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1978-04-27 第84回国会 参議院 文教委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十三年四月二十七日(木曜日)    午前十時十分開会     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         吉田  実君     理 事                 後藤 正夫君                 世耕 政隆君                 粕谷 照美君                 小巻 敏雄君     委 員                 岩上 二郎君                 山東 昭子君                 高橋 誉冨君                 内藤誉三郎君                 増田  盛君                 勝又 武一君                 久保  亘君                 松前 達郎君                 柏原 ヤス君                 白木義一郎君                 田渕 哲也君                 有田 一寿君    国務大臣        文 部 大 臣  砂田 重民君    政府委員        文部政務次官   近藤 鉄雄君        文部大臣官房長  宮地 貫一君        文部省初等中等        教育局長     諸澤 正道君        文部省大学局長  佐野文一郎君    事務局側        常任委員会専門        員        瀧  嘉衛君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法  の一部を改正する法律案内閣提出、衆議院送  付) ○参考人出席要求に関する件     ―――――――――――――
  2. 吉田実

    委員長吉田実君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本案の趣旨説明は前回聴取いたしておりますので、これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  3. 粕谷照美

    粕谷照美君 このたびの政府提案法案は、一つには国立学校設置法の一部改正二つ目には国立養護教諭養成所設置法の一部改正から成っていると思います。  また、国立学校設置の一部改正の中身は、一つには放送教育開発センター設置であり、二つには福井、山梨に医科大学を新設することを初めとして、大学の新設、既設大学の増設などであり、三つ目には新しい構想教員養成のための教員大学大学院の問題であると考えます。  それぞれの部門については、わが党の各委員質問をいたしますので、私はその中でもきわめて問題が多いと考えます新構想教員大学について質問をいたします。  教育基本法の前文に、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力をまつ」とありますが、日本の未来をつくるのは「教育の力にまつ」という、その重要な任に当たる教員養成制度発展充実をすることはだれしもが望むところであります。したがってその教員養成制度発展充実については、今後とも検討を続けるべきであり、さらにまた国民合意を得なければならないと考えているわけです。  質問の第一は、各大学設置される教職課程認定は、全大学の数から言えば何%ぐらいになるでしょうか。
  4. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 課程認定大学は、大学で八五・二%、短期大学で八六%、両者を平均いたしますと八五・六%でございます。
  5. 粕谷照美

    粕谷照美君 パーセントはわかりましたけれども数字をちょっと言ってくださいますか。
  6. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 大学の数、国・公・私立を合わせまして四百三十一大学のうち、課程認定を受けておりますものが三百六十七、短期大学は同じく国・公・私を合わせまして五百十五校のうち、課程認定を受けておりますものが四百四十三、トータルで九百四十六校中、課程認定を受けておりますものが八百十校でございます。これは五十二年の六月一日現在の数字でございます。
  7. 粕谷照美

    粕谷照美君 八五・六%、こういいますと、まあどこの大学に入っても大体教員になれるという条件が整っているのではないか、こう考えるわけですが、そういうことになりますと、教員養成というのはすでにもう八五・六%、つまり今日の大学教育共通課題であるというふうに考えております。そうしますと、教員の質を問うということは、逆を言えば大学の質を問うということにもつながっていると思いますけれども、この新構想大学というものは、資格を取るということが卒業の要件になるのでしょうか、どうでしょうか。
  8. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学の場合も、既設教員養成大学の場合も大学でございますから、大学卒業するに必要な単位、百二十四単位大学設置基準で定められておりますが、それぞれの大学の御工夫によって、それを上回る実際には単位を取得するに必要な科目が開設をされているわけでございます。それらに従って、所要の単位を修得することによって卒業認定が行われるわけでございます。事柄としては、大学において免許状を取得するために必要な単位を取得しているかどうかということと、卒業するかどうかということは別の事柄でございますけれども、実際問題としては、教員養成の諸大学卒業する学生は、免許状を取得するに必要な単位はもとより修得をして卒業するということに相なると思います。
  9. 粕谷照美

    粕谷照美君 私は局長にお伺いしますけれども教員大学の新しい構想というものはいつから始まったのか、歴史的にはどんな過程を選んでいるのかということについてお伺いをしたいと思いますが、一つには、四十六年の中教審答申、二番目には、四十七年の教養審建議、三番目には、いわゆる鯵坂委員会報告ということになりましょうか、新構想教員養成大学等に関する調査会報告がありますが、この三つの点について、主なる条項といいますか、それを説明していただきたいと思います。
  10. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、この教員大学構想につきましては、四十六年の中教審答申、四十七年の教養審建議、四十九年の新構想教員養成大学等に関する調査会報告、そういったものを受けて、具体構想が進んできたものでございます。  四十六年の中教審答申におきましては、教職が高度の専門職であり、そのための資質能力養成段階だけではなくて、教員としての経験なり、研修によって逐次形成され、また向上していくものである、そういった教員研修というものを助長するために、大学院における教員研究研さん機会を確保する必要があるということが述べられ、そして、そのために教員のうち高度の専門性を持つ者に対し、特別の地位給与を与える制度創設することが望ましい、そのための一つ方法として、新しい大学院創設することが必要である。そういう御提案があったものでございます。こういった教員の高度の研究研さん機会というものを保障をする、そして、教員研修の意欲を助長するという方向については、全く異論のないところでございますし、この教員大学構想はそれを受けているわけでございますが、この中教審答申が御提案になった、教員のうち高度の専門性を持つ者に対して、特別の地位給与を与える制度創設するための一つ方法として大学院をつくっていくという、そこのところは、この構想におきましては、この大学院修了者のためにだけ免許状なり、あるいは給与等の面で特別の優遇措置を講ずるということを考えておりませんので、そこは中教審のお考えをそのまま受けているわけではないということでございます。  四十七年の教養審建議におきましては、同じような趣旨におきまして、養成段階充実のほかに、教員研修努力を助長してその資質能力の向上を図るという趣旨から、現職教員研修目的とする新しい構想による大学院、それをつくることと、それから、今後の初等教育教員需給関係などを考えて、初等教育教員に必要な幅の広い、総合的な学力を養うことなどに工夫改善を加えた新しい構想による教員養成大学をつくるべきであるという、そういう御提案をいただいております。この教養審建議による提案を受けまして、四十八年の調査会において具体的に教員のための大学院大学創設についての御提案と、その基本的なあり方についての御示唆を賜ったわけでございます。教員大学は四十九年の調査会報告趣旨に基づいて、その後さらに関係方々意見も聞きながら、創設準備室を中心に構想を練ってきたものでございます。  鯵坂調査会報告におきましては、この大学院考え方、あるいは学部考え方等については、基本的な方向は今回の教員大学構想と同じでございますけれども教育研究組織あり方につきまして、いわば教育研究の機能的な分離を図ることによって、筑波大学におけるようないわば学群学系方向を示しておられたわけでございますけれども、この教員大学は、学部を設け、初等教育教員養成課程を設けるということを具体的に考えておりますので、そういった教育研究組織分離ということを前提とした構想にはなっておりません。そこのところが鯵坂調査会と異なるところでございます。
  11. 粕谷照美

    粕谷照美君 そうしますと、四十六年の中教審答申の中の、大学修了者には特別の地位給与を与える制度創設するという部分については消えると、こうおっしゃったわけですが、四十七年七月の教育職員養成審議会――教養審のこの建議の中で、上級免許状を与える、それから給与の面でも優遇するという部分も、これは消えているというふうに理解をしてよろしいわけですか。
  12. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、四十七年の教養審建議は、この新しい構想による教員養成のための大学設置ということのほかに、一般的に現在の教員養成制度が抱えている問題につきまして、さまざまな御提案をいただいているわけでございます。その中に、免許状あり方について、大学院段階修了前提とした上級免許状制度を新たに設けることに伴う免許状種類の、いわば改善ということが御指摘をされておりますし、そのほか免許基準の引き上げの問題であるとか、教育実習期間の延長の問題であるとか、いろいろな御提案をいただいているわけでございます。こういった教養審建議で御指摘をいただいた問題点は、現在の教員養成制度が抱えている、まさに重要な問題点についての一つの解決の方向というものをお示しいただいたわけでございますけれども、たとえば、免許状種類改善の問題につきましても、大学院段階における教員養成の実情というものが、もう少し普遍化し、前進をいたしませんと、直ちに上級免許状種類上級免許状創設というような形では踏み切れないものがあるわけでございます。  給与の問題につきましても、大学院を出た者と、普通の学部を出た者との間では、現在一年について一・五号の差があるわけでございますが、学部卒業した後に、現場に入ってさらに大学院で勉強をした者につきましては、給与上特別の措置は事実上ないと、そういう状況にございます。そういった点について、どのように考えていくかということは、確かに将来の検討課題ではございます。しかし、免許状の問題、あるいは給与の問題を含めまして、現在直ちにそれを実施をするというような状況にはなかなかないわけでございます。将来の検討課題とは考えておりますけれども、この教員大学卒業生についてはもちろん、一般大学における大学院卒業生についても、免許状あるいは給与の面で、この時点で特別のことを考えるということは、私どもは現在考えていないわけでございます。
  13. 粕谷照美

    粕谷照美君 当時この構想については、師範学校に逆戻りをするとか、あるいは文部省べったりの研修所だとか、大変な批判が相次いだと考えております。そういうような批判の中で、反対意見を出しておりました国立大学協会は、この新構想大学について、一つには、教員人事行政の手段と化し、大学大学としての本来の性格を失って、一種の教員研修所になるのではないか、次に、既設教育系大学学部との関係が非常に不明確である、あるいは大学運営上特別の措置があって問題を持っているのではないかなどというようなことを指摘しておりますけれども大臣国大協がこのような批判をしたということについて、どのようなお考えをお持ちでございましょうか。
  14. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) ある時期に国大協がそのような懸念を持たれたことは事実でございます。その後、文部省から国大協、また国大協の今日ございます須田特別委員会等に、文部省としての考え方をるる御説明を続けてまいりましたところ、そのような御懸念が、いま先生指摘になった、まさにそういった点の御懸念でございましたけれども、その御懸念払拭されたと、このように考えるものでございます。
  15. 粕谷照美

    粕谷照美君 私も、国大協が、特に須田委員長払拭をされたと、こうおっしゃったこともよく経過としては存じております。特に一月二十日に、教員大学に関する疑念払拭されたと記者会見をされているわけですが、その後、衆議院の文教委員会の席上でもおっしゃっておられますけれども、これは国大協の正式な見解ではない、委員長考え方であったということもおっしゃっているわけです。ところが、つい先日、四月の十八日に国大協教員養成制度特別委員会を開いて、その席上で一月二十日の記者会見メモ全会一致で承認した、そして、そのことについての再度記者会見が行われているということが報道をされております。私は、大臣払拭をされたと、国大協が言っておられると言って安心をしておられますが、私自身は、そうではない、やっぱり疑念はまだまだ残っているというふうに考えております。国大協自身もこう言っておられるわけですね。しかし、懸念が晴れたということであって、この問題について賛成とか、反対とか言っているわけではないということも言っておられます。そういう意味では、非常に慎重に審議をすべきであるという考え方を持っております。  さて、その四月の十八日の国大協の再度の疑念払拭されたというこの意思表明と同日に、国大協見解発表と同日の日に、日本教育学会の有志四百十六人が教員大学創設計画を留保し慎重な検討を求めるという、この声明発表をしていることも御存じだというふうに考えます。  まず、この声明発表についての大臣見解というものをお伺いしたいと思いますが、どうでしょう。
  16. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 四百何十人かの方の御意見表明があったということは承知をいたしております。しかし、その署名を連ねておられる方々がどういう方々であるか、すべて私には判然といたしておりません。それだけに、やはり国大協須田特別委員会委員長が、特別委員会としての公式な意思表明をなさいました記者会見というものを、私はやはり信頼をしてまいりたい。また、御懸念を晴らしていただいたことをありがたいと思うわけでございますが、これからもやはりその懸念払拭をしていただいた、その内容がどういうものであったかということも、国会審議等を通じて十分明らかにされていくことと思いますので、これらのことはまた須田委員会に重ねて反映もし、国大協全体にもこの国会での御議論が反映されていきますことによって、重ねての御心配がなくなり、新構想教員大学と、既存の教員養成課程を持ちます大学との間が、好ましい刺激を持ちながら、それぞれ所期の目的を両々相まって果たしてまいりますことに、一層の努力をしたいと考えております。
  17. 粕谷照美

    粕谷照美君 大臣はこの反対声明方々がどういう方々かわからないというふうにおっしゃったわけですけれども、私はどういう方々かわからないということよりも、その内容について御存じかどうかということをいま御答弁を聞いてちょっと疑問に思ったものですから、おっしゃっていただきたいと思います。
  18. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 内容について承知をいたしております。拝見をいたしておりますが、これはやはり一時期須田委員会等がお持ちになりました御懸念と同じような御懸念であって、国会で御審議いただきまして、私ども文部省の方から、文部省考え方等をお答えをしてまいりましたならば、国会審議内容を通じても、これらの方々のまた御懸念も晴らしていただけるのではないか、かように考えるものでございます。
  19. 粕谷照美

    粕谷照美君 御懸念を晴らしていただけるのではないかというような態勢を大臣がとってくださる、とられるという意思表明であるというふうに私は考えております。そういう意味では慎重な審議を心からお願いをするわけですが、その声明の中に私非常に聞き捨てにすることができないと思う部分があるわけです。たとえばこの法案提出が突然であったという観点から、教員養成問題に深い関心を示し、あるいはこれを専門的に検討したことのある教育学者においてすら、ほとんど知らない状態にあると、こう批判をしているわけです。大学局長どうでしょう。教育学者方々がほとんど知らないような状態の中で、これが出されたのでしょうか。
  20. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 先ほど御指摘のございましたように、この新しい構想による教員大学をつくっていく基本的な考え方なり、あるいは、その基本的な骨組みにつきましては、これまで関係審議会なり、あるいは調査会によってすでに明らかにされ、またそれが明らかにされておりましたからこそ、国大協教員養成制度特別委員会における慎重な御検討があり、二回にわたる御見解発表ということになってきたと承知をしております。ただ、たとえば筑波大学創設をするにあたりましては、教育大学がまず学内において慎重に新しい大学構想具体検討をされ、それを受けて文部省の方でも創設準備会において種々に検討をし、大学側との合意のもとに、将来にわたる筑波大学構想というものを、具体に提示をしたという経緯がございます。これは教育大学の意向ということを前提として筑波大学構想をされ、その構想大学の問題として検討することのできる実体が、既設の東京教育大学というものによってあったということによるわけでございます。  大学をつくっていく場合に、その大学構想をできるだけ明らかにし、そして広く関係方々の御意見を承っていくと、それを通じてさらにいいものにしていくということを考えることが、望ましいことはもとよりでございますけれども、反面では大学をどのようなものにつくっていくかというのは、やはりその大学創設にかかわる大学人によって検討されるべき点が非常に多いわけでございます。したがって、私どもはこの教員大学をつくります場合にも、これまでの関係審議会なり、調査会なりのお考え方について、各方面の御意見を聞きながら、先ほど申し上げましたように、修正すべき点は修正をしながら、その骨組みを定めて、それを明らかにし、国大協特別委員会にもそれを御説明をしてきているわけでございます。その内容具体の細かい点についてまで決めていないという点は、確かに御批判のとおりであろうと思いますけれども、それはむしろそういったことのところまでをこの段階で決めてしまうということは、大学大学人によってつくられていくということについての拘束というものを、かけ過ぎてはいけないという配慮をまた他面でしなければならないという、そういう点によるものであることを御理解いただきたいのでございます。
  21. 粕谷照美

    粕谷照美君 その具体的な点について広く大学関係者教育関係者などに明らかにしてくださいという要望もその声明書の中にあるわけですが、なるほど大学の中で、これから大学人たちが決めていくことだとおっしゃる局長考え方もわかります。それではこれから決める期間というのは一体どのぐらいあるのですか。
  22. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) まず教員大学の基本的な構想骨組みというものにつきましては、これは法案を御審議をいただくまでの間に明らかにしなければなりませんし、そのことにつきましては、すでに国会の御審議に際しましても資料をもって明らかにする努力をしているわけでございます。  で、その骨組みとなるもの、その構想についての国会での御審議も踏まえまして、これから創設準備室がさらに具体検討を重ね、財政当局その他関係省庁とも協議をしながら、具体的に細部にわたる詰めを行っていくわけでございます。この法案を今後成立をさしていただきますれば、ことしの十月に大学ができるわけでございますけれども、実際に大学院学生が入ってくるのは昭和五十五年でございます。その期間にこの大学創設に関与される方々によって、十分に構想はさらに具体検討され、詰められていくということに相なるわけでございます。
  23. 粕谷照美

    粕谷照美君 それは、法案が決まって、十月に具体的な内容についての審議を行うとおっしゃっても、それはいわゆる何と言いますか、一般教員養成に関して非常に関心を持っていらっしゃる他大学方々、あるいは教育学研究していらっしゃる方々、そういう方々意見をいれるということでなくて、もう決まったことに従って、そういう範疇の中でやるという、そういう体制ではないのですか。
  24. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 現在の教員大学構想骨組みにつきましては、これから私ども文部省広報資料等を通じて、広く国民にもその趣旨を明らかにしていかなければならないと考えておりますし、その方途を講じてまいります。しかし、その骨組みをどのように具体のものにつくり上げていくかというのは、カリキュラムの問題の細部等を含めまして、これから大学創設に関与する方々検討していくわけでございます。またその努力は、すでにこの大学創設準備室においてこれまでも続けられてきていることでございますし、十月の創設までの間におきましても、創設準備室はできるだけ広く関係方々の御意見を伺いながら、その努力を続けてまいるわけでございます。
  25. 粕谷照美

    粕谷照美君 私はどうしてもその点が、あなたのおっしゃることは理解をするんですけれども、納得ができないというのは、考え方の相違であるかもしれません。  それで、具体的にお伺いしますけれども、私は新潟県の出身者です。今度新潟上越市に教員大学ができるわけですね。上越方々及び上越地方教員人たちは、この大学についてどのような理解を持っているかというと、教員大学院大学ができるといういままでの説明であった、そうすると、いままでの教員大学よりはもっと位のいい学校が来るのだと、りっぱな大学がうちの市に来るんだと、こういう考え方を持っていたわけですね。それが突如として大学院大学ではなくて、教員大学となぜ名前が変わったんだろうか。私も二週間ほど前に長岡市内学校をずっと回っておりましたら、そこにおりました上越から来られた先生が、何だ教員大学名前が変わったのかと、本当にがっかりしておられましたけれども、そのがっかりしたという言葉自体にいろいろな意味があると思いますけれども、非常に名称にしても軽率であったというそしりを免れないと思いますけれども、どういうふうにお考えですか。
  26. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、これまで創設準備、あるいは創設のための調査を続けてまいります間、予算上この大学につきまして、教員大学院大学というように呼ばれてまいりました。これは新しくできる大学学部を持ちますけれども、全体のあり方として、大学院にウエートを置き、そして現職先生方大学院における高度の研究研さんをしていただく機会を確保するというところに、大学の特色がございますので、そういう呼称を持って、従来準備が進められてきたわけでございます。この教員大学院大学という名称について、地元の関係方々が、非常に何と申しますか、愛着と申しますか、そういった好ましいというお感じをお持ちになっていたことは十分に承知をしております。ただ、大学院大学という名称を用いるにつきましては問題がございます。たとえば技術科学大学も同じように大学院にウエートを置いた新しい構想による大学でございますが、他の一般大学と同じように、学部を持ち、大学院を持つという大学につきましては、大学という呼称を用いるというのが筋でございまして、大学院大学という名称を用いるわけにはまいりません。仮に大学院大学という名称を用いるとすれば、それは将来新しく改正されました学校教育法の規定によりまして、学部を持たない大学院だけの大学というものが創設をされることがありますれば、あるいはその大学については、大学院大学という名称を用いることができるかもしれませんけれども、現在の学部を持ち、大学院を持つ大学については、やはり大学という名称を用いる以外にないわけでございます。あわせてこの大学教員のために高度の研さん機会を確保すると、そういう趣旨において、教員のための大学であるということを名称の上でもできるだけ明らかにしたいと、そういうことから教員大学という名称を用いることにしたわけでございます。教員という言葉はすでに法令上の用語として定着をしている言葉でございますから、教員大学という名称につきましても、これは一般方々もやがて十分に御理解をいただけるものと考えております。
  27. 粕谷照美

    粕谷照美君 予算上、大学院にウエートを置いた大学を建てるから大学院大学としたと、最初のころはそうであったといういまの説明ですけれども、しかし、そのころからもう学部を持つということの構想があったのではないのですか。あったとしたならば当然のこと、文部省の専門的な教育の機関なんですから、大学院大学という名前をつけること自体がおかしいというふうにお考えにはなりませんでしたか。
  28. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 先ほども申し上げましたように、創設準備段階では、この大学大学院にウエートを置くものであるという趣旨もございまして、いわば正式な大学名称ということではなくて、進んでいる事柄をあらわす名称として、大学院大学というような呼び方をしていたわけでございます。正式に大学名称をつけるということになりますと、先ほど申し上げましたような事情によりまして、大学院大学という呼称をとることができないということでございます。
  29. 粕谷照美

    粕谷照美君 私はその辺がどうしてもわからないのですけれどもね。学部を持つという構想が最初からあるのであれば、専門的にいろいろな法律なども研究し、やってこられた文部省の言うことなんですから、最初から大学なんですと、そして大学なんですけれどもこうなんだという説明の方が正しいのではなかったか。この地元の人たちを欺くような形に最終的にはなったのではないかという気持ちがいたしますが、どうでしょう。
  30. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、あるいは呼称としては新構想教員養成大学というような言い方をしておく方が無難であったかもしれません。しかし、端的にこの大学趣旨とするところをあらわすということから、教員大学院大学というような、いわば事柄名称というものが用いられてきたということでございます。大学院という呼称を用いないということについての御説明は、いままでも地元に対しては行ってきたつもりでございますけれども、さらに今後教員大学という名称を用いた趣旨については、さらに御理解を得られるような努力をしてまいりたいとは考えております。
  31. 粕谷照美

    粕谷照美君 それでは教員大学という名称についてお伺いをいたします。  衆議院で、須田教員養成制度特別委員会委員長も、教員大学という呼称は好まないと、こう言っていらっしゃるわけですね。具体的に今回出ている法律の中で、愛知教育大にもこの大学院設置されるわけですが、愛知教員大学という名称にはなっていないわけですね。この辺のところを、なぜ教育としないで教員としたかという点については、一般的にそうなっているからという局長の答弁ではわからないわけです。  ところで大臣、どうでしょう、兵庫県にもできるわけなんですけれども、兵庫の方々はこの教員大学という名称に全然抵抗がないんでしょうか。
  32. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 兵庫県の社町にできるわけでございますけれども、私の神戸市からは大分離れたところではございます。しかし、私が神戸市で聞いております限りは、大学院大学という名前で多数の方が、いままでは承知をしてきておられましたけれども、それが教員大学という名前に変わった、しかし、教員大学という名前に変わったけれども、やはり教員のための大学であって、大学院が置かれるんだということを皆さん承知をしておられまして、いま御指摘のありましたような大きな抵抗は、私は地元では余り聞いておりません。
  33. 粕谷照美

    粕谷照美君 大学院大学という名称については地元の方々は大変素直に受け入れられていらっしゃるようですね。教員というのはどうですか。
  34. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 教員のための大学という意味で、どう申しますか、抵抗がないと申しますか、特に名称で議論を地元では聞かないと私は聞いております。
  35. 粕谷照美

    粕谷照美君 大臣の耳にはその声が届かないのではないか。私の耳にはその声が大きく届いているという点では、真っ向から対立をする部分でありますけれども、この辺についても衆議院段階では、名称についての修正案が出ているぐらい、やっぱり大変な問題だというふうに考えているわけです。  それで、その次に移りますけれども教員養成の単科大学の新設というのは、かつての師範教育、あるいは学校制度とどういうふうに違うのかという疑問については、どういうふうに説明をされますでしょうか。
  36. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 戦後わが国の教員養成は、いわゆる一般大学における教員養成、それから国立の教員養成大学学部における、主として義務教育教員の計画的な養成、その二つが相まって進められておりますけれども、それらを通じていわゆる一般大学も、国立の教員養成大学学部も、同じように、課程認定を受けて、免許状の授与に必要な単位を出している、そういう開放制をとっているわけでございます。今回つくります教員大学も、もとより既設教員養成大学と同じような、教員養成のための大学でございます。特に現在の開放制のあり方というものをもちろん変えるということを考えているわけではございませんし、むしろ現在の開放制というものを尊重しながら、その中に教員大学も他の教員養成大学と同じように位置づけていくということでございます。
  37. 粕谷照美

    粕谷照美君 そう説明をされましても、私たちとしてはどうしてもああそうですかと、こう素直に思うところまでまだやっぱり疑惑が解消されておりません。特にこの自主性、創造性に乏しい、視野の狭い教員になると、師範学校卒業生はそうであると、こういう批判があったわけですね。私もその師範学校卒業生ですから、どうも自主性に乏しく、創造性もなく、そして視野が狭いのかなと、こう思ったりするわけですが、そういう反省の中から生まれまして、新しいこの教員養成制度というものが出てきているわけですね。いま他学部学生との交流をしつつ学ぶ学部に切りかえられていった、その改革の視点が失われているというふうに思っているのですが、どうでしょうか。
  38. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 現在単科の教員養成大学としましては、宮城教育大学その他たくさんございます。これらの既設の単科の教員養成大学も同じように開放制のもとにおきまして、それぞれ特色のある教員養成というものを志して、努力をしているわけでございます。現在の教員養成あり方につきまして、開放制をとったことに伴うメリットも非常にあるわけでございます。御指摘のように、視野の広い、一般的な教養というものを身につけた教員、あるいはそれぞれの専門教育、専門科目についての識見を深めた教員というものが生まれてきているというメリットがあるわけでございますが、同時に、片方では、昔に比べますと、実践的な教育能力に欠けるのではないかとか、あるいは教育者としての使命、あるいは自覚というものを十分に身につけないで先生になる人が多くなっているのではないか、そういった批判もまたあるわけでございます。これは、現在の既設教員養成大学におきましても、そういった問題というものを十分に認識をし、それに対応するための努力というものを続けているわけでございますし、そのことは今回つくる教員大学におきましても、同じ課題としてあるわけでございます。
  39. 粕谷照美

    粕谷照美君 それでは、先ほどの新潟上越の問題にまた逆戻りをいたしますけれども新潟大学の中で教育学部、教員養成部分については新潟市に一つ、それから新発田に分校が一つ、長岡に、まあ大体女子を中心に出てきておりますけれども一つ、それから高田に一つと、こうありまして、余りいい言葉ではありませんけれども新潟県内の教育界にはいわゆるそれぞれの学閥というものが大変な弊害を起こしているということを、いろいろとマスコミなどにも書かれてきておりましたし、私自身もその現場の中でいろいろなことを経験しているわけです。そういう意味では、新しい大学ができて、今度は統合するんだと、統一をしていくんだと、こういうふうになりましたので、非常に将来展望なども見えて、教育界の中には明るい空気がわいてきたと、こう考えておりました。けれども、その統合するというのもまた非常に大変なことでして、自分の町に大学があるということは、その住民にとってみれば非常に誇りに思っているところですね。だから、新発田分校を統合しようというときには、もう何日にもわたる、地元民も一緒になった反対運動なんかが出てきたわけですけれども、そういう中で上越市に新しい教員大学ができるということについては、大変な問題が起きるのではないだろうか、こんな心配を持つ人々も非常に多いわけです。そういう中で、現在あるこの新潟大学、それとこの教員大学がどのように補完をし合うのか、あるいは新大当局ともどのような形で話を進め、納得が得られたのかという点についての疑問が残っておりますので、その経過をお話しください。
  40. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、新潟大学教育学部というのは各地に分散をしているという、非常に複雑な状況にございます。そういったところから、かねて統合整備の必要が地元におきましても痛感されておりましたし、私たちもそれを推進する必要があると考えて、事を運んできたわけでございます。しかし、特に高田分校につきましては、これまでの長い伝統というものもございまして、地元に分校を存続をしてほしいという非常に強い御要請がかねてあったわけでございます。御指摘のように、新潟大学教育学部というものを統合をしていくということと、そうして、高田におけるそういった地元の御要請というものとの二つが、いわば私どもの非常に困難な課題としてあったわけでございますが、新潟大学におきましても、また、地元におきましても、新しい教員養成のための大学というものを高田につくる、そうして新しい大学新潟大学とが相互に補完をし合いながら発展をしていく、そういう方向をとることについて、賛意を表されるに至ったわけでございます。教育学部教授会は、昭和五十一年三月に、上越市に教員大学創設をされるということを前提といたしまして、学部の統合整備の方針を決定をし、それがその年の評議会で新潟大学の方針としても決定をされたわけでございます。現在上越教員大学創設準備室につきましては、新潟大学の御協力を得て、運営をしているわけでございますし、この新しい大学構想につきましても、もちろん、新潟大学のいろいろと御協力を得ながら、その構想を進めていくわけでございますが、片方では、御指摘のように、新潟大学教育学部との十分な連携というものを考え、それぞれが特色を持って発展をし、その特色のもとでお互いが協力をしていくという関係をつくっていくことがどうしても必要であると考えております。そのことは新大学創設にかかわっている者も、また、新潟大学教育学部の方々も十分に御承知のことでございます。具体的には、新潟大学に今後どのような形で教育学の修士の課程をつくっていくかというような問題を初めといたしまして、検討をし、解決をしていかなければならない問題があるわけでございますが、基本的な方向については、当事者間の考え方というものの間にそごはございませんので、十分に今後協議を重ねながら、大学創設新潟大学発展のためにもプラスになるし、また、新潟大学発展がこの大学発展のためにもプラスになるような、そういう方向を求めてまいりたいと考えております。
  41. 粕谷照美

