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1977-11-21 第82回国会 参議院 運輸委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十二年十一月二十一日(月曜日)    午後一時三十一分開会     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         内田 善利君     理 事                 安田 隆明君                 山崎 竜男君                 瀬谷 英行君                 三木 忠雄君     委 員                 井上 吉夫君                 伊江 朝雄君                 石破 二朗君                 江藤  智君                 衛藤征士郎君                 佐藤 信二君                 高平 公友君                 平井 卓志君                 青木 薪次君                 穐山  篤君                目黒今朝次郎君                 内藤  功君                 柳澤 錬造君                 山田  勇君    事務局側        常任委員会専門        員        村上  登君    公述人        日本労働組合総        評議会事務局長  富塚 三夫君        成城大学教授   岡田  清君        立正大学経済学        部教授      坂入長太郎君        流通経済大学教        授        中島 勇次君        全国消費者団体        連合会代表幹事  工藤 芳郎君        慶応義塾大学名        誉教授      気賀 健三君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○国有鉄道運賃法及び日本国有鉄道法の一部を改  正する法律案(第八十回国会内閣提出、第八十  二回国会衆議院送付)     —————————————
  2. 内田善利

    委員長内田善利君) ただいまから運輸委員会公聴会を開会いたします。  本日は、国有鉄道運賃法及び日本国有鉄道法の一部を改正する法律案につきまして、六名の公述人方々から御意見を拝聴いたします。  この際、公述人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  公述人皆様方におかれましては、御多忙中にもかかわらず、本委員会のため御出席を賜り、まことにありがとうございました。委員会を代表して、衷心より厚く御礼を申し上げます。本日は忌憚のない御意見を承り、今後の本案審査の参考にいたしたいと存じておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、六名の公述人方々から、お一人二十分程度の御意見を順次拝聴し、その後約一時間三十分、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。  なお、本日の会議の趣旨は、皆様方の御意見を承ることでありますので、私どもに対する御質問は恐縮ながら御遠慮願いたいと存じます。  また、会議を円滑に進めてまいりたいと存じますので、御発言なさるときは、「委員長」と呼び、許可を得てからお願いいたします。  それでは、これより順次御意見をお述べ願います。  まず、富塚公述人にお願いいたします。
  3. 富塚三夫

    公述人富塚三夫君) 御指名をいただきました富塚三夫であります。  現在、国会で審議を重ねられている国鉄運賃緩和法案反対である立場からその意見を大きく二つに分けて申し述べたいと思います。  すなわち第一は、修正案とともに政府は「国鉄再建基本方向」を明らかにされましたが、再建について一定の方向を明示されたことは従前より一歩前進として評価されますが、問題は、内容具体性がないことと、それを実行する保証が何もないということであります。  第二は、国鉄運賃決定を、限度があるからとはいえ法制から外すということは、勤労国民の生活と深くかかわる重大問題であるだけに、一つには大臣許可に臣るまで利用者各位納得できる民主的手続が必要であるにもかかわらず、それが明らかにされていません。二つには、国鉄の真の再建には幾つかの欠くことのできない柱があり、それらを同時に進行するか、もしくは進行する具体的な保証が何もないからであります。  そこで、第一の点から申し上げますと、修正案では前年度経費物価等変動率を乗じたものを運賃料金改定増収額限度とされています。すなわち、修正案運賃改正率をストレートに計算する仕組みになっていないため、国民にはきわめてわかりにくい。悪く言えば、国民政府にごまかされてもわからないものと言えます。さらに重大なことは、運賃改正対象経費とは何かということであります。この対象経費のとり方によっては運賃値上げ率に二%ないし三%の乖離が生ずることになります。たとえば「基本方向」でも構造的欠損について公的助成を認めているのですから、構造的欠損とは何か、具体的に明示すべきだと思います。政府は後で省令で決めることでも言うのでしょうか。それでは国鉄の置かれている実情が認められるという保証はどこにもありません。  例を挙げてみますと、地方線の場合、国鉄当局は九千二百キロと言い運輸省の公式見解運政審の答申を待って決めると言っています。ここに構造的欠損に開きが出てきます。また、年間二千六百億円の赤字に対して、現在、四百億程度公式助成が行われていますが、これでは問題になりません。これを若干増額するとしても、欠損の大部分対象経費とされることになる可能性を持っています。国民必要性にこたえるための経営がなされなければならない地方線の大部分企業努力対象とされたのでは、啄木の歌ではありませんが、働けど働けどどうにもなりませんし、職員勤労意欲を失ってしまいます。地方線をどうするかについての主体は、政府が全行政能力を挙げて取り扱いの方向を決めるべきであり、かつ地方線は別会計として構造的欠損とすべきが妥当だと私は思います。  また、過去債務を対象経費対象外にするかどうかという問題があります。すでにたな上げしている二兆五千億円は別としても、現在ある約六兆八千億円をどうするのか。これを対象経費に組み入れると運賃アップ率がそれだけ高まり、利用者国鉄離れを促進し、国鉄職員勤労意欲をそれだけ減殺することになります。  その他、構造的欠損公共負担を含めるかどうか、利子負担をどうするのかという問題もあります。構造的欠損範囲を明確に定めないと、「基本方向」で所要の対策を講ずるといっても、それは絵にかいたもちに等しく、そのときどきの政府方針によって値上げ幅に響き、合理化賃金抑制など、そのしわ寄せは勤労国民国鉄職員に押しつけられ、国鉄労使にとって質的に変化した問題点が新しく顕在化することになります。この際、国鉄総裁公企体基問題会議に陳述した内容をそのまま認めるべきではないでしょうか。私はそのことを提言をいたします。  したがってその二は、前年度経費の中で運賃改定対象経費を決める分界線は、国民国鉄職員納得のいくものでなければならないと思います。政府は、それはこれからの問題だとしていますが、線をどこに引くかが全く不明であります。政府態度を信用しろと言われても、公企体に移行してからの政府態度を歴史的に見るとき、国鉄職員は一人として納得している者がいないばかりか、流動的な政治情勢のもとではなおさら信用できません。もし仮にこの分界線納得のいくものであったとしても、公共交通の性格から、経営は一層厳しさを増すことは想像にかたくありません。  国鉄労働組合は、ことしの運動方針で明らかにしているように、働く、要求する、闘うという、働くべきときは働き、要求すべきときは要求し、闘うべきときは闘うというスローガンを出していますが、いまや労働組合ルンペンプロレタリアをつくるところではないことを明確にしています。政府国鉄当局は、この節度ある労働組合態度にこたえる義務があるのではないでしょうか。職員は何をめどに努力してよいのかわからないようでは、再建はおぼつかないばかりか、労使協力関係が生まれてこないと思います。私は、竹やりを持って戦車に向かうような非科学的な、また最近の労務政策でとられたマル生に見られたような根拠のない精神主義を言っているのではありません。科学的で道理があり、納得性の持てる分界線を引くことによって、職員に働く希望と喜びを与えることがいま最も大切でありますが、残念ながら「基本方向」にはそれが出ていないということであります。  その三は、構造的欠損は静的ではなく、動的にとらえなければならないということであります。「基本方向」ではこの点も不明です。たとえば昭和五十二年度の構造的欠損は八千億だと見て、五十三年も五十五年もそして六十年も八千億だとみなして対応するものだとすれば、実際は構造的欠損をすべて公的に助成することになりません。なぜなら、構造的欠損はそのときどきの情勢変動によって膨張するからであります。つまり、構造的欠損は固定化すべきものではないと私は思います。総合交通政策のないところから構造的欠陥が生まれ、構造的欠陥構造的欠損を生み出していますが、この欠損幅情勢変動に比例して拡大されたものでなくてはなりません。この見地から、構造的欠損部分を静的に見てはならないということでありますが、「基本方向」では全く明らかとなっていません。  そしてその四は、名目実収乖離責任をだれが負うかという問題であります。たとえば国鉄運賃改定計算方式に基づき一〇%の値上げが必要だとして政府に申請した場合、政府政治経済情勢を判断して五%を許可したとすると、その差額五%分を政府責任を持って補償するのかどうか明らかでありません。また、あらかじめ政府は、内面指導によって五%とさせることができますし、その場合の責任もだれが負うか全く不明であります。さらに、毎年運賃値上げをすることは事実上不可能ではないかと思います。名目実収乖離をすべて企業努力に押しつけられると職員はたまったものではありません。また、この法律の成立によって、運賃アッパーリミットが決められたとすると、賃金決定方式が変わるのではないかという心配が出てきます。運賃値上げを何%に抑えられたから賃金も何%に抑え、他企業よりも低くしろと言われたのでは職員の不安はつのるばかりであります。「基本方向」は再建一つ哲学として受け取ることができるけれども、具体化は全く伴っていないということであります。  次に、大きな二番目に入りますが、私は、政府国鉄再建を真剣に考えているのかどうか疑問を持っています。運賃決定法定制を緩和すると国鉄再建ができると考えているとしたら、大きな間違いだと思います。国鉄再建のためには総合交通体系の確立が不可欠であり、国鉄当局当事者能力が大幅に拡大されなければならないし、その延長線上のものとして、国鉄職員労働組合スト権が承認されなければならないということです。そして、これらについて仕上げの目途がついたところで、運賃法定制緩和について、国民各位反応を確かめるべきだと考えます。少なくとも当事者能力スト権回復と、緩和法同時進行をさせるべきであって、「基本方向」には言葉として触れられていますが、具体的保証は何もうたわれていません。現在、緩和法案だけがひとり歩きをしています。これでは国鉄のことを少しでもわかっている者にとっては納得が得られるはずはないと思います。  総合交通政策を私なりに考えてみますと、国鉄は百年の歴史と伝統を持ち、全国ネットワークで結ばれ、激しい競争にさらされながらもやめることのできない国民の足であります。飛行機や自動車や船舶は、欠損が生ずれば路線をはずし、旅客貨物を切り捨てることができます。つまり採算のとれるところだけ営業する自由を持っています。投資についても政府みずからが道路建設交通事故対策港湾建設飛行場建設などを行っています。鉄道の場合は一切と言ってよいほど国鉄のツケとなっています。これをこのままにしていたのでは、幾ら企業努力をしたとしても国鉄は他の交通産業と太刀打ちできません。したがって、国民の足としての国鉄が必要だとすれば、政府公共交通全体の財政プールをつくり、交通特別会計の設定ぐらいを提起し、国会並びに国民各位討議を呼びかける段階にきているのではないかと私は思っています。  国鉄当局当事者能力拡大再建の大きな柱の一つであり、当事者能力が大幅に制限されているために、国鉄当局の中にトップマネジメントとしての自覚が乏しく、そのために経営危機を一層深刻にしているものと見ることができます。世間からは親方日の丸国鉄労使は批判されますが、このことの根本当事者能力が大幅に制限されていることに由来していますし、経営者の決断ができないから成り行き任せとなり、責任感が薄れる傾向となっています。たとえば賃上げの有額回答をしても政府が決めたものを当局に回答させているにすぎず、政府当局関係サル回しサル関係みたいなものだと思います。組合はこの相手と交渉しても、何らの決め手となる反応が得られず、大蔵大臣を初め政府との交渉が余儀なくされ、政治的にならざるを得ないということになります。  一つ企業に働く職員として、その企業経営危機に陥ることを喜んでいる者は一人もいません。経営責任当局にありますが、その職員勤労意欲を持たせるには、当局当事者能力を持ちノーマルな労使関係をつくることによって可能となるのであります。国有企業である国鉄における当局当事者能力を一〇〇%持たせろとは言いませんが、現在より大幅に拡大されるべきだと強く訴えます。当事者能力とは何か、そのカテゴリーはむしろむずかしい問題ですが、要は経営に関して決断できる能力であり、一切の責任を負う能力だと思います。そしてそのためには法制度の改廃、政府の物の考え方、国鉄当局の心構え、その三つが結合されて初めて当事者能力問題を解決することができると私は思います。  現在の日鉄法には国鉄がかつての独占の時代、官業の時代の名残りがたくさん含まれており、兼業も一切できないことになっています。その上、一九四九年以降、給与総額制の導入、経理面の制約など、むしろ当事者能力が制限される方向が一層強められています。これを抜本的に考えずして国鉄再建の実を挙げることができません。  最後に、スト権の問題について申し述べます。  労使関係を改善し安定させることは、当事者能力拡大とともに、再建に欠くことのできないことはスト権回復であります。これらは車の両輪であり、労使関係を安定させるためには労使対等であり、お互いが相手立場を尊重し合うことが大切です。労使立場対等保証されるためには労働組合スト権回復させることであります。労働組合スト権を承認するということは、ストライキを頻発するということではなく、対等の話し合いを通じて紛争を平和裏に解決する可能性を増大させることになります。藤井前国鉄総裁は、条件つきスト権付与について公言されましたが、そのことはこれらの見地を総合的に判断されたものと思っています。  かつて一九四九年、仲裁裁定第一号が政府によって否認されたとき、当時の公労委会長弘厳太郎先生が、組合の将来に責任は持てぬと言われた言葉政府国鉄当局はよく考えてみてほしいと思います。労使関係の改善のイニシアチブは、経営権を持つ政府国鉄当局がとらなければならないことは根本的哲学であると私は信じています。この見地から、スト権承認を前提に具体的討議に入るよう、政府国会に強く要請いたします。  以上、再建に関する所見を申し述べましたが、これらを総合的に検討した上で緩和法について検討に入るべきであり、現状では反対立場をとることを申し上げまして私の公述を終わることにいたします。  ありがとうございました。
  4. 内田善利

    委員長内田善利君) ありがとうございました。     —————————————
  5. 内田善利

    委員長内田善利君) 次に、岡田公述人にお願いいたします。
  6. 岡田清

    公述人岡田清君) ただいま御指名いただきました岡田でございます。  本修正案に対しまして、以下に述べます三つ理由から賛成の陳述をしたいと思います。  その第一番目でありまするが、国鉄財政悪化原因がどういうところから来ているのかという点につきまして、若干数字を挙げながら説明をしてみたいと思います。昭和四十五年から五十一年までの日本経済インフレ過程におきまして運賃調整かなり失敗があった、こういうふうに見ざるを得ないのであります。それは、御承知のように経費はどういうふうに増加したかといいますると、名目増加率が二二四・一%、これは五十一年度でありますが、それから実質増加率消費者物価で割りますると一一九%であります。言いかえますると、経費増加率は実質的には一九%だけしか増加をしていない。  ところが、それに対しまして収入の方はどうであるかといいますると、実質的には八七・一%、つまり収入昭和四十五年のレベルまでも達していない、これが実際の姿であります。名目的にはもちろん一六一・二%まで増加しておりまするが。これでおわかりのように、日本経済インフレ過程におきまして、収入増加というものに対して非常に注目が集められていなかった、こういうふうに言ってもよろしいかと思います。ちなみにこれを旅客貨物に分けてみますると、旅客輸送におきましては、名目的には一八二・三%、それから実質的には九六・八%、言いかえますると、消費者物価上昇率ほども収入が得られていない。これが旅客の場合でも言えるわけであります。貨物に至りましてはどうかといいますると、名目的には一〇九・四%としてほぼ物価上昇率に見合って増加しているように見えまするが、実質的には何と五八・一%、非常に低下をしているわけであります。  じゃ、なぜこういうふうな事態が起こってきたのか、このことをわれわれは真剣に考えてみる必要があろうかと思います。で、御承知のように、いまのような実質経費の増大と実質収入が並行的にもし増加しておりますると、昭和五十一年度の総収入は実に二兆四千六百七十七億円になります。ところが、実際に収入として上がっておりますのは一兆八千七十億円、この差額六千六百七億円は明らかに運賃調整の不足によってもたらされたものだと、こういうふうに見ざるを得ないわけであります。  こうなりますると、五十一年度の赤字額は、もし物価水準に見合うように上げられて、あるいは経費増加率一一九%に見合うように収入がもし上がっておれば、おのずから赤字額はそれだけ減りまして、五十一年度の赤字額は四千四百七十九億円になるはずであります。これに対しまして、助成金が入っておりまするから、それからいま申し上げました四千四百七十九億円から助成金支給額一千百四十八億円を引きますると——この場合の助成金損益勘定に対する助成金でありますが、これを引きますると、赤字額損益勘定におきまして三千三百三十一億円で済んだはずであります。それが事実はどうであるかといいますると、何と五十一年度の赤字額は御承知のように九千百四十一億円、非常に膨大な額に上っているはずであります。  以上の観点からおわかりのように、この日本経済インフレ過程におきまして適時適切に運賃を上げておれば、これほどの大きな赤字にはならなかったであろう、こういうふうに推測できるにもかかわらず、実際にはざっと六千億円という多額な赤字国鉄の方に発生しているわけであります。そういうふうな理由から考えますると、今後とも国鉄財政悪化を食いとめるには適時適切な運賃調整というものが必要不可欠な問題である、こういうふうに言わざるを得ないわけであります。  以上のようなことから、第一番目に説明しました理由は、国鉄財政悪化というものがかなり程度インフレ過程への調整失敗をした。これはどこに責任があるというよりは、むしろ適時適切に上げる措置の講じやすい状況をつくり出すことが現在の国鉄に課された課題ではないだろうか、こういうふうに考えるわけであります。  時間の関係がありますので、財政収支の問題はそれぐらいにいたしまするが、それでは国鉄を取り巻く一般的な環境はどうか、こういうことで全体的な状況をちょっと説明してみたいと思いますが、御承知のように交通機関多様化に応じましてきわめて競争市場になっております。その交通市場競争市場になったという意味をどういうふうに考えるかであります。言いかえますると、運賃に対する需要価格弾力性が非常に高くなった、こういうふうに言わざるを得ないわけであります。こういうふうに考えますると、競争市場になったという意味をいかにして営業面で活用していくのかということが国鉄に課された課題のように思います。  そういたしますると、競争市場である以上は、おのずから運輸サービス競争というのは、あくまでも全体的な競争をしているのではなくて、個別市場ごと競争しているわけでありまするから、個別市場に見合ったような価格改定が行われませんと十分な競争市場としての力を発揮できない、競争力を発揮できない。そうなりますると、運賃政策も当然のことながら全国一律運賃制度を維持するのではなくて、あくまでも個別市場の変化に適応するような措置を講ずる必要があるということが当然の結果として推測できるわけであります。ところが、実際にはどうかといいますると、個別市場に適応できないような全国一律運賃制がとられております関係上、この際、全国一律運賃制を全面的に見直しをしまして運賃制度全面見直しを図る必要があろうかと思います。  非常に早口でお話をいたしましたけれども、以上のように考えますると、第二番目の国鉄環境を取り巻く条件というものを、この際制度として明確にする以上は、運賃弾力化運賃制度あるいは賃率決定の仕方に関する弾力化はこれは避けられないものだ、こういうふうに言わざるを得ないわけであります。  最後でありまするが、それでは国鉄は国の交通体系の中でどういうふうな役割りを果たすべきであるかということでありまするが、もちろんこれは御承知のように現在の二万一千キロの中で、コマーシャルベースという表現が外国ではよく使われるわけでありまするが、コマーシャルベースにのっとって経営を達成する以上は、当然のことながら都市間輸送とそれから大都市通勤輸送かなり程度特化せざるを得ないのではないか。で、都市間輸送におきましてはサービスの向上、当然のことながら安定運賃をできるだけ維持することが必要になってまいります。大都市通勤輸送におきましてはこれは需要価格弾力性が非常に小さい、したがって適時適切にこれを上げていくことが当面必要なことではないだろうか。  以上のようにして考えますると、先ほどの富塚公述人からお話ありましたように、国鉄当事者能力を与えるべきであるという点は、これはだれでもが認めるところではないだろうか。そうして当事者能力の認める範囲というものをより一層明確化しながら、会計計算あるいは財政的義務と称しますが、財政的な義務を全うするように、その辺の整理を図る必要があろうかと思います。ところが、先ほど言いましたように国鉄財政悪化原因あるいは国鉄を取り巻く環境を考えますると、とりあえず運賃弾力化だけでも大急ぎでやって、各市場ごとに対応できるような方策を組んでいかないことには国鉄財政再建はあり得ない、こういうふうに言わざるを得ないわけであります。  以上のような論点から考えますると、財政的な義務というものを、現在の財政的義務範囲をより狭めるような方向国鉄範囲を、営業努力範囲と申しますか、これを限定すると同時に、財政的な収支が償えるような弾力化方向で、運賃をある場合には引き上げある場合には引き下げる、こういうふうな緩急自在な方策をとることが当面どうしても必要になってくるわけであります。  大急ぎで以上三点ほど申し上げましたが、今国会で審議されております修正案は、国鉄の将来の方向に対する一つの礎と申しますか、きわめて大きな一歩を踏み出す方向でもありますので、この弾力化法案がいっときも早く通らないことには、ますます国鉄の体質が悪化して全般的な危機に発展していくだろうと、こういうふうに推察をせざるを得ないわけであります。  以上のように考えますると、中でもいままでの運賃調整が非常に失敗をしてきた。まあ失敗というのは、いま申し上げましたように、経費実質増加率に見合うように実質収入が上がってこなかったというふうな点、あるいは国鉄の市場環境というものに対する配慮が十分に払われるような状況になっていないという点、あるいはコマーシャルベース当事者能力を持った上で的確にマーケットに対応する能力を与えられていない、そういうふうな三つ理由から、本修正案は、当然これが通過して国鉄の体質改善に役立てるべきものであるというふうに考え、本案に賛成したわけであります。  以上で終わります。
  7. 内田善利

