○
横山委員 私が申し上げております国の
責任というものは、
大臣の言われる長い間の歴史的な
経過よりも、まさに
戦争を起こすこと、
戦争をやめること、その決断をするときの問題、そこに凝集されると思うのであります。だから
戦争を起こしたのは
国民ではない。当時の
指導者である。当時の
指導者は国と離れて存立するものではない。いわゆる当時の
指導者が国を看板にして
戦争を起こしたのだ。したがって、当時の
指導者と国と分けて
考えることはできないのである。国が間違いを起こしたのである。国が
過失というよりも、国が
故意に
戦争を起こした。
故意という
言葉は適当であるかどうかはわかりません。少なくとも
戦争責任というものは国が負うべきである。しかし、そういう
戦争責任が
権力によって
国民を引きずっていった。その
国民の中には
軍人もおれば、
軍属もおれば、
警防団もおれば、
一般国民もおる。そういうふうに私は理解できると思うのであります。
そこで、
全国戦災傷害者連絡会の会長の
杉山千佐子さんが、私が
質問をすると言いましたら、短い
文章ではありますけれ
ども、ぜひ
大臣に陳情してくれという
文章をよこしましたので、御披露をいたしたいと思う。
昭和16年12月8日太平洋
戦争がはじまり、
ラジオ、
新聞の報道を鵜のみに信じ、いや信じこまされて、あくまでも
聖戦であり、必ず勝つと
国家総動員法の下に
軍官民ひとつになって、国を守りつづけてきました。
突然鳴りひびく
空襲警報に驚きと困惑の中にも、お国のため、陛下の御為と歯をくいしばり、お互いにはげましあって頑張りました。しかし、敵の攻撃は激しく、20年にはいってからは国中めぼしい都市は敵のなすままにされ炎の中に地獄そのままでした。瓦礫の山のそこ、ここに焼
死体の山、家を焼かれ肉親をうばわれ、手足を顔を無惨に傷つき生れもつかぬ姿になっても、何ひとつ不平も
ウラミもいえず、国の
方針にだまって従っていました。
昭和27年4月、
戦傷病者戦没者遺族等援護法制定の日より、私
達民間人は全く不平等な扱いをうけることになりました。同じ
戦争の
犠牲者になぜ
政府は目をむけなかったのでしょうか。特に
戦災傷害者はこの30
有余年は地をはうように生きてきました。今や老齢化したこれら
傷害者は国から何の
援護もなく怨みをだきながら死んでゆきます。すでに
大半が死んでゆきました。
毎年
社会福祉、
社会福祉と
各党で叫ばれつづけられ、
福祉年金は増額されてますが、末端の本人の手には入らない仕組になっています。増額された事を
テレビ、
ラジオで
新聞でただ
眺め指をくわえて、そして死んでゆきます。ふたつの
年金は支給しない、33万で限度がきめられている為、ここに例をあげますと、
私学共済年金28万のため
福祉年金は33万の差額のみしか支給されません。現在の物価高に
年収33万でどうやって生きてゆけましょう。働くには年をとりすぎ、しかも
障害度も重度では
雇用もむづかしく、
老人ホームには65才に満たぬから資格なしといわれ益々前途は暗くなります。
両足大腿部切断の女性(20年3月19日
被災)一生懸命働きつづけて
年収70万をされるため
社会福祉年金一級を給付されやっと
最低の生計をたてています。年令も50をすぎ健康もわるく、まして危険な
交通事情で車椅子での
通勤もむづかしくなり今勤めをやめたらと調べますと、
若年老齢年金が39万支給されますので、この時点で
福祉年金は打ち切りです。働いて70万近い
年収と
福祉年金とを加えてさえ
最低生活をしていたものが39万ではどうやっても生活できません。まして
両足はなく、財産もなく、ここでも死を待つのみです。
低額年金生活者にもっとあたたかい法はないのでしょうか。
福祉年金を全額上のせするとか、又は
障害重度で
保護者のない場合50才又は55才で
老人ホームに入れるとか
考えて頂きたいです。
戦傷病者戦没者遺族等の
援護法にはこうした
制限はなく、同じ
戦争の
傷害を受けながら
民間ゆえに、一番
救済の手を待つ弱者、
戦災傷害者に何故このような苛酷な
制限があるのでしょう、一日も早く是正して下さい。
あれから30
有余年、
戦災傷害者は老齢化しています。
街頭署名や陳情に出られぬ者が
大半になりました。一日も早く援助の手を。
戦時災害援護法制定
全国実態調査を早急に実施
国鉄無料
医療費補装具無料
見えない目でくだくだと書きました。
ご判読下さい。
まことに哀れといいますか、気の毒といいますか、いま
厚生省から
事務当局から話がございましたが、あなたの話では解決できない問題をこの中に含んでいることは、おわかりのとおりだと思うのであります。
もうすでに私が申し上げるまでもなく、
軍人軍属あるいはまた
警防団、
義勇軍等については逐年
一つ一つ入っていきました。そのときどきに必ず
厚生省は、それは
軍人とは違います。あるいはまた
軍属とは違います。あるいは、これも
理屈が合いませんと言ってきましたけれ
ども、しかし結局は
一つ一つわれわれの要望が入っていったわけであります。残りますのは
一般戦災者、そういうことになるのであります。そして、
一般戦災者もまことに数が少なくなってきました。もう老齢化している、そういう気の毒な
人たちで、老齢化しているがゆえによけいに
困窮度が高まっておるわけです。
ここで百尺竿頭一歩を進めて、これらの人を
救済をすることが果たして
理屈に合わないことであろうか、不可能なことであろうか、そう
考えますと、私はそうは思わないのであります。そればかりではありません。いま私は
法務委員をしておるわけですが、
刑事被害者補償法を今度法務省も
制定しようとしています。いま
大蔵省と折衝中でありますが、要するに
刑事被害者補償法というのは、
赤軍派、
過激派がその辺へ
爆弾を投げた。そのために無事の
国民が傷を負った、それは気の毒だというわけで
補償をしようというわけです。私はいいことだと思うのです。また飛騨川の
転落事故あるいは
カネミ訴訟あるいは
スモン訴訟、そういう例をとりましても、
近代社会の中で、いままで、とうてい国が
補償しなかった問題が、新しい
経済社会の新しい要請と新しい判断に立って
補償されようとしているわけであります。その新しい問題とこの
戦災者と比べますと、そこに法の不公平というものがどうしても出てくるとは思いませんか。
厚生省の所管ではない、それはよその省がやることだとは言えません。全体的に、それらがいま、いよいよ実現をするというのであるならば、道を歩いておって
赤軍派に
爆弾を投げられて、そして死んだ。傷を負った。それもまた
国家が
補償しようとする時代に、なぜ
軍人軍属と変わらず、
内地で私
どもと一緒に
防火バケツを手に、そして焼夷弾で死んでいった、本当に
戦争のために、それこそ
政府が何と言っても、それを信じて死んでいった
戦死者と、それらの
人たちの違いがどこにありますか、ないじゃありませんか。
厚生省オンリーのお
考えでは前のとおりのいろいろな
考えがあるかもしれない。しかし
他省では、あるいはまた最高裁の判決では、新しく国の
責任というものが、
国家賠償法の一条、二条について、あるいは
食品衛生法あるいは
薬事法の
国家の
責任というものが
範囲が広がっていこうとしている時期ではありませんか。そういう時期に、どうしていつまでも
一般戦災者の問題について冷たい態度をとるのでしょうか。私はその点が大変残念だと思うのですが、
大臣はどうお
考えになりますか。