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飯田委員 この問題、私は、どうも最近の学者だとか司法官の方とか法務
関係の方は学説に毒されておられると思うのです。大変学説に毒されておる。この刑法の中に罪という言葉はどこに書いてあるでしょうか。これは「第二編 罪」とありまして、そこに罪となるべき
行為はと、ずっと書いてあります。内乱罪から始まってずっと書いてありますね。あの項目に当てはまる事実が実現したときに、それを罪というわけでしょう。そこには何ら加害者の主観的要件というものについて、たとえば心神耗弱だとか心神喪失あるいは責任無能力だとかいったような、そういうことは含まないで罪が
規定されているわけです。総則で罰しない場合の
理由が決められておるのです。総則に書いてあるのは罪じゃないのです。罰しない
理由なんです。罪として書いてあるのは「第二編 罪」です。これが刑法のたてまえなんです。刑法に書いてある、その
法律をことさらに学説によってねじ曲げておられるのが現状なんです。これは
憲法をごらんになるとわかりますが、
裁判官は良心に従って、この
憲法と
法律にのみ
拘束されると書いてあります。そうでしょう。そうすると、
憲法と
法律以外のことに
拘束されてはいかぬのだ。ところがドイツの一部の学者がこういうことを言うた、ありがたがって、それを早速日本へ輸入して、まねて学説を出す。その学説を金科玉条にして
裁判にも応用するということは
憲法と
法律に従っていない、学説による
裁判であります。学説による
裁判をやりますと魔女狩り
裁判が生ずるのです。これは大変戒心しなければならぬことだと私は思います。
そこで、いまの罪の話ですが、罪というのは刑法第二編にきちんと書いてあります。あれだけが刑法でいう罪なんですよ。ところが
憲法でいうておる罪は刑法に書いてある罪だけを指すのではないのです。それ以外の罪もありますよ。そういう、刑法に書いてある罪はもちろんのこと、ほかの罪もない場合に
補償しよう、こう
憲法は言うておるわけです。そう言っていますね。刑事訴訟法ではその
憲法の
規定をまともに実行できるようにはしていない。たとえば、現在の刑法総則では罰しないという
理由が書いてあります。ところが刑事訴訟法ではどういう
規定をしておるかというと、罰しないということに対する判決はないわけです。
無罪の判決は書いてありますよ。罰しないという判決を下し得るようにはなっていない。これは刑法と刑事訴訟法の完全な矛盾であります。しかもこの矛盾は、結局学者の学説に毒されたからだと思いますよ。
そこで、こういう重大な問題につきまして、まず
刑事補償の
本質を明確にされること、それから
憲法で言うておる
無罪とは何だ、これを明確にされなければ、本来、
刑事補償法の
改正なんてできはせぬのですよ。そういう点を、きょうはいいですが、やはり将来明確にしていただきたい。
それから次に、従来
刑事補償法で責任無能力者に対してずいぶん
補償されておりますね。これは先ほど言いましたように、本当に正しい
憲法上の考え方によって
補償されたのかという点につきまして疑問があるのですよ。これは御検討願わないといかぬと思います。そしてこれはこの間の
委員会で私は報告を受けましたが、いままでの例を見ますと、いろいろ
犯罪行為をやった人がたまたま大酒を飲んでそのとき少し狂っておった、それを皆
無罪にして、その人に何万円という
補償金を払っていますね。どろぼうに追い銭という言葉が昔からあります。これはどうも
犯罪者に対する追い銭ではないかという気がするのです。国民はこうした状態を一体本当に心からもっともだ、
憲法の
規定に基づいたことだというふうに考えておるでしょうか。これはどのようにお考えですか。