○寺田熊雄君 私は、
日本社会党を代表して、
さきの
政府演説に関し、
総理並びに
関係大臣に対して
質問をいたします。
その第一点は、政治の道義性についてであります。
いわゆるロッキード
事件は、自由民主党によって行われる
わが国の政治が、
国民の目の届かない裏街道で、外国の多国籍
企業の醜い金銭的買収のとりことなった事実を
国民の前に明らかにいたしました。それは、政治に対する
国民の不信をいやが上にも大きなものとしたのであります。
これについて、当時三木内閣の副
総理であった
福田首相は、第七十七
国会において次のように述べられました。すなわち、「私は、こういう
疑惑を持たれるような
事件が起こる背景というものがあると思う。
わが国の社会的風土、政治的風潮というか、金さえあれば、物さえあれば、これが人生だという風潮が流れているところに問題がある。そういう風潮がどうしてかもし出されたかはむずかしいが、金で政治が支配される、金で政治を支配するという風潮が政界にないか、反省させられる。
国民みんなで、何より政治家、特に、いま政権を担当する自民党において、本当に心から反省するいい
機会である」と言われたのであります。
ところが、本年九月十日発表せられました
昭和五十一年分の政治
資金収支
報告書を見ますと、自由民主党の台所がすべて大
企業の献金によって賄われていることが明らかであります。これらの大
企業は、税制はもちろん、金融
政策、産業
政策、労働
政策など、
わが国の政治全般に深いかかわり合いを持っていることは言うまでもありません。これらの大
企業の献金によって支えられる政党が、どうして大
企業の利益を図らないでおられるでしょうか。
総理が真に
日本の政治を
国民的なものとすることを欲せられるならば、これらの
企業献金と絶縁することがぜひとも必要であると信じますが、
総理にこれを断行する
決意がおありでしょうか。ただ、この際、特に付言いたしたいことは、大
企業の社長以下の重役や部課長など、いわゆる会社の利益代表者がそろってする個人献金は、装いを変えた
企業献金にほかならないということであります。
次に、千代田
経済懇話会など、
総理の率いられるいわゆる
福田派政治団体が五十一年中に十億円を超える大金を衆参両院の国
会議員や秘書などに送っている事実も明らかになっておりますが、
総理は、
国民に対してこの事実をどのように説明せられるのでしょうか。しかも、これらの金はすべて表街道の金であります。裏街道の金を合わせた場合、それはさらに巨額なものとなるのではないかと言われておりますが、この事実は、
わが国の政権の掌握が金力に深く依存していることを物語るものではないでしょうか。しかも、派閥的政治団体に対するそれらの金の出所は、
昭和五十年第七十四
国会における政治
資金規正法の意図的な改悪によって、大部分黒いベールに覆われているのであります。これらの事実は、
さきにロッキード
事件について語られた
総理の御所感と全く矛盾するように思われるが、いかがでしょうか。
また
総理は、今後の自派の政治団体を維持せられるおつもりでしょうか。そして、その団体に吸収せられた
企業からの献金を自派の国
会議員に送り続けるおつもりでしょうか。それとも、こうしたことをやめて、
企業献金を禁止するか、少なくともそうした献金の出所をことごとく
国民の前に明らかにするための政治
資金規正法の改正を断行する
決意がおありかどうか、お
伺いをいたしたいのであります。
第二に、私は、
最高裁判事の任命方法等について
お尋ねをいたしたいと思います。
最近、
最高裁において、勤労者の労働基本権について過去になされた大法廷判決、すなわち、
昭和四十一年のいわゆる全逓中郵
事件判決や
昭和四十四年の都教組
事件の判決などが次々と変更せられたことは御承知のとおりであります。
裁判が、裁判官の能力や人生体験の広さ、深さ、公平さなどによって結論を異にするものであることは洋の東西を問いません。ことに、問題が歴史の進歩や政治の変化並びに階級的利害などにつながる場合には、それが裁判官の持つ
