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1977-03-14 第80回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十二年三月十四日(月曜日)     午前十時二分開議  出席分科員    主査 木野 晴夫君       瓦   力君    瀬戸山三男君       井上 一成君    上原 康助君       川口 大助君    田口 一男君       千葉千代世君    野坂 浩賢君       安井 吉典君    近江巳記夫君       権藤 恒夫君    古川 雅司君       大原 一三君    中川 秀直君    兼務 井上  泉君 兼務 上田 卓三君    兼務 大原  亨君 兼務 金子 みつ君    兼務 二見 伸明君  出席国務大臣         自 治 大 臣         国家公安委員会         委  員  長         (北海道開発庁         長官)     小川 平二君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)         (沖繩開発庁長         官)      藤田 正明君         国 務 大 臣         (行政管理庁長         官)      西村 英一君  出席政府委員         内閣法制局第四         部長      別府 正夫君         人事院総裁   藤井 貞夫君         人事院事務総局         任用局長    今村 久明君         人事院事務総局         給与局長    茨木  廣君         内閣総理大臣官         房同和対策室長 今泉 昭雄君         総理府恩給局長 菅野 弘夫君         社会保障制度審         議会事務局長  竹内 嘉巳君         警察庁刑事局長 鈴木 貞敏君         警察庁交通局長 杉原  正君         行政管理庁行政         管理局長    辻  敬一君         行政管理庁行政         監察局長    川島 鉄男君         北海道開発庁総         務監理官    黒田  晃君         沖繩開発庁総務         局長      亀谷 礼次君  分科員外出席者         内閣総理大臣官         房参事官    久保田眞苗君         国立公文書館長 岩倉 規夫君         警察庁交通局交         通指導課長   広谷 干城君         警察庁交通局運         転免許課長   八島 幸彦君         防衛庁人事教育         局教育課長   木梨 一雄君         国土庁長官官房         審議官     宇都宮 寛君         法務省刑事局刑         事課長     吉田 淳一君         法務省人権擁護         局調査課長   宮本 喜光君         大蔵省主計局主         計官      岡崎  洋君     ————————————— 分科員の異動 三月十四日  辞任         補欠選任   安宅 常彦君     佐野  進君   上原 康助君     千葉千代世君   近江巳記夫君     古川 雅司君   大原 一三君     中川 秀直君 同日  辞任         補欠選任   佐野  進君     田口 一男君   千葉千代世君     野坂 浩賢君   古川 雅司君     権藤 恒夫君   中川 秀直君     永原  稔君 同日  辞任         補欠選任   田口 一男君     安井 吉典君   野坂 浩賢君     井上 一成君   権藤 恒夫君     近江巳記夫君   永原  稔君     大原 一三君 同日  辞任         補欠選任   井上 一成君     川口 大助君   安井 吉典君     安宅 常彦君 同日  辞任         補欠選任   川口 大助君     上原 康助君 同日  第二分科員上田卓三君、第三分科員井上泉君、  第四分科員金子みつ君、二見伸明君及び第五分  科員大原亨君が本分科兼務となった。     ————————————— 本日の会議に付した案件  昭和五十二年度一般会計予算内閣及び総理府  所管(経済企画庁、国土庁を除く)      ————◇—————
  2. 木野晴夫

    木野主査 これより予算委員会第一分科会を開会いたします。  昭和五十二年度一般会計予算内閣及び総理府所管について質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。千葉千代世君。
  3. 千葉千代世

    千葉分科員 私は、国際婦人年の中の「国内行動計画」に関連して、総理府総務長官に質問したいと存じます。  国連国際婦人年決定しました当時は、世界各国日本も含めて、官民挙げてのお祭り騒ぎのような観を呈しておりました。しかし、今日、国際婦人年の「国内行動計画」を各国で立てる段階に入りました。そういう中で、各国各様に立てられておるように聞きますけれども日本においてもこの案を拝見いたしますと、なかなか私ども考えとはほど遠いような問題が各所に見られます。私は、それに入ります前に、まず婦人の日の設定の件でお伺いいたします。  政府与党の中で、三月三日を婦人の日として国の祝典としたい、こういう案が出されて、その後くすぶっているようでございます。私は、この婦人の日の設定についてどういう趣旨でこれを出され、どういう手順を踏まれ、そして今後もこのくすぶったものが再燃しはしないかという心配がありますので、その辺を総務長官からお答えいただきたいと思いますが、特にこの国内計画にもありますように、男女分業化を固定したような方向は、これは排除していく、本当男女の平等を打ち立てていくというときに、単なる思いつきで五月五日は子供の日、三月三日は女の日、こういうふうに形式的にやられたのでは、これは本当婦人年計画と大変相違うのではないか、そういう点について一言だけお答えいただきたいと思います。
  4. 藤田正明

    藤田国務大臣 千葉先生にお答えしますが、政府与党の間で、いま婦人の日ということを何か相談して決めておるような状況だとおっしゃいましたが、政府の方は何らまだそういうことにはタッチいたしておりませんで、自民党内部の方でそういううわさがあるやに聞いております。いずれにいたしましても、自民党内部の方の意見がまとまりますれば、政府の方に何らかの話があると思いますが、政府といたしましてはよく民意を調査いたしまして、特に先生方の御意見もよくお聞きいたしまして、それから考慮するというふうな態度をとろうと現在は思っております。ですから、現在は政府与党ではなくて、自民党内部でそういう話がある、こういう段階でございます。
  5. 千葉千代世

    千葉分科員 あなたは関係のないようにおっしゃいますけれども、やっぱり与党内閣の一人でございますので、そういう煙がありますと、えてしていままでの国の祭日が決まります段階では、初め煙であったのがだんだんそうではなくなったという経緯が幾つもございます。そういう意味で、あなたはそういう話に対して、進んでこの「国内行動計画」と少し反するようなことはやめた方がいいという御意見を申し上げる気持ちはございませんでしょうか。
  6. 藤田正明

    藤田国務大臣 正式に何ら相談がございませんので、この婦人の日ということについては考えておりませんけれども、しかし、婦人の日が設定されたからといって、「国内行動計画」と相反するか、あるいは婦人の日というものをどういう意味設定するか、それによっては相反しないのではないかというふうなことは、断定的にはいま言えない、かように思っております。
  7. 千葉千代世

    千葉分科員 大変聞こえのいい御答弁なんですけれども、出てみなければ相反するかどうかわからぬとおっしゃるけれども、この中には、単に三月三日を女の日にしたらいいじゃないか、こう言っている。私が心配いたしますのは、ちょうどこれは昭和二十三年の資料を出してみたのですけれども、当時は婦人参政権を与えられたと言いますか、行使したと言いますか、その四月十日と三月八日の国際婦人デーをめぐって、これは各党婦人あるいは全般の婦人たちで大変争われたわけなんです。長いこと争われまして、そして婦人月間というのを設定して、中間をとってやって続いてきている、こういういきさつもありますわけで、二十二年、二十三年、ずっとそういう経緯をたどっておりますので、ただ単に三月三日おひなさまだという、おひなさまについてあれこれ私は申しませんけれども、やはり発想とそれからこの方向とを考えましたときに、やはり本気になって与党の皆さんも考えるし、国民全体が納得する方向で決められなければならないし、いま直ちにやるということについては私も反対意見を出して、これを終わりたいと思っております。  それから、この国内行動計画案をつくるに際しまして、久保田室長さんは、推進会議本部長であります福田さんに対して何回出席を御要請なさったでしょうか。というのは、後で申し上げますが、どの国でもやはりその国の政治の責任者がこれに参加して、実際的に行動しているわけなんです。福田さんはお忙しいようですけれども、私、寡聞にしてまだ福田総理本部長として推進会議にお出になって御意見を出したということも聞いておりません。と同時に、各大臣、たとえば保育とか幼稚園の問題で心配だからということで、文部大臣とどういう話をしてこの会議にお呼びしたか、あるいは厚生大臣をお呼びしたか、それから、この計画の中でやはり婦人労働権をきちっと確立するということが基本のように思いますが、労働大臣は御出席なさったか、あるいは御要請なさったか。要するに各省がばらばらなような体制、今後もこの行動計画を実施していくのにこのままでいったのでは、やはりばらばら行政のままでいくんじゃなかろうか、こういう心配がありますので、あなたのお立場としてどのように御要請なさったかということと、それから、これは男子も含めて、むしろ男子責任を持つぐらいのことがなきゃならないと思うのですが、どんなような取り組み方でいらっしゃるか、御情勢を伺いたいと思うのです。
  8. 久保田眞苗

    久保田説明員 婦人問題企画推進会議は、藤田たき先生を座長とする民間有識者三十人の会でございますけれども、ここに私どもといたしましては、総理それから総理府総務長官、副長官、それから各省幹事、このようなところに御連絡を差し上げまして、御出席を依頼しているところでございます。  それで実際問題といたしまして、婦人問題企画推進会議最終意見を発表いたしましたのは昨年の十一月六日でございまして、その後内閣が変わっておりますので、その最終意見までの段階では、私の記憶いたしますところでは、三木総理は二回出席なさっております。総理府総務長官はでき得る限りその都度御出席になっておりますし、副長官も同様でございます。また、各省からはでき得る限り幹事が参加いたしまして、参加ができない幹事の場合にはその代理の課長などが必ず参加してやってきております。それから労働権その他の問題につきましては、これは労働大臣をこの会議に直接御依頼は申し上げたことはございませんけれども労働省本部員ないし幹事に依頼いたしまして、ほとんどの場合幹事出席しております。つまり婦人少年局長出席しております。そして労働大臣の場合は、婦人問題企画推進本部本部員事務次官でございますので、これらの問題につきまして行動計画を取りまとめます際には、幹事会及び本部会を中心といたしまして、もちろん事務次官労働大臣までいろいろな御協議をいたした上取り決めております。  以上お答え申し上げます。
  9. 千葉千代世

    千葉分科員 なかなか大臣お忙しいようなんですが、これは国連決定の中には、政府がやはり国を挙げてやるということが大前提になっているわけですね。特に後進地域では先進国を見習って立案計画もなされているようですから、そういう意味で、すでに男女差別待遇がほとんど撤廃された国々、そういう取り組み方等々を交えまして日本の国の立場を見ますと、まだまだ容易ではないと思うのです。特にこの際、いまのような取り組みでは、室長さんたちも、かなり私は自分勝手に想像して、どうもやりにくそうな点があったんです。非常に肩に重荷がかかっていらっしゃるのです。テレビの放送それから会合等で、私、すみの方で拝見しておりますと、非常に一生懸命やっていますけれども、何か重荷がびしっとのしかかって一身にしょっていらっしゃるのですが、これはやはり荷をもっと公平に分担し合って、そして政府みずからが責任を持つという態度を見せてほしい、これは要望でございます。もちろん課長さんもその道のベテランでありますから、大変ありがたいと思いますけれども、やはり責任者がそこへ出ていって、これはどうなっているんだ、よその国ではこうなっているんだけれども、国情が違うと言うけれども日本現状と照らしてはどうだ、こういう面が出ていかないと、これはどうも先細りのような気がしてならないのです。そういう点で今後の取り組み方についてやはり一段の、総理府総務長官としても各大臣方にこれはひとつまだ宣伝していかなければならない段階じゃないかと思うのです。よく御存じない大臣がいるのですよ、御存じですか。まるきり関係のない顔をした人がいるのです。だから、そういうことになってくると、これは大変だと思います。そういう意味で、これは大変強い要望ですけれども申し上げておきます。  各省ばらばら大変心配だということは、たとえばどんなことかと申しますと、働く婦人の問題ですけれども、私どもが、昭和三十年に産休補助教員法をつくって、それから約二十年たってから五十年に育児休業法を成立していただいた、この三十年のときにすでに一緒育児休業もと言ったけれども予算その他の問題があってこれは後ほどということで延び延びになって、やっとできたわけです。やっと実施して一年たってみますと、育児休業をとった教員の例で見ますと、全国で赤ちゃんを産んだ方が約一万五千人、その中で休業をとった方が六千人、といいますと、いままでお産のためにやめておった六千人とほぼ同数がとったことになります。その人が、たとえば二人の赤ちゃんがおりますというと、一人は保育所に預けて勤めておった、そして今度は赤ちゃんが産まれるので育児休業をとって、その子供を引き取りました、産まれました、育児休業が終わりました、それで前に預けたお子さんをもう一遍預けようとしますと、もうそれはだめなんです。これは全国大変多い。特に東京、大阪、神奈川、この過密地区には多い。私の住んでおります船橋の例をとっても、お子さんを再び預けようとしても断られた学校の先生が六人おるわけです。その担当の市役所の課長さんも大変お困りになっているわけです。入れてはあげたいけれども保育所が満員で後がつかえているからだめだ、どうしようもないので、せめて職場の中でもそういう施設をということを考えるほかないですねと、こうなります。そうすると不親切であるけれども職場というのは、お産してその子一人のためにつくるわけにもいかない。こういうふうになると、自然やめなければならないという結果になってくるわけなんです。そういうふうに考えていきますと、やはり保育所とこの育児休業法、つまり文部省、厚生省その他にまたがったいろいろの問題の解決というものは、これは各省ばらばらではとてもやっていけないと思うのです。そういう面で今後この行動計画推進していくに当たって、くどいようですけれども、やはり各省がよく一緒になって総合的に施策を立てて実行するような方向を打ち出していただけないものかどうかということなんです。
  10. 藤田正明

