○竹本
委員 最初に
考えたものと一緒ではないということは当然だと思うのです。もし一緒であったならば、今日の不
景気を初めから期待し、計画をしておるということになりますから、そういうことは許されない。
そこで、
総理、この中期
経済計画というのが数字がアップ・ツー・デートであるかないかという問題以上に、基本的にどうもわれわれから
考えて不十分な点が多い。それを私はふとした機会に自分で発見したから、ちょっとこれを申し上げて、もう少し真剣に取り組んでもらいたいと、こう思うのです。
これは
総理も御
関係があったと思うのですけれども、
昭和五十一年一月二十三日に
昭和五十年代の前期
経済計画というものが閣議了解をされた。同じく五十一年の五月十四日に閣議決定になっておるのですね。確かにこの一月から三月ごろまでの第四・四半期においては
経済が少し上昇線をたどっておりましたから、少し
考え方が変わるということは理解できないでもないのですが、基本的にこういう大きな、インチキかごまかしかと言うと言葉が悪くなるのですけれども、言葉の表現が変わっておるのですね。恐らく皆さんお気づきにならないと思うからぼくが申し上げる。
まず第一には、閣議了解のときにはあったものが閣議決定のときにはなくなったもの、訂正されたもの、しかも訂正したのは悪く訂正されておるということを
一つ指摘したいのです。たとえば「不況が長期化し、我が国
経済は大幅な需給ギャップをかかえ、企業採算、
雇用情勢も悪化している」という文章が閣議了解にあるのです。今度は閣議決定のときには「大幅な需給ギャップ」というところを変えまして「かなりの」という言葉に変わっている。かなりの工作が行われているわけですね。次には「
経済の各種バランスの改善と企業や家計の自信の回復を図ることが必要である」と書いてある。これは、きわめて正直に、政治家の見識として、この自信の回復、マーシャルが言うように、
経済は
経済心理学ですから、
国民が心理学的に自信を持たなければだめだと思うのですね。その「自信の回復を図ることが必要である。」とはっきり閣議了解では書いておるのに、いつの間にか閣議決定には「図ることとする。」という、きわめて
事務官的な表現になっておる。政治決定というものがぼかされておる。これも重大な問題だと思うのです。さらに重大な問題は、「しかも、現在のような低
成長が今後も続くのではないかという不安感もあり、企業や家計が
先行きに対する自信を失っており、それがさらに需要の停滞を招くという悪循環が生じている。」と、これはきわめて端的に
わが国のいまの
経済の痛いところをびしっと突いていると思うのです。ところがここは全部削除されているのです。だから、文字の問題ではなくて、
政府の基本認識の問題として私はこれを問題にするのです。
この中期
経済計画あるいは前期
経済計画というものがうまくいくためには、この前も私が四ない政治と言って皮肉を申しましたけれども、現実を正しく理解する、過去をまじめに反省するということがなければならぬのに、この認識は、一応は「現在のような低
成長が今後も続くのではないかという不安感もあり、企業や家計が
先行きに対する自信を失っており、それがさらに需要の停滞を招くという悪循環が生じている。」と、いまの
経済そのものじゃないか、そういったやつをすっかり消しちゃって、文書の上だけ消していたって、現実はますます
拡大されている。そういう科学的な、基本的な認識が欠けておるということを出発点に置いて、矛盾を持っておるのだから、こんな計画はうまくいくはずがないというのが私の
考え方です。
そういう意味から言って、たとえばこれからの
経済を論ずる場合には、何と申しましても柱になるのは中期
経済計画、これは
経済企画庁も本気で取り組んでもらわなければ、これをもとにして
経済の動きがわかって、その上に立って
財政の収支
試算ができる、その
財政の計画ができた中で償還計画が
考えられるのでしょう。その大前提が全然崩れたようなかっこうでできておって、まともなものが出てくるはずがないのですよ。だから、この国会では皆さんお気づきのように、何回か国会がストップして、あれは野党が勝手にストップしたのじゃないかというような新聞記事もありましたけれども、本当は収支
試算の計画だって、償還計画だって、まあ一日を楽しみにしますけれども、本格的なものが出るはずがないんだ、基本がないんだもの。そういう点をどれだけまじめに反省されるかということを私はひとつ皆さんにまじめに
考えてもらいまして、これからはもう少し基本的な
経済の
展望の上に立った、きっちりした案を出し、きっちりした試案あるいは資料を出してもらいたいということを強く要望しておきたいのです。
ついでに
企画庁長官に申し上げますが、わが大内君がこの間質問をいたしました。これでも「