世界観や歴史観によって左右されざるを得ないことも、何人も承認するところと存じます。
ところが、ここ数年来の
最高裁長官や同判事の任命を見ますと、それが著しく体制擁護執心派ないし支配層擁護派とも言うべき保守的な人々に偏っていることを指摘せざるを得ないのであります。
私は、過去において、
最高裁長官等に対して、
最高裁判事は思想的に中立の人であることが望ましいという意見を申し述べてまいりました。そのこと自体には
最高裁長官なども異議はなく、時として、いずれの陣営からも中立的と目せられる人物が選任ぜられる希有の事例もなかったわけではありません。しかし、その後の長官人事や裁判官人事を見ますと、それは大
企業の顧問弁護士であった人々や
政府の
施策にきわめて忠実であった行政官など、現在の支配層擁護派ないし体制擁護派とも言うべき保守的な人々に的がしぼられていることが疑い得ないと存じます。ことに、最近大
企業の顧問弁護士から採用せられました一裁判官のごときは、現行憲法の権威に対して深い
疑惑を表明してはばからぬばかりか、女子の深夜労働の禁止や生理休暇の必要性すら否定するような言辞を弄している人物であると報ぜられております。もしも、このような時勢に暗く、旧憲法的感覚しか持ち合わせぬ裁判官がありとすれば、
最高裁が果たしてよく現行憲法の守護者として
国民の基本的人権を守っていくことができるかどうか、疑わざるを得ません。それは、ひいて裁判の権威を傷つけ、裁判に対する
国民の信頼を失わしめるおそれなしとしないのであります。
総理御承知のように、
最高裁は憲法の番人であります。したがって、時には
政府の重要
施策に対しても、これを否定することも義務づけられる場合があるのであります。偏った保守的政治思想を持つ体制擁護派ないし支配層擁護派とも言うべき裁判官のみで占められる
最高裁で、どうしてこのような憲法から託された神聖な義務が果たされ得るでありましょうか。
このような
考え方からいたしますと、
最高裁判事は、政治的に中立な人々、ひたすら憲法を守ろうとする公正な信念の所有者から選任せらるべきであると信ずるが、
総理のお
考えはどんなものでしょうか。また、適正な人事を保証するための方法として、
一つには、何らかの機関、たとえば
政府、
国会、
最高裁、日弁連などの代表者によって構成せられる裁判官任命諮問委員会のごときものを設置してはどうか。また二つには、現在の
最高裁裁判官
国民審査の方式がバツ印しか記載を認めず、何らの意思表示もなし得ない人、また、実際なさなかった人の投票をことごとく信任票と認めてしまう不
合理さを改めまして、これをマルとバツの投票方式に改正すべきではないかと
考えるが、
総理のこれに対する御所見を
伺いたいのであります。
第三は、
経済の問題、とりわけ
景気の問題であります。
総理は、その
所信表明演説において、最近の
わが国経済が設備投資など民間活動の盛り上がりに乏しく、雇用情勢の改善もおくれるなど、望ましからざる状況にあることを認められ、従来取り来った一連の
景気政策に比して、さらに総合的な
経済政策を決定した旨を述べられました。その
内容を見ますと、それは、
財政による
需要喚起、すなわち、
公共事業の
推進や
住宅公庫の
貸付枠の
拡大並びに金利の
引き下げなどを
中心とする過去の
不況対策と異なるところはありません。もっとも、今回はそれに民間
需要の喚起策を加えたほか、従来の
構造不況業種対策、
中小企業対策、
雇用対策などに若干の造作を施してはおるのであります。これらの
不況対策は、現在のままでは六・七%の
経済成長率を達成できず、国際的にも顔向けができないので、六・七彩
成長を達成するために打ち出したものと
考えられるのでありますが、しかし、そうであったといたしましても、それなりの
景気刺激的