    藤田国務大臣 先生がおっしゃいますように、各省庁にまたがった婦人問題でございますから、その各省庁間の連絡は密にすべく、従来も幹事会とかそういうものでやっておったわけでございますが、お説のようにより密接に連絡をし合いながら、問題の解決あるいは推進に当たっていきたい、かように思います。
  11. 千葉千代世

    千葉分科員 それから三番目に、各国具体的計画、特に国際婦人年決定当初からの具体的計画、その中で特に人的の配慮、それから予算的の配慮世界の国ではどのようにしておったか、日本では幾ら予算を計上したかという点についてちょっとお答えいただきたい。
  12. 藤田正明

    藤田国務大臣 御承知のとおりに、五十年の六月、七月に婦人年会議がメキシコであったわけでございます。いまから言いますと一年半ちょっと前でございます。日本の方では、いち早く五十一年の四月には概案を発表いたしましたし、本年の二月一日には国内行動計画を発表いたしました。  どうも各国様子がよくわからない点があるのでございますが、現在幾らかわかっておるのは、フランスフィリピンインドネシア、そういうところはわかっております。フランスのごときは、婦人のための百の施策というふうなものをいま書き出しておるようでございますが、これは現在のフランスの御婦人方現状労働界における現状あるいは家庭における現状、いろいろな面におけるそういうふうな現状の把握を並べて、その下に百の問題を指摘している、そういうものを発表しているにすぎない。それからフィリピンにおきましては、現在、婦人役割り委員会というものをつくって検討中である。インドネシアの方は、少し進んでおるように聞いておりますが、これも国内行動計画をいまだ発表いたしていない。しかし、検討は進んでおるというふうに聞いております。  いま婦人対策の方で各国現状を把握すべく努力をいたしておりますが、現在わかっているのはこの程度で、どうも日本が一番最初に行動計画も発表し、一番熱心にやっておるんではないかというふうに思っております。
  13. 千葉千代世

    千葉分科員 私、特に人的配慮予算的措置をどうしているかと聞いたのは、ペーパープランの立った国はどこどこと聞いたのではないのです。国連決定した当時、国を挙げてやるという国連決定に忠実に従って、カナダではまず六億をとった。それからオーストラリアは、私、行って調べましたが、八億とっているのです。ソビエトも行ってきました。それについても約四億。日本は、そのときに一番初めに二千二百万組んだのです。婦人のために二千二百万組んだといって大変いばっていらっしゃったのですが、私、それで大変何か情けない感じがしたのを覚えておって、しかし、まだまだそういう点かなと思って各国様子を調べてみたらば、たとえばスウェーデンは、あなたがおっしゃったような具体的な問題として、まだおくれた男性の啓蒙の年にするというのがスローガンなんです。すばらしいじゃないですか。ちょっと思い当たるところもあるような気がします。それからオーストラリアは、政府が各地に女性地域センターを設置して、ずっとこれを発足して、行動計画をもうその年からやっているわけなんです。改めてペーパープランではなくて、その年にもう立ってしまっているということです。フランスはおっしゃったとおりでしょう。大統領が出まして、婦人地位相という大臣が議長で大集会をやりながら全土に及ぼしている。イギリスでも、これは五十一年末までに九十七回を超える集会をやって、地位向上と性別の分業化反対をやっている。ソ連は、これは大変熱心で、諸外国、特にアジア地域婦人層青年層を組織していくこともやっているし、自国の発展における婦人役割りというものまでも五カ年計画に位置づけてやられているというように、国として取り組んでいるということが出てきているわけです。  これを言っていると時間がなくなるのでやめますが、西ドイツは、大変いいと思ったのは、法律面と実際面との調べをする。まずそれをすることからやるということがあったわけなんです。それから、インドフィリピンとありますが、フィリピンでは精神構造の改善その他を挙げておりますし、インドは、女性権利意識を徹底させなければとてもインドは再建できないというので、ガンジー首相が先頭に立って身をもって血みどろになってやっている、こういう段階なんです。  そこで、西ドイツだけではなくて、法律面と実際の差ですが、日本婦人均等待遇法令というのはたくさんございます。時間の関係で省略しますけれども、この前政府の方々がテレビその他で御答弁なさった中で、この基本は何ですかと聞かれたらば、もちろん憲法基本ですよと言っている。そんなのはあたりまえのことなんですよ。憲法の中のたとえば婦人労働権を確立していきたい、これは強い意思を持つし、国連行動計画にもあるわけなんです。そういう中で、私は、基本の中でまず男女が平等で働く場所を提供する、そしてこれを推進していくということがなければ本当の解放はないと思うのです。この憲法十四条から出た六つの法、たとえば労働基準法三条とか労働組合法国家公務員法地方公務員法職業安定法三条等々と挙げられているわけなんです。  私がいまここで伺いたいのは、この国内計画の中で婦人労働権確保するということを、この基本の中のどの地位に挙げているでしょうか。たとえば第一番目に挙げるとか第二番目に挙げるとか優先順位があるわけですね。ただべらっと並べて、こんなにいいものですとペーパープランを出されたって、これはだめなんですよ。どこの国でもやっぱり行動順位があるわけなんです。そういう面でお尋ねいたしますけれども、いかがでしょうか。
  14. 久保田眞苗

    久保田説明員 労働権確保につきまして、もちろん憲法にいろいろな規定がございまして、これを受けまして、労働基準法におきましても、賃金につきましては差別のない取り扱いをすべきであるという規定がございます。また、そのほか民法等の公序良俗に基づく判定によりまして、労働権につきましてもいろいろな判例が積み重ねられているところでございます。  私どもといたしましては、この「国内行動計画」の「法制上の婦人地位向上」というところに、今後必要な平等の確保のための法令の見直しということをうたいました上、また、「雇用における条件整備」の条項でも、雇用職業における平等の確保に必要な施策推進ということをうたっております。また、これは労働省審議会でございますが、労働省審議会におきましては、雇用平等の確保ということを婦人労働対策の最重点として推進すべしという婦人少年問題審議会建議が行われておりまして、この建議を十分尊重して事を進めるということを言っておるところでございますので、私は、この雇用の分野におきましては、雇用の平等の確保ということを優先順位の上で非常に高い優先順位をもって今後進められるものというふうに理解しております。
  15. 千葉千代世

    千葉分科員 大変いいお答えをいただいたのですが、優先順位雇用確保というものを挙げていただいておる。そうすると、これを基礎としてきちんと実行していくためには、やはり国際的な裏づけがないとこれはだめなんですね。そういう意味で、ILO四つ条約批准のことについてどのようにお考えでしょうか。それはもう私が申し上げるまでもなく、百十一号職業差別待遇に関する条約雇用の問題、それから百三号母性の保護の問題、それから百二号、これは条約の未批准部分の問題がありますね、家族給付その他について。それから八十九号、まずこの四つ批准世界共通の中で日本も同じように批准していかなければ、これはやはり足並みもそろわないし、おくれている雇用関係その他の是正もできないと思うのです。準拠する国内法律を直していくには、当然これに沿った完全な国内法律の改正がなければならないと思うのですが、その点どのようにお考えでしょうか。
  16. 久保田眞苗

    久保田説明員 先生御指摘のとおり、ILOの百十一号ほか百三号、八十九号等批准いたしますためには、国内法整備が必要でございます。それで、国内法整備につきましては、ただいま労働省労働基準法研究会におきまして関係の事項を検討し続けておるところでございますので、その結論を待って対処するということといたしております。また百二号条約の未批准の部分につきましては、母性給付等につきまして、私どもの「国内行動計画」におきましても、特に分娩給付等非常にこれまでも努力してまいりましたし、今後も努力するということを明記しておるところでございます。
  17. 千葉千代世

    千葉分科員 時間がありませんのでやめますが、最後に、この行動計画の作成前後に、婦人団体ばかりでなくて各層の団体からたくさんの要望書が出されていると思うのです。ぜひ総理府長官を初め各大臣がごらんいただいて、重点は何であるかということを把握されて対処されますように心からお願いいたしまして、質問を終わります。  ありがとうございました。
  18. 木野晴夫

    木野主査 次に、井上泉君。
  19. 井上泉

    井上(泉)分科員 最初に、総理府長官に救護看護婦に対する恩給法適用についての問題についてお尋ねいたすわけですが、この前総理府長官に陳情したときに、救護看護婦のこの問題を取り上げて運動されておる派遣看護婦の方と一緒に行ったときに、ある地区の看護婦さんが長官にお手紙を差し上げてある、ところが長官はまだその手紙を読んでない。そのときに総理府関係者の方が、そうした国民からの手紙を粗末にするようなことはしない、どこかの局でこれは担当の局へ回してあるだろう、そのうちに総理府長官にもお見せする、こういう話をしておったのですが、ごらんになったでしょうか。
  20. 藤田正明

    藤田国務大臣 いただきました。読みました。
  21. 井上泉

    井上(泉)分科員 それで、それを読んでどういうふうにお感じになったですか。
  22. 藤田正明

    藤田国務大臣 従軍看護婦の方々が非常に苦労されたこともよくわかりますし、そしてまた、その取り扱いにつきましてきわめて慎重に前向きにやらなければならぬ、後ほどまたいろいろ御質問がございましょうけれども、そのように考えております。
  23. 井上泉

    井上(泉)分科員 慎重にやられるということは非常に結構ですけれども、慎重ということによって非常に問題が長くなるわけで、もう終戦後三十年以上経過した今日、そうしてまた手紙の中にもありましたように、女として非常な困難な中に生き延びてきて帰って来ておる、つまり青春というものをお国にささげて、もう大半の者が五十歳以上になって未婚の状態の中にある、あるいは未婚でなくとも後妻とかその他のことで、世間一般で考えられるような女の生活というものを営む期間が非常になかった、そういう苦しい状態の中で従軍看護婦というものが今日なお生き続けられているということ。そこで、五十年十二月十八日に衆議院の内閣委員会で、あるいはまた五十年の十一月六日に参議院の内閣委員会で恩給法等の一部を改正する法律案が議決されたときに、その附帯決議として、「戦地勤務に服した日本赤十字社の救護看護婦の処遇については、旧軍人、軍属に比して不利となっているものがあるので、その救済措置を図るよう検討すること。」が決議されて、以来政府関係当局において鋭意検討、研究中である、こういうことを承知をしておるわけでありますけれども、つまり五十年から五十一年、五十二年と経過をしてきておるわけですし、一体いつごろまでにこれについてのめどをつけるのか、現在の検討段階等について説明を承りたいと思います。
  24. 藤田正明

    藤田国務大臣 現在、先生御承知のように従軍看護婦の方々におきましても、内地に帰還されましてそして公務につかれた方々には、通算ということになっております。抑留期間がその通算期間から外れておりましたので、五十二年度からは抑留期間を通算の中に入れるということを手始めとしていたしました。  それからまた、いまのような従軍看護婦の方々がまことに大変な、きわめて悪い状況下にあった、そして、いまもそれが何ら遇されてないということにつきましては、十分に承知いたしております。ただ、従軍看護婦の方だけを全然別個にやるということについて多少いろいろと問題がございます。それは軍属の方々も多数おられるわけでございますので、それらの方々とどういうぐあいな縦分けをしなければならないのか、横並びしていいのかどうか、その辺の勉強をいましておる最中でございます。
  25. 井上泉

