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1978-04-28 第84回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十三年四月二十八日(金曜日)    午後三時四分開会     ―――――――――――――    委員異動  四月二十八日     辞任         補欠選任      植木 光教君     竹内  潔君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         岡田  広君     理 事                 志村 愛子君                 相沢 武彦君     委 員                 伊江 朝雄君                 大鷹 淑子君                 北  修二君                 竹内  潔君                 堀江 正夫君                 増岡 康治君                 川村 清一君                 二宮 文造君                 下田 京子君    国務大臣        外 務 大 臣  園田  直君        国 務 大 臣        (総理府総務長        官)      稻村左四郎君    政府委員        外務省欧亜局長  宮澤  泰君        水産庁次長    恩田 幸雄君    事務局側        常任委員会専門        員        伊藤  保君        常任委員会専門        員        山本 義彰君    説明員        総理府北方対策        本部審議官    永山 貞則君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件沖繩及び北方問題に関しての対策樹立に関する  調査  (北方領土問題に関する件)  (墓参に関する件)  (サハリン残留邦人等の帰還問題に関する件)  (貝殻島周辺のコンブ漁に関する件)     ―――――――――――――
  2. 岡田広

    委員長岡田広君) ただいまから沖繩及び北方問題に関する特別委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  本日、植木光教君が委員を辞任され、その補欠として竹内潔君が選任されました。     ―――――――――――――
  3. 岡田広

    委員長岡田広君) 沖繩及び北方問題に関しての対策樹立に関する調査中、北方問題に関する件を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  4. 川村清一

    川村清一君 私は、さきに外務大臣が当委員会において説明されました、第八十四回国会沖繩及び北方問題に関する特別委員会における園田外務大臣による外務省所管事項説明、これを中心にして若干御質問申し上げたいんですが、最初申し上げたいのは、歴代外務大臣の当沖繩及び北方問題に関する特別委員会に対する姿勢について、私の意見を述べて、大臣の御見解を承りたいと思うわけであります。  自分のことを言ってはなはだ恐縮でございますが、私は、この委員会ができました当初から一貫してこの委員会に所属しております。ほかの特別委員会に一度も行ったことがございません。したがいまして沖繩復帰以前にもう数回沖繩へ行っておりますし、いま問題になっております尖閣列島問題等につきましても、実は、私、七〇年の八月十日、当委員会において当時の愛知外務大臣に対して質問いたしました。恐らく国会において尖閣列島問題が議論されたのはこの私が質問したのが最初でなかったかと自分は思っておるわけであります。それから沖繩復帰されたあの沖繩国会におきましては私は理事などもやっておりまして、復帰に関する法律案に対して、社会党を代表して本会議質問をしております。  また、私は、御案内のように、北海道出身でございますから、北方領土の問題につきましては特段の関心を持っております。したがいまして、国会に出てまいりましてから、昭和四十四年の当時佐藤内閣時代でございますが、佐藤総理を初め関係閣僚に、そうして昭和四十八年、田中内閣時代でありますが、田中総理を初め関係閣僚に対しまして、予算委員会総括質問のほとんどの時間を費やして、北方領土の問題についていろいろ議論をいたしております。  こういう経歴を私は持っておるんでありますが、率直に言って、歴代外務大臣はこの委員会に対してきわめて冷淡であるといいますか、軽視しておるといいますか、これは私ははっきりここで断言してはばからないものであります。私どもは、この委員会を開会するというときに、委員長に対しては、ぜひ外務大臣出席を求めてくれということを要望し続けてまいっておりますが、私の経験では、歴代外務大臣が当委員会出席いたしますのは、その会期中ただ一回であります、どの外務大臣も同じであります。しかも、その出席の時間は二時間であります、百二十分であります。それで園田外務大臣にもようやくきょう御出席いただきましたが、これまた前例に変わらず百二十分間であります。  もちろん、外務大臣がどんなにお忙しい仕事をなさっておるかということは十分承知しております。しかしながら、われわれも議員といたしまして、本会議に出るたんびに、外務省所管法律条約案件外務委員会委員長報告によって採決しておるわけでありまして、あれだけの法案が外務委員会では審議されておる。それで外務委員会審議にはもちろん外務大臣はその都度御出席されておるものと思うわけであります。そのように外務委員会出席される大臣が、もちろん毎回来てくれなんていうことを言うのではありませんが、少なくともこの八十四国会において――いま委員部の方へこの委員会を何回開いたかと聞きましたら、五回だと言う。五回のうちたった一回であります、しかも二時間であります。どの外務大臣もそうであります。これは本当にこの委員会を重視しておるのかどうか、これはわかりませんね。  というのは、なぜこんなことを私が申し上げるかというと、北方領土の問題などは、これは総務長官あるいは北方対策本部長、あるいは官僚の方々相手にして議論したところで、これはどうにもならない問題です。全部これは政治論議であります。外務大臣とでなければ、北方領土の問題を話ししたって、これは何にも話すかいがないわけであります。役人に何を聞いたって、これはわかりっこないんです。  それからまた、沖繩問題でもそうではないですか。もちろん沖繩振興開発あるいは沖繩県民の福祉の向上、産業の発展であるとか、そういうもろもろ問題等につきましては、これは総務長官なり開発庁長官に対していろいろ質問し議論することができます。しかしながら、沖繩問題だって、一番の問題は何ですか、基本的な問題は何ですか。これは沖繩復帰国会でもってさんざん論議されたところの米軍基地の問題でしょう。米軍基地、これを完全に撤去せいというようなことはなかなかむずかしいことで、それまでは私も申し上げませんが、とにかく県民の要望にこたえて、少しでもこの施設なり区域というものを縮小して、沖繩米軍基地県民の産業開発なり、その他のもろもろ県民の生活を向上、安定させるために用いていく。この基地問題を解決せずして沖繩の本来の基本的な問題は解決ができないということを私は最初から考えておりますし、いまも変わっておりません。恐らく総務長官もそう考えていらっしゃるのではないかと私は思います。しかしながら、この基地問題を幾ら総務長官と論議したって、これはらちが明きません。これはやっぱり外交折衝によってやっていくよりしようがないんだから、外務大臣に対していろいろわれわれが質疑をし、そして外務大臣にこの問題解決のために努力してもらわなければ解決できない問題ではないですか。  ですから、われわれは、沖繩の問題にしても北方の問題にしても、根本的に解決するためには、どうしても外務大臣といろいろお話し合いをし、外務大臣に御苦労を願わなければならない、こういう立場外務大臣出席委員長を通じて要望し続けておるわけでありますが、先ほどから申し上げましたように、歴代外務大臣がきわめて冷淡であります。私はそう思っておるんでありますが、きょう初めて大臣の御出席をいただいて大臣に物を言う機会が与えられましたので、いま一言申し上げたわけでありますが、この私の意見に対して大臣の率直な御見解をまず承りたいと存じます。
  5. 園田直

    国務大臣園田直君) ただいま当委員会における強い信念と真摯な御発言をいただきまして感銘をいたし、敬意を表します。  外務大臣並びに外務省の本委員会に対する姿勢についての御注意は、弁解はいたさず、それをまじめに拝承して今後十分注意するつもりでございますから、どうか今後ともよろしく御叱責、御指導を賜らんことをお願いをいたします。
  6. 川村清一

    川村清一君 外務大臣から率直な、また誠意あるそういうお言葉をいただきまして私も感謝しております。どうかひとつそういうふうなお気持ちで今後とも当委員会に対して御出席を願いたいと思います。  そこで、その一つのあらわれなんですが、この説明書の五ページに大臣はこういうことをおっしゃっているわけであります。   私は、領土問題は今後ともあくまで粘り強く  話し合いを重ねていくことによって解決しなけ  ればならないとの決意を固めております。この  ためにも北方領土問題に関する日本国民の総意  をいよいよ明確にすることが重要であります。   この意味からも国会、なかんずく当委員会よ  り従前にも増して活発な御指導と力強い御支援  を賜りたいと思います。と書いてある。  こうおっしゃっている大臣が、一月の八日に訪ソされて、帰国されてから一度もこの当委員会に出て、そしてその経過などを報告したことがないではありませんか。訪ソされ日ソ交渉をされて、領土問題でいろいろ話し合った、それがこういう経過を経て結論的にこうなりましたと一言報告もせずにおいて「なかんずく当委員会より従前にも増して活発な御指導と力強い御支援を賜りたいと思います。」何のことですか、これ。考えていらっしゃること、言っていらっしゃることとやることが全然違っているじゃありませんか。こういう姿勢で「当委員会より従前にも増して活発な御指導と力強い御支援を」私たちはしようと思ったって、やりようがないではありませんか。もう一度御見解を表明してください。
  7. 園田直

    国務大臣園田直君) 先ほど申し上げましたとおりでありまして、領土問題に対する熱情と意欲だけはいろいろ考えておるところでありますが、当委員会に対し出席をし報告をし御指導を受けるということがなかったことはおわびを申し上げます。
  8. 川村清一

    川村清一君 それでは、いささか内容について御質問いたしますが、その前に、総務長官一言ちょっとお尋ねします。  あなたは、外務大臣がお帰りになってから、総務長官として北方領土視察のために北海道根室地方においでになられたことがございますね。
  9. 稻村佐近四郎

    国務大臣稻村左四郎君) 一月十八日、洋上視察をいたしました。
  10. 川村清一

    川村清一君 その節、私もあなたから直接聞いたお言葉でありませんので、いまどうとかこうとかいうあれはないのですが、新聞報道で承知したところによりますれば、総務長官北海道へ行かれまして、そして根室地方の住民、特に引き揚げ者の方々等に、外務大臣が訪ソしてお帰りになってからのお話を聞いた、そのお話によれば、五年以内といいますか、には北方領土が返還されるめどがついたとか、あるいは外務大臣はそういう感触を得られて帰国されたとかといったような御発言をなさっておるようでありますが、これは事実でございますか。
  11. 稻村佐近四郎

