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1977-05-13 第80回国会 参議院 内閣委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十二年五月十三日(金曜日)    午前三時六分開会     —————————————    委員異動  五月十三日     辞任         補欠選任      大島 友治君     林  ゆう君      山崎 竜男君     戸塚 進也君      福岡日出麿君     望月 邦夫君      竹田 四郎君     小山 一平君      河田 賢治君     内藤  功君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         増原 恵吉君     理 事                 上田  稔君                 岡田  広君                 野田  哲君                 秦   豊君     委 員                 源田  実君                 世耕 政隆君                 戸塚 進也君                 中山 太郎君                 林  ゆう君                 望月 邦夫君                 吉田  実君                 大塚  喬君                 小山 一平君                 矢田部 理君                 太田 淳夫君                 峯山 昭範君                 岩間 正男君                 内藤  功君                 柄谷 道一君    衆議院議員        内閣委員長代理  木野 晴夫君    国務大臣        法 務 大 臣  福田  一君        外 務 大 臣  鳩山威一郎君        大 蔵 大 臣  坊  秀男君        自 治 大 臣  小川 平二君        国 務 大 臣        (内閣官房長官) 園田  直君        国 務 大 臣        (沖繩開発庁長        官)       藤田 正明君        国 務 大 臣        (防衛庁長官)  三原 朝雄君    政府委員        防衛庁参事官   平井 啓一君        防衛庁長官官房        長        亘理  彰君        防衛庁防衛局長  伊藤 圭一君        防衛施設庁長官  斎藤 一郎君        防衛施設庁次長  安斉 正邦君        防衛施設庁総務        部長       銅崎 富司君        防衛施設庁施設        部長       高島 正一君        防衛施設庁労務        部長       古賀 速雄君        沖繩開発庁総務        局長       亀谷 禮次君        沖繩開発庁振興        局長       井上 幸夫君        法務政務次官   塩崎  潤君        法務省民事局長  香川 保一君        外務省アメリカ        局長       山崎 敏夫君        大蔵省理財局次        長        吉岡 孝行君    事務局側        常任委員会専門        員        首藤 俊彦君    法制局側        法 制 局 長  杉山恵一郎君    衆議院法制局側        第 一 部 長  上田  章君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○沖繩県区域内の駐留軍用地等に関する特別措  置法案内閣提出衆議院送付)     —————————————
  2. 増原恵吉

    委員長増原恵吉君) ただいまから内閣委員会開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨十二日、山本茂一郎君及び八木一郎君が委員を辞任され、その補欠として山崎竜男君及び福岡日出磨君がそれぞれ選任されました。     —————————————
  3. 増原恵吉

    委員長増原恵吉君) 沖繩県区域内の駐留軍用地等に関する特別措置法案議題といたします。  まず、政府から趣旨説明を聴取いたします。三原防衛庁長官
  4. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) ただいま議題となりまし 沖繩県区域内の駐留軍用地等に関する特別措置法案について、その提案理由及び内容概要を御説明申し上げます。  本法律案につきましては、衆議院におきまして、全面的に修正されましたので、ここでは、簡単に、その提案理由内容について御説明申し上げるとともに、修正案について若干言及いたしたいと思います。  御承知のとおり、沖繩県においては前大戦による土地公簿公図の焼失、戦争米軍基地建設に伴う土地形質変更により、一筆ごと位置境界が確認できない土地が数多く存在しております  このような状況は、基地の中においても同様でありまして、これがために相続や売買の際に必要となる土地分合筆駐留軍から返還された土地利用の面で、沖繩県民経済的活動に著しい支障を与えるとともに、基地使用についても困難を来している状況となっております。  このような実情にかんがみ、政府駐留軍用地等対象として、土地位置境界をその所有者同士が確認するのを推進援助する措置を定めるとともに、沖繩県区域内において昭和五十二年五月十五日以後も引き続き駐留軍または自衛隊の用に供すべき未契約地を、権利者の保護に留意し、かつ、その位置境界が明らかでないという土地特殊性に合った手続により使用することを定める法律案提出した次第であります。  以上がこの法律案提案理由とその内容でありますが、冒頭にも申し上げましたとおり、この法律案に対し、日本社会党、公明党・国民会議日本共産党革新共同の各党から共同で対案が提出され、また民社党新自由クラブからもそれぞれ党としての御意見がありましたので、これらの意見を勘案して衆議院においてこの法律案の全部修正が行われました。その主な内容は、(一)駐留軍用地等以外の土地につきましても位置境界明確化対象とする。(二)五年を達成目途とした位置境界明確化計画を作成する。(三)土地所有者同士の話し合いがつかない場合の対策として、政府土地位置境界について勧告をする。(四)駐留軍用地等以外の土地位置境界が明確となった場合において、その土地の有効な利用促進等に資するため所要措置を講ずる。(五)昭和五十二年五月十五日以後の未契約地使用については沖繩における公用地等暫定使用に関する法律による暫定使用期間を五年延長する等であります。  何とぞ慎重御審議の上、すみやかに御賛同あらんことをお願いいたします。
  5. 増原恵吉

    委員長増原恵吉君) 以上で趣旨説明は終わりました。  本案衆議院において修正議決されておりますので、この際、本案衆議院修正について説明を聴取いたします。衆議院内閣委員長代理理事木野晴夫君。
  6. 木野晴夫

    衆議院議員木野晴夫君) ただいま議題となりました沖繩県区域内の駐留軍用地等に関する特別措置法案に対する衆議院における修正につきまして、その内容概要を御説明申し上げます。  沖繩県におきましては、戦争等により、土地形質が変更され、また、土地公簿公図が滅失しておりますので、位置境界不明地域が広範かつ大規模に存在し、そのために軍用地使用の場合はもとよりのこと関係所有者等社会的経済的生活に著しい影響を及ぼしており、その解決はきわめて緊要な問題であります。  政府案におきましては、さきに沖繩県の復帰の際暫定的に五年を限り使用しておりました軍用地使用の期限が到来しますので、土地位置境界明確化のための必要な措置を定めるとともに、軍用地を引き続き使用する場合の使用手続の整備を定めております。  修正の第一点は、位置境界不明地域については、軍用地内外にわたって行うこととし、軍用地外においては沖繩開発庁長官軍用地においては防衛施設庁長官がその実施機関の長となり、おおむね五年を目途計画的に位置境界明確化を実施し、政府は、その計画達成に必要な措置を講じようとするものであります。  修正の第二点は、関係所有者申し出があった場合には、実施機関の長が審議会意見を聞いて位置境界について勧告をすることになっております。  修正の第三点は、位置境界が明らかになった場合の返還地跡地利用促進を図るとともに、土地建物買い取り資金融通あっせん及び土地交換等あっせんを行うことといたしております。また、位置境界不明地域内の政令で定める公共施設用地買収等については、調査の上、所要財政措置を講ずることといたしております。  なお、実施機関の長は、地方支分部局の長または沖繩県知事事務の一部を委任できることとするとともに、沖繩県及び関係市町村位置境界明確化について協力するよう規定しております。  また、沖繩県区域内の軍用地使用については、附則において沖繩における公用地等暫定使用に関する法律による暫定使用期間の「五年」を「十年」に改め、五年間延長することとしております。  なお、本法が成立いたしますと、地籍明確化のための作業は、軍用地内外ともに五年を目途達成される見通しであります。  以上が修正内容概要であります。
  7. 増原恵吉

    委員長増原恵吉君) 以上で説明は終わりました。  これにて休憩いたします。    午前三時十五分休憩      ——————————    午後三時五十七分開会
  8. 増原恵吉

    委員長増原恵吉君) ただいまから内閣委員会を再会いたします。  委員異動について御報告いたします。  本日、大島友治君、竹田四郎君、河田賢治君及び山崎竜男君が委員を辞任され、その補欠として林ゆう君、小山一平君、内藤功君及び戸塚進也君がそれぞれ選任されました。     —————————————
  9. 増原恵吉

    委員長増原恵吉君) 休憩前に引き続き、沖繩県区域内の駐留軍用地等に関する特別措置法案議題といたします。  これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  10. 大塚喬

    大塚喬君 今朝午前三時に、防衛庁長官並びに衆議院修正案について木野代表理事から提案趣旨説明をいただいたところでございます。  質問に入る前段としてちょっと手続上の疑問点がございますので、木野理事に若干の質問をして、それから本論に入りたいと存じます。  今朝の木野理事沖繩県区域内の駐留軍用地等に関する特別措置法案に対する衆議院における修正趣旨説明、その要旨は、今朝お話しいただきましたように三点に分かれております。その修正の第一点は、「位置境界不明地域については、軍用地内外にわたって行うこととし、軍用地外においては沖繩開発庁長官軍用地においては防衛施設庁長官がその実施機関の長となり、おおむね五年を目途計画的に位置境界明確化を実施し、政府は、その計画達成に必要な措置を講じようとするものであります。」、この点が、特に後ほどの質問関連をいたすところでございますので、いま朗読をいたしたところでございます。  それから、「修正の第二点は、関係所有者申し出があった場合には、実施機関の長が審議会意見を聞いて位置境界について勧告をすることになっております。」と、こういう説明をいただきました。  「修正の第三点は、位置境界が明らかになった場合の返還地跡地利用促進を図るとともに、土地建物買い取り資金融通あっせん及び土地交換等あっせんを行うことといたしております。また、位置境界不明地域内の政令で定める公共施設用地買収等については、調査の上、所要財政措置を講ずることといたしております。」と、こういう説明があったわけであります。  ところで、私どもその問題に関連をいたしまして、参議院要覧の中に衆議院規則、「委員会」「通則」の項があります。その第四十七条を検討いたしてみますと、昨日提出をいただいた法案手続上どうも納得できない不備があると、こういうことを感じ取ったわけであります。で、衆議院規則委員会」の部の「通則」の第四十七条「議案修正しようとする委員は、予め修正案委員長提出しなければならない。前項の修正案法律案に対するもので、予算の増額を伴うもの又は予算を伴うこととなるものについては、修正の結果必要とする経費を明らかにした文書を添えなければならない。」、こういうことで定められておるわけであります。  で、今朝木野理事から提案をいただきました改正の主な三項の要点、この中の資料を何度も繰り返して調べたわけでございますが、この衆議院規則第四十七条に伴う予算を添えて提出しなければならないという項目がいずれにもございません。これは明らかに衆議院規則第四十七条に反する修正案提出を本院の本委員会提出をされたものではないか、明らかにその手続上重大な法的なそういう不備を私ども委員会提案したのではないかと、こういう疑問を持つわけであります。どういう理由でこのような不備提案をなされたものか、提案者から詳細に経過をお聞かせいただきたいと思います。
  11. 木野晴夫

    衆議院議員木野晴夫君) 今回の修正案は、政府から軍用地法案が出ておりますが、私たちが検討いたしますと、野党三党からも、また民社党新自由クラブから、またわれわれ自由民主党の立場からいろいろと提案がございまして、地籍明確化が必要であると、これが大前提と申しますか、これが大事だということでございました。  それで、ただいま申し上げました修正点の一点、すなわち五年間を法的に定めましてやっていくんだということでございます。また第二点は、行政裁定をすべしという意見もあったんでございますが、行政裁定は少しまだ検討すべき事項があると、行政勧告を行うということにしたわけでございます。第三点は、跡地利用したいという非常に強い要望がございますので、それで地籍が明確になった場合には、交換分合その他の処置をとりまして、跡地利用について努力しようということでつくったわけでございます。それに対しまして、これは予算を伴うじゃないかといういまの御意見でございます。まあ第一点の地籍明確化というのは五年でございますから、現在の予算でことしやっていきまして、それに応じましてまた伸ばしていくというようなことでございますが、先ほど先生の御指摘にありましたとおり予算を伴う事項でございます。それで、私らの方でこの法案通りましたときに政府意見をとりまして、そうして政府としましては、この措置は賛成とははっきり申しませんが、了承するということをとっておるわけでございます。
  12. 大塚喬

    大塚喬君 いま抽象的な答弁をいただいたわけでありますが、この修正案の主たる三項目については、私も昨年末以来三度にわたって沖繩現地調査いたして参りました。ごく僅少な額で、そういうようなことで、予備費流用というようなことで片づく問題でないことは、現地にともかく足を踏み込んでいただいて、できるならばひとつ本委員会皆さん方現地調査お願いして見ていただければ、予備費流用などというようなことで片づく問題ではない。いま提案者がおっしゃったようなお答えで、これらの修正案相当額予算を必要とするものについてこのような修正案、裏づけのないものを、ここでペーパープランだけで審議をしなさい、こういうふうなことは、これは現実に不可能だと思います。手続上重大な不備法案をここで審議しなさいというようなことは、本委員会として、国会の権威においてもこういうことはできかねる問題じゃないでしょうか。具体的に、予算案ですから、どういう項目にどれだけ、どういう項目にどれだけ、それらの事業の内容必要経費、こういうものをひとつ具体的に明らかに示していただきたい。
  13. 木野晴夫

    衆議院議員木野晴夫君) 私たちは、単にこれをペーパープランに終わらすという意味で考えておるのじゃございません。したがいまして、一項の点につきましては、なるほどこれから予算をつけて、そうして大いにやってもらおうという考え方でございます。ただ、ことしの予算にはどうかという点は、ことしの予算予備費でやれるかどうかとか、そういった点は、五年でございますからいろいろ各年度の割り振りはあるかと思います。また第二項の点は、これは審議会を設けて、そうして勧告するわけでございますが、それにつきまして、それでは予算がどのぐらい要るかというふうなことはそれほど大きな予算ではないと思います。第三点の点でございますが、位置境界が明らかになった場合に跡地利用をやるんだということでございまして、これは私たち相当沖繩県民要望にこたえたいと思っておりますので、額としましては大きなものを考えていかなきゃならぬと思っているわけでございます。ただ、これも実態調査というのをしなきゃいけません。現在、たとえば六十字ございますと、調査終わっているのは八字でございます。調査を大いにして、その結果に基づきましてこの予算をつけていくということでございます。そのほか先生の方で一、二、三と言われましたが、これは要約でございますので、いろいろ沖繩県民の民生の向上安定になるようにしたいということがございますので、予算を伴うことがほかにもあるかと思うのでございます。私、法案の作成に当たってまいりましたが、沖繩開発庁の職におればもっと詳しく何でございますが、その点は概略でございますが、この法律施行に伴いまして八十七億円見込まれると、このように考えております。
  14. 大塚喬

    大塚喬君 大変御懇切な答弁をいただいて、提案者の意のあるところ、誠意を私も率直にお認めをいたします。ただ、先ほど私が朗読いたしましたように、第四十七条の規定は、もう一度ひとつ申し上げますからじっくりお聞きいただきたいんですが、「修正の結果必要とする経費を明らかにした文書を添えなければならない。」、よろしいですか。八十七億円というお言葉で、額は、これはまあその点についての論議もあると思いますが、私は形式的な、まず一番基本的な手続の問題で、一体衆議院規則第四十七条の規定に沿ったそういう修正案提出いただく——規則違反のことをいまから本委員会審議をしようということは、私はこの内閣委員会が今後大変な悪例を残すと。やはり具体的に、法的にも完全に手続が合法的な、そういう内容修正案審議するのが本委員会の責務であろうと、こう考えるわけでありますが、この点についてひとつ明確に提案者からお答えを願います。
  15. 木野晴夫

    衆議院議員木野晴夫君) 御承知のとおり、たとえば第一項で申しますと、おおむね五年間にやるということでございまして、各年度、初年度幾らやるというのを決めて、二年度幾らというのを決めてあるわけでございません。それで、私たちは全部で八十七億円要る見込みであるということを、法案提出の場合に、この法律施行に要する経費は約八十七億円の見込みであるということを付しまして、そうして委員会採決の場合には、大臣のこれに対する意見も聞いておるわけでございます。
  16. 大塚喬

    大塚喬君 これは法制局関係、どなたかお見えになっておりますか、ちょっと委員長、来ているかどうか。ちょっと、やっぱりこれは重大な手続の問題ですから、規則違反ですから、ちょっと法制局の見解も……。衆議院法制局、それから参議院法制局もひとつ−…。  私がお尋ねしておることは、大臣答弁をいただいたかどうか、それの有無のことではなくて、八十七億円かかるか百八十七億円かかるか、その金額の問題でなくて、この規則に定められた文書を、成規手続を添えた形で修正案が本委員会提案をされ、その法案に基づいて審議が始められるのかどうかと、こういうことを私は提案者木野理事にお尋ねをいたしておるわけです。ですから、文書を添えたのかどうか、添えない提出ということは、これは重大な手続ミスがあるのではないか、この点はいかがですかと、こういう質問であります。どうぞひとつ、質問趣旨をお間違いなく御理解いただいて、正当な答弁をいただきますようにお願いをいたします。
  17. 木野晴夫

    衆議院議員木野晴夫君) ただいま、初めから細かい手続の問題でございますので、四十七条でございます。衆議院でこの修正意見を出すときには、これに幾ら経費を要するかということをちゃんと文書をもって付してやらなきゃいかぬということで、先ほど申しましたとおり、私たち衆議院修正いたしましたときに、これに要する金額は八十七億円見込みであるというのを文書をつけて出しております。
  18. 大塚喬

    大塚喬君 問題は参議院内閣委員会なんです。参議院内閣委員会参議院というのは、御承知のように衆議院でもしも仮に過ちがあった、まあこういうことはないはずでありますけれども、それらの問題を参議院としては誤りのないように、そこに参議院の使命があるはずであります。その参議院で、基本的な手続上のミスがある、こういう場合にこの審議に入るということはいかがか、できないはずであります。ですから、「文書を添えなければならない。」と、こう規則に明記されておる条文について、提案者に、文書を添えて提出をされたのか、私が個人的に幾ら探しても見つからないんですけれども、それは私どもの方で紛失をしたのかどうかわかりませんけれども、ひとつ「文書を添えなければならない。」とある、そのことを添えてあったのかどうかと、ひとつそこの点だけにしぼってお答えをいただきますようにお願いをいたします。
  19. 木野晴夫

    衆議院議員木野晴夫君) ただいま先生の御指摘になりました条文は、衆議院規則第四十七条でございます。衆議院規則第四十七条によりまして、私たち修正いたしましたときに、これに要する金額八十七億円見込みであると、ちゃんと文書をつけてしたわけでございます。
  20. 大塚喬

