運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1978-04-12 第84回国会 衆議院 文教委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十三年四月十二日(水曜日)     午前十時三十一分開議  出席委員    委員長 菅波  茂君    理事 石橋 一弥君 理事 唐沢俊二郎君    理事 藤波 孝生君 理事 木島喜兵衞君    理事 嶋崎  譲君 理事 有島 重武君    理事 曽祢  益君       石川 要三君    久保田円次君       小島 静馬君    坂田 道太君       玉生 孝久君    塚原 俊平君       中村  靖君    長谷川 峻君       水平 豊彦君    小川 仁一君       千葉千代世君    中西 積介君       湯山  勇君    池田 克也君       鍛冶  清君    伏屋 修治君       中野 寛成君    山原健二郎君       西岡 武夫君  出席国務大臣         文 部 大 臣 砂田 重民君  出席政府委員         人事院事務総局         職員局長    金井 八郎君         文部政務次官  近藤 鉄雄君         文部大臣官房長 宮地 貫一君         文部省初等中等         教育局長    諸澤 正道君         文部省大学局長 佐野文一郎君  委員外出席者         文教委員会調査         室長      大中臣信令君     ————————————— 委員の異動 四月十一日  辞任         補欠選任   小島 静馬君     原 健三郎君   塚原 俊平君     江藤 隆美君 同日  辞任         補欠選任   江藤 隆美君     塚原 俊平君   原 健三郎君     小島 静馬君     ————————————— 四月十日  私学助成に関する請願草川昭三紹介)(第  二七九九号)  同(矢野絢也君紹介)(第二八〇〇号)  同(草川昭三紹介)(第二八五一号)  同(草川昭三紹介)(第二八八五号)  同(草川昭三紹介)(第二九四一号)  私学に対する国庫助成増額に関する請願池田  克也紹介)(第二八二八号)  同(小川国彦紹介)(第二八二九号)  同(木原実紹介)(第二八三〇号)  同外八件(新村勝雄紹介)(第二八三一号)  同(玉城栄一紹介)(第二八三二号)  同(千葉千代世紹介)(第二八三三号)  同(池田克也紹介)(第二八八六号)  同外三件(小川国彦紹介)(第二九三八号)  同外五件(新村勝雄紹介)(第二九三九号)  同(千葉千代世紹介)(第二九四〇号)  オリンピック記念青少年総合センター存続等  に関する請願浅井美幸紹介)(第二八三四  号)  同(浦井洋紹介)(第二八三五号)  同(工藤晃君(共)紹介)(第二八三六号)  同(小林政子紹介)(第二八三七号)  同(柴田睦夫紹介)(第二八三八号)  同(瀬崎博義紹介)(第二八三九号)  同(瀬長亀次郎紹介)(第二八四〇号)  同(津川武一紹介)(第二八四一号)  同(寺前巖紹介)(第二八四二号)  同(東中光雄紹介)(第二八四三号)  同(不破哲三紹介)(第二八四四号)  同(正森成二君紹介)(第二八四五号)  同(松本善明紹介)(第二八四六号)  同(山田太郎紹介)(第二八四七号)  同(山原健二郎紹介)(第二八四八号)  同(池田克也紹介)(第二八八七号)  同(草野威紹介)(第二八八八号)  同(古寺宏紹介)(第二八八九号)  同(竹入義勝君紹介)(第二八九〇号)  同(武田一夫紹介)(第二八九一号)  同(西中清紹介)(第二八九二号)  同(伏屋修治紹介)(第二八九三号)  同(小川仁一紹介)(第二九四三号)  同(大橋敏雄紹介)(第二九四四号)  同(中川嘉美紹介)(第二九四五号)  同外一件(中村茂紹介)(第二九四六号)  同(春田重昭紹介)(第二九四七号)  同(松沢俊昭紹介)(第二九四八号)  珠算教育指導者資質向上に関する請願(石井  一君紹介)(第二八四九号)  同(河上民雄紹介)(第二八五〇号)  私学助成に関する請願千葉千代世紹介)  (第二八五二号)  同(馬場昇紹介)(第二八五三号)  公立文教施設整備事業に対する財政優遇措置の  継続に関する請願椎名悦三郎紹介)(第二  九三六号)  学校給食の改善に関する請願椎名悦三郎君紹  介)(第二九三七号)  大幅私学助成等に関する請願中村茂紹介)  (第二九四二号)  公立高校新増設のための国庫補助制度拡充等に  関する請願水田稔紹介)(第二九四九号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法  の一部を改正する法律案内閣提出第二一号)      ————◇—————
  2. 菅波茂

    菅波委員長 これより会議を開きます。  国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、これを許します。小川仁一君。
  3. 小川仁一

    小川(仁)委員 主として教員大学問題につきまして、いわゆる教員現場という立場から御質問を申し上げたいと思います。  この教員大学構想一つ考え方の中に、私は非常に危険な考え方があるのではないかと思いますので、最初大臣の所信を伺いたいわけですが、国が費用を出して学校をつくり、しかも入学試験を行い、入っている学生公務員身分、賃金をもらう、こういう大学教員大学防衛大学、この二つだと感じます。自治大学等は、これは命令研修で、行政都合で入る大学でございますから入学試験等はございません。かつての師範学校士官学校を思い出すわけであります。私は師範学校で弟は士官学校でしたが、どっちも国から費用をもらいまして、しかも目的意識的に、それぞれの職業についている人たちリーダーをつくり出す、国家目的遂行のために研修を行う、こういうかつての師範学校士官学校という形態を、今回の防衛大学教員大学大学院とがあの時代状態を再現している。強いて言えば、昔は士官学校といって、はっきりと軍の指導者をつくり出す、そのもの目的名称をつけておりましたが、これが現在は防衛大学というかっこうで、そのもの目的にするような形にはなっていないけれども教員大学の方は明確に、教育大学とか学芸という名称を捨てて教員大学大学院、こういうかっこうエリート指導者層をつくり出すという体をあらわした名称をつけております。戦前からずっとこういう一つ教育体系を経験してきた者にとっては、今回の教員大学防衛大学師範学校士官学校、二重写しになって私の印象の中へ迫ってまいります。何かしら、歴史の逆行であり、同時に国家目的遂行のために特別なエリートをつくり出す一つの意図、そういうものが存在する感じがするわけでございます。この点について、まず最初大臣の所感を伺いたいと思います。
  4. 砂田重民

    砂田国務大臣 私もまた、師範学校士官学校というようなものが存在をした世の中で育ってまいりました。しかし、いま、今回御審議いただいております法律の中に含まれております教員大学防衛大学と同じものではないかという御指摘がございましたけれども、私はまず、時代的な背景が全く異なっているという気持ちがいたすわけです。いま、防衛大学というものあるいは昔の士官学校師範学校が、国家目的遂行のために国が金を出してつくった学校という御指摘ございましたが、そして給与支給をする。確かに給与支給するという点は同じかもしれませんけれども防衛大学と比べて考えてみましたときに、教員大学学部大学でございます。教員大学学部入学をしてまいります学生たちには給与支給はございません。教員大学大学院に入ってまいります。大学院定数の三分の二程度を考えております現職教員方々は確かに給与を受け取られますけれども、国が支給するものではございません。それぞれ都道府県現職教員としての待遇をそのまま続けていくということから給与支給が行われるものでございます。  そして、目的的な養成というお話がございましたけれども、それはしかし、冒頭に私が申し上げました、時代が全く変わっておることから、やはり大学教員養成学部があること、医学部があること、それぞれやはり目的的な養成を考えていることでございまして、教員大学に置かれます教科内容というものも、やはり教員資質向上でありますとか、大きく言えば日本全体の教育内容向上を目指すものでございますから、そのことが、士官学校師範学校がありましたときの国家目的という言い方にどんぴしゃりと当てはまりますかどうですか。やはり教育内容充実教員資質向上という国民的要望にこたえて教員大学も設立をいたすわけでございまして、どうも教員大学防衛大学というものが御指摘のようにどんぴしゃり同じような内容のものとは私にはどうしても考えられません。
  5. 小川仁一

    小川(仁)委員 時代が変わっていることはそのとおりだと思います。だから逆に、一つ時代先取りをするという行政も存在するわけであります。私は、かつてのような師範学校士官学校という類似のものが出てくるとは思いませんが、しかし、新しい時代へのそのときの政府国家目的遂行、こういう立場からの先取りという感じが非常に強いわけであります。それは、特に教員大学ときっちり銘を打った、これはかつての士官学校士官というものを明確にしたのと同じような傾向を持つ。さっき医学部等お話がありましたが、医者学校とは言っていない、医師学校とは言っていない。その職業名称を明確に用いていないのが現在の多くのほとんどの大学でありますが、この大学だけ、目的を明確に、職業名称をそのまま使っている。ここにやっぱり、そこの中を通して教育界リーダーをつくっていく、そして給与その他の身分を押さえるということは、逆に公務員身分でもって縛って意図的なものをつくり出していく、こういうかっこうになっていく。防衛大学の方は、まだ自衛隊が国民的同意を得ていませんのでなかなか士官学校とは言い切れないから、こっちの方から先に教員大学と言い出した、こういう感じがするんです。そういう立場からいま言った危慎というものは本当に存在しないでしょうか、どうでしょうか。
  6. 砂田重民

    砂田国務大臣 私はあえて、絶対存在しない、こういう確信を持ってお答えができると思うのです。時代先取りをしてとおっしゃいました。しかし、私もその時代先取りしているわけでございます。小川委員がお考えになっている、先取りをしておりますその想定される将来の時代、どうも私の考えと少し違うような感じがいたしまして、小川委員は、封建的であった時代、昔の時代にまた戻ろうとしているのではないかという御懸念をお持ちのようにただいまの御発言を承ったわけですが、決してそうではなくて、もう率直にお答えいたしますけれども教育行政を担当しております者も、あるいは都道府県教育行政を担当しておられる方も、それぞれの地域地域現場におられる方々も、今日なおそれぞれの間にいろいろな不信感のあることを私は承知をいたしております。しかし、こういう不信感が存在する限り、それは子供たちにとっては不毛な時代だと私は思う。どうしてもこういう不信感を一掃する時代を将来に描いて、そのための努力をしていくのが私どもの務めであると考えますだけに、私の描きます時代先取りは、そういう社会を目指して、そういう社会の中で、次代を担ってもらう子供たちのためによりよき教育充実を確保していきたい。そういう意味時代先取りのことを私は考えるわけでございますから、決して昔のような、好ましくないといいますか、あるいは視野が狭かったといいますか、そういう観点からの、いわゆる、先生の使われたお言葉をそのまま使わせていただくならば、より狭い意味国家目的の枠の中にはめ込んでいく、こういうことでは毛頭ないわけでございまして、ただいちずに教育内容向上を願ってのことでございます。
  7. 小川仁一

    小川(仁)委員 狭い意味国家目的ではないとおっしゃいますから、私、このことは非常に大事にしたいと思います。と申しますのは、封建時代に戻るのじゃなくて、私は、むしろ帝国主義的、軍国主義的な傾向に走ることの懸念を持つからでございます。それはどういう観点からかというと、たとえば法律で決まっていない君が代国歌、こういう形で、文書で、いわゆる本質的な理解のない小学校の生徒に押しつけていくという行政が一方にある。しかもそれは法的拘束力を持って一つ思想統制を行っていく。一方ではこういう特殊な教員エリートをつくり出していく。こういう一つ行政の流れというものに私は大変な危惧を感ずるわけであります。現在のいわゆる教員間の不信感の一掃、こういうことを大臣はおっしゃいまして、これは私も非常に賛成なんです。むしろこういう立場から実は御質問を申し上げたいとさえ思っているところでございますが、しかし、君が代国歌化とかあるいは教員エリート大学、こういうかっこうになってきますと、当然のことながらいま言った危惧が出てまいり、それが不信感につながる。とすれば、この大学というのは当然一つエリートを、しかも行政が意図している指導者をつくり出す、それだけが目的の閉鎖的な研修所的なものではない、こう考えてよろしゅうございますか。
  8. 砂田重民

    砂田国務大臣 そのとおりにお考えいただいて結構でございます。
  9. 小川仁一

    小川(仁)委員 そうしますと、閉鎖的でない、しかも自由な気分を持った大学だということになると、いままで多くの議員から質問のあった、たとえば入学問題、こういう場合の、いわゆる受験する立場の者は当然だれもが受験できる、こういった、いわゆる行政エリート指導とは違った、行政がこれを推薦するとか同意するとかチェックするとかをしないで、すべての者が受験できるという前提が存在しなければならないと思います。国大協の方の説明メモですか、前に批判を出した文章を後から了解して出した中にも、入学試験大学が行うと書いておりますので、この点についてはどうでございましょうか、本当の基本の性格にこの受験が存在すると思いますから、お聞きいたします。
  10. 砂田重民

    砂田国務大臣 教員大学大学としての立場は、これは大学でございますから、通常大学と同じように選抜という制度はございましても、やはりそれは門戸の開かれたものである、こういう基本的な考え方に変わりはございません。
  11. 小川仁一

    小川(仁)委員 大変失礼しました。大学院想定して申し上げたのでしたが、大学院受験ということがいまの質問の趣旨でしたので、再度お願いしたいと思います。
  12. 砂田重民

    砂田国務大臣 大学院につきましても、教員大学大学としての立場は、大学大学院で、教員大学大学院でございますから、大学立場としては通常選抜を行うということだけが条件になるわけでございます。大学立場としては、いま申し上げたとおりに、開かれた姿の大学であることは通常大学と変わりはございません。ただ、大学院に入ってこられるのが、三分の二が現職教員でございますから、現職教員としてのそれぞれの都道府県市町村教育委員会の側での問題もあることでございまして、この点につきましては私ども考え方を、担当いたしております大学局長からお答えをさせていただきたいと思います。
  13. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先般来お答えを申し上げておりますように、教員大学大学院は、通常大学院の場合と同じように、大学として、広く志願をする者を受験させて、それについて適切な選抜試験を実施して入学すべき者を決める、そういう考え方をとっているわけでございます。  現職先生の場合には、一般に大学では所属長同意あるいは承認、許可、いろいろな形での書面を受験に際して添付をさせているというのが現在の状況でございます。この大学の場合には、創設準備室の方とも協議をいたしておりますけれども、服務の監督をし、また研修の出張を命ずる立場にございます市町村教育委員会同意を求めたいということを考えておるわけでございます。
  14. 小川仁一

    小川(仁)委員 現職に限って言いますけれども現職入学可能性の三分の二というのについては、開かれた大学院ではないわけですね。
  15. 佐野文一郎

    佐野政府委員 私たちは、開かれていると考えております。したがって、特に教育委員会に対して推薦を求めてその者だけを受け入れるというようなことはもちろん考えないわけでございますし、また、各県に受験をすることのできる者の数を割り当ててその範囲内で受験をさせてくれというふうなこともいたさないわけでございまして、できるだけ現場におられる先生方の自発的に大学院で研さんを積みたいという意欲を尊重して、そして教育委員会サイドでのいろいろな手続が進められることを期待しておるわけでございます。
  16. 小川仁一

    小川(仁)委員 その行政的な手続が、結果的には一定の枠をはめるという結果になるでしょう。この点、お気づきになりませんか。市町村教育委員会同意するということはその教師に対する一つの制限になります。それから同意する数自体が、どうこう言っても定数という一定の枠の制約的条件がございます。こういう条件を押していけば、結果として想定されるものは、またあなた方の想定の頭の中にあるものは、やはり各県平均何人くらいという想定立案過程にある、こう考えて間違いないじゃないですか。開かれた、開かれたと言って行政的に締めつける、ここがどうしても私には納得できないのです。この点について物の考え方で割り切るのかどうか。これはしかも受験という段階でそういう制約をするという考え方、合格した後におけるいろいろな問題は別としても、定数の枠とか何かの問題からこれだけしか出せないという枠があったとしても、受験段階でそういう枠をきちんと決めるということは決して開かれたことにならないと思うのですが。
  17. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のように、現職先生でございますから所属長同意がなければ職場を離れて長期にわたる研修ができないというのは、これは当然のことでございます。問題は、それが教員のそれぞれの個人的なあるいは自発的な勉学の意欲というものを基礎として、できるだけ本当に勉強したい人が大学院に行けるような、そういう形での運用を私たちが望ましいというふうに考えているということにあるのであって、手続的には確かに御指摘のように、受験の際に同意書添付を求めるのか、あるいは受験のときには自由に受験をさせて、入学許可の際に所属長許可のない者については入学をさせないというやり方をするのかという、二つの選択の方法があると思います。これも先般来お答えいたしておりますように、受験の際は自由であるけれども入学の際にチェックをするということになりますと、一つには、大学側としては二百名の定員に対して二百名の許可をいたしますが、それが実際にどれだけ二年間大学院修学できるのかということについての保障がないという、事務的に非常に困った状態がございます。またもう一つは、せっかく入学許可を受けたけれども現場都合入学できないというようなことになることに伴う支障というのは、これはむしろ受験の際の希望をどう生かすかということの支障よりも場合によってはもっと深刻になるおそれがあるのではないかと私たちは思います。そういう意味で、受験に際してあらかじめ同意を得てほしい。ただ私たちも、これもこれまでお答えをいたしておりますが、同意書添付がなければ絶対に受験をさせないと言っているわけではございません。大学院でございますから、それは同意書添付がない者についても、先生によってはたとえばやめてでも行きたいという方もおありでございましょうし、あるいは現在内部手続がまだ済んでいないというような者もございましょう。それらは、その理由が明らかにされれば私たち受験を拒むものではございません。
  18. 小川仁一

    小川(仁)委員 そうすると、いまの考え方で言いますと、同意書がなくても受験させるということですね。
  19. 佐野文一郎

    佐野政府委員 同意書添付がない場合であっても、その理由を明らかにしていただくことによって受験を認めようということで準備室は検討をいたしております。ただ、これも再三申し上げておりますように、大学立場といたしますと、受験をして合格をする者、その者の二年間にわたる現職のままでの修学の点について保障がないという状態は大変困るわけでございます。したがって、受験をして許可を受けた後においてトラブルの生ずることのないように、あらかじめ同意手続をおとりいただきたいということをお願いをしておるわけでございます。
  20. 小川仁一

    小川(仁)委員 ちょっとあなたに論理のすりかえがありますがね。入学した際にトラブルが起きるというのは、大学学生の間に起きるのではなくて、教育委員会と本人の間に起きることなのです。そこで、合格したから、私は同意がなければ自費で入ってもいい、こういうことになればこの問題は解決するわけでございますが、どうしても現職でなければそこは入れないのですか。職業にあった者が自分費用で入るわけにはいかないのですか。
  21. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これはただいまお答え申し上げましたように、私はやめてでも大学院勉強したいという方は受験をされても、あるいは入学をされても一向に差し支えないわけでございます。
  22. 小川仁一

    小川(仁)委員 その場合、それは三百人のうちの二百人の枠に入りますか、百人の枠の方の対象になりますか。
  23. 佐野文一郎

    佐野政府委員 事柄としては二百人の枠に入るわけでございますが、それであるだけに、私たちは二百人についてはできるだけ現職先生現職のままで給与を受けて勉強をされるという姿を保障したいというふうに考えますので、先ほど来申し上げておりますように、あらかじめ受験段階で、現職のままでの修学についての保障というものをお取りつけを願いたいと考えておるわけでございます。
  24. 小川仁一

    小川(仁)委員 現職のままの保障というのはなくても入りたいという、教師としての一つの熱情がある者については受験をさせるのだと、こうはっきり理解してよろしゅうございますか。何か、受験のことと保障をしたいということと、全然別なことを一緒にして御答弁をいただいているようなんで、この点、はっきりしていただきたいのです。
  25. 佐野文一郎

    佐野政府委員 結局、原則と例外的な場合との問題になると思います。受験に当たって同意書添付がない者の受験を拒まないということは、そういう場合もあり得るということを申し上げているのであって、この大学の場合には原則として同意書添付ということをお願いをするわけでございますから、私たちは、同意書添付のない者についてもどんどん受験をしてください、原則としてそれは同意書添付は要らないのです。取れる場合には同意書添付を取ってくださいという対応ではないということを申し上げているわけであります。
  26. 小川仁一

    小川(仁)委員 そうすると、さっきの最初大臣お話とかなり違ってくる。開かれていない。今度の大学院をおつくりになる目的の中に、教育者としての使命感と深い教育的愛情を基盤としたということを前提にして大学院に入れようとしている。こういう情熱を持った者がぜひ大学院研修をしたい、こうなった場合に、同意書がなければ原則として受けつけないんだということになると、これは教師として自分自身を鍛え上げていこうという熱意の燃えた者に対して門戸を閉ざすことになる。したがって、同意書がなくても受験をさせるべきだ、こう思いますが、大臣、どうですか。
  27. 砂田重民

    砂田国務大臣 門戸を閉ざすために同意書大学が求めているのではないのです。そういう情熱を持たれた先生方、それはやはり現職先生方でございますから、教育委員会としては、その先生が二年間大学院へ通われたその後の定数の確保もいたさなければなりません。二年間の大学院における勉強中のその先生現職教員としての給与支給をしてまいりますから予算上の措置もいたさなければなりません。そのようなことから、先生方立場に立っての、後顧の憂いなく勉強のできる、そういう場に先生方を置きたい、そういうことからの同意書を求めているわけでございます。したがって、いま大学局長が御答弁いたしましたように、例外的には、同意書のない方でも、その同意書がないということの事情が明らかでありましたならば決してその受験門戸を閉ざすものではありませんとお答えをしているわけでございますから、そこのところの御理解をいただきたいと思います。
  28. 小川仁一

    小川(仁)委員 私にはどうしても理解できないのです。自分研修したいと思って大学院を受ける。大学の方は逆に言うと大学教育、教授、研究に適応性があるかどうかで選ぶだろうと思うのです。適応性があったやつは入れたらいいじゃないですか。保障したいという皆さんのこれは親心であって、自分は自費でも行きますという者があったら受験させていいじゃないですか。自費でも研修したいという者があったら自費でいいじゃないですか。どうですか。
  29. 佐野文一郎

    佐野政府委員 その点は先ほどもお答え申し上げましたように受験を拒むものではございません。もともと、この教員大学というのは入学定員が限られているわけでございますし、また各都道府県のいわゆる後任補充等についての研修定数についても、これは予算的には限りのあることでございましょう。教員大学だけではなくて、ほかの大学大学院あるいは学部へ行って勉強される方もあるわけでございますが、そういったことを含めての都道府県全体としての対応できる枠取りというのはおのずからあるわけでございますから、その中で、先ほど先生が御指摘になりましたように、本人が勉強したいという意欲を持っている者が勉強できるような運用が行われるということを、私たちは期待をするわけでございます。
  30. 小川仁一

    小川(仁)委員 百人の枠の方にそういう者が受験することは、これは全然問題ありませんね。
  31. 佐野文一郎

    佐野政府委員 この大学が、まさに先生指摘研修所的なものにならないで、教育研究というものの自立的な機能を持った大学として、教員に研さんの場を与えようというねらいをよりよく実現をいたしますためにも、私は、現職先生方と同時に、学部を卒業して大学院へ進む人が一緒にいる方がいいと考えます。これは鯵坂調査会以来の調査会のお考えでもございます。したがって、もちろん、その百人と二百人の境目の一人二人がどうこうということは、これは大学が実際に入学試験の結果、合格者を決める場合の御判断の問題になるわけでございますから、ここでそうリジッドに申し上げる必要もないことかもしれませんけれども、百名については、考え方としては学部を卒業した人たちが入ってきてほしいと思っておるわけでございます。
  32. 小川仁一

    小川(仁)委員 受験資格が経験三年になっておりますね。そうしますと、一年か二年でもう一度勉強したいという者がこの大学院に入ろうとするときはどっちの枠の方を受験すればいいのですか。
  33. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これも具体的に大学がスタートをしたときに大学がどのように御判断になるかという事柄に属すると思います。そのような細かい点まで現在創設準備室の方で考え方を詰めているとは思っておりませんけれども現職のままで給与を受けて勉強されたいという方については、やはりそれぞれの県で大学側考え方に従った一つのルールというものができるでございましょうし、それに従って受験をしていただくということを私たちは期待をいたします。一年二年の者、大学を出て一たんは就職をしたけれども、一年間の経験にかんがみて大学院に入りたい、その場合には現職を一たんやめてそして大学院勉強したいというような方があれば、それは受験をしていただいて結構です。恐らくはその場合には、これから大学が検討されていくことではございましょうけれども、百名の枠の方で入学を考えるということになると思います。
  34. 小川仁一

    小川(仁)委員 いままでのお話を聞きましても、これはどうしても私には、大学院勉強しようとする現場教員一定の枠づけでもって差別をしているといいますか、門戸を閉ざしているという感じが抜け切れないわけであります。これ以上お話をしてもお答えは同じような感じなので、この問題は一応やめますけれども、ぜひ考えていただきたいことは、勉強したいという教員が自費で行ってもいい、こういう状態であった場合は受験もさせるべきだし、合格もさせるべきだ。そして、自費でも行こうという者は、二年間なら二年間の学費というものは自分で用意をして行くはずであります。かつて師範学校時代に専攻科というのがありました。この場合は一年間でしたけれども、休職でしたから自分費用を負担をして行っているはずであります。また再就職をということになりますけれども、毎年定員何人かずつ各県で採用すればいいわけですから、大学院を終わって採用試験を受ければもう一度教員になれるわけでございます。給与面で計算しましても、現職で行ったとしても給与は同じであります。二年間大学へ入りますと、現職部分はゼロでも、学歴部分で新採用のときに給与方法を決定をいたしますと、まあ余り大きな違いはない。こうなりますと、本当に勉強したい者はそういう形も出てくると思います。  したがって、三年というふうな経験をまず捨てるべきだ。これは教師の中に一つの差別を持ち込むことであって、ある意味では開かれた状態にはならぬということと、それから、自費で受験ができ、自費の者も合格をさせる、こういう開かれた制度というものが存在しない限り、やはりこれは研修所でしかない。行政の意図的なもの、同意を与えた者、逆に言えば覚えのめでたい者に対する研修でしかない、こう断定せざるを得ないのです。これに対して大臣のお考えをいただきたい。
  35. 砂田重民

    砂田国務大臣 三年程度の現職経験を有するということを言っておりますけれども、これは私は差別にはならないと思うのです。それは、大学勉強に行く現職教員という立場であって、同時に学生でもあるわけですから、勉強をなさる現職先生の能力に応じてということでございまして、これは私は差別ではなくて、やはりそういう区別と考えていいのではないか、こう思うのです。それから、研修所になってしまうと言われますが、この大学教育の人事行政に使おうなんという意図は毛頭ないわけでございますから、そこから急に研修所にというのは少し御理論に飛躍があるようにしか受けとめられません。ただ、いまおっしゃった自費ででも行こうという熱意のある先生、私は例外的にあり得ることだと思うのです。これを拒むものではないということは先ほどから大学局長お答えをしていることでございまして、いま小川委員指摘のありました、自費ででも行くのだ、そういう方は例外的にあり得ると思いますし、また例外的に受け入れていくことのできることであると考えます。
  36. 小川仁一

    小川(仁)委員 差別と区別、なかなかむずかしい関係でございますが、どうも閉鎖された感じというものがいままでの御答弁では抜け切れませんけれども、この問題だけに限っておりますと時間もなくなりますから、次の問題に移らせていただきます。  この前、神戸大学の学長の須田先生ですか、参考人の場所でお話をなさっておりましたが、国大協が批判をした、いわゆる懸念を持った点が幾つか出されて、その懸念がある程度解消した、そういう中の一つに、同一県内に大学院を持つ教員養成大学大学院を持たない教員養成大学があって、そこに上下の格差が出てくる、こういうことはいけないんだ、しかしそれは既存の大学大学院を持つことによって解消する、こういうことでございましたが、神戸大学大学院ができることになったのですか、なるのですか、将来想定の中に。
  37. 佐野文一郎

    佐野政府委員 神戸大学大学院の問題というのは二つございます。一つは、現在博士課程を持っていない学部の間の十分な協議を経て、いわば総合大学院としての博士課程を備えたいという御要望が従来からございます。それと、もう一つは、教育学の研究科について修士の課程を持ちたいという御要望がございます。これらについてはもちろん大学の御構想をさらに伺わなければなりませんし、また財政当局とも協議をしていかなければなりませんけれども、基本的に、私たちは、既設の教員養成大学についても、愛知教育大学で修士の課程の設置をとめるのではなくて、引き続いて、設置をしかるべしとするものについては設置をしていきたいと考えております。当然、神戸大学についても教育学の修士課程の設置というのは課題になるわけでございます。
  38. 小川仁一

