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片山甚市君 自営業あるいは常勤、常用勤務
者等について、家族の問題あるいは核家族の
問題等については、
一般の家庭よりも大変困難なことがあるということですから、それに対しては特別な
措置をされるべきことだという
立場で聞いております。してないというんですから、いまのやつで大体やっておるということですから、それについてはそういう調査かと、こういうふうに思います。もう少し調査は生かしてもらいたい、こう思う。書かれた文章は特殊なケースということで出されていますから。
事例調査で特徴的なのは
長崎市の部ですが、いわゆる心の問題であります。体験による意識や思想的営為の調査は、単に肉体的
条件のみで生きていない、人間をとらえておる。人間というのは肉体的
条件のみで生きておりませんから、社会的
条件に対応する
被爆者の意識の問題は大変重要だと思います。生き残ったがゆえにむごい死を見た。むごい生き方をしなければならないということに対し、命、暮らし、心の三つの障害を平等にとらえることが、
原爆被爆者、
被害を総合的に把握するということにはならないか。同時に、このことを満たし得る
政策となっているのかどうか、私が申し上げるのは命と暮らしと心の三
条件、
医療、
生活それから
精神の三つの
条件は、個々の問題と同時に、障害は必ず相互に悪循環し、悪影響を拡大再生産するということでありますから、その解決を求めなきゃならぬと思います。とすれば、
医療、
生活などの保障と同じに心の障害を取り除く具体策を示さなければならないと思います。このことは後にも述べますけれ
ども、放射能が世代を超えて影響を与える点に大きくかかわりがあります。そして、
精神的安定とは口先で慰謝的な——慰めの
言葉で解決するんでなく、医学的に
解明される性質のものではないか。不安を除去するいわゆる医学的な
解明がなきゃならない。この種の調査は戦後三十年を経てますます
実態に迫ることが困難になっておると
考えます。必要に応じてというような場当たり策でなくて、他の
戦争被害調査とあわせて、具体的計画を急ぎ
対策をしてもらいたい。もう年がいっておりますから、そう悠長に、慎重にやっておりましたら、その
人たちは生きておらないことになるということで、この
長崎の命と暮らしと心の三
条件についてどのように定めるか。きょう質問しておるのは、命については
治療の問題で最善を尽くされることになる。暮らしについてはいろいろございまして、
国家補償の問題も含めまして
社会保障で何とかする。あと心ですが、不安を除いてあげるということは、われわれにとって大変重要なことではないかということを訴えたいんです。不安です。言っちゃいかぬ、こんなもの言っちゃいかぬ、それは心配するから、こういうことを言えば差別になるから、こういうような心配する。そんなことがない証明をどうしてつくっていくか、起こらないような
状態をどうつくるのかということが、私は
原爆被爆者援護法をつくっていく過程の一番大きな問題ではないだろうか。いまの二法に対していわゆる決定的に迫るべきことでないだろうかと思いますから、それについてお答えを願いたいと思う。