○中島
参考人 ただいま御紹介いただきました中島でございます。
私は、ただいま学術
会議の第四部の
会員でございまして、学術
会議は最近の総会におきまして、第十一期と申しますが、新しい学術
会議の今後の三
年間でどういうことをするかということでいろいろ議論をいたしまして、それで、
原子力関係の問題をどう扱うかということが、これは
会員各位の中で非常に関心事でありまして、今度
二つの
委員会が設けられることになったことを
最初に申し上げておきます。
一つは、エネルギー資源開発問題特別
委員会というのを設けまして、
原子力エネルギーのエネルギーとしての位置づけをどうするかということを三
年間詰めてやりたいということであります。もう
一つは、きょうの
お話に大変関係がございますが、
原子力平和問題特別
委員会という名前でございます。これは前期末以来のいろいろな情勢の変化を
考えますと、学術
会議が提唱いたしました平和利用三原則というのは、そもそも
核兵器とのかかわり合いから発想されたものでありますけれども、そのことの意義がもう一度改めて研究されなければならないということで、そういう特別な
委員会が設けられたわけでございます。
それで、きょうの使用済み
核燃料の問題の第一に私が申し上げたいのは、
原子力というものが
核兵器と非常に深いかかわり合いがあるということは申し上げるまでもないことでありますけれども、たとえば
原子力時代が始まりましたいまから三十年前になりますけれども、有名なアチソン・リリエンソール報告というのがございまして、その中で、核エネルギーと
核兵器というのは、そもそもの初めからきわめて強いインターコネクションを持っているということが述べられております。それから三十年たったわけでありますけれども、この三十
年間の
経験というものによっても、そのことが否定されて、いまや
核兵器はもうなくなって平和利用の時代だと言うことはできない、そういう状況であるということは大変残念なことでありますけれども、皆さんもよく御
承知のことかと思います。
それから有名なマイター報告、カーター大統領の
原子力政策のブループリントだと言われておりますが、その中には、
原子力の平和利用と軍事利用を分かつ分水嶺がこの再
処理の
技術であるというふうに述べられておりまして、これは私ども忘れてはならないことではないかと思うのであります。
ところが、今度の
原子炉等
規制法案の改正理由を、実は資料をいただきまして昨日読ましていただいたのでありますけれども、その提案理由を拝見いたしますと、この
核兵器との結びつきについてはほとんど触れられておりませんで、ただ一行、「
原子力の平和利用と核の不拡散は両立し得るとの基本理念に立脚し、」ということだけが述べられておりまして、矛盾を両立させるための具体的な
方法は何ら述べられていないということを私は心配いたします。
原子力三原則があるから大丈夫なんだというようなことが国際的には全然通用しなかったということは、申し上げるまでもございませんけれども、昨年の日米
核燃料交渉の経緯を見ましても明らかであろうかと思います。
皆さんには釈迦に説法かと思いますが、念のため申しておきますと、昨年の日米
東海村核再
処理施設の
運転に関する合意についての共同声明の中には、「
日本国及び合衆国は、
核燃料サイクル及び
プルトニウムの将来の役割を評価するために協力する。両国は、
プルトニウムが核拡散上重大な危険性を有するものであり、
軽水炉でのそのリ
サイクルは、現時点では、商業利用に供される段階にはなく、その尚早な商業化は避けられるべきであるとの見解を共有する。」というふうに述べられております。
〔佐々木(義)
委員長代理退席、
委員長着席〕
こういうことと今回の民間再
処理工場という御提案とがどういうかかわりを持つのか、私にはちょっと理解しかねるのであります。これも御
承知のとおりでありますが、現に
原子力委員会におかれましては、国際問題等懇談会を設けられまして、こういう問題についての検討をお始めになったということは聞いておりますけれども、一定の結論をお出しになって、どうするんだということを表明されたことを私は聞いておりません。なるべく近いうちに私どもとしましては
