、その趣旨は十分徹底いたしておると思います。
  49. 野田哲

    野田哲君 そうすると、北海道のこれに参加をした部隊というのは自衛隊法を逸脱している、こういう行為だということですね。
  50. 塩田章

    政府委員塩田章君) いま御指摘の、昨年の旭川の行事そのものを私ちょっと承知いたしておりませんので、旭川の経緯につきましては、いまちょっとお答えいたしかねますけれども、先ほど長官が申し上げましたように、宗教的活動についての注意は当然しなければならないわけですから、もしそれに違反しているようなことがあれば、それは注意せねばいかぬと思いますけれども、いまお話しのようないわゆる駐とん地祭りというのは、これはまあ各駐とん地でやっておりますけれども、そのこと自体が私は宗教行事と、あるいは宗教的活動ということにはならないというふうに考えるわけでございます。
  51. 野田哲

    野田哲君 駐とん地祭りというのは、単なる駐とん地祭りであれば、私もそれはそれで別に問題がないんですが、護国神社例大祭協賛という看板を掲げているとすれば宗教的行事に参画をしている、こういうことでしょう。いかがですか。
  52. 塩田章

    政府委員塩田章君) その辺はよく実態を調べてみたいと思いますけれども、要するに護国神社のお祭りのあるときに、要するに駐とん地の祭りをするということ自体は、やはり駐とん地の祭りの中身が宗教的活動でなければ、私はそれは構わないんじゃないかと思います。
  53. 野田哲

    野田哲君 協賛ということを掲げているというんです。
  54. 塩田章

    政府委員塩田章君) その協賛といいますのが、要するに時期的にお祭りのある日に、神社のお祭りのあるときにやるという意味においては協賛かもしれませんが、問題は駐とん地祭りの中身が宗教的活動しているかどうかということではないかと思います。そういう点で、実態はよく調べてみますけれども、そういうことは十分注意しておるはずだと思います。
  55. 野田哲

    野田哲君 市民に対して呼びかけをするのに、護国神社例大祭協賛ということで呼びかけをしておれば、宗教的行事参加をしておるということじゃないですか。
  56. 山下元利

    国務大臣山下元利君) 事実関係、私も協賛とかいうことについてはいま初めて伺ったわけでございますけれども自衛隊行為自体が問題でございまして、あくまで自衛隊行為自体が宗教的活動を慎むことになっておりますので、その指示のとおりやっていると思うわけでございます。
  57. 野田哲

    野田哲君 まあ、長官の方はいいですよ。そういう詭弁を幾らやりとりしたって始まらないですよ。もうちょっと、北海道の状態がどうであったか調査をして報告をしてもらいたいと思うんです。
  58. 山下元利

    国務大臣山下元利君) はい。
  59. 野田哲

    野田哲君 じゃ、結構です。  この前の紋章の問題について、何かけさの新聞を見ると、政府・与党連絡会議でも話題になったようでありますが、見解を承りたいと思います。
  60. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 見解を申し述べろということでございますが、紋章と申されましたのは、前回の野田先生の御質問の続きだろうと思いますので、結局菊花御紋章のことだろうと思うんですね。で、前回、靖国神社の正門のとびらなり、あるいは何というんですか、まん幕に菊の御紋章がついていると、これは憲法二十条に照らして問題ではないかという御質問がございまして、私の方で、実は突然の御質問でございましたので、事実を取り調べてその上でお答え申し上げます、ということで実は当委員会が休憩に入ったと、こういう経過でございますね。  そこで、この菊花御紋章についての法制は一体どうなっておるかと申しますと、菊花御紋章は実は明治元年の太政官布告で一般の乱用禁止という法制がございました。それから明治七年の太政官達で、官幣社国幣社の社殿の装飾等には使ってよろしいという法制がございました。で、これらの菊花御紋章に関する法制は、私たちの解釈では、昭和二十二年の暮れをもって実はもう失効しておるというふうに実は見ております。現在すでに失効しておるわけでございますから、靖国神社に限らず、国が菊花御紋章の使用を禁止したりあるいは許可したりするというような法律上の根拠が実はないわけでございますので、仮に靖国神社が菊花御紋章を使っていようとどうしようと、別に憲法二十条の第一項後段に言う、国が宗教団体に対して特権を与えているというようなふうには実は評価できないというふうにわれわれ考えるわけでございます。
  61. 野田哲

    野田哲君 だから、あなたの見解はいまわかったわけです。二十二年、新憲法施行のときに、従来の紋章の法制については失効したと、だから使ってもいいんだと、こういうことですね。  そこで、外務省の官房長はこの前の質問のときには、菊の紋章は天皇の紋章だから、で、天皇は日本の象徴であるから、現在の憲法でも象徴であるから、これは国家の紋章という見解を法務省から受けて、このパスポートや在外公館の入り口に使っているんだと、こういう見解があったわけです。あなたはいま、法制的な根拠はなくなっているんだから、靖国神社で使おうとどこで使おうと、そんなものは禁止する措置はないんだと、いわゆる私的な、公的でなくなったわけですね、これは紋章が。で、外務省の方は国家の紋章として使っているんだと。この見解の違いについて説明を私は求めているんです。
  62. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 前回の委員会におきまして私がその趣旨答弁をいたしたことは事実でございますが、そのときは手持ちの資料で申し上げたわけでございますが、若干正確を欠いておりましたので、この点は改めて御説明させていただきます。  菊花の御紋章がわが国の紋章でないということは、先ほどの法制局長官の御答弁でも明らかなとおりでございまして、この点は外務省としても十分承知しておるわけでございますが、従来の国際慣例上、在外公館におきましても、また旅券の表紙にも自国を示す何らかの紋章が用いられる場合が多いわけでございます。そこでわが国といたしましても、従来からこの慣行に沿って菊花の御紋章を使用していましたこと等の事情を考慮して現在も使用させていただいておる次第でございます。
  63. 野田哲

    野田哲君 いまの法制局長官見解とそれから外務省の方の見解、これ両方承りますと、現在はこの菊の紋章というのは法制的な根拠が失われているからだれが使ってもいいんだと、禁止する措置はないんだと。つまりこれは、靖国神社が公然とあの紋章をつけられるということは、公的な天皇の紋章ではなくなっていると、私的な紋章だと、こういうことになるわけですね、あなたの説明によると。それを今度は在外公館あるいはパスポートで国家の紋章のような形で使っている、これはちょっと問題じゃないですか。片一方は国家の表示として使っている、片一方は私的だと。外務省が在外公館やパスポートに使えるんだったら、当然これは宗教団体である靖国神社では使えないはずなんです。靖国神社でも使える私的な紋章であるということになれば、これは在外公館やパスポートの表紙には使うべきじゃないんじゃないですか。どうなんですか、その点は。
  64. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 先ほどるる申し上げましたように、菊花御紋章についての使用に関する法令の根拠は現在はございません。ましていわんや、菊花御紋章が日本国の標章であるというような法令はございません。したがいまして、おっしゃいますように、在外公館の庁舎なりあるいはパスポートの表紙にこれを使っておることについては多少の違和感はお持ちだろうと思いますが、先ほど外務省の官房長からお話がございましたように、そういう在外公館なりパスポートにはその国の標章あるいはそれに類するようなやはり何らかのマークをつけるというのがどうも一般の国際的な慣例のようでございますので、その慣例に従って使っているというのが実情だと聞いております。したがいまして、私が申し上げましたことと外務省からのお答えとは少しも矛盾しているとは存じません。
  65. 野田哲

    野田哲君 国の紋章ではないとあなたおっしゃるわけでしょう。だから、たとえば天皇の車にはこの菊の紋章の旗が前に掲げられますね、掲げられるでしょう、宮内庁どうですか。そうすると、いまの法制局長官答弁でいくと、私が参議院の車に乗るときに、あの前にこれと同じ旗を掲げて走っても差し支えないと、こういう論法になるわけですね。そういう性格のものが、なぜ国家の紋章を在外公館やパスポートに使うことが慣行になっているから使っているんだということになるのですか、これはちょっと論理の飛躍じゃないですか。
  66. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 先ほど申しましたように、菊花の御紋章が日本の国の標章であるとは思っているわけではございません。一般の国際的な慣行といたしまして、ある国の在外公館なりパスポートの表示としてはその国の記章があればもちろんそれをつけます。それがない場合にはそれに類するようなものをつけるというのが一般の慣行であるというふうに聞いておりますので、決して私は国の紋章だというふうに言い切っているわけではございませんので誤解をなさらないようにお願いいたします。  それから、野田先生がお使いになる車に菊花の御紋章の旗をおつけになっても一向法律的には構いませんが、一般の人ははなはだ奇異に感ずるのではないかと思います。
  67. 野田哲

    野田哲君 私が使ってもいいようなものをどうして国家の紋章に類するものとして使えるんですか、外務省で。そこが私はおかしいじゃないですかと、こういうことです。結局、私的な紋章ということになっているわけでしょう、私的な紋章になっているものをなぜ国際的な国の紋章として使っているのか、ここを私は伺いたいのです。
  68. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 先ほども申し上げましたように、旅券の表紙とか在外公館の門頭には何らかの自国を示す紋章を掲げる必要がございますので、現在国章が制定されておりません現状におきまして、従来使わせていただいたものを使わせていただいておるということでございます。
  69. 野田哲

    野田哲君 だからそういうやり方は、外形的な印象としては、明治憲法の当時のように、天皇が外交の責任者であり、天皇のもとで外交が行われている、こういう印象をあの在外公館やこのパスポートを見ればだれだってこれは印象を受けますよ。つまり憲法の国事行為、この中では天皇は外交権持ってないですね。ところが、紋章については依然として天皇のいま私的な紋章になっているものが使われている。これは制度としては改めるべきじゃないですか、いかがですか。
  70. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 先ほど法制局長官の御説明にもありましたように、特に禁止すべき法令的な根拠もないということでございますし、国際的な慣行として何らかの紋章が実は必要でございますので、このまま引き続き使うことにいたしておる次第でございます。
  71. 野田哲

    野田哲君 そこでそうなってくると、特定の神社などがかつて使用を許されて靖国神社も使っている、その神社にも掲げられている紋章が、在外公館やあるいはパスポートに使われているということになると、これは天皇の憲法上の立場というものがおかしくなってくるんじゃないですか。私的な紋章だから宗教団体が使っても構わない、許されている、そういう私的な紋章が公的な場面に使われている、これは説明がつかないんじゃないですか。天皇が片一方においてはある特定の宗教団体に対しては使わしている。それを指摘をすればそれは私的な紋章だと、私が使ってもいいんだ、しかし多少奇異に思われるでしょう、こういう程度の話なんです。それが今度は片一方においては全く公的な在外公館の真っ正面に掲げてある。これはまさに公私混合じゃないですか、いかがですか。
  72. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) そんなにそう詰めてお考えになる必要はないのであって、天皇の国事行為はこれはもう憲法に明記、列挙してございますので、それが公私混同ということになる、あるいは天皇の外交大権が昔の明治憲法時代の天皇の統治権に近づくとかいうふうにお考えになる必要は毛頭ないんで、在外公館の庁舎なりあるいはパスポートに表示してあるのは先ほど来申し上げておりますように、何らかの国の紋章あるいはそれに類するようなものをつけるというのが一般の慣行でございますので、そういう沿革なり慣行に従ってつけているというふうにお考えいただければ非常に結構だと思います。
  73. 野田哲

    野田哲君 だから、法制局長官も外務省もやはりいま私的な紋章になっているこの紋章を慣行として便っていると言いながら、やはりこれは天皇の紋章という認識のもとで使っているわけでしょう。国をあらわす紋章ならば、国際的にいえばこれよりも桜の花か富士山の方がよっぽど日本だなということは印象づけられるんですよ。公的に使っても構わない、私的な神社なんかで使っても構わない、こういう理屈がいまの憲法上から成り立ちますか。突き詰めて考えなくてもいいじゃないかというそんなあいまいなもんじゃないでしょう。片一方は在外公館という日本を代表する大使館等に掲げてあるのですよ。片一方は天皇は関与してはならないという宗教法人が使っているんですよ。どう考えたってこれは矛盾じゃないですか。
  74. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) もし御疑問があれば、それはまた国の、日本国の標章はかくかくのデザインであるという法律でもおつくりいただければ、もうわれわれとしてはだれはばからずそれを在外公館の庁舎なりあるいはパスポートの表紙にかくことははばからないというつもりでおりますが、現在そういう法律がありませんから、それで日本の国の標章に類するものとして従来から菊花の御紋章を使っているという、ただそういう慣行上、沿革上の理由によって使っているというだけのことでございます。
  75. 野田哲

    野田哲君 総務長官、公的制度を担当している大臣として、いまの議論どうお考えになりますか。
  76. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 菊花の御紋章が、その沿革におきましては昭和二十二年の十二月三十一日の時点において法的な性格というものは一切消滅をいたしました。それから先は結局、いろいろ法制局長官ども申しておりますように、全く法的な裏づけはございません。そこで沿革的にいま外務省におきましてもあるいは神社等におきましても、それをそのまま事実として、あるいは慣習――事実たる慣習ということになりますか、そういうことで使用が続けられておるということでございます。それをいま野田委員は国家的なものと私的なものというようなもので考えてまいる場合に、外交機関というのは国家的な機関に引き続いてそれが使用されておる場合、あるいは靖国神社のような私的な神社にも使われておるというようなところであるので、この点については整理をしてみる必要はないかという御指摘であるわけでございまして、その点につきましては私、いまそれを一挙に検討を加えるべきかどうかという点についてはもう少しひとつ私自身も勉強をいたしたいと思いまするし、ここではっきりしたこの問題について検討、調査を進めますということを率直に御回答できるまでの準備ができていないことをお許しを願いたいと思うのでございますが、しかし確かに御指摘ございましたように、公的な機関、私的な機関に、そういうものが使われておるという事実を見て一つの問題点はないのかという御指摘については、十分私も受けとめて今後対処してまいらねばならぬなという考えでおるところでございます。
  77. 野田哲

    野田哲君 それでは、この点はまた総務長官の検討された上での見解を改めて伺うことにいたしたいと思います。  私がこの元号法の審議にのっけから天皇のあり方についていろいろ議論を提起をしたり、あるいは自衛隊のあり方についていろいろ議論を提起をしたりしているのは、今回の元号法の制定ということが、これがやはり皇位の継承によって云々と、こうなって、天皇制と非常に深くかかわっている、これについて現在の憲法が単なる条文上のことではなくて、今度の元号法とそして天皇制と、このことについて国民がどう受けとめているか、こういう点がやはり非常に重要だろうと、こういうふうに思うからなんです。天皇はこの憲法によって政治的な中立性、政治不介入、こういう原則が定められているし、そして天皇の国事行為については憲法七条によって定められている。ところが天皇の行為が果たして憲法七条の国事行為、これが厳密に運営されているのかどうか、こういうことを考えてみると、私はやはりその時々の政治的な動きにかなり利用されている面があるんじゃないかと、こういう懸念を持っているわけなんです。  そこでいろいろもうちょっと具体的な例を挙げて伺いたいと思うんですが、いまから数年前にアメリカを訪問をされて帰られた、そしてこれは一九七五年十月三十一日日本記者クラブで内外の記者団との談話の中で、広島、長崎への原爆投下はやむを得なかった、こういう発言をされている、この経過、いきさつについて、まず正確に答えていただきたいと思います。
  78. 山本悟

    政府委員(山本悟君) ただいまの御質問の点でございますが、御指摘のとおり、昭和五十年の十月三十一日天皇、皇后両陛下が日本記者クラブの記者とお会いになりました際に、そういう天皇陛下に対しまして原子爆弾の広島の投下についての質問が出まして、それで御感想を述べられたわけでございますが、このときの言葉の意味というものにつきましては、原子爆弾の投下を肯定する意味合いからの御発言であったとは考えられないわけでございまして、陛下は常々あの戦争につきまして大変遺憾に思われて、このような悲惨な戦争が再び起こらないことを祈念しているとか、またあるいは大戦において犠牲になられた国民に対して胸が痛むとか、こういうようなお言葉はそれぞれの場におきましてたびたび仰せになっているところでございます。このことはよく知られているところと存じているわけでございますが、たまたま記者会見の場におきましてやむを得なかったというような意味でのお言葉になったわけでございますが、このことは、結局はああいった戦争の状況のもとにおきまして、戦争中のもとにおきまして陛下としてそのものに対してどうこうする手段がなかったと、こういうような感想をお含みになりまして遺憾に思われた言葉といたしまして、ただいまのような御発言になったと私ども承知をいたしているわけでございます。  このことにつきましては、当時民間団体の方からも当時の宮内庁長官あてにいろんな文書等による質問等も参っておりまして、それに対しまして宮内庁といたしましては、長官名をもちまして五十年の十二月になりましてそういった方々にそういう意味での御回答も申し上げているというような経緯もあるわけでございまして、考え方といたしましては、決して原爆の投下というものを肯定したというような内容のものではないと。この当日におきます原子爆弾に対します御質問に対しましても原子爆弾の投下については遺憾に思っていると、また広島市民に対しては気の毒であるがと、こういうようなことをおっしゃった上で、他のあの時代においてとるべき手段もなくやむを得なかったと、こういう御発言が続いているわけでございまして、決してそういう意味では原子爆弾の肯定云々というような御意図では毛頭ないと私どもは信じているところでございます。
  79. 野田哲

    野田哲君 あなたが信じても、言葉として気の毒に思うけれども、戦争だからやむを得なかった、こういう発言をされるということは、これがやはりさまざまの影響を持つわけですよ。天皇という立場にある人があのような発言をされるということは。だから、結局これはあなたがいまそういう意思ではなかったと言われても、非常にやはり政治的に広島の市民などには大きなショックを与えているわけです。  もう一つ、これに類することで外務省山崎官房長に伺いますが、一九四七年の九月の中旬、これは現在の憲法制定後のことですけれども、宮内庁の寺崎英成氏という方が当時のGHQの外交顧問のシーボルト氏を訪ねて天皇のメッセージを伝えた。この天皇のメッセージが結局はあのサンフランシスコにおける講和条約の中で二十数年間沖繩をアメリカが占領するきっかけになっている。このメッセージによると、天皇は日本を防衛してもらうためにアメリカが沖繩をずっと占領し続けてくれることを希望していると、こういう趣旨の天皇の気持ちを寺崎氏がシーボルトに伝えた。そういう文書が、シーボルトから本国に送った文書がアメリカで発見をされた。こういうことがいま沖繩県民には非常に大きなショックを与えているわけですが、その事実経過を明らかにしてもらいたいと思います。
  80. 北村汎

    説明員(北村汎君) ただいま先生が御指摘になりましたアメリカ側の文書でございますが、これはシーボルト、当時のアメリカの占領軍の政治関係の長でございましたシーボルトから、当時のマーシャル国務長官にあてて出された報告、並びにシーボルトがマッカーサー元帥に出した報告、並びにそういう文書を受けて当時のケナン政策企画委員長が国務省内でそれに対するコメントを書いた文書、この三つの文書を外務省もアメリカのナショナルアーカイブズ、国立公文書館でございますが、ここから入手をいたして読んでおります。で、この文書の内容につきましては、これはいま先生が御指摘になられましたような趣旨のことが書いてございますが、私どもとしましては、これはあくまでも当時のアメリカの政府が、当時宮内庁の御用掛でおられた寺崎英成氏から口頭で聴取したというところとして、アメリカが受け取っておるところとして書いておるものでございまして、実際にそれでは日本側でどのようなことであったのか、そういうことにつきましては、私ども外務省といたしましても何らかこれに関係のある記録がないか調べてみましたけれども見つかっておりません。で、この点につきましては、これが先ほども申し上げましたように、寺崎英成さんがシーボルトに口頭で伝えられたというように書いてございます。それから寺崎氏は御用掛という資格で説明をされたということのようでございます。それからまた、御承知のように、当時は占領中でございます。そういう事情がございまして、私ども外務省の方の記録には見つからないというのが現状でございます。
  81. 野田哲

    野田哲君 ここに原文があります、が、これによると明確に書いてあるわけですね。「ミスターテラザキ ステーティッド ザット ザエンペラー」云々と、こういう行為について宮内庁は事実を承知されておりますか。
  82. 山本悟

