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参考人(沢登晴雄君) 沢登でございます。
東京の郊外の、ブドウとしては最も
条件の悪いところでブドウの
品種改良をさせていただいておりまして、
鈴木委員長先生にはもう七、八年前からこの問題についていろいろ御指導をしていただいております。どうもありがとうございます。
本日は、こういう
委員長先生をいただいた
農林水産委員会の中で私が述べさせていただくことは非常にありがとうございますと、まず申し上げたいと思います。また実は、にもかかわらず、私、声がかれております。そうして疲れております。で、
数字とか日付とかその他のことについて間違いも
かなりあると思いますので、これだけはひとつ御容赦願いたいと思います。
同じ私は農民でございます。このごりっぱな
瀧井先生とかそれから小口先生と違いまして、私はけさも、ここ十日ばかりは実はブドウの仕事が朝できない、電話に追われて困っておると、そういう中で出てきております。昨晩もほとんど眠っておりません。というのは、この御苦心いただいたりっぱな
法案に対して、私
どもの知っておる、先ほど
瀧井先生がいみじくも御指摘いただきました民間育種家、篤農家はこれで滅んでいくのではないか。私自身も滅んでいくのかもしれません。ところが、私の後には、新しくやっぱり
日本をしょって立つ
一つの育種をしようという者が、いまここで血をたぎらせて待っております。本日は随行者としてあえて来ていただきました。ところが、それができるかできないかというところが勝負どころだと思います。それで本日は、その点について皆さんのひとつ御審議をお願いし、私の知っておる問題点を申し上げたいと思います。
まず第一に、私は両先生のお話を聞いておりまして感じましたのは、実に種屋さんという、種ということ、この
関係については至れり尽くせりの
法律ができたのではないかということで、両先生実に御満足だと思いますし、この点は実に敬意を表します。ところが私は、これは有性繁殖の部面であって、無性繁殖の部面、特にわれわれの同志や先輩が血と油と汗を流して、時には侮辱され、時には気違い扱いをされて出してきた
品種は、これによって全然滅びます。その方々は続けられません。その点についてひとつ申し上げたいと思います。
私は、実は山梨の海抜七百メートルのところに生まれましたので、父に従って山に秋はまぐさ取りにまいりました。そこにある山ブドウを一日食べて暮らしました。それから醸したワインを飲んで育ちました。これの夢は一生忘れません。そのことが、私が山ブドウによって
日本のワインの方向を決めようということを決意した幼き日の夢であり、私のこれは一生の命がけのことだと思っております。いま
一つは、私は師範学校へ入ったときに、大井上康先生の「葡萄の研究」という世界的な厚い本を見せていただきました。
鈴木先生も泣いておられます。これに感激して、すぐ伊豆の山の中まで飛んでまいりました。そして、先生の卓越なる世界的な学説を聞いて感激して、これまた巨峰をさらに改善すること、または先生の跡を継ぐことを、及ばずながら
一つの私
どもの夢としてまいりました。
いま
一つは、川上善兵衛先生が山梨の地に来られたことがあるんです。いまのサントリーのところに来られたことがあるんです。そのときに私
ども行ったことがございます。いまはりっぱなサントリーの農場になりましたが、当時は、私が学生のころはこれが廃墟というものかと、ドイツのハムサンが来てやられた後ですが、そういうところでございました。で、これに至って、山梨がブドウの国であり、その中でこれがあるということのいろいろの矛盾、意味を考えさせられました。若きまだ二十歳前でございます。そうしてそういう中で、私
どもはブドウというもの、ある意味では嗜好品でございます。しかし、そのものをひっ提げて私自身が
一つは生きていけたら、意義のある生活ができるならこれはありがたいことだということで、ついに私はその時点、その幾つかの契機、先輩の手引きによって、ついにこの道に入っていったんでございます。
いま私のところには、七十年の記念で
日本に来られておるブラジルの太田さんという方がおられます。この方はキウイのことで来られて私
どものところにおりましたが、
日本に滞在中、私
どものところで草取りのやり方を研究生に教えたり、実にその生き方を教えてくださいました。さらに、あのヒマラヤに名誉ある世界一の最初の登山をされたヒラリー卿を案内されたシェルパのテンジンさんの子供さんがおります。この方は、
日本の
海外協力隊の先生として来られて六カ国語に通じられた方。この方が、二週間私
どものところで一生懸命やってくださいました。
農業をやったことのない方だそうです。それで、その中で私
どもはいろんなことを教えられました。それは真摯でございました。ブドウに対するわれわれの生活態度でございました。これを持っていってやろうということを言ってくださいました。
