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1978-04-14 第84回国会 衆議院 文教委員会 第14号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十三年四月十四日(金曜日)     午前十時四分開議  出席委員    委員長 菅波  茂君    理事 石橋 一弥君 理事 唐沢俊二郎君    理事 藤波 孝生君 理事 嶋崎  譲君    理事 有島 重武君       久保田円次君    小島 静馬君       坂田 道太君    玉生 孝久君       長谷川 峻君    水平 豊彦君       小川 仁一君    大原  亨君       千葉千代世君    中西 績介君       池田 克也君    鍛冶  清君       伏屋 修治君    中野 寛成君       山原健二郎君    西岡 武夫君  出席国務大臣         文 部 大 臣 砂田 重民君  出席政府委員         文部政務次官  近藤 鉄雄君         文部大臣官房長 宮地 貫一君         文部省初等中等         教育局長    諸澤 正道君         文部省大学局長 佐野文一郎君         文部省体育局長 柳川 覺治君  委員外出席者         文教委員会調査         室長      大中臣信令君     ————————————— 委員の異動 四月十三日  辞任         補欠選任   石川 要三君     齋藤 邦吉君 同日  辞任         補欠選任   齋藤 邦吉君     石川 要三君 同月十四日  辞任         補欠選任   長谷川正三君     大原  亨君 同日  辞任         補欠選任   大原  亨君     長谷川正三君     ————————————— 四月十二日  私学に対する国庫助成増額に関する請願外四件  (小川国彦紹介)(第三〇一四号)  同外三件(新村勝雄紹介)(第三〇一五号)  同(玉城栄一紹介)(第三〇一六号)  同外三件(新村勝雄紹介)(第三一四七号)  私学助成に関する請願草川昭三紹介)(第  三〇一七号)  私学に対する助成増額等に関する請願中川一  郎君紹介)(第三〇一八号)  オリンピック記念青少年総合センター存続等  に関する請願石田幸四郎紹介)(第三〇一  九号)  同(沖本泰幸紹介)(第三〇二〇号)  同(貝沼次郎紹介)(第三〇二一号)  同(鈴切康雄紹介)(第三〇二二号)  同(市川雄一紹介)(第三一〇〇号)  同(鍛冶清紹介)(第三一〇一号)  同(野村光雄紹介)(第三一〇二号)  同(林孝矩紹介)(第三一〇三号)  同外一件(伏木和雄紹介)(第三一〇四号)  私学学費値上げ抑制及び教育研究条件の充  実等に関する請願松本善明紹介)(第三一  〇五号)  公立高校新増設のための国庫補助制度拡充等に  関する請願山原健二郎紹介)(第三一〇六  号)  同(伊藤茂紹介)(第三一四〇号)  同(岩垂寿喜男紹介)(第三一四一号)  同(大島弘紹介)(第三一四二号)  同外五件(古川喜一君外一名紹介)(第三一四  三号)  同(楯兼次郎紹介)(第三一四四号)  同外三件(古川喜一紹介)(第三一四五号)  同外一件(村山喜一紹介)(第三一四六号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法  の一部を改正する法律案内閣提出第二一号)      ————◇—————
  2. 菅波茂

    菅波委員長 これより会議を開きます。  国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  この際、佐野大学局長より発言を求められておりますので、これを許します。佐野大学局長
  3. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先日の木島委員の五項目にわたる御質問についてお答えを申し上げます。  第一に、既設教員養成大学学部教育研究条件整備充実につきましては、一層推進してまいりたいと存じます。また、大学院設置につきましては、各大学教育研究体制整備状況大学院構想検討進捗状況等を勘案しながら逐次計画的に進めてまいりたいと存じます。  第二点の、免許給与の問題についてでございますが、教員大学大学院修了者のみに対する免許給与制度改正は考えておりません。なお、現職教員大学院を修了した場合の処遇につきましては、将来の検討課題であると考えております。  第三点の、市町村教委同意の問題でございますが、教育委員会大学院受験同意を与える場合には、教員大学設置趣旨に即し、本人の積極的な勉学の意欲を尊重しながら、全体の研修計画等諸般事情を総合的に判断して、適切な取り扱いがなされるように期待をいたしております。  第四点の、教員大学管理運営につきましては、筑波大学のような学群学系制をとる大学ではございませんので、それを基礎とした方式をとるものではございません。  五番目の、教員大学名称は、法令上の用語である「教員」という語を用いまして、教員のための大学である旨を明らかにしようとしたものであり、適切な名称であると考えております。  以上でございます。
  4. 菅波茂

    菅波委員長 質疑の申し出がありますので、これを許します。中西積介君。
  5. 中西績介

    中西(績)委員 ただいま、先般の本委員会における社会党からの五点にわたる質問内容に対する答弁があったわけでありますけれども、この点に関しましてさらに内容的に明らかにすべき事項があると思いますので、一、二の点について質問を重ねてまいりたいと思います。  まず初めに、大学院構想検討進捗状況等を勘案しつつ逐次計画的に進めてまいるという答弁になっておりますけれども、これでは大変抽象的で、いままでの文部省の施策のあり方からいたしましても、こういう中身では納得しかねる面があるわけであります。したがって、数字をもって、どの程度を大体目標にしてやるのか、あるいは年限的にはどの程度の年限でやるのか、これらの点について明らかにしていただきたいと思います。
  6. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御質問の中には、無医大県解消のための医科大学の創設のように、毎年度計画的に数校ずつを設置していくという御指摘がございました。これまでもお答えを申し上げておりますように、四十七年以降各大学から大学院設置の御要望が出てまいっております。五十三年度の予算検討するに際しまして、各大学から提出された大学院設置の御要望は十三の大学にわたっております。これらの大学がすべて大学院設置するに足りるだけの十分な教育研究体制整備あるいは教員構成等を持っているものでは必ずしもございませんし、また大学院構想自体についてもなお検討を詰めなければならない点があると判断をいたしております。したがいまして、医科大学をつくっていく場合のように、もっぱら、いわば国の方の考え方に従って逐次これを設置していくということが必ずしもできない状況にございます。大学の側の構想検討状況大学の側の御判断考え方というものを十分に私ども伺いながら、御相談の上で逐次進めてまいるという形をとらざるを得ないわけであります。ことしの法案愛知教育大学修士課程をお願いしておりますけれども、これも愛知教育大学と十分に御相談をした上で修士課程設置を適切と認めてお願いをしておるわけでございます。したがいまして、今後何年間にわたって毎年何校ずつというような形での数字をお示しすることは、事の性質上できかねるわけでございますけれども、私たちは、愛知教育大学に続いて、今後、毎年大学側相談をしながら、構想の詰まったものについては大学院設置というものを、財政当局とももちろん協議をしなければなりませんけれども、進めてまいりたいと考えておりますので、御了解をいただきたいと思います。
  7. 中西績介

    中西(績)委員 それでは、既存教育大学が他の大学学部に比べまして予算あるいは人的に劣悪ということは、この前からの説明の中でもお認めになっておるようですが、この点はよろしいですか。
  8. 佐野文一郎

    佐野政府委員 一般教員養成大学の場合には、他の学部のように修士課程を持っていない学科目制大学が多いわけでございますから、そういう意味で、教官当たり積算校費等学科目制基礎として積算をされておるという点は確かにございますけれども、しかし、直ちに教員養成大学あるいは学部教育研究条件が他の学部対比をして劣悪であるというように言うことはできなかろうと思います。一般的にもっと改善をしなければならない状況にあるということはもとよりでございます。たとえば教官当たり学生数等を比較いたしましても、学生数をもって直ちにその学部なり学科なりの整備状況が進んでいるか進んでいないかということを判断することはこれは危険ではございますけれども一つの例として申し上げますと、教員養成大学の場合には、沿革的に大学事情が違いますのでこれも一様ではございませんけれども教官一人当たり学生が十人未満大学が七大学、十人から十四人未満のものが二十五大学、十四人以上のものが十五大学というような状況にございます。これを他の学部比較をいたしますと、同じように比較的広領域にわたって授業科目を開設しております教養学部の場合では二十七・一人、文理学部では十二・四人というような状況が見られるわけでございます。先ほど申し上げましたように、これをもって直ちに教育研究条件対比ということができるわけではございませんけれども、そういった状況にあるわけでございまして、教員養成学部全体に、より教育研究条件整備していかなければならないということは十分に承知をしておりますけれども、他の学部比較して著しく劣悪な状況に現在もなおあるというわけでは必ずしもございません。
  9. 中西績介

    中西(績)委員 新構想大学設置費用は、先般の委員会の中でも百八十億を超える内容のものであるということを一応お示しになったわけでありますが、そうしますと、既存教育系大学の、先ほど言われておりました十三の大学から大学院設置の要請がある。ところが、その場合に、設備あるいは陣容等についての不足の状況があるということを申されたわけでありますけれども、その場合に、この十三大学にもし大学院設置するという陣容あるいは設備をある程度整えていけば、その体制ができ上がるわけであります。そういうことになりますと、この百八十億、しかも二校設置をしていくという、将来的にはまだありますから、これは後でお聞きしたいと思いますけれども、そういう点からいたしまして、内容的に、費用の点から考えてどうなんですか。
  10. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これも一概にお答えすることが非常にむずかしいことになります。基礎になる学部整備状況が区々でございますので、その整備をまず進めなければならないという点がございますから、各大学について一様に言うことは非常にむずかしいわけでございます。ただ、既設大学大学院をつくってまいります場合には、そうした充実を見た学部の上に大学院を幾つかの専攻を持って立てますので、基礎となる部分についてはすでに当然予算的な措置が講ぜられた上で大学院ができるということになります。したがって、大学院をつくることに伴う金額それ自体はそう多いものではございません。  たとえば今度、愛知教育大学に五専攻入学定員六十名の修士をつくるわけでございますが、この場合は、施設費を含んで要している金額は一億二千万円程度のものでございます。ただ、これは大学院をつくるために必要なものということで計算をしているので、大学一つつくる場合のように、全く新しく施設設備を整え、あるいは教官を全部整えていく場合の経費とは直ちには対比できないわけでございます。
  11. 中西績介

    中西(績)委員 対比はできないと言うけれども、いま問題は、十三大学設備あるいは陣容、そういうものを整えていけば大学院としての認可なり、それはできるわけであります。しかも、愛知大学の場合には、六十名で、このような大学院設置については一億二千万程度であるということから勘案いたしますと、一校について百八十億なり二百億といわれる、これだけのものを各大学に注ぎ、そして陣容整備を整えながらいくという仮定をしますと、一応できるんではないかということを私は想定するものです。ですから、この点からいたしまして、少なくともいま現在出ておる十三校をどうするかという問題とあわせて、将来的に全教育系大学をそういう方向でもって対処するという、こういう見解というのは成り立たないものかどうか、この点はどうなんですか。
  12. 佐野文一郎

    佐野政府委員 私どもは、修士段階につきましては、学部段階教育研究体制充実をし、その設置構想が十分に固まってくれば修士をつくっていこうという基本方針国立大学については持っております。博士の場合については事柄が違いますが、少なくとも修士についてはそういう対応をいたしたいということを方針としているわけでございます。  修士課程設置のためには、まずどういう構想を持って、どのような修士をつくっていくかという大学自体における御検討が十分に固まる必要がございます。そして、その基礎となる教育研究体制整備、確立ということがもちろん必要でございますけれども、そういったことを進めながら逐次各大学につくってまいりたいということでございます。
  13. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、基本構想ができれば、そして各大学なりがそういう問題について提示できる体制をつくると同時に、文部省としてはそれについてむしろ積極的にそういう構想を立案、計画、企画すべきだということの話を持ちかけるという、こういう態度はあるんですか。
  14. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教員大学構想検討をされ、そして国大協の側と私どもも話をしてきたわけでございます。私たち教員大学だけを推進していくのではなくて、あわせて一般既設大学整備に力を注いでいくんだということは大学側も十分に承知をしておりますし、また現に愛知教育大学修士課程設置というような形で具体の一歩も踏み出しているわけでございます。そういうことで、それぞれの大学でも熱心に御検討が進んでいると承知をしております。御検討内容というのは各大学によって決して一様ではございませんし、地域によってはそれぞれの大学が御相談になって、いわば大学院連合というような形で特色のある大学院ができないかというような御検討もなさっております。そういった各大学における積極的な御検討というのは私たちはこれを歓迎するところでございますし、大学の方の御検討進捗状況を十分に伺いながら、私たちも私たちなりの考え方大学側にお示しをして、教員養成大学教育研究体制の十分な整備が進みますように配意をしてまいるつもりでございます。
  15. 中西績介

    中西(績)委員 その場合に、設置をしていくということになりますと、少なくとも一定中期構想なり何なりを示して、計画的に是正をさせるための予算措置、そしてそれに基づく構想提示、そしてそれに対して、このように何年間の計画なりの中で解消していくあるいは設置をしていくという具体的なものが示される必要があると思うのです。歓迎しておるということを申されるわけでありますから、少なくともそれに近づけるべく努力をしていくということは、もう一度確認してよろしいですか。
  16. 佐野文一郎

    佐野政府委員 最初にお答えを申し上げましたように、各大学の御努力というものと相まって、私たちも積極的に修士課程設置というものについては対応してまいるつもりでおります。
  17. 中西績介

    中西(績)委員 そこで、大臣にお聞きしますけれども、いま言われたようなことでもって特に基本構想というものが重要視されておるようでありますが、そういうものが明確になっていないということも一つあるようです。ですから、そういうものが整い、そして一定方向性が出てき、そうしますと、私たち質問内容として示しておりますように、計画的に三校なり三校なり、こういうものが具体的に出てくる要素というのはそこからあるのだと思うのです。積極面を持っておられるという文部省でありますから、その点、大臣はお認めになると思うのですが、その決意、どうでしょう。
  18. 砂田重民

    砂田国務大臣 大学局長お答えをいたしましたとおりに、修士課程段階はすべてこれを考えていこうという基本方針をすでに持っておるわけでございます。御審議を願っておりますこの法案の中の教員大学、その教員大学既存教員養成課程大学というものが好ましい影響を受け合いながらということが参考人の御発言の中にありまして、まさにそのことが一番大事なことでございます。いま大学局長お答えをいたしました大学当局御自身の御準備のこともあることでございますけれども、私どもといたしましては逐次計画的に進めてまいることにいたしておりますし、その段階財政当局了解も取りつけなければなりませんけれども、その点等については、文部大臣といたしましては積極的に最善の努力を尽くす決意でございます。
  19. 中西績介

    中西(績)委員 それでは、二番目の答弁の一番最後の方で、将来の検討課題であると考えておる、こういうことを言われておりますけれども、将来の検討課題と申しますが、この検討中身はどういうことを指しておるのですか。
  20. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これもこれまでの御質疑に対しましてお答えをしたのでございますが、たとえば、現在、大学を出てすぐ教員になった者の給与大学から大学院に進んで大学院を修了して教員になった者との給与では、同一年齢で比較をしますと一号の差があるわけでございます。しかし、在職中に大学院で勉強された場合には、給与の上では別段の差を生じないという実態になっております。広く大学現職先生方に開いて、大学院で御勉強をいただくということを進めていく上で問題がないかという点は、私たち課題意識としては持っているわけでございます。しかし、このことについて具体検討すべき時期というのは、既設大学における大学院整備され、そして現職先生方に対する門戸がさらに開かれて、現職先生大学院で勉強されるという機会が十分に確保された時点で考えなければいけないことだと思っております。そういう趣旨で、そういう課題はあるのだけれどもそれを現在すぐどうしようということではない、それは将来そういう状況が出たときの検討課題であるということを申し上げたわけでございます。
  21. 中西績介

    中西(績)委員 そこで、この前質問を出しました中に、一点目とのかかわりがあるわけでありますけれども、それぞれの大学にもこういう修士課程なり何なりを置くという将来的な計画ですね、そういうものとあわせて、そこでの卒業生とのかかわり一つ出てくるわけなんです。と申しますのは、これは一番最後の方で聞こうと思っておったのですけれども、たとえば愛知教育大学の場合の修士課程、本年の場合、いよいよこれから設置するということが決まるわけでありますが、そうした場合に、ここでの入学者の選抜の中に教員三年以上、そういうものを含めてやるつもりはおありになるかどうか。
  22. 佐野文一郎

    佐野政府委員 文部省としましては、愛知教育大学大学院の場合も、学部からの進学者だけではなくて、現職先生方に門を開いてほしいと考えております。ただ、東京学芸の場合もそうでございますし、大阪教育の場合もそうでございますが、それぞれ現職先生方に門を開くということをたてまえとし、また私たちもそれを大学側にお願いしておるわけでございますが、実際問題としてはなかなか現職先生が入っていないという状況がございます。それは、実態がそうであるということもございますけれども一つには、学部を卒業した者に対して進学の道を開く、そういったことも修士課程あり方といたしましては一つの重要なこれからの教員養成方向でもございますので、愛知の場合には、大学のお考えによることではございますけれども進学者の割合の中では、新卒と申しますか、学部卒業生から進学する者のパーセントがかなり多くなるとは思います。しかし、現職先生方にも門を開いてほしいし、そういう運用を大学がなさることを期待しておるわけでございます。
  23. 中西績介

    中西(績)委員 その場合に、愛知の場合、現職現給で入学をさせるかどうか、この点、どうでしょうか。
  24. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学の方からすれば、できるだけ現職現給で入っていただくということを当然期待をするでございましょう。それをどのような形で運用していくかというのは、いわば送り出す方のサイドが全体の研修計画の中でどのように御判断になって現職先生方進学をお認めになるかということにかかるわけでございます。私たちは、もちろん大学と同じように、できるだけ研修のやりやすいように現職現給で派遣されるということが望ましいと考えております。
  25. 中西績介

    中西(績)委員 そうすると、いま提起されております教員大学の場合とは違うということですか。そこをちょっとはっきりさせてください。教員大学の場合には現職現給、これを原則としてやるわけでしょう。そうしますと、愛知教育大学現職の人が現場から入学する場合には同じ措置をとるということかどうか、そこだけ確認をしてください。
  26. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教員大学の場合には、御承知のように、三分の二について現職教員の受け入れを前提とし、その場合に現職現給ということを前提として措置をしたいと考えておるわけでございます。愛知教育大学修士課程の場合にも、考え方は、もし現職先生がお入りになる場合には現職現給で派遣されるということが望ましいし、そういうことになることを期待しております。
  27. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと先ほどの、将来の検討課題というところに返るわけですけれども、まだまだ多くのそういう希望者がおるにもかかわらず、大変制限をされて十分な体制になってない。ですから、きわめてエリート的な性格を持つ可能性があるわけですから、そういう面では、ここではまだまだ給与制度改正等については考えられぬけれども、将来的にこれが一般化する、大きく拡大をしていく過程というものが出てくれば、という意味で理解をしてよろしいでしょうか。
  28. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のとおりだと思います。
  29. 中西績介

    中西(績)委員 そういうことになりますと、この一にまた返るわけですけれども、多くの大学院というものを、修士課程をいち早くつくっていくということが一定条件として存在するわけですから、この点は何としても、四十七都道府県における既存教育大学、こういうものの充実と強化というものをやることが前提にならなくちゃならぬということを確認したいと思うのですね。  三番目に入るわけですが、三番目の回答を見ますと、研修計画等諸般事情を総合的に判断して、適切な取扱いがなされるよう期待している、こういうようなことであります。この同意の問題は、受験をする以前の問題として同意書をこのように取りつけなくてはならぬということがどうしても私たちには理解できないわけです。いままでこうして質問に立ったすべての方がこのことを指摘したと思うのです。ですから、このことをもう少し率直に認らめれて、行政ペースなりあるいは文部省なりの考え方だけでなしに、一般的に考えた場合にどうなのかという、もう少し常識的に物を考えてほしいと思うのですけれども、この点は私は大変問題だと思いますのでまず確認をしたいと思いますが、入試はいつごろ行うのか、この点についてお答えください。
  30. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学院入試一般に九月に行われるものが多いわけでございますし、この大学の場合にもそういうことになろうと思います。
  31. 中西績介

    中西(績)委員 九月ということになりますと、もし現場で、局長が答えられましたようにいろいろなトラブルがあって、ぜひいてほしい、出てほしくない、こういうような教師の場合には、九月ごろにやられるということであればその以前からその問題は論議されるわけでありますから、本人が意思を所属長なり校長なりに伝えればいいわけです。そして学校全体の問題としてどうするかという討論も可能なんです。これは私たちが実際に経験してきたことなんですけれども学校間における人事、転任をする場合の状況というのはやはりそういう問題がたくさんあるわけなんです。ですから、このことを申し出ることによって、たとえ内示をしてあっても、苦情処理の中でもそれを片づけるくらいの対応をいままで行政としてはすべてしているわけでしょう。そういうことを考え合わしてまいりますと、このような九月にやるということになりますとずいぶん入るまでの期間があるわけですから、それ以前の問題として論議され、そして確認がされれば、現場ではそういう、指摘のあった何か不都合が起こるというような言い方は、私は条件としてはなくなるのではないかと思います。この点はどうお考えになりますか。
  32. 佐野文一郎

    佐野政府委員 再三お答えを申しているところでございますけれども一般大学は、現職の方々の受験に際しては所属長あるいは本属長等の同意書の添付を求めております。これは、入学をした場合に現職のままで修学が可能であるということのいわば保障を求める趣旨を持っておるものであると考えます。この教員大学の場合にも、そういった受験をされる方が合格した場合には、現職現給で修学できるという保障というものをあらかじめ取りつけておくという趣旨をもって、また送り出す側からすれば、そういった保障を与えるという趣旨をもって同意書の添付を求めるものでございます。確かに、入試のときにそれを求めないで、合格後に同意を求めれば足りるではないかという御指摘があろうかと思いますけれども大学の方の事情から申しますと、入学試験を受ける者についてあらかじめそういう保障を得ておくということが入試の事務処理の上からも必要でございます。そういうことから同意をあらかじめ得ていただきたいというお願いをしているわけでございますが、その同意を送り出す教育委員会の側でどのように運用されるかという点については、お答え申しましたように、本人の積極的な勉学の意欲というものを十分に御尊重いただいて、そうしてその県における全体の研修計画等のいろいろな事情をお考えになった上で運用が行われるということを私たち期待をする、そう申し上げているわけでございます。
  33. 中西績介

    中西(績)委員 どうしてもわからないのですがね。少なくとも入学選抜ということになりますと、この概要の中にも示されておりますように、先ほども言っておりますように、大学の主体によってこれがなされるということの確認はできるわけですね。このことはどうなんですか。
  34. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学入学試験でございますから、もちろん入学者を決定するのは大学がもっぱら責任を持って決めるわけでございます。
  35. 中西績介

    中西(績)委員 その大学入学決定については大学が主体となってそれを決定するということでありますから、進学をしたい、学問をしたいということの条件としては、全部一様に大学側は受けとめるべきではないかと思うのです。たとえば経済的な格差、それぞれの家庭の事情だとかあるいはいろいろな事情が異なっておっても、大学の方としてはそこには条件的な差というものはないと思うのですよ。それなのにどうしてこういうような事前に条件整備をさせるということが問題になっているのか、そこはどうしてもわからないのですね。
  36. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これは教員大学だけがそうしようとしているのではなくて、いま一般に、大学学部なりあるいは大学院現職の方が受験しようとされる場合には、あらかじめ所属長等の同意書の添付を求めているわけでございます。それは大学の方の側の事情と御指摘をいただけば確かにそうでございますけれども、先ほど申し上げているように、大学がまさに主体的に大学入学すべき者を決めるという趣旨からいたしましても、受験をした者が合格をすれば現職のままで修学できるという保障を得ておきたいということでございます。ただ、この前からお答えを申しておりますように、自分はやめても大学に行きたいのだというような現職先生の場合には、もちろんその受験を拒むものではございませんし、同意書の添付がなければ絶対に受験ができないという性質のものではございませんけれども、原則はいま申し上げているようなことでございます。
  37. 中西績介

    中西(績)委員 いままでやっているから、だからこれをやるのだ、そういう論理で追及しているわけじゃありません。少なくとも大学側が主体的にやる場合には、そういう諸条件を全部整備してこなければそれは採用できないのだというようなことに私はならぬと思うのですね、どの大学であろうと。たとえばいままでこの委員会で問題になった医者大学みたいな状況とは違うのですから、そういうことはあってはならぬということでしょう。ですから、少なくともそういう条件整備をしなくちゃならぬということを前提にして入学願書の受け付けをするという、このことが私は問題だと言っているわけです。ですから、いままで一般大学がやっているとするなら、そのこともやはり改めなくちゃならぬ問題です。そこら辺が一つの問題点としてあると私は言っているわけですから、私が主張していることが間違いなのか。あなたがさっき言われたいわゆる修学の保障をもらわぬと受験のための願書提出ができない、こういう条件があること自体が間違いだと思うのだけれども、どちらが間違いですか。
  38. 佐野文一郎

    佐野政府委員 間違いかどうかということではないと思います。いずれにしても、現職の方が勤務場所を離れて大学で勉強をするわけですから、それは私たち大学院に行って勉強する場合に上司の許可を得なければならない、あるいは大学先生が在外研究で外国に行かれる場合には教授会の了承を得て出張されるということと同じように、現職の者である以上は、勤務場所を離れて勉強することについては上司の許可が要るというのは当然のことでございます。それをどの段階でとるかということが結局議論になるわけで、大学の場合には、そういう現職のままで勤務場所を離れて勉強するということについての上司の了解というものを受験の際に得ておきたい。そうでないと、これはきわめて具体的な話になりますけれども、たとえば二百人の定員について二百人の合格者発表をした場合に、その後上司の方の御了解が得られないということで欠員を生ずるというふうなことでは大学の方としては困るわけでございます。これはきわめて具体的な入試の事務処理の上のことではございますけれども、そういう点からあらかじめ同意を得ておくということを各大学はやっているわけでございますから、そういうふうな処置をしていることがもちろん間違いではございません。ただ、大学判断によって、事後において許可書を得てもらうという考え方をとる大学が出てくるかもしれません。私はそのことを絶対に間違いだとは申しませんけれども、やはり大学の方の事情からすれば、事前の同意書の添付ということを求めるというのは当然のことではないかと思います。
  39. 中西績介

    中西(績)委員 間違いかどうかということがあれだったら、少なくとも基本的な考え方なり何なりは、修学の条件にそれが必要だということは誤りだと私は言っているわけです。だから、少なくともいまあなたが答弁なさった中で、上司が不許可にするのではないかということを前提にして物を考える、ここが大変な誤りなんで、そのことの発想が、第一にこれをとるということが前提になっているからここに結びついていくわけですよ。修学の保障というものは、いま言うような内容がなくとも当然平等でなくちゃならぬし、自由でなくちゃならぬわけです。このことを制限なりチェックをするような形態に、手段としてはこれは将来的には出てくるわけだ。  いまあなたが言う上司の不許可という問題がたまたま出たから私は言うのだけれども、そうなってくると、事前に上司の不許可ということが問題になってくるわけでしょう。こうなると大変な問題になるわけですね。修学の保障を取ってこいということは、行政のそういうチェックを受けて入ってきなさい、具体的に言うならばこういうことにつながるわけでしょう。そのことはお認めになるでしょう。そういうことになると、大学が主体にやる入学選抜というものが行政のチェックによってなされておるということが言えるのじゃないでしょうか。つながっていくのじゃないでしょうか。だから私は、少なくとも大学本人大学入学したいという本人の希望と大学が許可をするというこの二つの条件整備したときに初めていわゆる行政側の認知なり許可なりがあればいいわけなんだ。問題は、誤っていると私が指摘するのは、行政がチェックをするという、このことが事前にあるということが、大学のそういう学問研究の自由をチェックするということになるのですよ。たとえば、同じ条件入学できる許可をしておっても、ある人はそれで行ける、ある人は行けないということになると、片一方には賃金からすべてを保障してやるということになるし、片一方には全然それをやらずにすべて自己負担で行かなくちゃならぬ、大学に行く場合、今度はこういう差が出てくるわけですよ。ここら辺が大変な問題になるわけなのです。  ですから、少なくとも大学というものが主体的にやるということを生かすということでもって大学入学許可と本人の希望とが一致し、そのことがまず前提にあって初めてそこに行政の介入するところが出てくるのじゃないですか。介入というよりも、行政の了承なり許可なりの方策が出てくると私は思うのです。この点、どうでしょう。
  40. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘の御趣旨はよくわかりますけれども、もちろん、大学でございますから、受験をするという希望を持った者が受験をし、そして適切な入学者の選抜を経て入学すべき者が入学をするということでございます。筋はそういうことなのですけれども、その受験をする者について現職である場合には、あらかじめ所属長同意という状況のもとで受験をしてほしいということを大学側はお願いをするわけでございます。  御指摘のように、それは、大学入学の許可をした者について、ある人はその後教育委員会同意があって現職のままで入学できる、ほかの人は、入学の許可は受けているけれども同意を得ることができないから入学できない、あるいはおやめになって入学をされるということの方が事柄としては問題が大きい。むしろ事前に、これは入るか入らないかわからない段階なんですから、よく所属長と御相談の上で、合格した場合には現職のままで出れるという状況を、送り出す側の運用の中でなさっていただくことの方が私はベターだと思います。
  41. 中西績介