    井上(泉)分科員 従軍看護婦の方々についてはやらねばならぬと思うけれども、それだけではなしに、それに関連するものが、たとえば軍属の関係とかいろいろ言われるわけですけれども、そうすると、そういうような問題が処理されるまで、依然として従軍看護婦に対する処遇の措置がなされないということは、これは女ですから——いまも千葉先生婦人の問題についていろいろ質疑をされておったわけですが、従軍看護婦というものがどういう状態にあったのかということ、これはぼくも自分自身の肉親の中にも従軍看護婦で戦地で何年もおった者もおるわけであるから、よく承知をしておるわけですし、それでまた長官が先ほど手紙も読まれた、こういうことになると、やはり女でどんなに悲惨な状態の中で戦地で苦労されてきたのか、そして苦労されて帰って来た後において、また女としてどれだけ、いわば不自由な孤独な生活を味わっておるのか、そういうことを見た場合に、それで年齢がだんだん高くなっておるでしょう。この間長官のところへ陳情に来られた方に二十や三十代の女の人はいないでしょう。全部五十代以上の方ばかりでしょう。そういう人たちに対して、まだそれに影響するものがあるからということで、従軍看護婦の救済措置というもの、恩給法の適用が後回しになるということ、延ばされるということは、これは私は間違いじゃないかと思う。やはりこれは適用してしかるべきだ。こういうことならやはりしかるべきものから順次適用して、そうしてその軍属等の問題についてはあわせて調査研究を進められていくのが、これが行政としてのあるべき姿じゃないでしょうか。長官の御見解を承りたい。
  26. 藤田正明

    藤田国務大臣 まことにそれはおっしゃるとおりでございまして、一日も早くいまの従軍看護婦の方々に対する、遇する道を開かなければならない、かように思いますが、何せ軍属、雇傭人というふうなことになってきますと何十万という数になってまいります。その辺を縦分けをやるべく、実は五十二年度でございますが、調査費もとっておりまして、前進すべくいまやっておる最中でございますから、あと三年も四年もこれでお待ち願いたいとか、そういうことは申しておらないつもりでございます。
  27. 井上泉

    井上(泉)分科員 くどいようでありますけれども、救護看護婦に対しては、これはわれわれが召集にあったと同じような赤紙の召集状で召集されておるということは長官も御承知だと思うわけであるし、これはあと二年も三年もということではない、こう言いましても、やはりこれはひとつ長官長官も参議院に籍を置かれておる方であるし、五十年の十一月に議決をしておるわけですから、そういう附帯決議をなされておるわけですから、それに対してもう行政が取り組んでも決して遅くはないと思うので、その点について全体的な調査が済むということじゃなしに、やはり従軍看護婦に対する恩給法の適用については、全体の調査が暇取るというようなことも予想されるような事態においては、個々の調査のできたものからでも順次処理をされるというようなことにならないでしょうか。これは私は、そのことをくどいようでありますけれども、もう再三、昨年もずいぶんだくさんの方が陳情に来られて、総理府にもあるいは厚生省にも要請をされたわけでありますので、ひとつここらあたりで、総務長官の現在の任期中に決断を下していただきたいと思うわけですが、その点について長官の御意見をもう一回承りたい。
  28. 藤田正明

    藤田国務大臣 ただいまも申し上げましたように、五十二年度ではっきりしていることは、抑留中の期間を通算するということは一歩前進でございますし、また調査費をとりまして、そしてこの問題の解決に当たっているということも前進だと思っておりますが、なおかつそれで二年も三年も先にまではわたらないということは、ほぼ御検討がお願いできると思いますから、早急にやるべく努力をいたしております。
  29. 井上泉

    井上(泉)分科員 長官の善政を期待し、そして来年また陳情にこれらの方が上ってくることのないように、ひとつ速やかな処置をとっていただくようにお願いを申し上げて、この問題は終わりたいと思います。  次に、同和対策の問題でありますが、この同和対策の関係におきまして、私は法務省の方がおいでになっておると思いますし、まずその同和問題の中でいま私どもが最も強く運動しておるものは、いわゆる狭山事件における石川青年が無実の、いわばいわれなき差別の意識をもって獄舎に閉じ込められておる、こういう問題です。これに対して先般の当委員会においても同僚の上田議員からるる問題を指摘をされて追及をされたわけですが、もう明らかに証拠物件もそろっておるしするので、やはり私は事実審理をやって、早くこの石川青年の無実を立証するような措置をとっていただきたいと思うわけですが、現在の段階ではどういうふうな状態になっておるのか、法務省の御説明を承りたいと思います。
  30. 吉田淳一

    ○吉田説明員 刑事課長の吉田でございます。  ただいま御指摘の狭山事件につきましては、現在最高裁判所におきまして上告審が係属中でございます。その上告審におきましては、弁護人側から詳細な上告趣意書等が提出されておりまして、最高裁判所においては今後慎重にその裁判を行うものと思います。  この審理方式等につきましては、何せ裁判所が自分で必要なことは裁判所自身でお決めになるというのが現在の司法制度のたてまえでございますので、法務当局としてどうすべきだと思う、あるいはこうすべきだというような意見を法務当局が申し上げる立場にないのでございます。この点はぜひ御理解いただきたいのでございますが、裁判所の具体的な裁判に関することでございますので、裁判所として必要な措置はおとりになるものと思いますが、最終的には裁判所がどういう審理方式をおとりになるかは、裁判所みずからがお決めになる事柄である、私どもとしてはそれについてとやかく希望なり期待なり意見なり、そういうものを申し上げるべき立場にないということをぜひ御理解いただきたいと思います。
  31. 井上泉

    井上(泉)分科員 そういうふうに裁判所に権限が属することであるということはなにですが、これは法務省として、あなたとしては、今日の社会の中にやはり差別問題というものが存在をするという認識を持っておられるのかどうか、私はまず法務当局の差別に対する認識についてお尋ねしたいと思います。差別があるかないか。
  32. 吉田淳一

    ○吉田説明員 私は刑事課長といたしまして刑事事件についての所管をしておるわけでございますが、狭山事件につきましては、先生御承知のように、一審及び二審におきまして詳細な事実認定、いろいろな証拠についての慎重な判断が行われて有罪の裁判が行われた、これに対して弁護人、被告人側から、それは間違っているということで現在上告しておる、そして、それについてさらに公正な裁判が行われるという段階に来ておるということを承知しておるのでございまして、その内容につきまして裁判所としては公正な裁判を行っておるものと私どもも確信しておりますが、同じような立場で裁判所がこの事件について臨んでいるものと私どもとしては確信しておるわけでございます。
  33. 井上泉

    井上(泉)分科員 いや、差別があると考えておるのか、この社会に。
  34. 吉田淳一

    ○吉田説明員 ただいま申しましたように、私の立場は狭山事件につきましての問題でございまして、狭山事件におきまして裁判所が詳細に一審、二審で判断しておりますが、そのような先生御指摘のようなことがあって裁判が行われている、あるいは捜査が行われているというふうには私ども考えておりません。
  35. 井上泉

    井上(泉)分科員 あなたの担当でも、あなたは狭山事件だけを担当しているわけじゃないでしょう。だから私は、全般的にこの社会に、いわゆる今日の日本の社会の中に差別というものが、いわゆる同和問題についての差別というものがあると認識をされておるのか、認識してないのか。これは私はやはり法務省の役人としてこの社会には差別があると考えておるのか、差別はないと考えておるのか、やはり認識によってこの問題に対する見方も違ってくるわけなので、今日、この社会にはそんな差別はない、同和問題についての差別はない、こういう認識をしておるのかどうか、その点を承っておるわけで、くどいようですけれども、もう一回、差別が存在するのかしないのか、狭山ということだけに限定せずに、広く今日、日本の社会における差別問題というものがあるのかないのか、それをひとつ承りたい。
  36. 宮本喜光

    ○宮本説明員 同和問題全般を人権擁護の面から担当しております私どもといたしましては、残念ながら憲法で保障されております法のもとの平等が一部においてなおかつ守られていない、その一つの例として同和問題があるという認識でございます。
  37. 井上泉

    井上(泉)分科員 そういう認識の上に立って、私は、たとえば全国の地名総鑑がずいぶん各企業に配付をされておる、そういうふうなことについて、これは人権を擁護する立場から法務省としてはどういう措置をなされたのか、その措置について見解を承りたい。
  38. 宮本喜光

    ○宮本説明員 先生御承知のとおり、昭和五十年の十二月に、「部落地名総鑑」という冊子が販売されているということがわかりまして、これが部落差別を助長、拡大するきわめて悪質な出版営利行為であるという観点から、これを徹底的に事実関係を調査して、このようなことのないように今後対処したいという観点で調査を進めてまいってきたところでございます。  現在までの調査経過を簡単に申し上げますと、地名総鑑につきましては、当初四十九部売られているということが判明いたしましたので、その購入者からは、説得をいたしまして図書を回収しております。それから、人権侵犯事件としての調査を行いました関係上、人権侵犯事件としての処理がございますけれども、この四十九に上る購入者に対しては、まず四十二社に対して勧告ということで対処いたしました。それから勧告の対象にならなかったものと、それから各企業の購入責任者等については説示という処分をしております。ただ、この事件については、出版者である坪田義嗣という男がおりますけれども、これについては現在なお引き続き調査中でございます。新たな購入者が幾つか判明してくるのではないかというふうに思っております。  次に、ほぼ時期を同じくして出ました類似図書で、労政問題研究所というところが発行いたしました「全国特殊部落リスト」という冊子がございます。これについては購入者が十一社あることが判明いたしました。これについても、やはり同じような調査をいたしまして、十一社のうちから一社を除いて図書の任意の提出を受けて回収いたしました。これについては、発行者がまだつかめておりませんので、現在引き続き調査中でございます。購入者に対してはすべて勧告、購入担当者に対しては説示ということで人権侵犯事件の処理が済んでおります。  次に、地名総鑑のいわゆるもとになった本がどこから入手されているのかということで、地名総鑑の発行者を追及していく過程におきまして出てまいりましたのが、労働問題研究所というところが発行しております。やはり表題は「全国特殊部落リスト」というものがございますけれども、これについて現在調査中でございます。これが発行いたしました「全国特殊部落リスト」のうち、五十三冊が売られているということがわかっておりまして、このうちから四十一冊を回収しております。残りは廃棄してしまったということで回収できませんでしたけれども、これらの企業に対して引き続き調査をし、啓発を行っているところでございます。  それからもう一つ、労働問題研究所が発行しました本の中の一部に「大阪府下同和地区現況」という部分がございます。これも大阪府下における部落の所在地等を書いたものが含まれておるわけでございますけれども、これについてもやはり調査を現在続けております。これはそれ自体が一冊の本になっておるのではなくして、主たる内容はほかのことでありますけれども、その一部分にこれが入っているということでございます。これは二十六社が購入しているということが現在の段階でわかっております。このうち二十一冊を回収して、これも調査、啓発を続けているというところでございます。そのほかいろいろ種々の情報や何かがございますので、そういうものについても引き続き調査を続けるということで、いま現在関係法務局で調査を続けておるところでございます。  以上でございます。
  39. 井上泉

    井上(泉)分科員 その調査はどこがやっておるのですか。いずれも発行者がわからぬでしょう。どこがやっておるのですか。あなたのところですか、刑事課がやっておりますか。
  40. 宮本喜光

    ○宮本説明員 この種の図書を出版、販売したということが刑事事件にはちょっとなりにくいということで、人権侵犯事件ということで、人権擁護局の下部組織であります法務局及び地方法務局で調査を担当しております。
  41. 井上泉

    井上(泉)分科員 いま長官もお聞きになったように、こうした日本の大企業でも、こういう差別図書を購入をして、部落差別を行うような会社運営のあり方というものをずいぶんやっておることが指摘をされて、なおまた、この差別問題というものが今日まだ後を絶たずに至るところにあるということは、これは同和対策を担当しておる総理府としても十分承知をしておると思うのですが、こういう同和対策に対する一番のよりどころという特別措置法、この特別措置法による事業というものが、もうあと一年という段階でかなり残っておる。最初の計画ですらずいぶん残っておるし、まだまだ新しい事業を要求するものというものもずいぶんたくさんあるわけですが、いまこの同和対策事業特別措置法に対する総理府としての取り扱いをどういうふうにお考えになっておるのか。これはいわゆる時限立法の関係でもありますので、長官の御見解を承っておきたいと思います。
  42. 藤田正明

    藤田国務大臣 先生御承知のように、五十二年度、五十三年度とあと二カ年を残しております。現在までの八カ年の間に物的な面におきましても相当な実績を上げてきたものだというふうに感じておりますし、五十二年度予算におきましても千三百九十何億という、千四百億弱のものを上げております。しかし、五十年の調査によりますれば、なお相当な積み残しがあることも事実でございますので、五十二年度中に次の対策をどうするかということを、これは各党の諸先生方と相談の上で決めてまいりたい。御承知のように、特別措置法にいたしましても、この制定の経緯というものは、各党の先生方と相談の上でこれをつくったわけでございますから、今後のことにつきましても各党の先生方との御相談の上でやっていきたい、かように考えております。
  43. 井上泉