    国務大臣稻村左四郎君) 私は、外務大臣の帰国のときに、羽田の飛行場にお出迎えに参上いたしました。そのときに、外務大臣北方領土に関する発言の部分だけを私は受けとめたわけであります。それは北方領土に対しては大変厳しい、しかしながら、われわれが粘り強くこの運動を展開していくならば、粘り強く外交交渉を進めていくならば、私は厚い壁ではない、こういう外務大臣発言であり、一つめどとしてそういったことが言われたものと、私はそのことをそのまま率直に現地の方々にお伝えしたということであります。
  12. 川村清一

    川村清一君 一つめどというようないま御答弁があったのですが、私は、いわゆる五年のめどということをおっしゃったかどうかということです。
  13. 稻村佐近四郎

    国務大臣稻村左四郎君) これは五年という、そういうことでなく、いま申し上げたように、外務大臣発言内容というのは大変厳しい、むずかしいが、しかしながら、粘り強くあるいは世論を盛り上げることによって、私はその壁は厚いとは思わないという、こういう外務大臣発言でありました。そのときに、めどとか、そういうことでなく、やはり運動展開一つの方法として五年という言葉外務大臣から言われたのではないか、こういうふうに私は受けとめたわけであります。
  14. 川村清一

    川村清一君 それじゃ外務大臣にお尋ねします。  いま総務長官のおっしゃったこと、これは私は北海道新聞を見て承知したんで、五年ということは、これはどういう点から外務大臣は五年という感触を言われたのか、それとも向こうが五年ということを言ったのか、これは外務大臣がそう言ったということを総務長官がおっしゃっているわけですから、今度は御本人の外務大臣からそれをお聞きいたしたいと思います。
  15. 園田直

    国務大臣園田直君) モスコーから帰りまして、新聞等でそういうことが書かれましたが、記者会見記者懇談会で言ったわけではなくて、私の身近な人からお出迎えを受けたわけであります。そのとき二、三分のお礼の言葉を申し述べました。その中で、領土問題は意見が食い違って、これは非常に厳しい、しかしながら決して不可能なものではありません。国民世論が団結をし、不変のものであるならば、未来永劫これはできないということではない。いろいろ考えてやるならば、必ずこれが実現をする時期が来ると思う、四年、五年という数字は言えないけれどもと。こういうところが五年という数字になったわけであります。
  16. 川村清一

    川村清一君 外務大臣お話お話としてわかるわけであります。総務長官はどう受けとめられたのか、その五年というその五年が、やっぱりこれは道民には本当にすごく響いているわけでありまして、五年とあなたがおっしゃったその五年のめどというものを、大体、わが外務大臣がおっしゃったんだから当てにしておっていいと道民が思っておっても結構なんですか。ここは大事なところですから、もう一度御答弁願います。
  17. 園田直

    国務大臣園田直君) 相手のあることでありますから、五年とか四年とかという数字を切って、何年以内に実現できますということは、これは申し上げられないと思うわけでありますが、私自身としては、いま当面の中国との問題が片づけば、あとは全力を挙げてソ連に対し多様多面友好関係を進めていきつつ、多様の面から領土問題に対する運動を進めていきたいと考えておるわけでございます。
  18. 川村清一

    川村清一君 率直に言って、総務長官外務大臣お話を聞くと、そういうような話でございますので、あなたは少し早とちりしてそういうことをおっしゃったんではないかと思いますが、これは決してあなたを非難しているわけじゃありませんが、新聞に五年というのが大きく出ますというと、これは一般の人は五年と頭に入ってしまいまして、大変なやっぱり影響があり、また五年というものに大きな期待を持っていますから、発言については、非常にデリケートな重大な問題ですから、御注意あってしかるべきでないかということだけちょっと申し上げておきます。  そこで、外務大臣にお尋ねしますが、この中に書いてあるのですが、グロムイコ大臣は、日ソ関係を一層発展させるために善隣協力条約締結が必要であると述べ、同条約の案文を提出した。これに対して、外務大臣は、日ソ平和条約締結こそ先決であり、右なくしては善隣協力案も全く検討する立場にないので、儀礼上単に預かっておく旨を明瞭に述べた上で、一応預かった。そして日ソ平和条約についての日本側考え方骨子を書いた文書を先方に手交いたした。グロムイコ大臣は、ソ連側としては預かるが、検討対象とはしない旨を述べましたと、こう書いてある。  ですから、向こうの方は、善隣協力条約案なるものをこちらに渡した。これは検討する必要もないので、しかし儀礼上預かりますと、持ち返って外務省の金庫の中に入っている。こっちからはまた日ソ平和条約について日本側考え方骨子を書いた文書を渡した。向こうの方も、これは預かるが、検討対象にはしないと述べた。両方出し合って終わったわけでありますが、このことに対して、これまた御承知のように、自民党員であって元農林大臣をされて、現在、日ソ親善協会会長をされておる赤城宗徳氏の見解が朝日新聞だったと思いますが、新聞紙上に報道されております。また日ソ親善協会機関紙にも出ております。で赤城さんのこの提案は大臣もお読みになったと思うのでありますが、この赤城さんの御見解に対しましては、園田外務大臣はどういう御見解をお持ちになっていらっしゃいますか。
  19. 園田直

    国務大臣園田直君) 政府としては、日ソ友好関係を本当に安定をさせ、未来に向かって築くためには、四島の問題が解決をすることが前提条件であるという方針はいまでも一つも変わっておりませんので、赤城会長論文には賛成いたしかねるところでございます。
  20. 川村清一

    川村清一君 赤城さんのこの御意見はお読みになられましたか。
  21. 園田直

    国務大臣園田直君) 拝見をいたしましたが、その中で特に私が意見が違うところは、政府は領土問題を解決することが前提条件である、こういうことでありますが、赤城会長論文の第一は、これをやって、領土問題解決のきっかけとしろと、こういう趣旨のことが書いてあるようでございまして、この点が全然賛成できないところでございます。
  22. 川村清一

    川村清一君 私もどっちがいいとか悪いとか意見は全然述べていないのです。しかし、やはり赤城さんはいまこそ国会に席を置いていらっしゃらないようでありますが、農林大臣までやられた方であり、特にこの日ソ親善友好運動には先頭に立っていろいろ活躍されている方でありますので、自民党の大物の一人だろうと私は思うわけでありますが、そこで政府見解が非常に違うと。  それで二つお尋ねしますが、こちらの方から向こうに出しました日ソ平和条約に対するいわゆる考え方骨子、それは国会のわれわれの方には提出していただけないのかどうかということが一点。  それからソ連友好条約の方は、これは一方的に向こうが公表してしまったわけですね。これはいいか悪いか、国際礼儀上、その辺は私も素人でわかりませんが、しかし、赤城さんのおっしゃっているここだけがちょっと気にかかるんですが、これに対する御見解をお尋ねいたします。いろいろたくさん書いてあるんですが、赤城さんは「しかし今日の状態では日ソ間で平和条約締結交渉の機運は全くなく、日本側として完全な手詰まりといわざるを得ない。もしこのまま放置しておくならば、領土問題は半永久的に未解決のまま、放置する結果になることをも思いをいたし、政府は再考をすべきではないか。」というようなことが書かれておるわけでありますが、このくだりの赤城さんの御見解に対して、そうじゃない、こうだという政府側の反論があれば、ひとつお聞かせいただきたいと思うんです。
  23. 園田直

    国務大臣園田直君) 赤城会長意見と全く違っておりまして、領土問題をたな上げして条約を結ぶならば、それこそ領土問題の解決に対してはソ連邦は今後応ずることなく、半永久にこの問題は現在のまま放置されるという心配の方が大きいわけで、私の解釈が正しいか、赤城会長解釈が正しいか、これは別個の問題でありますが、私はそのように考えております。  なお、書類については事務当局からお答えさせます。
  24. 宮澤泰

    政府委員宮澤泰君) ただいま御質問の第一点につきまして、日本側の出しました文書外交文書といたしまして、私どもといたしましては、これをもとに平和条約交渉いたすべきものと考えておりますので、公表は差し控えさしていただきたいと存じます。
  25. 川村清一

    川村清一君 私は、どっちがいいとか悪いとかということを議論しているわけではありません。そこで、政府見解赤城さんの見解が一体どう違うのかと。  いわゆる領土問題を解決せずして平和条約締結はあり得ない、これは私も全く同感であります。しかし、領土問題を解決するためには平和条約平和条約締結するためにはやっぱり話し合い。この報告書の中にも「私より平和条約交渉はこれを継続するとの合意を重ねて確認した次第」ですと、こう書いてある。だから、平和条約交渉は今後とも継続する。それから赤城さんが言っているこの見解の中でも、それから公表された善隣協力条約草案なるものを読んでみますというと「平和条約締結交渉を継続する意図を確認し、」とこう書いているんですが、ですから、平和条約締結する交渉を切るのじゃなくて、これを継続する意図は確認しと、いわゆる平和条約締結交渉はこれからも進めていくということをソ連側も言っている。それから大臣のこの文書の中にも「私より平和条約交渉はこれを継続するとの合意を重ねて確認した」と、両方とも平和条約締結交渉は進めるということを言っているのでありますが、その辺は赤城さんの見解とは、先ほどのお話では、日本政府北方領土の返還なくして平和条約はない。まことにそのとおり、これは同感ですよ。しかし、平和条約締結するためにはやっぱり交渉を継続するわけでしょう。この交渉を継続するというのは両方ともちゃんと書いているんですが、この辺はどうなんですか。
  26. 園田直

    国務大臣園田直君) 平和条約交渉を継続するということは、向こう合意をしておりまするし、その会談を今年中に東京でやりたいという時期、場所まで申し入れているわけであります。グロムイコ外務大臣は、これには同意をいたしましたが、時期については、まだいつだという同意をいたさないわけでございます。  そこで、交渉継続ということについては赤城会長意見も私の意見も同じだということでありますが、われわれの意見の違いというのは、いわゆる領土問題をたな上げにして友好協力条約両方検討して、意見を合わしてやったとすれば、その後は領土問題以外は両方の国で結ぶべきことはないわけでありますから、これはほとんど領土問題だけ残して条約を結ぶ、こういうことになるわけでありますから、その点を非常に心配をして同意しかねると、こういうわけであります。
  27. 川村清一