    中西(績)委員 おかしいと言われるけれども、そのおかしいということがおかしいわけなのです。なぜならば、大学は許可をし、本人が行きたいというのを、行政がチェックしてその人に行かせないということをすること自体がおかしいわけですよ。しかも、現場でそういう者は、私たちのいままでの経験からするなら、みんな、大学受験するとかなんとかいう場合には、お互いに同僚と、あるいは学校の中で十分なそういう討議がなされて、されていくわけです。人事の場合だってそうですよ。そういうことをやらぬでやるときには、これは不当人事ということになるわけですね。全く知らないうちにやられるなんということはあり得ぬわけですから。そういうことで、むしろあなたがおかしいと言われる点が私たちには大変おかしく映ってくるわけなんですよ。だから、少なくとも行政が、成り立っている条件をチェックし、つぶしていくというこのことがむしろおかしいわけですから、この点を準備委員会なり文部省当局で再度話し合いをして明らかにさせてほしいと私は思うのです。
  42. 佐野文一郎

    佐野政府委員 本人の積極的な勉学の意欲を尊重するということは、先ほど来お答えを申し上げていますように私たち考え方の基本にあるわけでございます。ただ、現職の者でございますから、これは教員であろうと公務員であろうと、あるいは会社員であろうと、同じように、本人だけの希望によって現職のままで勤務場所を離れて修学できるということにはならないわけで、それはどうしても所属長の許可、同意というものが必要になる、これは事の性質上当然にそういうことになるわけでございます。したがって、問題は、その同意の与えられ方における運用の問題になるわけであって、そこのところを先ほど申し上げましたように、その県全体の事情をもちろん御判断いただいてそういった同意が運用されることになると思いますけれども、適切に運用していただきたいということを大学はお願いをしているわけでございます。
  43. 中西績介

    中西(績)委員 いままでの委員会での討議の中でも、これに進学をする者に対する定数の補完については、これは初中局長答弁されていたように、やるということでありますから、これは二百人、両方で四百人ということになったとしましても、将来的にはこれを全部ずっと補充をするわけでありますから、県が負担をするということはないわけなんです。ですから、県教委の研修なりの計画、企画の中に、数の上である程度の幅ができることは事実ですね、その年、年の合格者の数によって。しかしこれはいたし方ないことなんです。それをむしろ二名だとか三名だとか制限をするということになった場合には、これは逆に抑え込むということで極端になるわけでありますから、大変な問題になるわけでしょう。だから、いま事前にそのことの許可を得てくるとか同意書を得てくるという条件は、先ほどから局長が言っているように、その県の計画等があるからということを前提にして言いますと、これは大変な問題になるわけですよ。だから、私たちが先ほどから指摘しておるようなことがより具体的になってくるわけであります。だからそのことをむしろ局長はさっきから盛んに言っているわけです。計画、その中で処理をすると問題があるのでということを言っているわけです。この点を考えますと大変問題があるわけですから、条件としてはこういう条件をつけるべきでない。むしろ、そのことをすることが、計画という枠の中でしか物を考えないということにつながるわけでありますから、これは大変問題であるということを指摘しておきたいと思います。  大臣にちょっとお聞きしますけれども、そういう意味で、研修計画等諸般事情を総合的に判断してというこの答弁中身というのは、そういう制限を前提にしておるということになるわけですが、この点はどうお考えですか。
  44. 砂田重民

    砂田国務大臣 大学局長が御答弁をいたしましたとおりでございますけれども、都道府県の教育委員会におきましても従来の、都道府県教育委員会がみずから計画を立てて実行しております長期研修、これは都道府県教育委員会計画をして派遣をするわけでございますから、そこに都道府県教育委員会としての選考ということが従来はほぼ行われてきているようでございます。しかし、今回の教員大学というものはそういうものと性格を全く異にする。国が教員のさらに重ねての勉学意欲にこたえる、そういう機会を提供する教員大学であるという趣旨に基づきまして、これの取り扱い等について都道府県教育委員会もいませっかくいろいろ研究をしてくれているところでございます。従来の長期研修に、都道府県教育委員会が自分で計画をした長期研修会に派遣をするという事態とは全く様相を異にするわけでございますから、その点を都道府県の教育委員会検討しているところでございます。私ども文部省といたしましても、この同意ということの意味が、現職現給で修学できる保障を取りつける、そこに重点があるという御理解をいただきたいところでございまして、本人の勉学意欲にこたえようというところからむしろこういう考え方が出てきたわけでございます。全体の研修計画あるいはまた、いま行政チェックという言葉を使われましたけれども、従来の都道府県自身が立てます研修計画の場合とこれは初めから発想が全く違うことからスタートをいたしておるわけでありますから、従来のような行政チェックというものでは全くない、このことをひとつ御理解をいただきたいと思うのでございます。
  45. 中西績介

    中西(績)委員 いま大臣が言われましたように、長期研修計画とは発想そのものが違うし、性格を異にするものである、それをお認めになるなら、先ほどから私たちが言うように、この点を上司の不許可、そのことを前提にして物を考えるということ自体が大変おかしくなってくるんじゃないか、私はこう思います。  これはもう議論したって出てくるような顔をいたしておりませんので、あえて時間をかけることはしませんけれども、この点は大変問題のある中身でありますし、いま大臣が言われましたように、この発想、性格、すべてが異なるものであるということの見地に立って、この場合にはそういう制限的なものが加わること自体が大変問題だ。先ほどから申し上げるように、初中局長が言うように、人員の保障等については全部やるわけですから、直接そこに大きな被害なり影響というものはないという条件整備までされるわけですから、その点は大学のそういう学問の自由、これをいかに保障するかという視点からやるべきだということ。ですから、少なくとも県教委の場合には、先ほどから言うように、百名も一遍にどんと行くということはあり得ぬわけですから、数はごくわずか、二、三名だとか、十名程度の差異はあったにしましても、一年間に採用する教師の数、そういうものから考えてまいりますと、いま十名程度だったら大きな問題じゃないわけなんですからね。だから、そこら辺の埋め合わせからすべてはできる条件が整うわけでありますだけに、ぜひその点はチェックの一つ条件にならないように指導し、希望を出した者については、もしこれがこのまま通るといたしますと、同意書というのは本人が求めれば当然それは出される、こういうことでもって私は指導すべきではないかと思います。これは時間がありませんから要望だけ申し上げておきます。  四点目でありますが、いわゆる筑波大学構想はとらないと言われています。ただ、私が懸念いたしますのは、この構想の概要の中に、一番最後のページに示されておりますように、「管理運営については、副学長制を設けるほか、現行の法令にしたがい、それぞれの大学において教育・研究が円滑かつ適切に行われるよう検討するものとする。」こう書いてあります。これからいきますと、「管理運営については、」これから後はもう要らないですね。「副学長制を設けるほか、」というのは要らないはずです。なぜかと言いますと、「現行の法令にしたがい、」云々とここにあるわけです。ということになりますと、副学長制というのは、これはちゃんと学校教育法の五十八条に出ているわけですから、このことをわざわざ記述する必要はなかったんじゃないでしょうか。
  46. 佐野文一郎

    佐野政府委員 副学長を置くという規定が設けられたのは新しい四十八年のときのことであったと記憶をしておりますが、やはりこの大学の場合にも新設の医科大学等と同じように副学長を設けるのかどうかという御議論がございますので、もちろん現行の法令に従って置くことができるとなっているものを置くわけでございますが、そのことを念のために、副学長は置きますということを準備室の御方針に従ってそこに記載をしたものでございます。
  47. 中西績介

    中西(績)委員 私はこれを読んだ場合に、この副学長というのは、わざわざそういうようにしたのは、後の「設けるほか」と、こう書いてあるところにみそがあるんじゃないかという気がするのです。だから、さっき私が申し上げたように、管理運営については現行の法令に従って云々ということであれば、副学長なんというものは入っているわけですから改めてここに記述する必要もないし、そうなればこの文章はここだけ抜いてしまえばいいと思ったんだけれども、「設けるほか、」とあるからわざわざこの副学長もくっつけて出したんじゃないかと思うのですが、どうですか。
  48. 佐野文一郎

    佐野政府委員 そういう趣旨ではございません。その管理運営の方法で、現行の法令に基づいて行う、これまでに例のあることで問題になるのは副学長と参与であろうと思います。これは筑波大学におけるような参与会と違いますけれども、御案内のように、新設の医科大学なり技術科学大学等にはすべて参与を置いてきております。この大学の場合にも参与を置くかどうかということが準備室で議論が進められております。現在の段階では、参与という形で置くか、あるいはもう少し広げて、同じく性質は参与的なものでございますけれども、連絡協議会のような形で置くかについてはなお準備室が検討しておりますので、そこには副学長及び参与を置くとは書かなかったという趣旨でございますから、そのように御理解をいただきたいと思います。
  49. 中西績介

    中西(績)委員 そうなりますとなおさらのこと、これは要らなかったということになるわけですね、私が指摘しておることと全く一致するわけですから。そのように理解をしてよろしいですか。
  50. 佐野文一郎

    佐野政府委員 現行の法令に従って管理運営を進めるという点については全く相違ございません。そのとおりでございます。議論のあるところでございますので、副学長の問題と参与の問題については、国会での御審議のための資料でございますから、それをメンションをしたということでございます。
  51. 中西績介

    中西(績)委員 それで、確かに参与を置けることになっています。ところが、社会党から聞いた参与会、協議会、人事委員会というのは当然これは置かないということになるわけですけれども、参与を置くということが拡大解釈をされたり何かして、変に何か別の機構なり何なりを置くというようなことをしないでほしいわけですから、いま特別のものを設ける、そして後になって省令か何かでぽんと出すというようなことにならないようにしてほしいと思いますが、この点、いかがですか。
  52. 佐野文一郎

    佐野政府委員 準備室の方で御検討になって、大学が発足をする際に参与という形で置くかあるいは連絡協議会というような形で置くかについては現在検討が詰まっていないということを申し上げましたけれども、事の性質は参与と同趣旨のものでございますから、新しい、いままでにないような大学管理運営の中に入ってくる機構を設けるということであれば、これはもちろん法律事項でございます。そういったものをそもそも御提案をしていないわけでございますから、御了解をいただきたいと思います。
  53. 中西績介

    中西(績)委員 参与なりそういうものが会にはなり得ぬわけですから、その場合に連絡か何かしなくちゃならぬ、こういう場合に、会ではないけれども、連絡会かあるいは連絡協議会みたいなやつをということになるのじゃないですか。その点はどうなんでしょう。
  54. 佐野文一郎

    佐野政府委員 率直に申しまして、私も、余りむずかしく考えないで、参与という形で置くのが  一番いいと思っております。大学の方のお考えがありますから、そのことを私は大学に押しつけはいたしませんけれども、事の性質は、参与として置けばいい。そのほかに、当然教育実習等について地元の方々と十分な協議をする場というのは必要でございますし、これは各大学においてすでに教育実習のための連絡協議会のようなものは事実上行っておりますから、そういう形で実施することも可能でございます。いろいろな、大学と地域との関係についての大学の御工夫というのはそれぞれの大学によって現に行われているし、そういった工夫はこの大学についても必要だとは思いますけれども、私は参与ということで置くことで一向に支障がないと思っております。
  55. 中西績介

    中西(績)委員 そういう場合に、たとえば連絡をしなければならぬ、いままでもある。そうした場合には学内だけでなしに、地域との関係から言いますと学外ということになるわけですね。  そこで大臣にお聞きしますけれども、いままでの文部省考え方なりからいたしますと、学外の方に連絡なり何なりをされる場合に、各界代表というような言葉を使うわけですけれども、私たちから見ればきわめて特定された人を集めるような感じがします。たとえば教職員関係から言いますと、学校長なら学校長ということに限定されていますね。いままでの審議会からすべてのものを全部見ましても、ほとんどがそうなりやすい形態にある。それぞれの連絡をする対象というのは、やはり最も多い部分を抜きにしての対象はあり得ないと私は考えるわけですね。ですからそういうものも含めて、もしやられる場合にはやる意思があるのかどうか、お答えください。
  56. 砂田重民

    砂田国務大臣 私、兵庫県出身でございますが、兵庫にできます教員大学に参与を置く場合、そこまで文部省が口出しをするべき事柄ではないと思う。やはり大学当局の御判断、地元の実情等、これを大学が御判断になって大学みずから御決定になるべき筋合いのものだと考えます。
  57. 中西績介

    中西(績)委員 そのようにお答えが出るだろうということを期待しておったわけですが、しかし、いままでの文部省自体の人選の際にはそういう点が大変落ち切っておるので、これだけにかかわらず、これから後の問題として私は提起をしておきたいと思います。  では次に、教員大学という名称の問題でありますけれども教員大学問題については皆さん多くの人から指摘がされたところであります。そしてまた先般の参考人の意見の中にも、教員大学については反対だということを指摘されました。そして、教員大学ということを、そういう大学そのものを設置することは認めましても、大学に対する教員という名称に賛成をしたということは、特別そのことについて賛成ということで触れた方はおられませんでしたね。反対という方はいらっしゃったわけです。そのように、ここはやはり教員研修所ではないし、大臣も言われましたように、この前から言っておりますように、学問の探求あるいは研究の場である、こういうことからいたしましても、職能的な教員という名称を付す必要はないと思うのですね。何か名称が異なればいままである問題すべてが解明されるかというとそうじゃないわけですから、少なくともやはりいままでの教員養成大学系の大学とを一緒に、いままでの欠落しておる部分をどう補完するか、あるいは強化するか、こういうことが中心になって考えられなくちゃならぬわけですね。いま改めてなぜこのようにするのかをちょっとお聞かせください。
  58. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほどもお答えをいたしましたように、私たちは、この大学が、もちろん通常の教員養成大学一つの形態であることはもとよりでございますけれども現職教員を大幅に受け入れて、現職教員のための高度の研究の場を確保しようという、そういう趣旨を持ったものであり、そういういわば教員のための大学であるという趣旨をあらわすためのいい名称はないかということをずいぶん考えたわけでございます。先般の須田参考人一つの案として御提示になった総合教育大学というような案も私たち検討の中には出てまいりましたし、その他いろいろな名称検討いたしましたけれども、たとえば総合教育大学という名称にしましても、その名称を用いることは、既設教育大学に対して何か違った、ほかの既設大学は総合的なことはやらないのかというような、かえって誤解を招くということがございます。従来、創設準備の過程で教員大学大学という名称がすでになじまれていることでもございます。これは大学院大学ではありませんから、教員大学大学という名称をそのまま用いるわけにはいきませんけれども教員大学というなじんできた名称を用いるのが最も適切であろう。この教員という言葉は確かに一般にはまだなじみにくい点があるということはわからないではありませんけれども、しかし、学校教育法なりあるいは教育公務員特例法なり、免許法なり、その他多くの法令の中で法令用語として用いられ、すでに定着している用語でございます。そういう用語を用いて、教員のための大学であるということを表現するというのが最も適切であろうという判断に立ったものでございます。
  59. 中西績介

    中西(績)委員 いま、なじんできたと言われますけれども、私たちは大変耳ざわりになるわけですね。いままで教員大学なんというようなものはなかったし、またそれによって問題が解消するかというと、そのことでは解消するわけじゃないわけです。名称によって解消するわけじゃないのです。そのことはお認めになると思うのです。そういうことからしますと何も教員大学と言う必要はない。ですから、やはり従来からある教育大学で結構だし、ということになると同じ県に二つできるから云々、こういうことにまたなりかねないわけですね。しかし、いずれにしましても、この教員大学というものにつきましては、私、いままでいろいろなものをずっと調べてみますと、これは研修のためにいろいろなものにあるわけです。たとえば警察大学だとか、あるいは防衛だとか、税務だとか、社会保険だとか、たくさんあるのですね。これは大学法に基づくものではありません。ないけれども、そういう何か特殊なもの、あるいはエリートを養成する、こういう感じしか残らないわけです。何か特殊な大学だ、職能大学ですから当然そうなりますよ。ここらを大臣、どうお考えですか。
  60. 砂田重民

    砂田国務大臣 先般の、参考人が国会に見えましての御議論の中にも、須田さんは好まないということをおっしゃったそうでありますけれども、どういう名前をつけましても、好む人やら好まない人やら、やはりスタートのときには出てくるだろうと思うのです。ただ、私たち考え方といたしましては、教員というものが国民的要望の中でどれだけ大切なものであるか、こういう趣旨を踏まえまして、教員のための大学であるということを名称の上でも明らかにしたい、ただそのことを願って教員大学という名前をつけたことを御理解いただきたいと思います。
  61. 中西績介

    中西(績)委員 いま言われている、教員のためにということを強調すればするほど問題があるわけですよ。それを言うから、今度ほかのいままで開かれてきた教員養成制度そのものが問題だということになるわけですよ、つながる。だからこれになって教員のためにということになると、いわゆる計画的なものになってくるわけですよ。計画的なものが問題あるとして変わったことがこのように変わる。教員のためにということできわめて制限され、職能的なものでやっていくということになりますと、これは学制なり何なりの改革と、すべてのものと一連づけて考えていかないと、いまこれを唐突として出してきたような感じになってくるわけです。きわめてそういうふうにわれわれには映るわけですね。だから、好まない、好むという、何か嗜好みたいなことでぼくは論議しているわけじゃありません。少なくとも、好まないという言葉を使ったことは、あのときの論旨は、職能的なものでなしに、またあるいは研修の場ということでなくて、学問の研究、探求の場なんだ、真理追求の場なんだということを強調する余り、教員大学という、教員ということを好まないということを主張したのです。これを見落としてはならないと私は思うのです。ですからこの点、いま大臣が言われたような発想から好まない、好むという名称ではなかったと私は考えております。そういうものを踏まえて私は先ほどから指摘をしておるつもりなんです。  この点はいずれにしましても大変耳ざわりであるし、内容的にも問題が出てきそうな内容です。さっきの言葉あるいは答弁からいたしますとなおそのことを深めていくわけでありますけれども、この点をもう一度お考えになる、あるいは創設準備室なりで十分創設の段階までに再度検討してみるという意思はおありになるかどうか、局長
  62. 佐野文一郎

    佐野政府委員 この名称につきましては、創設準備室とも十分に協議をいたしまして、いろいろな名前を考えました最後に、やはり教員大学がよかろうということに落ちついているものでございます。そういうことで法律案でもお願いをしているところでございます。私たちはやはり教員大学という名前が最も適切であるということを現在でも考えております。
  63. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、創設準備室というのは、教員大学に関する懇談会、そしてこの後の方にいろいろずっと出ておりますね、こういう方が加わったものが準備室ということになるのですか。どういう機構になっているのですか。
  64. 佐野文一郎

    佐野政府委員 創設準備室は、もちろん事務系の職員が準備室の中にはおりますけれども、こういった事柄について御相談をする場合には、創設準備室の室長あるいは副室長と御相談をするということでございます。
  65. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、準備室長と副室長でしょう。副室長はだれですか。
  66. 佐野文一郎

    佐野政府委員 元大阪教育大学教官をされておりました上寺先生でございます。
  67. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、先ほどから私、聞いておりますと、ずいぶん討論をしたみたいな感じがしましたけれども、きわめて少数で、室長、副室長、そして行政の文部省のだれかが加わるわけですから、私は、これは多くの人の意見ということにはなり得ないだろうと思うのです。参考人でおいでになった須田さんの場合には室長なんですか。どうなんですか。
  68. 佐野文一郎

    佐野政府委員 神戸の須田学長は創設準備室とは直接の御関係はございません。
  69. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、岡山大学の谷口さんと上寺さんということになるわけですから、私は、これは討論したという性質上のものじゃないという気がしてなりません。ですから、このことからいたしますと、もうちょっと拡大されて、そしてより多くの方々にそういう御意見を、しかも大学とのかかわり、特に国大協あたりのかかわりがたくさん出てくるわけでありますだけに、十分そういう点を打ち合わせされて、もう一度考え直していただきたいと私は思いますが、いかがですか。大臣、どうでしょう。
  70. 砂田重民

    砂田国務大臣 率直に申し上げますが、私は非常に適切な名前である、こう考えております。
  71. 中西績介

    中西(績)委員 だから、大臣の考えは適切だ、だから文部省は適切だと考えているから、いま言うように三名なりあるいは四名なりでやらせた際には、制限された方々で論議をされている。しかも、大臣は大変このことをお好みになっておられるようですから、このことは少なくとも、これから後、国大協なり多くの人の意見を十分参考にしてやられることを強く要望します。大学局長の方はそういう意思を持つかどうか。
  72. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これは法案を提出するに際しまして、この大学名称をどういうものとして法案を作成するかということで、準備室の御意見を伺いながら文部省検討をし、そして閣議を経て提出をしているわけでございます。私たちはこの名前を最も適切と考えて提案をしているわけでございますから、この名前について再度検討するということは考えておりません。
  73. 中西績介

    中西(績)委員 私はもう論議してもだめだと思いますけれども、これには断固反対です。こういうことでは十分な意見を聴取してやったという経過はこの中には存在をしないわけですから、これは一方的に文部省が決めた、このように考えても間違いでないと私は考えますので、強く反対の意向を示しておきます。  そこで、時間がありませんので次に入りますが、上越と兵庫にこのようにして新設をすることになっておるわけでありますけれども、その後の計画は鳴門に一校だけだと申しておられましたが、このことには間違いありませんか。
  74. 佐野文一郎

    佐野政府委員 間違いございません。
  75. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、鳴門の設立のための準備費なりはどのようになっておるのか。
  76. 佐野文一郎

    佐野政府委員 五十三年度の予算に計上をいたしております創設準備費は九百二十一万二千円でございます。
  77. 中西績介

    中西(績)委員 準備をなさる方は、たとえば準備室長なりあるいは副室長なり、そういう組織、機構その他、決まっておれば明らかにしてください。
  78. 佐野文一郎

    佐野政府委員 今年度の予算で創設準備の段階に入っていくわけでございますので、まだ創設準備室は設置しておりません。ただ、私どもは、この鳴門の教員大学構想につきましては徳島大学教育学部を抜きにして考えることはできないと思っております。したがって、五十二年度の設置準備の段階から、徳島大学教育学部に対しまして、徳島に教員大学をつくることを前提とした場合の教育学部のお考え、あるいは教育学部基礎として教員大学というものを構想することについてのお考えについて別途御検討をお願いしております。いずれにしても、創設準備の段階に入りましても徳島大学教育学部と十分に御相談をしながら検討を進めることになると思います。
  79. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、徳島大学教育学部基礎にしてやるということですね。それは、これにあるような懇談会みたいなことでいろいろ打ち合わせなり何なりをしていくのですか。それとも別個に何か陣容なりを持ってやる、それで徳島大学ということに限定をしますと、徳島大学だけということになるのですか。そこら辺、ちょっと明らかにしてください。
  80. 佐野文一郎

    佐野政府委員 五十三年度に創設準備をどういう形で進めていくかについては、先ほどもお答えしましたように、まだ予算が成立したばかりでございますし、確定をしているわけではございません。いずれにしても徳島大学との十分な調整なしには、この大学設置することは大学の配置の状況等から考えましても困難であると考えておりますので、徳島大学と十分に調整をしてまいりたいと考えているということでございます。
  81. 中西績介

    中西(績)委員 いずれにしましても、この問題はまだ具体的になっていないということで明らかにできないようですから、問題があるということを私は指摘をしておくだけにとどめておきます。  ただ、問題は、ここの場合は学部はどうなるのでしょう。
  82. 佐野文一郎

    佐野政府委員 鳴門の教員大学は、先ほど申しましたように、創設をする場合に徳島大学との調整を必要とすると考えておりますので、どういう最終的な構想になるかは、現段階で私たちはまだ確定的なものを持っていないわけでございます。いずれにしても、教員大学をつくっていく場合には、必ずしも一つのタイプを前提として同じようなものをつくっていくということでなくていいと思っております。
  83. 中西績介

    中西(績)委員 私たちが漏れ聞くところでは、高校ということを言っておったのではないか。いままでの上越なり兵庫の場合は小学校課程ということで言われておったのですが、そうするとここの場合には高校じゃないわけですね。
  84. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘趣旨がちょっととりにくかったわけでございますが、鳴門につくる場合でももちろん、基本的な考え方はいまお願いをしている上越あるいは兵庫につくる教員大学と同じ考え方に立ってつくるわけでございます。ただ、徳島大学教育学部とどういう形で調整をするかという課題が別途あるということを申し上げているわけでございます。
  85. 中西績介

    中西(績)委員 それでは、上越なり兵庫と同じだということを前提にして調整の段階にある、こういうことで理解をしてよろしいですか。
  86. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これはまだ確定的なことを申し上げる段階ではございませんので、そういう趣旨としてお聞き取りをいただきたいと思いますが、基本的には現在お願いをしている両大学と同じ構想のものでございますけれども、仮に徳島大学教育学部と一体的なものとして構想するということになると、現在徳島大学教育学部が持っている養成課程との調整をどうするかという問題が出てまいるわけでございます。そういった問題をこの教員大学の創設の場合には持っているということでございます。
  87. 中西績介

    中西(績)委員 少なくともいま九百二十一万円という創設準備費をつけるということになったわけですが、その方向性として一定内容なり、大学院云々、修士課程云々という場合にはその大学からいろいろな意見なりそういうものが出てくる必要があるということを言いつつも、鳴門には設置をしよう、創設をしようということで準備費までつけるのにまだそういう問題がつまびらかにされずに、調整等もされずにいるということはどういうことでしょう。ちょっとわからないですね。
  88. 佐野文一郎

    佐野政府委員 徳島大学教育学部との間に十分な調整をしながら創設準備を慎重に進めるということでございます。
  89. 中西績介

    中西(績)委員 幾ら言っても、答弁になるような答弁が出てきませんから、内容的には大変問題が残るわけですが、一応これは打ち切ります。  あとは機械的にお答えいただきたいと思います。  組織機構につきまして、この概要の中に出ておりますけれども、この点についてお聞かせいただきたいと思います。  まず、五十九条による教授会ですね、この教授会は設置をされるのですか。
  90. 佐野文一郎

    佐野政府委員 もとより設置をいたします。
  91. 中西績介

    中西(績)委員 その場合に、この教科ごとグループは組織されるのですか。そして、そういうものを含んだ教授会なのかどうか、そういうことをお考えになっているのか、それが一つ。  それと、二つ目は、グループ代議制になるということはあり得ないですか、この教授会は。
  92. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教授会はもちろん学部に置かれるわけでございます。教授の配置の仕方は恐らく、そこにもございますように、学部教育課程考え方に従いまして、いわゆる大講座制のような形で教授を置いていくということになるわけでございます。現在、学芸大学等、一般教員養成大学の場合にとられている代議員制のようなものをこの大学も考えるかどうか、それはこれから大学に御判断いただくことでございます。
  93. 中西績介

    中西(績)委員 次に、大学院の研究科委員会設置をされるのですか。
  94. 佐野文一郎

    佐野政府委員 研究科委員会はもとより設置をいたします。
  95. 中西績介

    中西(績)委員 そうしますと、研究科委員会は、従来からの考え方でいきますと、各大学学部、そして大学院、こういう機構になっていますだけに、いままでの場合は学部教授が研究科委員と重なるわけですね。今度の場合には、小学校課程が主になるわけでありますから、大学院の場合にはこの教官組織が従来とはちょっと異なるみたいな感じがするのですが、この点はどうでしょう。
  96. 佐野文一郎

    佐野政府委員 確かに学部の方は初等教育教員の養成課程であり、大学院の広がりは初等教育に限られるものではございません。その点は従来の単科の教員養成大学の場合とは大学院のつくられ方が異なっているというのは、御指摘の点、そのとおりでございますけれども、しかしこの場合、教官につきましては、やはり私たちはほぼ全員の方が大学院を御担当になる、そういう方が学部教官としても御就任になるということを前提として教員組織の構成が進められるというふうに承知をしておりますし、またそのように考えておりますので、学部教授会と研究科委員会の構成メンバーはほぼ同一になると思います。
  97. 中西績介

    中西(績)委員 そこで問題は、研修を含む研究機関であるということもあって、いろいろ現場で三年間なら三年間を経験した教員が、あるいは教師が進学をしてくるわけですね。そうした場合に、いろいろ参考人の間でも問題になったし、ここでも大変な議論がされたわけでありますけれども、臨床的な教授は、参考人の意見から聞きましても、やはり大変困難だということを言っておったようでありますけれども、どのようにして得るつもりか、この点をお聞かせいただきたいと思います。
  98. 佐野文一郎

    佐野政府委員 この大学教員組織をこの大学院設置趣旨に沿えるものとしてどのように構成をしていくかというのは、これから創設準備室を中心に、あるいは開学後かなりの期間がございますから、その間に開学に当たられる方々が非常に御苦心になるところであろうと思います。しかし、少なくとも私どもは、教員大学教官に初等中等教育の経験をお持ちの方を迎え入れるということは大変に望ましい、また必要なことであると考えております。大学教官がすべて、実際に教壇に立って授業を行うことについての練達の士でなければならないかということについては、先般来の御議論もございました。そういう方々ばかりでなければならないとは私も思いませんけれども、そういう現職の経験をお持ちの方が現在はなかなか大学教官には実際問題としてなりにくい状況にございます。そこのところを、この教員大学の場合はもっと積極的に迎え入れる努力をしたいと考えております。
  99. 中西績介

    中西(績)委員 この点は特に重要な点のようですから、十分な配慮をしなくてはいかぬと思いますので、大変重要な課題として踏まえてほしいと思います。  そこで次に、各専攻あるいはコースの入学定員あるいは教官数についてお聞きいたします。懇談会等におきまして、これを見ますといろいろなことを検討したということが出ておりますね。また経過があるようでありますから、準備室ではそのものについての用意があると思います。この点、私たちまだ全然入手いたしておりませんので、資料として提出を求めたいと思いますが、委員長、よろしいでしょうか。出せますか。
  100. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学院専攻をどのようにつくっていくかということについては、確かに部内では検討をいたしております。一遍に三百人の定員を持つ修士を開設するということではなくて、何次かに分けて専攻をつくっていくという考え方をとることはそれに間違いございませんけれども、現在の時点で最終的な年次計画までを確定したものとして御提出をすることは、これからまさに予算を通じて財政当局とも協議をしながら固めていくことでもございますので、現在の段階ではむずかしいということを御理解いただきたいと思います。
  101. 中西績介

