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伊藤(榮)
政府委員 連続企業爆破
事件の内容については、改めて申し上げるまでもないと思いますが、非常に多くの死傷者を出した痛ましい結果を生じた
事件でございますが、
事件が起きましたのが
昭和四十六年十二月から五十年五月にかけてのことでございまして、警察当局の必死の捜査によりまして、ようやく被疑者の検挙を見、起訴を行いましたのが
昭和五十年六月から七月にかけてでございます。
まず、この
関係につきましては、
公判開始前に、
昭和五十年八月に御承知の
クアラルンプール事件によって被告人一名が奪い去られております。
さて
公判は、
裁判所におかれましては「狼グループ」と名づけられたグループ被告人四名と、「さそりグループ」「大地の牙グループ」被告人二名と、二つのグループに分離をいたしまして、二つの部で
裁判をすることとされておったのでございますが、まず「狼グループ」の方につきましては、
昭和五十年十月の第一回
公判、それから同年十二月の第二回
公判におきまして「さそり」及び「牙グループ」との統一
公判を要求しまして、被告人、弁護人全員が不出頭でございまして、
公判がいずれも流れてしまいました。一方「さそり」及び「牙のグループ」は、
昭和五十年十一月二十五日の第一回
公判に、今度は「狼グループ」との統一
公判を要求しまして、被告人、弁護人全員が不出頭でございました。そこで
裁判所におかれましては、やむなく両グループを併合して、いわゆる統一
公判の要求に屈することとされまして、
昭和五十年十二月、起訴から約半年後に第三回
公判を開きまして、起訴状朗読を行ったわけでございます。
ところが、この
公判におきまして、今度は被告人及び弁護人は
裁判所に対し、なぜ併合したのか、併合したのは不可解だということで、その
理由を示せと執拗に迫りまして、ついに
裁判所は二カ部で審理する方式は現在でも合理的であると考えているが、被告人、弁護人の出廷拒否のため審理不能の
状態をいつまでも続けることは許されないと考え、今回の併合決定に至ったものであるという説明まで行ったのでございます。しかるに被告人と弁護人は、なおも同じような発言を執拗に繰り返し、発言停止命令に従いませんでしたので、
裁判長が弁護人一名及び被告人四名に退廷命令を発しました。そういたしますと、残りの弁護人全員が、これに抗議すると称しまして、
裁判長の在廷命令を無視して退廷して、
公判が流れてしまった、こういうことから始まるわけでございます。
その後の主な出来事をかいつまんで申し上げますと、
昭和五十一年十月の第十四回
公判におきましては、弁護人が法廷におきまして拘置所の看守を足げりにするなどの暴行を加えまして、拘束退廷命令を受けるというような出来事があり、その次の十一月の第十五回
公判におきましては、被告人らは十一月一日から十日まで秋期獄中闘争と称しまして、天皇在位五十周年記念式典紛砕というスローガンを掲げてハンストを行いまして、十一月十一日の第十五回
公判には、この闘争の
一環として、また前回の弁護人の退廷命令等の処分に抗議する、こういう
意味であると称して出頭を拒否いたしました。弁護人もこれに呼応して出頭をしなかったのでございます。この
公判も何事も審理を行うことなく流れてしまっております。
さらに、五十二年一月十四日には被告人、弁護人全員不出頭でございますが、この際も、弁護人らは
裁判所の判事室まで来室しながら、
裁判所がその以前に、一月から四月まで月四回の
公判期日を指定したことに抗議をいたしまして、弁護人らの主張するとおり月二回にしてくれない限り
公判への出頭を拒否するということで出頭しなかったのでございます。このときは、
裁判所はよほどがまんがならなかったものとみえまして、現行刑訴のしかるべき
規定を準用等いたしまして、被告人、弁護人不在のままで若干の手続を進めたようでございます。
次に、
昭和五十二年一月二十日になりますと、翌二十一日の
公判期日を直前にいたしまして、弁護人全員が辞任をいたしました。これは
裁判所の右のような期日の指定及び弁護人、被告人を無視した訴訟指揮というものを口実にして辞任をいたしました。そこで
裁判所は、国選弁護人を得るべく在京の弁護士会に国選弁護人の推薦方をお願いいたしましたのですが、弁護士会は推薦を行われませんでしたために、以後六カ月間空転をいたしました。結局、
裁判所は、最初の私選弁護人の要求を入れざるを得なくなりまして、とりあえず、弁護人の言うように月二回のペースで審理を再開することにせざるを得なかった。
こういうことでございまして、証拠調べに入りましたのは、起訴後二年以上たちました
昭和五十二年七月からということでございまして、証拠調べが始まりました直後、ダッカ日航機
ハイジャック事件により被告人二名がさらに奪い去られた、こういうわけでございます。
かような経過をたどっておりますが、この連続企業爆破
事件は、三菱重工ビル、鹿島建設など合計十七カ所の爆破等の
事件に関するものでございますが、現在までに、そのうち三菱重工、鹿島建設、帝人中央研究所、大成建設、この四つの爆破
事件についての被害者の取り調べ等が終わったところでございます。すなわち、外形的事実と被害状況の立証がこの四件についてようやく終わったところでございまして、犯人の特定でございますとか、被告人相互の共犯
関係などの重要部分についての立証は全く行われておりません。したがいまして、この
事件も、第一審の終結を見るに至る時期の見通しは全くついておりません。
かような遅延を来しておるわけでございますが、この遅延の原因は、もういまさら申し上げるまでもなく、被告人と弁護人とが意思を同じくしまして、いわゆる
裁判紛砕闘争ということで執拗に不出頭、退廷、辞任といった戦術を繰り返し、さらには国選弁護人の推薦が得られないということもありまして、
裁判所をして弁護人の言うような間遠な期間の
公判期日をやむなくさせられておる、こういう
実情にあるのでございます。