    川村清一君 その関係につきましては、時間があればまた後でお尋ねしますが、大臣は「グロムイコ大臣との間では漁業問題、経済閣僚会議墓参、未帰還邦人問題等の二国間問題及び国際情勢一般につき率直な意見交換を行いました。」と、こういうふうに御報告されておる。  そこで漁業問題、この問題につきましては、昨年の暮れ、日ソ漁業暫定協定審議いたしました外務委員会に私が出ていって、そうして園田外務大臣並びに中川農林大臣にいろいろ御質問申し上げました。そのときに、私は、あれはサケマスを抜かしてのほかの魚種協定であります、この次にはサケマスがあります。ですから、北洋漁業においてサケマス漁業というものが昨年よりもずっと落ち込むようなことになれば、サケマス漁業というのは何といっても北洋漁業の柱であるから、これはひとつ外務大臣しっかり向こうと話し合ってきてくださいということを申し上げました。大臣はやってくるということをお答えになりました。  そこで、この漁業問題というのは、そういう話をされたのではないかと思うのですが、それはいかがですかということが一点と、そうして今度中川さんが調印してきた内容というものは、昨年よりも三割減、そうして操業区域というものはもう莫大な規制をされてしまった。ことしの割り当ての四万二千五百トンというものはこの割当水域で果たしてとれるかどうかといったようなそういう状態にもなり、関係業界に大変ないま不安と動揺を与えておるわけでありますが、どんなような話をされてきたのか、これが一点。  経済閣僚会議の問題は時間がありませんからよろしいですが、墓参についてはどういうお話をされて、どういう結論を得られたのか。  それから未帰還邦人問題については、どういう話をされて、どういう結論が得られたのか。この三つについてひとつ御報告を願います。
  28. 園田直

    国務大臣園田直君) いまの三件については、グロムイコ外務大臣との間に話をしたことは事実でございます。  漁業問題については、日本の伝統と実績を尊重しつつ、日ソ友好関係立場からこれに対する御協力を願う、こういう話でありますが、具体的に区域であるとか数字とかというものはその場面の議題ではございませんでした。  墓参の問題については、これは具体的には後で外交的なルートを通じて相談しよう、こういうことでございました。  帰還とおっしゃいましたのは樺太からの帰還問題だと存じますが、この問題についても私から要請をいたしましたが、他の問題についてはよく検討しようということでありましたが、帰還問題についてはなかなか渋い返答でございまして、それは樺太に残っていらっしゃる方々の国籍の問題等も絡みまして、日本人は残っていないはずだと、こういうような返答でありましたから、重ねて押し返してこちらから要請をいたしましたが、この帰還問題については調査してみようという返答で、検討しようという返答ではございませんでした。
  29. 川村清一

    川村清一君 総務長官にお尋ねしますが、ソ連としましては、墓参の問題、これは毎年やっていらっしゃいますが、いま日本が返還を要求しておる四島のうちの大きな二つの島――国後、択捉ですね、あそこの墓参というのは向こうはなかなか認めないんですが、これらについて毎年いろいろ外交ルートを通じて折衝していることもわかりますが、あれについて一体どうするつもりか。もう全然見込みがないのか、希望者がずいぶんあると思うんですが、そういうようなことをどうつかまれておるかということ。  それから未帰還邦人の問題ですが、いま外務大臣がおっしゃったように、これは国籍の問題があるんですが、私は、昔の樺太、いまのサハリンですが、ここの墓参団に加わって、これもどこもここもと行かれないんですけれども、私どもは、昔の真岡、いまのホルムスク、それから野田、これはいまのチェホフだと思います。それから本斗、これはネベリスク、それから豊原、ユジノサハリンスク、この四カ所は行ってきたんですが、この昔の豊原、いまのユジノサハリンスク、あそこにはりっぱな日本人のお墓があるわけです。そしてわれわれ墓参団はお寺さんを連れて、いろいろお供え物なんかも持っていって、その墓前でお経を上げてくるんですが、たくさんの日本人の方が集まってくるんです。そうしてお経の本なんかを持っていって一緒にお経を上げてくるんです。ずいぶんたくさんいる。そうして帰りたがっているんです。そうして帰れないものだから、私どもに何県のどこの町にはうちの妹がいるとか、あるいは親がいるとか兄弟がいるとかといったようなことでいろいろ言づけしてくれなんて言われているんですが、もう非常に帰りたがっています。  それから、いま韓国になるのかそれとも北朝鮮の方の方かわかりませんけれども、昔の朝鮮の人です。この方々がたくさんいるわけなんですが、帰りたがっているんですが、こういうような方々ですね、自分の母国に帰りたいわけですから、人道上からもできるだけ帰れるような措置をしてやることがよろしいんでないかということをつくづく感じてきておるわけであります。これは総理府としてはこれらの問題について力を入れて努力されてきておるわけですか、どうですか。それから、どのくらいそういう方々がいらっしゃるか、そういう人数なんというものを調査されて確認されておるのかどうか、その辺について総理府のひとつお考えを説明してください。
  30. 永山貞則

    説明員(永山貞則君) ちょっと事務的に先にお答えさしていただきます。  樺太の未帰還邦人の問題は、実は、行政的には総理府の担当は北方四島を担当しておりますので、うちの方で直接扱っておりませんが、その点はまた外務省と相談していろいろ検討したいと思います。  それからもう一つは、先ほどの墓参の問題でございますが、先ほど択捉、国後は認められていないというお話でございましたが、国後はかつて認められた実績はございます。択捉はおっしゃるとおりまだ一度も行ったことはございません。それから現在中断になっておりますが、御承知のように、昭和五十一年には従来の身分証明書で行かしていたのを旅券とビザを取るということで、そこで中断したままになっているというのが現状でございます。
  31. 川村清一

    川村清一君 時間がありませんからもう終わりますが、いまの御答弁によって、確かに国後はずっと前は認めておりましたが、その後全然認められておりません。択捉は全然認められておりません。あの島二つは大きな島ですから、あそこから引き揚げた人は非常にたくさんいるわけですわ。それで肉親のお墓があるわけですから、何とかあれが実現されるように。それから前は旅券がなくても行けたのが、今度は旅券が出なければ行けないといったようなこと、そういうような規制もされておるわけですね、そういうような問題の解決。  それから、先ほど申し上げましたが、これは総理府の所管でないと言うから仕方がありませんが、事実は、そういう方がたくさんいらっしゃるということを外務大臣ひとつ御認識いただいて、こういう気の毒な方々は本当に帰りたがっているわけですわ、一度あそこへ行っていただきたいです。それはもうたくさんホテルなんかへいっぱい来ますよ、日本の方々が。それで朝鮮の方々と結婚して残っている御婦人の方がいっぱいいるわけですよ。そうして帰ったらああしてくれこうしてくれと言って、われわれが行くとなつかしがってたくさん集まってきておるという、こういう実態ですから、そういう方々をいわゆる故国へ帰れるような処置をひとつ今後やっていただきたい。  それで、こういうような話をいろいろ議論をできるような機会をまた再び大臣に申し上げて、この委員会に余りいやがらないで出てきて、こういうお話をする、そういう時間をとってくださいますことを重ねて要望して、私の質問を終わります。
  32. 北修二

    ○北修二君 外務大臣並びに総務長官北方の諸般の問題について御質問をさせていただきたい、かように存ずる次第であります。  まず第一に、基本的なことからお聞きをいたしたい、かように存ずる次第であります。  先ほど川村さんからもお話がありましたが、私は、同じ北海道出身であります。特にソビエトには四年抑留をされてまいりました。あらゆるところを歩いてまいりまして、自分ではソビエトの諸般の問題については十分覚えておる、こういうように思っておるわけであります。さて、一番問題になりますのは、領土の問題であります。この領土の問題を北方領土と言うが、われわれの復帰してもらいたい北方領土、これについてどういうような御見解外務大臣は持っておられるか。  われわれは北海道におりますから歴史はよく存じておるわけであります。御承知のように、一六七五年、寛永十七、八年かと思いますが、松前藩があそこを統治し始めて他の国は一度も入ったことがない。そして御案内のように小学校あるいは国民学校もあり、明治からずっと今日に至るまで実は日本の領土であった、こういうようにわれわれは理解をいたす次第であります。特に九月の二十日以後かと思いますが、終戦時の二十九日ぐらい、ソビエトに追い払われて、中には銃殺をされた者もいて、そして命からがら逃げてきた、こういうのが現況であるわけであります。こういう歴史的にも日本の領土である、にもかかわらず、いまだに帰ってこないわけでございますが、外務大臣北方領土というのはどこを指して北方領土と言うのか、その点ひとつ明確にお答えを願いたいと思います。
  33. 宮澤泰

    政府委員宮澤泰君) 私ども北方領土と便宜上称しまして返還を要求しておりますものは歯舞群島、色丹島、国後、択捉を便宜上四島と称しておりますが、この島々でございます。
  34. 北修二

    ○北修二君 この北方領土の問題につきましては、先ほどから御議論がありますとおり、非常にむずかしいわけであります。  御案内のように、いままでの歴史をこうずっと顧みますと、カイロ宣言がございますね、あるいはヤルタ協定あるいはポツダム宣言、それにサンフランシスコ条約日ソ共同宣言、これは三十一年でございますが、それにグロムイコの覚書、さらにフルシチョフの覚書、愛知・コスイギンの会談、日ソ共同声明――日ソ共同声明については四度ぐらいあるわけでありまして、たまたま現大臣が行かれたときには、こういう声明あるいは覚書あるいはコミュニケというものは発表をしなかった。こういう経過をずっと、中身は一つ一つあるわけでございますが、いまさらここで議論をしなくても十分おわかりのことと思いますが、相当後退をしてきたんではないか、あるいは相手が強硬になってきたんでないか、こういうように思うわけでございます。  先ほども社会党の先生からお話がありましたが、どうも大臣怠慢でないかというようなおしかりもあったようですが、サンフランシスコ条約の吉田元総理も本当に心から北方領土、この四島について訴えておるわけですね。千島ではないと、こう言って訴えておるわけであります。その後、いろいろ担当大臣は本当に熱意を持って努力をしておるが、相手に全然反応がない、こういうように感じるわけでございます。先ほども何か五年とか四年とか、いや近く返るであろうという印象を受けたというようなお話もありましたが、見通しですね、今後の方針といいますか、どうやったらこの領土が復帰するのか。沖繩を見ても、あれは佐藤総理がアメリカと本当に話し合って、そして両者で理解のもとに解決をした。しかし、北方領土はそう右から左へ簡単にいかないんじゃないだろうか。どうしたらこの北方領土が返るであろうか、この点について、外務大臣、本当に北海道の引き上げ者あるいは島民の気持ちになってひとつお答えを願いたい、かように思います。
  35. 園田直