    粕谷照美君 お互いに競合し合うというのは結構なことなんですけれども、競合し合うというのが、一つの、たとえば、小学校なら小学校の中に、二つ大学から来られているというときに、非常に問題があったというのは、歴史的に見ても知っているものですから、大変心配をして私は伺ったわけですが、その点については心配ないという明確な御答弁もいただけませんでしたので、また、それはできるような筋合いでもないと思いますので、その点についてはわかりましたけれども新潟大学そのものが既設新潟大学教育学部というものをもっともっと充実をしてほしいという考え方を持っていたということは事実だろうというふうに思います。いま局長は、新大の大学院の問題についても今後検討していかなければならない問題だと、こうおっしゃいました。私は検討する余地があるのか。新潟県内に一つ大学院がある、教員養成のための大学院がある。そうして、今度さらに、現在ある新潟大学教育学部のところに大学院が新たにつくられるということについては否定をされない御答弁だった。今後つくるということを前提にした御答弁だったというふうに思いますが、いかがですか。
  42. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これは兵庫の教員大学の場合についても同じでございますけれども、衆議院で須田参考人が述べておりますように、一つの県内に大学二つあって、片方には大学院があるけれども、片方には大学院がないというような状況が続くと、それは、どうしてもその両方の大学の間にいわば階層的な秩序ができるおそれがある、そういうことは望ましくないということを御指摘になっております。私も方向としてはその須田参考人の御発言は十分に理解できるわけでございます。上越教員大学大学院と、新潟大学の修士の課程とが、十分にそれぞれ特色を持ってお互いに補い合うようなものとして発展をする、そういう方向考えなければなりませんし、そういった意味で、新潟大学教育学部の大学院につきましては、これまでの新潟大学教育学部の実績というものを考え、それが特色を持ったものとして設置されますように、これから大学でも御検討をいただくわけでございますが、それを尊重しながら対応していきたい。方向としては、御指摘のように、私たちは新潟大学に修士の課程を置くということについては、これからの大学の御検討にかかわることではございますけれども、積極的に対応したいと考えておるわけでございます。
  43. 粕谷照美

    粕谷照美君 兵庫県の中に、教員養成する大学二つできるというのは、関西地方の教員の需給条件から見て、私は大変納得ができるわけです。新潟県内の教員の需給状況というのは、どのように大学局としては見ていらっしゃるわけですか。
  44. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 県内の公立小学校の採用数、これを五十二年の四月の状況で見ますと、新潟の場合には、新潟大学卒業して就職をしている者が百八人。ほかの県から来て就職をしている者が四十九人。それから一般大学、短大等を出て教員になっている者が二百四人。先ほどほかの県からと申しましたのは、ほかの県の教員養成大学を出てという意味でございます。全体として三百六十一人が採用されておりますが、そのうちの六九%は新潟大学教育学部の出身者でございます。兵庫の場合には、ここのところが、神戸大学教育学部を卒業しております者が全体の採用者数の中で三八%程度でございますから、御指摘のように兵庫の場合と、新潟の場合とは需給の状況ではいささか趣を異にしているところはございます。しかし、全体の現在の需給の状況というものを見てまいりますと、小学校教員についてすぐれた資質の者を供給しなければならないという点は、新潟の場合についても考えられるわけでございますし、また、小学校教員養成、あるいは大学院レベルにおける再教育というのは、これはその県の中だけのことではなくて、広く地域的な状況というものを考えて、とり進められてしかるべきものだと思いますので、新潟の場合におきましても、県内に二つ大学をつくるということが、需給の面で非常に差しさわりになるというようなことではないと考えております。
  45. 粕谷照美

    粕谷照美君 差しさわりにはならないんですよね。幾ら教員の免許を持った学生がふえてきたって、差しさわりにはならないと思います。けれども、いまあそこの県は過疎県でしてね。そして定年も――定年というのはありませんけれども、いわゆる勧奨退職年齢というものも徐々に延期をされまして、空きがないわけですね。空きがないからどうしても新卒を採用しようとすれば、だれかを追い出さなければならない。その追い出される一番の目標になっていくのが女の先生で、しかも戦時中に臨免って言うんですか、臨時教員養成所の。ここのところを出まして、そして教員になった方々が出されていくわけです。そこをいろいろと考えてみますと、生徒が減っていく、なかなか先生がやめない、それなのに新しい大学がさらにふえていく、こういうことでは、また私たちがやめなさいという圧力が来るのではないかという心配もいろいろ出されているわけです。だから教育現場の中に非常な不安が巻き起こっているわけですが、そういう意味で、私は、この大学の需給について余り過ぎるのではないかという気持ちを持つのですが、いかがでしょう。
  46. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、新潟の場合が兵庫と事情を異にするという点は私たちも考えております。ただ、先ほども申しましたように、小学校教員の需給の状況というのは、全国的に見ますと、なお子供の数の増加の状況が続く、あるいは社会的な異動が続くというようなことがございまして、毎年かなり不足をする状況にございます。小学校教員養成というものをその県の中だけで対応するということではなくて、やはり広域的に考えていく必要があると考えておりますので、御指摘のような問題が県内において生ずることのないように、十分配意はしていかなければならないと考えております。  なお、先ほど兵庫の場合に三八%と申しましたけれども、これは兵庫の県内で教員養成大学から先生になった者のうち、神戸大学教育学部の者が三八%という意味でございまして、全体の採用数から見ますと、兵庫の場合には神戸の教育学部を出た者は一三%でございます。新潟の場合には、新潟大学教育学部を出た者は全体の三〇%、そういうことになっております。
  47. 粕谷照美

    粕谷照美君 いま局長がおっしゃいましたけれども教員の需給は、全国的に不足だからその県だけでは対応できないので、広範に考える必要がある、こうおっしゃっていますけれども、本当に足りないんですか。それはどういう統計をもとにしておっしゃっているんですか。
  48. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 今後の小学校教員の採用数の見込みにつきましては、先ほど申しました児童数の増加に伴ういわゆる自然増、退職者補充のほかに、教育条件の改善のための改善増等を含めて考えなければならないことではございますが、現在五十四年度以降の教員定数の改善方針については、検討が行われている段階でございます。そこで、自然増あるいは退職補充だけから推計をいたしましても、五十三年度の入学定員等に基づく供給数では、ここ数年間にわたりまして、増加分として二千四、五百がさらに増加して供給しなければならない数と見込まれるわけでございます。
  49. 粕谷照美

    粕谷照美君 調査室が出していらっしゃるこの資料を私見ているんですけれども、どうも話がおかしいんじゃないだろうかと思います。  たとえば、昭和五十二年の三月に、小学校教員養成大学学部卒業した者は一万二千九百人、そして七千八百人が採用になっているわけですね。すると、教員養成大学学部卒業した方々の六〇%採用で、あと四〇%の方々は、それはおやめになった方々もいらっしゃるでしょうし、教員になりたくないとおっしゃった方もいらっしゃると思いますけれども、だけれども、ずいぶん免許状を持って、その専門の学校卒業した人で、教員にならない、あるいはなれないという状態が出ているかと思います。さらに、一般大学で免許を取っていらっしゃる方が三千九百人、そのうちで教員になられた方が二千六百人ですから、ここでも千三百人余っている。短大でも九千百人、採用が千六百人ですね。大学院も含めて計算をしてみますと、二万五千九百人の教員免許状を持っていらっしゃる方々に対して、採用は一万二千百人だ、こういう現実が出ているではありませんか。中学校においてもしかりです。教員養成専門の大学、あるいは学部卒業した学生が一万四千五百人、採用された者が二千七百人ですから、ものすごい数の学生たちが就職することができないでいるという現実があります。一般大学卒業生五万三千七百人、これに対して四千人の採用、短大は三万三千四百人、これに対しては三百人の採用と、いろいろこう出ておりますから、私は全国的に不足だという局長の御答弁がわからないんですけれども、どうでしょう。
  50. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、五十二年度の供給実績を見ますと、たとえば国立の教員養成大学学部免許状を取得した者の数が一万二千九百、就職した者の数が七千八百ということになっております。これは免許状をいわばダブって取得をしている者があるわけでございますから、この一万二千九百というものを、今後教員の需給を考える場合の供給可能な実績数として見ることはできないわけでございます。先ほど二千四、五百の供給増の必要があるということを申しましたのも、そういった意味で五十三年度の入学定員等を基礎としまして、供給可能な数というものを見込む場合に、国立の教員養成大学学部卒業生で、供給できる数を九千と見込み、あるいは一般大学学部の数を二千五百と見込む、そういうような、従来の実績に基づく試算をいたしました上で申し上げているわけでございます。
  51. 粕谷照美

    粕谷照美君 そういう計算は、実績に基づくというふうに言われておりますけれども、何が実績であるかということについては明確な資料がないんじゃないですか。たとえば一万二千九百、このうちのダブリというのは、どのくらいあるんですか。九千というダブリはどのくらいの年月、事実としてあらわれているのですか。
  52. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 五十二年の実績で申しますと、教員養成大学学部卒業した者の数が一万六千七百七十名でございます。そのうち免許状を取得した実数は一万六千六百八十六、九九・五%が免許状を取得をいたしております。その中で、小学校免許状を取得した者が一万二千九百十一、中学校免許状を取得した者が一万四千五百三、高等学校免許状を取得した者が一万二千八百一、特殊教育の諸学校免許状を取得した者が千九百四十九、幼稚園免許状を取得した者が二千七百四十六、養護教諭の免許状を取得した者が七十七、総計で四万四千九百八十七ということになるわけでございます。これは実数と延べ数の差、つまり、そういう形で教員養成大学学部を出た者は複数の免許状を取ってまいります。これが実際どのような形でダブっているのかというのは、私どもは現在手元に資料を持っておりません。
  53. 粕谷照美

    粕谷照美君 しかし、いま景気が悪いせいもありますけれども、なかなか教員になりたい人たちが多くて、そして入る実態がないから何カ月も何カ月も待機をしているわけですね。非常勤講師なんかになって、ずいぶん若い青年たちが本当に不安定な毎日を送っているということに対して、私は心が痛んでならないわけですが、そういう意味では、もう少し正確な資料というものを必要とするのではないか、こう考えているところです。  ところで、この新構想大学は、幼稚園の教員免許状も与えると、こう聞いておりますが、どういうふうになっておりますか。
  54. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、初等教育教員養成課程を置くわけでございますので、ここでは小学校免許状と幼稚園の免許状を取得することができます。
  55. 粕谷照美

    粕谷照美君 そうしますと、幼稚園の先生になるという方も卒業されるわけですね。そう思いますと、先日の文教委員会でも質問したんですけれども、いま幼稚園で、公立の幼稚園というのは非常に数が少ない。しかもその公立の幼稚園ですら、いわゆる教職三表適用の給料をもらっている人たちは非常に少ないわけですけれども、圧倒的に私立の幼稚園が多い中で、こういう大学卒業した人たちが幼稚園教員になるという、そういう希望を持って現場におりていけるんでしょうか、その辺の見通しはいかがでしょう。
  56. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のような問題はあると率直に思います。この大学の場合には、従来、既設大学におきましても、非常に問題の多い小学校教員、あるいは初等教育教員養成段階について、これまで既設大学でもいろいろと工夫をされているような事柄について、この大学においてもいろいろな改善工夫を加えていく、そういうことの中に、小学校と幼稚園との関連というふうなことも課題の一つとして出てくるわけでございますので、初等教育教員養成という課程を設けることとしたわけでございます。この大学卒業した者が幼稚園に進んで就職をしていく、あるいは就職することができるような状況になるかどうかという点については、私どもも地域の状況によって、それは一様には言えない点があるだろうと思います。
  57. 粕谷照美

    粕谷照美君 そうしますと、この幼稚園の免許状ももらえるということになりますと、考えてみますと、学制改革などということも考慮したいまの構想大学であるというふうに考えていいのかどうかという点が一つと、自然増を考えてみても、教員養成は足りないのだから、やっていかなければならないと、こうおっしゃっておりますが、いま一クラス四十五人ですね、今後第五次計画がどのようになるかわかりませんけれども、一クラス四十人になったとしたならば、もっともっと足りなくなってくるんではないか、こう思いますけれども大臣、いかがですか。こういう観点に立って、教員をふやしていくということは、やっぱりもっといい教員もふやしていくということと同時に、いままでの制度もそのまま残していくわけですから、どんどんどんどん教員になりたい子供、なれる条件の子供たちがふえていくわけですね。そうすると、文部省自体の考え方の中には、四十五人でやっぱりあれだから、四十人にだんだん一クラスの生徒の定数を減らしていこう、そのためにも教員をうんと養成しなければならないと、こういうお考えがあるのでしょうか。
  58. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 学級編制基準の問題は、第四次の計画が本年で完了いたしますので、それについての悉皆調査をいたしまして、第五次の計画は、その後第五次分の計画として立案されるわけでございます。これは衆議院にも文教委員会に小委員会が設けられるように承ってもおりますし、この小委員会の御意見ども承りながら、悉皆調査の結果を待って検討をするべき重要な課題であると心得ておりまして、新構想大学に直接そのことを結びつけた考え方は持っておりません。ただ、先ほどから大学局長がお答えをいたしておりますけれども、私どもが把握いたしております数字によりますと、教員志望の方々が、中・高へ就職をしたいというお方々がたくさんおありのようでございますが、小学校教員を目指す方が大変少ない。そのことにも対応していかなければならない今回の大学でございます。
  59. 粕谷照美

    粕谷照美君 大臣にお伺いしますけれども、なぜそういう免許状を持った生徒たちが小学校よりは中学校、高校へ就職をしたいと考えるのでしょうか。何か、こう心理的な分析をお伺いをして悪いですけれども大臣自体のお考えをお聞かせください。
  60. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) やはり若い教員たらんということを志して、大学で勉強される青少年たちにとって、いまの段階では中・高校の先生の方が魅力があると考えておられると私は考えております。
  61. 粕谷照美

    粕谷照美君 なぜ魅力があると考えているとお考えでしょうか。
  62. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 現在教員養成大学あるいは学部におきましては、小学校教員養成課程のほかに、中学校教員養成課程も置き、あるいは特殊教育学校教員養成課程を置いているわけでございます。しかし、率直に申しまして、衆議院の参考人指摘をしておりましたように、全教科を担任をしていく小学校教員養成課程よりも、より一つの学科というものの専門性というものを求めていく中学校の課程の方に、教官なり、あるいは学生の志向というものが向く傾きがあるということは言えるわけでございます。そのことは現在、各既設大学が小学校教員養成について種々検討を加え、改善を加えようとしている場合の一つ問題点ではございますけれども、そういう傾向が養成段階に、やはり学生の志向としてある。一つの教科というものについてその専門的な研究を深めていくという、そういう志向というものを学生が持ちがちであるということがひとつあると思います。それともう一つは、実際の学校現場における勤務の条件というようなものからして、やはり小学校の方が大変だという考え方を、教員になろうという学生が持ちがちであるということがあるということは、率直に言って言えようかと思います。私たちは、その点は何とかして小学校教員の方へ、教員としての使命感を持ったすぐれた人材が来てくれることを念願をしているわけでございます。
  63. 粕谷照美

    粕谷照美君 すぐれた人材が行くということは非常に重要なことだと、私自身も思います。それに対して、局長がおっしゃったように、本当にいまの生徒たちが、小学校教員の方が大変だという、この大変だという中身を分析したいと思いますが、もうすべての教科を持つという、この困難さなどというのは大変ですね。頭がよくて入学をしても、体が余り丈夫でなくて、体育が得意でない先生が、水泳も教えなければならない、スキーもやらなきゃいけない、スケートもやらなきゃいけない、飛び箱も飛ばなきゃいけない、マットもやらなきゃいけない。こういうような課題についてだって、非常に困難を感じるという部分もあると思います。ですから、それぞれの小学校に対して、専門性を持った教師を配置をするというような、この教育条件の改善というものも必要になると、こう考えております。  さらに考えられることは、私なんかもよく学校を回りますと、小学校には空き時間がないわけです。中学校には空き時間がある。ですから、一人当たりの教員の受け持ち時間数などというものもきちんと確保してやるような、そういう労働条件の確保がない限り、私はなかなか、小学校教員になりましょうと、いい先生を出すためにこういう学校をつくりましょうと、学校だけつくっても意味がないのではないかという考え方を持つわけです。  ところで、昭和四十九年の五月に「教員のための新しい大学大学院構想について」という報告書を見まして、私は非常に疑問に思うことがあるのですが、大変関西の方では短大卒業生が大ぜいだと、こう言われているわけです。ところが、この短大の卒業生は、大学院に入ろうとする場合には一級の免許状を持たなければならないですね。すると、ずいぶん大ぜいの人たちがこの大学院に入れないという状況が現実に出てくるのではないだろうか。  二番目には、学部には初等教育課程を置き、教育実習を重視、入学定員は二百人で、男女比を配慮すると、こうあるわけですけれども、男と女の比率を一体どこでどのように配慮をするのかという部分についても明らかでありません。この辺をお伺いしたいと思います。
  64. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 大学院でございますから、入学資格は大学卒業程度ということになるわけでございます。したがって、短大を卒業した先生というのは、御指摘のように、この大学院に入る基礎的な資格がないということになります。しかし、現職先生方にできるだけ大学院レベルにおける研さん機会を確保したいという趣旨からすれば、御指摘のように、短大を卒業して小学校先生におなりになっている方についても、できるだけ門を開く努力はすべきであると考えております。現在、創設準備室検討しておりますのは、御指摘のように一級免許状の取得ということを一つの要件として、大学院への入学を考えることができないかという問題でございます。これは大学設置審議会の基準分科会での御検討をさらに煩わさなければならない事柄ではございますけれども大学院をつくっていく趣旨からして、できるだけ考えたいと、そういう考え方を持って、対応をしているわけでございます。これは現在の段階で、短大卒の者が直ちにこの大学院に入学できるという状況ではございませんけれども、何らか短大の卒業生につきましても、実務経験の評価等によって、入学資格を幅広く認める、そういうことができないかという点について、各界の意見を聞きながら検討をしてまいりたいということでございます。  男女別の問題でございますが、小学校教員につきましては、御案内のように女子教員の比率が年々高まっております。体育や特別活動の指導等と関連をいたしまして、男子の教員の比率をもっと高めてほしいという御要望があるということは十分にわかりますし、また、そのことから養成段階においても何らかの配慮をしてはどうかという御提案もあるわけでございます。しかし、女子教員が現に小学校等において果たしている役割りというものを考えますれば、そういった男女比というものをあらかじめ想定をして養成考えていくということについては、私は問題があると思います。少なくともこの教員大学におきましては、男女別に入学定員を設けるということは考えておりません。
  65. 粕谷照美

    粕谷照美君 私も、男女別に入学定員を設けること自体が非常に異常なことだと、男性も女性も喜んで教員になりたいという条件をつくってやることこそ重大な使命ではないだろうか、こう考えているところです。で、この新しい大学構想ができるということは、いままでの大学ではやっぱり問題があると、こういうふうに考えていらっしゃるから、皆さんがいろいろと御意見を出されたんだと思いますが、なぜいままでの教育大学では足りないのか、その原因というのは一体どこにあるというふうにお考えでしょうか。
  66. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 既設大学ではできない、したがって、新しい大学をつくるんだという構想ではないわけでございます。当初、国立大学の側におきましても、この教員大学構想が、既設大学の整備ということを、いわばなおざりにして、そして現在抱えられているいろいろな課題というものを、新しくつくる大学によって対応をしていくということを考えるのではないかという御懸念があったわけでございますけれども、私どもは、新しくできる大学というのは、既設大学の整備と両々相まって、お互いにいい刺激を与え合いながら発展をしていく、そういう姿を考えているわけでございます。もちろん大学院のレベルにおきましては、既設大学にもこれから修士の課程を逐次つくっていかなければならないわけでございますし、そういう方針を持っているわけでございますが、これまでにできました二つ大学大学院の実績にかんがみましても、修士のレベルに現職先生方が大量に受け入れられるということは、なかなか実現が困難でございます。それは望ましい方向ではあり、できるだけ既設大学における修士の課程においても、現職教員への研さんの道を開いてほしいと思っておりますけれども、片方では学部を出て大学院に進むという者の数がふえてくるわけでございますし、またそのことは、これからの教員養成考えていく場合の一つの大事な方向でもございます。したがって、既設大学の修士の課程の整備というのは、やはり学部卒業生大学院への進学ということをかなり考えたものとして、それぞれ特色のあるものをつくっていただくということを、大学側にも御検討いただかなければならない面が多いわけでございます。また、小学校教員養成につきましても、先ほど申し上げましたように、全体として小学校教員の需給の状況というのは、なお供給の増大を必要とする状況にございますけれども、それを既設大学養成課程の定員増で対応するということについては限度がございます。これは、ことしも香川大学、あるいは静岡大学等におきまして、小学校教員養成課程の増募を行っておりますけれども一つ大学の中で教育学部が大きくなり過ぎることについて、やはり問題が大学運営の中でありますし、また、教育学部の中の小学校教員養成課程が非常に大きくなり過ぎるということについても問題がございますから、既設大学の整備ということで対応できることについては限度があるわけでございます。したがって、やはり条件の満たされる場合には、新しい教員大学において小学校教員についての養成考えるということが必要になってまいります。さらに既設教員養成大学学部の場合には、先ほども申しましたように、小学校、中学校、あるいは特殊教育学校養成課程を持っております。全体としてバランスのとれた運営、発展というものを考えて、それぞれ御努力になっているわけでございますが、やはり小学校教員養成課程というのは、非常に大事な課程であり、かつ、それぞれの大学で御苦心をされている点はありますけれども、なかなか既設養成学部の場合には、小学校教員養成課程だけについての対応がむずかしいという面があるわけでございます。これまで教員養成大学関係方々の間でいろいろと議論をされてきている小学校教員養成課程の課題というものにつきましても、新しい大学においてそれに積極的に対応をしてみる、そしてそれが既設養成大学にもいい影響を与えていくということも期待されるわけでございます。そういったいろいろな面を含めまして、新しい大学既設大学とが両々相まって発展をしていくということを願っているわけでございます。
  67. 粕谷照美

    粕谷照美君 局長のおっしゃることは、私よくわからないのですけれどもね。小・中学校というのは義務教育です。国でもってもう責任を持って教育をしなければならないから、だから教員養成をしなきゃならない。その教員養成に見合う分というものを国がこうやっていこうとする場合に、なぜ小学校教員養成課程が、たとえばA県におけるA大学校の中で、小学校教員養成する学部が大きくなるということは問題なのですか。教育学部が他の学部より大きくなることがなぜ問題なのですか。
  68. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 学部の性質によって入学定員に差があり、あるいは教官の数に相違が出てくるということは、それは当然あり得ることでございますから、そのことを私どもはいけないと言っているわけではございません。ただ、大学の全体の運営を考えていく場合には、現在の地方の国立大学、それぞれ学部の数は異なっておりますけれども、その中で、やはりそれぞれの学部がバランスのとれた発展をしていくということが基本的に必要でございます。できるならば、学部あり方というものについては、そういった均衡のとれた発展というものを維持しながら、その限度の中でいろいろと増設その他を考えていくことが必要なわけでございます。場合によっては、御指摘のように、一つ学部の方がかなり大きくなるということもあり得るわけではございますけれども方向としてはそういう全体の大学の運営について、バランスを失する形になるような整備の方向というのは避けたいと思っているわけでございます。
  69. 粕谷照美

    粕谷照美君 では話を変えまして、既設大学、ここになぜいままで大学院がつくられてこなかったかという、この疑問は、先ほどから私質問しているつもりなんですけれども、十分にわかる答弁をいただけませんのでお伺いいたします。
  70. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 現在の国立の教員養成大学あるいは学部は、御案内のように戦後旧制度師範学校等を母体として発足をいたしました。そして、戦後急激に教員需要が増大をしてまいりましたので、それに対処をするということをまず第一義的に要求をされたということがございます。そうした事情から、教官の組織なり、あるいは施設、設備等が十分に整備されたとは言えない状態にございました。これまでそうした状況にある教員養成大学学部充実には努めてきたところではございますけれども、なかなか大学院を置くことができるまでに学部充実が見られていなかったということでございます。東京学芸と大阪教育の場合には、発足に当たりまして複数の学校が統合をしたということもございまして、比較的早くから教官組織充実をしていたわけでございます。そういったこともあって、大学院設置を早い時期に見たわけでございますけれども、いま申し上げましたような事情があって、その他の大学の場合にはなかなか大学院設置ということを行うに至らないで今日にまで来ているということでございます。
  71. 粕谷照美

    粕谷照美君 ですから、さっきから私わからないというのはそこのところがわからないのですね。なぜできなかったかということは、私はやはり文部行政のサボタージュではなかったかと、こういう考え方を持っているものですからお伺いしている。あるいは大学側の方に、そのような大学院は要らないんだという考え方が強かったのか、その辺をお伺いしているわけです。
  72. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 発足当初の事情がそのような状況にありましたために、長くいま申しましたような状況にあったわけでございますが、その後私どももできるだけの努力をいたしてまいっておりますし、教官組織等についての充実も進められておりますので、各大学におきましても、教育研究体制の確立や、内容充実を進めてきているわけでございます。昭和四十八年度ごろから大学院設置について、それぞれの大学検討を行うものが出てまいっております。五十三年度の概算要求の案を取りまとめる時点におきまして、各大学において修士の課程を持ちたいという計画を持ったものが十三ございます。これらの十三の大学学部状況が、すべて大学院を置くに足るほど整備をされているというわけではございませんけれども、それらの大学において大学院設置ということについて、真剣に検討をされ、あるいはされようとしている状況があることは事実でございます。
  73. 粕谷照美

    粕谷照美君 いま十三とおっしゃいましたけれども、これは三十三の間違いではないんですね。十三校ですか。四十七大学のうちの十三が大学院考えているというふうな御答弁ですが、それでよろしいわけですか。
  74. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 十三という数は、五十三年度の概算要求をまとめる段階で、それぞれの大学から修士課程を置きたいという要求の出てきたものの数でございます。各大学において修士の課程を置くことについて検討を行っているところは、もちろんもっと多いだろうと思います。
  75. 粕谷照美

    粕谷照美君 これは衆議院における参考人の御意見の中で、たしか教育学部は四十七分の三十三考えているというふうな数字がありましたけれども、あれは記録の間違いなんでしょうか。
  76. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 国大協の方で御調査になって、各大学考えているものが三十三という御指摘参考人からございました。私が申しました十三という数は、具体的に大学から修士課程設置の要求として文部省に書類の出てきたものが十三ということを申し上げたわけでございます。
  77. 粕谷照美

    粕谷照美君 そうしますと、今回は十三上がってきた。しかし、その背景にはまだ二十の大学がやっぱり大学院をつくりたいと、こう思っていると理解してよろしいでしょうか。
  78. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 私は、事柄としては、二十に限らずに、現在修士課程を持っていない教育学部、あるいは教育大学はすべて修士課程を置きたいというお考えをお持ちだと思います。
  79. 粕谷照美

    粕谷照美君 では、それに対して文部省としてはどのような答え方をされるつもりですか。
  80. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これまで修士の課程を教育学部については置いてこなかったわけでございます。しかし、五十三年度から愛知教育大学に修士の課程を置くというお願いをしているわけでございますし、これを愛知教育大学に置くことをもってとどめるということではなくて、いま申しましたように、各大学においてそれぞれ検討が行われているわけでございますから、各大学検討の進捗状況考え、また各大学における教育研究体制の整備の状況というものを考えまして、逐次修士の課程を置いてまいりたいと考えているわけでございます。
  81. 粕谷照美

    粕谷照美君 大臣にお伺いいたしますけれども学部はできるだけ大きさにおいても均衡のとれたものが望ましいと、先ほど大学局長がおっしゃいましたけれども、大きさだけで均衡がとれているというふうに考えること自体は非常に問題があるのではないか、こう思います。具体的に他の専門学部に比べて教育学部の予算というのは非常に劣っている、格差があると、こういうふうに言われておりますけれども大臣それ御存じでしょうか。
  82. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 教育学部予算は、なお充実をしなければならない重点学部であるということは承知をいたしております。
  83. 粕谷照美

    粕谷照美君 格差があるということをどうも御存じないような感じがしますが、大学局長、これ差はないんでしょうか。私は日教組の大学部などからもいろいろとお話を伺っておりますし、日教組でなくても、大学先生方からも具体的にそういうお話も伺っております。衆議院の公聴会においてもそのような指摘須田委員長からなされておるようです。その辺についてはいかがですか。
  84. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 須田参考人も述べておられましたように、助手の配置の状況、その他教員養成関係学部について、他の学部と比較をしてさらに充実をしなければならない点があることは、私も率直に認めなければならないと思いますけれども、しかし、発足当時の事情は先ほど申し上げたようなことでございますが、その後、課程の拡充であるとか、あるいは教官組織充実、あるいは施設設備、付属学校の整備等を鋭意進めてきておりますので、現在では他の学部と比較をして、著しい差があるというわけではない、余り差のないところまで水準としては達しているというように考えております。現状で十分であるというふうに考えているわけではもちろんございませんから、今後とも整備充実を図ってまいります。
  85. 粕谷照美

