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1978-03-28 第84回国会 衆議院 本会議 第16号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
五十三年三月二十八日(火曜日)
—————————————
議事日程
第十四号
昭和
五十三年三月二十八日 午後一時
開議
第一
法務省設置法
の一部を改正する
法律案
(
内閣提出
) 第二 千九百七十年六月十九日に
ワシントン
で 作成された
特許協力条約
の
締結
について
承認
を求めるの件
—————————————
○本日の
会議
に付した案件
日程
第一
法務省設置法
の一部を改正する
法律
案(
内閣提出
)
日程
第二 千九百七十年六月十九日にワシント ンで作成された
特許協力条約
の
締結
について
承認
を求めるの件
勤労者財産形成促進法
の一部を改正する
法律案
(
内閣提出
)
角屋堅次郎
君の故
議員川崎秀二
君に対する
追悼
演説
午後一時四分
開議
保利茂
1
○
議長
(
保利茂
君) これより
会議
を開きます。
————◇—————
日程
第一
法務省設置法
の一部を改正する
法律案
(
内閣提出
)
保利茂
2
○
議長
(
保利茂
君)
日程
第一、
法務省設置法
の一部を改正する
法律案
を
議題
といたします。
委員長
の
報告
を求めます。
内閣委員長始関伊平
君。
—————————————
法務省設置法
の一部を改正する
法律案
及び同
報告書
〔
本号
(二)に
掲載
〕
—————————————
〔
始関伊平
君
登壇
〕
始関伊平
3
○
始関伊平
君 ただいま
議題
となりました
法務省設置法
の一部を改正する
法律案
につきまして、
内閣委員会
における
審査
の
経過
並びに結果を御
報告
申し上げます。
本案
は、
沖繩刑務所
の
位置
を那覇市から
沖繩県島尻
郡知念村に変更すること、
東京医療少年院
の
位置
を
東京
都渋谷区から
相模原
市に変更し、その名称を
神奈川医療少年院
に改めるとともに、
相模原
市所在の
神奈川少年院
を廃止すること、
広島入国管理事務所
及び
下関入国管理事務所
の
管轄区域
を一部改めること、
入国管理事務所
の
出張所
について、
東京入国管理事務所羽田空港出張所等
四
出張所
を
設置
し、三
出張所
を廃止することを主な
内容
とするものであります。
本案
は、二月一
日本委員会
に付託され、二月九日
瀬戸山法務大臣
より
提案理由
の
説明
を聴取し、三月二十三日
質疑
に入り、慎重に
審査
を行いましたが、その詳細につきましては
会議録
により御承知願いたいと存じます。 かくて、三月二十四日
質疑
を終了し、
採決
いたしましたところ、
全会一致
をもって
原案
のとおり可決すべきものと決しました。 なお、
本案
に対し、
矯正施設
に勤務する
職員
、特に
保安業務
に従事する
職員
の
勤務条件
、
職場環境等
の改善について
附帯決議
が
全会一致
をもって付されました。 以上、御
報告
申し上げます。(
拍手
)
—————————————
保利茂
4
○
議長
(
保利茂
君)
採決
いたします。
本案
は
委員長報告
のとおり決するに御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
保利茂
5
○
議長
(
保利茂
君) 御
異議
なしと認めます。よって、
本案
は
委員長報告
のとおり可決いたしました。
————◇—————
日程
第二 千九百七十年六月十九日に
ワシントン
で作成された
特許協力条約
の
締結
について
承認
を求めるの件
保利茂
6
○
議長
(
保利茂
君)
日程
第二、千九百七十年六月十九日に
ワシントン
で作成された
特許協力条約
の
締結
について
承認
を求めるの件を
議題
といたします。
委員長
の
報告
を求めます。
外務委員長永田亮一
君。
—————————————
千九百七十年六月十九日に
ワシントン
で作成された
特許協力条約
の
締結