    中西(績)委員 いま御答弁いただいたけれども内容的には全く不明であります。  そこで、コースの入学定員につきましては、教官数は資料を提出いただけばいいと思うのですが、もう一つ詰めておかなければならぬのは、この入学定員の場合に、いろいろ雑多な、雑多と言うと大変語弊があるのですけれども、教師を経験した方々が、いろいろなタイプの人が入ってくるわけですね。ですから、コースによって自由に試験をし、ただ教養試験みたいなことだけではないだろうと思います。そうなると、問題は、一つは試験あるいは専攻内容が、コース別によってはいろいろ問題になってくると思うのです。そういう問題と、三分の二が教員であり、そして三分の一は学生からですから、それをどのような割合でそれぞれのコースなりあるいは専攻をそういうものに振り分けをしていくのか、こういう問題が大変問題になるのじゃないか。それによっては競争率がものすごく高かったり低かったり、こういう問題等も出てくると思うんですね。ですから、そこら辺が準備室ではどうなっているのか、わかりますか。
  102. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほどお答えを申しましたように、コース別の入学定員については、なお検討が行われておりますので、この時点で確定的には申し上げられないわけでございますが、いずれにしましても、現職先生を受け入れる場合と、学部を出て大学院に進まれる方と同じ形で選抜をするということは不適切である。準備室の方では、これは大学入学試験のあり方を御検討になるわけでございますけれども、御検討方向としては、やはり現職先生学部を出て進学をする者とは別途の選抜の仕方というものを、これは試験問題についてでございますが、考えなければなるまいということを現在検討しております。
  103. 中西績介

    中西(績)委員 私は、なぜこのことを申し上げるかといいますと、教育系の大学、こういうところの修士課程設置等についても、いわゆる基本構想なりそういうものが十分でないということを理由にして、なかなか設置できないということを言っているわけですね。ところが、この大学に限っては、この基本構想だとかそういうものもなしに、具体的なものが全然示されずに立法府におるわれわれにそれが提出をされて、これを通してほしいというこの言い方ですね。ここに私は大変問題があるのではないか。少なくとも、いま文部省が主張し、そして指導しておる、そういうことが当然貫かれておらなくてはならぬと思うのですね。  いまお聞きしても、いろいろな運営等については、まだまだあと、付属施設、各センターの運営だとか、いろいろな問題等についてもお聞きしようと思ったのですけれども、いまのような状況では基本構想ができ上がっておるとは私は思われません。だのに、いまこうしてきわめて拙速的にこのことが提案をされ、やられるということに対して大変私は不満を持つものです。この点はどのようにお考えですか。
  104. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学をつくっていく場合の非常にむずかしい点であろうと私は思います。大学をどのようなものにつくり、育てていくかというのは、これはやはり基本的には、その大学の創設に参与される大学人の手によって細かいところは固められていかなければならないものであり、そういう意味では、国会で御審議を賜る場合に、基本的なその大学のねらいあるいは基本的な構想というものはもちろん明らかにしていかなければなりませんが、それを具体にどのように発展をさせていくかということについては、文部省がこの段階具体的に大学人の創設活動を拘束するところまではやはり決めがたいところがあるわけでございます。こういう基本的な考え方のもとに、この大学をこれから大学人が育てていくわけでございます。その場合には、先般の須田学長も言っておりますように、国立大学協会あるいはその特別委員会との間でいろいろと意見の交換が行われて、国大協の須田委員長も、この大学既存大学にいい影響を及ぼすような大学として育っていくように意見の交換をしながら、いわばその発展を学長が、監視をするという言葉をお使いになりましたが、監視をしていくとおっしゃっております。まさにそういうことで、大学人間の協議を重ねながら肉づけが行われていってほしい、そう考えているわけでございます。
  105. 中西績介

    中西(績)委員 この点は、先ほど、準備室で名称を決め、そしてこれを文部省確認をして閣議で決定をする。こういう内容的でないものは簡単に決められた、こういうことがありますね。そのことが大変これからあとの学生とのかかわり、いろいろな問題がたくさん内蔵されておるにもかかわらず、そういうものは簡単に決められていく。ところが、いま一番重要な中身について構想すらも出ておらない。そういう中でこれが決められるということについては、私はどうしてもこれは容認することはできないわけです。この点、大臣はどうお考えですか。
  106. 砂田重民

    砂田国務大臣 大学創設に携わる方々がお決めになります具体的な基本的内容というものに、この段階文部省が口出しをするべきことではないことと、既存大学のこれからの、先ほど申し上げました計画的な拡充強化、その問題とはおのずから異なってくると思うわけです。教員大学の基本的な構想については、準備室の御意見も聴取しながら明らかにしておるところでございまして、その内容については先ほどから大学局長お答えをしている点でございます。
  107. 中西績介

    中西(績)委員 私は、これは基本構想が十分でない、そういうものが整えられておるという認定には立つことはできないのではないかと思っています。従前の局長答弁修士課程設置しようとする各教育系の大学、こういうところからのかかわりから申しますならば、これは内容的にも大変不十分であるということになるのではないでしょうか。そういうことからいたしましても、私はこれは大変問題があるということを指摘し、そしてこれでは納得できない、こういうことを申し上げざるを得ません。大臣は先ほど言われましたけれども、いまのような答弁では十分な答弁だと私は受けとめることはできません。  そこで、残る二、三の点、簡単に答えてください。  私立学校教員の場合に、先般のこの委員会でも、入学者については助成などの措置をとらなくてはならぬのではないかということを言っておられましたけれども、この場合に、卒業後の身分的な保障がないとなかなか進学できないのではないかと思われます。ですから、原職復帰の際にどういう措置をとるのか、この点はどのようにお考えになっておりますか。
  108. 佐野文一郎

    佐野政府委員 私学先生大学院で勉学をされた後にどのような形で現場に復帰をするかということは、これは各私立学校でそれぞれにお定めになるところによる以外になかろうと思います。もちろん、私学の場合であっても、現職のままで勉強するということについて学校同意をする以上は、その先生大学院を経た後に再び、その成果を生かしてその学校教育の振興に役立つということを期待してお出しになるわけでございますから、一般にはもちろんもとの学校へお戻りになって十分に御活躍になるということになるだろうと思いますけれども、それはそれぞれの私立学校大学院学生を送り出す際のその私学の御判断であり、またその先生私学との間のお話し合いによることだと思います。
  109. 中西績介

    中西(績)委員 次に、実習について大変論議されてきたところでありますけれども既設大学での教員免許を付与するに当たって問題があるということは、いろいろな論議の過程の中で出てまいりました。そこで、既設大学における実習問題は、これから後、具体的にどうお考えになっておられるか、この点について。
  110. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教育実習の改善につきましては、基本的な問題として、開放制のもとでそれを効果的に実施するために、たとえば四十七年の教養審が建議で述べておられるような、実習期間の延長であるとか、あるいは現職になられてから後の研修であるとか、そういった工夫が必要ではございますけれども、少なくとも、現在の免許法を改正しないで、現行制度のもとにおいても改善すべき点はできるだけ改善しなければいけないということだと思います。現在、教養審で御検討を賜ってはおりますけれども、先般もお答えを申しましたように、たとえば、教育実習を受ける学生大学側においてもっと精選をするための工夫をすること、あるいは各大学において、ことに一般大学の場合には学内のそれぞれの学部で十分に御相談の上で、統一的に教育実習というものを実施できるようなそういう体制を工夫していただくとか、あるいは受け入れの学校大学教育委員会との間での十分な連絡協議の場を設けることであるとか、現在の制度の枠内でも工夫をすべき点はあるわけでございますので、当面はそういった努力をできる限りするということでございます。
  111. 中西績介

    中西(績)委員 この教育実習につきましては、大学側にいろいろ問題があるかのような指摘もありましたけれども、少なくとも現行法なり現在のこの体制の中でできる手だてというのはやはり行政上指導していくことが大変重要ではないかと思いますので、この点は要望申し上げておきたいと思います。  そこで、先般問題になりまして、学生と公務員とのかかわりの問題、ちょっと残っておるような気がしますので一点だけ質問を申し上げますが、ストライキ等については、学生がストライキを組織する、あるいは実行する、このことについてはこの前から明らかになっておりましたけれども、いま現職から進学をした人が政治活動の企画、立案をした場合、そこの学生運動の中で企画、立案をした場合はどのようにお考えになっておるのか。この点、初中局長お答えいただけますか。
  112. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 現職のままで大学院研修に行くわけでございますから、公務員としての身分があるわけでございます。地方公務員でありましても政治的活動につきましては国家公務員の例にならうわけであります。教員の場合は。したがいまして、人事院規則の政治的行為の規定に従いまして、政治的目的を持って政治的行為をした場合はやはり規則違反ということになるわけでありまして、その活動が学生活動の中でやったと申されましても、やはり公務員としての身分は残るわけでありますから、それは一般教員としての地方公務員の政治活動の規制に入るというふうに考えます。
  113. 中西績介

    中西(績)委員 現場における教員の場合だって党員ではあり得るわけですからね。党員だということは政治活動をするということが前提ですよ。そうでしょう。ただ、教員が政治活動を規制されるという場が一つは限定されますね。この場合に一般的に学生としてそういう活動をしたからというて公務員法にひっかかるということになると、それは大変問題じゃないでしょうか。
  114. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 政治的行為規制の人事院規則によりますと、どういう場でやるかということを規制しているわけではないので、特定の政治的目的を持って政治的活動をするというそのこと自体が規制されるわけでありますから、その場が仮に学生活動の場でありましても、やはりいま申しました一定の目的で一定の行為をした場合には、それは教員としての身分をもって規制されるということは当然でないでしょうか。
  115. 中西績介

    中西(績)委員 教員として地位を利用するとかなんとかいうことでなくて、一般的にですよ、一般的に学生運動の中でした場合にそれをやられたら、もう思想も信条も何もなくなるんじゃないですか、そういうことになれば。じゃ、大学におけるそういう保障も何もない、こういうことになってくるんじゃないでしょうか。
  116. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 先生は、教員でありながら学生である、学生であるというところに着眼してそうおっしゃるんだろうと思いますけれども、やはり学生であると同時にその人は地方公務員としての教員であるわけですから、地方公務員としての現職研修をしているという、その公務員としての立場というのは、やっぱりどういう場合でもいまの政治的行為の規制というものの対象にならざるを得ないというふうに私は考えます。
  117. 中西績介

    中西(績)委員 そうなりますと、大学院生としての大学における自由というもの、その中においても、その人の場合にはその大学院における自治あるいは自由、そういうものは享受できないわけですね。そういうことになりますね。
  118. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 大学院学生でございますから、学問の自由というものは当然享受できなければならぬと思います。それはやはりその大学院学生として当然享受すべき権利でありますけれども、繰り返しますけれども、そのことと、公務員であるところの教員の身分というのは常に同時にあるわけでございますから、やはりその公務員としての規制は大学院での学生であるがゆえにそれは全部規制から外れるんだということにはこれはなり得ないと思います。
  119. 中西績介

    中西(績)委員 これはまだ論議のあるところです。もう時間が参りましたので、きょうは私はこれで打ち切りますけれども、大変これは内容的に問題のあるところです。  最後になりましたが、教員研修の問題等につきましては、これは初中局長もあるいは大臣も十分お聞きいただきたいと思うのですけれども、すべての教員の、資質向上、そしてその積極さ、熱意、こういうものを十分認識した上でこの大学院というものは設置をされる、こういうことでやられておりますけれども、これは大学院云々でなしに、当然一般的にそういうことは求められなくちゃならぬ、このことはもう一致すると思うのですね。きょうは大変不一致の部面が多いからなんですけれども、これは一致する面だと思うのです。問題は、この前から指摘されておりますように、すべての教員の参加体制をつくることがきわめて急務だということで、先般からも、修士課程大学院をできるだけ多く早急に、一番最初に戻るわけですけれども、やるということの大体確認ができておる。  そこで問題は、その場合に、まだまだ期間的に大変長い期間かかるわけですし、そういう大学を使ってということがまだいま十分果たされておらないんではないかということを、いままである教育系の大学なりそういうものに私たち指摘できるんじゃないかと思うのです。そういうことでいままでここで論議をされまして、予算を十分拡大していこうとかいうような話になりましたのは、文部省が企画をし、あるいは県教委なり行政が企画をする研修について云々ということはありました。こういうことについては論議されましたけれども、問題は、いま言う行政がやる官製の場合の研修会というのはおおよそ、初任者にいたしましても五年以降のものにしてもほとんど伝達的なものが非常に多いんですね。これはまた一致できるだろうと思うのです。  ということになりますと、そのことで事足れりあるいは研修がされておるという認識に立つと、私はこれは誤りではないかと思います。ですから、少なくともそういう伝達講習会的なもので事足れりということでなくて、先ほどから論議されてまいりました、より深く、より研究をという、このことも含めて、それからいままでの経験なりそういうものも含めて研修をするということになりますと、やはり自由に研修がされないとなかなかこれは追っつかないということが言えると思います。大学を含めて。ですから、この点はもう少し教師の自立性あるいは自主性というものを尊重した研修ということをこれから行政側にある文部省もお考えいただく、このことは大変重要ではないか。そうしないと、いままで指摘されたように、この前からありましたように、落ちこぼれの教師がおるということ、これは私、大変反発を感じるわけですが、そういう言葉が出てくる。それをどう克服していくかということになりますと、こういう自立性あるいは自主的な研修なり含めて拡大強化をされなくちやならぬ、こういうことが言えるんではないかと思いますが、大臣にその点についての見解を最後にお聞かせいただきたい。
  120. 砂田重民

    砂田国務大臣 今日ほど教員の資質向上を望む社会的要請が強まった時代はかつてないと思います。また、教師みずからの研修意欲が非常な高まりを見せてまいっておりますことも、それは先生の御指摘のとおりでございます。従来、文部省といたしましても各種各様の研修機会をふやしてまいりますことに努力もしてまいりましたし、また各都道府県教育委員会においても同様でございます。新しい構想教員大学、そして、冒頭にもお答えをいたしましたような既存教員養成大学充実強化、こういうこととあわせて、教師の皆さんの研修意欲にこたえるための研修機会をより一層ふやしてまいりますことにさらに努力をいたさなければならない、かように考えております。
  121. 中西績介

    中西(績)委員 それで、その方法等については、きょうは時間がございませんので論議する時間がございませんでしたけれども、また後に譲らしていただきます。  終わります。
  122. 菅波茂

  123. 山原健二郎

    ○山原委員 大変お疲れと思いますが、引き続いて質問をさせていただきます。  最初に、この教員大学の目的と性格についてでございますけれども、いままで私ども幾つかの資料をいただきました。国会へ提出された資料、また国大協へ提出された資料、それから私の質問の中で、国大協へ提出したものではないけれども文部省が出したものだと言われる資料、大体この三つと、一昨日の木島委員に対する答弁と、それからもう一つ同意に関する統一見解、これだけが私どもがいただいておる資料の主なものでございます。  そこで実は非常に困りますのは、私どもがいただいた資料の最初に出てまいりますこの大学趣旨と、それから国大協へ提出されました趣旨、これもまた違いがあるのです。これはお読みになったらおわかりになりますように、私どもがいただいたのはこういうものですね。それから国大協へ出されたのはこういうものでもっと長いものになっておりますが、こういうふうに違いがあるのです。憶測をしますと、要するに教員大学は、資質能力の向上、そして初等教員の養成の確立、そして社会的要請にこたえるということですね。そして国大協へ出されたものには、それに加えまして教員の熱意にこたえ、研究、研さんの機会を確保するという趣旨になっています。この趣旨の若干の違いは別にしまして、こういう趣旨であることは、もう一回確認しますけれども、これは間違いないところですね。
  124. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のとおり、差し上げてございますもの、あるいはこれまでのお答えを通じまして明らかにしたことに相違はございません。
  125. 山原健二郎

    ○山原委員 そこで、これは昭和四十一年三月十一日に出されましたところの「教員養成大学設置される大学院に関する審査方針について」というのがございますが、これは局長、おわかりですね。
  126. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学設置審議会の関係の専門委員会でお取り決めになったものだと了解をいたしております。
  127. 山原健二郎

    ○山原委員 これはいま申しましたように、要するに「教員養成大学設置される大学院に関する審査方針について」というのは、これ以外にありますか。
  128. 佐野文一郎

    佐野政府委員 現在はこの設置審議会の設置分科会がお決めになっているものによっているわけでございます。
  129. 山原健二郎

    ○山原委員 いま私、これを写してまいりましたので、各委員の皆さん、また政府委員の皆さん、記者の方にもお配りしていただきたいと思います。よろしいですか。——これによりますと、「教員養成大学学部)におかれる大学院の目的・性格等について」「教員養成大学学部)におかれる大学院は、義務教育学校の指導的立場に立ちうる者(例えば校長、教頭、指導主事等のほか、当該学校内部において特定の教科について指導的立場に立ちうる者等)の養成を主たる目的とするものとする。」こういうふうに明記しているわけです。要するに指導的立場に立ち得る者の養成を主たる目的とする、これが、文部省がこの基準とされてきた、いまお答えがありましたようにただ一つ方針であります。これに基づきまして東京学芸大学がその年の四月に創設をされるわけであります。引き続いて大阪教育大学大学院が四十三年に生まれる、こういうことですね。  そうしますと、文部省考え方は、この趣旨にいろいろ書かれておりますし、また数日来の答弁の中でも上級教員とかエリートとかいうものをつくるのじゃないんだということを主張されてきましたけれども、それはまさに根拠のあるものではなくて、根拠としてはここに示されておる、大学設置審議会が基準としている「教員養成大学設置される大学院に関する審査方針」これがまだ生きているわけです。この中の、ずばりいわゆる「指導的立場に立ちうる者の養成を主たる目的とする」という、文部省がいままで十二年間是認をされてきたこの基準はいまもなお続いているわけです。恐らく、今回の法案に出ています愛知教育大学大学院の問題もこの方針に基づいてやられておると思うのです。そしてまた、いま新構想だと言っている教員養成大学院もこの方針以外にはないわけです。一体、この矛盾は私たちはどう解釈したらよいのか、伺いたいのです。
  130. 佐野文一郎

    佐野政府委員 この設置分科会の総会が了承をしております審査方針に書かれている趣旨は、大学院においてさらに勉学をする者という趣旨において、諸学校の指導的立場に立ち得る者ということを一般的な趣旨において述べているにとどまると思います。現にこの審査方針のもとにおいて学芸大学大学院あるいは大阪教育大学大学院設置をされておりますが、それぞれの大学院の目的を見ますと、東京学芸大学の場合には「学部における一般的並びに専門的教養の基礎のうえに、広い視野に立って精深な学識を修め、理論と応用の研究能力及び教育実践の場における教育研究の推進者となる能力を養うことを目的とする。」と書かれております。大阪教育大学大学院の場合も同様な趣旨の目的を掲げ、同様に「教育実践の場における教育研究の推進者としての能力を養成することを目的とする。」と書いております。愛知教育大学大学院の場合もこれと同種のものが目的として掲げられると思います。何か、大学設置分科会の考え方として、そういったいわゆる管理職の養成をもっぱらするんだということを大学院の目的として固定的に考えあるいはそれを一つ大学院の性格として決め込んでいるというふうなものではない。四十一年段階のことでございますが、もっと広い意味で、大学院で勉強されるんだから指導的立場に立つ方になってほしいという意味で書いているにとどまるというふうに私たちは従来から理解をしております。
  131. 山原健二郎

    ○山原委員 そういう詭弁が通用しますかね、この段階で。では、なぜこれを変更するなりしないのか。明らかに目的を、いま読みましたように「指導的立場に立ちうる者」、たとえば校長、教頭、指導主事になる者、それを養成することを主たる目的とすると明確に書いているんですよ。明確に、しかも第一項の目的のところで書いているのにかかわらず、それを文部省、十二年間——いまの実態を言っているんじゃないのです。しかもこれに基づいて大学設置審は文部省の諮問に答えて——諮問とは言いませんでしょう、国立大学ですから、公・私立の場合であったら大学設置審議会の許可を得なければならぬ、こういうものですね。それだけの権威を持って文部省につくられた、しかも法律で規定されている大学設置審議会、その決定が、この学芸大学で実行されたか実行されないかは別にして、厳然としてこの目的は残っているのです。もし、数日来皆さんがおっしゃっておるように、そんなことはありません、エリートをつくるんじゃありません、そしてひたすら現職教員の研究、研さんのための機会を与えるんでございますというならば、この基本的な方針を変えるとか、そういう措置がとられなければ信頼するわけにいかぬじゃないですか。  私ども、この一片の紙切れで趣旨だけ説明されて、これは何ら法的な根拠がないのです。しかも、国会へ出したものと国大協へ出したもの、この趣旨だけ見ましても違いがあるでしょう。では一体われわれは何を信頼してここで討議をしているのか。教員養成大学に置かれる大学院の目的を明確にして今日まで文部省は来られたわけでしょう。じゃあ、それを変えて、そんなものじゃないんだというならば、どこかになければいかぬのです。ないにもかかわらず、今度の趣旨はそんなものじゃございませんという説明ばかりしているけれども、私ども、少なくとも国会という立法機関で審議する場合には、こういう法律規定を中心にしてやらなければ何の歯どめもないわけです。幾ら文部大臣、りっぱな方で、いろいろ説明をされましても、何の歯どめもないわけです。結局はこれじゃないですか。指導的立場に立ち得る者を養成することを主たる目的とする、いわゆる日本の教育の中で管理の面でも指導の面でも指導的立場に立つ者を養成するのが教員養成大学に置かれる大学院の任務だ。ここの違いをはっきりさせていただかないと、この法律案に対して賛否の決定をすること自体が、われわれ国会議員、不誠実な態度になるわけです。この点をまず明確にしていただきたい。言い逃れじゃなくて、これを変えるなら変えるという態度をはっきりしていただかなければ、いままでの答弁を信頼することはできません。
  132. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教員大学大学院にとどまらず、既設大学にこれから設置をしていく大学院の性質というものがどのようなものであるかについては、これまで本委員会の席上で私どもお答えを申してきたことがまさにその趣旨とするところでございます。先ほども申し上げておりますように、四十一年の段階設置審議会が、大学院に進む者について、将来指導的立場に立つ者であってほしいということを考えたこと、そのこと自体が不適切であるとは私は思いませんけれども、ただ、御指摘のように、東京学芸大学なりあるいは大阪教育大学はいま申し上げましたような目的を持って設置をされ、運用をされておるという実態もございます。そのことも考え、また、これも先般の御質問にも出てまいりましたけれども、現在、教育大学大学院の審査の要項と申しますか基準と申しますか、そういったものについては関係の専門委員会で、教育大学協会なり国大協の御趣旨もありますので、検討を進められております。そういった検討の結果がまとまって、この申し合わせによる審査方針というものの内容を変更するという機会もあるわけでございますから、この目的、性格等についての記載が今日の時点からすれば誤解を招くきらいがなしとしないということでございますので、それは、本来ここでお答えを申し上げてまいりましたような趣旨のものとして目的を修正するということは十分に考えられることでございますし、そのように設置分科会に御相談をしてみたいと存じます。
  133. 山原健二郎

    ○山原委員 これは非常に重要な問題なんで、設置審議会で検討していただいておるというわけですけれども、これが大学設立の基準になってきたわけですね。だから、東京教育大学に四十一年四月に設置されましたときに、この方針に基づいて留意事項が出ています。それは「現職教員にも入学の機会が与えられるよう十分配慮すること」とか、または、事由の項がありますけれども、そこには「教育実践の場における教育研究の推進者となる人材を養成することを目的とする」、これは東京学芸大学も大阪教育大学大学院の規則も一緒ですけれども、この大学設置審の方針に基づいてということは明確に書かれておりますし、また、大変細かいようでありますけれども、細かくはありませんが、教育研究の推進者となる人材を養成するのと、私どもがいただいたこれとは違いますよ。教育研究を推進しようとするものであるということですから、推進者を養成するという趣旨とはこれは違うのです。  だから、そういう面でも非常に重要な中身を持っていますので、私は幾ら大学局長が、あるいは文部大臣が、そうではありません、そういうものをつくるんじゃありませんとおっしゃっても、基礎になる、文部省が今日まで十二年間認めてきた基本方針がここにある限り、この場所で明確にこれを変更しなければ現在の文部省考え方とは異なる部分がある。したがって、大学設置審に対して、現在の時点でこれは変更を検討していただきたいとかいうような具体措置がとられるならば別ですけれども、このことをそのままに置いておくならば、今度の愛知教育大学大学院認めるといたしましても、大学設置審議会はこの方針を変えてないのですよ。この方針に基づいて文部省の伺いに対してオーケーならオーケーという答弁をされると思うのですね。その辺はどうなんですか。変更されるのですか、このまま置くのですか。大学設置審はこの方針私学に対して、公立学校に対しても認可をするわけですよ。そのままいくのですか。
  134. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほどお答えを申しましたように、現在、大学設置審議会の設置分科会はこの内容について検討をいたしておりますので、この目的、性格の部分についても誤解のないように修正をすることを設置審議会にお願いをいたします。
  135. 山原健二郎

    ○山原委員 その点は、いままで御答弁をなさってきた趣旨から言っても私は当然のことだと思います。その意味で、局長からお答えがありましたが、また大臣におかれましても、いま私が申し上げましたように、大学設置審という大学設立についての重要な権限を持っている文部省の諮問機関といいましょうか、文部省のこの重要な機関がこういう基本方針をずっと堅持されて、いまだ変更されていません。したがって、いままでお答えになったことから申しますと、これは文部大臣としても、設置審に対して、現状に見合うような変更をしていただくべきではなかろうかとか、少なくともその変更要請はすべきだといままでの答弁から考えるのですが、この点について御答弁をいただきたいと思います。
  136. 砂田重民

    砂田国務大臣 非常に重要なことでございます。大学局長お答えをいたしましたけれども、四十一年の大学設置分科会総会で了承されましたこの事項につきましては、これの変更の手続をいたします。そして、教員大学の設立の趣旨につきましては、いやしくも立法府のこの場で文部行政の責任者でございます文部大臣お答えをいたしましたことは、いささかも変わりがないということを御理解いただきたいと思います。
  137. 山原健二郎

    ○山原委員 この問題はそれでおきまして次の問題に移りたいと思いますけれども、この点であいまいになりますと、いままでおっしゃったことが何となく砂上の楼閣みたいなことになってしまうわけでございますから、この点はしっかりこの基礎を固めておく必要があると思いますので、あえてこだわって大臣質問を申し上げたわけです。  次の問題ですが、いわゆる同意の問題について統一見解が出されたわけです。この統一見解は短いものでございますけれども、いろいろな問題を含んでいます。まず第一番に「一般に、大学は、現に教職等にある者の大学院等の受験に際して、所属長等の同意書の添付を求めております。」なぜここにこういう説明がついたのか私はわからないのです。なぜなら、現状から申しますと、いま現職教員大学院受験しまして合格をした場合にはほとんど教師をやめなければならぬことになっているのです。事実そうなんです。これは事例もありますから、もう局長の方は十分御承知のことと思います。もちろん夜間の教育大学に入っておられる方たちの場合など特殊の例はありますけれども、何しろ二年間にもわたって休職でやることはできないという実態の中から、結局辞任する、こういう問題があるわけですね。実はこれが現職教員大学院で学ぶということの隘路になってきているわけです。それを改善しようと思って今度新大学構想を練られたと思うわけですが、なぜこういう異質のものをこの数行の間に入れたのか。今度の教員大学というのはもっと違ったものを構想しているわけでしょう。なぜここへこういう説明がきたのか、私はどうしてもわからない。実際には一般大学には現職教員がほとんど入っていないというのが実情なんですよ。そういうものとなぜここへ並べたか、この点ちょっと伺いたいのですが、どうですか。
  138. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教員大学同意書の添付を求めるというのは、教員大学の場合に限った特殊、異例な措置ではございません。現在、大学において一般に行われていることでございますということを御説明したかったわけでございます。  もちろん、現職のままで大学院入学できないという状態があることは私は承知をしております。これは二つの理由がございます。一つは、いわゆる現職のままで長期にわたって職場を離れるということが実態として困難であるということの理由をもって、現職を去られて御入学になるという場合もございます。しかし、教員養成大学大学院についてはそういうことはございませんけれども国立大学一般学部の上に置かれております大学院の場合には、幾つかの大学において現職のままでの入学を拒んでいる例があります。大学院に入る以上は現職であっては困るということを求めている例がございます。私はこれはきわめて不適切なことであると思います。現職であろうとなかろうと、勉強したい人は大学院に行って勉強できるようにすべきであるし、そういった措置をとるように私はかねてから各大学にお願いをしておりますけれども、残念ながら現職のままでの入学認めない研究科がかなりございます。その点はあわせて今後とも改善の努力をしてまいりたいと思います。
  139. 山原健二郎

