○
岡垣最高裁判所長官代理者 ただいまの問題の焦点とは少し外れるかとは存じますけれ
ども、しかし
裁判所の訴訟指揮のお話がございましたので、
裁判所の
立場から一言釈明させていただきたいと存じます。
お話しになりましたのは、訴訟指揮の中について、期日指定の問題からよく起こるというお話がございましたが、私
どもは、もちろん期日指定でも問題が起こるわけでございますが、その底にもう
一つ問題があるというふうに考えておるわけでございます。それは結局、先ほどおっしゃいました
裁判というものが
裁判所それから検察官、
被告人それからその
弁護人という三本柱ででき上がっておるというその構造そのものを否定してかかるという頭がどこかの当事者にある場合が問題であろう。
これは具体的に事例を申し上げた方がいいと存じますので、少し時間をちょうだいしまして申し上げますと、先ほ
どもお話がありました連続ピストル射殺
事件でございます。これはなぜ
弁護人がおやめになるようなことになったかと申しますと、
自分が起訴されていない
事件について証拠調べをしろという要求が出たからであります。なぜそういうことを言うか、つまり、
被告人の方の側からすれば、起訴されている事実の有罪無罪などは言うなればどうでもいいのであって、その起訴されていない事実について証拠調べをすることによって、
政府が少年法
改正のために
自分を泳がせていたんだとかなんとか、そういうことを立証したいというふうなことで出てこられる。これはもう訴訟というものからはみ出た行為であります。それを、
裁判所はそのとおり言うことを聞かなければ進行させられないというところに実は問題があると考えます。そして、この
被告人につきましては結局
私選弁護人が
辞任されまして、先ほどお話がありましたように、
裁判所としては
国選弁護人の推薦をお願いしたわけでありますが、そういう特殊な信念を持っている
被告人に対してはなかなか
国選弁護人はおつきになれない。しかし、ひとつ何とか
国選弁護人を推薦していただきたいということをお願いしたわけでありますが、
国選弁護人を推薦するための国選弁護運営
委員会というのが
弁護士会にございまして、
弁護士会の方ではもう引き受け手がないから、やむを得ないから弁護
委員会の
委員長、副
委員長の方々が
責任を持って受けざるを得ないというふうな
状況になってきたわけであります。
ところが、そのような経過の中で、
被告人やその支援の者は、
国選弁護人選任に対して強く反対いたしまして、五十二年の十月二十七日に東京
弁護士会長あてに抗議文を作成しまして、その最後には「もし本件に於て一切の道理を無視して
国選弁護人推薦−選任が強行されるのであれば、我々はそれが誰であれ、真実を隠蔽したまま
被告永山則夫氏を一方的形式的に処断せんとする
裁判長簑原の強権的訴訟指揮に手をかすものに他ならないと考え、この
国選弁護人とさし違える覚悟であるので、貴会国選弁護運営
委員会に於ては、他の
弁護士をその矢面にたてることをせず、必ず、その方針を主要に推進した
弁護士が自ら
責任をもって着任される様要請する。」というふうな、こんなことを言って、そしてハンガーストライキを行う、また同じような
文書をよこすというふうなことがある。しかし、それにもめげず、弁護運営
委員会の
委員長の方、三名の方が結局
国選弁護人を引き受けられたわけであります。
そこで、引き受けられた
国選弁護人が選任された後で
拘置所に
被告人に面会に行かれたのでありますけれ
ども、
被告人は、
裁判所で会うから会わないと言って接見に応じないわけであります。そこで
裁判所は、今度は五十二年五月十七日に
国選弁護人と
被告人との打ち合わせの場をつくるという
意味で準備手続を開きまして、
国選弁護人と
被告人とが一時間半打ち合わせをできるようにしたわけであります。ところが
被告人の方では、結局、最後には立ち上がって、
国選弁護人に対して大声で、殴らなければわからぬのか、殺さなければわからぬのか、何であんなデマを流すんだというふうなことで怒号いたしまして、一たんは看守によって着席させられましたけれ
ども、再び立ち上がって
国選弁護人に
詰め寄る、そして
弁護人席の机を足でける、東弁のデマをたたきつぶすというふうに怒号する。そうすると、法廷の廊下にいた者も、これも何か前もって打ち合わせがあったのでございましょうか、同じようなシュプレヒコールを繰り返す、それで法廷のドアを再三にわたってけるというふうな
状況でございます。こういう経過で、結局
被告人をも退廷を命ぜざるを得ないということで
裁判所は退廷させる。法廷外に退去させられた
被告人は、東弁のデマをたたきつぶすぞというふうなことを怒号しながら、
国選弁護人との打ち合わせは終わったということでございます。
それでまた、今度は
弁護人の方では、しかしこのままでは、やはりもう少し
被告人との信頼関係といいますか、何とかつけなければいけないのでもう少し待ってほしいということで、実はこの間、六月八日にもう一度開かれました。しかし、このときもやはり
被告人が
弁護人に対して、やめろ、静岡
事件をどうするというふうなことをどなって、結局話になりませんので、休憩し、しばらくおいてまた入れてみると、また弁譲士さんの悪口を言うということで、とうとうこれもどうにもなりませんで、それでその日は終わった。
したがいまして、
国選弁護人がおつきになりましたときからもう大分たつわけでございますが、結局いまだに
公判期日は指定できないような
状況であります。
しかし、
裁判所は、こういうふうに
弁護人がおつきになっておって、その
弁護人が本当に
事件をやろうという気持ちをお持ちである限りは、これはもうできるだけ手を尽くして、何もこんなものを処罰してしまえばいいのだという
態度は絶対にとらないと私は思います。問題は、このような場合に
弁護人までが
被告人と一緒になって、そして静岡
事件をやらなければだめだということで
裁判拒否に出られた場合にどうするかというのが今回の問題であろうと存じます。
ほかの
事件につきましても、期日指定の問題でもいろいろといままでの
委員会で私申し上げましたので、重ねて申し上げませんけれ
ども、期日指定の問題でも、決して無理な期日指定ではないというふうに私
ども考えておりますし、それはそのときに
裁判所が発表された
文書、これは
文書の名前だけであれしますが、(
阿部(昭)
委員「結構です」と呼ぶ)
裁判所が発表された四十八年一月三十日、
公判廷で宣明された
文書を、もし御必要であれば後でお届けしますが、ごらんになっていただけば、その間の事情はよく御了解していただけると存じます。
以上でございます。