    政府委員(山本悟君) ただいまその資料の経過につきましては外務省側から御説明があったところでございますが、そこに出てまいります寺崎英成氏が外務省の出身の方で昭和二十年の十一月から同省の終戦連絡中央事務局の連絡官におなりになり、二十一年の二月二十日から二十三年の四月三十日まで宮内庁の御用掛を兼務していたと、こういうことは資料といたしまして私どもも調べて存じたわけでございますが、ただいま問題になっております論文に記載されておりますような事項につきましては種々当庁でも調査をいたしたわけでございます。先般の国会の御質問にも出たわけでございますので、私どもといたしましてもそれにつきましての資料というものがあるのかないのか、これは調べなきゃなりませんので調べたわけでございますが、全く宮内庁側にもだれがいっそういった時点におきましてどこに行ったというようなことにつきましての資料、あるいはどういう話をしたというような資料というのは一切ございません。したがいまして、現在の時点におきまして宮内庁としてもそれ以上に資料といたしましての調べようはもう手段として持っていないというような状況でございます。
  83. 野田哲

    野田哲君 外務省はこのいまの説明によると、寺崎さんという御用掛の方が天皇の意思として沖繩はいつまでもアメリカが占領して、それによって日本を守ってくれることを希望しているということを伝えた、それがシーボルトからのこのメッセージになったと、こういう事実経過については調査をして、そういう文書が出ているということだけは確認をされているわけですね。
  84. 北村汎

    説明員(北村汎君) 先ほど御説明いたしましたように、シーボルトから、寺崎さんが自分のところにやってこられて、そしてこういうこういうことを申されたという文書が当時の国務省に対して送られておる。そういう文書につきましてはこれは確認をいたしましたけれども、寺崎英成氏が本当にシーボルトに会ってこういうような内容のことを言われたかどうかというこの事実関係につきましては、先ほども申し上げましたように、外務省には何らの記録もないわけでございますから、日本側としてどういうことであったかという事実関係については、私どもとしては何も申せないわけでございます。アメリカ側の文書はアメリカ側がどういうふうに受けとめたかということが書いてあるわけでございますけれども、果たしてそれが日本側でどういう事情であったか、それについては何ら日本側には記録がないということでございます。
  85. 野田哲

    野田哲君 日本側で都合の悪いことは日本側には資料はないが、それはアメリカにはあるんだと、こういうことで幾つかのそういうケースでその場逃れをされている例があるわけですが、もしこういう行為がアメリカの資料によるとアメリカの公文書館に保存されているわけですが、そういう行為があったとすれば、この行為は一体憲法上どういうことになるんですか、長官
  86. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 担当の外務省及び宮内庁においてすら、その事実の確認ができないというお話でございますので、私がそういう仮定の上に立って天皇のお言葉に対する批評をすべき立場ではないと思いますが、ただ憲法解釈としましては天皇は国政に関する権能をお持ちにならないということだけは確かでございます。
  87. 野田哲

    野田哲君 だから、このアメリカの資料によるこういう行為があったとすれば、天皇は日本国憲法を逸脱した行為をされたと、こういうことですね、どうですか。
  88. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) もしそういうのがあればというお言葉でございますが、そういう仮定の上に立って、天皇の御行為憲法逸脱であるとかなんとかというようなことをここで私が公式に断言する立場ではございませんので、御容赦願いたいと思います。
  89. 野田哲

    野田哲君 アメリカの公文書館に保存されておるようなこの記録、こういう行為現行憲法ではあってはならないことですね、どうですか。
  90. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) アメリカの公文書などを私もちろん見たことございませんが、憲法についての解釈は先ほど申し上げましたとおり、天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関して権能はお持ちにならない、これは明瞭でございます。
  91. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時から再開することとし、休憩いたします。    午前十一時五十四分休憩      ―――――・―――――    午後一時三分開会
  92. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。  午前に引き続き元号法案を議題といたします。  質疑のある方は順次御発言願います。
  93. 野田哲

    野田哲君 法制局長官に伺いたいと思うんですが、明治憲法のもとでの元号制度について伺いたいと思うんですが、この当時の六法全書、昭和十二年と書いてありますが、そのころからの収録された、加除された皇室典範を私も読んでみたわけですが、明治憲法のもとでの元号制度は、御承知のように旧皇室典範の十二条に定められているわけですが、この旧皇室典範お持ちですか。ありますか。
  94. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) あります。
  95. 野田哲

    野田哲君 前文のところ、前文のところがあれば、ちょっと恐縮ですが政府委員の方、長官でなくて結構ですから、ちょっと読んでいただきたいと思います。
  96. 味村治

    政府委員(味村治君) 「天佑ヲ享有シタル我カ日本帝国ノ宝祚ハ万世一系歴代継承シ以テ朕カ躬ニ至ル惟フニ祖宗肇國ノ初大憲一タヒ定マリ昭ナルコト日星ノ如シ今ノ時ニ当リ宜ク遺訓ヲ明徴ニシ皇家ノ成典ヲ制立シ以テ丕基ヲ永遠ニ鞏固ニスヘシ茲ニ枢密顧問ノ諮詢ヲ経皇室典範ヲ裁定シ朕カ後嗣及子孫ヲシテ遵守スル所アラシム」  以上でございます。
  97. 野田哲

    野田哲君 いまの前文ですが、当時としては法律でないこの皇室典範に定められていた。そしてその前文で、いま読まれたように、「後嗣及子孫ヲシテ遵守スル所アラシム」と、こうなっている。つまりこれは性格としてどうなんですか。こういう言い方をされているし、しかもこれは法律ではなかったということは、元号というのは、これは国民に対してこれを使い、守れということではなくて、後嗣、皇族にこれを守らせるんだと、こういう意味になっているし、そうして十二条で、「践祚ノ後元号ヲ建テ」云々、つまり旧皇室典範では第二章の践祚即位のところにこれが、十二条が規定をされている。こういう前文、そして第二章の践祚即位の手続のところにこれが定めてあるということは、これはいわゆる皇室の部内の制度を定めたものだ。国民に対してこれを使用させる、こういうような性格のものではないというふうに、旧皇室典範による元号の場合でも考えられるんですが、その点はどういうふうに考えられますか。
  98. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 旧皇室典範は、普通の法律とは法形式が違って、むしろ憲法に準ずるようなものであったというのが定説でございます。それを受けまして現在の憲法では、国会の議決を経た皇室典範というふうにわざわざ書いてございますのも、従来の旧皇室典範の性格が、ただいま申しましたように、普通の法律ではなかったと、今度の新憲法のもとにおける皇室典範は、国会の議決を経た通常の法律でありますよということを特にメンションしておるわけなんです。  それはそれといたしまして、旧憲法はその当時の、これも大分前の話ですが、国法たる性格とそれから皇室の家法たる性格との両法を兼ね備えておったというふうに私は記憶いたしております。
  99. 野田哲

    野田哲君 旧皇室典範は憲法に準ずるというふうないま説明があったわけですが、旧憲法といえどもこれは当時の帝国議会の議を経ておるわけですね。旧皇室典範というのはこれは議会の議を経ていない。だから、これは憲法に準ずるという性格は手続的にはどうしても理解できないんじゃないんですか。むしろ後段に言われた皇室の内規的な定め、こういうことじゃないんですか。
  100. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) おっしゃいますように、旧皇室典範の改正につきましては、旧帝国議会の議を経ないということになっておりました。でございますけれども、その中身はどうも皇室のことだけというんじゃなくて、国民と皇室との間のたとえば民事訴訟のあり方とか、そういうことも入っておるわけでございまして、そういう意味から言えば、先ほど申しました国法たる面も持っておったというふうに考えるわけでございます。
  101. 野田哲

    野田哲君 元号に関する限りは旧皇室典範の十二条に定めがあったわけですけれども、むしろこれはこのいわゆる「一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」、つまり元号を年月日の表示の方法として国民に使わせるというよりも践祚即位の手続、そしてあわせてそのときに元を建てる。それは明治元年のこの一世の間これを改めない、この定制に従うんだと、こういう意味のことであって、むしろ明治憲法の時期のある時期においては元号よりも皇紀紀元二千何百年、こういう呼び方の方が前面に出てたんじゃないですか。これはやはり古い教科書ですけれども、この天皇の御歴代表、こういうような表、小学校の教科書ですが、これなんかを見るとむしろ皇紀をほとんど使ってありますね。これごらんになりますか。で、私どもも当時小学校の記憶があるわけですけれども、やはり皇紀二千何百年、こういう呼び方をずいぶん強制をされた記憶があるわけです。そういう意味からすれば、このいわゆる昭和とか大正とかいうのが必ずしもこれはきちっと定まっていたとは言えないんじゃないかと思うんですが、その点いかがでしょうかね。
  102. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 皇紀紀元の根拠は明治五年の十一月十五日、太政官布告にどうもあるようなんですが、そのころ野田先生お幾つだったか知りませんが、やはり皇紀も使っておりました。それから明治というような元号も使っておりました。元号一本やりということではなかったというふうに私も記憶しております。
  103. 野田哲

    野田哲君 だから、後でまた触れますけれども、政府の国事行為なんかでも明治憲法のもとでは、明治、大正、昭和というよりも皇紀の方をむしろ重点的に使われた例も、後で出しますけれども、官報なんか。そういうことですから、元号制度というのは必ずしもずっと明治元年の行政官布告以来、一世一元制としてそれ以外の制度は全くなかったということではない。やはり皇紀年というのが相当使われている。こういう点を指摘をしておきたいと思うんです。  そこで、午前に引き続いて天皇との関係についていま少し伺っておきたいと思うんですが、宮内庁に伺いますけれども、勅使というのはこれはどういう性格のものなんですか。そしてあわせて勅使が幣帛を献じ云々と、こういうようなことをよく聞くんですけれども、これはどういう意味ですか。
  104. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 御質問の勅使という言葉でございますが、現在、法令上の用語としてはないように存じます。実質的には天皇のおぼしめしを伝えるお使いという意味が一般的に勅使という言葉で称されていると、かように存じております。  天皇のお使いとして出る場合でございますから、公的な性格を持った場合と私的な性格を持った場合と両方あり得るわけでございます。ただいま御質問にございました勅使は幣帛を云々というようなこと、これは祭祀関係におきまして幣帛――いわゆるお供えと申しますか、神社に対して差し上げる寸志でございますが、そういうものを持って勅使が参る。こういうようなことも勅使のお参りになるときにはあるわけでございますが、この場合、それじゃその勅使を出される行為は何かというと、いまの幣帛をささげるというような場合には、これは宗教関係のものでございますから、いわゆる私的な行為といたしまして、しかもその場合におきましては、御案内のとおり、皇室が内廷費でもって祭祀関係の職員――掌典というのを私的使用人として雇用いたしておりますけれども、この掌典関係の者が勅使として神社にお参りをしている。こういうようなことに現在取り扱いになっております。
  105. 野田哲

    野田哲君 藤樫さんという方がお書きになっている「皇室事典」というのがあるんですが、この皇室事典によると、勅使というのは「天皇の公式使者というわけで侍従、掌典などが使命をおびて公儀に臨む場合である。」と、こういうふうに書かれているわけですが、これとはちょっといまの次長の答えは違うんですね。その点どうなんですか。
  106. 山本悟

    政府委員(山本悟君) そこの藤樫さんと言われる方の事典のあることを存じておりますが、そこに書かれておりましたのは、ただいまお読みになったとおりだと存じますが、そこの場合の公式なという意味は正式のという意味だろうと思います。したがって、その正式の中身が、私先ほど申し上げましたように、いわゆる法律論といたしましての公的なものと、それから私的な天皇という人のお立場としてのお使いと、この二種類があり得る。いまの祭祀関係での掌典等をおつかわしになるというようなのは、全く天皇の御行為としては、いわゆる法的には私的な行為としてのそれぞれの神宮、神社への御差遣、しかしそれは、やはり天皇としては、では正式に行ってこいということでお使いとしてお出しになる、こういうようなかっこうになろうと思います。  したがって、そういう意味から申し上げますと、いまそこでお読みになりました文と、私がただいまお答え申し上げました見方とは違いがない。いずれも正式なものでございますが、その正式の中身といたしまして、いわゆる法律論としての公的なものもあり、私的なものもある。たとえば災害がございましたような際に御差遣になるというような場合でございますと、これはもう当然公的な行為に基づいての御差遣、したがって、そういう場合には侍従が行くというようなのが通例でございますが、そういうようなことになるというようなことでございまして、いまの先ほど先生のおっしゃいました幣帛をささげ云々の方は、陛下の私的な行為としてのお使いの御差遣、したがって、それは私的に雇用されておりますところの掌典がつかさどっている。お使いの役になっている。こういう関係になるわけでございます。
  107. 野田哲

    野田哲君 私的か公的かということは、国民の方から見ればこれはわかりませんね。だから、「神社新報」なんかを読むと、大きな見出しで、天皇の勅使が参拝され、幣帛を献じ云々というようなことが出てくるし、ことしの四月二十二日の靖国神社の例大祭のときにも勅使が行かれていますが、あなたの方の説明ではこの公的と私的ということを使い分けているような説明ですけれども国民の目から見れば、これが公的であるか私的であるかということはちっともわからない。勅使が行かれる、やはりこれを疑問に感じる国民もいるわけですね。この点は一体どうなんですか。勅使が行かれたということが大きく報道されると、やはり政教分離という憲法のたてまえ、一体、天皇――宮内庁は何を考えているんだろうか、こういう疑問が起きるんですけれども、そういう区別はあなたの方の説明ではいろいろされたけれども国民の目から見ればちっともわかりませんが、その点はいかがですか。
  108. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 祭政分離の憲法の規定があるということはもちろんそのとおりでございますが、また同時によく論議されるところでございますが、天皇といえどもやはりそれぞれの神社仏閣等宗教的なところに御参拝になることもあり得る。この御参拝になる場合は私的なお立場において御行動になるわけでありまして、はっきり申し上げれば、天皇といえども自然人でございますから、いろいろな御行為になる、その御行為についてどう考えるかということは、それは法律論としてなければならないわけでございますが、この点はたびたび国会でも法制局長官その他から御答弁になっておりますように、いわゆる純粋の国事行為憲法に定められました国事行為と、それから象徴たる天皇の地位からにじみ出るところの公的行為と、それから純粋の私的行為と、やはりこの三つの種類がなければ説明がつかないんじゃないか、また事実そういう御行動になっているじゃないか、こういうことに解釈としてずっと御説明がされてきているわけでございまして、私どももその意味ではまさにその三つの御行動があり得るというように存ずるわけでございます。陛下御自身でもやはり神社に参拝される、あるいはその他のところに行かれる場合があるわけでございまして、それはやはり私的行為として御行動になっている。その私的行為としてみずから参拝されるかわりに、おまえ行って参拝してこいというのがまさに勅使の使命であろうと思いますが、そういう意味ではやはり勅使という言葉としてとらえる、要するに天皇の御命令によってお使いとして行くという御行動、そういう行為そのものが勅使であるという観念でとらえる限りにおいては、これは勅使でないということを申し上げるわけにもいかないわけでありまして、そういう意味では、やはりいろんな公的な御行動にも勅使があり私的な御行動にも勅使があるということにならざるを得ないわけでございます。その意味では国民の方々にも陛下のいろいろなお立場によってその御行動について、いま申し上げましたように三つの種類の性格の御行動があり、それがあらわれて勅使というものにもいろいろな性格があるということは御理解を賜るよりちょっと考えようがないんじゃなかろうかというように存じております。
  109. 野田哲

    野田哲君 ことしの四月二十二日、靖国神社に勅使は行かれたわけですね。この点はどうなんですか。
  110. 山本悟

    政府委員(山本悟君) ことしの四月二十二日、靖国神社の春季例祭、勅使御差遣になっております。行っておられます。
  111. 野田哲

    野田哲君 宮内庁ではそのときには、A級戦犯を去年の秋に靖国神社に合祀をしたということは大きく新聞で報道されていたわけですが、そのことを承知の上で勅使を派遣する措置をとられたわけですか。
  112. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 靖国神社に対しましての陛下の御参拝というのは戦後数遍行われているわけでございまして、陛下はいつも戦争の犠牲となった人々のことを思って胸が痛むということをたびたび御表明になっていらっしゃるわけでございますが、そのような非常に自然なお気持ちから靖国神社にお参りになっていらっしゃる、このように存じているわけでございます。そういうようなことがございまして、やはり各年ともに春秋の例大祭には御掌典をして勅使として御代拝をさせているというのが慣例として続いてきているわけでございまして、本年におきましてもその慣例のとおりのことが行われたということになっているところでございます。
  113. 野田哲

    野田哲君 いや、質問をしたことに答えていただきたいんです。A級戦犯が合祀をされていることを承知の上でそういう勅使を派遣をする措置をとられたわけですか。
  114. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 当時新聞報道に出ていたことでございますが、その限りにおいては存じていたところでございます。
  115. 野田哲

    野田哲君 そのことを承知をした上で勅使派遣、こういう措置をとられるということは、これは公的か私的かということは国民の目からはわからないわけですがね。公的であろうと私的であろうと、これはまた機会を改めて大平総理にも聞かなければならないことなんですけれども、そういう措置がとられるということは、これはやはり国民の目からすれば相当数の者は、あの第二次世界大戦の侵略思想、これによって戦犯という指定を受け処刑をされたその人たち行為をあの大きな戦争を引き起こしたこと、これを天皇自身が容認をしたと、こういう印象として映る場合があるわけですよ。これは大平総理の参拝についても同様のことなんですよ。そういう措置は天皇としてあるべき行為として考えておられるんですか。これは公的であろうと私的であろうと国民の側からすれば相当こだわりを感ずる人もいるんじゃないですか。その点は全く考慮の対象にはならなかったんですか。
  116. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 先ほど申し上げましたように靖国神社の御参拝というなり、あるいは勅使の御代拝というのは、先ほど申し上げましたような陛下のお気持ちと拝察するところから戦後も行われてきてまいったわけでございまして、その意味では基本的には同様なことと推察申し上げているところでございます。そういうような意味で今回のこの措置もとられたというように思っているわけでございますが、春秋二遍の勅使の御代拝ということは戦後もずっと続いてきたことであり、本質的、基本的には変わらないんじゃないかということでさような措置がとられたと存じているところでございます。
  117. 野田哲

    野田哲君 つまりA級戦犯の人たちがあそこに合祀されていても全くこだわりは感じていないと、慣行は慣行としてやっていくんだと、こういうことなんですか。
  118. 山本悟

    政府委員(山本悟君) いろいろの御意見があるところはその後の経過からも存じているわけでございますが、ただいまのところではそういうことでまいったということでございます。
  119. 野田哲

    野田哲君 総務長官見解を伺いたいと思うんです。
  120. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) ただいま山本次長がお答えをいたしましたように、私、天皇の御心境というのは、戦争犠牲者に対するひたすらな国民の犠牲に対してお祭りをしたいという、またお参りをしたいというお気持ちで参られたと思うのでございます。ただ、いま野田委員が御指摘になりましたように、戦犯をあそこにお祭りしたこと自体の問題は、それなりに問題指摘をされるように問題意識を持っておる方も相当あると思いますが、しかし天皇のお気持ちとしてはそうしたものを超えたと申しますか、そういう側面からでなくて、戦争の犠牲者を弔うというひたすらにそういうお気持ちでお参りになっておるものであろうと思うのでございまして、私はそういう意味でこの問題については受けとめてまいっておるところでございます。その点については山本次長と同じような見解をとっておるところでございます。
  121. 野田哲