    ○山原委員 この前段の二行でございますけれども実態としまして確かにそういう承諾書というものを取っていますが、これはここに書かれておりますように所属長ですね。所属長といえば一般的に校長でございますが、「等」という言葉がついておりますけれども、これは特殊な県立の養護学校とかそういう問題であろうと思います。  それでちょっと調べてみたのです。そうしますと、校長の承諾書というのを、大阪教育大学の場合、こういうふうに書いています。受験に当たり承諾書を添付する、その中にこういうふうに書いています。他の大学院に在学中の者は学長、学校、官公署その他民間会社に在職中の者は所属長により作成されたもの。様式は随意。これはみんな学校長が出しているわけですね。そしてこれに対して、事務的に学校長がいわば受け取って、結構です。本人も希望していますという程度のものなのです。そういう意味で出されておるものをここへ出してまいりまして、今度次の後段に入りますと、「教員大学の場合は、大学院受験する県費負担教職員については、その服務の監督をし、研修のための出張を命ずる市町村教育委員会同意書の添付を求めることとしたいと考えております。」こうなってくるわけです。なぜここで所属長が、研修のための出張を命ずる市町村教育委員会同意書に変わるのですか。なぜ、私たちの疑問に対して統一見解として、一方は所属長、校長さんの同意書、一方は、しかも麗々しく前文をつけまして、その服務の監督をし、研修のための出張を命ずる市町村教育委員会同意書、まさにいわゆる教育行政の機関がずばりと、しかも服務命令権のようなあるいは出張命令を出す立場という形でこの同意というのがぐっと比重が高まってくる。前段の部分では、一般に、大学は、というので所属長同意書の添付を求めています。次には、今度の教員大学の場合には、研修のための出張を命ずる教育委員会同意を必要とするというふうに、どうしてここでこんな変化をするのですか。しかも、どうしてこんなものを混在させて統一見解として持ってきたのですか。この点を伺いたいのです。
  140. 佐野文一郎

    佐野政府委員 私はそれは異なることが混在しているというふうには考えませんでした。事の性質をできるだけ御説明を申し上げようと思ってそのように書いたわけでございます。県費負担教職員の場合には、服務の監督をし、研修のための出張を命ずる立場にあるのは市町村の教育委員会でございます。で、先ほど来御議論のございますように、同意書の添付によってその職員が二年間にわたって現職のままで給与を受けて勉学をするということについての保障を得たいというのが大学側趣旨でございますから、そのことについて、服務の監督権者としてまさにその責めを負っている教育委員会同意というものをとるのが筋道であろうということに尽きるわけでございます。
  141. 山原健二郎

    ○山原委員 こういうところに、先ほど私が一番最初に指摘しました大学院設置目的、性格、その思想性というものがここについ顔を出してくるわけですね。最初のところで「所属長等の同意書の添付を求めております。」それと同じことでございますという意味で後段が出てくると思ったところが、同じことなら所属長の承諾書の添付を求めますぐらいでいいのが、前段には同じことですよと言いながら、後段に入りますと、「研修のための出張を命ずる市町村教育委員会同意書の添付」、こういうことになるわけです。  こういうふうに、同意の問題について私たちはずいぶん問題にしてきました。いまも中西さんからも同意の問題があって、いろいろしぼったり、あるいはいろいろな面から制約を加えたりすることが大学の自治を規制することにもなるし、それからまた受験者に対してもいろいろな、場合によっては思想、信条の面までここで選択をし、しぼる、そういう可能性があるのじゃないかという心配をしておられて、みんな質問してきたわけですね。ところが今度の統一見解を見ますと、まさにこういう強烈なもの、こういうことになってくるわけですね。国大協だって知らぬわけですよ。この間の参考人のお話を聞きましても、同意の問題については文書も出ていないし、須田先生の場合は、何かその間にちらっとそういう話が出た程度で、聞き流す程度のものとして出たように思います。というようなことです。ところが、私たちが今度いただいた統一見解というのは全く強烈な、研修のための出張を命ずる市町村教育委員会同意書の添付、こうなってくると、私たちがみんな心配してきたことが、まさに私たちの心配の推測が正しかったのであって、文部省がいままで大変やわらかな言葉で言ったことより、もっとそういう背景があるということをちゃんと裏書きをしたようなことになっているのではないですか。今度の教員大学に合格した者は、それぞれの教育委員会研修のための出張命令で出すのですか。職務命令としてこの兵庫教員大学大学院に出張をさすということになるのでございますか。この文章からはっきりさせていただきたい。
  142. 佐野文一郎

    佐野政府委員 本人現職のままで現給で勉強をしていただくということが勉学の条件として適切であると考えますし、そのための方法としては、現職のままで研修のための出張命令によって出てくるという手続になるわけでございます。それが一番いいと思っています。
  143. 山原健二郎

    ○山原議員 こうなってきますと、恐らく国大協の方たちはびっくりされると思いますよ。出張命令なんて初めて出てきた。研修のための出張命令なんて、この統一見解まで私は聞いたことはないのですよ。だから国大協の方たちは、これが研修所みたいなものになってはいかぬということを一番強力に主張されておるわけです。いまお聞きしますと、結局、単なる同意程度のものではない。しかも、諸澤局長大学局長とのお話がちょっと食い違って、最初理事会へ出されたものを見ましても双方の意見が出ているわけでございますが、結局は、地方教育委員会同意をするにしましても県の教育委員会の承諾めいたものがなければできないということもわかりますが、そういうことにしましても、比較的簡単な同意、たとえば、皆さんがおっしゃったように、熱意のある者についてはそれが全部受験できるように期待をする、欲していますという言い方のような軽いものではなくて、やはり出張命令を出す地方教育委員会同意する、こういう形になりますと、受ける印象もかなり違いますし、ずいぶん強烈なものになっているのですが、これが皆さんの確定をしたいまの考え方かどうか、ここで伺っておきます。
  144. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほどもお答えをしましたように、もちろん、教員の方が現職をお引きになって自費で御勉学になるというようなことであれば、それを拒むわけではございませんけれども現職のままで現給を受けて勉強をしようということであれば、事柄として出張命令という形で本人のそういった待遇、処遇というものを確保するというのがあり方でございますから、それによっているわけでございます。決して権力的な発想からそういうことを考えているわけではない、事務的な話だというふうに御理解をいただきたいと思います。
  145. 山原健二郎

    ○山原委員 局長の御答弁はわかりますけれども、いま嶋崎さんにもちょっとお聞きしたのですけれども、実は私ども、この統一見解が出るまで出張命令なんということを考えなかったのですよ。同意の問題だけでずいぶん遠回りしたものだなと思っておるわけですけれども、聞いてみれば何と出張命令で出かけていく。ということになりますと、これは教育公務員特例法という、地公法とも国公法とも違う特例法の十九条、二十条によって、教師は自主的、自発的に研修するというたてまえ、それに対して行政機関はこの研修の機会を保障するという教育公務員特例法の趣旨から言うと、ずいぶん問題が出てくると思います。そして同時に、皆さんは簡単に言っておられますけれども、この言葉の持つ意味というもの、印象というものは非常に重要でして、大学の、あるいは大学院教育研究の本質にまで触れかねない要素を持っているわけです。そういう意味で、これはいまここでどう言ったらいいかわかりませんけれども、ずいぶん強烈なものを出してきたものだな、こう思っているわけでございますが、こうなるとずいぶん問題がありますね。いままでは、教員の資質能力の向上、社会的要請にこたえるという、いわばうんと門戸を開いたというお話でございましたけれども、事ここに至りますと、私は非常に問題があるように思います。  この点についてはいまわかったのですけれども、いわゆる出張命令、恐らく長期研修の出張命令だと思いますが、同意というものよりもいわゆる出張命令となってくると、いま突然でございますから私も質問のしようがありませんが、どんな書類を出すのですか、出張命令を出すのですか。
  146. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学の方で添付を求めているのは市町村教育委員会同意書ですから、本人が合格した場合には二年間にわたって勉強することについて市町村教育委員会了解をしているということがわかれば、それこそ書類等については大学側としては問うところではございません。繰り返しになりますけれども現職現給で勉強をさせる方法としては出張命令ということになるということでございます。それは、国家公務員である大学教官が在外研究で一年間にわたってフランスなりドイツなり、向こうの大学へ行って勉強するということであれば、それはやはり同じように出張命令で出ていくわけでございます。それと同じことでございます。
  147. 山原健二郎

    ○山原委員 最初の二行に戻りますけれども、最初の場合は所属長の承諾書ということであるわけですが、それだって出張命令が出るわけでしょう、出ないのですか、一般大学の場合は。出るのですか、出ないのですか。
  148. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学側学校長の同意書で大丈夫だという御判断をなさってとっておられるところはあると思います。これも理屈を言えば、本当はその校長に対して長期研修について出張を命ずる権限が委任されているかどうかという議論があるのかもしれませんけれども大学側は、現在の実態からして校長先生がよろしいというものについてはその保障があるという判断をされて校長の同意書の添付を求めているにとどまっている事柄だと思います。で、その同意を得た者が大学現職のままで在学をするということになれば、それは当然出張命令で出てまいります。
  149. 山原健二郎

    ○山原委員 同意を得ないで受験はできないんですか。
  150. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これも先ほど来お答えをいたしておりますように、現職先生が、やめてでも大学で勉強したいというような場合はもちろんあるわけでございますし、そのときにはもとより同意書の添付は必要といたしません。さらに、準備室の方では、現職先生の場合に、特別の何らかの事情があって出願の際にはまだ同意を取りつけるに至っていないというようなことがあり得るかもしれぬ、そういった場合にはできるだけ理由を明らかにしてもらうことによって受験認めるかという検討をしているということはございますけれども現職先生受験をされるという場合にはやはり同意書の添付を求めるというのが当然であろうと思います。
  151. 山原健二郎

    ○山原委員 この点も問題ですが、同時に、ずっと御答弁の中で、熱意があるとか、それから非常に御本人が希望しておるとかいう問題ですけれども、この判定の基準というのはどうなんでしょうか。いまの問題と関連しまして、いわゆる出張命令を出すことのできる教育委員会同意をするというこのことと、その同意をする場合には、皆さんが御答弁の中でおっしゃっているように、熱意のある者に対してはそれが入れられるように期待をするというこの熱意というものですね、これは教育委員会、いわゆる行政機関が判定をするわけですね。
  152. 佐野文一郎

    佐野政府委員 一つの県の中でどういう形で受験生というものが出てくるかというのは、それはそれぞれの県によって態様が異なるでございましょうし、それはそれでいいわけでございますけれども、先ほど来これまたお答え申しておりますように、県の全体としての研修計画その他のいろいろな事情がございますから、それを判断して、校長先生、市町村の教育委員会、さらには県の教育委員会が協議をされて、そして受験同意というものを市町村の教員委員会がお与えになる。そのときには、本人が自発的に勉学をしたいという意欲を持って受験を希望されるはずですから、そのことをできるだけ尊重してやってほしいということを申し上げておる、そういうことでございます。
  153. 山原健二郎

    ○山原委員 熱意があるとかないとか、だれが判定するのですか。
  154. 佐野文一郎

    佐野政府委員 同意を与えるまでに、校長先生にも御相談になるでございましょうし、市町村の教育委員会に申し出があるでございましょうし、市町村の教育委員会は県の教育委員会と御相談になるでしょうし、それぞれの段階で御本人ができるだけ受験をすることができるように関係者は御配意になるでしょうけれども、その県のそれぞれの事情で、志願者が非常にたくさんあるというような場合は、市町村の教育委員会と県の教育委員会での御相談がそこにあることは当然だと思いますし、その場合にやはりそれぞれの段階で御本人の意欲というものをお考えになると思います。
  155. 山原健二郎

    ○山原委員 ずいぶんこれは大変なことだと思うんですね。地方教育委員会同意するといっても、いまお話を聞きますと、校長にも相談するであろうし、恐らく郡の教育事務所にも相談するであろうし、県の教育研修計画とも相談するであろう、そして本人の熱意、と。  私、いま聞いているのは、本人の熱意というのはだれが判定するかという問題です。熱意というのは、たとえば非常に熱心な先生で、組合活動をやる。組合活動などというものをやることは熱意のない証拠だとか言う人だっておるわけですよ。これは一例ですけれども、それだけに限らずいろいろな面で、例を挙げるといろいろありますけれども、そういうことで熱意の判定がされるということになると、しかも行政機関がやるということになりますと、これはもう大変なことです。結局、それは教育公務員特例法の趣旨とは違ってくるものに変質をしていく。しかもいまおっしゃったように各県によって違う。Aという県では非常に厳しくしぼるとか、ある県ではこういう規程をつくって非常に緩やかであるとかというようなことも出てくる可能性があるわけです。そんなことを考えますと、本当にこの同意の問題は、こういう矛盾をなくするためにはむしろ事前同意というものをなくして受験をさせて、そして大学側がそれを選定していく、そして合格した場合はそれに対して同意を与えていく。これはむしろ全体を考えての選択権を大学そのものに与えることがこういう矛盾をなくする道なんです。  この同意の問題を残しますと、これがいろいろな形態に使われるのです。現に私は自分で経験しておりますけれども、内地留学とかあるいは長期研修とかいうようなことになりますと、たとえば教員組合に所属しておるとかあるいは教員組合の活動家であるとかというようなのは、実態としてほとんど研修に出されていません。こういうことになるわけです。それは正しくないことでございますし、平等にその研修の機会が与えられるべきである。教育公務員特例法のこの精神が本当にずばり入るとするならば、この同意という問題については検討する必要がある。私は、ここまで来たら、恐らく国大協でもこの同意問題については賛成しないと思いますよ。  それからもう一つ伺いたいのは、研修計画というのは一体どこの研修計画ですか。県の研修計画でございますか。しかも、その研修計画を常に言われているわけですが、出張命令で出ていくということになってきますと、県の研修計画を身につけてこの現職教員である学生大学へ合格して、そこで研究していくということになるのでしょうか。どうなんでしょうか。大学院の中における教育研究の計画に基づいて教育を受けるのでしょうか。または県やその他の研修計画に基づいて、それを身に携えてこの大学院に入ったということになるのでしょうか。この点もはっきりさせていただきたいのです。
  156. 佐野文一郎

    佐野政府委員 研修計画を身につけてというその御質問趣旨が、私ちょっと理解できないわけでございますが、私が県の教育委員会で教職員課長をしていたときの経験からいたしましても、現職先生大学で勉強をされるということになれば当然後任の補充を考えるわけでございますし、その後任の先生はフルタイムで入るということになるでございましょう。で、一年限りのことではなくて、毎年毎年そういう形で大学院先生が勉強されるわけで、その都度後任の方は入ってくると思います。その場合に、たとえばある年は社会科の先生だけが大学院で勉強をしようと御希望になったとか、あるいは市町村のうちのある市だけから非常にたくさんの方が出てきたというようなことになると、後任の補充の問題あるいはその後の人事の問題にしましても、県の教育委員会は非常に困るだろうと思います。それは一つの例でございますけれども、県全体の研修計画については、これは教育公務員特例法も定めておりますように、任命権者がそういう長期の研修についてはルールを決めるということになるわけでございますし、その他、市町村の教育委員会は市町村の教育委員会としての研修計画をお持ちでございましょうし、そういう県全体の計画というものが当然いわば前提となって、その中で円滑な同意の運用というものが行われていくということになる、それを私たち期待をするわけでございます。
  157. 山原健二郎

    ○山原委員 もう少しその点で質問をしたいわけですけれども、もう一つこれらの問題と絡みまして、この間の参考人の方たちにおいでいただいた場合に幾つかわかった点があるわけですが、一月二十日に出されました国大協の特別委員長のいわゆるメモですね、あれを見ましたときに私ども一般的に受け取りましたのは、いままでかなり幾つかの点について批判を持っておりました国大協が、ここでいわば教員大学院の創設についての批判を引っ込めて、「評価する」という言葉で態度が変化したというふうに考えておったのですけれども、須田さんの御意見を聞きましても、これは私の私見であると。この私見がどうして新聞記者会見その他によって発表されたか、その真偽のほどは別にしまして、私見であるということになってきたわけですね。そうすると、国大協としての意思決定というのはいつになるのかわかりませんが、私たちいま現在、それがどういうふうになるかわからぬわけですね。この前の入試センターをつくる場合に、私ども国会側としては、国大協の意思であるということでずいぶんそれを尊重しました。そしてずいぶん危惧の念を持ちながらも、最終的には入試センターに全党一致して賛成をいたしました。その基礎には、国大協の長年にわたる検討の結果の統一された意思であるということを尊重したわけでございます。ところが、今度の教員養成大学院の問題についても国大協としてはずいぶん検討されてきているわけです。幾つかの報告書も出ています。その報告書は首尾一貫してずっと続いているわけです。須田特別委員長の私見が出たとしても、国大協の意思というものはまだ変更にならずに続いている。それは幾つかの点に対して不安と批判的な言葉で飾られておることは明確であります。そうしますと、せっかく参考人まで呼んでその真実が明らかになった以上、私ども、国大協の動きというものを見ざるを得ません。しかも、今度の皆さん方の質問の中で、まだ国大協の方たちも知らないものまで出てきたわけです。こういうふうになってまいりますと、国大協の意思決定というのがどうなるかわからない事態です。少なくとも、反対とか賛成とか、そういう短絡的なことにはならないかもしれませんが、しかし疑義は持ったまま、さらに疑義は一層深くなったままで意思決定がなされるかもしれません。また、議論が多く出て意思決定がなされないかもしれません。そういうものがいま当面、私たちはこの審議を開始して、採決の段階もそういつまでも延びない状態にあると思うのですが、その段階では出てこない可能性があるわけです。  そこで私は伺いたいのですが、国会としてこの審議、法案の成否についての態度を決めるのは非常に困難になってきているわけです。およそこんな困難なことを押しつけられる国会議員も本当たまったものじゃありませんね。そう考えますと、もしこの法案が成立した場合に、国大協の意思としてこれに対してさらに疑義が生じてきたり、あるいは批判的な意見が意思として出てきた場合には、これは文部省としては、いままで御答弁なさったようなことにつきましても変更される意思があるかどうか、この点を伺っておきたいのです。どうでしょうか。
  158. 佐野文一郎

    佐野政府委員 一月二十日の須田委員長の見解発表につきまして、参考人として御出席になった須田先生委員長の個人的見解であるということをお述べになったことは私も承知をしております。ただ、私たちは、あの委員長の見解発表というのは、一月十八日の特別委員会会議趣旨というものを十分に整理をされて公表になっているものと了解をしております。もちろん、この見解発表の文書そのものをその席上で委員長会議に配付をして確認を求めておりませんから、そういった意味で個人的見解ということを委員長としてはおっしゃったのでございましょうけれども、しかし、事柄としては、委員長が独断で委員会の審議と無関係なこと、あるいはその方向に反することを御発表になることはあり得ないことであるし、また実際の十八日の委員会の審議の経過を見ましても、従来国大協の特別委員会が懸念をされていた点について、その懸念が文部省の現在の構想において解消したということを評価されたわけでございます。もちろん、これから国大協の特別委員会は、須田参考人も言っておりましたように、委員長の見解発表について特別委員会としてそれを了承する、あるいはそれを国大協の総会に委員長が報告をなさるということは手続としては踏まれていくでございましょうけれども、実質的には、私は、国大協の特別委員会の現在のお考えはあの見解発表である、そう考えて間違いはないと思っております。(発言する者あり)
  159. 山原健二郎

    ○山原委員 少なくとも、いまお話がありますように、それは、構成されている人があの参考人の席上でびっくり仰天して発言しているというような状態でしょう。気持ちはわかるのですよ。早く法案を通さなければならぬという気持ちはわかりますけれども大学局長、少なくとも教育の問題を語っているわけですから、しかも相当長い期間にわたっての教員養成の問題をお互いに話し合っているわけですから、民主主義の原則にものっとらぬようなことで、国大協の意思と私たちは見るわけにはいかぬ。私たちが知っているのは、国大協の出されました文書というのは批判的文書です。それ以外にないのです。私見などというものはこの国会では通用しません。四月の何日かに国大協特別委員会をやられると聞きましたけれども、私たちは場合によっては来週の十九日に採決に入るかもしれないという事態でしょう。そのときに私たちは、この問題について一番研究をされ、一番関係を持ってきたところの国大協の意思というものを全く聞かないで決定をして、局長のように、大体あの御意見で異存はないと思いますなどということは、これは通用しません。その点はどうなんですか、私たちがこの法案に対して採決するまでに、国大協の意思というのはある程度まとまった形で出てくるんでしょうか、そうではないんでしょうか。それはどういうふうに推測をされておりますか、伺います。
  160. 佐野文一郎

    佐野政府委員 もともと、国大協の特別委員会は、報告書に明らかになっているように、教員大学構想に反対だと言っているわけではございません。御案内のように、既設大学整備というものがなおざりにされるのではないかということ、それから教員研修所のようなものとして、大学ではない形で矮小化されるのではないかということ、それからもう一つ管理運営あり方、その三つの点についての懸念を表明されていたわけでございます。それらの懸念については、私たちは現在の構想において十分にお答えをしているし、そういった方向ではないということが国大協にはおわかりいただけていると思います。形式的には、十八日に特別委員会が予定されているということは聞いておりますから、十八日の特別委員会委員長の見解発表は了承されると考えておりますけれども、事の性質は、国大協の懸念というものについて具体的に私たち構想考え方で答えているということをぜひ御理解いただきたいということ、それからまた、先ほど御質問がありましたように、今後とも国大協との間では十分に意見交換を重ねて、そしてこの大学既設大学に対していい影響を与えても悪い影響を与えるものにならないようにという、その須田委員長の御発言のまさに趣旨に沿った大学整備というものを考えていきたい、そう思っていることもあわせて御理解いただきたいと思います。
  161. 山原健二郎

    ○山原委員 余り時間もありませんが、局長はずっと前から、国大協はこの大学そのものに反対しておるんではないということ、そして了解してもらったものと思うという立場をとっておられます。私もそれを全面的に否定しておるわけではありません。だから、私は本当に正確にする意味で、皆さんからいただいた資料の分析をしたら、趣旨のところも違います。これは資料に出ていますように、比較してみたんですよ。これは簡単なことで、いままで皆さんがおっしゃってきたことでございますけれども、たとえば肝心な同意の問題については、文書として出てきましたのは国会に出されたものが初めてであります。国大協の方は恐らくこれは知らないと思います。知らないとまで言いません、口頭で何かそんな話があったということ、さらさらと聞き流すような形で出たというお話だけですから、少なくとも文書には同意の問題はありません。また文部省が作成したものだといって私が提示したもの、これにも同意の問題は記述がありません。参与については、これもまた国会に提出したものには、参与ではありませんが、参与的なものですね、学外の有識者の意見を聞くことを工夫するというのは国会提出資料にはありますけれども国大協のものにはありません。それから、この大学院を卒業して、修了後の給与免許の問題については、国会に出されたものには記述がありません。これは質問の中で出てきたものです。国大協に出したものにはありますけれども給与免許については特別の措置は考えていないと書かれています。私がここでお見せした、文部省が作成したというものには将来の検討課題である、こうなっています。実際、この三つを見まして、それぞれに応じた資料が出されたのかなと思って私もびっくりしているわけです。だから国大協もずいぶん資料不足のまま委員長さんとしては私見を出されたものだというふうに思っているわけです。だから、少なくとも私は、大学局長がおっしゃっているように、それほど甘い気持ちで国大協の態度というものを見ていません。     〔委員長退席、唐沢委員長代理着席〕  そこで、これ以上申し上げませんが、では国大協がこれから、四月末か五月になるかよくわかりませんけれども、その中で国大協として、いままでの国会審議あるいは資料を通じまして、こういう点については疑義があるとか、あるいはこういう点については批判をすべきであるとかというような国大協としての、あるいは特別委員会としての意見が出てきました場合には、これを今度の大学の創設に当たって文部省は率直に組み入れてその疑問を解消していく、こういう姿勢をとられるかどうか、重ねてはっきりと伺っておきたいのです。これは大臣にお伺いしたいと思いますが、その前に局長からお答えになっても結構ですけれども、この点はお互いにはっきりさせておこうではありませんか。
  162. 佐野文一郎

    佐野政府委員 特別委員会なり国大協なりが、教員大学のこの構想に対してさらにこの点について不安がある、あるいは懸念があるという御指摘を賜るということは、私たちはむしろありがたいことだと思います。そういったことにもし御指摘をいただければ、できるだけそういった懸念がなくなるように私たちは国大協に対して御説明をし、十分に御説明をすれば、私たちがもともと考えていないことについて御疑問をお持ちになることの方が多いでしょうから、御説明をすれば恐らくはおわかりいただけると思いますけれども、運営その他の面で積極的にこうしたらどうだというような御提案があれば、もちろんそれはできるだけ組み入れでいきたいと思っております。
  163. 砂田重民

    砂田国務大臣 国大協がすでに取りまとめられました報告書、その中に書かれております三点の御懸念につきましては、文部省といたしましてはその御懸念が解消するようにいろいろな措置を講じてきたところでございます。したがって、今日は、国大協の方では文部省が考えておりますことを御理解いただき得たものと考えたわけでございます。さらに、近日中に開かれます国大協特別委員会等で新たな何らかの御懸念がございましたときには、十分に御説明もいたします。私はその間に大きな食い違いがあるとは考えておりません。
  164. 山原健二郎

    ○山原委員 この研修というものですね、これは大事なものである。現職教員研修をするということ、またそのことを望んでおるということ、こういうことは非常に大事なことで、私も何もかも否定をする立場をとっておるわけではありません。しかし、大事なことは、何でこんなふうにみんなが執拗に、同意の問題であるとか管理運営の問題であるとか、あるいは資料の問題であるとかいうことを言っているかというと、やはり国会ですからその辺は、おっしゃったことの歯どめがどこにあるかということを考えないと、ただ幾らここでおっしゃいましてもそれが現実になってくるとそれとは反したものになってくる。これはどうしても先々考えて心配しておかなければならぬわけです。  たとえば免許給与の問題にしても、特に教員養成大学に適用するものではないという言い方ですね。しかし、給与の問題なんかは県の教育委員会でどうでもなるのです。昇給短縮だってできるのです。もうそんなことは歯どめにならぬわけですよ。しかも、私の県、高知県ですが、高知県から仮に三名この大学院に入ったとします。それは何と言ったって何千人もおる先生の中から行くわけですから、これはどう見たって、この前天保銭というお話がありましたけれども、やはりエリートになりがちな要素を持っているわけです。だから、そういう面をなくするとおっしゃるならば、そういうことに絶対にならないという言葉だけじゃなくて、そういうことにならない保障というものが必要なんですね。だから繰り返し巻き返しそのことを申しておるわけです。  たとえば、今度受験をする方たちは、大学を卒業されまして三年程度現職におられる。その現職現場というのは、たとえばある先生にとってみれば僻地の僻地の複式学級を持っている先生かもしれません。それから大きな学校におられる二十代の先生であるかもしれません。それぞれのところから出ていかれるわけですね。そして来年の試験を受けようと思ったら、九月を目標にして受験準備もされるわけです。そして二十代の教師というのは一番迫力があるのです。一番子供たちに強い印象を与えまして、その印象が子供たちに生涯残る。これが教育現場実態です。だから、教え方はまずい、あるいは板書の仕方はまずいような面がありましても、この若い教師の情熱というものが子供たちの生涯をきちんと規制するだけの教育のとうとさといいますか、そういう成果の尊厳さというものを持っているわけです。だから、本当に熱心な先生であれば、二年、三年すればもう教室の中へのめり込んでいるわけです。ここから二年間も大学院に行くよりも、もっとここで子供たちを教えていきたいという時期なんです。二十代というのは。そういうすばらしいものだということを考えます。  さて今度は、せっかくできた大学院を受けようと思いますと、さあ研修計画だのあるいは財政問題など、そして同意が要るのだということになってきますとどうなるかというと、同意などという関所がありまして、それが緩やかな県があるかもしらぬ、あるいはうんと厳しい県があるかもしらぬというような状態ではありますけれども、この関所を越さなければならぬということになると、一年ほど前からいろいろ精神的な曲折が出てくるわけです。これははっきりしています。余りお覚えのめでたくないようなことはすまいよ、そして同意を得よう。必ず出てくるのです。これが行政研修の一番の弊害です。それは結局、青年教師たちを精神的に惰落さす、教育者として惰落さす要因となってくるわけです。だから、この同意の問題に私たちがこだわるのは、なまやさしい気持ちでこだわっているのじゃないのです。町の教育長、市の教育長がどう思うだろう、こういうふうに顔が上向いてき出すと、子供たちに対する情熱がそがれていくのです。私も教師をした経験があります。私は二十歳代のときに一番子供たちに対して実のある教育をしたと自分で思っています。また、いま子供たちに会いましても、一番その当時の子供がそう言ってくれます。教育というものはそんなものです。そこに合意などというもの、同意などというものが入ってくることをごくごく簡単なように大学局長もおっしゃいますけれども、この関所が教師を惰落さす要因になったら大変なことです。  そして今度は、二年間の研修を受けて帰ってきます。県へ恐らく帰られるであろう、あるいは契約的に、せっかく県がお金も出して行かせたのだから県へ帰ってくるだろうというお話がこの間の質問でありました。自分の学校へ帰りますか、僻地の三学級の複式の学校へ帰りますか、そのときにどういう作用があるかというと、恐らく県の教育委員会、市の教育委員会などは、あなたは何千人もの中から選ばれて二年間勉強してきたのだから、たった三人しかいない先生のところへ帰るのはもったいないから、郡の教育事務所の指導主事になってください、県の教育委員会の指導主事になってください、こういうふうになってくるのです。同じ県に帰ると簡単に言っておられるけれども、そうなってくるとこれはいままで御説明になりましたような趣旨とは違ったものになってくるのです。そのことを私どもは心配をしていろいろ申し上げているわけでございます。  だから、この同意というもの、きわめて簡単なたった二文字でございますけれども、これがさまざまな役割りを果たす。そして矛盾を生じてくる。その矛盾が生じてくるのを防ぐためには、この同意ということをやめまして、もっと上手な方法を考えたらどうですか。こういうものじゃなくて、合格したら、現職で行くのですから出張命令を出してもいいですよ。しかし、事前の合意というのはみんなでもっと相談をして、これはもう決まったものだ、事前に合意をし承諾書を出さなければだめなんだという態度ではなくて、この問題について、まだ法案の採決までに日がありますから、もう自民党も野党も一緒になって、文部省も一緒になってこれをどう上手に処理していくか、料理をしていくか、そういう矛盾を起こさないためのものにどうすればなるか、これぐらいのことは相談をし合っていい問題だと私は思うのです。いま委員長席に座っておられる唐沢先生も、一昨日私のそばで、この同意の問題について、たとえば百人受けたとき、あるいは高知市で十人受けて十人全部合格したらどうなるのだというようなことになってくるから同意の問題が要るのじゃなかろうかというような、皆同意ということは全面的にいいとは思ってはいないと思います。けれども、そこでこれをどうするかということは私はお互いに話し合っていいと思う。  そういう意味で、文部省は、ここへ書いてあるからもうこのとおりでいくのでございますという立場ではなくて、日本の教育の全体を見て、将来を見まして、この問題についてはまさにこの国会の中でも文部省を含めていわゆる合意に達していい面じゃないか。それが合意に達しなければまた別でございますけれども、それくらいの努力をしていいのではないかと私は思うわけでございますが、この点については文部大臣の御意見も伺いたいと思いますし、また、いま委員長をされております唐沢先生もどういうお気持ちでおられるか、伺いたいと思います。
  165. 砂田重民