について
承認
を求めるの件及び同
報告書
〔
本号
(二)に
掲載
〕
—————————————
〔
永田亮一
君
登壇
〕
永田亮一
7
○
永田亮一
君 ただいま
議題
となりました
特許協力条約
の
締結
について
承認
を求めるの件につきまして、
外務委員会
における
審査
の
経過
並びに結果を御
報告
申し上げます。
国際経済活動
の
緊密化
及び
技術交流
の拡大のもとで、近年著しく増加している
複数国
への
特許出願
に対応するため、
工業所有権
の保護に関する
パリ条約
の
締約国
を
中心
として、
条約
の作成が進められてまいりましたが、一九七〇年六月十九日に
ワシントン
において本
条約
が採択され、
わが国
は同日署名を行いました。 本
条約
は、国際的な
特許出願手続
を簡素化するとともに、
出願
の
審査面
における
国際協力
を目的とするものでありまして、自国の特許庁で行う
国際出願
が、
複数国
への
出願効果
を有すること、
国際調査機関
が発明に関連する
先行技術
の
調査
を行うこと、
国際事務局
は一定の期間後に
国際公開
を行うことのほかに、
国際予備審査等
について規定しております。
本件
は、去る三月十日
外務委員会
に付託され、十七日
園田外務大臣
から
提案理由
の
説明
を聴取し、二十四日
質疑
を行い、引き続き
採決
を行いました結果、
本件
は
全会一致
をもって
承認
すべきものと議決いたしました。 以上、御
報告
申し上げます。(
拍手
)
—————————————
保利茂
8
○
議長
(
保利茂
君)
採決
いたします。
本件
は
委員長報告
のとおり
承認
するに御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
保利茂
9
○
議長
(
保利茂
君) 御
異議
なしと認めます。よって、
本件
は
委員長報告
のとおり
承認
するに決しました。
————◇—————
加藤紘一
10
○
加藤紘一
君
議事日程追加
の
緊急動議
を提出いたします。 すなわち、この際、
内閣提出
、
勤労者財産形成促進法
の一部を改正する
法律案
を
議題
となし、
委員長
の
報告
を求め、その
審議
を進められんことを望みます。
保利茂
11
○
議長
(
保利茂
君)
加藤紘一
君の
動議
に御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
保利茂
12
○
議長
(
保利茂
君) 御
異議
なしと認めます。よって、
日程
は追加せられました。
—————————————
勤労者財産形成促進法
の一部を改正する
法律案
(
内閣提出
)
保利茂
13
○
議長
(
保利茂
君)
勤労者財産形成促進法
の一部を改正する
法律案
を
議題
といたします。
委員長
の
報告
を求めます。
社会労働委員長木野晴夫
君。
—————————————
勤労者財産形成促進法
の一部を改正する
法律案
及び同
報告書
〔
本号
(二)に
掲載
〕
—————————————
〔
木野晴夫
君
登壇
〕
木野晴夫
14
○
木野晴夫
君 ただいま
議題
となりました
勤労者財産形成促進法
の一部を改正する
法律案
について、
社会労働委員会
における
審査
の
経過
並びに結果を御
報告
申し上げます。
本案
は、
勤労者
の
財産形成
を一層促進するため、
勤労者財産形成基金制度
の
創設
、
勤労者財産形成持ち家融資制度
の拡充及び
進学融資制度
の
創設等
について必要な
措置
を講じようとするもので、その主な
内容
は、 第一に、
事業主
は、
勤労者財産形成貯蓄
を行っている
勤労者
を
加入員
として、労使をもって組織する
勤労者財産形成基金
を
設置
することができること、 第二に、この
基金
は、
事業主
が
拠出
した
金銭
について
信託会社
、
銀行等
と
契約
を
締結
し、その
加入員
である
勤労者
に対して
財産形成基金給付金
が支払われるようにすること、 第三に、
雇用促進事業団
は、この
契約
に基づいて
金銭
の
拠出
をする
中小企業
の