    野田哲君 あの人たちは戦争の犠牲者ではないんですよ。加害者なんですよ。そういう人たちが合祀されているところへ総理大臣なりあるいは天皇が参拝されるなり勅使を派遣される、現にそういう行為については先日の参議院の本会議でも問題を感じるということで他党からも質疑がなされていますし、私もやはり疑問を感じているし、相当数の国民が疑問を感じているわけなんです。憲法上の政教分離というたてまえからいっても、あるいはあれだけ国民に犠牲を強制した、言うならば加害者です、そういう人たちに対して参拝をし敬意を表する、これはやはり第二次世界大戦のあの行為を容認をし免罪符を与える、こういう行為として私どもは映るわけですよ。それでもやはり今後ともそういう行動が続けられる、こういうことになるとするならば、これはやはりそのこと自体が、その行為自体が国民の間に大きな政治的な議論を引き起こす、こういうことになりはしませんか。
  122. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 私は靖国神社というのは国家の大きな犠牲者として命をささげられた方々がお祭りしてあるという、そういう私は神社であるという考えを持っておるわけでございまして、その中にいま御指摘のように戦犯と銘打たれた方をお祭りすることがどうかなという点については、これは私どもが神社総代なりなんなりであれはお祭りしておられると思いますが、この点についてはいま野田先生が御指摘になったような一つの、私自身もこれは相当考える余地のあるものではなかったかという、お祭りになっております現在におきましてはそういう点についても考え及ぶところでございますけれども、いまの時点であそこにお祭りをすることについては、神社総代なりそういうものだろうと思いますけれども、そういうところでお決めいただいてそういう結果になったと思いますけれども、私の靖国神社に対するイメージと申しますか受けとめ方は、国のために犠牲になられた方々をお祭りしてあるという立場で私は靖国神社を見てまいり、また参拝をいたしておるのでございます。そういう受けとめ方でございます。
  123. 野田哲

    野田哲君 宗教団体ですからね、宗教団体自身がやられることにわれわれがかれこれ口を差しはさむこと、これはやはり政教分離の精神に反するから、そこを私は問題にしているんじゃないんです。A級戦犯の人たちが合祀されたところへ、憲法上の定めてある政教分離という定めがある中で、憲法上の地位にある天皇あるいはその代理の方あるいは総理大臣、そういう立場にある人が参拝をすることが現に国民の間に議論を引き起こしている、そのことが問題ではないですかと、結果的に天皇の行為が非常なやはり憲法上の政教分離という議論を引き起こす行為になっている、この行為がやはりもうちょっと慎重であらねばならないことになるんじゃないかと、こういうふうに私は考えているんですが、質問したことに対しての見解を伺いたいと思います。
  124. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 私の靖国神社に対する見方と申しまするか、受けとめ方を申したのでございますが、靖国神社は国家あるいは民族のために犠牲になった方をお祭りしてある、またお祭りをされておる神社であるということでお参りをいたしておるのでございまして、その間にいま御指摘のございましたような戦犯を合祀したことに対する問題はあるいは残るかもしれません。しかし私は、靖国神社というイメージなり受けとめ方につきましては、国家のために命をささげられたというお社である、そういうふうに理解をいたしておるわけでございますが、直接の御回答にはなりませんけれども、そういう私は靖国神社を理解をし受けとめ方をいたしておりますので、まあいま言われますように、それが政教分離なり憲法とも関連をしながら天皇なり総理大臣等が参ることについて問題がありはしないかという御指摘でございますけれども、私はいま申し上げましたような靖国神社に対する私の理解とイメージというようなものは、そうした点からお参りを自分でいたしておりますので、また総理大臣等もそういう御心境でお参りになっておるのではなかろうかと思うわけでございます。
  125. 野田哲

    野田哲君 どうもすりかえのような気がしますがね。  別の問題で、宮内庁長官も見えたようですから伺いたいと思いますが、先ほど天皇の行為について、国事行為とそれから私的行為と、その間に公的行為というのがあるんだとおっしゃったわけですが、その国事行為と私的行為の間の公的行為というのが、実はこれが往々にしていろんな面で利用されている向きがあるんじゃないかと思います。ヨーロッパ旅行をされたこと、あるいはアメリカへ旅行されたこと、これは三つの区分から言えばどれに該当するわけですか。
  126. 富田朝彦

    説明員(富田朝彦君) お答え申し上げます。  ただいまお尋ねの昭和四十六年にヨーロッパに御訪問になっておられます、それから昭和五十年にアメリカに御訪問になっておられるわけでございますが、この御訪問は日本国の象徴である天皇が、皇后陛下とともでございますが、いわゆる国際親善のための外国儀礼の一つの形でございますこの儀礼的な外国訪問、こういうことをなされたわけでございますけれども、これはもとより憲法に規定してございますいわゆる国事行為でないことは明らかでございます。しかしながら、象徴としての地位をお持ちになっておられる自然人たる天皇陛下が行動をされる、御行為をされるという折に、全く私人としての私的な御行為というのは当然あるわけでございますが、それ以外に象徴であるというお立場がにじむというような行為が当然ここに想定されるわけでございまして、これをいわゆる公的行為というふうに学問上も呼ばれておるようにも考えますが、いまお尋ねのヨーロッパあるいはアメリカの御訪問は、いま申し上げたようなことから公的な色彩を有する行為でございまして、したがって、これは国事行為ではございませんので、いわゆる憲法に規定する内閣の助言と承認ということは必要としないわけでございますけれども、しかし重要な公的な御行動でございまするので、内閣の責任のもとにこれがとり行われるということで、それぞれの場合に閣議決定という形でこれを取り運んでおるような次第でございます。
  127. 野田哲

    野田哲君 国事行為については憲法で例記をされているわけです。そこでその国事行為でない私的行為でもない公的行為、この私的行為と公的行為の区分というのは一体どこの判断でどういう基準でなされるわけですか。
  128. 富田朝彦

    説明員(富田朝彦君) 公的行為、いま申し上げましたように、象徴たるお立場がにじむということでございますから、そこにややこれの濃いものとやや薄いものと、こういうものが出るのは当然のことであろうかと存じますが、私的行為というのは逆に非常に明らかでございまして、つまり私的行為でないこの行為、それをまあ公的行為というふうに呼んでおりますし、また再三の国会での両院でのいろいろな機会にそういうことが答弁として申し述べられておると思うのでございます。ただ、公的行為というのは、やはりあくまでも内閣の責任のもとにとり行われべき行為であるということ、また憲法第四条に規定しておりますような、つまり国政にわたる権能を有せられない、こういうような意味合いの事柄も当然これは反映してまいると思います。また第一条の象徴であるというお立場、これを害さない、こういうまた行為でなければならない。こういうような一つの枠といいますか、そういう中で公的行為がとり行われる、かように私は考えておる次第でございます。
  129. 野田哲

    野田哲君 植樹祭というのが毎年ありますね。これ天皇が参加されておるわけですが、これはやはり公的行為、こういうことに考えていいわけですか。
  130. 富田朝彦

    説明員(富田朝彦君) ただいまお尋ねの植樹祭でございますが、今週と申しますか、五月の二十七日、八日第三十回の植樹祭が愛知県下においてとり行われるわけでございますが、この植樹祭につきましては、国土緑化委員会から両陛下へぜひこの植樹祭に御出席に相なりたい、同時に国土緑化という観点から、いわば種をまかれる播種あるいはお手植えを皆と、そこに参加する人たちと一緒にひとつ植樹をしていただきたいと、こういうような御要請がいつもございまして、すでに最初の数回はあるいはお出になれなかったこともございましたが、三十回、二十九回まではほとんどお出になっている。これはやはりいま申し上げましたような性格でございます。したがいまして、そういう意味では象徴たるお立場からそういうような御要望に沿われてお出ましになる、こういうことでございますので、私どもはこれを公的な行為と、かように考えております。
  131. 野田哲

    野田哲君 天皇の植樹祭、この公的行為について地元の地方自治体は大変なこれは負担をさせられておりますね、天皇が行かれるために。たとえば道路の改修、舗装その他ずいぶんな負担をさせられているわけです。それはそれとして、昨年の植樹祭の場合を考えてみると、この植樹祭で高知県に行かれて、そして植樹をされる現場の途中で高知県の護国神社へ参拝をされている。公的行為の途中で神社に参拝される、これは政教分離の精神に少し問題を感じるわけですが、その点いかがですか。
  132. 富田朝彦

    説明員(富田朝彦君) 昨年の春の高知県下での植樹祭の際に護国神社にお立ち寄りになったことは事実でございます。そこでいまお尋ねでございますが、この護国神社にお参りになりますのは、たしか昭和三十二年ごろから、たとえば国体でありますとか、たとえば植樹祭でありますとか、そういうような行事がその土地に行われました折に、いわゆるその植樹行事のほかにそれぞれの開催県におかれましてはいろいろな福祉施設あるいは教育施設等をぜひ視察をされたいと、こういう希望が非常に多く出るわけでございますが、そういうものを御視察なさりますそういう道筋に当然おありになることが多いわけでございまして、そういう意味ではそこへお立ち寄りになってお気持ちを表せられるというのでございますが、これは、じゃ何の行為かといまお尋ねでございますが、これは私どもは陛下の私的な行為、かように考えて今日に至っております。ただ、その際また改めて宿へ戻りまして別立ての車というわけにもまいりませんので、いわば県内を御視察になられるために御乗車になっている車が、いわばそこの近くまで参って陛下をおおろしするということはございます。しかしそこに何かお供えというような意味でなされますことも、すべてこれは陛下のポケットマネーと申しますか、私的なお金の中から支出をされておられるわけでございます。
  133. 野田哲

    野田哲君 これは富田長官、ちょっと私は詭弁だと思うんですよ。一般の公務員の場合は特別公務員であろうと一般の公務員であろうと、出張のために平常勤務の場所から、たとえば東京から広島なら広島へ行って帰るまでが、これが出張という行為で、途中でどういうことがあろうともすべて出張ということにみなされているわけです。天皇は公的行為――植樹祭に参加をされるというのは、これはやはり宮城――皇居を出発されてからお帰りになるまでの一連の行為が植樹祭ということで公的行為、私どもはそう考えるわけで、途中で護国神社の鳥居をくぐって参拝をして鳥居を出るまでは、公的行為の間に私的行為がはさまっているんだというのは、これはちょっと私は通用しないと思うんですが。いま長官の言われたそういうことが、いろいろ天皇の行為がだんだん拡大をされていっている。公的行為ということの中で、本来は憲法上あるべきことではないことが、そういう行為の中でだんだん公然化していく、拡大をされていっている、そこに私は問題を感じているわけなんです。  で、今度の元号の制定というのも、これもやはり、政府の資料を読むと、元号制定は国民統合の手段だというような意味のことが書いてある。やはり私は一連の背景というものを感じているわけなんです。まあこれ以上この問題は押し問答はいたしませんが、私どもはそういう問題意識をいま持っているという点を指摘をしておきたいと思うんです。  宮内庁の方はもう結構ですからどうぞ。  そこで、次の問題に移りますけれども、日本で太陽暦を採用した経過があるわけですが、この太陽暦を採用した、これは明治五年十一月九日、一八七二年十一月九日、こういうふうになっているわけですが、この太陽暦を採用するに当たって、旧暦による明治五年十二月三日を明治六年一月一日とする-この太陽暦の実施が始まっているわけですが、このときにどのような布告がされておりますか、これはわかりますか。
  134. 清水汪

    政府委員(清水汪君) お尋ねの太陽暦に改めたときの布告でございますが、これには詔書がございますし、それから太政官の布告がございますが、太政官の布告を読みますと、「今般太陰暦ヲ廃シ太陽暦御頒行相成候ニ付来ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事 但新暦鏡板出来次第頒布候事」これが第一項でございます。次がもう一つの項「一ケ年三百六十五日十二ケ月二分チ四年毎二一日ノ閏ヲ置候事」。それからあと三項ほどございますが、三つ目は時刻の儀で、その内容は、一日を二十四時間にして、子とかなんとかいうのをやめて、正午までが午前、その後が午後と、そういうふうに呼ぶというふうなこと。それからその次が時鐘の儀でございますが、「時鐘ノ儀来ル一月一日ヨリ右時刻ニ可改事」。それから最後の項といたしましては、「諸祭典等旧暦月日ヲ新暦月日ニ相当シ施行可致事」。というのが布告の内容でございます。
  135. 野田哲

    野田哲君 いまの太陽暦の実施に当たっての政府の発行された、いま読まれた点、そしてその次にこれは文部省の天文局発行の太陽暦というのがそれに続いてありますね。これを見ると「神武天皇即位紀元二千五亘二十三年」そしてその下に「明治六年太陽暦」こうなっていますね。つまりこの当時年代をあらわすものとしては、政府自身も、明治六年のことですが、神武天皇即位紀元二千五百三十三年太陽暦、こういうふうにして、むしろ皇紀年の方を先に大きく使っておりますね。この事実、間違いありませんね。
  136. 清水汪

    政府委員(清水汪君) ただいまの暦の実物につきましては私、手元にいたしておりませんけれども、その点は先生の御指摘のとおりだろうと思いますが、ただ、そのことが当時皇紀が主であったということには直ちにはならないんじゃないかと、元号、つまり明治による表示も、その場合にもそこにあるわけでございますけれども、その他の場合でも明治というのが使われておりますので、直ちに皇紀が主であるということではないと思います。
  137. 野田哲

    野田哲君 これはここへ現物がありますから、なんでしたら総務長官も……。   〔資料を手渡す〕  そこにあるように、皇紀が先に大きく表示されているわけです。だから先ほど午前中にも指摘をしたわけですけれども、ごじゃごじゃに使われているわけですよ。皇紀を使ったり、それから一世一元の明治とか大正を使ったり、ごじゃごじゃに使っているわけですから、あなた方が言われるように一世一元というのは連綿としてそれだけが日本で千三百年も使われてきたというものではないんだということを私は具体的な事実をもって指摘をしたわけなんですが。  そこで、審議室長、太陽暦というのはどういう由来でできたものか御存じですか。
  138. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 太陽暦に関しましては、私深くは勉強いたしておりませんが、若干調べましたところでは、これは古代エジプトにその端を発しているということのように理解をいたしておりまして、その場合におきましては、当時のエジプト人といいますか、太陽の運行、それとナイル川の洪水が季節的に起きてくる、それらの関係から一年という暦の観念を持つに至ったというようなことで、したがいまして、その場合の暦というのはいわゆる太陽暦の系統として考え及んだというようなことが太陽暦の起源として言われておりますので、そのようなことではなかろうかと理解をいたしております。
  139. 野田哲

    野田哲君 この太陽暦というのは、確かにおっしゃったように外国で始まったものですね。私の資料では、これはグレゴリー十三世という人によってつくられた。当初はグレゴリー暦、こういうふうに言われていて、これが十九世紀から二十世紀の間にカソリック教国だけではなくてプロテスタントの諸国にも普及して、そして全世界に普及して世界の基準暦となった、こういうふうに言われているわけです。したがって、日本が太陽暦を実施をした一八七三年、明治六年、この日をもって実質的には日本古来の伝統と言われている、元号と言われているけれども、日本古来のまず旧暦の使用というものがこの世界の基準に合わすために廃止をされているわけなんです。そこで、当時の経過としては、太陽暦を採用することがそのような実質的に西暦を使用する、あるいは外国の宗教の中で発想したものを使う、このことをことさらに隠蔽をするために、このころからいま言われたように皇紀というのをことさらに前面に出して、日本は太陽暦を使うことにしたけれども、皇紀を使うことによってこれは日本としての独自の表示を行っていくんだ、こういうことで皇紀が持ち出された、こういう記録があるわけです。  それからもう一つは、これは別な話になりますけれども、明治になって官吏というものができて、官吏に月給を払うときに、旧暦を使っていると四年に一遍は一年が十三カ月になって月給を十三回払わなきゃいけないから、これはどうも経理上筋が通らないということで太陽暦に改めたと、こういう記録があるわけですけれども、つまり私が言わんとしているところは、先ほどの皇紀を使っている、そのときどきで皇紀を使ってみたり、元号を使ってみたり、つまり時の政府の都合のいいときには皇紀を使い、都合のいいときには元号を使い、あるいは西暦を使い、旧暦を使う、太陽暦を使い陰暦を使う、こういうふうに使い分けてきた。だから、元号だけが連綿として千三百年も日本の伝統として不動のものとして今日まで使用されてきた、日本独自の唯一のものではないと、その場その場で適当に使われてきたと、こういうふうに私ども判断をしているわけですが、こういう実態について総務長官、いかがですか。
  140. 清水汪

    政府委員(清水汪君) とりあえず私から答弁をさせていただきますが、ただいま先生お述べになりましたことの中で、そのときどきにおいて適当に使い分けされてきたというような御指摘があったわけでございますが、そうした事実の問題と申しますか、その前にもう一つ、この太陽暦に伴ってといいますか、太陽暦への切りかえのときに皇紀というのが出てきたという御指摘でございますが、それは事実関係としてちょうど似たような時期に皇紀というのが出ておるわけでございますが、その意味合いと申しますか、この点につきましてはやはり江戸時代からすでに皇紀というような計算の説をなす人もおったという記録もあるわけでございますが、やはり海外との接触の中から西暦というものの知識が入ってきていたということが想像できるわけでございますが、そのようなことから、つまりわが国の場合にはわが国のやはり、いわゆる長尺という言葉が適当かどうかわかりませんが、長い方の尺度というものの存在の必要性といいますか、あるいは意味合いというようなものへの認識も開かれていったということはあろうかと思います。そうした中におきまして元号といいますか年号といいますか、そちらの系統のものはおっしゃいますように千年以上の前からの伝統としてずっとこれはあったわけでございますし、また明治の皇紀ということが提唱された後におきましても実際にも明治というものが使われてきたわけでございますので、元号自体は一貫しておったということは依然申し上げられるのではないかと思います。ただそこに太陽暦への問題というのは、はっきりと旧暦の方を廃止するというような形でこれはこれとして非常にはっきりいたしておるわけでございますけれども、お互いにそれが困果関係のような関係は別段なかったのではないかというふうに理解いたすわけでございます。
  141. 野田哲

    野田哲君 要するに太陽暦の採用というのは、明治に入っていわゆる鎖国政策を解いて外国との交流をするようになった、そういう状態の中で日本の旧暦というものが国際的に通用しないから、そこで早々と太陽暦に変えざるを得なかったわけですね。古来からの伝統を固執するのであれば陰暦を使っていればいいんですが、陰暦を使っていると先ほど言ったように四年に一遍は役人に十三カ月も月給を払わなきやいかぬからこれは大変だと、こういうようなことも別の面ではあったようですが、そういうふうに長い間の鎖国から国際社会へ窓を開くに当たってはやはり国際的な基準に合わせざるを得なかったということですね。  もう一つ似たケースで伺いますけれども、ウイーク――週ですね、そして日曜は休みにする、こういう制度を取り入れたのはいつですか。
  142. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 曜日の観念と申しますものは、わが国におきましても物の本によりますればかなり古くからそういう知識は伝播してきていたということは言われておるようでございます。  それからもう一つ、これは私のまたささやかな知識で恐縮でございますが、七曜という概念そのものは、特にそれがキリスト教国固有の分け方ということよりは、もともと七曜というような観念というものは東洋にもあったというふうな説明もあるわけでございます。ただ、そうした中で日曜日に当たる一日を休むという点につきましては、これはあるいは聖書のあれから関連しておるのかもしれませんが、その点別に私自身の知識があるわけではございません。  日本におきまして休日をいつにするかということでございますが、この点は明治になりましてからはっきり一いまちょっと手元にありますのは、大正十一年には「官庁執務時間並休暇ニ関スル件」というのがございますけれども、これははっきり現在の執務時間の根拠になっているわけで、その前には明治九年の太政官達第二十七号というものによりまして日曜日を休暇と定めるということが規定されておりますので、日本におきまして日曜日を休むといいますのは明治九年からのことというふうに考えます。
  143. 野田哲