    井上(泉)分科員 これはなるほど私ども関係をしてこの法の制定に努めたわけでありますが、しかし、やはりこれは議員立法であるからといっても、この議員立法に基づくもろもろな施策というものは、これは行政が執行するわけですから、行政の意思というものがこの議員立法する上においても大きな力になるわけなので、総理府としては、これはもう各党の話し合いでできた法律であるから、各党の話し合いによって決めてもらいたいということだけではなしに、なお積極的にこの差別を根絶するために、同和対策事業特別措置法を、むしろ積極的に不備な点は改正をして、より充実をした法体系、法に位置づけて、そしてこの部落差別を根絶をするような施策というものを打ち出していくようにするのが、私は総理府としてももう一つの時期だと思うわけです。今日、いまの「全国地名総鑑」にしてもあるいは「特殊部落リスト」にいたしましても、かなり広範に各企業にこうした差別文書が配付されておるということから考えても、この同和対策については、もっともっとなさねばならない問題だと思うわけなので、その点についての大臣の見解を再度承りまして、私の質問を終わりたいと思います。
  44. 藤田正明

    藤田国務大臣 議員立法であるから行政サイドの方が全然議員の方々にお任せをしておるという意味で申し上げたのではないのでありまして、これは行政サイドも加わらしていただいて御相談の上で決めていきたい、かような意味で申し上げたわけでございます。五十二年度、五十三年度と両二カ年度残っておりますので、五十二年度中にはその後の問題、時限が切れた後の問題についてはいまのような御相談の上で決定をしていきたい。行政が逃げて相談をするという意味ではございませんので、その点は誤解のないようにお願いいたします。
  45. 井上泉

    井上(泉)分科員 それでは終わります。
  46. 木野晴夫

    木野主査 次に、二見伸明君。
  47. 二見伸明

    二見分科員 私は、沖繩の地籍の問題について二、三伺いたいと思います。  本土におります私たちはわかりませんけれども、沖繩の現地へ行きまして沖繩の県民の人たちと話し合いをしてまいりますと、地籍が不明確なために起こっている問題というのは、非常に予想以上に大変な問題があるというふうに受けとめております。私たちにはわからないぐらい非常に深刻な問題だ。親類同士で仲たがいが起こってみたり、仲のよかった友達が仇敵の間柄になってみたりという深刻な社会問題があるわけでありますけれども、亡くなられた佐藤総理大臣がいみじくも申しました、沖繩が返還されない限り、日本にとって戦後は終わらない。私、これはけだし名言だと思います。しかし、もう一歩突っ込んで考えてみれば、沖繩の地籍が明確にされない限り、沖繩にとっての戦後というのは終わらないのじゃないか。この地籍を明確にすることが沖繩にとって一番大きな課題ではないかというふうに考えております。いまから五年前に沖繩が本土に復帰したときに、本来ならばあの時点で地籍を明確にするための特別立法を行うべきだったと私考えておりますし、反省もしておりますけれども長官は、この沖繩の地籍の問題についてどういうような御認識を持たれているのか、まず最初に伺いたいと思います。
  48. 亀谷礼次

    ○亀谷政府委員 お答えいたします。  ただいま先生の御指摘のように、沖繩が終戦前後から戦後にわたりまして、大きな激戦地であったということ、それに引き続きまして米軍の占領統治下にいろいろと基地が構築をされまして、そういった戦火の中で所有権の認定に非常に重要な資料としてのいわゆる土地の台帳、公簿、公図、そういった一連の重要書類が焼失、散逸をしたということ、同時に、現地におきます土地関係が戦火によりまして著しく形質を変貌した、こういった諸般の事情が重なりまして、ただいま先生御指摘のように個人間の土地の所有の境界が不明確になり、ひいてはこの問題が沖繩において生じますもろもろの大きな障害として現在までに来ていることは、政府としてもよく重要な認識を持っておるわけであります。  御指摘のように、復帰に際しまして、この地籍を明確化することについて、県当局の強い要望もあり、また関係省庁ともこれにつきまして十分協議をしたのでございますが、先生も御指摘の一部にございましたように、この問題の解決というのはなかなかむずかしい情勢を含んでおりまして、何といいましても基本的には土地の所有の問題につきましては個人間の境界の設定という所有権にかかわる問題でございますので、戦後ずっと琉球政府におかれても関係地主間の話し合いによる権利の調整を続けておられたわけでございますが、私どもも、復帰に際しまして、本来的には先生御案内の国土調査法という法律に基づく一般的な土地調査があるわけでございますけれども、この国土調査法に基づく土地調査を重点的に沖繩にやることによってこの問題の解決ができないかと考えまして、種々関係省庁並びに復帰後の沖繩県庁とも相談いたしたのでございますが、やはりいま御指摘申し上げましたような重要な関係資料の散失、逸失ないしは形質の変更等ございますし、最終的には御本人同士の話し合いがもとでございますので、そのまま国土調査法によるところの調査には乗りがたい、こういうことに相なりました。  しからば、これを一体どういうふうにやっていくかということになりまして、若干御質問の御答弁から外れるかとは思いますが、まず、沖繩本島を中心にしたこういった大きな土地問題がどの分布でどういう程度にあるかということの調査も必要であろう、こういうことを復帰後の沖繩県庁とも十分御相談をいたしまして、とりあえずその概査をやらなければならぬということで、実は四十七年から両三年にわたりまして、政府の調査予算を計上して、県を煩わし、調査をしたのでございます。その結果が、先生のお手元にも資料があろうかとは思いますが、県からの報告によりますと、沖繩本島を中心に約百四十平方キロ前後、これだけの地域がいわゆる戦火によりまして土地の境界不明であっていまだ明確に決定できていない地域である。しかもその中で、復帰の時点までで申し上げますと、約八割以上に及ぶ百二十平方キロ前後が依然として未返還地の防衛施設区域の中である、あるいはまた、復帰後返還を予定されている地域である、こういうことがわかったわけであります。その他、残余の二十平方キロ前後が復帰前にすでに返還になりましたか、既有の民有地である、こういう報告が県当局から私どもにございました。  これらにつきまして、さらに県を初め、関係省庁と協議をした結果、やはり私どもといたしましては、現実のいわゆる基地と申しますか、防衛施設、区域についての施設を管理をしております防衛施設庁というものが現地にも施設局を持っておりますので、これらの区域についてはやはり現実的な処理として防衛施設庁にお願いをする、その他民地につきましては、私どもが県の御協力を得て、やはり基本的には集団和解といいますか、お互いの話し合いでできるだけ詰めていくという方式をとることが緊急の要であろう、こういう結論に達しまして、その後、昭和五十年、五十一年と実態的に要望の強い地点でございます中部の西原というところから手がけてきて、現在その他の地域までこの事業を拡大しつつある、こういうふうに私どもは認識をしておる次第でございます。
  49. 藤田正明

    藤田国務大臣 ただいま事務当局が御説明したとおりでございまして、私といたしましても、沖繩開発庁の長官といたしましても、地籍の明確化は一日も早くやるべきであるという基本観念には、これはもう間違いございません。ただ、いま申し上げたとおりに、五十年から本格的にその問題に取り組んでおるわけでございまして、徐々に解決方向には、集団和解という方向で進んでおる、かように認識いたしております。
  50. 二見伸明

    二見分科員 数字的なことでお教えいただきたいのですけれども、四十七年から三年間調査をされて、その結果、百四十平方キロ前後の問題の地籍不明確の土地がある、そのうち、約八〇%が基地で、残りの二十平方キロが現在民有地になっている、五十、五十一年と中部の西原を中心としたいろいろな対策を講じられてきたというお話でございますけれども、大体どうなんでしょうか、紛争の解決状態というか、争いの解決状態というものはどの程度まで進んできているものなのでしょうか。私、これはかなり土地の所有権にかかわる問題ですから、なかなか一挙にはいかない問題だろうと思うのです。その解決の進捗状況というのはどのようになっておりますか、それをお教えいただきたいことと、これは当然予算がかなりかかってくるだろうと思います。それについては五十二年度の予算あるいは今後どういうような方策というか、予算上の措置をされていくのか、お教えをいただきたいと思います。
  51. 亀谷礼次

    ○亀谷政府委員 お答えいたします。  現在県の御協力を得まして、現地に即してこの土地調査のいわゆる話し合いを中心にした境界設定が進んでおりますところは、先ほど御報告しましたように、いわゆる中部の西原村というところでございます。この村の境界明確化作業地域につきまして申し上げますと、全体の筆数が千七百四十八筆あるところでございまして、関係地主の方の数が八百四十四名というふうに承っております。この地域につきまして、現在まで県当局の御努力をいただきました結果、関係地主の中で合意に達しました筆数が千六百三筆、パーセントで申し上げますと九一%、したがいまして未合意の筆数が百四十五筆、パーセントにしまして九%、こういうことでございます。ただ、これは筆数でございますので、境界区域としてのブロックの数で言いますと、私の聞いておりますのでは、合意ブロックの数が五十四ブロック、ブロック数にいたしまして七二%、未合意のブロックが二十一ブロック二八%、こういうふうに聞いております。  なお、先ほどの御質問に関連してちょっとお答えいたしますと、五十年から実体の作業に入っておるわけでございますが、すでに五十一年度におきましても、西原村に引き続きまして、沖繩の中部にございます沖繩市、この沖繩市及び読谷村につきましても、関係地域についての実体の作業に入っております。  その関係の地域について申し上げますと、沖繩市の高原という地域でございますが、ここは筆数千三百二十七筆、関係地主の方六百七十九名と承っておりますが、これにつきまして現在基礎調査に入っておるところでございます。なお、これにつきましては、関係地主の方のいわゆる協議会といいますか、お話し合いが当然持たれなければなりませんので、そうした協議会も結成をされまして、いま県当局を煩わしまして基本の調査を進めている段階でございます。  なお、敷衍いたしまして、先ほど申し上げました読谷村につきまして言いますと、関係の境界設定必要区域が筆数で二千百二十三筆ございまして、地主の関係の方が千百九十四名でございますが、これにつきましても、現在関係地主の方の協議会の結成をお願いしまして、これから、五十一年度、もう年度末でございますが、調査に入っておりますので、引き続きこれによりますところの皆さん方による話し合いの段階に入るという予定にいたしておるわけでございます。
  52. 二見伸明

    二見分科員 この地籍の不明確というのは、御説明もありましたように、あの不幸な戦争に大きな原因があるわけでありまして、土地台帳が戦火に焼かれて消失をしてしまったとか、土地関係が戦争によって変質してしまったとかという、戦争そのものに原因があると同時に、戦争終了後アメリカ軍が沖繩に上陸してまいりまして、沖繩県民の意思とは全く無関係に飛行場をつくったりあるいは道路を建設したりというアメリカサイドでの土地の利用が行われた、これによっても地籍が全く不明確になってしまったんだろうと私は思います。  それで、いま現在集団和解方式というものがとられているわけでありますけれども、集団和解方式というのは、たとえば百人の人がいてそのうち一人でも反対すれば合意に達しないという制度だろうと私は思います。この地籍を明確化する場合に、一〇〇%集団和解方式というのは余り現実性を帯びないんじゃないか。というのは、いろんな証拠物件があってここに境界線を引こうというのならばそれは可能かもしれないけれども、全く証拠がないわけです。あくまでも記憶をたどるとか、多分ここにいままで家があったんだとかという記憶をたどってやる以外に線の引きようがない。沖繩じゃなく、本土においても土地の境界というのはもう大変な裁判ざたになります。一センチ出っ張っているとか出っ張ってないとかでもって裁判ざたになるくらい大変な問題でありますけれども、それだけに一〇〇%集団和解方式というのは、地籍を明確化する上においては現実性を帯びないんじゃないかというふうに思いますけれども、この点についてはどういうふうに御認識なさっておりますか。
  53. 亀谷礼次