原子力委員会にもお目にかかりまして、われわれがどういう点を危惧しているかということを申し上げたいと思っているわけであります。これをいたずらに急ぎますと、現在のような国際
環境のもとにおいては、たとえば発展途上国に対して要らぬ誤解を与えるということが生じるのではないかということを私は恐れるものであります。これについてはまた後でちょっと申したいと思います。
次に移りたいと思います。第二の問題は、民間の再
処理工場ということでありますが、その
技術的、経済的困難さということについてどなたもおっしゃいませんでしたので、ちょっと申し上げたいと思うのであります。
実は、一九六〇年代の初めごろから、
アメリカでも民間で再
処理をすることが可能でもあるし、かつ利益もあるんだというふうに
考えられた時代がございまして、
企業化が行われたわけであります。そうして、行われましたけれども、はっきり申し上げれば、現時点ではすべて失敗したというのがその歴史的現実であります。
全部について触れる時間がございませんので、たとえばこれは一番有名なNFSという
工場がございます。これはニューヨーク州のウェストバーレイというところにつくられた再
処理工場でございまして、
建設費としては当時のお金で三千万ドル
程度のものでありますが、
ウラン処理量が
年間三百トンぐらいの
工場でございまして、それで六六年から操業を開始いたしまして、結局一九七二年に一回
運転を中止しております。これは、
一つは従業員の
被曝が非常に増大したことがその理由でございまして、もう
一つは六十万ガロン——ガロンというのは私どもにはちょっとなじみの薄い単位ですが、四リッターが大体一ガロンと略算させていただきますと二百四十万リッター、そういう高
レベル廃棄物が許容限度いっぱいたまってしまったということがその閉鎖の理由であります。それで
施設を新たにつくり直して拡大したいということで停止したのでありますけれども、その追加投資が余りにも大き過ぎるということで、これはその後放棄されまして、現在六十万立米の高
レベル廃棄物は政府の
一つのお荷物——管理しておりますのはニューヨーク州だそうでありますが、これは何とかしなければならぬという形で残っておる。しかも、実際このうちのどのくらいの
燃料を
処理したかというと、わずかに六百三十トンでありまして、しかもそのうち六割は政府からの注文であって、実際の民間からの商業再
処理と呼べるものはそのうちの四割にすぎないということが記録されております。そして、商業ベースで一キログラム
当たりわずか三十ドルの再
処理料金しか取らなかったために資本経費も賄えないということで、この
工場は
企業的には完全に失敗しておるわけであります。
もうこれ以上余り申し上げませんが、そのほかにもGEのモーリス
工場、これは半乾式再
処理法と申します新しい
技術を採用して、その見込みが甘かったためでありますが、これも成功しておりません。それからアライドケミカルのバーンウエル
工場、これがちょうどいま問題になっております民間第二再
処理工場と同じ規模の千五百トン規模の
工場でございますが、これは七千万ドルぐらいの経費の見積もりでスタートをしたけれども、
環境規制、それからいろいろな保障措置関係の経費が非常に増大するというようなことで、その見積もりが十倍にも上がり、これは政府に補助金の要請をしたけれども拒否されているというようなことで、やはり困難になっておるわけです。
時間がないので、私こういうふうに米国の例だけ申したわけでありますが、この米国の場合でも、実はサバンナリバーというところの
原子力潜水艦用の
原子炉の
燃料を再
処理いたします
工場はちゃんと動いているのでありまして、私の申したいのは、米国ではそういう
工場を幾つも動かした
経験を持っておって、その
技術的なバックグラウンドや
経験は十分ある、にもかかわらず民間再
処理工場が失敗したという事実を皆さんの記憶にとどめておいていただく必要があるのではないかということであります。残念ながら、
日本ではまだわずかに
動燃の再