    野田哲君 いまお話がありましたように、そのころに日曜を安息日とする、つまりこれは聖書に由来したものです。その制度を取り入れた。先ほど来の太陽暦と同様に、やはり年月日、それから週、このサイクルを世界のサイクルに合わす。こういうことで、やはり日本に長い間続いていた制度というものを、明治時代でさえも大胆に改めていっているわけなんです。日本古来から続いている伝統を守りたいなら、いまでも子の刻、丑の刻と言えばいいんであって、そういうことなんです。何でそういうふうに、この年月日、週のサイクルを、日本の古いしきたりを改革をして改めていっているのに、年の呼び方だけ何でいま世界のサイクルに合わないものに固執をしなければいけないんですか、長官
  144. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 私は思いますのに、この太陽暦への切りかえ、これはただいま御指摘のような趣旨と申しますか、そのことは当時の詔書の中にも示されておるわけでございますが、つまり古来からたとえばこうやってきたというものでありましても、やはり非常に不合理なものとか、それに対して、より精密なものがあるというような認識のもとに、そういうような切りかえが行われたということを意味するものだろうと思いますが、私はこの元号による年の表示の仕方という問題につきましては、国民の大多数の考え方と申しますか、認識としてそのようなものではなかったということが、やはり一番大きなポイントではなかろうかというふうに思いますし、それからまあこれは多少蛇足めいて恐縮でございますが、そのもの自体といたしますれば、太陰暦と太陽暦の違いとか、あるいは尺貫法とメートル法の違いというような、そのもの自体の単位と申しますか、この場合は年でございますけれども、そういう面におきましては何ら違いがないわけでございまして、元号はそういうこととは別に、わが国の独特の歴史的な面あるいは沿革的な性格というものから国民の間に定着をし、その存続が望まれてきていると、そういうものであろうというふうに考えるわけでございます。
  145. 野田哲

    野田哲君 そういう説明は合理性がないんでね。面積にしても長さにしても、それから時間の経過にしても同じことなんですよ。ほかの面は改めて、その年のところだけこだわる理由が合理性がないんですよ。  通産省見えてますか――このメートル法を採用したのはいつか、そして国会へ提案されたときの趣旨説明のところをちょっと記録があれば読んでいただけませんか。
  146. 杉山和男

    説明員(杉山和男君) 計量法に関して御答弁申し上げます。  計量の単位を統一いたしますことは、商取引の秩序の維持を図るあるいは産業経済の発展を図る、学術の振興に寄与するといったような点から、これらの基盤として欠くことのできない前提条件の一つであろうというふうに考えるわけでございますが、わが国におきまして、計量単位の統一に際しましてメートル系の単位を採用いたしました理由と申しますのは、その他の単位系と比較いたしました場合に、メートル系の単位が幾つかの長所を持っているという判断に基づくものであると考えます。要訳して申し上げますが、第一が、メートル法単位の基準が国際的に確定しておる、メートル条約というものがございまして、これに基づいている、しかも科学的根拠を持っております。現在は違いますが、メートル原器、それから現在でも使っておりますキログラム原器、こういうものがある。それから単位の相互間に密接な関係がございまして、長さから面積、体積というふうなものが導き出される、これが第一点でございます。  第二点といたしましては、各単位が完全に十進法を採用しておりまして、かつ最大のものから最小のものまで単位が備わっておるということでございます。  それから第三に、新しい分野の単位を基礎になる単位から容易に導けるという利点が挙げられております。たとえば速さが、時間の秒というものと――毎秒という秒と、それから長さのメートルというものから速さが決定されるというふうな点が非常に便利であるということでございます。  それから第四に、世界の非常に多くの国がメートル系を採用しておるということでございます。ちなみに、現在メートル条約に加盟いたしております国が四十五カ国、採用しております国が百九カ国でございまして、なおメートル法への移行中の国というのは四十九カ国、そのほかにございます。以上申し上げましたような理由がメートル系単位に移った理由でございます。  なお、そのときの提案理由等につきましてはただいまちょっと探しておりますのでまた後ほど……。
  147. 野田哲

    野田哲君 いいですよ、もう。いまおっしゃったように、やはり総務長官、長い間なじんでいた尺貫、これをメートル法に変えた、これもやはり世界に通用しないからですよ。すべての産業の面、科学の面、学術の面で世界に通用しないから変えたということです。これは当時の国会への提案説明の中でもそういうふうに指摘をされているわけです。「是迄我國ニ於テハ、尺、貫ノ如キ固有ノ度量衡ヲ用ヰテ居りマシテ、至極便利デハアリマスルガ、是ハ内地二臨スルノデアリマシテ、外國ノ取引ニ対シ、又学術的ノモノニ対シマシテ」「世界ニ最モ汎ク通用致シマスル「メートル」式ニ改正シタイト云フ意味ヲ以チマシテ、此法案ヲ提出シタル次第デアリマス、ドウカ御賛成アランコトヲ希望致シマス(拍手起ル)」と、こうなっておるわけです。  年月日の表示だってこれと同じじゃないですか。世界に通用するものに改めていくというのが、陰暦から太陽暦、そしてこの週の制度を採用し、日曜を安息日とする、そして尺貫法をメートルに改める。年の表示だけ何でいままで、これからも世界に通用しないものを固執をしなければいけないのか。そこに何でまた皇位の継承ごとにそれを変えていくという制度を取り入れていかなければいけないのか。年月日の表示というのは天皇のために必要なんじゃないんですよ。国民の生活に必要なんだし、学術、国際交流、そういうものに必要なんです。全くそういう点からすれば、明治以来国際交流が始まった中で長さを示す方法、そして月日を示す方法、重さを示す方法、すべて国際的に通用するものに制度を改革していっている。何で年の表示だけをいつまでも固執しなければいけないのか。これこそまさに私は、かつての天皇の制度にこだわっている、それに尽きていると思うのです。この点についての総務長官見解を伺いたいと思います。
  148. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) お答えをいたしますが、先ほど来陰暦の問題あるいは太陽暦の問題、あるいは皇紀の問題等関連しながら、その沿革的な立場に立っての御意見がございました。拝聴いたしておったのでございますが、ただし私どももまたひるがえって元号を見てまいりますと、とにかく大宝律令以降千二、三百年という間、これはやはり元号についてはほとんど絶ゆることなく国民の間に使用されてまいった。先ほど清水君からもお答えをいたしておりましたように、国民の大多数がその存続を希望するという、そういう実態、そして心理的に見てまいりますると、やはり国民としての統一意識、また同じ社会に帰属しておるというそうした心理的な一つの文化的な問題としてこれをとらえざるを得ない、そういう伝統的な資産だとも私は思うわけでございます。そういう点でございまするので、いま現実のそうした国民自身が存続を希望されておる実態を踏まえてまいりますれば、私は現在時点において私どもがこれにこたえるとするならば元号の存続ということを考えてまいりたい、そしてしかし、いま言われたように、学問的にあるいは国際的にいろいろな点から御指摘がございましたように、西暦使用についても併用してまいろうというわけでございまするので、決して西暦を否定して元号のみを使用なさいというようなことを申し上げておるわけではございません。  私は民族の英知、良識というものが長い将来にわたっては解決してくれるものがあろうと思うわけでございまするが、現時点におきましては、国民の大多数が存続を希望される、この事実を踏まえて処置してまいりたいということでございます。  それの期間というようなものを一世一元にとることが天皇制の復活につながるのではないかということでございます。私は、そういう原理的な立場に立ってそういう御意見を言われること、御意見として私もこれを受けとめてまいっておるわけでございまするけれども、しかし現在では旧憲法から新憲法へと、明確に私ども憲法が現存をいたしておりまするし、そういう方向には決してまいらないという、またまいらしてはならぬという、そうしたことも考えておるところでございます。
  149. 野田哲

    野田哲君 現在の憲法の天皇の行為を利用してだんだんやっちゃいけないことを天皇にやらそうとしている、こういう幾つかの例を私はきょうの質問の中で出したわけなんです。日本の国民の英知が将来云々と言われましたけれども、私はいま元号法を制定されるということは、これは将来のわれわれの後世の日本人が、何という不合理な制度をまたまた法律でつくったものだと、こういうことで、国民の英知が、これはいかに法律をつくっても空洞化してしまうであろう、こういうふうにいま考えているわけなんです。  外務省、大変待ってもらっていただいているのですが、世界の各国の年月日の表示方式がどのようになっているのか、西暦とか、回教暦とか、あるいはその併用とか、仏教暦とか、ヘブライ暦とか、いろいろありますね。これの大まかな各種類別の主な国と大体の使用国の数ですね、これをちょっと示していただきたいんです。
  150. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) まず大づかみに申しますと、大多数の国におきましては西暦が使用されておりますが、国によっては仏暦、回教暦、ユダヤ暦、共和年等を使用するなど、各国の歴史や伝統によっていろいろ差異がございます。  さらに少し詳細に申し上げますと、これはわれわれとしましては、手がかりとしまして、大使の信任状、総領事の委任状等について百六カ国にわたって調べてみたわけでございますが、西暦のみを使用しておりますのが八十一カ国ございます。それから西暦と回教暦を併用しておりますのは八カ国でございまして、これはつまり回教国、エジプト、アルジェリア、イラク、サウジアラビアその他でございます。それから西暦と仏暦とを併用しておりますのが二カ国ございまして、これはスリランカとラオスでございます。それから西暦とユダヤ暦を併用しておりますのは一カ国、すなわちイスラエルでございます。それから西暦と共和国年を併用しておりますのは三カ国ございまして、これはガーナ、アフガニスタン、バングラデ  シュでございます。それから西暦と統治年-統治する年を併用しておりますのは一カ国、これはジョルダン。西暦と在位年を併用しているのは二カ国、バチカンとモナコでございます。それから西暦と独立年を併用しておりますのは二カ国、ハイチとサイプラスでございます。それから西暦と回教暦と統治年を併用しておるのは一カ国、マレーシアでございます。それから西暦と仏暦と統治年を併用しておりますのは一カ国、すなわちタイでございます。それから西暦と共和国年とインド暦を併用しておるのは一カ国、すなわちインドでございます。それから西暦と統治年とイラン暦を併用しておる一カ国はイランでございます。これはイラン、いまのところどうなっているかちょっとはっきりわかりません。最後に西暦と統治年を併用しておりますのは二カ国、英国と豪州でございます。
  151. 野田哲

    野田哲君 日本のように、王の在位年あるいは元首の統治年、これだけを使用している国というのはないですね。日本だけですね。
  152. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 御質問の御趣旨、必ずしも十分理解していないかもしれませんが、先ほど申し上げましたように、西暦と統治年を併用している国が一カ国、それから西暦と在位年を併用している国が二カ国、そういうふうなのがございます。
  153. 野田哲

    野田哲君 だから、つまり統治年というか、在位年というか、それだけを使おうという国は日本しかないですねと、こういうのです。
  154. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 私たちの外交文書の慣例をちょっと申し上げればおわかりいただけるかと思いますが、条約とか協定とか交換公文等で年を表示いたします場合には、ほとんどの場合は西暦のみを用いておるのでございます。それから二国間条約などで相手国が自国の年号の使用を主張いたしまして、または西暦とともに自国の年号を併用することを相手国が主張いたす場合に、きわめて例外的な場合に、相手国の年号とともに元号を使用することにいたしております。原則としてわれわれは西暦を使用しておるわけでございます。  それから、その他の公式の外交文書におきましては、一般的には正文が日本文であるものにつきましては元号を、正文が外国文であるものについては西暦をそれぞれ用いております。
  155. 野田哲

    野田哲君 だから、つまり皇位の継承ごとに年月日の表示方法を変えるという国は、それだけを使っている国というのは日本しかないと、こういうことですか。外交文書については西暦を使っているという説明があったんですが、国内でそういう使い方のところは日本しかない、こういうことですか。外交文書については、いま日本の場合にも使い方について説明があったわけですが、パスポートの生年月日など日本人の場合これは西暦でやってますね、これは理由はどういう意味ですか。
  156. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 旅券は外国に渡航する日本国民に対しまして日本政府が名義人の国籍及び身分を公証しかつ渡航先の官憲に対してその名義人に対する保護、扶助と旅行の便宜等を依頼する文書でございますので、この目的のためから特に年を西暦で表示しているものでございます。
  157. 野田哲

    野田哲君 つまり外国には通用しない、西暦を書かなければ通用しない、昭和とか大正では全く通用しないということだからこそ、パスポートについては個人の生年月日でもそういう扱いをしているわけです。  外交官などが日本に赴任をしてくる場合の日本あての信任状はどういう記載方式になっていますか、年月日について。
  158. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 信任状につきましては、先ほど申し上げましたように大部分の国は西暦でございますが、その他自国が用いておる回教暦とか、仏暦とか、ユダヤ暦なんかを併用して記載してございます。
  159. 野田哲

    野田哲君 日本に赴任してくる場合の信任状のあて先というのはだれあてになっているんですか。
  160. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) 信任状のあて先は非常に区々でございまして、一律には申し上げかねるわけでございますが、陛下の名前が記載されておる場合も多くあります。
  161. 野田哲

    野田哲君 外交権を持たない天皇の名前でどうしてあてられているんですか。
  162. 山崎敏夫

    政府委員山崎敏夫君) わが国が特命全権大使を派遣いたします場合の信任状につきまして、これは日本政府がその大使を任命し、天皇がこれを認証されることになっております。その認証という形で天皇の御名が出ておるわけでございますが、それとの見合いにおいて先方が天皇にあてる場合も多いということでございます。
  163. 野田哲

    野田哲君 ちょっといまの説明は納得できないけれども、まあ次へ進めましょう。  結局は国際的に通用しないということで、外務省が日本人に発行するパスポートにさえも元号は書けない。これをまた法律をつくろう、こういうことですから、国際化の社会ではまさにこれは全くナンセンス、こう言わざるを得ないと思います。  先ほど総務長官は、西暦も使用してもいいんだ、併用なんだ、こういうふうに言われました、国民を拘束はしないと、こう言われたわけです。国民を強制はしない、西暦を使いたい人は使ってもいいんだ、この法律は元号を定める手続だけをこの法律で出しているんだ、こういうことですね。現在は法的な根拠もない、事実たる慣習として使われている、この現在の状況の中で総務長官は元号というのは国民に対して全く拘束力を持っていないと、こういう認識なんですか。全く持っていない、西暦であろうと昭和であろうと自由に使える、こういう認識なんですか。
  164. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 国民の間におきましては、御指摘のような状況なり、何らの条件もなしにそう受けとめていただいて結構だと思いますが、しかし政府なり公的な機関におきましては、御承知のように事実たる慣習として行政事務の統一的な運営というようなところで一つの事実たる慣習が公的機関は統一されて元号を使っておるというような事実は現在あるわけでございます。
  165. 野田哲

    野田哲君 現在の事実たる慣習によっている場合でも国民は拘束をされているかいないか、具体的な点について伺いたいと思うんですが、かつて植木総務長官が本委員会で私の質問に答えて、戸籍上の取り扱いについても元号は事実たる慣習にすぎないので、法的根拠がないから、戸籍上の取り扱いについても西暦で届け出たい人は西暦で届けてもらえば受理されると、こういうふうに答えておられるわけですが、そしてまた、古井法務大臣は、先日の本会議で私の質問に対して、この用紙に昭和とか、大正とか、明治、こういう不動文字を届け出用紙に印刷してあることについては、国民の便利のためと、それから統一的事務処理のために協力をお願いをしているんだと、こういう意味答弁があったわけですが、総務長官も具体的な事例についていま挙げたような点、同様の御認識ですか。
  166. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) そのとおりでございます。
  167. 野田哲

    野田哲君 自治省、見えておりますか――自治省では、地方公共団体に戸籍事務が委任をされているわけですが、戸籍事務について西暦で届け出をすればそのまま受理されているという認識をお持ちですか。
  168. 木村仁

    説明員(木村仁君) 戸籍事務につきましては法務省が担当しておりまして、機関委任になっておりますから、その実態は私は存じておりませんので、法務省の方にお尋ね願いたいと思います。
  169. 野田哲

    野田哲君 地方自治体が委任を受けて、地方自治体の窓口で地方公務員がその事務を取り扱っているんですから、あなたは、それは機関委任事務だからといって、実際やっている地方自治体で地方公務員がやっているのを、そういう言い方はないでしょう。
  170. 木村仁

    説明員(木村仁君) 窓口で西暦で届けられたときにどういう処理をしているかということについて、私は詳しく存じておりません。法務省で従来答弁いただいておりますし、私は一般的に戸籍が元号で届け出等を行っているということはもちろん承知いたしておりますが、実際に西暦で書かれたときにどういう処理をしておられるかということは法務省でよく把握しておられると思いますし、御指導をいただいていると思います。
  171. 野田哲

    野田哲君 住民登録の扱いについては、それじゃどうですか。
  172. 木村仁

    説明員(木村仁君) 住民登録につきましては、各地方公共団体が独自に届け出の様式を定めております。多くの場合は元号を用いておりますが、もし西暦を使用されて届け出をなさった場合には、そのまま受け付け、内部において必要であれば元号に直していると思います。
  173. 野田哲

    野田哲君 内部において必要であれば元号に直しているということですが、総務長官、受理されるということは、住民登録とか、あるいは戸籍とかいう、そういう扱いについて受理されるということは、受け付けのカウンターで受け取ってくれたということが受理されるということではないのですよ。簿冊に対して本人の意思がそのまま記載されるということでなければ受理されたということにはならないのですよ。  法務省に伺いますが、じゃ、法務省ではいまの戸籍上の取り扱いについて委任をしている市町村の窓口、区役所の窓口で戸籍上の届け出が西暦で届け出た場合にどういうふうに処理されておりますか。
  174. 吉野衛

    説明員(吉野衛君) 届け出人が西暦を記載してたとえば出生届をしてきたという場合にはそのまま受理する取り扱いをしております。
  175. 野田哲

    野田哲君 戸籍簿にどういう記載をしておりますか。
  176. 吉野衛

    説明員(吉野衛君) 戸籍簿に記載する場合には、元号に引き直しまして記載をしております。
  177. 野田哲

    野田哲君 総務長官、西暦でも受理される、尊重されるということが、受理した後で本人の意思にかかわらず戸籍簿や住民台帳の登録に当たって元号に書き直すということは、これが受理されたということになりますか。
  178. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 私どもといたしましては、それはもうもちろんその段階で受理であるというふうに考えるわけでございまして、ただいまのその事務の処理の様式といたしまして、公的機関のサイドにおきましては原則として元号の方で廣の表示を統一的にいたしております。その事務の立場からやるわけでございまして、ただそのもの自体として考えれば、西暦で表示されても元号で表示されても全くある特定の年月日を指しているということについては、これはもう一見明々白々でございますので、その間において何ら効力に問題を起こすということは本来あり得ないことだというふうに考えますので、ただいまの受理の問題の御指摘でございますけれども、それは帳簿の処理として全く問題がないというふうに私どもとしては考えております。
  179. 野田哲

    野田哲君 それは清水さん、論弁ですよ。本人があくまでも生年月日、婚姻等を西暦で届け出て、西暦で登載をしてもらいたい。こういう意思表示があったときに、それを受け取ったから受理だということにはならないですよ。受理というのは、本人の意思が尊重されて、西暦であくまでもやってほしいと言われたものについては西暦で記載する。これでなければ受理とは言えないんじゃないですか。なぜならば、戸籍簿に関することについては、その一生涯の間には何回か、これは戸籍抄本とか戸籍謄本とかという形で請求をして、それが入学とか、あるいは就職とか、海外の渡航とか、いろいろ使用されるわけです。黙って受理しておいて戸籍簿に書き込むのには別のことを書いたらこれは虚偽の記載じゃないですか。いま戸籍簿というのは、本人が請求すればこれは複写機で書かれたままが出てくるわけですから、そのときになって初めて西暦で受理してくれたのに謄本を受け取ってみたら元号を昭和で書いてあったということは、これは本人にとっては重大な侵害じゃないですか。そうじゃないですか。
  180. 清水汪

    政府委員(清水汪君) お言葉でございますけれども、登録あるいは届け出を受理をするという、そういう戸籍簿の事務処理というものは、役所の仕事として法令に基づいて行われているわけでございます。で、年月日の表示という問題は、その間にありまして、ある一つの事実についてのその時の表示、年の表示という問題でございますから、これは客観的に全く明らかでございます。したがいまして私どもとしては、繰り返しになりますけれども、先ほど申しましたような考え方で何ら問題ないというふうに考えておるわけでございます。  で、いまお話の中に、後からもらうときにどうこうという御指摘もあったわけでございますけれども、要は、年月日の表示の問題ということで一貫して考えていけば、あとは良識の問題で解決がつくのではないかというふうに考えるわけでございます。
  181. 野田哲