事業主
に対し、
助成金
を支給するとともに、
勤労者財産形成基金
の
設置
について
奨励金
を支給すること、 第四に、
勤労者財産形成持ち家個人融資
の
貸し付け限度額
を、現行の
財産形成貯蓄額
の二倍に相当する額から三倍に相当する額に引き上げるとともに、
融資
の対象に
中古住宅
の購入及び
住宅
の改良のための
資金
を加えること、 第五に、
公務員等
に対する
勤労者財産形成持ち家融資
について、その仕組みを改善すること、 第六に、
雇用促進事業団
は、
勤労者財産形成貯蓄
を行っている
勤労者
またはその
子弟等
の
進学
に要する
資金
の
貸し付け
を行うこと、 その他、
勤労者
の
財産形成
に関し必要な課税上の
特別措置
を講ずること等であります。
本案
は、二月十六日に付託となり、本日の
委員会
において
質疑
を終了し、
採決
の結果、
原案
のとおり可決すべきものと議決した次第であります。 なお、
本案
に対し、
附帯決議
を付することといたしました。 以上、御
報告
申し上げます。(
拍手
)
—————————————
保利茂
15
○
議長
(
保利茂
君)
採決
いたします。
本案
は
委員長報告
のとおり決するに御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
保利茂
16
○
議長
(
保利茂
君) 御
異議
なしと認めます。よって、
本案
は
委員長報告
のとおり可決いたしました。
————◇—————
保利茂
17
○
議長
(
保利茂
君) 御
報告
いたすことがあります。
議員川崎秀二
君は、去る二月二十二日逝去せられました。まことに
哀悼痛惜
の
至り
にたえません。
同君
に対する
弔詞
は、
議長
において去る十六日贈呈いたしました。これを朗読いたします。 〔
総員起立
〕
衆議院
は多年
憲政
のために尽力し特に
院議
をもつてその
功労
を
表彰
され
さき
に
国務大臣
の
重任
にあたられた
議員
正三位
勲一等川崎秀二
君の
長逝
を
哀悼
しつつ
しん
で
弔詞
をささげます
—————————————
故
議員川崎秀二
君に対する
追悼演説
保利茂
18
○
議長
(
保利茂
君) この際、弔意を表するため、
角屋堅次郎
君から発言を求められております。これを許します。
角屋堅次郎
君。 〔
角屋堅次郎
君
登壇
〕
角屋堅次郎
19
○
角屋堅次郎
君 ただいま
議長
から御
報告
のありましたとおり、多年、日中の
友好親善
のため、戦後の多難な
時代
から先覚的な
役割り
を果たされ、
中国
の
指導者
からもきわめて
信頼
の厚かったわが
郷土
の大先輩、本院
議員川崎秀二
先生
は、待望久しい
日中平和友好条約
の
締結
を前にして、去る二月二十二日、肝不全のため逝去されました。 生来、
責任感
の人一倍強い
先生
は、昨年の大病の後にもかかわらず、亡くなられる直前まで
予算委員会
の
重鎮
として熱心に総
予算
の
審議
に当たられ、また、連日のように
日中問題進展
のため東奔西走されておられたのでありますが、いまにして思えば、その御無理、連日の過労が病魔の冒すところとなり、二月二十一日早朝、
自宅
で吐血して入院され、一昼夜にわたる御家族の懸命の御看護もむなしく、ついに不帰の客となられました。 このたびの
川崎先生
の
急逝
は、まさに国事に殉ぜられたものであり、偉大な
政治家
を失った
万感胸
に迫り、まことに
痛恨
の念にたえません。(
拍手
) 私は、皆様の御同意を得て、
議員一同
を代表して、謹んで
哀悼
の
言葉
を申し述べたいと存じます。(
拍手
)
川崎秀二先生
は、わが
郷土
三重
の戦前の大
政治家
、
尾崎行雄
、
浜田國松
両
先生
とともに、
大物政治家
として尊敬を受けていた
川崎克先生
の次男として、
明治
四十四年九月十四日に生をうけられました。 御
尊父
は、
帝国議会
当時、長らく本
院議員
として
活躍
され、
衆議院予算委員長
、
民政党政務調査会長
を歴任された
重鎮
でありましたが、
先生
は、このような
政治家
の
家庭環境
のもとで、
父君
の