    粕谷照美君 余りそんなことないと、こうおっしゃっていますけれども、では衆議院の須田参考人はどのようにおっしゃっているかといいますと、教育学部の予算一に対して、修士課程を持つのは一・二倍と、さらに博士課程を持つのはその修士課程のさらに二倍だと、こういう意味でも大きな格差がありますし、人員配置でもそうだと、こう言っているわけですね。人員配置はどうでしょう、旧帝大などに比べてどのような比率になっておりますか。
  86. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これは非常にむずかしい問題で、なかなか比較がむずかしいわけですが、教員養成大学学部における教官一人当たりの学生数を仮にとってみますと十二・九人――十三人弱でございます。教員養成学部とどの学部を比較をすることが適切であるかという問題があるわけでございますが、比較的広領域にわたる授業科目を開設をするものとして教養学部をとりますと、教養学部の場合には二十七・一人、文理学部の場合には十二・四人というような状況でございます。ただ、教員養成大学はいろいろ沿革的な事情がございますので、全部が十二・九人ということではなくて、これは平均をとったわけでございます。十人未満のものが七大学ございますし、あるいは十四人以上のものが十五大学あるというようなばらつきはございますけれども、いま申しましたような状況にあるわけでございます。
  87. 粕谷照美

    粕谷照美君 もっと具体的に言いますと、旧帝大では教授に対する助手の比率が、教授一に対して一・七、それから旧制医学部を中心とした新制大学は〇・九七、医学部のない新制大学は〇・三六、それに対して何と教育学部は〇・一でしょう。十人に一人だというんですね。この数字は間違いですか。
  88. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のとおり、教官当たりの助手数を見ますと、教育学部の場合には〇・一一、農学部で〇・六一、経済学部が〇・二三、理学部が〇・八一、文学部が〇・四〇、そういうような状況にございますから、教育学部の場合は助手の数というものを教員当たりで見ますと、他の系統の学部よりは低位にあるわけでございます。
  89. 粕谷照美

    粕谷照美君 したがって、そういう問題点については、大臣どのように今後改善をされようとお考えでしょうか。
  90. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 私はやはり大学の授業形態というものから考えますと、必ずしも定員の数だけで議論するのが正しいかどうか疑問に思うものでございます。ただやはり一般教育充実のためには、定員措置の上でも、また学生増員の措置ともあわせて、一般教育教官の充実を図りましたり、なお一層の充実のための努力は今後もさらに一層やっていかなければならない、かように考えております。
  91. 粕谷照美

    粕谷照美君 ですけれども、十人に一人の助手というのは非常に問題があるんじゃないですか。私はそういう点からも非常に圧迫をされているということを思わないわけにはまいりませんが、先日新聞を見ましたら、国立大学一般担当部局協議会、この特別委員会報告で、教養部を設置していない十九国立大学は非常に差があるということでしたね。三分の一は非常勤講師だなんて、こんなばかなことがあっていいはずないと思います。専任教官一人当たり学生数が小・中学校よりも多いと、こんなことも本当の話だろうかと、こう思うわけですが、大学先生方が集まりまして正式に発表されたものですから、そういうこともあろうかと、こういうふうに思うんですけれども、この実態はどうなっておりますか。
  92. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) あの報告書にございますように、教員一人当たりの学生数というもの、学生負担を見ますと、教養課程を一年半と考えますと、定員措置の上では二十九・四人の学生を抱えているということになります。これは小学校、中学校、高等学校よりも多い数でございます。しかし、大学の授業の形態というのは、高等学校以下とは非常に御案内のように異なるものがございます。一般教育の実際の担当は必ずしも定員措置だけでは判断できません。これは専門の方からも非常な応援を得ておりますので、定員措置の単純な計算で比較するということには問題があると思います。もちろんそのことは現在の一般教育あり方というものを、このままで置いておいていいということではございませんけれども、単純に教員一人当たりの学生数をもって、現在の教養部の問題とするわけにはいかないだろうと思います。  また非常勤講師につきましては、一般教育の授業時間数の三割以上を、非常勤講師に依存をしているという御指摘報告書にあるわけでございますけれども、この非常勤講師の中には、学内のほかの学部から非常勤で応援をしていただいている講師も含まれているようでございます。非常勤講師というものは専任の講師の負担過重を避けるために応援をしてもらうという消極的な意味を持つだけではなくて、大学間の交流を深めたり、あるいは学部間の交流を深めると、そしてそれによってカリキュラムの幅を広げていくという積極的な面がございますので、特に一般教育の場合には、いわゆる全学を挙げて一般教育に当たるという構想をとっている大学もございますように、専門教官の応援をそういう形で受けるということもあるわけでございますから、これまたそういった学内の非常勤の協力というものを含んでいるその報告書の指摘について、直ちに非常勤講師への依存が非常に多いということを、否定的にだけ考えるわけにはいかない面、があるわけでございます。ただ、一般教育専任の教官定員について、それをさらに充実をするための努力をする必要があるということは、私たちも十分に考えております。
  93. 粕谷照美

    粕谷照美君 あの見出しは大変ショッキングだというような感じの御答弁でありますけれども、私も実はその実態を知りたいと思いまして、大学局にきのうの夕方電話をいたしましたら、最初はその資料がないということでしたけれども、その後ありました、ありましたと言って持ってこられました。多分つい最近出された資料だろうというふうに思いますが、五センチ近くもあるような、昔の「キング」の臨時増刊みたいなあんな資料を、夕方からきょうまでの間に見るわけにいきませんでしたので、内容については、説明だけを伺ったわけですが、それでも、文部省大学設置基準一般教育の専任教官の数ですね、入学定員百人で七人、二百人で十二人、三百人で十五人、プラス百人ごとに三人増だという、この基準にすら満たない大学が十八もあるということはどうも納得がいかないのですが、いかがですか。
  94. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これもむずかしい問題がございまして、一般教育を担当するその組織を教養部として独立をさせている、そういう大学におきましてはもちろん大学設置基準を充足をいたしておりますけれども一般教育を全学的に実施をする、あるいは特定の学部で責任を負う形で実施をするという、そういう大学の場合には、定員措置の上では基準を満たしていないものが十八大学ございます。これは全学的に、あるいは全学部的に一般教育に責任を負うという体制をとります。そういうたてまえをとっておりますことによるものでございまして、実際の担当の上ではもちろん、一般教育に必要な教員の配置は行われているわけでございます。ただ、文部省といたしましては、一般教育充実のために、定員措置の上でも、学生増員の措置とあわせて、一般教育教官の充実を図りておりますし、総合科目の開設であるとか、あるいは教育内容方法改善のための教員の増員であるとか、そういったことについて、これまでも努力をしてきているところでございます。
  95. 粕谷照美

    粕谷照美君 局長がそういうふうに御答弁くださると、少し悪いという程度にしか私どもは聞けないわけでございますが、しかし、こういうふうに少ない教官で一般教育を非常に無理をしてカバーをしているという実態もありますし、そういう体制の中では貧弱な教育が行われて、何だ、こんな大学教育は、高校の繰り返しではないか、何のためにやっているのかわかんないなどという学生の酷評があるというんですね。入っている学生がそのようなことを言う大学というものは、私は信頼されない、みずからの大学を出てきたということを誇りに思えないというふうに考えます。ゼミナールの開講すらできないなんという実態については、早急に体制を整えるべきであるというふうに考えますけれども大臣いかがでしょう。
  96. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) やはり一般教育教員の数、教員組織の問題は、いままでも努力をしてきているところでございますけれども改善をしなければならない重要な課題でありますことは承知をいたしているわけでございまして、大学局長が御答弁をいたしましたとおりに、今後も一層の改善のために努力をしてまいります。
  97. 粕谷照美

    粕谷照美君 局長はその資料の分析をいつごろされますでしょうか。内容については私はどうも疑問があるものですから、その御報告をいただきたいと思いますけれども
  98. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、非常に大部のものでございます。また、関係大学先生方が三年をかけて御検討になったものでございますし、御指摘の点も人的、物的な条件の整備の問題、それから一般教育の責任体制の確立の問題、さらに一般教育の基本理念の問題、あるいは教育研究体制の改善の問題、そういった事柄にわたって詳細な御指摘がございます。われわれも、非常に先生方が御熱心に研究をされた結果でございますし、これからの一般教育あり方改善というのは、教養部を置いている大学、置かない大学を問わず、それぞれ、角度は違いますけれども、非常にむずかしい課題としてあるわけでございますので、この報告書がそういったこれからの一般教育あり方改善に寄与するところは非常に大きいと考えておりますので、できるだけ早くそれぞれの細部にわたって分析をし、文部省としての考え方なり、対応をまとめたいと考えておりますが、やはりそう数日のうちにというわけにはなかなかまいらない課題であることを御理解いただきたいと思います。
  99. 粕谷照美

    粕谷照美君 予算は、お金というものは、これだけあればいいなんて、そういうものではない、もう幾らあってもいいという考え方になるわけですから、それは文部省自体のこの予算の中でがまんしてくださいということはあり得たとしても、しかし、その基準そのものから大きく外れるような、そんな定員というものはやるべきではない。したがって、既設大学に対する予算措置などというものを充実をしていかないで、もうさっささっさと新しい構想大学だ、もうそれではだめなんだから新構想大学だと、こういうふうに言っているのではないかという不安が国民の中に非常にたくさんあるわけですから、注意をしていただきたいと、こう考えております。  ところで、教員養成のこの方針というのが、大筋が教養審で決まってくるわけですけれども、この教養審のメンバーを私教養審答申がありましたから拝見しましたけれども、この中に明確に国大協の代表、あるいは公立大学協会の代表、あるいは私大協の代表という、こういう代表が入るようになっておりますでしょうか。
  100. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御案内のように、国・公・私立大学先生方が御参加になっておりますし、また小学校、中学校、あるいは高等学校教育委員会等の先生方も参加をされているわけでございます。ただ、国大協の代表として、国大協から推薦を求めてお願いをするというような、そういう形にはなっておりません。
  101. 粕谷照美

    粕谷照美君 なぜそういうふうにまとまった、いわゆる教育団体の代表という者を出していらっしゃらないのですか。特に個人で御指名をされているわけですね。その点をお伺いしているわけです。そしてまた、さらにこれからはそういう大学の協会の代表の方々を送れるような配慮がなされるかどうかということについてお伺いします。
  102. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 実際のメンバーといたしましては、国立の教員養成大学をもって組織をしております日本教育大学協会の会長が入っておりますし、また国立大学協会教員養成制度特別委員会委員である先生方も現在のメンバーの中には三人お入りになっているわけでございます。さらに、私立の短大協会の常務理事の立場にある方、あるいは私立大学協会の副会長の方、あるいは私立大学連盟の常務理事の方、そういう形で、それぞれの団体の御意見を実質的には代表していただける方にお入りいただけるような配慮はいたしております。ただ、先ほど申しましたように、特定の団体から推薦を求めて、それをお願いをするという方式をとっていないということでございます。
  103. 粕谷照美

    粕谷照美君 それでは、それだけ各種の先生方の御意見が反映できるような体制をとっていると、こう文部省の方で言っていらっしゃるわけですから、国大協反対などということがそんなに強く出てくるはずないわけでしょう、いままでのこの経過をそのまま考えれば。ですから、やっぱり組織の代表を出して組織的な討議をして、そして意見を出していくということになれば、その辺の問題は解決をするのではないかと思いますが、いかがでしょう。
  104. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘の点は十分にわかります。それぞれの国立大学協会なり、あるいは教育大学協会なりと文部省の方で十分に意見交換をすべきであるということは、私もそのとおりであると思います。  教育職員養成審議会委員というのは、いわば学識経験者をもって組織をするということであり、それぞれの学識経験者が自由な立場で御議論をいただく、そのときにできるだけ各方面の御意見というものが実質的にそこで討議されるような配慮を、委員の構成に当たって私どもはしてまいるということであろうと思います。教員養成審議会にできるだけ広く各方面の意見が実質上反映できるような構成をとるということについては、今後とも私たちは配慮をしてまいりますし、また国大協特別委員会のような組織との間に、十分な意見交換を行っていくということについても、これまた努力をいたしていくつもりでございます。
  105. 粕谷照美

    粕谷照美君 次に、大学院修了者給与改善について、いろいろと衆議院の中でも討論がなされ、新聞にもその答えが載っておりますけれども具体的に文部省としていまの段階考えているのはどのようなことになっていますか。
  106. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 大学院現職先生修了した場合に、給与上特段の現在は措置がないということは、先ほどお答え申し上げました。そのことが、これから大学院における現職先生方研究機会というものがふえていくことについて問題がないかという点が、一つの課題として意識をされているということを申したわけでございます。私どもは現在の時点では、教員大学大学院卒業した者について、そういった給与上の改善措置考えるということは、全く予定をいたしておりませんし、また既設大学院卒業生についても、現在の時点で給与あり方について検討をするということを考えているわけではございません。将来の課題としてそういう問題があるということを申し上げているにとどまるわけでございます。
  107. 粕谷照美

    粕谷照美君 その理由は一体何でしょうか。
  108. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 考え方二つとれると思います。  一つは、制度的な改善措置を講ずることによって、現職先生方大学院で勉強をした場合のメリットというものを確保をし、それによって大学院レベルにおける先生方研修の意欲というものをさらに高めていく。これは現職先生だけではなくて、およそ生涯教育的な見地に立って、大学を出た者が、大学院でさらに再び勉強をするということについて、さらに意欲的になることを助長するという、そういった意味一つあると思います。  しかし、同時に、現在のように大学院での現職方々研さんということについては、制度的に門は開かれていても、実質として、実態としてそれを保障し、確保するだけのものを、現在の日本大学院は備えていないという点がございますから、やはり給与あり方改善をするということを考える場合には、大学院段階の整備がもっと進み、大学院における現職方々研さんをされる状況というものがもっと普及をしてくる段階において、検討される方が事柄としてベターであるという判断をしているということでございます。
  109. 粕谷照美

    粕谷照美君 大臣、そうしますと、給与改善が行なわれるというのは、相当先になるという見通しを立ててよろしいでしょうか。慎重に審議もしなければならないし、大学制度もきちっと整えなければならないしと。
  110. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 先ほどから大学局長がお答えをいたしておりますように、既設大学学部充実大学院の新しい開設を次々にこれから私どもとしては対応してやってまいらなければなりませんので、いま粕谷委員がおっしゃいましたように、これらの充実に伴っての改善措置が、将来の問題としてあるということでございますから、相当先のことと御理解いただいて結構でございます。
  111. 粕谷照美

    粕谷照美君 私は、教師の研修というのは、あるいは学習というのは、非常に多様であってよろしいというふうに考えているわけです。たとえば内地留学だとか、あるいは今度できます放送大学ですとか、あるいは通信教育だとか、それから民間教育団体などにおける研究などということで、本当に多様な研修というものが行われていいというふうに考えているのです。しかし、大学院を出るということも非常に大事だと思うのですが、四月の十七日の教育新聞に、「大学院を出た教員」として、モノローグがあるわけですね。御存じにならないかもしれませんのでちょっと読んでみますと、とにかくいろいろ問題があるから、「無条件にすべての大学院出身者教育界が優遇することは危険である。」、こう言っております。「特に、いわゆる優秀校に、一般上級職国家公務員や有名一般企業に運悪く就職できなかったがゆえに、大学院を選択する者が多い。そして、大学院に進めば一般企業等への就職の道は一層狭くなる。そのためやむをえず教員を志望する者がいる。」これは教員にでもなろうかということだと思います。「これら優秀校の大学院生は、能力的には問題がない。しかし、教育意欲の面で、彼らを大学院終了と同時に優遇の対象とするに値するかどうかは疑問である。一方無名大学院の院生の学力の低さには、恐るべきものがあり、高校生の標準を下回る学力の者も珍しくない。」(「そのとおり」と呼ぶ者あり)  「そのとおり」という不規則発言が出てますけれども、そういうことになりますと、このとおりであれば、大学院を出たからといって給料を上げるなんてとんでもない話だということになるわけです。  さらに、「良家の子が非有名高校、大学に振るい分けられると、いよいよ「家」に相応しい就職と縁遠くなり、体面をつくろうために大学、修士、博士に進み、一寸刻みに「就職」という現実との対決を先延べしていく。」  何か大学院というところが肩書きをつくるためにあるような、みんな何か遊んでいるような実態があるという、教育界における新聞が書いているわけですね。  「最近は、学生資質にとかくのうわさのある大学にまで、大学院設置が認可されている。大学院乱立状態の下で、他大学からこの種の大学院を志望する者は稀である。」このようなことを書いてますけれども大学院資質の向上というのですか、本当にこの大学院そのものが信頼されるような条件をつくっていくという、その条件というのは一体どういうふうにしたらよろしいのでしょう。
  112. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) わが国の場合には、御指摘にもありますように、修士のレベルにいたしましても、大学院が社会的に機能している実態には、専門分野によって非常な差がございます。たとえば工学系の場合は、むしろ修士課程というのは非常に有効に機能をしておりますし、また社会もそういうものとしてこの課程を受け入れているわけでございます。しかし、特に人文社会系の場合には、修士の課程というのは、工学部の場合のような形では決して機能をいたしておりません。  修士の課程を認可をしていくに当たりましては、もちろんそういった社会的に現在機能をしている状況というものは、各大学においても十分に考慮をされて認可の申請は行われるわけでございますけれども、私どももそういった点については、十分に考慮をしなければならない点であると思っております。ただ、これも非常にむずかしいのは、社会的な評価、あるいは社会的に修士の課程が機能する状況というのは、これは大学の側の努力だけによってできるのではなくて、やはり社会の方がそれをどう受け入れていくかという、そこは両輪になるわけでございます。現在修士の課程の設置については、私たちは学部段階が十分に充実をしているものについては、その上に修士の課程を置くという大学構想はこれを尊重する、それは積極的に対応しようということを考えております。と同時に、認可に当たっては、できるだけそれがいま御指摘のような粗製乱造にならないように、審査については、現在設置審議会の審査も、年を追って厳重になっているというのが実情でございます。
  113. 粕谷照美

    粕谷照美君 年を追って厳重になってくると、こうおっしゃいましたが、前には大分ゆるやかな審査であったというふうに逆に考えられるわけですね。だからこそ、このような指摘を持つような大学院が次から次へと生まれている。  初中局長教員の採用に当たっては、そういう面では厳しい試験があると思いますから、ふらふらっと入っていらっしゃるような、肩書きだけをつけるような方々が入っているとは思いませんけれども、その辺はどうでしょうか。厳正に採用試験というものは行われておるでしょうか。
  114. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 御承知のように、新採用教員の採用の方法としましては、免許状を取得見込みの方について、前の年の夏から秋にかけて厳重な試験をいたしまして、その試験の結果、県によりまして多少違いますけれども、さらに面接等を行って、人物等を確認した上で、この人は先生として採用して差しつかえないという方を採用候補者の名簿に登載をする、そして年度末具体的人事を行います際に、新規増員、ないしは欠員補充という形で、逐次その中から採用をしていくということでございますから、一般的に申しますならば、教員の新採用については、各県とも十分心を配って、本当に教員として適格な方を採用していくように努力をしている、こういうふうに私ども把握しております。
  115. 粕谷照美

    粕谷照美君 そのような努力がきちんと行われておりますならば、大変な批判というものはないだろうと思うんですよ。しかし、教育における落ちこぼれの問題から、非行の問題からして、ものすごい教員に対する批判というのも一つは出てきている。その批判の中に、大学の中で免許を乱造する、乱発するんではないかというものが大きく出ておりますね。  私は、そういう中で考えていきますに、大学の中の教育そのものも一つありますけれども、実際に生徒に対する訓練の期間、いわゆる教育実習の期間ですね、これは日本の国と諸外国とを比べますと、どの程度の差になっていますか。日本教育実習の期間というのは大体長い方でしょうか。
  116. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) わが国の場合は、初等教員免許状の場合には、御案内の四単位四週間、中等教員の場合には二週間というのが、現在免許法で定めております最低の教育実習の実施期間でございますが、私ども承知をしておりますところでは、これは各国に比べてかなり短いと思います。  アメリカの場合には、初等教育教員については約十週間、中等教員については約八週間、主として公立学校において教育実習は行われております。イギリスの場合には、これが初等教員については十週ないし十五週、中等教員については十週。フランスの場合には、初等教員について十五週、中等教員については五週間ないし十週間。西ドイツでも、初等教育教員については八週間ないし三十週間、中等教員については八週間というような状況でございます。わが国の場合にはかなり教育実習の期間は短いということは言えると思います。
  117. 粕谷照美

    粕谷照美君 かなり短いということも一つありますけれども、どうでしょう、付属の学校は、これだけの免許を持つ生徒に対して、きちんとその期間教育実習をさせられるような体制になっていますでしょうか。
  118. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 国立の付属の場合には、むしろこの四週間あるいは二週間というものを超えて、年間九週間程度の受け入れを行っているわけでございます。むしろわが国の教育実習における問題というのは、特に中学校、高等学校教員養成につきまして開放制をとっております関係で、課程認定を受ける大学の数が高等教育の規模の拡大とともに非常にふえてきている、したがって、免許状を取得する者の数も現在十六万七千程度に達しているというような、そういった状況が、効果的な教育実習をなかなか困難にしている、そういうことであろうと思います。
  119. 粕谷照美

    粕谷照美君 教育実習そのものは、問題もありますが、これはまた別の機会に譲るといたしまして、今度の新構想大学は、そうすると、各国――ヨーロッパ、アメリカ並みに教育実習を持っていこうと、こう努力をされるのですか、大体いままでの程度でよろしいと、こういうふうに判断をされるのですか。
  120. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学の場合には教育実習が非常に大事であるということを考えまして、大幅に拡充をしたいという計画を持っております。これは最終年次においてだけ教育実習を行うというのではなくて、入学の当初から四年間にわたって段階的に教育実習を行う。普通の教育実習のほかに、教育工学の実習であるとか、あるいはいわゆるピークを立てていく専修分野のための教育実習であるとか、あるいは学級経営や生徒指導への参加という特別教育実習、そういったものを各学年において計画的に実施をしていきたい。全体として約十六週間程度の教育実習を四年間において実施をしたいと考えて計画をしているところでございます。
  121. 粕谷照美

    粕谷照美君 十六週間程度ということになれば、フランス並みということになろうかと思いますけれども、私は、これを受け入れる側の付属学校というものが、ほんとに国立の付属学校だけで間に合うのかどうなのかという点について心配をしているのですが、いかがですか。
  122. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のとおりの問題がございます。もちろん両大学とも、それぞれの大学が置かれる地域の実情を考えて、既設の公立学校との調整を考えながら、付属の学校を置いていくわけでございますけれども、付属学校における教育実習だけで、これらの要請に対応できるわけではございません。やはり公立の学校にお願いをいたしまして、地域の公立学校の御理解と御協力を得て、教育実習を展開をするということが必要になるわけでございます。地域の公立学校とどのように密接な協力関係をつくるかということについて、準備室の方で、それぞれ地域の教育委員会なり、あるいは学校と御相談をしていくということでございます。
  123. 粕谷照美

    粕谷照美君 私は、公立の御協力を得てというのは、御協力というのは一体何か。一切、普通の学校先生方の奉仕によって行われるのではないだろうかという心配をするのですが、たとえば国立の付属学校であれば、いろいろな条件がありますよね。人的配置にしても非常によろしい、それからそういうような生徒の指導に対してもきちんと指導の手当がついていく、いろいろな条件があると思いますけれども、今回の場合はどのような形になっていくでしょうか。
  124. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 具体的な検討は、これからになる面が多いと思いますけれども一般に国立の教員養成大学学部が公立の協力校を定めて、その御協力を得ながら教育実習を展開する場合と、基本的に異なるわけではないわけであります。両者の間に十分な連絡協議の機関を設けて、公立学校の方の授業計画にできるだけ支障を及ぼさないような形で実習生を派遣をするという考慮が必要でございますし、またその実習生の指導につきましては、それぞれの公立学校での御指導ということはもちろんあるわけでございますけれども大学がやはり責任を持って、公立学校における教育実習については指導をし、それぞれの公立学校と協議をしていく体制というのをとる必要があるわけでございます。それは既設の場合でも同じようなことでございますけれども、この大学の場合にも、そういった点については十分に配慮をしていかなければならないと考えております。
  125. 粕谷照美

    粕谷照美君 ぜひ配慮をしていただきたいと思います。特に、最近は大分直ってきていますけれども、国立の付属学校はエリート化しているのではないかという批判も多いくらい、非常に成績のいい子供たち、家庭でも教育に熱心な子供たちがいるわけですから、そんなところだけの実習をやった生徒というのは、一回か二回教えれば、生徒はもうちゃんと勉強してくるものだ、みんな覚えるものだという前提に立って現場へ就職をされたんではかなわないということを考えます。  私がいまお伺いしたいと思いますのは、この大学院に現場から来られる方々は、それぞれ現場の問題点をかかえて出てこられるわけですね。そして、そのことの研修と同時に学問的な研修もしなければならない、こういうことでありますが、大学院の生徒は、一体教育実習というのはあるのでしょうか、いかがでしょう。
  126. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員免許状の取得のための必要な基礎となる単位、そういう意味での教育実習というものを要求するわけではもちろんございません。しかし、大学院学生でございましても、御指摘のようにそれぞれ現職の方は現場における経験、体験というものを通じて、一つの課題意識、問題意識というものを持ち、そして進学をされてくるということが予定されますし、またそれが望ましいことでございますから、大学院での研さんの過程で実地に研究をするというような意味で、学校に出かけていくということは望ましいことであるし、その点についての配慮はこの大学は十分にしてまいると考えております。
  127. 粕谷照美

    粕谷照美君 大体、校長の承認を得て、そして教育委員会の承認を得て、そしてさらに県の教育委員会ではそれはよろしい、こう言って入るくらいの方々ですから、私は大変優秀な方々だと思うんですね。その優秀な方々が現場に行って、一体だれがこの教育実習を指導するんですか。その辺についてはどのようにお考えですか。
  128. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) もちろん修士の課程でございますし、学生でございますから、大学における教官の指導ということがあるわけでございますけれども、それと同時に、あるいはそれ以上にそれぞれの先生方が自分の研究研さんというものを進める、そのために御自分で実地の研究をなさるということが必要であるし、またそういう性質のものとして大学院での実地の研究というのは展開をされるのではなかろうかと思います。
  129. 粕谷照美

    粕谷照美君 理屈で聞きますとわかるんですけれども、現実の問題になると私はそういう点については非常に不安を持ちます。たとえば教育研究集会があります。講師には大学先生方が来られます。いろいろと質問をいたしますと、なかなか現場の先生が聞きたいと思っていることに対して、正確に答えてくださる方々は少ないわけです。最後にお別れの段階になりますと、その講師の方々が、私の方が大変勉強させていただきましたと、こう言ってお帰りになるわけですが、現場から三年の経験を経て、大学院に入ってこられた方々を、いまの大学先生方が、本当に課題に対して答えられるだけの指導力を持たれるんだろうかどうなんだろうか、この辺については、現職大学先生方教育が必要であるのではないだろうか、それは一体どのような形でなされるのだろうか、いかがでしょうか。
  130. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 衆議院の参考人の御発言の中にも、優秀なボクシングのコーチはみずからボクシングはできなくてもいいんだという御発言がございましたが、またそういう面は、確かに教員養成大学の教官の場合に該当することが多いとは思いますけれども、やはり、現在教員養成の上で非常に要求をされておりますことは、教育の実践面における指導力というものを、どのようにしてもっと身につけていくか、あるいはそういう教育の実践的な研究というものを、どのようにして推進をするかというところにあるわけでございます。そういう意味では現在の教員養成大学学部先生方について、より現場の課題というものに密着をした実践的な研究を深めていただきたいということは、私たちも常々考えております。それはそれぞれの大学先生方にみずから御努力をいただく以外にないわけでございますけれども、私の方はたとえば教育方法改善のための研究を実施をされるという大学に対しては、教育方法改善のための研究費、そういったものの配分も考えているわけでございます。そういったこととあわせて、やはりもっと教員養成大学の教官の中に、現職の経験をお持ちの方を導入をする、そういう努力教員の人事の上でも各大学が御配慮をいただくと大変ありがたいと考えております。現在でも現職の経験をお持ちの方は、かなり教員養成系の大学の教官の中にはおりますけれども、もっと積極的に付属学校との交流であるとか、あるいは公立学校の教官との交流ということを進めていく必要があろうと思います。そのことは、実際問題としては、教員養成大学学部の教官を大学が選考される場合のそれぞれの大学における教官、大学教員というものについての資格を考える場合の基準となる考え方に問題があろうかと思います。これが一般学部の場合と同じように、どのような研究実績があるか、どれだけの研究論文があるかということからだけ判断をされますと、なかなか現職先生方大学で教鞭をとるということが、実現がむずかしいわけでございますけれども、少なくとも教育の分野については、先生方の中にそういう実践的な面に着目をした人事というものを進めるべきではないかというお考えは、すでに出てきているわけでございますし、そういう方向での各大学における御検討がぜひ望ましいわけでございますが、この教員大学の場合にも、創設準備室の方でこれから教授陣の構成にかかっていくわけですけれども、その場合にできるだけやはり現場の先生方大学で教える、そういう体制がとれる配慮を望んでいるわけでございます。
  131. 粕谷照美