    ○亀谷政府委員 先ほど西原村の進捗状況に関連して御報告申し上げましたように、私どもといたしましては、何分にも問題の所在が最終的には個人間の土地の境界の問題に発するわけでございますし、もっとも沖繩の戦後のああいった特殊の状況と申しますか、激しい戦火の中で公簿、公図が消失し、関係の地主の間ではなかなか解決できないという個人の方の責めに帰すことのできない事情のもとにこういう問題が発生しているということを十分しんしゃくし、理解をしておるつもりでございますが、そういった理解の上に立ちましても、やはり最終的には個人間の境界の決定をどうするかということが最後の効果に結びつくわけでございますので、単に紛争が解決をしないからといって最終的にこれを一種の行政裁定といいますか、国家の権限に基づく法行使という形で境界を決定をするということにはいろいろ問題もありますし、私たちもそういう問題について論議をし、研究をしておるのでございますけれども、直ちにはやっぱりなじみがたい問題がある、こういうふうに実は考えておるわけであります。  すでに、県からも、昨年秋以来、沖繩開発庁及び関係省庁に対しまして、いま先生御指摘のような集団和解でどうしてもできない面が出てきたときに、やはり国の何らかの制度的な補完によってこれを決めるという形をとらない限りなかなか解決ができないという御趣旨で、何と申しますか、関係の方の全体の一致がなくても、たとえば国家機関である開発庁なりそういった省庁の国務大臣にあててそういった申請をすれば、そこにしかるべき審議会を付置して、そのもとに関係国務大臣の手によって法律に基づく権限行使として行政裁定をして、それによって境界を決定することができるというふうな手続法を決めていただきたいという要請が実は参っております。しかしながら、いま私御答弁しましたように、戦後の特別ないろいろな事情と、沖繩県民の方の責任に帰すことのできない事情があるということを十分踏まえた上で、なお私どもとしては、現在のところこういった行政裁定ということを法的につくることによって一種の境界を強制的に定めるということに直ちにいけるかどうかということについて、やはりなじみがたい点が多々あるというふうに考えておりまして、検討はいたしておりますが、現在のところは、やはり要望が強いと申しますか、緊急性のあるところの中で、できるだけ一刻も早く、いま私が申し上げましたような基本的には和解方式によって処理をすることを並行して急ぐべきであろう、こういう考えで進めておるわけでございます。
  54. 二見伸明

    二見分科員 確かに土地の問題というのは、原則的には個人間の問題だと私は思います。しかし、いま御答弁がありましたように、これは個人間の問題ではあるけれどもしかし個人間の問題ではないというのが沖繩の地籍のむずかしさだろうと思うのです。本土であれば、たとえばいままで登記をしなかったために境界がおかしくなっちゃったとか、そういうのは確かに純然たる個人間の問題ですから、それは境界を確定する場合には裁判所へ申し出てということになりますけれども、沖繩の場合には個人間にゆだねるというのは無理なんじゃないか、それでできるところはそれでいいけれども、現実的にそれではもう手詰まりになってしまったところはどうするんだろうか、それをあくまでも、それは個人の問題なんだ、それは理解はする、いろんな立場で理解はするけれども、個人間の問題なんだということになれば、結局、国は一体この地籍の明確化についてどういう責任を持っているんだろうということにも私はなってくるだろうと思うのです。  沖繩の地籍の不明確というのは、全く個人の責任ではないわけです。沖繩の県民にとってみれば、自分たちの怠慢や何かでもって地籍が不明確になったんじゃなくて、自分たちの全くあずかり知らぬというか、自分たちはもう関係できない戦争だとかアメリカ軍の占領だとかという事態によって、自分たちの意思とは全く違った方向で不明確にされたわけですから、それを結局はおまえたちの話し合いだよ、一〇〇%合意するまで話し合いをしろよと言っても、私はそれは無理なんじゃないかなと思うのです。ですから、現在の集団和解方式で合意できるところは、それはそれでいいけれども、そうでないところが必ずあるはずだ、それに対しても考えておかなければいけないんじゃないか、こう思います。  しかも、土地問題というのは、恐らく、当時からの事情に詳しい人が集まって、自分の記憶をたどりながら、あそこには川があったはずだとか、いまここは道路になっているけれどもここには何何があったはずだとかいう記憶をたどっての作業じゃないかなと私は思うのです。そうすると、いまの年配の方々が、あと五年後、十年後、十五年後にはこの世を去らなければならないということになるわけです。当時の事情に詳しい人が日一日と少なくなっていく、そのことを考えたならば、地籍の明確化というのはある面では時間との競争じゃないのかと思うわけです。そういうことを考えた場合に、やはり集団和解方式というのはここでもう検討しなければいけないのじゃないだろうか。それは、こういう個人間の問題に行政裁定というのは好ましくないという理論はわかります。だけれども、沖繩という現実を踏まえた場合には、その理論は通用しないのじゃないかというふうに考えるのですけれども、その点はもう一度御見解を承りたいと思います。
  55. 亀谷礼次

    ○亀谷政府委員 再度の御質問でございますので、繰り返しの点もあろうかと思いますが、改めて御答弁いたします。  戦後、沖繩におきまして、この問題については琉球政府も非常に頭を悩ましておられまして、御存じと思いますけれども、わざわざ独立の土地調査庁という役所までつくっていただきまして、戦後多年にわたってこの問題に御苦労をかけたわけであります。いま先生御指摘のように、やはり私どもがやっております西原でも、あるいは今後出てくると思いますが、若干の部落ないしは個人の方はどうしても納得されない、こういう問題が当然出てきておるわけであります。  この問題を考えてみますと、先生御承知のように、現在の法律体系では、当然個人間の訴訟となれば民事訴訟でございますから、民事裁判で現在も係争中の事案もございますし、これからも当然出てくると思います。私の推定では、やはりそういった民事訴訟となれば、当然事実に基づいた認定がされるわけでございますから、事実としての証拠をいろいろ集め、それによって原告、被告の間でどちらが正当であるかという議論、これは本当に素人のような御答弁で恐縮でございますが、そういう話であろうと思うのです。  ただ問題が、それではいま先生おっしゃいますように、両方でどうしても争いが解決しないという問題はどういう事態かということになろうかと思いますが、結局そういう資料がない、水かけ論である、こういう場合が非常に大きい要素を占めると私は推察をいたします。先生も御承知と思いますが、いろいろな問題として、たとえばつぶれ地の問題でありますとか、位置についてのいわゆる感情的な不満とか、それは当然あろうと思いますけれども、一般的にやはり最後になりますと、民事でも片づかないというのは、要するに資料がお互いにない、水かけ論だ、こういう問題を、しからばそれでは法律上そういった特別の委員会なり、国務大臣として裁定をするとなりますと、当然先生も御推察いただけますように、資料なしにどこかでえいやっと決めるのか、こういう話にやはり結論はなるわけであります。それは結局最後は、お互いの話し合いの問題を飛び越えて、そこまで資料のないものについて行政裁定ができるか、こういう問題にも一つは私は結びつくと思います。これは非常に素朴な議論でございます。  それから、当然先生も御案内と思いますけれども、現在の土地の確定というのは、いわば民法上私法に属する問題でございますけれども、国土調査法によりますところの内閣総理大臣が認証をするといいますのは、当然関係の機関を経由して適正な調査が行われたもので、お互いにそれだけの合意に達して、境界に争いがない、こういうものについて、現在の国土調査法はいわゆる内閣総理大臣の認証という手続を認めておるわけでございますので、いま私が申し上げましたような事案について、なおかつ行政の裁定をしたという行為による効果が、いわゆる内閣総理大臣が国土調査法に基づく認証に値するということになるのかどうか。私は憲法までを持ち出すつもりはございませんけれども基本的な法理論というのをどうしてもやはり一度検討させていただかない限り、繰り返しくどいようでございますけれども、私は県民の気持ち、感情、決して個人の原因には帰すべきではないそういった問題ということを十分踏まえながら、やはり行政的な立場からいいますと、いま直ちにそこまで踏み切るということについては、やはり相当いろいろな問題を含んでおるだろう、こういうふうに考えておるわけであります。
  56. 二見伸明

    二見分科員 確かに証拠のないものに対して、えいやっと行政裁定を下すというのは、現在の法体系には確かになじまないと思うし、考えようによってはやはり憲法論争にまで発展しかねない問題だろうと私は思います。だからといって、そのことを私は理解しないわけではないけれども、それでもなおかつそうしなければならない沖繩の現実というものも私たちは知らなければいけないのじゃないかなと思うわけです。  今国会に軍用地についての地籍を明確にするという法案が出されます。これについての内容の善悪は別といたしまして、国は軍用地については地籍を明確にしようとする法律案を出して積極的に取り組む。しかし、軍用地以外のものについては、それはいろいろな御努力は承りましたけれども、そうした地籍を明確にしようという法律案を提出されようとしていない。地籍を明確にしたいのは、軍用地もそうかもしれないけれども、民有地もそうであります。むしろ軍用地、民間地を問わず、統一的に実施するような地籍明確化作業、それを裏づける法律案というものを出してしかるべきではなかったかと思うわけです。軍用地の方にできるならば、民間地だってできるはずだろうと思います。  時間がありませんのでまとめて伺いますけれども、その点についての御見解と、もう一つは、これは実態的な問題でお教えいただきたいわけでありますけれども基地が返還されたけれども、地籍が不明確なために、跡地利用というものがうまくできないという話を私いろいろ聞いております。具体的にどういう点でどういうふうになっているのか、もし実態をおつかみでしたらばその点もお教えいただきたい。この二点伺って終わりたいと思います。
  57. 亀谷礼次

    ○亀谷政府委員 お答え申し上げます。  今回、防衛庁所管の法案として提案がされておるわけでございますけれども先生御指摘のように、確かに防衛施設、区域につきましては、地籍の明確化を推進するためのものが法案の中に含まれておるわけでございます。冒頭申し上げましたように、私たちの調査によりますところの土地の不明確な境界を明確にしなければならない地域が約百四十平方キロと申し上げたわけですが、そのうちの大部分を占めます問題区域というのがいわゆる防衛施設、区域にある、こういうことでございます。  そういったことで、冒頭申し上げましたように、やはり防衛施設、区域については、何といっても施設を管理し、地主と日ごろ交渉しておられる防衛施設庁がおやりいただくのが適当であろう、現在もそういうふうに考えておるわけですが、私どもが現在行っておりますこの土地明確化作業は、私の方の責任で国費をもって県を煩わしてやっておるわけでございますが、先生も御承知かと思いますけれども、あくまで先ほど御答弁したような経緯で、最終的には国土調査法に基づく内閣総理大臣の認証を得る資格がない調査でございますと、これは効果を生じないわけでございます。したがって、当然国土調査法に特例として書いてあるわけでございますが、そういった県あるいは土地改良区のような法的な認証団体が適法な手続で調査したものについて、内容が間違いない場合に、初めて国土調査法に基づく特例の調査として内閣総理大臣が認証をし、これに基づいた資料を法務省に提出をしまして、いわゆる登記簿の原本の基本資料を変更するわけでございます。それによって所有権が最終的に一応問題なく確定をするというふうに私は理解をしております。  そういうことからいたしまして、防衛施設庁がいま復元作業でやっておられますあの作業は、私どもは、他の省庁の問題の中身でございますから、それの有効無効について言及するつもりは当然ございませんけれども、やはりあの方式でいきますと、今回防衛庁がお出しになっているように、やはり法律上適法な手続としての認証を得るためにも、地主の方が集団で話し合われたものを防衛施設庁が経由をして内閣総理大臣の認証を得るためには、何らかのそういった国土調査法にそれが乗るという、少なくともそれだけの手続なり体制は私は必要ではないか、こういうふうに考えておる一人でございますが、そういう意味で私は防衛施設庁のおやりになる地籍調査については、少なくともそういったことも必要ではないかと思っております。しかし、これは他省庁のお仕事のことでございますからとやかくは申し上げませんが、しかし、基本的にはいま冒頭申し上げましたように、開発庁が県にお願いしてやっておりますやり方につきましては、先生から再三にわたって御指摘がございますように、若干の問題と、区域についてなお私たちも最後に残る問題があることを十分認識しながらも、現在の体制で当面やるということについて、現下においてはその方がよりベターであるし、それでやっていけるのではないか、したがって、防衛施設庁がお考えになっているような法案をいま直ちに私どもがやらなければならないというふうには、現時点においては必ずしもとらない、こういうことでございます。
  58. 二見伸明

    二見分科員 終わります。
  59. 木野晴夫

    木野主査 次に、野坂浩賢君。
  60. 野坂浩賢

    野坂分科員 総理府総務長官にお尋ねをしたいと思うのでありますが、私はきょうは、部落と差別問題、それから同和対策事業特別措置法の問題についてお尋ねを申し上げます。  まず「地名総鑑」「特殊部落リスト」の点でございますが、この「部落地名総鑑」は、所管は法務省だと承知をしております。しかしながら、総理府におかれましては、政府全体の窓口といいますか、センター的な役割りも果たしていただいておりますし、連絡調整をつかさどっていらっしゃる、こういう立場に立ってお尋ねをいたしますが、この「部落地名総鑑」が出て、企業防衛懇話会というものが発行しておるように承っておるわけでありますが、長官はこの点についてどうお考えになり、法務省と連絡の上どのように対処され、そしてどのように総理府に報告を受けチェックをされ、その後調整を進められておるか、まず伺います。
  61. 今泉昭雄

