○戸
叶武君
日本の俗謡に、桃栗三年柿八年、ユズのばか実は十八年と言っていますが、私は、浅沼のしりぬぐいのために北京に行ってくれというので、安保闘争のときに、あの安保条約改定阻止の訪中代表団の団長として北京に行ってから十八年です。それから一度も北京参りはしておりません。それはそのときに十分尽くした。
いまごろ、
自民党あたりが中ソの間にいわゆる軍事条約があるじゃないかということを根掘り葉掘り、それを確めなきゃどうなんて言っているけれども、条約があっても、いまの中ソ
関係というものは、その条約は事実上において守られていないじゃないですか。
人々の心をかち取らないで条約の条文によってその国の
人民なり
政府を縛ることはできないという実例は、これによっても明らかなんです。
外交も
政治も生きているんです。
日本も日米間における安保条約があるからといって警戒されているけれども、野党いまだ健全にして、安保条約によって
戦争に介入するようなことがあっては大変だというブレーキをかけておるからこそ、安保条約において
国民が心配するような
戦争への
方向を食いとめているんです。
政府も、この
国民の心、野党の抵抗というものを十分
考えて、
成田あたりの問題でもあのような騒ぎであるので、国を挙げての
禍乱を招いては大変だというので一応自重しているのでありましょうが、しかしながら、
外交の
基本ともなるべきところの
日本の
平和憲法に対して、みずからこの改正を叫び、この混乱のどさくさに危機に乗じて軍備を拡大し、そうして自衛力増大と称して国の保衛、それを強くしなければ戸締まりができないなどと言って、中には気違いになって三島のように死んでしまうやつもいますが、こういう病的な
状態のもとにおいて
世界の人を説得できますか。われわれ
日本国民が
平和憲法を守る一貫した
姿勢がなくして、軍備に頼るよりも
世界における平和共在の理念に、軍縮の前進に、核兵器の廃棄に、そういうものに先頭に立って全力で闘うという
姿勢が
政府にできない限りにおいては、
日本というのは言ってることとやってることが違うということになってしまって、だれの信頼も得られないんです。
いまごろ、へなちょこな軍備を増大したからといって、
アメリカの先兵たり得るかもしれないが、
日本の安全が保てますか。
アメリカや
ソ連は
戦争はしません。ばかげた火中のクリを拾うんじゃなくて、アジアにおけるベトナム的な、
中近東におけるところのあの騒乱のような中に軍備を充実させて入るというような
方向づけをやったならば、何のかんばせあってわれわれがあれだけの
戦争における犠牲者、天皇みずからも泣いて再び
戦争はやらないという誓いを立てて勅語まで出しているじゃありませんか。
憲法改正、再軍備即天皇に対しては
責任を持って
世界の笑い物になれというのと同じです。こういうばかげた非論理的論理が現実政策として依然として
自民党で唱えられているというのは、少なくとも明日に対する
方向づけをやる
政党としては無資格であることをみずから暴露しているものであって、せめて
園田外務大臣が言ったような理念の上に立って、日中
平和条約の実践を通じて諸外国も、なるほど
日本は
日本だけでなく
中国と若干
意見が異なるけれども、
中国も
ソ連に対する怒り、憎しみは憎しみとして、それを乗り越えて、
一つのアジアにおける安定勢力となり、
世界に範を示そうという
方向づけをやったとするならば、
世界の
発展途上国は挙げて、われわれと同じように、
平和共存の道の
方向づけのために全力を挙げて私は協力してくれると思うんです。夢想じゃありません。
アメリカでも
ソ連でも
世界から孤立してどこにその国の存在の意義があるんですか。
世界が愚昧にしていまだ
アメリカなり
ソ連の
覇権主眼というものにおびえているから、
本当のことを言わないから、反省がないのです。
どうぞそういう
意味において、この間、モスクワでやったことは
園田さんの腹芸だけじゃなく、それだけの信念を持って
日中平和友好条約をつくるというのでなけりゃだめで、それでも言うことを聞かない人は分離しなさい、
憲法改正派、
戦争への道、ファシスト集団。
自民党というかさをかぶっているから、世間ではまだ最右翼のわからずやの集団だと認めてないからでかいことを言っているけれども、
自民党から放ってやってごらんなさい。ヒトラーでもムッソリーニでもヒンデンブルク