    委員長内田善利君) ありがとうございました。     —————————————
  8. 内田善利

    委員長内田善利君) 次に、坂入公述人にお願いいたします。
  9. 坂入長太郎

    公述人坂入長太郎君) 坂入でございます。  日本国有鉄道運賃法及び日本国有鉄道法の一部を改正する法律案について意見を申し上げます。  本案は、国鉄が三十九年度以来赤字を累積いたしまして、四十四年度、四十八年度に財政再建計画を決定いたしましたが、所期の目的を達することができなかったわけでございます。このため五十年、国鉄再建対策要綱を閣議決定し、再建のための財政援助、国鉄経営努力、運賃値上げ再建三本柱を確立いたしましたが、情勢変化があり、国鉄財政の窮迫度を深めた。そこで、五十二年一月、国鉄再建対策要綱の一部を手直しいたしまして、国鉄の累積赤字が解消されるまで国鉄運賃法定制を緩和して、一事業年度における料金値上げ幅を、経費上昇額の範囲内であらかじめ国会の承認を経てその決定国鉄に委譲し、国鉄の自由裁量で値上げをなし、運輸大臣の許可を得て行うと。また、国有鉄道法の改正をいたしまして、国鉄の投資対象事業を拡大し、国鉄経営再建を図ろうとする案であると思います。  本法律案提案の背景に流れますところの国鉄当局の基本的な考え方は、過去におきますところの国鉄の独占的な輸送力の地位が低下をしてまいりました。経済成長とともに代替的な交通機関が発達をいたしまして、国鉄の地位が揺るぐわけでございます。このようなことから膨大な累積赤字国鉄が抱え、かつ毎年大幅な赤字を出しております。公企業体としての国鉄経営が破綻の危機に陥っているという国鉄経営者危機意識から本案を提出したものと思われます。  私はそれなりに、本法律案提案に至りますところの国鉄当局の苦衷といいますか、苦しい心情に同情を寄せるものでございます。国鉄の輸送上におきますところの支配的な地位が低下いたしましたといいましても、国民経済生活にとりましては、国鉄は重要な交通手段でございます。そして、その機能と役割りは非常に高いわけでございますから、国鉄再建を図らなければならないと思うのでございます。理論的には国鉄は公共企業体であるという原点、言いかえれば立論に立ちまして国鉄再建というものを検討いたしますれば、当然国鉄に自主的な経営をさせるべきであると思います。  公共企業体としての国鉄は国有財産を使用、運営するという意味国会に拘束される面が多いのでございます。しかしながら、経営それ自体はあくまでも政治から独立するものでなければならないと思います。また国家財政の原則におきましては、予算の編成権は財政当局に把握されております。したがいまして、経営能率原則に立ちますところの企業努力というものとは必ずしも一致をするものではございません。国鉄の現状を見てまいりますと、予算が国会により最終的に承認されたときから国鉄経営活動の第一歩が始まるわけでございまして、そしてその年度においてそのプランニングをどうコントロールするかということで国鉄の事業年度は終わるのでございます。そして国鉄経営の実態というものも、国鉄外部の者によって定められました計画を忠実に実行するということにすぎないのでございます。  私は、公企業体としては機構自体を行政から独立させ、公企業体としての独自の形態をとり、行政的、官僚的な拘束、因習からの支配から脱却をする、それから財政的な拘束からも離れまして、さらに議会の参与からも分離をして、経営原則に立脚して最高能率を発揮せしめ、財務会計上の独立企業体の形態をとるとともに、公企業体としての自主性を含み、それに基づいて計算、財務関係の独立、言いかえますれば公共企業体としての独立採算制を貫くべきであると思います。要するに私は、公共企業体としての国鉄経営の自主性を持たせ、能率的な活動を行わせるべきであるということをいま申しておるわけでございます。  したがいまして、公共性堅持のための政府の監督というものは必要不可欠でありますけれども、企業体としての国鉄の自主的、能率的な運営というものは、公共福祉の増進に寄与するものでございます。したがって、政府の監督というものは最小限度にとどめなければならないわけでございます。ここ十年ぐらいの間におきまして、国鉄の自主性というものは著しく回復してきているとは言えますけれども、まだ公企業体としての国鉄にとっては十分ではないと思っております。国鉄再建は自主的な経営であり、その中心は運賃改定を通じて損失をできるだけ削減することでございます。  現在の国会運賃法定主義は、国鉄の弾力的な経営意欲を減殺するものでございまして、私は好ましい方式であるとは思っておりません。そこで将来の運賃決定に当たりましては、国鉄運賃法を改正をいたしまして、強力な特別審議会を設け、運輸大臣が認可することによって国鉄の自主的な経営を確立させる、そして国会は国権の最高機関として監督するという立場が望ましいのではないかと思います。それは国会運賃決定の権限を持つことによりまして、その責任国会がみずから負わなければならないからでございます。しかし、現実の政治態様からいたしますと、国鉄の財政について国会責任を持たないわけでございますから、いわば無責任となりやすいので適当ではないと思うからでございます。理論的には、私はこのようないわゆる立場から国鉄を見ているものでございます。しかしながら公企業体としての国鉄は、理論といいますか原点から、現実においては非常にかけ離れているわけでございます。  本案によりまして公共企業体としての国鉄運賃決定の自主性を獲得いたしまして経営再建の第一歩にしようというのでございますが、この運賃決定の自主性が満たされたといたしましても、国鉄再建が軌道に乗るかどうか保証がないわけでございます。私は、前段で述べましたように、自主的な経営を制約する諸条件というものを取り除きまして、国の財政援助を明確にし、国鉄の自主的な経営の一環としての運賃決定の自主性であるならば賛成するものでございます。  ただ、運賃決定の自主性と事業対象規模の拡大のみでは国鉄の自主的な経営というものはかたわになるのではないかと思うわけでございます。したがいまして、この措置によりまして経営再建の圧力というものが運賃値上げ改定にかかりまして、利用者負担が加重をされ、また事業対象拡大によって国鉄の負担が増加される危険性を持つことを指摘しておきたいと思います。したがって、理論的に考察されますところの自主性の要因が充足されないのでございますから、この措置のみによって再建の効果を期待することができないと見るものでございます。  それならば、国鉄経営危機をもたらしたものはどういう要因であるかと申しますと、政治路線と言われますところの不採算路線を建設したこと、言いかえれば、国鉄に対して政治的な介入が余りにもあり過ぎたことでございます。この結果、国鉄経営上の欠陥、言いかえれば構造的な損失とその累積となって現在国鉄危機に陥れているわけでございます。それからまた、経済成長と交通手段の急激な多様的な発展に対しまして、国鉄当局は自己の立場に固執をいたしまして、総合的な交通政策の一環であるという国鉄の機能と役割り及び地位を明確にすることを避け、安易に親方日の丸的な経営にその日その日を送ってきたということでございます。  さらに、労使関係が非常にぎくしゃくしておるということでございます。国労はここに富塚委員長ですか、書記長がおいでになりますけれども、たとえばスト権をめぐりまして、自己の立場に固執をして現在に至るまで解決を見ないわけでございます。国鉄の労組は、利用者に対しますところのサービスよりも、国鉄労組員の利益を守ろうとするところの行動、それも経済的な闘争からだんだん逸脱いたしまして政治的な闘争に移行する等、こういうことがいわゆる国民国鉄に対しますところの潜在的な不満として累積をしているわけでございまして、運賃改定等について国民が拒否反応を示す要因であると私は見るわけでございます。  このようなことから、独立採算制によりますところの公企業体として出発した国鉄というものは、出発が同時に経済危機という悲劇の始まりとなったのでございます。このようないわゆる複合いたしました要因が、国鉄運賃値上げに対して国民の合意を得られない基本的な要因だと思っているわけでございます。もちろんそのようないわゆる複合要因というものは異質の要因の複合でありますから、これに対してそういう反対理由というものはおかしいというようないわゆる意見があることも私は承知をしておるわけでございます。  しかしながら、国民の大多数というものは、財政とか経営学の理論とか、こういうものとは無関係運賃値上げというものを見ているわけでございます。このような人々が非常に多いということも事実でございます。特に現在の日本の経済は、スタグフレーションのもとに、円高によりましてこれからの日本の産業構造というものは非常に苦難の道を歩むことが予測されるわけでございまして、失業者も常時二百万人を超えるであろうと言われております現在の不況のもとにおきまして、来年度の所得税減税がないといたしますと、べースアップが行われますから、名目所得が増加をいたします。当然所得税においては増税になるということでございます。  このような状況におきまして国鉄値上げが行われますれば、当然生活費におきますところの交通費の支出というものは増加するわけでございます。特に低所得層におきましては、一般的な消費課税と同じような意味合いにおける逆進的な性質を持たせるものでございます。と同時に、国鉄運賃値上げというものは、いろいろな物価に影響を与えてくるものと思われます。  現行の運賃法定制というものは、財政法の三条によりまして、この三条の特例法に基づいて国有鉄道運賃法により国会の議を経ることを規定しているわけでございます。この現行の運賃法定制というものは、国鉄運賃国民経済に及ぼしますところの影響が非常に大きく、そうして独占的な性格がこの法律が制定されました当時強かったので、法定化して政府運賃値上げの自由裁量をチェックしようという趣旨から出たものと思われます。  しかしながら、公企業体としての国鉄運賃決定についての理論は、その運賃が社会公共的に見て公正妥当なものであり、国民経済の発達及び環境の変化に対応いたしまして利用者に利便を提供し、かつ物価水準を維持し、生活を安定化することを考慮して総合原価主義による適正な運賃決定でなければならないのでございます。この運賃決定の諸条件を満たすためには、公企業体としての国鉄の自主性を制約しておりますところの諸条件を排除いたしまして、国の財政援助、国鉄経営努力をなした上で利用者の負担に求めるべきだと思います。  国の財政援助は四十三年及び四十四年ごろより積極的に行われるようになっておりますけれども、まだ十分ではないと思われますので、今後さらに国鉄経営実態に即しまして強化をすべきであると思います。また、国鉄経営努力というものは、これまで相当の実績を上げてきていることは私も容認するものでございます。しかし、今回の運賃改定の自主性を獲得した場合、値上げ幅に対して経営努力の成果が運賃にどのように反映するのかきわめて不明確でございます。私は、具体的に経営努力の目標といいますか、計数というものを示す必要があると思います。そうでなければ、膨大な経費上昇額の中に経営努力それ自体というものが埋没してしまいまして、結果としては利用者負担が安易に強化されるのではないかと思うわけでございます。  さらに今回の提案の中に、国鉄再建のために国鉄の投資対象事業を拡大しようという内容が含まれております。これは積極的な経営意欲のあらわれと見るわけでございます。この点については、新聞等の報道で一部の事業計画をわれわれは知っただけでございまして、ここでは深く立ち入りません。  私は、以上のような立場から、理論的には容認をするわけでありますが、現実の国鉄の実態から見まして、今回の提案につきましては消極的な反対をするものでございます。  以上で私の公述を終わることにいたします。
  10. 内田善利