    ○今泉(昭)政府委員 お答えいたします。  昭和五十年の十二月に「部落地名総鑑」の問題を法務省の方から連絡を受けまして、直ちに私どもの方で各省連絡協議会を開きまして、そして対策を講じたわけでございますが、まず、昭和五十年十二月十二日には、非常にこういう事件は遺憾であるというような総理府総務長官の談話を新聞発表いたしております。それから五十年十二月十二日には、同じく総理府審議会でございます同和対策協議会の会長談話を新聞発表しております。それから同じく昭和五十年十二月十五日には、地方公共団体に対して総理府総務長官、総務副長官以下関係各省事務次官の連名通知をいたしております。また同じく十二月十五日には、日本経営者団体連盟等六つの企業団体に対しまして、同様に関係各省事務次官の要請を行いました。さらに同年の十二月二十七日には、国民に対しまして、テレビを通じまして総理府総務長官の見解の表明を行いました。さらに五十一年の三月以降、各省と共同いたしまして、各関係府県ごとに地方法務局と関係行政機関合同で購入企業の研修を行った次第でございまして、さらにまた本年の二月二十八日には、購入企業全社を東京に集めまして、各省共同で研修会を開催する等の措置をとってまいった次第でございます。
  62. 野坂浩賢

    野坂分科員 いろいろ経過を五十年の十二月以降お話をいただいたわけでありますが、それぞれ総務長官の談話を初め各省の次官通達等を行われて相当の効果があったのか、その効果論、これが一点。  それから、これは長官にお尋ねをしたいと思うのですが、政府は、同和対策事業特別措置法を制定をされ、すでに八年間進めてまいったわけでありますが、いまのような「部落地名総鑑」あるいは「特殊部落リスト」このようなことが出たことは遺憾であるという談話表明もございましたけれども政府部内には徹底をしておるのか。こういう差別思想がなくなるような、あるいは就職その他の問題について全然差別をしないようなことは、政府及び政府関係諸機関については徹底をしておる、こういうふうに思いますが、そのとおりでございますか、どうでしょう。
  63. 藤田正明

    藤田国務大臣 効果の点につきましては、具体的に後ほど事務当局からお答えをさせます。  いま政府部内においてそういうふうな差別がないように徹底しているかどうかということでございますが、年に二回講習を全国的に行っておりまして、それを徹底させるべくいま努めて努力をしておるところでございます。
  64. 今泉昭雄

    ○今泉(昭)政府委員 この二月二十八日に行いました研修につきましては、個人の購入につきましては費用等のこともございますので呼ばなかったのでございますが、購入企業百七社のうち百六社が出席いたしました。残りの一社も、出席予定の人が病気になりまして出られなかったという事情でございまして、ですからほとんど全社が出まして、これは磯村同対協会長の話なども入れて話したのですが、熱心に聞いていただいたということで、企業の側の同和問題に対する理解に非常に資するところがあったのではないかと思っております。
  65. 野坂浩賢

    野坂分科員 長官から年二回、政府及び関係機関を招集をしてそのことは徹底をされておる。しかし、せっかく努力中であるということでございますが、法律ができまして満八年を数えます。その段階で、政府部内はいち早くそういうことは意思統一をして、全企業、全国民に対して、ここの第三条にも書いておりますように徹底をして、その指導的な役割りを果たしてもらわなきゃならぬということは当然だと私は思うのです。それが、いませっかく努力中であるというお言葉をいただいて、むしろ私は予想に反したお答えだ、こういうふうに思っておるわけです。そういうことは徹底をし、全政府が一致をしてそのような差別観念追放のために、人権擁護の立場に立っても、関係機関を指導していらっしゃる、こういうふうに理解をしておったのですが、そうじゃないのですか、現在努力中でありますか。
  66. 藤田正明

    藤田国務大臣 八年を経過いたしておることも十分承知しておりますし、その八年間もそういう徹底のために努力をいたしましたし、今後ともその徹底のために努力をいたす、こういうことでございます。
  67. 野坂浩賢

    野坂分科員 政府そのものではありませんが、商工中金というのは政府金融機関の一つでありますが、ここの理事長は、たしか中小企業庁の長官もしていらっしゃったことがあると思うのです。ここも「部落地名総鑑」を買っております。なぜ買ったのかと言って追及をすると、売りに来た人がなかなか高圧的で、そういう意味でこわいから買ったというようなことを述べております。そして確認会のときにこういうことが言われております。この会議場は七階なんですけれども、研修をするというときに、部落解放同盟という過激なグループが来る、七階に近寄るな、こういうことを職員に対して言っておるのです。私は、こういう発言そのものが差別的な言辞だ、こういうところに問題がある、しかも政府関係をする機関だ、こういうふうに思うのです。それについては非常に遺憾に思いますし、これらの点については政府が一致したそういう指導体制ができていないじゃないか、この一つを見てもそういう危惧があります。まして、いま対策室長が百六社も呼んで説明をしたと言うけれども、それが本当に下までおりて、わが国に差別のない、解放感に浸ったそういう姿というものを一日も早く実現をし、実施をしなければならぬ。そのセンターがあなた方だ。そのことが政府部内にも進んでいないじゃないか。たとえば、前にも安原刑事局長の問題もありました。そういう点についても、もっと各省内、各関係機関でも徹底をしてやって、就職の差別等を皆無にする。まず政府からそういう点についてはここ一年といいますか、明確にしていただかなければならない、徹底をしていただかなければならない、こういうふうに思うのであります。  そして二番目は、この「部落地名総鑑」を出した企業防衛懇話会というものの始末は、法務省の所管だと思いますけれども、どのような措置をされたか、その後の経緯も聞いておきたい、こう思うのです。
  68. 藤田正明

    藤田国務大臣 政府諸機関、それからまた関係のある商工中金においてそういうことがあったということは存じ上げませんでしたが、今後はそういうことがないように注意もいたしますし、徹底もいたす所存でございます。早速商工中金の方は取り調べてみるつもりでおります。
  69. 宮本喜光

    ○宮本説明員 「部落地名総鑑」の発行者でございますが、これは同一人物が発行したわけでありますけれども、名義としては二つございます。一つは企業人材リサーチ協会という名前で前半を売っております。後半に売ったのは企業防衛懇話会という名前で売っております。しかし、いずれも発行者は坪田義嗣という同一人物が売っているわけでございます。  これに対する処理がどうなったかというお尋ねでございますけれども、結論から申し上げますと、まだ細部についての詰めが残っておりますので調査中でございます。近く完結すると思います。と申しますのは、当初いろいろないきさつがあって、五部だとかいうような話があったのでございますけれども、その後四十九部売られているというのがわかりました。その後さらにいろいろな手持ち資料を整理しました結果、二、三もう少しふえるのではないかということで追及しております。結局、五百部印刷して、三百九十五部は本人から回収して焼却いたしましたけれども、四十九部は売られていて、それは回収しました。ところが、それでもまだなお差が出てくるわけでございます。その分については本人は焼却したというふうに言っておりましたけれども、果たして全部焼却したのであろうかという点が疑問がまだ残っておりますので、その点を鋭意解明中でございます。ほぼそれも終わりの段階に近づいてきているという現在の段階でございます。  以上のような状況でございますので、人権侵犯事件の処理という形ではまだ行っておらないというところでございます。
  70. 野坂浩賢

    野坂分科員 最終的に処理は終わっていないということでありますが、最終的な段階には近づいております。最終的な処理と、このように日本の国民の中に大きな影響を与えた企業人材リサーチあるいは企業防衛懇話会、こういう責任者はどのような処置をするというふうにお考えでしょうか。
  71. 宮本喜光

    ○宮本説明員 私どもは人権侵犯事件ということでとらえて対処しておるわけでございますけれども、人権侵犯事件の調査、処理と申しますのは、いわば個別啓発が最大眼目でございます。これに対して、刑事事件のように刑事上の責任を負わせるとか民事上の責任を負わせるとかいうような権限は私どもないわけでございます。したがいまして、同和問題に対する理解と正しい認識をこの際徹底的に植えつけ、そしてこのような部落差別を拡大助長するような行為は絶対してもらいたくないということを十分認識してもらう、そういう意味合いの啓発を行うというのが私どもの処理でございます。
  72. 野坂浩賢

    野坂分科員 十分啓蒙啓発をしていただくわけですけれども、こういうことが五十年十二月以降、一年間程度相当徹底をされたというふうに思うのですけれども、第一、第二といいますか、このごろは第三、第四まで出てくるということで後を絶たないということは、それなりに、その効果が出ていないじゃないか。こういう差別を商売にするというようなことについては、国民的な見地から見まして非常に遺憾至極で、また、それを出された当該の同盟の皆さん等は異常なショックを受けるというのは当然でありますし、このような措置はまだまだ解放運動といいますか同和対策事業そのものが不徹底だということをあらわしておるのではないか、私はこういうふうに思うのです。  そこで、長官にお尋ねをしたいと思いますのは、今度の予算でありますが、裸で同和対策の総金額を見ますと七百三十二億円、その他市町村に係る下水道事業その他のものあるいは公園事業等をひっくるめますと千三百九十二億ですか、その程度予算が計上されて、昨年度比三五%上昇したんだから、こういう考え方もあろうかと思うのですが、五十年度に政府はどの程度やらなければならぬか調査をしておりますね。それは一兆二千億円というふうに承知をしておりますが、そのとおりですか。
  73. 藤田正明

    藤田国務大臣 そのとおりでございます。
  74. 野坂浩賢

    野坂分科員 そういたしますと、この同和対策事業特別措置法の法律は、ことしの予算がこれで十七日か十八日に議決をされて参議院に送付されるということになりますと、予算としては五十三年度の予算が一遍、こういうことになりますね。ことしはいま数字を御確認いただいたとおりでありますから、あと約一兆一千億というものは現実に残ってくるわけですね。その残ってきたものを五十三年度の予算総理府連絡調整をして全部事業実施ができるかという見通しは、私はなかなかむずかしかろうと思うのですけれども長官の方は、各政府関係機関といろいろ協議をされるでしょうけれども、それを完全に実施をするという見通しはございますか。
  75. 今泉昭雄

    ○今泉(昭)政府委員 五十年調査の調査結果につきましては、金額で申しますと、五十年以降、事業費で申しまして、一兆二千八十二億円となり、これは予算ベースで国費で申しますと七千六百四十四億円と計上されるわけでございます。ところが、ただいま先生がおっしゃいました、五十二年度予算が通過したといたしまして、単純に五十年から五十二年までの予算を合算いたしますと、二千八百三十一億円ということになりますので、結局五十三年度以降に国費ベースで四千八百十三億円というものが残るということになると思います。  ただ、これにつきましては、前回の四十六年調査のときはまだ時間がございましたので、四十七年度から五十三年度までの事業量というふうな限定をいたしました調査でございます。その結果、四千七百三十三億円という事業費が出たわけでございますが、今回の調査につきましては、その点につきまして五十年から五十三年度までの四年にすべきであるという説もございましたが、やはりそれでは正確な数字がつかめないということで青天井にいたしたわけでございます。したがいまして、ただいま申しました残事業の中には当然五十四年以降のものも含まれておるわけでございますが、こういうものにつきまして今後、五十三年度は少なくとも全力を挙げたいと思いますが、五十四年以降の問題につきましても真剣に考慮してまいりたいと思っております。
  76. 野坂浩賢

    野坂分科員 具体的に数字を挙げて御説明をいただきました。五十年度は青天井で調査をした、それで二千八百三十一億を引くと四千八百十三億である、こういうお話であります。  ただ、私どもが歩いてみまして町村等でいろいろとお話をお聞きをいたしますと、地方財政も逼迫をしておりまして、国の財政だけではなしに県なり市町村の財政もきわめて窮迫をしております。そういうことから、全額国費ではなくて町村財政も三分の一は裏づけをしなければならぬ、多くの事業はそうなっております。そうしますと、その地方財政のことも考えて出さなければならぬということでありますから、もっと広く——地方住民の皆さん、特に同和地区にいらっしゃる皆さん方の要望というものはそれをはるかに上回っておるというのが現状であります。言うなれば総事業費一兆二千億以上のものが、四十六年に調査をされ、また五十年に調査をされると違ってきますように、いまの段階で調査をすれば非常に懸隔がある、私は断定的にそう承知をしております。そういたしますと、五十年度から三年の間で二千八百三十一億でありますから、残された五十年に調査をされた約五千億円弱のものでもそう簡単にはいかないではないか。また、年次が進むにつれて新たな問題が出てきますし、組織化されていないところはそういう点が要求をされていない、そういうものがこれから表に出てまいりますから、そういたしますと、これだけの金額よりもはるかに上回るであろうということが当然予想されると思います。  そういう意味で、この同和対策事業特別措置法という法律が五十四年の三月三十一日でいわゆるその効力を失うということになりますと、総理府なり政府が集約をした事業が中途で終わるという結果になるわけです。せっかくこれも目標を設定して、その目標を完遂するために全力を挙げますと、その第一条の目的に書いてあります。だから、中途で効果が十分出ないままにやめるということでは、この法律の趣旨も生かすことができない、こう思います。  そういう意味で、いわゆるセンター的な役割りを果たしておる総理府としては、この法律を勢い好むと好まざるとにかかわらず延期をしなければならぬではなかろうか。国民の皆さん、部落の皆さん方の期待にこたえるためにも、この法律はやむを得ず延長しなければならぬではないか、当然ではないか、こういうふうに私は考えております。総理府総務長官としては、この同和対策事業特別措置法の期間延長を当然やらなければならぬとお考えだと思いますが、どうでございましょうか。
  77. 藤田正明