    大塚喬君 木野理事答弁によりますと、衆議院で配付をされて、そして審議に入ったと、こういう答弁でありますが、衆議院の方、ただいま確かめましたところ、衆議院の方でもこの文書は添えておらなかったと、こういう回答が来たわけであります。答弁者お答え現実が違うように私ども理解をするわけですが、そこのところは一体どちらが本当なのか。  それから、衆議院にはそういうものを出したんだけれども参議院内閣委員会にはそういうものは必要なしと、参議院の方はこの規則に違反しても、これはそういう提案法案内容はそれで審議を願って差し支えないんだと、こういうふうに木野理事は御理解をいただいてここに提案をなさったのかどうか、そこのところをひとつ改めて、なければないということをはっきりお聞かせいただきたいと思いますので、よろしく。
  21. 木野晴夫

    衆議院議員木野晴夫君) 手続と事実の問題でございますから、私から申し上げます。  衆議院におきましてこの法案が通りますときに、先ほど申しましたとおり、これに要する経費はちゃんと文書をもってやっております。そうして参議院議案を送るのでございますが、その際に、この経費の点はつけておりません。
  22. 大塚喬

    大塚喬君 提案法案内容というものは、規則につけなければならないと、こうあるんですから、これが提案のいわゆるその内容の重大な構成部分じゃないですか。その構成部分は、当然そこにつけられるその予算、それを文書にしたものをつけて提案をされ、審議を願うというのが提案者立場ではございませんか、そこらのところはひとつはっきりさしていただきたいと思います。
  23. 木野晴夫

    衆議院議員木野晴夫君) 先ほど申し上げましたとおり、四十七条は衆議院規則でございます。衆議院におきましては、この法案修正いたしますときに、それに要する経費文書をもっていたしておるのでございます。  それから、ただいまお話しの参議院に持ってくる場合に、それがついておったかついておらなかったかということでございます。これは議案を送るというのでございますから、私まあそこ聞いてみなきゃいけませんが、ついておらないと思います。議案を送るのでございますのでついておらない。そこで先生の方から、それを違法である何であるということは、先ほど申しましたとおり衆議院規則衆議院におきますところの規則でございますから、それにつきましてはこの法条に照らしてきちんといたしております。で、参議院におきましてどう取り扱うか、私その規則まではちょっと詳しく存じませんので御検討願いたいと思いますが、この趣旨説明いたします場合に、要する経費は八十七億円であるというのを私としましては説明につけ加えるべきであったと、その方が必要かつ十分であったと思うわけでございまして、その御指摘の点は、なるほど先生の御指摘のとおりと思うわけでございますが、この四十七条を絡めて、これを要らないから載せなかったんだというふうなことは、そういった意図でもってというのでは全然ございませんし、また解釈につきましては、衆議院法制局部長が来ておりますからお聞き願いたいと思いますが、参議院には参議院規則がございますので、参議院では参議院の方の解釈ということでございますが、その法律解釈その他につきましては、衆議院法制局部長が来ておりますので、衆議院部長から説明をお聞き願えれば結構かと思います。
  24. 大塚喬

    大塚喬君 先ほど申し上げましたように、修正案がある、そこにつけなければならない文書、これはこの修正案と別個に切り離したものでなくて、一体のもの、この文書を含めたものが修正案、こう理解をする、これが当然の法案としての性格を完備したものではないでしょうか。そのことを、衆議院の方は出しました、参議院の方はそんなものは必要ないと認めますと、こういうことで参議院を軽視されるようなお考えを私は答弁者からお聞かせいただくと、これは単に木野理事大塚という参議院内閣委員会の一委員の問題ではなくて、これは重大な参議院の構成、権威に関する問題に発展する、私はそういうふうに受けとめます。  で、いまの問題について、まず第一に衆議院法制局、関係者どなたか、局長がおいでになっていますか。
  25. 木野晴夫

    衆議院議員木野晴夫君) その前にちょっと私から補足、一点したいと思いますが、先ほどお話し申しましたとおり、四十七条は衆議院規則でございまして、衆議院におきましてはきちんと文書をもってこれに要する経費を書いてあるということを申し上げました。そこで、参議院にその議案を送ったわけでございますが、それに抜けておるじゃないかということでございます。恐らく参議院にも同じ規則がございまして、参議院で決められますときにはそのことを書いておられると思うのでございます。参議院から衆議院法案を送られますその場合に、私まあいま慣例として聞いておるのでございますが、議案を送りまして、そうしてそれに要する経費のところはつけておらないと。これが衆議院から送ります場合もつけておらない、参議院から衆議院に送られます場合もつけておらない、こういうしきたりと申しますか、ことになっておるということを事務局言っておりますので、私そういった細かい点まで実はつまびらかにしませんが、聞きますとそういうことになっておるということでございます。もとより私の方で、対大塚と私の間の問題とか、のみならずというようなことを考えてのことでございませんので、ただいま申しましたとおり、衆議院から送るときには、議案を送りまして、それに経費の点は抜けておる、つけておらない、参議院から送られますときに、これまた経費の点はつけておらない、こういうことになっておるというしきたりだそうでございますので、その点ちょっとお答え申し上げます。
  26. 大塚喬

    大塚喬君 では衆議院法制局から。
  27. 上田章

    衆議院法制局参事(上田章君) 衆議院法制局の第一部長でございます。  政府案を全部修正をいたしました、それのお手伝いをいたしました一人として、いま先生からの御質問でございますのでお答え申し上げます。  先ほどから木野先生がおっしゃっておりますように、衆議院規則第四十七条では、これは衆議院規則でございまして、衆議院における手続をどのように処理するかということを決めたものでございます。したがいまして、政府案でございましても、「予算の増額を伴うもの又は予算を伴うこととなるものについては、修正の結果必要とする経費を明らかにした文書を添えなければならない。」という規定でございますので、先ほどから木野先生が何度も仰せられておりますように、衆議院で通過するときには、約八十七億を要する見込みであるという文書を添えて修正議決されたというのが事実でございます。
  28. 大塚喬

    大塚喬君 いまの件に関して、参議院法制当局の見解を求めたいと思います。——もう一回説明しましょうか。新たに参議院法制局長がお見えいただいたそうですので、いま論点になっております件について提案者にお尋ねをいたしたところですが、関連して参議院法制局に私の質問趣旨について簡単に申し上げて、その見解を明らかにしていただきたいと思います。  衆議院規則の中で、「委員会」「通則」「第四十七条 議案修正しようとする委員は、予め修正案委員長提出しなければならない。前項の修正案法律案に対するもので、予算の増額を伴うもの又は予算を伴うこととなるものについては、修正の結果必要とする経費を明らかにした文書を添えなければならない。」、こういう規定があります。で、本朝午前三時に木野理事から衆議院修正案について趣旨説明を受けたところでございますが、その中に、修正の一項、二項、三項それぞれ予算を伴うものであると、こういうことが文章表現の中にも明記をされております。で、その場合に、本委員会提案された修正案、これには衆議院の方の審議の際に必要としたその文書による予算案と申しますか、その添付がなかったわけであります。私は、この衆議院審議の際に、必要欠くべからざる条件として、文書による予算案修正案と一緒につけられて審議をされて修正案が通過したわけでありますから、そのものが当然一体になった法案の一部分として、その添えられた文書予算案というのは、この本委員会に、こういう内容でこういう予算を伴ったもので修正案が成立をいたしました、こういうことでここに提出をさるべきだと。ところが、まあ後でこれはもう一度皆さん方に全員にお尋ねしたいと思うんですが、お一人お一人、その文書というのが入っておったのかどうか。私の中には残念ながら、けさほど帰って内容を調べましたところが入っておりませんでした。そういうことで、文書のつけられなければならないものがついておらない。手続上これは基本的な誤りがあったのではないか、こういうことをお尋ねしておったわけであります。木野理事お答えは、大臣から八十七億円かかると、こういうようなお話があったということで、直接文書に関することの問題については私の納得するようなお答えがいただけなかったので、法制局に出席をお願いして、法的なその根拠について明快にひとつお聞かせをいただきたい、こういうお願いであります。
  29. 杉山恵一郎

    法制局長(杉山恵一郎君) これは衆議院のやったことでございますので、衆議院のやり方について私がこれこれ言うのはちょっとあれなんでございますけれども規定といたしましては、修正案予算を伴う場合に、その経費を明らかにする文書をつけろと、そしてそれについて委員会で採決する前に内閣の意見を聞けというのが四十七条の規定でございますけれども、それは委員会の中で原案を修正することの可否を決めるための資料として、修正案を出す方がその趣旨を明らかにし、そうしてそれに対して内閣が意見を述べる機会を与えられて、その結果を判断して委員会でお決めになるというための一つの委員会の中での処理の手続として規定されておるものであって、委員会ですでにそれが可決されて本会議にいく段階では、もうすでにその文書はついていないはずでございます。  で、衆議院で可決されて参議院の方へ回ってくる場合には、それは修正案という形ではなくて、衆議院の議決案としてこっちへ参りますので、その場合には衆議院の院内でやった手続に関する文書はついてこない、衆議院で可決した案件だけが送られてくるというのが議事手続でございます。で、それは参議院法案を出す場合でも同じことで、修正案を出す場合、あるいは予算を伴う法案を出す場合でもそうでございますけれども委員会の中で内閣の意見を聞いて、それで後、本会議へかかって、参議院から衆議院議案を送る場合には、その予算を伴う書類というようなものはついていかないのが——ついて送るということには国会法上なっておらないわけでございます。したがって、向こうから来た書類の中にそれがついていないということも、別に違法であるというわけではないというふうに思います。
  30. 大塚喬

    大塚喬君 いまのお答えで、大分私もはっきりいたしました。ただ、木野理事に、これは法的な問題ということよりも、提案者の方でも速やかな審議を願うと、こういうことですから、これらの修正案というのは一つ一つ相当額予算を伴うものだとすれば、説明資料なり付属文書なりということで、この参議院委員会について一応の敬意を表していただくなら、全員に衆議院で出したと同じような文書をつけて、衆議院ではこういう予算案も勘案の上にこの修正案が通りましたと、そういう説明資料ぐらい出していただくのが、これがまあ人情と申しますか、国会審議のあり方ではないでしょうか。この点について、私もまあそこのところがどうかという疑問を持ったものですから率直にお尋ねをいたしたわけですが、今後、衆議院参議院、二院で構成されております日本の国会の権威を高めるためにも、ひとつそういう問題について、この修正提案者であります木野理事の明快なお答えをいただいて本論に入りたいと思います。
  31. 木野晴夫

    衆議院議員木野晴夫君) 私も、議事規則その他何分にもふなれでございまして、明確な先生への的確なお答えはできなかった点がございますが、ただいま先生がおっしゃいましたとおり、この規則は、衆議院規則四十七条の解釈、また同様に参議院のそれに相当する解釈があると思いますが、それにつきましてはこういうことだということで、私もいまはっきりとしたような次第でございます。  つきましては、経費幾ら要るのかということは大事な問題でございますので、それをつけると、話をするというのが親切じゃなかろうかと、私は親切というよりももう少しすべきじゃなかろうかと思うわけでございまして、実は趣旨説明の点にそれに触れるべきだったと思うわけでございます。趣旨説明は、御承知のとおり余り長くなりましてもまたごたごたしますので、私は自分で理解いたしまして書いたのでございまして、この地籍明確化法案が通ったら何年かかるだろうということの方が大事だと思いまして、この法案が通れば五年でできる見通しであると、そういうことを書いたのでございますが、さらにいまの経費の点など一歩含めまして、これに要する経費は八十七億であるというのを書いておけばただいまのような点もなかったと思うのでございますが、その点はまあ漏れましたという点を、ひとつ御了承願いたいと思います。
  32. 大塚喬

    大塚喬君 ただいまの木野理事の誠意を込めた答弁をいただき、法制局関係者の皆さん方の明快なお答えをいただいて、この点については私も快くいまの問題についての疑問を氷解して、質問を続けさせていただきたいと思います。  それで、まあ沖繩の問題は皆さん方もいろいろお聞き願っておると思いますが、総論、各論、それぞれ幾つか大きな問題を抱えております。私は、まあ総論、そして各論、こう相互に交錯するところが幾つかあると思いますが、そこらの問題を踏まえながら、できるだけ現実の問題に即してこれらについての明快な説明をお聞きをし、私どもも十分理解の上にこの審議に参加をいたしたいと、こういう強い念願でございます。  で、初めに総論的なことを申し上げますが、沖繩の本土復帰、これはもう沖繩百五万県民の多年にわたる血のにじみ出るような切実な念願でございました。これが本土並み復帰ということでいまから五年前に実現をし、それから五年という年月が経過をいたしたわけであります。ところが、現在依然として占領当時あるいは戦争当時そのままの姿で居残っておる問題が数限りなくございます。私は、その象徴的にあらわれております沖繩中部にあります読谷の飛行場跡地の問題について、大蔵大臣、それから官房長官、それから法務大臣、それから自治大臣、関係の各大臣にそれぞれ質問をいたしたいと思います。あるいは、この問題について余り具体的に内容をお聞きいただいておらない方もいらっしゃるかと思いますが、ごく若干の時間をいただいて、この簡単な経過を少しく私の方から説明をさせていただいて、具体的な事項について数項目にわたって質問をさせていただきます。  読谷、これは読売新聞の読という字と谷という、そういう字を書いて読谷村、こういう村が沖繩にございますが、その読谷の読谷飛行場用地の所有権回復の問題、こういうことに具体的に第一番にしばってお尋ねをいたします。  で、その経過をごく急いで申し上げますが、読谷飛行場は昭和十八年夏、旧日本軍が本土防衛のために土地を強制的に接収し建設したものである。その用地接収に際し、軍の責任者は、陸軍として不要になったら土地は元地主に返すと口約しておったのであります。ところが、国は戦後三十二年経過した現在、いまだに戦後処理をしないばかりか、世論に反して、私もここへ三度参りましたが、新たにアンテナ基地を建設しようとしておるわけであります。で、読谷の皆さんは、地主に犠牲を強要する、不当に強奪された土地の回復権を再び侵害をすると、こういうことで大変大きな憤りを持って、私どもが参りますと、数十人、数百人という関係地主の皆さん方が大ぜい詰めかけて、私どもはそれらの方々から強い要請を受け続けてまいりました。  その地主たちの返還要求の理由と申しますか、それについて少しく述べさせていただきますと、読谷飛行場、これは当時陸軍が使用しておったときには、北飛行場という名称で呼ばれておったようであります。これは旧日本軍が太平洋戦争を遂行するために、読谷の中心部、座喜味、それから喜名、伊良皆、大木、楚辺、それから波平、上地、これらの名字の地域にまたがって約六十五万五千坪、約一千七百五十筆であります。これらの広大な農耕地を強制接収し飛行場を建設したものであります。で、この当時はここに居住をいたしておった関係村民は、民家が六十八戸、地主が約六百五十名、ここに居住をしておらない人たちでもそこに土地を所有しておった、こういう人たちがおおよそ三千六百名おるわけであります。  で、その人たちの生活の根拠地になっておったところでありますが、昭和十八年に入って戦況がいよいよ悪化し、日本軍は二月、ガダルカナル島を撤退し、五月にアッツ島の全滅、そして七月のキスカ島撤退、後退をし続けた結果、四囲から包囲される形勢の中でこの沖繩に防空基地をつくる、訓練を行う、こういうことで戦争準備体制が強化されていった中でこの読谷飛行場の建設が行われたわけであります。  で、この飛行場の建設が、土地の売買契約、これが私はいま指摘をしようとする大きなかぎになる問題でありますので、土地の売買契約について当時の経過を私も何度も再三にわたって関係地主の皆さん、当時役場にお勤めになっておった方方、その人の家族あるいは現在の村役場関係者の皆さん方に、もうしつこくお尋ねをしてまいりましたが、いずれもこの売買契約については一言も話がなくて、地主の意見を聞くというような態度はみじんもなく、全く強制的に土地の接収がされた、こういうことであります。で、確かにこの接収に当たって地上耕作物の補償、民家の立ち退き料を払う、こういう契約は行われたわけでありますが、飛行場の緊急整備、こういう問題があって、この農作物と立ち退き料の一部、これが建設工事が大分進んだ中で一部行われたようであります。こういう現況でありまして、私はこの読谷飛行場のいわゆる現在国有地、そしてアメリカ軍の軍用地、こういうことで使用されておるこの読谷の旧飛行場の問題について、幾つか具体的にお尋ねをいたすわけであります。  もう少しちょっと補足をさせていただきますが、この軍関係の土地の買収あるいは接収に当たった方、当時の記録を、あるいは当時の関係者等を調べてみますというと、もと沖繩にありました第三十二軍参謀陸軍中佐の神直道さん、それから旧陸軍大佐の八原博道さん、旧陸軍中佐の釜井耕輝さん、それから同じく元三十二軍経理附陸軍主計中尉の田中護利さん、こういう方が関係をいたしておったようであります。ところが、これらの関係者はお一人を除いて全部沖繩戦に戦死をされてしまって、先ほど申し上げました元陸軍中佐の神直道さんという方だけが生存をされて、現在東京都世田谷にお住まいになっておられます。で、これは防衛施設庁から多分出されたことだと思うわけでありますが、この方について照会をいたして、この方から防衛施設庁に対して当時の経過についての報告がなされております。  これは後ほどの質問に関係する事項でありますので、その際にまた申し上げることにして、私がお尋ねをしたいのは、この沖繩で本土復帰前、日本の国有地、これは米国の財産管理官のもとに管理をされて、本土復帰前は米国の施政権下と申しますか、そういう状態が続いたわけであります。で、これらの土地に対し、その米国の管理官に対して関係地主、これらの方は返還するよう要求を続けてきたわけでありますが、具体的には一九五八年、昭和三十三年、元三十二軍の陸軍中佐神直道氏等関係者等の証言、これらを添えて提出をいたしましたところ、西原飛行場、これらは同じような飛行場が建設をされ、旧陸軍に使用され、そして米軍の占領下も米軍によって使用されておったその基地が、片方の飛行場は、これは先ほど申し上げました証人の証言によって関係地主、元地主に返還をされておるのであります。ところが、この読谷飛行場に関しては現在まだ返還をされておらない。で、私どもは当然旧地主に返還をさるべきであると、こういう考え方を強く持っておるわけでありますが、異国民である米国軍政府当局、それですら国有地の元地主への返還問題に真剣に取り組んで、先ほど申し上げたように別の方の飛行場は現に返還をされておるわけであります。ところが、日本政府がこの問題に関して、もう戦後三十二年過ぎておるのに、この読谷飛行場についてはここにまたアンテナ基地を設置する。いまその建設は地元関係地主の強い抗議に遭って中止をされておりますけれども、これらの飛行場が旧地主に返還をされておらないわけであります。  で、私は官房長官にお尋ねをいたします。この問題についてお聞きになっていらっしゃるかどうか。先ほど申し上げたように、立ち退き料や地上耕作物、こういうものについての補償は行われたようでありますが、その土地の買収費については、だれに聞いても、現在残るどんな物的な証拠を調べても、そういうものについては証拠がございませんし、その証人、先ほど申し上げました元陸軍中佐の証言にも、支払いは行われておらない、こういうことがあったわけでございますが、日本政府はこれらの問題、重大な戦後処理として一日も早く解決をするために取り組むべきだと考えておりますが、官房長官として、こういう問題が現存するこの読谷の問題についてどういう所見をお持ちか、お聞かせいただきたいと思います。
  33. 園田直