    粕谷照美君 大臣に最後にお伺いいたしますけれども、なるほど衆議院の参考人意見を出された席上では、優秀なボクシングのトレーナーは、ボクシングを自分ができなくてもいいんだと、こういう御意見があります。しかし、それはトレーナーは一対一なんですね、直接相手に向かっているからそれでよろしいわけですけれども、この教員養成ということについては、生徒というものが主体なんですから、生徒とその教師になるべき学生と、それからさらにその学生を教える先生という間の來雑物があるわけですから、現場のことをきちんと理解をされるような、そしてその現場の悩みを持ってこられた方々に明確に答えられるような大学先生というものの指導体制というものが必要になるんじゃないか、それは大学自体の私は努力でもあるのではないかと考えますが、よく永井文部大臣がいまの大学には臨床の先生がいない、臨床教員が必要だと、こうおっしゃっておられましたときに、仙台にあります宮城教育大学の武田先生が、青森の小学校にわざわざ行って勉強されてこられたという話、私ここで引用するのは二回目ですけれども、そのようなことも文部省としては、大学先生が現場へ行くときにも、やっぱり有給でもって、そして教育研修に行くというような条件をつくるべきであろうというふうに思いますが、いかがでしょうか。  そのお答えをお伺いして、もう時間が来ましたから、私は一定のことは理解をいたしましたけれども、まだまだたくさんの疑問点が残っておりますので、今後も質問を続けていきたいということを述べまして、終わりたいと思います。
  132. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) やはり教員資質の向上という問題について、今日ほど社会的要請が高まった時代はかってないと思うんです。同時にまた教員の皆さんの中にも、より一層の勉学、研さんをしたい、こういう意欲がこんなに高まったことも私は過去になかったように思うわけでございます。ですから、この教員大学を目指して、入学を希望して来られる教師の方々というものは、非常に強い使命感を持ち、また教育について愛情を持ち、りっぱな素質を持った方々が、さらに勉学意欲を持って入ってこられるわけでございますから、当然その教師の方々を教えるために、教壇に立っていただく大学先生方の素質というものも考えてまいらなければなりません。りっぱな先生を集め、同時に教職経験のある方にも教壇に立っていただく、そういう教授陣構成をしなければならないとも考えてもおりますし、また同時に大学先生方が現場経験を体験される、そのことについてはいま御指摘のありましたようなことも当然考えていかなければならないことでございます。いずれにいたしましても、いわば冒頭に申し上げました社会的な要請にこたえ、さらに研さんを積みたいという教師の意欲にこたえることを目的として、新しくスタートさせようとする大学でございますから、その目的のとおり、この趣旨のとおりに、りっぱな勉学活動ができますように、努力を続ける決意でございます。
  133. 吉田実

    委員長吉田実君) 本案に対する質疑は、午前中はこの程度にとどめます。  午後一時三十分再開することとし、休憩いたします。    午後零時三十分休憩      ―――――・―――――    午後一時四十一分開会
  134. 吉田実

    委員長吉田実君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  135. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 私は国家の興亡、民族の盛衰は、教育が源泉であると思います。その教育の最高責任者である文部大臣は、いかなる決意のもとに文教行政をつかさどっておられるのか、まずその心境をお伺いしたい。
  136. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) きわめて基本的な御質問でございますので、明確にお答えをいたしたいと思います。  いま高橋委員のお言葉にもございましたように、私も、ある年は経済の年がありましたり、ある年は福祉の年があるかもしれませんけれども教育こそは永遠に国の根幹であると心得まして、きわめて重責を担いましたことに、身の引き締まる思いをいたすわけでございます。そしてまた、そのような教育という問題が、日本国全体の将来の一番大切な問題であるという認識は、政府もまた社会も持っていてくださいますけれども、必ずしも従来までは、その認識が行動とはなっていない点を多々見受けるものでございますから、こういう教育こそは国の根幹であるということが、国の施策だけではなくて、教育そのものの価値を、国も、社会も、家庭も、教師も、同じ価値感をみんなで持って取り組んでまいりますように、そういった考え方、行動の普及に力いっぱい働いてまいる決意を持つものでございます。
  137. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 話は変わりますが、先日の成田空港における過激派の人たちによる暴虐きわまりない行動、あるいは以前には不特定多数の人たちを傷害した相次ぐ爆弾事件等々、次々と忌まわしいことが起こりました。その根源をたぐりたぐっていきますれば、やっぱり教育にその一半の責任があるんではないかと思うんですが、大臣見解を承りたい。
  138. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 私は従来の教育にもその一部の責任があると考えます。
  139. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 私は、一部の責任と言われましたが、それはもっと大きな責任があるんじゃないか。たとえば小・中学校における違法スト、高校における学校の無秩序さ。これは、私の知っている高校の校長が、もう学校内で悩みに悩んで遂に病死した方があります。また校長連の意見を聞くと、大体学校へ行くのが楽しくない、校長の言うことで学校経営のされている高校が県内に幾つもない、大多数は職員の運営によって主任を決めたり、いろんなことをやっている、そういうところで、校長はできるだけよそへ出張したくなっちゃう、こういう実情ですね。また、大学における学内紛争、大学に私は教授やっている友達がいまして、どうなんだと聞いたところが、とにかく現体制を痛烈に批判する教授ほど人気があるんですよ、こう言われました。こういう中で、小、中、高、大学と育っていって、最後に大学で左系統の教授に、現体制を打破しろ、それがおまえたちの子孫を幸福に導くもとなんだ、こういうふうにアジられたら、私は火災びんを持って、警察官を追いかけ回すような現実が起こるのは無理ないと思うんですよ。そうしたら、私は、一部の責任じゃなくて、大きなやっぱり責任があるんじゃないかと思うんですが、いかがですか。
  140. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 私が一部のと申し上げましたことは、その大きい小さいの問題ではないわけでございまして、私が申し上げたいと思いましたことは、学校教育という問題は、子供たちを、あるいは青少年を学校の中でどのように教育をしてまいりましても、それがたとえ完璧な教育でありましても、その青少年、児童、生徒には、学校の中だけがその子供たちの生活ではございません。一般社会の中でもまた暮らすわけでございます。学校の中の教育とかかわりなく、社会からその青少年、児童、生徒たちに対しますいろいろな働きかけも、きわめて複雑な状態で絡み合っている。たとえば高橋委員が先ほどお話しになりましたような、一切の体制に反対だというような、まさに破壊的な過激派分子、そういう中に身を投じるというのも、あるいは教育の至らなさから端を発しているかもしれませんけれども、そういう青少年に対する社会からの働きかけもまたあるという意味で、学校は社会から隔絶して存在するものではないということを申し上げたかったわけでございます。そしてまた、これはやはり端的に申し上げますけれども教員資質向上について非常に社会的要請が強い。もう率直な言葉で申し上げますと、自分たちの子供は小学校へ行って、先生に当たり外れのあるのが残念だという言葉があるわけでございます。そういうことを言われる教師の皆さんもきわめて恥ずかしい思いをしておられると思うわけでございますが、もしもそういう先生があるとするならば、そこらにやはり子供たちの指導に不十分な点があるかもしれない。また教育内容についても余りにも知育のみに偏り過ぎた、知育偏重教育という従来のあり方が、ついていけないという子供たちを生んだ原因になっていること、その現実は認めなければなりません。これらの問題を一つ一つ絡み合って改善をしてまいらなければならないわけでございますが、なお最後に高橋委員の御指摘のありましたような大学の運営のあり方についても、やはり私は大学当局で、もう一遍この際その大学の運営のあり方について、大学自身考え直しをしていただくべき時期だ、このように考えるものでございます。
  141. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 私は、このような現実、そういう現状をいかにして一転させるか、こういう命題と、歴代自民党政府の文部大臣ですから、真っ向から取り組むのが当然であり、私はその一環として教員大学というものがだんだん生まれてきたのじゃないかと思っておりましたが、それはどういう関係になりますか。
  142. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 教員大学を新たな構想として持ちまして、この大学を発足させたいと私どもが願いますことは、やはり教員資質能力の向上、そして初等教育教員教育養成、そしてまた教員の中に非常に高まってまいりました、なお一層の研究研さんを重ねていきたいという使命感に燃えた意欲にこたえる。このようなことから純粋により高度の教育を、より資質の高い先生をという願いから発足をしたいと考えました教員大学でございます。そしてまた、いま高橋委員がおっしゃいました、恐らく大学の一部にございますような、過激派が占拠しているような状態、成田へ出動をいたしまして、逮捕されたようなある高等学校の女の先生、こういう事態が現実にあるわけでございます。そしてまた、ある大学の自治会の運営の実際の力を持っておりますのは、第四セクターに属するような学生が握っている大学もあるわけでございます。そういう事態については、やはり強い姿勢で、理由は何であれ一切の暴力は許さないという姿勢から取り組むべきだと私ども考えまして、かってないことでございますけれども、そこら辺のところを、東大の総長にも文部省までおいでいただき、直接そのようなことを助言、指導をする、あるいはついせんだってでございますが、学内におけるルールを確立する、べきだ、学内に一切の体制に反対だというような破壊的な過激派分子の存在を許すべきではないという旨の、この機会にこそ大学自身で、大学の運営のあり方について御検討をいただくべきではなかろうかというような指導、助言をいたすための通知を出しまして、その通知に基づきまして、この三月の二十一日には大学の事務局長会議を、二十四日には大学学生部長会議を開きまして、こういった問題の解決に、大学御当局自身の、真の大学の自治を守るための大学の決意を新たにお持ちいただくような指導、助言に努めているところでございます。そして、これらの問題は、私が考えますのは、やはり強い姿勢で臨みますと同時に、北風ばかりを吹かすだけではなくて、暖かい風が吹くところにマントを脱ぐということもあるわけでございますから、そこら辺のところも十分心をして取り組まなければならない、非常に問題が複雑でありますだけに、対処いたしますのも、各種各様の問題に総合的に取り組んでまいらなければ、私は好ましい解決点を見出し得ないという気持ち、がいたすわけでございます。
  143. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 私は、昭和四十一年ごろからこの問題が取り上げられてずっといままで来た過程のうちには、それを法案化して通すためには、やっぱりいろいろ妥協があり、あるいは言葉を濁したり、交わしたりということで、だんだんそうなってしまったような気がしたものですから質問したんですが、そういうことではないわけですね。
  144. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 教員大学につきましては、けさほど粕谷委員からも御質問ございましたが、昭和四十六年の中教審答申、四十七年の教養審建議、また鯵坂調査会報告等を受けて、国大協あるいは特別委員会等との意見の疎通を図りながら準備をしてまいりました。その間に、中教審答申、あるいは教養審建議、あるいは鯵坂調査会の御報告なり、そのとおりのものにはなっておりません。それはやはりいろんな各方面の意見を聞いて、これが好ましいという姿をつくり上げていかなければならないからでございまして、教員大学を必要としますその根本的な問題点については、いささかもその間において変更はないわけでございます。
  145. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 次に移りますが、受験者の三分の二を現職教員から採用するという中に、市町村教委の同意を得る、あるいは県教委の同意を得るということで、若干食い違いがあったように聞きましたけれども、現在では結論はどうなったかお聞かせ願いたいと思います。
  146. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 一般大学は、現に教職等にある者の大学院等の受験に際して、所属長等の同意書の添付を求めております。教員大学の場合は、大学院を受験する県費負担教職員については、その服務の監督をし、研修のための出張を命ずる市町村教育委員会の同意書の添付を求めることといたしたいと考えております。
  147. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 それは、確かに形式的にはそういうことだと思いますが、私は実質的には市町村教委の同意を得なかったり、県教委の同意を得なかった場合には、本当にその人間が適材であるかどうかというのがわからない場合が多いと思うのです。その教員学校の仕事を捨てておいて、一生懸命受験勉強をやったから合格したというようなことになっちゃ困るんで、やっぱり本当に教員として将来適格者かどうかというのは、これは同僚が一番よく知っていますし、校長さんもよく知っていますし、子供さんもよく知っているわけですよ。そういう者を知っている同僚なり、校長なり、あるいは子供なり、そういう姿をやっぱりよく知っているのが市町村教委であり、その市町村教委だけではまたいろいろ不公平に陥る場合もあるので、全県的なバランスから見た場合に、これは全県的視野から県教委がタッチする、こういう形式じゃなくて、本当にふさわしい人材を教員大学へ送る、こういうことから私はむしろ県教委、市町村教委の同意を得るというのが妥当だと思ったわけなんですが、この点どうお考えですか。
  148. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学はもとより大学でございますから、大学に入学すべき者については、大学において適切な入学試験を実施いたしまして、大学において勉学を行うにふさわしい者を選抜をするわけでございます。その場合に、現職先生につきましては二年間、現職、現給のままで大学院において勉強していただくということを本旨としてこの構想はできているわけでございます。したがって、受験に際して、あらかじめその先生が二年間現職を離れて勉学をすることができる、そのことについての保証があるということを大学側としてはやはり承っておきたいということでございます。実際に同意を与える場合に、もちろん基本となるのは本人の勉学に対する積極的な意欲というものでございますけれども、その本人の積極的な勉学の意欲というものを十分に尊重をしながら、校長なり、あるいは市町村教育委員会なりが、その教員大学院における研修というものについて理解をし、同意を与える。さらに、先生指摘のように、全県的にやはり県全体の研修計画等がございます。そういう意味で、市町村の教育委員会は十分に県の教育委員会と御相談の上で同意を与える、そういうことを通じて、大学院において勉強を続けることが最もふさわしい方が、最終的に大学院において選抜されることを私たちは期待をしているわけでございます。
  149. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 話題を変えますが、私は何人かの校長らと座談会やったんですが、そのとき校長連中に、こういう教員大学というものができた場合に、一体あなた方は何を望むんだと聞いたんです。そうしたら、現在一番私たちの地域で要望している人間、一番困っている問題は幹部が少な過ぎる、二十歳三十歳代で、これはという他を指導できるような教師が非常に少ないと言うんですね。だから、幹部をばっちりと養成してほしいという意見がありましたが、前に四十一年の教員養成大学設置される大学院に関する基本方針の中で、幹部を養成するんだという意見があったら、それが大分方々から反発を受けたという話がありますが、現実の現場では幹部を非常に要求している。こういう問題との兼ね合いをどう考えますか。
  150. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 大学院においてさらに高度の研さんを続けていただく場合に、やはり本人の積極的な勉学の意欲というのが基礎になるわけでございます。その場合に、やはりその先生方はそれぞれの現場における体験を通じて、十分な課題意識というものを持って、積極的に大学院に進学をされるのであろうと思います。そういう方々大学院研さんを積まれた後に、再び現場にお戻りになる。そういう先生方は、当然それぞれの学校における教育の指導面において指導的な役割りをお果たしになる。そのことを大学側も期待をするわけでございますし、また、県の教育委員会も市町村の教育委員会もそのことを期待をするであろうと思います。  御指摘大学設置審議会の申し合わせにおきましては、校長、教頭、指導主事というような具体の職名を掲げて、その養成趣旨とするという書き方をいたしております。この大学院に迎える学生につきましては、経験年数三年以上ということを考えておりますけれども、事の性質上、やはり二十代の若い方に進学をしていただくということを期待をするわけでございます。将来指導的な地位に立っていただくということを願うことはもとよりでございますけれども大学院における勉強というのが直ちに校長、教頭、指導主事の養成というように誤解されるとすれば、それは本旨ではございませんので、校長、教頭、指導主事という例示を考えることは、大学設置審議会の方で再度御検討をいただこうと、そう考えているわけでございます。
  151. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 確かにそのとおりで、校長、教頭を指すものではないと校長連中も言っておりましたがね。  それで次に、私は、現在どうなんだと。教員の質についていままで校長連中がずっと接触してきて、一番優秀な教員はどこの卒業生だと、一番だめなところはどういうケースだと――私はやっぱり粕谷先生と同じで師範学校卒業者で、視野が狭く、自主性に乏しく、創造性に乏しく、内気で従順ですがね、とにかく、その師範学校卒業者が一番優秀だというんです、率直に言うと。校長連中も師範学校卒業者が多かったんですが、自分たちが卒業したから優秀だというわけじゃないんでしょうが、事実優秀だと言うんです。戦後の混乱した教育界を今日まで持ち直して何とかやってきたのは、師範学校卒業生努力が非常に大きいと言うんです。これを単に視野が狭いとか、自主性が乏しいとか、創造性がないとか、従順で職業教員だとか、こういうことできめつけることは、私は非常に酷な話だと思うんですが、この点どうお考えですか。  それで、逆にだめな教員というのは何だと言ったら、一番だめなのはやっぱり教養課程を通ってきて就職した人間、その次は大学学部を通ってきた連中。何でだと聞いたら、教育の意欲、姿勢、こういうものが全然なっちゃいないというんですよ。それで非常に私たちは困ると。そういう問題で、いわば開放された、そういう自由な伸び伸びした教育をやった方が本当の教員ができると思った、そのことが現実にはそうでない、うらはらである、こういうことを考えましたら、そういう目的を持った大学をつくって、はっきりと教育意識を持って、教員になるという意識を持って教育することは、私は決して悪いことじゃないと思う。コマーシャルに、目的を持たないゴルフは単なる散歩のようなものですよというのがありましたけれども、私は同じだと思うんです。教育も、はっきりした目標を持って、私は先生になるんだという目標を持って入ってくることの方が私はいいと思うんですが、この御見解はいかがですか。
  152. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 戦後開放制の教員養成制度がとられているわけでございますけれども、そうした開放制のもとで育ってきた教諭について、一般的にいいと言われている点は、教養としての広い知識を持っているということ、それから専門の教科についての研究態度がすぐれているということ、さらに、人間的に幅と深さを持っている者が多い、そういうことが言われるわけでございますが、反面で、どうしても免許教科に片寄って、他の教科の知識に乏しいという点であるとか、あるいは実際的な教育指導、生活指導の技術という点において劣っている、そういう能力において劣っているということ、あるいは教師としての自覚、信念、そういったものについてやはり欠ける点がある、あるいは責任感に欠ける、そういった御指摘があるわけでございます。午前中の御質疑にもございましたように、教員の場合に、教員養成における臨床的な面に現在欠ける点があるというのは、ひとしく識者の指摘しているところでございますし、そういった実践的な教育というものについての教育なり、研究を深めていかなければならないということは、既設大学についても同じように意識され、またそれについての改善努力は行われているわけでございますけれども教員大学の場合には特にそういった教育の実践的な力を養成すること、あるいはその研究を深めること、そういった点に力を入れてまいりたい、そのように構想では考えられているわけでございます。
  153. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 これはいまのは確かに自由な学問探求者として、そして教員としての専門性を持った開放制の原則というのがありますがね、現実にそれは使い物にならないという事実が――もっとも校長だって私は全部の校長、日本じゅうの校長らに聞いたわけじゃないんですが、数名の校長にすぎないけれども、私はやっぱり現実にだめだということがはっきり出ているということを認識してもらいたい。  それから、それならば現在、いまの教師に一番ほしいものは何だと、知識でもなければ何でもなくて、現在一番ほしいものは教育しようという情熱であり、とにかく自分が一生懸命教育したいという意欲を持った、そういう教育者としての姿勢、これをはっきり打ち出してもらいたいということなんですね。そのためには、だから新しい教員大学では、私は一番問題になるのは教授陣営であろうと思う。子供に対する情熱とか、教育に対する意欲とかいうものは、これはなかなか本を読んだって生まれてこないと思うんですよ。やっぱり情熱を持った、魅力のある教授が、教員大学にいっぱいいて、この人たちによって、学生がこの教授たちと接触することによって、一生涯教育にすべてを投げ捨ててやろうという、そういう意欲、そういう姿勢、これが出てくる。こういうことからすれば、大事なのは教員大学の教授陣営である。教授陣営についてどういうふうに考えていられるか、御説明願いたい。
  154. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のとおり、教員組織をどのように構成をするかというのは、この大学に限らずに、新しく大学をつくっていく場合の、最も基本的に留意をしなければならない、またそのよし悪しが少なくとも当分の間その大学の死命を制するような重要な事柄であると考えております。現在、創設準備室において、教員の構成をどのように進めていくかということについて、それぞれ御検討は進んでいるわけでございますけれども、広く国・公・私立の大学関係者の間から、適任の方を求めるということはもとよりでございますし、さらに午前中にもお答えをいたしましたように、現職の高等学校以下の先生方の中からも、できるだけ御参加をいただきたい。これは、教員構成を実際に行っていく場合に、そう簡単にはいかない課題ではございますけれども、できるだけの配慮をやはりして、教員組織というものがこの大学の本旨に沿ったものとして構成されていくような努力を、私たちも創設準備室とともに行ってまいりたいと思います。
  155. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 筑波大学方式ではだめだということはどういうことなんですか、御説明願います。
  156. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これは、筑波大学方式と申しますのは、教育研究の機能的な分離を図る、いわゆる学群学系制というものをとってはどうかという御指摘鯵坂調査会であったわけでございます。しかし、その後種々検討をいたしました、創設準備室でも御検討をいただいたわけでございますが、やはり小学校教員養成ということを考える場合には、現在の小学校教員養成課程というものを前提とした学部というものを考える方がベターであると、学群学系制ということには、小学校教員養成考える単科大学の場合には、やはり無理があるという結論に到達をいたしましたので、教育研究の体制として従来の学部、その上に大学院を置くと、そういう形をとろうということになったわけでございます。筑波大学方式によらないという趣旨はそういう趣旨にとどまるわけでございます。
  157. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 話があっちこっち飛びますけれども、これはやっぱり校長らに聞いたんですが、最近どうなんだと、教員の質はよくなりつつあるのか、悪くなりつつあるのかと聞いたら、知的水準、そういうものは確かに高まりつつあると、人間もしっかりした人間が多くなったと、しかし、これはどっちかといえば、文教政策とか、あるいは政策の結果じゃなくて、むしろ景気、不景気の結果じゃないでしょうか、よその会社へ就職できないので、教員志望者がたくさん出てきた、たくさんの志望者の中から精選したので、やっぱり質のいい者がだんだん出てきた、教師というものがそういう景気、不景気によって左右されるという状況は、やっぱりまずいんじゃないでしょうかと言われましたが、まあ現実には教員の志望倍数が非常にふえている、ふえている中から優秀な者を選べる、こういう立場になっていますが、今度逆にまた景気が神武景気みたいになると、教員のなり手がなくなって、みんな会社に行ってしまう。こういうことで、世の中の景気、不景気とは逆に、不景気になると教育がよくなる、景気がよくなると教育はだめになると、こういうことではやっぱり大きな問題だと思うんですが、この点どうお考えですか。
  158. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 人材確保法の制定等の施策が講ぜられたこともございまして、もちろん先生指摘のような、全般的な経済の動向というものも背景として動いているとは思いますけれども、まず教員養成大学、あるいは学部に進学をしようとする者の資質というものが上がってきている、あるいはその希望が多くなってきている。したがって、そもそも教員養成大学学部において養成されていく学生、あるいはひいては教員資質が上がってきているということは、これは確かに言える最近の傾向であろうと思います。御指摘のように教員に実際に採用されるという段階で、一般大学卒業して免許状を持っている者が、安定した教師の職ということを考えて、教師の方を他の職よりもより優先して選ぶという傾向があり、そのことが結果として教師の資質を上げるという、そういう状況にあるということは、私は今日否定はできなかろうと思います。そういうことは確かにあるのであろうと思いますけれども、やはり御指摘のようにそういった景気の状況によって、教師の資質が左右されるというようなことは、本来あってはならないことでございますし、教師の資質というのは、養成段階だけではなくて、養成研修段階を通じてそのすぐれた資質を形成していくべきものでございますから、教員養成段階充実と同時に、この教員大学における大学院レベルの研さん機会の確保ということを含めまして、研修段階でもさらに資質の向上のための施策を進めていく、そういう対応をしていかなければならないと考えております。
  159. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 それでは、細かい具体的な面に入りますが、教員大学大学院は、すべて現職教員とせずに、大学の新卒業者も入学させることにしたのは、これはどういうわけか、また両者でカリキュラムは違うのか、同じなのか、御説明願います。
  160. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学は広く現職先生方研さん機会を確保をする、その門を開くということで、御指摘のように、大学院三百人の入学定員のうち、三分の二程度は現職先生方のために確保をする、残余の部分について学部卒業生等を受け入れるということを考えたわけでございます。この大学はもちろん教員研修所ではなくて、大学として、大学にふさわしいレベルと内容における研究教育機会を確保していくわけでございます。そういうことのためにも、やはり大学院のところへ、現職先生方だけではなくて、学部卒業している者を受け入れる方がいいというのは、これは教養審あるいは鯵坂調査会を通じての御見解でございました。で、学部先生方学部を出た学生現職先生方との間で交流が行われるということは、初めはこれは問題意識を持ってお入りになってくる現職先生方に、あるいは御迷惑になるかもしれませんけれども、在学中の経過を経て、やはり両方にとっていい影響が出てくるはずであるというふうに考えているわけでございます。  なお、入試の際に現職先生方を受け入れるための入試と、それから学部卒業生を受け入れるための入学試験というものを同じものにしていいかどうかという問題が一つございます。これについては創設準備室検討いたしておりますけれども、恐らくはそれぞれ別の入学試験の問題というのを考えるようになると思います。また、入ってからもこれは現職先生方のためのオリエンテーションの方法というようなことも考えていかなければならないと思いますけれども、基本的には大学院に入ってくる者については、同じ形で大学は対応をしていくことになります。
  161. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 上越、兵庫とも、その現職教員の入学者の枠が二百人であるけれども、各県にそれは割り当てるのかどうなのか、自由なのか、簡単に。
  162. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これは割り当てを行いません。全国から応募をしていただくということにいたします。
  163. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 現在そうすると一番こういう問題を要望しているのは、東京近郊の県が多いんじゃないかと思うんです。それで、新潟、兵庫じゃなくて、各県ともこれはやっぱり早急に、予算の関係やなんかあるんでしょうけども、また教授陣営のあれもあるでしょうけども、できるだけ推進して、多くの教員大学を設立してもらいたいと、こう思うんですが、大臣の意向を承ります。
  164. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 以前ある時期には、各ブロックにという考え方もあったわけでございます。しかし当面は兵庫、上越の二大学、そしてもう一つ鳴門というふうに考えております。そしてまた、大学局長もけさほどからお答えをいたしておりましたが、既存の大学学部充実大学院設置、こういうことも図ってまいろうとするわけでございますから、こういう既存大学のこれからの充実あり方等との兼ね合いもございますので、そういうこれからの推移を見ながら考えなければならない問題である。当面は三大学にしぼっていく、こういうふうに御理解をいただきたいと思います。
  165. 高橋誉冨