あたりが妥協したからあのようにのさばっちまったんです。今日のファシズムの風潮は恐るべきものがあります。命知らずの極左の破壊分子を恐れるけれども、あれを口実としてイタリアにおいてもフランスにおいてもあるいはドイツにおいても、第二次
世界戦争を誘発させるだけのファシズムの台頭を許したのは、国会における議会勢力がみずからの
責任において
戦争を食いとめる能力を持たなかったからであるので、いまその危機に
日本はあると思うんであります。
われわれ社会党も反省しなけりゃならない点は反省するけれども、いまの
自民党のぶざまな
体制を見ておったならば、一日中
平和条約の問題ではない、
日本を再び
戦争の
禍乱に陥れるような
方向づけをやっている徒輩に――あえて徒輩と言う。あなたは
自民党を侮辱されちゃ困ると言うかもしれないが、世間は皆侮辱している。侮辱しなくってももう信頼感を失っている。
政治は、
国民に信頼されないような
政党の存在価値はないのであって、
日中平和友好条約に賛成か反対かの
国民投票あるいは選挙においてそれを戦うならば、
自民党の
一つ二つはぶっつぶしても
日本の性根を入れる上において絶好の試練のチャンスだと思うので、遠慮会釈もない、
自民党を二つに割りなさい。堂々の論議をやって、論議を尽くして、それに応じないで
憲法改正、再軍備、
台湾、
韓国と仲よくというのはそのうちにおだぶつしますから。歴史の運行に対して一寸先もわからないような徒輩に
日本の
運命をゆだねることはできない。
私は
福田さんに早くお目見えして、あなただけじゃ、どうも間接的でもって空気が抜けちゃうから、
福田さんに、やっぱり上州っ子だから幾らか赤城の山のあの風は身にしみているだろうから、やはり私はこんなような
状態、
国民がみんな心配している、
成田の問題だけじゃないです、
成田にはまだ不動さんがいるから何とかするでしょう。私はいまの
政党のこの
状態、これを黙視していくところの野党の
状態、これを私は
本当に
国民は憂えておると思うのです。そうでなくて、あの属僚を
相手に
外交的な末節論の揚げ足取りをやっていたのでは、そのうちに国はおだぶつしてしまいますよ。徳川崩壊期における
日本の
外交でも、松平石見守なりあの竹内下野守なり、文久二年ペテルスブルクに行って五十度の線を通じての樺太の問題を論じたときでも、崩壊すべき幕府の
外交官でも堂々としてロシアの天文台に行って、そこに掲げている地図をイギリス製であるが示して、このように万国が南樺太以南は
日本領であるということを明示しているじゃないかと言って、具体的な事例をひっ提げて
ソ連側とも論議を尽くしているのであります。ちょんまげを結い、崩壊期の徳川幕府においても、
外交官というのはこれぐらいの
日本人である以上は土性っ骨を持ったやつがいるんです。
いま、
政党といい、あるいは
外交官といい、
外交官もいままではおおむね
アメリカの方ばかり向いて、
アメリカの方へ行って
外交官として活躍した方がいいというので、
ソ連を向いているやつは余りいなかった。しかし、個人の趣味や栄達じゃない。いやだと思っても、
ソ連に対してもあるいは
中国に対しても、みずから一国の
運命を打開するためにそこで命を捨ててもよいと、それだけの覚悟ができた以外には、もう
外交官もよしてもらうようにして、
政治家もよしてもらうようにして、つまらぬ論議で小田原評議をやっていたのでは、
成田の例がいい例じゃありませんか、何のために警官を動員したんです。ここに抜けられますという穴がありと、全く昔の赤線じゃあるまいし、抜けられますというような穴もふさぐことができないというのは全くあな恐ろしい末世的な
時代でありますが、こういう形で、私は、これは笑い事じゃありませんよ、
成田の例は不動さんがやはり教えたんです。不動というのは不動の
姿勢です。不動の
姿勢です。これだけの紅蓮をかぶっても不動の
姿勢をもって
方向づけなければ平和は確保できないのです。武力がなければ平和が保てないなどというのは
時代おくれなんで、いつでも、
福田内閣なり
自民党がもうてこずってしまったから
ソ連と
中国の
外交はやめだと言うならば、野党が全部引き受けてみごとに問題を解決してみせますから。こういうまごまごしたことをやっていられるとなめられるばかりであって、いい悪いの問題で民族が
相手から軽べつせられて、なめられるということになったら、もう収拾がつかなくなるんです。
どうぞそういう
意味において、あなたは
ソ連の方には当分行かないかと思うんですが、今度、きょうの
新聞によると、ずうっとポーランドからヨーロッパを歩いてくるといいますが、ああいう大体
日程ですか。