    国務大臣園田直君) 北方四島がわが国固有の領土であるということはいまおっしゃったとおりでございまして、これは明らかな事実であります。しかし、ソ連邦の不法なる軍事占拠によってただいま占拠されておるわけであります。これについて、わが方の主帳は終始一貫しておりまして、一歩も後退いたしておりません。相手側のソ連邦のこれに対する言い分が逐次変わってきたことは御承知のとおりでございます。  そこで、私は、この前、モスコーに行きましたときには、ほとんどこの領土問題にしぼってどの会談も、コスイギン総理との会談も、最後のお別れの宴会のときさえも国際慣例の儀礼を顧みず私は主張してきたわけでありますが、向こうとしてはこの問題に、議題に乗ってこようといたしません。そこでこの両方立場は相当隔たりがある。あるけれども、私は、だんだんあちらからつつき、こちらから話すうちに、日本国民が団結をして不変の方針で臨むならば、これは決して不可能の問題ではない。  日本とソ連の間には、領土問題以外は、共通の利害は相当あるわけであります。経済閣僚会議その他の問題を出しましたのも、これは日本の立場よりもソ連の方の立場からそういうことを望んでいるわけでありますから、私は多様面に友好関係を進めていき、相互理解を詰めつつ、微妙な言葉ではありますが、歯舞、色丹以外の特に択捉、こういうものはいま現在ソ連がどういうふうに使っているか、こういう現実もながめながら根気強く話していくならば決してこれは不可能の問題ではない、いつの日にか解決できる、こういう私の希望と決意を表明した次第でございます。したがって何年以内にどうなるかということは言えませんが、私は、いまのような方針で粘り強く、しかもソ連と日本のいろんな利害関係等を考えながら理解を深めていけば決して不可能ではない、こういうように考えております。
  36. 北修二

    ○北修二君 外務大臣の気持ちはよくわかるわけですが、北海道の島民としては、いつの日かというのは百年なのか二百年なのか、これが実は不安なわけです。いまより早く返ってほしいわけですね。ある程度国の、こういう方法によってめどは少なくともこのぐらいだ、十年だ、二十年だ、こういうことは言われませんでしょうかね、いかがでございましょう。ある程度の、百年、二百年なのか、当分の間なのか、近い問なのか、そこらあたりはどうですか、感触としてお答え願いたい。
  37. 園田直

    国務大臣園田直君) 北海道方々のお気持ちも十分わかりますし、特に現に漁業問題その他の問題では、わが身に非常な問題が起こっておるにもかかわらず、私が行くときにも、四島の島だけは譲るな、こういう国家的見地から言われた、その心の底に横たわっておる北海道民の方並びにただいま質問される北先生の御意向も十分わかるところでありますけれども、しかし、何年と言うわけには正直言ってまいりません。この際満足されるような答弁をしてこの場は済むかもわかりませんが、これは今後に非常に影響をする。しかし、百年とか二百年とかという半永久的なものでは断じてない。これはなるべく早く解決をしたい。希望ではありますが、何年と区切って、それ以内に片づけるということはお答えができないわけでございます。
  38. 北修二

    ○北修二君 次に、国内的な問題といたしまして、ただいま申し上げましたように、昭和二十年十二月以来、三十年余の継続的な運動を展開してきた。北海道の全部の国道には島を返せという、あるいは釧路、根室に行きますと、北方領土の問題を言わずして政治家とは言われないと非常に厳しい。町村議員からあるいは市会議員、道議員、知事に至るまで本当に真剣に努力をしてまいっておるわけでございます。しかし、いまだに返らぬということはまことに遺憾なことであります。私は、そういう意味から、北方地域から引き揚げてきた島民が一万六千七百四十五名、そのうちの七八%は北海道に住んでおるわけであります。島を返せという切実な叫びは本当に痛々しいというか、身に本当に感じるといいますかね、そういうような情勢であります。そんなことから国民世論を結集していかなければならぬ、かように考えておるわけでございますし、あわせて強力な外交交渉ということが大切なわけでございますが、沖繩返還の運動のような若干盛り上がりが国内的に足らないのではないだろうかという感じがするわけであります。  それはいま申し上げましたように、北方領土にいた方はほとんどが北海道に定住しておる、こういう関係ではないか。あわせてソビエトとアメリカとの違いということもあるかもしれませんが、いずれにいたしましても国民世論の統一を図って盛り上げていかねばならぬ、かように考えるわけでございます。政府がこういうような領土復帰に向ける決意を内外に周知、表明するためにも、ぜひ総理あるいは外務大臣に現地を視察してもらいたいものだ。先日の衆議院の沖特で外務大臣は中国の問題が解決すれば現地視察をしてもいいということを述べたようでございますが、具体的にいつごろか、この点についてお答えをちょうだいいたしたい、かように存ずる次第であります。
  39. 園田直

    国務大臣園田直君) 御意見のとおりでありまして、国民世論が団結をして一貫することはきわめて大事でありますが、ソ連交渉いたしました際にも、向こうの方では、日本の新聞を見ろと、日本の新聞は全部政府が書いているんじゃないか、こう言うわけであります。そこで、日本の新聞とあなたの方の新聞とは違う、政府の悪口を書くのが日本の新聞だ、新聞の操作などできない、これは全く国民世論だ、こういうことを言うと、国民世論と言ってもそれは政府が示唆、扇動したものだと、こういうことを言っておるわけでありまして、なおソ連新聞とか、あるいはその他の要人の言動を見ても、一部の扇動者がという言葉を絶えず使っているわけであります。  そこで、これはソ連の戦術かもわかりませんけれども、それにしても、そうではなくて本当の国民世論であるということはわからせる必要があるわけでありまして、いま総務長官が中心になって絶えず北方領土返還運動をやっておられますが、いままでのような政府が表に立ってこういう運動をやることがいいかどうかということは、これはまじめに実効を上げるためには検討すべきではないかと私は考えておるところであります。しかし、また、この世論にいたしましても、私率直に申し上げますと、これが希望なくして長引くということになりますと、どうしても漁業の問題その他の問題で、もう四つじゃなくてもいいじゃないかという声が起こってきたり、あるいは何か妥協はないのかという声が起こってくることは非常に危険でありますので、私は、特に北海道方々、この島に関係のある漁業者の方々、こういう方々のお気持ちにかわって考えましても、これは希望があるということ、やれば必ずできるんだという希望がなければ、どうも沖繩は返りそうだということで世論が巻き上がったわけでありますが、ソ連の方は返せ返せということでナシのつぶてだと、こういうことも一つの原因だと思います。  そこで、そういう意味を勘案して、総理に対して現場の声を聞け、島を見ることよりも現場の声を聞けと、こういう声が多いことはよく承っております。そこで総理にも申し上げ、総理もそういうことで検討しているわけでありますが、なかなか国会その他の用件でいままでは具体的にできなかったわけであります。私も、いまおっしゃいましたとおり、当面の問題が片づけばなるべく早くお伺いをして現地の方の声を聞き、ともに手を握って決意を固めたい、その決意で返還交渉を続けたい、こう考えておるところでございます。
  40. 北修二

    ○北修二君 外務大臣から決意のほどの、あるいは中国の問題が終わったらというお話がございました。ぜひひとつお願いをいたしたい。そして現地の声を聞いてもらいたい。  ソビエトは一部の政府の扇動だと、全くそれは違いまして、先日、中曽根総務会長が行きまして、現地へ行って島民と話をした、引き揚げ者と。あの中曽根さんが涙を流して泣いて、そうかという気持ちに本当になったということを言っておられるわけです。外務大臣もぜひそういう皆さんとお会いを願いたいものだ。決して政府の一部じゃなく、島民の本当にしんからの気持ちでありますので、この点お願いをいたす次第であります。  さて、次に、総務長官にお願いをいたしたいと思いますが、いま外務大臣からもお話がございましたが、北方領土復帰の早期実現を図るために、全国的規模で運動を推進することを目的としていま北方領土復帰期成同盟あるいは北方領土問題対策協議会が社団あるいは特殊法人として設立されて国民世論の結集に努力されておられますが、これに対しては心から感謝をいたしますが、しかし、この北方領土問題は、国民が幅広く各層にわたってこの北方領土問題についての知識、理解を深める必要があり、また世論の結集をすることが肝要とかように存ずる次第でありますが、その意味におきまして、全国都道府県あるいは地域住民に対して行っている啓発事業、それに北方関係団体の万全な啓発活動を行う必要があり、その経費について重厚な助成措置を講じ、国民全体の意識を盛り上げる必要があると思いますが、総務長官はこの点についていかにお考えになっておられますか、お答えをちょうだいいたしたいと思います。
  41. 稻村佐近四郎

