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参考人(
波多野里望君) 時間が限られておりますので、本日は
南部の
共同開発に関する
協定の方についてだけ、それも比較的論議の多いと言われております十のポイントだけに絞って
意見を述べてみたいと存じます。
第一は、
大陸だなに及ぶ
権利というものが
主権的な
権利であって
主権そのものではないということであります。
御
承知のとおり、今日の
大陸だな問題と申しますのは、一九四五年のいわゆる
トルーマン宣言に端を発したわけでございますが、その
トルーマン宣言においては、
大陸だなに及ぶ
権利が
主権そのものではないことを明確にするために、注意深く
管轄権という
言葉が用いられていました。ところが、その後相次いで
大陸だな
宣言を発した国々が、こぞってより強い
権利を主張したために、一九五八年に採択された
大陸だな
条約では
主権的権利という
言葉が用いられ、それが現在ニューヨークで開かれております第三回
海洋法会議のいわゆる
改訂単一草案にまでずっと尾を引いているという形になっております。
管轄権と
主権的権利とでは確かにニュアンスが違います。
管轄権という
言葉には、
領海外にまでそれを及ぼすためには
宣言のような何らかの特別な行為を必要とするとか、あるいは
他国の
既得権とぶつかる場合、衝突する場合には、何らかの形での妥協を必要とするといったような
意味合いが言外に込められております。
それに反して
主権的権利という
言葉は、わざわざ
宣言を発しなくても
沿岸国の
権利が当然に及ぶのであり、しかも、それは
他国の
既得権に優越するのだといった響きを持っております。
しかし、
主権そのものと同一ではないという点では、
管轄権も
主権的権利も何ら異なるところはありません。言いかえれば、
現行国際法のもとでは
沿岸国は
大陸だなに対して
主権そのものを及ぼすこと自体がそもそも許されていないのですから、仮に
大陸だなの
境界の線引きにおいて
関係当事国のいずれかが何らかの譲歩をしたとしても、それは決して
主権の放棄には当たらないということになります。
第二点は、
大陸だなは
国家領域ではないから、したがって
安保条約等の適用がないということであります。
国家領域といいますのは
主権の及ぶ空間、すなわち領土、領海及び領空のことというふうに理解してよかろうかと思います。したがって、すでに見たように
主権の及び得ないことが明らかな
大陸だなに対して、これは
国家領域には入りません。したがって、
国家領域に対する攻撃というものを
前提とする
安保条約も
大陸だなには適用されないことになります。言いかえれば、
大陸だなにある施設が仮に攻撃を受けた場合は、公海にある船舶が攻撃を受けた場合と同列に考えればよいということになろうかと思います。
第三に、署名後の事態の推移というものをすべて考慮に入れるとしますと、
条約というのはなかなか
締結できないことになるのではないかということであります。
条約の署名と申しますのは、ある特定の時点におきまして当事国の利害が一致したことのあらわれでありますから、国際
情勢というものはそれにかかわらず常に流動的でございます。署名後の
情勢はほとんど必ずといってよいぐらい当事国のいずれか一方にとっては有利に、したがって他方にとっては不利に展開すると考えられます。そこで、もし署名後の
情勢の展開が自国に不利だと考える当事国が常に批准を拒否するか、少なくとも延期するとすれば、
条約が発効するという
可能性はきわめて小さなものにならざるを得ない。
海洋法会議において二百海里
経済水域が確立する公算が大きいことを理由に、
日本の国会がこの
協定の
承認を見合わせるといたしますと、——私は国会にそうする権限がないとか、あるいは見合わせるのがいけないと言っているわけではございませんが、仮にそういたしますと、逆に
大陸だなの自然延長論が採択される公算が大きい場合には、今度は韓国の方が批准を見合わせるというようなことになるわけであります。したがって、
大陸だな
協定が
両国の批准を得て首尾よく発効し得るというのは、日韓
両国がともに
海洋法会議の将来の進展が自国に不利であろうと考えた場合に限られるということになります。しかも、客観的に見ますと
会議の進展が
両国にとって同じ
程度に不利であるということは考えられませんから、したがって、結局
条約というものは当事国のどちらかが将来の
見通しを誤った場合にだけ
意見の一致を見て発効し得るという妙な結論にならざるを得ません。したがって、将来の