政治的感化
と、賢夫人の誉れ高かった母堂の御
薫陶
を受けられたのであります。
父君
の
関係
で、
東京
の
品川小学校
から
芝中学
に学び、
憲政
の
功労者大隈重信先生
を慕って
早稲田大学政治経済学部
に進み、学問の研さんを積まれるとともに、
陸上競技部
の
万能選手
として
活躍
されました。一方、国会きっての
雄弁家
であり、論客であった
先生
の萌芽はすでに
学生時代
から見られ、
芝中学
三年のとき、
校内弁論大会
で「
軍国主義
の流れを排す」というテーマで大
演説
をぶち、
早稲田大学
でも、
昭和
九年春の
単内弁論大会
で「
満州事変
以来の
軍部
」と題して大胆な
演説
を行い、当時の
軍部
を手厳しく批判して、大喝采を受けて入賞、トロフィーを得ております。「栴檀は双葉より芳し」と申しますが、
軍国主義
、
軍部
に触れることがタブー視されていた当時に、大胆率直にみずからの
主張
を表明した勇気あるこの言動は、戦後、
青年政治家
として、
国家国民
のため必要と信ずれば、時の総理といえ
ども
、正々堂々の
論陣
を張って譲らずという、往年の
川崎先生
の真骨頂を想起させられるのであります。
昭和
十年
早稲田大学卒業
と同時に、
日本放送協会
に入られた
先生
は、もっぱら
報道関係
に携わってこられましたが、この間、再度の応召により
中国大陸各地
を転戦され、
戦争
の悲惨さ、苦しさを身をもって体験されました。後年、
平和主義者
として
日中友好運動
に挺身され、師と仰ぐ
松村謙三先生
とともに、
先生
亡き後はその遺志を継ぎ、訪中されること十回、終始変わることなく日中の
友好親善
に偉大な貢献をされたのは、みずからの
戦争体験
を通じ、日中再び争うべからず、
日中友好
の確立こそアジアの平和の
基礎
なりという確固たる
政治信念
に基づくものと信じて疑いません。(
拍手
) 敗戦後、
わが国
は未曾有の困難な事態に直面し、焦土と化した国土の復興、
経済
の
再建
、
国民生活
の安定は、まさに焦眉の急務でありました。
先生
は、路頭に迷う
国民
の苦悩を救い、
新生日本
の向かうべき
進路
を
誤り
なからしむるため、みずから
国政
に参画する決意を固め、
昭和
二十一年四月、戦後初の
衆議院議員
総
選挙
に、
公職追放
に遭われた御
尊父
にかわって当時の
三重
県全県一区から
進歩党公認候補
として立候補し、
選挙民
の絶大な支持を得てみごと初当選、ここに三十四歳の
青年政治家川崎秀
二
代議士
の華々しいスタートが切られました。 本院に議席を得られた
先生
は、歴史的な
帝国憲法改正案
を初め、これに関連する
各種重要法案
の
審議
に当たられるとともに、戦後の諸問題の解決に心魂を傾けてこれと取り組まれました。 何といっても、
先生
が天下の
川崎代議士
として大きな脚光を浴びましたのは、
予算委員会
における
活躍
であります。
先生
は、第一回国会以来約二十年にわたり
予算委員
として、戦後の財政、
経済運営
に大きな
足跡
を残されましたが、
吉田内閣
の下で
是々非々主義
の立場から、時の大宰相を相手に一歩も譲らず、堂々の
論陣
を張られたことは、われわれの記憶に新たなところであります。
昭和
二十四年には、新たに発足した
社会保障制度審議会
の
委員
となられ、
国民健康保険制度
、無
拠出年金制度
の
創設
など画期的な
社会保障制度
の
実現
に向かって尽力され、また
欧米各国
を視察して、徹底した
調査研究
を行われました。 このような
川崎先生
の
社会保障
、
社会福祉政策
に対するひたむきな
姿勢
と深い見識は、院の内外の注目するところとなり、
昭和
三十年正月には、推されて第二次
鳩山内閣
の
厚生大臣
として台閣に列せられました。時に
先生
は四十三歳、この
内閣最年少
の閣僚として、よく
国民
の期待にこたえ、全力を尽くして
社会保障
六カ年計画の策定に当たられ、今日の
国民
皆
年金
、
国民
皆
保険
への
基礎
を固められたのであります。やがてこの
先生
の御努力が実を結び、
昭和
三十四年には
国民年金制度
が発足し、三十六年には
国民
皆
保険
の
実現
を見るに