    砂田国務大臣 合意の問題で非常に慎重にお考えいただきますことは当然だと私ども考えます。冒頭に先生がおっしゃいました、研修のための出張を命ずるのかということに大変御懸念があったわけでございますけれども文部省といたしまして考えましたことは、やはり現職給与のまま教員大学で勉強をしていただきたい、そのことの保障を取りつける意味で、市町村教育委員会が持っております研修のための出張命令ということを統一見解として書きあらわしたわけでございまして、その前提になりますことは、やはり教員の皆さんがさらに勉学の機会を持ちたいという意欲がスタートになるわけでございます。御本人の意思に反しての命令という考え方では毛頭ない。勉強したいという気持ちを持っておられる方、その方に対しまして現職のまま現給で勉強をしていただく、それを保障する意味での研修のための出張命令という、現実問題としての手続上の市町村教育委員会同意という意味であることをぜひ御理解いただきたいと思うわけでございます。そして、同意を与えるについて、いま山原委員が御指摘になりましたような、同意を与える場合に何か色めがねで見て選択をするようなことがありましたのでは、これはせっかく新しい考え方に立っての教員大学を設立する意義が根底から崩れるわけでございます。私どもといたしましては、教員現職のまま、職務として教員大学大学院における教育を受けることができるように取り扱われることを期待いたしているわけでございますから、大学院修了後の取り扱いにつきましても、当該所属校に勤務していた場合と同様の取り扱いになる、そういうことを考えもし、当然期待をいたしているわけでございます。どうぞこの真意を御理解いただきたいと思うわけでございます。
  166. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長代理 いま山原委員のお尋ねの件につきましては、立法府の立場から今後の推移を十分見守っていきたいと思っております。
  167. 山原健二郎

    ○山原委員 これで一応終わりますが、いまの委員長の声は小さかったので何をおっしゃったのかわからなかったのです。余り熱意がなさそうなお話でございますが、もう一回もうちょっと大きな声で言ってください。
  168. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長代理 ただいま山原委員の御質問の件につきましては、立法府の立場から今後の推移を十分見守っていきたいと存じます。
  169. 山原健二郎

    ○山原委員 遅くなりました。本日の質問はこれで終わります。
  170. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長代理 午後二時再開することとし、この際、休憩いたします。     午後一時十九分休憩      ————◇—————     午後二時三分開議
  171. 菅波茂

    菅波委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。千葉千代世君。
  172. 千葉千代世

    ○千葉委員 この法案につきましてはいろいろの方面からかなり問題が出されまして、なお解明していきたい点がかなりございますけれども、時間の都合上、早速養護教諭の問題に入らしていただきたいと思っております。  この法案の中で、国立養護教諭養成所の三カ所を廃止する、つまり北海道教育大学、千葉大学、大阪教育大学、この国立養成所を廃止する、こういうふうに出されております。廃止したならば、その後、あるいはその前からも、国立大学に養護教諭の養成課程を置く、こういうふうになっておりますけれども、この大学の養成課程はいま大体幾つくらいあって、これからどんな方向を示すかということをお答えいただきたいと思います。
  173. 砂田重民

    砂田国務大臣 養護教諭の養成所の実態からまずお答えをいたしておきたいと思います。  義務教育学校の養護教諭の増員計画に対処をいたしまして、その必要数を確保いたしますために、修業年限三年の養成施設として四十年から四十四年度までの間に九大学に付設をいたしまして、その後、養護教諭の職務の重要性にかんがみまして四年制の課程で養成するべき旨の保健体育審議会の答申もございましたことですので、養護教諭の一層の資質能力の向上を図る見地から、逐次、大学の四年制課程に転換することといたしたわけでございます。この転換は、養成所の学生募集を停止いたしますとともに、ですから入学を停止いたしますとともに、これに合わせまして四年制課程設置する方式で五十年度から行ってまいりまして、昭和五十二年度までに七大学について実施をいたしまして、五十三年度に残る二大学について実施することにいたしたわけでございます。この結果、養成所につきましては、五十年度に転換措置をいたしました二大学につきましては、五十一年度末で在学生が卒業いたしまして同年度限りで廃止をしたわけでございます。また、五十一年度に転換措置をいたしました北海道、千葉、大阪教育大学の三大学につきましては、同様に五十二年度限りで廃止をする法律改正の審議を今回お願いをしているところでございます。  昭和五十二年三月に大学や養成機関を卒業した者で養護教諭の免許状を取得いたしました者が約五千人ございます。このうちで養護教員といたしまして就職いたしました者は、約半数の二千五百人と相なっておるわけでございます。
  174. 千葉千代世

    ○千葉委員 つまり、四年制の養成課程の国立の七カ所、今度二カ所、こういうわけですね。そうすると七カ所の、たとえば茨城、愛知、千葉、大阪、旭川、徳島、熊本、それに弘前と岡山を加えて九カ所。私が考えておりますのは、これではとても需給計画に足りないように思うのです。そういう意味で、将来は一県一養成課程をというようにやっていきたいと思うのですけれども、当面やはりもう少し急ぐ必要はないでしょうか。というのは、いま大臣がおっしゃった、大体五千人免許状を持った者が出て二千五百人が就職している、こういうようなお話でございました。そうすると、二千五百人就職しておる、この充足計画については大体何%くらいになっているでしょうか。
  175. 砂田重民

    砂田国務大臣 先ほど申し上げましたように、五千人が免許状を取得いたしまして、二千五百人が就職いたしておりますので、五十三年で御承知のとおりに七五%までを確保するわけでございますから、その後全校配置を目指してまいりましても充足可能であるというふうに考えております。
  176. 千葉千代世

    ○千葉委員 ことしの各県の予算編成に当たって、特に養護教諭の数が少ないというところはかなり各県でございましたようです。少ないのをどうするかということになったときに、要するに無免許の人、養護教諭の免許状でない、いわゆる高等学校に看護科を設けて准看護婦の免状を持った者でございますとか、それから養護教諭の免許状のない人、そういう方を養護助教諭として一県で三十名くらい補充している県が東北の方にあると聞いたのですが、その点についてお知らせ願いたいと思います。
  177. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のように、いわゆる養護職員と言われている者の養護教員全体に占める割合は逐年減ってはきておりますけれども、五十二年で八%、約二千五百人おります。四十年当時が二一・八%、三千九百人であったことに比較をいたしますと減少はしておりますが、なおこれだけの規模の者がおるわけでございます。  この養護職員数を、公立の小・中学校について五十二年の五月一日現在で見ますと、数は約二千四百名、そのうち養護教諭の免許状を持っている者が約千二百名でございます。したがって、養護職員の養護教諭への切りかえを図りますためには、養護教諭の免許状を持っていない職員約千二百名について講習会等によってその免許状を取得させるようにする必要がございます。そのために文部省といたしましては、従来から都道府県の教育委員会を通じまして養護教諭の資格付与講習を実施してきております。五十二年度におきましては二十四県で受講者が推計で約千名に上りますが、実施をいたしました。五十三年度以降も引き続いてこの資格付与講習を実施をして対応してまいりたいと考えております。
  178. 千葉千代世

    ○千葉委員 いまの千二百名の資格養成の講習ですけれども、これは免許状を持たなくて学校に勤めている者の講習ですか、それとも免許状がなくてこれから学校に勤めようとする方の研修なんですか、どっちなんですか。
  179. 佐野文一郎

    佐野政府委員 ねらいとしましては、現在養護職員でお勤めになっている方について養護教諭への切りかえを図りますために、持っていない免許状を付与する、そういう趣旨でこの講習を行っているわけでございます。
  180. 千葉千代世

    ○千葉委員 そうしますと、先ほど大臣がお述べになりました五千人の免許状を出して二千五百人が就職した、その五千人のうちの二千五百人は他の職種に行っているわけなんですね。二千五百人だけは学校に入った。学校の方は、いまおっしゃられた無資格の者が千二百人とにかく講習を受けて免状をもらう、これが現実なわけなんですね。そうすると、いまこれらが配置されているのは小・中で大体何%なんですか、これを含めて配置されているのは。
  181. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 五十二年度の養護教諭の設置率というのは七〇・五%でございますが、その数は約五万五千でございます。それに対しましていまの養護職員と言われる、資格のない方が二千二百でございますから、パーセントで言いますと五%ぐらいではないかと思います。
  182. 千葉千代世

    ○千葉委員 ちょっとそこのところがわかりにくいんですが、五%というのはどういう……。
  183. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 正確な率を申し上げますと、学校全体に対して養護職員が置かれております率が六・八%。
  184. 千葉千代世

    ○千葉委員 これは別のところの調べなんですけれども、資格のある者、つまり有資格者の配置が小・中で学校数に対して六六%と出ているわけなんです。それから高等学校で七五%、こうなっているわけなんです。これは違いましょうか。
  185. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 小・中学校について言いますと、先生の六五%という配置率はいつ現在の配置率かちょっとわかりませんですけれども、五十二年五月一日の学校基本調査によりますと、小・中平均しまして配置率は七〇・五%ということでございます。
  186. 千葉千代世

    ○千葉委員 有資格だけではないのですね、七一%というのは。
  187. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 これは養護教諭でございますから有資格者だけでございます。
  188. 千葉千代世

    ○千葉委員 じゃ、その数字の開きなんですけれども、これは小学校、中学校の全体に対して七一%とおっしゃるわけなんですか。
  189. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 おっしゃるとおり、学校全体の数に対しまして七〇・五%ということでございます。
  190. 千葉千代世

    ○千葉委員 高等学校はどのくらいになっておりますか。
  191. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 高等学校の養護教諭の配置率は八二・八%となっております。これも内訳を申しますと、全日制の高等学校の場合は九九・六%でございましてほとんど全校に配置、定時制高等学校の場合に三四%、こういうことで両方平均いたしますと八二・八%、こういうことでございます。
  192. 千葉千代世

    ○千葉委員 そうしますとかなり数字に違いがありますけれども、これは養護学校とよく間違われて困るのです。養護教諭と養護学校教員は違うのですけれども、それはよく間違われまして、皆同じように言われるのです。そういう意味で私もはっきり申し上げておきますけれども、養護学校も含めて学校の数を数えたのでしょうか、七一%は。
  193. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 これは小学校、中学校だけでございます。養護学校は入っておりません。
  194. 千葉千代世

    ○千葉委員 私はそれを含めていろいろ計算しまして六六%という数字じゃないかなということでこれを拝見したので、私が調べたわけではありませんけれども、大体そういう意味で充足率がまだ足りない、こういう判断をしたわけなんです。  それから、複数配置になっているというところは東京とか大阪ぐらいが主なところであって、他はなかなか複数配置になっていないですね。大きい、たとえば二千四百人の生徒のところでも一人しかいないというような資料もここへ出てきておりますけれども、そういうふうな問題についてもちょっと答えていただきたいのです。
  195. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 ちょっとその資料のでき方がふできで大変申しわけないのですけれども、先ほど小・中学校で配置率が七〇・五と申し上げましたけれども、これは全部養護教諭だというふうにさっき私が申し上げましたのは正確ではないので、このうち三%は養護助教諭が入っております。その点はひとつ御了承願いたいと思います。  それから複数配置の学校がどのくらいあるかということでございますが、これは約千名ぐらい、ですから千校ぐらいは複数の配置の学校がある、こういうふうに御承知いただいてよろしいかと思います。
  196. 千葉千代世

    ○千葉委員 初中局長さんの御承知のところは大体どの県とどの県でしょう、多いところは。
  197. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 いま手元に各県別の資料がございませんので申し上げかねますけれども、大体私の考えるところでは大規模学校でございますね、その多いところに集まっておるかと思います。
  198. 千葉千代世

    ○千葉委員 これは急ぎませんけれども、後で資料をいただきたいと思います。  それで、養護教諭が一人で児童なら児童、生徒なら生徒を見られる範囲というのは大体どのくらいと思っていらっしゃいますか。
  199. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 標準的な小学校なり中学校を想定して一学校一名という配置をしておるわけでございますから、六百名とか八百名とかいうのが一応の限度だろうと思います。しかし、それぞれの学校によりましていろいろ職員構成も違いましょうし、教員の協力をいただく場合が多いわけでございますので、それぞれの先生方にとってみればなかなか大変な方がおられるかと思いますけれども、私どもは平均して一校一名ということで、とりあえず全校必置を目標にして整備を図ってまいりたい、こういうふうに思います。
  200. 千葉千代世

    ○千葉委員 そうしますと、全校必置にする、それからいまおっしゃった複数配置を含めて、まだ大体どのくらい足りないと思っていらっしゃるのでしょうか。というのは、私がいま伺いましたのは、一人の養護教諭が大体何人ぐらいかと言ったら、局長さんは六百名くらいとおっしゃったのですが、養護の先生方の研究したものを拝見して勉強させてもらいましたら、少ないにこしたことはないけれども、一人が大体三百名くらいなら各方面の管理が行き届く、こう言われているわけです。そう言っても定員の問題もあるから、最小限十四学級以下は一人配置して、十五学級以上に対して複数配置をしてもらいたい、こういうふうに考えている。そうすると、いま文部省でおっしゃった人数ではうんと少ないわけです。一学級でもいま四十五人でございますね。私どもは四十名になりますように一生懸命努力している、本当はもっと少ない方がいいに違いないけれども。とにかく現在でも少ないからとりあえずこれだけ埋めていこうというとき、十四学級以下一人配置、十五学級以上複数配置ということになりますと、うんと足りないですが、どのくらい足りないと見ていらっしゃるのでしょうか。それについて足していこうというような考えはありますか。
  201. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 おっしゃるように、相当人数の多い学校では一人置いただけで十分でないという先生のお考えもごもっともだと思います。ただ、現在小・中学校を合わせまして約三万二千校くらいあるわけでございますが、そのうち、五十三年度までの五カ年計画でその七五%に置かれる、こういう勘定になります。そうしますと、少なくとも一校に一名設置するだけでも八千人要る、こういう計算になります。もちろん一校二名というようなことも将来の検討課題としてはございますけれども、われわれとしてはまず、次の計画を立てます場合にまだ一人も設置されていない学校について少なくとも一名を置く、その計画のために八千人を必要とする、その八千人の増員を考えてまいりたい、こういうふうに思うわけでございます。
  202. 千葉千代世

    ○千葉委員 一校一名必置というのは当然のことで、養護教諭を置くという昭和十六年の当初から言われているわけなんです。私どもの考えでは小さい学校、それから分校まで置きたいということなんです。そうしますと、話は戻りますけれども、小さい学校、それから分校を含めて、いま配置していないところはどのくらいあるのでしょうか。残りのパーセンテージですが、学校数にするとどのくらいになるのでしょうか。およそで結構です。
  203. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 いま申しました八千というのは本校分だけでございまして、そのほかに分校が約三千くらいあろうかと思いますから、分校まで含めて一名必置ということにしますと一万強という数になろうかと思います。
  204. 千葉千代世

    ○千葉委員 そうしますと、私の考えとしましても大学の養成機関できちっと養成していくということは結構なことですけれども、いまほんの緒についたばかりなんで、これから数をふやしていかなければならないし、内容的にはまだかなり問題点もございます。そうした場合に、現在あります国立養護教諭養成所、二年なり三年制なりがありますね、それを幾つか廃止して養成課程に持っていく、そんなことだけではなくて、いま各県にあります大学に新しく養成課程をつくっていくという検討方向はございませんか。
  205. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほど大臣からお答え申し上げましたように、養護教諭養成所については五十三年度ですべて養成課程に転換が終わるわけでございます。その後、各養成大学にどのように養護教諭の養成課程をさらに設置していくかということにつきましては、いま御議論になっております今後の需給状況なり、それぞれの大学事情あるいは考え方によるところではございますけれども、そういった点を勘案しながら検討をしてまいりたいと存じております。
  206. 千葉千代世

    ○千葉委員 なかなか進み方が遅いようなんです。ここらあたりで、先ほどの教員養成大学、各学校その他が整備されていく、そういう中で、いい悪いは別としましても、この養護教諭の養成については、足りないのは事実なわけですから、これを足していくという中で抜本的な改正といいますか、そういう意欲を政策に盛ってもらいたいと思うのですけれども、それはいま大学局長がおっしゃった程度のことなんでしょうか。それでは足りない部分はどうしようもないのですけれども
  207. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほどお答え申し上げましたように、いま私どもが年次計画であとどのくらいつくるかという具体計画を持ってはおりません。各大学の御構想を承りながら、私たちもそれに対応してまいりたいと考えます。
  208. 千葉千代世

    ○千葉委員 各大学に聞いてみますと、大学の方ではやる意思はあるけれども、実習問題がありますから医学部のあるところでなければならないだとか、大学の中の講師陣の配置だとか、そういう問題でかなりめんどうな面があるらしいのです。そうすると、その大学の置かれている現在の立場上、まず手のつけやすいものからやるというのが学科別にしましても多い。そうすると、養護教諭の養成課程については、これはどうしてもすぐやらなければならない問題だからこれをやろう、そういう機運にはなりにくいというのが現状だそうです。そういう面でいきますと、文部省の方で、こういう需給計画でこういうふうに足りない、たとえばブロック別でもいいしどこでもいいから、順々にこういうところとこういうところはこういう作業を進めるというような話し合いでも持つとか、そういうきっかけがないと進まないと思うのです。いま局長さんがおっしゃったように、進めていくという気持ちはわかったのですが、いま聞いておって、それじゃ来年はどこ、再来年はどこ、じゃ十年後にはいま足りない分が全部埋まるのかどうかということについては何も私自身はわからないのです。それではすごくさびしいですし、養護教諭の必要性はますます強くなってきている、こういう現状の中で、その点についてもう少し意欲的に文部省の方で考えていただきたいと思います。
  209. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のように、養護教諭養成課程については大学が取り組みにおいてなかなかむずかしさを感じておるということは、私たち承知いたしております。けさほど来御議論のございます。既設の養成大学学部充実ということを考えていく場合の一つの大事な課題でございますから、まだこの課程を置いていない大学、それぞれ事情はあるわけでございますけれども、それらの大学に対して、先生の御指摘のような点を含めまして御検討をいただくように、私の方からも各大学に話してみようと思います。
  210. 千葉千代世

    ○千葉委員 ちょっとここで横道にそれますけれども、先ほどから話になっております教員大学入学の問題ですが、私、聞いておりまして、入学について合意の問題でありますとか、卒業して出た者について、将来、昇進、昇格等の問題などがどんな影響を持つだろうか。検討中だとかあるいはいまそれは全然考えていない、こういうふうなお話でございましたけれども、それをはっきり責任を持って言えるという立場ではないようにいま私は伺っているのです。そういうことを考えたり、あるいは入ってくる人たち、これは二十代が好ましいとおっしゃったけれども、それは好ましいだけであって、実際的には三十の人も四十の人も行くかもしれないと思うのです。  そういう中で、婦人教師がこの教員大学へ志願した場合に、大体どんなふうにいくだろうかなあというふうに自分で考えておったのです。これは別に男とか女とかを区別して私は考えるわけではありませんけれども、現実的にこの教員大学ができて、そして婦人教師がすらりとここに入っていけるかどうかという問題、これは家庭を持って子供があるとか、そういうことは別にしまして、どういうことなのだろうかなあと思ったのです。  それに続いてこの養護教諭の問題ですけれども、この養護教諭自体も、これはいますぐではありませんけれども大学を出なければ、あるいは一級の免許状を持たなければ教員大学へは行かれないわけでしょう。教員大学へ入りますには、大学を出た者とか、それから一級の免許状を持った者とか、こうありますね。ちょっと私もその点は十分把握してないかもしれませんけれども、そうでなければ行かれないでしょう。そうなったときに、いま現に養護教諭が養成所を出ても、あれは国立は三年のが多いですからね。それから他の大学でも過渡的ですから短大がかなり多い。そういう意味で、教員大学よりまずこの方が早く必要だということを私は言いたいわけなんですけれども、そこらの関連なんかはどうなるのですかということなんです。
  211. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教員大学にお入りをいただく現職先生の場合、もちろん男女で区別をするということは考えておりません。それから資格は大学学部を出ていられる方ということであって、一級免ということは要件にはいたしておりません。ただ、いま先生最後に御指摘になりました短大卒の人であるとか、あるいは学部卒の資格をお持ちでない方がいらっしゃるわけでございます。それらの方をこの大学院にどのように受け入れるかというのは課題になっております。これは学部卒というのが大学院入学の資格でございますから、それを直ちに短大卒でも入れていいというわけにはまいりませんけれども、できるだけ開かれた大学院として現職先生方に勉学の機会を確保しようという趣旨からすれば、たとえば、いま先生が御指摘になりましたように、短大を卒業をしてある経験年数を経て一級の免許状を持っていられる方、そういった者についても入学の資格を認めてはどうかという問題意識は私たちは持っております。これはかなり大事な制度上の取り扱いになりますので、創設準備室と相談をして検討をいたしたいと考えております。
  212. 千葉千代世

    ○千葉委員 それではまたもとへ戻りますけれども、この国立大学の四年の養成課程ですね。五十四年度に福岡とか広島、岩手、新潟、ここに四年課程を置くという構想になっていますね。それで五十五年三月で国立養成が全部なくなる、こういう内容になっていますけれども、それでよろしいですか。
  213. 佐野文一郎

    佐野政府委員 ちょっと御質問の御趣旨がとれなかったわけでございますが、現在、四年制の養護教諭の養成課程は……(千葉委員「五十三年度まではわかっているけれども五十四年のをいま申し上げたのです」と呼ぶ)先ほどお答えいたしましたような形で五十三年度をもって転換が終わるわけでございますが、五十四年度以降の設置というものについては、私たちは現在これをつくるという計画を持っていないわけでございます。
  214. 千葉千代世

    ○千葉委員 五十四年には全然計画はないのですか。
  215. 佐野文一郎

    佐野政府委員 五十四年度の概算要求をどのように編成をするかということにつきましては、現在各大学で、文部省に持ち込んでくる五十四年度の概算要求の大学としての案を御検討になっております。そしてその案をことしの七月に私たちは十分に拝聴をいたしまして、五十四年度の概算に何を持ち込むかを、この課程の問題だけではなくて、大学全体として検討をするわけでございます。そういう段取りになるわけでございます。
  216. 千葉千代世

    ○千葉委員 たとえば、いままだ残っている国立の養成所がありますね。それは五十五年三月でなくなるわけですね。そうすると五十四年にはもう発足してなきゃならないわけでしょう、いままでの例でいきますと。
  217. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これまでのものは、養護教諭養成所の学生募集を停止すると同時に四年制の課程をつくって、片っ方の学生の受け入れをとめ、新しい課程の方に学生を入れているわけでございます。したがって、五十四年度にどのような課程をつくるかというのは、もしつくるとすれば、まさにこれから考えて五十四年に学生を入れるということになるわけでございます。
  218. 千葉千代世

    ○千葉委員 そうすると大学局長さん、さっきあなたは、これからも養護教諭の養成課程をふやしていきたい、こうおっしゃったでしょう。ふやしていく意思があるということもおっしゃったでしょう。そうして現に五十四年には福岡、広島、岩手、新潟等々で四年課程を持ちたいと言われているわけですよね。知らないことないでしょう。やるわけなんです。それを具体的に法案に出すまでには時間があるでしょうけれども、そういう方向検討を進めていらっしゃる。それに間違いはないですか。
  219. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のように、現在、大学で養護教諭養成課程を持ちたいということで御検討になっているところがあることは私承知をしております。それで、その構想は、今度の五十四年度の概算要求の大学の案として、ほかの大学課題というのはたくさんございますから、それと一緒に各大学から出てまいります。そして、私たちが全国の大学で五十四年度にどういう整備をするかということを検討する場合に、その各大学の御要求を考えながら判断をする。その時期がことしの七月になる、その場合に大学側の御要望は十分に伺いましょうということを申し上げているわけでございます。
  220. 千葉千代世

    ○千葉委員 それはわかりますけれども、当局として言っていいことと悪いことがあるかもしれませんけれども、これはちっとも言って悪いことではないのです。というのは、もう現実に入学できるかできないかというときだし、人員的にも大変足りないわけでしょう。後で大原委員が関連質問なさると思いますけれども、現に広島の東雲分校あたりでも自分の方へぜひほしいと、これは大変な陳情なんですね。そのほかの県も、私、具体的にそれとなく調べてみましたのです。そうしますとこれは大変熱心なんですけれども学校の中に先ほど申し上げたようないろいろの問題があるものですから、文部省の方としてその点をちょっと心がけて対処していただかないとくずおれてしまうのじゃないかというので、私もここで質問すべきかどうかということを考えましたけれども、ちょうど時間をもらったので、やはりきちっとしておきたいなあと思ったのでこれを申し上げたのです。そういう意味合いで、これはもちろん要望になりますけれども、やはり足りないものを補っていくというときには思い切った手だてをしていくという姿勢で進んでいただきたいと思います。  それからもう一つは、保健婦の免許状を持った者とか、それから高等看護学院を出た者とか、そういう者が国立大学の特別別科へ入って一年課程免許状をもらえるというのが山形、金沢、函館、神戸等にありますね。これはそのままお続けになるつもりなんでしょうか。これはどういうふうに配慮なさるのでしょうか。
  221. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のとおり、養護教諭の特別別科というものがございます。これは高等学校を卒業して正看の看護婦の免許状を持っている者を入学資格として受け入れるわけでございます。養護教諭の一級免許状を取得する修業年限は一年ということでございます。これは昭和五十年度からそれまでの臨時の課程を逐次転換して、特別別科といういわば恒常的な正規のものとして設置をしてきたものでございます。五十二年度までに従来のその臨時の課程はすべて転換をいたしまして七つの大学設置しております。入学定員はそれぞれ四十名で、合計二百八十名の入学定員を持っております。これをどういう形で増設するかについては、先ほどの養護教諭の養成課程と同じように、これからの需給状況なりあるいは地域的な配置なり大学の御方針なり、そういったものを考えて検討してまいらなければならないことでございます。この七つのうちで、北海道教育、岡山、徳島、熊本、この四つの大学は養護教諭の養成課程とこの特別別科とを両方持っているわけでございますけれども、山形とか金沢とか神戸は養護教諭の養成課程を持っていないところでございます。
  222. 千葉千代世

    ○千葉委員 そうしますと、この特別別科というのは現状のままで、その需給関係を見越しながらいく、こういうことなんですか。
  223. 佐野文一郎

    佐野政府委員 やはりこの特別別科の制度というのはそれとしてきわめて有意義に機能していると思いますから、これはもちろん制度としては存続をさせたいと思っておりますし、増設を希望される大学については、私たちもそれに対応して検討してまいりたいと思っております。
  224. 千葉千代世

    ○千葉委員 これはやはり現実に人数が足りないわけですから、いろんな方面で考えて免許状を取得させて、そして人数を充足させていくということは大事なことで、当面の間は私はそれでいいと思いますが、現実にはやはり大学養成課程の中にずっと組み入れていく。もっと考えて、これは養成課程ではなくて、学部がほしいなくらいに私は思ったのですね。学部をひとつつくって、そしてやっていくくらいのあれがないと、日本の教育の中で、どうもこの保健問題とかそういうものについてはまだまだ軽視の傾向が強いわけなんです。そうしていくと、やはりここらでひとつ私どもの頭を転換しながら、きちっと教育全体の中でこれをとらえて、そして位置づけをきちっとしていく、そして、その担当はつまり養護の管理者ですが、そういう方たちの資格とか内容面を充実させていく、そういうふうに向けていきたいと思っております。  そこで、先ほど私が一県に一校程度ということ、たとえば各県に大学がありますね、そこへと言ったけれども、それがとても遠い話ですか、くどいですけれどもちょっと聞かしてください。
  225. 佐野文一郎

    佐野政府委員 直ちに一県一大学という形で養護教諭の養成課程をつくるということは、私どもは現在考えておりません。また、需給の問題その他を考えましても、そのように設置をしていいかどうかにも問題があると思います。しかし、先ほど来御指摘の養護教諭の養成課程についてなかなか各大学大学全体としてはつくりにくい状況があり、そういう状況のもとでなおかつ積極的に置いていきたいという御希望を持つ大学構想に対しては、私たちもできるだけ積極的に対応したいということでございます。
  226. 千葉千代世