    野田哲君 そんな答弁はないですよ。いま元号を使いたくないと、西暦を使いたい。こういう人だって日本国民の中には相当数いるわけですよ。その人が出生とか婚姻でどうしても西暦でやってほしいと、こう言って届け出てきた。カウンターではそのまま受理して戸籍簿の記入のときは別のことを書き込む。これは越権行為ですよ。これは拘束してないとは言えないですよ。拘束してますよ、現に。元号を使いたくないという人の意思を拘束しているじゃないですか。どうですか。総務長官
  182. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) こうした御意見は何回か委員会においても承ってまいっておるわけでございます。西暦、元号併用でございますが、どうしても窓口において、できれば元号でということは、協力方をお願いをいたしましょうけれども、いや自分は西暦で届け出がしたいと言われた方については、そのまま受理せざるを得ない。ただ、戸籍簿なり、あるいは登録簿等に記載をする場合は、もちろん西暦も記載をいたしますけれども、それと行政的な事務統一という点から、一つの、全体を見る統計その他を出さねばならぬという事態もありますので、その点はひとつお許しを得て、実態は変わらないことでございますので、整理の際には元号を横に併記さしてもらうというような処置にお願いをいたしたい、そう考えておるわけでございます。
  183. 野田哲

    野田哲君 そういうことになってないんですよ。改正戸籍記載例集というのが法務省から出ているんですよ、市町村の窓口に。その中に、法定記載例というのがあるわけです。法定記載例の中は昭和、これを使うようになって、しかも数字については、十は漢字の拾、手へんに合うという字を書いてある。一についても横一じゃない、漢字の壱を使わなきゃならぬ、二についても漢字の弐を使わなきゃならぬ。そうなっているんですよ。これは戸籍法の施行規則で、この法定記載例によって記載しなければならない、こうなっているんです。あなたの言うように、西暦を戸籍簿に書いて横に元号を書く、そんな扱いにはならないんですよ。だから、西暦でも元号でも自由に、拘束をしない、使える、こう言うんだったら、この戸籍法に基づく施行規則の記載例、これを全部改めなけりゃそういうことにならないんですよ。どうですか、その点、法務省。
  184. 吉野衛

    説明員(吉野衛君) 先生御承知のように、戸籍の制度というのは国民の身分関係を登録し、これを公証するという国家的な制度でございます。したがいまして、その記載をどうするかということは、国の公簿の記載の統一を図るという見地から、元号で記載しているわけでございまして、これは、法定記載例は戸籍法の施行規則の三十二条に定められております。  ただいま先生御指摘の改正戸籍記載例集は、そのほかに法務省の民事局長が昭和四十五年三月三十一日付の通達におきまして定めたものでございまして、すべて戸籍簿の記載には元号で記載する、こういう扱いになっております。
  185. 野田哲

    野田哲君 そんなことはわかっているんだ。わかっているから、総務長官国民を拘束をしないと、こう言うんだし、先ほどは西暦で書いてくれと言われれば西暦で書いて、横の方に元号で書き足すと、こういう扱いだと、こういうふうに言われたが、そんな扱いにはなってないじゃないかと。だから、拘束しないのであれば、戸籍法の施行規則、これを全部改めますかと、こう聞いているんですよ。
  186. 吉野衛

    説明員(吉野衛君) これは市町村における戸籍事務担当者に対する準則として定められておりますので、先ほど御答弁いたしましたように、国民がたとえば出生届だとか、あるいは婚姻届をするという関係では、西暦をもって記載して届け出ましても差し支えない。ただいまの戸籍記載例集は、戸籍簿の記載を定めたものでございます。
  187. 野田哲

    野田哲君 だから戸籍簿の記載について、西暦で書きたい者は西暦で書くんだと、拘束はしないのだと、こういうのがいままでの政府の答弁であったから、それならば、あなたの方の記載例、施行規則を全部書きかえなければいけないじゃないか、これを改めますかと、こう聞いているのですよ。拘束しないと言うのだったら、そこまでやらなければ拘束しないということにならぬじゃないですか。
  188. 吉野衛

    説明員(吉野衛君) 先ほど御答弁いたしましたように、公簿の記載の統一性を図る見地から、西暦も記載する、あるいは元号でもよいという取り扱いをすることは、記載の混乱を招くという見地から、今後とも元号で記載するつもりでございます。
  189. 野田哲

    野田哲君 総務長官あなたは拘束しないというのは、全然実務を取り扱う法務省の方では通用してないじゃないですか、どうですか。
  190. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 私の多少事務的な勉強不足もあると思いますが、私は、届け出をされる場合に、西暦でぜひ届けたいと言われる。その場合には、その横に併記をして、届け出の整理の際には整理をすべきであろうということを申し上げましたが、原簿に書きかえる際に事務の統一問題がいま出てまいりました。この問題については、一つの私は問題点として、今後の処理について検討を進めさしていただきたいと思っております。
  191. 野田哲

    野田哲君 検討ではないのですよ。ここで聞かなければわれわれ納得できないのです。あなたが戸籍法上のことで拘束しないということは、国民の側から届け出た用紙の横に元号を書かれたって、それで拘束しないということにはならないのですよ。西暦で受理されたとは言えないのです。戸籍法上の取り扱いというのは、あくまでも生年月日を西暦で書いてもらいたい。婚姻の届け出を西暦で書いてもらいたい、戸籍に。こういう意思が届け出なんですから、そのとおりに戸籍簿に書かれなければ拘束しないということにならないじゃないですか。はっきりしてくださいよ、これは大事なことですから。
  192. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 戸籍の届け出について、出生届あたりの届け出につきましては、西暦でお出しになっても受理いたします。その点について行政事務の統一上、どう処理していくかという、原簿にそれを書きかえねばならぬというような事態がいま問題になるわけでございますが、そういう点については、ひとつ今後の私は課題として、どう処理するかというようなことを検討さしていただきたい。いま現行事務取り扱い規則によりますれば、あくまでも元号でいかねばならぬということになっておる。ところが届け出を西暦でした場合に、その届け出が西暦になっておるのを元号に勝手に直すことが適当ではないという御指摘でございますので、その点につきましては、ひとつ将来の問題として、どうこれを処理していくかということについて、国民の協力を仰ぐことができますれば、その協力を仰ぎたいと思いますし、協力をどうしてもしないという方があるとするならば、それについては私はもう少し検討をさしていただいて、答弁をさしていただきたいと思うのでございます。
  193. 野田哲

    野田哲君 私がいま内閣委員会で元号法の審議をやっているんで、そこで、あなたの言う拘束しないということについて、事実はこうじやないですかということで質問した。いままでの見解と違うわけですから、実務の取り扱いが。これは後日検討さしてもらいたいじゃ審議にならないですよ。委員長、これはちょっと休憩さしてください、私も生理的な現象もありますから。
  194. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 長時間は、長時日は要しません。この元号審議の過程の中で、この問題については御回答さしていただきたいと思います。
  195. 野田哲

    野田哲君 私が問題にしていま質問しているのですから、それは後日じゃ、私はこの問題についても触れる機会がないじゃないですか。
  196. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) それでは少時間ひとつお時間をいただきたいと思います。このままで検討さしていただきます。
  197. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 速記をとめて。   〔速記中止〕
  198. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 速記を起こして。  十分間休憩をいたします。    午後三時休憩      ―――――・―――――    午後三時十分開会
  199. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き質疑を続行いたします。
  200. 吉野衛

    説明員(吉野衛君) 先ほどちょっと私の御説明が舌足らずで、あるいは誤解を招いたのではないかというふうに思いますので、もう一度繰り返して御説明させていただきたいと存じます。  たとえば国民が市町村役場に出生届を出すというときには、これは元号を記載しても、あるいは西暦をもって出生届を出しましても、これは市町村の役場としましては出生届をそのまま受理する。ただ、戸籍簿に記載するのは、これは国の事務としてやるわけでございまして、そこで国といたしましては、その国の帳簿である戸籍簿の記載の統一を図るという見地から元号をもって記載をしているわけでございまして、決して国民に対しまして元号の記載を強要しておるということではございません。ちょっと私の説明舌足らずで誤解を招くかと思いますので申し上げておきます。
  201. 野田哲

    野田哲君 国の戸籍簿は国の帳簿であるから、それに記載をする場合には元号で書く、こういうことですけれども、拘束をしない、西暦で届け出をすれば受理をする。この受理という意味は、生年月日なり婚姻の日を西暦で登録をしてもらいたい、こういう意思で、西暦で届け出をしてきたもの、これを受理するということは、帳簿にもそのとおり書く、こういうことでなければ私は国民を拘束しないということにはならないと思うんです。なぜならば、戸籍簿に記載をされたものは、その後就職あるいは入学、婚姻、いろんな形で今度は謄本なり抄本という形で国民がそれをまた使うわけでありますから、戸籍謄本なり戸籍抄本あるいは印鑑証明、こういうものは登録をした形のままが本人が請求すれば出てくるわけでありますから、これは国の方では勝手に元号で書くよと、こういうことだけで私は拘束をしていないということにはならないと思うんです。やはり国民を拘束するものではない、こう言う以上は、届け出たとおりが帳簿に記載をされ、抄本なり証明、謄本、こういうものを請求したときには、やはり本人の意思が尊重された形のものが交付される、こういう状態でなければ私は拘束しないということにはならないと思うし、国民の意思を尊重するということにはならないんじゃないかと思うんです。だから、いまの法務省の見解というのは、総務長官がかねがね言われている国民を拘束するものではない、西暦も元号も自由だ、こういうこととは全く相反している。こういうことではないですか。
  202. 清水汪

    政府委員(清水汪君) ただいま法務省からの答弁につけ加えまして、私の方から補足させていただきたいと思います。  まず第一は、総務長官国民を拘束するものではないというふうにおっしゃっておられますのは、これは基本的な問題として申し上げているわけでございまして、先ほどのお言葉の中でも、一般の国民の相互の間においてはというような表現のもとにそのようにおっしゃっておられたと思いますし、それに加えまして、公務との関係においてというようなことで申し上げておるわけでございまして、この点につきましては、再々申し上げておりますように、公務の斉一的な処理というような観点から、まず第一には、届け出をなさる国民の各位の方に元号の方で必要な年月日を表示してやっていただきたいということを申し上げている。これが協力をお願いしているという立場の問題でございます。  ただ、いま法務省の方で言いましたのは、結局届け出をされたものを国の事務として今度はそれを処理をしていくわけでございまして、その国の事務の立場としては、帳簿の作製、処理、整理等は元号の方で従来からこれは確立された慣行としてやっておりますので、その点を申し上げていると、こういうことでございます。届け出をなさる方と国の立場との、言うなれば協力関係によって事務が運営されるという実態だろうと思いますので、その辺につきまして御説明を申し上げたわけでございます。
  203. 野田哲

    野田哲君 私の質問に対する説明になってないですね。戸籍とかあるいは印鑑登録とかいうの建これは国の事務だけではないですよ。それを本人が今度は、国民がいろんな場面で使うわけですよ、謄本とか抄本とか印鑑証明というのは。そのときに、本人が西暦で生年月日なり婚姻届をした、受理はしたが、戸籍謄本や抄本、印鑑証明をもらってみたら、本人が届け出をしたとは違う年月日が表示をされていたということであれば、これは国民の意思を尊重し、自由を保障しているということにはならないじゃないですか、拘束しているじゃないですか。そこはいままでの政府の見解と大きく食い違っている一番基本的なところじゃないか、こういうことなんです。拘束しないということであれば、この記載例、このもとになっている戸籍法施行規則、これを全部廃止をして様式行為を示さないと、こういう形でなければ拘束しないということにはならぬのじゃないですか、こういうふうに私は、これは重ねて指摘をしているわけなんです。
  204. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 重ねてのお言葉でございますが、年月日を記入し、その他の事項も記入して届け出をしていただくというようなケースであるわけでございますが、年月日の表示というものにつきましての多少御見解の問題もあろうかと思いますけれども、やはり拘束ということとは事柄、がちょっと別ではなかろうかと思うわけでございまして、届け出をしていただく段階におきましても、できれば御協力をいただきたいということでございますが、その段階につきましては、どうしても西暦で表示したいという方々につきましては、これは西暦の表示であってももちろん有効なものとして受理をするわけでございまして、その後国の内部事務といたしまして、原簿の整理をするという段階の問題として元号でやるということになるわけでございますが、今度は、そのような原簿に登載されたものについて、いまおっしゃいましたように、いろいろの場合に証明というような形でそれが必要になるわけでございますが、その点につきましては、国から出すその証明というのは、それは原簿のまさに写しという性格のもので本来なければなりません。したがいまして、それを御利用いただくということになるわけでございまして、その点はやはりそういう御理解のもとに御協力をいただくと、そういうのが戸籍事務を処理する方の立場である、このように考えまして申し上げているわけでございます。
  205. 野田哲

    野田哲君 だから、西暦を使いたい人は西暦を使いなさいと、自由ですということにはなってないじゃないですかと、こういうことを言っているんです。これは総務長官答えてください、明確に。
  206. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 届け出等の窓口事務につきましては、西暦、元号併用で結構でございますということ、自由にその点はひとつ御選択を願って結構でございますということで受理をいたしてまいりたいということでございます。  そうして原簿に写しかえるということにつきましては、国の事務として国がやりますので、それは行政事務の統一的な体制のためにそうした書きかえをいたさなければならぬと、元号に書きかえるという事態になろうと思いまするが、いままでもそうした点でまいっておるわけでございますので、いままでそうした窓口において自由を束縛したり拘束したというような事例もないようでございます。国民の良識によって御理解を願ってきておるところでございまするので、そうした現実のいままでの状態をひとつ続けてまいりたいと思いまするので御協力を願いたい、そういう考え方でおるわけでございます。
  207. 野田哲

    野田哲君 受理をするということは、本人の生年月日、一九八〇何年、こういう生年月日にしたいんだと、あるいはそういう婚姻の日付にしたいんだと、こういう意思を尊重して帳簿に登録をするのが受理をしたという意味でしょう。本人が書いた紙を、その場は結構ですということで、書き込むときは別のことを書き込むというのは、これは受理をしたということにならないんですよ。だから、いま協力してもらいたいということですが、どうしても協力できないとあくまでも西暦でやってもらいたい、こういう強い主張をされたときにはどうするんですか。
  208. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 再々申し上げて恐縮に存じますが、この書きかえるというお言葉であったわけでございますが、確かに形の上と申しますか、表現自体で言えば書きかえのような現象であるわけでございますけれども、これはもちろん中身を書きかえているわけではございません。したがいまして、特定の年月日の表示の方法として公務の方では元号による表示で一貫して斉一的な事務をやっていきたい、こういう意味で年月日というものも受けとめているわけでございますので、ぜひその辺につきまして御理解を賜りたいと思います。
  209. 野田哲

    野田哲君 これは理解するとかしないとかの問題ではないんです。制度として国民を拘束するかしないかという問題なんです。国の行政行為として国民を拘束するかしないかという問題なんです。現にこれだけ元号法の審議で議論が沸騰しているわけでしょう。戸籍簿が門外不出でだれの目にもとまらないものであればいいですよ。しかし、これは日常生活の中で往々にして、今度は謄本とか抄本とかいう形でいろんな手続、必要不可欠なものでしょう、国民にとっては。それが、本人が西暦で届け出たと、受理してくれたと、謄本をとってみたら、本人が届け出、受理されたものとは変わっていたと。これは本人に対しても非常な拘束でもあるし、侵害じゃないですか。それで、いま清水審議室長やあるいは法務省、日付は一九七九年の五月二十二日であっても昭和五十四年五月二十二日であっても同じことじゃないかと、こういう意味のことを言われたと思うんですけれども、それはこれだけ元号問題で国民に大きな議論が起こっているということは――昭和で書かれることと西暦で書かれること、これは本人にとっては大変重要なことですよ。あくまでも西暦で登録を主張された人にとっては大変なことですよ。だから、西暦であろうと元号であろうと選択は自由だと、こういう趣旨がこれは撤回されるのならそういうつもりで私は審議をします。いままで政府は西暦も元号も自由にお使いくださいと、こういうことであったから具体的な事例を出して、国民の基本的な権利義務にかかわる問題について、戸籍簿の登録様式について質問した。そうすると、これはあくまでも元号でいくんだ、こういうことならば、長官国民を拘束するものではないと、西暦でも元号でもどっちでも自由に使えますよと、これを撤回されますか。
  210. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) なかなかむずかしい御質問でございますが、今日までのやってまいりました事実をそのまま踏襲していきたいということでございます。その中で窓口で何月何日に誕生いたしましたという出生届につきましては、どうしてもやはり西暦で届け出を出したいと言われる方については御協力を元号で賜りたいと申しますけれども、いや、おれはあくまでもと言われるならばそれはそのまま受理いたします。次に、国の事務として原簿に整理をする場合には元号に直してまいります。そうしてこれから先謄本、抄本等を必要とされて要請がおありの場合は、その原簿のまま写しを差し上げるわけでございますので、その点でいま御指摘のように私どもが届け出したものと違うではないかと、要するに元号等が出てまいりまするので違うではないかという点について割り切れないものがあるぞということでございますが、しかし今日までその点については御理解、御協力を願ってまいっておりまするので、私は国民の良識なりによってお訴えをして協力を願うということで進めさせていただきたいという考え方でおるわけでございまして、その点私はいままでそういうところで問題を起こした、実際上の事務的にそこでトラブルがあったということも承知をいたしておりませんので、御協力を願えるものではないかと、そう実は考えておるところでございます。
  211. 野田哲

    野田哲君 総務長官、法律とか行政行為というものが、しかも国民の生年月日とか婚姻とかそういう日付の書き方を拘束する問題を協力をお願いするんだということだけで私はこれは済まされる問題ではないと思うんですよ。だから、何回でも私は言いますよ。いままでどおりでやるんならば拘束しないという言葉は撤回してください。拘束しないということを言われるんであれば、法務省の施行規則を全部改正をし、この記載例を改めて両方が使えるようにされるか、そのどっちかですよ。
  212. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 先ほど来の御論議を聞いておりまして、多少私なりに整理をしてみたいと思います。それは国民を拘束しないというのは、国民がつくる文書の書き方について元号を用いようと西暦を用いようとそれは併用でございますと、ただ窓口事務として一応の御協力はお願いしますが、どうしても西暦を書きたいという人がおればそれは西暦でお書きになってもそれは受理いたします。その場合の受理というのは特定の日付、特定の年月日に婚姻したとか子供が生まれたとか、それが受理の中身なんですね。それで後は国が国の事務として公簿をつくるわけですから、それは国民を拘束する、しないとは問題が違うわけなんですよ。  そこで、その次に移りますが、野田委員はそれじゃその後に戸籍簿の謄抄本の交付申請とかあるいは戸籍の記載事項の証明とかそういう申請があった場合にどうするんだということなんですが、これは公文書の謄抄本は、これは公文書がそうなっておればこれはそのとおりでなければ困るわけなんですね、謄抄本じゃないんです、違ったことを書いたんでは。  そのことをもう少し御理解願うために一つ例を出しますと、これは裁判所の話になりますから多少行政庁とは違うんじゃないかという御議論があるかもしれませんが、原告は訴状には元号を書くと、ところが被告は答弁書なり準備書面には、おれはもう西暦でなきゃいやだと、それは裁判所は両方受け付けますよ、どうしても西暦でなきゃいやだという被告がおれば。しかし、判決を書くときに元号と西暦とをごちゃごちゃに書いたんじゃ、これは判決を読む人はかえって混乱するかもわからぬですね。それで、それを原告と被告に、判決書ですからこれは判決の正本を送達しなきゃいけません。そのときに一体どうしたらいいんですか。それは、やはり公文書としては、裁判所は公文書をつくるときには恐らく元号を用いるでしょう。そうすれば、被告の方へも元号で表示された判決の正本が送達されるわけで、これはいたし方ないですね。  それは、裁判所の話をいたしましたが、行政庁の中でも、それは公正取引委員会とか、あるいは公害不服処理とか、そういう両当事者が出てくる場合があり得るわけなんで、そのときに、こちらの人とこちらの人が、おれは西暦だ、おれは元号だと言われたときには役所としては本当に困っちゃうんですね。ですから、公文書はこれは元号で書いてもらう。そしてそれの謄本を送達する。そういうことにならないと、これは原告の方へ行く謄本と被告の方へ行く謄本というのは違うというようなことになって、これは行政事務なり裁判所の事務としては、はなはだ混乱を来すというわけでございますので、その拘束しないというのは国民がつくる文書の表現の仕方は拘束しませんと、しかし、役所の内部でつくる公文書はこれは事務の効率的、能率的処理のために統一する、こういうことに相なるんだろうと思います。
  213. 野田哲