処理工場を動かし始めたばかり——と申しますよりは、私どもが大変残念に思いますのは、
動燃の再
処理工場をつくるということか決まりますと、原研の再
処理施設はもう要らないからやめろということになる。そういうやり方か、いままで二十
年間やってきたことでありまして、
田島先生もおっしゃったように、本来基礎研究に戻るべきことが多いということであるにもかかわらず、実際問題としては非常に困難であったということが、私、創立以来
原子力発電所におりまして大変残念に思っております。新しいプロジェクトが決まりますと、いままでの基礎研究が放棄されるというのが残念ながら歴史でございます。
時間がありませんので次に進みます。三番目に、再
処理工場というのも
工場でありますから、
工場には必ず製品がございます。その製品は、
プルトニウムと高
レベル廃棄物が製品であるとおっしゃる方はないと思いますが、
プルトニウムと
ウランが製品でありますけれども、それではその用途が明確なのかというと、これがきわめて不明確でありまして、たとえば
動燃の再
処理工場は試験プラントだからそういうことはいいんだとおっしゃるかもしれませんけれども、分離されたいわゆる減損
ウラン、これは実際は
天然ウランよりは235をたくさん含んでいるにもかかわらず、その用途は濃縮
ウラン工場へ戻すのかということも決まっておらなければ、別のリアクターに入れて燃すのかということも不明確である。総じてそういうような
核燃料サイクルを確立するためにとおっしゃいますけれども、
核燃料サイクルを確立するための総合的な検討というのは決して周到には行われておらないと私は申し上げざるを得ないのであります。
濃縮のことを申しましたのですが、今度の
規制法に関連いたしまして、私、調べて驚いたのですけれども、
ウラン濃縮については
規制法はどこにも触れておらない。製練事業でも触れておりませんし、加工事業でも触れておらない、あるいはどこかに規定があるのでしょうけれども、少なくとも
ウラン濃縮をいかにして
規制するかということは全然触れておりませんので、これは
核兵器との関連ということで申しますと、私の大変心配になる点であります。
それから、
プルトニウムにつきましては、
アメリカの場合では、それを
軽水炉にリ
サイクルするためにGESMO報告と呼ばれております膨大な報告をつくりまして、社会的な、経済的なあるいは
技術的な検討を行ったことは御
承知のとおりでございます。そういう点もわが国ではまだほとんど検討が行われていないのではないかというふうに思います。
それから、先ほど
河村先生が冒頭におっしゃったのですけれども、実は再
処理というのは決して
軽水炉の
ウラン・
プルトニウムサイクルだけを
考えるべきものではございませんで、
アメリカで計画されておりました第四
工場も
高温ガス炉用の再
処理工場でありましたし、それから、当然のことでありますが、高速増殖炉の
燃料をどういうふうに再
処理するかというふうに、
核燃料が変われば当然再
処理の
方法が変わってまいりますから、私が申したいのは、
核燃料サイクルを決める、
核燃料サイクルをどういうふうに
考えるかということの方が実は重要でありまして、
河村先生もおっしゃったような
トリウムサイクル等々も含めて、広い視野から総合的な検討を行うことがいま必要なので、民間再
処理工場を急ぐ時期では決してないのじゃないかというふうに私は
考えるものであります。
それから、次に第四点でありますが、再
処理工場が危険性を持っているということの特徴は、いろいろな方がもう述べられましたけれども、要するに
核燃料サイクル中で発生いたしました
原子炉で
放射能というものがつくられるわけですけれども、その九九・九八%までの
放射能というのは再
処理工場に集められ、そしてせっかく防護されていた被覆が解かれるわけでありますから、よほどなことをやらなければ
環境へ非常に大きなインパクトを生ずるということはもう
清水先生その他から詳しく述べられたとおりでございます。
念のため申しますならば、
原子炉の炉心溶融あるいは
原子炉の
平常運転で
放出されます
放射能とは違った核種の