    国務大臣(園田直君) ただいま検討をいたしておりますので、私の所管でございませんから、関係者から答弁いたさせます。
  34. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) 国有地の問題でありますので、所管庁であります私の方からお答えいたします。  ただいま御質問になりました旧読谷飛行場の問題でありますが、これは現在その大部分が米軍に提供されておるわけでありますが、これはもともと旧陸軍が飛行場用地として取得し、戦後、米国民政府がこれを日本政府の所有地として管理してきたものを、四十七年五月十五日の沖繩復帰に伴いまして大蔵省が引き継いだものであります。  御承知のように、沖繩本島におきましては、戦火によりまして土地の所有関係に関します法的な書類というのが滅失しておるわけでございます。それでその取得の経緯、それから登記簿、そういうものも一切滅失しておるわけであります。これは国有地だけでなく、民有地、公有地を含めまして全体の話でありますが、そういう状況にあったわけであります。それで、戦後米民政府時代になりまして、いわゆる所有権の認定作業というものが行われました。その認定作業の手続でありますが、これはいろいろ村なり字に土地委員会というものが設けられまして、それぞれが調査し、それに基づきまして市町村長がそれぞれの所有者に所有権証明書を交付しておるわけでありますが、それの調査の結果、この読谷飛行場につきましては、読谷村長から国有地として所有権証明書が交付されたわけであります。それで、それに基づきましていろいろ復帰前の沖繩における正規の登記簿も作製されました。この登記簿に関しましては、沖繩の復帰の際、沖繩の復帰に伴う法務省関係法令の適用の特別措置等に関する政令によりまして、本土法令の相当規定による登記簿及び登記とみなすということで、復帰後における正規の登記簿及び登記とみなされてきておるわけであります。そういうことで、本島におきましては当時のただいまおっしゃいましたような軍の買収を証明する直接的な資料というのはないわけでありますが、復帰後、われわれの方といたしましても、その間の物的資料の収集に努めるほか、いろいろ関係者からの事情聴取を行ったわけであります。で、具体的に、旧読谷飛行場の問題につきましては、旧陸軍関係者六名、それから地元関係者三名、それから旧所有者四名からいろいろ証言をとりました。そのうち、当時自分は直接関係しておらなかったので知らないと答えられた軍関係の参謀の方がおられますが、その方を除きましては、当時読谷飛行場についての買収は正規に買収し土地代金等はすべて支払ったということを証言しておられるわけであります。その他われわれいわゆるアンケート調査なるものを三百数十名の旧所有者に対して行っております。行っているといいますか、アンケート調査の結果、三百数十名の者から回答を得ております。が、その回答の内容はいろいろまちまちでありまして、正規に代金を受け取ったという者、それから受け取らなかったという者、古いことで忘れたという者、いろいろまちまちなわけであります。そういうことであるわけでありますが、われわれとしては、先ほど言いましたように、米民政府時代、正規に日本国政府の国有地として管理されてきたものを復帰に伴って引き継ぎ、国有財産台帳に登記し、現在国有地として管理している、こういうのが経緯でございます。
  35. 大塚喬

    大塚喬君 資料の収集、関係者から事情の聴取と、こういうことですが、いまお答えいただいたことで、積極的に国有財産だという証拠、これは具体的に言えば旧陸軍が買収したんだと、こういうことになるとすれば、土地の売買契約書、それからその土地の代金支払いの領収証、こういうものが県なり市なりあるいは国なり、こういうところに当然あるのが至当ではないですか。この売買契約書というものがあるのですか、あったらお示しをいただきたい。  で、先ほどの証人の中で、代金の支払いを受けたと、その代金の支払いを受けたというのは、いわゆる移転費用、それからその上の地上耕作物に対する補償料、これらの関係の費用と、土地の代金と、関係者のあるごく一部の方が誤ってお金は確かに受け取ったと、こういうことの錯覚に基づく証言がその中にあったのではないですか。具体的に土地の代金は間違いなく受け取りましたと、こういう人が証人として証言をされておったならば、どこのどなたが、いつどういう証言をされたのか、その証言の内容も明らかにしていただきたいと思います。具体的には、その土地の売買契約書があればこの席にひとつ提出をいただきたい。
  36. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) 先ほど申し上げましたように、沖繩本島におきましては、戦火によりまして売買を証明する書類、それから当時の登記簿等の公的書類というものは一切消滅しているわけであります。これは国有地だけでなくて、先ほど申し上げましたように民有地、公有地を含めまして土地の所有権関係の書類が一切消滅しているわけであります。ただ、戦火を受けませんでした宮古とか八重山につきましては、やはり当時旧陸海軍が飛行場を建設しておるわけでありますが、それらの用地につきましては、売り渡し証書なり、代金の受領証というのが相当数受領されております。われわれとしましては、そういうことからも、大体同時期に同じような軍の体制のもとに建設された本島における飛行場の用地取得についても、同様な手続に基づいて正規に買収されたものと考えておるわけであります。  それから、いろいろ証言の問題でありますが、これは具体的な氏名は差し控えさしていただきたいと思いますが、われわれの方として、先ほど申し上げました旧陸軍関係者といいますのは、当時の航空本部の関係者と、それから第三十二軍の参謀であります。そういう方からいろいろ証言を得たわけでありますが、それらの方は、先ほど申し上げましたように、一名の方が、自分は当時直接その買収に関係してなかったので、当時の儀は知らないというお答えをいただいておりますが、その他の方々からは、土地代金と及び補償金というものは全部支払っているという証言を得ているわけでございます。     —————————————
  37. 増原恵吉

    委員長増原恵吉君) 委員異動について御報告いたします。  本日、福岡日出麿君が委員を辞任され、その補欠として望月邦夫君が選任されました。     —————————————
  38. 大塚喬

    大塚喬君 飛行場用地、この所有権の認定作業、これは戦前あった土地、その土地が確認されるということがたてまえではないですか。そういう作業が行われたんですか、いかがですか。
  39. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) 戦後、米軍下において行われました所有権認定作業というのは、当初一九四六年二月二十八日付の米国海軍軍政本部指令第百二十一号というのが最初の根拠になっておるわけでありますが、それに基づきましておおむね次のような手順により行われたわけであります。  まず、地元の各字なり市町村単位にそれぞれ土地所有権委員会というものが結成され、私有地につきましては所有者からの申請に基づき、当該字委員会調査、測量等を行い、その結果を市町村長に報告すると。それから、国有地とか公有地及び所有者不明土地につきましては、市町村委員会がみずから調査し、調書等を作成して市町村長に報告する。それで調査を終えた土地について、各市町村委員会土地所有権証明書を作成し、これを三十日間一般の縦覧に供し、異議のないものについては市町村長が署名捺印して土地所有者に交付する。それで、署名された土地所有権証明書は、適法な土地所有権の証拠として認められ、以後その所有権の有効性を争おうとする者は、巡回裁判所に訴えを提起してこれを争うことができるという手続で行われたわけでございます。
  40. 大塚喬

    大塚喬君 いまのそういう作業、手続が行われた年月日はいつですか。
  41. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) 当初の米国海軍軍政本部指令が出ましたのが、先ほど申し上げましたように一九四六年二月二十八日で、それでずっと調査をしてまいりまして、一九五一年四月一日付で各市町村長からそれぞれの土地所有者に土地所有権証明書が交付されておるわけでございます。
  42. 大塚喬

    大塚喬君 いまのようなお答えをいただくということは、国のそういう関係責任者の立場にある次長としては、私は大変粗漏である、無責任であると、こういうことを感じます。  昭和二十六年四月一日現在、読谷の現況はどうなっていましたか。まず住民について、ともかく戦争中に戦死あるいは死亡された方がたくさんありました。それから、沖繩が占領されておるということで、大阪や名古屋に軍事徴用ということで来られておった方、そういう方が自分の郷里読谷には帰れないで、非常にたくさんの方々がこの本土に居住を続けられておりました。さらにまた、この読谷に住んでおって沖繩に住んでおった人、その人がアメリカ軍の占領地区のために帰ることができないで、沖繩本島北部に、収容所同然でたくさんの方々が押し込められておった、こういう中で読谷の村長が発行したいわゆる所有権証明書、それに基づいて国有地の位置づけをしたと、こういうようなことはもうめちゃくちゃきわまりない。そのことで、その国有地と主張される根拠にされるということは私は大変遺憾なことであり、そういうことで国が憲法で保障される個人の所有権、こういうものを重大な侵害をしておるということを私はもう率直に指摘せざるを得ません。具体的にまたこの問題についてお尋ねをいたします。  いまあなたがおっしゃっておる読谷飛行場、現在国有地として扱われておるこの旧読谷飛行場用地は、一体何筆になっておりますか。
  43. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) 旧読谷飛行場の国有地につきましては、国有財産台帳上は三葉に分かれております。
  44. 大塚喬

    大塚喬君 ちょっといまの……。
  45. 増原恵吉

    委員長増原恵吉君) 吉岡君、もう一遍ちょっとおっしゃってください。
  46. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) 旧読谷飛行場の国有地につきましては、国有財産台帳上は三葉、三つの葉に区分されて登載されております。
  47. 大塚喬

    大塚喬君 三つの区分という、そこにはもう先ほど申し上げたように、六百五十人の方が居住をして、三千数百の方がその関係地主、関係地域の所有権、土地を持っておった人が現存しているわけです。これはもう疑いの入れない、周辺の人やなんかの相互確認のもとに、そういうのが現在間違いなく行われておるわけです。で、その当時の人たち、これらの関係者どなたに聞いても、役場の関係者に聞いても、一千七百五十筆は現にあったと、こういう確認がされておるわけであります。そのことがどっかで作為なりされない限り、この国有財産台帳に載るそのことの前の段階で、これは作為的に何かその作業をしなければ、一千七百五十筆の土地の所有権者、こういうものが三口のものに、あの狭い沖繩本土の中で、そういうことが行われますか。私はあなたの答弁の中に重大な、国としての手続上、無理をほおかぶりして、個人の一千七百五十筆のこの土地の所有権者の、その土地を強奪しようとすることを正当化する、こういうこと以外の何物でもないということを、私はもう心の痛む思いで受けとめておるわけです。一千七百五十筆の筆を、どういう経過で一体その三口に、国有財産に登記をしてあるんですか、その経過をひとつ明らかにしてください。
  48. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) 国有財産台帳上は、現在の土地の種目なりその用途に応じて分けて掲載されるわけでありますが、先生おっしゃいましたその千七百五十筆というのは、旧地主当時そうだったというお話でありますが、われわれとしては、先ほど申し上げておりますように、そういう戦前におけるといいますか、戦争中における旧軍の買収当時の資料が戦火によりまして滅失しております関係上、何名の地主から買収して、当時何筆に分かれておったということをつまびらかにする資料は現在ないわけであります。ただ、戦後、先ほども申し上げましたように、米民政府によって日本政府の国有地として管理されてきたものを、復帰に伴い引き継いで、復帰時に新たに国有財産台帳に掲載したわけでございます。その掲載の際、いわゆる土地の種目なり用途に応じて、その旧読谷飛行場の国有地を三葉に分けて掲載した、こういうことでございます。
  49. 大塚喬

    大塚喬君 その件については、私が先ほど、その質問に直接関係ないけれども前段で説明を申し上げたとおりです。旧陸軍があの戦争の苛烈になっていく、周囲が連合軍に包囲をされている、そういうことで、ごく短時日の中に、地主との話し合いもなくて、ともかく地上の耕作料に対する補償、移転料、こういうものだけを渡して、もうすぐに、実際はもうその金を渡す前に飛行場の建設作業が始まっておったわけです。そういう経過を先ほどお話し申し上げたわけでありますが、同じくその時期に八重山でつくった飛行場は、あなたの方ではその領収証なり売買契約書なりがあると、こういうお話であったわけであります。そうだとすれば、この読谷飛行場についても、国の少なくとも台帳なり予算の支出項目の中に、読谷飛行場の、先ほど申し上げました膨大なその土地に対して、六十五万坪だったでしょうか、ともかく、少なくとも相当の金額のいわゆる土地買収費の支払いが行われておるはずであります。ですから、私は何度も確認願ったように、売買契約書はあるのか、それから予算支出をした、こういうことの支払いの事実があるのか、それらの領収証があるのかどうか、そういうことを念を入れてお尋ねをいたしておるわけですが、そういうことについては、片方の方はあるんだと、沖繩にはないんだと、こういうことばかり繰り返されて、国が合法的にこの土地の所有権を個人から移したという何らかの納得する証明も一つもなされてないではありませんか、いかがですか。
  50. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) 繰り返しになってはなはだ恐縮なんでございますが、本島につきましては、とにかく戦火によりましてそういう土地所有権関係の登記簿とか、その他の公的書類一切、それから軍関係の書類というものも一切消滅しておるわけでございます。そういうことで、本島においては、そういうことを直接立証する物的資料はないわけでございますが、先ほどのように、その戦火を受けなかった宮古とか八重山につきましては、その売り渡し証書なり代金の受領証というのが相当数収集されており、終戦前の当時の国有財産台帳も残っているのがありまして、それにやはり国有地として正規の売買によって取得されたものとして登記されておるわけです。そういう証拠があるわけでございます。それで、そういうことから考えまして、当時同じような時期に同じような軍の体制のもとにつくられた飛行場でありますので、われわれとしては同様に正規の手続により買収されたものと考えておるわけであります。それと、先ほど来申し上げております、その本島について行われました土地所有権認定作業というものに基づきまして、日本政府の所有地としての証明書が交府されておるわけであります。で、われわれとしては、復帰時に当然それに基づいて国有財産として引き継ぎ、それで現在国有財産台帳に載せ、管理しておるということでございまして、もちろんわれわれとしても、本島につきましてもなお物的資料なりその他のいろいろ証拠の収集に努力しておるわけでございますが、現在のところは、いわゆるただいまおっしゃいましたような売買の証書とか、代金の受領証というような直接的な物的資料は本島については消滅してしまった関係上、現在見つからない状態にあるというのが実情でございます。
  51. 大塚喬

    大塚喬君 あなたは、その土地の認定ということを政府がすると、こういうことを大変軽々におっしゃいますが、その問題で改めてお尋ねをいたします。  政府機関という権力を持つそのものが、土地の所有権を認定する、このことが、これは土地の所有権の創設——いいですか、昭和二十六年四月一日ですよ、そのときには、先ほど申し上げたように読谷関係の村民は、沖繩の北部の方に復帰を許されないで押し込められておった。それから、名古屋やあるいは大阪の方に徴用されて、そして帰ることができない、そういう人たちがたくさんおった。それから徴用者の一部の中にはハワイやブラジルの方に移住をされておった方、そういう方がたくさんあったのにもかかわらず、町村長の認定——この認定という言葉、簡単にあなたおっしゃるけれども、日本政府という権力のある機関が、この所有権を政府機関だからといって創設をしてよろしいのかどうか、そこのところだけ、その点にしぼってはっきりひとつ御答弁をいただきたい。創設ではないですか。
  52. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) ただいま申し上げました沖繩本島におきます所有権認定作業というものは、日本政府が行ったものではございません。これは米民政府時代に、琉球政府のもとにおいて各市町村なり字の土地所有権委員会というのが調査し、それで各市町村長が証明書を交付しているわけでございます。それで、いろいろ当時地主の方方が必ずしも現地におられなかったというお話でありますが、それにつきましては、いわゆる当時の村なり字の関係者が調査した上国有地であるというものを国有地として認定し、所有者が不明なものは所有者不明土地としてはっきりそこで区分されておるわけでありますから、所有者がわからなかったから国有地にしたというふうには考えられないわけであります。当時の地元の市町村の関係者がいろいろ調査して、その結果市町村長から証明書が交付されておるわけでありますから、それぞれ当時の市町村の所有権委員会調査の際、当然その辺の実情は当時としてはできる限り調査して、その結果その証明書が交付されたとわれわれとしては考えざるを得ないわけであります。  それで、先ほども申し上げましたように、この辺はむしろ法務省の方からお聞き願うといいわけでありますが、その所有権認定作業の結果、新たに戦後沖繩土地の登記簿というのが作製されたわけです。それでその登記簿につきましては、先ほど来申し上げていますように、復帰時の法令によりまして、本土法令の相当規定による登記簿とみなすという規定が置かれているわけであります。そういうことで、沖繩本島におきます土地の所有権関係の秩序というのは、そういう復帰前の所有権認定作業というものに基づく所有権証明書、それに基づく登記というものが基礎になって復帰後に引き継がれているわけでありますので、われわれとしては、国有地につきましても当然同じような制度のもとに行われたそれぞれの土地所有権証明なり登記というものを尊重して、それを引き継いで国有財産台帳に掲載しておるということでございます。
  53. 大塚喬