見通しというものは署名の前に十分につけておくべきでありまして、一たん署名した以上は、署名のときに考えられなかったようなよほど大きな事情の変更がない限りは速やかに批准をするか、あるいは批准ができない場合にはその旨を相手国になるべく早く通知するというのが国家間の摩擦を避け、ひいては国際の平和に寄与するゆえんであろうかと考えます。
なお、国会の
条約審議権を無視ないし軽視するのではないかというおしかりをこうむるといけませんから、あらかじめ一言つけ加えておきますが、私がいま申し上げたのは国際法上の一般原則でありまして、
日本国憲法とは直接関係ございません。国際法から見ますれば、
条約の
締結に国会の
承認が必要かどうかということはもちろん、国会というものの存在が必要であるかどうかさえそもそも問題にならないわけでございます。言いかえれば、批准がおくれたという事実だけが問題であって、
政府が
条約案を国会に提出をしないのか、あるいは国会がなかなか
承認をしないのか、あるいは国会は
承認したのに
政府が批准をためらっているのか、そういったいわば家庭の事情は国際法の目から見た場合には一切不問に付されるわけでございます。
第四点は、妥協点というものが両当事者の最初の主張の内側において、しかも両者の力関係によって決定されるということでございます。これはわれわれの日常生活においてもしばしば体験するところでございますし、ことに妥協点というのが力関係によって大きく左右されるということは、保革伯仲と言われる最近の政治において先生方がよく御存じのことだろうと思います。
そこで、日韓の間に力関係の差があるかどうかということをまず考えてみます。力というときにいろいろな指標をとれますが、すべてについてお話しするわけにはまいりません。たとえば
経済力というものをとってみますれば、もちろん
日本の方が大きく水をあけておりますが、もし兵隊の数、まあ兵隊というか兵力といいますか、軍事力ということになりますと、あるいは韓国の方が上回るという評価も出てくるかもしれません。ただし、
大陸だなの問題に直接関係があるのは、そういった
経済力や軍事力ではなく、むしろ
両国の主張の合法性とか、あるいは妥当性の強弱、強い弱いであろうかと考えます。
ところで、
日本にとってきわめて不幸なことは、深い海溝が
日本寄りにあるというこれ事実がございます。そうであります以上は、
日本が中間線、韓国との
大陸だなの真ん中の線、中間線よりも韓国寄りに近い水域に対してまで
わが国の
主権的権利を及ぼし得るという国際法上の根拠は現在のところちょっと見当たりません。その
意味では、
日本としましては中間線を主張するのが精いっぱいでありまして、したがって、最初の主張がまず中間線であるということになります。そうだとすれば、その後の妥協というものがその中間線よりさらに外に向けて押し出せるということはあり得ない。いずれかといえば、多かれ少なかれその中間線より内側、つまり
日本国寄りに落ちつかざるを得ないということになろうかと思います。したがって、中間線より
日本国寄りに
共同開発区域を認めるならば、同様に中間線より韓国寄りにも同様な区域を設けるべきであるという主張もときどき耳にいたしますが、それはどうもそもそも初めから無理な注文と言わざるを得ないと考えます。
第五の点は、しからばその中間線論と自然延長論とではどちらが有力かという点であります。
日本が主張しております中間線論、あるいは韓国が主張しております自然延長論でありますが、現在の時点におきましてはほぼ互角ではなかろうかと思います。
第一に、向かい合う二つの国の間で
大陸だなをどう分けるかという一般論としてとらえれば、中間線によった例が圧倒的に多いことは明らかでございます。ただ、それらの例をつぶさに検討いたしますと、その大部分が海底の地形に余り問題のない場合であることがわかります。つまり、ペルシャ湾のように湾全体の水深が非常に浅いとか、あるいは向かい合う
両国の
大陸だなの傾斜がほぼ等しい場合でありまして、
日本寄りに深い海溝のある日韓
大陸だなにそのまま当てはめるわけにはいかないようであります。日韓の場合に似たケースはいままでに四つあるようでありまして、そのうちの三つにおいては、海溝の存在を無視して中間線をとっております。残りの
一つにおいては、自然延長に近い線で
境界が画定をされております。したがって、単純に数の上だけから言いますと、中間線論の方がやや優勢、つまり
日本の立場の方がやや有利であると言えますが、ただ、それら三つのケースがいずれも一九六〇年代の
協定であるのに反しまして、自然延長論に基づく
協定が結ばれたのが七〇年代であるという点に若干問題がありそうであります。なぜなら、それは六〇年末までは中間線論が優勢であったとしても、七〇年に入ってからは自然延長論が次第に有力になりつつあることのあらわれとも考えられるからであります。