    小川(仁)委員 かなり早い機会に対象になりますか。そうでもなければ、国大協批判が一転して、上下格差がなくなった印象を受け取ったなんということにはならぬと思うのです。
  39. 佐野文一郎

    佐野政府委員 もちろんこれはこれから予算措置を通じ、また国会の御審議を経て決まっていくことでございますから、この時点でいつということを私が申し上げるわけにはまいりませんけれども、事柄としては、やはり兵庫の教員大学の発足ということを頭に置いて神戸の教育学の修士の整備というのは考えていかなければならないと思っております。
  40. 小川仁一

    小川(仁)委員 大臣、兵庫の御出身ですから、旧師範学校二つあったわけでありますが、あそこの学閥のすさまじい争いというのを御存じでありましょうが、いかがですか。
  41. 砂田重民

    砂田国務大臣 昔のこととして子供心に知っております。
  42. 小川仁一

    小川(仁)委員 さっき不信感の一掃、職員の和というお話がありました。実は日本の国の一つの特徴かもしれませんが、大変な学閥というものが存在します。東京で言うと東大出身と高等師範出身で高等学校の校長の数を争っておりますし、兵庫へ参りますと姫路と神戸で校長の数を争ったりいろんなことをする。ある意味ではいわゆる陰湿な傾向を持って、場合によると見るにたえず、聞くにたえざる状態があった。高等師範で言えば広島と東京、女高師で言えば奈良と東京、それから各県の二つある師範学校、こういうものが、新しい学制によって一県一教育学部という形態がほとんどの県で確立した過程で学閥というのがずっと消え始めていったんです。学閥というものを、文部省のお役人の皆さん、知らぬとは言わないだろうと思いますが、非常に陰湿な激しいものを、これを一県一つでなくし始めているところに、今度新しい教員大学大学院を最も学閥の激しかった兵庫と新潟におつくりになるという意図は、これはどういうわけですか。学閥の復興でもお考えになっているのですか。
  43. 砂田重民

    砂田国務大臣 いま小川委員がおっしゃったような陰湿な学閥が昔はありました。しかし、先ほどもお答えしたことでございますけれども、もう時代は全く変わってまいりましたし、各県に教員養成課程大学ができていて、いやなあの学閥なんという思いを私どももしなくて済んでいるわけでございます。あんな一時代昔の陰湿な学閥なんというものはこれからの日本ではもう生まれてこない。それはやっぱり日本人全体が寛容な心をあの時代よりは持ってきたからだと思うのです。大局的には。同時に、今度生まれます教員大学も、全国から学生が集まってくる、そして全国へこれが帰っていく。何かその教員大学という新しい学閥がここから生まれるという心配は、背景からいたしましても、この学校の意義からいたしましても、先生御心配になるような学閥なんというものが生まれるというおそれは毛頭持っておりません。
  44. 小川仁一

    小川(仁)委員 昭和四十年の参議院選挙のころから私たち現場の者の間で、高田師範の跡に新しい大学ができるんだ、姫路の跡にできるんだという、かなり政治的な公約みたいな感じでずっとこう流れていたという事実は、文部省やあるいは大臣、御存じありませんか。
  45. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のようなうわさあるいは風聞が流れていたということは承知をいたしておりません。率直に申しまして、新潟につくる上越の教員大学の場合には、確かに事柄として新潟大学の高田分校の新潟への統合ということと連動する部分がございます。しかし、そのことは、御指摘のような従来の学閥というようなものを前提として問題を考えているということではございません。  戦後、教員養成制度が開放制をとることに伴いまして、兵庫の公立小学校教員の採用状況を見ましても、五十二年度、七百四十二名を採用しておりますが、そのうち県内の教員養成大学から入っている者が九十六、他県の教員養成大学から入っている者が百五十七、一般の大学なり短大から入っている者が四百八十九というような状況でございます。私も県の教職員課長をいたしましたから昔の状況というのはわかっております。しかし、その状況とは、先ほど大臣お答え申し上げましたように様相を今日では異にしておりますし、兵庫の場合に、新しい大学ができることに伴ってそこに新たなる学閥が再び起こるというような状況は、バックグラウンドからいたしましてもないと考えております。
  46. 小川仁一

    小川(仁)委員 いま、学校が終わったら教員になる前に同窓会へ入る、こういう現実を、あなた、課長をしたらおわかりでしょう。それぞれの旧師範学校系統なり高等師範学校系統なりの同窓会へ先に入る、そして同窓会勢力地帯の学校に採用される、こういう力を依然として持っていますよ。たとえば文部省関係のいろんな施設その他を見ても、東京高師、いわゆる茗溪と称する同窓会の卒業生によってほとんどが占められているとか、こういうことで、バックグラウンドは変わってないのですよ。むしろ、バックグラウンドの方は、一県一学部によって学閥がなくなっていく可能性の最後の人たちが必死になってそこへ教員養成大学をつくろうとがんばって、しかもそれが政治的な——文部省御出身の方だと思うのですがね、その政治的な公約をお流しになった方は。そういうものと結びついて出てきたという事実、それが一番学閥の激しいところへ偶然の一致かもしれないけれども二つ出てきたという事実、こういうことから見ると、私たち、純粋にあなたが言っておるとはどうしても受け取れない。もっと腹を割って、実はそうなんだとおっしゃってもいいようなあなた方の気分がおありだろうと思うのですが、どうですかね。
  47. 佐野文一郎

    佐野政府委員 そういうことはございません。兵庫の場合には、純粋に現在の立地条件を考えて兵庫を適地と選んだものでございますし、新潟の場合でも同様でございます。ただ、先ほど申しましたように、新潟の場合には実際問題として高田分校の統合との連動が、構想を固めていく場合の学部学生の受け入れ方だとかそういった点に出てくるということを申し上げたわけでございます。
  48. 小川仁一

    小川(仁)委員 きれいごとでおっしゃればそういうことになるけれども、いまの学歴社会の根底をなす学閥意識というものはとうてい抜け切れない状態があって、それを抜け切るための方法として実は一県一つ教育学部、これが非常に大きな効果を持ってきたと私は思っているのです。そこへ事改めて、最も激しい地帯の中に新しい教員養成大学をおつくりになるということは私は何としても納得できない。偶然の一致なのか、どうなのか。この次出てくるのは北海道へ出て、福岡へ出て、愛知へ出て、東京、大阪はすでにできておりますから、この辺あたりに出てくるんじゃないかという、学閥地帯への配慮みたいなものもあるような感じがするわけなんです。何とか、職員の学閥というふうなものがなくなりかけた、なくすよう努力してきたということを継続していくために、同一県内に二つの対立したものをおつくりにならない方がいいと思うのです。いまからやめることは何も大した苦労はないわけでありますから、神戸大学に吸収する、新潟大学に吸収するということによって、かつて起こしたような弊をなくしてもらいたい。もうバックグラウンドに存在しませんというのはうそですよ。バックグラウンドに猛烈に陰湿なものが存在しているという前提に立ってやっている、こういう考え方なんですが、大臣、本当にバックグラウンドに存在しませんか、兵庫に存在しませんか。
  49. 砂田重民

    砂田国務大臣 私、兵庫県神戸市の出身でございますが、兵庫県意識としては、いまどき学閥のことに触れて何か話をするおじいさんがあればそれは大ぜいの人の笑い事になっているのが現状でございます。なくなっていると明確に申し上げないのは、そういう方がまだおられるということでございます。姫路、御影、両師範出身の方がそれぞれ同窓会を持っておられることも承知しておりますし、姫路師範ができまして百年のお祝いに私も伺いました。大ぜいの方が集まっておられて、教員大学ができることを大変素直な気持ちで歓迎のあいさつなどがありました。小川委員も学閥のいやな目に遭われた御経験があるので、そのことを解消しなければならぬという非常に前向きのお気持ちからの強いお言葉であろうと思うのですが、わずか残っております学閥意識というものをなくしていく努力を積極的にしなければならないと考えております。兵庫県は二つ師範学校が大変な争いをしたという歴史を持った県でありますけれども、今日兵庫県では全くそのような事態になっておりませんことは、新規採用の数字を先ほど大学局長お答えしたことからも御理解をいただけると思うのです。兵庫県に神戸大学教員大学二つできるが、須田先生が参考人として御出席になりましたときのお話の中に、好ましい影響を与え合う、それは好ましいことなんだ、歓迎すべきことなんだという御趣旨の御発言があったように承っておりますけれども、そういうことに持ってまいりたいと考えているわけでございます。バックグランドに学閥が全くないかといえば、ございましょうけれども、いまごろそんなことにこだわっていたのでは人から笑われることです。わずか残っている学閥解消のためにひとつ一緒に働いてまいりたいと存じます。
  50. 小川仁一

    小川(仁)委員 大臣立場ではそうおっしゃらなければならないということはよくわかります。しかし、現実というものも一方には存在します。やはり職員間の不信感みたいなものや学閥を印象として受けとめるという事実も、大臣考えていただきたい。そうなると、結局は上下の関係をなくするためには神戸大学にもう一つ修士課程をつくり出す。これはまた修士課程の争いになる。大学局長入学者の数でおっしゃいました。私の岩手でも、確かに入学者の数からいえば各県、非常にバラエティーに富んでいます。しかし、就職する段階になると、よその県出身でもその地域に就職するというのもまた非常に多いという状態もあるわけでございます。私の心配が単なる心配で終わればいいのですけれども、特に四十年からの政治公約的うわさの流布、文部省の大学局長以下、知らないなんて言っていますが、何遍か聞かされて、むしろ後ろでやらされたのではないかとさえ私は思うわけでございますけれども、そういうことなどを含めて、非常にこの地域を選定したということに対しての不信感を持ちます。したがって、今後のいろいろな課題を含めてこういう問題をさらに御検討を願いたいと思います。  次の問題に移ります。  教員資質向上ということを前提にしておられますが、向上すべき資質、逆にいうと現在教員資質として劣っているものということになると思いますが、全体的に見て、小学校教員でどういう部分を向上させなければならないとあなた方はお考えになっておられますか。
  51. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 義務教育教員資質向上ということでどういうことをねらうかというお話でございますが、一般的に申し上げれば、やはり教員も学問研究をしていただいて、その研究の過程で教育内容なり方法というものについて十分その能力を高め、結果的に教授力を高めていただくということが資質向上ということだろうと思います。特に小学校の場合は全科担任というたてまえでございますが、現在の免許法も、そうかといって必ずしもすべての小学校先生に一様に八教科全部同じような能力を持つことを期待しているような表現にはなっておりませんが、できるだけ八教科にわたって能力を高めていただくということが一つの課題であり、中学校の場合はそれぞれの教科担任でございますから、自分の専攻とする科目について一層能力を深めていただくということが、われわれの一般的に研修をしていただく場合の目標と考えておるわけでございます。
  52. 小川仁一

    小川(仁)委員 一般論としてはわかります。それで、小学校教員は特に全八教科担当ということですが、教員全体から見て、たとえば学問あるいは教科の指導という場合、どういう教科が資質能力向上の対象になるとお考えですか。
  53. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 現在の免許法の単位修得規定からしますと、小学校先生になるためには八教科全部にわたって教材研究はしなければいけないということになっていますが、それぞれの教科、専門科目の修得については八教科のうち六教科以上ということになって、最低六教科でもよろしい。そのうち音楽、図工、体育という教科についてはそのうちの二つでよろしいということになっているわけでございますが、そのことを裏返せば、特にそういった音楽、図工、体育といった実技を伴う教科については、すべての先生に三領域にわたって達者にやるようにしろというのは無理な場合もあろうかと思いますので、そういう点の研修ということもさらに充実するように努力してまいりたいと思うわけでございます。
  54. 小川仁一

    小川(仁)委員 私も小学校教員をした経験がありますので、確かに、ある程度生来的な能力といいますか資質を必要とする音楽とか体育というものについて、八教科の中で非常に苦労しておる教員が多いと思うのです。そうしますと、いまの全科担任制というかかわりの中で、しかも小学校を考えてみました場合に、小学校の中にはどうしても全科担任をして教育をしていかなければならない幼年教育部分がありますね。幼児教育といいますか、幼年教育、今度の新しい大学院の中でも幼年教育の専門コースをおつくりになっている、こういう部分と、教科内容なり指導要領が求めている、一定の学科になじんできたといいますか学問になじんできたある程度の教科指導、三年以上から六年あたりまでの、一つの大きな意味の区分けができるような感じがするのです。したがって、同じ小学校教員の中でも、低学年を持つ者と高学年を持つ者との養成の違いがあってもいいような気がしているのですが、この点についてはどうでしょうか。
  55. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 御指摘のように、小学校低学年と高学年ではかなり発達段階が異なってきますので、その問題は、たとえば小学校低学年と幼稚園を一緒にして幼児学校をつくったらどうかとか、あるいは小学校の高学年をむしろ中学校につけたらどうかとかいう、いわば学校制度のあり方とも関連する課題だと思うのですけれども、現実に小学校という学校制度を維持していく場合を考えましても、今度の新しい小学校の学習指導要領の改定でも、たとえば低学年では理科的な内容社会科的な内容を合科的に教える方法ということも提案いたしたりしておりますので、先生のおっしゃるように、教員養成のあり方としては、低学年におけるそういった合科的な教育の進め方、それから高学年に至っての各教科それぞれの系統的な領域学習という、両方を十分身につけていただくということが私も望ましいと考えます。
  56. 小川仁一

    小川(仁)委員 そういう望ましい方向だとすれば、教員養成教員大学の中でそういう教員養成するような、何か方法なり考え方というものを大学の方では考えておられるのですか。
  57. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のように、小学校先生の場合には、児童、生徒の発達につきましての全面的あるいは総合的な理解ということと、それから教科の担当ということの二つの要請があるわけでございます。これに対して、現在各既設の養成大学におきましても、免許法の単位をもちろん基礎とはいたすわけでございますが、その上にさらに大学としてカリキュラムの編成の上でいろいろ工夫を加えまして、参考人の方も申しておられましたけれども、特定の教科をいわば専修をするピーク制というようなものを採用して、小学校教育の全般にわたる教養というものと、それからいわば自分の得意な科目についての突っ込んだ学修というものが、両方できるような工夫をしているという指摘がございました。確かにそういった努力が現在各既設の大学では行われていると存じます。
  58. 小川仁一

    小川(仁)委員 そうすると、そういう考え方になりますと、将来、小学校教育充実していく上で、かなり大きく専科担任的な教員養成、配置、こういうふうな課題は文部省としてはお考えになっているでしょうか。
  59. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 現在も、相当学級規模の大きい小学校ですと、教員定数に余裕がございますから専科担任的な教育ができるわけでございますが、問題は小規模の学校で、たとえば現在四学級の小学校ですと先生の数は六人、五学級で七人というようなことでございますから、先生の間でそれぞれ得手不得手の交換によって授業をするというようなことをできるだけ工夫をしてやっていただいていると思うわけでございます。そういうふうな工夫を一層していただきますとともに、将来の課題としては、やはり小規模学校の、これは小学校に限らず中学校も同様でございますが、教員定数配置をどういうふうに改善していくかということは、大きな研究課題にいたしたいと思っておるわけでございます。
  60. 小川仁一

    小川(仁)委員 教員養成と将来課題という形でわかりましたが、現在、教員資質向上という問題を考えますときに、現職教員研修という課題が大きな課題になると思います。こういう研修の総合的な計画、ございましょうか。
  61. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 先生研修につきましては、たびたび申し上げておりますように、国自体が、各教科の内容等についての伝達普及あるいは教育の技術についての伝達講習、図工とか音楽などについても実技講習という形でやってきたわけでございます。そういう研修と、それから各都道府県あるいは国全体における教育研究団体に対して、それらの団体が行います研修活動に対する助成をするというような方法を通じてやってまいったわけでございますが、今後も引き続きそういった研修の奨励、助長ということをやってまいりたいと思うわけでございます。
  62. 小川仁一

    小川(仁)委員 今度の教員大学院、結果論みたいな言い方をして大変失礼ですけれども、大体一県から六人ないし八人平均化してお入れになるような結果になると思います。これは私が思うのですが、そういう形の人たちに大きなお金をかけて研修する、これも大変大事だろうと思いますけれども、それよりも、いま置かれている教員の中の資質向上がうんと大事だと私は思う。この前参考人の西さんですか、非常に珍しい例をお出しになった。生徒が字を書くよりもスピードが落ちているような教員がいる。こういう教員は私は存在しないと思うが、西さんは自分の奥さんが小学校かなにかの先生をしておられる関係でお聞きになってお出しになったと思うが、こういう人たち研修の方が子供たちの一日一日に対して私は大変大事なことだと思うのです。したがって、当面義務教育段階教師の水準を上げるということになると、非常に大事なことは、その人たちの毎日やっている中で資質向上させる方途をとるべきであって、何人かのエリート養成するのに力を入れる段階ではない。重点の置き方が違っているのではないかという感じがいたしますが、大臣、どうでしょうか、教育政策として。
  63. 砂田重民

    砂田国務大臣 西さんの御発言に関連しての小川委員の御発言でございますが、それは私はどっちをということではないと思うのです。やはり教員大学では、教科に関します専門的な学力でございますとか教育理念、方法、あるいは人間の成長や発達についての深い理解、こういう学問的な上積みをしていく、これは大学でございますから。しかし、もしいま御指摘のような先生がありとすれば、それは都道府県教育委員会等が計画的にやっております研修の中で克服していただける問題ではないだろうか。ここ数年の間、都道府県教育委員会でいろいろな検討をしながら、そういう先生方研修の機会をずいぶんふやしてきているわけでございます。その研修の中で克服し得ることである。どちらもまた重要な問題であるというふうに考えるわけでございます。その研修内容等につきましての詳細は、お尋ねございましたならば初中局長からお答えをいたします。
  64. 小川仁一

    小川(仁)委員 日常の研修の予算総額、今度の大学院をつくる予算と対比して、どういうふうな重点的なウエートがかかっているものか、お知らせ願いたいと思います。
  65. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 文部省がやっております研修全体につきまして、非常にたくさんございますのでいま直ちに金額は申し上げかねますけれども、私どもがやっております新規採用教員、これと採用後五年程度の教員、これは全員について研修をするわけでございますが、この国の補助金が約二億五千万程度ございます。それから各種研究団体に出します国の補助でございますが、これもたしか二億五千万ほどでございますからそれを合わせて五億。そのほかに先生の海外旅行をするための補助金、これが十四億ぐらいでございますから、それだけでも二十億近いわけでございます。そのほか各種の、初中教育の課で持っております細かい講習会等の経費が相当あるということでございます。
  66. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教員大学一校の創設にどのくらいのお金がかかるかということでございますが、これはこれから財政当局と詰めていかなければならない部分を相当に残しているわけでございますので、この時点で確実な数字は申し上げられませんが、一応私どもの方で試算をしているところでは、一校当たり施設設備費で百三十億ぐらいかかると見ています。これは土地代が入っておりませんから、土地代を入れると、仮に土地代が五十億であるとすれば一校について百八十億程度かかるということでございます。なお、年間のランニングコストは、でき上がったときで大体三十億円弱程度だと思います。
  67. 小川仁一

    小川(仁)委員 私は当面緊急に教育というものを本気になって考えると、ここにうたわれております資質向上とか、研修、研さんの機会とかというものは、全体の毎日授業をしている教師に対して自由に行わせるべきであって、特定のエリートをつくるためにそういうお金をかけることと、いまの教育政策としてはどっちが大事かという考え方に立ちますと、私は前者をとりたいような気がするのです。  実は、私独自に調査をしてみたのです。二つの調査です。一つは、小学校教師自分の不得意な科目その他で一体どんなふうな勉強をしているだろうか。それから、前から何遍も申し上げております。中学校における免許外の担任をしている教師たちがどのような苦労をしているかということを調査をしてみました。そうしますと、小学校教員の中では、一番困っておられるのは一定年齢以上の女の先生方が体育について非常に苦労しておられる。夏なんかになりますとプールが全部出てきますから、四十を過ぎた女の先生が水泳の指導監督というのはなかなか大変だ。それから、調べてみましたら、音楽が余り上手でない、学校でとても練習する機会がないから、ピアノを買って自宅でやっている、こういったような小学校教師。中学校教師を見ましても、たとえば私の調査したのでは、美術を受け持っている先生が転任の関係で違った学校へ行きましたら国語教官をさせられた。そこで彼は通信教育を受けているが、そのために通信教育費用として大体年二十万、スクーリングその他で十五万ぐらいの費用がかかるし、あるいは国語のいろんな研究書を買うのに図書購入費が月約三万かかる、こういったような苦労をしている人たちがいるわけであります。免許外担任については何遍も申し上げましたからこれ以上申し上げる必要がありませんが、たとえば数学と保体の二つの免許状を持った女の先生が転任の関係で技術、家庭を十五時間も持たされている。そのために、図書購入費はさておいて、単元による経験知識、特に機械や電気の技術関係の知識がなくて非常に苦労している。逆に子供たちが見て笑っているような状態さえ出ている。こういう非常に厳しい教育現場の現実が出ているわけでございます。  私は前に、こういう人たちに対して、免許外担任については自分でどこかへ行って勉強させてもらう時間と旅費を出すことを検討してもらいたいとお願いしておりました。そうじゃないと、その授業を受けている子供たちは気の毒ですよ。そういう現場の中にある問題については、県が倍出したとしても、みんな足してせいぜい五十億程度、一方の数人のエリートをつくる教員大学には二百億ぐらい出している。さっき言ったような、政治的公約か学閥の再現かといったような危惧を持たれるようなものに力を入れる。何か教育政策のあり方として逆な感じがするのですね。ですから、エリートをつくるのを何年かお待ちになって、その予算を思い切っていま言った現場の現実の中に注ぎ込むという気持ちはございませんでしょうか。
  68. 佐野文一郎

    佐野政府委員 現職先生方研修の機会をどのように確保していくかということについては、先ほど来お答え申し上げておりますようにさまざまな態様があると思います。それぞれに応じて力を尽くしていかなければならないことでございますが、大学院レベルの高度の研究、研さんの機会を得たいという希望もこれまた非常に強いものがあるし、私たちはそれは非常に大事なことだと思っております。どちらを待ってどちらをということではなくて、やはり両方を進めていかなければいけないし、大学院レベルの研さんにいたしましても、教員大学大学院だけに限定をすることではなくて、既設の教員養成大学学部の整備あるいは大学院の整備ということをあわせて進めていかなければならないことでもございます。それらをあわせて全体として教員勉強の機会を確保する施策を講じていくということを考えてまいりたいと思います。
  69. 小川仁一

    小川(仁)委員 大臣は両方大事だとおっしゃいました。予算をお聞きしたらこんなに違いがございます。さらに教員大学、その他既存のものにつくり上げていくというとまた莫大な金がかかります。私は、そのことに金を使うことをいけないと言っているのではなくて、いま現実の問題になぜその程度のお金が使えないのかという、教育政策の姿勢を問うているわけなんです。この点、大臣、どうでしょう。
  70. 砂田重民

    砂田国務大臣 先ほどもお答えをいたしましたが、どちらも大切なことでございます。また、金だけで済むことではないように思います。ただ、先生方のより研さんを積み重ねていきたい、そういう勉学意欲にこたえるために、各様の研さん機会を提供をしていく努力をこれからも続けなければなりません。いま、先ほども小川委員が御指摘になりましたけれども、学力的に劣っているということを自覚しておられる先生がある。その先生方の勉学意欲に対して、文部省あるいは都道府県教育委員会が一緒になって、やはりそういう勉学機会、研究、研さんを積んでいただくための研修機会をより一層ふやしていく。そのことは、定員でございますとか予算でございますとか、そういうことの改善を私どもなお一層進めてまいらなければならない点だと考えております。ですから、両々相まっての努力を続けていかなければならないということ、当面の問題もまた長期的視野に立ってのいまからの準備も、双方とも必要なことであるということも御理解をいただきたいのでございます。
  71. 小川仁一

    小川(仁)委員 両々相まってというと、これは予算で政策が決まりますから、予算が大体両方同じぐらいになるというふうに大臣はお考えになっていると理解してよろしゅうございますか。
  72. 砂田重民

    砂田国務大臣 予算、金だけで決まることではないということを申し上げたのも、もう小川委員よくおわかりのところであろうと存じます。
  73. 小川仁一

    小川(仁)委員 私は金だけで聞いているのです。お金の方はどうでしょうかと。心というのは、思ってやっているということは、これはありがたいことです。しかし、現実的にそういう状態をつくり出すためには予算が要るわけです。したがって、両々相まつ片っ方の方の予算も同じようにお考え願えるかということの、予算の方でお聞きしているのです。
  74. 砂田重民

    砂田国務大臣 いまの現場先生方のその当面の研修機会をふやしていく、そのことにどれだけの予算がかかるということも、私ども努力を続けてまいります過程でまた計算もしてみなきゃいかぬことでございましょうけれども、やはり現場先生方研修機会がここ何年間の間にずいぶんふえてきているということは、これはお認めいただける点だと思うのです。なおそれでもまだ足りない点がございますから、これの充実に努めてまいりますということをお答えをしておるわけでございます。
  75. 小川仁一

    小川(仁)委員 ことしは予算が決まりましたから来年度の予算でお目にかかることにいたしまして、また補正予算の時期もあるようでございますから、これでもひとついまの御決意のほどをよく見守ってまいりたいと思います。  それでどうですか、中学校教員研修所じゃなくて教員大学院にお入れになるようですが、免許外担任などをして苦労しておる教員を優先的にお入れになっていくという考え方は、政策的におとりになりませんか。
  76. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教員大学大学院には、もちろん小学校先生だけではなくて幼稚園から高等学校までの先生はすべて受け入れるわけでございます。そのときにどういう方が受験をされるかということについて、大学の方から注文をつけるということはいかがかと思われます。私の方は、大学院で一生懸命勉強をしたいという方が、いろいろな動機、課題を持ってお入りになることでございましょうけれども、そういった動機、課題というものを十分に送り出す方の教育委員会のサイドでお考えをいただいて大学受験をさしていただきたいということを期待をするわけでございます。
  77. 小川仁一

    小川(仁)委員 同意という段階行政的な措置がとられるということが前提でございますから、よくお考えおき願いたいと思います。  それから、受験の体制その他については、山原委員の方から同意問題は御質問がありましたからその部分には触れませんで、ひとつ大学院学生、公務員の身分、こういうものについての関連を、人事院もおいでをいただいておりますので最後に御質問を申し上げたいのですが、これは入学試験を受けて正式の大学院学生になります。同時に、これでいきますというと公務員身分、こういうことになりますが、一体、その人は第一義的にだれの監督なり管理なり指示なりを受けなければならないのでしょうか。
  78. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のように、現職教員である大学院学生は、大学院入学後も引き続いて地方公務員あるいは国家公務員の身分を持つわけでございますから、それぞれ地方公務員法等の適用を受けるわけでございますし、その法令の定めるところによって、教育委員会等の服務の監督を受けることになると思います。しかしそれは、学生としての身分に伴って大学が行う学生に対する監督とは別個の事柄でございます。それぞれの事柄に応じて、その性質に応じて大学が監督をする、あるいは事柄に応じて教育委員会の監督権が及んでいくということになる。それは性質が違うことが同時にあるということにとどまると思います。
  79. 小川仁一

    小川(仁)委員 その違う事柄というのを具体的にお話し願いたい。
  80. 佐野文一郎

    佐野政府委員 たとえば、大学院において出席が常ならずというようなことで単位がなかなか取れないというようなことにつきましては、まず大学のサイドが大学学生に対する教育指導ということからいろいろと配慮をすることでございます。その結果、どうしてもその指導がなかなか及ばなくて、実際に一年たっても単位が取れない、先の修業の見込みがないというようなときにどう判断をするかということも、まず大学大学のサイドで判断するでございましょうし、教育委員会の方はその先生に対する服務の監督というのを別の角度でお考えになるのだろうと思います。
  81. 小川仁一

    小川(仁)委員 なかなか単位を取れないというときに、任命権者がどういう対応をするのですか。
  82. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学の方としてはその先生に対する教育上の指導をするわけでございます。任命権者と申しますか、服務の監督をしておる者が、現職先生大学勉強をしながら十分に勉強ができないという状況についてどう判断をされるかは、これは服務の監督権者の御判断の問題でございます。
  83. 小川仁一