    大塚喬君 質問答弁趣旨がかみ合いませんね。一つは、まあ琉球政府昭和二十六年四月一日に認定をしたと、こういうことですが、その認定ということが、法的に即所有権だと、こういうことにこれは直接的につながるものですか。具体的に、琉球政府がそういう所有権を仮に創設したと、昭和二十六年四月一日の段階で。そうなった場合に、その台帳に引き継ぐ場合に、これは当然その問題についてこういう重大な疑義が起きた場合、そのことについて疑義が起きた場合に、それに伴う調査をすべきではないですか。  それから、先ほど八重山の飛行場の問題については、旧軍が戦争が済んだら旧地主に返還をすると、こういう約束をして片方は返還をされておるわけであります。そういう約束が、これはもう当時の関係者のだれの口から聞いても、一人も例外なしにそういうことは確かに聞かされておりますと、こういうことを言っておるわけですが、あなたのそういう答弁については一言も触れられておりません。そこをひとつ、ともかく国が個人の所有権を強奪して国有財産台帳に載っけたからこれはもうだめなんだと、そういう居直った態度でなくて、ひとつ謙虚にこれらの問題についての国の態度を、少なくとも法治国家である日本のその方のいわゆる責任者でありますから、その点についてはひとつ虚心坦懐にお聞かせをいただきたい。誤りをどこまでも表に出すことなしに自分の責任を回避しようと、そういうようなことでなくて、ひとつこの問題に関して答弁をいただきたいと思います。
  54. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) 先ほど申し上げました戦後における所有権認定作業というのを、それによりまして所有権が新たに創設されたというふうにお受け取りになられましたようで、その辺、私の説明がちょっと正確でなかったかと思いますが、これは所有権認定とか確認作業と言われるものでございまして、いわゆる終戦前からの土地所有権関係を、いろいろな登記簿とかその他の公的書類が滅失してしまったので、戦後新たに確認するために行われた作業でございます。その確認の結果、ただいま問題になっております読谷飛行場につきましても、これは日本政府の所有地であると確認されて所有権証明書が交付されたということでございます。  それから、先ほど八重山につきまして、何か戦時中、戦争が終わったら返す約束のもとに返されたという土地があるというお話でございましたが、これは八重山ではございませんで、当時、これは西原飛行場のお話ではないかと思います。この西原飛行場につきましては、国有地が返還されたということではなくて、先ほど来申し上げます所有権認定作業の経過において、これは国有地でないという認定の結果国有地になってないということでございまして、返還されたとか、そういう関係の問題ではないわけであります。所有権認定作業の結果そうなっておるということでございます。
  55. 大塚喬

    大塚喬君 あなたのおっしゃることは、その町村長が認定書を出したと、このことを話の一切の基礎にされておるわけです。その市町村長の認定書、そういうものが一体、土地の所有権というものに即国の力だから変わることができるんだと、あなたのお答えはそういうことですよ。それなら、現に千七百五十筆という土地が現存して、現在もそれらの関係者のあちらこちらに、あそこの土地はだれさんの土地だ、そうだ、あそこに確かにだれさんの宅地があって、それからここにはだれさんの畑がありましたとか、相互にそういう確認する土地が、もう千七百五十筆の中にほとんど全部そういう土地が残っておるわけであります。ですから、あなたがそういうふうに強弁をされるなら、この一千七百五十筆余りのこの土地が、少なくともその一部分について売買契約書があるべきはずではないですか。この売買契約書があるなら、その一部でもいいからひとつこの委員会に、審議のもう必須条件として必要ですから、その売買契約書が一通でもあったら出してください。お願いいたします。
  56. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) 国有地につきましても、何もわれわれとしても、国の権力に基づきまして何が何でも国有地でないものをあくまでも国有地としてがんばるということではないわけでございまして、いわゆる沖繩本島における土地の所有権関係の秩序というものは、すべて国有地に限らず民有地、公有地を含めまして戦後における所有権認定作業を基礎に、それをもとにしてつくられました登記というものがもとになって出発しておるわけであります。それで、それについていろいろ異議あるものについては、それぞれの証拠なり何なりをそろえまして、所要の法的手続を経ていろいろそこに問題が解決されていくわけであります。われわれとしても、ですからいろいろな関係の資料の収集にさらに努めておるわけでありますが、現在までのところそれを覆すような資料が見当たらないということでありまして、そういう、いかなる資料があろうとも、何が何でも一たん国有地として認定されたものはあくまでも国有地でそれを訂正することができないんだと、こういう立場で申し上げておるわけではございません。とにかく戦後におきます最も公的機関であります、そういう琉球政府のもとにいろいろ市町村の土地所有権委員会というものが調査し、それぞれの市町村長というものが証明書を交付しておりますその土地所有権関係につきまして、これを覆していくには、それぞれの証拠なり所要手続を経ていかなければ、沖繩における一切の土地所有権関係の秩序というのは崩れてしまうんだろうと思います。そういう関係で申し上げておるわけでございまして、それで、むしろこの点につきましては法務省関係の方からお答えいただいた方がいいのかもしれませんが、先ほど来申し上げていますように、ただ登記関係というものも、戦後における登記というものが復帰後の登記として引き継がれておるわけでございますので、そういうことでわれわれは現在なお調査は続けておりますが、現在のところそういう読谷飛行場につきましてはそれを覆す資料はないと、国有地として正規に買収されたものとして考えざるを得ないということで、その確認作業の結果を引き受け、国有地として管理しておるということでございます。
  57. 大塚喬

    大塚喬君 いま大変素直な前段の答弁をいただいて、私もそうあるべきだと、こう考えたわけですが、法務省関係でどなたかお見えでしょうか。  いま問答があったとおり、昭和二十六年四月一日、そのときの沖繩の現状、これは占領下にあって、そして先ほど幾つかの字名を申し上げましたが、二ヵ字の皆さん方は、その字には帰ってもよろしいと、こういうことで、その他の方々は軍布告あるいは軍令によって捕虜収容所みたいなところに大部分収容されておったわけです。それから大阪や名古屋においでになった方、あるいは沖繩土地の所有権があってブラジルやその他南米諸国、ハワイ、こういうようなところにおいでになった方、それから戦争でたくさんの方が亡くなった、そういう方の分については、それらの立ち入りもできない米軍使用軍用地、こういう中で出されたその認定書、こういうものが即日本政府として日本政府の国有財産台帳に載せる、そういう国の所有権、こういうものに短絡的に移って、これが合法的なものかどうか、法務省としての見解をいただきたい。  いまお聞きのように、私は千七百五十筆余りの土地があったと、その土地について一通も売買契約書がないし、土地の売買の領収証も持っておらない。予算の支出の項目について、昭和十八年なら十八年、どういう予算の款項目の中で、どれだけの費用が沖繩の読谷飛行場建設買収費用のために出されておったんだと、こういうことの数字が明快になるならば、私はそれらの問題について国が、次長が主張されるようなそういう法的な根拠の一部は成り立つだろうと思うわけですが、何らのその根拠がなくて、単に国有財産であると、こういうことを繰り返し主張されておるということについて私自身も納得できませんし、所有権者、当事者、こういう人たちが納得できない話は当然だろうと思います。これらの問題が、戦後三十二年もの長期の期間にわたって国がそういう土地を占有し続けてきた、その使用されたあげくに国が所有権を強奪したようなかっこうで所有権の創設、こういうことまで発展することについて法務当局の見解をひとつ明快にお聞かせいただきたいと思います。
  58. 塩崎潤

    政府委員(塩崎潤君) 私もただいまの土地所有権に関しますところの御議論を拝聴いたしておりました。沖繩の特殊事情に基づきますところの法律技術的な問題でございますので、民事局長から法律関係につきまして御説明をさせていただきたいと思います。
  59. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 経緯は先ほど来御論議のありましたとおり、以前にまあわが国の施政権の及んでいない琉球政府がその法令に基づいて所有権の確認作業をやったわけでございます。それに基づいて民有地、国有地を問わず申請によって登記所が旧土地台帳を作製いたしまして、その際に市町村長の所有権認定証明書のとおり登録したわけであります。したがいまして、沖繩復帰に際して、わが国としましては当然琉球政府が法令に基づいてなされた作業でございますので、まあそれを尊重するのが当然のことだろうと思うのであります。したがいまして、登記簿にいたしましてもそのままの形でわが国の登記所が引き継いだということに相なるわけでございます。  で、まあ一般論として申し上げますと、これは民有地、国有地を問わずのことでございますが、現有の登記簿、技術的なことでちょっと細かな話になりますけれども、発記簿には表題部、甲区、乙区というのがございまして、これが一組になって一つの登記様式になっているわけでございます。現在沖繩の登記簿の中には、国有地は恐らくそれだろうと思いますけれども、この表題部だけがつくられておりまして、いわゆるその所有権の保存の登記がされていないものもあると思うのであります。そういう表題部だけがつくられている、つまり所有権の保存登記がされていない不動産につきましては、その表題部に市町村の固定資産税の徴収のための、つまり納税義務者を特定するために所有者を記載してあるわけでございます。この所有者の記載は、当然登録するときには登記所におきまして資料を出していただいて所有者を認定して登録するわけでございまして、問題の土地は、以前に出された所有権認定証明書というもので琉球政府が登録したわけでございますけれども、それをそのまま引き継いでいるわけでございます。そういう状態のときに、現在のわが国の登記法の扱いでは、表題部に書いてある所有者は実は間違っているんだというふうな場合にそれを訂正する手続があるわけでございます。この訂正手続は、現にその所有者として表題部に書いてある人が、まことにこれは自分のものでなくて、甲野太郎なら甲野太郎のものだということを承諾しておられるような場合には、これは問題ありませんのでそのとおり訂正をするわけでございます。で、もしもその表題部に書いてある所有者と真実と称する所有者との間で所有権の帰属について争いがあるというふうな場合には、これは登記所が断定的にだれのものだということを認定することはいささか不都合でございますので、そういうときには、結局のところ裁判所におきまして所有者がだれだということの判決をしていただく、その判決に基づきまして所有者を訂正する、こういうふうなことになるわけでございます。したがって、仮に現在登記簿に国有地というふうになっておるものも、自分のものだということを主張する方が、相当のまことにそのとおりだという認定資料を提出して、そこで財務当局がこれは国のものでないというふうに判断される場合には、いま申しましたような登記所限りでの訂正の手続ができると。ところが、それだけの認定資料がないというふうなことになりますと、財務当局においても、そういう申し出があるからといって、簡単にこれはあなたのものだと言うわけには恐らくまいらぬと思うのでありまして、結局のところは、裁判所において所有権の帰属を判決で決めてもらう、それによって登記所の方は所有者を訂正する、こういう手続になるわけでございます。したがって、登記簿の表題部に所有者として登記されておりましても、それが争い得ないいわば確定的な所有者というふうな意味合いは一つもないわけでございまして、争いの余地は十分法的には残っておるわけでございます。
  60. 大塚喬

    大塚喬君 強引に国の所有権だと、こういうふうにもう強弁をされる形でなくて、裁判やったらどうか、そういう手続もありますよと、こういうことの筋道、それはごもっともと思います、私も。ですがね、今度は一方、国が先ほど申し上げたように所有権を証明する何物も現存しない。それから証人に聞いても、そういうことについて私はどなたか、具体的にいつどこでだれがどういう証言をしたのかということをお尋ねしたんですけれども、そのことについてもお答えいただけない。  で、この民法関係について重ねてお尋ねをいたしますが、現在国有財産台帳に載っておりますのは二十四筆、二十四筆になっておりますね。私が調査をしたところによれば、国有財産台帳は二十四筆にまとめられておる。法務省にお尋ねをいたしますが、国有財産台帳に記帳される、こういう場合には、当然その以前の所有権の問題についても記載されなければならないはずだ、私はそういうふうに理解をいたしておるわけですが、現実に、昭和十八年当時一千七百五十筆余りの土地があって、その土地昭和二十六年四月一日になったら二十四筆になっておった。こういうことになるとすれば、この土地の合筆登記、これの手続がなされなければ一千七百五十筆の土地台帳が二十四筆にまとめられるはずはないんだと、私はこういうふうに理解をするわけですが、そういう完全な手続が、——初めひとつ大蔵省いいですか、一千七百五十筆が二十四筆に合筆された、こういう証拠がございますか。  それからもう一つ、そういう手続がなされておる、こういうものならば、一応法務当局としても、これらの問題についての法的な根拠が一部明らかにされたと、こういうことになると思うわけですが、私がそういうことを申し上げるのは、実際にそういう裁判を当然やらなければならない人の中に、たくさん死亡者も戦死者も出ておる。ハワイやあるいはブラジルなどにたくさん行っている方もいらっしゃる。こういう現状の中で、裁判という法的に許される、こう言うことは実情に全くそぐわない。そういう法的なお話をいただいて、それらのことは現実には不可能だということの中から、私は、この国会で正規に物的な証拠を相互に出していただいて、そしてこれらの問題の決着を進めよう、こういう念願のもとにいままで質問を続けてきたわけです。  一連の私の発言に対して、初めに大蔵省から、その次、法務省から御答弁をいただきたいと思います。
  61. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) ただいま、旧読谷飛行場の国有地が現在は二十四筆になっておるというお話ですが、これは先ほども申し上げました、戦後における所有権認定作業の結果の所有権証明書が、各地番ごとに発行、交付されておる、その所有権証明書に応じて二十四筆に登記されておるということでございます。
  62. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 戦争土地台帳、登記簿が全部焼失いたしましたので、従前何筆になっておったかというふうなことは一切わからないわけでございますが、したがって、先ほど申し上げましたように、昭和二十六年の市町村長の認定作業に基づきまして、申請があった都度それに基づいて土地台帳をつくっていったわけでございますので、したがって、それが果たして、戦前における何筆を市町村長が一筆として認定したのかどうかということは一切登記所ではわからないわけでございます。  それと、一つ国有地が問題になっておりますので申し上げますが、終戦前におきましては、御案内のとおり、国有地につきましては土地台帳法の適用がなかったわけでございます。したがって、土地台帳には国有地は登載されておりませんでしたので、厳密な民有地における筆というふうなものは、実は国有財産台帳限りのものであったわけでございますけれども、その辺のところがいま御論議になっておる問題とどう絡むのかちょっとつまびらかにいたしませんけれども、そういう関係にあったことだけつけ加えて申し上げておきます。
  63. 大塚喬

    大塚喬君 重ねて法務省にお尋ねをいたしますが、いままでの論議の経過で、国として、国有地として現在所有権を保持する、そういう根拠が何一つなかったということは、いま何度聞いてもこれは昭和二十六年四月一日の市町村長が発行した認定書、この認定書が出された時代的な背景、当時の沖繩の現況、こういうものは、お考えいただいただけでもわかると思うわけですが、そういうことが、ここで提出をされない。そして、その後の合筆やなんかの手続についての資料もあるかと、こうお尋ねしたところが、そういうものがないということで、これらの関係をこれは法務省として現地調査をし、それらの実情を把握の上に、国としての非合法的な強奪をしたようなそういう土地の所有権を、今後永久に国が守り抜くんだと、こういうことを法務省としても至当とお考えになるのかどうか。そこのところをひとつ法務省の見解をお聞かせいただきたいと思います。
  64. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 先ほども申し上げましたように、やはり一般論としては、琉球政府が法令に基づいてなされた作業の結果でございますので、一般論としては当然それを尊重するのがあたりまえのことだろうと思うのであります。ただ、個々のものにつきまして、その認定作業の経緯等から考えまして非常に疑問があるというふうなものにつきましては、改めていろいろの資料を収集するなりして、再度それを確認的に所有権の帰属を決めるというふうなことは、これはちっともやっておかしいことではないわけでございまして、財務当局も恐らくそういう疑問が非常にあるものについてまで、これは絶対国有地だというふうなことを考えておられるわけではないわけでございます。  ただ、市町村長の証明というものが、これは土地の所有権の帰属というのは、やかましく言えば神様の目からしかわからないものでございまして、しかし、いわば琉球政府が法令に基づいてやられたことというのは、頭からこれは信用置けないものだというふうに考えて処理するというのはいかがなものかと思うのでありまして、やはりそれを基礎にいたしまして、それを覆すと申しますか、疑問が生ずるいろいろの資料がありますれば、改めて認定をやりかえるというふうなことは当然すべきことだろうと思うのであります。
  65. 大塚喬

    大塚喬君 私は、いま正当なものであれば、こういうふうな仮定の答弁があったわけですが、この昭和二十六年四月一日の村長の認定書、ともかく現実にいない人がたくさんいたわけですから、そういうものが正当なものであるかどうか、これはもう一村挙げていまこの問題の解決のために、この土地の返還を要求して立ち上がっておるわけであります。ですから、そういう事情の中で、ともかく私がここで重大な疑惑がある、国の所有権、こういうことについて訴えをいたしたわけですから、法務省としてはこれらの問題について速やかに調査をされるお考えがあるのかどうか、そして事実関係の正当性、そういうものについて調査をされるお考えがあるのかどうか、その点をお聞かせいただきたいと思います。
  66. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 法務省といたしましては、さようなお説のような調査をする権限がないと申しますか、所管のことではないわけでございますが、やはり所管の財務局と民間の間で、そういう所有権の帰属をめぐってのいろいろの争いがございますれば、法務省といたしましては側面的にできるだけの協力はいたしたい、円満にと申しますか、妥当な解決をやられるようにはできるだけ協力はいたしたいと思いますけれども、法務省が独自の権限で調査して決めるというふうなことは、ちょっと所管としてはできないことでございます。
  67. 大塚喬

    大塚喬君 大蔵省にお尋ねをいたしますが、あなたの答弁、いままで大分居直った形での答弁を続けられましたが、ここまでの経過に至る大蔵大臣あるいは総理大臣、こういう方の答弁とあなたの答弁は食い違いはございませんか。
  68. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) たしかこれは衆議院予算委員会であったと思いますが、この問題が御審議され、大蔵大臣、総理大臣からも答弁されているわけであります。それで、その際、まあいろいろさらに調査してみて、現在の国有地であるという、それを覆すいろいろな証拠があれば、それは正すべきは正すというふうに答弁されていると思います。で、私も先ほど来申し上げていますように、何が何でも一たん国有地になっておるから、新たないかなるこれを覆す証拠が出てきてもそんなのは受け付けないと、こう申し上げているわけではございません、先ほど来民事局長の方から答弁がありましたように。ですから、現在の国有地としてなされております登記を覆す物的資料、明らかなる物的資料が提出され、所要手続を経て、これが国有地でないということになりますれば、われわれとしてももちろんこれを国有地でないことにして国有財産台帳から落とすということは当然だろうと考えます。ただ、それは要するに、はっきりした証拠に基づいて所要の法的手続を経てなされませんと、国有地を管理する者としては、単にそういう地元の声があるからといってそういうふうにいたすわけにはまいらぬということを申しているわけでございます。
  69. 大塚喬

