○受田
委員 いまの新井さんの
質問に
関連する問題が
一つありまして、
アメリカ局長にもお残りを願いたいと思いますので、取り急ぎ韓国
関係、朝鮮半島の問題についてまず
質問をして、それから今日通告してある本論に入りたいと思います。
いまの新井
委員の
質問に対して、南北朝鮮問題に対する
政府の
見解は、私が承ったところでは非常に不熱心と言えば適切かと思うような態度でいらっしゃることです。これまでに
日本の
総理が
米国の大統領を訪問して、すでに何回かの
共同声明を発しておられます。
佐藤さんの時代から始まって、三木さん、そしていまの
福田総理という流れを見るときに、朝鮮半島に関する認識がだんだん変わってきておるのです。朝鮮半島に対する非常な緊急感がだんだん緩和されて、平和的な感覚にこれが進んできておると私は認識します。それは、これまでの韓国条項に関する三代の
総理の
共同声明を拝見しましても明確に出ている。六九年の
佐藤・ニクソン
会談のときの韓国条項は、「韓国の安全は
日本自身の安全にとって緊要」という厳しいものであり、事前協議に対しては前向きに、かつ速やかに態度を決定するという
内容を持っておりました。それが今度七五年の三木さんとフォードさんの
会談では「韓国の安全が朝鮮半島における平和の維持にとり緊要であり、また、朝鮮半島における平和の維持は
日本を含む東
アジアにおける平和と安全にとり必要」といういわゆる新韓国条項となってきました。それが今度はさらにいわば新々韓国条項とも
指摘すべきものでございましょう。
福田先生の認識の中には、「
日本及び東
アジア全体の安全のために、朝鮮半島における平和と安定の維持が引続き重要」という表現に落ちついてきたわけです。もう
一つの特徴として例の米地上軍撤退問題が非常に神経をとがらす問題として最後にこれを
福田さんは取り上げておられるのでございますが、撤退でなくて削減という表現を用いておられるのでございます。
私ここで大変重要なことを
指摘したいのです。それは
福田総理はカーター大統領との会見の中におきまして、朝鮮半島の問題に関しましては、特に南北の対話を促進するという非常に進歩的な認識を示しておられるわけです。これはいかがでしょうか、韓国と朝鮮民主主義人民共和国との間の対話を促進するところに
福田内閣はどのような前進的な措置をとっておられるのか。これは
園田先生
外務大臣になられて、前の鳩山さんの跡を継がれているわけでございますが、
園田さんはまさにユニークな感覚でこの問題と取っ組んでいただけると思うのですけれども、私実は昭和四十一年以来、日韓
条約を制定して以来南朝鮮、韓国へ四回、北朝鮮へ二回旅行しました。昭和四十六年以後は交互に
両国の親善に貢献をしてきたつもりでございます。したがって、南朝鮮、すなわち韓国へ旅をするときには北の、朝鮮民主主義人民共和国の悪口を韓国の要人たちはしきりに言う。韓国を訪問する人も、北というのは大変厳しい国であって、共産主義によって非常に固陋、かたくなな政治が行われておるという批判をするわけです。また北朝鮮すなわち朝鮮民主主義人民共和国へ参りますと、南は資本主義の政治で極端な国家主義国家であって、外国軍隊を持って、まさに民主主義の敵である、こういう批判が北朝鮮の要人からも、また訪問した人からも出る。
両方を訪問する国
会議員も、韓国を訪問する国
会議員は朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮の方は共産主義国家であるからもうわれわれは行きたくないのだ、また北朝鮮の方を訪問する国
会議員の皆さんは、南は米政権のかいらいであり朴独裁政治である、こういう批判をしてきておるわけです。ここに南北の対話を促進するのに非常に残念な障害があるわけで、私自身も
両方を交互に訪問してきただけに、この南北の対話という、せっかく
福田総理がカーターさんとの間で取り決めをした
共同声明を実践するためには、別に党派根性を抜きにして――同じ朝鮮半島で朝鮮民族として長い歴史と
日本につながってきたこの国、一番近い国、しかも
言葉と言い人間
関係の文化と言い、すべてのものがきょうだい国として
世界のどこにもない親近感のあふれるこの国です。歴史的には幾つかの変遷があって、むしろこちらが朝鮮をいじめておる、
向こうへ大変迷惑をかけているような歴史があるのですが、そんなものを抜きにして、どの国よりもじっこんにしなければならないこの国に、南と北に分かれた姿というのは耐え得ないものがあるのです。
園田さん、あなたのようなすかっとした感覚の
外務大臣が出た
機会に、ぜひこの朝鮮問題には
福田・カーター
共同声明の真の趣旨徹底のために具体的に
共同声明を実践してもらう。
言葉だけではない、南北の対話を促進して、朝鮮半島の安全と平和というものに、「安定」という
言葉が使ってあるが、積極的に取っ組むのだという熱意を持ってもらいたいのです。
佐藤時代よりも大幅に前進した三木時代、さらに
福田時代です。この韓国条項に対する認識の進みぐあいにおいて緊張が緩和して、いま非常に融和の状況にあるというこの歴史の
過程において、
外務大臣としての決断を承りたいのです。