    国務大臣稻村左四郎君) 総理府としましては、従来から、外交交渉を支えるという意味で精力的な啓蒙、啓発に努めてきたわけです。そこで、私がこの前参りまして特に感じましたことは、これは根室、北海道の一部の運動であってはならない。私があの切実な要求、特に厳しいあの環境の中で漁業を操業しておられるその姿をはだで感じまして、これは何としても積極的に国のすみずみまでもやはり四島一括返還というこの啓蒙活動を続けなければならないというかたい決意で私はいま臨んでおるところであります。そういう意味から全国の都道府県において北方の担当の窓口をつくっていただく。これも会合を続けたわけでありますが、大変評判がよいと承っております。また、公民館その他においても大量の印刷物等々を配布する。特に、私は、国民の一人一人が納沙布の岬の先で目で見るという、これも一つの大事なことではないか、こういうふうに考えまして、いまその運動を展開中でございます。  また、経費の問題については、もちろん北海道については交付金等々で過去いろいろ補てんをしてまいっておりましたのでございますが、今年度は特に皆さん方の大変な御協力をちょうだいいたしまして、二千万円のこれに対する費用も初めて新しく認められてきたということでございますから、運動を展開するに当たって私は大変今度の予算処置も意義のあったものではないか、こういうふうに考えております。  結論といたしまして、外交交渉をできるだけ支えるために国民的な世論の盛り上がりを全力を注いでやってまいりたい、こういうふうに考えております。
  42. 北修二

    ○北修二君 なお、この問題につきましては、小学校だとか社会教育だとか青少年教育にもぜひ入れていただいて啓蒙をしていただきたいものだ。  次に、先ほど川村さんからもお話がありましたが、墓参の問題についてお聞きをいたしたい、かように存ずる次第であります。外務大臣総務長官お二人からひとつ見解を述べていただきたい、かように存じます。時間がございませんのでなるべく早く申し上げます。  北方領土への墓参、慰霊については、多くの島民の熱烈なる要望として、政府の努力によりまして昭和三十九年に第一回の墓参団を派遣して以来、五十年まで八回の実施を見たわけでございます。しかし、御案内のように、いまは、先ほどお話がありましたように、身分証明でよかったものがパスポートと、こういうような諸般の問題がありまして、とぎれておるわけでございますね。先ほど外務大臣はソビエトとのいろいろの話で、その墓参の問題についてもお話があった、こういうように外交上でひとつぜひ努力をしたいというお話でございましたが、ぜひこれは実現をさせてもらいたいものだ。人道上の問題といたしましても、これをひとつ政府として責任を持って対応をしていただきたい、かように思うわけでございますが、外務大臣はどういうふうにこの点見通しされて皆さんの御期待に沿っていただけるか、あるいは総務長官はそれらの実現をする上で総務長官としてどういう対応をしていただけるか、時間がございませんので、以上簡潔に申し上げます。
  43. 園田直

    国務大臣園田直君) 墓参の問題については、北海道出身の議員の方々はよく御承知だと思いますけれども、いままで証明書で行っておったのが今度は旅券でなければ入れぬ、こういうことで、そこで旅券を出すと、この北方四島が日本の国ではないということを日本政府みずからが実績をつくることになる。また墓参される方々自分の子供や両親の霊に参りたいという涙の出るような気持ちでありながら、旅券までもらって行かぬでもいいという強い決意を出しておられるわけで、その両方にはさまれて外務大臣としては身の切れる思いでありますけれども、いまおっしゃいましたように人道上の問題として強く訴えていきたいと考えております。
  44. 稻村佐近四郎

    国務大臣稻村左四郎君) 私も、この前、現地に参りましたときには、何としてもことしだけは墓参をという大変強い要請を受けてまいりました。いま外務大臣が答えられましたとおりでございまして、現地といたしましてもビザ等で行くというわけにはまいらない。これはみずから認めることになる、こういうことでございますので、私といたしましては、やはり外務省を通じて、特に外務大臣にお願いをして、できるだけ今年度の墓参が実現ができるようにと連絡をとりながら、強く迫ってまいりたい、こういうように思っております。
  45. 北修二

    ○北修二君 いまこの墓参の問題は非常にむずかしいわけでございますが、ぜひ外務省はソビエト大使館等とも話して証明書で行けるような努力をさらにお願いしたい。前回パスポートを出せと言ったからもう二度と話ししないんだということでなく、粘り強くひとつお願いをいたしたい。島の人はきょうの委員会を、外務大臣総務長官に御出席いただいて、われわれが質疑をするということは聞いておるわけでございますから、行けるのでないだろうか、こういう期待を持っておるわけです。ぜひひとつ実現に向かって努力を再度希望いたしまして、私の質問を終えたいと思います。
  46. 園田直

    国務大臣園田直君) 御発言のとおりでありまして、墓参は旅券がなければだめだということではなくて、ソ連に対しても言い方を変えて、墓参を許すことが日本人が何となく抱いているソ連に対する恐怖あるいは厳しい国だという感じが、これだけのことでソ連国民に対する日本人の理解が変わってくる、人道上の立場からこれは共通する問題であるから、ぜひ許されたいということを粘り強く折衝をいたします。
  47. 相沢武彦

    ○相沢武彦君 先ほど川村委員からもお話がありましたように、沖繩及び北方問題に関する特別委員会に対する外務大臣の意欲といいますか、協力の姿勢が非常に足りないという点の指摘がありました。私も全く同感であります。どうも一国会に二時間だけ出ればいいのだというようなことが恒例化されてきているんではないか、まことに遺憾であります。今後、当委員会の、毎回要請するわけじゃありませんので、特に重要なこの北方問題に関する質疑で要請のあったときには、万難を排して当委員会に出る努力をされるように要請いたしますが、もう一回ここで御確認いたしたいと思います。
  48. 園田直

    国務大臣園田直君) 先ほども御注意とおしかりに一言も弁解しないで、十分承って今後注意すると申し上げたわけでありますが、ただ一つ、でき得れば、外務大臣は、衆参両方で一週間に四日問の外務委員会があるわけでございます。その委員会ではたくさんの法律案を抱えておる関係上どうしてもその委員会方々の御意見というものをいただかなければならぬ、こういうことでありますから、私としては決してないがしろにしておるわけではございません。ございませんからこそ、先ほどの川村先生のおしかりも一言の弁解もなしに承ったわけでありますから、どうか今後、ここへ出てこいとおっしゃる場合には、各党連絡されまして、ほかの委員会は見逃してもらってこっちへ出れるような、私の方もお願いして努力をいたしますから、そういう御援助を願えればありがたいと存ずる次第であります。おしかりはもう弁解はなしに承っておきます。
  49. 相沢武彦

    ○相沢武彦君 第五回の日ソ定期協議を終えられてから、この委員会大臣質問するのは初めてでございますので、若干お尋ねをしておきたいのです。  第五回の日ソ定期協議につきまして、一つは、共同声明が出せずに終わった、それからコスイギン首相から日ソ間に未解決の領土問題はないという強い姿勢を見せつけられた、またブレジネフ書記長との会談が実現できなかった、こういったことで挫折感いっぱいといいますか、領土問題では従前より後退したんではないか、こういう印象を私ども強く持ったわけですが、しかし、外務大臣は帰国されて、羽田での記者会見やあるいは自民党の外交調査会での発言では、意外と希望を持たせるような発言をされたんですが、実際にソ連現地での状況と帰国後の御発言とでは大変ちぐはぐなものを感じているんですけれども、第五回の外相会談というのは、過去の四回の会談と比べて、特にこの領土問題ではさらに壁が厚くなったんではないのか、こう思っておるんですが、その辺、外務大臣の御所見はいかがなんですか。
  50. 園田直

    国務大臣園田直君) 第五回の定期会議では、私は主張すべきものはいままでの数倍主張をし、しかも粘り強く折衝したつもりでございます。  共同声明が出せなかったというおしかりでございますが、これは私がここにおる宮澤欧亜局長そのほかの幹部を呼びまして、未解決の問題を解決をするという言葉が入らぬ限りは、共同声明は出さない、乗るな、向こうから相談があっても、その文字を残されて共同声明を出しますと外務大臣としての会談のかっこうはつきますけれども自分の会談の成果を上げるために、かっこうをつけるばっかりに未解決の問題という言葉が抜かれては、これは一歩後退になりますから、だとするならば、共同声明は出さないで、私一人がしかられれば済むことならば、その前の共同宣言、共同声明の中に盛られた未解決の問題を解決し、平和条約締結という言葉が依然として残っておるわけでありますから、この方が有利であると考えて、共同声明は私の方から断ったわけであります。  したがいまして、交渉の中でも、共同声明、共同宣言に盛られたことは、共同声明ではあるが、これは条約にも匹敵する二国間の約束である、これを守らないことはソ連は国際信義を守らぬということになるじゃありませんか、こういうことを言うと、向こうは黙ってしまうわけでありまして、この点は向こうもなかなか返答がしにくい。したがって領土の問題にはなるべく触れたくない、こういうことであると私は考えてまいりました。非公式にもいろいろグロムイコ外務大臣とはこの問題で話をしてきたわけでありますが、私は、率直に言いまして、この領土の問題は、ただ外交交渉で定期会談をやるとか、あるいは外務大臣が決意を表明するとか、そういうことでは実際にはなかなか片づかぬと思うわけであります。  やはり武力のない日本、そして現在の国際環境の中に包まれた日本がこの問題を本当に解決しようと思うなら、ほかのことは一切捨てて、この問題に腰を据えて取り組み、しかも、ただいま私は一生懸命やっているつもりでありますが、日中問題では仲間の方々から大分おしかりを受けておるわけでありますが、この問題も当事者の外務大臣が真剣に取り組もうと思うならば、ただ返してくれと言うだけでは返るはずはないと私は外務大臣として考えておるわけでありまして、やはりソ連が何を望んでおるか、何が一番ソ連がつらいのか、ソ連ソ連としての問題があるわけであります。そこで、そういう問題について、本当に返してくれと言うならば、国民の方からあるいはたたかれ、しかられ、踏まれ、けられしながら、四つの島だけは何とかかっこうをつけたということで仕事を進めていかなければ、私は返ってこないとひそかに考えておるわけであります。  それにしても、先ほど川村先生、北先生がおっしゃいましたように、国民世論が基礎でありますから、これもありがたいことではありますけれども、十年も二十年もほっといて果たして国民世論がこのまま続くか、これは言ってはならぬことでありますが、私は非常に心配をしておるわけであります。したがって、そこで国民も私も本当に思い込んでいろんなことを考えてやるならば、決して返ってくることは不可能じゃありませんという希望とそして私の決意を表明したわけでありまして、何年に返るということは私が言ったわけではございません。以上のことでございますので、お許しを願いたいと存じます。
  51. 相沢武彦