    小川(仁)委員 それで、これは第一義的にどちらにあるかという質問に対して、事柄によって異なる、こういうお話でしたね。そうしますと、事柄一つ一つが出てこなければ判断がつかないようにも聞こえるのですが、いままでの十人足らずの内地留学、内地研修とは違って、今度は制度としてずっと永続する関係がありますので、大学院学生身分というものの確立、ここには大学の自治があり、学問の自由があります。公務員の場合は、これは主として地方公務員の方が多いと思います。国家公務員もあると思いますが、こちらの方の服務の規定がございます。同時に適用されるというのですか、事柄によって違うというのですか。だから私は第一義的にどちらにこういう条件があるかという質問をしておるのですが、どうもまだはっきりしないので、その辺きちっと事を分けて簡単にひとつ御答弁願います。時間がありませんから。
  84. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学院学生に対する教育研究上の指導と申しますか、監督と申しますか、それは大学が行うわけでございます。第一義的には大学の責任において実施をすべきことと思います。
  85. 小川仁一

    小川(仁)委員 人事院にお聞きいたしますけれども、公務員でそういう入学試験を受けて合格した大学院学生に対しての公務員法の適用は、やはり学生身分を除いて公務員法そのもので適用するというふうにお考えでしょうか、どうでしょうか。
  86. 金井八郎

    ○金井政府委員 国家公務員の身分を持った学生について申し上げますと、これは国家公務員法の適用がございます。今度の教員大学だけでなく、他の諸学校もございますけれども、国家公務員法の適用は全面的にいたしております。
  87. 小川仁一

    小川(仁)委員 他の公務員の場合は命令研修というふうな表現の仕方があって、行政の必要上あなた行きなさいと言われる、自治大学でも外国の留学でも。大学院の場合は入学試験を受けて入っているのです。この大学の場合には、当然のことであるが、入学者の決定は大学が行いと言って、大学が独自に入学者の決定を行うということを性格づけているわけであります。したがって、全面的に公務員法が適用になるということは、こちらの第一義的には大学が管理監督するということと食い違いませんか。
  88. 金井八郎

    ○金井政府委員 教育関係、特にいまの教員大学におきまして、確かに勉強するところでございますから、その教育機関としての立場での勉強についてのいろいろの指導と申しますか監督と申しますか、そういうものはあると思います。しかし、同時に国家公務員の身分を持っている者でありますれば、やはり国家公務員法九十六条以下で定めます服務の諸規定については、この適用を排除するわけにはまいらないようになっていると思います。
  89. 小川仁一

    小川(仁)委員 大学の自治というものはお認めになりますね。
  90. 金井八郎

    ○金井政府委員 それはあると存じます。
  91. 小川仁一

    小川(仁)委員 あると思いますじゃなくて、あるのですか、ないのですか。
  92. 金井八郎

    ○金井政府委員 私、実は教員大学の構想につきまして十分に詳しく承知しているわけではございませんけれども、やはり学校設置法に基づく大学でございますから、教育の自治はもちろんあると思います。
  93. 小川仁一

    小川(仁)委員 公務員法を一つ一つについて具体的に伺ってみたいと思いますが、大学学生自治会で役員に選ばれた、学生大会で政治的な活動などを決定された、役員としてその執行をする、こういう場合にどちらが優先いたしますか。これは地方公務員の場合もあると思いますので、初中局長も御返事を願いたいと思います。
  94. 金井八郎

    ○金井政府委員 学生の生活協同組合でございますか、学生がそういうものの役員になる場合に、それが国家公務員でございますと、国家公務員法の百四条で、報酬を得て団体の役員等の職を兼ねる、あるいは報酬を得なくても他の事業に関与し従事する場合には、原則として内閣総理大臣及び所轄庁の長の許可が要ることになっております。(「学生だ」と呼ぶ者あり)いやいや、学生でございましても国家公務員の場合ということでいま申し上げておるわけでございます。
  95. 小川仁一

    小川(仁)委員 地方公務員の場合はどうですか。
  96. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 非常にむずかしい御質問ですから慎重にお答えいたします。  やはり現職のままで大学院へ行くわけですから、一方で地方公務員としての職務監督に服さなければならない。その意味で、地方公務員法に定めてある各種の服務上の制限を受けることは当然であります。一方、大学院学生でありますから、その大学院学生としての学生規則等があるのだろうと思いますが、それに従って行動しなければならない。したがって、具体的にその人が何か問題になるような行為をしたと言えば、その両方の面から検討して対処するということにならざるを得ないと私は思います。
  97. 小川仁一

    小川(仁)委員 だから私は局長にお伺いしたのです。第一義的にはだれにあるかということと、大学の自治があるかということをお聞きした上で聞いているのでありますから、出たものを見なければ仕事にならないとか、両方から規制を受けるとか、どうもわからないのですが、たとえば学生割引というのは適用になるのですか。
  98. 佐野文一郎

    佐野政府委員 もちろん学割は大学院学生に対しても交付をいたしますから、職業人であろうとなかろうと、大学院学生であれば学割を交付いたします。私が先ほど、まず大学が責任を持たなくてはということを申し上げたのは、大学院学生として大学に在学しておるわけでございますし、最も直接的にかつ身近に学生の行動についてタッチしておるのは大学なのですから、大学学生として教育を受けている限りにおいては、大学側がまず教育指導の面あるいは研究指導の面で責任を持つということでございましょう、こういうことを申し上げたわけでございます。ただ、そのことと、公務員法の規定の適用を受けていろいろな政治的活動の制限等の規制が及ぶということとは別個のことでございます。それは別々の概念としてそれぞれ適用があるということは初めから申し上げていることでございます。
  99. 小川仁一

    小川(仁)委員 公務員は他から給与とかいろいろなあれを受けてはならないことになっているのですが、学生割引も一々所属長許可を得ないともらえないのじゃないですか。公務員であるという立場で、たとえば今回の場合は日額旅費ということで一方では旅費を出していますね。学生の割引権は行使できる。都合のいいのはみんな使っていい、こういう形に一つはなるし、もう一つは、大学院の場合には大学院生の自治会みたいなものがあります。これは全国的な組織もあります。これの役員になるときには、さっきのお話だと一々総理大臣以下の許可を得なければならぬ。自治の原則があるのにそういう許可を得なければならない。ここのところがお答えではどうしても納得できないのですが、どうなんですか。
  100. 佐野文一郎

    佐野政府委員 学生としての身分を有するわけでございますから、学生としての身分に伴って学割の交付が行われるわけでございます。学割を行使した場合に日額旅費をどのようにするかというのは、派遣をする側で御判断をいただくことがあるいはあるかもしれませんけれども……
  101. 小川仁一

    小川(仁)委員 本質的な問題を聞いているのだよ。金額の問題じゃない。
  102. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほど来申し上げておりますように、学生としての身分を有し、かつ公務員としての身分を有する、それに尽きるわけでございます。
  103. 小川仁一

    小川(仁)委員 政治活動というか、大学の組織の方は。
  104. 佐野文一郎

    佐野政府委員 公務員としての身分に伴う政治活動の制限と、学生の自主的な活動に対する大学の指導助言の問題とは別途の事柄でございます。別の概念に属するし、それはそれぞれの角度で行われるべきことでございます。
  105. 小川仁一

    小川(仁)委員 私は指導を聞いているのじゃなくて、大学院生がということで、学生自身のことを聞いているのです。
  106. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほど来申し上げておりますように、現職教員大学院学生としての身分と公務員としての身分の両方を持つわけでございますから、それに伴ったそれぞれの指導監督を受けるということでございます。
  107. 小川仁一

    小川(仁)委員 わからないのは私だけだろうかな。  続いてお聞きしますが、国家公務員法でも地方公務員法でもストライキを禁止されておりますね。公共団体の長に対するストライキは禁止されている。地方公務員法で言えば、はっきりしているのは三十七条、地方公共団体の機関が代表する使用者に対するストライキは禁止されている。大学の学長に対するストライキが起こったときにはどうなりますか。大学の学長は地方公共団体の長じゃないですよ。
  108. 佐野文一郎

    佐野政府委員 学生がストライキをした、授業放棄をした場合に、それに対してどのように大学が対処をするかということは、それぞれ大学が御判断になって、学生としての身分に伴う措置というものをお考えになるでございましょう。それは大学としての判断で、学生としての身分に伴うものとして行うわけでございます。これは地方公務員法に規定をしているいわゆる争議行為ではもちろんございません。それに対して、公務員が授業放棄をしたという側面がございます。それは学生として授業放棄をしておるわけでございますが、そういった学園における当該職員の行動に対してどのように判断をするかという側面が、それぞれの地方公共団体なりあるいは国には別途公務員という観点からあるということを申し上げているわけでございます。
  109. 小川仁一

    小川(仁)委員 それでは人事院にお伺いしますが、いまの問題は公務員法の適用の対象にはならない、こういう解釈というふうに、いわゆるストライキ禁止条項には該当しないというふうに大学局長お答えを聞いたのですが、それでよろしゅうございますか。
  110. 金井八郎

    ○金井政府委員 非常にむずかしい微妙な問題でございまして、私どもの方では、原則的に国家公務員の身分を持っておる者、これは職務専念義務がございます。したがって、その職務専念義務を一斉に放棄するというようなケースになりました場合には、国家公務員でございました場合は九十八条二項の適用がないとは申せないと思います。
  111. 小川仁一

    小川(仁)委員 公務員を監督する人事院の解釈と大学をつくられる大学局長の解釈は私は明確に違うと思うのです。公務員のストライキが禁止されているのは、一つは公共の福祉論であります。同時に、そのことによって具体的に国民大衆に、たとえば教育なら授業放棄という形で影響を与えている、こういう形で立論の根拠がなっております。大学内で学生が学長に対して大会決定でストライキをやった。学内の民主化を求めるということが中心だろうと思います。あるいは授業料の値上げ反対ということもあるかもしれない。授業も放棄していない、公共の福祉にも余り影響しない、こうなると何ら禁止する理由はないじゃありませんか。大学局長考え方の方が正しいじゃないですか。
  112. 金井八郎

    ○金井政府委員 一般的に国家公務員法の解釈の考え方を申し上げたわけでございますけれども学校内におけるそういう学生立場で授業を受けないというようなことになりました場合に、直ちにこれが争議行為に当たるというふうには考えておりません。
  113. 小川仁一

    小川(仁)委員 そうすると、大学内におけるストライキは公務員法上の争議行為にはならないと、御両者の意見が一致したと考えてよろしゅうございますか。局長お二人からどうぞ。
  114. 金井八郎

    ○金井政府委員 すべての場合において九十八条二項違反行為が成り立たないというふうになるかどうかは、十分慎重に検討しなければまだ断言できないと存じます。
  115. 佐野文一郎

    佐野政府委員 公務員法の解釈については、私は有権解釈をする立場にございません。ただ、事柄が違うということを申し上げているわけでございます。なお、念のため申し上げますけれども、私は、授業放棄が行われて結構だと申し上げているわけではございません。
  116. 小川仁一

    小川(仁)委員 私も結構だという立場で物を言っているつもりはないのです。公務員法の有権解釈をする立場にないと局長はおっしゃいましたね。私は実を言うとストライキで首になっているのですよ。裁判まで受けて有罪判決などを受けたりして、そういう意味では皆さんからすると余り好ましくない人物。しかし、その過程の中で、公務員法が禁止しているストライキというものの性格を、国の立場から、検察の立場から、法の解釈の立場から、公共の福祉論だけでお聞きしている。直接国民に迷惑をかけるという立場からだけで公務員のストライキ、争議行為が禁止されているという立論でございます。だから、大学内における大学の民主化闘争やその他の闘争を仮にしたとしても、直接子供にも父兄にも迷惑をかけないとすれば、公共の福祉論は成立しなくなりますね。有権解釈にならないと言っても、裁判所の中に文部省の方でも何でもおいでになって証人にもなっておられるし、それから教育委員会も争議行為については文書で指導しておられるのですから、だから法律を知らないような話をしないで、この点だけははっきりしてくださいよ。
  117. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほど申し上げたような限定のもとで私の見解を申し上げますけれども大学の中で学生が自治活動を行うということは、一つのルールのもとで学園の関係を阻害しない限りは尊重されてしかるべきことでございます。また、授業放棄というのはもちろん好ましいことではございませんし、そういうことがあってはならないと思いますけれども学生が授業を一日放棄をしたということが直ちに公務員法の規定している争議行為になるかというと、そうはならないというふうに私は思っております。
  118. 金井八郎

    ○金井政府委員 いまの大学局長の御答弁と同様と考えます。
  119. 小川仁一

    小川(仁)委員 そうなりますと、大学学生の自治活動といいますか、学生活動というのはそういう面では大幅に認められている、こう解釈していいわけですね。私、学生の方を聞いているのですよ。大学の指導のことを聞いているのではないですから、その点ははっきりしてください。
  120. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学で学んでいる学生がいわゆる課外活動としていろいろな自主的な活動を行う、これは、先ほど来申し上げておりますように、一つのルールというものが必要でございますけれども、それが阻害されない限りにおいてはできるだけ尊重されてしかるべきであり、そのことは公務員の身分を有すると否とにかかわらないと私は考えております。
  121. 小川仁一

    小川(仁)委員 それから、公務員法上で上司の職務上の命令に忠実に従う義務というのがありますね。この学生である場合の上司というのはだれに当たりますか。
  122. 佐野文一郎

    佐野政府委員 学生という身分に着目する限りは上司というのはないわけでございます。その場合の、学生である公務員についての上司が、服務の監督をする教育委員会であったりあるいはそれから権限の委任を受けている校長になるということでございます。
  123. 小川仁一

    小川(仁)委員 そうすると、学生として、大学院生として存在している間は、絶えず地教委なり県教委が学生に対していろいろな指示や何かを出すことが可能なわけですか。
  124. 佐野文一郎

    佐野政府委員 理論的には服務の監督権は及んでいるわけでありますから、服務の監督権のもとにあるわけでございます。具体的に大学で勉学していることについて教育委員会がどのような服務の監督をするかということは、事柄が違うというふうに先ほどから申し上げているわけでございます。
  125. 小川仁一

    小川(仁)委員 そうすると、大学の中における学問の自由で、その大学院生が自分の思うような学問をやっているのに対して、そうじゃない、これをやれというふうな形で地教委なり県教委なりが指導するという場合があり得ますか。
  126. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学院において勉強をするということのために本人は来ているわけでございます。その勉強の仕方の内容について教育委員会の方で指示をするということはおよそ考えられないことだと思います。
  127. 小川仁一

    小川(仁)委員 考えられませんね。そうすると、政治的な活動、たとえば大学院生の入っている組織が政治的な決定をする、それに伴う活動をする、こういう場合があり得るわけです。例で言えば、福田内閣打倒なんというスローガン決定を大学院生が自治会でやるという場合に、それに参加し、大学院生の活動として行動した場合、これは大学院生という立場学生の自治権の立場から許容される範囲ですか、それとも公務員法によって処罰される対象の範囲ですか。
  128. 佐野文一郎

    佐野政府委員 そういった政治的な活動を大学がどのように判断をするかということと、公務員法の規定に従ってそれぞれの任命権者なり服務の監督権者がどのように判断するかということは別のことだと思います。大学で問題にしないことについても、公務員法の適用がある以上は教育委員会側が問題にするということは当然あり得ることだと思います。
  129. 小川仁一

    小川(仁)委員 そうすると、大学院の中では、これは学校でありますから思想、信条の自由もございます。学生として、思想、信条の自由で一つの行動に参加し、あるいは行動した場合に、岩手のように、仮に岩手から兵庫の大学院に入っておったとして、地教委なり県教委は全然わからないわけです。こういうのが、一々大学から地教委へ通報して、それによって処分なりあるいは懲戒権の発動になるのですか。それとも、そういうものを大学に委任するようなかっこうをとるのですか。
  130. 佐野文一郎

    佐野政府委員 きわめて具体の御質問で、その辺をどのようにするかというのは大学が判断することだとは思いますけれども、一般的に申しまして、そういった服務上の監督について大学が地教委から委任を受けるというふうなことは法令上ないだろうと思います。
  131. 小川仁一

    小川(仁)委員 通報することは。
  132. 佐野文一郎

    佐野政府委員 それは大学がどのように御判断になるかにかかることだと思います。
  133. 小川仁一

    小川(仁)委員 非常に学生身分というものがわからなくなってしまいました。大変時間が過ぎましたので、委員長、申しわけございません。もっと素直なお答えがいただけるかと思っておりましたけれども、どうも曲がりくねってしまいまして、わかったようなわからないような結果になってしまいまして、大変遺憾でございますから、後でまた同僚の御質問でさらに明確にしてまいりたいと思いますが、大学院生である限り、試験を受けて入学した限り、学生としての学問の自由、学生としての自治の自由、そういうものがあるとすれば、第一義的には学生身分立場での活動、行動が存在をし、公務員法の適用というのは第二義、第三義的に、むしろないという状態学生というものをつくらせていかなければならないのではないか。開かれた自由な大学という観点からいけばそうあってほしいという気持ちがあるために、あえて非常にきわどい質問を申し上げたわけでありますが、大筋において、大臣学生というものに対して、学問の自由、学生としての自治権の自由、学内における思想、信条の自由、こういうものが保障される大学でなければ、大学院自身というものは単なる研修所に堕してしまう。国大協が批判したとおりの、教員行政の手段と化し、一種の教員研修所に堕するのではないかという懸念を持つという、その懸念が存在するのです。どうか、自由に伸び伸びと学生として活動できるような大学、同時に、大学学生身分にしていただきたい。これについて御見解をいただいて、終わりたいと思います。
  134. 砂田重民

    砂田国務大臣 私も、この教員大学は、自由に学問を学べる、いわゆる大学の自由、学問の自由というものの環境の中で、現職先生方も、また学部に入ってこられる方々勉強をしていただきたい、そういう大学にこの大学をしていかなければならない、さように基本的には考えております。しかし、先ほどから大学局長お答えいたしておりますように、同時に、これらの学生は現実の問題として公務員の身分を持つものでございます。それは、初めからどうも小川委員は規制、規制と、公務員であるための規制の方のことばかりおっしゃいますけれども、やはり公務員としての待遇を受けていくわけでございまして、それなくては、私どもが考えておりますような、現職教員としてその立場に立って勉強をしていただきたいという思いが遂げられないわけでもございます。ですから、二つの別々の概念があることは当然であって、それは教員大学に限らず、公務員が大学に入って勉強しているすべての方に当てはまることであると考えます。基本的には、冒頭申し上げましたように、学問の自由をこの大学でりっぱに守って、学園の自治の中で公務員である学生たちが自由にひとつ勉強をしてもらいたい、かように考え、またそのように努力をしてまいることにいたしております。
  135. 小川仁一

    小川(仁)委員 終わります。
  136. 菅波茂

    菅波委員長 午後一時三十分再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時二十七分休憩      ————◇—————     午後一時四十六分開議
  137. 菅波茂

    菅波委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。  この際、佐野大学局長より発言を求められておりますので、これを許します。佐野大学局長
  138. 佐野文一郎

    佐野政府委員 さきの委員会委員長から御指示のありました件についての文部省の見解を申し上げます。  一般に、大学は、現に教職等にある者の大学院等の受験に際して、所属長等の同意書添付を求めております。  教員大学の場合は、大学院受験する県費負担教職員については、その服務の監督をし、研修のための出張を命ずる市町村教育委員会同意書添付を求めることとしたいと考えております。  以上でございます。
  139. 菅波茂

    菅波委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。有島重武君。
  140. 有島重武

    ○有島委員 私どもも基本的には、さまざまな形の高等教育機関が存するということは望ましいことであるというふうに思っております。そして、併存している高等教育機関の中で相互の関連ができるようにする、単位の互換ができるようにする、それにおいては少人数教育が行われるようになる、また生涯教育という立場から見て、年齢にかかわりなく、あるいは卒業年限というもの、資格を与える年限というものに余りかかわりなく継ぎ足しの教育もできていく、単位の累積加算によって資格が取れていくというような方向、これは私たち、大変望ましい、そっちの方向に持っていきたい、こう思っているわけでございます。  ただし、いま審議さしていただいております教員大学の問題につきましては、そういった基本的な高等教育機関全般ということだけからは判断することはできないわけでありまして、まず既存の教員養成における制度的な欠陥、これをどう考え、どう改定し、どう改善するか、あるいは財政的な欠如を充足するために何か具体的な見通しを明確にするかどうか、あるいは現場における教員研修、研究、こういったことにつきましてやはり制度的な問題、財政的な問題、こういったことが改善されていく見通しがどうであるかということ、これがはっきりいたしませんと、にわかにはこれは賛成いたしかねる。また、新しい教員大学構想ということになっておりますけれども、いままでの同僚委員方々が審議を進められてきましたけれども、いま一つねらいが明確になっておらぬような気がするし、それから、そのねらいに対してこの大学院が本当にこれは機能していくのだろうかどうであろうか。それからもう一つ、どんな制度をつくりましても発足当時には多少の混乱が起こるでありましょう、そうした混乱が一時的なものでおさまっていくか、あるいは永続的にしこりを残していくんじゃなかろうかというような問題、こういうようなところが明確になってまいりませんと、軽々にこれは賛同するわけにもいかぬのじゃないかと思うわけでありまして、そういった点からきょうは文部大臣並びに大学局等の方々質問させていただきたいと思います。  それで、最初大臣に、これはほかの委員の方からも御質問があったと思うのですけれども、現在の教員資質能力を向上しなければいけないということは異論のないところでございますけれども、現在の教員資質能力において何らか欠けているようなところ、あるいは不十分と思われる点、これはおありになると思うのですね。そういったものの反省の上に次の施策が積み重ねられていかなければならないと思うわけでございますけれども、こういった現在不足している点は具体的にどんなふうに考えていらっしゃるのか、これをひとつ指摘をして列挙をしていただきたいと思うわけでございます。お願いいたします。
  141. 砂田重民

    砂田国務大臣 基本的なことをまずお答えをいたしたいと思います。  やはり、現場教員方々は専門的な知識にすぐれていていただかなければなりません。同時に、その専門的知識だけではすぐれた資質を持った教師とは言えないだろう。やはりその専門的な知識を教育の対象となります児童、生徒の実態に即して効果的に教授するという、実践的能力を兼ね備えていただかなければなりません。同時に、教員というものの使命感、また教育ということについての愛情、これらのことをすべて兼ね備えていていただきたい。いまそういったものに欠ける教員があるというお話が有島委員からございましたけれども、私は、そういうことに欠けた教師があるということよりは、もっと高度にこれらの資質をすべて兼ね備えてもらわなければならない、そういう考え方から、冒頭に有島委員が御発言になりましたような各種各様の研修機会をこの二、三年の間ふやしてもまいり、また新たな高度の専門的知識を積み重ねる、さらにその専門的知識を実践的能力によって子供たち教育に従事ができる、そういう先生方を育ててまいりますための今回の教員大学構想でございます。具体的なその中身等につきましては政府委員より御答弁申し上げたいと思います。
  142. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大臣からお答えを申し上げましたように、教員としての資質というのは、教員養成段階だけで備わるものでなくて、やはり先生になってからの勉強ということを通じて身についていくものであると思います。養成段階で現在一般的に私どもが御指摘をいただいておりますことは、一つには、実際に教壇に立って子供たちを教えていくということを前提とした、いわば実践的な教育の力というものをより備えるような教育のあり方というのが考えられてしかるべきではないか。それが現在考えられていないというわけではないけれども、たとえば、やや適切を欠くかもしれませんけれども、どちらかというといわば医学の場合の臨床に匹敵する部分が教員養成段階では弱いのではないかという御指摘がございます。そういった実践的な面での強化ということについての御指摘をいただいていると思います。それからもう一つは、これまた一般に御指摘をいただいておりますように、教育に当たる者としての教師として必要な使命感と申しますか、教育愛と申しますか、あるいは教育者としての自覚と申した方がいいのかもしれませんが、そういったことを十分に備えないで教職の門に入る者が多いのではないかという御指摘、その二つを申し上げることができると思います。
  143. 有島重武

    ○有島委員 大臣お話ですと、現在の教員の能力資質においてもそれほど気になることはないんだけれどもさらによくしたいというようなニュアンスのお話であったというように思うのですけれども、それでよろしいのでしょうか。もう少し積極的に、こういった点は指摘される、こういう点も指摘される、これはどうにかしなければならないというような、もう少しざっくばらんに言っていただければ審議がしやすいと思うのですけれども、いかがでしょうか。
  144. 砂田重民

    砂田国務大臣 具体的に大変気になりますことは、既存の教員養成課程を持っております大学等でも学問的な勉強は私はずいぶんりっぱにできてきていると思うのです。ただ、これはいろいろな要素もございましょうけれども、実習機会に余り恵まれない。これはいろいろな事情がございます。免許の制度も絡むことでございますし、実習を受ける側と実習を与えてくれる教育現場の許容量といいますか、こういう問題もございますけれども、そういうところから、専門的な知識は十分修得できても、その専門的な知識を効果的に教授するという実践的な能力に欠けた先生がえてして多くなりがちになっている、そういう現状にあることを各方面から指摘をされるわけでございます。これらのことを今回の教員養成大学によって充実をさせていく、同時に既存の教員養成課程の各大学においてもこれらの点をあわせて将来とも充実を図ってまいる、このことが非常に大事なことであろうと思うのです。そしてまた、私も申し上げましたし、大学局長お答えをいたしましたけれども、そういう教育の実習の経験を数多く踏むことによって、教員としての使命感教育愛というものもまたそこに生まれてくることを期待いたすわけでございます。
  145. 有島重武

    ○有島委員 それで、新しい施策をするのと同時に既存のものも充実なさっていく、両々相まってというようなことがたびたびお話にございました。従来の施策を充実するということは、具体的にはそれでは何と何と、どういうふうにしたいというようなことがあるでしょうか。これは具体的に一体何をするのか、そういうことを承りたい。
  146. 佐野文一郎

    佐野政府委員 既設の教員養成大学は、戦後、いわゆる旧制度師範学校を母体として発足したという発足当時の事情もございまして、教官組織、施設設備が必ずしも十分でないままにスタートした経緯がございます。その後逐年改善の努力をいたしまして、教官の増員、特に教科教育関係の増員を図ってまいっておりますし、あるいは教育工学センターであるとか、あるいは教育実習指導センターというような施設の設置も進めておりますし、また付属学校の整備も次々と進めてきているわけでございます。そういったことによって、従前と比較をいたしますと既設の教員養成大学学部の状況はかなり改善をされていると考えます。今後とも引き続いて、教官組織を充実すること、それから付属施設を整備していくこと、あるいは付属の学校を新設していくこと、そういった措置を進めてまいりたいと思います。特に、現在課題になっております既設の教員養成大学学部大学院の整備ということにつきましても、先ほどもお答えをいたしましたように、本年度の愛知教育大学大学院を置くことに続きまして、各大学でそれぞれ構想が検討されておりますので、そういった御構想も十分に承り、あるいは財政当局とも協議を進めながら、私たちは逐次計画的に既設の大学についても修士の課程を置いてまいりたいというふうに考えております。
  147. 有島重武

    ○有島委員 大体その程度ですか。現在の教育学部に対しては特にこういうふうにしていきたいということはありませんか。
  148. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教員養成大学は現在四十七学部あるわけでございますが、これはそれぞれ置かれている状況、これまでの整備の経過がありまして、大学が抱えている課題にはいろいろございます。やはり大学の方でお考えになって、こういう方向での整備を進めたいということを検討され、そして文部省にも持ち込んでおられるわけでございます。私どもはそれに対してできるだけおこたえをしてまいりたいと考えるわけでございます。
  149. 有島重武

    ○有島委員 いまのお話の四十七校の中で、まあ各学校についていろいろな御要求があるかもしれませんが、際立って重要と思われるものを二、三お挙げいただけますか。
  150. 佐野文一郎