    ○千葉委員 それで、高等学校の看護科を出た方たち、准看護婦ですか、その方たちを助教にして採用していくという県がかなりある。一県一人とか二人、多いところは三十名近く、これは福島その他の県ですけれども、そういうのがあるように聞いていますのです。そういうふうにしていきますとこれは大変問題が多いのです。養護助教諭というもの、それから看護婦というもの、保健婦というもの、それから養護教諭というもの、こういうやはりきちんとした考えがないといけない。足りないから、それじゃ准看護婦の免許状を持っていたし、給料も安いし、だから入れておこうじゃないかと簡単に考えて入れてつじつまを合わしているけれども、やはり養護教諭の仕事というものはそういうものではないと思うのです。そのために特別の勅令を出して、そして養護教諭というものを置いたわけですから、やはりこの立法の精神に沿って国が考えていくというときに、助教諭をただその場限りに埋め合わせて済ましていくというこのやり方、この是正はやはり国の方でしていかなければならないと思うのですけれども、そういう気持ち、ありますでしょうか。
  227. 柳川覺治

    ○柳川政府委員 御指摘の養護助教諭の問題でございますが、御指摘のとおり、たとえば福島県におきましては現在小学校で五十三人、中学校で十九人、高等学校で五人の助教諭の方がおられますが、県といたしましてこれらの方に対しましては認定講習会を行いまして、長期休業等を利用いたしましたこの講習によりまして免許状が取得できるような指導を行っておるというように聞いておる次第でございます。
  228. 千葉千代世

    ○千葉委員 長期講習のその費用文部省が出して、それで受講する本人の旅費だとか宿泊とか、そういう費用は出していませんね。講師の謝礼とか会場費とか、そういうものだけですね。
  229. 柳川覺治

    ○柳川政府委員 文部省として直接のこの研修に対する補助は現在のところ行っておりません。各県で行っているということでございます。
  230. 千葉千代世

    ○千葉委員 現実に資格のない人に資格をつけるための講習をやるということ、これは大事なことですけれども、これに頭が向き過ぎちゃって、免状のない者をとにかく入れておいて、講習を受けさせてそして免状を持たせればというような、その場しのぎになりやすい傾向がある。これは幾ら長期講習といったって、学校のあるときそう出られるものではありませんから、夏休みとかあるいは三月休みとかを利用するんじゃないかと思うのです。そんなように考えていきますと、やはり体系的にきちっと課程を踏んで、そしてお勉強をしていくという、こういう本筋に戻した養成課程ということが第一義であって、そしてこれは現実になくて困るので当面それをやっていく、こういうふうにしておきたいと思うのです。でないと、県におきましてはいま言われました県のように、これはいまあなたのおっしゃった福島だけではないんです。資料ありますけれども、これはかなり気休めにやっているのですね。そして、この養護教諭の職務そのものについて何か、非常に偏見を持っていると言うと失礼になるかもしれませんけれども、非常に片手間的に考えているのです。そんなものじゃないわけですね。何のためにこの養護教諭の法律を昭和十六年につくったかということについては、これはもう私が述べるまでもないわけなんですけれども、ですからそういう点でやはり抜本的に考え直して、本格的に大学の養成課程を各県につくって、そしてそれに生徒を入れて仕込んでいく。  そして出てから後なんです。いま勤めている養護教諭にしても、身分的な問題です。給料については余り差がございませんけれども、だんだん上の方になっていくと違いますが、その他、かなりまだ問題があるわけです。たとえば、いい悪いは別にして、保健主事そのものについては、昭和三十三年に学校保健法が論議になって、結局は学校教育法施行規則二十二条の四にこれを入れてあるわけです。学校の保健主事というものが入っているわけです。その関連なんかを見ていくと、大変各県で、ごたごたという言葉じゃないんですけれども、仕事の分野がごちゃごちゃになっているところがあるわけです。そういう点なんかもこれはどういうことだろうかというように考えてきました。そうしてみるとこれはやはり問題点がかなりあるわけなんです。  ちょっとこれは横にそれましたけれども、ついでに保健主事の問題についてちょっと触れておきます。「小学校においては、保健主事を置くものとする。ただし、特別の事情のあるときは、これを置かないことができる。」「保健主事は、教諭を以つて、これにあてる。」養護教諭ではないわけです。「教諭を以つて、これにあてる。」こうなっています。それから「保健主事は、校長の監督を受け、小学校における保健に関する事項の管理に当る。」こうあります。これ読んでいれば何でもないですよ、大して。ところが今度主任手当の問題が出てきました。そうすると、鹿児島県ではこれに主任手当を出すということを決めたんです。そして条例ですか、その中でちゃんと出してあるんですね。それからもう一つの県は徳島県ですか、ちょっと書いたものをなくしましたが、どこかでもこれにならいかけております。まだいろいろあるわけなんですが、私どもがこれに、やりますときに反対いたしましたのは、保健主事は現在の段階ではそんなに必要ないと言ったのです。何のために要るかということをきちっとさせて順々に言ったところが、当面は要らないということになったんです。でも、あっても邪魔じゃないんじゃないかとか、それからいままでの師範学校では保健の問題については余り十分でなかったから、保健主事を置いて、そして実際に子供の健康、それと学校の保健の管理に当たってもらって、そしてだんだん教務主任とか校長とか、そういう段階にやるのにいいんじゃないかという発言もかなりありました。昭和三十三年ですか、東さんなんかがいるときにあったので、そういうものではないということをきちっと是認したんです。そうだということになって置いたんです。ところが、日がたち時がたってくると、学校の中ではやはり連絡したりなんかする役目なんです。それから何か養護教諭なんかに対して監督的な役目を果たすことが多くなってきたというのですが、そういうことはお聞きになりませんか。文部省ではそういう考えありませんか。
  231. 柳川覺治

    ○柳川政府委員 保健主事につきましては、御指摘のとおり学校における保健に関する事項の管理に当たるという立場に立ちまして、具体の問題といたしましては、学校における保健計画の立案、またその推進に当たりましては、一般教員はもとより、学校医あるいは学校歯科医、学校薬剤師の先生方一体となった組織活動につきましての調整に当たるというような重要な役割りをなしておるわけでございまして、現在小学校で七九・六%、中学校で八〇・七%、小規模学校を除きまして大部分の学校に配置されておるということでございまして、いま申しましたとおり、保健主事の役割りは保健計画全般につきましての調整あるいは指導等の仕事に当たるということでございまして、その立場から養護教諭に対しましての関係は生ずるというように感じておる次第であります。決して一方的な監督命令だけでもって仕事が済むということでなくて、学校の内部組織として、その調整、指導の役割りに当たるというように考えておる次第でございます。
  232. 千葉千代世

    ○千葉委員 初中局長に伺いますけれども、いまのそれでよろしいですか。
  233. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 体育局長お答えになりましたように、要するに、保健主事というのは教諭をもって充てるわけでありますから、保健主事が中心になって、学校の保健計画を立てたりあるいは校医の先生方といろいろ連絡をしていただいたりということがございますし、その保健主事と養護教諭の方は相互に連絡していただいて、養護の専門家としての養護教諭のお仕事はやっていただく、そのお仕事が学校の全体の保健計画の中で円滑に進行するように、やはり保健主事というものが連絡調整していただく、そういう関係だろうと思います。
  234. 千葉千代世

    ○千葉委員 それじゃはっきり答えていただきますけれども学校の中で保健主事は養護教諭を監督する立場にはありませんね。
  235. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 それは、保健主事というものも主任の一つだということでたびたび御説明を申し上げておるとおりでありまして、その主任の仕事というのは、関係の教諭に対する連絡調整、指導、助言でございますから、保健主事が養護教諭を監督するというようなことはないわけでございます。
  236. 千葉千代世

    ○千葉委員 五十二年の六月に一週間ばかり養護教諭の中央研修会が筑波であったのです。そのときに養護教諭と保健主事との関連ということでお話があった。その中で、学校保健の実施とか計画、そういうことの中で、主事がそれへ参画して職員会への提案なんかも行うようにせよと言った。そして養護教諭は単に立案に参画だけだということをきちっと言われたわけです。それぞれの分会に帰っていくと、保健主事さんは養護教諭に命令してくるわけなんです。これは一つの例ですけれども、それはその学校がどうかということでありませんけれども、そういう系統的にかなり乱れかけてきているわけなんです。それで、これは各県の養護の先生方の会合にも私顔を出したことがございました、婦人の会合なんかのときにそういう問題がかなり出てきたのです。それで私は去年の三月二十三日と思いました、文教委員会でちょっとの時間に触れたときに、諸澤初中局長でしたか、どなたかちょっと名前は記憶ありませんけれども、そういうものではないということを言われているわけなんです。ですから私は自信を持って言ったんです。事実そうなんだ。監督するものでも何でもなくて、上下関係でももちろんない。お互いに連絡し、調整したり、そして一緒になってやっていくのだとか、そういうことであったわけなんですが、どうもそれが変わっていった。筑波大学でやった中央研修会というのは文部省がやったんじゃないんですか。どなたがやったんですか、あれは。
  237. 柳川覺治

    ○柳川政府委員 文部省の体育局の方で所管しております。
  238. 千葉千代世

    ○千葉委員 あなた、いらっしゃいましたか。
  239. 柳川覺治

    ○柳川政府委員 私は直接行っておりませんが、それぞれ学校保健課の専門職員あるいはこの方面の学識経験の先生方に御講義を賜って講習を行っておるわけでございます。
  240. 千葉千代世

    ○千葉委員 わかりました。  それで、くどいようですけれども、こういう場所ですからきちんとしておきたいことは、やはりこれは上下関係ではなくて、保健主事は学校学校保健のことについて校長の監督を受けてもよろしいですね。連絡調整の役に携わっている、これでよろしゅうございますね。
  241. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 おっしゃるとおりでございます。
  242. 千葉千代世

    ○千葉委員 わかりました。  なお、そのほか少しまだ問題がありますけれども、同僚委員が関連質問を申し出てておりますので、これで一応やめておきます。  どうもありがとうございました。
  243. 菅波茂

    菅波委員長 関連質疑の申し出がありますので、これを許します。大原亨君。
  244. 大原亨

    大原(亨)委員 関連質問いたしますが、最初に、いまの質疑応答を聞いていまして、養護教諭の養成ですね、今度養成所を廃止して学校の中の一課程でやろうというのですね。教育の荒廃ということが言われておる。それから医療の荒廃ということが言われておる。医療の荒廃はやはり医学教育の荒廃ですね。特に私立の大学。私立の大学文部大臣の管轄下ですが、学校教育法の管轄下ですけれども、この前も言ったのですが、その接点は私立の医学部の荒廃にある。もちろん国立でも大阪大学入学試験の不正事件がありましたね。そういうふうに入学については激烈をきわめるわけだ。五千万円も出してやるのですが、その教育の荒廃と医療の荒廃の接点がそこですけれども、やはり教育の面で医学教育をどうするかということが非常に大切である。  それと一緒に、いま千葉委員からお話がありましたように養護教諭の職務について考え直す必要があるのではないか。つまり、日本の医療の一番の大きな欠陥は健康管理がないということなんです。何でもかんでもすぐ病院に行きまして、のっけから治療をいたしまして、薬を飲む、注射を打つ、こういうことで、言うならば薬づけ医療で薬害事件も続出しておるし、そして財政もパンクしておる。重複診療、重複投与、それから重複投資、こういうことですね。  その交通整理は、まず一つは看護職。これは保健婦、助産婦、看護婦のことは看護婦職というのですが、ILO条約の問題はありますが、それを病院の付属の養成所で養成するのでなしに、学校教育の体系の中で、四年制の大学校で文部省の管轄の中で養成する。文部省と厚生省の管轄を取っ払う、境を取っ払うということが一つある。そういう問題はあるのですけれども、いま養護教諭の問題も、たとえば養護教諭は小学校、中学校、高等学校において、養護の問題あるいは健康管理の問題について、体育の問題とうらはらで密接に関係をして、健康管理の問題についてやはり専門的な教育に参加するということが必要ではないか。単に学校で細々と忙しく養護のことだけをやるというだけではなしに、進んでそういう専門知識を持った人であるべきですから、健康管理の仕事、健康管理の教育についてやはりやるべきではないかということですね。ですから、それはそういう学部設置しろという御意見があったわけですが、やりますと、たとえば医者の専門家も要るわけです。生理から全部要るわけですね。ですから相当大きなスタッフになるということもあって、なかなか経営上めんどうだということもあるかもしれません。しかし、養護教諭の領分というものは、単なる傷とか当面の治療というのですか、そういうことをするだけではなしに、やはり健康管理教育についても発言をしたり、あるいは授業を担当したりするようなことが必要ではないか。そういう体制でやるということが一つの医学教育の立て直しの大きな柱になるんじゃないかと思うのです。ですからもう少し大きい構想で、教員大学という構想もここであるわけですが、しかしそのことの議論はまた後にするといたしまして、養護教諭についてもそういう養成の仕方で、職能についても発展的に考えていくことが必要ではないか。  たとえば、何でもかんでも医者にかかっていくというようなことは日本だけです。たとえばお年寄りにいたしましても、大体半分は医者にかからぬでもいい人が常に通院いたしまして薬をもらっておる、注射を打っておるということです。それは児童、生徒の健康管理についてもそうです。だからそういう点を、専門的な知識を持った人が健康管理について専門的な教育をしていくということが、いまの医療はまったくお先真っ暗な状況ですが、これを立て直すもとになるんじゃないか。そういう意味において、いま養護教諭養成の問題について単に区画整理をするような考え方ではなしに、便宜的な考え方ではなしに、基本的に考え直す必要があるのではないかということを私は痛感するわけですが、いかがでしょう。
  245. 砂田重民

    砂田国務大臣 おっしゃるとおりに、現在の状態、臨床医学に偏っております。やはり、大学の医学の勉強についても、臨床医学に偏るだけではなくて、基礎的な保健医学の学術内容充実させていかなければならないことはお説のとおりでございまして、医科系大学の中にこのような充実を図ってきているところでございますけれども、養護教員の養成についても私は同じことが言えると思います。そういうことも含めて、従来の養護教員の養成所を、三年制のものを四年制の大学における養成課程に移行をしていく準備をいたしてきたわけでございます。けさほどから教員大学の御議論に絡みまして、既設教員養成課程等を持ちます大学内容充実をしなければならない、私どもも同じように考えておりますので、この中において養護教員というものの教育内容充実を図ってまいりたいと考えます。やはり、学校におきます安全、保健計画策定にも養護教員は参画をしてまいるものでございます。これはけがをしたり病気をしたりする後の処置だけではなくて、学校におきます安全、保健の計画というもの、それに対する予防措置というものは重要な意味を持つものでございますから、お説の趣旨に沿って、積極的にこの問題の充実に取り組んでまいりたい、かように考えるものであります。
  246. 大原亨

    大原(亨)委員 限られておる時間ですから、次に、広島大学が今度東広島市に、かなり離れておるのですけれども、全学を挙げてキャンパスを移転する問題について。  大学の再編成が今日まで行われてまいりました。これはかなり大きな事業でありますね。いろいろ制度にも影響を与える問題でございます。それでこの問題につきまして、広島大学の移転問題はたくさんの障害があるのですが、地域振興整備公団が担当して設備の方はやっておるわけです。それで私の承知する文部省やあるいは知事の方針等は、五十三年に土地等の買収を終わる、それから昭和五十四年に建設を終わる、昭和五十五年には完全に再編成、移転をする、こういうふうに計画を立ててやっておる、そういうふうに私は理解いたしておりますが、それは間違いありませんか。
  247. 佐野文一郎

    佐野政府委員 地域振興整備公団の計画では、広島大学用地の譲渡が当初の予定よりも若干おくれまして五十四年度からになると聞いております。文部省としては、広島大学施設の建設に五十四年度から着手できれば、当初予定の五十五年度内改革、つまり五十五年度から移転を開始する、そういうことで事を実施してまいりたいと考えておるわけでございます。移転統合の予定といたしましては、五十五年度からおおむね七年ないし八年かけて移転を完了するということを考えております。
  248. 大原亨

    大原(亨)委員 大きな施設もできるのですけれども、民族移動、ローカルで言えば人間の移動が起きるわけです。そこで上水道とか下水道の環境の問題等が出てくるわけですね。そういう地域開発との関係でたくさんの問題があるのですが、この問題についてはやはり地域の要請に十分こたえて万遺憾なきを期してもらいたい。東広島というところは盆地の中へ出るのです。ですから、そういう水の問題、上水道、下水道の問題を中心に環境の問題でたくさんの問題が出つつありますので、この点は十分配慮してもらいたいということが一つ。  それから、今度の国立学校設置法の改正の中で、学校教育学部を設立するという広島大学全学の要望があったわけであります。広島大学は——御承知のように東西の文理大、教育大学は筑波大学の問題であのような実情になりましたが、西においては、やはり文理科大学、そして高等師範学校が言うなれば後期中等教育の中心であった。そうして、御承知のように、当時の師範学校、青年師範学校、女子高等師範学校、そういうふうなものがすべて広島大学に統合されておったわけですね。そこで、小学校、中学校、それから特殊養護教員等の養成については、教育学部の分校として、東雲町にあるから東雲分校として、分校の中で養成しておったわけですね。総合大学の中で、小・中学校、特殊養護学校の教諭をそういう分校のシステムで養成しておったところがいままでございますか。ほかに総合大学等でございますか。
  249. 佐野文一郎

    佐野政府委員 新潟大学の場合の高田分校はその例でございましょうが、それ以外にはないと思います。
  250. 大原亨

    大原(亨)委員 新潟大学自体と高田分校は、これは同じように小学校、中学校の教諭を養成するわけでしょう。広島の場合は、教育学部の千田町の本部校舎におきましては主として高等学校の教諭を養成する、後期中等教育教員を養成する、そしてそこから分校の形で東雲分校ができて小学校、中学校教員を養成する。こういう形のものはないわけですね。  今度は学校教育学部設置ということが設置法の改正に出てまいりますと、一つ大学教育学部があり学校教育学部がある、こういう形になるわけですね。いままで分校については一つの領域、小学校学校、特殊養護教諭の養成をする学部として何らかのまとまったものがほしい、こういうことが、広島大学において関係者やあるいは大学全体で要請をされておったと思うのですね。今度学校教育学部が設立されました趣旨、受けられた趣旨について私ども理解するところですが、これからの移転、再編成の中でどういう観点で位置づけられるのか、そういう点についてお答えをいただきたいと思います。
  251. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のとおり、広島大学では、今回の大学の移転統合を機に、大学整備ということを、学内を挙げて検討を四十四年ごろから進めてきております。その検討の重要な一環として、学校教育学部設置ということも学内で検討されまして、その結果を踏まえて大学として意思決定をしてきたものでございます。広島大学はもちろん、大阪教育大学のような独立した教員養成大学ではなくて、総合大学でございます。教育学部学校教育学部の二つの学部ももちろんその総合大学の中の学部として位置づけて、今回の統合移転を契機にしてさらに整備を進めていこうということでございます。
  252. 大原亨

    大原(亨)委員 大学は自由であり、自治という原則が貫かれておるわけですが、単科大学と総合大学における教員養成、そういうものについてはどういう評価をしておるのですか。どちらがどういう点においてすぐれておるかとか、そういう問題について議論したことがありますか。
  253. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これは、単科の大学の方がいい、あるいは総合大学の方がいいと、いずれの場合もこう一概に言えないと思います。これは、医科大学を総合大学の医学部としてつくるか単科の医科大学でつくるかということとある意味では似た問題であろうと思います。総合大学の全体の中に置かれた場合には、ほかの学部との関連において、そこの十分な連携ができれば一般教育その他の面において非常に長所が発揮できるでございましょうし、また教育学部がほかの学部に対していい影響を与えるということもあるでございましょうけれども、また、単科大学の場合には逆に、大きな大学の中のほかの学部のいろいろな構想等にとらわれないで、その大学としてかなり思い切っていろいろな改革の構想を考えていくことができるというようなメリットもあるわけでございます。いずれも一長一短——一長一短というよりも、それぞれその設置趣旨に沿った充実ということを図っていくことができるでございましょうし、またそうなってほしいと思っております。
  254. 大原亨

    大原(亨)委員 千葉さんの話を聞きながら、養護教諭の養成所をつくったりあるいは教育課程を独立させたりする、あるいは学部をつくる、そういうふうな場合等におきましては総合大学の方がいいですね。医学部の教授やその他の講師に手伝ってもらうのに、講座を設置するのに非常に便利ですね。そういうことはありますね。しかし、医学部が単科でいいか学部でいいかというと、学部の教授会その他が独立していますし、大学自体の運営のやり方の問題があると思うのですが、日本では総合制のメリットが十分発揮されないというようなことがある。しかし、広島の大学の場合を考えてみましたら、たとえば後期中等教育教員養成を高等師範の連続でやっておる、そういうのが教育学部である。片方の分校は小・中学校である。しかし、同じように教授会その他をやるにしましても、将来の教員養成の対象その他が違っておるからその点はちょっとおかしかったわけですね。ですから、それを学部を分けて整理をするということは、日本じゃないことですけれども、この処置は、こういうふうに大学の中で独立させることはいいことだと私は思いますね。  そこで、広島はそういうふうに総合大学で、中国地方におきましてもかなり大きなボリュームを持った大学ですね。ですから、この学校教育学部設置をされて、そして将来どういうふうにこれを充実させていくかということは、これは大学院設置と深い関係があります。やはりいまの大学の制度の中におきましては、教授の資質等におきましても、あるいは学部が独立することと一緒に大学院設置されるということが、議論はいたしませんが、やはり実質的な大きな条件であります。広島大学の中におきましては、学校教育学部ができますと大学院がないのは学校教育学部だけということになるわけです。ですから、学校教育学部を設立いたしますと当然に大学院をつくる。やはり陥没地帯ですから、いままでおかしかったわけですから、つくる計画一定計画の中で、いままで議論があったと思うのですが、既存学部充実させるということの一つとしてお考えがあってしかるべきではないかというように考えますが、広島大学学校教育学部大学院設置についてはどういうお考えでありますか。
  255. 砂田重民

    砂田国務大臣 まず、広島大学当局がそのような構想をお持ちになって御準備にとりかかられるのがスタートだと思いますが、そういう御構想を広島大学でお持ちになりました場合には、その御構想は当然尊重して検討してまいらなければならないものと私どもは考えます。
  256. 大原亨

    大原(亨)委員 つまり、これは大学自体がどのような構想学部大学院との連携を考えながら充実した構想を持つか、そういうことが前提であります。そういう前提で要請されつつあるとわれわれは理解しておるわけですね。ですから、そういう要請があるならば、これに対しましてはその実情を勘案されるということもさることながら、大学院設置については積極的に対応していこう、そういうお考えであると理解してよろしゅうございますか。
  257. 砂田重民

    砂田国務大臣 先ほどお答えいたしましたとおりに、大学当局のお考え方を十分尊重をしてまいらなければならないと考えております。
  258. 大原亨

    大原(亨)委員 そこで、広大移転に関係しまして、五十四年、五十五年という年度について何かあったわけですね。それで大学院設置について、新しい分校あるいは古い分校、新しい学部を想定して要請があるのですが、東広島への移転のたとえば昭和五十四年ごろには、大学院はすでに母体があるわけですから、もうスタッフもいるわけですから、教授もいるわけですから、広島県の初等教育教員養成、前期中等教育等もやっておるわけですから、そういう問題については、たとえばこの教育大学なんかというのは大学院を先につくってしまう、そういう構想があるのですね、これは現在の学部はきちっとあるわけですから、それをまず充実させるという観点から議論するならば、大学院についてすでに要請があるわけですから、これに対しては速やかに、広島大学自体充実させるという観点で、大学院をつくってもらいたいということについて積極的に取り組んでいただきたい。このことは答弁を求めません。  そこで問題は、広島の教育学部大学院は、いままで議論があったと思うのですが、たとえば現職教育の問題はどういうふうに扱うのか、いかがでしょう。
  259. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教育学部の上に設けられております大学院は、その性質は、教育学部が主として教育学なり心理学なりあるいは教科教育学等の教育研究を行う、そういう学部でございます。その上にできている大学院もそういう形のものでございます。もちろん、こういう大学院でありましても、現職先生がそこへ行かれて、ことに高等学校先生等が勉強されるということは望ましいことではあると思いますけれども、広く義務教育レベルの先生方を受け入れて高度の研さんの機会を確保するという性質の大学院とは、現在の教育学部大学院はやや異なると思います。新しくできる学校教育学部の方の大学院は、これはそもそもの学部のねらいが現在の教育学部とは違って、すぐれた義務教育学校教員の養成を実施をしよう、特に実践的な教育というものを重視して行っていこうという御構想のものでございますし、したがって、将来これに修士課程ができる場合には当然、もちろんこれは大学がこれから御検討をなさることではございますけれども、私たちはそこに大幅に現職先生を受け入れるという体制をとっていただきたいと思っております。
  260. 大原亨

    大原(亨)委員 現在の教育大学、学芸大学大学院設置されているのはどこですか。念のためにひとつ……。
  261. 佐野文一郎

    佐野政府委員 東京学芸大学と大阪教育大学にそれぞれ修士課程がございます。五十三年度に愛知教育大学修士課程設置したいということを法案をもってお願いをしているわけでございます。
  262. 大原亨

    大原(亨)委員 その修士課程を終えた人が教育現場に出る場合に、新しい構想教員大学大学院構想修士課程を終えた者との間において差がありますか。
  263. 佐野文一郎

    佐野政府委員 制度上は全く差がございませんし、またその差を今回設けようとは全く考えておりません。
  264. 大原亨

    大原(亨)委員 そうするならば、大学院については大学学部卒業生と一緒に広く門戸を開放するということになるのでしょうが、それと一緒に、現職教育なんかについてもそういうことは平等に考えるべきではないのですか。いかがでしょう。
  265. 佐野文一郎

    佐野政府委員 たてまえとして、もちろん学芸大学、大阪教育大学修士課程現職先生を多数受け入れてほしいということを私たちは考えております。しかし、実際問題としては、両大学を通じて現職先生は十名程度しかお入りになっておりません。これをもっと拡充する努力をしなければいかぬと思いますが、同時に、やはり学部を出てさらに修士進学をして、あるいは場合によればドクターまで行かれる場合も教育学部の性質によってはございますが、東京学芸なり大阪教育の場合には、修士に進んでさらに高度の研究をされようという方もあるわけだし、そういった学部から修士を通じて勉学をされるということもこれからの教員養成の上では非常に大事になってくると思います。広島の教育学部型の大学院の場合、東京大学教育学部大学院であるとかあるいは名古屋大学教育学部であるとか、類似のものはあるわけでございますけれども、そういった場合の現職教員の受け入れというのは、実際問題としては学校教育学部の上にできる大学院の場合とは違うことになるであろうということを先ほど申し上げたわけで、たてまえとして、現職先生にも広く一般大学院が門戸を開くことが望ましいことはもとよりでございます。
  266. 大原亨

    大原(亨)委員 いま十名程度現職教育が行われていると言われましたね。それは現職現給であるのですか。給与をもらいながらやっているのですか。
  267. 佐野文一郎

    佐野政府委員 一人休職でおいでになっている方がありますが、それ以外は現職現給でございます。
  268. 大原亨

    大原(亨)委員 現在の制度でも現職現給ができるわけですね。給与をもらいながら大学院の二年のコースをやるんですね。昔、師範学校を出て高等師範とか、高等師範を出て文理科大学とか、現職教育で休職して行っていましたね。一たん経験を積んでもう一回勉強するということは悪いことじゃないと私は思うのです。ただし、いま議論になっているのは、政治的な制度や目的に従属したような研究体制というものは本来の学問研究とはちょっと本質的に違うのじゃないかということが背景に一つあるわけです。戦前の教員養成というものは学問研究と教育との関係について議論がいろいろあったのですが、そういう点でいまの大学は学のうんのうというようなことなんかないわけです。しかし、学問研究が一定の枠の中で行われることはいけないという議論があるわけです。大学の自治という問題があるわけですから、私は、大学の自治という問題についてはきちっとした考え方でこれからの大学の運営をするということが学問や教育の進歩のために必要である、こう考えるのですね。その考え方についてはどうお考えですか。
  269. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のとおり、学問の自由を守るための大学の自治というものを大切にしていくということは、これからの大学の運営を考えていく場合に基本的に大切なことであると思っております。
  270. 大原亨

    大原(亨)委員 いろいろな全体の議論等は別にいたしまして、広島大学の場合の大学院設置については、やはり大学の自治というものと総合大学の長所を生かすという観点でいままでの制度をさらに前進させる、充実させる、そういう観点で、やはり広島にはいままでいろいろな蓄積があるわけですから、そういう蓄積を生かして充実させていくということが、広島大学が全学を挙げて移転をした意義である。これはもう十分議論いたしまして全学が一致したわけですが、そういうことである。その中で私はりっぱな学部とりっぱな大学院をつくってもらいたい、そういうことを強く要請をいたします。大臣の御答弁をいただきまして終わりたいと思います。
  271. 砂田重民

    砂田国務大臣 広島大学が長年の間研究に研究を重ねられた上で全学一致の方針を立てられたわけでございますから、そういう意味も含めて、先ほど、広島大学御自身で大学院構想をお持ちになった場合は私どもは当然それを尊重をいたさなければならない、こうお答えをしたわけでございます。御発言の御趣旨は十分理解をいたしますので、その方向で対処をさせていただきます。
  272. 菅波茂