    ○相沢武彦君 園田外務大臣が日本の立場を強く主張されたということは十分に私どもも評価をしているわけですが、ソ連政府筋の発表によりますと、北方四島を含む南千島の長期的総合開発についてもうすでに閣議決定をしたようですし、二月のソ連学術誌「極東の諸問題」これは機関誌ですが、これに発表になりました。ソ連側北方四島占有権にだめ押しを図ったもので、大変新たに北方領土返還要求の壁になってきたんではないか、こういう見方も強いんですが、その後、政府として、さらにこの北方領土返還に対する決意を強める、あるいは交渉への具体的な戦略を練り直す、そういうような御検討はされているのでしょうか。
  52. 園田直

    国務大臣園田直君) 折に触れ、機会を求めて、公式、非公式にそういう折衝は続けております。しかし、その折衝で私は進展するものとは考えておりません。  ただ、向こうへ参りましたときに、第一回目の漁業交渉で私が官房長官のときに総理代理で参りましたときには、議論いたしましても一々反駁をしたわけでありますが、今度の定期会議交渉では、コスイギン総理もグロムイコ外務大臣も私が失礼に当たるかもわからぬぐらいの意見を言っても黙って聞いておるということであり、また経済協力あるいはサハリンの南の海底の開発等についてもわれわれは十分協力する用意がある、こういうことを言うと、グロムイコ外務大臣はなれておりますから、やわらかく返ってきますが、コスイギン首相は日本の援助をかりなくても開発できるんだと、こう言う口の下から金利が高いとか、政府はいままで何をやったかということを言うわけでありますから、ソ連の方でも、領土問題以外の日本とソ連関係友好関係を深めていきたいという気持ちは十分あると私は見てきたわけであります。
  53. 相沢武彦

    ○相沢武彦君 折衝で簡単にそう話が進展するとは思えないのは当然でありますが、やはり繰り返しの話し合いの中から解決の糸口をつかむということが何よりも重要だと思います。  それで、先ほどもお話がありましたように、第六回の定期協議は、今度は東京を会場にしようということで、すでに会場についてはグロムイコ外相とも了解済みである、日時についてはいまのところ決まってないのだといいますが、大体の見通しとしては、大臣としてはいつごろと、こういうふうに腹のうちで決めていらっしゃいますか。
  54. 園田直

    国務大臣園田直君) 会期についてはいま返答ができない、こういう話でありましたから、それじゃ年内にはぜひやろうじゃないか、こう言ったわけでありますが、それもいまここで返答するわけにはいかぬということで、その後再三請求をしておりますが、私としては、何とか年内にもう一回やりたいと考えておりますけれども、まだここで年内にやりますとお答えをする段階ではございません。
  55. 相沢武彦

    ○相沢武彦君 年内実現を目指しながら御努力をされるんだと思いますが、東京会談ではやはりこの平和条約話し合い、こういったものをより一歩進展させるために、外相のみ来日をさせるのではなくて、コスイギン首相あるいはブレジネフ書記長、こういったソ連首脳陣の訪日を積極的に求めるべきじゃないか。これは一九七三年の田中首相の訪ソ以来の懸案になっているんですが、これはまだ実現されておりませんが、園田大臣はこの点についてはどのような努力をされていますか。
  56. 園田直

    国務大臣園田直君) 田中総理のときの招請から始まりまして、その後、現内閣に至っても総理が向こうに親書を出される場合、あるいは特使が行く場合には、絶えず前々から招待をいたしておるが、ぜひおいでを願いたい、そして日本とソ連友好関係に大きなきずなをつくりたいということはしばしば招請をし、督促をしているところでございます。
  57. 相沢武彦

    ○相沢武彦君 国際間の通例として、一国の首相が訪問した場合、その答礼として、相手国の首脳が来訪されるのが当然だと思いますので、一層これは強く訴えていただきたいと思うんです。  先ほども話に出ておりましたけれども、三月十日に、日ソ親善協会赤城会長北方領土問題の手がかりになり得るなら善隣協力条約検討すべきじゃないか、こういったことを内容とする談話を発表されたんですが、これについては園田外務大臣、いわゆる政府との間に大きな見解の相違がある、こういうことであります。  その中で、赤城さんが「日ソの友好親善という共通課題と領土問題の対立とを混合して、いたずらにソ連批判を国民に植えつける結果を招くのは建設的外交姿勢といえない。日ソ外交を改善する現実的な展望を明らかにせよ」こういう御意見を述べているんですが、この「建設的外交姿勢といえない。」こう言われる赤城さんに対して、外務大臣はどういう御意見をお持ちでございますか。
  58. 園田直

    国務大臣園田直君) 領土問題をめぐっていたずらに政府国民に訴えて反ソ感情をあおるということは、これは適当ではないし、また現実に北方四島が返ってくる道でもないと考えます。しかし、国民の総意から出てくる世論を代表して政府交渉をすることは当然のことであって、その点は赤城会長と私は意見が違っております。
  59. 相沢武彦

    ○相沢武彦君 いまこれは日ソ親善協会会長という立場での提起なんですが、いわゆる与党としてこういった意見というものは少数意見なんですか、それとも政府考え方をかなり揺るがすような、そういう声として上がっているんですか。
  60. 園田直

    国務大臣園田直君) 私が今日まで承ったところでは、与党の中でもそういう御意見を言われた方はおりません。赤城会長論文だけで私は承っておるのであります。
  61. 相沢武彦

    ○相沢武彦君 四島一括返還をなして、その上で平和友好条約を結ぶ、この基本線は少しも揺るがしてはならないという決意に立って臨んでいらっしゃると思いますが、その点、ここでもう一回確認したいと思います。
  62. 園田直

    国務大臣園田直君) 御発言のとおり、四島の問題を解決をして平和条約を結ぶ、それからその他の条約だと、こう考えておることはいささかも変わりはございません。
  63. 相沢武彦

    ○相沢武彦君 外務大臣は、先月の三十日のグジェンコ・ソ日友好協会会長による一九五六年の日ソ共同宣言でうたわれている歯舞、色丹の二島返還も応じないと言われたこの発言について、これは正式の外交ルートによる発言じゃないと、こう突っぱねられておられます。この発言は重大な意味を持っておりますので、この機会に大臣の御見解を明らかにしていただきたいと思います。
  64. 園田直

    国務大臣園田直君) いま仰せられましたソ日友好協会の会長の歯舞、色丹を返すということはないという発言は、これは公式的な立場ではありますけれどもソ連邦が日本と約束をしたことを一方的にみずからそういうことを言うことは、これは国際慣例上から言っても適当ではない。しかし、向こうは公式の立場ではございませんし、日ソ共同宣言第九項後段というものは私は明確に生きている、これの変更は両国相談の上でなければ変更はできないということは明らかであります。
  65. 相沢武彦

    ○相沢武彦君 総務長官が戻られましたのでお尋ねしますが、今月の七日に、記者会見で発表された北方領土を目で見る運動、これは非常に領土返還運動の輪を広げるために大変重要な施策と思いますが、その具体的な内容、それから予算措置、この点はどこまで進んでいるんですか。
  66. 永山貞則

    説明員(永山貞則君) 四月に発表いたしまして、現在、国鉄、運輸省あるいは観光旅行関係の業界、そういう方々と打ち合わせております。  それから、予算措置は一括して北方領土問題対策協会の予算の中から必要に応じて逐次支出していくということにしたいと思います。実際の時期が御承知のようにやはり夏から秋にかけてが非常に多いし、それからまた、ことしだけの問題ではなくて来年、再来年とずっと続く問題でございますので、関係方面と十分打ち合わせていま進めている段階でございます。
  67. 相沢武彦

    ○相沢武彦君 先ほど、園田外務大臣は、この領土返還実現のためには国民世論がわき起こることが非常に大事だというふうにおっしゃいました。この国民世論啓発の一番原動力になって今日まで運動を進めてきたのは北方の四島を間近に見る根室であります。  根室管内の特に四島から引き揚げてこられた旧島民の方たち、関係者の方たちは戦後非常に苦労されながらあの地で生活を営み、また島の返る日の一日も早からんことを祈りながら暮らしているわけですが、この間国民世論を啓発するために該当自治体も乏しい財政の中から予算を割きながら非常に苦労をしてやってきました。四島が返還されないためにこうむる財政的な負担、苦脳というものははかり知れないものがあります。そういったことで、現在、現地ではその面を国家財政の援助という形で求めてきておりますが、今回の日ソサケマス交渉でさらに漁獲量が激減をしたわけです。  この北洋の基地というのは大変な痛手を受けるわけですが、中でも根室の場合はその痛手の受け方が極端に比重が大きいわけです。というのは、非常に産業のない地域です。したがってあの地域全体の産業の中で、いわゆるサケマス、これに依存する事業者は約七割、経済効果で。それから水産加工業の中でいって八割を超えるといいます。したがって今後の経済的な落ち込みを見ますと、いままで歯を食いしばって、普通の生活水準よりも低い立場の人たちがわりあいいらっしゃるわけですが、何とか持ちこたえてその島の見えるところで住みたいということで一生懸命にがんばっていた人たちも、今回のこのサケマスの漁獲量の激減、そして関連企業等もこのままでは倒産するんではないかと、町ぐるみの経済が逼迫をする、そういうことで非常にいま大変なショックを受けているわけですし、また前途に対する大きな不安を持っているわけです。  そこで、現地では、ぜひこの機会に根室全体の様子を本当に政府がもう一回その目で確かめてほしい、現地へ政府視察団を派遣すべきだ、そしてこの北方領土返還の原点の地である根室をどう立て直すかということを早急に検討していただきたい、こういう強い要請がきております。主務官庁である総理府としてぜひこれは検討して、早急にこの要望にこたえる具体的な行動を起こすべきだと思いますが、その御用意がございますか。
  68. 稻村佐近四郎