    ○高橋誉冨君 終わります。
  166. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 国立学校設置法改正案につきまして、何点かにわたりお尋ねいたします。  いままでの教員養成大学における教員養成に対しては、各方面から問題点が出され、また限界の問題も指摘されております。文部省としては教員養成あり方についてどのように考えていらっしやるか、またそのお考えを踏まえて、今回提案されております教員大学では、どのような教師を養成しようとしているか、それをお伺いいたします。
  167. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 昭和四十七年に教養審建議指摘をされておりますように、現在の開放制による教員養成というその制度のたてまえは、どこまでも尊重していくべきでございますけれども、同時に開放制のもとにおきまして教員養成に当たる課程認定を受けた大学の数が非常にふえ、高等教育の規模の拡大とともに学生数も非常にふえております。そういったことに伴って、全体として教員養成の質が低下をするのではないか、あるいは免許状の発行というものが、いわば形式的に流れるのではないかというような御指摘が従来からあるわけでございます。これらについては教養審建議で御指摘になっておりますように、免許状の種別の整理の問題であるとか、あるいは免許状を発行するために基礎となる必要な修得単位数の増加の問題であるとか、あるいは教育実習の期間の延長の問題であるとか、さらには、これまたいろいろな審議会で御指摘をいただいております、教員に採用してからの長期にわたる実地修練なり、あるいは試補の制度検討であるとか、いろいろな課題がございます。これらについてはわれわれはできるものから順次実現をするということで、たとえば小学校教員についての資格認定制度というものをすでに発足をさせているというようなことがございますけれども、免許制度の全面的な、あるいは抜本的な検討を行いますためには、さらに基礎となる事情についての整備を行いませんと、直ちには着手できない面がございます。この教員大学は、そうした開放制のもとにおきまして、他の教員養成大学、あるいは学部と並んで、小学校教員養成ということに当たると同時に、大学院レベルにおける現職教員研さん機会の確保ということを趣旨とするものでございます。小学校教員養成というのは、教員養成の中でも最も問題の多い、かつ、さまざまな形でその問題についての改善検討が行われている分野でございます。これまで既設大学がいろいろと努力をされている、そういった点について、この大学学部においても、さまざまな工夫をし、先ほど来御指摘のあります実践的な指導能力というものを十分に備えて、しかも、幅の広い教養を持った教員養成ということができるような、そういう教員養成を行っていきたいということを考えているわけでございます。
  168. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 それでは教員大学について具体的にお尋ねいたしますが、文部省考えている教員大学内容で、いままでの教員養成大学内容と違う点、特徴とでも言いましょうか、それは何ですか、御説明をお願いいたします。
  169. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学ではいま御説明を申し上げましたように、大学院において主として現職教員を受け入れる、そして学校教育に関する実践的な教育研究を推進をする。さらに学部段階では初等教育教員養成につきまして、これまで指摘されてきたいろんな面での工夫改善を図ろうとするものでございます。既設教員養成大学学部の場合には小・中学校教員養成を中心といたしまして、特殊教育教員あるいは養護教員、幼稚園の教員等の養成を図っております。実際上、教科の専門教育と、これと関連して中学校教員養成に、どちらかといいますとより重点が置かれている傾向にあるわけでございます。大学院につきましても、これまで設置をしました二つ大学の場合には、やはり学部と同じように、いわば教科の専門というものを深めていく、そういう傾向があるわけでございますし、さらに主として学部卒業者に対して高度の養成を積み上げていく、そういう方向にあるわけでございます。  既設大学の場合におきましても、先ほど来申し上げておりますように、大学院のところで現職先生を受け入れるということは望ましいことでございますし、また学部段階でも、初等教育教員養成について、さまざまな努力、あるいは工夫をされているわけではございますけれども教員大学はそういった、いま申しましたような現職教員の受け入れということを重点としながら、特に大学院にウエートを置いた大学として構想されること、初等教育教員養成のための課程だけを持った学部をつくっていくこと、そういった点において、形の上でも従来の大学とはかなり異なった特色を持ったものになっております。
  170. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 もう一点、この教員大学に置かれる学校教育学部、広島大学に置かれる学校教育学部とどのように違うんでしょうか。
  171. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 広島大学の場合には、御案内のように従来教育学部の中に取り込まれておりました教員養成に関する学部部分学校教育学部として分離独立をさせて、そこでいわば学校教育に関する実践的な教育研究というものを特に進めていきたい、それを通じて教員養成というものを前進をさせたいということを考えているわけでございます。その趣旨とする学校教育に関する実践的な教育研究を進めていこうという点は、この教員大学学部も同様でございますけれども、ただ先ほど申しましたように、教員大学の場合には、ここに置く課程は初等教育教員養成課程のみでございます。広島の方には他の養成大学の場合と同じように、ほかの課程も置きますので、置かれる課程は違いますけれども趣旨とするところは同じであるということでございます。
  172. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 それでは、教員大学創設する趣旨をいただきましたこの資料の中から見ますと、第一に、大学院現職教員を中心として受け入れる。第二に、学部初等教育教員のみの養成である。第三に、実践的な教育研究を推進する。このように挙げられておりますが、この三つ趣旨について一つ一つお尋ねいたします。  まず第一の大学院、これについては衆議院の審議の中でも、何回となく現職教員研修所的なものではない、高度の研究研さん機会を確保するのだと説明をしていらっしゃいます。また現職教員の割合は多いけれども現職教員だけではなくて、一般学部卒業者も入学させるようになっているということでございますが、この二つの性格を考えますと、この教員大学に設けられる大学院というのは、いままである教員養成大学大学院や、また将来つくられる教員養成大学大学院と本質的には異なったものではないと私は受けとめております。その点いかがでしょうか。
  173. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のとおり、すでに置かれている学芸大学なり、大阪教育大学の修士の課程と異なるものではございませんし、これから置いていくこととなる愛知教育大学その他の修士の課程とも異なるものではないと考えております。
  174. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 第二に、学部については、学部初等教育教員養成に限ったというふうに言われております。この点についてですが、やはり衆議院の審議の中のお答えの中で、初等教育教員については毎年かなりの数の需要が見込まれると、そこで、大学には初等教育教員養成課程のみを置こうとしているんだというお答えですね。で、私は思いますのに、ただ養成すれば解決するものではないと思います。その点で、昭和五十二年度の場合を見ますと、免許状取得者数が約二万六千人ありますが、それに比べて実際に就職した者の数は約一万二千人、大体半分です。この事実を見ても、ただ養成すれば現場は解決するというものではない。先ほどのお話の中に、不足だと文部省はおっしゃる。しかし、現場の立場からはそれこそ希望者も就職できないでいるんだというような意見でございます。そういう点を考えてみても、この養成した者が積極的に就職するようにするのには、やはり地域的な需給のアンバランスを調整する、あるいは職場をもっと魅力的なものにするというような改善がなされなければならない。ただ養成すればいいというものじゃない。また、教育の現場の問題は、中学校、高等学校教育についても、生徒の非行、自殺、落ちこぼれ、受験準備に明け暮れている教育、こうした教育あり方が厳しく問われている現状でございます。そうした中で、学部についてはあえて初等教育教員養成課程のみに限定したということは問題じゃないか、こういうふうに思いますが、いかがでしょうか。
  175. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、教員大学について初等教育教員養成課程を置いたということの中には、小学校教員の需給上の問題に対応するという観点が一つございます。しかし、それと同時に、初等教育教員養成ということについては、初等教育学校教育の基礎として非常に大事であるということとともに、その教育に当たっては、児童等の成長と発達についての総合的な理解の上に、原則として全教科の領域にわたった能力が要求をされる、あるいは小学校と幼稚園の双方にわたる広い視点というものも要求をされているというようなことから、大学においていろいろな形で、その養成については改善工夫が必要とされ、またそれが現に行われているわけでございます。そういったことから、教員大学におきまして、初等教育教員養成課程を置いて、この養成課程において現在指摘されているさまざまな問題点にできるだけ対応をしていくと、そしてそのことによって初等教育教員養成について、一つの新しい方向を開くことができれば開きたいと、それが既設教員養成大学の小学校教員養成あり方についても、いい意味での刺激を与えることができるであろうと、そういうことを考えてもいるわけでございます。
  176. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 私がお聞きしていることについて納得のいくお答えをいただいてないように思います。この学部が初等教育教員のみを限定して養成するということについて、文部省としてはいまお述べになったようなお考えはあるとしても、それで現場の問題は解決するか。この点についてどうお考えになっているか、お答えいただきたいと思います。
  177. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 小学校教員養成課程を置くというのは、最も問題の多い小学校教員養成ということについて、この大学が積極的に取り組んでいきたいということを考えているからでございます。  もちろん、教員大学に小学校教員養成課程を置く、そのことによって現在抱えているさまざまな教員養成の課題なり、あるいは学校現場の課題が解消するわけではもちろんございません。既設教員養成大学学部について、いろいろな形での整備充実を進めていかなければならないということはもとよりあるわけでございますし、また学校の現場の教育条件につきましても、これまでの改善努力というものを引き続き行っていかなければならないことはもとよりでございます。
  178. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 第三に、より実践的な教育研究を推進するという点についてですが、今まである多くの各大学が、それぞれ特色を持った教員養成を行えば十分対応できる、そういう問題だと思います。しかもその方が効果も大きいんじゃないか。この点はいかがでしょうか。
  179. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 既設教員養成大学におきましても、これまでの教員養成あり方において、先ほど御指摘をいただきましたような、医学で言えば臨床に匹敵するような、そういう部面での力が欠けるきらいがある。そこをもっと充実をしていかなければならない。そのことを通じて、実践的な教育というものについての十分な力を持った教員養成ということを行わなきゃならないということは言われているわけでございます。その努力はそれぞれの既設養成大学でも行われていると私は考えます。  ただ、先ほど来申し上げておりますように、既設教員養成大学の場合には、そういう努力方向というものはもちろんあるわけではございますが、小学校教員養成課程のほかに、中学校なりあるいはその他の特殊教育学校教員養成等も行っているわけでございます。そしてどちらかというと、学生なりあるいは教官の考え方向というのが、小学校の課程よりも、それぞれの教科について専門性を深めて研究をしていくという、そういう意味における中学校教員養成の方に傾きがちであるという点があるわけでございます。そのことはそれぞれの大学において問題として意識されておりますし、またそれぞれの大学の小学校教員養成課程で、いろいろな改善工夫がされているわけでございますけれども、やはりそういったそれぞれの大学における問題意識というものを受けとめる、そしてこの教員大学の小学校教員養成課程で問題とされている点について、さまざまな角度から工夫改善に取り組んでいく、そのことが既設大学における教員養成あり方についての改善についてもいい影響を及ぼしていくということが期待できます。やはりこの大学と、既設大学の整備ということと両々相まって、教員養成内容をいいものにしていく、そういう方向をとることが最善であると考えているわけでございます。
  180. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 特に、趣旨として、また教員大学を新しくつくるという特徴として三つの点を挙げていらっしゃるわけです。そしてそれについてのお考えをいまただしてみますと、大学院は他の教育大学大学院と異なっていないと、また、初等教育教員のみを養成するということについても、現場がそれで解決できる問題でもない。また実践的な教育を行うということについても、いまのようなお答えを考えますと、まあ総合してそれじゃ一体教員大学という名前を、特に教員とつけて、そして特別な名称を特につけて、何か違った内容のものをつくるかのような感じにとられやすいこういう大学、公明党としては、私は教員大学という、教員という特別な名称をつける必要はない。上越教員大学、兵庫教員大学上越教育大学、兵庫教育大学と、いままでの教員養成大学と同じ名前でいいんだと、これは修正すべきであると主張いたしますが、この点いかがでしょうか。
  181. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 既設教員養成大学は、東京学芸大学を除きまして、すべて教育大学という名称を用いております。あるいは教育学部という名称を用いているわけでございます。教員大学教員養成目的とするという点においては、御指摘のとおり、全く新しい別種の大学をつくるということではなくて、教育大学一つとして創設をしていくものでございます。しかし、先ほど来お答えを申しておりますように、大学院段階現職教員を受けて入れて、そして高度の研究機会を確保するというような、この大学教員のためにつくられる大学である、教員のための大学であるという趣旨をできるだけ名称の上でも出したい。そういうことでいろいろ検討しました結果、法令上の用語としても、定着をしている教員という用語を用いて、教員大学という名称をつけることが最も適切であろうという判断をしたわけでございます。  教員大学という名称に到達するまでにはいろいろと名称検討をいたしました。それは衆議院の段階で須田参考人のおっしゃった総合教育大学というのも私たちは考えた案の一つではございますけれども、やはり既設教育大学との関係において、総合教育大学というような名称をつけることはいかがかと思われる点がございますので、端的に教員のための大学であるということを名称の上でも明らかにするとすれば、教員大学ということが適当ではないかということで考えて、御提案を申し上げているわけでございます。
  182. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 何か私は納得しません。教員大学というのは、教員のための大学であると。いままでたくさんある教育大学もやはり教員のための大学なんでしょう。何か教員大学教員のための大学である。それじゃ教育大学はそうじゃないんですかと、水かけ論になりますけれども教員のための大学だとおっしゃるなら、教育大学教員のためじゃないというふうに、裏を返せば言いたいような御答弁ですね。ですから、そこが納得いかない。この教員ということについては、私が申し上げるまでもなく、ほかの方からもいろいろ御質問があったようですけれども、どうしてもこの名称にこだわるという気がいたします。納得しない御説明です。  そこで、文部省はこの国会答弁とは別に、将来は他の教育大学大学院とは全く異質なものとして、性格づける意図があるんじゃないか。やはり名前というのは内容をあらわしているわけです。そう思わざるを得ません。私は、こうした意図があるんじゃないかという疑いがありますので、このようにしつこくも申し上げますし、むしろ教育大学とした方がすっきりする。こういうふうに思って、その意図があるんじゃないかということに対して、一言お答えをいただきたいと思います。これは大臣にもお願いいたします。
  183. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 柏原委員が御指摘のような、この国会で答えているようなことではなくて、何か別に意図するところがあるのではないかということでございますが、そのような意図はゆめゆめ持っておりません。大学局長がお答えをいたしましたように、大学院におきます現職教育、やはり教員大学教員養成目的とするということでは、既存の大学と変わりはございませんけれども大学院におきまして特に大ぜいの現職教員を受け入れる、そういう教員大学が持ちます特色をあらわしたい。そういう創設趣旨にかんがみまして、教員大学という名前をつけたわけでございます。ひとつ素直にこういう名前考えたわけでございますから、そういう他に意図とするところがないことを御理解をいただきたいと思うわけでございます。
  184. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 素直にどうしても受け取れませんので、くどくくどく申し上げるわけで、これはこの名前をどうこうということより、むしろ内容的に漠然としている。私たちが知りたい問題点がさっぱり示されていない。慎重に御審議くださいと言ってお出しになった法案でありながら、知りたいところが示されていない。こういう疑問点が非常に多いので、いま申し上げているわけでございます。そういう点は別に意図はないという大臣のお言葉でございますので、きょうはその程度に受けとめてまいります。  次に、きょう正式にいただいたこの資料なんですけれども設置計画が非常に簡単なんですね。具体的にもっと知りたいと思いますのでお聞きするのですが、学生を受け入れるまでの基本的なスケジュール、これをもう少しお示しいただけないものでしょうか。
  185. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) そこの資料において示しておりますように、計画をいたしておりますのは、両大学とも五十三年の十月に法律上の設置を行うわけでございます。学生の受け入れの時期は、兵庫教員大学の場合は大学院五十五年、学部は五十七年度から受け入れを行う。上越教員大学の場合には学部昭和五十六年度、大学院昭和五十八年度から受け入れを進めることといたしているわけでございます。この受け入れも、五十五年度に大学院を全部一遍にあけてしまうわけではございません。これは年次計画をもって逐次増設をしていくわけでございます。その増設をしていく仕方というのは、これから十分に関係省庁と協議をして詰めてまいるわけでございます。
  186. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 学生を受け入れるまでのスケジュール、これについては何のお答えもございませんが、どうなんでしょうか。
  187. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 失礼をしました。十月に法律上設置されるまでの間は、現在の創設準備室が引き続き存置されてまいるわけでございます。ここで創設準備室長を中心といたしまして、広く関係大学先生方の御協力も得て、この大学のカリキュラム等についての検討がさらに進められてまいりますし、また、いま申しましたこれからの学生具体的な受け入れのための専攻の設置計画等もさらに詰めてまいるわけでございます。  十月に大学創設されますと、その段階で学長、あるいは副学長の任命が行われます。ただ、その段階ではまだ教官はそろっておりません。これは創設に当たるいわば準備要員としての教官が、学長を中心に若干名あるだけでございます。そして、それらの創設に当たられる方々を中心として、さらに準備作業が進められていくことになるわけでございます。大学院学生受け入れが五十五年でございますから、したがって、具体的な教員の構成にかかる――全国から公募して教員構成をすることになると思いますけれども、その時期はやはり五十四年の春ごろに公募をしていく、そして教員構成を整えて、大学設置審議会教員の資格審査を受ける、そういう段取りになっていくわけでございます。
  188. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 何か納得いたしません。というのは、準備室というのが、兵庫の準備室は五十年につくられておりますし、上越の方は五十一年につくられている、もうずいぶん月日がたっているわけです。それなのに、ただ三行だけ示された設置計画、一体本当にこれだけしか決まってないのか、しかし、検討はもっと進んでいるんじゃないか。進んでいますと、それとも、決定というものは、教授会ができて、そこで決定されるものであるから、だからこれ以上は言えないんだと、こういうことになってるのか、その辺はどうでしょうか。
  189. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学具体的な組織、あるいは教育課程の基本的な方向については、お手元の資料に、大学院で言えば専攻を設け、そこにどういうコースを置いていくのかというような、これまでの創設準備室での御検討の結果というのは明らかにしているつもりでございます。御指摘のように、現在の段階で確定をしていると言い切れないものがたくさんございます。それは事柄として今後の大学創設にかかわる方々の御判断にまつべきものというものがあるわけでございますし、さらには事柄が確定するまでには、財政当局その他関係省庁との協議を経ないと確定をしないという面がございますので、詳細をお示しをすることが事柄としてできないということはあるわけでございますけれども大学の基本的な方向と申しますか、構想骨組みというのは今日の時点で明らかになっているわけでございます。
  190. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 次に、完成時の教官は何名か、どういう方法で募集するのか、この点いかがですか。
  191. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これもきわめてお答えのしにくい問題であることを率直に申し上げます。というのは、この大学の教官を最終的に完成時何名で整備することができるかという点については、これから行政管理庁なり、あるいは大蔵省と協議を重ねていかなければならない面が残っているからでございます。しかし、創設準備室が現在構想をしている事柄を十分に実現をするということを考えますと、やはり教官の数は二百名から二百二十名程度を必要とすると考えます。ただ、それが完全に実現をするということで申し上げているわけではございません。そういう構想であるということで御理解をいただきたいと思います。
  192. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 いままでの教員養成大学の教官スタッフ、予算、施設、付属施設、こうしたものと差があるかどうかという点をお聞きしたいわけです。
  193. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これもむずかしい御質問だと存じます。東京学芸大学であるとか、あるいは大阪教育大学のように、すでに十分に整備をされている大学と比較をいたしますれば、それは決して差のあるものではございません。しかしながら、この大学もまた年次計画を追って整備をしていくわけでございますから、最初からそういう状況で整備ができるわけでないということと同じように、現在多くの大学においては、教員組織その他教育研究条件について、鋭意整備を進めている途上にいわばあるわけでございますから、一概に具体的な比較をすることがむずかしいわけでございますけれども、私たちは、教員大学だけを特別のものとして、それを他の大学とは際立っていい教育研究条件のもとに置くということを趣旨として実施をしているわけではございません。既設大学の整備ということも十分に考えながら、両々相まって進めてまいりたいと考えております。
  194. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 非常にお答えにくい点をお聞きしたんですが、まあ筑波大学ができたときのことを思って比べてみますと、あのときは、資料などは君たちの手玉にどんどん来たわけなんてすね。それで大変内容もよくわかった。それから比べると、まるで文部省から出されている資料というものはおざなりじゃないか、お粗末じゃないか。表紙一枚入れてたった四枚ですね。たった三枚の紙に活字をばらばらっと散らしたように、なるべく枚数を多くしようと思って並べたかのような資料だ。表紙を取ればたった三枚じゃないですか。これは、書き方によったら一枚でもまとまっちゃうわけですよ。こういう程度の資料きりお出しにならないから、本当にわからない。お聞きすればまたあいまいなお答えが非常に多い、納得できないことがたくさん多い、こういう感じを率直に申し上げるわけでございます。しかし、法案が通ってしまえばそれでいいというものではなくて、いろいろな問題が明らかになりましたときには、先ほども国民にも知らせるということもございましたし、私たちにも少しでも早くそうした問題についてのお知らせをいただきたいと思ってるわけでございます。ひとつその点、よろしくお願いいたします。  次に、現職教員に対する研究研修、これは資質の向上にとって大切なことはもちろんです。しかし、その機会を与えていくやり方、これはあくまで教員の自主性というものを尊重し、上から押しつけられたり、指示されたりしていくようではならない、こうした配慮が最も必要であると思いますが、いかがでしょうか。
  195. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のとおりであろうと思います。
  196. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 そのとおりだということでございますので、次にお聞きしたいんですが、現職教員教員大学を受験する場合、教育委員会などの同意が必要であるとされております。この同意のやり方、まあやり方によっては、本当に受けたい教員が受けられないで、教育委員会が受けさせたい教員だけが受けられるというようなおそれも考えられるわけです。こうしたことが起きないような制度的な配慮、これが必要だと思います。たとえば、受験希望の申し出があれば、これは事務的に受理して同意書を出すとか、あるいは、希望が多過ぎて選ばなければならないような場合でも、教員の自主性を尊重した、納得のいく基準、こういうものを示してやるべきではないかと、こういうふうに考えますが、いかがでしょうか。
  197. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 大学院で勉強をするという場合に、本人の積極的な勉学の意欲というものをまず一番大事に考えなければいけないという点は、私たちもそのように考えているわけでございます。しかし、実際にそれぞれの市町村なりあるいは県において、大学院――この教員大学大学院への派遣を含めて、教員研修については全体の計画が立てられていくわけでございます。そういう全体の研修計画というものとの関連で、どれだけの先生方をどのような形で現職のまま、現給のままで大学院に送り出すことができるかということについては、これは事の性質上、御本人の希望だけでは決しかねることがあるわけでございます。やはり、全体の計画を考えて、市町村の教育委員会が御判断になり、さらに県の教育委員会と十分に御相談をいただくということでないと、円滑を欠くということになります。私たちは、そういう全体の同意を与えるための運用が、本人の勉学の意欲というものを十分に尊重する形で行われてほしいと期待をいたしておりますけれども事柄として、現職先生が職場を離れて、長期にわたって研修を受けるという場合には、御本人の希望によってのみ、それが実現をするということは、これはそうはまいらない点があるというように御理解をいただきたいと思います。
  198. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 それでは、いままでの教員養成大学の拡充についてお伺いしたいと思います。  いままでの教員養成大学は、今度できる教員大学より一段低いというような声が聞かれます。そこで、教員養成大学の整備充実策、これが望まれるわけです。このことはいろいろと積極的な姿勢でお示しになっているようですが、抽象的な感じがいたします。  そこで具体的にお伺いしたいわけです。  まず一つは、大学院については、昭和四十一年度、東京学芸大学昭和四十三年度には大阪教育大学設置されました。昭和五十三年度、本改正案によって愛知教育大学に新たに設置されるわけでございますが、この十年間大学院設置されなかった理由をお聞かせいただきたいと思います。
  199. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 午前中もお答えを申しましたように、やはり事柄として教員養成大学学部教育研究体制の整備というのがおくれていた。したがって、大学院を持つだけの教育研究体制というものが、教官組織等を含めて十分に整わなかったという点があるわけでございます。このことについては、私たちも、できるだけ各大学の御努力に対応をしようということで、これまでも教員組織の整備等を進めてまいっているわけでございます。各大学の方からも修士の課程を置きたいという御要望が出てきているわけでございますが、五十三年度の予算におきましても、大学院改革調査費の中に、教育系の大学院についての調査経費というものも計上をいたしておりますし、各大学の御要望を承りながら逐次大学院設置を進めていきたいと考えているわけでございます。
  200. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 整備拡充がおくれていると、そういうお話ですが、どうしておくれたんですか。
  201. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) やはり、教員養成系の大学学部というのは、旧制の師範学校を母体として成立をしたということがございます。そして、その後、それぞれの学部の質的な水準を上げる努力というのはしてきているわけでございますけれども、同時に、戦後における急速な教員需要というものに対応するための量的な拡大ということに、やはり意を用いなければならなかったという事情がございますので、全体として、既設教員養成大学学部教育研究体制の整備が、急速に進まなかったという事情があります。さらに、大学院を置く場合に、教員養成大学院の場合には、他の分野の大学院よりも関連する領域が非常に広いということもございまして、大学院の置き方が困難だという事情もあるわけでございます。両面からやはり修士の課程の設置はおくれてきたと考えております。
  202. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 今後については、各大学教育研究体制の整備状況、または大学院構想検討の進捗状況、こういうものによって、具体的な計画が立てられなければならないわけですが、現段階ではどういう状況になっているか、また今後の計画、こういうものがある程度は示されなければならないと思うのですが、これを明らかにしていただけますでしょうか。
  203. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これも、医科大学をつくります場合のように、毎年何校かずつ次々につくっていくというような形では、なかなか計画をお示しできないわけでございます。これはいま御指摘のように、それぞれの大学における教育研究体制の整備の進捗状況がございますし、またそれぞれの大学において特色のある大学院設置ということを頭に置いて、構想検討が進められているわけでございますから、そういった大学における御構想内容と、それぞれの大学における教育研究体制とが、うまく対応するかという問題もあるわけでございます。したがって、来年度は何校、その次の年には何校というように、具体的にお示しすることはきわめて困難でございますけれども、そういう大学側努力というものを受けとめながら、逐次計画的につくっていきたいということを考えているわけでございます。  なお、大学院設置に当たって、大学設置審議会が審査をするその基準につきましても、現在設置審議会関係の専門委員会において、これからの計画的な整備ということを頭に置いた御検討を賜っておりますので、その点にも配意をしてまいりたいと考えております。
  204. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 そうした具体的な資料というものはいただけるものでしょうか。
  205. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 具体的な資料としてどういうものを差し上げればよろしいのか、ちょっと私この時点では判断ができないわけでございますけれども大学院の審査基準の点については、もちろんまだ成案を得ているわけではございませんし、専門委員会の中でいろいろな角度での御検討が続けられているところでございますから、これはもちろん改善のための成案が得られればお示しすることはできるわけでございます。
  206. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 次に、大学院改革調査経費が五十二年度に引き続き、五十三年度も予算化されていますが、どのような調査が行われ、現在どういう段階であるのか、特に教員養成大学院の問題についてはその調査された内容、そうしたものを知りたいと思いますが、いかがですか。
  207. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 大学院改革調査経費は五十三年度で約一千万円を計上しているわけでございます。その内容は、千葉大学の薬学系大学院、これは博士課程でございますが、これは固有名詞を挙げてその調査に入るということを明らかにしておりますけれども教員養成系の大学院につきましては、教員養成系の大学院ほかということを掲げるだけで、具体的にどの大学について調査に入るということは掲げておりません。先ほどもお答え申し上げましたように、五十三年度の概算要求を文部省検討するに際して、各大学から修士課程設置の要望があったのが十三ございます。これらの十三の大学に限るわけではございませんけれども大学院のない大学における大学院設置構想というものを検討していただく、それを推進するために調査経費を配付するわけでございますから、まだどの大学に配付をするということを決定はいたしておりませんけれども、できるだけ早く大学側の御要望も承りながら、どの大学調査費を配付するかを決めたいと考えております。
  208. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 次に、教員養成大学学部の教官組織充実についてですが、過去十年間で約八百三十人の増員が図られてきました。今後、大学院の拡充、特殊教育、教科教育、初等教育の分野、その拡充のために一層増員が必要であると思われますが、この増員の必要数、また養成計画、こうしたものをお示しいただきたいと思います。
  209. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、過去十年間約八百三十名の増員を行ってきているわけでございます。教官組織の整備については、現状で十分だとはもちろん考えておりませんから、今後ともさらに充実に努めてまいりますけれども具体的な整備計画につきましては、各大学あるいは学部の御意向等を勘案しながら、逐次進めていかなければならないことでございますので、現段階で今後の増員すべき必要数を具体的に算出をするということは困難でございます。増員を行っていく場合には、御案内のように、一つには各大学における養成課程を新設をする、あるいは付属学校を新設をするということに伴って、いわば新増設のために必要となる増員数と、それから既設の課程における教科教育担当の教官等の増を進めるということに伴って必要なものと、両方あるわけでございます。全体の苦しい定員事情の中で、教員養成系の学部の整備のために、これからも努力をしていくわけでございますけれども、現在の時点で、具体的にこれだけを何年間に増員をするというようなことをお示しをすることは、遺憾ながらできかねるわけでございます。
  210. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 教員養成大学学部における付置研究所及び付属研究施設の現状、また今後の拡充整備の方針、こうした点についてお伺いいたします。
  211. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 付属施設の整備につきましては、まず教育工学センターの問題がございます。これを鋭意整備をいたしてまいりまして、現在三十一設置をいたしておりますが、今後ともこれらを各大学の御要望に従って、逐次設置をしていかなければならないと考えております。  付属学校につきましては、養護学校、幼稚園を中心といたしまして、新設整備を図ってきておりますけれども、今後とも養護学校の新設等につきましては、これまた各大学の御要望を承りながら、積極的な整備に努めてまいりたいと考えております。
  212. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 最後に、教育実習研究指導センター、こうしたものが東京学芸大学及び岡山大学設置されておりますが、その内容と、今後の増設計画、そうした点についてお伺いいたします。
  213. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教育実習研究指導センターは、大学と付属学校の協力によりまして、教育実習指導の充実強化を図りますために、教育実習の内容、あるいはその運営、指導方法、評価のあり方、あるいは組織的な指導体制の確立、そういったことについての研究改善を行うということを趣旨といたしまして、五十一年に東京学芸大学、それから五十二年に岡山大学設置をしたものでございます。今後これを増設していくかどうかの問題でございますが、現在多くの大学におきまして、教員養成における教育課程や、あるいは教育実習の改善の問題、教育研究における付属学校の活用の問題等が検討をされておりますので、そういった検討の結果等も考えながら、大学側の御意見を聞いて検討をしていきたいと思っております。そう簡単に次から次へつくっていけるような施設ではなかなかない、やはり大学側のそれに対する対応が十分に整っているところへつくって、初めて積極的な機能を発揮できる施設でもございますので、大学側と十分に御相談をしながら、検討をしてまいりたいと考えております。
  214. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 共産党を代表して質問をいたします。  教員大学の概要について、その趣旨を初めとして若干の内容について説明書をいただいておるわけですが、もともとよく知られた一九七一年の中教審答申、七二年の教養審建議、そして七四年の鯵坂調査会、これら一連の事前の積み上げがあって、その上に新構想大学院、これを中心にしなから出発をせんとする今日の大学設置であるというふうに理解をしておるわけでありますが、大筋においてはそのとおりではないんでしょうか。
  215. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のとおり、基本的な方向、あるいは大筋においては御指摘のような流れに沿って構想をされ、現在もまた構想されているものでございます。その幾つかの点において、審議会なり、あるいは調査会のお考えについて、修正を加えている部分があることは、先ほど来お答えを申し上げているとおりでございます。
  216. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 まずその趣旨において「教員大学は、教員資質能力の向上」、そして「初等教育教員養成・確保という社会的要請に対処するため」と、こういうふうにうたわれておるわけですけれども、私もこの中教審教養審、鯵坂調査委員会の中で指摘されておる問題点というのは、一応目を通しておるわけですが、ここに言われる「社会的要請」というものはどういうものであるのか、改めて簡潔にお答えいただきたいと思います。
  217. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 「教員資質能力の向上」というのは、教員養成段階だけで実現可能なものではなくて、やはり養成研修段階を通じて、養成され、あるいは備わっていくべきものであり、そういう意味において、教員資質を向上させるという要請が非常に強い。それに対して現職先生方研修機会を確保するということが、現在非常に必要になっているということが言えると思います。  それから、「初等教育教員養成・確保」という点につきましては、先ほど申しましたように、量的にもなお養成をすべき必要がございます。さらに、初等教育教員養成あり方というものについても、改善工夫を必要としているわけでございます。それらを通じて、教員資質の向上、あるいはすぐれた初等教育教員養成という、そういう今日の強い要請にこたえようというものでございます。
  218. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 教員のいやしくも資質能力に対して、現行のままでは十分でないという指摘になっておるわけでありますから、裏返して言えば、現行の大学における教員養成の中身について。それからもう一つは、大学を出て学校現場に配置されてから後の研修と申しますか、資質向上の現状に照らして不十分だという認識に立って、社会的要請があるというふうに当然読み取るわけですけれども、端的に言えば、これは教員の専門的力量の強化拡充に対する社会的要請と、こういうふうにとらえるなら、私もその点においては専門的力量の強化という点は、今日教育危機が叫ばれるときでもあり、また同時に量的な教育の拡充、それに反比例をするように内容的な諸困難の問題が出ておりますし、何といっても、素朴な明治以来の段階に比べて、内容も非常に複雑多岐にわたり、むずかしくなっておりますし、特に中等教育等においては、受け入れる対象も非常に拡大をしておる。この点で現行の養成あり方と、それから現場に配置されて後の、これは法律でも定めております教員というものの職務の特殊性からくる研修の保障と、それの成果というものが不十分であって、この点では各般にわたって、一段と行政の面でも、養成の面でも強化をして当たらなければならぬというところまでは同感をするわけであります。これに対して、具体的にどう手をつけて、どう措置をするかということの一翼として並べていく場合に、これがどう位置づけられるのかと。このことがこの法案審議の中心的な問題になるであろうと思うわけであります。その点については大学協会もつぶさに根本的な立場から、大もとの立場から、教員養成制度の問題のみにとどまらずに広く問題の視点を当てて、さまざまな問題を取り扱っておられるわけです。  ここで私はお伺いをするわけですけれども、まず、「資質能力の向上」という問題と、さらに言えば「実践的な教育研究を推進する」という、いわば現職教育という課題と、大学院における学問研究という問題についてのかかわり合いの問題になるわけでありますが、目的として、「資質能力の向上」、「実践的な教育研究を推進する」というのは、これは学校教育法六十五条に言うところの大学院設置と矛盾なく合致するものであるのかどうかという点なんですね。その点についてお答えを願いたいと思うんです。
  219. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学大学院は、御指摘のように現職教員専門職としての資質能力を高めようとする、そういう教員自身努力というものを助長しようと、そのために大学院レベルにおける高度の研究研さんの場を確保しようということを趣旨とするものでございます。大学院の性格というものについては、もとより学校教育法の規定があるわけでございます。その規定に従って、教員大学大学院もまた構想されていくわけでございますけれども、御案内のように修士の課程につきましては、研究者の養成を志向するものと並んで、高度の専門的な職業人というものを養成をする、そういう側面を新しい修士の課程の考え方というのはとっているわけでございます。このような形で現職先生方に、広く大学院における教育研究の門を開くというのは、新しい修士のあり方方向にむしろ積極的に沿うものであると考えております。
  220. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 学校教育法では、学術の理論応用を教授研究して、その深奥をきわめるというふうに記述をしておるわけであります。実践的な教育研究を推進をして、そして教育能力のある人をつくり出していくということとは、表現においても、内容においてもギャップを感じざるを得ないと思うわけでありますが、この点鯵坂委員会報告の中では、少なくともこの部分については「実践にかかわる諸科学」というふうに記述をしておるわけですが、これは全く同じ意味に解していいのか、違うんですか、どうなんですか。
  221. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) その点は私はそう違わないと思います。大学院は、確かに「学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与することを目的とする。」という規定を受けてつくられるものでございますが、この規定の中において大学院設置基準におきましては、修士の課程について、一つは、「広い視野に立って清深な学識を授け、専攻分野における研究能力又は高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力を養うことを目的とする。」つまり「専攻分野における研究能力」ということと並んで「高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力を養う」ということを、修士の課程は目的としているわけでございます。そういったものに沿うものとして、教員大学大学院発展をする。そのことを願っているということを申し上げたわけでございます。
  222. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 局長答弁になってきますと、表現が違っても同じことだというふうに言われるわけでありますけれども、実際に目的大学として設置をされると、こうなりますと、そこのところは厳格に見ておかなければならない問題であろうと思うわけです。同じ研究機関であっても、たとえば各省庁に所属するような目的別の研究機関、東京大学の原子力研究と東海村にある原研とでは同じく研究者が参りましても、その置かれる意味は違うわけであります。こういう点については、やはり科学、学問の研究だということを、どこまでも今後も筋を通して明らかにしておかれる必要があるだろうと思うのです。特に能力というような問題は、これは学問の結果としてあらわれてくるものであって、それ自身大学の中で目的づけられると、業績審査の対象になるとか、卒業判定の対象になるとか、そういうものではなかろうと思うわけであります。資質というのもあいまいな言葉でありますけれども、これもここに対して、産業界、もしくは実業界、あるいは国民の立場から、さまざまな要求をすることは自由だと思うわけであり、期待することも自由であろうと思うわけですけれども、この点について特に中教審、あるいは教養審の中では、幹部たり得る資質というような問題も出てくるわけです。幹部たり得る資質大学院を設けて養成せよと、こういうのに見合いながら、その資質能力というような用語がそのままずっと導入されておるのでありますから、その点については学会においても、非常に懸念を有するということは相当の理由があると思うわけであります。この点、この目的というもの、資質というものがやはり幹部たるべき資質を有するというようなことを含んで考えられておるわけですか。
  223. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) この大学、あるいは大学院、ことに大学院がいわゆる教員研修所的なものとして矮小化されてはならないということは、国立大学協会特別委員会懸念表明されていたポイントの一つでございますし、また私どももそういうことでなくて、先ほど来お答え申し上げておりますように、開放制のもとにおける教員養成一つのものとして、その中に適切に位置づけられる、そして大学における、大学レベルにおける大学としての現職先生方の高度の研さん機会を確保する。そういう性格をどこまでも貫いていくことが大事だということは、私たちもまた創設に当たっておられる準備室の方々も、同じように意識をされているわけでございますし、そのことは国立大学協会においても御理解を賜ったところであろうと思います。資質能力の向上というのは、御指摘のように、ある意味では大学院における勉学の結果として出てくることであり、さらに言えば、この大学院はそれぞれの先生方専門職としてのみずからの資質能力を向上させようという、そういう努力を、それを助長するということを目的として研さんの場を提供するということになるんだろうと思います。そしてこの大学院卒業された方は、もちろん現職、現給のままで長期にわたって研さんをされるわけでありますから、再び教育の現場に戻って指導的な役割りを果たしていただきたい、それはいろいろな面で指導的な役割りを果たしていただきたいということを念願をいたしますけれども、いわゆる校長、あるいは教頭、そういった限定された幹部の養成のための機関というようには、もとより考えていないわけでございます。
  224. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 受験者の方の処置等から、そういう特色が出てくるという以外に、大学の方のカリキュラム、教育内容教員構成等でもそういう要素が出てくるかどうかということが問題になってきますので、ここまでの御答弁の中ではひとまずいただいて、内容を明らかにする必要があると思うわけです。  この段階でお尋ねしておくわけですが、いままで説明された要素は、社会的要請はひとしく教育界、あるいは大学に向けられた要請であったはずだと。特に教員養成大学について、大学院設置についてながめるなら、先ほどの質問者からもありましたが、東京、大阪には修士課程がすでに設置をされておるわけであります。特に私も大阪の設置について少しく経過を調べてみたわけですけれども、この場合にも現職者の入学、研究と、そして現職教師に対する研さんの場として、大学院設置するという考え方があったやに聞いておりますし、その点はどうなのかということ、そして改めてここで新しく大学設置するについてうたわれる目標、あるいは性格というものは、すでに、そう古い段階ではありませんからね、東京、大阪の教育大学に修士課程が設置されたときと違うのか、一致しておるのか、その点もあわせてお尋ねをしておきます。
  225. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のとおり大阪教育大学、あるいは東京学芸大学を通じまして、これらの大学に修士の課程を設置をいたす場合には、現職先生方を積極的に受け入れて、そして現職先生方の高度の研さんの場を確保しようということは、文部省考えておりましたし、大学側構想の中にはそれは積極的にうたっていたことであると考えております。ただ、その後の経緯を見てまいりますと、現職先生方が実際に、これらの大学院に在学されるケースというのは非常に少ないということがございます。それは一つには、学部卒業して大学院で勉強をしたいという者が、やはり教育学部の場合には多数に上りますので、それらが進学をしてくるということがあり、それをやはり大学としては積極的に受け入れていく。これはこれから教員養成考えていく場合の大事な方向でもありますので、大学としてはそれに対して積極的に対応をしていく、あるいは現職先生の場合になかなか大学院で長期にわたって勉学をするということについての理解が得られなかったという、両方の理由があると思います。
  226. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 改めてこの大学院が設けられるについて、かなり中教審教養審等では露骨に幹部教員養成ということを言い始めまして、それが動機となってつくられたのは、この点、経過についてはお認めになったとおりでありますけれども、現段階で幾つかの問題について状況をやわらげられて、まず第一に学部設置するという問題と、あるいは教授会方式、さまざまなことで説明が行われておるわけでありますが、私も大学協会側のこれについての見解をもながめておるわけであります。今度は、新しく設置されるにつきましては、新構想大学と言われますので、それじゃどこが新構想になるのかという問題であります。いまお尋ねしたところでは、少なくとも設置目的とか、大学院の側としての設置状況においては、在来の大学とその目的においても、内容においても、特段に趣を異にするものではないというふうに御説明を聞いておるわけでありますが、大学院の三分の二まで現職教員を受け入れて、そうしてこれに対して、いわば、目的教育を施そうという動機で設置をされるわけでありますが、専攻分野あるいは内容、カリキュラム、こういったふうなものについては、ここに「組織教育課程」、特に組織の面で、「研究科の専攻については、細分化の方向でなく総合的で高度の教育研究」というふうに包括的に書かれておるわけであります。これらの問題について、新構想としての特色はどこにあるのかということを御説明いただきたいと思うんです。
  227. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) やはりいま御指摘の点になるわけでございますが、この教員大学の特色は、一つには、大学院につきまして主として現職教員を受け入れて、研さん機会を確保をしていく、それについて三百人の入学定員の三分の二を当てるというような積極的な考え方を持っているという点がございます。そして、そこにおける専攻の種類、あるいは教育課程につきましても、いま御指摘がありましたように、従来の大学院の場合のような学科別に専攻を立てていくということではなくて、学校教育専攻であるとか、あるいは教科、領域教育専攻であるとか、そういう形で学校教育に関する実践的な教育研究をいわば総合的に、しかも高度に推進できるように編成をしようという努力をしている点がございます。さらに学部のところで、これまた先ほど来お答えをしておりますように、初等教育教員に限った養成を行うと、そして教育課程も教育実習の拡充など、学校教育の実践的な面での教育指導に重点を置いて編成をする、こういったところが、やはり同じように教員養成のための大学ではございますけれども、従来の大学とは異なった特色を持っている点であり、全体として大学院にウエートを置いた大学として構想されているという点が特色になっているわけでございます。
  228. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 この程度の御説明では、どうして東京もしくは大阪の教育大学の修士課程において行っているものに比べて、著しい特色を持つ新構想であるのか、十分理解できないわけであります。言語系教育コースというのは、国語とか、英語とかいうふうに分かれておるものと、一体どう新構想であるのか、講座制をとるのかとらないのか、具体的に、その辺については違うわけなんですか、それとも似たようなものであるのか、聞かしていただきたいと思いますが。
  229. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) やはり既設大学院の場合には、教科別に細分化した専攻を置いているわけでございます。したがって、どちらかと申しますと教科別の学問研究の深化ということに、大学院のいわば教育研究方向があるわけでございますが、この大学の場合には、専攻を大きく総合的に立てていく、そしてそのことによってそれぞれの専攻の中での教育研究あり方というものを幅の広いものにしながらも、しかも、それぞれのコースに応じて立てるべきピークは立てていこうということでございます。講座の置き方につきましては、いわゆる大講座制と申しますか、そういったものとしてこの大学院の場合には考えられていくことになります。
  230. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 もともと講座の置き方とか、コースあるいは課程の決め方というものは、大学が自主的に決定をするものでありますし、この程度の違いであるなら、大学のサイドで状況に合わせて、あるいは大阪なり、東京なりで、こういう方向を教授会の合意があるなら施行することもそんなに大きな変化ではなかろうかと思いますし、言語系教育コースといっても、中には国語があり、英語があり、具体的にはおおよそ似かよったものになるのではなかろうかと思うより以外に、私のイメージの中にはいま具体的にあらわれてこないわけでありますが、この点については新しい試みというほどのものになるのかどうか、また、付属学校等についても、特段に新しい教育改革を反映したものがどうあらわれるのかというようなことも、この概要説明の中では必ずしも明らかでないように思うわけです。付属学校についてはいかがですか。
  231. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) もちろん付属学校について、この大学の場合に他の大学と違った付属学校というものを考えているわけではございません。同じような形で付属学校設置していくわけでございますけれども、その付属学校というものを、いわゆる学部教育研究に協力をする、あるいは教育実習を受け入れるという付属学校本来のあり方に沿ったものとして、整備をしていくということを考えてまいるわけでございます。実際にそれをどのように活用していくかというのは、具体的に大学が発足をしてからにかかるところが多いわけでございますけれども学校教育研究センターを置く等の措置を講じながら、できるだけ付属学校を本来の設置趣旨に従って活用しようということで考えているものでございます。
  232. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 大学協会で出された文書を見ますと、新構想大学というのは、どこが新構想であるのかという点を検討された上で、新大学院の専攻分野、その内容、カリキュラム等については、格別に新しい構想が見当たらないというふうに見てますし、むしろ現在の大学の教官の協議の中からは、さまざまな現状のあり方の分析と、将来に向かっての模索と試行が行われておるのは、これは私ども承知をするところであります。その範疇の中で、特に新構想というふうにも私はいまの御説明では聞き取ることはできないわけであります。特に教育内容、あるいは原理、現職教育というものを根本的な教育基本法、あるいは学校教育法の理念に照らして、大きく全体を開発していくための一環というふうに考えてながめるときは、むしろ陳腐の印象が与えられると、なかなか酷評されておるわけでありますけれども、私もいまの段階の御説明を聞けば、その見方の方に同調せざるを得ないわけであります。何といっても、今度のこの新大学院構想の中での最大の問題点は、むしろいままでに言われた大学の教科の方に違いがあるのではなくて、この受験の方式と、その受験をする学生の方に違いがあることになると思うわけです。この点であとの方にその問題が出てくるわけであります。大学院につきまして、「その他」のところを見ますというと、いままでるる説明がありましたように、教職経験三年以上を有する者を三分の二程度を充てると、こうありまして、これが県教育委員会等の同意を得たものを、これを出願の要件にするということ、副学長を置き、学外の教育関係者等の有識者の意見を求めるなど工夫を図ると、こうあるわけですが、教育関係者の有識者の意見を求める工夫というのは、具体的にはいまどこまで煮詰まっておるわけですか。
  233. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 非常に端的に申し上げまして、要するに新設の医科大学、あるいは技術科学大学と同じように、参与という形で置くかあるいは参与という形ではなくて、連絡協議会というような形で設けるかということについての御検討創設準備室では行っていると考えております。いずれにしても事柄は参与と同じ性質のものであると考えております。
  234. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 筑波大学には参与会というのがありまして、これが私どもが賛成できない大きな力を持っておるというわけですけれども、大体そういう性格を持つものと見ていいわけですか。
  235. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 筑波大学の場合には法令をもって参与会というものを設置をしていただいたわけでございます。新設医科大学、あるいは技術科学大学の場合には、省令の規定に従って参与を設けている。参与会ではなくて参与というものを委嘱をしているわけでございます。新設の医科大学、あるいは技術科学大学の場合における参与と同性質のものが、いずれにしても置かれることになると考えております。
  236. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 省令をもって参与を置くという考え方で進めておられるということなんですが、具体的にはこれはどういう権能を持つことになりますか。
  237. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学の場合について申し上げますと、やはり、たとえば教育実習その他を通じまして、地域の学校との協力というのは、非常に大事な課題になってまいるでございましょうし、あるいはこの大学のさまざまな運営の問題について、近隣の大学の御意見を伺っていくということも必要になるだろうと思います。そういったことに着目をいたしまして、学外の有識者、特に教育関係の諸機関、あるいは教育関係者の適切な御意見大学の運営に生かしていく、そういうことを考えているわけでございます。
  238. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 当然大学運営全般にわたって、地域の意見あるいは近隣大学意見を反映をさせるというたてまえで、省令をもってこれが設けられるわけですから、大学の入試選抜等に対しても一定の相談をされるということはあり得るわけでしょうね。
  239. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 大学の入試のあり方について意見を聞いて悪いということはなかろうと思いますけれども、やはり参与という制度は、大学と地域との関係で協力を要する問題等について、意志の疎通を図ったり、あるいは連絡協議をするというところに重点があり、またそのように各大学ともこれまで置かれてる参与は機能をしておりますので、教員大学の入試のあり方について、参与が物を言うというふうなことはちょっと考えられないのではないかと思います。
  240. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 いまここでお伺いをするわけでありますが、現職教員が受験をする受験資格とかかわって、これ世論でも最も注目しておるところは、入学資格要件として、教育委員会等の同意を得た現職教職員がやってくる、この同意というのが、どういう要件になるのかという問題であります。当然のこと、私も学校職場におった経験はあるわけですから、いまなかなか財政的にも逼迫をした県が、二年間も月給を払いながら教職員をわきに派遣をするというのは大変なことでありますから、現職を続けていくための要件として、この同意が必要になる、入学したときにやめるのではなくて、そのまま現職として派遣されるためには、同意がなければそれはできないと思うわけですね。しかし、大学の側が受け入れる条件に、同意書が要件になるのかどうかというのは、また別の問題になってくるわけであります。少なくとも大阪教育大学の場合にも、これは初期段階では現職の受験者が一定数あったわけですね。しかし、実際に退職をして、そして二年の修士課程を経て、必ずしも現職復帰をして、いままでのコースに乗る保障がないということになれば、次第に衰弱をして、そしてそのまま学部段階からかなり意欲的にいま希望者があるわけですから、これに食われて、どっちかと言ったら衰弱をしてきたのが経過だと思うんです。こういう点で身分保全のための同意というのは、これは当然なことだろうと思うわけですけれども、これが入試の要件になるということになれば、問題ではなかろうかと思うんですが、その点はどうなんですか。
  241. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これは大学の入学資格として同意があるということを求めているわけではもちろんございません。大学院の入学資格は、大学卒ということで足りるわけでございます。ただ、現職先生が御指摘のように、二年にわたって現給のままで職場を離れて勉強をされるわけでございますから、それに伴って当然に所属長の同意を得るということは必要なわけでございます。大学の方からすれば、二百名の定員をもって現職教員を受け入れる場合に、実際に出願をされてきた方々が、現職のままで勉強をされるということについて、市町村の教育委員会の保証を得ていないということになりますと、二百名の入学定員に対して二百名の入学者選抜を行って許可をいたしましても、実際にどれだけの者が入学をして、勉学を継続するかわからないということが生じます。そういうことでは入試の事務処理上大変困りますので、他の一般大学、あるいは大学院が行っていると同じように、受験に際してその書類に同意書の添付を求める、そういうことでございます。しかし、同意書がなければ、大学院に入れないというわけではもちろんございません。大学院に入るために現職をやめて入るという人だってもちろんあるわけでございますし、そのことは一向差し支えないわけでございます。
  242. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 どうもその辺のところがむずかしいところだと思うんですけれども、入学資格としては三百人大学院修士過程の募集をやったうちで、二百人が枠になっておりますから、二百人の範囲内で書面を受け付けて、ここへ同意書のある者とない者がまじって願書が出された場合には、この点は差別をつける要因にならないのか。どうも説明を聞いておりますと、あらかじめどうしても合格はしたけれども続かないということになっては困るから、同意書のあることが必要だとなっておりますと、点数のほかに、同意書があるかないかということが採用の条件になるというふうに必然的に聞こえる。この辺が非常にあいまいではなかろうか。現実的には同意書がなくても、大学卒三年の現職経験があれば、いわば公費留学生と、私費留学生のようなかっこうで、並行して入ると考えるわけでありますけれども、同時に一面では同意書というもの、いわば大学にかかわりのない問題を要件とされるというのは理解に苦しむわけです。もう一遍お伺いしますけれども、この点は全く同意書のある者とない者は、同列で入学試験が行われるというふうに、きっぱりとそこは割り切っているわけですか。
  243. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 現職先生現職のままで大学院で二年間勉強されるということであれば、これは現場を離れるということについて所属長の同意を要するということは当然のことでございます。大学のサイドからそれを受験の段階で同意書の添付という形で求めるか、あるいは入学試験を行って、入学の許可をした後に、その人が実際に大学院に来れるか来れないかは市町村の同意を得られるかどうかにかかるという割り切り方をするのかというのは、確かにそれは問題になるところでございます。しかし大学としては、先ほど申しましたように、他の一般大学が行っているのと同じように、やはり受験の段階で、その先生方大学院において継続して現給、現職のままで勉学ができるかどうか、その保証という趣旨で、同意書の添付というのを求めたいと考えているわけでございます。しかし、同意書の添付がなければだめかということになりますと、これは大学でございますから、同意書の添付の有無ということで、大学の受験ができるできないということではないわけであります。それは同意書の添付ができない場合でも、やめていきますということがはっきりしていれば、それはそれで一向構わないわけでございますから、恐らくはこれから入試の手続というのは、大学がお決めになることではございますけれども、同意書の添付がない場合には、その理由を書いていただくということで大学側は対応できることであろうと思います。ただ、現職先生が受験をされる場合には、そういった同意書の添付が得られないというのは、あくまでも、何か例外的な場合なのであって、原則としては、それは市町村の教育委員会の同意を得、都道府県の教育委員会の研修計画に従ってやはり送り出されてくる、それについて大学は適切な入試を実施する、そういう対応になる、そのような事柄のものであると考えております。
  244. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 どうもいまの御説明を聞きますと、たてまえとしては同意書のある者も、ない者も、同様に入試に対して受験をする権利はあるけれども、同意書のない者は足切りをされてしまう。実際には足切りの道具に同意書が有効に働くというふうに聞かざるを得ないというのが一つであります。また、入学させる場合には、必ずしも一点を争う入学試験が、これは選考の場合には有効でしょうけれども、入ってしまった研究は、必ずしも入学試験の点数と比例するかどうかはわかりません。その点ではさまざまな点で、大学院の採用か、不採用かを決めるためには要素が働く。この場合に同意書を持って、現職でやってくるのが設置趣旨にかなうというようなこと。経験はあっても、現職をやめて退職をしておる場合には、やや大学院からの進学者に似通った状況になってくるからと言うので、そこで条件を付せられたりするならば、実際問題としてはあらかじめ教育委員会の同意を得た者以外には受験資格がないのと同様な結果になってくるんではなかろうか。この点は、どこまでも大学研究をする条件以外のものを、入学資格としないようにしなければ、既設のものと新設のものとのその点では違いが望ましくない方向ではっきりしてくるんじゃなかろうか。同意書は、私は必ずしも同意書が必要だということに形式的に反対しようとは思わないわけです。大阪教育大を受験する者でも、現職が受験して退職する場合にも同意書はやっぱり取っておりますからね、同意書を添付しておって受験をするけれども、しかしながら入学のときのこれは要素には取り入れていないわけであります。この点が局長の答弁では大学に任されるという姿で、非常に不分明でありますし、あわせて先ほど申し上げましたように、参与会というようなものがあって、実際上完成した形では、ブロック内の教育委員会の顔ききの方が参与になっておって、実際上県が責任を持って推薦した者を排除して、自分勝手に受けて、ただ入学試験の成績がいいというような者を、これの方に県のひもつきが任されるようなことでは、かっこう悪いというようなことになりまして、研修計画に従った派遣教員が大勢を占めていくということになれば、まさにこの点では大学協会が憂慮を持って指摘をしておる、任命権者の推薦を必須の入学資格の前提とする、こういうことになれば、一種の教員研究所に堕する懸念がある。こういう点がずばり当たってくるわけではなかろうか。しかも、その上に教育委員会等と密接に連絡をするなどとして、教員人事行政の手段と化するおそれがある。この疑問点はどうしても解消されることができないと思うわけであります。  再度ただしておくわけですけれども、同意書を得た者と、同意書を得てない者は、全く同列で、入学の際には差等をつけずに行われるということが基本であると言えますか。
  245. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 大学でございますから、大学がまさに主体的に大学に入学すべき者を選抜によって決定をするわけでございます。この大学院はいわゆる教育委員会から推薦を受けてその者を入学させる、受け入れるということではなく、それは、広く全国から希望をして受験をした者について、適切な選抜を行って入学すべき者を決める、そういう一般大学と同じ入学者の選抜を実施をするわけでございます。  そのときに、現職先生については、事の性質上、あらかじめ同意書の添付を求めるということにとどまるわけでございます。これは、どこまでも、入学試験を実施する場合の事務処理上の必要から、大学の方からすればそういう取り扱いをすると言っているわけでございます。しかし、同意書の添付がない者について受験を拒むと言っているわけではございませんけれども、受験を拒まないということが、今度は逆に、大学の意思に反して、およそ現職先生であっても、同意書をとってもとらなくてもいいんだというような形で運用されることは好ましくないわけでございますから、やはり、同意書の添付というものが、現職先生についてないというのはきわめて例外的な場合であろうと思います。そういう意味において、同意書の添付があるかないかということと、その人が入学者選抜においてどのように取り扱われるかということとはかかわりのない、事柄が別なことでございます。
  246. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 現在の状況であれば、やっぱりこの点については、同意書は足切りとして入学試験の際に作用を果たすおそれが濃厚であるというふうに聞かざるを得ないわけです。  あわせてお伺いをしますけれども、いままでの衆議院等の審議の中でも、各府県が給与を支払い、内地留学のかっこうで派遣するについては、研修計画を定め、そうして大学に派遣をすると、こういうような方向措置をされていく向きの答弁が出ておるようですが、現在の研修計画等を行政官についてながめてみますと、人事院で「行政官派遣研修要綱」というようなものが出ておりますが、これは、官職の職務と密接な関係のある分野において、省庁として公務員を研究調査に従事させて、そして機関に送り届けるというようなことで出しておりまして、そして研修計画とは、研究員の数、研究員の選考方法その他派遣研修の実施について、必要な事項をあらかじめ定めておく、管理局長が決めて派遣をすると、こうやって大学に受け入れさせておるわけであります。  人事院としてはさまざまな条件を付しております。同時に、文部省においても、今日までのいわば大学への内地留学については、障害児教育で一定の計画を定めて、留学派遣をやっておりますが、各県がこういうことをやることを期待をして、そういう行政指導のもとに全体を進める計画を持っておられるわけですか。どういうふうにやりますか。
  247. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 現在やっております現職教員の長期研修というのは、まず、予算定数の関係からいいますと、研修等定数ということで、全国的に千二百名ほどの教員定数を各県の実情等に応じて割り当てております。そして、その定数等を各県の教育委員会では念頭に置きながら、いまの特殊教育教員であるとか、理科担当の教員であるとか、職業教育担当教員であるとかいうようなものについて、特定の大学等と連絡をして、その大学学部等で、六カ月ないし一年受け入れて研究をしてもらいましょうということになれば、県内の学校から希望者を募って研修をしてもらうと、こういう仕組みになっておるわけでございます。今回の問題は、教員大学という特定の大学設置されまして、そこへ行って勉強をしたいという人は、そういう意味では、いままでやっておるような、県が一定の人数等を予定して、特定の大学に行って研修してもらうのとはちょっと違うと思います。思いますけれども、しかし、県にしては、やはり予算――財政の問題は同じことでございますから、そこで、市町村の段階で同意をするという場合に、やはり、それらの代替定数の問題等も念頭において相談にあずからしてもらう、こういうことになろうかと思うわけでございます。
  248. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 予算的には国で裏づけなり、めんどうを見るということはやる予定があるわけですか。
  249. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 両方の教員養成大学で、それぞれ現職から二百名ずつ採るという計画であれば、当初の年度、学年進行になるわけですから二百名、四百名というふうに、その分の研修定数を別途国庫負担の定数の上に上積みして、計上するように私ども努力をしたい、こういうふうに考えております。
  250. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 大体予算の裏づけがつくように努力をされるということですから、政府がこうやって法案提出しているんですから、私は実るのではなかろうかと思うわけですけれども、実ったらいい場合と、納得がいかなければよくない場合とがあるわけであります。こうなってまいりますと、県の方では多分全体的な計画に従って派遣計画を決める、自分のところから出した選手が、他府県の者に負けてみんな落っこってしまったり、あるいはよそに比べてたくさん入ったりすることはあるのかしれませんけれども、こういう計画が出てくることになると思うんです。その場合にどうなんでしょうね、この大学に行く者だけは別格な扱いになるのか、それとも、たとえば大阪から現職のままで教員を派遣するときには、何も社までやって下宿しなくたって、大阪教育大もあるわけですけれども、こういうところで修士課程に措置をしたら、同様の範疇で見ていかれるのか、それとも、いま努力をして措置をしようとされておる財政的な裏づけなどは、上越大学と、そして社の大学だけに作用させられるつもりなのか、そこはどうなんでしょうね。
  251. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) いま申しましたように、現在千二百七十名ですから、一県に割り当てられる定数は三十名、あるいは四十名くらいのものでございます。それの中身は、先ほど申しましたように、いろんな勉強したいという方がおられるわけですから、それに今度教員大学の定数相当分が割り当てられるということになりますと、やはり県としては、一人一人の研修をされる先生研修内容なり、程度の希望というのは、大学院に入る場合と、学部程度へ半年くらい行く場合と比べて違うわけですから、どれをどうというふうに、あらかじめその数をセットするのではなくて、やはり総合的に見ながら、できるだけ各関係者の希望が入れられるように努力をしながら、その定数を運用していくべきだろう、こういうふうに私は思うわけでございます。
  252. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 どうもちょっとあいまいな答えでわかりにくいわけですけれども、納得いきませんと、こう言わなくちゃならぬところだと思うんですが、具体的に言えば、いまの答弁は、それは各県で研修計画を立てる際に、資質向上のため、現職教員で自発的に研修を希望する者に対して、研修機会を与えると、こういうことですから、愛知に住んでおる人は、愛知大学にできるわけですから、ここへ行きたと言うて希望して あっぱれ受かってきたら、これに対して現職の裏づけを県が行う。これは上越、社と同様に取り扱うのが至当だろうと思うわけですけれども、先ほどからの説明では、当然それも含むものというふうにも聞こえますし、初めに準備をされる中では、今度特段に法律で新しい大学院を設けるのだから、ここに対しては配慮しなければなるまいというふうにも聞こえるわけであります。どうなんですか、そこは。
  253. 諸澤正道