第六点は、
大陸だなと
経済水域とではどちらが優越するかという問題であります。
日本が依拠しております中間線論というものが将来頼りないとすれば、今度はいわゆる二百海里の
経済水域論によって、現在
共同開発区域に予定されている部分を
日本の排他的管轄のもとに置くことができるのではないかといった主張もよく耳にいたします。これは現在進行中の
海洋法会議において
経済水域論が確立され、しかも自然延長論より優越的な地位を与えられるであろうといった予測を
前提とした主張だと言ってよいでありましょう。
ところで、この点について外務省は次の二つの理由から、その予想とは全く逆の
見通しをお持ちのようであります。外務省がそう信ぜられる第一の理由は、
アメリカ、中国、インドといったような大国がいずれも自然延長論を強く主張しているという点であります。確かにそれは事実でありますし、
大陸だなが距岸二百海里を超えて大洋に延びている場合には、その主張が恐らく多数
意見となるであろうという
可能性が十分ございます。けれども、
大陸だなをはさんで二つの国が向かい合っている場合には、自然延長論を唱える国の反対側、対岸には必ずそれに反対する国があるはずでございます。——必ずとは言いません、恐らくそういう国があるというのが普通であろうと思います。そうしますと、つまり賛否が常に同数であるという形になりますので、果たしてそれが問題解決の決め手になり得るかどうか、私はいささか疑問に思っております。
それから外務省が主張される第二の根拠は、
経済水域は数年前から台頭をしてきたいわば新しい概念にすぎない。したがって、
トルーマン宣言以来三十年の伝統と実績とを備えた
大陸だな理論より優位に立つことは恐らくあり得まいという点にあるようでございます。しかし、この点もああそうですかと素直には受け取りにくいところが多少ございます。なぜなら、もしこの論理でまいりますと、グロチウス以来三百年以上の伝統と実績とを備えておりました公海自由の原則が、戦後の新参者とも言うべき
大陸だな理論に敗れるはずはないということになりますが、実際には
大陸だな理論の方がわずか十年たつかたたないうちにりっぱに確立してしまったという過去の事実があるからでございます。
もちろん、外務省の場合には
各国代表と直接に接触され、われわれが持っているのとは比較にならないぐらい大量の情報、資料に基づいて判断をしておられるわけですから、確率から言えば外務省の言われるとおりになる確率の方が大きいということは十分に考えられます。しかし、いずれにしてもこれは予測の問題でございますから、ひっきょう水掛け論に終わらざるを得ません。
そこで次には、
経済水域論と
大陸だな理論とが抵触する場合、衝突する場合、前者を、つまり
経済水域論を優先させるという原則が海洋法の
会議で確立したという仮定、
一つの仮説、仮定の上に立って、さらに問題のありかを探ってみたいと、かように考えます。
第七点は、
経済水域論が確立すれば、すべてめでたしめでたしとなり得るかということであります。自然延長論の優越性が
海洋法会議で認められた場合に比べまして、二百海里
経済水域の優越性が認められた場合の方が、日韓の関係に関する限り、
日本にとってはるかに有利であるということはもちろんであります。しかしその場合でも、恐らく
日本としては手放しで喜ぶわけにはいきそうもありません。
第一に、白紙の
状態から新たに交渉を始めるのであれば問題はございませんが、日韓
大陸だな
協定というものをすでに署名してしまっている以上、いわゆる白紙還元ということはとうてい望むべくもないからであります。その点について
政府が少し早まったというもし批判が出るかもしれませんが、それはあそこでホームランが出るとわかっていれば無理してランナーを盗塁させるんじゃなかったと、それでアウトになるんじゃなかったというのと同じでありまして、いわば結果論にすぎないと思います。言いかえますと、三年前あるいは五年前の時点において海洋法の結論を予見するということは何人もできない、できなかったのではないかというふうに考えます。
第二に、日韓双方のこの二百海里
経済水域はほぼ完全に重なり合います。ここに地図がございますから、もし関心のおありの方は後でごらんいただければいいかと思いますが、
日本の排他的
管轄権のもとに入るのは
共同開発区域の南の方のほんの一部にすぎません。韓国の二百海里
経済水域をとりますと、
日本の中国地方、それから四国、九州まで全部かぶりますし、あるいは
日本のは朝鮮半島のかなり深いところまで及びます。この中間線は大体