    委員長内田善利君) ありがとうございました。     —————————————
  11. 内田善利

    委員長内田善利君) 次に、中島公述人にお願いいたします。
  12. 中島勇次

    公述人(中島勇次君) 御指名いただきました中島でございます。  国鉄運賃法定制を緩和すべきか否かという問題につきましては、御承知のように賛否両論が対立しておりますが、私はその賛成側の立場に立つ一人でございます。  以下、私がなぜこの法律案に賛成であるか、その理由を述べさしていただきますが、私がこれから述べます賛成理由のポイントは二つございます。  まずその一つは、運賃法そのもののあり方、運賃の法定主義そのものを私は否定するわけではありませんけれども、そのあり方が、この法律を制定した当時と今日とは抜本的に変わっている。国民国民の足といわれる国鉄運賃を決めることに何らかの形でその意思を反映するということは私も賛成ですけれども、その国民運賃決定に参画する形が適切でなければその目的は達せられないだろう。その意味で、今回の運賃法定制の緩和ということは私は適切な措置である、これが第一点です。  それから第二点は、国鉄財政再建を成功させるためには、この運賃決定方式のほかにまだいろいろたくさんの要件がございます。しかし、その中でまず国鉄自体がみずから当事者意識を持って再建しよう、みずからその活力を得るためには何をおいてもまず運賃決定について主体性を持たせることだ。その意味で、この法定制緩和というものが他の施策以前にまず何をおいてもこれを行うべきである。この二点が私の論点でございます。  まず第一の、現在の運賃法は、これが制定されましたのは御承知のように昭和二十三年の七月、第二国会でございます。この法律が制定された当時の状況というものは、およそ今日では想像もつかないような状態であったわけでございます。まず、すべての産業がほとんど壊滅状態である。また物資は不足し国民は衣食住に本当に困っていたわけです。また一方、交通機関としては国鉄以外に頼るものはない。つまり国鉄の独占以前の状態、まあそういうふうな形で国鉄国民経済の中に、あるいは社会生活の中で働いていたわけです。  さらに、御承知のようにあらしのようなインフレが吹きまくっていた。そうして、そのような状態を収束して、一刻も早く国の復興再建というものを進めるために政府は強力な統制経済を実施しておった。つまり、物価も賃金も、それから物の流通自体も御承知のように配給制であったわけです。そのような中で新しい物価体系を常に形成していこうと、そのときに国鉄運賃は物価体系の基礎として使われた、そういう形でこの運賃の法定主義というものは生きていたわけであります。その意味では、私はいろいろ新憲法実施に伴う国家財政の民主化という基本線からの財政法関係、いわゆる法律のたてまえ上の問題もありますけれども、それはさておいて、現実の問題としてやはり国鉄運賃は当時は法律で決めざるを得なかった、決めることのよしあしは別にして、法律で決める以外に方法はなかった、こういうことが言えるわけであります。  特に、当時の国鉄の状態というものはほとんど輸送施設が荒廃しておった。輸送量は今日から見ますと旅客は三分の一、貨物は五、六〇%しかありませんでしたけれども、国鉄職員の数は六十一万人余りおりました。これは復員者、大陸鉄道の引き揚げ者をそのまま受け入れた結果です。したがいまして、その財政というものは今日予想もつかないような非常に厳しいものであったわけでございます。  当時の国鉄運賃値上げ率というものを見ますと、昭和二十一年の三月に旅客一五〇%、貨物二〇〇%の値上げをいたしました。二十二年の三月には旅客二五%、貨物一〇〇%の値上げをいたしました。同じ年のわずか四ヵ月たった七月にさらに旅客二五〇%、貨物二五〇%の値上げをいたしました。特にこのときに、戦時中低位に据え置かれた石炭については一度に六〇〇%の運賃値上げをした、それで他の物資との調整を図った、そういうようないわゆる荒療治をしてきている。まあ今日、三〇%、五〇%値上げというものが非常に物価や一般国民生活に響くと言われておりますけれども、当時は二倍半、三倍半というものを繰り返していたわけです。  そこで、このような状態の運賃をさらに二十三年の七月に旅客については一五五%の値上げ貨物については二五〇%値上げということで、この最初の運賃法というものはこの運賃値上げ案を中心に制定されたわけであります。もっとも、このときに貨物については四〇〇%の値上げをすべきであるという事務当局の案がありましたけれども、それではやはり物価に対して余りにはね返りが大きくなるということで、これを二五〇%、つまり二・五倍に引き下げたと、こういうような形になっているわけです。しかし、このような大幅の値上げを年々繰り返したにもかかわらず、当時の国鉄の財政状態を見ますと、昭和二十三年度には収入が二百六十一億円に対して百五十九億円の赤字を出している。こういうような状態ですから、これを、何をとらえて適正な運賃である、こういうことをほとんど判断する基準がなかった。  また同時に政府は国の復興、再建のためにいろいろな重点施策を設けて、それを強力に推進していたわけです。特に重要産業の復興ということには傾斜的に力を入れておった。一例を申し上げますと、当時、もちろん石炭も配給制になっておりまして、配炭公団を通して消費者はこれを配給を受けることになっていたわけです。そのころ国鉄の燃料炭はトン当たり三千七百円余りで購入しておりました。しかし一方、鉄綱とか肥料、それから電力といったような傾斜的に生産増強を図ろうとする重要産業に対しては、トン当たり千四百円余りで石炭を配給しておったわけです。この一事をもって推して知るべきであって、すべてのものがやはり国の復興という至上命令のもとに総合的に進められていた。もちろんそのときに運賃もそれの最も重要なてことして使われてきていたわけです。  したがいまして、当時のその運賃法制定を審議いたしました第二国会の運輸交通委員会の速記録などを目を通してみましても、運賃法定制そのものに対する議論はほとんど姿を見せていない。これは当然のことだと、あるいはこれは言い過ぎかもしれませんけれども、当時は運輸省時代でしたから、運輸大臣がこれは鉄道会議の専門委員会に諮問して、そして運輸大臣みずから運賃を決めていたわけですけれども、その運輸大臣に対する、運賃値上げに対する批判が非常に厳しかった、風当たりが強かった。恐らく運輸大臣は、これが法律で決められることになってほっとされたのじゃないか、こういうふうに思うくらい当時の運賃決定についての基本的な考え方というものは、そういう状況の中で判断されておったわけです。  それと同時にもう一つ大事なことは、この法律をつくるときの運賃というものに対する基本的な考え方、当時の国会の提案理由の説明の中にもございますが、国鉄は創業以来独立採算でやってきたんだ、それで発展してきたんだ、その体質は依然としていま持っているんだ、したがって、それを基本として運賃というものを考えていかなければならない。ただ同時に、それの国民経済に及ぼす影響を配慮していくんだ。国鉄運賃法の第一条の第二項には運賃決定原則として四つの項目が羅列してございます。公正妥当であること、それから原価を償うこと、産業の発展に資すること、賃金、物価の安定に寄与することと、こうありますが、その原案は、最初の案はこれとちょっと違いまして、前項の運賃、つまり国鉄の各種の運賃ですね、前項の運賃及び料金は原価を償い、かつ、産業の発達及び国民生活の安定に資するよう適正な額でこれを定めることを原則とすると、こういうふうな原案であります。  これを法文化するためにこのように分割して並列的に並べたわけでございますが、国会審議の過程でこの立法趣旨がうかがえますように、要するにフルコストで経営費のすべてを賄うということが、その根本的な理想といいますか、たてまえになっていた。当時こういうような状況で判断いたしましたが、一方においてそのような低物価政策あるいは産業の発達を推進するための施策として運賃が利用されましたので、それに伴う経営費の不足は一般会計からこれを補うという原則がこの運賃法の制定と同時に認められておったわけです。たとえば昭和二十三年度の予算を見ますと、営業収支の規模は大体一千億円ですけれども、その中で一般会計から三百億円を繰り入れている。  つまり、それは国策を推進するために、低物価政策を推し進めるために国鉄運賃を抑制した補償であると、こういうふうなたてまえがとられている。ということは、つまり、やはりそこに国鉄の独立採算制、創業以来続いたその採算制というものを前提に運賃を考える。そうしてその運賃をどのように国民に負担させるかということについて、この運賃法の中でこういう形が最も公正妥当であるという判断をしておったわけです。しかし、今日の実情というものは、そういうその当時の完全な統制経済、それから国鉄経営も本当にもう秩序も乱れておったし、合理的な経営構造になっていたわけではありませんし、また同時に、国鉄運賃そのものを国の共通目的のために役立てると、そういうようないわば非常時の乗り切り策としての運賃政策というものが基本になってこの国鉄運賃法というものはスタートしているわけです。  その後次第に経済が復興いたしまして、御承知のように薄紙をはぐように統制経済が次第に自由経済化してきた。それに伴ってその統制経済下の特に重点的な国策遂行の手段として用いられた運賃統制方式が次第に現実と遊離し始めてきた。特に昭和二十六年当時の朝鮮動乱に伴う特需景気によって日本の経済は急に膨張した。国鉄自体もそれによって運び切れない滞貨の山を抱えた。国鉄財政もその当時は確かに潤ってまいりました。そういうような一時的な景気に刺激されて、あたかも国鉄の独立採算制というものは、そのころ復活したかのような実は幻想がそこにあったように私どもは思います。  そのために日本国有鉄道法を制定する際に、その最初の規定の中には、国鉄自身の責任によらない赤字、いわゆる政府の低物価政策等による赤字については交付金を国鉄に与えると、こういう条文があったわけですけれども、それが多分昭和二十七年の改正でその項目が削除された。しかし、そのときにそういったような国鉄の基本的な体質がそこで決して変わったわけではないというのは、その統制経済自体の運賃法に基づく運賃決定の基本的な考え方というものがそのまま続いてきたわけであります。さらに今日までそれが続いているわけです。  昭和二十九年の十一月に提出されました臨時公共企業合理化審議会の答申というのがあります。そのときすでに運賃決定について国会が直接関与するということは現状にそぐわないと、これは一刻も早く形を変えて専門家による審議会等にゆだねるべきである、そうしなければ公共企業体としての国鉄の体質はそれにとうていついていけないだろうということを警告しております。  なお、それに続くたくさんの法的な審議会、調査会等もほぼ同じようなことを繰り返しつつ今日に至っているわけでございます。そこで、私どもは特にそういったような環境変化という面から今日の実情を考えますと、国鉄自体の体質の問題はこれは別といたしまして、交通市場状況にいたしましても全く他の交通機関国鉄をしのぐような発展ぶりを示している。つまり交通市場全体が複合的な、競争的な構造に変化しているわけです。この法律をつくるとき、この法律に基づいて国民運賃決定に参与する当時の状況とは全く違うわけです。  したがいまして、このような非常に複合的なデリケートな交通市場の中で、国鉄が他の交通機関と違ったいわゆる国民的な立場においてサービスをする、国民経済的な役割りを果たす。このためにはその交通市場の周囲の状況に適応するようなきめの細かい対応の仕方をしていかなければ、とうていその国鉄国民経済的なあるいは公共的な任務を果たすことができない。先ほどもどなたかから話がありましたけれども、その硬直した統制経済時代の統制方式そのままが自由経済、特に交通市場の激しい自由経済の中に持ち込まれたことが、やはり国鉄の体質を今日のような非常に救いがたいような状況に陥らした一つ根本原因ではなかろうか。  そこで、私どもはこういう点から考えますと、今日の国鉄というものは、この法律をつくった当時のようにフルコストの独立採算という観点から運賃を考える、いわゆるすべて利用者負担の原則でいくというような考えだけでは律し切れないものに構造的になってきておる。言いかえれば国鉄運賃の考え方の基盤というものが変わってきておる。何らかの形で構造的なその弱点を別な角度で補完するという土台の上に立った運賃論というものを考えなければならない時代になっておる。  これはひとりわが国ばかりでなく、欧米各国の主要鉄道も皆同じような形になっている。われわれは交通問題を専門的に扱っている者ですが、いわゆる運賃論というものをこの際根本的に書き直さなきゃならないと、こういうような時代になっている。そういう立場から現実の交通市場に溶け込んで、そうしてそれらの機関と協調して理想的な総合交通体系を形成していくということのためには、もっと国鉄自体が弾力性を持った対応の仕方、こういうものを考える必要がある。  今回のこの日本国有鉄道運賃法の改正案の中では、まだまだ私どもとしては、そういう面からいきますと改正し足らない面が多々あろうかと思いますけれども、しかしそういった運賃の基本理念の変更というものは、もっと慎重に考慮しなければならない。したがってこの際、まず当面現状に即して財政再建の前提とするために、この硬直的な部分を弾力的なものに変えるという意味で、私は今回の運賃法改正の方向は妥当なものであるというわけで、基本的に賛成しているわけであります。  それから第二点は、この運賃法定制の緩和というものと国鉄財政再建とどのような関連を持って考えるかという問題ですが、私は率直に言いまして、運賃法の改正によって国鉄が主体性を持って運賃を決められるようになっていく。これによって国鉄財政が急によくなる、財政再建の決め手になるとは決して思っておりません。むしろ私の考え方によりますと、国鉄自体が運賃値上げについて戦略戦術を考えるということは、国鉄にとって非常に苦しいことになる、国鉄を試練の場に立たせることになるのじゃなかろうか。  前のこの運賃法改正の当初案以来、その値上げ幅アッパーリミットについていろいろな議論がございました。この法定制緩和に反対される方の中には、法律を外すと国鉄運賃値上げは天井知らずになるのじゃないか、つまり運賃値上げの抑止力がなくなるのじゃないかということを言われる方がおられるようでございます。しかし、私は今日のような交通市場あるいは経済事情の中で、国鉄がそういった交通市場の自主性を無視し、あるいは利用者立場を無視した運賃値上げはむしろ自殺行為であろう。法律の抑止力よりももっと現実の抑止力の方が厳しいように思う。  国鉄の財政の立場から逆算した運賃値上げをもし実施したとすれば、それは一般に言われるように国鉄離れ、輸送量が減ればさらにまた値上げしなければならない。さらに国鉄離れを来す。そして、結局みずから首をくくるようなことになる。そこで国鉄といたしましては、そのような運賃値上げをみずから苦労してつくってみることが必要だ。経済の荒波の中で……
  13. 内田善利

    委員長内田善利君) 中島公述人、時間が大分経過しておりますので、あと要約していただきたいと思います。
  14. 中島勇次

    公述人(中島勇次君) そういう意味で、私は、まだ国鉄財政再建のためには、構造上からくるいろいろな負担増を政府の助力によって解決していかなければならない問題が多々あると思いますけれども、それに優先して、それ以前の問題として国鉄当事者能力、さらに当事者意識を引き出すような措置として、この運賃法定制の緩和というものはまことに必要かつ適切な措置であるということで、全面的に賛成するわけでございます。以上。
  15. 内田善利

