○
国務大臣(
中川一郎君) まず
古米の
処理方針でございますが、
現実はことしの
出来秋で五百三十万トンございます。そしてことしの
出来秋では千百七十万トンか
生産されれば一番——一番というか、需要に見合った
数量であると、それに見合った
生産ができるようにということで百七十万トンの
生産調整、三十九万一千町歩の
減反といいますか、転換をお願いしたわけでございます。
現実は
面積において
全国的に一一%の増の
達成率となっております。
全国平均で。
新潟県が一〇%。ところが、
出来秋の米の
状況はどうなのかというと、千百七十万トン期待しておったというか、予定しておりましたものが千二百五、六十万トンになったと。そうすれば八十万トン前後のものがよけいとれることになったと。そうすれば、ことし五百三十万トンのものに来年の秋八十万トン前後足しますから六百万トンの
過剰米になる、こういうのが
現実でございます。
そこで、
農家の
皆さんにとっては大変なことでございましょうが、何か余ったことが
政府の全部
責任だとお
考えになるところに私はちょっと問題があるんじゃないかと。やはり
生産は
消費のあるところに
生産をするという一義的なところでなければなりませんし、
生産調整が
農家の
努力だけによってやったと言われても困るんで、恐らく世界で類例のない
生産調整協力費というものを反四万円から七万円というものを差し上げて、ほかの
作物をつくったのと同じような
収入が得られるように、それは個々のものについては
増減、
得損はありますけれ
ども、全体的な
計算からいけばまずまず米をつくったのと同じだけの
収入が得られるようにということで二千数百億円の
一般会計からの投入を図ってやっておるわけでございますし、
米価は据え置いたと言いますが、私
どもは
米価は据え置いたとは思っておりません。すなわち
生産調整に
協力してくれた方には、昨年と同じような
計算によって上がるであろう率を、
米価そのものではありませんけれ
ども、
農家の
収入になるように手当てをいたしておりますし、またその分だけをさらに
生産調整に
協力してくれた
面積について対応する。
生産調整に
協力をしなかった
農家は確かに据え置かれたかもしれませんが、
生産調整に
協力をされた
農家にはしかるべき
米価は差し上げておると、こういう
基本的考え方でございます。
そこで、本来ならば
食管の
仕組みというのは、
国民に
配給するに必要な米を
責任持てばいいという
仕組みでございます。したがって、
限度数量というものだけを
責任持てば一応
法律上の
責任は果たせるわけでございます。したがって、ことし五百三十万トン余っておりますから、あと三百万トンほど買えば結構だと、それ以外はどうぞ御自由にと、こう言えば言えないわけでもないとは思いますが、五百三十万トンは、これはそのうち必要な
備蓄米は別として、それ以外はこれは
余剰米対策で処分をして、そして単
年度でもって
需給の
バランスをとろうということにしておるわけでございます。
ところが、来年になれば六百万トン
過剰米が出てくるといいますか、
繰り越し米が出てくる。そのうち今度は
備蓄米を何ぼにするかという問題が出てまいります。われわれとしては五、六十万トンもあればいいんじゃないかと。
昭和四十五、六年のころは六十万トンもあればいいということだったんですが、その後
過剰傾向になってきて百万トン、百五十万トンになってきたときに、これは
国会においてもあるいは農業の
皆さん方からも、
備蓄米五、六十万というのは足りないんだと、二百万トンぐらいは必要だという、特に
石油ショックもありましたもんですから、二百万トンぐらい持って何が悪いかということになってまいりまして、二百万トンが
適正備蓄米の量であるということになったわけでございます。
ところが、二百万トンを
配給いたしてまいりますと、
古米を
配給するとはどういうわけだ、この
消費拡大のときに二百万トンもの、何カ月分も古い米をやるなんというばかなことをしているから米が伸びないんであるということで、
備蓄せよといった時期には
備蓄でもってムードが沸いてくるし、余ってきたときには、
備蓄米なんということを言った人もさらりと忘れて新米だけ
配給しろという
議論に変わっていくという、非常にわれわれとしても、
世論や
農民の
皆さんの
意向も聞かなければなりませんし、
議会筋の
意向も聞かなければいかぬ。
さてどうするか、来年六百万トンのうち
備蓄はということになると、私はもうこの際やはり
備蓄というものはそんなに要らないのじゃないか——要らないのじゃないかと言ったって、それが五十万トンなのか百万トンなのか二百万トンなのか、ことし本当は二百万トンほど
古米を
配給していかなければ
備蓄対策はできないんでありますが、できるだけひとついい米を
配給米に回す。異常な
消費減退でございますから
消費拡大政策のためにやらざるを得ない。
かくて、来年六百万トンのうち
備蓄米に何ぼ回し、そして
余剰米が何ぼになり、それをどう処分していくかということになると、これが大変な
財政負担になるわけでございます。恐らく一兆円を上回る
財政負担、
昭和四十五、六年ごろの
財政負担以上の
負担になることだけはもう間違いがない。
ところが一方、
予算要求の枠は一三%で抑えられておる。一三%とすれば
農林省の
予算の枠というのは五千億足らずの増にしかならない。その中から
減反で千億だ千五百億だと取られる。
水産も大変な
時代で、
水産にもまとまった金が必要だ。
木材関係も大変な
時代だからまとまった金が必要だ。そこへ一兆円もの
余剰米処理ということになれば、これはもう
予算が組めない。農業基盤費から何から全部そっちへ振り向けなければ
余剰米の
処理ができない。これが外国に輸出いたしましても、最近ベトナムから欲しいというんですが、差し上げたらいいことには間違いないけれ
ども、二百万トン欲しいというんですが、二百万トン差し上げれば何千億という
一般会計からの繰り入れがなければできない。ただで差し上げればなおのことと。こういうことで非常にこの
余剰米の
処理には私
ども頭を痛くしてどうにもならぬというぐらいでございますが、しかし、さりとてそうは言っておられない、持っておれば金利、倉敷で莫大な金もかかるということも明らかでございますから、来
年度これを一体
備蓄米を何ぼにし、それ以外の米をどういう年次でどういうやり方でやるかということを立てなければいかぬ時期に来ている。すべて今後ひとつなるべく早い機会に対処いたしたい、こういうことでございます。
何かこれをキャンペーンに使っているなんということですが、キャンペーンに使って
食管をなくそうというのじゃなくて、
過剰米の
時代になってくると
備蓄米が必要だ必要だ、
備蓄米が必要なんだから
米価を上げていい、上げていいという、
過剰米というものをよそにして
米価議論があるということについては、私はキャンペーンではなくても、厳しい情勢というものを、
消費者米価を上げなければならぬような
生産者米価を上げる時期ではないという、しかし
生産意欲はもちろん持つ
米価でなければなりませんけれ
ども、そういう点についてはこれは
国会の
皆さんにもあるいは
生産者の
皆さんにも、
国民の
皆さんにもよく御認識をいただきたい。
過剰米については国家的事業であり、農村の大問題であって
政府だけの仕事ではない、そういうことだけは篤と御認識願いたい、こういう気持ちでございます。