    藤田国務大臣 特別措置法が切れますのがおっしゃるとおりに五十四年三月末日、まるまるあと二年間あるわけでございますので、この特別措置法ができました八年前の経緯にかんがみましても、これは議員立法として各党でそれぞれ御協議いただいてできたわけでございますので、まず五十二年度中にそのような各党の方々と御相談の上で五十二年度以降のことについては決めていきたい、かように考えております。
  78. 野坂浩賢

    野坂分科員 時間がありませんが、確かに議員立法でできました。しかし、この法律執行は政府責任でありますから、私どももちろん各政党と協議をしなければならぬでしょうが、政府としては事業を完遂をし、その目標と目的とを達成するためには当然としてこの法律の期限延長を——政府部内の考え方としては、また総理府総務長官としては、ぜひこの期間延長をしなければならぬ、そうしなければ意味がなくなってくる。そしていま「地名総鑑」の問題、「特殊部落リスト」の問題等挙げてみても、人権問題思想の問題等、差別問題というものは内部に包蔵している。さらに就職の問題とか結婚の問題、たくさん問題を抱えておる。その内部の問題について、法律——民法は戸籍の問題等、若干修正するという挙に出ましたけれども、そういう総鑑その他悪質なものが出るという現状を踏まえて法律を新たにつくるか、あるいは民法等の改正すべき諸点を改正をするか、そういう点も踏まえてこの法律は延長し、そしていま申し上げたいろいろ中身の問題、それを改めて法制化するという方向が、日本が民主主義をさらに進めていくためにも非常に必要ではないか、こういうふうに思っておるわけです。総務長官としてはそのような方向で今後進めていただけるものかどうか、あなたの御見解を最後に聞いて質問を終わりたい、こう思うのです。
  79. 藤田正明

    藤田国務大臣 先ほど議員立法と申し上げましたが、あれは各政党間で御相談の上で政府提案ということになっておりました。今回もそれらの経緯にかんがみまして、ただいま先生御指摘のように、これは国民的な重大な問題でございますから、五十二年度中には各政党のそれぞれ担当の方と御相談申し上げて今後の措置は決定をいたしてまいりたい、かように思っております。
  80. 野坂浩賢

    野坂分科員 総務長官としては、前向きに善処する方向政府としては御努力をいただけますか。
  81. 藤田正明

    藤田国務大臣 何回も申し上げますように、国民的な大きな課題でございますから、解決をするという方向で善処いたしたいと思います。
  82. 野坂浩賢

    野坂分科員 どうもありがとうございました。
  83. 木野晴夫

    木野主査 この際、暫時休憩いたします。  午後一時、再開いたします。     正午休憩      ————◇—————     午後一時開議
  84. 木野晴夫

    木野主査 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。金子みつ君。
  85. 金子みつ

    金子(み)分科員 私は、本日は時間の関係もございますので、「国内行動計画」に限って少し質問させていただきたいと思います。  質問させていただきます前に、これは御答弁は必要ございませんので、聞いていただきたいことがございます。  それは、去る三月五日の土曜日に、主婦会館におきまして、先般二月一日に発表されました「国内行動計画」、これに対して不満を表明する婦人集会というのが開かれたわけです、御存じだと思いますけれども。これは三十八婦人団体が集まって実施いたしたものでございまして、その集会婦人問題企画推進本部婦人問題担当の室長もお見えになっていらして、そして室長からいろいろ御説明がございました。そしてその御説明が終わりましてから後、三十八団体が計画をいたしましたのは、行動計画の中の全般の問題、総括的なこと、それから政治、教育、労働、家庭、福祉、こういうふうに六つの部門に分けましてそれぞれ代表者を立てまして、その人たちからこの行動計画に対する考え方あるいは不満と思う点、それらを指摘するということがございまして、その後一般討論に移ったわけです。  それで、そういう集会が持たれたわけでございますが、私も出席いたしておりました。ところが室長が最後までみんなの討論をお聞きにならないでお帰りになったという事実があるわけなんです。わりに早くお帰りになった。多分いろいろと事情がおありになったのだと、それは私もよくわかるのですけれども、お帰りになったその後で、会場では大変にみんなが怒りまして、そして何というのでしょうか、全然誠意が見えないとか、あるいはこれでは信用できないとか、大変不信感が巻き起こったわけでございます。私はちょうど反対側の方に座っておりましたから、いつお出になったのかわからなかったのですけれども、そういう声が起こって初めてそのことがわかったわけでございます。  それで、私は自分でも経験がありますけれども、こういう種類の会に担当者が出席をするということは、余りいい気持ちのするものではないということはわかります。むしろ大変つらい気持ちで座っていらっしゃるということになることもわかるわけなんで、そのことはよくわかるのでございますけれども、それはそれとしてやはり、どういう御事情がおありだったか存じませんけれども、できるだけほかのものは、できれば組みかえて、そうしてこの種の会には最後まで謙虚に、まじめに耳を傾けていただくべきではなかったかというふうに考えるわけです。結局、これは室長だけの問題ではないのであって、室長がおひとりで何をなさろうと思ってもおできにならないことはみんなよく承知しておりますから、その日もみんなの声は室長に向けられたのではなくて、その後ろにある推進本部並びに総理府の姿勢とか態度とか、そういうものに対する不満だったというふうに私たちは受けとめているわけでございます。やはりこういう問題は思うように、どんなに努力してもみんなが気に入るような形にできないということもよくわかるわけでございますけれども、それはそれとして、やはり本気で婦人問題に取り組んでいるという姿勢が見えなければいけないし、誠意を持ってやっているのだということがわかる必要があるのですね。それはそうなんだとおっしゃるかもしれませんけれども、そのことがみんなにわかるためには、やはり第三者が、だれが見てもそれがわかるような形というのをあらわされなければならないというふうに思いますので、私はこれは大変に残念であったというふうに思います。そういうことのないようにこれからは気をつけていただかなければならないのじゃないかというふうに考えるわけでございます。ですから、これはもちろん室長の問題ではないので、推進本部がこの婦人問題に対して誠意を持って、熱心にと申しますか、取り組む姿勢が見えなかったということでみんなの不満もあったというふうに思います。ですから、これからも長いことでございますし、いろいろな機会があることだと思うのですけれども、その都度そういうことをよく心にとめていただきたいし、そのことは今後の問題もございますので、御注意申し上げておきたいというふうに思うわけでございます。  続けて質問さしていただきます。そこで私は、この行動計画に関して二、三お尋ねをしたいと思いますことがございます。  その一つは、これはもう申し上げるまでもありませんけれども、先般メキシコで開かれた世界婦人会議で決議をした「世界行動計画」、これを受けとめて、そして「国内行動計画」がつくられるという運びになっているわけでございますから、「世界行動計画」の趣旨を、日本も一票を投じてきたわけでございますから、その意思を体して「国内行動計画」がつくられているものだというふうにみんなは考えるわけでございます。  問題だと考えましたことは、まず一つは、これが婦人の十年ということが前提になっておりますから十年先、昭和五十年に開かれた会議から十年先ですから、六十年。その十年先を目途としてそれぞれの国が「国内行動計画」を立てるということになっているわけでございますから、日本行動計画の中にも、その姿をみんなは見たかったわけです。どういうふうな十年計画を立てられるであろうかということが非常にみんなの期待とそして関心とが寄せられていたわけでございますね。ところが、発表されました中身を見ましてみんなが大変失望いたしましたのは、十年計画になっていなかったということなんでございます。この点について私はもう少しお考えを聞かせていただきたいのでございますが、婦人問題の解決あるいは婦人の平等権を確立して婦人地位向上させるというようなことを行うために日本政府は長期展望というものをどのように持っておられるかということが当然この計画の中に示されているべきであったし、盛られているはずだと思うわけです。いろいろと読んでみますけれども、どうもそのことがはっきりと示されていない。むしろ目につきますものは、五十二年度における関係省庁予算の範囲内で、この五十二年度の予算ではこれだけのものが取れたということが前提になって行動計画の基礎の資料になっているというふうに見られるわけでございますね。その点が大変に消極的で、十年計画の目的には沿っていないじゃないかというふうに考えるわけです。そのときの御説明にもございましたが、日本の国の予算の立て方が単年度でつくられていく。二年でつくられているというようなところもございましょうけれども日本の場合は単年度で予算が決められるということがあって非常にやりにくいというふうな御説明もあったように覚えておりますけれども、私はそれはそれとして考えていいと思います。やはり十年計画でございますから、十年先にはどこまで持っていこうと思っているんだということを、予算の裏づけがあるなしは別問題として立てられて、そしてそれに逐次予算をつけていくという方向づけと努力がなされるべきじゃなかったかというふうに思うのでございますが、それがなかったということが大変にみんなを失望させているわけでございます。この点どういうふうに説明していただいたらみんなが納得できるかということなんですが、私自身もぜひその点をひとつ聞かせていただきたいと思うわけでございます。
  86. 藤田正明

    藤田国務大臣 十年といいますと大変長い年月だと思うのです。国の内外を問わず、相当な変化がこの十年間のうちにあるものだと思います。そこで、十年先はこのような状態でありたいというものを「国内行動計画」の前段で書いてあると思います。そして五年間でこれを見直すということは国際婦人年会議で決められておることでございますから、これは当然前提としてわれわれは持っております。ですから、その中には五年の云云というのは書いてございませんけれども、しかしそれは前提として持っております。そこで十年は非常に長過ぎる先の話でございますから、まず五年でひとつ目標も定めて、五年のうちのまた年次計画も定めて、そして五年たった段階で大きな見直しをやろうじゃないか、かような考え方で進んでおるわけでございます。  何回もそういう答弁を申し上げたのでございますが、ただわれわれが「国内行動計画」を二月一日に発表いたしましたけれども、その中に五年という見直しの時期が書いてない、こういう点に御不満があろうかと思いますが、これはそういう国際婦人年大会で、メキシコで決められておることでございますから、それを前提として当然考えております。
  87. 金子みつ

    金子(み)分科員 ただいまの御答弁は確かにそうなのかもしれませんけれども、何か詭弁のような感じがするんですね。と申しますのは、メキシコ大会で十年計画を立てるということをみんなで決めたわけですけれども、十年は長いから一応五年たったところでみんなでもう一遍寄って話し合いをしようというふうに、それぞれの国の計画を話し合ってお互いに努力をしよう、こういうことには確かになったわけでございます。  それはそうなんでございますけれども、それを受けたのだとおっしゃいますが、しかしそのことを知っている人は全部じゃないのですね。出席した人しか知りません。新聞記事にはなりましたけれども、それを全部の人が読んだかどうかはわかりません、新聞を見ない人もありますから。ですから、その辺大変不親切だったと思いますよ。もしそういうふうに考えてこれをお立てになったのでしたら、前文のところでそういう考えは抽象的に述べられていますけれども、私はもう少し具体的に書いてほしかったと思うわけです。それに、そうでなくても、実際には十年計画だけれども五年計画をまず立ててこうしたいと思っているのだということぐらいはもうちょっと親切にと申しますか、丁寧にと申しますか、表現をしておいていただければ、そんなにみんなが問題にはしなかったのじゃないかと思います。十年と言えば確かに長うございます。十年たつ間には社会情勢も変わると思います。ですから、プランを立てても、途中でそのプランを変更しなければならないような情勢は起こってくるかもしれません。ですから、途中で変更することが悪いなんということはだれも考えてないと思います。私は五年計画結構だと思いますが、やはり十年の目標というものはきちっと立てられて、そしてさしあたって五年の具体的目標としてはこういうふうにするのだというふうなことがお示しいただけなかったのは大変残念だと思います。どうしても十年までの目標というのを一応お示しになることは無理なんでしょうか。どうしても五年でやらなければいけないものなんでしょうか。やはり全体の計画があって、それを五年というふうに示していただけばもっとはっきりするのじゃないでしょうか。
  88. 藤田正明

