○山原
委員 この
研修というものですね、これは大事なものである。
現職教員が
研修をするということ、またそのことを望んでおるということ、こういうことは非常に大事なことで、私も何もかも否定をする立場をとっておるわけではありません。しかし、大事なことは、何でこんなふうにみんなが執拗に、
同意の問題であるとか
管理運営の問題であるとか、あるいは資料の問題であるとかいうことを言っているかというと、やはり国会ですからその辺は、おっしゃったことの歯どめがどこにあるかということを考えないと、ただ幾らここでおっしゃいましてもそれが現実になってくるとそれとは反したものになってくる。これはどうしても先々考えて心配しておかなければならぬわけです。
たとえば
免許、
給与の問題にしても、特に
教員養成大学に適用するものではないという言い方ですね。しかし、
給与の問題なんかは県の
教育委員会でどうでもなるのです。昇給短縮だってできるのです。もうそんなことは歯どめにならぬわけですよ。しかも、私の県、高知県ですが、高知県から仮に三名この
大学院に入ったとします。それは何と言ったって何千人もおる
先生の中から行くわけですから、これはどう見たって、この前天保銭というお話がありましたけれ
ども、やはりエリートになりがちな要素を持っているわけです。だから、そういう面をなくするとおっしゃるならば、そういうことに絶対にならないという言葉だけじゃなくて、そういうことにならない保障というものが必要なんですね。だから繰り返し巻き返しそのことを申しておるわけです。
たとえば、今度
受験をする方
たちは、
大学を卒業されまして三年
程度現職におられる。その
現職の
現場というのは、たとえばある
先生にとってみれば僻地の僻地の複式学級を持っている
先生かもしれません。それから大きな
学校におられる二十代の
先生であるかもしれません。それぞれのところから出ていかれるわけですね。そして来年の試験を受けようと思ったら、九月を目標にして
受験準備もされるわけです。そして二十代の教師というのは一番迫力があるのです。一番子供
たちに強い印象を与えまして、その印象が子供
たちに生涯残る。これが
教育現場の
実態です。だから、教え方はまずい、あるいは板書の仕方はまずいような面がありましても、この若い教師の情熱というものが子供
たちの生涯をきちんと規制するだけの
教育のとうとさといいますか、そういう成果の尊厳さというものを持っているわけです。だから、本当に熱心な
先生であれば、二年、三年すればもう教室の中へのめり込んでいるわけです。ここから二年間も
大学院に行くよりも、もっとここで子供
たちを教えていきたいという時期なんです。二十代というのは。そういうすばらしいものだということを考えます。
さて今度は、せっかくできた
大学院を受けようと思いますと、さあ
研修計画だのあるいは財政問題など、そして
同意が要るのだということになってきますとどうなるかというと、
同意などという関所がありまして、それが緩やかな県があるかもしらぬ、あるいはうんと厳しい県があるかもしらぬというような状態ではありますけれ
ども、この関所を越さなければならぬということになると、一年ほど前からいろいろ精神的な曲折が出てくるわけです。これははっきりしています。余りお覚えのめでたくないようなことはすまいよ、そして
同意を得よう。必ず出てくるのです。これが行政
研修の一番の弊害です。それは結局、青年教師
たちを精神的に惰落さす、
教育者として惰落さす要因となってくるわけです。だから、この
同意の問題に私
たちがこだわるのは、なまやさしい気持ちでこだわっているのじゃないのです。町の
教育長、市の
教育長がどう思うだろう、こういうふうに顔が上向いてき出すと、子供
たちに対する情熱がそがれていくのです。私も教師をした経験があります。私は二十歳代のときに一番子供
たちに対して実のある
教育をしたと自分で思っています。また、いま子供
たちに会いましても、一番その当時の子供がそう言ってくれます。
教育というものはそんなものです。そこに合意などというもの、
同意などというものが入ってくることをごくごく簡単なように
大学局長もおっしゃいますけれ
ども、この関所が教師を惰落さす要因になったら大変なことです。
そして今度は、二年間の
研修を受けて帰ってきます。県へ恐らく帰られるであろう、あるいは契約的に、せっかく県がお金も出して行かせたのだから県へ帰ってくるだろうというお話がこの間の
質問でありました。自分の
学校へ帰りますか、僻地の三学級の複式の
学校へ帰りますか、そのときにどういう作用があるかというと、恐らく県の
教育委員会、市の
教育委員会などは、あなたは何千人もの中から選ばれて二年間勉強してきたのだから、たった三人しかいない
先生のところへ帰るのはもったいないから、郡の
教育事務所の指導主事になってください、県の
教育委員会の指導主事になってください、こういうふうになってくるのです。同じ県に帰ると簡単に言っておられるけれ
ども、そうなってくるとこれはいままで御説明になりましたような
趣旨とは違ったものになってくるのです。そのことを私
どもは心配をしていろいろ申し上げているわけでございます。
だから、この
同意というもの、きわめて簡単なたった二文字でございますけれ
ども、これがさまざまな役割りを果たす。そして矛盾を生じてくる。その矛盾が生じてくるのを防ぐためには、この
同意ということをやめまして、もっと上手な方法を考えたらどうですか。こういうものじゃなくて、合格したら、
現職で行くのですから出張命令を出してもいいですよ。しかし、事前の合意というのはみんなでもっと
相談をして、これはもう決まったものだ、事前に合意をし承諾書を出さなければだめなんだという態度ではなくて、この問題について、まだ
法案の採決までに日がありますから、もう自民党も野党も一緒になって、
文部省も一緒になってこれをどう上手に処理していくか、料理をしていくか、そういう矛盾を起こさないためのものにどうすればなるか、これぐらいのことは
相談をし合っていい問題だと私は思うのです。いま
委員長席に座っておられる唐沢
先生も、一昨日私のそばで、この
同意の問題について、たとえば百人受けたとき、あるいは高知市で十人受けて十人全部合格したらどうなるのだというようなことになってくるから
同意の問題が要るのじゃなかろうかというような、皆
同意ということは全面的にいいとは思ってはいないと思います。けれ
ども、そこでこれをどうするかということは私はお互いに話し合っていいと思う。
そういう
意味で、
文部省は、ここへ書いてあるからもうこのとおりでいくのでございますという立場ではなくて、日本の
教育の全体を見て、将来を見まして、この問題についてはまさにこの国会の中でも
文部省を含めていわゆる合意に達していい面じゃないか。それが合意に達しなければまた別でございますけれ
ども、それくらいの
努力をしていいのではないかと私は思うわけでございますが、この点については
文部大臣の御意見も伺いたいと思いますし、また、いま
委員長をされております唐沢
先生もどういうお気持ちでおられるか、伺いたいと思います。