    野田哲君 それはたとえが違いますよ、法制局長官。戸籍簿というのは国民の基本的な事項を戸籍法に基づいて登録するわけですよ。そしてそれは役所の帳簿だと言われても、国の事務だと言われても、門外不出じゃないんですよ。自由に請求すれば出てくるわけです。本人が使うわけですよ、また何回も、一生涯の間に。その個人の登録が個人の申請と違う形で登録をされるということ、これは裁判所の判決とか役所がつくる許可書の日付がどうだとか、そういう問題じゃないですよ。個人のこれは思想性の問題であり、個人の信条の問題なんですよ。それを勝手に書きかえるということ、届け出の書類だけは受理します、しかし書く方は勝手に書きかえますよと、これはいまの長官のたとえとは基本的に違いますよ。個人が西暦として出生なり婚姻を届け出をして、それを戸籍簿にそのとおり登録してくれるというのが届け出を受理するというこどじゃないんですか。
  214. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 受理ということの法律的な意味合いは先ほど申したとおりでございます。先ほどは裁判所の判決の例を持ち出しましたが、これも、これは国民のやはり基本的な事項でございまして、何月何日に幾ら幾らお金を貸した、その貸した方の当事者が西暦で書いてきたと。しかし判決見たらそれは元号で書いてある。しかもこれは、やはり強制執行するときには、判決の正本をとってそれを執行役場へ持っていって執行してもらわなければいけないものでございますから、自分が提起した訴状は西暦であったのに、もらった判決は元号であったということとぼくはそんなに質が違うとは思わないんですが、どこがそんなに本質的に違うのか非常に理解に苦しむわけでございます。
  215. 野田哲

    野田哲君 判決とか許可書というのは役所が法律に基づいてつくるものです。戸籍上の登録というのは本人の申請に基づいて記載するものでしょう。だから、西暦であろうと元号であろうと自由ですよということで、受理をするという以上は、それはそのまま記載されなければ自由ということにならぬじゃないですかということ、これは何回でも言いますよ。あなた、総務長官、撤回されるんなら撤回されるつもりでわれわれも審議しますよ。拘束をしますよと、戸籍法の扱いは絶対に元号でなけりやもう書きませんよと、こういうことで撤回されるんならいいですよ。いままでのあなた方のうたい文句が、西暦も元号もちっともいままでと変わりません、自由ですよ、こういううたい文句で、ここの場でも西暦で届け出をされればそのとおりに扱いますと、こういうふうに答弁してきておるが、事実は違うじゃないですかと、こういう例を挙げたところでいまの議論になっているわけですから、そういう裁判所の判決とか許可書の発行とか、そんな問題と意味が違いますよ。そんな詭弁で問題をそらさないでくださいよ。国民の一番基本的な戸籍簿の登載上の問題について拘束があるのかないのか、このことを聞いているんですよ。
  216. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 先ほどから何回も繰り返すようでございますが、お届けになる届け出の事務につきましては、自由にひとつ西暦をお使いになろうと元号をお使いになろうと受理をいたしますということは申し上げました。ただ、原簿に今度はそれを記載し直す場合は、国家事務の統一上元号で記載をさしてもらいます、整理をさしてもらいます、そこまでは何らあれはないと思いますけれども、ただ、そうした国家事務で、今度は抄本なり謄本の写しをよこせという御要請があった場合に、その要請の事務は西暦でおやりになりましても元号でおやりになっても結構でございますが、国が原本をそのまま写して抄本なり謄本を出した場合には元号で処理をしたものをお出しをいたしますというところにどうしても納得できない、それが国民を拘束することになりはしないかという御指摘でございますが、私どもは、この点につきましては、いままでもトラブルもなく御理解を願ってまいっておりまするし、たとえば名前を変えて出すとかいうことでなくて、何月何日というそうした日付が、いま申し上げましたように西暦か元号かというところになっているわけでございまして、本質的なものはない。しかしそれをさっき野田議員が申されますように思想的にどうしても受けとめられないという御指摘でございますので、非常にこれはむずかしい、割れ切れない問題があるなということを私もいま受けとめておるわけでございまするが、その点は今日まで国民の方々に御協力を願ってまいりましたので、実際のそうした事実を踏まえて法制化に踏み切っておるわれわれといたしましては、それで国民の方々の御理解と御協力を賜ることができるというような受けとめ方をいたしておりまするので、ぜひひとつ御理解を願い御協力を賜りたいと思うのでございます。
  217. 野田哲

    野田哲君 いや、これはここで私が理解をしたり協力をするという問題ではないんですよ。国民を拘束するかしないか、この一言に尽きているわけですよ。だから長官、はっきり聞きますけれども、戸籍上の取り扱いについては拘束をすると、こういうことなんですね。
  218. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 国の窓口における取り扱いなりにつきましては拘束ということは全くいたしません。ただ、国家事務の原簿の写しを抄本なり謄本としてお出しする場合は元号でございますので、その点は御理解願いたいという点でございますので、それを私は拘束だとは理解をしませんけれども、それを拘束と受けとめられるというならば、私は何とかその点については御理解を賜りたい、御協力を賜りたいと申し上げる次第でございます。
  219. 野田哲

    野田哲君 だからこれは、将来に制度として残そうというわけですから、私がここで理解するとか協力するとかいう意味じゃないんですよ。戸籍簿の、あなたの方では届け出の受理という、要するに国民の方が記載をした紙は受け取りますよと、書くのは別のことを書きますよと、こういうことなんだから、戸籍簿の記載上の取り扱い、そしてそれに基づいての謄抄本の発行についてはこれは拘束をする、こういうことですね。
  220. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 私は、拘束という言葉に非常にこだわるわけでございますけれども、そうしたものではございません。確かにお出しいただきました手続書類について西暦でお出しになったものはそのまま受理をいたしますが、原簿の写しを差し上げる場合は元号でこの原簿の写しは差し上げますということを御理解を願いたい、協力願いたいということを言っているわけでございまして、それは拘束するとかいう意味ではございません、国家事務の統一的な要請に基づきます事務処理の方法としてそういう処置をさしていただきたいということでございますので、その国家事務として処置をいたしましたそのままのものを差し上げることは御理解、お許しを願いたいということを国民にお願いをするつもりでございます。
  221. 野田哲

    野田哲君 だから、戸籍上の扱いについては西暦は拒否をする、これははっきりしてください。記載については西暦は拒否をする、こういうことですね。協力とかなんとか、そんなことはいいんです。西暦で書くのか拒否をするか、どっちかです。
  222. 清水汪

    政府委員(清水汪君) どうも言葉のニュアンスの違いがあるように思いますけれども、公的機関の側におきましては、従来からの慣例、それが確立されておる事務処理の方法でございますので、その方法によって行うということでございます。事柄自体は、先ほど法制局長官もおっしゃいましたように、内容としてはもちろん当然に受理をされておるわけでございまして、ただ原簿の事務処理における表示の方が、役所の方はそういうふうに統一している、こういう現象でございますので、拒否という言葉には、私どもとしてはちょっとそれとは違うんじゃないかということに、こだわるようでございますけれども、申し上げさしていただきたいと思います。
  223. 野田哲

    野田哲君 拒否と言えば露骨過ぎるかもわかりませんが、要するに戸籍上の扱いについては西暦で届け出をされても西暦では書きません、元号しか書きません、こういうことですね。
  224. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 西暦でお届けがあったものはまずそれで有効に受理をされます。された上におきまして原簿の処理といたしましては元号で処理をするということでございます。
  225. 野田哲

    野田哲君 ですから総務長官国民には何ら拘束力を持たない、西暦を使うのも元号を使うのも自由だと、こういう政府の提案のうたい文句、これはそうではないと、こういうことですね。はっきりしてください。
  226. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 国家事務を担当する公務員といたしましては、私ども行政事務の統一上そうした元号で処理をさしていただきたい、いたしますよということを申し上げておるわけでございます。決して拒否をしたりするというような気持ちは毛頭ございませんから、そういうような御理解を願いたいと思うのでございます。
  227. 野田哲

    野田哲君 だから、西暦であろうと元号であろうとその使用は国民には自由であると、少なくともいまはっきりしたことは、戸籍の登録上のことについては自由ではないと、こういうことですね。いろんな注釈はいいんです、そのとおりかどうか、これだけです。
  228. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 自由か拘束かというようなことでなくて、国家事務といたしましては事務取り扱い規則に準じて処理をさしていただきたいということでございます。
  229. 野田哲

    野田哲君 だから、その戸籍上の国家事務の取り扱いというのは元号以外には処理をしない、こういうことでしょう、端的に言ってください。
  230. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 法制化国会においてお決め願いました上は、いま申されましたように、届け出後の原簿の処理等については元号で処理をさしていただきますということでございます。
  231. 野田哲

    野田哲君 だから国民には、一番基本的な国民の戸籍上の取り扱いについてはいままでごまかしてきたわけですよ。  そこで、その点がはっきりしましたから、そういう立場に立って次に進めてまいりたいと思います。  政府は、この元号法について国民の八〇%が存続に賛成だと、こういう説明をいままでされてきているわけですが、総理府のこの調査三回やられているようですが、法制化ということについての設問は一回もなかったですね、その点どうですか。
  232. 清水汪

    政府委員(清水汪君) お尋ねのとおりでございます。
  233. 野田哲

    野田哲君 この総理府がやられた設問でいきますと、問いの一に、「あなたは、ふだん、手紙を書いたり、人と話をしたりする時、主に、昭和とか大正というような年号を使っていますか、それとも西暦を使っていますか。」、こういう設問があるわけです。これはいままで法的根拠がなくっても、いま長い間押し問答したように役所では本人の出生とか婚姻に実質的には受理していないわけですから、不動文字が使ってあって昭和か大正を使わざるを得ないようになっている、そういう行政的な扱いの中で昭和をずっと使ってきているわけですから、これに八四%というような数字が出るのはもうあたりまえなんです。  それから、あった方がよいか、こういうことになってくるとずっとこれが下がってきているわけですね、五七%ぐらいに下がってきているわけです。そして法制化ということについての設問は三回やられた中で一回もないわけです。その後の報道機関の調査、この中では法制化についての設問があるわけでありますけれども法制化するほどのことはない、こういう意向が非常に高い数字で示されているわけです。そういうふうに政府の方の設問は、これはあった方がよいかどうか、使っているかどうか、こういう形であって、法制化ということについては一回の設問もない。で、報道機関はその点に触れていくと、法制化するほどのことはない、こういう非常に高い比率が示されているわけですが、この点の大きなぶれというものを一体どういうふうに認識をされておりますか。
  234. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 各種の調査結果はただいま先生のお挙げになったとおりでございますが、報道機関の調査結果につきましては、私どもとしてはこのように受けとめているわけでございます。整理をして申し上げますと、報道機関の調査の場合におきましても、存続の希望についてはその意思を確かめているということがまずあるわけでございまして、その場合につきましては、元号は将来ともあった方がよいと、あるいはどちらかといえばあった方がよいというたぐいの、いわゆる存続賛成派がやはり八割程度を占めているということがあるわけでございます。それに引き続きまして設問といたしまして、ではその場合のやり方ということでございますが、法制化に賛成か、あるいは法制化するほどのことはないか、それから法制化に反対か、その他と、こういうような大体四分類になっております。さらに本年に入りましてからの場合には、その第二番目の問い、法制化するほどのことはないというところが少し変わりまして、元号はあった方がよいけれども、その方法としては政令でよいのではないかとか、あるいは慣習的にやっていけばよいのではないかとか、内閣告示でもよいのではないかというような種類の分かれた回答が寄せられているわけでございます。  そこで、私どもとしてはこれをどういうふうに受けとめるかということでございますが、いずれの調査におきましても、存続はした方がよいがということがやはりそこにあらわれておるということが一つ確認できるわけでございますし、それからその方法としてお答えになった方々がどういうふうに考えられたかということでございますが、具体的に三つに分けられたようなケースで申しますと、存続はした方がいいのだけれども、政令でやったらいいじゃないかという点につきましては、これは現在のわが国の法制のもとにおきまして法律に根拠がないままに直接ある政令をつくって物事をやっていくというやり方は、これはできないわけでございます。  それからもう一つ、慣習でやっていけばいいじゃないかという点につきましては、これは前提として当然のことでございますが、昭和の次の元号のあり方についての設問でございますから当然そこの問題でございますが、そうなりますと、慣習でやっていけばよいではないかというふうにお考えになっていらっしゃる方々がそこにいることは示されているわけですけれども、それは存続は希望しつつも、実は慣習ということの中には昭和の次の元号を生み出すルール、定めがないわけでございます。したがいまして、存続はした方がよいけれどもという願望は持ちつつも、結果として現実問題としてはその願望が果たされない結果になるということを申し上げるわけでございまして、その意味におきまして、慣習でやっていけばよいのではないかというわけにもまいらないということでございます。  で、したがいまして、そこの調査の方式の中で申し上げれば、内閣告示でもよいのではないかというお答え、これは一考に値するわけでございますが、この点につきましては、方法としてそれが不可能だということは政府としては申し上げてはおりません。おりませんけれども、その点につきましては、従前から内部的には種々検討を重ねて・きました結果、やはり元号のような広く使われるというその性格、そういうものを明確なものにしていくというような観点、それからそういうもののルールを決める決め方の問題、そのような両面から検討いたしました結果、これは国民代表する国会において議決する法律によって政府に御委任をいただく、具体的な名称の選定について御委任をいただくということが最も手続としても妥当であるし、内容的にも明確になって、その方がベターである、こういうふうに考えるわけでございます。そういうことの結果として私どもとしてはこのアンケートに示された、実質的に存続してほしいという願望を受けとめつつ、それにこたえる方法として、これは総務長官の言葉をかりれば、政府の責任においてこのような法案を準備さしていただいたと、このように考えておるわけでございます。
  235. 野田哲

    野田哲君 総理府の設問では法制化ということについての意向は全然聞いたことがない、そして読売新聞などで調査をやったのでは、法制化するほどのことはない、これが六五%、こういう数字が示されているわけですね。そして国会の論議の中では一時期内閣告示、こういう方法もあるということを公式に述べられたこともある。そういうような経過からすれば、存続が多数だからイコールすぐ法制化、これは少し短絡過ぎるのではないですか。報道機関等の調査の中で、存続はあっても法制化するほどのことはない、これがいま多数を占めている。このことはやはり率直にくみ取っていくべきことではないんですか。これは審議室長ではなくて、やはり総務長官見解を伺いたいと思います。
  236. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) お答えをいたしますが、法制化に踏み切りますまでの経過等につきましては、清水審議室長がるるお答えを申し上げたところでございます。いま野田委員の御指摘の世論調査の結果等から見れば、この際法制化についてもう一遍考え直すべきではないかというような御指摘でございます。この点につきましては、私ども存続を多くの国民の方が希望をされておる。その方法に、先ほど来申し上げましたように、内閣告示でもという、一時そういうようなことを政府・与党内で御意見のあったことも承知をいたしておりまするが、そうしたことでこの国民生活にもろに影響してくるこの元号の問題について、これは内閣で政府がやるということよりも、国民代表でございます国会に御相談をして、国会でその手続だけでもいい御決定を願うことが最も民主的なことではないかというようなことに私どもは最終的には結論を出したわけでございます。  なお、県、市町村におきましても、そういう点について相当大部分の方々が法制化に踏み切った方がよろしいぞという意見具申等もございました。そういうようなことを彼此勘案をいたしまして、なるほど世論調査という線からいっても、NHKを除きましてはほとんどの方が法制化について問題の指摘をしておられることもよく承知いたしておりまするけれども、政府でやるとするならば、このルール決定は国会でおやりいただいた方が民主的ではなかろうかというようなことで最終的には踏み切ってまいった次第でございます。
  237. 野田哲

    野田哲君 数で決めることだけで民主的かどうか、問題、事柄によるわけなんです。政府の方では、この総理府がやった調査、それからもう一つは、都道府県会決議、こういうことをもう一つ大きな口実にされているわけですが、これは四十六都道府県議会で決められているという説明をよく聞くんですが、本当に四十六ですか。私が都道府県議長会で資料をもらったのでは四十六にはなっていないんですが、どうなんですか。
  238. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 都道府県議会の決議としまして、地方自治法の規定に基づきまして政府に対して法制化促進の要望をして手元に届いておりますのは、現在までのところたしか三十六程度だったと思います。ただ、私どもが別途いろいろ情報として承知いたしておりますのは、四十七のうち四十六に及んでいる、その決議をなされたのが四十六という数に及んでいるということは聞いておりますけれども、私どもの手元に現在までに到達しておりますものは三十六件だったと思います。
  239. 野田哲

    野田哲君 あなたの方では、都合のいいときには、三十六でも情報があれば四十六になる。都合の悪いことについては、公式な文書を受け取っていないから知らぬと、こう言うんです、いつの場合でも。だから、四十六というのはあなた方の方に、手元に確認をされている数字ではないですね。どうですか。
  240. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 正式の文書の形で到達しておるというものとしては四十六まではいっておりません、ということを申し上げております。
  241. 野田哲

    野田哲君 都道府県議会の決議というのは、これは総務長官も福岡で副議長までおやりになったというふうに聞いておりますが、通常の場合はこれは各会派が一致をして合意をしたことが決議、こういうことになっているわけです。今回の場合はそうなっていない。  私は、いままで決議されたところの文書を全部取り寄せましたが、実に不思議なことがありますよ。約四十の都道府県議会決議の文章が、よくもこれほど同じような議決が偶然にできるものだというような、同じ文章になっていますね。だから、これは県民の方から盛り上がってされた決議ではなくて、どこかから配給されてやられた決議だということが文章を見ればはっきりしているんですよ。みんな同じ内容ですが。  で、あなたの方で把握されている決議、これは全部多数決でしょう、いままでの慣行を破って。その点どうですか。
  242. 清水汪

    政府委員(清水汪君) その点につきましては、私ども立場といたしましては、正式の公文書として地方自治法に基づいて政府に対して要望をする、要望を決議するという文面で参っておりますので、そのままそれを承知しているという立場でございます。先生がいまおっしゃいました議会の内部におきまする問題につきましては、私ども立場としてそこまで立ち入ることはむしろいかがかと存ずるわけでございます。
  243. 野田哲

    野田哲君 あなたの方では先ほど来、民主的に民主的にと言われているけれども、都合の悪いことについては、そこまでは立ち入って聞いていないと、こういうことですが、全部これはいままでの、それまでの慣行を破って一もともと政府に対する建議というのは自治法の九十九条二項に基づく意見書の提出、これは慣例としては、県議会を構成する各会派の合意によって満場一致でやられているというのが例なんですが、これは全部多数決です。  そしてもう一つは、文章がほとんど画一的だということと、それから五十二年の十二月議会と五十三年の二月議会、ここにほとんど集中をしている。偶然こうなるはずはないんで、だから、これは県民の意向というよりも、先ほども言ったようにどこかから配給されて、おろされてきたものだと、こういうことが非常に明瞭にうかがえるわけなんです。こういうようなつくられた決議、これをそのままうのみにして国民の合意を得ている、こういう認識、これは私は総務長官、担当大臣としては少し軽率過ぎやしませんか。いかがですか。
  244. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) お答えをいたしますが、先ほど清水審議室長が都道府県議会における決議について御答弁を申し上げましたように、その決議をするに至りましては願わくは全会一致であることが最も望ましいことでございますけれども、私は恐らくは各会派によって協議がなされ、私の承知をいたしておるところでも、まあ全会一致がほしいだろうからわれわれは退席するぞ、というような県議会もあったようでございますが、いろいろそういう点でやはり私は慎重に御審議をなされ、最終的にああした決議がなされたものと思うのでございまして、決して他の方面からの云々とかいうような、内容的に私がいまここでその批判を申し上げることは慎みたいと思いますが、私はやはり正規の地方議会の決議であるという、謙虚にそういうことで受けとめてまいらねばならぬと思っておるわけでございます。しかし、いろんな御指摘のあった点につきましても、私は全く理解ができないということはここでは申し上げません。
  245. 野田哲