効果を持つことは否定し得ないところであります。しかし、私どもの見るところでは、今日の
不況は余りにも深く
わが国経済に根をおろしており、これらの
施策によって
景気が立ち直るとも
考えられず、
不況感が払拭せられるものでもございません。
総理、従来の
政府の
対策は余りにも
財政主導型に傾斜し過ぎ、その他の要素、たとえば
国民総支出の六割近い個人消費の
景気に及ぼす
影響を無視し過ぎたのではないでしょうか。都市と農村とを問わず、
国民の購買力を
増加させる方法、そのためには、
福祉をさらに進めて老後の安定を図ることや、
物価対策、とりわけ公共料金の騰貴抑制などが大切でございますが、
政府はこうした点には余り重きを置かず、ひたすら
財政の働きに頼り過ぎたのではないでしょうか。しかも、そうした
対策すら公債依存率にこだわってタイミングを誤り、小刻みの、そして時期おくれの
対策ばかりであったように思われるのであります。
顧みますと、三木内閣
時代にとられた
昭和五十年中の四次にわたる
景気対策も、すべて
財政主導型とも言うべき
公共事業の
推進、
財政投
融資資金による
住宅公庫の
貸付枠の
拡大を柱としたものでございました。
昭和五十一年中にとられた二回にわたる
景気対策、すなわち、五十一年三月の八項目の
景気対策と同年十一月の七項目の
景気対策もまたそれ以前のものと少しも変わらず、わずかに、
中小企業金融に対する
政府資金の若干の
増加、地方自治体に対する起債枠の
拡大、国鉄、電電公社の工事削減分のある程度の復活とか、平凡な官僚的発想の域を出るものではありませんでした。
その間、
福田総理は、三木内閣の
経済政策を取り仕切る副
総理としてこのような官僚的発想を擁護し、次のように言われました。すなわち、
日本経済は
昭和四十八年秋の
石油危機によって深刻な打撃を受け、全治三年の重症であると診断して、
財政と輸出とによって
日本の
景気は五十一年中に立ち直るという
見通しを述べておられたのであります。すなわち、
昭和五十一年一月二十七日の当院本
会議における小柳勇議員の
質問に対する
総理の答弁を見てみますと、「第四次
景気対策の
効果の浸透から見まして、これからの
経済は上向きに転ずるであろう。そして、それを受けて五十一年度四月から始まる
状態はどうなるかと言いますと、私はこれは比較的明るい
展望ができると思うんです。つまり、昨年総落ち込みでありましたこの
世界経済が今度は総浮揚である、どこの国を見ましてもプラス
成長に転ずると、こう推しはかられる。」、「私はことしの
経済というものは、これは相当明るい
展望を持ってよろしかろう。私は、
経済演説で、インフレも
不況もこれでおしまいだと、こういうふうに申し上げましたが、そのような年になり得る、かように
考えておるのであります。」というふうになっておるのであります。
総理、あなたのこの
経済見通しはみごとに外れたのではないでしょうか。このような余りにも楽観的な
見通しが、安易で小出しの
財政一辺倒の
対策を生み、深刻な
経済不況をもたらしたものと
考えるのでありまして、
総理の率直な反省の弁を期待いたしたいのであります。
さて、今回の
対策のうち、いま私が特に問題といたしたいのは金利の
引き下げの問題であります。
この
金利引き下げによって、大
企業の短期プライムレートは四・五%と一年もの定期預金
利子の五・二五%を下回り、
長期プライムレートも三カ月おくれて〇・三%下がり七・六%となるなど、その受ける利益はまことに巨大なものがあります。日銀当局によりますと、ことしに入ってからの三回にわたる貸出金利の
引き下げにより、資本金一千万円以上の
企業十七万社の受ける利益は
年間二兆円、
銀行預金
利子の低下によってこうむる損失は八千億円、差し引き一兆二千億円の利益となるというのであります。一方、これと並行して行われました一連の預貯金
利子の
引き下げや金銭信託の配当率の
引き下げなどによって一般
国民の受ける損失は