    委員長内田善利君) ありがとうございました。     —————————————
  16. 内田善利

    委員長内田善利君) 次に、工藤公述人にお願いいたします。
  17. 工藤芳郎

    公述人(工藤芳郎君) 御指名をいただきました全国消費者団体連絡会の代表幹事をしております工藤芳郎でございます。  まず、こうした権威ある委員会に発言の機会を与えられましたことを光栄に存ずる次第でございます。私のいまから発言を申し上げることに対しまして、どうぞ良識の府として参議院の諸先生方が十分に国政に反映をされますことを冒頭お願いを申し上げるわけでございます。  私は、利用者立場から、国有鉄道運賃法の一部を改正する法律案反対するものでございます。また、長びく構造的な不況の中で苦しんでおる広範な国民の皆さん方がこの法案に強く反対をしておるということを、さきの全国消費者大会などの反応から特に申し述べておきたいと思います。以下、反対の論拠を申し述べさせていただきたいと思います。  第一は、今回の改正案は憲法並びに財政法の原則に反するのではないかと考えられます。  今回の改正案では、当分の間一定の条件のもとで鉄道の普通旅客運賃賃率、航路の普通旅客運賃、または車扱い貨物運賃賃率の変更を、現行の国会権限から運輸大臣認可に移そうとするものでございます。そこで、まず、国鉄運賃決定方式が法律事項であることの法的根拠を見てみたいと思います。  憲法八十三条には、「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。」とあります。これは財政処理の一般原則と呼ばれているものでございまして、財政処理を国民の代表から成る国会の監督のもとに置くという近代立憲政治の中心課題でございます。この財政処理の原則を受けまして、憲法八十四条には、「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」と定められております。つまり租税の新設及び税制の変更は、命令などによるのではなく、法律の形式によって国会の議決を要するという、いわゆる租税法律主義をうたっているわけでございます。近代的財政立憲主義では、代表がなければ課税はないということわざが示しているとおりでございます。  ところで、普通に租税と申しますと、国または地方公共団体が、その経費を支弁するために、国民から無償で強制的に徴収する貨財を言うのでございますが、形式的には租税と言われなくても、実質的に租税と同じように、国民の自由意思に基づかないで定められ徴収されるもの、たとえば特許料などの課徴金、たばこの価格、鉄道運賃などは憲法八十四条の適用範囲とされるということは憲法学者の通説でございます。そして、この趣旨に基づいて財政法第三条は、「租税を除く外、国が国権に基いて収納する課徴金及び法律上又は事実上国の独占に属する事業における専売価格若しくは事業料金については、すべて法律又は国会の議決に基いて定めなければならない。」このように規定をされております。  さらに、財政法第三条の適用範囲を限定するという意味から、これに特例を設けているのがいわゆる「財政法第三条の特例に関する法律」でございまして、結局、法律または国会の議決に基づかなければならない専売価格、または事業料金というものは、現在では、製造たばこの定価、郵便料金、電信、電話料金、国鉄旅客及び貨物運賃の基本賃率の四つになっておりまして、これが公共料金の決定原則の基本になっているわけでございます。  以上のように法的根拠から見ますと、今回の改正案は憲法並びに財政法の原則に反すると言えるのでございます。  次に、衆議院段階での御審議においてもすでに御議論があったかと存じますが、国鉄の独占性がなくなった、したがって、憲法並びに財政法の原則は適用する必要はないのではないかという点について言及してみたいと思います。  第一は、法律上の独占性でございますが、一山方の交通を目的とする事業はこれまで長年にわたって認められてきたことでございまして、今日改めて論ずるのはおかしなことでございます。また逆説的に言えば、全国的交通を目的とする私的な鉄道経営は許されていないのでございますから、やはり国鉄は法的に独占的事業であることは明らかであります。したがって、国鉄の新線建設のあり方、国からの助成などについても十分でないにしろ、国が責任を持っているのが現状でございます。  第二に、事実上の独占性の問題についてでございますが、相対的に一地域については競争力が低下しているといたしましても、全国的交通については現在も国鉄の事実上の独占性があるということが言えます。  さらに第三には、事実上の独占的地位を弱めたものは何かということが大切でございますが、何よりもこれまでの総合交通体系の不十分さ、特にモータリゼーションの推進など、政府責任そのものに帰せられるべきことではないかと考えるわけであります。  ちなみに、昭和四十六年の七月に出された総合交通体系に関する答申は、高度経済成長の継続、発展を前提につくられた新全国総合開発計画に対応する総合的な交通施設整備計画でありまして、今日の社会的実情にそぐわなくなっていると考えられるのでございまして、大胆な見直しが必要でもありますし、この中で国鉄の位置づけをより強くし、事実上の独占性を強固なものにしなければならないと考えるわけでございます。  さらに、今回の改正案について百歩譲って、では例外的に認められないかということでございます。国会権限から大臣権限へ移す期間がきわめて暫定的なものであると、あるいはまたその権限によって値上げされる場合の値上げ幅がわずかなものであるというように、国民生活に与える影響がきわめて少ない場合ということは一応想定されるわけでございます。  そこで、この点を吟味してみますと、改正案は第一の点について、「当分の間」ということを表現しておりまして、中身を見ますと累積赤字、現在、五十一年度末で五兆四千五百八十二億円だと思いますが、これが解消されるまでということでございますから、この「当分の間」ということを考えてみますと、かなり長期間にわたってというふうに理解をしなければならないわけでありまして、もっと突っ込んで言いますと、この累積赤字の解消というのはなかなか困難ではないだろうか、このように考えるわけであります。また、大臣権限による値上げ幅も、衆議院での御審議などを承りますと三〇%あるいは四〇%も可能ということが御議論をされております。  そういった点から見ますと、やはりこういった例外的な措置でありましても、憲法、財政法による措置としては、原則から見ますとこういった措置は認められないのではないかと考えるのでございます。  以上の点をまとめて申し上げますと、国権の最高機関である国会での審議機能を弱体化させることは国民主権という憲法の原理、原則に反するもので許されないと考えます。また、国鉄運賃国会で審議するということの意義は、単に運賃賃率決定するためということにとどまるものではないと考えます。  国鉄運賃のあり方を審議する背景や過程の中には、当然一国の産業、経済のあり方、都市と農村の均衡した発展の問題、国の財政の民主化の問題、さらに国鉄で働く労働者の問題、関連企業のあり方、さらに差し迫った問題として、国鉄財政危機に陥れた原因の解明などが山積しているわけであると思います。これらの諸問題を抜きにして、単に運賃値上げによってのみ問題の解決を図ろうとすることは官僚的、独善的な発想でありまして、真の国鉄財政再建にならないばかりか、民主主義に逆行するものと言わなければならないと思います。  この点について去る十月二十日、私ども消団連代表は、国鉄の高木総裁と懇談を申し上げる機会がございましたが、このときも総裁は大変この点について心配をされておられましたことを申し述べておきたいと思います。第二に認可制度が採用された場合、現行の認可制度の運用実態との関連で見ますと、きわめて憂慮されることがありますことを申し上げたいと思います。  第一に、認可が中心となるわけでございますから、再三申し上げましたように、政府国鉄の裁量において自由に値上げが推し進められるのではないかという懸念でございます。特に認可行為といいますのは、行政法学者の定義によりますと、第三者の行為を補完して完成させる行為、俗に補完行為というのが定義でございます。したがいまして、この認可行為には認可を申請する側と認める側との関係だけがございまして、利用者国民の声は全く反映されるということがないのであります。今日までもたとえば電力、大手私鉄運賃、あるいはまたガス料金等の認可制度がございますけれども、第三者つまり申請者側の値上げ申請行為がございますと、これに対して主務官庁が判断をするということで、形ばかりの公聴会などはございますけれども、これは全く無視されております。  たとえば運輸審議会における公聴会、私も再三再四出席させていただいておりますけれども、私たちの声が、あるいは要求が、一方的に述べさせられる機会はありますけれども、これがどのように認可の行為の経過において反映をされたのか、採用されたのかといったようなことを全く無視されておるのが現状であるわけであります。そういう意味で、認可行為に付随して審議会等が仮に設けられたといたしましても、値上げの歯どめを失うことは明らかだというふうに言わなければならないわけでございます。  第二に、審議内容の大幅後退と非公開並びに資料の非公開が一層進むのではないかと懸念をいたします。国会審議を実質上やめるというようなことにも今回の法案は受け取れますから、審議内容の大幅後退は避けられないでしょうし、審議会の公開でもしない限り、密室審議となるのではないかと考えられます。  また、資料の公開についてでございますが、これまでも国鉄財政危機に陥れた有力な原因とされている大企業貨物企業別、品目別、年次別割引実態、あるいは国鉄と関連企業である鉄鋼、セメント、建設業、電設業、車両会社等三万一千社に及ぶ関連企業との取引実態などを資料によって公開してほしい。今日でも、申し上げていてもなかなか公開されないわけでございますから、これが認可主義になると一層閉鎖的なものになるのではないでしょうか。  第三は、この第二の問題の延長といたしまして政府国鉄、関連企業の三者間での非公開なといいますか、国民に見えないようなさまざまの行政行為が繰り返されてくると、今日運輸大臣に帰属する許認可権は二千件にも及ぶと聞いておりますけれども、こういうふうな権限の集中というのが現在のわが国の民主主義の発展段階から見て、あるいはまた官僚の皆さん方の非常に優秀なすぐれた面もございますけれども、また国民に対して広く公開をしないというような体質、現状から見て好ましくないというふうに考えるわけでございます。  以上は認可制度に関する一般的な弊害を申し上げたわけでございますが、これを国鉄運賃法定制の緩和との関連で見てまいりますと、一口に言って大幅値上げが繰り返し行われるというふうに私は懸念をいたします。その結果、国鉄離れが進んで、真の国鉄再建はできなくなるのではないかというふうに憂うるものでございます。去る八月末に出されました国鉄監査報告書を拝見いたしましても、その国鉄の現状の中で、「運賃の大幅な改定に伴う利用減が大きく、年度当初に予定していた収入に比べて約五千億円の減収となり、前年度に対し九%の増加にとどまった。」ということが書かれているわけでございまして、この点を特に懸念をいたすわけでございます。  さらに、法定制の緩和と値上げによる効果は電信、電話、郵便料金制度への改正へも波及するのではないかと思います。すでにこれらの制度の改正方向が進められていると承っておるわけでございます。つまり、現行公共料金決定の仕組みを根本的に変えてしまうという重大な影響があるわけでございますから、こういった問題はきわめて慎重に御審議をいただかなければならない、このように考えます。  次に、この効果としての問題を具体的に国民生活の影響との関係から見てみたいと思います。昨年の大幅運賃値上げが実施されました後で、私ども消団連の方へいろいろな方から投書や意見が寄せられました。この中の一つを紹介をしておきます。これを読みますと、たとえばことしのお正月、春休みに旅行計画をしてた方がたくさんおられるようでございますが、こういった方々が次々に旅行計画を取りやめております。ある家庭では、子供が大きくなって大学に行く。現在浪人をしているその方を連れて九州の田舎まで春休みに旅行したいというように考えていた。いろいろ計算をしてみますと、新幹線で博多まで行くと運賃が七千円、特急料金七千円で計一万四千円、親子四人で十一万円余りかかる。そうして、田舎のおじいさん、おばあさんを帰りに東京に連れてきて東京見物をさせてやりたいと思った。そうしますと大変な経費になるので、ついに奥さんが、私は留守番をしたいということで申し出た。ついに一家そろっての家族旅行はあきらめて、そして奥さんだけ残していかざるを得なかったということが報告されておるわけでございます。私は、このような庶民のささやかな幸せというか、こういったものを運賃値上げによって摘み取ることはまさに許されないことではないかと思うわけであります。  また最近、私は住宅公団の団地自治会の代表もやっておるわけでありますが、いろんな団地の奥さん方に聞いてみますと、新幹線に乗った方が案外に少ないわけでございます。ビジネスで乗る方はやむを得ないといたしましても、三十代の後半から四十代の特に御婦人の方でございますが、子供が小さいということもございましょうけれども、新幹線などはなかなか乗れない、このようにまた高くなったのではどうにもならないというふうになっておるわけであります。何か不幸があるとか、一生一代のことでありますと乗らざるを得ないでございましょうが、現実には新幹線さえも利用できない国民がたくさんいることをぜひ御理解を賜りたいわけでございます。  さて第三には、国鉄財政再建は、運賃値上げを繰り返し行うことによるのではなくて、国鉄財政を破綻に陥れた原因や背景を明らかにしていく、そういうことなしに今回の法案の改正をしても効果は上がらないのではないかということを若干述べたいと思います。  第一は、国鉄の現在の設備投資計画でございますけれども、これについては国鉄の現状を顧みないというふうに指摘をせざるを得ないと思います。これも高木総裁とお会いいたしましたら、今後の新線建設は、国に全額出していただくのでなければ国鉄としては承諾できないというふうに強く言われておりました。ちなみに現在の鉄道建設のあり方について見ますと、鉄道敷設法による未開線あるいは全国新幹線鉄道整備法に基づく工事線合わせますと、総計百九十五線、七千百八十七キロが計画をされておるわけでございます。  たとえば東北新幹線の場合でありますと、東京−新潟間四百九十六キロ、総工費が二兆一千億余りでありますから、キロ当たりの建設単価は何と四十一億五千万するわけであります。これは東京−大阪間に新幹線が敷かれたときのキロ当たりの七億八千万に比べますと非常に高くなっているわけでございますから、こういったものを繰り返していきますと、国鉄の今回の法案にも重大な関係があります経費の増高は火を見るよりも明らかだと言わなければなりません。  そこで、建設計画段階で広範な国民の同意が本当に得られているんだろうか。二番目は、建設コストと運賃との関係は試算をされているのだろうか。三番目は、建設に当たっての土地の買収、建設、電設業、関連企業との各種契約は適正に実施されているんだろうか。四番目は、工事がおくれた場合の費用負担をだれが一体負担をするのであろうか。さらに五番目は、これらに要する資金の調達を鉄道債券ということで借り入れをしておりますけれども、こういうことを国鉄だけに任しておいていいのだろうかというような問題があるわけでございます。  つまり、鉄道建設と資金調達という一連の流れを見た場合に、国鉄は土地、不動産会社、建設、電設資材購入会社、金融機関といった関連企業との深い関係を持っているわけでございまして、国鉄はこういった関連企業の利益追求のパイプ役を現に果たしているのではないか、大変心配をしております。そしてその負担を全部国民が強いられてくるというような点が考えられるわけでございまして、国鉄経営実態を顧みない、いわば無謀なとも言える設備投資計画に対しては十分ブレーキをかけていかなければならないと思うわけでございます。  こういった設備投資計画を財務との関係で見ますと、資本費の負担が非常にふえてまいっております。建設仮勘定は昭和四十五年度四千六百三十七億円であったものが、五十一年度では一兆一千六百八十七億、二・五二倍にもふえております。これに伴い資本関係費の中の利子及び債務取扱諸費も四十五年度を一〇〇といたしますと五十年度では二六六という指数が出ております。これは人件費の指数の二二一を大幅に上回っているわけでございます。  第二番目は、いま申し上げましたような関連企業との取引実態を明らかにして、そうして適正な取引基準をつくっていくことが必要だろうと考えるわけであります。  第三番目は、大企業貨物の不当な割引ということが消費者団体の間では非常に問題になっております。たとえば埼玉県の新座市の貨物ターミナルから仙台港三百六十七キロ間で乗用車を運んだ場合、自動車メーカーが運びますと、車運車ク五〇〇〇型形式の八台積みで運びますと運賃が八万四千五百円、それに通運料が二万七千二百円、加えて十一万一千七百円、したがいまして一台当たり一万三千九百六十三円となるわけであります。ところが運賃を二〇%割引をしておられますから八万四千五百円は六万七千六百円となって、運賃料込みで九万四千八百円、つまり一台当たりでは一万一千八百五十円で運ぶことが可能であります。  同じケースで個人が運ぶ場合でございますと、これは十五トン貨車で運びます。運賃が三万六千円、これに通運料が加えられて六万三千二百円、つまり自動車メーカーの場合は、車運車そのものはまず二〇%の割引がされております。したがいまして、単純に個人の場合と比較いたしますと一台につき五万一千三百五十円もの格差がある。  こうした原価を割った貨物輸送はこれまでの国鉄の累積赤字、たとえば昨年度末でありますと三兆一千六百十億でありますが、この中では七二%を占めているわけでありますから、貨物運賃値上げをすれば競争力がなくなるということが言われておりますけれども、なおあり方を検討しなければならないのではないか、つまり、国鉄赤字の主要な部分を占めているということは改めて御指摘を申し上げなければならないと思っております。  第四番目は、国鉄離れということは単にこうした運賃体系だけの問題ではないということが重要でございます。関連企業への多数の天下りの問題、あるいはまたこの前国鉄総裁がおわびをされておりましたけれども、一連の選挙違反事件などが出されておる。こういったことは国民から見ると非常に国鉄に対する信用をなくすわけでございます。つまり国鉄の体質そのものに対する国民利用者の不信が積もり積もって今日の国鉄になっているのではないでしょうか。相次ぐ新幹線事故などもそうでございます。また特急、急行優先で、勤労市民を顧みないダイヤ編成、無人駅や日常生活に必要な手小荷物取り扱いをやめる駅がふえているといったような、サービスの著しい低下といったようなものを日常的に取り上げて解決していかなければ、国鉄離れは一層進むのではないかというふうに思うわけでございます。  最後に、これまで国鉄運賃法定制反対する立場から種々論じてまいったわけでございますが、だからといって現在の国会審議のあり方が全面的にいいというふうに私は考えているわけではございません。もっともっと積極的に国会審議はむしろ必要であるというふうに考えているわけでございます。たとえば国鉄運賃を論ずるに当たりましては、さまざまな問題からお取り組みをいただいておるわけでありますが、たとえば運輸委員会だけでいいのかどうか。建設、大蔵、地方行政などにも非常に関係がございますので、関連する委員会でやはりもっと日常的に国鉄のあり方などを御議論をいただく必要があるのじゃないかと思います。会期末になりますと連合審査会ということが開かれますけれども、こういったスポット的なものではなくて、独立した国鉄問題を議論をする専門委員会を常時設置する必要があるのではないかと思います。  第二に、この委員会で審議に必要な資料を国鉄から出していただいて、そして国民にぜひ公開をしていただきたいわけでございます。今日はマスコミも発達しているわけでございますから、テレビなどを通じて国民にわかるように資料の公開、あるいは問題点を説明するといったようなことが必要ではないかと思います。  また、当該委員会の運営のあり方といたしましては、一定期間集中して審議することも必要だというふうに考えます。従来こうした運輸委員会主宰の公聴会も参考人などで出さしていただいたこともございますけれども、いろいろ意見を申し上げるについては余りにも時間が実を言いますと十分ではないわけでございまして、問題点ごとに、たとえば新線建設のあり方、政府の財政支出のあり方、地方線のあり方といったように問題を分けて、何回かにわたって公述などをさせていただくとなお結構だというふうに考えておるわけでございます。  大体以上で私の公述を終わりたいと思います。
  18. 内田善利