    野田哲君 文部省の方が見えておりますから、教科書の問題について触れて伺いたいと思います。  現在の教科書、特に社会科、歴史、この記述については西暦が主体になって、そして元号を括弧書き、日本の歴史に関することについてそういう方式がとられていると思うんですが、その点いかがですか。
  246. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 教科書全般についてちょっと申し上げますと、大体検定の基準で各教科の教科書ごとに基準を決めておりますが、特に年号の問題に触れておるのは歴史の問題で、歴史の教科書については、重要な出来事については西暦と年号を併記するように、それから国語の書写、つまり書道、ああいうもので昔の人の筆跡を鑑賞一作品として載せるというような場合には、普通年号で書いてありますから、そこに西暦で併記をして、いつのころかというのがわかるようにしなさいと、それだけでございまして、あとはその教科書を書く方の判断に任せておるわけでございますが、そのほかで特に年号の問題として事実上記載されますのは一般社会の教科書でございますが、この場合は、その現代の郷土史あるいは郷土の地理等の勉強に際しましては通常用いられておる年号で昭和何年ごろというような記載の場合が相当ある、こういうようなことがございます。
  247. 野田哲

    野田哲君 戦前の教科書ですね、ここにありますが、これはずいぶん皇紀を使われておりますが、これはどういう理由によるものなんですか。
  248. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 戦前の教科書の年号の記載については、確かに皇紀二千何ぼとかいうようなのがありましたけれども、これは御承知のように戦前は全部国定教科書でございますから、小学校は。当時の国の教科書を書かれた人々が皇紀を使おうという方針のもとに出したのだと思います。特に詳しいことは存じません。
  249. 野田哲

    野田哲君 元号法が制定をされた場合に、教科書の検定の扱いあるいは教育上の影響というものはどんな点がありますか。
  250. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 結論から申し上げますと、教科書における元号の記載の仕方については従来と特に変わったことは考えておりません。ただ、それじゃ全部著者の書いたとおり認めるかということでございますが、それはいままでもやっておるわけですが、教科書は子供の教材でございますから、そこにどういう年号の表示の仕方をするかということについてはやはり教育的な配慮が必要でございます。  そこで、たとえばこの教科書の本文の中に、私の住んでいる市は昭和三十年ごろ付近の町村が合併して市になりましたと、そのときの人口は幾らですと、こういうような記述があって、別なページにその市の人口はその後こういうふうに移り変わりましたという棒グラフがあるとする。そうすると、本文の記載が昭和三十年になっておって、グラフの方が一九五五年となっておれば、それはやはりその本文とグラフの年号の記載を、表記を統一する方が教科書としては適当だということで、そこのところへ昭和三十五年、一九六〇年というふうに書きなさいよと、こういうことはいたしますが、したがって、それはあくまでも教科書の教材としての見地から、必要に応じて適切なアドバイスをするという形で今後ともやってまいろうということで、決してやみくもに法制化したから元号にしろというようなことはいたしません。
  251. 野田哲

    野田哲君 教科書の検定委員の中にずいぶん元号法推進の論評を発表されている人がいますね。これは検定委員としてはいまの時期、少し私はいかがなものかと、こういうふうに思うんですがどうですか。
  252. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 私、具体的に検定委員――検定委員というのは各教科に分かれて全部で百名以上おりまして、社会科だけで十数人おるかと思うのですが、具体的にどなたがどういう発言をされたかというのは承知いたしておりませんので何とも申し上げられませんけれども、一般的に言えばその検定された方は学問研究者でありますから、学問的な見地から物を言うことはあろうかと思いますが、一般的には余り政治的な問題に立ち入った発言はなさらないようにしておると思いますし、またそうではないかというふうに思っております、
  253. 野田哲

    野田哲君 いま局長は、元号法が制定をされても教科書の扱いとか教育上の扱いは変わらない、こういうふうにお答えになったわけですが、これはやはり私は一つの懸念を持つわけです。これはやはりその方向に教育内容がだんだん傾斜していくだろう、こういうふうに思うんです。  そこで、青少年の教育上の問題と、それから国際社会の関係ですけれども、私はやはりいままでの戦後の教育は、歴史の記述などについて西暦を主体にすることによって日常西暦を使うことにかなり青少年が習熟をしている、なれてきている。そのことはやはり国際社会においては非常に役立っていると思うんです。これがまた逆の方向に教育が向いていく、こういうことになると、せっかくそのような形で国際社会でのいい傾向を身につけた人たちが、これからの青少年、また元号法の制定によってもし教育内容にそれが取り入れられて元号優先、こういうことになっていくとすれば、やはり国際的な活動の場においては逆のコースに向いていく、こういう懸念を持つわけなんですが、その点いかがですか。
  254. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 従来、法制化というような問題がないときのことを考えてみましても、子供が元号をどういうふうに使い考えるかというのは、私は、学校教育以前に、子供のうちから家庭において、社会において元号になじんでおるというような実態があって、それが先ほど来お話がありました総理府の世論調査でも普通元号を使うという場合が圧倒的に多いという、こういう社会的背景がありますから、それをその背景に持って教科書を書く方も必要に応じては元号を使うということがあるわけでございますから、それはそういうふうな社会の使用状況が続けばやはり教科書も同じような考え方でいくでありましょうし、一方、また先生御指摘のように、今日青少年の世界的な交流といいますか、そういうことも盛んでございますから、ある面では西暦を大いに使って、そして世界的な比較をする場合はそういうことで考えていく。これはいろんな子供の統計なんかでもそういうことをやっておりますから、私はそれは両方あっていいんだと思うんで、そういう意味で時代とともに多少の移り変わりはあるかもしれませんけれども、元号が法制化されても特にそう変わることはない、こういうふうに思っております。
  255. 野田哲

    野田哲君 また教育上の問題は同僚委員からあと質問があると思いますから、初中局長もう結構です。ありがとうございました。  総務長官に伺いますが、先日の原委員の質問で私ちょっと重ねて聞いておきたいことがあるわけですが、この法律案では「皇位の継承があった場合に限り改める。」、こうなっているんですね。原委員の改元の時期はいつなのか、こういう質問で、「皇位の継承があった場合」、これについていろんなことを判断をしてとか、あるいは事情の許す限り速やかに、こういうことで、そこのところがどうもあいまいになっているわけですね。皇位の継承というのはもう即ですね。ところが、改元についてはいろんなことを判断する、事情の許す限り速やかに、こういうふうなことを言われているわけですが、このいろんなことを判断するというのは、どういうことを判断して時期を定められるわけですか。
  256. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) お答えをいたしますが、法案に示されておりますように、皇位の継承があった場合に改元をするということが出ておりますけれども、それはできるだけ速やかにという受けとめ方をいたしておるわけでございます。しかし、改元の皇位継承の時期の問題あるいは国民の感情あるいは国民生活に及ぼす影響あるいは特に経済的に非常な負担をかけるとかいうようなことのないように、そういうような情勢を判断をして、改元の時期を決めたいということを申し上げたのでございます。
  257. 野田哲

    野田哲君 いま言われたことの意味がまだもうちょっとのみ込めないから聞いているんです。その感情とか国民の生活とか、端的に聞きますが、そうするとあれですか、国民感情というのは、要するに古い暦で言えば、大吉とか吉とかいうふうなところをとるとか、あるいは友引の日は避けるとか、そんなことを考えておられるんですか。あるいは大みそかであったとか、あるいは三月三十一日と四月一日の年度がわりが迫っているとか、そういう年の暮れとか、年度の終わり、初め、そんなことを考えておられるんですか。
  258. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) いろいろな私は事情があると思いますけれども、たとえば全く年の暮れが迫っておるとかいうような時期、特にそのときは国民生活の問題があるわけでございますし、それからまた、国民の生活問題ばかりでなく、経済的な行為等を考えましても、私ども、印刷をいつごろ出されるとか、あるいは暦がどうなるとかいうようなこともやはりあわせてできるだけ考えねばならぬ。また議会の審議の中でいろいろな御意見もあるわけでございますので、法の趣旨から言えば、皇位の継承があった時点からできるだけ早くしたいということはございますけれども、いま申し上げましたような諸般の事情等、また国会における御意見等拝聴しながら、慎重に改元の時期は決めなければならぬなと、そういういま考え方でおるわけでございます。
  259. 野田哲

    野田哲君 政府の判断でそこのところが非常に浮動性があるということが、逆にこの法律が制定されたときには、及ぼす影響大きいんじゃないですか。たとえばことしの予算委員会で、私、総務長官に見せましたね、大正から昭和になったときに、雑誌の新年号が、大正十六年一月号、こういうふうになって、その雑誌には、年賀広告が、みんな祝元旦、大正十六年、こういう年賀広告が入っていたりした例が当時でもあったわけですがね。この法律が制定されたとしたら、国民一般はやはり天皇が亡くなられた即改元、こういうことを想定をすると思うんです。ところが、政府の判断によって、それがいつになるかわからない、こういうことでは、そのことの方がかえって混乱のもとになるんじゃないんですか、どうなんですか。
  260. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 御指摘のような混乱のようなことが、仮にも起こるようなことは、これは避けなければならないと思います。私どもの方として現在申し上げておりますのは、法の趣旨として理解するところは、事情の許す限り速やかにということをまず申し上げておるわけでございまして、そのことのおおむねの一般国民の御理解としては、一つは、大正になり昭和になったときの先例があるわけでございますので、そのような面を考えるということがごく自然だろうと思いますけれども、しかしながら、先ほど総務長官が申し上げておりますことは、そういうことだけでなくてということを申し上げているわけでございまして、いまのようなことはあるいは先ほどの国民感情というような面にむしろつながる問題だろうと思いますけれども、そういうことだけでなくて、生活あるいは諸般の社会経済活動、そういうものにやはりいろいろな影響を与えますから、その辺を十分慎重に総合判断したいということでございますが、しかしただいまのように、仮にそれじゃそこに多少の時間があいた場合には、かえって混乱を起こすのではないかというような意味の御指摘であったと思うんでございますけれども、そのようなことはやはり混乱させてはいけないと思いますので、それはその際におきまして、政府がこういうふうにやるんだということが必要であれば、説明をすることがこれは当然の配慮だろうと思います。そのような事態というものは、いまからは予見し得ないわけでございますけれども、いずれにしても、そこには配慮としていろいろなされなければならないことが種々出てくるだろうと思いますけれども、そのようなことの一つとしては、いま先生の御指摘のありましたようなことも十分心得ていかなければならないことの一つになろうと、このように考えているわけでございます。
  261. 野田哲

    野田哲君 改元のときに、社会的に経済的にいろんな影響が及ぶというのは、これはやはり元号制度の持っている私は避けられない宿命だろうと思うのです。一貫した年数で年月日が呼ばれておれば、そういう混乱は起こらないわけですが。社会的、経済的な影響の問題については後で伺いますけれども、元号制度というものが制度化されていくと、極端な例をとれば、これは人間の命の問題ですからどういうことが起きるかわからないわけですが極端な例をとれば、一年に二回皇位の継承が行われる、その場合には一年の間が三つの元号に分かれる、こういう場合も当然想定をされるわけですね。この場合には、大変な私は社会的、経済的な混乱が起こってくる。どのぐらいの混乱が起きるかちょっと予想もできないぐらいの変動が起きるんじゃないかと思うんです。そういう場合も一応あり得るということですね。やむを得ないということですね。
  262. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) まあこういう席で、私どもがそうしたことについて率直にお答えすることはいろいろ影響するところも多かろうと思いますけれども、私どももやはり過去の元号の歴史等とも反省をいたしておるわけでございまして、そういうような場合におきましても、できるだけ混乱が起こらないように、どう考えていくかというようなことについても配慮せなけりゃならない、そういう考え方で諸般の検討を進めさせていただいておるということでございます。全くそういうことはございませんというようなことを言い切り得ない、そういう不幸な事態は起こってはならないがなという願望のもとに、しかしそういう場合も考えてまいらねばならぬ、そういうことでおるわけでございます。
  263. 野田哲

    野田哲君 こういう場面を想定をされておりますか。西暦を使いたい人はどうぞ自由にお使いくださいと、こういうことなんですがね。いま一九七九年、ところが西暦を呼ぶ場合には普通は一九七九年という言い方ではなくて、略して七九年と、こういう使い方をする場合が多いですね。そうすると、いま一九七九年ですから、あと二十一年たつと二〇〇〇年ということになる。そうすると、そこから二〇〇一年、二〇〇二年。これを一年、二年と、こういう使い方に西暦の場合にはなってくると思うのですね。そうすると、いまの皇太子の年齢を考えたときには、大体そのころに日本の国民の平均寿命ぐらいのところへいくわけですね。そうすると、西暦を略して下のけただけで呼ぶ場合と、そこで改元された場合に、場合によっては、同じ、あるいは非常に接近をした年数で呼ぶ西暦と元号、こういう場合が想定をされるわけですが、これはまたやっぱり大変混乱が起きると思うのですが、そういう場面を想定されたことはありますか。
  264. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 正直に申しまして、特に具体的にそのようなことまでは現在のところで想像はいたしておりませんけれども、おっしゃいますようなことが純粋理論的なケースとしていろいろ考えていけば、そういう場合がないということは、それは言えないかとも思います。ただ、いずれにいたしましても、ただいま先生七九年というふうな御引用でございましたけれども、本来それは一九七九年であり、また二〇〇一年という場合に、それがどうなりますか、その略し方についてはまだルールがあるようには承知をいたしておりませんけれども、仮に二〇〇一年ということであれば、それはゼロ一年というようなことになるのかなあというふうな感想をいまちょっと持ったわけでございますけれども、いずれにしましても、元号の方は昭和何年とか、あるいは次の何年というものでやっていくわけでございますので、省略をした形で相互に比較をすれば、理論的には紛らわしいということがあり得るという御指摘については、理解はできますけれども、実際問題としては、そこはいろいろの良識によって解決されていくのではなかろうかというふうに考えております。
  265. 野田哲

    野田哲君 改元による社会的経済的な影響といいますか、インパクトといいますか、これをどういうふうに想定をされているかということについて伺いたいと思うのですが、改元という措置をとられたときにどの分野にどういう影響があらわれてくるか、このことについて想定をされておられますか。
  266. 清水汪

    政府委員(清水汪君) いろいろの分野に影響があるだろうということを想定をいたしましていろいろ検討はいたしております。たとえばまず第一に、われわれの役所の内部の事務としてはどういう問題があるかということ、これは最も身近な問題としていろいろ検討はいたしてございます。  それから、それだけではもちろん不十分でございまして、民間におきまする各種の生活、あるいは経済社会活動という面についても検討をいたさなければならないということは当然でございます。  たとえばそのようなことで両方あわせて考えました場合でも、さしあたってすぐ考えられますことは、予備の用紙というものをたくさん印刷しておいて、そこに不動文字で日付のところに「昭和  年 月 日」というように印刷が入っている、そのような用紙というものは一体どうなるかというようなことが一つあるわけでございますが、その点につきましては、できるだけその部分を手書きで修正をしてお使いをいただく、そういうふうにすることによって経済的なむだというものをできるだけ回避をすることが望ましい、そのように考えているわけでございます。  ただ、これはそう申しましても、その予備として貯蔵されております用紙の数量の問題もございますし、それからその使われ方がきわめて頻繁に大量的に同一の人によって使われるかどうかというようなことによっても、その点の事務負担と申しますか、それにはかなりいろいろの開きはあろうかと思いますが、基本的にはできるだけそういうふうに修正して使っていただくことが願わしいと、このように考えております。  それからもう一つ、用紙のほかにすぐ思いつきますものとして例を申し上げれば、たとえば日付のための判こと申しますか、受付印でありますとか、そういうものでございますけれども、このようなものにつきましても、これはいろいろの種類なり型があるようでございますけれども、ある程度数字の部分を取りかえることによって弾力的に対応できるというようなものも見受けるわけでございまして、そのようなそれぞれの実情に即した対応の仕方ということが出てくるのではなかろうかというふうに考えております。
  267. 野田哲

    野田哲君 そんな程度のことを聞いているのではないのだし、それからいま審議官は不動文字の入っている用紙は横に書きかえればいい、あるいは判を押せばいいというようなことを考えておられるようですが、あなたは区役所や市役所へ行って不動文字の入った用紙を見られたことがあるかどうか、そんな書き直しや横に判が押せるようなゆとりはないのですよ。だから、恐らくこれは区役所や市町村役場の受付、届け出の用紙、これは全部やりかえなければいけないと思うのです。それから金融機関の手形、小切手、こういうものについても書き直せばいいじゃないかと、こういうふうに考えておられるようですけれども、全部いまああいう証書類、印刷したものがありますし、相当皆金融機関持っているでしょう。これを大事な債権債務の関係のところを書き直すなんということには実際問題としてはならないですよ。ここで総体として、官公庁で改元のためにどのぐらいの経費が見込まれるのか、そして民間企業――金融機関などを中心にした民間企業でどのぐらいの経費が見込まれるのか。これは大正から昭和に改元されたときに、当時の新聞で、かなり経済的な変動があった、大きな経費が必要であったということを報道されておりますが、そういう想定をされたことがありますか、ないのですか。
  268. 清水汪

    政府委員(清水汪君) ただいま御指摘の市町村役場と申しますか、区役所の窓口にございまする各種の届け出書とか請求書というものにつきましては、私どもそれなりに現物を勉強したりいたしておるわけでございますが、先生の御指摘のように、スペースの大小には多少の違いがございます。したがいまして、どの程度きれいに書き直しのような訂正ができるかということは全く心配がないというふうには申し上げられないと思いますけれども、しかしながら、元号というものの、先ほどおっしゃいましたように、切りかえのときには一度どうしてもそういうことは避けられないわけでございますが、その点につきましては、それぞれ届け出に当たられる方が御協力をいただくことになるわけでございますが、そのようなことをぜひお願いしたいと思うわけでございます。  それからもう一つ、たとえば金融機関が用意しております手形、小切手用紙、これもかなりの分量を平素各金融機関は用意をしております。そのような場合に、各企業なり個人は金融機関から二十枚とか五十枚つづりのようなものとして入手していくわけでございますが、手元にありますものについて、やはりしばらくの間は訂正をしてやっていただくしかないんだろうと思います。まあ訂正をいたしました場合には、物が重要な権利義務関係のようなことにかかわる文書でございますので、やはり訂正判を押して使うというようなことは多少は煩わしいかとも思いますけれども、そこはやはりそういうふうにして問題のないようにおやりいただく方が望ましいというふうに考えるわけでございます。  いずれにいたしましても、そのようなことを総量として金銭的に、経費的にどうかというお尋ねでございますが、その点は大変恐縮でございますけれども、ただいまの段階でこれぐらいの金額ということはなかなか申し上げかねますのでお許しをいただきたいと思います。
  269. 野田哲

    野田哲君 総理府では、きょうは郵政省の方には来てもらっておりませんが、郵便のスタンプがいまどういう状態で使われておるか、承知をされておりますか。
  270. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 郵便局の消印のスタンプのお尋ねだろうと思いますけれども、これは大型の郵便局におきましては、大体西暦の方の表示の消印の制度になっております。全体としてはそちらの方で処理される枚数の方が多いんだろうと思いますけれども、しかし郵便局全体の中では、まあその地位によるんだろうと思いますが、余り国際的な郵便物を収受するようなことのないところだろうと思うんですけれども、元号の方で消印が表示されているというものもこれは数においてかなりあるというふうに承知をいたしております。
  271. 野田哲