    佐野政府委員 一つには、各大学を通じてのことでございますけれども、現在の教員組織の整備の問題がございます。一般教育を含めまして養成大学教員組織をさらに充実してほしいという要望がございます。これに対しても私たちはできるだけこたえていかなければならないと思っております。ちなみに、四十二年度の教官定員は五千百九十八名でございましたけれども、五十二年度では六千二十二名で、その間八百二十四名の増員が行われておりますが、こういった努力をさらに続けてまいりたいと思います。  教育工学センターについても、これは各大学の御要望の強いところでございます。四十二年度では全く教育工学センターというのは置いておりませんでしたけれども、五十二年度現在では十五置いております。五十三年度は四つさらに置こうと思っておりますが、これも大学の御要望が強いので、こういう教育工学センターであるとかその他の教育研究施設についても、大学の御要望に応じて充実をしてまいりたいと思います。  養護学校等の付属学校は逐次整備をしておりますし、そういった状況については大学側も十分承知しておりますから、これも逐年整備を図ってきておるところのペースで進めていきたいと思います。  やはり大学側で一番問題にしておりますのは、一つには修士課程の問題でございます。五十三年度の概算要求を取りまとめる際に修士課程を置いてほしいという要望をなさった大学が十三ございます。この十三の大学がすべて現時点において修士課程を置き得るほど整備をされているわけではございませんけれども、それだけの御要望があるわけでございますから、私たちもこれにはできるだけ、先ほど申しましたような方針で対応していきたいと考えているわけでございます。
  151. 有島重武

    ○有島委員 教員資質能力という点から言いますと、先ほど大学局長もおっしゃいましたように、確かに養成課程だけでもってこれを云々するというわけにもいかないということになりますと、現場における研修と研究、これは先ほども話題になっておりましたが、この充実ということも大変大切な問題になろうかと思うのですけれども、先ほどいわゆる抽象的なお答えであったので、もう少し具体的に、こういった点とこういった点だけは充実していきますというふうな何かございますか。
  152. 佐野文一郎

    佐野政府委員 今回の教員大学大学院がまずそういった大学院レベルにおける研修の機会を確保するものとして非常に力があると考えますけれども、先ほど来申し上げておりますように、既設の教員養成大学の修士課程の整備というものについて、今後計画的に取り組んでまいりたいということが一つございます。  それから、先生方勉強される場所としては必ずしも教員養成学部大学院に限るわけではなくて、一般の大学の一般学部の上に設けられております大学院において勉強されることも十分に考えられるわけでございます。そういった機会もできるだけ開いてまいりたい。実際、現在の大学院の状況は、一般の学部の中にはえてして現職者の入学を拒んでいるものがございます。大学に入る以上は現職をやめてほしい、これは教員養成系のものにはございませんけれども、一般の大学にはそれらが往々にして見られます。私はそれは大変遺憾なことだと思います。そういった点についても、大学側の再考を求めてまいるといったことを通じて、大学院における現職教員の高度の研さんの機会を広く確保してまいりたい、その中に今回の教員大学大学院も位置づけてまいりたいと考えております。さらに学部レベルにおきましても、これは先日の初中局長の御答弁によりましても、現在、一年以上の者が千名程度勉強しているわけでございますから、そういった学部レベルあるいは専攻科等における研さんの機会についてももちろん充実を図っていくということを考える必要があろうと思います。
  153. 有島重武

    ○有島委員 いま大学局長が言われた最後から二番目のところなんですけれども現職からの入学を一部の大学院等で拒む風がある、これを是正させていきたいということでございますけれども大臣、それはどうやって推進なさいますか。
  154. 砂田重民

    砂田国務大臣 学長会議等の機会を利用いたしまして、文部省から、その趣旨を十分御理解いただき、そのような方向で御協力をいただくようなお願いをしてまいる、そういう努力を積み重ねていくことだと考えております。
  155. 有島重武

    ○有島委員 現在の教員養成はいわゆる開放制ということを言われております。その開放制という言葉の意味なんですけれども、これをひとつはっきりと言っておいていただかないと、開放制という言葉があちらこちら飛び交うわけなんですけれども、お使いになる方々によってややニュアンスが違うような気もするものですから、文部省としては開放制というのは一体どういうことなのか、そのことを明らかにしておいていただいた方がよろしいと思いますが、お願いいたします。
  156. 佐野文一郎

    佐野政府委員 たとえば戦前の師範学校の場合には、これを卒業いたしますと直ちに小学校の本科正教員の資格を得まして特別の地位を占める教員養成を行っていたという御批判を受けているところでございます。戦前でももちろん師範学校を出なければ学校先生になれないということではなかったわけでございますが、そういう状況がございました。現在は、もちろん義務教育レベルの教員につきましては国の養成大学におきまして計画的な養成は行っておりますけれども、しかし、国立の教員養成大学学部の場合も一般の大学の場合も等しく教員の免許状を取得をすることが可能であるし、またその取得をするためには、同じようにその課程についての認定を受けて免許状の授与をするわけでございます。そういう体制を開放制というふうに考えております。
  157. 有島重武

    ○有島委員 何かひとつすっきりしない感じがするのですけれども、免許に必要な単位を与える場所と免許を与える場所とが違う、そういった要素はこの開放制の一つの決定的な性質ですか、要件ですか。性質というよりか要件……。
  158. 佐野文一郎

    佐野政府委員 免許状を授与することができる大学というのは、これは養成大学であっても一般の大学であっても同じように課程認定を受けてその上で免許状の授与をする。免許状の授与をすると言うと適切ではないかもしれませんけれども、免許状の基礎となる養成を行うことができるわけでございます。一般に大学では教養あるいは専門を通じて単位を学生に与えておりますし、その単位が免許法の上で要求されている単位と合致する場合はございますけれども、そのことと、いわゆる教員養成の課程認定を受けて単位を出しているところとは違うわけでございます。
  159. 有島重武

    ○有島委員 その辺のところ、ちょっと歴史的に幾つか変遷があったのじゃないかと思うのですけれども、それを御説明いただけますか。
  160. 佐野文一郎

    佐野政府委員 昭和二十九年から課程認定の制度ができております。
  161. 有島重武

    ○有島委員 この開放制ということのメリットといいますか、それからメリットがあればまあその反対のこともあるわけですけれども、そのことについて大臣はどのように評価をしていらっしゃるでしょうか。
  162. 佐野文一郎

    佐野政府委員 開放制の場合は、御案内のように、特定のいわゆる目的大学だけではなくて、広く大学における教員養成ということを認める。そしてそれを進めることによって幅の広い教養のある人材を教育界に迎えることができる。また教員養成のあり方についても、いわゆる大学教員養成を行うという、そういう積極的な意義がございます。ただ、その反面、現在私どもが非常に問題として考えておりますのは、戦後、高等教育の規模が非常に大きくなったことに伴って、課程認定を受けて免許状の授与に必要な単位を与える大学の数がこれまた非常にふえ、したがって、そこで免許状を取ろうとする学生の数もふえましたために、ことに中学校、高等学校のレベルにおける教員養成のあり方について、いわゆる教育実習の問題その他において非常な困難が生じてきているということがございます。
  163. 有島重武

    ○有島委員 それで、もう一点聞きますけれども、開放制にしたということのねらいは何だったのですか。
  164. 佐野文一郎

    佐野政府委員 やはり、先ほど申し上げましたように、一つには、師範学校を卒業すれば直ちに正教員の資格を得て、いわば特別の地位を教員の中で占めるというようなことは好ましくないということ、それから、従前の師範学校というのは、国が教育方針やあるいは教育内容を法令等によって詳細に規定をしていた、そういうことからいわば一定の型にはまった教員養成したという批判あるいは反省というものがあると思います。そういった点を克服をして、先ほど申しましたように、広く大学のレベルで教員養成を行っていこうというところに開放制のねらいはあると思います。
  165. 有島重武

    ○有島委員 師範学校を出て直ちに教員になるということが好ましくないとおっしゃいましたけれども、それはどういうことですか。
  166. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これが好ましいか好ましくないかということについては、やはり師範学校が置かれていた時点における背景のもとで判断をしなければならないことでございましょうし、師範学校教育というのはそれとしてやはり長所として評価すべきものを十分に持ってはいたと思います。ただ、教員の中で、ある大学あるいはある学校を出た者が直ちに資格を得て、しかもその教員がほかの教員とは違った特別の地位を持つというような、そういうあり方というのは適当でないという反省があるということであろうと思います。
  167. 有島重武

    ○有島委員 ほかの教員といいますと、当時はどういうことだったのでしょうか。
  168. 佐野文一郎

    佐野政府委員 小学校教員以外の中学校教員につきましては、他の大学を出た者も教員になることができたわけでございます。
  169. 有島重武

    ○有島委員 小学校についてはそういうことは全くなかったわけですね。
  170. 佐野文一郎

    佐野政府委員 戦前は、小学校あるいは国民学校教員につきましては免許状主義の原則をとりながらも、特別の事情があればもちろん代用教員の採用を認めておりました。中学校教員につきましては免許状の制度のほかに任用資格制度も併用されて、教員数の一定割合まではそういった資格を持たない者も採用できるというような道が開かれておりました。
  171. 有島重武

    ○有島委員 師範出の方とそうでない方とが何かうまく折り合わないところがあった、それがまずい、そういうことですか。
  172. 佐野文一郎

    佐野政府委員 どう申し上げていいか、ちょっとよくわかりませんけれども、特別の目的を持った学校というものが、いわば閉鎖的に教員養成に当たるというあり方が適切でないという反省であろうと思います。
  173. 有島重武

    ○有島委員 そうすると、目的大学であって、しかも閉鎖的であるというようなことはよろしくない、そういった御反省があったわけですな。
  174. 佐野文一郎

    佐野政府委員 一つには、教員養成というものをそういう閉鎖的な学校制度のもとで行うのではなくて、できるだけ広く大学レベルの、大学における教員養成という形で実現をしたいということがあるわけでございます。
  175. 有島重武

    ○有島委員 それからデメリットの方ですけれども、これは人数がふえて実習などがやりにくくなっておる、それが唯一のデメリットですか。
  176. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほど申しましたのは、開放制のもとにおける大学の規模の増加に伴って、いわば制度のあり方とは別途にその立っている現実が変わってきたことに伴って生じてきた問題点だと思います。デメリットが開放制のもとに制度的にどのようにあるのかという点は、これまた大変むずかしいことだと思いますけれども、先ほどもお答えをいたしましたように、教員になっていく者が備えるべきいわば実践的な指導力というようなものについて、開放制のもとにおける教員養成がどこまでこたえることができるのかという点は一つ問題があるのではないかと思います。
  177. 有島重武

    ○有島委員 そうすると、文部省としては今後とも、いわゆる開放制というその土台の上に教員養成をずっと展開していく、どこどこまでもその線は崩さない、そういうふうに受け取ってよろしゅうございますね。
  178. 佐野文一郎

    佐野政府委員 戦後開かれました、開放制と言っておりますこの現在の教員養成の基本というのは尊重していかなければならないと考えております。
  179. 有島重武

    ○有島委員 現実には、どこの大学を出ても教員になれるとは言ってもいろいろな制限がありますね。ですから、見方によっては開放制と閉鎖制の折衷のように、この三十年間にだんだんまた折衷的になってきておるのではないか。それから、よく疑いを持たれるのは、師範学校的な方向に、事あるごとにだんだんまたそっちの方に寄っていくんじゃないだろうか、そういうように言われておりますけれども、それについて率直に言って、大体そういったようなこともある、そういうふうに見られても仕方がない面もあるということなのか、あるいは断固として違うのか、どちらでしょう。
  180. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御案内のように、戦後におきましても国立の教員養成大学あるいは学部が設けられまして、そこで計画的に主として義務教育レベルの教員養成を行っております。そういう意味では、一般の大学教員養成大学とは確かに違うと言えば違うわけでございます。したがって、戦後の制度というのは、いわゆる一般の大学による教員養成教員養成大学によるそういった計画的な教員養成とが、一緒になって進められてきているということは言えると思います。しかし、この教員養成大学あるいは学部の占めている地位というのは、教員養成の上ではそういった意味での違いはありますけれども制度的には同じように課程認定を受けて免許状の基礎となる単位を出していくわけでございますから、その点では同じだ。戦後の教員養成のあり方を通じて、先ほど来申しておりますように、もっと実践的な教育研究というものが必要ではないかという反省は生まれていると思いますけれども、そのことは、戦前の師範教育のようなものを目指しあるいはその復活を考えるということとは全く異質のものであると思います。
  181. 有島重武

    ○有島委員 現実問題としては、小学校教員の場合にはやはり、開放制といっても実質的にはなかなか、どこの大学を出てもというわけにはいかない。中・高の場合にはやや、さっき理念的に言われた開放制に近い方にある、そういったことはあろうかと思うのですね。それは実は昔もその傾向はあったんじゃないんでしょうか。そういった傾向は避けられないというふうにお考えなのか、それとも、小学校の方もさらに開放的な方向に持っていくべきだとお考えになっていらっしゃるのか、どうでしょうか。
  182. 佐野文一郎

    佐野政府委員 義務教育レベル、ことに小学校レベルの教員の確保ということを考えました場合に、その養成のあり方からいたしましても、やはり、国が全部というわけにはいかなくても、相当部分については計画的に供給できるという体制をとらなければならない。そのことは戦後においても同じでございまして、私たちはそのことをいまでも考えております。ただ、小学校教員養成というのは決して国立の養成大学あるいは学部がもっぱら行うということではない。それは私立の大学において行われることもあるわけでございますし、また現に養成も行われているわけでございますから、事柄の性質上、国がかなりのところまで責任を持って計画的に供給をしなければならぬという性質を強く持っている分野であるということが言えるにとどまると思います。     〔委員長退席、唐沢委員長代理着席〕
  183. 有島重武

    ○有島委員 ということは、私がさっき申し上げたような、小学校の方は大体閉鎖的な方向で仕方がないとおっしゃっているのか、あるいは開放的な方に持っていきたいとおっしゃっているのか、どちらなんですか。
  184. 佐野文一郎

    佐野政府委員 私立の大学で小学校教員養成を実施したいということについては、そのこと自体は結構なことであると思います。ただ、先ほど来申し上げておりますように、事の性質上、国立の養成大学学部で責任を持って供給をすべき分野であるというふうに考えているわけで、将来ともその方向について、いまのあり方をもっと変えて一般の私立の大学でどんどん教員養成を行うようにした方がいいと考えているわけではございませんし、また、もっと私立を減らしてもっぱら国立で行った方がいいというふうに考えているわけでもございません。
  185. 有島重武

    ○有島委員 いまがちょうどいいぐらいだというようなことになるのでしょうか。でも、お話を承っていると、大体小学校教員に関してはそう野方図な、野方図と言ってはおかしいかもしれないけれども、開放制ということは望むべくもない、そういうニュアンスになりますか。
  186. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御案内のように、小学校教員というのは全科を担当するということになっておりますので、教員養成大学なり学部なりを設置していく場合に相当な教官を必要とする、またその他の事情があって、私学ではなかなか対応しにくいという事情があるということでございます。もちろん、私学の中にはそういった問題を越えて養成を行っておられる方もありますし、また、現在は行っていなくても、できれば小学校教員養成をやりたいというお考えを持っている私学の方もいることは承知をしております。そのことはそのこととして結構なことであると思います。
  187. 有島重武

    ○有島委員 やや進んでいきますと、免許基準でございますけれども、免許基準を従来のままにずっと据え置いておくということが望ましいことなのか、あるいはもう少し引き上げる、ないしは改善すべき点があるのかどうか、この辺はどう考えていらっしゃるのですか。
  188. 佐野文一郎

    佐野政府委員 四十七年の教養審の建議におきましても、現在の免許の基準をもっと引き上げるべきであるという方向で具体的な建議をちょうだいいたしております。そういったことからいたしまして、私どもにはそういった免許基準の改善というのは課題になっているわけでございますし、現在の状況でいいと思っているわけではございません。ただ、教養審の建議で示されております免許基準の改善というのは、具体的にこれを実現しようとするといろいろと困難な点があるということで、従来免許法の改正に着手できないでいるということでございます。
  189. 有島重武

    ○有島委員 そのいろいろな困難な点というのは具体的にはどういうことでしょうか。私立の学校が反対をするというようなことでしょうか。
  190. 佐野文一郎

    佐野政府委員 たとえば小学校教員について申しますと、現在の基準は教科、教職を合わせて四十八単位というのが最低の基準として要求されておりますが、建議ではこれを、教科、教職を合わせて七十単位に引き上げるという御提案でございます。国立の教員養成大学学部の場合はこれに対する対応はそう問題はございません。現にそういう状態での単位の修得というのは可能なような状況で授業科目は開設をされていると考えますけれども、私立大学あるいは国立大学の一般学部の場合におきましては、こういう形で教職の科目等をふやしていくということについて、現在教員養成とは別個のそれぞれの大学としての教育を行っておられるわけでございますから、それに及ぼす影響というものがあるわけでございます。もちろんそういったことはお考えの上での御建議とは承知しておりますけれども、実際問題としては、一般の国・公・私立の大学の場合にこれに対応するということについてはかなり慎重を要する問題があるということでございます。
  191. 有島重武

    ○有島委員 いまのお答えは小学校教員に関してですか、あるいは中・高についての問題ですか、あるいは両方含んでですか。
  192. 佐野文一郎

    佐野政府委員 例として小学校を申し上げたのは適切でなかったと思います。中学校教員の場合だと五十四単位ないし四十六単位が現在の基準でございますが、これが七十単位になる。それから高等学校教員の場合も同じく五十四単位あるいは四十六単位が七十単位になるということでございます。問題は主として中・高のところにあると思います。
  193. 有島重武

    ○有島委員 現在の私立学校に関しては非常に難点が多い。国立の教員養成学部と言えるでしょうか、全国に四十七あるそういうところについては、いま免許基準を引き上げるということについては大丈夫だということですか。
  194. 佐野文一郎

    佐野政府委員 国立の教員養成大学学部の場合には、この改善された基準に対応するだけの実質はすでに備えていると考えております。一般の国立大学の場合は、公立大学の場合も同じでございますけれども、私立大学と同じような問題がございます。
  195. 有島重武

    ○有島委員 そうするとやはり難点はもっぱら私学の問題に集中される、そう考えてもよろしいでしょうか。
  196. 佐野文一郎

    佐野政府委員 私学の問題だけではなくて、たとえば東京大学の文学部であるとか理学部であるとか、そういう一般の学部の場合にも同じ問題があるわけでございます。
  197. 有島重武

    ○有島委員 そういったお考えは、学部相互の単位の互換とか、大学相互の単位の互換というような制度が開かれていることを前提として言っていらっしゃるのか、あるいはそういう制度が開かれる以前の時点でもっておっしゃっているのか。四十七年といえば、まさに単位の互換が制度的に開かれた年だと思うのですけれども、その点はどうなっているのですか。
  198. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御案内のように、単位の互換の状況というのは現在主として大学院のレベルで進んでおります。これもきわめて不十分な状況ではございますが、逐年単位の互換の実態は前進をしておりますけれども、免許状を授与するために必要な基礎となる単位の修得について、教職専門のところをすべて教員養成系の学部での単位の履修をもってかえるということになりますと、これは教員養成系の大学の方に実際問題としてそれだけの余裕があるかないかという問題になりますし、単位の互換が進められなければならないことはもとよりございますけれども、単位の互換という制度が開かれたから免許基準の引き上げが非常に容易に対応できるようになるかというと、まだそこまではなかなかいかないと思います。
  199. 有島重武

    ○有島委員 そこら辺の問題なのですけれども、免許基準は引き上げた方がいいということはわかっておるわけですね。大体その方向でやろうと思っておるわけですね。ところが障害がある。それで単位の互換がうまく導入されれば免許基準の引き上げもやりやすくなるということはありますね。ただ、現在の単位の互換というのはきわめて遅々としておる、現実的にはなかなかそうもいかないでしょうというようなニュアンスのことなのでしょうか。積極的に言えば基準を引き上げた方がいい。いまのお話はもっぱら大学都合お話ばかりなのですね。教わっている子供たち立場から言えば、いい先生に来てもらいたい、しっかりした先生に来てもらいたいと思っておるわけです。そのために、制度を変えるところはどんどん変えてもらいたい、運用できるものはどんどん運用してもらいたいと思っておるわけです。単位の互換制の導入ということについて、それを考え合わせれば免許基準の引き上げも可能ではないか、こう申し上げたいのだけれども、どうしてもだめでしょうか。
  200. 佐野文一郎

    佐野政府委員 現在の大学は、卒業に必要な百二十四単位を前提としながらそれぞれの大学でカリキュラムを組んでいるわけでございます。その中で教員の免許基準を改善し、教科専門なり教職専門なりの単位数を上げていく、ことに教職関係の単位数を上げていくということが課題になりますが、それを上げることが、現在の大学全体の教育の枠組みの中でそれぞれの大学の専門教育にどのような影響を及ぼすかという点が問題としてございます。もちろん、単位の互換という制度が十分に行われるようになってまいりますれば、そういった点について現在よりも違った形での単位の修得の道が開けるということは御指摘のとおりであろうと思いますけれども、それでは単位の互換をもって一般的にこれだけ数の多い大学における教員養成の上での問題に対応できるかということになると、先ほど申しましたように、それだけでは対応できないということになるわけでございます。
  201. 有島重武

    ○有島委員 私も行く行くは、各県にあります教員養成大学学部というものが、私立を含めて単位互換の一つのセンターのように機能していくべきじゃないだろうかと思うのです。開放制をどうしてやったのかということの中には、より広い教養ということもありますし、さっきそのお話はなかったと思うのだけれども、より深い専門性ということもあろうかと思うのです。しかも、教員として一番基礎になる学問研究ないしは実習が要求されてくるということになりますと、そっちの方向を進めていこうとすればこれはどこの大学だって無理に決まっているわけですよ。広い教養と深い専門性、それからまた教員としての一つの専門性というようなことを全部充足するなんということはきっとなかなか進められないでしょう。だけれども、それも進められないからと言って中途半端にしておくか、いや進めるのだと言ってそれにはどうしたらいいのだろう、単位互換の道を開いていこうという方がぼくは積極的だと思うのですけれども。その方向はやはり勇敢に、そっちの方向に進むぞと言われれば、これは来年、再来年というわけにはいかないかもしれないけれども、ここ五年、十年の間にはずいぶん違った様相が出てくる、一つの道が開けてくるのではなかろうか。私たちとしては提案になってしまうけれども、そういうように思うわけです。これは大学局長よりも大臣からお答えをいただけますか。
  202. 砂田重民

    砂田国務大臣 私どもの願っておりますことと有島委員が御指摘になっていることは、やはり同じことを目標とはしているという気持ちがいたすわけでございます。昔の閉鎖的な教員養成制度よりはいまの開放的な教員養成制度の方がやはり広く人材を求められるということ、それから一般的な教養もまた身につけて教壇に立ってもらいたいという気持ち、いま有島委員がおっしゃった子供の立場に立って考えても、私は現在の制度の方が昔の制度よりもずっとこれはすぐれているという気持ちを持つものでございます。ただ、免許基準がいまのままでいいかと言えば、各方面からどうもいまの免許基準では頼りないぞという声が上がっていることは事実でございます。しかし、免許基準をただいたずらに高いところに設定をする、そのことがせっかくの開放制の窓口を狭めてしまうことだけになるのもまた困ったことでございます。いま有島委員がおっしゃった単位の互換制という制度の道が四十七年から開かれまして、徐々にではございますけれども単位の互換制をとる、それは大学院で見られている現象でございますけれども、ふえてまいっております。こういうことがだんだん進んでまいりましたならば免許基準を引き上げるための一つの糧になるということだけは申し上げられると思う。やはりこういった点は総合的な角度から検討いたしまして、免許基準の問題もこれからの重要な検討課題として考えていかなければならないことであると考えるものでございます。
  203. 有島重武

    ○有島委員 大臣、せっかくお答えをいただいたわけなんだけれども、単位の互換制が進んでいきますならばということなんですけれども、こちらはいかせていただきたい、こう思うわけなんだな。それは大学の方の御判断によるというようなこともございますけれども、いまの免許基準でも厳密に実施していこうということになれば私立大学の方でもいろいろ用意はしている。私立大学はやはりそれぞれに特徴、特性を持ってよろしいわけですから、この点には強いのだけれども実はこの点には弱いのだよというところはあると思うのですね。それを、そういうことを言ってはいけないだろうというので皆伏せてある。伏せてあるけれどもみんなは知っておるというようなことがあると思うのですね。そういうようなことでもって、基準に合わせるためにいろいろ義理立てをしているような状況からひとつ脱皮をして実質的に本当に中身を充実していくためには、欠けたるところはこれだけ準備している、これは国立の方でございますからその単位の互換は受け入れられますよ、そういうところをおつくりになるということは、文部省としても本気でもってできることだと思うのです。そういうことを一発進めていくのだということになれば、大学院の方もやるのだ、ああなるほど両方やるのだなとぼくたちも納得できるわけです。何か具体的にこうだということの一つといたしまして、四十七あります教員養成学部、これをひとつ単位互換受け入れといったことを一つ前提として充実してみる気はありませんか、こう申し上げたいわけです。いかがでしょう。
  204. 砂田重民

    砂田国務大臣 単位の互換制という道を開きましたときには、当然それはそれなりの期待感を持って道を開いたわけでございます。この単位の互換制ということを取り入れる大学が徐々にふえてまいっておるわけですが、必ずしも現状、四十七年に道を開いたときのような期待どおりに進んでいるとは思いません。単位の互換制が広く各大学において取り入れられる、そのことだけが免許基準を改定することを可能ならしめるものであるとも言い切れない。しかし、免許制度、免許基準というものの改善に一つの役立ちをしてくれることは間違いないと思いまずので、四十七年に道を開いたときに持ちました期待といいますか、そういう期待にこたえてくださるような各大学での単位互換制の取り入れを進めていただけるような努力を私どもも引き続いてやってまいります。いまこれは有島委員からもおっしゃいましたけれども大学当局のお考え、御判断が大事なことでございますから、指揮監督ということではありませんけれども、そういう指導助言を続けてまいる、その努力をしてまいるということだけはお答えができることだと思います。
  205. 有島重武

    ○有島委員 大学局長に伺いたい。大臣がいま、四十七年に道は開かれたけれども単位の互換は期待するほどおいそれとは進まなかったという御発言でございましたけれども、なかなか期待どおり進まなかった主な原因は何だったのですか。
  206. 佐野文一郎

    佐野政府委員 単位の互換制度が効果的に実施されるためには、それぞれの大学の間で単位を互換をすることが、お互いの大学にとってメリットになりまた学生もそれを歓迎するだけの実態がなければ行えないことでございます。そういう意味で、それぞれの大学において特色のあるピークが立っていくということを前提にしないと単位の互換というのはなかなか進まないと思います。そういう意味では、現在進められております埼玉大学の工学部と東京大学の工学部と千葉大学の工学部の間で行われている互換というものは、それぞれの大学のピークというものを十分に意識をして、まさに相互交流の形で行われております。こういう形での互換が行われることを単位の互換制度も意図をしているわけでございますし、そういう方向でやはりそれぞれの大学における特色のあるピークというものを育てていく、そういう施策を私たちは講じていかないと単位の互換というのはなかなか実質的に前進をしないだろうと思います。先ほどの教員養成関係の単位の互換では、たとえば東京芸術大学の音楽の関係のところへ地方の国立大学教育学部学生勉強に来て、そういう形で単位の互換が行われている実態はございますけれども、これもやはり東京芸大の音楽という、そういう一つのピークというものがあるからこそそれを前提にして行われている互換でございましょうし、できるだけそういう方向での努力を続けたいと思います。
  207. 有島重武

    ○有島委員 大臣、まさにいま大学局長が言われましたけれども大学がお互いにこれはメリットがあるぞと認める、お互いに大体同レベルであって、しかも一つの、いまピークとおっしゃったけれども、こっちの点では断固すぐれている、これはこちらがすぐれているということが前提でございますね。いま工学部について千葉と東京と埼玉のお話がございましたけれども、いま話題になっている教員養成ということについてもまさにこれは言えるんじゃないかと私は申し上げたいわけです。たとえば、さっきの開放制というのは、広い教養、それから専門性、学究的な精神ということと教育実践ということがあるわけですね。それで教育実践面、小学校先生でも十分やっていかれるという特徴を持っている大学というのはいま各地方の教員養成学部のわけでございますから、そこのキャパシティーを少し広げてあげれば、私立でも、それからほかの理学部であろうが文学部であろうが、中途半端でいろいろな基準に合わせたことをアクセサリーみたいにくっつけて間に合わせるようなことをしなくても、向こうは向こうでまた一つのピークを出してくることができる。そういうふうにその道をだれかがどこかで開かなければならないと思うのです。いま、行き詰まったとは言えないかもしれないけれども教員養成は国民の重大な関心事でございますから、この問題を投げかけて望ましい方向に持っていってみる、そういった御決断と、以後の努力をいただきたいと思うわけなんだけれども、どうでしょうか。
  208. 砂田重民