    委員長内田善利君) ありがとうございました。     —————————————
  19. 内田善利

    委員長内田善利君) 次に、気賀公述人にお願いいたします。
  20. 気賀健三

    公述人(気賀健三君) 私は、この法案に賛成する趣旨を述べたいと思います。  賛成する理由二つございます。それからこの理由に補足いたしまして、この法案だけでは不十分である旨を第三番目につけ加えたいと思います。  賛成する趣旨は、まず第一に、運賃法定主義を緩和することによりまして、国鉄経営責任を持つ当局者の責任体制が若干でも強化される。そして十分ではないけれども、とにかくある程度経営者責任を持って収支会計についてみずからの判断を下すことができるという意味でこの法案の趣旨に賛成するわけであります。  従来この法定主義が採用されてきましたのは非常に長い歴史があると思いますが、一言で申せば国鉄というものが公共性がある、公共的な使命のためにはこの重要な運賃決定国会で審議するというような考え方が強かったと思うんですけれども、この公共性という言葉ほどあいまいで、いかようにも解釈される言葉はありませんし、現に今日ではこの公共性という言葉をむしろきわめて限定して考えなければならないのが国鉄の実体であろうと思います。  たとえば公共性ということは、国策を遂行するんだ、戦前で申すならば富国強兵のために国鉄を運営するということも公共性という中に含まれたと思います。あるいは戦後で申しますならば、戦後の復興のために産業復興をするために国家がこれを管理し、運賃も決める。ときには、ある種の品物については特に安くする、あるいは物価政策上の必要から運賃を抑えるというような形でやることもこれも公共性だと考えます。あるいは国民の一般の必要、あるいはごく一部住民の利益、それを考えることも公共性だと、こういうふうにまあ公共性という言葉は使いよう次第でいかようにも広くも、また違った方面にも使われるわけです。その理由のゆえに国家の責任において運賃を決めるということは非常に危険だと思います。  と申しますのは、今日の国鉄の置かれました状況は、すでに先ほどの岡田教授その他の方がお話しになりましたように非常に競争的な状態になっております。全部が全部国鉄の運営する路線が競争的とは申しませんけれども、かなり部分競争的になっている。つまり代替的な交通機関がある、そういうときにはこの公共性というものの意義は非常に薄らいでまいります。国鉄でなければならないということはありませんし、また国鉄経費その他を無視してもしなければならないという理由もない。  ただ、公共性という言葉は、そういう理由のゆえに、原価にこだわらず必要なものなら何でも生み出すんだと、こういう考え方から路線を敷くということも出てまいります。あるいは政治的な必要からやるということも起こってまいりましょう。そうすると、政治的必要とは何ぞやと申しますと、これは悪い言葉で申せば、一部の利権を代表するかのごとき印象を与えることもこれまでにあったのではないかと思うのですけれども、そういう意味にも使われるようなこの公共性という言葉に基づいて今後の国鉄の運営を考えることは、私は大いに警戒しなければならない。  それに対しまして、今日この法定主義を緩和いたしまして、若干でも国鉄当局運賃決定についてみずから定めるところ、それをまた運輸大臣の認可に基づいたという条件がついておりますけれども、とにかく自主性の若干の回復になるという意味で、この回復することは、この競争的な市場の中で国鉄が他の運賃と比較していかに自分の運営する交通サービス国民に供給するかという条件を与える責任をみずからに課するわけですからして、国鉄当局にも、また国鉄の従業員一般にも、自己責任の観念が若干でもわいてくるのではないか。そういう意味でこの法定緩和の趣旨に賛成するわけであります。  しかし、この場合にしばしば警戒しなければならないことは、公共性という言葉によって言われるその国鉄の中身ですけれども、やはり何といっても全国的規模で考えますと、これなくなってしまっているわけではない。やはり国鉄でなければならない部分もあるわけですし、またこれまで果たしてきた役割りから考えましても、国鉄の方がいいという部面もあると思いますけれども、そういうことを考えますと、国家の運輸大臣が責任を持ってこれを認可すると申しますか、監督責任をしようというのも当然だろうと思うんです。  と同時に、公共性のゆえに営利とか、採算とか、効率性を無視してよいということにはならない。今日、私的企業で、たとえば独占性の強い電力事業でもガス事業でも、株式会社として経営されておりますけれども、これ同時にちゃんと独立採算制の立場で考えられ、原則的には利用者負担ということで料金を決める。ただし、こういうものが独占でありますから、当然監督官庁の認可のもとに料金を定めなければならないし、その他サービス条件につきましても厳重な規制があることは事実でありますから、私は国鉄運賃法定主義を廃止して、野放しに当局決定されるというふうには考えておりません。少なくとも今度の法案によりまして若干の責任体制の強化ができる。これは当局当事者能力回復への第一歩になるであろうという意味で賛成いたします。  それから、第二番目の理由ですけれども、運賃の改定には制限条項がついております。この制限は、ここで条文を読まなくても皆様おわかりと存じますけれども、やはり当事者能力がまだ十分に回復していないし、そして国鉄運賃を、ただ経費が増大するからそれに見合う程度運賃決定値上げ幅を認めるというような原則でも、経費の増大についてどれほど当局が努力できるのか、しているのか、その点についてはいろいろな疑いを私ども利用者としては持っていると思います。どれほど生産性の向上への努力を経営者も一般の従業員もしているであろうかということについては非常に疑念が多い。  違法ストをする人たちがいる、処罰された者がまた採用されるというようなことも起こっている、こういうようなことはとうてい一般の企業では考えられないようなことなんですけれども、そういうことが現実に起こっておる。あるいはまた、その他の制限が当局者に課せられております。建設についても当局だけが決定できないで、ほかの権限機関があって建設を決めている。いろいろなことがありますので、こういう点は省略いたしますけれども、そういう当事者能力が非常に制限された状態においては、当事者がいかにどれほど経費節減の努力ができるであろうか疑いを持たざるを得ない。  そういたしますと、その経費節減ができないから、これだけ費用が上がるからそれに見合う程度にというふうな形で運賃を上げていくということだけで簡単に運賃を上げていいだろうか。やはり利用者として考えますと、そういうことで運賃を上げられては困る。やはり当局者が競争の中で十分に自主的に決定できる能力を発揮できる条件ならばいいけれども、現在のような状態のもとでは当然何らかの制限を法律のもとにおいて課しておく方が安全であろうという気になるわけであります。  したがって、いかにも暫定的ではありますけれども、そういった状況の中ではある程度値上げ幅に関する制限をするということも妥当であろうと思いまして、この利用者負担の原則を実現する途中の過程の中で、物価等変動率ですか、それに一五%を加えるというこの範囲ですね、こういう限定の仕方を私はやはり支持せざるを得ないわけであります。  現に国鉄当局は、たとえば昭和四十四年あるいは昭和四十八年、さらに昭和五十年から、再建に関するいろいろな案を実施する旨をもって乗り出しましたけれども、いずれもこの案は不成功に終わっておりまして、長期的な債務は累積する、経常赤字は増大する、こういう現実の中で、経費が上がるからそれじゃ上げましょうというふうな形で、天井を決めないような運賃決定当局に任せるのは非常に危険だというふうに私は考えるのであります。したがって、限定を法律によってする、運賃値上げに関する自主決定限度を制限するということもまた現在の状況のもとではやむを得ないというふうに考えるのであります。  以上が主としてこの法案に賛成する理由でありますけれども、三番目に申したいことは、この法案はまさに当面の赤字対策としての応急措置にすぎない。この法律の中にも「当分の間」というふうな言葉で、いかにも応急の措置であるような印象を与える文章がございますけれども、この「当分」というのは五兆に達する赤字が消えるまでということであれば、恐らく永久にと言ってもいいかもしれないような制限ですけれども、とにかく暫定的な措置だということはこの法律自身の言葉の中にあると思うんです。まさにそのとおりでありまして、この改定によってこれまでの赤字が消える見込みが立つというものでもありませんし、国鉄財政再建がこれで十分だというのでもないことは法律の趣旨についても明白だと思うんです。  ここで私は、そういう再建というものについてもっと真剣に考えていかなければ、またこの法案の成立の後で続いて再建に関する積極的な案を当局が立てる、国会で審議をするということでないと、この運賃値上げに関する自主的決定の考え方はただルーズにと申しましょうか、ルーズという言葉は悪いかもしれませんが、比較的安易に値上げができてしまうというふうな危険を持ちますので、どうしても再建対策というものを真剣に考えて、国会で審議するということが当然必要だろうと思います。  じゃあ、その再建対策とは何か。これは非常に極端の議論がありますし、いろいろな問題が含まれておりますからして、ここで私が一言でそれを申し上げることは困難でありますけれども、重点を申せば、一つは、何といいましても先ほどの公述人方々言葉にもありましたように、まず第一に当事者能力回復することだ。いままでのようなやり方では、当局もまた一般の職員もすべて親方日の丸だという批判はこれはもう世間で通用しておりますし、私もまさにそのとおりだと思うんです。足りないものはすべて国におんぶするというようなのが現実でありまして、こういう状態でいる限りは、経営当局者もまた一般従業員も非常に安易な気持ちになるのは、これはやむを得ないわけです。  したがって、そうでなくて、はっきり経営者責任を持って赤字でないようなことをする。もちろんそれじゃ国は全然助成しなくていいのかというと、これはやはりこれまでの歴史的事情から考えますと、一挙に全然助成をなくしてしまう、純然たる私企業のごとき形にしてしまうということは、私は現実問題として不可能だろうと思いますので、何らかの形の助成はこれは十分に審議し、十分に条件をつけて決めなくてはなりませんけれども、ある限度を決めて助成をする、ある規則を決めて助成をするという、その限度と規則、条件ですね。そういうものを定めて助成するがそれ以上のことはしない、あくまでも当事者が決めるんだという体制を立てること。そのためにいまのような公社がいいのか、あるいは分割案がありますし、あるいは私企業案もありますが、別の形の公社という案、いろいろありましょうが、ここで私はそういうことをあえて申しません。とにかく自主的な責任を持つことのできる体制にする。そして当局に対する国家の補助というものは限度条件をはっきり決めておいて、それ以上のことはしないという、そういった考え方に立ちました再建というものをしなければならぬ。  それから第二番目には、これもまた長く新聞紙上でも、一般の世論の間でも醸成されておりますけれども、現在のような国鉄労使関係が複雑怪奇をきわめておる——怪奇と申しますのは、先ほどの一つの例でもありますように、ストライキをしても、そうした者がまた再雇用されることがあるようなそういう情勢である。あるいは生産性の向上というようなことは、これはもう当然のことですね。どんな企業、国営であろうと民営であろうと、生産性を向上してむだを省くということはもう当然のことなんですけれども、これがいわゆるマル生反対というような形で、過去においてその言葉当局自身によってもそれが放棄され、その後非常にルーズな形になって、今日ではそれが一体どうなっているかわからないような事情でございますけれども、こういうこともはっきり当局が姿勢を立てて、生産性の向上ということについては当然の責務だという考えで実施する、そういうふうな労使関係を立て直さなきゃならない。そういった内部の浪費を生む、多くの経費を生み出すような情勢の中でしたら幾ら助成しても助成し切れないでしょうし、いかに当局責任を持てと言っても責任を持つことが困難である。こういうふうなことでは私は再建ができない。  この点につきまして、特に私は二つの点だけを力説するのでありますけれども、そのほかいろいろ挙げれば、先ほども公述人言葉にもありましたように、全国一律運賃というような考え方は現在妥当であろうか、あるいは特殊の人々に対する非常に巨額な割引運賃というものがありますけれども、これも果たして必要であろうか。過去の昔の時代と、現在のように国鉄赤字になって、しかも代替的な機関がたくさんある時際において、こういったいわゆる昔流の公共性に名をかりたしきたりがいまでも続いているというのは、まさにこれは国鉄赤字をますます高くし、そして当局責任をますます薄くする要因でこそあれ、決して責任を高め、経営の効率を高めるゆえんにはならないと思うんです。  そういう意味で改善すべき点、地方路線の問題にしても、貨物路線の問題にしてもそうです。こういうものがすべて公共性の名のもとに、どんなに収益性が低くても収支係数が高くてもとにかくやるんだ、公共的だから。こういうことでやっているような、こういう考え方をすべて再検討して、基本的に経営赤字を立て直すことができるようなそういう姿勢を確立すること、これが国鉄再建にとって一番必要であります。それに至るとにかく応急の措置として、一つのさしあたりの赤字対策として、この法案の趣旨には賛成するものであります。  以上であります。
  21. 内田善利

    委員長内田善利君) ありがとうございました。  以上で公述人方々意見陳述は終了いたしました。     —————————————
  22. 内田善利

    委員長内田善利君) これより公述人に対して質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  23. 青木薪次

    ○青木薪次君 富塚公述人と、それから中島公述人と気賀公述人の御三方にお願いいたしたいと思います。  まず、この地方交通線のことでございますが、現状では全く法定緩和しようが、あるいは現状のままで運賃値上げしようが、全くもってこの採算は困難であることは御案内のとおりだと思います。昭和五十一年で二千三百六億赤字を出しまして、ことしの見通しは二千五百億ということが言われております。これが問題解決のためには、百円の収入を稼ぐために三千四百円を使うという、こういうものはやめるにもやめられない。そうかといって現地の皆さん方の意向をくむならば走らせる以外にない。こういったものに対する運営の問題で、公的助成を含めると言うけれども、公的助成には国家資金もあるし、それから地方のいわゆる自治体の資金もあるわけでありますが、地方自治体も財政硬直化の中にある。じゃ、運営の方式についてどうするかというような問題もあると思うのでありまするけれども、ひとつ御堪能な御三方にぜひこの運営について、どうしたらいいか御意見をお伺いいたしたい。こう思います。  それから、国鉄は独占的地位を失ったけれども、お話しになりましたように、古い体質で実は経営をやっていると思うのです。それをこの間国鉄総裁は、しがらみということを言われました。しがらみというのは、これはもうモータリゼーションの世の中にいまなっている。自動車優先だ、道路は非常にできている。この方面に対する投資はきわめてすばらしい。イコールフッティング論というやつがあるわけでありますが、航空機も港湾も、それから道路も、国の金でという要素が非常に強いわけでありますが、国鉄はこの用地を買うときや、線路を敷く、車両を買う、あるいは駅舎をつくるというのはすべて自分でやらなければならぬというようなことでありまして、そういう点に対してイコールフッティングというような問題についてどうお考えになっておられるか。  それから投資のあり方でありますけれども、何か五十三年度の要求予算を見ますと、一兆五百億円のいわゆる工事予算の要求をしておられます。これは投資をすることは非常にいい、きわめていいことでありますけれども、これは全部借金です。借金になりますと、ことしだけでもって四兆七千億ばかりの利子を払わなきゃならぬということになるわけでありますが、この投資のあり方については一体どうしたらいいのかというような点についてお聞かせをいただきたい。  それからもう一つ、「国鉄再建基本方向」というやつが衆議院段階で決められたわけでありますが、この内容は非常に評価する点もあります。しかし、今度の法定緩和の問題で——先ほどの気賀先生の物価変動に一五%掛けるというのはこれは前の話でありまして、今度変わっておりますので、そのことについて、これは後で質問しようと思っておったんでありますけれども、一〇%の物価が上がった場合においては一年で一三・一、それから二年で二六・六%ということに計算上なるわけでありますが、それ以上は、それ以下にいかにして抑えるかということだというように説明しておりますけれども、いずれにしても値上げ幅の問題じゃなくて、収入についてはフリーハンドを与える。しかし、「基本方向」については、お話にもいろいろあったと思うのでありますけれども、なかなかまだ明確でないというように、くもりガラスの向こうを見たいけれども、なかなかくもりガラスが非常にすりがよくて前が見えないという状態では、これは非常に問題があると思うんです。法定緩和の問題いろいろ御意見、賛成、反対あったわけでありますけれども、これらの点についてどう考えておられるか。  以上四点をお伺いいたしたい。
  24. 富塚三夫

    公述人富塚三夫君) 政府の「基本方向」の中で、効率性の低いものには輸送体系の確立を図って、構造的欠損については所要の対策を行うと、こうなっている中に、いまおっしゃいました地方ローカル線が大きな問題になっている。私どもは、ほかに中小貨物、自動車、船舶、小荷物、これらはいずれも効率性が低いものだと思っています。だといたしますと、何と申しましても赤字ローカル線、地方交通線の問題が大きな問題になっていくであろうというふうに思っています。  そこで、いわゆる「所要の対策」とは何かという問題になりますと、私どもは、国民の足としての地方交通線を大事にする立場に立つならば、国が基本的に所要の対策を講ずるべきである。もしその場合に、地方自治体もどういう対応の仕方を考えるべきかということについても、もっと積極面を持ってもいいんではないかというふうに実は思っています。したがって、地方交通線の扱いがどうなっていくかという課題は、貨物問題と含めて大きな問題であろう。だとするならば、「所要の対策」とは具体的にどうしていくのかということを明示されないと、地方交通線の廃止の問題や、貨物廃止の問題が労使間の問題として解決する、紛争が生じるなどということはナンセンスであり、国が考えるべき所要の措置をとるべきじゃないかというふうに第一に考えています。  それから問題は、独占的な国鉄の機能という、これは官業時代、古い時代であって、いまは青木先生がおっしゃるように、われわれはまさに競争的な立場の機能に置かれている。三公五現の場合でも国鉄は全く独占ではなくて、競争的な機能の中にあるという問題について、どのように現状認識を持ち、将来の問題を考えるかということだと思うんです。政府の「基本方向」の中にも、たとえばトラック問題なども考えるなどとありますけれども、現実にそう簡単に貨物自動車とのかかわり合いの問題を考えるなどということは、そう簡単にいかないのではないかというふうになりますと、そこの基本的な認識を統一して将来に向けての対策を明らかにすべきではないかと第二に考えています。  投資の問題は、もちろん新線建設なり、あるいは車両の取りかえなり、所要の当然必要なものはこれは国が行うべきであるという基本的立場に立っていただきたいと考えています。問題は、この地方線建設の問題、こういったことなどが従来往々にして国鉄の側が、あるいは車両の老朽の取りかえなども国鉄の側が背負わされるといった状況もあったということは事実でありまして、その点はそういう方向で努力をしていただきたい。  それから、先ほど申し上げましたように、運賃緩和法を通したからといって私は本質的に国鉄再建ができるとは考えていません。結局政府国鉄当局は、五十三年、五十四年度中に所要対策を講ずると、こう言っているんですが、それは合理化であり、つまり企業内努力であり、構造欠陥の克服であり、運賃改定であるということになると、結局運賃改定だけが問題になってクローズアップされてくるんじゃないか。基本的に構造欠陥の克服はどう進めていくのか、あるいは合理化はもはや限界にあるという基本的認識に立っていますから、そういたしますと、緩和法案そのものを通したからといって基本的に再建の解決に当たるとは考えていません。  以上であります。
  25. 中島勇次

    公述人(中島勇次君) 四点について、私の考え方を簡単にお答えいたします。  まず、地方交通線の問題でございますが、先ほど青木先生が御指摘になりましたように、計算上では大きな赤字額が算出される、もちろんこの計算が誤りであるとは私は決して申しません、このようなある前提のもとに計算した赤字ですから。ただし、一口に赤字ローカル線と申しますけれども、その中にはいろいろの性質のものが含まれる。その線があるがために幹線に潤いを持たれる、たとえば川の細い支流のようなもの、それから全くそういう幹線への培養効果をもたらさないような赤字線、いわゆる赤字線の中に本線に付帯して機能している赤字線と、全く地域的なローカル線、こういうものが、いろいろな段階があるわけです。  したがいまして、私は、ある程度本線の培養効果のあるものは、他の収益力のある線区との内部補助というものは、やはりこれだけの国鉄網を維持していく限りは、そういう形である程度は維持していかなければならない問題ではなかろうか。ただ、それにしましても、やはりそれだけですべてカバー切れない分、そういうものについては、これは国策として政府の援助をいただく。それをやめればその一地方が犠牲になる。そういう意味で、その限界はやはり何らかのルールをつくってはっきりいたしませんと、経営企業努力の枠がなくなってしまう。それからもう一つ、全く地域的なローカル線、これを外しても本線にも余り関係のないというものは、本来はその地域で考えるべき問題であろう。  ただし、御指摘のように、日本はアメリカとかドイツのように地方自治が連邦政府のような財政についての主体性が非常に弱い、つまり地方財政が非常に弱いわけですから、その範囲内で国の援助と地方財政、国鉄と三者の協力で打開の道を選んでいくほかしようがないんじゃないか。それからもう一つは、そういうことをする際に、やはり地方ローカル線はローカル線なりにもつと簡素な方式を考えたらどうだろうか。これは極端ですけれども、ないよりましだということではひど過ぎますけれども、いまはどちらかといいますと、シビルミニマムとか何とかということで、全線に非常に均等な設備が要求される。その点について一考すべき点があるんじゃなかろうか、こういうふうに考えます。  それから次の、イコールフッティングという議論があります。これは私個人の考え方かもしれませんが、これは何か非常に誤解されている点が多々あるんじゃなかろうか。というのは、企業単位で、たとえば鉄道と自動車と航空機と、こういう企業の中のイコールフッティングという考え方と、それからもう一つは、利用者のイコールフッティングと、こういう二つの見方があるわけでございます。  そういう面からいきますと、国鉄の基礎構造、つまり線路を敷くとか用地を買うとか、そういうようなものはいわば国の永久の財産ですから、たまたま特定の国鉄企業が使っているだけですから、それはやはり国民共通の財産として、たとえば道路とか、あるいは川とか、そういうものと同じように共通の負担にする、こういう考え方。で、これはもっと自動車に税金をかけろとか、あるいは飛行場の使用料をもっと原価を償うのに高く取れとか、こういう問題とはちょっと別個の問題であろうかと思います。  いずれにしましても、鉄道は特に最近環境問題がやかましくなりまして、そういったようないままで社会的費用として見逃されたものをさらに多く負担することになりましたので、そういう意味でこの共通的な基盤的な費用についても、収益のあるところは別として、収益力の弱いところにつきましては国の助成が必要ではないか。特に新幹線をこれから延長いたしますと、必ずしも東海道や山陽新幹線のようなわけにはまいらない。しかし国策として必要であるならば、そういうものにつきましては、基礎構造費、つまり建設費並びにそれに伴う負担は国の責任である、列車の運転費用あるいは施設の保守のようなものを利用者負担する、こういう考え方があろうかと思います。  第三の投資の問題は、これは一口に投資と申しますけれども、ある投資をしなければその他の部分が十分に活用できないという投資、それから新線建設のように、ないところに鉄道を敷く、そのために財政負担を増す、いろいろあるわけでございますけれども、私はいま例に挙げましたような新幹線の建設とか、あるいは地方支線の建設のようなものは、これはいまの国鉄財政再建という方向に反することですから、その点については慎重に判断していただきたい。つまり、そのプロジェクトだけの経済計算でなしに、総合的な採算性というものを十分に検討した上で投資をしていくようにしていくべきじゃなかろうかと思います。  それから第四の、法定制を緩和することによってそれで自治体の今度費用面との関係がどうか。私は、基本的に法定制緩和というものは運賃を上げるというふうなことではなしに、ときには下げるということも必要ではないかと思う。さきにグリーン車の料金を一度上げて下げた、ああいう試行錯誤によって利用者の反響というものを見ながらいく。先ほどから私は弾力性に賛成だと言うのは、上げてみたり下げてみたり、こういうことが自由に試行錯誤をすることによって根本はやはり輸送力を確保する、ふやすと、こういう方面に重きを置いた効果にこの運賃法定制緩和の効果を期待するわけであります。それがすぐに費用にどう結びつくかということは、これはまた別途の考え方であろうかと思います。  以上です。
  26. 気賀健三