    大塚喬君 人の土地に居座って、人の家に居座って、文句があるなら具体的な資料を持ってきなさいと、国がですよ、そういう傲慢不遜の態度で日本の国政を、そしてこの問題の解決を、のほほんと構えておられるその大蔵官僚の皆さん方の私はそのセンスに重大な不満と疑惑を持つものです。ともかく、前回の予算委員会での答弁では、速やかに調査をすると、こういうことを大臣答弁をされておるんですから、具体的にどういう調査をされたのか、その調査の結果をひとつここではっきりお聞かせいただきたい。
  70. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) この関係の調査につきましては、復帰後、まあ昭和四十八年当時より実施しておるわけでございます。ただ、先ほど来申し上げていますように、本島につきましては、その物的資料というものが戦火によって滅した関係上余り収集されておらないわけでございます。ただ、われわれとしてもさらに今後調査を続けるということで、衆議院予算委員会でああいう御質疑が行われた後、いろいろ担当課長を現地に派遣しまして、さらに現地の総合事務局の財務部に対して、こういう点をさらに詳しく調査する、それから、こういう当時のいわゆる所有権認定作業というものが新たにいろいろ問題になっておりますので、その後それに関係されました当時の琉球政府の関係者等の意見もさらに聞いて、なお調査を進めるということをいろいろやっておるわけでございまして、ですから、文句があるならそちらから出せというような決して居直った態度でおるわけではございません。こちらの方としてもその後なお調査を続け、はっきりした資料があればそれに基づいて訂正すべきものはするという態度でおるわけでございます。
  71. 大塚喬

    大塚喬君 私が申しておるのは、個人個人のその日その日の生活に追われておる沖繩の読谷村民の人たち、こういう人たちに、全部一切合財資料を用意してそれで持ってきなさい、そしたら国がそれがもっともだということならあなた方に返しますよと、あなたの答弁は一貫してそういう態度で終始されておるわけです。で、これらの問題について、ですから私がもうしつこく再三にわたって、それらの国の所有権を証明する手続なり文書なり予算関係なりあったら出してくださいと、こう言っておって、それに対してあなたは一つもそういう具体的な答弁を私にいただけなかったわけであります。ですから、その担当課長を派遣した、沖繩の開発庁にあるいはおいでになったかもしれません。一体どなたがいつ沖繩においでになって、どういう作業をされて、そしていま私にお答えいただくような答弁をされておったのか。これから先、この問題、私が国会でこれだけ熱心に、国の所有権問題について重大な疑義がある、これは沖繩の読谷の村民の皆さん方の所有権が依然として残されておる、そういうことを指摘した、そういうことに対して国としてどういう措置をもって、そういう沖繩の県民の、読谷の村民の要望におこたえをされるのか、そこのところ、誠意ある国の態度をこの件に関してひとつ最終的なまとめをお答えいただきたいと思います。
  72. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) どうも私の言葉が足りないためか、依然として何か大蔵省は居直った態度でおるというお言葉でありますが、先ほど来申し上げていますように、決してそういうことではございませんで、何分にも土地の所有権の関係の問題でありますので、われわれとしてもいろいろ資料の収集にさらに努力し、はっきりした資料を得ればその正規の手続を経て訂正すべきものは訂正するという気持ちでおることは間違いないわけでございます。それで、その後現地に行きました担当課長がこの席に見えておりますので、何でしたら担当課長の方から、どういう話を当時どこどこと打ち合わせしてきたというふうなことをお答えさしていただきたいと思います。
  73. 大塚喬

    大塚喬君 今後この質問に対して、この重大な疑惑に対して国がどういう積極的な措置をされるのか、そこのところを重ねてもう一度お答えをいただきたい。どうするつもりですか、この質問だけで、これで後ほっぽり投げる考えですか。
  74. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) 先ほど来申し上げましたように、担当課長をさらに派遣しまして、いろいろ沖繩県なり総合事務局なり、それから防衛施設庁、施設局の関係者とも打ち合わせをしておるわけでございます。それで、いろいろ従来も資料の収集に努めておりますが、今後さらに法務局関係等の協力も得まして、いままでは主として戦争中における旧軍の売買を証明する書類を収集するということを中心に行ってきたわけでありますが、いろいろさらにその土地所有権、戦後行われました土地所有権認定作業というものについて、いろいろ疑惑が出てきているということもありまして、その土地所有権認定作業に従事した村なり字の委員、司法書士等について、当時の事情聴取なり関係資料の収集ということに重点を置いて、さらに調査を進めたいと、こう考えておるわけでございます。
  75. 大塚喬

    大塚喬君 さらに事情を調査したいと、こういうお答えですが、上の方の直接関係者でない各官庁の機関、こういうところだけ行って、それでもう事終われりということでお帰りになったのでは、この問題の解決はこれは永久につきません。現地に行って、もう十日でも十五日でも泊まり込んでいただいて、そしてそれらの関係者と十分にお話しいただく。それから、当時の大蔵省ですから会計諸帳簿、こういうものをお調べい出ただけば、その台帳なりあるいは証憑書類なり、土地の売買した代金の受領証なり、こういうものが必ずあるはずです。そういうものがあって、あなたが国有地だという根拠を国会のここで証明いただくならば、これらの問題について一番早い解明につながるものと思うわけですが、そういうものがない限り、現に沖繩の関係者の全員が、地主の関係の皆さん方が、これは土地の代金は受け取っておらない、受け取ったのは青作の補償料あるいは移転費、こういうものは確かに受け取りました、こういうことを言って一人の例外もないのですから、そこらの問題をひとつ国が誠意を持って、国が違法に個人の所有権を強奪するような、そういうことはこの日本の国の行政の中であってはもう万々ならないことだと思いますので、この点についてひとつ速やかに、その調査の結果、そして国がとるべき措置、こういうものを本委員会にひとつ期日を切って、いつまでに答弁をいただけますか、そこのところを明確にしていただいて、私の質問を一応終わりたいと思います。この件に関しての質問を終わります。
  76. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) 先ほど来申し上げていますように、沖繩本島につきましては、戦火によりましていろいろ資料が滅失しておるわけであります。そういうことで、さらにいろいろ申し上げましたように、関係方面に当たって資料の収集に努めることにしておるわけでありますが、それをいつまでにと言われましても、事柄の性格上……
  77. 大塚喬

    大塚喬君 誠意がないよ、そんな返事では。
  78. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) なかなかお約束できないわけです。われわれとしても十分誠意を持って、努力してこれを調査を進め、その証拠に基づいて所要措置を要するものについては措置をしていくと、こういうふうにお考えいただきたいと思います。
  79. 大塚喬

    大塚喬君 この件に関しては後ほど大臣の出席いただいてから。(「保留」と呼ぶ者あり)
  80. 増原恵吉

    委員長増原恵吉君) これにて午後七時まで休憩いたします。    午後六時三分休憩      ——————————    午後七時十分開会
  81. 増原恵吉

    委員長増原恵吉君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、沖繩県区域内の駐留軍用地等に関する特別措置法案議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は御発言を願います。
  82. 大塚喬

    大塚喬君 先ほどの読谷飛行場の所有権の問題に関して、法務大臣、それから大蔵大臣、この両大臣の出席を願って、この問題の最終的な決着をつけて次の質問に入ろうと思ったわけですが、どちらも出ておらないので、一体、政府がこの国会審議に真剣になって参加をされておるのかどうか、私はそういうことに対して政府全体の誠意が全くこの委員会に対して示されておらないものと、そう受けとめざるを得ないものでございます。重要な法案審議ですから、どんなことがあっても、その出席をいやがって診断書を付して委員長のもとに送付をされて逃げを打たれる。少なくとも、日中ずっとおいでになっていただいたその大臣が、十分、二十分の時間の都合つかないなどというのは、政府が無責任きわまりない。そういう態度でこの本委員会審議を軽視しておると、こう見ざるを得ないものですから、あえて初めにそのことを政府当局関係の皆さん方に忠告をいたして、速やかなる善処を要望いたすものでございます。もし、この質問中に大臣の出席がいただけなければ、それらの問題の質問については保留をして、明日でもひとつぜひいまの問題に関する質問の決着をつけたい。(「決まった日にやればいいじゃないか」と呼ぶ者あり)それは失礼、失言。ともかく決まった日にひとつ改めて質問をさしていただきます。  で、先ほどの法務省民事局長答弁で、少し現地の実情と食い違った点がございますので、この点一点ひとつ改めて民事局長から見解をいただき、そしてそれに関連をして、大蔵省のこれは理財局ですか、理財局次長ですね、あなたからまたひとつ御答弁をいただきたいと思います。  先ほど民事局長答弁の中で、最終的には裁判で決着をつけたらどうかと、そういう一般論的な答弁をいただいたわけであります。ところが、これはあなたのお言葉の中に、まさに現状の裁判所の、いままでの所有権問題に関する裁判、こういうものを法務省の最高の責任者である大臣、これはぜひ大臣にお聞きしなければならないんですが、その当面の担当者である民事局長が、この現状と全く反する御答弁をなさっておるわけであります。通常、土地の売買、そして所有権の移転の証明、こういうものは買い主側にあるのではないですか。それを、国の方が村民に、その証拠を提出を求めてこれらの問題の決着をおくらしておる。この民事局長が村民にこの証拠の提出を求めておる法的な根拠は、一体何に基づいて民事局長はそういう答弁をなさっておるのか、ひとつこの点についてお聞かせいただきたいと思います。現実にこの公簿なり公図なりというのが焼失したり、あるいは戦争で軍によって埋められてしまった、そういう証拠物件が現存しておらないものの提出を要求する。これは権力も組織もない、そういう人たちにとって余りにも過酷な民事局長のお考えではございませんか。読谷の村民にそういうできないものを民事局長が要求するということは、これは民事局長自体が権力の横暴を読谷の村民に押しつけるものではありませんか。で、一般的な法律の構造、これは土地の売買の争いがあったときに、買い主が自分で買い受けて所有権を取得したと、こういう主張を通すためには買い主としてその買い取った事実、売買代金、それを支払った時日、そういうことについて主張し立証する必要があるというのが、これが法的な所有権に関するたてまえではありませんか。売り主側は売ったという、そういう事実はありませんよと、こう否認するだけでこれは裁判というものは成り立つ。所有権を移転した、移転された、こういう者にこそ立証の責任があるんではないですか。そうすれば、国が所有権を主張する、こういうことになれば、私が先ほどから要求をいたしております、確かに所有権を国のものにしたという買い受けの事実、買収の事実、こういうものの証拠物件を国がそろえて初めてこれが法的に根拠を有する。そういうものをあえて権力を振り回して、権力もない、組織もない、財力もない、そういう読谷の村民の皆さん方に国がそれを要求するなどというのはまことに過酷な、私は国としてとるべき道ではないのではないか、こういうふうに考えるわけであります。基本的に自己の所有に帰すべき、そういう主張を国がされるならば、それだけの立証を国が明らかにして、そしてこの問題についての決着をつけるべきだ。このことはやっぱりその最高の責任者である法務大臣と、特に国有財産を管理しておる大蔵大臣から明快な答弁をいただかない限り、これらの問題の決着も、今後の進展も一切あり得ませんものですから、これは後ほど出席いただいて、直接大臣から答弁をいただくことにいたしまして、いまの民事局長、それから理財局の次長から、いま重ねてお尋ねいたしました件について答弁をいただきますように要求をいたします。
  83. 香川保一

    政府委員(香川保一君) 先ほど申し上げましたのは、現に登記簿、国有財産台帳に国の所有ということで登記、登録されておるその土地の所有権の関係が争いになりました場合に、当事者間でその点を黒白がつかないというときには裁判手続で決着をつける以外にないと申し上げたのでありまして、本件に関しまして、旧地主と申しますか、あるいは国有地を争っておられる方から訴えを提起する以外に方法がないというふうな趣旨で申し上げたつもりではないわけであります。ただ、一般的に、ただいまの御質問のその主張責任あるいは立証責任の問題、これは一般論として申し上げますと、現に公簿に国有地ということで登記あるいは登録されておるその所有権の関係を争う場合には、争う側で訴えを提起するというのがこれは本筋でございます。ただ、その場合に、もともと本件の読谷の問題は、飛行場建設ということで、旧地主から買収したということによる国有地ということの経緯でございますので、したがって、その場合に、裁判所がその具体的な事件の処理として、現在の登記簿あるいは国有財産台帳に国有地となっておるその経緯が、まさに琉球政府のもとで、その法令に従ってなされた市町村長の証明書が唯一の——唯一と申し上げてはあれでございますが、それが主たる資料でございますので、その資料の市町村長の認定作業そのものについて、どういう経緯でされたかというふうなことが当然問題になるわけでございまして、それが裁判所の目から見て、まあこれはそう断定するわけじゃございませんが、仮に非常にずさんなものであるというふうなことでありますと、事実上のその立証責任の転換というふうな問題が具体的な訴訟手続で生じてくると。そうなりますと、国の方は買収したということを国有の根拠にしておるわけでございますから、その関係の立証責任が生じてくる、かような経緯になるだろうと思うのであります。これはしかし、具体的なその訴訟の手続の中におきまして、いま申しましたような琉球政府におけるその市町村長の認定作業そのものについて、それを国有地の有力な資料とすべきでないというふうに考えられる場合のことでございまして、具体的にそのようなことになるかどうかはただいま断定すべきことでもございませんし、やはり私ども立場といたしましては、琉球政府の法令に従ってなされた作業そのものはやはり尊重すべきだという考えでおるわけでございますが、そういった構造になるわけでございまして、是が非でもその旧地主の方から、自分の所有権が現にあるんだということを証明しなければ、絶対に裁判手続に乗らないというふうなことを申し上げておるわけではございません。
  84. 大塚喬

    大塚喬君 大蔵省。
  85. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) ただいま法務省民事局長の方から御答弁がありましたとおりでございまして、われわれとしましても、もちろん裁判の場において、これは国有地とすべきでないという判断が下れば、これを国有財産台帳から落として国有地でなくするということは当然なことであります。それで、先ほど来申し上げていますように、復帰前、戦後行われました所有権認定作業なり、それからいろいろ、直接な物的資料ではございませんが、関係者の証言なり、それから戦火を受けなかった宮古なり八重山等で収集されました資料等から、われわれとしては正規に買収された国有地である、こう判断し、それから先ほど来申し上げていますように、その復帰前の登記をそのまま引き続いで復帰後の登記と、こうされておるわけでございますから、いろいろそれを覆す、もちろん必ずしも旧地主の方から出してもらわなければならぬということじゃなくて、われわれの方も先ほど来申し上げておりますように、大いに誠意を持って調査を進めているわけでございます。その結果、国有地でないという明らかな証拠が出てまいりますれば、当然これを国有地から落とすということは当然でございます。
  86. 大塚喬

    大塚喬君 先ほどから、ただいまの御両者の答弁に関して重大な偽りがその中に隠されておる。まあ偽りという言葉が適当かどうかはわかりませんが、真実の実情に即したそういう答弁とは受け取り得ない、そういう実情がございます。  で、民事局長に重ねてお尋ねをいたしますが、現地で、この土地の所有権に絡む裁判は現在幾つも行われております。そこで、その他の地域でそういうあれがあって、現地の裁判所関係の各機関のそろってとっておられる態度は、沖繩の場合には、先ほどからの話の中でも明らかなように、公図公簿も現存しておらない、裁判所としてはそれらの事実認定ができない、そして両者にいずれの裁判でも和解を勧告して、そしてそれ以外の例は一つもない、もう証拠のないものばかりですから。そういう現実が、沖繩のこの土地所有権の問題に関する裁判のいままでのそろっての例外なしのそういう経過になっております。そのことの事実を隠されて、一般論として裁判という方法がありますよと、こういうことをおっしゃっても、私の質問に対して、あなたがまじめに誠意あるお答えをいただいたと、こういうことにはなりません。この点に関して、一般論としてはあなたのお答えはりっぱかもしれません。それが当然かもしれません。現実には沖繩の場合にはそういうことは不可能だと、こういう事実の上に立って、民事局長としてはどういうお答えをいただけますか、重ねて答弁を求むるものであります。
  87. 香川保一

    政府委員(香川保一君) その当事者間で争いが解決しない場合に、わが国の制度といたしましては裁判手続で解決する以外にないわけでございます。その裁判手続におきまして、裁判所が具体的な事案に応じまして当事者に和解の勧告をする、当事者が和解で解決しようということでございますれば、裁判所が中に入りまして、いわゆる裁判上の和解ができるわけでございますが、私の立場から、さような裁判上の和解によって解決するのがいいというふうなことを申し上げるのは、これはいささか、司法権の関係でもございますし、あるいは当事者の関係でもございますので、そういうことが一番いいというふうには申し上げかねるわけでございますけれども、これは具体的な事件によって裁判所が和解で解決する方がいいということで、当事者もそれを了承されるなら裁判上の和解という形で解決する道は当然あるわけでございます。
  88. 大塚喬