    国務大臣稻村左四郎君) 本日も、根室の市長、それから市議会議長が総理府においでになりまして、いろいろお話を伺ったところであります。  そこで、現地に調査団を派遣するかどうかということにつきましては、機関と相談をいたしまして検討してみたい、こういうふうに思っております。
  69. 相沢武彦

    ○相沢武彦君 長官は私たちの要請に応じて就任後早々に現地へ行かれました。その行動力は多とするものでありますが、やはりこれまで余りこの北方領土の問題について、特にこの委員会になじみがなかったといいますか、十分に現地の様子を御存じないままに行かれたので、若干現地へ行かれてハプニングも起きたようでありますが、その後、沖繩問題だけでなくて、この北方問題についてもこれだけ熱心に自分はその後勉強した、意欲を持って取り組んだという、そういう成果をひっ提げて長官みずからもう一回現地へ行かれる御決意はございますか。
  70. 稻村佐近四郎

    国務大臣稻村左四郎君) 具体的な問題としては、コンブ礁の問題三カ年計画、これは一つずつ実行されておるわけであります。それから花咲港の重要港湾の指定問題とか。そこで、なるほど漁業の町でありますから経済基盤と申しますか、これは沈下をしておるという様子は私もこの目でも見、またよく承ってまいりました。そういう意味から、これはやっぱり各省に関係がございますので、道庁あるいはまた根室市等々の長期的な総合的なその中で、私の方も調整機能の役割りを果たす省でございますから、全力を挙げて地元の方々の御期待に沿いたい。  そこで、そのためにもう一回行ったらどうかということでございますが、やはり何か具体的な問題を持って参りませんと、むしろ行くことによってかえって皆さんに御迷惑をかけるというようなことがあってもいけませんので、何かそこで一つの答えが出るようにということで、現在、鋭意努力いたしておるところであります。
  71. 下田京子

    ○下田京子君 当委員会外務省としてなされました外務省所管事項説明の、ただいま他委員質問にもございました日ソ交渉内容等に触れながら、領土問題について御質問したいと思います。  大臣は、日ソ交渉の結果全体について、一方では非常に見通しのあるようなお言葉と、また一方では非常に厳しい状況とお話しのようでございますけれども、全体として大臣が非常な決意を持って領土問題に取り組んでいる姿勢はおうかがいできるわけなんですけれども大臣自身が、ただ返してくれ返してくれと言うだけでは具体的に解決の見通しが立たないだろうというふうなこともおっしゃっておられます。そういう中で、大臣といたしまして、この領土問題の一体大きなかぎは何か、どうしたら具体的な解決の見通しが立てられるのか、その辺の、肝心なところでございますけれども、御意見をお聞かせいただきたいと思います。
  72. 園田直

    国務大臣園田直君) 答弁をはぐらかすわけではございませんし、先生の質問は十分わかるところでありますが、今後やらんとするところでございますから、どういうかぎで、どういう方法でやるということは御勘弁を願いたいと思います。
  73. 下田京子

    ○下田京子君 どういう方向でやるかというその具体的な見通しがございませんと、やはり皆さん本当に安心して納得した形にはいかないと思うわけですね。ですから、御勘弁いただきたいということについても、大臣のどうしてそれじゃ御勘弁いただきたいのか、その辺の真意をお聞かせいただければと思うのですが。
  74. 園田直

    国務大臣園田直君) これはソ連邦の方とお話しするについても、いつどういう時期でどういう問題を切り出すかということはきわめて微妙であります。しかも、一遍切り出してこれがうまくいかなければ、それは一段一段とこちらが下がって向こうの条件をのむことになるわけでありますから、そういう意味でお答えをお許し願いたい、こういうわけであります。  方針は、先ほど言いましたように、ソ連邦と日本の間には領土問題をめぐるそれ以外は共通する利害は相当多いわけでありますから、したがって、そういう問題等もめぐりながらお互いに相互理解をし相助けるという善隣友好の道を進めることによって私はそういう道は開けてくる、こう考えておるわけであります。
  75. 下田京子

    ○下田京子君 外交上の問題ですから非常に微妙なところがあるし、大変むずかしいことはわかるわけですけれども、実際に交渉する際において、大臣、具体的なことでお尋ねしたいんですが、解決のかぎを一体どこにつかむかということで、一方では領土問題は解決済みだと主張し続けているわけですね、その辺に大きな問題があるわけで、ソビエトがどうして領土問題は解決済みだと主張し続けているのか、その辺の根拠となるものはどういうふうなことかと解釈されていますか。
  76. 園田直

    国務大臣園田直君) いままでのソ連邦のおっしゃる言い分はだんだん変わってきているわけでありまして、ある場合には歯舞、色丹だけだと言い、ある場合にはそれもだめだと言い、ある場合には未解決だと言い、ある場合には解決済みでそういう問題は残っていないと、こうだんだん変わってきておりますので、どういう意味でおっしゃるのかということはなかなか理解に苦しむところでございます。
  77. 下田京子

    ○下田京子君 なかなか理解に苦しむというお話ですけれども、領土問題というのは、大臣お話しになっておりますように、一つには、説明等にもありますけれども日本国民の総意を明確にして領土返還の民意を盛り上げていくというのは、これは基本的なことであるかと思うのですけれども、同時に、それは国際法上の問題であるかと思うわけですね。ですから、ソビエトが領土問題は解決済みだというふうな形で主張して譲らないというその根拠がどこにあるかという、その辺が明らかでない限り、こちらもなかなか詰めようがないんではないかと思うわけなんですが、その辺はいかがですか。
  78. 園田直

    国務大臣園田直君) 北方四島が日本の固有の領土であることは歴史的にも現実的にも、ごく最近の沿革から見ても、当然のことであると考えておりますが、それはソ連においても私はしばしば繰り返したところであります。
  79. 下田京子

    ○下田京子君 こちらの大臣が主張したことはわかるわけですよ、もう御説明もあるわけですから。先ほど大臣が言っていましたね、ただ返してくれではなかなかその見通しが立たないと、で、これから本当にいろいろお話し合いをしてソ連が何を考えているかということも率直に聞いていきたいと、その際に一体何を根拠にしてソ連はそういうふうに言われているか、その法的根拠なり何かがあると思うわけですね。大臣感触として得た領土解決済みと主張するソ連の根拠は何だというふうにお考えでしょうかという質問です。
  80. 宮澤泰

    政府委員宮澤泰君) ソ連側解決済みと称しておりますその言いっぷりにつきましては、ただいま外務大臣からお答えになりましたように、その表現に関しまして、その都度幾つかの変化があるわけでございますが、一貫して申しておりますことは、領土問題は解決済みである、そうしてその根拠といたしましてソ連文書によりまして比較的法理論的なことを申しましたものは、一九六一年にフルシチョフ首相から池田総理大臣にあてられた書簡がございますが、この中にまず「領土問題は一連の国際協定によって久しき以前に解決済みであるに拘らず、貴下がこの問題を新たに持ち出されたことを、」云々とこのように書いてございまして、まずここで「一連の国際協定によって久しき以前に解決済みである」こういう表現がございました。  それから続きまして同じく一九六一年、いま申しました書簡の後でございますが、このころは御記憶かと思いますが、領土問題に関しまして日ソ間で頻繁に書面の応酬があったわけでございます。六一年の十二月でございます。先ほど申しましたのは六一年の九月でございます。この中にそれらしきことが書いてございますが、「しかし、ソ連邦は自分の権利を譲渡するわけには行きません。三大国のヤルタ協定は、南樺太および千島諸島の帰属問題を明確に決定しています。これらの領土は、無条件かつ無留保でソ連邦に引渡されたのであります。」また少し云々とございまして「しかし、日本は降伏して、連合国の決定した条件を受諾しました。そして連合国はこの点については既存の連合国問の諸協定を出発点となしているのであり、その中にはあらゆる国際協定と同じく、拘束力を有するヤルタで署名された協定も含まれているのであります。」このように書いてございまして、恐らくこれが今日までに交わされました日ソ間の書簡の中でソ連側の主張とおぼしきものを多少とも法理論的に述べた一番はっきりしたものであろうと考えております。  これがソ連側の根拠としておりますものでございまして、一番有力な根拠に引いておりますのは、したがいましてヤルタ協定、このように解しております。
  81. 下田京子

    ○下田京子君 大臣にお尋ねしたいわけですが、私は何はどうかという解釈問題じゃなくって、ソビエト自身が領土問題は解決済みと言ってきている法的根拠を何と見ているかという質問に対して、大臣はいまお答えいただけなかったわけですね。そこに私はやっぱり問題の一つがあると思うんですよ。  これは北海道の根室市で出されております「日本の領土北方領土」、その中に「北方領土に対する日ソ交渉の対立点」ということでいろいろこう書かれているわけです。一国の外務大臣ですから、その一方のソビエトが領土問題は解決済みというその法的根拠が何かということを責任をもって御答弁いただけるようでないというところに、具体的に本気になってやると言われても、国際法上の問題が絡んでいるわけですから、相手があることですから、なかなか私はその誠意があっても解決の方向がむずかしいんじゃないかと皆さん思われる、そういう心配があるわけなんです。ですからお尋ねしたわけなんです。  そこで、さらに大臣にお尋ねしたいんですけれども、この当委員会に対する説明の中にも「日本国民の総意をいよいよ明確にすることが重要であります。」というふうなことを繰り返し述べておりますし、それから決意のほども誠意のほどもうかがわれるわけなんですけれども、問題は、そのようにソビエトが一連の国際協定ということを出しまして、しかも、その根拠となるのがヤルタ協定である、こう言われておるわけですね。となりますと、国内の問題だけじゃなくって、外交問題ですから国際的な法律問題が絡んでくるわけですね。その点で具体的にどこをどういうふうに主張して解決していくかという姿勢が私は必要でないかと思うわけなんです。カイロ宣言あるいはヤルタ協定、ポツダム宣言とありまして、戦後においては公式に日本がソビエトと署名を交わしたのは一九五一年のサンフランシスコ条約と、それから一九五六年の鳩山元首相との間で結ばれた日ソ共同宣言、それから一九七三年の田中元総理との間に結ばれた日ソ共同声明、公に言ってこれら三つの戦後の交換署名があると思うんですけれども、こういったことを踏まえて、一体、ソビエトはそういうことを主張しているけれども、それに対して日本はどうなのかというふうな大臣姿勢が必要だと思うわけです。その点でお尋ねしたいと思います。
  82. 園田直