    公述人(気賀健三君) 地方路線というものは、収支係数が非常に、先ほどのお話のように百円の収入で千円かかるところも三千円かかるところもある。いろいろ赤字を生む原因の強弱もありますし、それからその重要性についても、判断の仕方では、なくてもいいんじゃないか、いやなきゃ困るとか、いろいろなことが言われますので、一概にすべて赤字のところは改廃しろというようなことは私は考えておりませんけれども、少なくとも代替性のある場合には十分それを考えて、たとえば道路あるいは川、あるいはその他の交通機関を通じた交通サービスが得られる場合には、赤字鉄道路線というものはどんどん縮小していく方向で考えなければならないというふうに思うんです。  それから、交通路線の費用負担の問題ですけれども、これはたとえば鉄道というのは鉄道だけが使う道路でありますからして、車で申しますと車の専用道路みたいなもので、ここは車だけがその費用を負担するような形で乗客が交通料金を支払う、あるいは車がガソリンを通じてその利用路に対する負担を若干でもしているというふうな形で負担をしている。ところが、一般の道路は人間が歩く、自転車が走る、バスが走る、トラックが走る、自動車が走る、共通の道路ですからして、これについて有料にするわけにはいかないんです。鉄道の方はもう鉄道だけが使うんです。非常にぜいたくな交通機関なんです。現在ではそういうふうに考えなければいけない。  したがって、そういうぜいたくな交通機関をわざわざ敷設するならば、それに要する費用というものを利用者からとる、あるいはもしどうしてもそれがその地方のために必要だというならば、その地方の責任者が特別にその費用を負担する、何かそういう形で考えなくてはならない。イコールフッティングということはそういう意味で考えるべきだと私は思っております。  それから投資のあり方ですけれども、これはやはり採算性を今後は考えなければならないんだ、みすみす経営をすれば赤字になるようなことを国から投資してもらって建てたところでまた赤字をふやすだけなんですからして、建設それ自身についても、経営の上で赤字になるような形の建設というものは今後は避けなければならない。むしろ現在の収益性を高めるために必要な投資だ、そういうもので収益性を向上させる意味があれば十分考え得る余地があると思うわけです。  それから収入の見込みの御質問ですけれども、私、その真意をよく理解しがたかったんですけれども、聞いてよろしいんですか。最後の第四番目の御質問の意味です。
  27. 青木薪次

    ○青木薪次君 政府原案は、物価変動率に対して、先生一五%加えるというお話があったんですけれども、それが廃止になりまして、今日議論しておりますのは、経費に対して物価変動率を掛けて、そうしてその前年度経費をまた今度引くというような計算をしまして、そうしていわゆるこの物価変動率は同じなんですけれども、前年度の経費というものを中心としてこれを考えるということに変わったわけです。プラス一五%というものを言われましたけれども、それでいくと三七%とか、いや五〇%だとかいう議論がされておりますけれども、それは変わりました、その方向の新しく修正原案になったわけですけれども、どうお考えになりますか、こう聞いたんです。
  28. 気賀健三

    公述人(気賀健三君) ああそうですか、ちょっとうかつでございまして、私は前年度の経費増加分とそれから収入増加の見込みですか、その範囲内というふうに理解しておりましたけれども、私はそこまではっきり文章を検討することを怠っておりましたので、はっきり御返事ができないんですけれども、経費増加すればそれに応じてどんどん上げられるような形では私は困ると思うんですね。ですから、修正原案で一五%を付け加えるというのじゃなくて、その上に、さらに経費に一五%を掛けるんですか、低い限度に抑えたということになるんでしょうか。そうだとすれば、その方が利用者としては一応歯どめがきくというふうに理解できると思います。それであれば私は賛成したいと思います。
  29. 穐山篤

    ○穐山篤君 岡田先生にまず最初にお伺いしますが、これからは個別のサービスで対応していく必要があるというふうに言われていますが、結局、全国一律の運賃制度運賃体系、運賃水準というものは妥当でない、そういう前提条件を持たれておりまして、一例として旅客輸送の場合に都市間輸送運賃のあり方と通勤圏の運賃のあり方というのは変えなきゃならぬ、変えるべきだというふうに発想を持たれているわけですが、具体的に言うとどういう形を想定をされているのかということをまずお伺いします。  それから法定制を排除する、緩和をするということに賛成の方すべても言われておりますが、この法定制緩和だけでは国鉄当事者能力は具体的に拡大をしない。また逆に言えば、国鉄経営義務が十分に発揮できるようにいろいろな規制についてそれは取っ払うべきじゃないか、まあこういう説をすべての公述人が言われているわけですが、今度の改正案は法定制のみを改正をして、その他、支出あるいは経費の問題については改正が行われていないのは御存じだと思うんですが、さて、具体的に当事者能力拡大をするとか、あるいは経営努力が実るようにするためにはいろんな規制を外すべきだと、こう言われておりますが、どうやったら具体的に自主性が高まるか、お考えがありましたならばお伺いをしたいと思います。  それから、中島先生にお伺いしますが、まあ長らく貨物、物流関係を担当されていたわけですが、いまの状況からいきますと、国鉄貨物輸送というのは他の道路交通あるいは内航海運に対抗するには非常に貧弱だと思いますね。それと同時に、構造的な面で他の交通機関のように便利ではない障害を持っているわけですね。  そこで、具体的に国鉄貨物輸送、あるいはまあ具体的に言えば小量物品にしろ、あるいは通運事業なぞにつきましても、どういうふうに結び目を考えていけば国鉄貨物輸送の特性というものが発揮できるかどうか、お考えがありましたならば具体的にひとつ説明をいただきたいと思います。
  30. 岡田清

    公述人岡田清君) 私の方に対しましては二点ほど御質問があったかと思います。  第一点は、全国一律性の運賃を廃止して、個別市場ごと運賃を立てるべきだと私が申し上げましたことに対して、具体的にどうするのかというふうなお話でございました。で、この点につきましては、まあちょっと話が理論的になるかと思いますが、御承知のように、交通サービスといいますのは二地点間の距離に応じて全国無数の市場が成立しております。それをできるだけ簡単化する意味で、原則的に賃率というものを手段に使って、それを補正する意味で料金という制度があります。したがって、賃率制度が一体となって市場の特性なりサービスを反映するようにする。  これが現在の制度になっておりますから、したがって、賃率決定の仕方を一律にとるならば、料金の制度がきわめて多様でなければいけない、つまり、個々の使用に対して十分に対応できるものでなければいけない、こういうふうなことを考えますると、まあ当面可能なところでは料金制度の全面的な見直し、これが私が考えておりますところの個別市場に対応する一つの手段ということになります。  それから、第二番目の御質問は、規制の緩和ということでございますが、規制の緩和の仕方につきましてはさまざまな方法がございますけれども、中でも財政的な義務が非常にあいまいでございますので、これを明確にする。これは御承知のようにヨーロッパあたりではディビジョナルベィシスというふうに呼んでおりますが、分割基準で、各個々の市場ごと国鉄が公共的なサービスを、義務を負うている場所におきましては、それに対応して分割基準で補助を行う、まあこういうふうに個々の現実の姿を反映するような政策を展開することが現在最も必要な政策であろう、こういうふうに感じております。
  31. 中島勇次

    公述人(中島勇次君) 貨物輸送の問題につきましては、今日の国鉄貨物輸送の落ち込んだ姿には二つの面があると思います。  一つは採算性が非常に落ちてきた。まあ一口に言う貨物赤字国鉄財政の重荷だと、こういう面が一つ。それからもう一つは、量的に絶対量が減ってきた。経済成長したにもかかわらず、他の輸送機関に比べて伸びがほとんど横ばいである。この二つの面がある。  で、財政的に非常に採算性が落ちてきたということについては、一番大きな原因は大量貨物がなくなった。特に国鉄は、石炭輸送でもっていた。非常にまあ石炭輸送は割り高な——運賃は安く取ってもコストと比べると非常に有利なものですね。ところが、それが大きく穴があいた。結局、国鉄は全部が雑貨鉄道のようになってしまった。そこで、同じ運賃を取るのに、雑貨の場合には非常に中継その他の手数がかかって、まあ収益が下がつた、この面がある。この点はいかんせんいまさら石炭や木材を復活させるわけにいきませんから、これは構造的にもう今度は体質を変えて、雑貨輸送の方面で十分に活躍するように変えていかなければいかぬと。  そのときに、もうこの貨物のそういう改善を進めてきたことは事実ですけれども、ただそのときに、トラックと対抗するという意識が私は国鉄に強過ぎたんじゃないかと思う。つまり、発着日時を明確にするとか、あるいはスピードアップをするとか、こういうことに非常に力を入れたために、あるいは貨車の専用化ですね、特殊貨物に合うような貨車をつくる、まあそういうようなことから、いわゆる融通性のきかない、つまり効率の悪い列車を運転せざるを得ないようなことになって、これも一つの採算性が悪くなった根本だと思います。  もう一つは、鉄道についての荷主が非常に信頼性を持っているのは、何といっても正確性、つまり安心して任せられる、もちろん運賃も問題ですけれども、何といいましても国鉄という一つの大きな信頼性がある。トラックの場合には運転手が来てそこに何千万という荷物を託すわけですが、国鉄の場合は日数はかかる。それから到着は遅いけれども必ず正確にいくと。まあこういうような面からいきまして、私はやはり国鉄貨物が非常に落ち込んだ一つ根本原因は、ストライキにより荷主の信頼を落とした。  これはもう荷主のだれに聞いても、この間も北海道に私の方で実態調査しておりますけれども、わざわざ釧路から電話が来まして、さんざん人に迷惑かけておいていまごろ希望を聞かせろとは何事だと、その声を聞きますと、私は国鉄貨物を頼んでどれだけ損したかわからないと、みんな腐ってしまったというような、そういう非常に反発が多い。私は、いま労使協力してその点について回復に力を入れておりますから、この点は非常に将来もっとこれを早く進めてほしいという点、その点でこれの対策としては、やはり信頼性と、送ってもらいたいと、ここを確保することが一つのポイントです。  それからもう一つ、何といっても荷主をつかむ、それで荷主の要望を十分に反映さす。それにはフロントが大事です。国鉄の場合には営業センターとか、駅にいすに座って、制服着て座っただけではこれはしようがない。したがって、しっかりした恒久的な荷主をつかむには、やはり通運と結びつくほかしようがない。まあ私どもは率直に言いますけれども、いまの国鉄職員の体質で商売をするのは、よほどできのいい人でない限りはなかなかむずかしいんじゃなかろうか。これはやはり通運はその貨物を集めることが商売ですから、この通運と何かうまく連携をとって、そうして国鉄の方はしっかりした輸送をする、荷物を集める方は通運業者と連携をとってやる。まあそういうことによって雑貨を十分に集めるということに重点を置かなければいかぬ。  それから、小量貨物のお話が出ましたけれども、これは私はお手上げだと思うんです。小量貨物で荷主の御要望に合うようにすることは非常なこれは公共的仕事、つまり赤字覚悟でサービスすべき問題であろう。その点につきまして私もいま小量貨物についての何か抜本的な方法ということをいろいろ検討しておりますけれども、残念ながらこれは非常に金のかかる仕事だということで、いま宅急便とかなんとかいうことでトラック業者が非常に便利にもうかるところだけ拾っていっていますけれども、その後に残ったものはやはり残念ながら国鉄が公共のために赤字覚悟でサービスすることを続ける以外には方法はないんだろうと、こういうふうに考えます。
  32. 三木忠雄

    ○三木忠雄君 それでは、各参考人に一点ずつお伺いしたいと思うんです。  初めに、富塚公述人岡田公述人にお伺いします。  当事者能力の問題についてお二方に伺いたい。特に法定制緩和の問題と当事者能力という問題が非常にクローズアップをされているわけです。しかしながら、先ほども岡田公述人からもお話があったように、やはり取り除かなければならないいろいろな問題点があろうと思うんです。私は、この法定制緩和の問題とスト権の問題というものは、一体になっていかなければならない問題ではないかという感じがするわけです。したがって、この当事者能力についての具体的な姿どうあるべきかという点について具体的に御意見を賜りたいと思うんです。  それから、坂入公述人と気賀公述人にお伺いしたいんですけれども、国鉄の今回のこの再建の基本的な問題というものは、やはり構造的な欠陥というものをしっかり手当てをしなければ、国鉄再建というのは絵にかいたもちだと思うんです。したがって、この構造的な欠陥という、今日までのこの公共負担の問題、先ほど来述べております地方交通線の問題、あるいはまた、その他国鉄が好むと好まざるにかかわらず今日まで投資をさせられた過去債務、こういう問題についての助成のルールというものを、法定制緩和と同時にこの問題を明確にしなければ再建計画なんかあり得ないと私は考えるんです。したがって、この前提条件になるものが、今回法定制緩和の法律案は出ているけれども、その前提になるものが何ら具体性がない。こういう点についてのお考えを伺いたいと思うんです。  それから、工藤公述人と中島公述人に、貨物の問題で一点伺っておきたいと思うんです。で、いまの中島公述人意見にも、やはり国鉄貨物輸送というものは非常に赤字を来しているわけです。これはいろいろ総合交通体系との絡みで、トラックあるいは内航海運、またその他の輸送機関との調整という問題が私はあろうと思います。しかし、いまも先ほど工藤公述人が述べられたように、大企業の荷物は悪い、あれが悪いと言っているんでは国鉄貨物はもうなくなってしまうんじゃないかという私は懸念を実は持つわけです。料金の問題でも私はいろいろな工夫をこらさなければならない問題はあろうと思います。しかしながら、やはり貨物輸送がゼロになってしまえば、それだけの国鉄赤字というのはさらに拡大するわけです。  したがって、やはり貨物を運ぶ体系、あるいはまた今後のエネルギーの問題を考えても、セメントとか鉄とか、そういう問題は大企業の荷物によらざるを得ないわけです。こういう問題は、やはり国鉄で輸送せざるを得ないと思うんですね。そういう点で、貨物輸送のあるべき姿というものについてのお二方の明確な意見を賜りたいと思います。  以上です。
  33. 富塚三夫

    公述人富塚三夫君) 政府の「国鉄再建基本方向」を見ますと、先ほど申し上げましたように、緩和法案だけがひとりで歩いているという感じで、私どもは、当局側の当事者能力回復スト権回復を同時に歩ませるべきだということを主張しているのであります。  政府のこの労使関係のところを見ますと、「国鉄労使の協力」ということで「国鉄労使は、国鉄経営の現状にかんがみ、相互の十分な理解のもとに相協力し、全力を挙げて国鉄再建に取り組む。」とだけ、きわめて抽象的に書いている。ずっと通して見ますと、結局は法定緩和法案がひとり歩きしておって、あとは具体性がないんじゃないかということが非常に心配なんであります。御存じのように一九四九年、この給与総額法が制定をされまして、給与総額あるいは予算定員の枠全部縛られております。労使間で自主的な解決ができる能力はほとんどといっていいくらい、枠の中でやることで持っていません。だけに、労使紛争も厳しいものが出てきているというのが現状であります。  ですから私は、過日私の私見として提言をしたのでありますが、公企体というものをどういうふうな形のものにもつていくのかということを考えますと、現状の形態で当事者能力回復スト権回復ということを考えるならば、いわゆる現行でも広義の特殊法人でありますが、日鉄法が改正でき得るような、営業法が改正でき得るような方法というものを考えることが、分割論とか民営論ではなくて、現状にマッチしたあり方になるのではないかとも私は提起をしているつもりなんであります。しかし、政府の「基本方向」には何ら当事者能力回復スト権の問題が触れられていないということについて、これでは、たとえは悪いのですが、ハイジャックの人質ではありませんが、最後のものを持っていかれてしまうような感じで、あとは労使の紛争だけが残されてしまうという感じを非常に危惧するのであります。
  34. 岡田清