    菅波委員長 伏屋修治君。
  273. 伏屋修治

    ○伏屋委員 教員大学につきましての多岐にわたる御質疑があった後の質問でございますので、多分に重複する面もあると思いますけれどもその面は御了承願いたいと思います。  大臣の御答弁の中に、いまの時代ほど教員の資質向上が社会的な強い要請として求められているときはないという御答弁がございましたし、また現場におきましても非常な研さんを積み重ねておるという御答弁がございました。教師の資質を向上しなければならない、そういう意味において教員大学というものを構想された、こういう面において私たちも全面的に否定するものではございません。けれども、その反面、やはり御答弁の中にございましたように、現存するところの大学教員養成充実、そしてまた何十万と言われる現職先生方現職教育充実、このことが私どもの大きな関心事でございます。そういう意味におきまして、先日私たちの党の有島委員あるいは鍛冶委員がそのことにつきまして質疑をいたしまして、それにつきまして大臣の御答弁の中に、教育実習について改善の具体的な第一歩を踏み出す、こういうような御答弁もございました。また、学部間あるいは大学間の単位互換制に対しても促進を約されました。私どもも今後その成り行きを見守っていきたい、こういう気持ちでおります。  そこで、教員の資質向上ということが文部省からいただいた書類の中にもございます。では教員の資質とは、一体何を指して資質というのか、この面を大臣のお口から聞かしていただきたい、こういうように思います。
  274. 砂田重民

    砂田国務大臣 基本的な問題でございます。教員というものは、教育を通じて国民全体に奉仕をする立場にあるものでございます。児童、生徒との人格の触れ合いを通じて次代の国民を育成するという重要な使命を担うものでございます。したがって、その使命を自覚をしていただいておることが一つの重要な教員の資質であると考えます。そしてまた、その職責の遂行に努めていただいて、当然父母や住民の信頼を得るようにしていただかなければなりません。そういう使命感を持っていただいている教員教育的な愛情の何であるかということを自覚していただいている教員、私は、数多くございましょうけれども、それこそが大切な教員の資質の最も基盤になるものである、さように考えます。
  275. 伏屋修治

    ○伏屋委員 教員の使命感、それから教育に対する深い愛情というお言葉で申されたわけでございます。私はこれをさらにもっと平たく申していただきたかったわけでございますが、私は、何といいましても、教員のその使命感あるいは教育的愛情のさらにまたその奥にあるもの、それは子供に対するこよなき愛情にあるのではないかと思います。大臣は御経験がございませんけれども、私は小学校教員として十二年間経験をいたしました。その中で、教員のまず第一の資格は何といいましても子供が好きで好きでかなわない、これがなければおのずから使命感もわいてまいりませんし、また、より深い学問的な背景に支えられたそういう教育的な愛情というものもわいてこないのではないか。どろまみれになった子供が飛びついてきたときに、それを本当に両腕に抱えることができる、そういう教師こそ私は教師の本当の資質ではないかと思います。  それで、顧みますれば大臣もやはり過去には小学校時代もございました、あるいは中学校時代もございました。その過去の教育を受けられた経験の中で、やはりいまだに頭の中に、あるいは心の中に残っておられる先生というものの印象はあると思います。そういう先生は一体どういう先生でしょうか、お聞かせ願いたいと思います。
  276. 砂田重民

    砂田国務大臣 私の小学校時代のことをお尋ねいただきますと、ずいぶん昔のことになるわけでございます。そこでこのことをお答えにしたいと思うのです。実は、いい先生とはどういう先生かというテレビに出演をさせられました。そのときの録画撮りに参りましたら、私が発言をいたします前に、テレビのアナウンサーが小学校を訪ねまして、小学校の男女生徒に、君、いい先生とはどういう先生だという質問をいたしまして、小学校の子供たちがそれに答えました。その答えの中には、宿題を持っていったときに、みんなに対して公平に宿題を厳しく見てくれる先生がぼくはいい先生だと思うな。また一人の小学校の生徒は、野球などをやるときに一緒にどろんこになって野球をやってくれる先生がいい先生だな。一人の女の小学生は、だれにも本当に公平な気持ちで接してくれる先生が私はいい先生だと思う。それは小学校の三年生、四年生、五年生からの取材でありましたけれども、まさに小学校の子供たちが知、徳、体、兼ね備えた回答をいたしておりますのを私はテレビの録画で見せられました。全く同感だという感じがいたしました。私もそのような先生がまさにいい先生である、こういうふうに考えるものでございます。
  277. 伏屋修治

    ○伏屋委員 現実の子供さんの声として大臣は御答弁になったわけでございますが、私は大臣御自身の体験を聞いておるわけでございまして、その面、ひとつよろしくお願いしたいと思います。
  278. 砂田重民

    砂田国務大臣 私は算数が非常にできませんでした。いまの言葉で言えば算数落ちこぼれの小学生でございます。そこで、私の担当の久留米木先生という先生でございますが、もうちょうど五年前にお亡くなりになりましたが、その先生に、夜おれのうちに来いと言ってその先生のうちへ呼ばれました。もういやというほど、算数の私がおくれておりますところを大変な厳しい指導を受けて、どうやら追いつかしていただくことができました。その先生の非常に厳しかったことが一番なつかしい先生であるということを、今日なお記憶いたしておりますことをお答えしたいと思います。
  279. 伏屋修治

    ○伏屋委員 先ほど申し上げましたように、本当にそこに教師の資質があるのではないかと私は思います。幾ら学問的な博学な人であろうと何であろうと、子供に接したときに、その子供を抱え上げて、抱き込んで、その子供のために自分の全精力を傾けていこう、そういう教師であってこそ子供も成長するんではないか。そういう意味におきまして、教師の資質というものはいま大臣がおっしゃったとおり人間味あふれる先生でなければならない。私も過去にそういう教えられた先生方を思い起こすときに、本当に、算数の教え方がうまかったからとか国語の教え方がうまかったからという、教え方の巧拙での先生の印象は頭には残っておりません。その先生が私の手をとっていろいろなことをやってくれた、本当に人と人との触れ合い、そういうものが私の心に強く焼きついて残っておるわけでございます。そういう資質を向上させることがまず制度に先んじていかなければならない、そのことを私は強く思うものでございます。  そういう面におきまして、現実の教育の求められておる強い社会的要請、これは一面裏返せば、教育の荒廃の局面を呈しております。そういう厳しい現実に立っての社会的要請であると思います。そういう面から、教師の資質を原点に求めながら教師の資質の向上を図っていく、このことはまさに機を得ておると思います。先ほども申し上げましたように、それと同時に文部省も、荒廃した教育の現実に即しながらいままでいろいろな面での教師の資質向上、こういう面に努力されておることは私も評価するものでございます。そういう面におきまして、いままでどのような面でいま申し上げたようなことで教師を育てていこうとされたのか、具体的な方途につきまして聞かしていただきたいと思います。
  280. 砂田重民

    砂田国務大臣 いままでとってまいりました各様の研修等の内容につきまして、初中局長からお答えさせていただきます。
  281. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 文部省としては、先生方のより自分自身を豊かにしていこうという意欲を満足させるような研修の機会を設けるということに努力をしてきておるわけでありまして、そういう意味で、その具体的やり方としては、国自身が各種の研修会を計画し実施するという場合もありますし、都道府県にありますところの各種の研究団体がいろいろの研修会等を設ける、その研修の機会を十分に実施できるように財政的な助成をする。こういうようなことで、国みずから、あるいは研究団体等の実施します研修の機会をできるだけいろいろな面でつくりまして、その内容を実りあるものにするように努力をしてきたわけでございます。
  282. 伏屋修治

    ○伏屋委員 いま初中局長からお答えございましたが、私の手元にも文部省が実施いたしました五十一年、五十二年度にわたる教員研修事業というものをいただいております。これを見ましても、一つ研修期間が長いもので四週間あるいは六週間、一カ月、二カ月というものもございますけれども、多くのものを見ますと二日とか三日とかという研修の期間であります。そして目的もそこに書いてありますし対象も書いてありますけれども、さきに質問された委員の方もおっしゃっておられましたように、このような講習が、私が先ほど一番冒頭に申し上げましたような教員の資質向上につながる生き生きとした研修会であるのかどうか。いま初中局長答弁の中では、それを考慮しながら研修を設定しておるということでございますが、二日、三日のこのような研修期間でそれができるものかどうか、お尋ねしたいと思います。
  283. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 お示ししました資料に基づきましていま御質問だと思いますが、やはり研修というものはその実施します内容によりまして期間等もおのずから制約されたり、あるいは考えなければならない点があるわけでございます。たとえば高等学校の英語の担当教員研修講座というようなものになりますと、これは全国に数万の英語の先生がおるわけでございますが、それを一遍に文部省、あるいは県にしましても、長期間にわたって研修するということは事実上不可能でございます。そこで国の場合、まず各県から英語の経験の豊富な先生等に集まっていただいて一カ月にわたって研修する。そういう先生方がまたそれぞれの県へ帰られまして、県の主催の研修会で自分で研修してきた成果を伝達するというようなことを実施するわけでございまして、研修というのはそういう意味で、一人の先生について言いますならば自分の専門とする内容についても年に一回なら一回と限られるものではございませんから、そういう短期間の研修でありましても、いま申しましたような段取りを経まして年に何回も自分の勤務の範囲内において研修を重ねていく、こういう実態にありますので、長期間にわたって国外へ留学するというような研修ももちろん必要でございますけれども、私どもはそういう意味で、短期間の研修を何回か繰り返してそれを深めていただくということもそれなりに効果があるのではないかというふうに考えております。
  284. 伏屋修治

    ○伏屋委員 このような非常に短期間の、いまお答えがございました中にもはしなくもそういうことがはっきりしてきたわけでございますが、いわゆる伝達講習的な色彩の強い講習であるということでございます。私も現場におるときにそういう講習を受けた一員でございますけれども、その講習たるや、派遣は一応学校長命令という形になります。そして厳重にそれがチェックされます。そして受けた人は次年度においては省略され、受けてない人が次に行くというような割り当て制の伝達講習の内容そのものである。そういう御認識は初中局長はお持ちですか。そういう実態は御存じですか。
  285. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 先ほども申しましたように、研修趣旨なり目的によりまして、たとえば新しい学習指導要領をつくった、その趣旨というのはやはり全部の先生に知っていただかなければ困るわけでございますから、そういうものはそれぞれの校長さんなり教育委員会において適当に人数を割り振って全体の方が聞いていただくようにするという、まさに趣旨伝達でございます。しかし、私どもが考えております研修は決してそういうものばかりではございませんで、先ほど申し上げましたような英語担当教員の資質を一層向上するための研修であるとか、あるいは生徒指導主事としてのカウンセリングなり生徒指導の方法、技術というようなものを勉強していくということは、やはり計画する方でそのような趣旨をもって計画をし、またそれに参加していただく方はそういう面における自分の能力をより高めようという意欲を持って来ていただかなければ効果が上がらないわけでございまして、私どもそういう研修を十分にやっていきたいということで考えてきておるわけでございます。
  286. 伏屋修治

    ○伏屋委員 一面、いまおっしゃったことを是認したとしましても、そのような講習会をたくさん持たれるのにも増して社会的な要請が強いというところに私は問題があると思います。その辺、どうお考えになっておられますか。そういう講習会を持って資質向上を図ろうと一生懸命文部省も配慮した。しかし、依然としてそれにも増して社会的な要請は教員の資質向上を望んでおるという、そこには何がそういう要因になっているとお考えですか。
  287. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 教員という職務が、専門職として絶えず研修をして自己自身を高めていかなければならない、そういう性格でございますから、大方の先生は皆そういうつもりで研修をしていただいていると私は思いますけれども、やはり中に十分にそういう意欲なしにおられるという方がありますとすれば、これは仮に研修の機会がありましても十分成果が上がり得ないんじゃないかと私は思うわけでありまして、行政の側におけるそうした研修をしやすくするための環境の整備というのはもちろん必要でありますが、それに呼応してやはり先生方も、自分自身を研修によってより向上させるんだという意欲を一人一人の先生方が持っていただくということもやはり大事ではないかと思っております。
  288. 伏屋修治

    ○伏屋委員 話がえらい突拍子になりますけれども、初中局長は小学校あるいは中学校現場に行かれまして、そして現場学校の行事板をごらんになったことがございますか。あるいは各教師が一週間の教育計画を立てるという週案というものを手にとってごらんになったことがございますか。
  289. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 学校へ参りまして、そういう全校の授業のスケジュールであるとかあるいは行事の日程であるとか、いわば教務主任の先生方がおつくりになるようなそういうものを見せていただいたり、個々の先生方の教案というのはこういうものだというのを見せていただいたこともございます。
  290. 伏屋修治

    ○伏屋委員 文部省教員の資質向上のためのいろいろ現職教育のスケジュールを立てられます。これはここにいただいておりますけれども現場はさらにそれにも増してたくさんの研修会を持たなければならない。そうすると、子供の教育のためと言いながら研修会倒れになっておるのが社会的要請の強い要因だと私は考えます。教師は、自分の子供と触れ合う中でこそ教育の成果を展望し、そしてそのための実践を施していくことができると私は思います。そういう面において、一週間の中で自分の担任する子供はたった一日しか接触できない、あとの五日間というものはほとんどが研究会倒れになってしまう、そこにこそいまの大きな問題点があるのじゃないか。現実の子供たちが担任の先生相談するパーセンテージというものは非常に低いものがございます。先生に対する信頼というものが全然なくなっておると言っても過言でないぐらい先生に対する信頼が非常に薄いというのは、やはり子供との触れ合いというものをもっと考えていかなければならない。研修会さえ設ければ教師の資質が上がる、そこから教育の実が上がってくる、こう考えるのは机上の考えではないかと私は考えるわけですが、その辺はどうお考えですか。
  291. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 おっしゃるように、ただ研修会を数多く開催していれば資質が上がるというようなものではさらさらないと思います。学校先生として、自分の子供を担任し、それを教育するというのが本来の職務であり、またその職務を円滑に遂行するために研修をしていただくわけでありますから、やはり職務第一でありまして、その職務遂行の中でいろいろの条件を考えながらできるだけ研修を重ねていただくということでなければいけないと思います。
  292. 伏屋修治

    ○伏屋委員 いま申し上げましたように、本当に多忙きわまりないその現実というものを本当に直視していただく、その現実に即す中から教師の資質向上のためにそういういろいろな研修会というものは考えていかなければならぬ、このことを認めることに私もやぶさかではございません。しかし、文部省が設定された研修会を受講された方々、そういう方々の声、あるいは文部省の講習を受けてさらに各県に分かれて講習会が持たれておる、その内容等の点検等、そういうことはやられましたですか。
  293. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 いま申し上げましたような、文部省計画しあるいは助成をする各種の研修につきまして、一々全部、その成果がどうであったかというようなことは追跡をいたしておるわけではございません。しかしながら、文部省の各種の教科調査官等の専門職もおりますし、私どもも地方へ出かけまして学校等を見せていただきました際は、いま先生がお話のような、今度の研修はなかなか骨が折れたとか、あるいは非常に忙しくて十分出られなかったとかいう話ももちろん聞くわけでございます。ですから、そういうことをわれわれも考えながら、また県の教育委員会の方も当然そういうことを念頭に置きながらやっていかなければならない仕事だというふうに私どもは考えております。
  294. 伏屋修治

    ○伏屋委員 その受けられた方々の一部の声も私も聞いておりますけれども、やはり何となく受けさせられておるという受け身の研修の姿勢でございます。そういうところに私は問題があると思います。本来教師が自分の子供を健全に成長させるためにまずみずからが学んでいこう、そういう強力な姿勢というものが余り見受けられないというところには、やはりその設定された研修会そのものにも問題があるのではないか。そういう意味から私はいま申し上げたような点検をされたかと聞いたわけでございます。そういう面におきまして、あくまでも教師の自己学習という強い意欲、主体的にして自主的なそういう研修態度、その態度から研修会が設定されていかなければいけない。すべて上から設定して下へ流す、こういう形ばかりであっては決してならないと私は思います。現場の中でもやはり真剣に悩み、真剣に自己研さんに励んでおられる方もございます。そういう方々の声も聞く中で研修会というものが推進されていかなければその実は上がってこないのではないか。ただ形の上では実が上がるような形はとっておるけれども実効はない、こういう形に終わってしまうのではないかと思います。  そういう面におきまして、いろいろと研修会の内容が設定されておりますが、私は極言すれば、余りかわりばえのしない研修会だと言っても決して過言でない。本当にその中に新鮮味を加え、より具体性を織り込んだ、そういう研修内容というものに、一年一年、やはり新しいもの、より高いもの、より受講者が意欲を持てるもの、そういうような内容に変えていかなければ、いままでこのようにやってきたんだからこのようでいいんだという考え方は私は危険だと思います。そういう面におきまして、現職先生方のそういうような期待にこたえていただきたい。いままでの設定された研修会というのは、いま私が申し上げましたように、ややもすれば表層のみに終わって深部まで達しておらない、文部省の意図するところまではいっていない、そういうようなきらいがございます。そういう面におきまして、もっと現職教員がその深部に突き刺さるような、意欲を持てるような、そういう研修会を今後お考えになっていただきたい。もうすでにお考えになっておられると思いますが、その具体的なことがございましたらお答え願いたいと思います。
  295. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 おっしゃるように、研修そのものが強制されるような形で実施され、参加する者も意欲を十分持たずに出るということでありましては決して効果が上がらないことはおっしゃるとおりだと思います。そういう意味で、われわれも、県の方々にしましても、今後の研修というものは、従来もそういう努力をしてきたつもりでありますが、一層それぞれの教師にとって意欲をわき立たせるような研修を考えていくという、その努力は払っていかなければならないというふうに思うわけでございます。
  296. 伏屋修治

    ○伏屋委員 本当に意欲を持たせるのは、何といっても上からお仕着せの研修会ではない方が参加する者の意欲を持たせることにつながるのではないか。そういうような面からも、共同研修というような場がこれからの大事な場になってくるのでないか。一つの授業を交代で行うことによって、そしてその授業内容あるいはその授業に対する取り組み方についてのお互いの意見交換、そういうような繰り返しということも今後大事な問題として考えていかなければならない。これはすでに地方において各学校において行われております。しかし、これはいわゆる通り一遍になっておるというきらいがございます。  私も現場におるときに、一年に一回だけ県の教職員課長が回ってまいります。そのときには、学校長は校内くまなく点検をいたしまして、清掃が行き届いておるという確認をとります。そして各人の週案が提出されることを何度も何度も朝会の打ち合わせの中で確認をとり、教職員課長が回ってきたときにはただ五分間ぐらいずつ教室を回っていくだけでございますが、その一遍だけで教師の評価がされていくきらいもあります。そういうような現実を文部省は本当に認識していただきたい。初中教育局長あるいは大学局長も地方の課長をやっていらっしゃったこともあるでしょう。しかし、課長さんが回っていかれたときは本物の学校の姿ではないということ、もっと生の姿を見ていただきたい、このことを私は強く申し上げたいと思うわけでございます。その隠れた部分にこそ本当の教育の姿があり、そこにこそ教育を是正していかなければならない問題がたくさんあると私は思います。そういう面でのお考えをひとつお聞かせ願いたいと思います。
  297. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 ざっくばらんに申し上げますけれども、私も県の課長をやっておりましたころよく学校を見せていただきました。私もその当時、若かったせいもあるかもしれませんが、余り課長というのを偉いと思ってくれないせいもあったと思うのですけれども、わりにざっくばらんに学校に行って見せていただいた記憶がございます。本省へ帰ってきて、いま地方なんかへ行きますと、人が来るんだというので、学校でも構えたようなところがあるのではないかというふうにはっきり見えるような感じがするわけでございまして、それはおっしゃるように私はよくないことだと思いますので、われわれの側もそういう点を十分気をつけて見せていただきますけれども、今後どうぞお構いなくということでやっていきたいと私は思っております。
  298. 伏屋修治

    ○伏屋委員 そうは言っても、なかなかそう一遍には改善されないと思います。そこに問題があると私は思うのです。私が一番問題にしたいと思うのは、現在の学校長が教育現場の子供の方を見ないで、教育委員会の方を向いているところに大きな問題がございます。これはすべての校長とは私は申し上げませんけれども教育者でなくて、いわゆる管理者になり切ってしまった。人的、物的な管理者になってしまった。だから、校内における研究の指導性、リーダーシップが全く欠如していると言っても決して過言ではございません。教育の世界が、いわゆる指導性は指導主事に求めるべきだというように非常に多様化、分業化されてしまって、研究テーマについてのリーダーシップを校長はとれない。そして研究に対する迫力も欠けておる。その中でどうして個々の教師の研究意欲をかき立てることができるのか。その面が私は大きな問題だと思います。  そういう面におきまして、現職の、子供さんを直接担当される先生方ももちろんでございますが、もっと学校長に対して個人研究というものを積極化すべきだ、私はそういうようなことを考えます。ただただ校舎を大事にし、ガラスの割れる枚数を勘定し、掃除のことに奔走するような校長であっては決していけないと私は思います。昔の、私どもが小学校のときの校長さんというのは、その地域の特性を生かしながら、さらにその校長の個性を学校運営の中に生かしていく、そういうような非常に風格のある校長さんが多かったわけでございます。しかし、現在はそうではございません。どこの校長さんを取り上げてみても、同じような型の校長さんがおられます。ということは、それだけ管理者のタイプになってしまった。これは悲しむべきことだと思います。本当の教育現場、子供さん四十人を預かる先生方の研究に対してリーダーシップをとれる校長を今後育成していかなければならない。そういう面において私はいま申し上げましたようなことを提案したわけでございますが、どうでしょうか。
  299. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 確かに、校長あるいは教頭までも、もっぱら管理職的な仕事のみに従事するということではならないのでありまして、私は、校長さんでありましても、もちろん教頭も、できるだけ授業を余裕がある限り持っていただく、そして直接子供に日常接する機会を持っていただくことが非常に大事だと思いまして、素人なりに、指導課長の集まりなどのときにはよくそういうことをお願いするわけでございます。校長、教頭がもっぱら管理の面を担当することは、例の主任の問題のときにもずいぶんと議論がございまして、永井大臣が管理と指導の両面が調和がとれて運営されなければならないとおっしゃっておられましたのもまさにその点であると思いますので、今後もそういう点については十分配慮していきたいと思うわけでございます。
  300. 伏屋修治

    ○伏屋委員 その面は十分に配慮するとおっしゃいましたけれども、より具体的に学校長に何かを課していく、そのことの方がより校長さんの研究に向かう姿勢ができてくるのではないか。ただいまのところでは、文部省が全国教育会議を招集し、教育長に文部省方針示し、それがさらに県に帰ったときには地方教育委員会教育長が一堂に会し、そしてその教育長が地方に散った場合には学校長を集め、地方教育委員会から校長に通達をする、全くみごとなまでに上から下へのルートはございます。しかし、下から現場先生方の本当の生の声が上に反映していくというルートはいまのところ皆無に等しいわけでございます。それこそ教育の実を上げる一番大事なことではないか。現実に子供を担当しておる教師が何を考え、何をどのようにしてほしいという声を持っておるのか、それがどのように上へ上がってくるか、そこから大きな教育の発想の転換が行われてくる、私はそのように考えるわけでございます。  現在のような学校長のあり方の中で、学校にそれぞれの研究テーマがございます。四月、ちょうどいまどきでございますけれども学校においては、ことし一年、どのような研究テーマでこの学校の地域の特殊性を生かし、子供の実態からどういうテーマに取り組んで子供の健全な成長を図ろうか、真剣に現場先生方は考えておられます。にもかかわらず、その創意でこのような研究テーマをとろうとしても、案外それが、地教委の方からの研究指定ということで学校長がそれを安易に引き受けてくる、そして職員の創意がそれによって変えられる。そして与えられた研究テーマで現職先生方が一年取り組んでいかなければいけない。そこには出発当初からの意欲喪失の要因があるわけでございます。ですからそのようなものもよく考慮しながらやらなければならないと痛切に私は思います。  現在の校長の研究に対するリーダーシップの欠如、そしていまの現職先生方は、自分個人の教育課題に向かって自分の研究テーマを決めてやろうというゆとりは現実にはございません。そういう与えられたテーマであれば、その中で分科会、いろいろな形を持ちながらその研究テーマを進めていくということで、個々の研究課題は、こうやりたい、ああやりたいということはたくさんお持ちだと思いますが、そのゆとりがないのが現実ではないかと私は思います。そういう中で現職先生方教員大学に受け入れることになりますと、個々の研究テーマを持たないそういう現職先生方大学院の方に進学してまいりますと、そこに憂慮することは、教育行政官の育成につながってしまうのではないか。現場に即した研究テーマを持たない人が大学院に行く、そして二年間勉強するとなると、心配される教育行政官の育成につながるのではないか、私はこのように憂慮するわけでございますが、その辺はどうお考えになっておられますか。
  301. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先般の参考人の御意見の中にもいま御指摘のような、教育の管理面について練達されるタイプの先生もあるし、教育の研究に非常に熱心になってそれを推進していかれるタイプの方もあるし、あるいは子供に実際に授業をしていくことに生きがいを感じ、それに情熱を傾けられていく先生もあるであろうというお話がございました。参考人の方はそのときに、教員大学にお進みになる方は教育の研究に熱心な方であろうし、またそれが望ましいと思うというようにおっしゃっておりました。私は必ずしも研究型の方だけでなく、本当に子供に愛情を持って熱心に授業をやっていかれる先生方、そういった方もまさに教育活動を通じて一つ課題をお持ちになり、問題意識をお持ちになって大学院に入ってこられることは非常に望ましいと思います。いずれにしても、大学院の創設の趣旨が、先生方の積極的な、自主的な勉学の意欲というものにこたえる機会を設けたいということでございますので、そのような先生方進学してこられることを期待いたしております。
  302. 伏屋修治

    ○伏屋委員 これが憂慮に終わるようにしていただきたいということを切望するものでございます。  さきにいろいろと教員大学についての御質疑の中でも、入学同意書ということがかなりの時間を費やされて質疑が行われました。それは地教委が一応同意書を出すという統一見解になっておりますけれども、その地教委にはだれが今度は推薦するのかということになりますと、学校長が推薦するのか、あるいは本人がこういうふうにして受験をするという形でそれを地教委の方へ直接申し出るのか、その辺はどうなんですか。
  303. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これはそれぞれ実態が違うでございましょうけれども、普通からすれば、私たちが同僚が大学院に行く場合を考えてみましても、その学校でその人が抜けるということについて、それをその学校状況が許すかどうかについてはまず仲間の先生との御相談があるでございしょうし、それと同時に校長に申し出があり、校長はそれを判断の上で市町村教育委員会にお申し出になり、市町村教育委員会は、管下の各学校からも同じような御要請があるでしょうから、そういったものを市町村の教育委員会として御判断になって、全体どうするかを県の教育委員会と御相談になる、そういう運びになっていくのだろうと思います。
  304. 伏屋修治

    ○伏屋委員 そこで一番私が心配することは、いわゆる現在の校長さんのリーダーシップの欠如というような問題から考えていきますと、どうしてもそこに情実が絡んできて、いわゆる校長さんにつながりのあるという方は推薦を受けられるかもしれませんけれども、それ以外の教師の機会というものが非常に少なくなってくるという心配もあるのではないかと私は思います。そういう面におきましての憂慮を取り去らなければならない。そういう面でいろいろといままで同意書の問題について同僚議員が質疑をしたわけでございます。その問題については、また後ほど同僚議員の方からも問題が出てまいりますのでそれまでにしておきたいと思います。  現職先生方の資質を向上するというのは、先ほども初中局長にお話し申し上げましたように、やはり現場先生方にゆとりを持たせなければならないということ。ことしから学習指導要領の移行措置に入りまして、前よりは多少のゆとりができてきたけれども、現実にはまだまだ多忙をきわめておるのが実態ではないかと私は思います。ですからそういう意味からも、現場先生方の資質向上というものは現場に大きなゆとりを持たせることと、それから一学級の定数を下げて行き届いた教育が行われること、それこそが最も現場に即した研究が行われる機会になるのではないか、私はそう考えるわけでございます。その辺のお考えを聞かしていただきたいと思います。
  305. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 教師も学校という組織の一員でございますから、おっしゃるように授業だけしていればいいというものではない、いろいろ雑務もございましょうが、そういう点にできるだけ煩わされないで教育活動に専念できるような体制にする。いまおっしゃったように、一学級の学級編制の基準を四十五人ではなくてもう少し下げるというような問題は、まさに研修をより意欲的に実施していただく上で非常に大切な条件だと思います。ただ、その条件をどういうふうにして行政の側において具体化していくかということになりますと、やはり定数全体の問題等にかかわってまいりますので、たびたびお答え申し上げておりますように次の五カ年計画をどういうふうに立てていくかということにかかわってくるわけでございますので、いま仰せられましたような趣旨を踏まえて、次の計画をできるだけよいものとして策定をするように努力をしてまいりたい、こういうふうに思うわけでございます。
  306. 伏屋修治