大陸だなの中間線と一致するわけで、わずかに赤の斜線を引いた部分、これだけがまあ
共同開発区域の中で
日本だけの専管、排他的な
管轄権のもとに入り得る
可能性のある区域ということになります。したがって、その他の部分についてはいままでと同じ問題が依然として残るであろうということになります。
それから第三には、過去において李承晩ラインとかというもので公海の自由を侵害したり、あるいは現在なお竹島を私に言わせれば不法占拠している韓国のことであります。したがって、仮に
経済水域という法律的なにしきの御旗が
日本に与えられたとしましても、それでは中間線より
日本寄りの水域において韓国が単独
開発をしないという保証は実はどこにもないのではないかと思います。
第九の点は、批准を先に延ばせばしからばどうなるかという点であります。
海洋法会議で
日本に最も有利な結論が出たと仮定した場合でさえ、いま申し上げたように多くの問題が残るわけでありますが、実際に
海洋法会議の最終的結論が出るのは何年先になるか、なかなか予見しにくい事態でございます。にもかかわらず、一縷の望みをかけてその日までこの
協定の批准を延ばした場合には果たしていかなる事態が起こるであろうかということを簡単に考えてみたいと思います。
もとより、署名した
条約はすべて批准しなければならないというわけではありませんし、まして、署名後どれだけの期間内に批准すべしということを定めた国際法というものもございません。しかし、当事国の一方がしかるべき期間内に批准をしなければ、他方の当事国が少なくとも署名した
条約の内容を尊重する義務から解放されるということは十分に考えられます。木
協定の場合にも、署名からすでに二年以上もたっておりますので、もし
日本がこれ以上批准をおくらせれば、韓国はある
意味でフリーハンドを得ることになります。
経済水域論が海洋法で確立したと仮定した場合と異なりまして、中間線論と自然延長論とが優劣つけがたい現在では、韓国は自然延長論に基づき、この中間線より
日本寄りの水域において、いわば大いばりで単独
開発を始めることが法的には可能なわけでございます。
そうなれば、せっかく本
協定に詳細に定められた汚染防止措置とかその他もろもろの規定がすべて御破算になり、したがって、たとえば
石油の漏出等によって
わが国の漁民が大きな損害を受けるという危険も格段に大きくなることが予想されます。
次に、しからば韓国による単独
開発を阻止する
手段というものがあり得るだろうかということを考えてみます。
わが国としては、結論から先に申しますと、どうもそれを阻止し得るだけの有効な
手段はないのではないかというのが私の印象でございます。
第一に、
日本が仮に韓国の方には一銭も融資しないといたしましても、韓国から採掘権を得ておりますのはシェルとかガルフとかあるいはテキサコといったいわゆるメジャーがほとんどでございますから、必要な資金には恐らく事欠かないであろうと思います。
第二に、韓国のそういう単独
開発、しかも
日本寄りの水域における単独
開発につきましてこれを裁判にかけようと思いましても、国際社会にはすべての国に対して強制
管轄権を持った裁判所というものが存在しておりませんから、したがって、韓国がうんと言わない限りは裁判で決着をつけるということもできない相談であります。
第三に、そうかといって、れっきとした
日本の領土である竹島を不法に占拠されてさえ、遠くから様子をうかがうだけの
わが国でありますから、中間線より
日本寄りの水域に韓国の油井が一本や二本立ったからといって、直ちに実力でこれを排除しにかかる——もちろん排除するだけの実力があるという仮定の上に立っての話でありますが、仮にあるとしても、実力でこれを排除しにかかるとはとうてい考えられません。
以上の考察からも明らかなように、実際にわれわれに許されておりますのは、実は本
協定をいま批准するか、それとも
日本に有利な結論が
海洋法会議で出ることを期待して批准を先に延ばすか、そういう選択ではない。われわれに許されておりますのは、
日本にとって必ずしも一〇〇%満足とは言えないとしても、この
協定を批准するか、あるいは韓国による単独
開発に目をつぶるかという選択でしかないわけであります。こうした不毛の選択を迫られるというのは決して愉快なことではありませんが、もしどうしてもと言われれば、私は韓国による単独
開発よりも、一応秩序ある
開発とか、あるいは高い保安基準とか、紛争解決のための手続等を詳細に明文化してある本
協定の批准の方を選択したいと思います。
まだ述べたいことはたくさんございますが、時間でございますので、あと御質問があれば答えさしていただくことにいたします。
以上で私の
意見の開陳を終わります。