    政府委員(諸澤正道君) 先ほども申しましたように、現在の研修定数に、この教員大学の入学者相当の定数をさらに上積みして考えたいということを申し上げたわけでありますが、そのことの趣旨は、私どもはそのことはもちろんどうしてもやらなきゃいかぬと思いますけれども、今後は、いまの研修定数の充実というのは、第三次の五カ年計画と、第四次の五カ年計画、十カ年の毎年の定数の増でもって千二百七十名になってきているわけなんですね。ですから、今度の教員大学院の設置の問題とは別に考えても、長期研修のための定数の充実というものは、これからもわれわれとしてはやらなきやならない課題だというふうに考えておりますので、それとあわせ考えて、いま申しましたように、各人の研修の希望というものができるだけかなえられる方向充実をしていきたいと、こう申し上げたわけでございます。
  254. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 そういう状況を聞いておりますと、先ほどからの局長の御説明で、大学大学の風格を持ち、少なくとも中教審のものや、教養審のように露骨きわまる、いわば幹部教員養成というのをかなりやわらげてこられたけれども、実態は各県の受けとめ方としてどういうものになるのか、この段階ではまだ明らかでないと言わざるを得ないわけであります。少なくとも十七日までにこれ採決しろなどと言われるなら、その辺までの間にしっかりと明らかにしてもらわぬと、こっちとしては態度を決める上で、どうしても否定的な資料が多くなってくると、こう言わざるを得ないと思うんです。先ほどからもただしましたようにもともと教職員の資質向上、これに対して意欲ある教員機会を与えることと、大学現職教育に対して大学研究機関を開放することと、これは非常に大切なことなのであります。しかしながら、少なくとも行政ベースで進めてきた問題は、大学現職教員に開放するのか、教育委員会の行政に開放するのかこの点ではわからぬわけですね、行政でもってひもつきをつくり、それで幹部教員養成の方策を定め、それに適合する者だけを送り込む、それに対して定数が準備をされる、ここのところは、もし成績が悪くて定数が埋まらなければ、かわりに学部出身者のより成績のいい者が、その定数に入りたいと思っても拒絶をすると、こういう状況になっておりますと、大学協会が指摘した一点、二点、まさにそのとおりの懸念と言わざるを得ないのではなかろうかと思うわけです。この点はぜひとも進められる場合に、もしいまから計画が進行中であるなら、当然これは教員養成大学として、すでに熟して出発をしておる大阪、東京と並んで、新しく発足する愛知に対しては措置をされる必要があるし、大学側は要求する権利があるんじゃなかろうかと私は思うわけです。そこまでにはとどまらないと思いますね。本当は教員養成大学のみならず、大学現職教育養成にこたえるか否かという点では、大学協会側は最初にアンケートを求めて協会の意見を出そうとする際に、現職教育はどこが引き受けてやるべきかという点のアンケートで、わざわざこれは教員養成大学がやったらよろしいというのか、各大学一般でやるのかという点は、広く意見を求められたのですけれども、学界の関係者のおおよその動向は、当然各大学は等しく現職教員に向かって門戸を開放し、それに対して行政措置をしなければいかぬということを記述をしております。この点については、局長はこれをどう受けとめておられるのか、ひとつお伺いをしておきたいと思いますし、同時に、現在すでに既設大学がこの点の目標を掲げ、努力を重ねておるわけですね。しかしながら、現職教員を受け入れても、それにふさわしい裏づけは行われないし、大体これの受け入れをやった限りでは、いわば大学側の出血、持ち出し、いわば過重負担によって、当座の負担によってしか行われず、それは放置されてきたわけであります。そうして成果が上がっていないというのをそっちの方へ手当てをしないで、特別なキングロードのようなものを――キングロードかスレイブロードかわかりませんけれども、こういうものをつくっていくというのは一体どうなのかというような点に、今日の問題が指摘をされている。この点は局長意見を伺っておきたいと思うんです。
  255. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように大学大学院が広く現職の方に門を開くべきであるということは、私はそのとおりであると思います。これからの高等教育あり方考えていく場合にも、大学あるいは大学院において学ぶ者というのは、十八歳のときに大学に入ったり、あるいは学部卒業してすぐ大学院に入ったりする者だけであっては困るのであって、もっとそこは柔軟に、一たん社会に出た者が再び学部、あるいは大学院で勉強をするという体制をとっていくことが、これからの高等教育を整備をしていく場合の非常に重要なかなめとなる点だと考えております。教員大学の場合にも、そういう意味現職の方に大学院における研さんの場を開くということの、一つのプロジェクトとして進むわけでございますし、先生方の中には、教員大学ではなくて、既設教員養成大学の修士課程をお選びになる方もあるでしょうし、あるいは他の一般大学学部の上に置かれている理学の研究科なり、あるいは工学の研究科なり、文学の研究科なりを自分の研さんの場として選ばれる方もあると思います。それは非常に好ましいことであり、結構なことなんですから、それに対しても同じように行政側としては定数の面、給与の面等においても積極的な配慮をしていく、そういうことが必要であると思います。ただ、私は大変残念なことだと思いますけれども、現在の大学、ことに国立大学一般学部大学院は、現職の方に対して門を開いていない場合が非常に多い。これは現職の方が大学院に入ろうと思えばやめていただきたいということを言っているものが多いわけであります。私はこれはぜひ大学の側で反省をして改めていただきたい、現職の方をもっと広く、現職のままで受け入れる体制をとってほしい、そういう希望を持っておりますけれども、そういうことについての大学側理解を求めながら、学部大学院を通じて、一たん社会に出た方が再び勉学をするという機会を確保していく、そういう努力をしてまいりたいと思います。
  256. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 なかなかりっぱな答弁をされるわけでありますけれども、少なくとも大学側の無理解というのをいま指摘されるのは、私は現実に本当にマッチしないんじゃなかろうか。意欲ある大学側には、それでは行政がこたえることになっておるのかというと、今度改めて新設大学院にだけは措置せんとするけれども既設教員養成系の大学院、これに対して措置をする保証は何一つない。こういうものをあわせて提示される必要がある。このことを申し上げておくわけです。  概論だけできょうは終わってしまいますけれども、もう一つ、この目標の一つとして、初等教育の充足のためにということを言われるわけです。しかしながら、実際に今日、教員養成大学を出て、小学校教員免許状を持った者が、かなりあふれているという現実があるのではなかろうかという点について、ひとつ具体的にお尋ねをするわけです。  いまこの法律ができ上がった趣旨どおりにいきますと、小学校先生にバチェラーの先生が次第次第に毎年たまってくるということになるわけですね。小学校先生には大学課程六年やった大学院出身の六年制の先生と、大学四年課程の先生と、二年課程の先生と、こう三つできることになると思うわけなんですけれども、基礎から固めていこうとすれば、今日かなりの小学校の中でシェアを占めておる、大学といっても二年制課程の方々、これを相なるべくなら基礎を四年制にすることと、二年制の方が何も劣っておるというのではありませんが、これが二年制で現場におられる方に対しては、手厚い研修機会を全体として保証するというようなことをやっていくのが、急務ではないのかというふうに考えるわけです。現実に小学校免許状取得者、これの何%ぐらいが現に採用されておるのか、私は大体六〇%ぐらいが採用されて、後の四〇%、これはダブル免許で中学へ行っているような方が少しあるとしても、三〇%というような方が現に浮いておるのではないかということ、短大出の人が二〇%以上のかなりのシェアを占めておって、これに対しては行政の方で手当てを十分に考えていないのではないかと、こういうふうに現状を見ておるわけですが、いかがですか。
  257. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 実際に小学校教員免許状を取得をした者の数は、先ほども指摘のありましたように、五十二年の六月現在で二万五千九百三十三名ございます。そのうちで、教員に就職した者の数は一万二千九十名ということでございます。もちろん教員養成大学学部の場合には、一万二千九百十一名が免許状を取得をして、七千八百二十七名が教員に就職をしているという状況にございますし、さらに、先ほどもお答えをしましたように、免許状を取得をした者というのは、これは同時に他の種類免許状も取得をしている、その延べ数になっているわけでございますから、実数としてどれだけの者が教員を志願をして、それがどれだけ就職しているかというパーセントは、ただいま手元にはないわけでございます。  ただ、短大の状況を申しますと、短期大学は、十四万一千百六十二名の卒業生のうちに、小学校教員免許状を取った者が八千六百五名、そして、一万三千九十八名が小学校教員に就職をしているという状況でございます。現在、全体の小学校先生に占めている短大卒業生の比率というのは、逐年低下はしてきております。四十五年当時二七・八%であったものが、五十二年度では小学校で一三・一%、中学校では、四十五年に一一・六%であったものが、五十二年度には四・三%という形で減少はしてきております。御指摘のように、短大卒業の方で小学校先生になられる、あるいは中学校先生になられるということは、実態としてまだかなりこのようにあるわけでございますし、短大の教員養成としての機能というものを否定するわけではもちろんございませんけれども、これは教養審建議指摘をしておりますように、やはり教員養成というものは四年ということを原則に据えて考えるべきだと思いますし、短大の卒業生については、卒業後さらに研さんを積んでいただく、研修を積んでいただくということ、その機会を確保していただくための努力を行政の側においてもすること、それが必要であることは御指摘のとおりであろうと思います。
  258. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 まず現在の教員養成についての問題点、これについてどう考えておられるか、お伺いをしたいと思います。
  259. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 戦後、わが国の教員養成制度は、幅の広い教養と、高度な専門知識を備えた人材を求めるという見地に立ちまして、広く各大学大学教育を通じて養成を行うという、いわゆる開放制の制度がとられまして、そのもとで一般大学と、それから教員養成大学とがそれぞれの特色を発揮しながら、両者相まって教員養成を行う、そういう構えになっているわけでございます。この基本はどこまでも尊重をしていかなければならないと思います。しかし、そういった開放制のもとにおきまして、第一に、大学教育が著しい普及を見ましたために、免許状の取得を希望する者が、実際に教員になるかどうかを問わずに、非常に増加をしております。そのために、大学によっては、教員となるために必要な単位の履修が形式的に流れる、あるいは特に教育実習について受入校の確保が困難である。そして、場合によっては、実の伴わない実習が行われる、そういった批判がございますし、また、そういう事実が決して見られないわけではなかろうと思います。そういうことを通じて、先ほども指摘がございましたように、教員としての自覚なり、あるいは教育の実際に関する指導力が十分でない、そういう教員養成される結果となっているという御指摘があるわけでございます。こういったことに対応いたしまして、現行の教職員免許法において、免許の基準として定めております修得単位数を引き上げること、あるいは中学校以下の教員について大学院修了段階免許状制度というものを創設をすることを軸といたしまして、いわゆる上級免許状、あるいは初級免許状、そういった免許状種類を改めた方がいいというような御指摘があったり、あるいは短大卒で免許状を授与する制度が、四年制の大学をもって養成をするという制度に十分即していないので、短大の養成に続く教員資質の維持というものについて、さらに配慮をすべきであるとか、あるいは一定の経験年数だけで上級の免許状が取れるという、いわゆる十五年ゼロ単位制度、こういった問題についても検討を加えた方がいいとか、あるいは養成段階だけでなくて、教員となってからの資質向上ということを図る見地に立って、一年程度の実地の修練なり、あるいは試補の制度等を設けるべきである、そのようないろいろな御議論があるわけでございます。これらは四十七年の教養審建議において指摘されていることでございますし、確かに、今日の教員養成制度における問題を指摘をされていることであると考えております。
  260. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 いまお答えいただきましたような数々の問題点があることは事実であります。したがって、今回の教員大学創設の問題も、いままでの教員養成の欠陥を是正するというような方向考えられたものだと思いますけれども、私はやはり基本は、教員大学をつくってみたところで、そこから卒業するのは年間一校二百名ですから、二校で四百名、三校できても六百名にすぎない。全体の教員の中のごく微々たるものにすぎないわけです。だから基本は、やはり現在の教育大学学部、あるいはその他の一般大学、こういうところからたくさんの教師が生まれるわけですから、それの改革に着手をしないで、教員大学だけつくってみたところで、問題の解決にならないと思いますが、この点はいかがですか。
  261. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) その点は御指摘のとおりであると思います。ことに、開放制のもとにおける一般の国・公・私立の大学学部における教員養成をどのように充実をしていくかという点については、免許制度改正を含めて対応していかなければならない課題が多いわけでございますけれども、やはり、総論としては、その改正に異議のないところであっても、いざそれぞれについて実施をしようということになりますと、免許基準の引き上げにいたしましても、あるいは免許状種類改正にいたしましても、それぞれにきわめて既存の大学に及ぼす影響が大きいわけでございます。なかなか軽々には着手できない、基盤となる条件を整備をしないとなかなかできないという状況がございますので、私どもも対応に正直のところ苦慮をしているところでございます。しかし、そういった制度的な問題と並んで、御指摘のように、既設教員養成系の大学学部充実を図っていく、そうしてそこにおける教員養成改善を図っていくということを抜きにしては、教員大学構想というのもまたあり得ないわけでございます。教員大学の実現ということと、既設大学の整備充実ということと相まって進めていかなければ、目的を達することができないと考えております。
  262. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 確かに現在の大学のいろいろな改善というのは、なかなかむずかしい面があると思うんです。しかし、私はそれがやはり基本である。いまの大学が社会のニーズに沿っていない面を放置しておいて、だから、社会のニーズに沿ったような新しい大学をつくるのだということをやっておったら、大学は幾らつくっても切りがないわけですね。そういう面で私は現在の既存の大学改善充実、さらには大学院の増設、こういうものに教員大学をつくる以上の熱意と力を入れなきゃならぬと思いますが、いかがでしょうか。
  263. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 既設大学学部の整備、あるいは大学院設置というものについて、積極的に対応していかなければならないということは御指摘のとおりでございます。もちろん既設大学も、さまざまの教員養成上の問題について、それぞれの大学として対応に苦心をされているところでございます。既設大学の場合にはなかなかそれが思うように実現できないという実際の状況はあることは否定できませんけれども、そういう努力が各大学で行われているわけでございます。そして、教員大学において、学部段階初等教育教員養成において、いま各大学がいろいろと苦心をしている点を積極的に取り上げて、それに対する教員大学としての対応を考えていくということは、逆に各既設大学における学部のそういった改善工夫に対してもいい影響を与えるでございましょうし、それはまた教員大学改善努力に対してもはね返ってくることでございます。大学院の問題につきましても、教員大学大学院を整備をしていくということは、当然に国大協指摘をしておりますように、既設大学大学院の整備をほっておいていいということではないわけでありますから、逆に言えば、教員大学大学院設置というのは、既設大学大学院の整備をより促進する実際的な結果、効果というものも持つわけでございます。そして、既設大学大学院と、教員養成大学大学院とが、これまた相補って、それぞれ特色を発揮しながら、全体として高度の教員養成なり、あるいは現職教育に対応していくということが期待できるわけでございますから、私たちはどちらを待ってどちらをということではなくて、やはりこの機会に、教員大学既設大学の整備ということを、両輪のように相補って進めていく、それが教員養成あり方改善していく最も適当な方策であると考えているわけでございます。
  264. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 先ほどの質疑の中の御答弁にもありましたけれども、この教員大学構想というのは、中教審答申、あるいは教育職員養成審議会建議、さらには新構想教員養成大学等に関する調査会、基本的にはこういうものの線に沿ったものだと、こういうことがありました。その後いろいろな折衝の中で若干変更が加えられておりますけれども、その基本的な考え方は変化があるのかないのか、あるとすればどのように変わっているのか、この点をお伺いしたいと思います。
  265. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員専門職としての資質を向上する、そういう努力をされていく、その努力を助長するための研さんの場としての大学院を設けていこうというその基本の考え方というのは、中教審答申、あるいは教養審建議鯵坂調査会を通じて一貫しておりますし、また今度の具体教員大学構想においても変わっていないわけでございます。ただ、変わっております点は、一つ中教審答申の際に、そういった大学院構想というのは、教員のうち高度の専門性を持つ者に対して特別の地位給与を与える制度創設するための一つ方法として構想するという、そういう考え方があったわけでございますが、教員大学についてそういう考え方はとっておりません。  それから、この大学学部教育研究組織構想について鯵坂調査会は、いわゆる教育研究の機能的な分離ということを前提とした構想を立てておりましたけれども、先ほどお答え申しましたように、教員大学の場合には、従来と同じ学部を、初等教育教員養成課程を置いてつくるという考え方になりましたから、そこのところは違っているわけでございます。
  266. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 当面の設置計画は兵庫と上越と三校ですね。それから徳島については五十三年度で創設準備費が計上されておる。したがって、これはやがて実現すると見ていいわけですね。  それから、その後の構想はどうなんですか。
  267. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、兵庫、上越に続いて鳴門については、創設準備を今年度から行おうと考えております。それら三カ所以外の教員大学設置につきましては、先ほど大臣からお答え申し上げましたように、既設大学における修士の課程の設置、整備の進捗状況というものも見てまいらなければなりませんし、また、今後における小学校教員の需給状況の推移も見定めてまいらなければなりませんので、現時点では、教養審建議が御指摘になったようなブロックごとの設置というようなことを考えて、三校に続くものを考えるということではないわけでございます。三校以後のものについては、いま申しましたような事情を考えて、慎重に検討さしていただきたいと考えております。
  268. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 教員大学のこの大学院目的ですね、これはどういうことになりますか。
  269. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学大学院は、主として現職教員を受け入れまして、学校教育に関する実践的な教育研究を重点に置きまして、とり進めてまいりたいということでございます。もちろん現職教員だけではなくて学部卒業した者等を三分の一程度は受け入れる。そして両方相まって、大学院における教育研究充実発展を期したい。そのように考えているわけでございます。
  270. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 当初は、この大学院研修した者は指導的な役割りを果たす教員というものを養成するんだ。そういう考え方があったと聞いているわけです。その後その項目、その文章が修正されて、資質の向上ということになったわけですけれども、これは非常に大きな違いがあるわけですね。  それから、資質の向上ということを図るならば、ただ単に三つ大学院をつくって、そこで現職教員研修してもらう。これだけでは余りにも数が少な過ぎると思うのです。三カ所合わせても、一校三百名としても九百名、全体の中のこれも微々たるものですね。だからその資質の向上を図るというならば、もっとたくさんの受けざらをつくって、たくさんの教師がそこで研修できるようにしなければ意味がないのではないか。  また、エリート教員をつくる目的なら、その管理者とか、指導者に必要な数だけあればいいわけです。こういうことになるわけですけれども、これはどっちなんですか。
  271. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 衆議院における参考人の御意見の陳述の中で、学校先生の中には三つのタイプがある。一つは、いわば管理職に非常に向いている方。それから一つは、教育研究を推進をしていくというそのことについて非常に情熱を傾けられるタイプの方。それからもう一つは、現場において子供たちに授業をし、教えていくということについて生きがいを感じ、そしてそれに練達であろうとする方。そういったタイプがある。教員大学大学院の場合には、その真ん中の教育研究に非常に熱心な方に進学をしてほしいというようなことを、大学の教官ですけれどもおっしゃっておりました。私は、必ずしも教育研究型の方だけが、この大学院に進学をされるということではなくて、もちろん教育の現場で子供たちに十分な授業をするということを考え方々にも、進学をしていただきたいわけでございます。しかし、いずれにしても、それぞれ学校の現場において経験を重ねられて、問題意識、課題意識をお持ちの方が、それを持って大学院に進学をされて、そこで高度の研さんを積まれるわけでございますから、その方は当然学校の現場に戻った場合には、教育の面において、いろいろな形で指導的な役割りを果たしていただける、またそうなることを期待するわけでございます。しかし、それはもちろん狭い意味で校長であるとか、あるいは教頭であるとかになることを期待し、そういう方を養成をするというような趣旨大学院考えていくものではございません。御指摘のように、大学院における現職先生方研さん機会というのは、教員大学に限らず、より広く広げていくべきであると考えております。
  272. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 この大学院の問題と教員免許との関係というのがあると思うんです。  免許の改善について、四十七年の教育職員養成審議会建議というものが出ておるわけですけれども、また、委員会の審議における御答弁でも、将来の問題として、やはり、上級免許というものを設けていく、それから、上級免許というものを設けた場合には、それに伴って待遇の面でも考慮せざるを得ない、こういうようなニュアンスがあったと思うんですけれども、この点はいかがですか。
  273. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学大学院修了者のみについて免許、あるいは給与制度改正はもちろん考えておりません。  また、先ほど来申し上げておりますように、免許制度改正なり、あるいは大学院を出た者に対する給与、ことに現職大学院での研さんを積まれて、現場に戻られた方の給与というもののあり方というものについては、将来の検討課題であるということは、私たちもそのように考えておりますけれども、実際問題として、現在大学院において勉強をされて先生になられる方の比率というのは、まだまだ非常に小さいわけでございますし、また大学院における現職先生方研さん機会というものも、事実上ごく限られてしか開かれていないわけでございますから、やはり、大学院卒業ということを前提とした制度なり、あるいは処遇なりの改善考えるといたしますと、そういう実態の整備がかなり進行した段階考える方が適当であるし、そういう意味ではなかなか、将来の課題といってもかなりその将来は、まさに最近ということではなくて、かなり時間を置いた話にならざるを得ないと思っております。
  274. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 四十七年の教育職員養成審議会の免許に対する建議の中身についてはどう考えておられるわけですか。そういう線に沿っていきたいという方針ですか。
  275. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教養審がいろいろな立場から検討を加えられて、免許基準の引き上げなり、あるいは教育実習期間の延長なり、あるいはいま御指摘上級免許状等の免許状種類改正なり、そういった点を御指摘になっているわけでございます。それは現在の免許制度が抱えている、それぞれ重要な問題点であり、その改善の方途を示されたものと理解をしておりますけれども、こういった御指摘が現在の開放制のもとにおける大学の非常な拡大ということに伴って生じてきた問題に対する改善の方途であるだけに、それはかえって現在の状況のもとで、直ちにそれを実施することについての逆の面のむずかしさを持っているわけでございます。  たとえば、免許基準の引き上げにいたしましても、御指摘のように、現在の四十五単位程度のものを七十単位に引き上げるということは、それとして確かに実質を前進をさせるということになると思いますけれども、しかし、これもただ形式的だけにそれが処理されますと、教員養成大学の場合には、すでにその程度の単位は開設をいたしておりますし、一般大学の場合には、一つには教職の課程を、教職単位をふやすことがその大学の専門教育を圧迫をするのではないかという問題が出てきたり、あるいは専門科目につきましても、場合によっては現在の専門教育の面でその大学が開設している単位を、いわば形式的に振りかえるということで、達成可能な面がございますから、そのようなことでは、実質的な免許基準の引き上げに伴う内容のある改善というのが実現できないということになるわけでございます。そういったむずかしさを持っている改善の御提案でありますけれども、先ほど来申し上げておりますように、そういった改善を実現するために必要な前提となる条件というものを整えながら、やはり方向としては教養審建議というものを受けて、免許制度改善というものを引き続いて検討していかなければならないと思っております。
  276. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 それから、先ほどから問題になっておりました任免権者の同意の問題でありますけれども、これは予算の制約がある以上、やはり人数は限られてくると思うんです。したがって、たくさんの大学院入学希望者があった場合には、同意する人と同意しない人と分けなければならない。これはどういう基準と方法で行うのか、お伺いをしたいと思います。
  277. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 先ほど来御議論のございますように、教員大学大学院というのは、もちろん大学として全国から希望者を求めて、それについて適切な選抜を実施をして入学者を決めるわけでございます。  その場合に、基本となる考え方は、大学において勉学をしたいという本人の積極的な意欲というものを尊重をするというところに、大学の側からすればあるわけでございますが、御指摘のように希望者が非常に多数にわたる場合、あるいは特定の市町村なり、あるいは特定の専門領域に偏る場合等、いろいろな事態が具体には出てまいるであろうと思います。そういうときには、やはりそれぞれの学校、あるいは市町村における状況というものを十分に御判断の上で、本人の意欲というものを尊重するという観点に立った同意の運用というものが望まれるわけでございます。県全体として、いろいろな態様による研修というものを実施する計画をお持ちでございますから、そういう意味において、市町村の教育委員会が県の教育委員会と十分に御相談になって、同意を与えていかれるということになると思います。  具体的にどういう場合に同意を与え、どういう場合に同意を与えないということを申し上げることは、きわめて困難でございます。それぞれの県内の事情というものを考えて、できるだけいま申しましたようなこの大学設置趣旨に沿った同意の運用が行われることを、私たちは期待をしておるわけでございます。
  278. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 もちろん本人の意欲が重要でありますけれども、意欲というものはきわめて主観的なものですから、客観的になかなかそれをはかれないわけですね。したがって、また全員に同意を与えられたらいいけれども、やっぱり入学定数に制限がありますから、そうもいかない。そうすると、やはりこの選考の客観的な基準というものをつくっておかないと、いろいろまずい面が起こるんじゃないかと思うんですね。だから、選考の基準とかそういうものをやっぱり文部省でつくられるべきだと思いますけれども、そのお考えはありますか。
  279. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 文部省の方で、こういう選考基準で実施をした方がよろしいという方針を決めて指導をするということが可能かどうかについては、私はいささか疑問ではあろうと思います。ただ、教育長協議会の方でも、どのような形で同意を運用するかという点については、いろいろと御検討を進められていると聞いておりますし、県全体の研修を進めていく中で、こういう長期にわたる勤務場所を離れての研修というものについては、それぞれ県の教育委員会がその基本的なあり方というものを決めていく法律上のたてまえにもなっているわけでございますから、そういったこととあわせて、いわゆる大学設置趣旨に合った形での同意が行われるように、いわゆる推薦制というような形で、この大学研修所的なものとして矮小化していくという懸念を受けることのないような、そういう運用を今後期待をしていく、そういう趣旨で初中局の方においても、また私たちも、教育委員会側と十分に相談をしてまいりたいと思います。
  280. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 それから、学部の方の教育課程の問題ですけれども教育実習の問題は先ほど御答弁がありまして、教員大学におきましては大体十六週ぐらいの実習が確保できるという御答弁があったわけです。これは非常に結構なことだと思いますけれども、先ほど私も触れましたように、教員大学だけこのような実習が充実されても問題の解決にはならないわけで、問題は、現在の免許取得者、二十万人近いこの免許取得者に対してどれだけこの実習の機会というものを与えられるか、それが私は本筋だと思うんですね。したがって、それについて今後具体的にどう進められるのか、お伺いをしたいと思います。
  281. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 開放制のもとにおいて免許状取得を希望する者の数が非常にふえてきております。そのためにいわゆる実習校の確保というのが非常にむずかしくなってまいりまして、特に一般大学学部においては、ともすれば学生の出身校において実習をすることを求めるというような、そういういわば形式的な実習ということがかなりふえてきているという状況にございます。これに対してどのように対応するかということは、基本的には現在の免許制度というものをどのように考えるかということにかかっていくわけでございますが、しかし、制度改正を行わなくても、現行の制度のもとにおいても教育実習について改善を図ることは可能な面があるわけでございます。  たとえば、大学として教育実習を受けるいわゆる実習生の精選を図る。これは教職単位なり、あるいは教科専門の単位というものを十分に修得をしているのかどうかということについて、大学側がいろいろと工夫をしてチェックをし、本当に教員になろうとしている意欲のある者を、また、それだけの十分な単位の修得をしている者を、実習生として送り出すというような精選の努力をさらにすることができないか。あるいは一般大学の場合には、それぞれ文学部なりあるいは理学部なりで課程認定受けて、単位を出していくわけでございます。したがって、それぞれに教育実習を行うわけですが、大学の中の教育実習を実施をしていく体制というのが、学部ごとにばらばらに過ぎる。これを何らか学内で統一的に処理するための学内の機能的な体制の整備というものを図ることはできないのか、あるいは地域において連絡協議会のごときものを設けて大学と、教育委員会と、それから受け入れの学校側との間の連絡協議の体制をさらに整備をする、そしてそのことを通じて、教育実習を受ける者に対するさらに行き届いた指導というものが可能であるような配慮をする、こういったことは、これまでも問題として指摘をされていることであり、かつ関係者がその方向努力をすれば実現の可能な点でございます。こういった点について私ども努力をし、教育実習が現在の制度のもとにおいても、より実質的に行われることになるような努力というものを続けてまいらなけばならないと考えております。
  282. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 四十六年の中教審答申の中には、一年ぐらい任免権者の計画のもとに実地訓練をやらせる、こういう試補制度というものが提言されておりますが、こういうものについてはどう考えておられますか。
  283. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これまた、開放制のもとにおける教員養成というものがどうしても行き届かない面が出てくる。ことに教育実習の面であるとか、あるいは実際的な教育能力というものにおいて欠ける点が出てくる。それに対する対応として、採用後一年程度の実地修練というものを課す。あるいは中教審答申が御提案になっているように、特別な身分において一年間試補として実地修練を積んでもらう、そしてすぐれた成績の者については正規の教員として採用していくというような方向というのは、確かに非常に示唆に富んだ方向であり、また、現在の教員養成あり方検討される場合には、必ずそういった方向が、一つとることのできる方向として御提案になるわけでございます。  ただ、実際問題として非常に困難なのは、これを実施をいたしますためには、やはり非常に大量の教職員の定数を必要とするわけでございます。一年間まるまる新しく入ってくることとなるはずの者を別途に抱えるということになるわけでございます。現在、御案内のように、児童、生徒の数が増加をしておりますし、それに伴った教職員の自然増というものを定数上当然に予定をして措置をしなければなりません。また、そういった自然増以外にも、学級定数の問題、その他、いわゆる政策的に現在の教育条件を改善をする、そのために必要な教員定数の増の問題も課題としてあるわけでございますから、今日の時点で試補制度のためにたくさんの教員定数を確保することができるかどうかという問題があり、これについてはかねて初中局のサイドでも検討はされておりますけれども、事務的には消極的な御見解をお持ちだというふうに承知をしているわけでございます。
  284. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 時間がなくなりましたので最後に一問だけで終わりますが、教員大学大学院の教授の確保の問題です。  既存の教育大学において大学院を設けるにしても、なかなかその教授陣というものの体制が整わない。これも大学院設置の大きな障害だというふうに聞いております。今回の場合、教員大学大学院の教授の確保は、果たして優秀な人材の確保ができるのかどうか。  それからもう一点は、現場の経験者から採用すべきだという声がかなり強いわけですけれども、これについてどう考えておられるかお伺いをしたいと思います。
  285. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 教員大学の教官構成というのは、これから大学創設に当たる方々によって慎重に検討をされるわけでございます。先ほどもお答えをいたしましたように、広く国公私立の大学関係者を中心といたしまして、教員大学創設趣旨理解してその実現に努力される方、そういった方々の協力を求めるということで、適切な教員組織を構成することができるように努力をしてまいるということであろうと思います。そして、その場合にやはりこれは大学設置審議会教員の資格審査なり、あるいは各大学における教官の選考についての考え方にかかわることでございますけれども教員養成に当たる教官の場合には研究業績、いわゆる研究論文の質、量ということだけにおいて、その適否を判断するのではなくて、やはり十分な教育の経験というものを評価をして、そして大学の教官に迎え入れるような配慮というものが必要であろうと思うわけでございます。そういった点の配慮もしていかなければならないと考えております。  教員大学の教官に初等中等教育に携わった経験を持たれる方を迎え入れるということは、この大学創設趣旨にもまさに合致をするわけでございますし、創設後の大学がそうした経験のある方を迎え入れるということについて、積極的に検討されることを期待いたしております。
  286. 有田一寿