    大塚喬君 もう一つ、これは法務大臣が出席をいただいてからもう少しそこのところを詰めたいと思いますが、理財局次長の先ほどの答弁、事実を隠されて答弁をいただいたということがございますね。それは、先ほど私は読谷飛行場の跡地の問題と、西原飛行場の問題を例に出してやったわけであります。その事実関係、その当時のバックグラウンド、これが、あなたはそのときに西原飛行場の方は資料があったから返還をしたのだと、こういう答弁をされました。ところがそのときの背景というのは、全く西原飛行場と読谷飛行場の場合には違っております。読谷飛行場の場合は、当時米軍の物資集積所に使用されておりました。米軍が有刺鉄線を張りめぐらして銃剣で日本人の出入を一切厳禁をして、そうして読谷村民の確認を一切認めなかった。確認の方法が全くなかった。そうしてそれらの土地は銃剣と戦車によって引きならされておって、有刺鉄線の外から読谷の村民がその土地の確認をする、こういうふうなことは一切の手段が失われて、そういう中で読谷の土地確認が行われたわけであります。そういう事実を、あなたは私の質問に対して一切隠されて、西原飛行場の方はそれが確認ができたから返還をしたんだと。事実確認ができないそういう読谷飛行場の場合に、これがその当時の村長からの確認書が出ないから国有地にしたんだと、こういう話の中身の答弁でしょう。そういう事実を隠されて、あなたが西原飛行場と読谷飛行場が相違があって、読谷飛行場は国有地になったんですよと、こういう答弁をされることは、これは本当に私はあなたの誠意に対して重大な疑問を持たざるを得ません。この事実関係の有無、そして読谷飛行場の地主関係のいわゆる土地の確認、こういう問題についての事実関係を明細に、明快にひとつお答えをいただきたい。
  89. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) 西原飛行場の問題については、私先ほど資料があったから返還したと申し上げたことはないと思うのであります。これは返還したわけではなくて、復帰前における所有権認定作業の結果、所有権証明書が、いわゆる国に国有地として交付されなくて、旧地主に交付された。だから、その結果民有地であると確認されたということでありまして、われわれが資料があったから国有地であるのに民間に返還したという性格のものではございません。ですから、そのように申し上げたつもりはございません。  それから、いろいろ、当時西原飛行場と読谷飛行場の実情がどうであったかということについて、その当時のことを私としては実情は承知しておりませんが、いろいろそういう違いはあったのかもしれませんが、それが認定作業の結果どのように影響しているのかということについて、われわれとしてはここでつまびらかにするすべもないわけでございます。
  90. 大塚喬

    大塚喬君 いまの理財局次長の答弁は、先ほどの答弁と相違いたしております。この問題に関して、先ほどの答弁の速記録を早急にひとつ私のところへ提出をいただけますようにお願いをいたします。  あのね、西原飛行場と読谷飛行場、あなた国有財産だと、国が個人の所有の土地をこう抱き込んで離さないということをおっしゃっているんですけれども、それらの根拠というのは、いわゆる昭和二十六年、一九五一年四月一日付で発行されている村長の認定書、これを土台にしてあなたはこれが国の財産ですよと一生懸命抱いているわけですね。そうでしょう。ところが、さっきお話ししたように、私があなたにもう一度わかってもらいたいために言うんですけれども、その読谷飛行場の場合には、当時朝鮮戦争のさなかで、この読谷飛行場の跡が物資の集積所で、ともかく銃剣で日本人が一切立ち入りができない。この土地の認定というのは、その前の段階でその旧所有者の確認、こういうものがあって初めて村長の認定書が交付されたわけです。西原飛行場の方は、これは自由に立り入りができたからあそこに木が一本あってあそこに川が流れておったから、あそこのところのこういう形のたんぼは、こういう畑は、この道路とあそこの木とこの川との間のここがあなたの土地でしたねと、こういうことで、その周りのそれらを認定するだけのそういう周辺の原点と申しますか、そういう条件があったから西原飛行場の方は村長が出した認定書というものが生きて、それらの認定書が国の台帳になって、それで素直に村民の人も全部納得をして返還をされたわけであります。ところが、その認定をする前の段階のいわゆる旧地主の土地確認、こういうものが、さっき申し上げたように、銃剣と戦車でガラガラと引きならされて、そしてそこへは一歩も踏み入ることができないで、あの朝鮮戦争の険悪な情勢の中でのこれらの読谷の認定書、あなたがこれが唯一の正当な国有財産の根拠だと、こうおっしゃつているものが、一体みんなを納得させるようなそういう説明になるのか。それから、あなたが繰り返しこれを覆すための資料を出しなさいと、一体その資料というのは何なのか、何をあなたはそういう読谷の村民に求めておるのか、そこのところをひとつ具体的におっしゃっていただけませんか。資料があれば資料があればということなんですが、その旧地主——旧地主というか、それらの人に説明をするためにどういう資料が一体あなたが要求している資料なのか、そこのところもひとつはっきりおっしゃってください。
  91. 吉岡孝行

    政府委員(吉岡孝行君) 戦後の所有権認定作業の行い方につきまして、西原飛行場と読谷飛行場についてはそれぞれの当時の実情が違うから、同じ所有権認定作業、その結果に基づく所有権証明書というものも、片方は信用できるけれども片方はどうだという点につきましては、何分、復帰前のことでありまして、日本政府が直接行った作業ではございませんので、それについてわれわれはそれをどう言う立場に現在ないわけでありますし、その資料も持ち合わせてないわけであります。ですから、その所有権認定作業に基づきまして、とにかく復帰前、琉球政府時代に土地の登記というものがなされ、それが復帰後引き継がれているわけでありますから、われわれとしては、それは引き継がれた登記に基づきまして、それを覆す資料がない限り国有財産としてそれを管理していかざるを得ないという立場にあるわけでございます。  それから、それでは反対の資料は何かと言われますと、それは一概に具体的にどういうものと、こういう資料があればどうだというわけにはまいらないと思いますし、それこそ裁判、先ほど来法務省の方からもお答えありましたように、裁判所においてまさしくそれが有効な資料であると認められるような資料が出てくれば、われわれとしてももちろんそれを採用して訂正すべきは訂正するということにやぶさかでないわけでございます。
  92. 大塚喬

    大塚喬君 ひとつ忌輝のない私の感じをあなたにお伝えいたします。  昔、封建時代に、お上の手数を煩わすなと。あなたのいまそのお答えいただいておる一貫した態度は、私どもが最も嫌悪すべき唾棄すべき官僚主義の見本、国の権力をバックにして、そして読谷の村民に対して強圧的に臨もうとしておる態度を終始一貫あなたは繰り返されておりますね。この問題は、やっぱり私は何が何でも大蔵大臣に出席を願って、そして大蔵大臣から、いまの議会政治、民主政治のあり方の中で、国の権力が犯した過ち、こういうものに関して、ともかく最高責任者から明確な答弁をいただかなければこの問題の決着がつきませんから、この問題に関する質問を留保させていただきます。強く私はそのことを警告をして、私が質問している、そして県民の意思、読谷村民の意思、それをじゅうりんして、そしてその逆さまの権力を振りかざした、そうして所有権を確保しよう、こういうことに対して私はがまんがなりませんから、大変御無礼をも省みず歯に衣を着せずにあなたに警告を申し上げた次第です。そういうことではとてもこの問題の決着はつきません。まあいまお聞きしますと、大蔵大臣が病を押して御出席をいただくということですので、いまの問題は、大蔵大臣が御出席の際に決着をつけたいと思います。で、この読谷の問題は一応ここで中途にして、次の問題に質問を進めます。  私は、先ほど申し上げたように、最近沖繩に三回現地視察を重ねてまいりました。そして四月に沖繩調査に参りました際には、米四軍の軍事基地、それから日本の陸海空の自衛隊の基地の見学も、幸いにして外務当局の便宜をいただいて実現することができたわけであります。新聞や雑誌で報道されております沖繩基地の実態、特に私が重大な関心を持ったのは、一体沖繩基地に核の保有があるのかどうかと、こういう問題、さらに在韓米軍、地上軍の撤退に伴って核兵器が沖繩に移される、こういうような問題についても、四軍の弾薬庫、これは一つの弾薬庫に百五十数マイルも幅十メートルぐらいのアスファルト道路がつくられて、百メートル置きぐらいに地下弾薬庫が建造されておる。それから五百ポンド、二千ポンドというような爆弾が一ヵ所に数百発ももう何十ヵ所かわからないほど野積みにされておる。そういうところは、米軍の関係者は私どもに喜んで案内をしてくれて、そういうことの説明をいただきました。私どもが最も関心を持っておったいわゆる核兵器の所在の有無について、もう向こうが初めから終わりまで説明の言葉を続けて、私ども質問の余地がないように、そして最終的に沖繩に核基地がありますかと、こういうことを尋ねましたところ、これは情報部長の、四軍ですから、大佐の方も中佐の方も少佐の方もおられました。そういう方が、そろって核兵器についてはアメリカ政府の方針としてこれは現地の明言すべきことではございませんと、こういう答弁で逃げられたわけでありますが、一ヵ所膨大な新しい弾薬庫の建設を、その土木工事をされておるところを見て、私はこれが韓国から移すという報道を報道機関がなしておりますその核兵器の移転の個所かなと、私個人なりにそういう推察をいたしました。  この核兵器の問題は、日本政府にとってもこれは重大な問題であり、国会としても非核三原則という基本的なものが確立をされておって、つくらず、持たず、持ち込ませずと、こういうふうなことであるわけでありますが、七二年の返還後、米軍基地は、私がそういう現地調査をいたしました際に——いまから数年前、復帰直前に私も参ったことがあります。そのときと比べて、依然として、強化をされこそすれ、この沖繩基地が縮小されたというようなところはみじんも見受けられませんでした。で、率直にお尋ねいたしますが、防衛庁長官沖繩に、これだけの日本国民の悲願、国会の非核三原則、こういうものの中にあって、この軍用地基地を確保する、こういう際に最大の関心事は、一体沖繩に核兵器が貯蔵されておるのかどうか、このことについて最も大きな関心を寄せておるところでございますので、防衛庁長官、施設庁の長官としてこの沖繩基地に核兵器が存在するのかどうか、この点について防衛庁長官からひとつ、あなたが一番日本の一億一千何百万の国民のうちでこの問題に関して詳細な実情を把握されておられる立場でございますから、日本国民のそれらの全信頼を集めておられる、そういう立場の方ですから、その三原防衛庁長官から、この私の率直な質問に対して明快にお答えをいただきますようお願いをいたします。
  93. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) お答えをいたしますが、核の問題につきましては、いま先生指摘のように、わが政府におきましては核三原則の方針を堅持をいたしてまいっておるところでございます。この政策は憲法にも次ぐという考え方のもとに、政策の実行をいたしておるところでございます。そこで、アメリカに対しましては、この問題は実は外務省からお答え願うことが適当かもしれませんけれども、私へのお名指しでございまするのでお答えをいたしておるのでございますが、核問題につきましては、アメリカにも外交筋からも明確に言ってございまするし、また防衛庁といたしましても、米軍に対しましては、日本の核三原則について十分意を通じておるところでございます。したがいまして、しかし、過去におきましてはメースBあたりの問題で沖繩に核が持ち込まれておりはしないかという、いろいろなそうした御指摘等もあったことも承知をいたしておりまするが、いま先生が御指摘のように、核問題については本当に日本はそうした厳しい政策を推進をいたしておるところでございまするので、私どももメースBの問題のときにもアメリカに照会をし、そういうようなことがあってはならないということで御注意も申し上げておるところでございます。したがって、この朝鮮からの核の引き揚げが、その核が沖繩に持ってこられるのではないかというような点につきましても、十分な警戒もいたしておりまするし、注意もしておるところでございます。私といたしましては、絶対にそういうことはさせてもなりませんし、してもいないということを信じておるところでございます。
  94. 大塚喬

    大塚喬君 核兵器、いまのお答えだというと、現在まで沖繩基地には核兵器は存在しない、それから在韓米軍の引き揚げに伴って、韓国にあると言われるその核兵器については、日本の沖繩基地には日本政府としては絶対に持ち込ませないと、こういう決意をこの国会で防衛庁長官として明らかにされたわけでございますか、改めてここを確認いたしたいと思います。
  95. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) いま申し上げましたのは、返還後のわが国の方針をお答えをいたしたわけでございまするが、今後におきましても明確に私はここで申し上げまするが、そうしたことを絶対にさせない、そういう点で注視をしてまいりまするし、またそうした対処もしてまいるところでございます。(「あるなしの点検を……」と呼ぶ者あり)現在は、いまあるなしを点検せいということでございまするが、そういう点につきましては、アメリカの基地に対するいろんなお約束もあるわけでございまするので、そうした注意、警告をし、向こうがぜひ見てくれというようなことにでもなりますれば、私どもはぜひそういう処置までとっていきたいと思うわけでございます。しかし、そういうことはなかなか行い得ない点もあると思います、核の問題につきましては。しかし、私どもはいま申し上げましたように、アメリカは絶対に信頼をしてほしいということでまいっておりまするので、私どもは信じてまいっておるところでございます。
  96. 大塚喬

    大塚喬君 大変防衛庁長官、私も長官のお人柄を好人物、まことに尊敬に値するお方だと拝見をいたしております。しかし、防衛庁長官が信ずるということの言葉、それの具体的なやっぱり裏づけをここで発表いただかないと、信ずるという言葉だけで、はいそうですかということで、私、不肖大塚喬三原防衛庁長官と同じように、三原長官が日本一の好人物、私大塚喬が日本の第二番目の好人物と、こういうふうに私自身はどうもそれほどお人よしではございませんので、いまのところあかしをひとつもう一度はっきりおっしゃっていただきますようにお願いいたします。
  97. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 先生承知のように、核問題につきましては、これは大統領自身が最終的には発言するというようなことがありますると、なかなか一般的には核問題については発言を許されていない、そうした取り扱いをいたしておるものでございます。そこで、私どもといたしましてもいま申し上げておりまするように、米国自体に対しても、あるいは米軍自体に対しましても日本の核政策については十分な日本の政策を知っていただいておるわけでございます。向こうもやらないと言っております。私どもも絶対にやってはいけないということを要請をいたしておるところでございます。そういう点で、ただ気持ちの上での信ずるとかというようなことでなくて、いままでもそうしたことで実際に具体的な折衝をしてまいっておるところでございまするので、その点については相互の信頼関係で日米の関係というものはこの防衛問題も取り組んでおるところでございます。お互いが信頼を維持していっておるところでございまするから、私はこれ以上具体的に、私どもがその弾薬庫を点検するとかいうようなことが許される立場でもございませんし、お互いがいま申し上げたように厳重な警告をし、相互の信頼で私どもは参ることがいままでの日米間の折衝の経過でございまするので、私はその点につきましては、相互信頼の原則でひとつ御理解を願いたいと思うのでございます。
  98. 大塚喬

    大塚喬君 防衛庁長官ね、あなたはともかく一億一千万の国民の全幅の信頼、そして負託を受けて防衛庁長官に就任をされておるわけであります。いまお答えいただいたその御答弁が単なる言葉だけでなくて、長官自身が現地に出向いて、そしてこれらの問題について事実を調査をし、そしてこの国会に、非核三原則という厳たる三原則が存在しておるこの国会に、国会での審議の中で質問がなされておるわけですから、現地調査をなさった上で、ここで改めてその報告をいただけますでしょうかどうか、長官のお答えを承りたいと思います。
  99. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 先生も御承知のとおりでございまするが、米軍基地内を私ども調査をするというようなことをお約束をすることはできません。何回も繰り返すようでございまするし、核の問題はわが国の核三原則を十分アメリカは徹底さしておりまするし、また米軍にも徹底さしておるところでございまするので、相互信頼の原則は守っていきたいと思うのでございます。
  100. 大塚喬

    大塚喬君 大変、大臣うまいことをおっしゃっると私も敬服をいたします。ただ、それが信頼をするという言葉、それから強く要請をするという言葉、そういうことでこの問題が済む問題、そういう簡単な問題ではないことは長官自身が篤と御承知のはずでございます。ですから、日本国のこの最高責任者の長官が、防衛庁長官が、米軍にその調査を申し込まれて、相互に信頼関係のある日米両国政府の間で、これはほかの人ならいざ知らず、防衛庁長官がそのことに関して私は調査できない、そういうふうなことをここでお答えになるそのことの前に、長官自身がそういう誠意と努力をここで示される、披瀝されるべきが至当ではないか、こう考えるわけであります。この点については次の質問関連をしてひとつお答えをいただきたいと思います。  沖繩の復帰は本土並みということをたてまえにして、当時の政府が、日本国民にもそういう宣伝をして沖繩の復帰が五年前になされたところであります。ところが、この返還の時期に、御承知のように防衛庁は第四次防衛計画、四次防計画の作成過程と同時にこの沖繩復帰の作業が行われたわけであります。そこで、陸海空のわが自衛隊の基地内も私調査をいたしたところでございますが、この沖繩基地全般にわたって政府が公表して国民に公約をした本土並みの復帰、そして具体的には本土にも幾つかの基地が現存いたしております。この沖繩基地は、防衛庁長官として、本土の基地と同様な、そういう現存する基地の状態にあるのかどうか、率直なところをひとつ防衛庁長官から明らかにしてほしいと思います。本土の基地沖繩基地、これが全く本土並みの政府の言っておるように同様な、そういう基地の存在かどうか、ひとつお答えをいただきたいと思います。
  101. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 先生指摘の核抜き本土並みという言葉でございますが、私自身もあの当時のことを思い出すわけでございますけれども、核は、先ほど申しましたように、沖繩復帰以後は、核は絶対にひとつ疑いを持たれるようなことのないようにしてほしいという要請をいたしてきておりまするし、先ほども御回答申し上げましたように、沖繩には核がないということを私どもも信じ、またそういうことを要請をしてきております。  そこで、本土並みということにつきましては、いま先生の御質問が、この基地の数、あるいは基地の広さ、そういうものの配置というようなものが本土並みというようなふうになっておるかどうかという御質問なのかどうか、その点がよくはっきりいたしませんけれども、あの当時言われましたことは、とにかく核抜きであることはもう絶対にそういうようなことでございます。本土並みに行政水準を上げたい、あるいはそうした生活水準なり基地に対しまする処置等についても、そうした本土並みの体制をとろうということで申し上げられた言葉と思っておるのでございまするが、しかし、実際に基地の配置状態が本土並みではないではないかと言われますれば、私どもも非常に過重な負担をおかけをいたしておる、そういう受けとめ方をいたしておるのでございます。
  102. 大塚喬