至り
ましたことは、
先生
御自身にとりましても、まことに本懐であったと存じます。(
拍手
)
学生時代
、みずから
スポーツ選手
であられました
先生
は、
国民
の健康を守り、明朗で健全な心身を鍛練することに特段の
情熱
を持ち、
国民
の
体位向上
を図るため厚生省に
スポーツ局
を新設すべく努力されましたが、この
先生
の熱心な御
主張
が、後に省こそ違え、
文部省体育局
の
設置
となってその
実現
を見たのであります。 かねて、
先生
は、
日本陸上競技連盟
の
常務理事
として、戦後の陸連の
再建
に努められ、また
東京オリンピック
の
実現
を目指し、
国立競技場
の建設には陣頭に立って連日その
予算化
の折衝に当たられるなど、
スポーツ愛好
の強力な
政治家
として、
わが国
の
スポーツ振興
に欠くことのできない貴重な存在でありました。 また、
先生
は、
政治
の
未来
を築いていくのは次代を担うべき
青年
であるとの
信念
に立ち、
国際的視野
を持つ若人を育成するために
世界青少年交流協会
を組織してその
会長
となり、みずから多くの
青少年
を帯同してしばしば
世界各国
を歴訪されたのであります。すでに七千名に上る
青年諸君
がこれに参加され、いまや
川崎先生
の
薫陶
を受けられたこれらの
諸君
が各
方面
の第一線で
活躍
し、
社会
に大きく貢献されていることを思うとき、スケールの大きい国際性豊かな
川崎先生
のこの
方面
における御
功績
は、まことに偉大であると申さなければなりません。(
拍手
) お通夜の日、
川崎先生
の
自宅
に
弔問
に訪れたとき、たくさんの
青年諸君
をお見かけいたしましたが、恐らくその中の
相当数
が
先生
の
薫陶
を受け、
先生急逝
のニュースを聞いて
弔問
に駆けつけたものであろうと思います。
川崎先生
の御
遺徳
は、これらの
青年諸君
を通じ、また、
交流協会
の今後の
発展
の中でいついつまでも語り継がれるでありましょう。
先生
が
中国
のみならず、国際的にも大きな評価を受けておられるのは、西ドイツ、フィンランド、ルーマニアから、それぞれその
功績
をたたえる勲章を授与されていることからも明らかであり、
議員外交
における
先生
の御
功績
は、われわれの範とすべきものであります。
川崎先生
は、新鮮な
政治感覚
と
未来
を創造する夢と理想を持った
政治家
でありましたが、「故きを温ねて新しきを知る」との先哲の教えのとおり、多忙な
政治生活
の時間を割いて、
明治
以来の
憲政
の
功労者
の
足跡
をつぶさに調べられ、多くの著書を世に残されました。「勇気ある
政治家たち
」、「
三重政界
の
大道
」、「早稲田の
政治家たち
」の名著をあらわし、最近は「
憲政
に光を掲げた人々」の著述に精魂を注ぎ、この四月には刊行の予定であったと伺っております。
先生
の御
功績
の中で忘れてならないものに
尾崎行雄記念財団
の
創設
があります。
先生
は、
憲政
の神と言われた
咢堂翁
の
遺徳
をしのび、その
遺訓
を後世に伝えるため、
昭和
三十五年には
尾崎記念会館
を建設し、自来、
憲政資料
の展示、映画、
講演会
の開催などの諸
活動
を活発に行うなど、これに注がれた
先生
の
情熱
は、
咢堂翁
に対する
畏敬
と
議会制民主主義
の
発展
を願う
先生
の
政治哲学
に根差していたと確信いたします。(
拍手
)
川崎先生
は、
スポーツマン政治家
らしく、
明朗濶達
、
談論風発
の
政治家
で、しかも人情味豊かな私
ども
のよきリーダーであったと存じます。
郷土
三重
の
国政
に期待する諸課題についても積極的に取り組み、数々の業績を残されました。今回、
地元上野
市が、
先生
に
名誉市民
の称号を贈ることを決められたのも、いかに
先生
に対する
信頼
が厚いかを示すものであります。(
拍手
)
家庭
にあっては、よき
パパぶり
を発揮されて、
一家団らん
の
中心
にいられたと伺っております。それだけに
一家
の支柱を失われた三
緒子未亡人
初め、御
遺族
の御胸中いかばかりかとお察しし、お慰めの
言葉
もないほどでございます。 かくて、
