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参考人(橋本忠正君) モスクワに私が参りますまでの
経過は、いままですでに出ておりますが、その前に一、二申し上げてみたいと思います。
繰り返すようでございますが、私
どもは最後までモントリオール方式というものを捨てたくない、何としてもこれをモスクワに生かしたいという一種の理想的なあれを追求する気持ちもございましたし、また、そうすることがある
意味では妥当な値段で、かつ適正な条件で
放送ができるというふうに確信しておりましたものですから、最後まで
民放連さんにお願いして、何とか一本にまとめていただかなければということでございます。
ところが、二月の末にまいりまして、どうも様子がはっきりしない。三月の一日にNETの三浦常務がモスクワへ立って、同日夕刻モスクワへ着いたということは聞きました。そうしましたら、三月の二日にモスクワの組織
委員会からこちらに重ねて電報が参りまして、
日本側が何か
テレビ局のプールをやっているようだけれ
ども、まあそれは立場上
理解はできる。しかし、交渉をこれ以上余り延ばすことは好ましくない。組織
委員会にとっても、あるいは
皆さん方日本の
テレビ局にとっても好ましくないだろう。したがって、なるべく早く来てくれというあれがございました。で三月三日の日に、先ほどお話があるいは出たかと思いますが、
民放連の
会長の小林NTV社長と
民放連報道
委員長の名古屋
放送の社長の川出さん、このお二方がNETの高野社長に会いまして、いわゆる三者トップ会談をいたしました結果、そこで正式にNETさんとしては、今回は単独交渉をやるということで、もはや一本化の見込みはなくなったということでございます。それを受けまして、私
どもは、四日の日に、
NHKの
会長、それからNTVの小林さん、TBS諏訪さん、フジの浅野さん、それぞれ四
会長並びに社長が集まりまして、今後の対策を検討いたしました。NETが行っている以上、われわれとしては、残った東京の四者が今度は一括して連合を組んでやろうということで、その交渉を
NHKにお任せするということで、
NHKの私がモスクワに派遣されるということがそこで決まりまして、直ちに渡航の準備等をいたしました。その旨を
NHK、NTV、TBS、フジのそれぞれの社長名でモスクワの組織
委員会に打電いたしました。
ところが、向こうからはなるべく早く来いということで、五日の日にでもビザは出すからすぐモスクワへ来い、そうして五日の日の午後五時を限度として、ある種のおまえたちの言っている金額を提示せよという電報が参りましたんですが、時間的物理的に不可能であるということで、最終的には、向こうの組織
委員会の了承を得まして、越えて三月の八日に私が東京を立ってモスクワに参りました。もちろん、その前に、
NHKと
民放三社との間に最終的ないろんな詰めや金額等の打ち合わせはやってございます。そうして八日の午後着きまして、九日から実は早速交渉を始めましょうということでございますので、三月の九日の朝十時にモスクワのオリンピック組織
委員会の建物のあります組織
委員会に来てくれということでございましたので、そこに参りました。で九日の朝十時過ぎから向こうさんと実際のお話し合いに入ったわけでございます。
はっきりしておきますが、私は、その際、
NHKを代表すると同時に、東京にございます
民放三社を代表しておると、NTV、TBS、フジでございますから、したがいまして、あくまでも四者の代表として来たということは
冒頭はっきりさしておきました。
従来ですと、普通、オリンピックのこういう
放送権等の交渉をやります場合には、一応こちらから大体どの程度の
放送計画があるかという粗筋を持って、そのために、相手側の組織
委員会並びに相手の国の基幹
放送協会あるいは
放送局から、どの程度の機材あるいは機械あるいはスタジオ、カメラ、いろいろございますが、あるいは競技場におけるマイクロホンの位置、アナウンサーボックス等細かなあれがございまして、そういうものを順々に詰めていって、ああこれならばわれわれの大体予想する
放送ができる、そのためには一体幾らぐらい実費がかかるんだということで、われわれが技術なり施設を借りる一種の実費的な技術提供料はもちろん払います、そういうことが決まった上で、今度はいよいよ問題の
放送権料についていろいろ話し合う。その際には、従来ずっと、向こうが用意したいわゆる
基本契約といいますか
放送権の契約に対して、こちら側も場合によっては用意する、あるいは向こうが出したものを十分そこでお互いにディスカッションして、まあ場合によっては字句を変えるとか入れるとか、いろんなあれがございます。そういう過程を経て、その上で、さて権料を幾らと、もちろんそれは過去の例もございますし、それまでにすでに解決しておりますほかの国なり
放送機関の権料というものももちろん参考にいたしますが、そういうことを含めて最終的に幾らというのが従来の交渉でございます。
今回参りまして、相手側は組織
委員会と、それからソビエトの国家
ラジオテレビ放送委員会、これは国営
放送でございます、それの代表、それから
国際オリンピック
委員会、IOCの代表も見えておりまして、要するに三者の代表が向こうに座り、私がこちらに座って、
NHKと東京の
民放三社を代表するという形でいろいろ話し合いました。
向こうから渡されたものが
基本的な協定となるべき
放送権料についての契約書の草案、それから、こちらが技術、スタジオ等を借りる場合のまた別の技術提供の契約書がございます。その契約書並びに向こうが実際にモスクワオリンピックのときに
日本のために用意するであろうところのそういう技術なりスタジオなり細かなリストがございますが、そのリスト、三つの文書を渡されまして、そうして向こうの言うのには、なるべく早く交渉を終わりたい、金額を早く提示してくれということでございまして、私の方は、そういう具体的な詰めがない以上は、そう簡単に金額提示はなかなかむずかしい。従来のあれから言いますと、相当時間をかけて、場合によっては一回出直してやるぐらいの十分なあれをやったのでございますが、今回のあれは向こうとして非常に急いでおるということで、最終的には九日をもって最終日とするというふうな一方的な時間といいますか、交渉の締め切りの設定までございまして、最終的にいろいろ向こうから出されました協定文そのものについても、私自身として、
NHKだけでございませんで、四者を代表するという形でございますから、十分私として納得のいく内容でありたいし、また、ものによっては疑問もある。場合によっては、こちらから訂正を申し入れなければならぬというような個所もございましたので、何とかしてもう少し時間を欲しいということで主張したのですけれ
ども、最終的にどうしてもだめだということで、そういうことを勘案し、最終的にこちらが用意してまいりました金額の上限を提示したのでございますが、最終的に、向こうの組織
委員会から、金額等について受け入れることはできない、また私がいろいろ出した条件等についても一切受け入れることはできないという形で、交渉は残念ながら終わりました。したがいましてNETさんが
日本における独占権を取ったという結果でございます。
細かな交渉の内容、特に金額の数字等は、向こうとの話し合いで一切出せないことになっておりますが、最終的にまとまった金額と最終的にまとまった協定文は、当然、公表さるべきものでございまして、それ以外のあんまり細かなことは出せないということでございますが、向こう側が
日本側に対して
期待しておったといいますか要求しておりました金額は、
放送権料と技術提供費合わせてアメリカの一〇%ないし一二%ということでございまして、御
承知のように、アメリカはすでに八千五百万ドルで妥結しておりますから、その一〇%、十分の一ということになりますと八百五十万ドルということになります。したがって八百五十万ドルないし一千万ドル、まあ一ドル三百円として単純に計算しますと二十五億五千万、最低二十五億五千万円という数字が出てまいりまして、これは私
ども四者はとうてい認めることはできないということははっきり申し上げました。
以上が
経過の概要でございます。