    大塚喬君 沖繩へ参りまして、沖繩の抱いておる特殊の問題、数々私も自分の目で、はだで沖繩の現状について感じ取ってまいりました。で、沖繩の人の言葉、たくさんの方たちとお会いをしたわけでありますが、沖繩における諸悪の根源は、沖繩における基地の存在が諸悪の根源である、沖繩の大多数の県民はそういうことを私どもに切々と訴えておるわけであります。ですから、日本のこの東京やあるいは山梨県や青森県にも基地があります。そういう人たちの語る言葉と、沖繩の県民の皆さん方の語る言葉には、私は本土並み復帰と、こう政府が公表されてまいりました事実とずいぶんの違いがあるなと、沖繩の人に、小指を切り捨てて、その痛みを沖繩の人たちだけに背負わせて、そして本土の人たちがのうのうとしておる、そういう胸のうずくような痛みを私自身が感じたから、そういう質問をいたしたところでございます。現実沖繩へ参りまして感じますことは、この基地の存在、その基地の存在が朝鮮半島にすべて標的が向けられて、沖繩米軍の訓練基地としての沖繩基地が現在強化をされつつある。そして、それの補完部隊として日本の自衛隊、これが配置をされておる。これが私の率直なこの四月に三日間沖繩の軍事基地調査したそういう結論で、沖繩の県民の皆さん方もそういうことをみんな口をそろえて申されております。  で、一つ具体的にお聞かせをいただきますが、本土——沖繩を除いた本土、沖繩、韓国、いま現在の陸海空、海兵隊、この配置状況はどういうふうに日本政府として把握をされておりますか、この最も新しい現況について報告をいただきたいと思います。
  103. 伊藤圭一

    政府委員(伊藤圭一君) 日本におきます現時点の米軍の数でございますが、本土におきましては、現在全体で一万六千五百人でございます。陸軍が千五百人、海軍が四千人、海兵隊が五千人、空軍が六千人という数でございます。  沖繩におります米軍は約三万一千でございます。陸軍が二千五百、海軍が二千五百、海兵隊が一万七千五百人、空軍が八千五百人という内容でございます。  さらに韓国につきまして申し上げますが、在韓米軍は現在約三万九千百人でございます。で、その内訳は、陸軍が約三万一千七百人、海軍と海兵隊合わせまして約三百人でございます。空軍が約七千百人、以上が在韓米軍、在日米軍の日本本土及び沖繩の配置の状況でございます。
  104. 大塚喬

    大塚喬君 防衛庁長官にお尋ねをいたします。  在日米軍の配置の現況をただいまお答えをいただきましたが、先ほどの本土並み復帰ということに関連をして、いまパーセンテージがお聞かせいただけなかったわけでありますが、いわゆる在日米軍のどれだけが沖繩基地に駐留をされておりますのか、そして、この在韓米軍の地上軍の撤退ということが、今後沖繩基地の強化、こういうことにどういう変化をもたらすものか、その見通しについて防衛庁長官として、今後のそういう推移を含めてひとつお答えをいただきたいと思います。
  105. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 数字的な問題につきましては、後から防衛局長からお答えをいたさせますが、在韓米軍の撤退に伴って沖繩基地との関係でございまするが、これはすでに先生承知だと思いまするけれども、引き揚げてまいります陸の部隊というのは沖繩には配置をしないということを言い続けてきておるのでございます、米軍は。空の問題につきましては、同じ第五空軍の傘下に沖繩の部隊も在日空軍も在韓空軍も一緒でございまするので、その点につきましては行き来も頻繁であることは御承知のとおりでございまするが、この点につきましては現状の体制でいくであろうと思いまするけれども、引き揚げてまいります陸の部隊というのは、これを沖繩に配置をするという考え方はないということを承知をいたしております。したがって、特に韓国から米軍が引き揚げて沖繩基地が大きく強化されるとか、変化をするというようなことはないものだと考えておるのでございます。
  106. 伊藤圭一

    政府委員(伊藤圭一君) この数の上からまいりますと、沖繩の方が本土に比べまして、いま申し上げましたように約倍ぐらいの数になっております。その本土と主な違いといいますのは、先ほどの数字でも御説明いたしましたが、海兵隊が多いわけでございます。これは第三海兵師団というのがございまして、本土には海兵隊関係では岩国の航空隊が中心になっておりますが、その関係で海兵師団がございますので、海兵隊の数が多くなっておるわけでございます。  なお、そのほかには、空軍が日本におきますよりもやや多くなっておりまして、三千人ばかりふえているというのが現状でございます。
  107. 大塚喬

    大塚喬君 その問題に関しては後ほどまた質問を継続いたしますが、この基地問題に関連して先ほどからの私の質問、これは地籍に関する質問に集めて質問をしたところでございますが、基地の存在というのがこの地籍を困難にしておる最も大きな原因であると。もちろんその前の沖繩戦というあの悲惨な惨禍がもとになって、それから多年の米軍基地使用ということが原因になって地籍の確定ということが現在困難になり、不可能になり、今後このままで放置すれば永久にこの問題の解決は不可能であると、こういうことで、政府も今度改めて修正案提出されたものと考えるわけでありますが、自治大臣おいででしょうか。自治大臣にひとつお尋ねをいたします。  先ほどからの答弁の中で、本土の国土調査法に準拠した土地調査法を制定し、これは当時の琉球政府でありますが、一九六〇年、その再調査に基づいて土地台帳の作製作業をやったわけであります。それは返還時まで琉球政府によって続けられたところで、十五年間にわたる作業の結果、一応軍用地以外の約七割の土地については土地台帳を実現することができ、あとの三割が残っておると、こういう現状であることを私も承知をいたしております。で、この土地は、軍用地を中心にして、沖繩戦やあるいは米軍の強制的な土地収用、これなどの原因によって土地の原形が全く破壊をされ、国土調査法による地勢調査地籍調査、これが困難な地域が残っておる。その地域を特殊地域と沖繩皆さん方はおっしゃっております。この特殊地域の現状、実態、その分布状況、これが現状どのようになっておりますか、この地籍法の審議基地審議の問題に関して大きな問題点でございますので、この点をひとつ自治大臣から明確にしていただきたいと存じます。
  108. 小川平二

    国務大臣(小川平二君) 私に対する御質疑でございますが、実はこの問題は自治省の所管ではございませんので、開発庁の所管でございまするから、願わくば開発庁からお聞き取り願います。
  109. 大塚喬

    大塚喬君 ただいまの質問について、開発庁長官から答弁を求めたいと思います。
  110. 亀谷禮次

    政府委員(亀谷禮次君) お答え申し上げます。  沖繩が返還の時点におきまして、沖繩開発庁といたしましては防衛施設庁及び沖繩県当局と協議をいたしまして、返還時点におきましては、いま先生指摘のように、復帰までにかなりの地域の、いわゆる本土におきますと国土庁が所管をしております国土調査法に基づきます国土調査もかなり実施をしてきたわけでございますけれども、御案内のような、境界を非常に明確化するために困難な地域につきましては、返還の時点でその地域がどの程度、面積にしてどのぐらいあるかということが明確になっておらなかったわけでございます。この点につきまして、いま申し上げましたように、復帰の時点におきます沖繩県当局及び私ども開発庁並びに防衛庁で協議をいたしました結果、復帰後二年にわたりまして緊急に調査をいたしましたところ、おおよそでございますが、現在、復帰後に返還をされた地域を含めまして、いわゆる防衛施設区域対象の中にあります不明地域が約百二十一平方キロ、それから復帰前に返還をされた基地を含めまして、いわゆるわれわれが民地と申し上げております地域が約二十平方キロある、こういうことが判明をいたしたわけでございます。
  111. 大塚喬

    大塚喬君 この特殊地域について、具体的にいわゆる返還後どういう措置をとってきたのか。それから、沖繩へ行って私どもが非常に本土の風情と違うことは、ともかく土地改良事業、それから宅地造成事業、こういうものがめちゃくちゃだと、これはずいぶんひどいなということを、もう行った途端にそういうことを感ずるわけであります。この特殊地域を含めて、沖繩における土地改良事業、宅地造成事業、公共道路事業、これらの計画の現況はどうなっておるのか、その実態についてお聞かせをいただきたいと思います。
  112. 亀谷禮次

    政府委員(亀谷禮次君) 御質問が二点にまたがっておりますので、あわせてお答えをいたしますが、まず復帰後の、御質問にございますいわゆる境界不明地域と言われますものについて、政府としてどういうふうに対処してきたかというお尋ねについて初めにお答えをいたします。  ただいまも申し上げましたように、復帰の時点におきましては、琉球政府におきましても、いわゆる境界不明地域というものがどの程度の規模で実在をしておるかということが正確に把握されておらなかったわけでございます。まず、われわれは、このいわゆる不明地域の調査を行うにつきましては現況の把握をいたす必要がございますと考えまして、先般申し上げましたように、防衛施設庁及び県及び私どもが国土庁とも協議をいたしました結果、国土庁の判断では、いわゆる国土調査法によるところの一般的な国土調査にはなじまないと、こういう御意見もございまして、種々協議の結果、この地域につきましては、いわゆる復帰後の返還基地を含めまして、防衛施設区域につきましては、この区域が現に防衛施設当局において管理をされておる、しかも日常これらの土地所有者の方とのおつき合いが非常に深いわけでございますし、かたがたこれらの基地が返還になります場合の復元補償等の問題もあるわけでございますので、いわゆる基地関係の不明地域につきましては、防衛施設当局がこの調査及び措置に当たる。残りのいわゆる局地におきますところの不明地域につきましては、私どもが県といろいろ御協議をした結果、いわゆる民地の不明地域につきましては開発庁が当面所管をいたしまして、所要予算を確保するとともに、現地におけるこれらの実施につきましては、復帰の時点まで長年月にわたりまして琉球政府に置かれておりました土地調査庁という組織がございましたので、これらの有能な職員の方々の御協力をいただくということで御承認をいただきました結果、自来沖繩県に置かれましておりますところのこれらの機関を活用させていただきまして、いま申し上げましたような概況の調査を進めてきたわけでございます。その結果、ただいま申し上げましたように、民地におきまして約二十平方キロ、軍用地におきまして約百二十一平方キロの該対象地域があることが判明をいたしたわけでございます。  その後これらの土地明確化をどのようにするかということでさらに協議をいたしました結果、これらの作業につきましては、結局国土調査法に準じた形で行いまして、この結果を現行国土調査法によりますところの認証を得るということが最も合理的かつ妥当であろうと、こういうことに相なったわけであります。  この後民地につきましては、県と御相談をいたしました結果、県当局で所要の実施要領を定めていただきまして、これらの措置を前提に五十年から本格的な調査に着手をいたしました。まず当初は、御案内の西原村でこれに取りかかり、五十一年からは読谷村並びに沖繩市で現に実施に入ったところでございます。そのほか防衛施設庁所管につきましては、防衛施設当局において復帰後逐次これらの不明地の調査に当たっておられるところでございます。  なお、道路並びに土地改良等、いわゆる公共施設の整備につきましては、先生も御案内のことであろうかと思いますが、私ども開発庁の所掌といたしまして、いわゆる沖繩振興開発十ヵ年計画が復帰後策定されております。この計画に基づきまして、それぞれ所要計画の中身でございます、いわゆる社会資本の整備につきましては、直接実施をいたします関係公共事業官庁と協議の上、それぞれ国の計画でございます長期計画に調整を図りまして、毎年度この五年間逐次公共事業の予算を計上、実施をしてきておる、こういうふうにお答えを申し上げておきたいと思います。
  113. 大塚喬

    大塚喬君 私がお尋ねしたいことは、土地改良事業、それから区画整理事業、それから公共道路の建設事業、こういうふうなものが沖繩と本土と現状どういうことに比較されるのか、その具体的な内容についてお聞かせいただきたい、こうお願いをいたしておるわけであります。
  114. 井上幸夫

    政府委員(井上幸夫君) お答えいたします。  沖繩におきます社会資本整備は復帰後非常に進みまして、復帰直後に存在いたしました格差と現在とではかなり詰まってきております。で、概況を申し上げますと、道路の改良率、舗装率は全国平均とほば同じ、上下水道の普及率につきましては、下水は本土平均でございますが、上水道の普及率は本土平均を上回っておる。それから公立文教施設につきましては、現状では本土の水準に比べまして苦干劣りますけれども、これは五十三年度末にはほぼ本土平均になるということでございます。ただ現状で一番おくれておりますのは、ただいま御指摘のございました土地改良系統でございまして、これは着手が本土に比べて非常におくれておりますので、ただいまのところ農道整備率、区画整理済み面積率等ははなはだ見劣りがいたします。で、目下の状況でございますと、沖繩開発庁所管の公共事業費は約一千億でございまして、そのうち道路関係に四百億弱、土地改良系統に百億弱という予算を投入いたしまして整備を進めている最中でございます。
  115. 大塚喬

    大塚喬君 せっかく法務大臣にお越しをいただいて、防衛庁長官にはもうしばらくひとつごしんぼうをいただきますように。  いまのお答えですね、ちょっと私が現状を視察した中で相違しておる点がありますが、いまあなたがお答えいただいたのは、道路には御承知のように国道、県道、それから市町村道とございます。いまのその道路の整備状況は、全国とほぼ同じかそれ以上だと、こういうふうなお答えがございましたが、そのお答えというのは市町村道を含めた、そういう比較をお答えいただいたものですか。
  116. 井上幸夫

    政府委員(井上幸夫君) 説明が不十分で申しわけございませんでした。国道の普及率は最新数字——これは非常に決算数字がおくれておりまして五十年の四月でございますけれども、国道の改良率は沖繩が八八%、全国平均が八五%弱、県道は沖繩が四四%、全国が五三・七%、市町村道は沖繩が二八・一%、全国平均は二一%、道路舗装率は、国道に関しましては沖繩は八七%、全国は九一%、県道は沖繩が四九・四%、全国が六六%、市町村道は沖繩が三五%、全国が二四%でございます。
  117. 大塚喬

    大塚喬君 法務大臣に出席を願ったものですから、実は昭和十八年夏に読谷飛行場という六十五万五千坪の土地が旧軍に強制接収をされて、読谷飛行場、本土防衛、沖繩防衛というために急遽飛行場の建設が行われたわけです。で、その論議は、その所有権をめぐって国有財産台帳には国有地ということで六十五万五千坪が記載をされておる。で、それらの国有財産を主張されておる大蔵省側では、いま私が再三の質問で、一体その土地の売買契約書があるのか、土地のその支払いをした領収証があるのか、それから、さらにまた、現在までに予算執行の際の、沖繩の読谷飛行場敷地買収のためにこれだけの予算を執行した、こういうような法的な文書があるのか、そういうことをお尋ねしたところが、一切そういうものはありませんと。こういう中で法務省の民事局長に聞いたんですが、そういうことの際には最終的には裁判をやって決めたらいかがですかと、こういう大変、率直に言えばいんぎん無礼だと、私はそういうお答えに感じを持っているんですが、そこまで言うと失礼になりますからいまの言葉はひとつなかったものにしてお聞きいただきたい。大蔵省と私の論争の中で、裁判でやれという法務省の民事局長の忠告ですから、法務大臣に御出席を願って、大蔵省と私の論争の中で、法律を守る最高責任者の法務大臣からこの問題に関してお答えをいただきたい。実は法務大臣、まことに恐縮至極に存じますが、大蔵大臣が先ほど医師の診断書を出していただいて、十五分程度ならば出席して答弁をされる、こういうことで病を押して御出席をいただいたので、質問の中途ですが、お許しをいただいて初めに大蔵大臣答弁を求めたいと思いますので、どうぞその点御了承いただきますようにお願いをいたします。  大蔵大臣、実は読谷飛行場六十五万五千坪の所有権に関して大蔵省の理財局次長に答弁を求めたわけですが、これは国有財産台帳に載っておるから国有地だ、こういうお答えが繰り返されました。その国有地だというそういう基礎は、昭和二十六年、一九五一年四月一日付で発行された当時の読谷村長が認定をした所有権証明書により国有地であると、こういう位置づけをされて、国有財産台帳に、旧軍の購入したものだからこれは当然国有財産だ、こういう答弁を繰り返されたわけであります。ところが、それらに関する資料というのは、具体的に国側でその根拠になるものがありますかと、こういう質問に対して、全然そういうものはありませんと、こういうことであります。  日本の国の法律構造、法律のたてまえとして、土地の売買に関して係争が起きたときに、買い主が、買い受けて所有権を取得した、こういう主張をするためには、これは買い主の方に、買い取ったという事実あるいは売買代金等を支払ったという証憑書類、証拠物件、こういう事実があってそれに基づいて主張ができるのではないか、こういうことを申し上げて、それを立証する責任というのは買い主側にあるのではないですかと、こういうことをお尋ねしたわけです。売り主の方は以前から所有権があったわけですから、もし本当に所有権が買い主の方に移ったんだと言うならば、買い主の方でその証明を、これは裁判所なら裁判所に出して、そして自分の所有権を明らかにすべきではないか。ところが、そういうことに関して、そういうことは国民の方で証拠物件、資料をそろえてやればいいじゃないですかと。沖繩の現況というのは、あの悲惨な沖繩決戦のそのさなかの際に戦死したり、それから強制的に徴用されて本土やあるいは海外に移住したり、そうした者、さらにその読谷飛行場が旧米軍の飛行場として使用されたり、物資集積所として継続して使用された。そして昭和二十六年の四月一日当日、いわゆる村長が発行した所有権証明書、こういうものが、他のところでは自由に旧地主が立ち入りができて確認ができたわけでありますが、当時銃剣によってこの読谷飛行場は沖繩の村民が一切立ち入りは禁止をされて、そして銃剣とタンクでならされてしまった有刺鉄線の中のところを確認、それができないで、その他の地域に関して届け出があった分について沖繩の村長がその証明書を発行したという、こういう事実関係があるわけであります。この点について調査をして、速やかにこれらに対する善処方を要望いたしたわけでございますが、そんなことはお上の手数を煩わすなと、こういうことで収拾をされておるものですから、この国有財産を管理される最高責任者の大蔵大臣の御出席を願って、この問題に対する前向きの国側の態度についてぜひ表明をいただきたい、こういうことを念願して曲げて大蔵大臣の御出席をお願いしたところでございます。どうぞひとつ私の意のあるところをくんでいただいて、大蔵大臣から誠意あるお答えをいただけますようにお願いをいたします。
  118. 坊秀男