これが、私
どもは何よりのことでございまして、新種というものは、そういう中から生まれるものだと思っております。努力し苦労し汗し涙した中で神が与えてくれると。言わざるを神とは何ぞやということもございますが、神が与えてくれると私
どもは言わなくてはならぬ。というのは、新種はある意味では現在を否定します。現在と同じ形質を持ってはだめなんですよ。新たなる世界を開いていくこと、創造でございます。その創造をつくっていくのが新種でございます。その新種によって、
農業そのものが希望がわいてきます。私の周囲には、全国に何百人という希望を持って、夢を持って、あすを担いつつやろうと、あすの
日本をしょおうと、いやそれが世界の平和につながるんだということを、信念を持って生きている方が何人かございます。
私は、今日ここで訴えたいのは、そういうことをこの席でお考えの上でひとつ御審議をいただき、この
法案をやっていただきたいということでございます。これは釈迦に説法かと思います。申しわけないかと思いますが、ここで私はいま
一つの事実を申し上げなくちゃならぬです。たとえば、
瀧井先生が、
アメリカは
UPOVへ入っておられると言ったんですが、私のところに随行しておられる池谷先生は入っておらないと断言された、入れる体制でないということです。世界は、
アメリカ体制の
一つの新種なり
特許なりの方向があると、いま
一つは欧州体制の方向なり
特許なりの方向があるということです。それの選択を
日本人がどこをするかということが、私はいま課せられた
一つの、特にこの最高の判断者の皆々様の
一つのお考えだと思います。どうぞ、その点ひとつじっくりとお願いいたしたいと思います。
それから、先ほど私は、関東農政局の
生産流通部の
部長さんの松延さんという方にお会いいたしました。この方は当初この仕事を手がけられた方で、
鈴木先生よく御存じの方でございます。そのときは
植物特許ということ、そしてそれは苗木
品種ではないということ、苗木プラス新
品種という
一つの文化的所有権というんでしょうか、無体財産権というんですか、それの価値評価なんだと、それをつくった人を守ることなんだと、それによって世の中をよくすることなんだということだったと思っております。そのことは
鈴木先生いまも重々、私
どもに時にはじゅんじゅんと説いてくださった先生ですから、お忘れないと思っております。
ところが、悲しいことがございました。それを
鈴木先生と御一緒にやってくださった、参議院の迫水会長先生がお亡くなりになりました。それで、亡くなる面前に先生の言われたことが私は印象的でございます。自民党が負けました、何人か落選しましたと、この
植物特許をやろうという先生方が弱くなりましたと、農林議員の発言が弱くなりましたと、どうもこれはうまくいきそうもありませんということを言っておりました。
しかし、そのころまた、私も実はかつて農協の専務理事をやった者でございます。二十代でやりました。それの私もある意味では友人でございます小口先生が先ほどいみじくも申されているように、農協からああいうあれが
特許で出ております。ところが、これについて私はびっくりすることですが、これは
特許をいま少し勉強すれば全部雲散霧消することです。これをわれわれの組織である農協中央会があえてやったということに、私
どもはいま農民が行く先を考えなくちゃならぬ問題があると思っておるのでございます。先生方いかがでございましょうか。
私は、きのう、長いある意味での何人かの私の友人を通じてのまた友人でございますから、お会いいたしました。そして、前と同じことを申されると言われました。そのとおりでございます。不満足でございますと、そういうことだと思います。私はこれは考えられません。私
どもは、先ほど言われました生命現象をやっておるときは、時々刻々変わるものをやっていきますよ。きのうの発言ときょうの発言と違ってよろしいと、私
どもはあえて思っております。政党内部の締めつけはどうかわかりませんが、私
どもはそのことが育種にもつながるいき方だと思っております。そういうことからすると、私
どもは何としても納得いかない
一つのものでございます。
それで私は、先生方が言われたことは、全部ある意味では各個々の問題は正しいと思いますし、それから衆議院のこと、全部の発言ございますから、あえて言わないで、私はその先生方が申されないことを申すのが私のいまの使命かと思いますので申し上げます。
ただいまのお話は、全部ほとんどそれを要約すれば、学問的に言いますと有性繁殖につながる問題でございます。種でございます。で、いま
一つは、私
どもは無性繁殖でつながる問題を考えなくちゃならない。ほとんどお考えになっておらないように、あの発言
内容からお伺いいたしました。
それで私は考えたいのは、
アメリカは有性繁殖のものは
特許法でやっておるという事実がございます。そのことが、
UPOVへ
アメリカが入れない