    砂田国務大臣 先ほど有島委員から、いますぐにやれることでなくても長期的な展望に立ってというお話がございました。まさにそういう問題だろうと思います。大学当局、大学側のお考えもあることでございましょう。それだけになかなかすぐに手のつくことではないかもしれませんけれども、御提案の御趣旨は私どもも十分理解ができることでございますし、今後も努力を続けてまいりたいと考えます。
  209. 有島重武

    ○有島委員 それが砂田文部大臣の単なるリップサービスだと私は思わないからあれですけれども、そういうことを本当に進めていただけるのであったらば、全体の位置づけの中にこういった大学院大学あるいは教員養成大学をまた新しくつくっていく、そういったことも意味があると思うのですよ。それが単なるリップサービスみたいに終わってしまうと、何だこれは、いろいろできないものだから、できるところだけ、一番目につくところだけをちょっとやっておこう、老婆心みたいなものだけれども、そういうことに相なってはならない、それを非常に心配しているわけです。では、それはお願いします。  それから、これも先ほどからお話に出ておりますけれども教員養成課程における教育実習の重要性ということを大変強く認識していらっしゃるようでございますけれどもそれがなかなか思うように行えないといいますか、行ってはいるんだけれどもやや名目的、形式的に終わっているということを克服するために、いまどのような努力を払っていらっしゃるんだろうか。
  210. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これも先ほど来御議論がございます開放制のもとで、中・高のレベルでことに学生数がふえ、免許状を取りたいと思う者がふえていることに伴って出てきている非常に困難な問題でもあるわけでございます。事柄が二つあると思います。教養審の建議にもございますけれども、教養審も現在の教育実習の単位はもっと引き上げろということを御指摘になっております。そのことはよくわかりますけれども、現在のような実態のもとで教育実習の単位数を引き上げるということには非常に問題がございます。やはり教員養成制度自体の改善ということあるいは改革ということを前提にしないと、十分に行き届いた教育実習ができないではないかという基本的な問題があろうと思います。しかし、そのこととは別として、現行の制度の枠内でもできるだけのことはしなければなりませんし、現在そのことの検討を懸命に進めているわけでございます。  一つは、大学として現在、ことに一般の大学の場合には各学部においてばらばらに教育実習をするわけであります。この点を何とか学内の体制を整備して、学内として、少なくともその大学としては統一をした計画のもとに教育実習に当たるような、そういう体制をとってもらえないかということ。それから、大学、実習校、あるいは教育委員会等の関係機関の密接な連携を図っていただくために、それぞれの地域において地域連絡協議会のようなものを考えて、そこで大学と受け入れ側との協力関係をもっと緊密にし、円滑にしていただくことができないか。それから、大学側としては教育実習に送り出す学生をもっと精選できないか。これは、免許状を取得するために必要な単位について、教職の単位は十分に取れているのかとか、あるいは教科の単位についても十分に取れているのかというようなことについて、現在でも大学によっては自主的に試験等を実施してチェックをしておるところもございますけれども、そういったそれまでの学生勉強の成果というものを大学の方で十分にお考えになって、そして本当に教員になりたいと考えている考を教育実習に送り出すような、そういった実習生の精選ということがお考えいただけないか。さらに、教育実習のあり方自体についても、大学でもっと十分な実習ができるように、オリエンテーションなりあるいは帰ってからのアフターケアなりをやってほしい、あるいは教科の教育内容自体についても大学はもっと改善をしてほしいということがございます。そういったことは現在の制度の枠の中におきましてもできることであるし、またやらなければいけないことでございますから、そういった点の努力を当面は極力進めてまいりたいと考えているわけでございます。
  211. 有島重武

    ○有島委員 極力進めるというのは、どんなふうに進めるのですか。
  212. 佐野文一郎

    佐野政府委員 一つは、これについて現在教養審で御検討をいただいております。教養審からも私がただいま申し上げましたような方向での御示唆がいただけるものと考えておりますけれども、そういった場を通じて、大学の関係者の間に実習というものについての改善の意欲というものをつくってもらうような努力をしていかなければなりません。実際問題としてはなかなかむずかしいことではあっても、しかし、あらゆる機会に問題を提起することによって、そういう方向での改善を進めることはできないことではないと考えております。
  213. 有島重武

    ○有島委員 確かにいまおっしゃったことに尽きていると言えば尽きているのかもしれないけれども、もう少しざっくばらんといいますか、どろ臭く言えば、受け入れ側と出す側と二つある。受け入れ側にとっては、やたらな実習生さんたちが来られるのは迷惑であるということが実態的にあるわけですね。それから送り出し側も、それは一々現場までついていって指導してくれるなんということはとてもとてもできません。手が足りない。そういうこともあるわけですね。オリエンテーションだとかアフターケアだとかいうことは努力でもってある程度できるでしょう。それにしてもそういう二つのことじゃないかと思うのですけれども、どうでしょうか。
  214. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のような方向での努力が必要であると思います。
  215. 有島重武

    ○有島委員 努力というか、いまのは認識の問題なんですけれども、受け入れ側では、それは付属校はもちろんその目的でもってやっておられるのですからこれは歓迎でしょう。だが一般の特に中学である、高校である、こういったところは、いわゆる受験体制の中に組み入れられたカリキュラムの進め方をしていらっしゃるところですね。そういうところに、平たく言って余り訓練されてない方々が来て授業を受け持たれる、これはその中学、高校の現場にとってはやや迷惑なことである、そういうようなことが大きな要素になっているのじゃないでしょうか。
  216. 佐野文一郎

    佐野政府委員 現在の学校における受験体制という御指摘がございましたが、そのことが教育実習の受け入れについて非常にネックになっているのだというふうには私どもは必ずしも考えませんけれども、やはり小学校、中学校あるいは高等学校がよほど大学の側と十分な連携がとれ、また大学側も責任を持って指導をしてくれない限りはそう軽々に教育実習を受け入れるわけにはいかないという構えを、良心的な学校であればあるほど持っておられるということは事実でございます。
  217. 有島重武

    ○有島委員 そうすると、縁故をたどって田舎の出身校に戻るなんということは、それを受け入れたところは余り良心的な学校じゃないということになってしまうわけなんだけれども、それはちょっと酷な言い方じゃないかと思うのですね。これはひとつ現場の方から本当にお確かめいただいた方がいいのじゃないかと思うのですね。なお報告をとるとか調査をするなんというようなかたいことになりますと、確かにそう無責任なことはできないからというようなことになろうかと思うのです。これは校長さんなり何なりの、何といいますか、表向きといいますか、お役人から聞かれればこう答えなければならないというような、公式的な答えはそうなるかもしれないけれども、実態を少しお調べになった方がよろしいのじゃないかと思うのだけれどもどうですか。
  218. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教育実習の実態につきましては、これはごく限られたサンプリングでございますけれども、私どもはかなり丹念に調査をした経緯がございます。その結果によりましても、小学校はともかくといたしまして、中・高の場合には、先ほど申しましたような、特に毎年あるいはその年に大学側といわば提携をして、協力をして、教育実習を計画的に受け入れようとするような、そういう実習校に学生を出しているというところは非常に少ない。やはり御指摘のように、自分の母校へ行って実習を受けるというような者のパーセントが非常に多いということは具体的に承知をしております。
  219. 有島重武

    ○有島委員 母校に行っても、これは仕方がないから、じゃ受け取りましょう、そういうような感じになるわけですね。どうしてそれを喜ばないのか。どうして喜ばないのかと言うとおかしいけれども、やや迷惑に思う。それは本当は、先生なんですから、教員方々なんですから、後輩を育てていこうという気持ちはある方々なんですよ。だろうと思うのですね。ぼくの聞き知っている限りでは皆さんそうなんだけれども。だけれども迷惑なんだ。何で迷惑なのかというと、やはりちゃんと進んでいかなければならないんだ、それが乱されるんだというようなことですね。それでもって少々乱されたって、それをまたもとへ戻していくというのも一つ勉強じゃありませんかみたいなことを言っても、いや、それは理想論としてはそうなんだけれども、とにかく受験というものを控えておりますからということが、ぼくの知っている限りではそうです。ですからサンプリングとかなんとかということもあるかもしれませんが、じかに少しお調べいただいた方がいいのじゃないかと思うのです。これは初中局長もそうかもしれないし、それから大臣も何か折があったらお聞きになっていただきたいと思うわけです。  そこで、教育実習は大切だというのですけれども教育実習の目的といいますか、効果といいますか、これはどの程度に、どういうふうにお考えになっていらっしゃるのでしょうか。
  220. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほども大臣からお答えを申し上げましたように、大学勉強をする、大学の授業を通じて得られた教科なりあるいは教職に関する理論というものを、実際の経験を通じて教育に適用するための実践的な能力の基礎を養う、そういうことが教育実習のまず目的になっていると思います。そのことを通じて学校教育の実際に関する体験的あるいは総合的な経験が得られる、あるいは自分教員としての能力、適性についての自覚というものが得られる、そういったことにも重要な意義がございますでしょうし、特に、こうした教育実習の機会に、教員にとっては非常に大切な教職に対する使命感であるとかあるいは教育愛であるとか、そういったものが啓発され深められる、そういったことにも非常に大きな意義があり、また効果があるものと考えております。
  221. 有島重武

    ○有島委員 教員にとって使命感教育愛、こういったことが大切であるというお話最初からありました。私たちは、教職というのは使命職である、そういうふうに規定をするといいますか、その辺が一番の基本だと考えているわけですけれども、その使命感とか教育愛というようなことをどうやったら触発できるか、どうやったらば陶冶することができるか、あるいはそういうことについて何か評価する基準はあるかどうか、こういったことについてはいかがでしょうか。これは大臣に承りたい。
  222. 砂田重民

    砂田国務大臣 教育実習の改善充実につきまして、幾多の重要な問題解決点を見出してまいらなければならないところでございます。いま有島委員が特に御発言になりました、教育実習の改善充実のために特に使命感教育的愛情を養う、そこの問題点を御指摘になったわけでございます。私は従来から、有島委員の特殊教育に関する実習、こういう御提案を幾度か伺ってまいったわけでありまして、こういう特殊教育に関する実習を推進してまいりますことは、まさに教育の原点に立っての使命感教育的愛情を養うためにきわめて重要なことである。有島委員の従来の御提案を実はりっぱな御見識に基づくものであると敬意を表しながら拝聴してまいったわけでございますが、ただ、教員免許状の取得を希望する全学生に対して、特殊教育学校、小・中学校の特殊学級にいま直ちにこれを必修として義務づけるというようなことの大変な困難さは、これはもう御理解いただいていると思うのです。そしてまた、国立の教員養成大学学部におきましては従来から特殊教育に関します教育研究体制等の整備が図られてきておりますいまの現状も御理解いただいていると思いますので、この中身のことには触れませんが、そこで、教育実習改善のために非常に重要な一つの柱として特殊教育充実を推進させていくということを考えました場合に、国立の教員養成大学学部におきます教育実習のあり方として、特殊教育学校や小・中学校におきます特殊教育学級におきます教育実習を組み込んでいくように、これらの大学学部で構成をされております日本教育大学協会という協会がございますが、文部省として積極的にこの協会に御相談を進めまして、さらにそのような教育実習の教員養成に果たす意義や効果、またその実習の内容、方法等について十分な研究を進めてまいりたい。そういう目標を定めまして、日本教育大学協会に文部省から積極的な御相談に出張っていく、こういうふうにしたいと考えているものでございます。
  223. 有島重武

    ○有島委員 大分先の方まで答えていただいて、一歩踏み出していただけるということは大変喜ばしいことであると思います。  いままで言われておりましたことは、特殊教育に参加するということはそのキャパシティーが足りないだろうというようなことが一つあった。それから、実習生が心身障害児なりあるいは特殊教育を受けられる方々に対して十分な何か基礎的な知識を持っていなかったならばそこには入っていかれないんじゃないかというような問題もあったわけです。それから、普通の教育でさえ乱してしまうのが、もしも不用意にそういうデリケートなところに入っていけばかえって現場先生方は大変な手間になるんじゃないんだろうか、御迷惑になるんじゃないんだろうかというようなことがあった。だけれども、私の調査いたしました範囲においては、幾つかの教室を拝見したり、それからその先生方お話を承ったのでは、極端なことをいうと高校生の方々が手伝いに来てくれても受け入れ側では助かる、そういうようなことがございました。ですからそれほど神経質に、オリエンテーションをしっかりしてから送り出すというようなことでないようなこともやってみたらどうかと思うわけです。ちょっと手洗いに行くというようなことであっても、一人のお子さんが行ってくるのが大変手間がかかって、十分も十五分もかかったりするわけであります。二人の先生でもって七、八人のお子さん方を見ていらっしゃる、そこでは一人の子が便所に行くというとそれでもうその授業はずっと停滞してしまうようなことがあったり、それからきわめて単純な繰り返し作業をそこでやっているわけなんで、とにかく子供と仲良くなるということさえできれば後は根気の問題である。現場は別にむずかしい児童心理学の問題ではないんですね。本当に単純作業の繰り返し繰り返しです。それからもう一つは、そのお子さん方の家庭との接触ということも重要なことになってくるわけであります。ですからそういった経験をさせるということをぜひとも進めていただきたい。いま言われましたように、それを全部が全部押しつけるというか、決めてしまうということは無理でしょう。ですから、教育大学からひとつそれをお始めになっていくというような方向に御推進いただけるということは、一つの道が必ず開けていくのじゃないだろうかと私も確信するわけです。  それからもう一つは、教育実習によって得られるものは何かということですが、技術的なことというのは現場に入って半年、一年と積んでいくうちに本当に身についてくることだろうと思うのです。教育実習の方は、それが二週間にしろ四週間にしろあるいは八週間にしたところでどうせ短期間のことでございますから、短期間のことというのは、それをどういったことまでどういうふうにやったということよりも、やったかやらないか、本気でそこに取り組めたか取り組めないかというようなことが後々になって自分一つの支えになってくる。あるいは、この間も参考人からの御報告ですと、実習に行ってきた後の大学での授業の受け方というものが大変真剣になってくるとか、そういったような効果が非常にあるようです。あるいは、いろんな勉強をして三年なり四年なりになって、実習だからやっておかなくちゃいけないというのでやっていくというようなことよりも、なるべく低学年でもってやっていく、そういうことが教育審ないしは国大協の御見解の中にもあったようですけれども、ひとつこれは進めていっていただきたいとお願いをいたします。  それで、時間になったようですから、あと現職教員研修と研究は一体どのように充実していっていただけるか、そのことを具体的に少し掘り下げていきたいと思っているわけですけれども、これは同僚議員がもう一回チャンスがありますのでそのときにこの問題に触れさせていただくようにしたいと思いますで、きょうはこれでもって打ち切ります。
  224. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長代理 湯山勇君。
  225. 湯山勇

    ○湯山委員 同僚委員に引き続きまして、教員大学、特に大学院の問題についてお尋ねいたしたいと思います。  いま有島委員から御質問がありましたように、私も同じような前提で、果たしてこの教員大学大学院としての機能、それから教育の実践面の向上進展に役立つかどうか、それらの点で疑問を提起していろいろお考えを願いたいということと、それに関連して私なりに考え方もございますので、それも申し上げて御批判をいただきたいと思います。  まず第一番目には、今回の教員大学、特に大学院についてでございますが、これは当然学校教育法六十五条の「大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与することを目的とする。」これに合致した大学院であるかどうか、これからまず承りたいと思うわけです。
  226. 佐野文一郎

    佐野政府委員 もとより学校教育法のもとにおける大学であり、大学院でございます。御指摘大学院の規定を受けて、そのような大学院であることを期してつくるものでございます。
  227. 湯山勇

    ○湯山委員 この学術の理論の深奥をきわめるというのは、教育学を指すわけですか。
  228. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教育学と言って果たして適切であるのかどうかについては、私ちょっとためらいを感じますけれども、普通の場合であれば教育学の研究科ということでございますから、そういう広い意味教育に関する学ということではございます。
  229. 湯山勇

    ○湯山委員 学問の究極をきわめていくというのはやはり学というものの概念がしっかりしていなければならないと思うのですが、大体教員になるためには教育学を修めなければならないとお考えですか、そうお考えになっていらっしゃらないのか、局長のお考えではどうなんでしょう。
  230. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教育学ということをめぐりまして、教育学という学問が学問として成立し得るのかどうかということについて他の学問分野よりも議論があるということは事実であろうと思います。これはやはり教育学が他のいろいろな学問分野に比べて歴史的に浅いということもありましょうけれども、もっと問題がむずかしくなっているのは、一つには、教育内容が他の学問分野の成果に依存をしているというところがあるからであろうと思います。たとえば理科教育内容は、ある場合には物理学の、ある場合には生物学の成果に負うところが大きいという意味においてでございます。しかし一般に、学問が成立をするのは、何のために何をどのように研究するかという、そういった要件が一つの広がりを持ち、深みを持ち、説得力を持って成立する場合にそれが学問ということになるのでございましょうから、したがって、何のために教育という営みをするのか、あるいは教育内容をどのように子供に定着させていくのかということは、ほかの学問とは違った独自の性質を持つものでございますし、こういった点から教育という営みを理論化し、あるいは研究をしていく場合の固有の学問としての教育学の成立というのは十分に考えられ、また研究対象になると思います。そういうとらえ方をしていく限りにおいて、やはり先生になる方というのはそういう意味での教育学というものを身につけていくというか、研究の対象としていくということが必要であろうと思います。
  231. 湯山勇

    ○湯山委員 これは哲学の問題であるし、価値判断の問題で、非常にむずかしい問題ですけれども、私は、大学院で研究をする学問というものはやはり真理の追求という原点を失ってはならない、そういう意味で、いま局長は非常に素直に、学としていろいろ議論があるということですからこれ以上この問題はお聞きしないでいくことにいたします。  ただ指摘しておきたいのは、免許法ですね、教員になるために必要な教職に関する専門科目、その中には教育学というのはないのです。ただ、あなた方の方で実験科目、実習科目、こういう区別をしておる中には遺憾ながら教育学というのがあるのです。これは一体どういうことなのか。実際に修得しておる単位の中に教育学はない。教育原理となっています。原理というのには意味があるので、赤ん坊が生まれた、お母さんが子供を育てていく、その中にも教育があるし、それから兄さんが弟を、一緒に生活していく中でいろいろ教育するものもありますから、教育原理というものはそれはそれなりに意味があります。しかし、教育学ということになればそれは別なので、この辺も、局長は、大学院学校教育法六十五条の学問の深奥をきわめる、その大学院に違いないと言うけれども、やはり言い切れないものがあると私は思いますから、御指摘だけしておきます。こういう問題が一つあること。  それから第二の問題です。いただいた「教員大学大学(仮称)の構想の概要」これは、いまもこれに基づいてお聞きしたので、間違いありませんか。
  232. 佐野文一郎

    佐野政府委員 差し上げてある資料に従って検討を進めているわけでございます。
  233. 湯山勇

    ○湯山委員 それじゃお尋ねいたしますが、これには、この大学院の趣旨のところで「現職教員の研究・研鑚の機会を確保する」ことを趣旨とする大学院、こうなっています。いろいろな文章を見たのですけれども、研鑚という言葉が使ってあるのはないのです。広辞林や図書館にある辞書をいろいろ調べてみたのですが、研鑚と研究というのはほとんど同じ意味に使われています。ところがこの研鑚が繰り返し使われておるし、大臣の御提案の説明にもなおかつこういうのがありますので、それには何か特に御意図がおありになって使われたのかどうか、これもお尋ねだけしておきたいと思うわけです。
  234. 佐野文一郎

    佐野政府委員 きわめて率直にお答えを申し上げますが、大学院において先生勉強していただく場合の用語として何を使うか。一つには再教育というような言葉が使われたり、あるいは研修というような言葉が使われたりいたしますけれども大学あるいは大学院においてそれぞれの先生方勉強をしていただく言葉をあらわすにはどうも研修という言葉は必ずしも適切でないというふうに考えました。そこで、研鑚という用語は研究とほとんど同じ意味で、学問などを深くきわめるという意味で用いられるはずでございますけれども、そういう用語をあえて選んで、いわゆる大学院において高度の勉強をしていただく、そういう趣旨をあらわそうとしたものでございます。
  235. 湯山勇

    ○湯山委員 御意図はよくわかりますけれども、私の考えを申させていただければ、少しこり過ぎている。こういうむずかしい字で同じようなことを言いあらわして、私だけの時間にしても一時間はロスいたしました。これはいいことではないと思います。非常にこの大学院の性格をわかりにくくしている、そういう意味で、これは私の感じだけですが、申し上げておきたい。これはこの制度全体にわたる問題も含みますから……。  そこで、これの組織構成のところに「大学院は、学校教育研究科とし、主として初等中等教育の実践にかかわる諸科学の研究を推進し」と、諸科学、今度はサイエンス、こうありますね。これは何を意味しておるのですか。
  236. 佐野文一郎

    佐野政府委員 やはり、先ほど来の教育学についての御指摘にもあったわけでございますけれども教育にかかわっている科学というのは、それは先ほど申し上げましたようないろいろな専門分野に従ったものがございます。そういったものを表現する方法として諸科学ということを用いたわけでございます。
  237. 湯山勇

    ○湯山委員 それでは地質学とか生物学とか物理学とか地理学とかをここでは言うのですか。それだと大変な問題なんですがね。
  238. 佐野文一郎

    佐野政府委員 もちろんそういう専門教科の基礎となる科学ということもございます。ただそれだけではなくて、従来からその充実が必要であるとされている教科教育等の点も、これまたそこの諸科学の中には含まれているものと考えます。
  239. 湯山勇

    ○湯山委員 教育には科学はないのですか。教育科学というような規定あるいはそういう概念は。
  240. 佐野文一郎

    佐野政府委員 どうも私も十分にお答えができませんけれども教育の場合も、教育科学ということを考えても一向におかしくないと思います。
  241. 湯山勇

    ○湯山委員 これは、この学校をつくる趣旨、それからこの学校の組織構成、さらにこれを修了した後のあり方というところで規定してある言葉で非常に重要なんです。しかもその後に「この大学院は、教員教育実践の科学的研究を推進し、」これは地理の研究とか生物の研究じゃないですよ。これをお聞きしておるわけです。
  242. 佐野文一郎

    佐野政府委員 なかなかうまくお答えができなくて恐縮でございますが、やはり、いわゆる先ほど御指摘いただきました地理とか生物とかいった諸科学と、それから教育学の成果というものを基盤とするということだと思います。そして教育実践を科学的に究明をしていこう、それによって教科教育あるいは実地教育というものを充実をしていこう、そういうねらいを持っていると考えます。
  243. 湯山勇

    ○湯山委員 非常に残念ですけれども、御説明は私は理解できないのです。私の思っていることとは若干隔たりがあるように思いますから、これはひとつそれぞれもう一度明確に御検討ください。いまのような教科別の教科の科学とそれとを結びつけて、それが含まれるから科学というような意味のものでないと私は思いますから、御検討願います。
  244. 佐野文一郎

    佐野政府委員 創設準備室でこれらの点についてはまさに検討が進められておるわけでございますから、私も創設準備室先生方に趣旨をさらによく教示を受けたいと思います。
  245. 湯山勇

    ○湯山委員 そこで、これもいまと関連してまいります。科学的に研究する、あるいは諸科学の研究ということになれば、その研究の結果というものは、ことに学ということになれば、これは当然普遍妥当性を持たなければならない。これは当然ですね。
  246. 佐野文一郎

    佐野政府委員 そういうことだと思います。
  247. 湯山勇

    ○湯山委員 教員の養わなければならない大事な資質として、使命感、愛情、こういうことが強く指摘されております。それらについてもやはり普遍妥当性のある教育法、養成の仕方というものがあるとお考えですか。
  248. 佐野文一郎

    佐野政府委員 やはり教科教育の点についてのお尋ねであろうと理解をいたします。教科教育教員養成のカリキュラムの中心になるものでございますし、いわゆる教科専門科目などの諸学の成果と教育実践とをつなぐ役割りを果たすものと理解をいたします。教科教育学は、いろいろな学問の成果と児童、生徒等の学習とを結びつけるという意図のもとに、児童、生徒等の認識から学問へ接近するという方法論によりまして、教育すべき内容を学問研究の成果から精選していく、そういう科学であるというように教示を受けております。教育学の重要な分野として位置づけるにふさわしいと考えます。どのような学問でございましても、進歩に対応して理論も深まっていくわけでございますから、その意味では固定的な学問の理論というのはないとも言えるわけですけれども、いま申し上げましたような趣旨でだんだんに深められていく教科教育学というものは、広く説得力を持つものであり、それなりに私は普遍妥当性を持つということは言えようかと思います。
  249. 湯山勇

    ○湯山委員 これも大変明確にお答えになりましたけれども、そんなに明確じゃないのです。いま日本教科教育学会誌というのがありますが、ごらんになったことがあると思います。これは日本で誕生したのはいつでしょう。
  250. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教科教育学会が教員養成大学あるいは学部の研究者によって組織されたのはごく最近だと思いますが、恐らく一、二年前ぐらいのことだと思います。
  251. 湯山勇

    ○湯山委員 そうなんです。日本の近代教育が始まって百年以上たっています。その間、理科教育には理科教育学会なんかがありまして、これには文部省から補助もあったのじゃないかと思いましたけれども、そういうのがあるし、地理には地理教育学会とか、そのほかいろいろな教科別の教育会はあります。しかし、いま局長おっしゃった、日本教科教育学会というのは、学問の体系どころじゃなくて、やっと一年前にできたばかり、第一巻第一号が出たのが一九七六年の二月です。まだ二年そこそこです。意図するところはわかりますけれども、残念ながら、これは局長言われたような学問じゃありません。それで、主として参加しておる方は教育学部の付属の先生、こういう方がいろいろ参加しておられて、しかも、何といいますか、各教科の取り扱いあるいはその基本になるようなこと、そういうことが主として書かれてあります。つまり、教育学があってそして教科教育というものがそういう体系を持っているのであれば、およそ近代教育ができたならばそういう学問というものは当然出てこなければならないし、あったはずなんです。それがなかったところにこれの問題があるわけです。したがって、いま大学院でこういうものをやっていくと言われても、それは決してこういう学会があるからといって普遍性を持ったものでもなければ、そういう価値——価値というのは失礼に当たりますが、そういう効果のあるものでないということは、これは局長もしっかり頭に入れておいていただきたいのです。  そこで私はこのことに関して、こういう教科教育というものがどれだけ普遍妥当性を持たないかということを、具体的な例を挙げて申し上げたいのです。  この間、前々文部大臣永井さんが授業をしたというのがテレビで出ました。これは局長、ごらんになりましたか。あるいはどなたかごらんになりましたか。
  252. 佐野文一郎