    公述人岡田清君) 当事者能力の問題につきましては、先ほどちょっと説明不足でございましたが、範囲の問題と、それから内容の問題と、二つに分けることができるかと思います。  範囲の問題につきましては、これは財政的義務と先ほど来私が申し上げておりますように、どれぐらいまでを公共の負担にゆだねるか、それから国鉄が財政的にみずから支弁し調達しなければいけない範囲、これをどういうふうに設定するか、これが範囲の問題であります。この点につきましては、やがて漸次確立していくと思いますのでここでは問題にいたしませんで、内容につきましては、主としてこれは理論的にも実際もそうでありますが、投資決定を、だれがこれを決定を下すか、これが第一の問題であります。それから第二の問題は運賃決定の問題であります。  その中で投資決定の問題は、いまのところ、先ほど来投資の規模の問題がお話がありましたけれども、これは赤字線であるとか新幹線であるとか、さまざまな投資決定範囲がありますけれども、ここら辺をどれぐらい当事者に責任を持たせるか。政治的に決定するのではなくて、経営的に決定すると同時に社会的に決定するという場合には、その社会的な範囲というのを明確にする。この問題は先ほどの範囲の問題と絡んでまいります。その意味で、この点も漸次明確化していく必要があろうかと思います。  それから、次は運賃でありますが、運賃は、弾力化法案で問題になっておりますように、運賃収支の問題にかかわってくる以上、どうしてもこれを個別市場というものを反映させながら弾力化することが望ましい。一応投資と運賃ということにいたしますると、運賃弾力化が決まりました以上は、その後では当然のことながら財政的義務範囲が定まってまいります。定まってまいりまするとおのずから投資の規模が決定される。そうすることによって投資の決定の仕方が定まるわけでありまするから、おのずからそこで当事者能力が定まってくる、こういうふうな順序で決まってこようかと思います。
  35. 坂入長太郎

    公述人坂入長太郎君) 今回の国鉄運賃改定が、結果におきましては、先ほど申しましたように国鉄が膨大な赤字を来しているわけでございまして、この赤字の相当大きな部分というものは、御指摘の経営構造上の欠損、言いかえれば不採算路線によりますところの欠損の累積でございます。で、今後運賃を改定いたしましても、なかなかこの構造的な欠損というものは容易に埋まるものではないと私は思っておりますし、したがいまして、この構造的な欠損をどのように処理をしていくかと言いますと、すでに過去におきますところの構造的な欠損の一部分はたな上げされているわけでございます。まあこのたな上げを除きましてもまだ相当大きなものがあるわけでございます。  そこで、これから生じる構造的な欠損、それから過去のものについても、国鉄に対して財政的な補てんをしていかなければ、結果においてはこのことが運賃改定という形において安易に消費者に転嫁をされるおそれがあるわけでございますので、どうしても政府がこれに責任を持って補てんをしていくべきである、このように私は考えているわけでございます。よろしゅうございますか。
  36. 気賀健三

    公述人(気賀健三君) 構造的な赤字と申しますのは今日では地方交通路線、貨物のマイナス、主要なものでありますが、いま坂入公述人がお話しになりましたように、過去の長い歴史の累積でありますからして、いま一挙にこれを現在の経営責任においてということは不可能でありますから、当然これは国の責任においてたな上げにするとか、助成をさらに続けるとかいう形でしなければならないことと思いますけれども、国鉄の将来を考えますと、これはどうしても競争サービスの発達とともに縮小せざるを得ない運命にあると私は思っておるのです、貨物にいたしましても、地方の問題にいたしましても。そういうものにやはり譲っていく部分が多くなるであろう、これはマイナスが減るであろうと。  過去において六十万人を超える従業員が現在四十三万人、恐らくこれはさらに今後時間とともに縮小せざるを得ないと思いますけれども、現在はそれでも過剰な人員を抱えているわけです。新しく拡張する余地というのは絶無とは申しませんが、非常に少ないであろう。したがって、国鉄が構造的に再建できるためには規模の縮小はやむを得ないでしょう。しかし、同時にたとえば国鉄というものの経営当事者能力を十分に発揮できるような形になって、他の事業にも運営の余地を広げることができて、現在の設備をいろいろな形で使うことによって効率が高まるという工夫も考えられますからして、ただ単に縮小だけが構造改革の前途とは申しませんけれども、とにかくそういった努力をしながら、あくまでも採算が合う形に持っていくということが一番大事だと思います。
  37. 中島勇次

    公述人(中島勇次君) 先ほどの貨物問題につきましては、私も先生の御指摘のとおり、国鉄貨物の基本はやはり大企業の大量、恒常的に出る貨物を確保する、これが最も大事だと思うんです。たとえば引っ越し荷物を集めるとか、あるいは一見のものを集めるとか、こういうようなものは非常にたくさんの努力を費やしたわりに効果がない。なぜ大企業のものをやるのがいいかと言えば計画的に輸送ができる。で、貨物輸送の経済性を高めることは、端的に言えば列車をフルに貨車を連結して運転する、これが一番効率的です。ところが、最近は御承知のように四両か五両の列車がずいぶん走っております。これはやはり大量に恒常的に計画的に出る貨物は原則として国鉄が輸送するんだと、こういう体制に持っていけるような国鉄サービス体系というものを考えるべきである。  そのためには、大企業貨物には運賃を高くしろ、安過ぎるとか、こういう議論はありますけれども、専門的な立場から見ますと、もしその貨物を輸送しなければいまのような状態になってしまう。したがって、恒常的に出てくれば、たとえば定期運賃を安くすると同じように全体的な、総合的なコストは割り安になりますから、ある程度その状況に応じて一段の、たまたま自動車一台持ってきたのと、常にある一定の計画輸送で車を五十両や百両持ってくるのと個々に比べてそれを論ずるのは、これは非常に何かそこに短絡がある。  私は先ほどから、運賃制度法定制を緩和してもっと機動性のある戦略、戦術をもっときめ細かくやらなければ国鉄の当事者意欲、当事者能力というものは回復しないと言うのは、そういう意味の財政的全体から見た総合的な収益性を考えて運賃制度も考えて運用すべきものである、こういう意味で大量貨物を確保する方策ということが大事であるということは先生の御指摘のとおりだと思います。
  38. 工藤芳郎

    公述人(工藤芳郎君) 大企業貨物の割引についての考えですが、私が先ほど申し上げましたのは、一つ国鉄収支赤字原因となっているということについての問題を指摘したわけです。したがいまして、運賃を高くしょうと言っているわけではないわけです。つまり、国鉄運賃法の八条でしたか、ちょっと正確に記憶しておりませんが、出荷トン数的貨物割引契約というのがあるわけです。これは国鉄の総裁権限でできるわけでございまして、「全体として日本国有鉄道の総収入に著しい影響を及ぼすことがない運賃又は料金の軽微な変更」ということが法的根拠でございます。ですから、こういう条項があるわけでございますから、原価を割るというふうな考え方はこの条項からは即座には出てこないのではないだろうか。問題点は、「総収入に著しい影響を及ぼすことがない」ということと、それから 「軽微な変更」ということがあるわけですから、二〇%程度の割引というのは果たして「軽微な変更」であるかどうか。  それから「総収入に著しい影響を及ぼすことがない」という意味では、これまでの旅客貨物赤字の累積額等を比較してみますと、貨物だけで昭和四十一年の五百三十五億の単年度赤字に始まりまして、五十年度末の五千百四十一億、五十年度末累計で二兆二千八百五十五億あるわけですから、累積赤字の三兆一千数百億の中で七二%を占めるということになりますと、鉄道の総収入に著しい影響を及ぼしておることでもあり、「軽微な変更」でもないという点で、私たちは大変懸念をしておるわけです。そうして、その効果が国鉄財政を圧迫するという意味で、旅客運賃値上げにもつながってくる。これが今日まで何回かの運賃値上げ理由になっている、背景になっているわけでございますから、赤字原因としての問題点一つ申し上げたわけです。  第二番目は、あるべき姿は一体どうするのかということが主として御質問のポイントのように思いますが、この点では私たちいま利用者立場でございますけれども、一つにはこういった現状と、やはり原因なりを国民に広く知らせる必要がある。前々総裁の磯崎総裁などは、大企業貨物、平均して一四%から一五%くらいの割引をしているということを当時言われておりました。こういった点をもっとはっきりさしていただきたいことが一つと、それから第二番目は、競争力をつけるための方策がどのようにとられてきたのだろうかと思うわけです。  国鉄は、御存じのように公益性を持つ非営利の会社、企業でございます。それが営利企業と同じような市場に置かれて競争させられますと、非営利の企業がどちらかというと有利でないということでありますから、こういったものに対しては、これは全くの私見でありますが、先般できましたような事業分野法といったようなもので国鉄貨物を確保するような、シェアを確保するような方策は立てられてもいいのではないだろうかと。また、今日エネルギー資源問題などが、将来展望してみますと、石炭の見直しなどもあり得ることでありますから、そういった事態に備えてやはり国鉄にふさわしい貨物輸送の体系というものが検討されてしかるべきではないかと、このように考えます。
  39. 内藤功

    ○内藤功君 岡田さんに三点ほどお伺いしたいと思うんです。  第一点は、先ほどのお話ですと、赤字原因につきまして、適時適切な値上げができなかったという点をずっと強調されたわけでありますが、まあ、これはいろんな見方があると思いますけれども、非常に膨大な設備投資、負債による設備投資と、こういうものが私はやはり大きな原因を占めているということを思わざるを得ないんですが、この点にさっきお触れになっていませんでしたので、岡田さんのお考えを伺いたいこと。  それから二番目は、これは簡単な問題ですが、いわゆる値上げに伴う客離れ、これは値上げと言いましたが、値上げ以外のいろんな諸要因も加味していると思いますが、こういう客離れ、国鉄離れというものについて、今後近い将来でいいですが、どういうふうに見通しを持っておられるか、どういうふうに克服していったらいいとお考えなのかという点が二点目でございます。  それから三点目は、もし、おっしゃるように、こういう運賃法定制の緩和——私は緩和というよりも廃止にもう近いものだと思いますけれども、こういう緩和が行われますと、逆に国鉄経営というもの、それから政府国鉄に対する監督行政というものが、国鉄決定と大臣の認可でできると、国会の厳格なる審議にかからないということで、安易に流れる。先ほどほかの公述人からもありましたが、単に運賃を決めるというだけじゃなくて、産業カラーの問題、経済の問題、労使関係の問題あらゆるものを総合的に論議をして、そうしてその一つとして運賃が決まるものだと私は思うんですね。そういう点からいって、非常に今後の国鉄経営とか、監督行政にそういうマイナス点ですね、弊害というものはお認めになるかどうかという三点でございます。
  40. 岡田清

    公述人岡田清君) 第一点は、設備投資もまた国鉄財政悪化原因ではないかと、こういうことでございますが、これは御指摘のとおりでございます。で、一般にインフレーションによって諸物価が高騰した、このことが国鉄の財政に悪い影響を与える。これが第一番目の理由であります。  それから第二番目の理由は、財政と、つまり収支とは無関係に時として投資が行われることがあるということが第二番目の理由になります。  それから第三番目は、ちょうど、アンダープライシングということで、これはイギリス国鉄で非常に問題になっているところですが、もし適正に運賃を上げておればこれほど悪化はしなかったであろうというところを学者が丹念に計算をいたしまして、国鉄経営失敗を糾弾している論文があります。これによりますると、まあ適正に上げておるということがどういうふうにして行われるかということでありますが、これは先ほど私が例を引きましたように、実質経費の上昇と、それから実質収入の上昇ができるだけやはりマッチすることが望ましい。  これを私の試算では、先ほど言いましたように、六千六百七億円の調整不足ということが起こっているというふうに申し上げたわけであります。これは消費者物価指数にデペンドして上げるだけではなくて、それ以上に上がっている経費というものを踏まえた上昇分でありまするから、したがって、もし損益勘定赤字額の助成を除きますると、恐らく三千三百三十一億円で終わったであろうものが、実際には九千百四十一億円に上っておる。これは当然のことながら、言いかえますると、アンダープライシングそのものが、これは全額赤字を是正することによって処理できるとは思っておりません。その意味では先生の御意見に設備投資も何がしかの貢献をしたであろうという意味では賛成をいたします。  それから第二番目、国鉄離れをどう克服できるかということでありまするが、これは先ほどちょっと個別市場ということを申し上げましたけれども、個々の市場ごとに料金政策を適正に運用していけば、あるいは新しい商品開発と言ってもいいかと思いますが、これを行いまするとかなり程度誘発できるのではないか、こういうふうに考えておりまして、余り深刻には考えていないということであります。  それから第三番目は、認可がどうも安易になるのではないかということでありまするが、それでありまするがゆえに恐らく縛りがかかっているんだろうと思います。こういうことで、財政的な理由理由にできるだけ勝手な認可といいますか、ちょっと語弊がありますが、自由に安易に運賃値上げされるようなことは、個々の市場を見ている限りあり得ない行動である。もし企業者的な行動を取り得るならば、それは一般論的にあり得ない行動であって、当然のことながら何らかの方法によってこれは外部に発表されるなり、事態の推移が表面化してくるものと思いますから、さほどまた心配をしてない。  以上三点であります。
  41. 柳澤錬造

    ○柳澤錬造君 時間がございませんから、お三人の方からお答えをいただきたいんですが、第一に、富塚公述人にお聞きいたします。  先ほど当局当事者能力を与えることはよろしいんだと。だが同時に組合にもスト権を与えなくてはいけないと。この労使関係改善のためにはスト権を欠くことができない。労使関係対等にして平和的な話し合いをするためにはどうしても必要なんだという御発言だったんです。その説は私もこれは賛成するんです。ただ、その説に立つならば、現在は当局当事者能力を持っていないのである。その当事者能力を持っていない当局相手にしてストライキをよくおやりになられるわけだけれども、それはどういうふうに理解をしたらいいのかということでお聞きをいたします。  それから二番目には、中島公述人にお聞きしたいのですが、それは先ほど法定主義を外すと運賃値上げの抑止力がなくなると言う人がいるけれども、現在はそんな勝手にもう運賃が上げられる状態ではないんだと、この方が現実的な抑止力になっているんですという御発言だったんですが、その現在の方がむやみやたらに運賃値上げはできない、この方がむしろ抑止力というのは強いのではないかという御説だと思うんですが、もう少しそこのところを具体的にお聞きしたいのです。  それから、三番目には工藤公述人ですが、先ほどもちょっと出てましたが、認可制が採用された場合はきわめて憂慮される状態が出るんだと。認可行為というのは申請する側と認可を与える側しかないんであって、利用者の声が反映しないと。で、政府が自由裁量でもって決められてしまうからこれは非常に危険なんだという御説だったんですが、まだ法定主義の残っているものも他にあるんですけれども、そうなってくると、たとえば電力なりガスなり、あるいは私鉄なりバスなりといって、現実に認可制で、いろいろのものがいま行われているわけなんですけれども、そういうものについてはどういう見方をされているか。  以上であります。
  42. 富塚三夫

    公述人富塚三夫君) 柳澤先生も御存じのように、私どもは国鉄のこの再建の問題については当事者能力スト権回復が同時に進められるべきだということは多年の主張でずっと来ています。問題は、一方日本の官公労働者の労働基本権、すなわちこの憲法に保障されている団結権、団体交渉権、団体行動権の問題は、すでに昭和四十年来ILOのドライヤー勧告を受け、公務員制度審議会を設定をして三回続けて八年間の中で答申を得ました。それを受けて田中内閣と七四年春闘に、一年半の猶予期間で政府は検討する。そして例のスト権ストという形になっていったわけであります。  私どもは官公労働者のスト権は、いわゆる憲法秩序の枠組みをはみ出しているということが一つあることと、政府がすでにそのことを長年の間の経過を経た中で約束をしてきている、それを守っていないということについて、一面では公企体基問題会議政府は一方的にやって議論をしているということの状況なんであります。そういたしますと、当然労働者の抵抗する権利というものは、そういう角度からわれわれは現状行っているということでありまして、一日も早くノーマルな状態に戻してもらいたいということを、この国鉄再建を契機にひとつ考えていただきたいというのであります。  恐らくこれからの国鉄再建というものは、私なりに考えてみますと、来年度の予算編成は、税収の伸びも——私も税調の委員の一人をしているんですが、恐らく十八兆から二十二兆ぐらいになって、予算の伸びが三十三兆ぐらいになっても、大変な国債の問題も議論せざるを得ないだろうということになると、どんなことが決められても、予算的な措置が具体的になっていかないとどうにもならないんじゃないか。そうすると、労使間の紛争にだけ問題がまた戻されることについて、非常に実は心配をしているんであります。一方ではストライキをするから貨物が離れたと言われますが、一三%のシェアというのは決して私はストライキやるから離れるというふうには見ていないんであります。旅客も三〇%のシェアを割ったと言われているんですね。これは基本的に、総合交通政策を確立させるべき政府の対応が十分でないということをやっぱり明確にしていかなければならないんじゃないか。  ですから、衆議院段階を通過をして、いま御審議をいただいていますこの国鉄再建の基本的方向というのは、具体的に一体どういう保障をしてくれるのか、どういう予算的措置の展望を持つのか。そして、当事者能力スト権というのはどういうかかわり合いで考えていってくれるのかということが明確にならないと、労働者も国民納得できないし、もうそろそろ労使間の双方の反目とか不調和とかというものはこの辺で清算をして、そうして再建に邁進をしたいという気持ちを切に申しておるつもりですから、その点を御了察いただきたいというふうに存じます。
  43. 中島勇次

