○永野嚴雄君 私、その点を実は問題にしたい。御承知のとおり、もう過去何年ぐらいでございましょうか、十数年になる。少なくとも十年にはなっていると思うんです。お互い米の配給通帳を持って米を買いに行かない習慣ができている。これは非常に意地悪い質問をいたしますと、食管、この制度の主管官庁である食糧庁の職員の中で、配給通帳を持って米をお買いに行っておられる方が何人かあられるでしょうか、恐らくないと思う。
それでこの点は、これは食管法をどう見ていくかという基礎問題を議論するときの例に使いたかったわけですが、単独で
考えまして、食管制度というのは、根幹は堅持するというのが与野党を通じての現在におけるコンセンサスである、そのコンセンサスが得られない限り根幹をいじるべきでないというのが、これは私も当然だと思う。逆に、食管はいじらないというたてまえを貫く余り、現在動いていない制度まで動いておるという仮定のもとで
予算がつけられ、しかもまずいことは、罰則までこれを非常に厳格にやれば、いま言った約三千万人が皆留置場に入ったり、罰金を取られたりしなければならないというのがこれは現行法ですね。
なぜこれをこのまま置いておかれるのか。一たん緩急ある場合は議論になるという以外ほかに講論のしょうがないと思うのですが、私は、一たん緩急という議論はこういった個々のレベルで議論すべきでなくて、
内閣全般で議論される問題だとは思います。しかし、それも一つの
考え方であり得るから、私はこれを廃止してしまえとは言わないのです、この条文を。少なくとも休止されたらどうだろうか。ともかく
予算をつけて何万枚かしりませんが用意しておくと。
それはまだしも、私は昔、司法官をやっておった経験があるのですが、一番困るのは、行政官庁としてできるだけ幅広い網を打っておく、それも罰則をつけておく。使う使わぬはおれの勝手だ、ある
程度までお目こぼしもしてやろう。これは実は法秩序を尊重して守っていく意味で、こういう行政官庁の姿勢というものは非常に困る姿勢だと思うのです。この場合はもう個々のお目こぼしじゃなくて、国民全般が懲役三年以下の構成要件に触れる生活をしながら生活をしておる。しかもそれが一年や二年じゃない、過去相当長い間、しかも、将来もいまも生産制限をやろうかと言っておる時期です。これは残念ながら当分続くかもわからない。なぜこれを残しておかれるか。
いま言った一たん緩急論もあり得るから、制度としては残しておかれることに決して反対しない。なぜ動いておるという前提で
予算をつけられ、罰則を残しておられるのか。これは食糧庁の根本姿勢、戦時中の物動時代のしっぽが、いわゆるこの民主主義体制に変わったという時代においても残っておる最大のあらわれだと思います。消費者の三千万、六万人の小売商にしましても、これは十年以下の懲役、消費者の方は罰金にしましても、これは刑務所に入れたら、これだけで刑務所の定員を超してしまいますから。そんなようなものを、しかも行政官とすれば、自分の
所管事項に関して違法というか違反があった場合は、刑事訴訟法に
基づく告発義務までしょっておられるわけです。いかにも扱いが便宜的過ぎるというのか、旧慣に固執し過ぎるというのか、片や国家
財政、恐らく数百万単位で大した金じゃないと思いますが、現に動いていないわけですから、形式的だけで相当なある
程度の
予算をつけて、何に使われるかしらぬけれども、毎年毎年倉庫に積んであるのだろうと思うのです。これは
大蔵大臣におか れましても、いま極端な言葉で言えば、一万円の 金でも要らない金を押えなければならない。そういう意味から申しましても困る。
私は、基礎的にいやなのは、いま言ったお目こぼし方式の行政が行なわれることは非常に困る。いやしくも法律をつくって罰則をつけた以上は、その違反があれば徹底的に追及し直さす、逆に縛るつもりのない、また寝ておる法律は、撤廃するか、撤廃が将来ぐあい悪ければ、正式に中止させるということがぜひ望ましいと思うわけでございます。これも恐らく食糧庁の
答弁は、そういう
考えはないと言われると思います。これは、少なくともきょうはそういうことは全然
考えないとおっしゃると思いますけれども、まじめに、もう一遍基礎的に
考え直していただきたい。これは私も食糧庁の立場はわかっておるつもりですし、あれなんですけれども、ともかくかつて、現在も法律家の片割れになっておるわけです。国民を絶えず十年以下の懲役に、つかまえようと思ったらつかまえられるわけです。そういう状況になぜしておかれるのか、その点だけひとつ
お答え願いたい。