放射能が
環境に出るというのが再
処理工場の特徴でありまして、一般的に申せば、比較的
寿命の長い核種の、これは
原子炉の爆発のようなこわさがなくて、じわじわとした危険性が確実に、しかも
環境にそれがしみ通っていくという、こういうことを申すと怒られるかもしれません。確かに
原子炉と違いまして高温、高圧ではありませんから、比較的軽視されやすいのですけれども、
環境へのインパクトの重大性はやはり指摘をしておく必要があろうかと思います。
それから、もう
一つ厄介な問題で私が申し上げておきたいと思いますのは、
プルトニウムを含んだ、つまり再
処理工場というと
プルトニウムが製品だと申しましたので、全部製品の方に
プルトニウムがいくように普通の方はお
考えなんです。実は厄介なのは、しぼり取り損なった微量の
プルトニウムが
廃棄物の中に残る。これが非常に厄介であります。これはたとえばハンフォードにあります
プルトニウムなんかですと、ビスマスを使った、蒼鉛を使った、沈澱法なんかを使ったものですから、
プルトニウムが
廃棄物の中に五%も入っているということになります。これは
廃棄物だということで放置されているのですけれども、この問題は
かなり重要なものである。実は現在のところは、再
処理工場からの
廃棄物よりも、関連して起こる
プルトニウムのリサイクリングによって生ずる、たとえば加工
施設その他からの
廃棄物が相当ございまして、これは原研でも大変困難な問題があるのですけれども、比較的これは無視されておるということを私は申し上げておきたいと思います。これは非常に重大な問題であります。
それから最後に、五番目に、
民営ということでありますが、実は学術
会議は三原則を提唱いたしましたときに、単に民主、自主、公開ということを言っただけではありませんで、当時のいろいろな国際情勢、つまり軍事利用が圧倒的に多いという状況から
考えて、
核燃料物質、特殊核物質というのは厳重な
国家管理にすべきであるということを言っておる。十八回総会の決議を見ていただけばわかりますが、そういうことが述べられてございます。それでその後実は原子
燃料公社がつくられまして、原子
燃料公社の一番大きな仕事というのは本来
核燃料の所有をするということであったのですが、いわゆる
動燃事業団に改組されましたときに、これが何となく消えて、何となくと申し上げると失礼ですが、消えてしまいまして、民有が認められるようになっておる。しかし、このことはもう一度
考え直すべき時期に来ているのではないかというふうに私は
考えておるわけであります。
先ほど
河村さんもお触れになりましたけれども、国際的な再
処理工場といったものを国際的に協調してやろう、これはいわゆる政府間ベースでもいろいろやれますが、私、きょう持ってまいりましたこの本は、昨年の夏開かれました。ハグウォッシュ
会議で、
アメリカと
カナダのグループがつくりました再
処理工場のインターナショナルアレンジメントに関する諸問題、たとえば制度的な問題、
技術的な問題、IAEAの関与の仕方の問題といったことを非常に詳細に検討した本でありますけれども、ただ、これを読んで
感じますことは、ヨーロッパでは比較的、たとえば西ドイツと
フランスとイギリスとが協調する、つまり
核兵器国と非
核兵器国が平和利用の再
処理工場において協力するとかというようないろいろな組み合わせがあり得るわけですけれども、
日本の場合はこの事業が非常に違っております。これはアジアにある。しかも中国があり、ソビエトがある。それからフィリピン、
台湾、韓国といったような国がありまして、この事情が非常に変わっておりまして、こういう問題が今度具体的な問題として非常にヨーロッパと違って独自に
考えなければならない問題を提供することは私は明らかであろうと思います。こういう点から見まして、これが民間
工場というようなことで私はできるとはとうてい思われないのでありまして、どうしてもその辺の制度そのものをもう一度再検討する必要があるのではないかというふうに私は
考えるものであります。
少し時間を超過いたしましたけれども、以上で私の
意見を申し上げさせていただきました。