○小巻敏雄君 私が聞いたところでは、まあ、
海部文部大臣と同じように、
教員も困ったし校長も困ったというのが率直な姿であった。ただ、困ったときはそのことはちょっとわきにやって、もっとわかることをやるというわけにはいきませんのでね、毎日やらなければならぬから。まあ、大変悩んだ上で、ここでは、あちこちの
教育大学の付属高校とかそういうところを見に行ったりなんかいたしまして、そうして大英断をもってやったのが、
局長が言われたような
方向であったかどうか、通信簿を直したわけです。それを五段階
評価をやめて、そうして相対
評価から到達度
評価に直しておるわけです。到達度
評価というのは定まった形式があるわけじゃありませんからいろいろ工夫をしておるんですが、この
学校では、結局、一人ずつの
子供のカルテをつくって、そうして生活態度から学習について、ちょうどお医者さんが一人ずつの患者を診る場合には、カードだけ見て点数だけで始末するような
方向も、いまからは発達するかもしれませんけれ
どもね、いままでではやっぱり患者についてカルテをつくって一人ずつ診るわけでしょう。こういうものをつくって、そして、そこから出てきた到達目標に対する
評価というものを通信簿に記載するというのも、渡しっ放しにせずに、
子供と親と先生と三人で一人三十分ずつ通知をするというような
方向で具体的には解決をしたわけです。そこから先は言わないからわかりませんが、しかしながら、それにもかかわらず、この
子供たちは中学に進むのであります、中学から高校へ進むわけです。一定の
子供は
小学校を出た段階で私立中学に進むわけであります。そのときに内申書の問題が出てくるわけです。したがっていま問題になるのは、そのところは非常に大きな先生方の
努力、五段階
評価でやるのにかける労力の十倍も
——二十倍はオーバーでしょうけれ
ども、十倍くらいはかかるです、率直に。カルテ方式をとるのは。こうやって一人ずつに対して行き届いたやり方を改めて採用することによって、学級の中は
一つの安定感とそうして日々の目標を見出しておるわけです。非常によくなったと言っておりますけれ
どもね。それまでには、あんまりうまくない空気が出てくると、生徒の方が先生をやり込めるんですね。
——小学生ですよ。あなたはどこの
大学出たのと、こうやるわけですね。茨大だと。うちの父ちゃん東大、と。こういうようなことでね、大いに気勢をそがれたりなんかいたしまして、親
——父母に抗議を申し入れられて自信喪失というような場面もあったようですね。しかし、これに対しては、労力を惜しまずに、そして一人ずつの
子供に対してカルテを出すという方法でやっておるわけです。その後よくいっているかどうかはいずれまたアフターケアとして私は見せてもらわなければならぬと思っておりますけれ
ども、こういったふうな状況が全国至るところで試みられている。県によっては、長野県のように到達度
評価が広く用いられているところと、まあ一定の、鹿児島県
——たまたま思い出したから言うんですけれ
ども、などのように、比較的五段階ずばりでやっているところとあります。これは、県のふうとそれから
一つは塾問題その他の受験過熱の深刻さと、両方の問題が作用しているように私には見えるわけです。大阪のように偏差値で塾で激しいところはやっぱり到達度
評価を採用しているところは多いようですからね。今日のこういう状況の中では、一人一人の
子供を教師たちが指導をしていくというのによい方法があればこれを
一つの基準的定式化をし、そうしていままでにさまざまな欠陥を明らかにしたものがあれば、これに対しては改善の手を伸べていくというようなことを、これは条件整備をする、あるいは基準づくりについて
責任を持つ
行政官庁でやっていくということにならなければならぬ。私は、これらの報告を見ておりますと、たまたま私の見たこの筑波のように劇的な状況でやられておるところでない多くの
学校の多数の教師と父母の中で新しい試みが行われ、そして、これが下から積み上げられるという姿で幾つものすぐれた動きが出ているんだと、こういうことを申し上げたいわけであります。このときに、やっぱり足を引っ張ると申しますか、そういう動きをチェックをし、鈍らせる役割を果たしているのが率直に申しましてこれは指導要録の記載なんですよ。これについては三十年一日と申しますか、特に変更はないわけでありますから、結局竹園
小学校でもこの指導要録の中身をざっと通知簿にそのまま書いて一遍流してごらんなさい、また同じ問題が必ず再燃してくる。しかし、指導要録というのは指導をした結果の要録であって、これが通知簿と全く違うものであったり、受験のためにはこれは受験戦争と、日常だけは平和な姿で、というような二重構造というようなものは正しくそのまま発展するものではないと思うわけですね。
こういうふうに
考えてみますと、今度のこの
教育課程あるいは学習指導要領の改定と相まってさまざまな重要問題のある一環としてこの学力
評価の問題はあるんだと。それはやっぱり「
教育課程の基準の改善について」というこの報告書の中でも関連事項として一言述べておるわけですね。こういう状況については
大臣ひとつ御勉強いただいて現場の中にある積極的な
努力の
方向、これを育てるように、そして自主的な創意に満ちた現場の取り組みを励ますように、こういう
方向でやってもらいたいと思う。そして、そういうふうに励まそうと思ったら障害物をどうしても取り除かなければならぬ。この点についても私はテレビなどで見ておりますので、じかにひとつ承っておきたいと思うんですが、この画一的な授業、学習指導要領のいままでの拘束性ですね、これらの問題が生き生きとした主体的な職場の取り組みの邪魔になったという話はどこへ行っても聞くわけですよ。
大臣はお聞きになったことがないのかどうか。これについては私が仄聞するところでは、テレビで見たときおっしゃったように思うんですが、学習指導要領の拘束性というようなものは本来そういうものはありませんと、学習指導要領というものは基準であって、拘束するものではありませんよ、というふうにおっしゃったようにも思うんですが、そこらはどうでしょうか。