年間一兆五千億円近いと言われているのであります。そうといたしますと、このような低金利
政策は、一般
国民の所得を減らして、その分だけ
企業の所得をふやすことを目的とした一種残酷なる所得配分
政策であると申しましても過言でないように思うのでありますが、
総理はどのように
考えられますか、御意見を承りたいのであります。
そのようなマクロの見地を離れてみましても、私
たちは、かなりの
国民からこの預貯金
利子の低下について強い不満の声を聞くのであります。これら
国民の損失を補てんし、その不満を取り除く道は、消費者
物価の上昇率をせめて預貯金の一年もの定期の
利子に同じ五%台に抑えることと、貸出金利の低下によって大
企業や好況業種の受ける利益を雇用の増大と
労働者の賃上げなど
福祉に振り向けること以外にはないと
考えるものでありますが、
総理にこれを実現させる自信や
決意がおありかどうかを承りたいのであります。
なお、このような貸出金利の低下の
効果があまねく一般の
企業に及んでいるかといいますと、多分に疑問なのであります。と申しますのは、利ざやの縮小によって経営が窮屈になりました
銀行は、従来より一層
企業の選別を厳しくし出し、いわゆる選別
融資の強化によって、最も金利低下の恩恵を受ける必要のある
不況産業や
中小企業ほどかえってそれを受けていない
現実があるのであります。ことに、過去の債務については、金利の低下はこういう
企業には実際には適用されておりません。
総理並びに大蔵大臣は、こういう厳しい
現実を把握して適切な手を打つべきであると
考えますが、いかがでしょうか。
それから、
政府系金融機関、とりわけ
中小企業を対象とするものは、過去の貸し出しに対しても利率を下げ、かつ、経営の苦しい
企業に対しては期限の猶予を与うべきであります。大蔵当局の従来からの説明によりますと、既往の貸し付けに対しても、まあ今回の場合は特に十一月から一
年間は〇・一考金利を下げます、期限の猶予についても弾力的に対処いたしますというのでありますが、実際にはそうしたことにさまざまな条件がつけられ、円滑に行われ得ないことが過去の実例に徴して明らかであると
考えるのであります。それに、右の
措置が
現実に行われるといたしましても、利下げ幅が、大
企業の長短プライムレートのそれに比べますと、余りにも少な過ぎるのではないか。これは所管大臣の誠意ある御答弁を
伺いたいのであります。
最後に、
総理や大蔵大臣は、経営が窮屈になった市中
銀行が各地で地銀や相銀の領域を侵略し、その優良なる得意先を奪わんとして、地銀や相銀も勢い貸出金利を
引き下げて防戦せざるを得ない
状態であります。弱小相銀などは、このため経営がすこぶる苦しくなりまして、
わが国では、スモール・イズ・ビューティフルではなくして、スモール・イズ・ミゼラブルであると嘆いていることを御存じでしょうか。
さきに第八十
国会で
中小企業分野確保法の成立を見たのでありますが、大
企業が
中小企業の
分野を脅かす
現実は、
銀行間、金融機関の
分野にもあるのでありまして、これについては大蔵大臣はどのように対処するおつもりか、放任すれば可とするのか、その点のお
考えをお聞かせ願いたいのであります。
第四は、
国民の税
負担の問題でございます。
まず、私は、今回税制
調査会が
総理に答申をいたしました
一般消費税の導入には基本的に反対であることを明確にいたしておきたいと存じます。その
理由は、
税制改正の出発点は何よりもまず
不公平税制の
是正でなければならないのに、
政府にはそれを断行する
姿勢が見受けられないこと、他に、
租税特別措置の整理や法人税の累進化などにより大
企業を
中心とする法人
関係税の増徴の余地があるのに、それをなさずして一般
国民に
負担を転嫁ぜんとするものであって、税の所得再配分機能に背くこと、
負担の逆進性を増すものであること、
物価騰貴の引き金になること、
中小企業に新たな納税上の事務的