    野田哲君 これはまあ西村先生が一番詳しいんだろうと思うんですけれども、スタンプはいま非常に西暦のスタンプを使っておりますね、これは承知のとおりです。先ほどの問題に返るわけですけれども、この西暦のスタンプも下の二ケタしか使ってないんですよ。ことしで言えば79と、こうなっている、79・5・22と、こうなっているわけです。こういう使われ方をしておりますからね、元号の年数と西暦の年数が非常に接近をしたときはこれはやはり大変な混乱が起きるんですよ。特に郵便局の消印というのは、国民の権利義務にかなり重要なかかわりを持っている場合がありますからね。いつ届いたか、いつ投函したか、そういう場合のことを想定されたことはありますか。
  272. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 消印の重要性につきましては御指摘のとおりだと考えております。で、まあ接近する、しないという問題は、先ほどもちょっとございましたけれども、これはそのような事態が現実にどういうふうな形で出てくるか、これはいまからはなかなか予見できませんので、具体的には申し上げようがないと思いますけれども、いずれにいたしましても、仮にきわめて接近するような場合におきましては、混乱を来さないような配慮というものはそれは必要だろうと思いますし、それから先ほどの、これは私の不正確かもしれませんが、西暦で表示する場合には年数よりも日にちの方が普通は先に表示されているということだろうと思います。その辺のところが西暦でいく場合の年月日の表示の仕方と、私どもの日本式な元号でいく場合の表示の仕方とが、ちょうどこの名前が逆になるような傾向もあるのではないかと思いますけれども、いずれにいたしましても、実際に混乱を懸念されるような事態がある場合においては、併用されておるという現実を踏まえまして適切な対応をしていくことが必要であろうというふうに考えております。
  273. 野田哲

    野田哲君 総務長官、いま元号法の審議をやっているんですが、先ほども言ったように、大正から昭和に改元が行われたときも相当なやはり経済的な変動が起こったということは、当時の新聞に報道されているわけですよ。少なくともこの法案を出される以上は、あなたの方ではもうとにかく法案を急げ急げだけれども、改元によってどの分野にどういう変動が起きて、経済的にはどのぐらいの経費が国家予算で想定されるのか、あるいは地方自治体の予算で想定されるのか、そして経済界ではどのぐらいのこれに必要経費が想定をされるのか、そのような影響の分野と、そしてそれに対する経費の見込み額、こういう問題については法案を出される以上は想定をされておくべきことではないんですか。私は当然これぐらいのことは考えておられなければ、いまのように、国民の皆さんに協力を願う、そのことだけではこれは済まない、こういう問題じゃないかと思うんですよ。これはやはり元号制度の持っている宿命でありますから、法案の是非、これと重要なかかわりを持っている問題だと思うんですが、いまお聞きいたしますと、全くその点については抽象論しか出てこない。これはやはり私は準備不足、こういう感をぬぐえないと思うんですが、いかがですか。
  274. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) お答えをいたしますが、御指摘のとおり、先ほど来改元の際に影響する諸問題、中でも経済社会に及ぼします具体的な影響はどういう範囲になってくるのか、そうしてそれはもろにかぶられるような業種と申しますか、そういうものがどういうものであり、また政府等においてはどうなるかという、一般社会と政府内部におけるそうした私は問題点の検討が必要であるということで、たとえば一例を挙げますと、カレンダーを発行している印刷会社が日本にどのくらいあって、どのくらいのカレンダーが出ておるか、いつの時期にそれは出されておるか、あるいはまた雑誌などにつきましても、どういう御準備でそういうことがなされておるか、あるいは政府のあるいは地方公共団体の文書等がストックがどのくらい前からどのくらいの準備がなされておるかというようなものを、いま御指摘のように、遅まきながらでございますが、とにかく具体的にひとつ調査を進めて、できるだけひとつそうした国民の負担なり、あるいは社会経済のそうした動揺をなくしていく努力が必要であろうということで、完全なものではございません、全く緒に入ったという程度のものでございますけれども、そういう準備を進めさしていただいておるということでございます。そういう点で、できるだけそういう負担なり悪い影響を食いとめていくということに向かって今後対処してまいりたい、そう考えておるところでございます。
  275. 野田哲

    野田哲君 真田法制局長官に伺いますが、衆議院での審議であなたの見解では、この法律が制定されれば公務員は拘束されると、こういう意味のことを言われたというふうに聞いているんですが、正確にはどういうことをおっしゃったわけですか。
  276. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) ただいまの御発言はやや正確を欠いているわけでございまして、私が申しました真意は、この法案が成立いたしましても、この法律の中には新しい元号の使用については何にも書いてあるわけではございませんので、この法律が成立いたしましてもこの新しい元号の使用が義務づけられることはありません。ただ公務員の場合には、御承知のように国家公務員法なり地方公務員法なりあるいは国会職員法なりによりまして、合理的な理由のもとに上司の職務上の命令が出ればその命令によって拘束されることは理論上はあり得ると、ただ、この法律の直接の効果としてそういう使用の義務が出るということはありませんということを強調したわけでございます。
  277. 野田哲

    野田哲君 国民と接している公務員ですね、その公務員に上司の命令があれば公務員は拘束をされるということ、それはつまり国民を拘束をすると、こういうことに私はなるんじゃないかと思います、場合によっては。  もう一回先ほどの例を蒸し返すわけですけれども国民の皆さんの方が市役所なり区役所なりにいろんな届け出をされる、それに対して先ほど戸籍の例を示したわけですが、いろんな形で役所には様式を示して拘束をしている例がありますね。そういう形があれば当然公務員はそれによって拘束されるわけでしょう、それに基づいてまた職務命令が出し得る状況に置かれているわけでしょう。だから、そういう意味でこの法律が制定をされて、上司の命令があるとかあるいは様式を示した通達なりあるいは規則が制定をされる、省令が制定をされる、こういうことになってくれば、それは公務員を拘束をするということはつまりイコールその公務員と接触をする国民を拘束するところまで及ぶ、こういうことになるんじゃないんですか。
  278. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) もう少し正確に申し上げますと、この法律が成立いたしました場合におきましても、国民がつくる文書につきましては新しい元号の使用が義務づけられることはありません。これは再々申し上げておりますように、御協力は願うかもしれませんが、ぜひとも西暦を用いたいという方がいらっしゃれば、その方のおつくりになる文書はこれは西暦であっても受理をいたしますと、これは明瞭に何回も申し上げているところでございまして、それとやや違いますのは、公務員の場合には国家公務員法で言えば九十八条がございまして、上司の職務上の命令があれば従わなければならないと。したがいまして、公務所つまり行政庁なら行政庁の内部においてつくる文書について元号を用いなさいという上司の命令がやたらに出ちゃ困るんですが、役所の統一的あるいは効率的な職務の遂行というような合理的な理由がある場合に、そういう命令が出れば職務上の命令には従わなければなりませんから、公務員が職務上つくる文書については元号の使用が義務づけられることは論理上あり得るということを申し上げているわけでございます。
  279. 野田哲

    野田哲君 だから、統一的処理ということで国民を拘束をするケースが私は非常に多いと思うんですよ。いま統一的処理ということになれば、かなりの分野で電算機、コンピューターによっての処理が行われておりますから、それにデータとして入れるということになれば、結局は役所で定めた様式に従って年月日の日付についても統一的な使用を国民の皆さんに求めざるを得ない、こういう立場公務員は立ってくると思うんですね。だから、通達とか、あるいはいろんな様式行為というものが役所にはありますよね。それが示されるということは、つまりそれに従わなければ、公務員としては命令に服さなかった、こういうことになる。公務員が命令に服そうとすれば、国民の皆さんをそれに従わせなければ命令に服せない、こういう接点に第一線の公務員は立つ場面が相当あるんじゃないかと思うんですね。だから、国民にはフリーだ、公務員は業務命令とか様式行為が示されればそれに従わなければいけない、こういうことは末端の公務員にとっては大変なことだと思うんですが、どうですか。
  280. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) その点がまさしく先ほど来戸籍の届け出及びその受理の問題としてさんざんばら御論議になったところでございまして、いまの公務員法上上司の合理的な職務命令があれば従わなければならないという点は、実はこの法律が成立しなくても、きょう今日でも同じことが実はあり得るわけなんですね。この法律が出たからそうなるんじゃなくて、この法律はごらんのとおりきわめて簡明な内容でございまして、元号の改元の方法及びいつ改元をするかということが書いてあるだけでございまして、使用の点については現行と全く同じでございます。法律がまだできておらない現在と全く同じでございます。
  281. 野田哲

    野田哲君 長官は現場の実情を知られないからいまもそうだから現状と変わらない、こう言われているんですが、実態はそうではないんです。それは元号の是か非か、元号を賛成か反対かということは、あんた方の方が元号を出すことによって国民の間にだんだん過熱をしてきているわけですね。過熱をしてきたことがいまどういう状態になっているかといいますと、元号の法制化に反対をする人たちがいままでは無意識に昭和で処理をされていた、昭和で届け出てこられた、こういう人たちの中に意識的に西暦で届けてくる人がふえつつあるんですよ、反発して。それと第一線の公務員が接触をしてトラブルが広がっているんです。これは法律制度ということになれば、もっともっとその状態というのは過熱してくる状態にあるんです。私は市町村の窓口の状態を見てきました。そういう傾向が起こりつつあるんです。だから、長官の言われた問題、そう軽々にいまとちっとも変わらない、こういうことではないんです。そういう影響が出ているということの中で、公務員は様式行為とか行政上の通達とか職務命令とかによって拘束をされるということは、そういう意識的に法制化に反発をして、いままでであれば何げなく元号を使っていた人たちがこの問題に反発をして、西暦をことさらに使うようになりつつある。これと接触をする現場の業務というのは、これからいろんな分野でトラブルが起こってくるだろう。特に、今度いつかわかりませんけれども、総理府の所管の国勢調査ですね、これは国勢調査を委嘱された人たちが一世帯ずつ回っていって、移住の年月日とか、生年月日とか一つ一つ聞いていくわけですね。これはいままででもかなりトラブルが起こっているんです。これはもう今度は間違いなく起こりますよ。そういう状態に公務員が拘束をされるということは、そういう第一線を担当する公務員にこれはもろにかぶってくる。そういう状態が懸念されるんですが、そういう判断は全然持っていないんですか。
  282. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) その点は衆議院における御審議の際からしばしば問題になりまして、むしろ私はこういう点が浮き彫りにされまして、そうして国民に対しては、この法律は全然その使用についての強制がないんだということを繰り返し繰り返しこういう席で公に申し上げる機会が得られたことは、むしろ幸いだと思うわけなんです。で、理屈といたしましては、先ほど申しましたように、この法律によって義務づけられるということは全くありません。ただ、公務員については国家公務員法の九十八条に言う「職務上の命令」という制度は、これは理論上はかぶると言わざるを得ないというのが私の解釈でございます。
  283. 野田哲

    野田哲君 あなたがおどしをかけることがトラブルをよけい発生させることになるわけです。まあ今後の具体的な経過を見ながらまた議論をしたいと思うんです。  総務長官と、それから警察庁に伺いたいと思うんです。  昨年来の元号法が政治日程に上ってから、いわゆる右翼団体あるいは民族派の学生、こういうところの行動がかなり目に余る状態が起こっています。国会の周辺でも御承知のとおりです。私自身も右翼学生に、まあ民族派学生と言うんでしょうか、面会を強要されて数人の人たちに取り囲まれて、かなり不穏な状態で詰問をされた経験もあるんですが、脅迫状も何通も私のところにも来ておりますが、こういう状態、まさに学者、文化人、そうして私どもにまで脅迫が及んでいる。衆議院で公述人として出席をした学者のところにまで脅迫が行くという状態になっているわけなんです。まさにこういう状態というのは、暴力、脅迫によって自由な言論が封殺をされる、国会での議論が封殺をされる、こういう状態がいま起こりつつあるわけです。まず、警察庁は一般的にそういう動向についてどういう認識を持っておられるんですか。
  284. 岡村健

    説明員(岡村健君) 私ども、右翼団体等がいろいろな文書を関係者に送りましたり、あるいは事件を起こしているということを承知しております。いやしくも言論の府で、民主主義のもとでそのようなことがあってはならないというふうに思って対処しております。
  285. 野田哲

    野田哲君 総務長官、そういう状態について承知をされておりますか。
  286. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) 元号問題が国会に上程をされたために、そうした右翼団体なりまた暴力的な行為が盛んになったなどという、もろにそういう受けとめ方をすることについては、私は差し控えねばならぬと思っておるわけでございますが、しかし国会の周辺等において運動展開が、まあ右翼団体と私も思いますけれども団体等で元号法制化等についていろいろな運動が展開されておるということは、私は認めざるを得ないと思っておるわけでございます。またそういう団体から、私のところにも数次にわたって陳情などがございましたけれども、私はあくまでも、大方の国民のこの元号を使用され、存続しようとするお気持ちにこたえて実は対処してまいっておるのであって、一部の方々から強引な恐喝などを受けたところで、そういうものでどうだというようなことには相なりませんぞ、今後私のところにそうした陳情はひとつ慎んでもらいたいというようなことを申し上げてまいっておるようなところでございまして、私自身もいま警察庁関係から申されましたように、そうした私どもが素直に、フランクな気持ちで国民の願望にこたえたいというのに便乗するような、そうしてそれが暴力的な行為につながるようなことがあっては相ならぬと思いまするし、そうした点については十分注意警戒をし、また警察当局なりの善処をお願いを申し上げる次第でございます。そうした一つの動向が新しく生まれてくるということについては、私どもは警戒をし、注意をしてまいらねばならぬ、結論的にはそういう姿勢でおるわけでございます。
  287. 野田哲

    野田哲君 元号を出したからそういう行動が起こったということではないと言われたんですけれども、誘発したことは確かですね。あなたはSPがいるからいいけれども、私たちはどうなるんですか、これは。個人で対応するしかないんですよ。警察庁の方はそれなりにしかるべく対応していると言われるけれども、昨年の五月二十七日に東京の日本大学の講堂で開かれた歴史学研究会、ここで元号法制化の問題について議論がされているわけですが、この会場に学生が乱入をして放水をする、あるいは発煙筒、これを投げ込む、こういうような事件が起こっているわけですが、その具体的な経過はどうであったのか。そしてどういう対処をされたのか。
  288. 岡村健

    説明員(岡村健君) 先生御指摘のように、昨年五月二十七日、日本大学経済学部七階大講堂において開かれました歴史学研究会総会の会場に、黒ヘルをかぶりました学生風の者が十数名押しかけまして会議を妨害し、あるいはビラを散布、消火栓からホースを引き出して放水するというようなことで、会議が一時中断されたと、学生たちはいずこへか逃走したという事件が発生したということがその後の新聞報道で報ぜられているわけでございます。  この事件につきましては、事件当日、所轄の、神田警察署でございますが、日大講堂で何か事件が起こったらしいという聞き込みがございまして、直ちに大学当局に問い合わせましたところ、事件が起こったという事実は知らないという返答があったわけでございます。また警察官が学内に臨場いたしましたところ、会場の現場すでに全部片づけられておりまして、主催者あるいは大学当局が警察の事情聴取に応じていただけなかったということでございます。そういったような次第で、捜査はその後進んでおらないというのが現状でございます。
  289. 野田哲

    野田哲君 いま対応しているというのはどういう対応をされているのですか。
  290. 岡村健

    説明員(岡村健君) 先ほどから出ておりましたような事案、こういったような事案を敢行するおそれのある右翼団体等につきまして視察、警戒を厳重にいたしますとともに、違法行為に出る動きがある場合には厳しく警告を行い、また現場に警察官を配置するなどして違法事件の未然防止に努めておるということでございます。
  291. 野田哲

    野田哲君 ことしの二月の下旬、二十三日、数寄屋橋公園でキリスト教関係者が元号法制化反対の署名活動をやっていた。そこに右翼の宣伝カー五、六台が集まってプラカードをたたき壊す、あるいはスローガンを掲げた幕を引き裂く、こういうような行動があったわけですが、この経過と、これに対する処置はどうなっておりますか。
  292. 岡村健

    説明員(岡村健君) 本年の二月二十三日、午前十時十五分ごろでございましたが、都内中央区の数寄屋橋公園内で、元号法制化反対国民連絡会議の方々十数名がプラカードなどをお立てになりまして、元号法制化反対の街頭宣伝あるいはビラ配りをしておられたとき、折からその場所に通りかかりました右翼団体、興国社など三団体、これまた十数名でございますが、これが車からおりてまいりました。その中の三人がプラカードなど八本を損壊したという事案でございます。  警視庁では、この三人を暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で検挙いたしております。
  293. 野田哲

    野田哲君 結局、今度の元号問題に絡んでの暴力行為ではそれだけですか、検挙したというのは。ほかにまだあるんですか。
  294. 岡村健

    説明員(岡村健君) 元号問題に関します事件といたしましてはこの事件だけでございます。
  295. 野田哲

    野田哲君 私のところにも何回か脅迫状がくるし、面会の強要もあるわけですが、その中で一つ、軍国郵便というのが舞い込んでくるわけですが、大日本殉皇会野戦本部、不敬言動審査会、これは一体どういう団体なんですか。
  296. 岡村健

    説明員(岡村健君) 不敬言動審査会あるいは大日本軍国青年隊という団体でございますが、この団体は、大日本殉皇会、これもただいま先生おっしゃいました団体でございますが、神奈川県大磯に事務所を持ちまして、昭和三十五年から会員を集めて小早川貞夫という男が会長となって活動している団体でございまして、この大日本殉皇会の小早川貞夫が、いろいろな時局問題等をとらえまして関係者等に抗議文を送付するときに使用している名称がこの不敬言動審査会あるいは大日本軍国青年隊という名称でございます。
  297. 野田哲

    野田哲君 その構成員は一体どのぐらいいるんですか。
  298. 岡村健

    説明員(岡村健君) 大体二十名ぐらいと私ども見ております。
  299. 野田哲

    野田哲君 それは犯罪歴はどうなっているんですか、構成員については。
  300. 岡村健

    説明員(岡村健君) 事件といたしましては、昭和五十二年の九月でございますが、反共運動としての街宣中、爆竹などを投げた事件がございまして、威力業務妨害、道交法違反で六人を検挙するという前歴がございます。
  301. 野田哲

    野田哲君 総務長官、いまのような衝動的な行動を行う団体が、現に私のところにも何通も脅迫状をまこしているのです。そうしてその文面の中では、ただでは済まないぞと、こういうような文面になっているのです。元号問題では、すでに私どものところにはこういう行動がしかけられているということなんです。あなたの方では、この元号法制化国民統合の手段だと、こういうふうに述べておられるわけなんです。こういう行動が現に行われているし、国会が招致をして元号問題について意見を述べてもらった学者にまでそういう行動が及んでいるんですよ。そして、そういう学者の方たちの自宅の周辺に売国奴とかなんとかいうような個人の名誉にかかわるようなビラが無差別に張りめぐらされるという状態が起こっているんです。こういう状態が現に起こっている。これで一体元号の法制化国民統合ということになりますか。むしろこのことがそういう行動を誘発をし、これに反対をする言論人、学者、私ども、これに対しての脅迫が続けられているということなんです。  いっか総務長官とNHKで政治討論会で対談をしましたね。あの放映が行われた後は私の家の電話、これは鳴りっ放しですよ。不穏な言動が電話でかかってくる。面会の強要がある。こういう状態が一体国民の統合ということになるという認識をされてこれを進められているんでしょうか。その見解を伺いたいと思います。
  302. 三原朝雄

    国務大臣(三原朝雄君) お答えをいたしますが、私は国民全体の意向というようなものを踏まえながら元号法制化の法案を国会に提出して努めておるわけでございまして、一部にそうした右翼的な暴力行為が行われ、真剣に元号を審議し、元号についていろいろな反対意見もございましょうし、そうしたものを真剣に述べていただいておる方々に対してそうした言動に出るということは、私は厳に慎まねばならぬことだと思っておりますが、したがって、それが全国民の動向ではないと受けとめておるわけでございまするけれども、しかし、国民の真摯なそうした願望なり気持ちをこれで傷つけるというような結果になることはきわめて残念であると思いまするので、今後とも、そういう言動については警察なり司法当局のお力をかり、また私どももそういう機会がございますれば、そういう行動については十分な注意なり処置をいたさねばならぬ、そう考えておるところでございます。
  303. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 暫時休憩をいたします。    午後五時二十分休憩      ―――――・―――――    午後五時二十六分開会
  304. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) ただいまから委員会を再開いたします。  本案に対する質疑は、本日はこの程度にとどめます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時二十七分散会      ―――――・―――――