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上田分科員 まず、高齢化社会における国の老人対策はどうなっているかということから聞いていきたいと思います。
現在の日本の社会福祉を
考える上において、高齢者、老人に対する対策は最も重要かつ緊急な課題だと思うわけであります。人口構成も高齢者の比率が急激な勢いでふえつつあるわけでありましで、これに対して年金あるいは
医療の問題で抜本的な対策を樹立しなければならぬと思うわけであります。年をとり、そして働けなくなったらどうするのか、病気で倒れたら一体どうなるのかということは、いわば福祉の原点の問題ではないでしょうか。日本が
本当に福祉文化国家と言えるだろうかと私は大いに疑問を感じるし、この問題について真剣に討議される時代に来たのではないか、このように思うわけであります。
国民生活における切実な関心事でありますところの、たとえば子供の教育の問題、あるいは日本が他の国々に比べて貯蓄が非常に盛んであるということ
一つ見ましても、子供に非常に関必が深いというのは、自分たちが年をとったときに子供に養ってもらわなければいかぬというような気持ちから、何としても人の子供よりもいい会社に入り立身出世をしてもらいたいという親の下心というものもある。子供の人間性よりも、そういう目先の問題として
考える場合が多いのではないか。乱塾とか言われ、その結果、子供の非行が大きな社会問題になっておるところではないか、こういうように思うわけであります。子供のためにちょっとでも多く貯蓄しなければならぬということも
一つありましょう。マイカーとかマイホームの問題も大きな問題でありますけれ
ども、やはり貯蓄の多くは老後の問題という形が多い。ところが、この急激な物価高によってせっかくの貯金が目減りする、こういう状況になっておるわけでありまして、いずれにいたしましても、
国民一人一人の老後に対する深刻な不安が
国民全体を貫いておると言っても過言ではない、このように思うわけであります。
さて、わが国では七十歳以上の老人に対しては無拠出の老人福祉年金があるわけでありますが、現在三百九万人がこれを受給しておる、こういうように言われております。ところが、この支給額は、何と一カ月たった一万五千円というわずかな
金額であります。一万五千円で実際どうなるのか。お孫さんの小遣いにも果たしてどうか、こういうように
考えざるを得ない、このように思うわけであります。お年寄りが、自分の育てた子供に厄介払いされて、たらい回しにされるというような状況が
本当にあるわけでございます。
そこで、私は
考えるわけでございますけれ
ども、こういう七十歳以上のお年寄りは、現在無拠出の老齢福祉年金を受けている三百九万人以外にもおられるわけでございまして、現在、七十歳以上の老人は五百四十万人に達しておる、こう言われておるわけであります。このお年寄り、まあお金を持っているお年寄りもいるし、それはいろいろ千差万別であろうというように思いますけれ
ども、たとえば一カ月五万円の年金がもし出されるということになりますと、一年で六十万円でありますから、五百四十万に掛けましたら三兆二千四百億円があれば足りる、こういうことになるわけであります。厚生年金のいわゆる累積が十五兆円もある、こういうように聞いておるわけでございますが、そういうものをこういう老齢福祉年金に回すとこれは十分いけるわけでございまして、個人が自分の親を見るというよりも、若い世代が年寄りの世代をめんどうを見ていく、そして、自分たちが年寄りになればまた若い世代にめんどうを見てもらうという関係がなければ、老人問題を個々人の家庭で問題
解決するということは、とうていむずかしいのではないか、私はこういうように思うわけであります。七十歳以上のお年寄りが五万円国から年金が入るということになれば、いやもうお父さんはわしが見る、お母さんもわしが見ると言って、恐らく逆にいい
意味での引っ張り合いになるのではないか。お孫さんかて、おじいちゃんから、おばあちゃんからお小遣いを欲しいものだから、おじいちゃん、おばあちゃんということで、これはもう銭金の問題だけじゃなしに、新しい、やはりお年寄りとそういう若い層とのそういうものの断絶というものが一遍に
解決していくのではないか、こういうように
考えるわけでございます。
そういう点で、
本当に
厚生大臣は、そういう点について、無拠出の年金受給者といってみましても、拠出年金というものはあるわけでございますから、対象がだんだん減っていくということにもなるわけでありますから、私は、そんな先々と言ったって、いま生きている人をまず大事にしてあげていただきたい、こういうように思うわけでありまして、まずその点についてお聞かせをいただきたい。
次に、
医療の問題。結局、私もそうでございますけれ
ども、年とったらどうするか、若いときはいいけれ
ども、病気になったら一体どうするのかということで、病気の問題もわれわれの最大の関心事であろう。こういうように、そのためにちょっとでも貯金しておかなければいかぬという形になるわけですけれ
ども、
医療というのは、国がやはり社会的に見ていくべき問題ではなかろうか。これは、幾ら近代医学が進んだといっても、結局お金がないためにとうとい命が奪われていくということも大いにあるわけでございまして、これは私事でございますけれ
ども、私も小学校六年生のときに父が肺結核を思いまして、三年の闘病生活の結果亡くなったわけですけれ
ども、当時一本一万円のマイシンがあったわけですけれ
ども、
あと二十本打てばお医者さんは治ると言ってくれたんだけれ
ども、もうすでに借金を残して
——私もいまから
考えるならば、あのときにもう少し金があれば、何とか借金でもしてと、こういうような悔いを残しておるところでございますけれ
ども、やはりそういう点で、私は、
医療という問題に対して絶対差別があってはならない、このように
考えるわけであります。
老人のうち
本当に健康であるのは一七%程度でありまして、直ちに治療を要するのが四三%もある。十人のうち実に九人の老人が体に異常がある、こういうように言われておるわけであります。特に、この老人対策を
考える場合、単に健康管理だけでなく治療とセットして
考えていく必要があるのではないか、このように思うわけであります。
そういう点で、現在の老人施設、特に特別養護老人ホームなどは、ほとんど満足な看護あるいは治療体制もなく、ずばり言って死ぬ順番を待っているといったような悲惨な状況にあるのではないか。寝たきり老人といっても、その多くを占めておるのが脳卒中で、その場合は、その後遺症は適切なリハビリテーションによって六カ月程度の
入院で八割は歩行可能になるわけでありまして、身の回りのことは自分でやれるようになると言われておるわけであります。それが全くといっていいほどできていないわけでありますから、端的に言えば、寝たきりの状態にさせられて、この施設に送り込まれていると言っても過言ではなかろう、このように思います。そういう点で、この老人
医療に関して言うならば、まず脳卒中リハビリテーションの施設を備えたところのいわゆる老人専門病院の全国的整備が必要ではないか、このように
考えるわけであります。
次に、脳卒中リハビリテーションをやるためにも、現在決定的に不足しているところの理学療法士あるいは作業療法士の計画的育成が絶対不可欠だ、このように思うわけでありますが、私が先ほど申し上げた諸点について御説明をいただきたい、このように思います。