    ○伏屋委員 そのことはより具体的に、より早く具体化していただきたいということを御要望申し上げたいと思います。  それから、先日の参考人の御意見とやりとりの中でも、落ちこぼれ教師とかあるいは外れ教師とかというような言葉が出てまいったわけでございますが、私は、その落ちこぼれ教師という人が一体初めからおるのか、何となく違和感を感じながら聞いておったわけでございます。私も現場におるときにいろいろな先生方と接したわけでございますが、決して初めから落ちこぼれの教師はおらない。初めて学校へ入ってきた新任の先生方は、新しく自分が担任する子供たちの前に立ったときに、胸を躍らせて、この子供と一年間四つに組んでやろう、そういう情熱を持って入ってまいります。しかし、日がたつにつれてその情熱がなえ、そうして意欲を喪失していくというのが現実ではないかと私は思います。その人を指して落ちこぼれと言っておるのかなというように自分なりに解釈をしたわけでございますけれども現場に新任の先生方がそういう情熱を持って来たけれどもそういうように意欲を喪失しているという現実、これは先生の資質だけにあるのでは決してないと私は思います。そういう先生方を取り巻く環境、その中にこそその意欲を喪失させ、情熱を失わさせていく要因があると私は考えるわけでございます。  そういう面においての大きな問題点として私はここに指摘したいのは、やはり勤務評定の問題もございます。あるいは最近の問題では主任制の問題がございます。主任というのは、学校の中で民主的にみんなのルールの中で決めてたくさんの主任がおります。しかし、その特定の主任だけに手当を出すというようなところから人間の連帯の和が崩されてきた。そこからお互いの人間同士の不信感がつのってきた。そういう空気を新任の先生は察知する、そうして崩れていくというような一面もございます。またもう一面は、やはり私も驚いたことでございますが、新しい先生学校に赴任してまいる、直後に組合員として勧誘するというような動きもございます。私の地元の方では、日教組のグループがございますし、そうかと思えばその反面の学校職員組合というものもございます。そうかと思えば全然その両組合にも所属しておらないという先生方も見えます。そのような、お互いが自分の組合の方に加入することを促進するということからまず新任教員は驚きます。そしてまた、現実に毎日の授業を行っていく、そして職員室の空気を見ていくときに、そのようなお互いのグループがお互いに相対峙するような、そういう人間の不信感の空気、そういうものと、いま申し上げたような勤務評定あるいは主任制というような問題、いろいろな要素が絡んでだんだん情熱もなえ、意欲も失ってきておる、そういうようなことを私は考えるわけでございます。  そういう面におきまして、ただただ文部省一つの制度をつくっていけば教育は事成るんだという考え方はだめだ。やはりその制度を運用するのは人である。その人をつくっていくのはまた人であるということから考えれば、教師がやはり生涯を通じてみずからを向上させていこうという、強い自己学習の意欲を持ったところにこそ教育は成立するのではないか。一たん決めたからというのではなくて、そういう阻害要因というものはもっと文部省としても積極的に再考をし、そして憂慮される問題はそれを除去していく、そういうことに積極的な姿勢を示していただきたい、このように考えるわけでございます。その辺のお考えはどうですか。
  307. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 一つ学校という社会へ初めて入りますれば、おっしゃるようにいろいろの人間関係が出てくるわけでございますが、やはり学校等を円滑に運営していくためには、必要最小限の規制というものは服務関係その他におきましても設けざるを得ないわけでございますから、その中におきまして一人一人の先生ができるだけ自分の創意を生かして自由な教育活動ができるようにしていくために関係者としてそれぞれ努力をして、そういう環境をつくっていくことは私は必要だろうと思いますし、またそうしなければならないと思うわけでございます。
  308. 伏屋修治

    ○伏屋委員 そのことを強く要望いたしまして、私の質問を終わりたいと思います。
  309. 菅波茂

    菅波委員長 関連質疑の申し出がありますので、これを許します。有島重武君。
  310. 有島重武

    ○有島委員 いま伏屋委員からのお話を私も聞いておりまして、いまの提起された問題について、文部省としてできる部分と、文部省では手の及ばぬ部分とあろうかと思うのです。いま諸澤局長お答えになって、そのような方向に進んでまいりたい、努力してまいりたいとは言うけれども、いまの伏屋委員の御指摘の一番重点的なことは、校長が自己研修していこう、あるいは自分のテーマを持ってひとつ研究もし、大きく教育界に貢献していこうというような場合、それから教師の方々、おのおのがいろいろな御自分たちの資質能力の向上を目指していかれる場合、押しつぶすようにいま上から上意を下達していく、伝達していく、そういうことが阻害要因として非常に有効に機能しておるということで、これはひとつ十分御認識いただきたいわけなんですけれども、いまのお話の中からそういったことは反省していただいたんでしょうか。
  311. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 先生指摘の点は、校長がいわば学校管理者としての面を強く出して、一人一人の先生方の自発的な研修活動あるいは研修方向をどういうふうにやっていこうかというような、その自主活動を阻害する点が非常に多いんだという御指摘でございまして、私はそういう面が場合によってはあることは否定しないわけでございますが、やはりそういうことは管理者としても十分留意しなければいけないし、また、一定のそういう組織の中における教員でございますから、学校の適正な教育活動をしながら自分の研修を考えていくという、両者の意識というものがしっかりしておればうまく研修ができるのではないかというふうに考えるわけでございます。
  312. 有島重武

    ○有島委員 それから、一つの組織に入っているわけですからいろいろな制約を受ける、そのことはだれもしょうがないことでありますが、それ以外の要素として阻害要因があるということでございました。それから、裏側から言いまして大臣にお考えいただきたいことは、もう少し積極的に考えれば、いまの伏屋さんのお話をまともに受けてどうしようかということになれば、校長先生の研究成果について一つの奨励をなさる、あるいは文部大臣賞を渡すとか、そういうふうなことをひとつお考えになってみたらよろしいのではないか。校長さんがいままでは管理者側であるというようなニュアンスが強く出ておりましたし、それから校長会の幹部の方々にお聞きしても、あるいは個々の校長さんに伺っても、心ならずもそうなってしまうのだというようなことがございました。それを、そういった阻害要因を外していくということと同時に、今度は、校長先生の中にもひそかに研さんを積んでいろいろな本なんかをお書きになっていらっしゃる方もある、あるいはそうまでは、しようと思ってもついそのままになっておる、そういう方もいらっしゃるでしょう。そういったことをひとつ大臣として奨励なさるということが、ずいぶん大きな、教員の資質能力の向上に影響を与えていくのじゃないかと思うわけですけれども、いかがでございましょうか。
  313. 砂田重民

    砂田国務大臣 現代社会でどのような組織の中の管理職もそうでございますけれども、特に教育現場の校長先生、まさに管理職であることは間違いありません。しかし、校長という管理職を正しく正確に子供たちのために遂行していただくためには、管理能力だけがどんなにすぐれていてもそれだけではりっぱな校長先生だとは私は思えない。校長先生という管理職任務というものをりっぱに遂行していただくためには、その校長先生はりっぱな管理能力と同時に、やはり教育指導能力というものを持っていてくださる校長先生でなければ私はりっぱな管理能力を備えた校長先生だとはどうしても思えない。先ほどの伏屋先生の御議論の中にも、そういうことに欠ける校長先生があるという御指摘でございました。ですから、そういう校長先生があると思いたくはありませんけれども、本当の校長としての管理能力というものはいわゆる管理能力だけで済むことではないということを、校長先生研修会も文部省は企画をしてやってきていることでございますから、そういう研修内容の精選等の場でやはりそういうことをもっと強く取り入れていくことを検討をしたいということが一つでございます。そういうふうに考えてまいりますと、大臣賞が欲しいという校長先生、そんな校長先生にいていただきたくないという気持ちが率直にいたしますことをお答えしておきたいと思います。
  314. 有島重武

    ○有島委員 最初のお話でございますけれども、校長先生を集めて研修をなさるという方向で云々。国としてやることはとかくそうなりやすいわけですね。私が申し上げましたのは、賞が欲しいからというようなことも言ったけれども、自己研修という方向を進めるにはどんな手だてがあるだろうかということなんです。そういう方向でそれを奨励する何らかの方策を国としておできになることはないものだろうか、大臣としておできになるものはないだろうか、そういうことでもって申し上げたのだけれども、いかがでございましょうか。
  315. 砂田重民

    砂田国務大臣 それは有島先生、人の心の問題だと思うのです。先ほどの伏屋先生のお言葉をかりれば、みずからの管理能力がすぐれていることを見てもらいたいために、間に合わせの学校の掃除だ何だ、そういうことだけに力を尽くされる、そういう校長先生がおありだとすれば、そのことがりっぱな管理能力を持たれた校長先生だとは私はどうしても思えない。ただ、人の心の問題でございますから、やはり自己研修をもって、現代社会の校長というものは管理能力だけでりっぱな管理者にはなれないのだということを勉強していただきたいということを切実に文部大臣としては望み、また期待はいたしますけれども、どう、そういう気持ちに校長先生の心を導いていくかということは、なかなかこれはむずかしいことではないでしょうか。ですからいま申し上げましたように、上から押しつけるという意味ではなくて、校長先生がお集まりになって勉強なさる場所等で、校長先生に感銘を与えるような方々を講師にお迎えをして、一つの人生哲学というのですか、そういうことをお互いに勉強していただくことが私は一つの方法ではないかと思うのです。その意味で申し上げたわけでございまして、そうせいと言って上から押しつけるという意味では毛頭ないことは、私は人の心の問題ですと申し上げているところからそういう理解をしておりますことを、どうぞ先生の方でも御理解をいただきたいと思うのです。
  316. 有島重武

    ○有島委員 私が言っているのは、管理能力についての論文を出せというのじゃないのですよ。教育に携わり、また教育をする方たちを指導するという経験を経た、そういった新しいジャンルというか、教育分野を開拓していくという、校長先生でなければできないような御自分の一つの研究ですね、それが幾つかいろいろ埋まっていると思うのです。いま心の問題だとおっしゃいましたけれども、それを形にあらわしてどうするかという方向、そういったことを、この場でお答えにならなくても結構ですから、そのことはひとつ心にとめていただきたい。  そのことを申し上げましたのは、そういう校長のもとなら非常にうまくいくのだろうと思うが、現場教員にとっての自己研修にはいま二通りあろうかと思うのです。それは学内における自分の切磋琢磨ということ、あるいは学外ということがありますね。学外の方では、その一つとして今度の大学院大学ということも位置づけたいと私は思うのだけれども、現在行われておりますいわゆる内地留学というのがございますね。これは、それこそ教員の方々の自主的な意欲に基づいて、校長先生と御相談なさって、そして教育委員の方と連絡をして大学に行くわけです。先ほどからの論議にたくさんございましたけれども、いまのところ内地留学の問題は大体スムーズにいっているわけなんですか。これは日教組の先生方に伺ったのですけれども、内地留学を望んでいる教員は非常に多いが、その数はきわめて少ない、制限されておる。大学の都合もあるけれども県の方の財政の都合もある。これもひとつ広げていただく、充実していただくということについて、今度のこの教員の資質向上という大きなテーマでございますから、そこについてひとつお考えいただけないでしょうか、どうでしょうか。
  317. 砂田重民

    砂田国務大臣 大学の問題だけではなくて、いろいろな長期研修機会がいままでだけのものであっていいと考えておりません。もっとこれを充実させていく努力をしてまいらなければならないと考えておりますことが一点でございます。けさほどからお答えをいたしておりますように、教員大学もまたその一つでございますし、同時に既設大学のそのような学部充実、さらには、けさほどからお話のありますように十三の大学大学院設置することを希望され、またその準備に取り組んでおられる、それを積極的に文部省の側も受けて立っていく、既存大学教員養成課程充実を図っていく、そのようなことで、より以上の研究、研さん、勉強をしたいという先生方の意欲におこたえをしてまいらなければならないと考えているわけでございます。
  318. 有島重武

    ○有島委員 いまお尋ねいたしました大学学部に対する聴講と申しますか、それは制度としては開かれているわけです。これは、諸澤さん、何人ぐらい現在いますか。
  319. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 五十一年の実績で申しますと、職業教育関係、それから理科教育関係、それから特殊教育関係、こういうものが主でございますが、大体六百人ぐらいでございます。
  320. 有島重武

    ○有島委員 大学院が順調にいって完成時になりますと大体八百人の収容能力があるわけです。しかし、それに対して一年なりあるいはそれ以下の短期の留学といいますか、聴講もあるわけですけれども、その幅をずっと広げていくということは望ましいことだとお思いになりませんか。
  321. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 いま申し上げましたのは大体六カ月から一年程度の内地留学でございますが、今度の場合は二年の大学院でございますから、それをいまおっしゃるような趣旨で実現するためには、事務的に言えば研修等定数をそれに見合うだけ増員いたしまして、研修に行かれる人の後の補充が滞りなく行われるような条件整備をするということは当然必要なことだと考えております。
  322. 有島重武

    ○有島委員 そうすると、大学院に対しては八百人送り込む、学部に対してはそれよりかもっと大ぜい行ってもいいんじゃないですか、頭でっかちなふうにならないで。すでに現行やっている。大学院までには至らないけれども大学学部に行っておるということはあるわけです。
  323. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 おっしゃるように、これが完成しますれば、大学院よりも学部の方の内地留学の数は少ないわけでございますから、私は将来の課題としては、できるだけそういう機会を多く設けて、さっき申し上げたような教科の先生にとどまらず、いろいろな形で内地の大学に行って研修していただくという機会ができるように条件整備をするということは、これからの一つ課題だろうと思っております。
  324. 有島重武

    ○有島委員 私は、内地留学と言われるものに限っていまお尋ねしているわけなんです。大臣、いかがでございましょうか、いまの話を聞いていて、大学に出してあげるこの人数を、人数の上でも、まあ大学院に行くであろう八百人の大体十倍ぐらいまでは出してあげてもおかしくはないのじゃないかと思うのですね、この大学院をおつくりになる御構想ということから出発すると。いかがですか。
  325. 砂田重民

    砂田国務大臣 有島先生のおっしゃる数字はいつも大きくてびっくりさせられるのですよ、十万人の留学生を受け入れろというお話がありましたり……。ただ、方向としては私も全く同感でございます。もちろん定数の裏づけをしてまいらなければなりませんから、財政当局等をこれから説得もしなければなりませんけれども、私といたしましては有島先生の御指摘の点、全く同感で、その方向努力しなければならないと考えております。
  326. 有島重武

    ○有島委員 それではそういうことを含めてお考えいただきたいのです。これは二年間という長期ではございませんし、三カ月ぐらいの内地留学でも非常に喜ばれておるわけです。そういったことがわりと一般化してくる中で大学院というものがある、こういうことになれば、先ほどからいろいろな懸念、危惧があるわけですけれども、そういうことが非常にスムーズにいくのではないだろうかと思うわけです。  次に、海外の派遣ということがございますね。海外の派遣について、時間が余りとれませんけれども、大体年齢が高い先生が行っておるというのが実態です。年々低くなっていて、三十四年は平均五十二歳だったのがいまでは四十五歳くらいまでになっておるということにはなっておりますけれども、先ほど大学局長が、新しい大学院には大体二十代の方々が来られるのが理想であるというようなことを言われました。海外派遣の方も、教職の経験が十年程度といいますと大体三十代でしょうね、その辺がいいんじゃないか。現在はまるで、あと二、三年で教職を去られるというような方々が、一つのおみやげのように、選ばれて派遣されていく、見物をしていらっしゃる、そういうようなこともあるようです。ですから、この海外派遣についてもこのたびの構想に本当に沿って、これが有効に機能できるようにもう一ぺん見直していただきたいわけです。いかがでございましょうか。これはどっちに伺ったらいいのですか、現状についてはぼくが言ってしまったから、大臣お答えいただきましょう。
  327. 砂田重民

    砂田国務大臣 教員大学設立の趣旨と海外研修と、やはり少し趣旨は違うと思うのです。しかし、やはり次代を担う青少年、児童、生徒を育成する教員のために、広い視野で国際社会を見ていただく、そういう広い意味合いでは同じような目的を持つわけでございますから、なおこれの拡充強化には努めてまいりますし、年齢も、いま有島委員もおっしゃいましたとおりだんだん低下をしてまいっております。これからもそういう傾向をたどると思いますが、これは非常に大きな意義がありますし、帰ってこられた方がまたその経験談等をパンフレットのようなものにして非常に幅広くお配りになったりしているものですから、これの拡充強化についてはさらに努力を続けてまいらなければなりません。さように考えております。
  328. 有島重武

    ○有島委員 私、この前の質問の冒頭に申し上げましたように、教員の資質能力の向上ということが一つのねらいであるならば、それを総合的にずっと積み上げていって、その一環としてこの新しい大学院大学が位置づけられる、そういうことならば納得できるけれども、そういうことなしにやるということは大変な危惧を感じる、そういうことを申し上げたわけなので、その一環として私たちは考えるわけです。  それから今度は、学校内における現場教員の自己研修の中で、自分みずからが研究授業といいますか、公開授業を開催いたしまして、大体地域内の先生あるいは先輩の先生あるいは若い先生なんかに参加をしてもらうのですね、そして公開授業をやる。そういうことで、これはいま地教委の方でそうしたプロジェクトについては五万円なり十万円なりのお金を実費のように出しておる、そういったことがございます。それは諸澤さんよく御存じですね。それで、このことは文部省としても大いに奨励すべきではないか。いまの伏屋委員からのお話にもございましたそのラインに沿ってぼくは言うわけですけれども、いまの、ゆとりのないと言われておる、非常に自己研修がやりにくい環境の中にありながら、しかもそういった意欲的なことを一生懸命やっていらっしゃる先生方もいるわけですから、これに大いに着目して、そして奨励なさるような何らかの措置をおとりになってはいかがか。初中局長、いかがですか。
  329. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 私なんかも学校に行って公開授業というのを見せていただいたことがございますけれども、本当にいろいろ工夫をして授業をされておられまして、素人なりに感心していろいろお尋ねいたしましたら、これをやるのは大変なんですよと先生はおっしゃっていましたけれども、そのとおりだと思います。そういう意味で、そういうことを身を入れてやっていただくということは非常に大切なことだと思うわけでございます。そして、そういう授業を人に見てもらって、見る方もやる方もお互いに、言ってみれば切瑳琢磨するということは非常に大事なんです。  特に初任者の場合でございますが、新しく教壇に立つという先生の場合、いま教育実習が必ずしも十分でないということからして、いきなり教壇に立って教えるといってもなかなかうまくいかぬという場合があるということをたびたび聞くわけでございますが、そこで五十二年度から始めましたところの初任者研修というのはまさにそのことを考えて、新しく教壇に立とうとする人が先輩の教師の授業のやりぶりというのを具体的に参観し、その場でいろいろ必要があれば助言していただくというようなことを初任者研修中身に必ず加えてくださいということで始めたわけでございまして、それにつきましてはいままさに先生のおっしゃるような御趣旨なんでございますが、いろいろよかったという意見もわれわれ聞いておるわけでございますから、今後も引き続きそういうような内容充実努力してまいりたい、こう思うわけであります。
  330. 有島重武

    ○有島委員 いま局長が言われましたように、新しい先生方の十日間ないしは二十日間の研修がございますね。その中でもって一番感銘深かったのは、ためになったのは何だと言うと、みんな口をそろえて、ベテラン先生あるいは中堅先生の授業を見せていただいたことだと言っていました。  それで、公開授業をみずからやっていくということなんですけれども一つ弊害と言えば弊害がございまして、見せるためにリハーサルなんかして、生徒に何遍も答え方なんかを教えておいてやるというようなことも極端な場合には起こってくるようでございます。特に指定校になった場合にはそういうことが行われて、これまた生徒さんの方が教師をばかにするもとになっているということもございます。ですからこれを一概に制度化するということはやや危険性があるのですけれども、その危険性を避けるにはどうしたらいいのだろうか。これも現場先生にいろいろ伺いました。その結論として言われるのは、大体三年間に十回ぐらいの自己プロジェクトによる公開授業をやる。三年間十回程度一つの実績として評価されるようになれば、一回や二回はリハーサルか何か知らないけれどもやれるだろうが、いつもそんなことはできるものではありません。それからそのたびそのたびに参加していただく教師の方々、これもいろいろの人がかわるわけです。そういうようなことを、勤務評定ではないけれども、大きく何かで積極的に評価してあげる、ないしはお金を出して差し上げる、そういうことをなさったならばいかがだろうか。どうでしょうか。
  331. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 おっしゃるように、授業の公開研究といいますか、それが本来の趣旨に即して行われるならば、本人も、見にこられた方も非常に裨益するわけでございますが、余り型にはまったり、あるいはおっしゃるようにそのための準備をしたり、リハーサルをしたりということになりますと本道を外れますから、そこでストレートにそういうものに財政的な補助をするというようなことがいいのか、あるいはいろんな形の研究校としてテーマを持ってやっていただくようにするのがいいのか、やり方はいろいろあろうかと思いますので、御趣旨に即しまして少し研究をさせていただきたいと思います。
  332. 有島重武

    ○有島委員 研究してくださるということでございますけれども学校一つのテーマを与えて二年間研究校に指定するということもいま行われているんですが、それはちょっと弊害がある場合の、方が多いらしいです。と申しますのは、たとえば音楽の指定校になりますと始業の時間から音楽を流す、昼休みにも音楽を流す、至れり尽くせりみたいにやるんですけれども、二年たってしまうとぱたっとやめてしまうのですね。そういうような極端な例も出てくる。また、研究指定校となりますと、校長さんが一つの成果を上げなければいかぬというようなことから、さっきのリハーサルじゃないけれども、何かわざとらしいことが起こるのが多いらしいです。  それで、伏屋さんはさっきおっしゃらなかったけれども、伏屋さんが経験していらっしゃったことでも、われわれはこうしたテーマについてやりたいというので、校長の前でもってそのテーマについていろいろ議論した。ところがその校長さんが教育委員会の方からもらってきたテーマはまるっきり外れているんだ。これは上から言われちゃったんだからしょうがないんだ、それじゃしょうがないからこれをやろう、そういうようなことも現場では起こるらしいですね。ですから、なるべく自主的な意欲ということに着目するならば、上の方から見て管理しやすい、監督しやすいということはあるかもしれませんけれども、そうではなくて、個々の、あるいは四、五人のグループの先生一つのプロジェクトでもって公開授業をやっていこう、そういうような動きがあるらしいので、ひとつそういうことを奨励するような方向でもって努力していただきたい、何か工夫をしていただきたいわけであります。そういうような試みが行われているということは大臣も御承知なんだろうか。
  333. 砂田重民

    砂田国務大臣 ごもっともなことだと思います。こういうことをテーマに取り組みたいという学校全体としての意思決定がせっかくあるのに、全く違うことを教育委員会が頭から押しつけるというのは好ましいことだと思いません。ですからそこらは学校教育委員会の間で十分のお話し合い、意思疎通を図っていけますように、文部省としてもそのやり方をひとつ工夫させていただきたいと思います。
  334. 有島重武

    ○有島委員 いま大臣がおっしゃったように、われわれの全く予期しないようなことが起こってしまうんですね。意思疎通を欠くなんということじゃなくて、平たく言えば、校長さんは教育委員会がかなりこわいわけですよ。中央官庁がちょっと言ったことというのは、それほどのつもりではなかったとしてもかなり厳しく響いていくということは重々ございます。その辺のことはよく考えていただきたい。特にそういう弊害を起こさぬためにはやはり一人一人の意思を大切にしていくということだろうと思います。  それで、これも先ほど伏屋さんの質問を聞いていて私思ったのですけれども大臣を初め文部省の方々が、教員の資質の中で一番大切なことは使命感である、また教育愛であると言われた。私たち公明党も使命感が大切であると言っているんだけれども、同じ言葉で、中にちょっとしたニュアンスの違いがあるんだなと思ったわけですよ。それは、教員は全体の奉仕者である、ゆえにと、こういうわけだ。これは国家的な使命感に燃えているということになるわけです。私たちが申し上げているのは、この子供を本当に育てていかなければならぬという、人間対人間を基盤にした、血の通った使命感というようなことを特に言っているわけです。そういうちょっとしたニュアンスの違いがなかったでしょうか、いかがですか。
  335. 砂田重民

    砂田国務大臣 ないと思うのです。いま有島委員は国家的とおっしゃいましたけれども教員が全体への奉仕者であること、これは明確でございます。それは国民全体への奉仕者であるという意味であって、何か国家という言葉を戦前の国家というふうにおとりになっているんではないかといま承ったのですが、私は、国民全体に対する奉仕者である、そう考えておりますから、当然子供たちに対する奉仕者である。そこのところの食い違いは全くないと思います。
  336. 有島重武

    ○有島委員 なければ大変幸いなんですけれども、実際に校長先生研修会なりあるいは国の方で直接やっていらっしゃる研修会などにおいては、私たちは間接にしか聞けませんが、雰囲気として、上から使命感というものが強調されておる、そういうように聞いておりますので、その点がやや心配なんです。大臣が思っていらっしゃることと実際にやっていることが、ちょっとしたニュアンスなんですけれども、やや受け方が違う。それが本当に意欲を持たせるか、あるいは何となく圧迫を感じさせるかという、ほんの少しのところでもってずいぶん大きな影響を及ぼすのですから申し上げておきたいわけです。  そこで、既存教員養成についての充実、それから現場教育についての充実拡充ということについていま申し上げたのですが、私の答えのとり方がやや甘いように思うものですから、これはお願いなんですけれども、この法案についての審議がもう一遍来週の水曜日になされますが、現在の教員養成課程の範囲でどのような点をどのように充実なさるのかを、これはひとつ個条書きにしていただきたいのです。それから現場のことにつきましても、いま言い残したことが幾つかあると思うのですが、現場における教員の資質向上に関して、国でできる部分、それから国ではできないけれどもその方向で指導していきたいということを個条書きにしていただきたい。これはお願いできるでしょうか。
  337. 佐野文一郎

    佐野政府委員 事柄として、こういう点についてこういう方向での努力をしたいという趣旨のものであれば、できる限り準備をいたします。ただ、具体的にいつまでに何をどういうふうにという形では、これは事の性質上とても御提出ができないと思いますが、そういった私たち考え方をお示しすることであれば御説明は可能だと思います。
  338. 有島重武

    ○有島委員 現場の初中局の方も……。
  339. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 ひとつできるだけお見せするようなものをつくるように努力いたしたいと思います。
  340. 有島重武

    ○有島委員 じゃお願いいたします。  そこで、新しい教員大学構想のねらい、それが本当に実りあるものになるかどうかという点、それから発足時に起こり得る混乱が一時的なものか、あるいはまたしこりが残るかというようなことについてなんですけれども、これを最後に承っておきたい、ないしはお考えいただきたい。  と申しますのは、けさほど来議論になっております教員大学名称です。これは改めて確認しておきたいのだけれども、新構想のこの趣旨というのは特に現職教員大学院修学、これは三分の二程度は収容できるようにする、このことが一番の新構想なんじゃないでしょうか。そのほかに、私は、大学運営の上で筑波方式にするとか、あるいはさらに何か行政指導が行き届くようにするようなことがあるのじゃなかろうか、あるいは開放制に反するような方向になるのじゃなかろうかというような危惧は大変持っていたわけですけれども、そのことはいままでのお答えの中で、そんな御意図ではないというか、あるいはそのおそれは薄いというか、そう思える。そうなってきますと、その新構想の一番中身現職教員大学院の場を開く、こういうことでしょう。そういうように要約して考えてもよろしゅうございますか、大学局長
  341. 佐野文一郎

    佐野政府委員 もちろんその点に着目して、大学院に重点を置いた大学として考えるということが大きいわけでございますが、なお、これまた御指摘のありましたように、学部段階が初等教育教員の養成課程だけをもって構成するというところも従来にない考え方でございます。
  342. 有島重武

    ○有島委員 広島大学は、学部の方はいわゆる学校教育学部というようなものと考え方は大体同じことになるのじゃないでしょうか。
  343. 佐野文一郎

    佐野政府委員 ねらいとするところは同じ方向を目指していると思います。もちろん置く課程は違いますけれども、ねらいとするところは同じ方向だと思います。
  344. 有島重武

    ○有島委員 それでそういう措置をとって、先ほどから言っているように、これは広く教員の資質能力の向上に資するのがその目的である、そういうことになるわけですね。それで、この目的を達成するためには、この新構想大学が、従来あります教育大学あるいはそこに設置される大学院、また将来設置されるであろう大学院、こういったところにも現職教員を収容していくというような方向に持っていくための積極的な影響を与えていくということが不可欠になるのじゃないでしょうか。それはいかがですか。
  345. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のように、これから置いていく大学院あるいはすでに置かれている大学院につきましても、教員大学大学院のこれからの発展というものがいい影響を及ぼしていくということを期待しております。
  346. 有島重武

    ○有島委員 そうなってまいりますと、大臣、現状ではいかにもこれは新構想大学なんだ。だから何か名前も変えなければいけないような気もいたしますね。名前を変えた方がくっきりするということはあるかもしれない。しかし、教育は二十年、三十年のけたでもって考えていくわけでございますから、教員大学という名称を永続させていくことが本当にいいのだろうか。ただの教育大学、上越教育大学、これで十分ではないのだろうか。しかも、その上越、兵庫の教育大学はこういうような特徴を持ち、こういうような先導的な役割りを果たしておる、そういうような言い方でも十分なのじゃないのでしょうか。いかがですか。
  347. 砂田重民

    砂田国務大臣 やはり教員のための大学であるということから、法律的にも使われております言葉の教員大学という名前を選んだわけでございます。それでもいいではありませんかと私どもからは申し上げたい。
  348. 有島重武

    ○有島委員 大臣は政治家なんだから、そうお役人に義理立てなくてもいいと思うのですよ、法令上の用語であるからなんていうような。お役人仲間ではそれは非常に通りはいいかもしれないけれども、これは素人の人が聞くと、何だ、かさにかかってと、そういうような感じがしないでもないのですね。これはひとつ、この場でおっしゃらなくてもいいけれども、まだあとちょっと時間があるわけですから、もう一考え、考える余地があるのじゃないか。できるならばさっぱりと、これも教育大学ということにした方がよろしい。そのことをばかにこだわり出されて、名前のことでばかにこだわると、これはやはり何か腹の中にあるのじゃないのだろうかと、変な勘ぐりまで出てくるような感じを受けるわけです。新しい構想教員のための大学なんだから、それはそうに違いない。それは一般名詞として、上越の教育大学はあれは教員大学なんだよというような言い方、これはよろしいと思うのですけれども。これはまあ、未来永劫とまでは言わないけれども、ずっと長い間続くことでございますから、その方が、その方がというのは教育大学というふうになさった方がよろしいのじゃないか、このことを特に申し上げておきます。  それじゃ宿題を二つ出させていただいて、きょうの私の質問は終わります。ありがとうございました。
  349. 菅波茂

    菅波委員長 次回は、来る十九日開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時九分散会