○田渕哲也君 私は、この
ハイジャックの
防止のための
法改正ですけれ
ども、確かにこれは必要だと思います。しかし、
法律改正をしたから
ハイジャックが全く起こらないということは考えられないわけです。もちろん、
ダブルチェックの
強化その他あらゆる手は打ってもらわなくてはなりません。しかし、私はやはり万が一起こった場合の政府の姿勢というものをはっきりしておく必要があると思います。人命は地球より重いということで人命尊重の基本でやってこられました。ところが、その後西独で起こった対処の仕方は、これとは逆のようなかっこうできわめて強硬措置をとった。しかし、私は、これは人命尊重かあるいは法秩序の維持か、こういう二者択一的な
考え方でものを処理するというのは誤りのような気がするわけです。また、その結果として、西独のとった措置は世界から称賛を受け、わが国のとった措置は批判を受けておる。しかし、考えてみますと、わが国が人命尊重だから批判を受け、西ドイツが強硬措置だから称賛を浴びておるとは私は考えられないと思うのです。これはなぜかということを考えてみますと、もう
一つ国際的な責任というものがあるのではないか。人命尊重を優先するか、法秩序の維持を優先するか、それはそれぞれの国の意思決定によって行われるわけで、言うならそれ自体が国内的な問題であって、
外国から干渉すべき問題ではない。しかし、その結果として生ずる国際的な責任を果たし得なければ、批判を受けるのは当然である。国際的な責任とは何か。
一つは、
ハイジャック犯初め過激犯を野放しにするということは、これは国際的な責任を果たしていないことになる。しかし、それなら強硬措置の場合はそれができるのかというと、私はこれも問題があると思うのですね。強硬措置をとって
外国の
航空機に乗っている乗客の人命を殺してしまった場合どうなるか。やはり国際的な責任が出てくると思うのです。西ドイツの場合は、幸い両方ともうまくいった。犯人の要求に応じて、国内でつかまえておる凶悪犯を世界に野放しをすることをやらなかった。同時に、
航空機に乗っておる
外国のお客さんの人命も守った。国際的な責任が果たせたから称賛を浴びておるわけで、わが国が非難を受けるのは人命尊重の方針について非難を受けておるわけではありません。わが国が拘留しておった凶悪犯を海外に野放ししたから非難を受けておる。特に
ハイジャック犯というのは私は国際的な共同戦線というものがあると思うのですね。国際的な協力と共同戦線によって対処しなければならない。だから、私は日本の国が人命尊重優先という方針をとるのは大いに結構だと思いますけれ
ども、だからといって
ハイジャック犯初め凶悪犯を野放しにした国際的な責任が回避されるものではないと思うのです。
それならどうすればいいかといいますと、私はやはり両立する道を最大限の努力をして求めるしかない。人命を守りながらぎりぎりの限度で犯人をつかまえる、あるいは犯人の要求に応じない。それに対する最善の努力をして、そしてぎりぎりのところでどっちを選ぶかというときに、人命尊重か法秩序の維持か、この価値判断が求められるのだと思うのです。私は、いままで今回の
ハイジャックの問題で政府のとった措置というのは最善のぎりぎりの努力がされたということが認められていない、これが批判を受ける最大のポイントだと思うわけであります。
それからもう
一つ、私は、政府がいままで言ってきた人命尊重というのは多分に偽善的なものではないかという気がしておるわけです。なぜかといえば、もし
ハイジャック犯人が要求したものか過大なものでそれに応じたら大変なことになる場合は、政府は人命尊重優先の態度をとらないだろう。だから、人命尊重が何よりも大事だ、優先だという政府の姿勢というものは単なる責任逃れのために言っておるにすぎないのであって、本当はぎりぎりのところに来た場合には私はどっちを選べば日本の国のためによりいいのかという判断が政府に求められると思うのですね。だから、何でも人命は地球よりも重いのだということで責任回避をされるために言っておるけれ
ども、本当に政府に与えられておる責任というものはそんなものじゃないはずだ。
ハイジャック犯が要求するものに屈した場合に日本の国家が受ける損害がもっと大きい場合は、政府は人命尊重という方針をとり得ないだろうと、私はこのように思うわけであります。だから、軽々しく責任逃れのために人命尊重なんと言うのは偽善的な態度にすぎない、私はこのように思うわけであります。本当は、こういう
質問は、
ハイジャックに対する基本的な政府の姿勢でありますから、総理
大臣もしくは官房長官にしたかったわけでありますけれ
ども、御出席をいただいておりませんから、政府を代表して法務
大臣に御
答弁をいただきたいと思います。