理由でもあるということを、私
どもは銘記しております。そして、そのためにあえて時には
アメリカの
法律も変え、時には
UPOVの
内容も変えていま合体を考えておると、その観点の
一つを
日本が握っておるということです。
日本の
一つのキーポイントは、それに対して物すごい発言権があるということです。さて皆さんは、そのときにどの道を選択し、発言権をとられるでしょうか。
日本民族の
一つの国際場裏の中で試されるときだと思いますから、皆さんのひとつ本当の御奮闘をお願いいたします。
そういう観点からしますと、私
どもはこの
法案はもっともっと練りに練ってくださいということをお願いする。あえて賛否を言う前に、まずそのことはお願いいたさなくてはならないことだと思っております。
それから、幾つかの中で私が申し上げたいのは、十二条五の二項八号というところでございます。これは
丸谷先生がるる申されたからおわかりと思いますが、これでやりますと、私はこれで眠れなかったんです。というのは、これが入っておらなかった。で、この先生方は五十年、五十一年かかわりを持ったと、それから勉強されたと申されました。私
どもはそれを七年ほど前から、やらざるを得なくてやっておった勉強のこの道でございました。本当にありがたいことです、この先生方は。私
どもはそうせざるを得なかったからやったわけです。
要請があったんですよ、
アメリカからも。
日本はだめじゃないかと、海賊版やっているじゃないかと、しかも経済大国じゃないかと、何が経済成長だということをその場で言われたんです。恥ずかしいことでしたから、一生懸命やりました。
そういう中で、私は一番
一つの問題になるのは、この処置だと思います。他の処置は、私は言われるとおりだと思います。それは、これがあると安くなる、高くなるの問題じゃなくて、
種苗の流通の
過程が物すごく混乱しますということですよ。松延先生もそう言っておられます、何で入ったんだろうかと。
私
ども、これはことしの三月までは知らなかったのが、突如として入ったんです。しかも、わからない形で入ったんです。しかも、時には私
どもが石田先生を通じて職務育種を強引に押して、
中川先生を説き伏せて、通りましたよという喜びを聞いた後にこういうのが入ってしまって、われわれが、ここにございますが、四月二十八日にこのものをいただきまして、われわれの
特許促進の内部、これは全部金を出している団体ですよ。
農林省からは金を出していただいておりません。労働者の方が集まってやった、その中の常任理事会で、私も常任理事の一員でございますが、
検討したときにあっと言ってしまったあれです。
それで、それ以来私は眠れないのです。私はきのう、あえて
丸谷先生が私にこれに出るようにと言われたときに、ある意味じゃ迷惑だと言ったんです、ときには弾圧されますから。というのは、何人か私
どもの
関係者は、このことを一生懸命やってこれで飛ばされた人があると言われておりますよ。私もそうくるのじゃないかと思っています。それから、あるときには実は涙ながらに先生行かないでくださいと、命が危ないですよと私に言われたことがあるんです。冗談じゃないと、こんなことで命が危ないで何が民主国だと言ったらば、いま花の業界というのは物すごくブローカーがやっていると、十万円で買ったものを二、三百万円で売るなんということはあたりまえだと、それも大きいものほどそれができるという組織になっておると。あるランの問題に言及するとあなたは殺されるのじゃないかと、そんな社会ですよということまで言われるような問題がこれでは引き起こるというのです。苗木転がしが平気でできるんです。
これは前になかった
法律ですよ。前は許諾されなければ、業としてはどんな小売人でもできなかったのですよ。私が持っていれば、許可されなければ。ところが、いまは正当に入ったものは業として幾らでもできます。たらい回しができるんです、幾らでも幾らでも。そして、私が計算すると、単純計算ですが、百本の苗木を切ってふやすと三十本ぐらいになります。これは
鈴木先生御存じですね。三十本ぐらいになりますが、それを三年繰り返すと、単純計算で何と二百七十万という計算になります、成長しますから、グローワーですからね。五百万にもなるんじゃないかと計算されるので、びっくりしちゃった。それが、その中でわあっと入ったらば、チェックできませんよ。あの衆議院の方が御心配いただいて、増加させることなくということをやってくださいましたね。ところが、チェックできないんです。それだけやったやつを、一生懸命私がどんなに飛んで歩いたってチェックできないですよ。それこそ、その途中でのたれ死にか殺されるかどちらかでしょう。
そういう前にはできないのが、今度は大手を振って法に
保護されているという形でできるということは、私はどうかと思っている。そしてこれが、この立法の
理由の中に「
植物の
品種の
育成者を
保護する