昭和五十三年度国際収支の見通しについて」というこの資料をいただきましたが、これは資料という名に値しない紙切れだ。どうして値しないかといいますと、これを見ると、その中に輸出は八百五十億ドルだろう、輸入は七百十五億だろう、貿易外収支もありますが差し引き百三十五億ドル黒字になって、その貿易外収支も入れて七十五億ドル引けば六十億ドルが残るだろう、これがこの資料ですよ。あとは二、三年前の思い出の数字を並べてあるだけだ。これは全然五十三年度の国際収支の見通しというものじゃないですよ。これは過去の見通しというよりも思い出だ。しかも
予算委員会における議論を聞いておると、どなたもお気づきになると思いますけれども、輸出はどうなる、これもいろいろ国際的な
情勢もあるし、円高もあるし、見通しがむずかしい、不確定要素である。輸入はどうなるんだ、内需の動きもよくわからないし、
設備投資もよく決まらぬからこれも不確定要素である。不確定要素、不確定要素を全部足したら最も確定的な六十億ドルの黒字が出るというのはどういうことですか。まるでマジックみたいだ、これは。こういうような無責任なやり方はないとぼくは思うのですね。あとは結局
政府を信じてくださいということ以外には何もない。信ずる者は救われるといいますけれども……。われわれは
経済を論じているのですからね。この見通しと言われるなら見通しをもう少し科学的に、なるほどとわれわれが一応思うだけの資料を出してもらわなければ、これは本当だったらやはりストップものですよ。ただ私は
予算を余りストップばかりさせたのでは、年内暫定
予算を組まなければならないようになっても困るし、また、余りこの数字はアメリカに対して黒字が何億ドルだというようなことを
宮澤さんに
答弁してくれと言えば、いろいろ国益に反する面も出るだろうと思うから、われわれは涙をのんでストップをかけないのですよ。そういう意味で今度は
予算の
審議を続けていきますけれども、はっきり言っておきますが、この次の国会ではこんな資料ではわれわれは絶対
承知しませんから、その点はひとつよく留意しておいていただきたい。国の
経済をもう少し真剣に、貿易の問題にしても国内
経済の問題にしても
考えてもらいたいということを強く要望いたしておきます。
そこで、
公共事業の本論に入るわけですけれども、私は、
国土庁長官もいらっしゃるから、まず
一つ伺いたいのですが、
公共事業というものの位置づけが、何だか
予算が足らないとか不
景気で困るからという穴埋めに
公共事業を次から次へと
考えるというような傾向があるやに思うのです。ところがそうではない。私は、
政府が
考えられておる三全総というものは、これはある意味において内容次第では非常にすばらしいものだと思うのですよ。
田中さんの列島改造に負けないか、それ以上の、ビジョンもあり、国土の再
編成ということについての大きな構想があるはずなんだ。したがって、これはそのビジョンとともにこれからの
公共事業の軸にならなければいかぬ、中軸に据えなければならぬ。その位置づけが行われていないので、三全総というのはどこか別な部屋のすみの方に資料ができておるというような感じですが、そこで
櫻内さんに聞きたいことの
一つは、三全総というものはもう少し真剣に取り組んで、
公共事業の軸心、真ん中の軸に据えるべきではないか、その位置づけについてどういうお
考えであるか。同時に、そのためには三全総そのものの持つビジョンと歴史的な意義と役割りというものをもっとPRしなければいかぬ。第一、国土なんというものは、国土庁の国土というのはぼくはこれは非常にいい言葉だと思うのですよ。単なる物理的、地理的な表現ではなくて、われわれの祖国の国土なんだ。そこには郷土愛も祖国愛も貫いておる。新しいわれわれの精神のよりどころをつくろうという願いも込められておる。そういう意味から言えば国土庁とか国土というものは、
考え方は非常にすばらしいのですよ。それを単に失業救済の穴埋めみたいな
考え方で
公共事業を取り扱うということは間違いだと思う。
私はずっと前にドイツに行きましたときに感心したのを思い出しますが、いまのシュミットさんと一緒にハンブルグに行きまして、そして彼に案内してもらいまして、
日本で言う住宅供給公社、そこを見に行ったことがあります。行ってみて驚いた。名前がノイエハイマートと書いてある。すなわち住宅供給というのは馬小屋、人間小屋の人間小屋をつくるんじゃないのですよ。われわれの心のふるさとをつくるんだ、新しきふるさとづくり、心のよりどころをつくるんだ、こういう意味で住宅供給公社なんという次元の低い表現でなくて、ノイエハイマート、こう言うのですよ。そういう点から
考えると、国土庁の国土という意味はそういうものを持っていると思うのですね。そういうサムシングがなければいかぬと思うのです。いかがですか。