    ○有田一寿君 最初に、朝から論議されておりますこの教員大学名称について私は適切でないというふうに考えますので、以下それについてお尋ねします。  先ほど大学局長が言われておりましたが、いろいろここに至るまでの過程において、それぞれの協議会等で出た名称を教えていただきたいと思います。
  287. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これは審議会であるとか、そういう公の機関で議論をしたわけではなくて、創設準備室とも御相談をしながら大学局の内部で検討し、あるいは文部省内のさまざまな会議の機会にお知恵をちょうだいをしながら、最終的に教員大学という名前にたどりついたわけでございますけれども、その途中では非常にいろいろな案が出ております。たとえば学校教育大学というのはどうかとか、あるいは須田先生が御指摘になった総合教育大学というのはどうかとか、あるいは教師大学の方が教員大学よりもいいのではないかとか、あるいは師範大学という名前は不適切であるかとか、いろいろな御提案があったわけでございますけれども、やはりいずれも現在の状況のもとで、この新しくつくる大学趣旨をあらわす名称としては、適当でないという判断をしたわけでございます。教育大学という名前をとると、上越教育大学、あるいは兵庫教育大学ということでもいいのではないかという意見もないわけではございませんでしたけれども、やはり教員のための大学である、従来教員大学院大学ということで準備を取り進めてきた経緯もございますので、ここはむしろ素直に教員大学という名前を採用することがいいのではないかと考えたわけでございます。
  288. 有田一寿