    佐野政府委員 私はあのテレビを見ようと思っておりましたけれども、差し支えができて非常に残念ながら見ておりません。
  253. 湯山勇

    ○湯山委員 だれか見ておりませんか。——これは一九七八年の四月八日です。午後十時十五分からNHKの第一の「ルポルタージュにっぽん」で、永井道雄さんが授業をされました。それは長野県の篠ノ井旭高校という、退学したぼろい子供ばかりを集めた学校です。ですから、そこの先生の話では、ここに入ったときは九九のできないのもいた、アルファベットを十分書けないのもいる、それからドリルのような形で試験をしておるのが、二xプラス三は七、この答えがなかなか出ない。そういう子供を前にして永井元文部大臣は敢然と授業に立ちまして、まず最初に、「きょうは飛び入りの先生です。勉強します」と言って、「A」というのは人の名前でしょう、「A レッツ スピークアンド リード」これだけ授業するのが出ていました。初めお手本で読んで、それからその高校生に読ましたら、声が出ないのです。小さな声でぶすぶす言っておる。それで永井さんは、「もっと大きな声で」それから「歌を歌うような楽な気持ちで」と言った。それでもまだ小さいから、「大きな声を出したって建物は壊れやしません」と言ってやって、短い放送なんですが、終わりには実にりっぱに全部の子供が声をそろえてこれを読みました。私はりっぱな授業だなと思ったのです。何がそれをやらせたかというと、その要素は少なくとも二つある。一つは、この人が英語について自信があるからです。「A レッツ スピーク アンド リード」とまことに簡単なんですけれども、大勢の前で日本じゅうにテレビ放送しておるときに、やはり正しい発音をしてやれる自信がなければなかなか立てるものではありません。これはこの人の言葉に対する自信が一つあったと思うのです。それから、そのやんちゃ坊主と言っては悪いのですが、その連中が緊張して声が出なかったのは、やはり前の前の文部大臣で偉い人だという意識があったと思うのですね。感心したのは、この子供たちに大きい声で読ませるということにしぼったところに、私は教育的に非常にりっぱな観察、対処の仕方があったと思います。これと比べると、この間参考人で来た先生で、じゃ、あなたは子供の前で授業がおできになりますかと言ったら、ボクシングのコーチはボクシングができなくてもコーチできますと言ったのをお聞きになりましたね。名前は言いませんけれども、こんな人が教育したって実践的な教育の研究はできませんよ。  同時に、私はもう一つの私の経験したことを申し上げたい。それは若い女の先生です。小学校二年生に、青竹を縦に割って笛を鳴らす、こういうのがありました。大勢が見に行った授業です。女の先生で、前もってこしらえておった笛は鳴るわけです。鳴って、こういうふうにつくりますと言って、割ってやったところが鳴らない。皆さんもやってみてと言って、やった子供たちのも鳴らない。先生はびっくりして、鳴ると思っておったのが鳴らないのですから、バケツの水の中につけ込んだりもんだり、一生懸命、真っ赤になった。そして笛を吹くのも、あらかじめこしらえたのは涼しそうな顔で吹きましたが、鳴らぬから、ぐっとかがみ込んでこうやって吹いて、そして鳴ったわけです。この教材は非常にむずかしくて、えらく練達した人がやっても、四十人くらいのクラスで二つか三つ鳴ったら、ああ鳴った、さあ次へ行くというのが普通の授業です。ところがこの組の子供は半分ぐらい鳴ったんです。これは何が鳴らさせたか。先生は失敗したと思って真っ赤になっていましたけれども、そうじゃなくて、これはたまらぬ、鳴らぬから一生懸命もんだりし、吹くのもこう簡単に吹くのではなくて、プーっとこうやって吹くものですから、それが子供に反映をして、一生懸命もんだり吹いたりするものですから、大方の子供のが鳴って、それをピーピー鳴らしながら帰っていく。だからこの授業は大変な成功です。これは一体どうなのか。これは技術じゃないのですよ。教育は技術じゃありません。そういうことを先生がどれだけ真剣にやるかがやっぱりいい授業につながってきておる。だから、一般の人が見たら、ああ失敗だ、鳴らなくてあわてふためいて、何やら音の高いのはどうか、低いのはどうか、振動はどうかというのはできなかったけれども、とにかく物をつかまえて、その物を鳴らした、それが一番基本です。それはやはり本当に真剣にやったというところから出ている。こういうのを忘れて、単に教科教育学、これをどんなに見たっていい授業はできやしません。どんなにこのとおりやったって生きた授業にはならない。私はここを本当にわかってもらいたいのです。  そこで、子供たちの環境も違いますし、それからいまの永井大臣のそういうのもあるし、野球の川上哲治氏が行くと子供がよう聞いてようやっておるでしょう。やはり教え方の上手下手ではなくて、川上という人の力、人間の全体の力があの小さい子供にあれだけの真剣な学習をやらしておる。ここいらで、私はきょうあるいはこの前の御説明を聞いておって、この教員大学院がどうも教育技術というものに偏っていっているという感じがしてならないし、またそれでできるものじゃない、ここを一つぜひ申し上げたい。そうなってくると、この大学院ができても、本当にそういうことで指導のできる永井元文部大臣のような教授はいませんよ。この間のように、ボクシングのコーチはボクシングのできぬ人でもできるというような考え方の人でどうして教育実践の指導ができますか。第一、先生に人がなくて困るでしょう。これはどうする。ここから養っていかなければこの大学院目的を達することができない。上手下手は別です。自分の子供の名前はどんなお母さんだって大体学校に入るまでに教えるのですから。小学校の子供に大学先生が教えられない、上手下手とかいうのではなくて。それはいまのような大学からそういう先生を持ってくるということはできない、ここを一つ頭に入れておいていただきたい。  そこでその次に申し上げたい点は、今度はやはり現職で悩みがあります。現職教育を受けなければならない問題は山ほどあるのです。これは後で申し上げます。この着想は悪いとは申しません。ただ、それを既成の大学院というものの枠の中でやっていこうというところに私は疑問を感じているので申し上げているわけです。そこで、そうやって現場で本当に苦労して、はてこれはどうなのかという悩みを持った、研究したいという人を入れる大学院へ、なぜ一体卒業したての者を三分の一入れるのでしょうか。三年余りの経験のある者と、その経験の何もない、先ほど来御指摘のあった実習もろくにしていない者とをごっちゃにして、一体それで効果が上がるかどうか。これはむしろいまのような実践的な教育をやって、偉い先生が教えてくれなくても、お互いの相互研究でもやれるものはやっていこうというのかどうか。何にしても、なぜこの三百人の中へ百名の経験のない者を入れてきて一緒にして教育しなければならないのか。なぜそうしなければならないかという理由をわかるように御説明願いたい。
  254. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘の点は私もよく理解ができます。この大学院の場合には、学校教育法のもとにおける大学であり、そういうものとして開かれたものであることが必要でございます。教職の経験を持った者だけでなくて、それ以外の者にも大学院の門を開きたいということが一つございます。それからまた、確かに御指摘のように、全く現場の経験のない者と、十分に現場における経験を経て、課題意識、問題意識を持ってお入りの方とは当然違うわけでありまして、そういった人たちが混在することによって大学院における教育指導がむずかしくなるということは御指摘のとおりであろうと思います。しかしながら、そういう経験のない者が大学院勉強していくということについても、これは教職の経験のある方々と一緒に勉強していくということが非常にいい影響なり効果なりを及ぼすでございましょうし、あるいは現職先生方にとっても、学部を出てきた新人たちが一緒に勉強していくということは決してマイナスの効果ばかりではないはずだと思います。むしろ、そういったことを通じて、けさほど来御指摘のような、この大学院がいわば教員研修所のようなものではなくて、本当に大学大学院たるにふさわしい雰囲気というものを維持していくことにも私は役に立っていくだろうと思います。両方のオリエンテーションと申しますか、ガイダンスと申しますか、それについて大学側が苦労しなければならない点があることは十分に理解できますけれども、そういった積極的な意味というものがあることも御理解を賜りたいと思います。
  255. 湯山勇

    ○湯山委員 新入、ストレートに大学に入った者というものが経験者の足を引っ張るということはお認めになりますか。
  256. 佐野文一郎

    佐野政府委員 現場の経験を持って課題意識を持って、それを突っ込んで勉強しようという方と、そういった経験なしに入ってくる者とは、混在しますから、その限りでは、ある意味では現職の方の御迷惑になる場合があるだろうと思います。
  257. 湯山勇

    ○湯山委員 それはおっしゃるとおりです。これにもちゃんと、教職経験を教育研究に十分に生かし得るように配慮する、教育は、とある。しかし、今日の卒業したての者は、この間御指摘のあったように板書の仕方も知らない。前の子供たちがチョークの粉を吸わないように黒板をどういうふうにふいたらいいか、全然こういうこともわかりますまい。どれくらい手を伸ばして書けばどのくらいのところが見えるとか、全然そういうことを、幾らか見て知っているかもしれませんけれども、たびたび御指摘のあったように、現場経験を何も持ってないそれが、三年もあったら一通りできますから、一年もあればできますから、それを生かした教育をやる、これとまじっていけば最初から落ちこぼれです。恐らく、学習指導要領なんかというものを、聞いてはおるだろうけれども、これをどう授業していくかということを真剣に見てはいない、そういう者、それから子供のいろいろな動き、そういうようなものをわからない者を一緒にして、しかも大部分は経験者の中へそれがまじってやって何の効果があるか。もしそれならば、何もこんなことにしないでも、経験があろうがなかろうがオープンでやる、あるいは経験者が入るのが少なくたって同じことじゃないですか。これが本当に教育の実践面で効果を上げるというのであれば、もっとすっきり、経験者だけ入れるということの方がどれだけ効果が上がるかわからない。現に現職教育は、先ほどおっしゃったように、新卒の者と経験のある者と別に文部省はやらしておるのじゃないですか、研修は。さっきありましたね、予算の二十億の御説明で。いかがですか。
  258. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほどお答えしたことの繰り返しになりますけれども、三分の二の現職の方と三分の一の新卒者との交流ということについて、それは確かに一時的には現職の経験のある方の御迷惑になる点はあるかもしれませんけれども、しかし、考えれば、先ほど来御指摘のように、現在の教員養成のあり方、教科教育についての問題というようなものが具体的に指摘をされておりますし、それを改善しなければならないことは間違いがないし、また、教員養成学部を出てそしてさらに高度の勉強をして、再び今度は教員養成大学の教授の道に進んでいく方ももちろん出てきていいわけでございますし、またそれを期待するわけでございます。教員大学だけがそれを担うわけでは決してございませんけれども、そういう御指摘のような欠けている点があればあるほど、そういう課題意識を持って勉学をされる現職先生方の中に若い人たちが入って、そして自分学部勉強してきたことをもう一度反省をし、そうして高めていくということは、私どもにとっては大変貴重なことであろうと思います。そういう意味で、大学院が全体として教育研究の場としての性格を強く持ったものとして育っていくことを願うわけでございます。
  259. 湯山勇

    ○湯山委員 これは大学生の教育の場じゃないわけです。それを勉強するのじゃなくて、初等教育ですね。ですからいまの局長の御答弁は若干対象をこんがらかしている。何といっても、本当に能率を上げて成果を上げていくのならば、やはり同じような者の方がいいわけです。小学校でも、一年生を見てごらんなさい。半年早く生まれたのと後に生まれたのとでは大変な違いです。だから、二クラスにするときに早生まれ、遅生まれと分けてみる。そうするといろいろな、身体、精神、知識がそろうのは大体三年くらいです。だからそう分けているところもあるのですよ。このことは、この大学院の性格というものを本当に考えていただいたならば、新卒をいきなり三分の一まぜるということの意味は何の意味もありません。そして、そうしなければならないという積極的な理由は御説明からは感じられませんので、もう一遍これも御検討を煩わしたいと思います。  その次、同じようなことですが、入学者の選抜についてですけれども現職教員の場合は先ほど統一見解のようなものが出されておりました。ここで、現職から経験を持っていて入学した者は給料をもらうということですが、私学教員入学資格はないのでしょうか。私立の中学で三年経験を持った、ひとつ入学するために受けようという場合は受けられるのか受けられないのか。これはどうなんでしょう。
  260. 佐野文一郎

    佐野政府委員 もちろん受験ができます。
  261. 湯山勇

    ○湯山委員 その場合は、公立と同じように給与保障はなされますか、なされませんか。
  262. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これは私立のことでございますので、公立の場合のような制度的な対応が非常にむずかしいわけでございます。しかし、私たちは、私学先生であっても現職現給で派遣していただくようなことを期待しますし、またそのために、たとえば私学助成の場合の工夫というようなことも検討していかなければけかぬと考えております。
  263. 湯山勇

    ○湯山委員 ちょっと明快でもないのですが、思ったより明快でした。私学助成のときにそれは対象として考慮しなければならないということは大変結構だと思うのです。そうでなければならないと思いますので、ぜひそういうふうにしていただきたい。ただでさえ私学との間に格差の問題が云々されておるわけですから、当然、私学現職給与をもらいながら行くことができるようにすべきだと思いますので、いまのことをぜひ実現していただきたいと思います。特に文部大臣にもひとつ、大事ですからいまの点について御答弁いただきたいと思います。
  264. 砂田重民

    砂田国務大臣 いま、私学の方と公立の方の格差のことを先生お触れになりましたが、私も同じ感じを持っておりますし、大学局長が答弁いたしましたとおりの心構えで対処したいと考えております。
  265. 湯山勇

    ○湯山委員 それからその次に、公立の場合です。結局、地教委の承諾が要るというような統一見解をお出しになっておられましたが、これは入学試験がある以上はやはりかなり前から、もしこの大学院があるとすれば教員大学に入ろうと用意しますね。入学の準備、三年も前から入ろうと思って準備して、さていよいよ受けようというので出したところが、おまえはまかりならぬ、こういうことがあってはならないと思うのです。そこで、教育委員会立場とかあるいは役所の立場じゃなくて、受験する教員立場に立って考えていただく。ひとつ行って勉強しようというので、一年なり二年なり三年なり一生懸命準備してきた、それが、校長がだめだと言うし、内申してくれない、地教委はだめだ、県教委と相談したらだめだった、これじゃ浮かばれないと思うのです。そうお思いになりませんか、局長。
  266. 佐野文一郎

    佐野政府委員 やはり一番大切なことは、御本人が本当に勉強したいという意欲を持って進学を希望され、またそれが実現するということであろうと思います。もちろん、そういう方がたくさんおいでになって、その都道府県研修定数の範囲を超えて希望者があるというようなことの場合には、それはどなたが行くことができるかということについて制約があることは現実の問題としてやむを得ませんけれども、できるだけ本人のそういう積極的な勉強の意思というものが可能になるような配慮をしていただくことを私たちは願っております。
  267. 湯山勇

    ○湯山委員 その試験を受けて、成績が足りなくて入れないというのはこれはもう本人の責任です。そのことを言おうとしておるのじゃありません。しかし、いまの学校形態の中では、前の校長さんは励ましてくれたけれども今度の校長さんはどうもやかましくてなかなかというようなこともあるでしょうし、人間ですからいろいろいきさつがありまして、行くつもりでおったが受験できない、あるいは許可にならないというようなことが、大学の性格から、あってはいけないので、それをなくすために何かいい方法がありませんか。
  268. 佐野文一郎

    佐野政府委員 けさほどもお答えをいたしましたように、受験のときには所属長同意ということを問わないで受験をしてもらう、そして、試験の結果によって入学許可された者が現実に進学できるかどうか、その段階で御相談をいただくというのは一つの方法であろうと思いますけれども、それをとることについては、これまたるるこれまで御説明を申しておりますように、大学側からいたしますと、入学許可をした者が実際に現職のままで進学できる保障がないという状況での入学許可というのは事務的に大変困るということがございます。また、これは大学のサイドのことではなくて、まさにその先生現場における御事情になるわけでございますけれども許可を受けてもなおかつ進学ができないというような状況が起こるということよりも、やはり事前に十分に本人の希望を生かす形で県内の御相談ができて、そして受験をするという体制をとる方が私はベターだと思います。
  269. 湯山勇

    ○湯山委員 願書を出す前でなくて、二年か三年前に私は教員大学大学院を受けますという了承を得ておけば別ですけれども、間際になって承諾を得られないというようなことは、これはその人の一生を誤ります。そういうことがあってはならない。それをどう防いでいくか、どうしてなくするかという配慮は当然なければならないと思うのです。  その前に、成績がいいとしますが、ではどういうことが不許可になる原因になるとお考えになりますか。三年たった若い先生が受けると言うときに、おまえ、受けてはいかぬと言ってとめる、あるいは、合格したが行ってはいかぬととめる条件になるものはどんなものがあるとお考えですか。
  270. 佐野文一郎

    佐野政府委員 それは、その学校でその先生がどういうようなお仕事を分担されており、そしてまた今後どういうお仕事を分担されるのか、その関係で、その先生現場を離れて長期にわたる勉強をするということに支障があるかないかということがまず基本にございましょう。それからもう一つは、先ほど来申し上げておりますように、その県内で県の教育委員会が計画的な研修ということを考慮する場合に、どれだけの者をその県としては送り出すことができるかという、その現実の制約がございます。その中で判断が行われていくことだと思います。
  271. 湯山勇

    ○湯山委員 県の場合は、若い先生の欠けたものの補充を、国の方は国庫負担法で見るか、それから交付税で見るか、特交で見るか、どうにしても現在の数を食わなければならないが、これは一つの県からそんな何百人も行くわけじゃありませんから、せいぜい十人か二十人か、それぐらいなものは、しかも若い人で、現在ならば補充が十分きく体制にあります。ですから、その方の財政措置、これは国の方ではその分は見るように考えておられますか。自治省はどうするでしょう。どうなっておりますか。
  272. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 現在、標準法の規定で、教員が長期研修に出る等の場合に、その間の補充をするための定員を特別に配当することができる規定になっております。それによりまして現在小・中合わせまして千二百名余の定数が各県に配当されておるわけであります。現在もその定数を用いて、一年なり半年の内地留学等をする場合にはその範囲で代替教員を雇っておりますので、今回の場合も同じようなことで補充のための代替定数を確保する方向で努力をしたい、こういうふうに思っておるわけでございます。(湯山委員「地方財政は……。自治省が来てなくてもおわかりでしょう。」と呼ぶ)いまのは当然、標準法で半額の教育費の負担を国がしますから、それの裏づけとしての交付税の積算はもちろんしてもらうわけでございます。公費負担で。
  273. 湯山勇

    ○湯山委員 そうすると、これで現職から二百ずつ四百、両方で開校すれば行きますね。それは千二百の中へ食い込むのですか。それは当然だからというのでそれをかぶせるようになりますか。それはどう考えておられますか。
  274. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 もちろん、この場合、いまの定数のままにしておくのではなくて、教員大学院の開設になりますればそれに見合う分は上乗せするように努力したいと思います。
  275. 湯山勇

    ○湯山委員 それは非常に明確でした。よくわかりました。  そうなれば大学局長、若い人で、校長とか教頭でないのですから、財政面で持ち出しにはならない、それは見てくれる、こうなったら、一体何がこれを阻止する要因になりますか。若い先生ですからそんなに重要なということでもないし、学年途中でもありませんし、阻止する要因はないのではないですか。まして皆さんがこれだけ言う、ここで実践的な研究をして、自分の県へ戻って一生懸命やっていく、まことに結構なことだというのに、どこにとめる条件がありますか。
  276. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほど来申し上げておりますように、私たちは、本人が真剣に勉強をしたいという場合にはできるだけその機会が確保されるように送り出す側で配慮をしてほしいと願っているわけでございます。それぞれの県によってどういうふうな対応をされるかというのは、大学サイドからはある意味ではわからない送り出す側の事情ではございます。もちろん、県全体の研修の計画の問題だとか、あるいは後任人事の問題だとか、その他いろいろあるでございましょうけれども、そういったものを通じて、本人の希望ができるだけ生かされるような御配慮を願いたいということでございます。
  277. 湯山勇

    ○湯山委員 どうもそこがはっきりしないのです。県全体の計画というのは、いま初中局長が言われたようにそれはかぶせるようにしようということなら、全体計画をそうむやみにいじる必要はないわけです。その辺の支障は、細かい点はあるかもしれませんけれども、大筋では、あれだけはっきり初中局長もおっしゃっておるのですからそれは問題がない。そうすると、いま大学局長の言われるのでは結局校務の関係でということしか残らないのですね。計画の方はそれでいいわけですから。そうすると校務の関係と言ったって、一体それをとめる条件というのはありますか。(発言する者あり)あるとしたら、小川さんみたいな人がおって、あれはどうもうるさいからというのでもあれば別ですけれども、それ以外に何かありますか。
  278. 佐野文一郎

    佐野政府委員 これは私がお答えするのはあるいは適切ではないかもしれませんけれども一つには、どれだけたくさんの方が希望されるかということによると思います。その希望の数がある範囲内のものであれば、そのことについていま御指摘のような定数の関係での支障はないだろうと思います。ただ、県の側で、ある特定の市だけに偏ってはぐあいが悪いではないかというような御配慮があるいはあるかもしれませんが、それは送り出す側の御判断の問題だと思います。
  279. 湯山勇

    ○湯山委員 どうも大学局長は何かこだわっているようです。私は何も意図的に聞いておるのではないのです。人事権は県教委が持っておるわけですから、ある市に偏して、足りなければ持っていけますし、それは道があるわけです。いま申し上げたいのは、せっかく長年心構えして一生懸命勉強して、試験で落ちたなら仕方がない、これまで救えとは申してないのです。それは本人もあきらめる。しかし、そうでない者をチェックする条件というのは何かありますか。いまのように、的確にこれというのはないのですね。私はそこに問題があると思うのです。チェックしなければならないという立場お答えになるから、受ける先生立場で考えないから、局長、いまのようになってくるのですね。そこでせめて、できることなら、まず自分で判断できるような欠格条件、こうこうこういう人は困るということにしておけば、自分で見て、ああなるほどそうか、おれはこれに当たらない、当たらない、当たらない、それなら受けられる、そういうものを明確に示す。各県の教育長を集めて会議をしたときでも何でも、とにかくこれ以外、たとえば現職の校長、これは困る、それから、この間からあったように国体の点取り要員で雇った先生、これも困るでしょうし、とにかく、何でもいい、欠格条項、それを許可しない条件をできるだけ綿密に示せば、それを見れば自分で判断がつく。校長なり、地教委の教育長なり、県の教育長が主観的に判断する、そういうものをできるだけなくしていく。だれが見てもこれなら判断できるという客観的なものをつくって示して、それによってやってもらうように文部省が指導する。そうすればその弊害は緩和できると思うのですが。大臣、おわかりいただけたでしょうか。どうも局長はその点おわかりにくそうに首を振っておるので、大臣、いかがでしょうか、私の申し上げること、できるだけ客観的に自分でも判断できるような基準を明確にすればどこへも不都合はないし、いまのように、三年たったときにあっと言うようなこともないと思う。いかがでしょうか。
  280. 砂田重民

    砂田国務大臣 湯山委員が御指摘になっているお気持ちはよくわかるのです。教員大学へ入ってさらに勉強を積み重ねたいという気持ちの教員の側に立って考えれば、私はそういうお気持ちは十分よくわかるわけでございまして、前回にも局長から答弁をいたしましたけれども、従来ありましたような、県の教育委員会が計画的に組んだ研修とは全く違うわけですから、計画的に組んで、人を選考してそれへ向けるという意味とは全く違うわけでございますから、教員大学にどういう教員を送り出していくかということは、これから教育委員会とも相談をいろいろしなければならない段階が一段階あるわけでございますので、その段階で、文部省の押しつけとしてではなくて、それぞれの都道府県教育委員会のお考えもあることでございましょうから、先生方立場に立って、この大学勉強したいという先生の意思が事のスタートですから、そこら辺のところを教育委員会とよく相談をして、また指導をしてまいりたい、かように考えます。
  281. 湯山勇

    ○湯山委員 大臣、ひとつ遠慮なしにおっしゃってください。というのは、せっかく、自分で進んで勉強しようという者が、そのときになって許可にならないということで自分の前途の計画を放棄しなければならないというようなことがないように努力する、こういうふうにとってよろしゅうございますか。
  282. 砂田重民

    砂田国務大臣 そういう真剣な現職教員教員大学へ入りたいという、そういう方が同意を求めたときに、いけませんと言う要素はそうたくさんあるわけではないと私は思います。そういう方向で努力をいたします。
  283. 湯山勇

    ○湯山委員 大臣の御答弁で一応了承いたします。大学局長はいま大臣の言われたぐらいな答弁はしてくれないとこちらは大変心配です。  その次です。これは先ほどの問題とも若干関係を持つのですけれども、校長とか教頭とかというものは入学資格があると思われますか、ありませんか、大学局長
  284. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学の方で求めているのは、現職三年以上の経験のある方ということを求めているのであって、経験年数について上限を切るというようなことは現在は考えておりません。ただ、事の性質からして、二十代の若い方に入ってほしいということは率直に思います。
  285. 湯山勇

    ○湯山委員 そういう御答弁だと、問題は、校長のように給料が何十万の人が入れば、それはそれで必要なだけ埋めるかどうかというような問題もありますけれども、それはもうお聞きしないことにいたします。  さて、問題はその次なんです。この大学院では管理経営というようなことをやりますね。いかがですか。ちょっと答えてください。
  286. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学院における勉強内容の中に学校経営が入るかというお尋ねであれば、やはり学校経営ということも入ると思います。
  287. 湯山勇

    ○湯山委員 二十代の先生でそんな学校経営の勉強をして役に立ちますか。私ども、それはまだどうかわからないけれども、むしろ生きた本当の教科教育を通して人間をつくっていく。そんな学校経営なんかを、卒業して三年目ぐらいで考えるというのはまことに奇異な感じがします。そういうものが本当に物になるおつもりですか。
  288. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学院における先生方勉強をしていく、研究をしていく対象が、それぞれの先生方現場における御体験等を前提とした、先ほど来御指摘のような教科教育の分野ということに多くはなっていくであろうというふうに思いますし、またそれに主力があることについても疑いがないと思います。学校経営の問題は学部段階でも学生勉強していることでもございますし、教育ということを考えていく場合にやはり一つの必要な分野ではございますから、それももちろん研究の範囲に入るということを申し上げているわけでございます。
  289. 湯山勇

    ○湯山委員 大学段階で経営面の勉強をするというのは、法律的なまことに骨組みだけの勉強であって、それを生かして使っていくなんということはもっと先の先の話です。  そこで大変心配なのは、給与の問題その他と絡んで、これが限られた者だけということになって、そして職制的な発想ですね、全体を含めて。こういうことになると、これはひょっとすると教育の分断ということになっていくのではないか。ある人は昔の天保銭、陸士を出た人がある程度隊にいて、それから陸大へ入って天保銭をつける、そういうことになるんじゃないかという心配も無視するわけにはいかないわけです。そこでお尋ねいたしたいのは、だんだんこういう大学院が拡大していって、もしこれが効果ある大学院になったとしたらこれを全国に拡大して、しかも全体の先生たちにその機会を与える。つまりティーチャー・トレーニング・コースというような形のものを全体に及ぼしていく。本人が望まなければ別ですけれども、全体に機会を与えるという方向でなければ首尾一貫しないで、ひょっとするとこれはいまのように職制的な発想につながるんじゃないか、天保銭につながるんじゃないかという懸念が出てまいりますが、その点いかがでしょう。
  290. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教員大学につきましては、現在は、御審議をいただいております二つのほかは鳴門について創設準備を行っているにとどまります。それ以降の教員大学をどのようにつくっていくかということにつきましては、まず既設の教員養成大学に、愛知教育大学に続いてどのように修士の課程を整備をしていくかということがございます。そういった既設の大学の修士課程の整備を計画的に進めていく。そしてその修士の課程では新卒の者だけではなくて現職教員に門を開いていただく。そして、そういったこととあわせて今後教員大学というものをさらにどういうふうにつくっていくかは検討したい。いまのところは全国に計画的に次々に教員大学をつくっていくという計画を持っているわけではございませんが、できるだけ、教員大学もまた既設の大学大学院も、現職先生方勉強をしたいという意欲をお持ちの方にはその機会を確保するという意味で窓をあけていく、開放していく、そういう施策を進めていかなければならぬと思っております。
  291. 湯山勇

    ○湯山委員 そこで先ほどの御答弁ですね、どういうふうに理解していったらいいかちょっとわかりにくかったので改めてお尋ねしたいのは、神戸大学の問題です。局長の御答弁は、今度兵庫教員大学ができることを頭に入れて神戸大学教員養成課程の大学院は考えなければならない、こういう御答弁でした。それはチェックするという意味なのか。そうじゃなくて、こちらへもつくって両方相携えて総合的な効果があらわれていくようにつくるという意味なのか。チェックするという意味で頭に入れなければならないとおっしゃったのか。私は善意に解釈して、当然、兵庫にそれができれば神戸もつくらなければならない、そして両々相まって総合的な効果を発揮するというようにとりたいのですけれども、そうとってよろしいでしょうか。
  292. 佐野文一郎

    佐野政府委員 神戸大学は、兵庫の教員大学大学院とはむしろ違った特色のある教育学の修士を設けたいということで大学においても御検討は進んでおります。それに、参考人として須田学長がお述べになった兵庫の中における教員養成大学の全体のあり方からしても、片方にしか大学院がないというのはおかしいという御指摘もわかりますので、先ほど申し上げましたのはもちろんつくるという方向で検討するという意味でございます。
  293. 湯山勇

    ○湯山委員 よくわかりました。いまどこへどうという年次的な計画ができてないということですけれども、仮に四百としましても、愛媛県は大体いろいろな規模が全国の百分の一です。そうすると、仮に大学院でいい人が卒業するとしても、現職教育という割り切り方をすれば全県で四人ですね。ですから、現職教育という観点からも、これはどうしても全国にずっと計画的にやっていかなければならない。いまそれがあるなしは別です。将来は計画的に、やはり機会がすべてに与えられるようにしなければならないというお考えはお持ちになっておられるかどうか、その点はいかがでしょう。
  294. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教員大学大学院ということだけでなしに、既設の大学院の整備ということをあわせて、大学院レベルにおける現職先生方の研究の機会を確保する施策は計画的に進めていかなければならぬと思っております。
  295. 湯山勇