    国務大臣園田直君) 御指摘のとおりでありまして、ただ、事実の経緯あるいは経過あるいは法文上の解釈等は大臣が答えるよりも専門の事務当局に答えさせて、それに大臣が責任を持った方が的確であると思って、事務当局にお答えをさしたわけであります。
  83. 下田京子

    ○下田京子君 そこで、お尋ねしたいんですけれども、これは今国会の冒頭におきまして、わが党の宮本委員長質問したところでございますけれども、領土問題というのは、相手解決済みというふうなかっこうで言ってきている、非常にこれは問題である、しかし、その大きな問題の一つの根拠となるのがサンフランシスコ条約で日本が千島を放棄したというふうなことをめぐってどういう態度をとるかということも一方で国際的に非常に関心を集めているところだというふうなことが指摘され、それに対しての大臣見解等があったと思うんですけれども、改めて当委員会においても、当時サンフランシスコ条約の二条(C)項で千島を放棄したということについてはどういうふうにお考えなのかということをお聞かせいただきたいわけです。
  84. 園田直

    国務大臣園田直君) いまの御質問の点に対しては、政府は一貫した答弁をずっとしておるはずであります。その内容事務当局からお答えをいたさせます。
  85. 宮澤泰

    政府委員宮澤泰君) ただいま御指摘の桑港条約二条(C)項で日本が権利、権原を放棄いたしました千島列島、これは英文では「ザ クリル アイランズ」となっておりますが、その中には、私どもが固有の領土として返還を請求しております国後、択捉は含まれておらない、歯舞、色丹と同様に、その中には含まれておらないという見解政府は今日まで持っております。
  86. 下田京子

    ○下田京子君 その見解については繰り返しお聞きしておりますけれども、いまの問題等について、国際的に見まして同意を得ているかどうかということについてはいかがでしょうか。
  87. 宮澤泰

    政府委員宮澤泰君) 同意を得ておるかという御質問の意味が私必ずしもはっきりいたしませんけれども、千島列島という概念、そしてその同じくテキストでございますクリル諸島という概念、これは歴史的にも権威のある文献によってその内容が概念づけられておりまして、その中にただいま私が申しました北方四島が含まれておらない、こういうことから日本政府がそのように主張をしておりますわけでございまして、これらは権威ある根拠と考えております。
  88. 下田京子

    ○下田京子君 その主張が、ソビエトが言われているヤルタ協定で言えば、これは米英ソ間で結ばれておりますね。ですから、そういった国々ももちろんですが、その他の国際的に国連等に加盟をしているすべての諸外国等も含めまして、そういう主張がもう確認されたものとみなしておるかどうかということ、あるいはそういう意思の交流といいますか、ことがあったかどうか。
  89. 宮澤泰

    政府委員宮澤泰君) 桑港条約加盟のすべての国が、日本政府の主張について、これは正しいということを明文をもってあるいは明言をもって確認してはおりませんが、少なくとも桑港条約起草の主たる責任者でございました米国政府は、日本政府の主張が完全に正しいものであるということを確認いたしております。
  90. 下田京子

    ○下田京子君 米国はそういう形で主張はされておりますけれども、国際的な形での話し合いがあったかどうかという点が一点と、それからヤルタ協定の問題につきましてのソビエトの主張ですか、それらをめぐって、逆に、じゃ関連する国々、諸外国との話し合い等はあったかどうか。  私がこういうことを申しますのは、やはりさきに申しましたように、外交問題ですし相手があることですから、国民的な総意を盛り上げていくということが基本でございますけれども、ただ決意だけでは解決できないんで、相手との具体的な理論的な法的な歴史的なことでの話し合いというものがあってしかるべき、その後において解決の見通しが立つんじゃないかという点から申し上げているわけなので、いかがでしょう。
  91. 宮澤泰

    政府委員宮澤泰君) ただいま御質問の、米国のみならず、諸外国全部についてこの点について何らかの話し合いがあったかという御質問につきましては、これはございません。  それから、ヤルタ協定につきましてソ連政府の主張が果たして受け入れられるものであるかどうかの点につきましては、米国政府は、その点ははっきりと否定をいたしております。
  92. 下田京子

    ○下田京子君 具体的な議論について後ほどまた進めたいと思うんですけれども、一点だけ大臣に確認していただきたいことは、大臣が、先ほどから論議しておりますように、帰ってきた当日、一月の十二日、これは読売新聞の夕刊等にも出ておりますし、その他の説明、回答でも逆に御質問されているわけですが、五年内の解決を確信しているというふうな報道がされているわけですね。もう五年以内で解決が立つということは私どもは本当に喜ぶわけですが、そういう具体的な年数まで出しますということを前提にして話をしているわけですから、もっともっと具体的に、国際的な条約問題ですね、そういったことについても詰められるようにお願いしたいと思うわけですが、いかがですか。
  93. 園田直

    国務大臣園田直君) 先ほどから申し上げましたとおり、五年以内という年限を私は申し上げてはおりません。ただ希望と決意をもって近い将来に解決しようという決意を申し述べただけであります。  なお、いま言われましたいろんな条約、それから連合軍である国々のいろんな協定、その他の問題について、これに対して一々反論をし、ソ連邦と意見の調整を図ることは、これはおっしゃるとおり必要であると考えております。なおまた、この前行きましたときにも、そういう話はしてございます。
  94. 下田京子

    ○下田京子君 わかりました。  具体的な点で一点お尋ねしたいんですけれども、私も根室の納沙布岬に立ちまして、大変晴れている日でしたが、見てまいりました。その際にも、現地の根室市議会、市長さん初め多くの漁民の皆さん方からも訴えを聞いてまいりましたし、私どものところにも現地の皆さんが見えられて、いろいろと御心配やら御要望やらをしておられました。その際に一つ問題になっていたのが例の貝殻島のコンブ漁の問題なんです。  コンブ漁の問題につきましては民間協定でもってついせんだって解決の見通しが二年間ぶりについたというふうな報道がされております。大変うれしいことなんですけれども、問題は、貝殻島の漁再開をめぐっての入漁料のことでございます。大臣も御存じかと思うんですけれども、入漁料が不当に高く、問題になっているわけですね。申しますと、これはおよそ漁獲高の一五%に相当するんじゃないかという報道がされております。一方、今回のサケマス交渉の結果では、これは入漁料とは言っておりませんが、協力費というかっこうで、これは結果としては四・五%で抑えられておりますね。問題は、この貝穀島のコンブ漁をめぐって入漁料ということについての問題点と、それから額そのものが非常に報道によれば高いという二つの問題があると思うわけですね。  第一点の入漁料ということになりますと、もうすでに領土問題絡みでもって歯舞、色丹、国後、択捉から含めましてソビエトの領土であるという前提のもとに貝殻島へのコンブ漁を認める、そこに入れてほしいというかっこうになるわけでしょう。ですから、入漁料そのものを認めていくのがまた北方四島返還を逆に後退させていくような結果になるんじゃないかという心配が一点。それから二点目の漁獲高の一五%という報道が事実とすれば、余りにも高いんじゃないかというふうなことから、ひとつ協力費というかっこうか、またアメリカへの入漁料支払いのシステムなんかございますけれども、何らかの形でもって非常に零細な漁民の皆さんの暮らしを守る、領土問題と両方含めて御答弁いただければと思います。
  95. 恩田幸雄

    政府委員(恩田幸雄君) 先生御指摘のコンブの協定の問題でございます。これは三十八年に大日本水産会とソ連漁業省との間でいわゆる民間協定として締結されたものでございます。その中でコンブの採取権という言葉を使っております。コンブの採取権を日本側に与えるということで、それに対応する金額として一応の金額を納めるということに相なっているわけでございます。  わが方としては、あくまでも民間協定の問題でございます。それからさらに、現在、貝殻島周辺をソ連が実効的に支配しているという意味から、民間協定というかっこうで現在の額を納めざるを得ない、それでなければあそこでの採取ができないというような状況であるということでございます。  それから次に、入漁料の問題でございますが、ただいま先生のお話の中ではすでに決まっているようなお話でございますが、経過を簡単に御説明いたしますと、今回、中川農林大臣が訪ソいたしまして、その際に、従来の民間協定によりますコンブ協定を再開したいということで非常に強く要請いたしました結果、大日本水産会と向こう漁業省との間で交渉が再開されたものでございます。交渉につきましては、採取の区域、それから漁船の隻数等については、ほぼ従来の民間協定の線で大筋の合意を見ておる模様でございます。  ただ、入漁料に関しましては、先方がある程度高いことを言ってきておるということを聞いておりまして、現在、漁期が六月の十日からでございますので、引き続き入漁料について大日本水産会がソ連側と折衝するということになっておりますので、その間において、この入漁料の問題も、現在のソ連の言っております非常に高い価格でなしに、零細漁民の出ておりますことでございますので、もっと安い価格で円満な解決が図られるように私どもとしては期待しているわけでございます。
  96. 下田京子

    ○下田京子君 大臣
  97. 園田直

    国務大臣園田直君) 経過はいま申し上げたとおりでありまして、まだ決定はしてないわけであります。  第一に言われた入漁料の問題、これと領土の問題と絡んでくるんじゃないか、こういうことで、御承知のとおり日ソ漁業協定では領土の問題にお互いに関係なしにこうやろうという区域を決めているわけであります。民間協定ではありますが、亀長会長向こう政府とのコンブの採取については、その点は十分亀長会長にもお願いをしておきたいと思っております。
  98. 岡田広

    委員長岡田広君) 本件に対する本日の質疑はこの程度にとどめます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時七分散会