    国務大臣(坊秀男君) 折あしく体の調子を壊しまして、御迷惑をかけましてまことに相済みません。  沖繩の旧軍買収地の問題については、従来から現地沖繩総合事務局財務部において当時の買収状況等をできるだけ明らかにするために、物的資料の収集、関係者からの事情聴取等を行ってまいっております。これまでの調査では旧読谷飛行場についても当時の飛行場建設状況、関係者の陳述等から見まして、買収資料が残っている宮古、八重山の場合と同様に、旧陸軍が正当に取得したものと判断しており、また、土地所有権委員会という公的機関が民主的に行った調査によっても国有地であるとの認定を受けているものであります。しかしながら、本問題の重要性にかんがみ、先般大蔵省の担当課長を現地に派遣いたしまして、さらに必要な調査の打ち合わせを行うとともに、今後の調査の指示を与えてきたところでございます。その指示によりまして現在現地調査を進めております。その結果を参考にした上でどのような措置をとるか検討いたしたいと考えております。
  119. 大塚喬

    大塚喬君 御病気のところ大変恐れ入りますがね、いまの大変私には形式的な御答弁というふうにしか受け取れないわけですが、先ほど申し上げたように、買い主、売り主というところで土地に関する係争があった場合には、従来売り主の方に権利が現存しておったわけですから、その係争が起きた場合には、これは買い主側でその立証をして初めてそれらの問題に関して国有財産であると、こういう証明ができるのではないかと、そのことのそういう形式的な御答弁だとすれば、私が申し上げたように、それじゃ何か具体的に買い主側、国側の方に、旧軍が買収したんだと、こういう資料が出ない場合には一体大蔵省としてどうされるのか、これは県民の、村民のそういう要望に対して誠実なお答えがいただけますように、もう一度ひとつ大臣からお答えお願いしたいと思います。
  120. 坊秀男

    国務大臣(坊秀男君) お答え申します。  形式的なことというおしかりでございますが、土地の所有権が一応登記によりまして国に移っておる、そういうことに相なりますと、この登記というものを、ただ単にこれを否認するわけにもまいりません。そういうようなことで、しかしながら私は、この問題はいろいろと御意見もありまして、複雑な事情もありまして、大変な重大なる問題だと思いまするから、そこでこれはもう一遍現地調査をさしていただきまして、その調査に基づきましてどういうふうな措置をとるかということをいま検討をいたしておるという次第でございます。一応国が登記ということを済ましておりますものでございまするから、これをやっぱり抹消していくというようなことは、これもまた重大なことでございます。また、住民の御主張になられるということも重大なことでございます。そこでこれはもう一遍つぶさにひとつ現実を、これを調査をさせまして、そうしてその結果に基づいて、そしてこの措置について考えてまいりたいと、かように考えております。
  121. 大塚喬

    大塚喬君 もう一言大蔵大臣お願いをいたします。  もう一遍調査をするということですが、その調査の具体的な方法、官庁関係に行って、そこで話を聞いてきて、それはこうだと、こういうようなことであってはこの調査趣旨は生かされない。現地に少なくとも何日間か滞在をされて、沖繩の村当局、それから関係地主らと、そういう人たちの生の意見を、現地の生の情勢を十二分に把握をいただいて、前向きにひとつこの処理について強く要請をいたしたい。まあこういうことと一緒に、いまもう一度調査をすると、こういうことをおっしゃいましたが、それらの期日的な制限、こういうことは大臣として一体いつごろ、どういう程度の具体的な調査をされますか、ひとつ最後に大蔵大臣から御答弁をちょうだいしたいと思います。
  122. 坊秀男

    国務大臣(坊秀男君) 先般係官を派遣いたしまして、いま調査の継続中でございます。係官は帰ってまいりました。係官は帰ってまいりましたが、これは慎重に底深くこれを調査するようにということを、現地の総合事務局、そこへ指示をいたしまして、それでいま鋭意そこの総合事務局が調査をいたしておる。で、この調査の結果がいずれは——いずれはといってそう遠いことではありませんけれども、省の方にもたらされるということでございますので、その調査を相待ちまして、そして検討してまいりたいと、かように考えておる次第でございます。
  123. 大塚喬

    大塚喬君 大臣、重ねて恐れ入りますが、現地の実情というのは、まあ私の見受けたところ、現地の関係者と現地の村民の間には、いままでの折衝経過の中で、感情的と申しますか、不信感というようなものがあるのではないかなと、こういう心配をいたしておるわけです。それで、そういう先入観のない、そういう公平な立場に立った方がひとつ、期日、これはもうたとえば一週間なら一週間、十日なら十日というひとつ可及的速やかな時期においでいただいて、現地の者でなくて、こちらからその係を派遣いただいて、そしてどういう調査をされるのか。そして私が繰り返しこのように申し上げておりますのは、どう考えてもそういう昭和二十六年に村長が出したいわゆる所有権証明書、これの法的な根拠というものが、少なくとも読谷に関してはその信憑性というか、真実性の乏しいものである。それを基礎にして国有財産台帳に載っけてあるんですから、国が所有権を主張しておるんですから、そのところについてひとつ前向きで、現地の色めがねのついた形でなくて、ひとつ大蔵大臣が前向きにその善処をされると、こういう答弁をひとつここでいただいて大蔵大臣質問終わりたいと思うわけですが、もう一度ひとつ恐れ入りますが御答弁を願いたいと思います。
  124. 坊秀男

    国務大臣(坊秀男君) 調査につきましては、ただいま御答弁申し上げたとおりでございますけれども、必要とあらばおっしゃるような調べということをするのにやぶさかではございません。
  125. 大塚喬

    大塚喬君 私が申し上げた趣旨を実現いただけると、こう理解をしてよろしゅうございますね。
  126. 坊秀男

    国務大臣(坊秀男君) 必要とあらば係官をさらに派遣いたしまして……
  127. 大塚喬

    大塚喬君 必要とあらばという前提条件なしに、率直なお答えいただけませんか。
  128. 坊秀男

    国務大臣(坊秀男君) いずれ、いま調査中でございまして、それについての何らかの返事があるに違いないのでございまするから、それを受けまして、それで御趣旨に沿うような調べを、さらに改めてさすということを申し上げます。
  129. 大塚喬

    大塚喬君 御病気の大蔵大臣をこれ以上ここでお引きとめすることは人権上の問題になって、社会党自体の名誉にも関するようなことになっては大変ですから、今後の論議の経過を通じて、また期日を改めて大臣に御出席を願うようなことになろうかと思いますが、ひとつ私ども質問趣旨、意のあるところを十分おくみ取りいただいて、誠意ある解決の方法をとっていただきますようお願い申し上げて、大蔵大臣質問は本日はこれで終わりにさせていただきます。  法務大臣、大変恐縮いたしております。大蔵省と長い時間いまのような論争を繰り返してまいりました。それで法務省は、民事局長は裁判という手がありますよと、こういうことです。で、私は、このいま大蔵大臣と私のやりとり、ひとつこの法律の番人である法務大臣にぜひ裁判官になってもらいたいと、こういう強い願いから法務大臣の見解をお聞かせいただきたいと思います。  沖繩には、あの御承知のような激烈な沖繩戦争が続けられたということ、それから戦後二十八年余にわたって米軍の占領が続けられたということ、その間にたくさんの基地が設定をされたりあるいは拡張されたり縮小されたりと、こういう経過があって、それらに関連をして沖繩には土地関連をする係争事件が幾つも起きております。ところが沖繩現地の裁判所の現在までとってきた裁判と申しますか、裁定の方法というのは、ともかく沖繩の場合には公図公簿も現存しておらない。(「聞いているんですか、法務大臣」と呼ぶ者あり)よろしいですか。法務大臣にわざわざ御出席願ったんだから、ひとつ裁判官としてこの論争について御意見をお聞かせいただきたい、こういう願いから御出席を願ったわけです。  土地の係争問題がたくさん来ております。ところが、裁判所はそれらの問題は双方に和解をするように勧めておるわけです。ところがこの問題に関しては、国が国有財産台帳に載っかっていると。きわめてその基礎の不確実な、いわゆる村長の発行をした、本人の申請に基づいてそして土地の確認も何も行われないままに出した昭和二十六年の四月一日の所有権証明書、これに基づいて、入れないところの土地、それが旧陸軍の飛行場だったということだけで国有財産に移されておるわけです。裁判所に行けば和解しなさいと。ところが、国の方は、何度村長や関係地主から請願、陳情を出しても、これは国有財産の台帳に載っかっておるからだめですよと。裁判所に行けば、和解しなさいと。こういうことで、実際に裁判の方法も、現地村民にとってはそういう手段が現実的には不可能な現状であります。  ですから、これらの問題について、日本の、先ほど申し上げたような法体系、これは新しく買い主なり、所有権は移ったと、こういう主張をされる立場の人が、そういう証拠物件、証憑書類なりをそろえて、そしてその土地の所有権を主張する、そのことがあって初めてこの所有権の買い主の方に移ったという立証がなされるものと、こう考えるわけでありますが、裁判官という、私も一段上に法務大臣に立っていただいて、これらの問題について法務大臣の見解を承りたいと思いますのでひとつよろしくお願いいたします。
  130. 福田一

    国務大臣(福田一君) 実は私も余り詳しくこの問題について調べておりません。  それから、いま大塚さんが御質問になった御趣旨は、私はよく理解できます。その気持ちはよく理解できます。しかし、一応土地の所有権というものは、登記によって大体決まるものでございますから、そこでそういうようなことを、所有権は登記上国に属しておるんだと一応係の者が言うのも一つの私は考え方だと思います。しかしながら、戦時中に、必ずしも沖繩だけでなくて本土においてもやはり軍が買い上げることにして一部分だけ金を払ったと、そして残って、まだ金をもらってないところがあったというような事例も私はあったやに存じております。そういうところは、また後でいろいろ話をして、そして解決しておる例もあると思います。これは私は、いま大蔵省がいないからはっきりは言えませんけれども、私が若干関係したところでもあると思います。いずれにしても、戦争の傷跡が非常に残っていくということは残念なことなんでございまして、ただいま大蔵大臣から調査をした報告があるはずであると、その報告に基づいてどうももう少し研究すべきだと、こう思えば再調査を命ずることもあると、またもう少し研究をさしてみてもよろしいと、こういう答弁を大蔵大臣はいたしたと私ここで承っておるのであります。私は、いずれにいたしましても、こういうことが長く残っておるということは不幸なことでありますから、国としてはやはり何らかの、国と現地の人との間で何か話し合いができればいい。それは和解ということ、和解といっても、もうそれは登記にしてあるのだから絶対もう間違いないんだということになるかどうか、そこいらは、やはりその間の事情を、その当時おられた生き残っておられる人、文書がないにしてもその当時こういう人がやっぱりあれはこうこうであったというようなことがあれば、そういうこともまた含めながらよくこれは調査をし、そして何か、和解するというとおかしいんですけれども、話し合いで問題が解決できれば私は一番いいと思うのであります。裁判へ持っていってもいいんでありますけれども、裁判でやるということになりますと、なかなか土地をとられたと主張する人は証明のしようがないんじゃないですか、それは実際問題として。しかしまた、なかなかそういう人はいないとは思うけれども、たった一人とか二人の人がこう言ったというだけで、この土地は確かに彼のものだというように認定できるかどうか、ここいらをどういうふうにして認定をすれば、登記をもう一遍見直しすることができるかという、その仕組みというものをやはり考えて大蔵省としては対処されるのがいいんじゃないか。私はそういうふうに、いまあなたのお話を承っておって、こういう問題が長く今後も残っていくということはまことに残念なことでございますからして、そこで、やはりいま大蔵大臣調査して、その調査の報告が来ると思うが、それを見た上でということを言うておられます。しかし、それでもまだなおかつあなたの方でも御質問があるようなことでありますからして、いろいろ現地の方ともお話があったんじゃないかと私は推察するんでありますが、そういう人たち意見等を素直に聞くようなチャンスが公式の場で与えられれば、裁判にまだ行かない前にそういう話ができれば一番いいんじゃないかと私は思うんであります。それを裁判上にいう和解という手続によってやるなんといっても、それはなかなかむずかしいんじゃないかと思うんです。裁判上の和解というのではむずかしいが、そういうふうにもつとみんなで何とか解決しよう、そして無理がないように、できるだけ無理がないようにしようと、こういう気持ちでこの問題を扱った方がいいんじゃないか。余り法理論的にこれをやっていきますと、かえって正しいことが正しくないように解決してしまうかもしれない。そこで、できるだけ関係者その他の言うことその他を聞いて、何かそこで話し合いがつくようにするのが私は一番いい方法じゃないか。これを法律の問題に持っていきますと、なかなか私は、そういう登記ということがありますと、それは間違いだと、こう言うのにちゃんと地図でもそれを言う人が持って、これはおれの地面なんだということが言えればいいんでしょうけれども、そこいらも私は非常にむずかしい面があるんじゃないかと思うんです。しかし、話はもっと調査した上でのことになりますが、大蔵省はああ言っていま調査しておるんですから、その上でもっとお互いが、俗な言葉で言えば、腹を割ってひとつ話をしてみる、こういうようなことをまずやるべきである、またそういうやり方で私は解決をするのがいいんじゃないかと。法理論というような形とか、それからどっちで証明しろと言ったって、なかなかそれは証明がつかない面もあるんじゃないかということを恐れるわけです。私は、なるべくこういう問題は、こういうことがこのように公になった時期において解決する工夫をわれわれとしては考えてみてはどうかということでございます。これは法律——何も、私は法務大臣と言ったって、法務大臣ではございますけれども、法の解釈の問題は、それはもうちゃんとみんなおりますけれども、その法の適用という形でやりますというと裁判というものになってしまう。私は、むしろ裁判の前の段階が非常に大事だと、こう思っておるわけであります。
  131. 大塚喬

    大塚喬君 時間が短くなってちょっと急いで申し上げますが、法務大臣、ひとつこのことだけは耳にして、記憶にとどめていただきます。  一人二人の私利私欲、横車で主張しておるんでなくて、この六十五万五千坪という土地は、当時六十八戸の民家がございました。そこに住んでおった人たち、関係の地主が六百人、それから、そこに生活の根拠を持っておった人はおよそ三千六百人余りの人がそこに何らかのそういう関係のあった人です。その人たちがいずれも、その移転料は、それから青作代や何か、そういうふうなものはもらったけれども土地の代金については後で支払うと、ともかくそのときに工事が始まっちゃってそれ出ろと、こういうことでよその町村に追い立てられてしまったものですから、移転料と青作料や何かもらっただけで引っ越してしまったわけです。そのうちに米軍の上陸という事態になって、代金の支払いは行われなかったということがいわゆる予算の証憑書類でも、あるいは公簿公図あるいは登記関係、こういう問題についても一切、その買い主側というか、所有権者と主張する国側の方に何もない。ただあるのは、昭和二十六年になって米軍の軍事物資集積所になっておって、銃剣で入れなかった土地、住民が確認できなかった土地、その土地がその所有権証明書が出なかったために国有財産台帳に載っかったと、大蔵省は終始このことだけを繰り返しておるものですから、それらの事実をひとつ十分お耳にとどめていただいて、これらの問題について今後ひとつ法務省としても、まあ法を守る専門家というよりも、法務大臣大元締めですから、どうぞひとつこの点について前向きで善処をいただけますように、強くお願いをして、法務大臣質問は、本日はともかくこの問題の進展いかんによってまたお尋ねすることにいたしまして、きょうのところは法務大臣に御足労いただいたことを感謝しながら、質問を本日のところは終わらせていただきます。  ところで、外務大臣がおいででございますので……
  132. 福田一

    国務大臣(福田一君) ちょっとそれじゃ大塚さん、ちょっとお待ちください。  ただいま大塚さんが、こういうことはちゃんと耳の中に入れといてもらいたいというお話がございました。要するに、これは多数の人がその土地には関係をしておって、そうしてその人たちのいろいろのあれもあるんだと、何といいますか、言い分もいろいろあると、そういうことをもよく考えて問題の処理をしたらいいじゃないか、こういうお話のように私は承ったわけでございますが、いずれにしても、いま大蔵省が調査に行って、そして帰ってきて報告すると言いますから、その報告を私も一応は一緒にでも聞いて、ひとつしかるべく問題解決に前向きで私は対処いたしたい。こういう問題を長く残しておくことは決していいことではございません。やはり正しいことは正しいことなんで、善は一つしかないはずですから、正しいことは一つしかないわけなんで、何とかそれをできるだけ、一〇〇%といかなくても何とかそのめどをつける工夫を大いに努力をいたしたいと考えております。したがってまた大蔵大臣とも相談をさしていただくつもりです。
  133. 大塚喬

    大塚喬君 本法案審議をする際にどうしても基礎として私どもが知りたいと思うことは、公用地の暫定使用法に基づく暫定使用の現況、これは防衛施設、それから暫定使用状況と、こう大別して二つに分けて、これが日本の自衛隊、それから駐留軍、そしてその合計、それが現状どういうところか、これは外務大臣にお尋ねする、あるいは防衛施設庁になりますか、どちらかちょっとはっきりしませんが、私は外務省からお答えをいただいたらと思って外務大臣にいまお願いしているんですが。
  134. 斎藤一郎

    政府委員(斎藤一郎君) ただいまお尋ねの点は数字でございますので私から申し述べたいと思います。  まず、ただいま四月一日現在でもって公用地暫定使用法に基づく暫定使用をしております防衛施設の中で、自衛隊は二十九件中五つの施設について暫定使用等がございます。件数にいたしますと三十五件、十四万六千平米が自衛隊に関する暫定使用状況でございます。  それから、駐留軍の関係では、五十四施設ございますうち二十三施設、所有者の数では三百八十五件、面積にいたしますと二千二十四万平米が駐留軍施設についての暫定使用状況でございます。  以上合計いたしますと、施設の数で二十八施設、所有者では四百二十件、面積にいたしますと二千三十八万平米が暫定使用対象になっております。なお、これは四月一日でございますので、その後若干のずれがあるかというふうに思っております。
  135. 大塚喬

    大塚喬君 委員長、一言。  先ほど資料いただいたのですが、時間が九時までということですので、これに関連する質問、それからいまの使用状況使用条件、これらに関連しての問題は後刻に譲りたいと思います。質問を一応次回に譲ります。一応私の本日の質問は終わります。
  136. 増原恵吉

    委員長増原恵吉君) 本日はこれにて散会いたします。    午後九時二分散会