    ○湯山委員 ではきょうは大体いまのところまでお聞きして、それから次に、これは大変むずかしい問題ですけれども、一体この発想が出たのはどういうわけかということをこの間参考人からもいろいろ聞いてみましたところ、表向きはいろいろありまして、局長も大変お答えしにくい、いまの科学の問題があったり哲学の問題があったり、いろいろありましたが、そういう表の問題は別として、裏をめくってみると、教員養成大学の今日までのレベルあるいは教育条件が悪い、それから大学間あるいは学部間に格差がある、これらを是正しなければならないということが根底に動いていることは間違いないと思うのです。つまり、内容的に申し上げるならば、大学院で博士課程、修士課程の有無によって教官当たりの積算校費あるいは研究旅費、そういうものの基準単価が違っている。これが、同じ大学でありながらただそういうものが乗っかっている、乗っかっていないでそういう差別がある。それだけではなくて、細かい数字ももらっておりますけれども省きますが、教官の定員、それから施設設備、それから教官の待遇、これらに至るまで格差がある。これは局長も御存じと思いますが、いかがでしょうか。
  296. 佐野文一郎

    佐野政府委員 それを格差と言うかどうかについては私ちょっとためらいますけれども、講座制、学科目制等によって校費の基準単価に相違があることは事実でございますし、また学部によりまして教官一人当たりの学生数にかなりの開きがあることも事実でございます。
  297. 湯山勇

    ○湯山委員 そこで、そういう教員養成学部に修士課程の大学院ができればそういう差が解消、とまでは言いませんけれども、緩和される、あるいは改善されることは事実だ、こう考えますが、この点もいかがですか。
  298. 佐野文一郎

    佐野政府委員 修士なりあるいは博士なりの課程の設置というものを、そういった研究費の改善のためにという見地から検討をするという姿勢を私どもはとってはおりませんけれども、結果的には、修士課程が設けられれば当たり校費の単価が修士講座の単価になるという意味において金額がふえるということは御指摘のとおりでございます。
  299. 湯山勇

    ○湯山委員 「教育大学学部における大学院の問題」というので、昭和四十九年十一月、国立大学協会教員養成制度特別委員会からレポートが出ておるのを局長はごらんになられたでしょうか。
  300. 佐野文一郎

    佐野政府委員 承知をしております。
  301. 湯山勇

    ○湯山委員 それの冒頭に、一番初めの章ですが「まえがき」とあって、それからその次に「教育大学院ことに修士課程の役割」という、その前のところに、いまおっしゃったとおり、この制度をいまのような改善策、そういうものにすることはいいことではないけれども、今日の状態としてはこれもまた認めざるを得ないということが最初に書いてある。これは御存じでしょうか。
  302. 佐野文一郎

    佐野政府委員 承知しております。
  303. 湯山勇

    ○湯山委員 そうすると、この発想というものは、そういうことも裏にあって、あるいは大きい力になってこういうものが出てきた、あるいはまた修士課程を方々教員養成大学学部が要求しているということにつながらないということを言い切れないと思うのですが、これも局長のお考えはいかがでしょう。
  304. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほどもお答えをいたしましたように、それぞれの博士課程、修士課程を持っている大学あるいは学科目制の大学の研究費というものが、一律平準的なものでなければならないとは私はとうてい思いません。それは違って当然でございます。ただ全体的にもっと教育研究のための条件というものを整備をしていく、そういう努力を続けていかなければいかぬということを痛感をしているわけでございます。この教員大学大学院あるいは教員大学の構想というのが、そういう修士の課程を設けるということによって研究条件を現実の問題として上げるために構想をしたということではございませんし、また、これから修士の課程をそれぞれの大学に計画的につくっていくにいたしましても、それは教育研究条件を上げるための便法としてということでは決してございません。しかし、実際の問題として、五十三年度、十三の大学から修士の課程を置きたいという御要請が出てきているものの中に、修士の課程を置くことによって研究費がふえるということを期待している点がないということは言えないと思います。
  305. 湯山勇

    ○湯山委員 その点は私も局長と同じです。この制度を、そういう現在のレベルアップとかあるいは学部間の格差是正に使うということは邪道であって、すべきことではない、またさせるべきことではない。しかし、それならばそれにかわるべき方策を文部省は持たなければ、ただそういうことはいけないことだということだけでは済まない。それは大学大学として機能していくためには当然考えなければならないことだと思います。先般参考人からは、この設置基準を改定整備することについて審議機関を設けるというような意味の御発言があったのですが、これは文部省の方でお考えになっておるのか教育界の方で考えておられるのか、この辺わかりかねたので、そういう動きが何かあるかどうか、お聞きしたいと思います。
  306. 佐野文一郎

    佐野政府委員 国大協の教員養成制度の特別委員会では、かねて教員養成大学の設置基準というものについて御検討を進めてきておいでになります。これはまだ成案を得られてはおりませんけれども、そういった努力がまず基礎的に大学の側にあります。そのことと、もう一つ大学院をつくる場合の審査の基準について、現在の審査の基準に、より弾力的な配慮がとれないかという御要望が教育大学協会等にございます。この点は、そういった御要望も受けまして、現在私どもは、大学設置審議会の中の設置分科会の関係専門委員会大学院の審査基準について御検討を願っております。もちろんこれは検討の途中でございますが、私ども、事柄からしてきわめて慎重な対応を要するし、要するに基準を甘くすればいいのだというような安易なことでは取り組んでいただきたくないと考えておりますが、本当にこれから計画的に修士の課程をつくり、そしてそこにおいてできるだけ開かれた形で学生の受け入れができるようにする、あるいはそこにおける適切な教育研究ができるようにするためにはどのような対応をすべきかということをお考えいただこうということで御議論をいただいております。
  307. 湯山勇

    ○湯山委員 その点は私も全面的に局長のお考えに賛成です。しかし、特に申し上げておきたいのは、やはりこれは積極的に進めていただくということでないと困るのであって、私がいままでお尋ねしたことは、自分自身でも若干矛盾を感じておるのは、この教員大学大学院が機能するかどうかは疑問であるということを当初命題として質問をいたしまして、その問題点を指摘申し上げました。しかし、その後では、今度入るのはどうかとか、私学も入れたらどうかとか、何だあれは認めていないようなことを言って今度は認めたようなことを言うじゃないかというようにお感じかもしれませんが、それはそうじゃなくて、この大学院そのものについてはその懸念は消えていません。ただ、御指摘のように、現職教育の必要、実践面の教育が足りないということについてはこれは同感なので、そういう観点から現職教育、トレーニングの場として何らかの機関を設けるとすればそれはこうではないだろうか、こうあってほしいということを申し上げてきたわけですから、その続きとして言えば、現職の人や卒業したての人が教育の実践活動において足りないところが多い、これは大変だというのは、いま局長の言われた、現在検討中のこの改革が本当にできた場合には私はよくなる部分が相当あると思うのです。そういう確信はお持ちでしょうか。
  308. 佐野文一郎

    佐野政府委員 専門委員会はもちろんこれまでの国大協や教大協における検討の状況等も踏まえて御検討になっているものと承知をしておりますし、問題意識は、それぞれ専門の方々でございますから十分お持ちでございますので、適切な結論をちょうだいできるものと考えております。
  309. 湯山勇

    ○湯山委員 ただ、いまのように、修士課程を置くことについて若干設備そのほかレベルアップにつながる配慮もなかったとは言えないという状態ですから、私はむしろ、いまの改革が局長言われたような方向で非常にりっぱなものができ上がってそれが実施されれば、あれほど問題の多かった教員大学というものはあるいは要らなくて済むようなことにもなるのじゃないかということも含めていま申し上げたわけです。それで一最初からの何か矛盾したようなものをここで一遍整理しようと思ってこのことを申し上げたので、先ほどからもずいぶん御指摘ありましたからこの問題は一々について触れません。  ただ、局長が言われたように、本当に教育立場教員養成立場から、一体教官の定義はどうあるべきか、施設設備はどうなのか、教官の待遇はどうか、研究費というものはどうなければならないかというようなことをお考えいただいて、それはそれなりにりっぱなものにする努力をぜひお願いしたいということが一つです。  それから第二の問題提起は、今度は教育実践の改革の方向についての問題です。  一つここで申し上げたいのは、今日の、文部省を含めて各県教育委員会あるいは地方教育委員会教育行政のあり方が、ともすれば教育管理の面が先行いたしまして教育指導の面がおくれている。このことは文部省もお認めのとおりです。だから主任制のときにも、当時の文部大臣はせめてこういうことによって管理面よりも指導面を強化していこうというようなこともおっしゃっておったこと、これも初中局長御存じのとおりです。しかしながら、今日なおやはり管理面が先行しております。管理面が先行するということは、教師の自由な教育活動を拘束する。先ほど申し上げましたが、教育は単なる教育技術でできるものではなくて、どれだけ教育に魂を打ち込んでいくかということが大事だ。そういうことを妨げておるところにいまの教育行政の管理偏重のあり方があるのであって、それは教育委員会のあり方を見ても指導主事というのは影響が薄いのです。本来、教育委員会にいなければならない職制としては、法律によって示されているのは教育長、それから指導主事、あとは事務の処理に当たる事務職員です。管理主事なんというものはその他の事務を処理する仲間に入っている。にもかかわらず、今日の教育行政の中では指導主事よりも管理主事の方が偉くなって、この運営を誤ると、ひょっとするとこれが大学入学もチェックするということになりかねない。そこで、指導面を強化していく、そういうシステムをもっと強化していくという必要があると思うのです。これについては、時間がありませんので申し上げたいことを申し上げられなくて非常に残念に思うのですけれども教育実習を各県の指導主事という人たちが本気で指導すれば、この人たちは直接学級を持っていませんから、さっきお話にあったように邪魔になるなんということはなくて指導ができていくわけです。こういうことをお考えになったことはないでしょうか。
  310. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教育実習を実施する場合に、県の教育委員会と協力校と大学との関係をもっと緊密なものにし、その連携の体制を整える必要があるという問題意識は十分に持っておりますが、各県に配置をされている指導主事に教育実習の指導をお願いするということは、私はいままで考えたことがございませんでした。
  311. 湯山勇

    ○湯山委員 御検討を願いたいと思うのです。それは直接現場で子供に当たらなくていろいろ指導できる面がありますから、せめてそういうことだけでもやってもらわないと、私がこの委員会での論議の中で若干心配なのは、一体教育に実習というのがあっていいかどうか、教育の実習というものが実習と言えるかどうかという問題です。たとえば小学校二年生のあるクラスで、実習の学生がやってきて何かやったとしても、それは実習じゃないです。練習じゃないです。この子供たちにとってはやはりりっぱな、生涯の中の一こまの教育なんです。だから、軽々に教育実習、実習と言って、それがあたかも何か物をつくる練習をしたり、あるいは絵をかき損なったら破って捨てるといったようなものと混同して考えたならば、これこそ教育を誤るものだ。ここをしっかり頭の中に、心の中に入れての教育実習でなければ私はやってもらったら困る。私自身も数年間教生を預かった経験があります。それはとにかくやられて後困ることの方が実際多いのです。ですから、そこいらの問題を考えておかないと、一体付属校はどうあるか、実習はどうあるかというようなことをそう軽々に論議してはいけない。  それから授業にしても、私は常に、とにかく本気でやってくれということだけ言っておりました。まず実習生が一時間の授業をやろうと思えば、それは一時間の教えること、教案をつくるには三日も四日もかかるわけです。そう一週間に何時間もできるものじゃありません。一体そういうのをいまのような形で指導できるかどうか。これは非常に重要な問題で、恐らく今日の付属は付属としての機能を機能していない。大変言い過ぎるかもしれませんが、私はしていないというような気がします。それは、付属校設置の趣旨と今日のその動き方とは違っています。付属によっては、高校であれば、付属高校はやはり大学進学が常に頭にちらついています。これでは本当の教育はできないし、また研究の公表もいまは余りやっていないようです。だからここいらもこの際ぜひ改めてもらわなければならない。実習で本当に役に立っておるのはどういう実習か。私が見た範囲では保育所の保母さんです。この人たちは出たらすぐ保育所へ行って子供を扱いますから、この実習は本当に役に立つ実習をしています。しかし、学校先生になる実習というのは、私が見た範囲では全くなっていないと思うので、これでやられては大変だということさえも思います。それは、今日の開かれた教員養成制度が開かれれば開かれるほどその辺は重要な意味を持ってきておりますので、これらの個々について私はいろいろ申し上げたいし、それから御検討願いたい点がたくさんありますが、一つだけその中から申し上げます。  たとえば小学校低学年あたりには、さっきもお話がありましたが、国によって二人先生をつけているところがあるのです。教える先生と、管理、差し支えがあったら教える、便所へ連れていく、泣いたら外へ連れていく、そういう形の二人の先生が低学年を持つ。その一人の管理の方の手伝いをしている人がやがて本当に教える先生になっていくというようなシステムは、定員法の中でも考えられないことはない。小学校低学年の複式というのはもうほとんどなくなった今日ですから、せめて両方合わせて十二、三名で、それならリレーもできるというようなことで一緒にして二人先生をつけていく方法、あるいはまた付属に助手のような形である程度配置する、そこで実際にそういう教育の実際を学んでいくというようなこと。これは、費用の問題もありますけれども、私は、この教員大学よりももっと考えていい問題ではないかと思いますし、付属なんかでこそそういうことをやってみて、それがどれだけ本当に役に立つかというのをやってもらいたいので、また機会がありましたらここから先のことをお聞きすることにして、きょうは時間が参りましたので以上で終わります。
  312. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長代理 関連質疑の申し出がありますので、これを許します。木島喜兵衞君。
  313. 木島喜兵衞

    ○木島委員 きわめて多角的な質問が出されてまいりましたし、その御答弁で大体わかったようなものもありますけれども、ずいぶんと各委員からいろいろな意見が出されておりまして、それらの委員質問というものをなお皆様がお考えになって、整理をされて答弁をし直されてもいいものがありはしないかという気がいたしますので、そういう点についての数点だけを、いま御答弁は要りませんが、まず申し上げます。  第一は、新設の教員大学大学院で三分の二を現職研修の場としておりますけれども現職教員研修権を最大限に保障せんとするならば、既設の教育大学学部にも大学院を設け、現職教員現職現給で入学できるようにすべきである。仮に四十七都道府県のすべてに設置され、二百名ずつ入学せしめれば、年間一万人の教師研修保障されることになります。そのために、過去数年間、無医大県に毎年三校ずつ医科大学を新設したごとく、計画的に一年に数カ校ずつこの大学院を設置すべきではないかと考えるが、どうか。また、既存の教育学部は他の学部に比し、予算的、人的に劣悪と言われています。その是正も計画的になされるべきではないかと思いますが、いかがですか。  第二、この教員大学大学院卒業者の免許、給与に関し、当面は変更する考えはないが将来の検討事項という意味の答弁がなされてきましたけれども、この場合の将来とは、既設の教育大学学部のすべてに大学院が設置されたときにその変更の是非の議論が起こることがあり得るという程度のものであって、そのような状態が起こらない限り変更の意思がなく、したがって相当の期間、すなわち十年や十五年はそのような状態が起こり得ないというように理解してよろしいか。三番目、大学院受験に際し教育委員会同意書添付を必要とするとしていますが、その理由は後任の人事等の必要からとするなら、入試が九月ごろであるから時間的には何ら不都合はなく、教員研修権の保障からは届け出制でよく、もし大学同意書を求めるとしても、教員の届け出により同意書を発行すれば足りるのではないか。もし教育公務員法上の必要があるとしても、それは形式的なもので、不同意はあり得ず、届け出制と実質的に同様と考えてよろしいか。  四番目、教員大学の管理運営は現行法令によるとされていますが、参与会、評議会、人事委員会等は国立学校設置法において筑波大学のみに置くことが決まっていることにかんがみ、いわゆる筑波大学構想はとらないというように理解してよろしいか。  五番目、この教員大学と、大学院が設置された既設の教育大学学部とにはさしたる差異はないと考えられる。しかるに、この大学のみ教員大学と名づけられることは理解に苦しむところであります。ここに、そのために、教員大学が既設の教育大学学部の上部に格づけられるものだとか、教員養成所、教員研修所等と批判されるゆえんがあります。既設の教育大学学部と同様、教育大学と改める意思はないか。  以上のことについて、本日は申し上げただけでありますが、たとえば先ほどの大学局長大臣との間で意見が進歩したようなこともあるわけでありますから、いままでの議論の中には主張も含まれておりますので、そういうことを含めてこの次の委員会までに御答弁いただければ幸せであります。  以上であります。
  314. 砂田重民

    砂田国務大臣 承りました問題点につきまして、次回の委員会で明快にお答えをいたします。
  315. 唐沢俊二郎

    ○唐沢委員長代理 中野寛成君。
  316. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 ただいま木島先生の方から大変興味深い御質問が出されました。むしろ私の質問として、これから一つ一つお聞きしたいぐらいでございますし、そのことをもって私の質問にかえたいくらいでありますが、それほどまとまったお尋ねはできませんけれども、できるだけ短い時間をと思いながらお尋ねをさせていただきたいと思います。  まず、いままでいろいろな論議がなされました。そのすべては、すぐれた教育者をつくりたいというみんなの一致した気持ちの中から論議がなされていると思います。そういう意味で、すぐれた教員像とは、また期待される教員、また大臣がこういう教員ばかりになってくれたらな、こういうように考えておられます一つの姿というふうなものをまずお聞かせをいただきたいと思います。
  317. 砂田重民

    砂田国務大臣 基本的にお答えを申し上げたいと思いますが、やはり教員というものは、教育者としての使命感と深い教育的愛情を基盤として、広い一般的教養、教科に関する専門的な学力、教育理念、方法及び人間の成長や発達についての深い理解、すぐれた教育技術などが総合されて身についている教師が、望ましい教員の姿であると私は考えております。
  318. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 いまの御答弁、今日まで大臣の一貫した御答弁であるわけでありますし、また私自身も決してそのことに異論を唱えようと思わない。むしろ、そのとおりだと思います。しかし、特にいま教員に強く国民から要請されている問題は、その中でも、御答弁の昌頭にありました教育者としての使命感、深い教育的愛情、これがまさに強調して要請をされていると思います。これらの問題について、新しい構想として出されます教員大学または大学院は、具体的にどのようなことを通じてそれを実現されようとしているのか、お聞かせいただきたいと存じます。
  319. 佐野文一郎

    佐野政府委員 けさほど来の御質疑にお答えを申してまいりましたように、この大学は、学部のレベルにおきましては初等教員養成ということを目的といたしまして、これまでの既設の教員養成大学学部がこれまたその改善に取り組み、苦心をしているさまざまな問題、たとえば先ほど御指摘のありました教科教育の実践的な研究というような面をさらに深めていくことであるとか、教育実習というものについてももっと改善をし、それを充実をしていくことであるとか、そういったさまざまな課題にこたえながらこの大学学部において鋭意検討を進める、そしてそれが既設の大学にもいい影響を与えていくということを期待してつくるものでございます。また、大学院の場合も、現職教員にできるだけ高度の研さんの機会を確保しようということを趣旨とし、そしてその場合にも、やはり先ほど来御議論のありましたような総合性と専門性というものをどのようにして統合をしていくのかという、現在の教員養成に課せられた課題にできるだけこたえようということを意図しているわけでございます。もちろん教員資質というのは養成段階だけでできるものではございませんし、養成研修の全体を通じて培われていくものではございますけれども、こういった教員大学考え方というものは、いま御指摘の、今日教員養成に寄せられている国民の期待というものにこたえることができると考えております。
  320. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 この大学によってそれがすべて実現できるとは確かに私も思いません。むしろ、教育の基本そのものをいままさに、改めて戦後教育が問われているというときに、つくり直すといいますか、確立をするということがまず根底に必要だろうと思います。それが確立されないでこの教員大学をつくって、そのことで事足れりとはしないと思いますが、もしそれを一つの大きなポイントだと考えるとすればそれもまた誤りではなかろうかというふうに思います。教育とはいかにあるべきか、そして日本の教育の理念はどこにあるのか、それを実現する教員はいかにあるべきかということがきちんと整理をされ、そして国民のコンセンサスの上に組み立てられ、確立されることがまず私は必要だと思います。そのことの努力になお一層これからというよりも、むしろ初めてそのことに取り組まれる時期なのではないかという気さえ私はするわけであります。  そのことはそのことといたしまして、そういう方向を持って努力する幾つかの手段が私たちにはあるだろうと思います。たとえば、現在行われている、もしくは行われようとしているものとしては、新構想の大学一つの手段でありましょう。それから既設の教員養成大学をより充実させていくことも手段でありましょう。また教員研修の中身を充実をするということも一つの手段でありましょう。よりよい教師をつくっていく、同時に、これから新しく教員になる人たちにすぐれた教員として育っていただくようにする。そしてもう一つは、よくお母さん方が当たり外れという言葉を使われるけれども、その外れと言われるような教師をなくす。この前の参考人の御意見を聞いておりますときに、その中で、いわゆるできない教師をいかにしてなくすかということこそ問題だ、こう指摘された参考人の方もいらっしゃいました。いまよく落ちこぼれの問題が言われます。あるいは、本当は生徒は落ちこぼされたんだと言いますが、事教員に関する限りは、落ちこぼしではなくて、文字どおり、落ちこぼれと言わざるを得ないだろうと思います。そういう意味で、落ちこぼれの教師をなくしていくことも大変大きな課題だと思います。  そういう意味から、私は、教育の改革に当たってどのような構想を文部省としてつくり上げ、その中においてこの教員大学がどこに位置づけられるのか、そのことをやはり明確にしておいていただくことが、教員大学をつくることの意味をより明確にすることになるのではないだろうかというふうに思います。教育改革というのは、確かに、現在の欠点をカバーすること、そのことも教育改革と言えるかもしれません。しかし、それで事足れりとすべきではありませんし、すなわち現状に対する対策だけではいい教育というものは実現できないと思います。むしろ、新しいものを構築していくという前向きの意欲というものがなければならない。そういう意味で、教員大学構想も私はそれなりに評価をしたいと思うわけであります。そういう意味で、この教育改革全般について柱をどのようにお立てであるのか、そのことをお聞きしたいと思います。
  321. 砂田重民

    砂田国務大臣 教員研修の現状を一層拡充強化してまいらなければなりません。その中におきまして、いま中野委員から御指摘のありました落ちこぼれ教員があるとすれば、そういう人たちも拾い上げていく。同時にまた、新しく学窓を巣立って教壇に立とうとする人たちに対する研修機会、研修内容充実もその中に組み入れていかなければなりません。この二、三年ずいぶんそういう研修はふえてまいったわけでございますけれども、なお一層この努力を積み重ねていかなければなりません。その内容の具体的につきましては初中局長からお答えをいたします。そして教員大学におきましては、実践的教科教育というものについて高度の研さん、勉強をしようという意欲のある教員に対して窓を開いていく、こういう位置づけを教員大学においては持っていくわけでございます。この点については、内容のプログラム等について大学局長からお答えをしたいと思います。
  322. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 教員現職教育という観点からの文部省の施策といたしましては、一つは、国自身が各教科教育活動にわたっての内容や指導方法についての中央研修会を各面にわたって開催する、それから都道府県が実施するそのような研修会に対して財政的な助成をするというようなことをいたしておりますが、それと同時に、各種の教育研究団体のそういった自主的な研究活動というものを助成するという方法を講じておるわけでございます。そしてまた、広い意味では、教員の海外視察という面についての財政的援助をすることによって、教員がその視野を広げ、より広い幅を持った資質を備えていただくよう助成をするというようなことをいたしておるわけでございます。そういったものはどちらかといえば短期間の研修でございます。先ほど来お話がございましたように、国内の大学等に対しまして一年ないしは六カ月の内地留学ということで行かれる場合が多いわけでありますが、その場合の補充定員の確保あるいは大学教育内容のあっせんというようなことでその研修を助長するというようなことをやっておるわけであります。いずれも財政的にはまだまだ今後さらに充実して、その内容をしっかりしたものにしてまいりたい、かように思っております。
  323. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教員養成の面におきましては、養成研修の両方の段階を通じたいろいろな施策を総合的に講じていかなければならないと考えております。教養審の建議におきましてもそうした見地から、すでに、免許制度のあり方の改善であるとか、あるいは教育実習の充実であるとか、教員養成のカリキュラムの改善であるとか、研修充実教員資格認定制度の拡充というようないろいろな改善方策が示されているところでございます。これらについては、私ども、それぞれその御提案の趣旨は十分にわかりますし、課題であると考えておりますけれども、現在の実態やあるいは他の諸制度とも関連した一層の検討と準備を必要とするものが多いということも事実でございます。こういうことの中で、文部省としては、教員養成大学学部をさらに整備充実をしていくこと、教育実習を現行制度の中におきましてもできる限り改善をしていくこと、実践的な教育研究を推進すること、あるいは大学院における教員研修の機会をさらに確保し、それを推進していくこと、あるいは初等教育教員についての養成制度についてさらに改善の工夫をすること、そういったところが今日特に急がなければならない課題であるというふうに考えております。そういう課題の中にこの教員大学も先ほど申し上げましたように適切に位置づけて、全体の中でバランスのとれた施策が講ぜられていくような配慮を常にしていかなければならないと考えております。
  324. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 いろいろな諮問をし、答申がなされ、そしてまたその他のいろいろな各界からの提案がなされている。各界各層がこの問題に大変関心を持っている、そのときに、いまむしろそれを総合的に整理をし、そして一つの指針としてまとめていく、構想としてまとめていく、その中で教員大学というものが形づくられ、そしてそれを一つの部分として推進をしていくという形に十分練り上げられているのかどうか、御答弁を聞きながら実は疑問に思いました。いまからでもおそくはない、というよりもむしろ早急にこの問題と取り組まなければいけないのではないかというふうに思うわけでごごいまして、むしろこれを機会に、教員大学もその一つの糧としながらお取り組みをいただき、私どもにまた御提示をいただくことを心から期待を申し上げたいと思います。  さて、私は同時に、そのような動きの中で、この新構想大学が昭和四十七年以来話題に上ってきた。その話題に上ってき、そして審議をされる、そのことによって既設の大学に対してもある意味での刺激を与えたのではないか、このように実は判断をいたします。たとえば、既設の教員養成大学があるにもかかわらず新しい大学をつくらなければならなかった理由というものがもっとはっきり明示されるべきだと私は思いますし、むしろ、そのことの意図に必ずしも既設大学が十分こたえていなかったがゆえにこういう構想が出てきた、そして、その構想が出てき、議論をされる中で、既設の大学の皆さんもその方向、動きを見ながら、みずからも立ちおくれてはならない、もしくはみずからもそのことを検討課題としなければならない、そういう気持ちの中で論議をされたという経緯があるのではないかと、私は昭和四十七年から今日に至るまでの動きを見る中で感じられてなりません。この新構想大学というものが、既設の大学ではこたえられないものにこたえるがためにこそ新しく生まれるはずなんで、その意図をもう少し明確にしていただくことが、既設の大学の皆さんへの私ども一つの要望がより明確に発揮できるのではないかというふうに思うわけでございまして、その観点からお尋ねをしたいと思います。
  325. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のように、既設の大学も、国大協の教員養成制度特別委員会のレポートが示しておりますように、教員養成の現状あるいはその抱えている問題等については非常に長い間にわたる、また突っ込んだ検討をされ、提言をされているわけでございます。その報告書等からもうかがわれることでございますけれども、既設の大学が懸命の改善の努力をしながらもなお、なかなか既設の大学の中では対応がむずかしいという問題がございます。それはことに初等教育教員養成のところに一つは出ていると思います。これは多少差しさわりがございますけれども、あえて申し上げますと、既設の教員養成大学の場合には、小学校、中学校、高等学校あるいは特殊教育というような養成課程を持っておりますが、先日の参考人も申しておりましたように、どちらかというと専門の教科の方に学生の志向も教官の志向も偏りがちである、そういうことによって中学校、高等学校の方にウエートがかかっていって、小学校のところの養成がどうしてもむずかしくなるという御指摘がございました。私たちも、全部の大学がそうであるとは思いませんし、またそういった傾向に対してそれぞれの大学はその改善に取り組んでおられると思いますけれども、そういう全般的な一つ傾向があることは参考人のおっしゃっていたとおりであろうかと思います。それに対して教員大学の場合には、初等教育教員養成という形を正面から取り上げ、それに取り組んで、そして従来課題とされていたいろいろな問題点に取り組んでいこう、その結果が御指摘のように既設の大学にもいい影響を与えていくということを期待するわけでございます。  また、これはきわめて即物的なことになりますけれども、小学校教員養成という点を需給の点から考えますと、どうしても小学校教員については足りないわけでございます。養成が不足をいたしますが、その不足をしている養成を既設の大学の初等教育教員養成課程の拡充ということに頼るというわけには、大学の全体の課程の構成あるいは学部の構成からいってなかなかむずかしいところがございますので、そういった意味でも初等教育教員養成課程というものを別途に考えなければならないという事情が一つございます。  それから現職教員研修の機会を確保するということはもちろん一般大学を通じての課題であるし、先ほど来お答えを申し上げておりますように、既設の教員養成大学の修士の課程というものもこれから逐次整備をしていかなければなりませんけれども、実際問題として考えてみます場合に、私どもは修士の課程にできるだけ現職先生に入っていただきたいということを念願はいたしますが、実態はなかなか現職先生が既設の大学の修士の課程には入りにくい。むしろ新卒の方が修士に進み、そこで高度の研究をされるということがございます。そのことは決して悪い方向ではないわけでございます。そういったことの中でやはり大学院レベルにおける現職教員の高度の研修の機会を確保するという施策を積極的に進めるといたしますと、現在御提案を申し上げておりますような教員大学大学院というような構想を、既設の大学の整備とあわせてとるということがどうしても必要になってまいります。もちろん、教員大学だけが整備をされればいいということではなくて、教員大学の整備ということが既設の大学の抱えている問題の改善にもいい影響を与えるし、またそういった既設の大学の努力というものが、教員大学における教育研究のこれからの推進あるいは充実ということを支えることに相なろうかと思います。またそういうふうになるようにこれから全体の教員養成のあり方というものを進めていかなければならないと考えております。
  326. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 であるとするならば、この教員大学、あとどのくらいおつくりにならなければいけないのか、またおつくりになるつもりなのか。  もう一つ、うがったお尋ねかもしれませんけれども、この構想が表面化をし、そして既設の大学にいろいろな刺激を与えたことによって、既設の大学教員大学が目指すものをも包含をしながらやっていくという動きが出たとするならば、そのことによって当初のもくろみほど教員大学を数多くつくらなくてもいいということになるかもしれません。昭和四十七年段階と現段階においては、当然こういう問題だって動くわけですし、そして世の中も動くわけです。当然いろいろな動きが出てきているだろうと思うわけであります。今日段階におけるその兼ね合わせというものはどのように御判断をしておられるでしょうか。
  327. 佐野文一郎

