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参考人(
亀井康一郎君) 私、亀井でございます。本日は、一臨床医の立場より
意見を述べてみたいと思います。
まず、
薬事法の一部を
改正する
法律案についてでありますが、
医薬品に関してわれわれの基本的見解はいかなるものであるかを申し述べたいと思います。
医療とは、医学の社会的適用であるということはわれわれが常々主張しているところでありますが、しからば医学とは何か、これは人間の身体と精神の疾患を予防し、治療し、社会復帰をさせる方法論を科学的論理によって確立する学問であると考えてよろしいかと思うのであります。それを社会という場に適用することがすなわち
医療であります。この
医療を行う一方法として、われわれ
医師は
医薬品の投与を
患者に行うのであり、その基盤として
医師と
患者の人間的信頼
関係が存在するということが前提になっているわけであります。それが有効に働くとき国民の健康、国民の福祉は増大するわけであります。しかし、それが過大な
副作用として働くときは
薬害であると言われるわけでありますが、この問題については後に
医薬品副作用被害救済基金法案のところで触れてみることにいたすつもりであります。
このように、
医薬品が生命関連物質であり、それが
使用される場が
医師、
患者関係を円心とする
——円の中心とするという意味ですね、円心とする社会構造、経済構造が関与してくるということは御
理解いただけたかと思うのであります。
この
観点から今回の
薬事法改正案をながめてみますと、問題点として指摘できますことは二、三あるわけでありますが、その主なる
対象領域は、
医薬品の
製造承認、
品質管理等、従来局長通知で行ってきたものの明文化にすぎず、それに関連する研究開発機構、流通機構の問題にまで
整備されていないといううらみがあると思われるのであります。われわれは、
医薬品について常に主体的な選択、ポジティブチョイスということを主張しているわけでありますが、これはどういうことかと申しますと、最も有効にして安全な
医薬品を
医師の判断のもとに迅速に
患者に投与することであります。この
医師の行為を可能にするためには、研究開発機構、流通機構が連動しなければ不可能であります。この点につきましては、すでに
衆議院の社労
委員会におきまして上田
参考人が指摘したところでありますが、局長通知の明文化が国の責任を多少明確にしたということはありますが、そのうらはらに、いたずらに
製造承認の規則を強化して開発への意欲を失わせる結果になりはしないかということを恐れるものであります。
よりよい
新薬が国内において開発されるということは、大局的見地からは一
企業の利益というような小さな
観点ではなく、われわれ国民全体の福祉の増進となり、われわれに還元してくるものであります。この点、
新薬再
審査の
期間が六年に延長されたことはそれなりの有意な
評価をするものであります。しかし、一律に六年とすることには問題ありとする指摘により、「六年を超えない
範囲内において
厚生大臣の指定する
期間」と
改正されたことは、これも妥当であると考える次第であります。
次は、
情報の提供等に関してのことでありますが、最も問題になるのは、
情報提供に協力するものが正しい科学的判断の上でそれを行えるかという問題であります。
情報にもいろいろありまして、間違った
情報あるいは故意にためにする
情報もあり得るわけであります。これらを、
薬局開設者は
収集に協力せよというのでありますが、臨床を扱っていない人がいかにして細かい
患者の症状を的確に把握できるかという疑問がわれわれに残ります。
治験の取り扱いについては、これもすでに
衆議院社労
委員会で論じられたんでありますが、これは重要でありますのでちょっと触れます。
臨床試験には、御存じのように第一相、第二相、第三相とあり、第一相は健康な有志者に対して薬物の薬力学的効果と
副作用の性格づけを試みるものであり、これはヒト薬理学であります。第二相は有志
患者に対して薬物を用いてその効果を検討するものであり、これは臨床薬理学として
特定の
病院で行われるものであります。さらに第三相は、
特定多数の
患者に対し治療効果、
副作用の検討等を
特定の
病院または診療所を通じて試みるものでありまして、これは薬物治療学と考えられるわけであります。もちろん第一相試験の前に前
臨床試験、すなわち動物実験による一般毒性、特殊毒性の検討を経ていなければ第一相に移れないわけでありますが、第一相から第三相に至るまでの臨床の症例数は、数百例から千例前後であるわけであります。このような経過を経て、第四相、すなわち
医薬品発売後の治療学、不
特定多数の
患者に
使用されることになるわけであります。
本
法案は、第三相までのいわゆる人体実験に対して
規制を厳密にしようとするものであり、その意味では
評価できるわけでありますが、その責任を
製造業者あるいは
臨床試験の実施者のみに負わせるということであれば、人間の疾患からの
救済を
目的として続けられている
医薬品開発の純粋な意欲を減殺する結果ともなりましょう。これは当然国も責任を分担することが必要であり、それを明確にすることを望むものであります。
御承知のように、戦後三十余年を経た現在の疾病構造の変化は、
昭和二十七年の乳児死亡率、これは出生千に対してのものでありますが、四九・四%でありましたから、五十二年にはそれが八・九%に低下しております。同じく
昭和二十七年の全結核の死亡率は、人口十万に対しまして八〇・五%でありますが、五十二年には四・八%に低下しております。同じく肺炎、気管支炎死亡率は、
昭和二十七年、人口十万に対しまして六七%でありますが、それから五十二年には二八・六%と低下してきているわけであります。
この
理由は何かと申し上げますれば、社会生活の向上という条件もありましょうが、最大の
理由は、
昭和二十七、八年ごろより抗生物質が広くかつ低廉に
使用されるようになったことが指摘されると思います。この結果は急速な平均寿命の延長につながり、男女とも北欧スウェーデンと肩を並べるようになったのは御承知のとおりであります。このことは他の重大問題を引き起こしているのでありますが、それはこの主題ではありませんので特に申しませんが、
医薬品というものが、われわれ国民にとりましても、いかに大きな福祉をもたらしたかということを簡単な数値を挙げて指摘するにとどめたいと思います。
最後に、
副作用被害救済基金法案について一点だけ申し上げたいと思います。
臨床医として、この
法案の条文で最も気にかかることは第二条の2であります。