負担をかぶせることなどによるものであります。
これに
関連して、私は、まず、
総理が税調の提案の
一つでもある
不公平税制の
是正を断行する
決意がおありかどうかをお
伺いしたいと思います。と申しますのは、例によって例のごとく、
日本医師会の武見太郎会長が「日医ニュース」においてこの問題を取り上げ、
総理の態度を論難して、ちゃらんぽらんの態度であるとし、
福田自民党体制と一戦を交える態勢を固めなければならないと
政府を牽制しているからであります。
総理は、この難問を控えて、小倉と手を結ぶか、それとも武見の軍門に下るかの岐路に立っておられると言わなければなりません。いずれにせよ、この問題を避けて税制改革を行うことはできませんが、
総理に、よく党内をまとめてこの難問を
解決する自信がおありかどうかを
伺いたいのであります。
税制の不公正の第二は、法人税に関するものであります。
普通、法人税に関する不公正は、法人の受取配当の益金不算入、引当金、準備金、特別償却、交際費などに関する諸
制度がその対象となっておるのでありますが、税制
調査会答申は、ストレートに、
わが国法人税の実効税率が諸外国に比してやや低く、法人税に若干の
負担増を求める余地があるといたしております。これにつきましては、
総理はどのようにお
考えになるのか。従来、大蔵省当局者は、大臣以下一貫してこれを否定し続けておられたのであります。また、財界の反対も当然予想をせられるところでありますので、特に
総理にお
伺いをいたす次第でございます。
また、私どもは従来、法人課税に累進税率を適用すべきであると主張してまいりました。これに対し税調は、今回、このような
制度は主要諸外国にも例がなく、かつ本来それは個人に適用せらるべきものであるとして、これに反対の答申をいたしておるのであります。しかし、法人もいまや社会的実体を備えた一個の人格として、個人とは別の社会的機能を果たしているのでありまして、法人をもって、社会的実体を備えない株主の集合体にすぎず、その人格は法的擬制にすぎないとする法人擬制説は、もはや今日の社会の実情に適合するものではありません。また、税調のごとく、諸外国に例がないとする論理をとるならば、
利子・配当の分離課税のごときは、わずかにイタリア一国に例を見るのみで、その他いずれの
先進諸国にもその例がございません。むしろ、
わが国特有の
制度であると申しても過言ではありません。
ことに、今日のごとき大方の
企業が減益や赤字を余儀なくせられておる
不況下においては、
国民ひとしく乏しきを分かち合うことが要請せられるのでありますから、自動車産業のごとく一千億円を超える税引き後の大利益を上げている大
企業の法人税率が、その何百分の一、何十分の一の利益しか上げていない
企業の法人税率と同一でなければならない道理はなく、これを同一に扱わんとすることこそ、かえって公平の原則に反するものと信じますが、それでも
総理は、なおかつその不公平に目をつぶられる御所存であるかどうか、承りたいのであります。
次は、対外援助の問題について
お尋ねをいたします。
総理は、
さきにASEANの
会議に招請せられ、次いで
ASEAN諸国を訪問して、その
経済社会
開発に対する援助を約せられました。私は、アジアにおける最大の
経済大国たる
日本が
開発途上国であるこれら
ASEAN諸国を援助することには全幅の賛意を表するものでありますが、その伝えられる援助の
内容は必ずしも明らかではございません。私は、この際、
総理がこれら諸国のいかなる部門の
経済開発を援助ぜんとするおつもりなのか、また、いかなる種類の社会
開発を目指して援助ぜんとしておられるのか、お
伺いをいたしたいのであります。
と申しますのは、近い将来
わが国と競争
関係に立つことが予想せられるような工業プロジェクト、すなわちブーメラン的
効果を持つ援助は必ずしも
わが国の国益に沿わないと
考えるからであります。これに反して、農業に対する援助は、これらの諸国の