制度を整備する」と、こういうことがあるその中で、これがあえて言われているんです。このことが私は、ある意味では問題点があるのかもしれません。
特許法との問題があるのかもしれません。
そのことについて、私は昨日お伺いしておったときに、
特許庁長官と
農林省の園芸
局長さんが交換した合意文書がある、これを詳細にわたって国民の中にひとつ示してくださることが、まず民主的な手続の官庁の責任ではないかと思います。月給をとっておられるのですね、国民の税金による信託を受けている方々ですから、民主的な手続であるこのことを、皆さん、先生方でひとつ御公開願いたい。というのは、
一つは私の友人で何人か
特許庁へ申請しているんですよ。それがだめになるのかもしらぬ。人権抑圧でございます。ところが、
特許庁は、
特許をやりますと、きのう言い切っておりません。わかりません。どうなっておるんでしょう。いまどうしようかと、出たり入ったり気持ちはしております。
ここにおられる倉方先生も、困ると言っております。そして、先生の御郷里の大石俊雄先生も困ると言っております。もう二度とこれには出さないと。三勝四敗だと言っていましたよね。七つ出して三つだけは通ったが、四つは通らなかった。ところが、それでも仲よくしなくちゃいかぬと、先ほどの素材を提供してくださるかと思って仲よくしておったが、もうこれではあえて戦わなくちゃならぬと。
私の具体的な例を言いましょう。オリンピアという
品種がございます。これは、私が二十五年前に、
昭和二十八年につくった
品種です。そして、私
どもの
日本ぶどう愛好会という組織の中で、絶対に試作ですよと、よそへ出さないでくださいと言ってやっておったのに、
種苗業者がいっぱい書いてある。それは、いま一反歩一千万円以上かけて温室でつくるマスカット・オブ・アレキサンドリアが一キロ千円にならないときに、それは外でつくっても二千円以上の平均になるんですよ。東北の
鈴木常七さんという方もそうやっております。これは湯野町の方です。同じ
鈴木姓でございます。どうぞお調べください。ブラック・オリンピアというのは千五百円以上になりました。巨峰が五百円です。デラウェアは三百円以下です。キャンベルは百五十円です。ペリーAは二百円前後でございます。多少の
数字のあれはございますが、大体そのくらいのところ、暗算でも言えるということです。
それで、いま
一つ私は申し上げますが、巨峰をつくったときにこれを
登録されなかったですね、
農林省は。いまそれを奨励
品種にしているところがいっぱいでございます。そして、私のブラック・オリンピアも、これは何と全国の日園連のぶどう
部長をしておられて、黄綬褒章をもらった古賀純さんという方が、自分及び自分の周囲につくっております。ところが、そうしては補助金がもらえませんから、巨峰だということになって、課長さんとそういうことでまあまあいいじゃないかということになっちゃったというぐらいのいま体制がございます。私は、
品種を選ぶものはつくる農民でございます。権利を持っておるのは、あくまでもそれをつくった方々です。
ブラジルの方が涙を流して言いました。
日本でできなかったビワの三十何年前にできたあの瑞穂という
種類を、これは三井の戸越農園がつくったものです。おいしいんですよ。だけど
日本じゃうまくないんですよ、大きくて。大きいんです。うまくないというのは、ぼつぼつが出たりしてつくりにくいんですが、苦労してブラジルの方々はつくりましたと、隠して種を持っていったり本を持っていって。そして、いまは五百町歩という、ブラジルの
日本人がつくっておる幾つかのビワの園があります。そのうちの新しくなるものは、全部瑞穂でございますと言っていました。これだけ私は、ある意味では古い言葉でございますが、国威を発揚できたものはないと思います。民族の誇りだと思います。
日本は、土地は狭うございます。ところが、亜寒帯から亜熱帯までございます。そして、真ん中に脊梁山脈が通っております。大陸性でもあります。海洋性でもあります。この中での育種は、すばらしいものができます。
日本人はその中でもまれてすばらしゅうございますので、私は
日本の生きる大きな道は農民が育種をすることである、そしてそれを世界の中へ出して、平和の先兵としての農民になってもらうということです。
時間というあれが来たようでございますから、もう差しさわりございますからこれで勘弁さしていただきます。非常に足りないところがございました。二十年以上かかるのでございます、どんなことをしても。そして、私も
品種登録に出さなかったのは、はっきりした道が、二十年たっても特性がわからないからです。その意味では、
植物特許はすばらしいですよ。それだけに、選択は農民がし権利はやった人が持つということを、せめて農民の味方の皆さんにやっていただくとありがたいことです。お願いいたします。このことで私は命をかけてもよいと思っておるのでございますので、どうぞひとつよろしくお願いいたします。ありがとうございました。失礼申し上げました。