    ○有田一寿君 率直に意見を簡単に申し述べて、さらに御意見を伺いたいと思いますが、教員という名前は、これは法令その他でも使用されている半ば公式の名ではありますけれども、この教員に対して教育者だとか教師だとかいう名前がありますけれども、その中で教員というのには若干の尊敬の念も入っていないわけですよ、これは。それで、かたいということです。  それから、私が非常に割り切れない点は、教僕という言葉をお聞きになったことがあると思いますが、西洋の教育の源流は、やはりギリシャ等で見られたように、教僕、すなわち極端に言えば奴隷の中でも頭のいいやつを採用して、それに自分の子供を教えさせたという、教僕。しもべですね。それが金を出して教師を雇って教育させるという、これは西洋教育の源流になっている。ところが、東洋あるいは日本ではそういうことではなかった。これはまた別の意味で非難する人もおりますけれども、師という言葉であらわされるようなことであったと思うんです。それで、西洋の教育学が明治初年に入ってきて、そこで本来ならば、西洋のまねをする日本教育ですから、その教育思想も入りそうなところを、これは東洋の伝統的な教育に対する考え方の方が克服したと私は思うんです。なぜ克服したかと言えば、発展途上の富国強兵をとっていたということが背景にあると思います。で、師範学校という名称もそれにぴったりで生まれてきたと思うんです。ところが、名前というものは、素直にとさっきおっしゃったんですけれども、大変大事でありますから、本当に検討した上でつける必要があると思います。ただ私が、ここで私なりの考えを持っていますのは、教育者は労働者であるという考えが一方にあります。私は勤労者だと思っているんですけれども、労働者という概念に伴う内容は、教育者にはふさわしくないと思っておるわけですが、あえて労働者だということを強く主張するのなら、私は教員労働大学でもいいと思うんです。しかしながら、私はそういう立場をとっておりませんので、名前は別に変えた方がいいだろうと思う。  これは国連大学の場合も、国連大学というのは、一部の人は知っていますけれども一般の人はあれは学生を採用する大学だと思っています。ところがこれは、国際的な研究成果を分配する、ネットワーク大学でして、国連本部でも大学という、ユニバーシティというものは名前と実態が違うと。これは早く言えばインスティチュートですから、研究所とつけなきゃいかぬ。ところが日本では、研究所とつけると何か小さなものを想像するから、あえて大学とつけたというのが実際のところですけれども、いまになってみますと、これは国連知的研究機構というようなものであろうと私は思っているわけです。それで、いずれの日か、場合によっては名前を変えた方がいいのではないかという気さえしておるわけなんです。  それからもう一つ、昔、癲狂院というのがあったんです。気の狂った人たちを入れる癲狂院。ところが、それを松澤病院と変えたんです。きれいな名前に。ところが、実際は松澤行きだというようなことを言い始めたから、まあ同じじゃないかという人もおるんですけれども、しかし、癲狂院というよりも松澤病院とした方が二歩も三歩も明るいイメージを与えたことも間違いはない。だから名前は、この教員大学というものに関しては、私はどうしても適切でないと思ってこだわるわけなんです。で、名前をおまえが挙げてみよと言われても、私もこれ果たしてどれがいいかわかりません。一長一短だろうと思うんで、その御苦心のほどはわかりますよ、私も。たとえば教育研究をやるというので教研大学だとか、そうすると狂犬病と間違えられるかもわかりませんが、いろいろ挙げてみるとなかなかおっしゃるようにむずかしい。しかし、教育研修大学というのもあるだろうし、あるいは教育専門大学というのもあるかもわかりません。私は教員大学というものにはどうしてもこだわるということを最初に申し上げて、続いてお尋ねしますが、戦前の師範学校というものについてどう評価しておられるか。これは文部大臣に伺った方がいいかもわかりませんね、そう専門的なことでもなんでもないわけですけれども
  289. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) ある意味では、明治以来のよその国に見られないような開放された教育体制というものを確立された、その基盤に立たれた方々であると思います。そしてその師範学校は、そういう意味では教育というものの目的というものをまさに知徳体のバランスのとれた教育という面から言えば、私は師範学校教育というものはりっぱな教育だったと、かように考えるわけでございます。ただ、いささか時代が時代でございますから、たとえば国際的に開放された社会ではない時代の教育が行われていた。やはりそういうことを身につけて教壇に立たれた、そういうきらいが今日の時代から考えれば物足りない点である、そういうふうに私は考えるものでございます。
  290. 有田一寿

    ○有田一寿君 いまおっしゃいました、国際社会、自由社会で望ましい人間像と、望ましい日本人像というものがあると思うんですが、それと、望ましい教師像というものは、私は七割まではオーバーラップすると思います。ただ、三割程度は専門職分野が強く出ていくべきであろうと思う。だから、少なくとも半ば以上は特殊の専門職だからこうだということでない方がいいのではないかということを考えるわけです。師範学校について長所を挙げずに短所だけを挙げてみますと、閉鎖的、視野が狭い、心情的な柔軟さなし、遊びがない、権威主義的、師範タイプという言葉にあらわされたイメージがそれにある。これはどうしてそうなったかということは、いわゆるあの当時一部というのは十五歳から入っておりました。そして五年間。そうすると一番青春期を教師であるという自覚を求められる。言いかえれば青春を十分に謳歌するというようなことではなくて、小さく小さく自分を固めて、聖人的でなきゃならぬ、説教的、しかも模範的、そういうことで抑えられるから、結局でき上がった人間はかたい人間になる。以上は短所の面を言ったが、その反面から言えばまた長所があったことはこれはもう事実だと思いますが、ただ、教養が狭くなっていったということ、これは大変重大だと思うんです。したがって、今後できる教員大学に、そういう師範学校の延長線のイメージというよりも、この構想を持たない方が無難ではないか。  なぜそういうことを憂えるかといいますと、じっと振り返ってみますと、戦前皇国教育ということを一番先に言い出し、唯々諾々と従ったのは師範学校を出た先生方並びに師範学校そのものであった。それはそれとして、私は非難している意味ではないんです、事実を言っているわけです。ところが、戦後アメリカの教育が入ってきて、新教育という言葉が叫ばれるようになったとき、一番先に付属小学校等で新しいわからないような言葉を使って新教育、新教育と言ってまた一番先にこれに傾いていったのも師範学校であった。言いかえれば振り子の振動幅がきわめて大きい。そして、さらに教職員組合についてもいまここで申し上げるのはちょっとあれですけれども、やはり極端に行き過ぎる。そういうことを考えますと、これは柔軟さ、ハンドルで言えば多少の遊びがあることが、言いかえれば教養の広さがあることが、それから防ぐ歯どめになるものであって、それがそうでない場合には、この新構想大学卒業生は全体主義社会にまた突進していく要素を持つことになる。杞憂に終わればいいわけですけれども、率直に言うとそういう心配を私は持つわけです。いまはもう学際時代というようなことですから、もっと広く考える方がいいだろうと。名前のことばかり申しておりますけれども名前に伴う考え方を私は批判しているわけです。  ここでこれと対比して考えたいんですけれども、昔あれほど封建的と言われたけれども、東京大学であのときの教育学科は文学部の中の教育学科であったわけです。その哲学コース、文学コース、史学コースの中の哲学コースの中に教育学は入れてあったわけです。だから、あの中には倫理学、哲学、心理学、教育学等が含まれて、あとはそれぞれ文学には文学、史学には史学が含まれておった。それで、ほかの講義も自由に聞けるようになっておった。だから、あのとき余りかたい教員タイプになってはならぬ、教育学がオンリーではないという証拠に、大学出るのに二十一単位必要なうち、教育学関係は八単位取るようにしかなってないわとけです。あとは自由に他の講義を聞いていいようになっておりましたね。それと、それに付随して、ほっておくと教育学というのはひとりよがりになるというおそれが私はあると思うから、なるべくそうならない方がいいのではないか。したがって、学者の名前をずっと固有名詞を挙げて恐縮ですけれども、挙げないとはっきりしないから挙げてみますと、すばらしい学者であったということで、学問の業績と、それからその深い人柄が評価された人というのは教育学関係にはいないんですよね。和辻哲郎、それからゲーテを研究した木村謹治博士、仏教の宇井伯寿、それから社会学と経済学の高田保馬博士、それからマルクス経済学の河上肇博士、西田幾多郎博士、阿部次郎、穂積重遠、フランス文学の辰野隆、まだ幾らも続きますけど、どんなに続けてみても教育学の分野でそれに相当する人というのは出てきませんね。これは教育学自身の中に短所があるのかもわからない。それは、目的は倫理学で方法は心理学だと言われています。だから、寄せ集めの継ぎはぎの学問が教育学で、果たして教育学が学問として本当に成り立つものかどうか、私は実はいまでも疑っているわけです。これは教育学者からはしかられると思いますが、正直なところそうだと思う。それは、あらゆる面で卑屈な面になってあらわれてきている。だから、これを教員大学と規定して、昔の師範タイプというか、師範学校の延長線上で、これが国家の教育を担うんだということで進めていくと、私は大変な時代錯誤的なことになるのではないかという感じを持つわけであります。当たってなければ幸いです。そこら辺についてどういうふうにそこを考えておられるか、大学局長の方から伺いましょうか。
  291. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) もちろん開放制のもとにおいて、設けられる教員養成のための大学でございます。したがって、開放制のもとにおいて言われておりますよさ、教養としての広い知識を備えている、あるいは人間的に幅と深さがある、あるいは専門の教科についての研究態度がすぐれている、そういうような開放制のもとにおける教員養成においていいと言われているそういったところは、教員大学の場合にもできるだけ伸ばしていくということを考えていかなきゃいけないと思います。もちろん開放制のもとにおいて、今度は逆に欠けていると言われている教育に対する情熱なり、あるいは教育者としての自覚なり、そういったものであるとか、あるいは実際的な教育の指導能力、そういった面については、この大学の場合にはよりそれを充実をするような努力をしていかなければならないと思いますけれども、もちろん従前の師範教育のそのままを延長において求めようというような考え方は毛頭ないわけでございます。教員大学という名前を選んだということは、決してそういった狭い閉鎖的な大学というものを頭に置いて名前を選んでいるわけでは毛頭ないわけで、さっきも申しましたように、教員のための大学ということをあらわすいい言葉はないかということで、いろいろと苦労したあげくに、名案がなかなかない、やはり教員大学ということがよかろうということに落ちついたということにとどまるものでございます。
  292. 有田一寿

    ○有田一寿君 具体的に申しますと、単位の他大学との互換制、それから講義方式でなく、ゼミナール方式をどの程度取り入れるかということと、それから他大学、他学科との交換教授方式というものが考えられておるのかどうかというようなことですね、それはどうなっていますか。
  293. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 一般単位の互換という形での大学間の交流、あるいは教官の交流による大学間の交流ということは積極的に進めていくべき方向でございますし、新しい教員大学の場合であっても、できる限りそういった工夫をすべきであると考えます。具体的に大学の方で、このことについてこのようにということを考えているわけではございません。その点についてはこれからの実際の運営にかかってくるわけでございますし、また教員大学との間の単位の互換をやろうという相手方の大学の御事情もあるわけでございますが、大学をつくっていく場合の心構えとしては、そういう形で、閉鎖的でない、できるだけ大学問において開かれた大学にしていく努力というものを続けていく必要があると考えております。ゼミナールのようなそういう教育の進め方についての工夫も、それぞれ今後この大学をつくっていく過程で、大学側では御工夫をいただけるものと考えております。
  294. 有田一寿

    ○有田一寿君 できる限り工夫をして、広い意味の開かれた大学にしていただきたいというふうに考えます。  これは自分のことで恐縮ですが、私も十五歳で師範学校に入って、十七、八ごろのことですが、あのころその師範学校制度に反逆を試みた人がおるわけです。田渕巌という人で、「師父に弓引く者」というのを書いておられる。これはルソーの賛美者で、私もそれに全く共鳴してしまって、だから退学しなかったけれども、高等師範とか一切そういうところはもう行かずに、普通の旧制高等学校に逃げたということで、それを振り返ってみても、あのときの窒息するような師範学校の全寮制度と、それから権威主義的に教え込んだ、おまえたちは学校の教師になるんだからこうじゃないかと言って、あの十五、六のときからあれだけ言われると、やはり反発する者もたくさんいる。しかし、結果的には反発できないというのは、あのとき義務年限というものがありまして、二十八歳までに学校をやめたら学費を全部返せと、こういうことでした。貧しいから行っているのが師範学校の当時は生徒でした。それに学費を返せと言っちゃできない。それから、軍隊の短期現役兵という五カ月の特典があった。そして五カ月終わると第二国民兵役に編入されて、戦争のとき行かぬでもいいようになっていた。だから農家の長男とかよく行ったんですが、ところがそれを剥奪するということでありました。私自身も剥奪されたわけです。だからこの太平洋戦争には四年間行ったわけですけれども、そのことは構わない。戦争はひとつも構わないけれども、そういうのが師範学校というもので、だから、私は師範学校制度を延長しては危険だと。それは長所はたくさんありました。ありましたけれども師範学校に行かない人が、師範学校日本教育を支えたんだという多くの人の言葉に迷わされて、やはり狭い意味教員大学をつくってよしとするようなことはない方がいいのじゃないかと思うから、多少意見を長く申し上げさしていただいたわけで、あるいは当たっていないところもあると思いますが、それは御訂正を願いたいと思います。  それから、入学定員の問題についてお尋ねしますが、これ先ほどお聞きしておりますと、もちろん男女の合格比率は、区別はつけないということです。ところが小学課程の場合にどうでしょう。ほうっておくと、七割ぐらいまでは女子学生になるというお見通しではありませんか。どうでしょう。
  295. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 現在一般的に教員養成大学の場合の在学生は七割程度が女子の学生でございます。この大学の場合に、初等教員養成課程学部段階がそのような状況になるかどうかは、これはわかりませんけれども一般的にそういう状況は確かにございます。
  296. 有田一寿

    ○有田一寿君 もちろん女子で悪いとは言いません。粕谷委員から怒られるかもわかりませんから、私も口が重くなるんですけれども、あえてやっぱり言うことは言っておきたいと思います。それは父兄が現在小学校で、四年生以上になってきますと男の先生を望むという現象がこれはもう非常に強いわけです。どうしてそうなるということを女子教員の場合はちゃんと考えないと、やっぱり適当でないんじゃないかと。それを詰めていきますと、いわゆる入学定員は少なくとも半々でとめちゃうと、五割五割ですね、ということにした方がいいのじゃないか。そうすると女子の優秀な者が落とされて、男子のそれほど優秀でない者が通るということになるから、これは性の不平等であるということで憲法違反だということに多分なると思いますから、それはできにくいと思うんですが、しかしそれならば反面、女子の教員はやはりこれから考えなきゃいかぬ。どうして父兄が女子の先生をきらうのか、それを私がお聞きするのは酷ですから、私が言いますから、当たっておると思えばそうですがと言っていただけばいいんです。一つは職業観に乏しいんですよ。一生かけてないですよ。それから二番目に、これは生理的事情からきて感情的ですね。それから好悪が激しい。裏返しにすれば理性的でない。これは女性の特色ですね、いい意味でも悪い意味でも。それと日本の家庭生活、これは共かせぎがある。そうすると家庭労働というものが男子よりも女性の方が多く担っているという現実の姿から、帰りを急ぐとかいうようなことになるのだろうと思うんです。それから家屋の構造からもきていると思うんですよ。これはもう申しませんけれども、だからすそ野の広い理由があるから、一概にいい悪いの批評は差し控えますけれども、そういう万般の事情を含めまして、父兄からも、男の先生もいいが女の先生もいいじゃないかというような声が皆上がるようにならないと、これはだんだん小学校の女の先生が八〇%を超し、九〇%なんということになってきましたときに、これは大変な声が一般父兄から起こってくると思います。だから、そこら辺について、それは言いかえりゃ採用定員の問題にも響いてくるのではなかろうかと思うんですね。その考え間違ってましょうか。
  297. 砂田重民

    国務大臣砂田重民君) 先生のお言葉のとおりに、そうですがと伺っておくよりいたし方がないと思います。
  298. 有田一寿

    ○有田一寿君 教員大学の長所を私は考えてみた、これはあると思うんです。いままで一遍社会に出て、何ほどかの経験を得て、もう一回学ぶということは理想だとされながら、日本の社会ではこれはなかなか行われにくかった。アメリカ等ではサンドイッチシステムというのが相当行われておりますね。だからこれのいい一つのひな形になるであろうということ。  それからもっと言えば、三年以上ですから、年をとって入っても、拒否しないようにこれはしないと、四十で入っても、四十五で入っても、もうあと定年までこれだけだから国費がばからしいから、これはもう落としておけというような、いわゆる足切りの対象にはしないようにしてもらいたい。ほうっておくとそういうことが再教育の場合には行われやすいんです、大体二十代の後半から三十代前半までと。ところがこれには何もそういう年齢制限は書いていませんね。だから、そこら辺を余りかたく考えられない方がいい。というのは、実業界等でも四十、五十過ぎてからもう一回大学に帰る。あるいは大学院に入って、ギリシア悲劇だとか、ラテン語だとか、そういう難解なものに取り組んで勉強する。言いかえりゃ、これがいわゆる人間の判断力を老化させないんだとか、そういうことで、日常のことには役に立たないけれども、そういう基本的なことで頭をリクリーニングするということが実際いまアメリカで流行のようにはやり始めている。日本もこれは大変いいことだと私は思うんです。  それでお伺いします。修士課程二年終わって、学校に復帰しないで、言いかえれば現場に帰らずに、他の職業につくというような場合の罰則等がありますか。
  299. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) これはございません。ただ恐らくは各県で、長期にわたる勤務場所を離れての研修についてのいわば基準というものを、各県の教育委員会が、教育公務員特例法に従って決めることになると思いますけれども、その場合に、大学院を出てから再び県で積極的に活躍をしようとする、そういう意欲を持っている人ということをいわば派遣の基準の中に入れて考えるということは考えられます。これは現在各県において行われている長期研修の場合の基準の中によく見られる文言でございます。しかし事柄として、大学院を終えて、現場に戻ることをやめて、さらに学問研究の道に入っていく、あるいは他の分野に転進をするということについて、制度的にこれをチェックすることは方法としては何も定めておりません。
  300. 有田一寿

    ○有田一寿君 いよいよこれ発足して修士課程の卒業生が出てみないと先のことはわからないことですから、ただそういうことをお聞きしておいた方がいいかなと思ってお尋ねしたんです。これは二年間月給をもらって勉強するわけですから、それに対する精神的な感謝の念だけでいいのか、あるいはもうちょっと義務が、二年間は教職を離れないとかいうことがあった方がいいのか、そういうことは今後やはり考えておかなければならないことではなかろうかと。それから学費、特に授業料というものがこれはどうなるんでしょうか。普通の大学と同じことを考えていらっしゃるわけですか。
  301. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 普通の大学院の場合と同じように授業料の徴収は行います。
  302. 有田一寿

    ○有田一寿君 それも大事な問題ではないかと思うんですが、この学費は同じでいいと、同じでいいけれども教員人材確保法案のもとになった考え方が、教育界にいい人材をという考えがあったことは、これは争われない事実だと思いますが、それならばこの教員大学という名前を、自分が否定しておきながら使うのはおかしいけれども、まあもう洗脳されておるようですから私使いますけれども、この大学の場合、いわゆる奨学制度というものを少し大幅に取り入れるということはどうでしょうか。どう思われますか。
  303. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) この大学院の場合には現職先生現職のままで現給を受けて、いわゆる研修のための出張を命じられて勉強をするという形をとるわけでございます。現給が保証されるという点においてきわめて大きなメリットがすでにあるわけでございますので、奨学の点につきましては現在の育英会の奨学生の採用基準から申しましても、現職先生大学院にお入りになって、大学院学生になりましても、奨学生として採用されるということは実際問題としてないだろうと思います。私ども現職、現給のままで大学院における研さん機会を確保をするということを実現をするということがまず第一であると考えております。
  304. 有田一寿

    ○有田一寿君 そうですけれども、それは二十五、六とか二十七、八で仮に独身であって入る場合はわりに簡単だと思いますが、先ほど年齢制限のことをどうお考えですかとお尋ねしたのもそこにあるわけですが、仮に四十でこの大学に入るとした場合に、妻子を持っておる場合、出張旅費をそんなによけい支給することはないと思います。そうすると、生活は一方でちゃんと維持しながら、子供は子供で学校に通っている。その中であえて自分が、場合によっては別居してまた勉強しなきゃならぬというとき、生活費は多く要りこそすれ減ることはないと思うんですね。だから同じこれを進める、それから奨学の精神というものをここではっきりさせるというのなら、いま大学局長が言われたようなことだけではなく、もう一歩前進させるということも考えられるんじゃないかと思いますが、それは絶対だめだということになりますか。
  305. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) この教員大学に限らずに、広く大学あるいは大学院で、現職の方に勉強をしていただくということは望ましいことであり、その機会の拡大に努めなければならないということでございます。その機会を拡大するためにどのような方策を講ずべきであるかということは、十分に検討していかなければならないと思いますけれども、その場合に、大学院における現職方々が、勉学をされる場合の奨学というものをどのように考えるかということは、確かに一つ検討課題ではあろうと思います。しかし、少なくともこの教員大学について、そのことを検討するということを私たちはいま考えておりません。なかなか大学院のレベルに実際に月給をもらっている者が進学をする、それを育英会の奨学制度にそのまま乗せるということにはむずかしさがあろうと思います。別途の何らかの奨学のあり方というものが考えられないか。たとえば私大奨学事業で考えているような、いわゆる有利子の学費の貸与というようなこともあるわけでございますし、ローン制度を含めていろいろと奨学の方途というのはあり得ると思いますけれども、それらについてはやはり今後の検討課題にさせていただきたいと思います。
  306. 有田一寿

    ○有田一寿君 給与のことですけれども、この大学院を出ても、給与上は特別なものは何も考えないということに答弁もなっておるようですが、ただ、私も給与のことは詳しくはありませんけれども、現行の給与体系からいうと学歴、勤務年数が基礎になって組み立てられておるようですが、この修士課程に二年間行って、さらに教職につくとした場合、その二年は現職派遣ですからもちろんそれは算入されると思いますが、ただ短大を出た、あるいは四年制大学を出たというので、給与差があるわけですが、それだったら当然これまた修士課程を出て、現場に帰るという場合は、給与差が生まれる方が当然だと思うんですけれども、それはまた反対意見もたくさんあります。そのことはよく承知していますが、その声に押されて、いや一切給与差は設けないんだということなら、これはどうかと思うんです。それはどういうことであろうか。  それからもう一つ教育委員会の同意を得る、これはもう当然のことだと私は思うわけでありまして、だからそのことはいいんですけれども、最初の給与のことについてちょっとお聞かせを願いたいんです。
  307. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように現行の給与制度上は、上位の学歴を有するほど初任給については優遇されます。したがって学部を出て教員になった者と、大学院を出て教員になった者とでは、学歴一年について一・五号の差がありますから三号の差があるわけでございます。同一年齢であれば二年の間に二号上がりますから、結果的には一号差が同一年齢ではついているということになります。これは大学院を出て教員になった者と、学部を出て教員になった者との差としては一号の差があるわけでございます。しかし、途中で大学院に行った場合には、それは俸給の調整を上位の学歴を取得したということについて行うことができることとはなっているようでございますけれども、実際問題としてはこれは換算方法等によって、実際に額は上がらないようになっているそうでございます。私はこれから現職方々大学院で勉強をされると、そして研さんを積まれる、そのことに伴って給与の上で全くメリットがないということは、生涯教育ということを進めていく上から問題ではないかということを思っております。それはやはり今後検討しなければならない課題である。しかし、それは教員大学に限ったことではないのであって、広く今後大学院において、大学を出て一たん社会に出た方が再び大学院で勉強される、そのことを給与の上でどう評価をするかという観点からとらえるべきであるし、そういうことであるとすると、もう少し大学院のレベルにおける研修機会というものが拡大をされ、そういう状況が普及をした段階で、もう少し広がりを持った問題として、事柄を扱う方がベターであろうと、そうでないとやはりごく限られた人の問題として事柄が浮かび上がってまいりますから、それよりはもう少し一般的な課題になってきたときに、給与の問題を担当している省庁に対して、この問題についての御検討を求める、そういう方法をとることが適切ではないかと思っているわけでございます。
  308. 有田一寿

    ○有田一寿君 結構です。
  309. 吉田実

    委員長吉田実君) 本案に対する質疑は本日はこの程度にとどめます。     ―――――――――――――
  310. 吉田実

    委員長吉田実君) 次に、参考人出席要求に関する件について、お諮りいたします。  国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案の審査のため、参考人の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  311. 吉田実

    委員長吉田実君) 御異議ないと認めます。  なお、日時及び人選等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  312. 吉田実

    委員長吉田実君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時四十分散会