国民の大部分が農民であることから、直ちにその
国民福祉の向上に役立つと
考えるからでもあります。また、灌漑、水力発電所、鉄道、通信施設、道路、港湾の諸工事のごとき
経済開発、また、学校、病院、都市
計画のごとき社会
開発に対する援助こそ最も彼我の利益に合致する望ましい援助と
考えるのであります。
次に、
総理は、
わが国の対外援助、その中核となる
政府開発援助が貧弱である点を反省し、ロンドン
会議の際、これを五
年間に倍増することを言明せられ、鳩山外務大臣もまた、今回の外交
演説でこの点の
決意を明確にしておられます。問題は、この五
年間で倍増というものが、名目で言っておられるのか、実質で言っておられるのか、その点が不明確な点であります。この際、
総理並びに外務大臣は、そのいわゆる五
年間で倍増なるものが名目価格によるものか、それとも実質か、五年後のGNP比率をどのように
考えておられるのか、必ず国際水準にまで高めるという
決意であるのか——これらの点は、われわれだけではございません。
関係諸国の為政者もまた注目するところと存じますので、この際、明確にお答えを願いたいのであります。
さらに、
総理は、
さきの
所信表明において、東南アジア諸国との
関係を強化するには心と心の触れ合う真の友人としての
関係を築くことが大切であると言われました。ところが、今年春に起きた国際学友会の寮の取り壊しと留学生の強制立ち退きに関するトラブルなどを
総理は御存じでしょうか。今日、東南アジアから
わが国に来ておる留学生の大半は反日的になって帰っていくと言われております。それは
政府の国際学友会に対する指導と援助の不十分さに見られるような留学生
政策の貧困によるものでありますが、このような
状態で果たして
ASEAN諸国民との心と心の交流が実現ぜられ得るとお
考えでありましょうか。
総理のこの点に関するお
考えを承りたいのであります。
第六は、鳩山外相が先般外交
演説において触れられました明年五月に予定せられる国連軍縮特別総会の問題であります。
この総会に、外相は、包括的核実験禁止を初めとする核軍縮問題通常兵器の国際移転問題等について
わが国の立場を強く主張する旨を述べられました。国も外交も、人類的な理想を持つべきであります。したがって、
わが国の外交が
世界平和という人類共通の願いについて誠実に検討を遂げ、積極的に
発言することが望ましいことは申すまでもありません。ことに、
わが国が
世界に例のない平和憲法を有し、
世界最初の被爆国として、曲がりなりにも非核三原則を国是とし、兵器の国際移転にも消極的な態度をとっている以上、対外
経済協力の問題点などとは違って、この軍縮総会には相当の
発言権を持ち得るはずであります。ただ、核兵器の問題では、アメリカのカーター大統領がすでに、すべての実験停止を呼びかけ、進んで核兵器の部分的廃棄や先制攻撃的使用の否定などにも論及している現在、
わが国の核軍縮の主張はやや色あせた感じがしないでもありません。
私は、
わが国が、核兵器のみならず、それといささかも劣ることのない残虐な大量殺傷兵器であり、小さな水爆と呼ばれる中性子爆弾についても、その製造中止を呼びかけるべきではないかと思うのであります。それでございませんと、
わが国の核兵器禁止についての主張は、アメリカに気がねをした、形ばかりのものという印象を
世界に与えかねないと思うのであります。この点について
政府の御所見を
伺いたいと思います。
次に、カーター大統領は、去る十月四日の国連
演説において、
世界の軍事費が
年間三千億ドルにも上り、一人の兵士の装備にかけた費用は、子供一人の教育費の六十倍にも上るという興味深い
発言をいたしております。しかし、最近カーター大統領は、
日本が防衛費をGNPの一%以内に抑えようとする
政策をとっている点を
批判したという報道がなされ、後にそれが
日本の元首相の早合点に基づくものだとされたことがありました。