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丹羽(久)
委員 時間が来たようでありますので、最後に締めくくり的なことをお願いいたし、また、そのようにひとつ指導していただきたいと思いますが、その前に、これは御
答弁をいただかなくてもいいのですが、最近、
日本の景気は立ち直る、立ち直ると言っていただいておりますので、もうきょうかあすかといろいろ期待をしておるのが国民全体の希望でありますが、なかなかそうは思うようにまいりません。
そこで、
新聞を見ますと、
海外に移住する
——日本ではもう景気回復もできない、経営も困難だということで、すべてを見捨てたわけではありませんが、一獲千金という夢ではないけれ
ども、
海外で一旗上げようというまじめな考え方から
海外へ移住する方が
相当数ふえたということであります。
私は、
海外移住の問題について、いまから五年ぐらい前ですか、南米のブラジルを中心にして、あちらこちら回ったわけでありますが、そのときに、
海外移住
関係の向こうの方で、
現地に
海外移住として来てもらった方々に対しては会っていただかなくても、ここで
説明をすれば、もうよろしいですよということでしたが、それではわれわれの使命が達せられないということで、私
どもはアマゾン流域を三百マイルくらい上ったことがあるのです。そうして、そこにいる
人たちとひざを交えて実は語り合ったのですが、そのおじいさんが話すことには、もう八十歳ぐらいのおじいさんでしたが、私はここへ十五、六のときに船に乗ってやってきたんだ、
海外移住を頼って、南米のブラジルはコーヒーの地であって非常にすばらしい、金もうけができるんだということで私はやってきた、そうして車に乗せてもらって、まず最初に、どこへ行くのかわからぬところを、さあっと何人かの人が連れられてきて、途中で、おまえはここでおりろと言う、こんなところでおりてどうするんですかと言ったら、ここは木は幾らもあるから、自分で寝るところだけは考えよ、これがおまえが食べていけるように、また将来やっていけるようにという道具だと言って、ぽっとほかられちゃって、何とも泣くにも泣けない状態でした。
そうして私は、一生懸命
仕事をしておるうちに、着るものがだんだん傷んでしまって、ぼろぼろになった、そこでどうしたかというと、肥料を入れて持ってきたその袋の頭の方を切って上からかぶった、その袋は、わりに長いから腰の辺までかぶる、それで袋の両そでを切って手を通した、私が袋をかぶって
仕事をしていると、たまたま
アメリカ人かだれかが来て、袋をかぶって歩いておるものだから、人間じゃないと思って、向こうがびっくりしましたよ、それほど私
どもは難儀をして、この開拓をやってきたんですと涙を流しながら話してくれた。それから私は帰ってきまして、今日はそういう冷たいあり方はないと思うが、どうじゃと言って聞いてみたら、いや、もうここは
本当に天国の地です、もう何でもできます。十分です、ということです。
また、私
どもが次の
現地を視察に行ったら、私
どもは、ここにモーターで水を吸い上げられるようにしてもらったら、この広いところに大根もできる、野菜もできる、そしてそれをサンパウロに持っていくならば、私
どもの収穫は大変なものなのに、もう何年間か叫び続けてきておっても、それがやってもらえませんという訴えでした。
それから、またもう一遍
現地に戻って
現地の懇談会をしたときに、何を語ったかというと、そこの私
どもは二代目です、あるいは初代目ですという
人たちが、一生懸命に働いて与えられた土地の金を全部払って籍を自分の籍にしようとしても、ここの国によって籍が自分の土地としての登記ができません、だから金を借りようと思っても金を借りることができない、土地を担保にしようとしても、金を払ってしまってあるが、自分の名前にならないから担保に入れることができません、だから私
どもはこんな苦しい思いをして経営をしておるのですよと言うのです。私は力は足りませんでしたが、わかった、これは
外務省と
関係省にどうやっても話をして、お金を払ってしまえば、あなた方が基本的に自分のものになるように、持って帰れるものではないから、この国と交渉をしてもらいましょう、
日本では、韓国の人であろうと
アメリカの人であろうと、金を払って所有権がそこに移ったときには完全に登記ができるのだ、この南米、ブラジルだけはそういうことができないはずはないということで約束をして私は帰ってきたのです。
そして、私は議員でありましたので、皆さん方にいろいろと話をしまして、その解決ができて今日は籍が移されるようになったということであり、担保にもその土地が入るようになったということは、一歩前進したことであると、いま私は実は喜んでおるわけでありますが、そういうような
現地におけるところの報告を聞いておると、想像でき得ないような事態があることも
十分認識していただいて、今後の指導的な
役割りについて
大臣、
官房長、
局長は特に十分に注意していただいて、そしてきめ細かい
外交をやっていただきたい。
移住者に対しては温かい手で
——新聞にも出ておったが、
日本人が、うまいことを言って夫婦の大切な金を取り上げられてしまって、そして泣き泣きの姿でこれを取り戻すことができ得ないというような事態が起きておるという今日なんですが、いま一度お考えいただきながら、今後について、ひとつよろしくお願いいたしたいと思っております。
実は、私
どもは、
委員長を中心にいたしまして、一日から、会計検査が
各国どのように行われておるか
——共産国にはその必要はありませんから、自由国家群を回って、どういうような
決算報告がせられておるか、
決算によるところの金の使い道、それに対して
各国とも
どもどのようにして
指摘し、どのような
調査方法がとられておるか、そういうことをこれから
調査して回って見たいと思っております。一日から二十日間の予定で一生懸命
勉強しながら帰ってくるつもりでありますが、
外務省におかれましても、今後の
日本の行くべき道については、心の触れ合いについては、
東南アジアだけでなくて、
世界に対して、もうすでに宣言すべきことであろうと私は思っておりますので、
大臣、どうかひとつよろしく
責任を果たしていただきますことを心から願って、私の質問を終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。