    公述人(中島勇次君) 国鉄が全く独占状態の場合であれば、弾力性のないお客は、上げればやはりいろいろ反発しながらも使わざるを得ない。こういうことで、昔は運賃値上げをしますと、それの反動として値上げによる減少がありましたが、大体数ヵ月でもとに回復した。しかし、そういう力がだんだん減りまして、昨年の運賃値上げのときに五〇%値上げして歩どまりが三十何%であろうと。ところがそれまでも割ったと。そういう状態でいまは一般水準からいきましてかなり厳しい負担力の状態にある。  この前の運賃改正案の最初の案でいきますと、物価値上げプラス過去債務の赤字解消に少し貢献するような値上げ率も含めることができるという条項が入ったと。私は今度の修正案で、そういうものはなく、まあ一口に言ってその当座当座の賃金物価水準運賃水準を合わせていくと、こういう方法に大ざっぱに言って変わったことは大変結構だと思う。  私はその点で、今回の修正案に全く同意するものですけれども、具体的に抑止力がどういうものかというのは、現に先ほど工藤先生もおっしゃったように、新幹線に乗りたくても乗れない人がいる、これは運賃上げたらなお乗れなくなる。法律は一片でありますけれども、何千万という監視役がいるわけですから、実際利用者の中には。グリーン車をあんなに高くしたと。私もときどきグリーン車を利用いたしますけれども、全くもったいないような空席で走っておる。しかし、今度料金を下げたら利用率がふえてきた。これは利用者の方がよほどそれは厳密であり、かつ正確にはね返っている。  そこで、今度この法定制を緩和したならば、なぜ国鉄にとって当事者能力——私は当事者意識と言いましたけれども、そういう反発を見ながら運賃値上げを考えるというところに初めて国鉄の営業らしい、企業家らしい、そういうような感覚が出てくる。まあ一口に、具体的に抑止力を何言うか、これはお客様が判断をするじゃないか。高ければ乗ってくれないですよ。ということの方がいろいろこういつたような総合した議論の結論よりも、個々の人が日常もう一乗車ごとに、一個の荷物を頼むごとに判断するから、そういう力の方が非常に厳しい判断をしてくれるであろう、こういうふうに私は見ております。
  44. 工藤芳郎

    公述人(工藤芳郎君) 私は、国会審議というのは大変チェック機能を果たしていると考えているわけであります。そういうことを前提にいたしまして現行の認可でやっている料金を見てみますと、それぞれによって認可の手続は異なっているわけです。電力の場合は通産省が主宰する公聴会というのがございます。ガスの場合は通産省あるいはまた地方の通産局による公聴会というのがあります。それから大手私鉄並びにバスについては運輸審議会によってやられます。ただし、地方私鉄の場合、それからバスの場合でありますと、地方バスの場合は公聴会は開かれていないわけであります。  で、電力について申し上げますと、これは今日でありますと、たとえば為替差益の問題とか総括原価主義、あるいは事業報酬制度かなり専門的な分野にまたがりますし、国際環境などによって非常に経営実態などがわかりにくい問題が多うございます。そういった意味で、電力料金の問題などは特にむしろ国会審議をお願いしたいというふうに考えているわけでございます。特にこれは完全な独占でございまして、通産省主宰による公聴会といったようなことでは、消費者はとうてい対応できないのが現状であります。  たとえば一昨々年の例でありますと、四十九年のときでありますけれども、電力料金の値上げに関する公聴会が開かれるということで、私も公述人に申し込んだわけでありますけれども通産省の担当課長のところに値上げ申請書が一冊、閲覧用のものが置いてあるわけです。それを見ていってくれということで、国鉄監査報告書ぐらいの分厚いものでありますけれども、通産省の担当官の机にくぎを打ちつけてひもで結んであるわけです、逃げないように。それを写しとるということはほぼ困難なことであります。控えを欲しいと言いましても、予算がないからそれは出せないということで、公述させる人に、見ていってはいいというんありますが、通産省の本省にそういう形で出向いていける消費者というのはほとんどない、不可能に近いわけであります。そういう実態で、申請書そのものが消費者に見せられないままで公聴会が行われる。  したがいまして、そこで行われる公聴会の実態というものは、非常に専門的な分野はもちろんのこと、数字などがわからないままで公述をせざるを得ないというようなことが実はあったわけです。まあ私たちは強く関係各省に申し入れまして、昨年の値上げのときには、電力会社から必要な部数は消費者団体などは取り寄せることができるようにはなりましたけれども、そういう実態があるわけであります。  バスについて言いますと、たとえば東京に走っておるバスがありますが、四十八年までは東京の二十三区と三多摩のバスは違う扱いを受けまして、東京の二十三区に走っているバスについてだけ公聴会が行われておったのであります。これは佐藤文生政務次官のときに私が強く申し入れまして、三多摩と千葉、埼玉、つまり武総地区と言っておりますが、その地域だけようやく公聴会が行われるようになりましたが、現在ではそのほかの地域についてはバスの公聴会は行われていない現状であります。  それからガスについては、地方ガスは公聴会を行うことができるということになっておりますけれども、行われていないところがかなりあるようであります。  こうして見ますと、公聴会を開催するといいましても、一つは手続に問題があります。これは官報で掲載するわけでありますが、一般の国民、消費者は官報などを目にする人はほとんどないわけでありまして、もっとテレビ、新聞等を通じて、きちっと広範な消費者がわかるように手続をお願いをしたい。  それから、開催方法でありますけれども、一回だけ通産省主宰の、あるいは運輸審議会主宰の公聴会が中央で行われるだけといったような状況になっております。これをやはり補完する意味で、私は繰り返しますが、電力料金についてはやはり国会審議、それからバス、大手私鉄、ガス、こういったものについては関連する地方議会にも、決定権はないにしても、公聴会を開催する権限などを与えてみてはどうだろうかと思っているわけです。  たとえば東京でありますと、東京都議会は都民生活を預かるところですから、大手私鉄、ガス、バス、タクシー、いろんなものに関係があるわけでありますが、権限がないということで全く関知しないということでありますから、一千万有余の都民は何が何だかわからないままで、知らないままで値上げが行われてしまう。大阪、京都などの大都市圏においても同様でありますから、ひとつ地方議会にも適切な公聴会を開催するような権限をお与えいただいて、関連する地方議会でやはりよく国民利用者、消費者の声を聞くような制度を設けることが大事ではないか、このように考えております。
  45. 山田勇

    ○山田勇君 もう限られた時間も全くございませんので、第一点、坂入公述人にお尋ねいたします。  先ほどのお話でございますと、所有と経営の分離論的なことをおっしゃったように私理解しているんですが、私間違ってれば——いわゆる経営と所有の問題に触れられたと思うんですが、その中で、いわゆる監査制度の問題だけが何か抜けているような気もいたしましたものですから、その点もう少し詳しく教えていただきたいのが第一点。  それと、富塚公述人にお尋ねいたします。  確かに労使の協調ということは、もうこの委員会審議を通じて何十何回というふうに言われておりますし、そういう中でスト権回復、これはもう富塚公述人が生命をかけて回復に努めておられるということはわれわれはよくわかります。実際わかります。しかしながら、一般国民にとっては、これはもう全くスト等をやるということについていわゆる理解度がないというのか、逆にいわゆる組合サイドが一般消費者、国民にストをやる姿勢というものを理解を深めようとする何の機関もない。ストをやるのは簡単な立て看板一つぐらいで終わっちゃうというふうなことです。  そういう、まあこの運賃法が通る通らないは別としましても、なおその労働運動はこれから、労働者の最低の権限として、権利として行使していかれると思います。しかしながら、いわゆるお互いに、労働者の方も国民なら、資本家サイドの方も国民ということをひとつお忘れなく。なぜストをやるのか、やらなくても済むのはこうだというPRというものを広く知らしめていく、それがやはり資本家の皆さん方、いわゆる当事者の方にも理解を増す大きな原因になるとぼくは思いますので、その辺のことを含めてお話を伺えれば幸いでございます。
  46. 坂入長太郎

    公述人坂入長太郎君) 先ほど私が申しましたことは、要するに公共企業体としての国鉄経営の基本的な問題について触れたわけでございます。そのときに申しましたことは、要するに国有財産それ自体というものがございますですね。この国有財産は、国鉄の事業に必要な場合においては国鉄の所有になっておると思うんです。したがいまして、このような関係からどうしても国の制約を受けやすいと、このように私は見たわけでございます。  したがいまして、国有財産の所有と、それからそれを運用するという場合における明確な区分というものは、要するに国有財産が国鉄のものでございますし、しかしそれは別の面から見れば国の財産である、そして経営者国鉄経営者である。こういう点において経営と所有というものが分離をされておるわけでございますから、そのような意味合いにおいて、経営者それ自体にも相当の自主性を理論的には与えなければいけない、そういうことを申し上げたわけでございます。  それから、監査の問題につきましては、御承知のように国会それ自体もいろいろ国有財産の使用というような関係、あるいは予算等におきまして、直接的あるいは間接的な国鉄についてのいろいろな規制をしておるわけでございます。で、具体的な国鉄の監査につきましては、国鉄の事業体としての中に御承知のように監査委員会がございまして、ここで監査を行っておるということ、それからさらに、国が会計検査院を通じまして監査を行っておるわけでございます。もちろんそのほかに大蔵省が、予算の執行上におきまして随時監査的な役割りを行っておる、こういうような形じゃないかと思っております。
  47. 富塚三夫

    ○参考人(富塚三夫君) 山田先生おっしゃいました点、全くごもっともで、われわれは十分そのことについて検討を加えています。  私ども、国鉄当局がなぜ再建案を持たないのかということに非常に実は不満を持っているんです。と申しますのは、やはり国鉄の実態というもの、労使の実態というものをもっと世の中にあからさまにして、そして再建案というものを出すべきでないのか、それをなぜ出さないのか。第一に不満を実は持っています。先ほど私が公述しましたように、労働組合としては画期的に柔軟な、大胆な方針を実は出しているつもりなんです。働くときには働いて、要求するときには要求して、闘うときには闘おうという方針も実は出しているんであります。  そういたしますと、私自身が一労働運動の指導者としてこれから先考えてみますと、赤字ローカル線、つまり地方交通線には、なかなか政治的な作用が動きまして手をつけることができないという問題になるんじゃないでしょうか。そういたしますと、貨物合理化問題に集中的に合理化問題の焦点が向けられる。一万五千人減らすといま当局は提案しているんです。御存じのように構造不況業種が拡大することもあって、雇用問題が大きな課題になっている時期に、労働者は一万五千人削減されることに、国労も動労もただ黙っているということはできないということになると思うんですね。  ですから、根本的に基本的方向というものの裏づけが保障されないと、労使間の争いを幾らやってみても私は国鉄再建はできないというふうに思う。そういう限界に来ているということだけはぜひお認めになっていただきたいというふうに考えます。同時に私どもは、十分に国民の側にわかっていただくように、いろいろなキャンペーンを張りまして、そして宣伝をして、理解を深めてもらうように努力をいたしたい。  私は、重ねて申し上げたいのは、スト権なり当事者能力回復をすれば、ストライキというものは数は少なくなっていく必然性を持っているし、そういう方向で当然努力すべきものだ、なるであろうという想定に立っていま問題提起をしているんであります。ところが、貨物合理化なり企業合理化努力だけ残されますと、全然雲の上とは別に何か労使関係だけで、政治の舞台とは別に労使関係だけの紛争が、摩擦が起きることは耐えられないという意味で、参議院段階におけるこの審議が非常に注目されておりますので、どうかそういう点について御尽力をいただきたい。山田先生のおっしゃる点は十分私どもも今後そういう方向で努力をいたしたいというふうに考えています。
  48. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 私は、ちょっと具体的な問題についてお答えをいただきたいと思うんでありますが、実は参議院の運輸委員会で、先般、北海道の赤字ローカル線の視察をやりました。そうしましたら、駅と駅との間が十キロ以上というところがたくさんあるわけです。もっとも町村だけで香川県より広いというところがあるんですから無理もないんですけれども、十キロといいますと、ちょうど東京と新宿の間なんです。次の駅まで十キロ以上、つまり東京と新宿の間ぐらいに一駅もないんです。ところが東京の場合は、東京−新宿間に国鉄は九つ駅がある。地下鉄は八つ駅がある。こういうふうに駅の間が長い。しかもそのようやくたどりついた駅では戸数が二十何戸だと。人口は百人足らず。  そうなりますと、この赤字路線は、営業係数八百とか九百とか言いますけれども、沿線の住民が全員毎日汽車に乗っても黒字にはならないような仕掛けになっている。つまりこういうのが赤字路線の実態です。それが累積いたしまして二千億以上の赤字が出ている。それに対して政府は二百億だ、三百億だ、四百億だというふうに助成金をふやしたと言っておりますが、一けた少ない、助成金が。この状態で地方の赤字ローカル線をそのまま続けていってよろしいのかどうか。この赤字路線は、赤字をなくすためにはやめるほかない。やめないで政府助成を、いままでどおりだったら、やっぱり国鉄赤字のしわ寄せが来るような仕掛けになっている。したがって、この赤字路線を一体どうすべきだとお考えになるのか、これが一つ。  それからもう一つ。これまた具体的な例ですけれども、いま青函トンネルを掘っています。この青函トンネルの掘り賃が四千億かかっております。しかし、トンネル掘っただけでやめるわけにいきませんから、そうすると、恐らく北海道まで新幹線をつくるということになるでしょう。北海道まで新幹線をつくるということになると、トンネルの掘り賃だけで四千億かかっているんですから、一兆ないし二兆の金がかかる。これだけ膨大なお金を借金でもって賄っていって採算が合うとは思われない。  東海道新幹線と違いまして東北新幹線の場合は、大都市らしいのは北へ向かって仙台が一番限界です。仙台から北の方へ参りますと、あとはみちのく岩手県と、こうなっちまって、それから先、海を渡ると最果ての地になっちゃう。ますますこれは人口が少なくなる。これらの線区を国鉄の負担においてやっていくということになると、ますます赤字というものはふえる一方だ。こんなことはやめるべきであるとお考えになるのか、あるいはやはり国の政策だから、国でもってめんどうを見てやらせるべきであるとお考えになるのか、以上の二点について、特に賛成の御意見を述べられました気賀公述人並びに中島公述人岡田公述人の御三方にお伺いしたいと思います。
  49. 気賀健三

    公述人(気賀健三君) いまの赤字路線の方は、先ほども言いましたように、かわりの線を考える、かわりの道路を考える、可能であるならば私は整理すべき方向にあるものと考えます。  それから北海道の青函トンネルは、計算をしてみて採算が合わないようならいまやめる方が、さらに金をつぎ込んでよけいマイナスを起こし、よけいに負担を増すよりは賢明だと思います。この計算の仕方は、それを五年にとるか十年にとるか、十年先の北海道の繁栄をどう考えるか、いろいろ不確定要素がありますけれども、そういうものを十分に考慮して、見込みがないとなれば、これはやめた方が国民経済的に得だと思います。
  50. 中島勇次

    公述人(中島勇次君) 先ほど御指摘になりましたような北海道の例は非常にはっきりしている。あの線は国鉄がぜひつくりたいといってつくって運営した線ではないと思います。そこで、もしこういうことが許されるならば、国鉄は、そういうところをもう政府に返上しますと、そうして政府が、それならばこれだけ運営費をやるからその程度で運営しなさい。これは私は、青函トンネルあるいは北海道新幹線の場合も同じだと思う。国鉄はぜひあそこをやりたいと、これは国策として北海道を陸でつなぐという、かつての雄大な構想の中で手がけた仕事ですから、ですから、そこで国鉄自身がそれを採算をとって、いや、どうのこうの言うよりも、むしろそれは政治の判断で決めるべき問題であろう。  さきに高木総裁が、新幹線には旅客は通さない、貨物を通すのだというようなことがちょっと新聞に出まして、それが非常に反響を呼んでおります。私は一つの総裁が示した姿勢というものは、全く同感、ただ貨物なら採算がとれるかどうかというとこれは別問題ですけれども、明らかに赤字ということがわかっている幹線にしても支線にしても、国鉄がぜひここをやりたいと、赤字をしょってもやりたいからつくってくれと言った線ではないのです。この点は私は、もう答えは明確です。ただ、そういうことは現実の問題として、また政治の中で許されることかどうか、ここだけがやはりこれからお互いに考えなければならない。これは幾ら国鉄を責めても、この答えは国鉄としては御返答できない問題であろうと思います。  以上です。
  51. 岡田清

    公述人岡田清君) 北海道の具体的な場所での赤字線をどういうふうに考えるのかということでありますが、これは投資決定の問題とそれを維持していく問題の二つの問題にかかわってくるかと思いますが、いずれにしましても何らかの、社会選択という表現を使っておきたいわけですが、それを維持し残すのか、あるいはこれを切り捨てるのか、いかにしてこれを、意思表示を住民に求めて判断を仰ぐか、当然その場合負担問題がかかわってまいりますので、ここら辺を十分に審議し、大急ぎでその結論を出すことが必要ではないだろうかと思っております。これは実は運輸政策審議会で、現に何らかの方向を見出そうと努力をしておりますので、この結論を待っておのずから方向が定まるものだというふうに判断しております。  第二番目の青函トンネルの件でございますが、これは一つは高度成長期に、新幹線網を全国に七千キロ敷設するというふうな一環として青函トンネルが建設の対象になったということでありますが、状況かなり変わっておりますので、さりとて一たん工事を始めたものをあしたすぐやめるというのは、どうもやはり能がなさ過ぎるといいますか、問題がありますので、まあ整備五線の進捗状況にあわせながら、この点も負担問題を明確にすることが必要であろうというふうに判断しております。
  52. 内田善利

    委員長内田善利君) 以上をもちまして、公述人に対する質疑は終了いたしました。  一言ごあいさつを申し上げます。  公述人皆様方には、長時間にわたり、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。  拝聴いたしました御意見は、今後の当委員会の審査に役立つものと確信しております。ここに委員会を代表して深甚なる謝意を表する次第でございます。  どうもありがとうございました。  これにて散会いたします。    午後五時九分散会