    佐野政府委員 御指摘のとおり、四十七年の教養審の建議におきましては、現職教員のための大学院をたとえばブロックごとに配置することを提案をいたしております。そうした経緯はございますけれども、先ほどもお答えを申し上げましたように、私どもは、現在御提案を申し上げている二つ大学と、現在創設準備を進めております鳴門に続く教員大学については、現在具体的な計画を持っておりません。やはり既設の教員養成大学学部における大学院の設置構想というものがどのように検討され、そしてその各大学における構想の検討の結果、あるいは財政当局との協議の結果に基づくことではございますけれども、文部省としての計画的な設置というものが既設の大学大学院についてどのように進んでいくのか、あるいは初等教育教員の需給状況というものが今後どのように推移をするかということを考えながら、鳴門に続く教員大学をどのようにつくるかということは慎重に検討しなければいかぬことだと思っているわけでございます。
  328. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 検討された経緯の中ではブロックごとにという言葉が私は出てきたかと思うのでありますけれども、あの段階におけるブロックごととはどういうお考えだったのでしょうか。
  329. 佐野文一郎

    佐野政府委員 通常、ブロックという場合には、七ブロックに分けましたりあるいは多い場合には九ブロックに分けたりすることがございますが、教養審の建議の際のブロックというのはそこまで詰めたお考えではなかったと思います。要するに全国をそういった数個の地域に分けて、その地域に適正な配置を考えていくことが提案されたというふうに理解をしております。
  330. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 前回、国大協との協議が数回、その数回は何回をもって数回とするか議論がありました。ブロックも数カ所、それは何カ所をもって数カ所というのか、大変微妙でむずかしいのかもしれません。しかし、私は、少なくともブロックごとに分けてということになりますと二カ所や三カ所ではなかろうと思うわけであります。そこには一つの構想というものが当然あって、しかしその後の検討している段階においても情勢は流動するから、これだけで目下済むようになったとか、またはほかの理由があって、もちろん財政的なこともありますが、当面計画が立たないとかいうことが当然そこには理由としてあるだろうと思うわけであります。その理由はどこら辺が現在の最大の理由なのかをお聞かせいただきたいのです。
  331. 佐野文一郎

    佐野政府委員 ブロック別に設置をするという構想が提案をされてはおりますけれども、それを受けて私どもが各ブロック、たとえば全国七ブロックについてどこにどういうふうに教員大学を設置をしていくかという具体の計画を持ったことはないわけでございます。そういった教養審の建議というものをもちろん承知はしておりましたけれども、先ほども御説明をいたしましたように、現在構想をしているのは兵庫、上越、それに続く鳴門、そこまででございます。先ほど申し上げましたような既設の大学の整備の状況も勘案しなければなりませんし、またこの教員大学というものが生まれてどのように充実をし育っていくかということも考えながら事を進めなければならないことであると思います。
  332. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 私、昌頭に申し上げました基本的な構想というものが立てられて、それに基づいてこの施策はどこに位置づけられるのかということを考え、そして具体的に計画を立てていくということが必要なのではないか。そうしないことがいろいろな思惑を生み、混乱を生むことになっているのではないか。なし崩し的にといいますか、単発的にといいますか、そのような考え方が出ることによってむしろいろいろな思惑を生んでしまう、そういう傾向が今日まで果たしてなかっただろうか、私はそのことにむしろ疑問を持つわけなんであります。たとえば無医大県をなくそうという一つの基本的なものがあって、そしてことしは何県と何県に、これがあれば意味は非常にはっきりとしております。そういう考え方をむしろこれらについてもお持ちになるべきではないのかという気がするのです。しかし、それを持ってみたけれども、やってみたけれども、既設の教員養成大学がその養成もくろみの部分をも吸収をして実現してくれることになったからこれ以上は不必要になりましたとすれば、それはそれでいいことなのではないでしょうか。私はそのように考えますが、いかがなんでしょうか。
  333. 佐野文一郎

    佐野政府委員 既設の大学の修士の課程の整備というものを私たちはもちろんこれから力を入れて進めてまいりますけれども、その整備の状況との関係を十分に考えなければならないということを申し上げているわけではございますが、既設の大学大学院が整備をされればそれをもって教員大学は今後一切設置をする必要がないのか、また設置をするのが不適切なのかということになりますと、私たちはそのことについても、現在そうだというふうには申し上げかねるわけでございます。やはり今後の事態の推移を見ながら、鳴門に続く大学をどのように設置をしていくかということを改めて慎重に検討しなければいかぬと思っております。
  334. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 大変失礼な申し上げ方ですが、推移を見てということが今日までの文部省の諸行政の中で余りにもあり過ぎたのではないか。行政の中に推移を見ない行政というのはもちろんあり得ませんが、しかし、特に教育というものは一つの理想があるべきだと思います。そしてその理想を実現するためのプランというものがあるべきだと思います。私が先般来申し上げていることは、日本の教育の理想は何なのかということをぜひ国民みんなで協議をしてつくりたい、つくろうではありませんか、このことを申し上げてきましたが、これらの教育全般にわたる構想または具体的な構想、その一つの形、パターンというものが私は形づくられるべきだというように思えてなりません。それは決して固定されたものではありません。その上に立って推移を見ながら対応していくということが必要なのではないだろうか。これ以上申し上げることはいかがかと思いますので、そういうふうにぜひ文部省としての考え方を構築していただくことが必要ではないか。それが教育に関する混乱を防止することにもつながると思えてならないのですが、その基本的な考え方について大臣のお考えをお聞かせいただければありがたいと思います。
  335. 砂田重民

    砂田国務大臣 そういう理想を掲げることが必要であることは当然でございます。私もその点は同感でございます。しかし、各都道府県教員養成課程を持った大学が現に存在をするわけでございまして、ただ、大学それぞれお考えもあり、いま先生指摘のような高度の研修機会を現職教員に与えていくことが望ましいとなさりながらも、現実的に既存の大学現職教員を受け入れてさらに高度の研さん機会を与えるところまでまだいっていない、そういう時期にあるわけでございますから、またおしかりを受けるかもしれませんけれども、いましばらく見なければならないのではないだろうか、このように考えるものでございます。
  336. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 この問題はまたこれから折につけて、いろいろな諸問題と絡めながらまた御協議を申し上げていきたいと思います。  次に、既設の大学の中でいまたしか大学院があるのは二つだけだったかと思いますが、その理由はなぜでしょうか。
  337. 佐野文一郎

    佐野政府委員 国立の教員養成大学は、戦後、先ほどもお答えを申し上げましたけれども、旧制の師範学校を母体として発足をしたわけでございます。また、戦後急激な教員需要がございましたが、その教員需要に対処することもこれは緊急な課題として迫られたわけでございます。そういった点もございまして、教官組織あるいは施設設備等が十分とは言えない状況があったわけでございます。もちろんそのために文部省としては充実に努めてきたわけでございますけれども、全体として教育研究、教員養成大学の状況というのは十分に整備されたものとなっていなかったということがございます。東京学芸と大阪教育の場合には、発足に当たりまして複数の学校が統合してできたということもございまして、比較的教員組織も早くから充実をしておりましたし、大学院の設置を見ることができたわけでございますが、その他の大学の場合には、いま申しましたような事情、あるいは教員養成大学学部が性格上多様な専門領域から構成されているという事情もございまして、設置がおくれているということでございます。
  338. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 幾つかの理由が挙げられました。もう少し端的にお尋ねしたいと思います。  各大学側からは文部省に要請があったのでしょうか。逆に、大学側から要請があったけれども、その要請に文部省がこたえることができなかったのでしょうか。
  339. 佐野文一郎

    佐野政府委員 昭和四十四年から四十七年までは、大学院設置の要請は大学からは出ておりません。四十八年以降逐次大学院を設置したいという要望が大学側からは出てきております。四十八年度に四校、四十九年、五十年と八校、それぞれ出ております。五十一年に十校、五十二年に八校、五十三年度で十三校。十三の大学から修士の課程をつくりたいという御要望が出ております。これは率直に申しまして、これらの十三の大学すべて現在修士の課程が設置できるような整備の状況にあるとは申せません。十分に検討が進んでいるものもございますし、まだ十分に検討が進んでいないものもございます。これは大学側から要請がなかったということではございませんし、また文部省の方が、そういう要請があり、十分に設置が可能な状況にありながらもなおその設置を抑えてきたということでもございませんが、率直に申して、御要望はあっても設置をするだけの充実の状況になっていない、あるいは審査の基準から照らして設置をすることが無理だというような状況にあったということだと思います。     〔唐沢委員長代理退席、委員長着席〕
  340. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 昭和四十八年以降それが出てきた。昭和四十七年から新構想大学、新しい大学の構想が出てきた、そのことと何か、年度だけから伺いますと無関係ではないような気がしてならないのです。私はそういう意味でも新しい構想というものが無意味ではなかったとさえむしろ思いますが、それらについて十分に審査が進んでいるものと思いますと御答弁でございましたけれども、文部省御自身はこれからどういう姿勢で取り組まれるわけでございますか。
  341. 佐野文一郎

    佐野政府委員 今年度愛知教育大学大学院の設置をお願いしているわけでございます。さらに五十三年度の予算におきまして大学院の改革調査費ということで、教員養成系の大学院の幾つかを選んで設置のための調査をお願いしようと思っております。先ほどもお答えを申しましたように、既設の大学の修士というのは愛知教育大学でとめるのではなくて、大学側の検討の結果、さらにこれは財政当局との協議を経て、私どもとしては今後、大学側の準備の状況によることではございますけれども、逐次修士の課程を設置していきたいと考えております。
  342. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 新しい動きの中で既設の大学がその影響をどれだけ受けたかをはかるバロメーターを持ち合わせませんが、もしその刺激のもとに新しい意欲を持ち始めたとしたら、これは大変すばらしいことだと思います。そしてその意欲に対してかなう限りむしろこたえていく。新しい教員大学をつくることと、そしてそちらとを、どちらを優先するかというようなやぼなことは私は聞きたくありません。むしろ、既設の大学のその意欲が出てきたとすれば、それを最大限に活用することにきわめて大きな意味があるし、今後の運用についてもまた前向きに大学御自身が検討されるであろうと私は期待をするわけでありまして、私はそのことについて特に要望をさせていただきたいと思います。  さて、いままで論議されていることですが、若干具体的なことをお尋ねしたいと思いますが、現職教員大学への入学のことで、いわゆる同意を受けることの内容が非常に真剣に論議されてきました。私もそれを聞きながら、その同意を受けなければならない理由の一番大きな理由、先ほど木島先生のお尋ねの中にありましたけれども、その一番大きな理由は、やはり大学院へお入りになった先生方の後をどうして埋めるかということの問題が一番大きな理由のようにお見受けするのでありますが、そういうことでございますか。
  343. 佐野文一郎

    佐野政府委員 大学のサイドから申し上げれば、現職先生現職のままで職場を離れて長期間研修をされるわけでございますから、当然所属長許可と申しますか、同意と申しますか、それが必要であるということに尽きるわけでございます。送り出す側の御判断としては、御指摘のように定員の問題その他いろいろな状況を考えて、できるだけ本人の勉学の意欲にこたえるような形で送り出していただきたい。私の方はそれを受けて、適切な入学試験をやって入学すべき者を選抜をしていく、そういうことでございます。
  344. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 まずこの問題を考えるときに、大変差しさわりのある言い方かもしれませんけれども、たとえばその教員の日ごろの教職員団体との関係だとか、または、思想調査まではしないと思いますけれども、そういう傾向であるとかというものを教育委員会がある程度腹の底で勘案しながら選考するのではないか、そういうふうな心配を実は私におっしゃられた方もいらっしゃいました。私は、多分そういうことはないであろうと答えました。いわゆる体制側に都合のいい制度というものがもしつくられたとしても、教育委員会が所属する自治体は、いまその勢力範囲といいますか、それはきわめて多様化しています。その体制を掌握しているものは、端的に申し上げていわゆる革新自治体であったり、そしてまたその他の自治体であったりするわけでありまして、逆に、その教育委員会にとって都合のいい制度であるとするならば、われわれ言うところの革新自治体に所属する教育委員会はそこに都合のいい教師を選考することになるでありましょう。もしそういうことがありとするならばの話であります。それぞれ教育委員会都合のいい人を選ぶ。それもそういうきわめて政治的なといいますか、思想、意図を持ってどこかがするという意図があるとするならば、それはそれぞれの政治的な勢力、どの勢力が自治体を握っているかによって差別されてくることになるでありましょう。私に心配をささやいた人の心配どおりにはならないということを私自身はそういう判断の中から考えましたが、そういうふうに考えてよろしゅうございますか。
  345. 佐野文一郎

    佐野政府委員 私の方は、先ほど来お答えを申し上げておりますように、現場での実際の経験を経て問題意識なり課題意識なりを十分にお持ちの方が、それをさらに大学院のレベルにおいて研究をしようということで、そういう意欲を持って進学されようとする方であることを願うわけであります。これは全体の先生にまさにオープンで試験が行われ、また国民の前にオープンで試験が行われることでございます。適切な方が入学できるような形になるでございましょうし、また受験同意をされるに当たってももちろん、御指摘のような考慮ということではなくて、大学院設置の趣旨に従った同意が行われるというふうに確信をいたしております。
  346. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 それともう一つ、ある県からたくさんの受験者が出る、こんなに受験されては困るということからその受験同意を与えないというケースが出てくるかもしれない、そういう危惧をされている御答弁があったように思うのでありますが、そうでございますか。
  347. 佐野文一郎

    佐野政府委員 私の方は、各県別に受験をすべき者あるいは入学をする者の割り当て等は一切いたしません。これは、それぞれの県で同意を与えられた方が何人になるかというのはその県の御判断でございます。私の方はそれにこだわらずに適切な方を選抜をいたします。したがって、当面はあるいは入学者のない県が出てきたりすることは結果的にはあるかもしれませんけれども、しかし、それであっても、そのことはある時間の経過をたどって、入学すべき者の定員がふえていくこと等もございますので、その間におのずから是正をされてくることでございましょうし、むしろ、やはり大学大学として全国的にしかるべき方を選抜をするという方針を貫いていきたいと思います。
  348. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 県教委でそういう判断をするとはお考えになりますか。
  349. 佐野文一郎

    佐野政府委員 それはまさに各県での御判断によるところであろうと思います。これはその県で受験をしようと希望される方がどれだけあるかにもよることでございましょうし、これは一概には申せないと思います。
  350. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 お尋ねの仕方がまずかったかもしれませんが、同意を与えない理由にはどういうことが想定されるのでしょうか。
  351. 佐野文一郎

    佐野政府委員 先ほどもいろいろとお答えを申し上げたわけたでございます。現在のその先生が担当されておる校務の関係あるいは授業の関係から、その先生がその時点で職場を離れるということをその学校の事情が許すかどうかということがございましょうし、あるいはその県の中で、県全体の研修の計画があるわけでございますから、ある市に志願者が非常に偏ってしまうということでは困るというような御判断を県の教育委員会の方でなさるかもしれません。それはこだわらない県もあるかもしれませんけれども、いろいろな点でやはり県の教育委員会としての御判断があるでしょうし、また市町村教育委員会市町村教育委員会としての判断がありましょうから、市町村教育委員会があらかじめ県の教育委員会とも十分に御相談をいただいて、本人の希望が生かされるような形で同意が与えられるということを私たちは期待をするという以上には、なかなか申し上げかねるわけでございます。
  352. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 実は私も御答弁をお聞きしていて、同意を受けなければいけないということの条件をつけることの意味がまだのみ込めません。実はそういう通知のみでいいのではないかという気がしてならない。というのは、いろいろ差し支えがある、人数が補充できないかもしれないとか、枠が大きいとか、どこかに偏るとか、しかしそれは試験を受けてみなければ何人になるかわからないわけであります。そうしますと受験者の数では全く判断はできない。そうしますと、同意を受ける条件というものがますますなくなってくるのではないか。その同意という項目はやはり不必要、もしくはそれをそのまま置いておくにしても、現状は希望者はすべて受験ができるという状態をつくらざるを得ない、もしくはつくるべきではないかというふうに思いますし、先ほど大臣の前向きの御答弁もあったように思いますけれども、実態としてそうなるのではないでしょうか。これは一年か二年実際にやってみれば、どういう傾向があらわれるかは経験法則的にわかるでしょう。むしろそれから論議しても遅くないのかもしれません。しかし、予測として、私は、その同意の問題はあってもなくても結果は同じ、または同じにならなければいけないのではないかとやはり思いますが、いかがでしょうか。
  353. 佐野文一郎

    佐野政府委員 現職先生が長期にわたって現場を離れるわけですから所属長同意が要るということは、それは一般に行われていることであり、当然のことであろうと思います。問題は、その同意を与える与え方のいわば運用の問題について御質問があるわけでございます。先ほど木島先生の方から御質問がございまして、次回までに明確にお答えをするというお約束をしておりますので、ここでこれ以上私からお答えをするよりも、お許しいただければ次回に明確にお答えをさせていただきたいと思います。
  354. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 そのときの御答弁を期待をいたしておきます。  さて、新しい大学の構成でありますが、今日までの反省といいますか、経験からして、教育現場の経験のある、初等教育の経験をお持ちの先生方をこの教授陣の中にできるだけ入れていかれるということは、この大学意味から言って大切なことではないだろうかというふうに思うのです。それからまた、カリキュラム等は教授会でおつくりになるのでしょうが、そういう関係の構想、そしてまた大学の運用、授業の内容、そういうふうなものを考えるときに、実際の初等教育の経験のある先生方をどのように位置づけ、また包含していかれるおつもりか、お聞かせいただきたい。
  355. 佐野文一郎

    佐野政府委員 教員大学の教官に初等中等教育の経験をお持ちの方をお迎えをするということは、この大学の創設の趣旨に沿うものであると考えます。私どもは、創設後の大学教員組織を実際におつくりになっていくわけでございますけれども、その際に、御指摘のように初等中等教育の経験のある方を積極的に招聘をするように検討をしてほしいと期待をしております。  なお、現在既設の教員養成大学学部では教官五千五百人弱でございますが、この中で二三・六%に当たる約千三百人弱の方が高等学校以下の教職歴をお持ちでございます。既設の教員養成大学の場合でも、付属学校の教官との交流であるとか、あるいは公立学校の教官を付属学校の教官に迎えることは行っておりますけれども、適切な方であれば大学の教官に迎えるという試みと申しますか、それを既設の大学でも進めることが望ましいと思っております。
  356. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 私は、前向きにというよりも、文字どおり積極的にそのことをぜひ実現をしていただきたいと思います。  さて、この大学そのものとは若干離れますが、もう一つの方法としての教員研修のあり方でありますが、この実態というものはどうなっておるのでしょうか。何か校長試験だとか教頭試験をお受けになる直前の方々がたくさんそれに行っておられる。この新しい大学だってそういう方々がかなり押しかけるのじゃないかというふうな御心配をされる声も、実は全くの素人考えですが聞いたのですが、その辺の兼ね合わせはいかがでしょうか。
  357. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 現職先生に対します各種の研修は先ほど申し上げたとおりでございますが、文部省がその助成をし、都道府県のやっております研修では、初任者あるいは教職経験五年程度の方というようなものを一律にやるようにお願いしております。そのほかに、いまおっしゃったように中堅教員研修という意味で、教頭さんあるいは校長さんの方々に集まっていただいて六週間程度の研修をやるというのもございますが、これはいずれもいわば文部省の側で計画した内容のものを指導する研修でございますから、その性質としては、大学あるいは研究所等へ出かけていってテーマを選んで研究するというものとはちょっと内容が違うかと思います。
  358. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 特に新しい教員大学ができても、そこでより研究を進めることのできる人は数はわずかであります。現在のすべての先生方がよりよい先生になるように努力する意思をお持ちだと思いますが、先般の参考人の意見にもありましたように、できない先生と言われる先生方もいらっしゃることは事実です。なるがゆえに、現在いろいろな対策というものも講じられなければならないという発想が生まれてきたと思うのであります。できない先生の質の向上こそ大切だと、この前の参考人のお話がございましたが、その対策をより具体化していくとまた第二の勤務評定かという話が出てくるかもしれませんけれども、現実にはこれは決しておざなりにできない問題であると思います。その対策について文部省として取り組む御熱意があるのか、そしてその御熱意があるとすればいかなる方法をお考えになっておられるのか、また現実にそのような方法がなされているとすればそれをお聞かせいただきたい。
  359. 諸澤正道

    ○諸澤政府委員 教員研修一つは、教員の資格を取って教育界に入ってきても、現在の養成の実態からして御指摘のように必ずしも十分な教育活動が直ちにできない方もおるということからしまして、新任の先生について、これは現在のところ約十五日から二十日くらいの程度でございますけれども最初採用されましてから夏休み等の間くらいに、何日かに区切って、いまの基礎的な教師としての心構え、あるいは先輩教師についての授業の実際についての指導、こういうことをやっておるわけでありますが、これなどもいま先生の御指摘のような観点からの一つの試みだろうと思います。それから教職経験五年程度の方について、これも一律に数日の研修をするというのも、やはりその辺のところでもう一度いままでやってきたところを見直して、さらに内容を深めていただくということでございます。そのほかに、図工、音楽、体育というような小学校の実技の講習であるとか、あるいは理科であるとか数学というような教科につきまして、その教育内容あるいは教育方法が今日的な課題として新しく少しずつ変わってくる、そういうふうに変わった内容に対応して先生に研究してもらう、こういう研修会を文部省で開催するとか、そういう全般の実情を見ながらこれまでも計画してきておるわけでございまして、そういうような意味での研修というものは今後も引き続いて拡充整備をしてまいりたい、こう思うわけでございます。
  360. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 私は、教員大学をつくるよりは、むしろどちらが重大かと言えば、いまのこの問題の方が重大ではないか、ましてや緊急性を持っているのではないかというふうに思います。そういう意味で、具体的にこうしろという対案を私自身が持っているわけではありませんけれども、その緊急性と重要性というものについては痛感をいたすわけでありまして、これらの具体的な対策について、より一層充実をしていただきたいとお願いをしておきたいと思います。  なお、突然のお尋ねで申しわけないのでありますが、一つだけちょっと基本的にというか、御感想をお聞かせをいただきたいと思うのです。  一昨日、ある幼稚園に行きまして話をしておりました。中学校の家庭科の時間に、その授業の一環として、幼稚園でどのような保育が行われているのかを生徒たちに見てもらうということは両方にとって大変意味深いことなのではないかということで、家庭科の先生が幼稚園にお願いをして、公立幼稚園はなかなか引き受けてくれなかったそうですけれども、ある私立の幼稚園に家庭科の時間に生徒さんを連れて見に行かせたのであります。そして感想文を書かせたわけであります。それは中学生の目と言うよりもむしろすばらしい母親としての目と言ってもいいような内容の感想文が書かれたそうであります。そしてまた、その感想文を読みながら、その幼稚園の先生方は大変勉強になったと感激をしておられました。  一つ制度的なものではないですけれども、そのような工夫というもの、それを実現する、そのことだけにその家庭科の先生は大変御苦労なさったそうですけれども、それが苦労ではなくて、そういう企画というものがもっと積極的に、もっとたやすくできる、そういう素地を教育現場につくっていく必要があると痛感をいたしました。それは現場先生にとっても大変プラスになることです。それから、何年か後に母親となっていく、または父親となっていく子供たちに、自分を親の子として見る目から、逆に親の立場に立った、または教師立場に立った場合にどう見るかという、目で見る経験をさせることになります。中学生、小学校高学年生にそういう機会を与えることは、私は決して早過ぎると思いませんし、無意味だとも思わない、きわめて重要な意味があると思います。そういう優しい心、豊かな心を培うための一つの方法として私は大変いいことを聞いたと思いました。いま、家庭教育というものの重大性が叫ばれています。そして、若い母親や父親が子供をどう教育していいのか、むしろ育児の問題にさえ非常に困惑をしているという状態の今日、いい社会人である前にいい家庭人であるように育てること、きわめて意味の大きいことだと思うのであります。一つの例でございましたけれども、私は本当にすばらしいことを聞いたなと思って感激をしたのであります。  このことについて、一つ教育的な見地からの御所信をお聞かせいただければありがたいと思います。
  361. 砂田重民

    砂田国務大臣 学習指導要領というものが教育現場で真に生かされるためには、どうしても現場先生方の創意工夫が必要でございます。私どももそれに期待をいたしているわけでございます。いま中野委員が御発言になりましたような例は、大変好ましいと申しますか、本当にありがたい創意工夫が現場でこらされた。大変御苦労なことではあると思いますけれども、そのような創意工夫が払われることこそが子供たちにとって一番幸せな教育内容になっていく、私はこのように考えます。その当該先生に心からの敬意を表したいと思います。
  362. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 質問を終わりたいと思いますが、先ほど来申し上げてまいりましたように、教育というものは、一つの国民的な理想というものが高く掲げられ、その理想へ向かって教師と教え子がともに進んでいく姿、また親と子がともに進んでいく姿、そこに教育の理想的な手段というものもまた構築されていくだろうと思います。ぜひその日本の教育の基本を一日も早く確立をされる、そのための御努力を文部省が率先してやっていただく。そして幅広い国民各界各層の御意見を集約される、その御努力をしていただく。そして教育に対する国民のコンセンサスをつくり上げていく。その一手段として位置づけられていく幾つかの施策というものが自信を持って、信念を持って、まさに教育的愛情に支えられて能率的に実現をしていく、そういう日本の教育行政というものがより一層高く確立をされることを心から期待を申し上げて、質問を終わります。  ありがとうございました。
  363. 菅波茂

    菅波委員長 次回は、来る十四日開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後六時四分散会