川崎先生
は、本
院議員
に当選すること十一回、
在職
二十四年十一カ月の長きにわたりました。その間、
議会政治
の
発展
と
国政
の
進展
に尽くされた
功績
は、まことに偉大と申さねばなりません。
政治家
が
国家
百年の計を立て、国の
進路
を
誤り
なからしむることを念ずることは、けだし当然のことであり、たれ一人としてこれを否定する者はありません。しかし、千変万化、変動激しい現下の
政治
、
経済
、
社会情勢
の中では、ともすれば、目先の事象に目を奪われるおそれなしとしません。 しかるに、
川崎先生
は、長い
政治生活
を通じていささかも右顧左べんすることなく、
政治
の
大道
を正々堂々と歩み続けられました。そこには、一片の私心もなく、権勢にこびず、常にみずからの
政治信念
に基づいて国の将来を憂うる純粋な
政治信条
の発露がありました。私は、このひたむきな
政治姿勢
に対して深い
畏敬
の念を覚えるとともに、
政治
が本来志向すべき
純粋性
、
議会政治
本来のあり方を改めて考えさせられるものがあります。 御年六十六歳。
政治家
として円熟の境地に達せられ、今後、保守党のすぐれた
指導者
としての御
活躍
が各
方面
から期待されていた
先生
の突然の御逝去は、惜しみて余りあり、
痛恨
のきわみであります。しかも、
あと旬日
をもってはえある二十五年永年
在職議員
として
表彰
を受けられることを
先生
もひそかに心待ちしておられましただけに、
先生
の御英姿を再び本
議場
に見ることのできないことは、私
ども
にとっても、まことに惜別の念にたえません。(
拍手
)しかし、去る二日、この
議場
において満場一致をもって、特に
先生
の御
功労
に対し、
表彰決議
が行われました。このことは、私
ども
が
先生
並びに御
遺族
に報いる最善の道であったと存じます。父子二代にわたる永年
在職表彰
は、
川崎家
にとりましても、
郷土
三重
県民にとりましても、大きな名誉であり、
川崎先生
の残された偉大な
遺訓
は、与党、野党を問わず、私
ども
の胸に深く刻み込まれ、必ずや今後の
議会政治
の上に受け継がれてゆくものと存じます。 いまや、
わが国
はかつてない重大な
政治局面
に立っております。とりわけ、多難かつ多様な
国際情勢
のもとにあるとき、
先生
のような練達堪能な、しかも国際性豊かな
指導者
を失いましたことは、
ひとり自由民主党
のみならず、本院にとりましても、
国家
にとりましても、この上なき大きな損失であります。 ここに、謹んで
川崎先生
の生前の御
功績
をたたえ、そのお人柄をしのび、重ねて心から御冥福をお祈りいたしまして、
追悼
の
言葉
といたします。(
拍手
)
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保利茂
20
○
議長
(
保利茂
君) 御
報告
いたすことがあります。 永年
在職議員
として
表彰
された元
議員中村寅太
君は、去る二月十四日逝去せられました。まことに
哀悼痛惜
の
至り
にたえません。
同君
に対する
弔詞
は、
議長
において去る十一日贈呈いたしました。これを朗読いたします。 〔
総員起立
〕
衆議院
は多年
憲政
のために尽力し特に
院議
をもつてその
功労
を
表彰
され
さき
に農林水産
委員長
石炭対策特別
委員長
沖繩及び北方問題に関する
特別委員長等
の要職につきまた再度
国務大臣
の
重任
にあたられた正三位
勲一等中村寅太
君の
長逝
を
哀悼
しつつ
しん
で
弔詞
をささげます
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保利茂
21
○
議長
(
保利茂
君) 本日は、これにて散会いたします。 午後一時三十四分散会
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出席国務大臣
法 務 大 臣
瀬戸山三男
君 外 務 大 臣
園田
直君 労 働 大 臣 藤井 勝志君
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