    藤田国務大臣 基本的には男女差別をなくしようということでございますから、十年後にはそういう環境もつくり、男女平等に、働く場所においてもあるいは家事労働もちゃんとした評価をする、民法上の地位もちゃんとした平等の地位を持ってくるというのが、もう十年後の目標はできているわけでございます。それをどうやって実行していくか、環境づくりをしていくか、こういうことになりますと、先ほど申し上げましたような五年後、六年後の国際的な環境もまた国内的環境もいろいろ変わってくるであろう。そこで五年間に達成し得るもの、そしてまたその五年以内でも初年度はこういうふうな優先順位でやりましょう、プライオリティーをそこへつけるというふうな作業を現在やっておる最中でございまして、九月の下旬ないし十月の上旬にはそういうふうな作業を終えて御発表申し上げる、その前にはまた各界各層の御婦人の方々また男性の方々にも御批判なり御意見を承ろう、こういう考え方でおるわけでございます。
  89. 金子みつ

    金子(み)分科員 そういう御計画がおありになったのでしたら、そのことはこの行動計画の中に直接うたい込めないものであるとするならば、行動計画の説明と申しますか解説と申しますか、そういうような形ででもその気持ちをお示しになるということが必要だったんじゃないでしょうかね。そういうところがやはり、受ける側とそれから出す方の側との立場の相違と申しますか、非常にギャップがあいてしまうわけですね。ですから、そういうところを私はもっときめ細かに配慮を加えて用意をしていただきたい、そういうふうに思います。行動計画はこういうふうに一応できたわけですけれども、しかしこの行動計画でも今後変更することなきにしもあらず、こういうわけでございますね。ですからその場合にはそういうことが二度と、同じような注文なりあるいは意見なり不満なりが起こらないようにぜひしていただきたいというふうに考えます。  そこで関連いたしますが、この九月にお出しになるといまおっしゃいましたですね。それまでの間にはあちこちの意見を聞いてというお話でございましたが、この行動計画ができるときにも、昨年の四月に行動計画の素案をお示しになりましたね、そしてやはり同じように九月に完成したものにしたいと。だからいろいろな関係者の意見がほしいということは確かにございました。     〔主査退席、瓦主査代理着席〕  そこで私ども社会党では、四月の二十七日に、そのときの本部長は三木武夫さんでございましたから、三木本部長に対して要望書をお出ししてございます。大変に具体的にお示ししてございます。この私どもが出しました要望書並びに具体的な内容、これはこれだけでなく各党が多分、自民党は存じませんが、野党は全部要望書を出しているはずでございます。それから、それだけでなくて関係の団体や組織などからも意見要望書が出たのではないかと思いますが、まず、政党のほかにどんなところから幾つぐらい出ているかというのをざっと教えていただけませんでしょうか。
  90. 久保田眞苗

    久保田説明員 政党のほかに関係団体からの要望は、政党も含めまして要望書の形では五十七ございます。内訳といたしましては、婦人団体、労働組合、職能団体、政党、それからあとは研究会、グループといったようなところでございまして、五十七出ておりますほか、口頭で、あるいはいろいろな会合で伺った御要望もございます。  これらの御要望の事項は、私どもといたしましては、すべて関係のある省庁とそれから婦人問題企画推進会議委員に伝達しておりまして、それぞれに御検討いただいた上、いろいろな立案あるいは発言をしていただいているところでございます。
  91. 金子みつ

    金子(み)分科員 わかりました。かなりたくさんの要望書が出ていたということもわかりました。内容はまた別の機会に聞かせていただくことにいたしますけれども、それらの要望はそれぞれ関係省庁連絡をしたといま室長がお話しでございました。それぞれの省庁に御連絡なさったのでございましたならば、この行動計画の中になぜもう少し具体的にそのことが載っていなかったのかということを私は不審に思うわけでございます。  たとえば、今度の「世界行動計画」の中から日本が「国内行動計画」として十年計画を立てる上で一番問題になると申しますか、重点的な項目と申しますか、というようなものがやはり幾つかあるわけでございますが、その一つは婦人労働権の確立の問題でございますし、いま一つは婦人の母性の権利を守る問題、こういうふうに大きく二つあるというふうに考えられるわけです。そうしますと、労働権の確立と言えばそれは労働省だ、婦人の母性の権利を守るということだとすればそれは厚生省だ、こういうふうにお考えになるだろうと思います。そうすると、両方の役所にそれぞれお示しになったのかもしれませんが、それにしては大変に中途半端な形で結果があらわれているというふうにしか考えられないわけでございます。たとえば、婦人地位の確立のための条件整備をするというような言葉は使ってありますけれども条件整備の内容というものがはっきりしていない。私どもは、私どもの御要望の中で申し上げているわけでありますけれども職場における婦人労働権の確立というようなことでいま問題になって一番そのことが妨げられているのは、雇用の不平等ということが一番基本的な問題になっているわけでございますから、均等待遇をするというたてまえから雇用の平等というのはまず最初に必要だというふうに考えていますが、そのことを私ども要望書の中に入れてあるのですけれども、そのことがはっきり出てきていないわけですね。それをするためには条件整備としては何をするのか、もしそのことを取り入れてくださったのだったならば、何をするかということが続いて出てこなければならないと思うのです。たとえばアメリカやイギリスには男女平等法というような法律がございますけれども日本にはそれがありませんから、労働基準法の中で改正してやるということができる、その可能性もありますし、あるいは別個に男女平等法のようなものを新しくつくるということだってできるわけですが、そういうふうな具体的な考え方が全然示されていないというところに非常に私たちは不安を感ずるわけですね。大変抽象的には、よくよく読んでこれはこういう意味なんだなというふうに考えられないわけではございませんけれども、それは、先ほどから申しますように本当計画されているのかどうかということがよくわからなくなるわけです。ですから、その点の具体的な条件整備の方法をお示しいただく必要があったのではないだろうかということです。そして、それがさらにひいてはILOの百十一号条約批准に結びつけられていかなければ——それは国内法ができなければ批准ができませんから国内法を先にすることによって百十一号を批准するという問題になると思うのですけれども、そういう方向まで持っていこうとしていらっしゃるのかどうか、これではそれがわからないわけですよ。その辺はいかがなんでございましょうか。書いてはありませんけれども、そこまで持っていきたいと考えていらっしゃるのかどうかということ、いまの推進本部としてはどのように考えていらっしゃるのであろうかということを聞かせていただきたいと思います。
  92. 藤田正明

    藤田国務大臣 ただいま申し上げましたように、十年の間には基本的に男女平等の原則を打ち立てていこうということでありますから、当然そこまで持っていこうということでありますけれども、ただ、いろいろと問題を、しからば三年後にはどこまで、四年後にはどこまで、五年後にはどこまでというふうに細かく具体的にそれができるかどうかというのはなかなかむずかしい問題だと思うのです。ですから、五年の間にはこういう問題に重点を置いてこれを解決していこうということは、ことしの九月の下旬ないし十月には打ち出してまいりたい。なお、それの明細として、これはまた予算がつきまとうこともございます。いまから五十三年度の予算はどうとか五十四年度の予算はどうとかということはなかなか申し上げづらいことでございますが、しかしできるだけその五カ年の年次をまた分けまして計画をつくっていきたいということでいまやっている最中でございますから、ただいまおしかりをいただきましたようなことは、いまから御相談を申し上げてやっていこうということでございます。
  93. 金子みつ

    金子(み)分科員 それでは、一つやや具体的に示されていることがございますが、中身がはっきりわかりにくいので、どういうことを頭の中に入れてこの文章ができたのかということをお尋ねさせていただきたいものがございます。  行動計画の十四ページのイのところでございますが、「雇用における男女平等を徹底するためには、男女が同じ基盤で就労できることが前提要件となる」、これはわかりますね。「ので、現在、婦人に対して行われている法制上の特別措置について、その合理的範囲を検討し、科学的根拠が認められず、男女平等の支障となるようなものの解消を図る。」、これは何を意味していられるでしょうか。何をお考えになっていらっしゃるのです。
  94. 久保田眞苗

    久保田説明員 この項につきましては具体的には何も書いてございません。婦人に対して行われている特別措置について、「その合理的範囲を検討し、科学的根拠が認められず、男女平等の支障となるようなもの」という条件を付しているだけでございまして、これは「世界行動計画」並びにILO行動計画におきましても、婦人だけに対する特別の措置についての見直しを勧告しているところでございます。それでそこにあらわれております言葉をここへ持ってきたということと、もう一つは労働省婦人少年問題審議会におきまして検討されました結果をここにあらわしているわけでございます。したがいまして、特別措置はどの事項という具体的なものにつきましては、いまどれをどうするというところまで申し上げる段階ではございません。ただ、労働基準法研究会におきましては、基準法に関連のあるこのような事項について、先ごろから検討も進め、現在も検討を続行中でございますので、その結論を待ちたいと存じております。
  95. 金子みつ

    金子(み)分科員 わかりました。労働省所管労働基準法研究会ですね、ここが何かを検討していらっしゃる、その結果待ちなんだ、こういうことでございますけれども、この言葉から見ますと、大変に後ろ向きと申しますか後退するような感じを受けないでもございません。内容が明らかにされておりませんので、ここでいま議論もできないというふうに考えます。しかし、私どもは大変にこの点に危惧を持っているわけでございまして、研究会がどういう結論をお出しになるか、そのことをどのように推進本部が取り上げられるかどうか、それによって事は決まると思いますので、私どもも宿題にさせていただきたいというふうに考えております。  時間もございませんようですのであと一つだけでございますが、同じような問題で母性保護の関係の今後の進め方というのがあると思います。これは厚生省の所管だから自分のところではいろいろとやるわけにはいかないというふうにお考えなのかもしれませんが、この問題は従来からたびたび問題になっていることでございます。社会保障の最低基準を決めたILO百二号条約の中でも、婦人に関する部門は三部門とも取り残されて批准が行われたという事実もございます。婦人問題については立ちおくれが非常にはなはだしい。これは国内法が準備されておりませんからできなかったのだと言ってしまえばそれまででございますが、いままで戦後三十年もたって婦人の健康問題あるいは婦人の社会保障に関しての問題が立ちおくれているというのは大変に問題だと思うわけでございますが、これを十年計画の中でぜひ実現させていかなければこの婦人行動計画の一つの使命が達せられないじゃないかというふうに考えます。ですから、二つ目の大きな問題である婦人の社会保障に関する部門をはっきりと次の五年計画の中にはうたい込んでいただきたいと考えますし、ILOの百二号条約も百三号条約もあるいは八十九号条約もすべて関連してまいりますが、それらの関連する条約批准方向へ持っていくというお気持ちがおありになるのかどうか、それを聞かせていただきたいと思います。
  96. 久保田眞苗

    久保田説明員 ILO条約批准につきましては、この行動計画にも出ておりますとおり、条約についての国際的な検討事項も勘案しながら、そのための批准できるような条件整備に努めるということを明記しております。また社会保障につきましては、この行動計画にも書いてございますとおり「母性は次代社会の健全な発展のために不可欠であり、社会全体として、これに対する十分な援護態勢」をということを基本といたしまして、百二号条約にも出ておりますような母性給付あるいは遺族給付等につきまして努力してまいるということをここにうたってあるところでございます。
  97. 金子みつ

    金子(み)分科員 おつくりになった推進本部の企画室としてはみんな頭の中に入っているから、ここにその考え方が入っている、ここにこの考えが入っているというふうに御説明なさるわけです。そうおっしゃれば、ああそうですか、そうですかということになるのですけれども、そのことがもっと具体的に出ていないのでみんながいろいろ言うわけでございますし、私どももそう思います。ですから、いまの問題の場合でも、何をどのようにするというところまで具体的に示していただかなければならないのじゃないかと思うのです。それがないから問題が起こるわけです。ですから、五年計画をお立てくださるのでしたならば、そのことを今度こそははっきりとうたい出していただきたいのです。頭の中にあるとか考えの中にあるということだけではわからないわけです。ですから、それをだれが見てもわかるように、わかっているわけですから今度お立てになるときにはもっと具体的に示していただきたい。どの法律をどう直したらいいかとか、あるいはどういう法律を新しくつくればいいかということは頭の中におありになると思います。ですから、それをちゅうちょなさらないで、書いたけれどもできなかったらば責任を追及されるなどというようにお考えになる必要はないと思います。できたかできなかったかということはそのときの情勢なんですし、私どもの仕事も一緒なわけなんですから。それを政府が全部ひっかぶって、責任追及されれば困るからなるべく消極的に書こうということは大変に残念な考え方だと思いますから、その点を御要望申し上げておきたいと思いますが、長官の御決意を伺って質問を終わりたいと思います。
  98. 藤田正明

    藤田国務大臣 言葉でおっしゃいますと、五カ年計画の中で何をどれくらいいつまでにやるかと非常に簡単でございますが、実際問題としてはこれはなかなか重要な問題になっていくと思います。たとえば単年度決算主義をとっておりますわが国において、五十五年の予算までもそこである程度決めてしまうとかということにもなりかねない問題も生ずるわけでございます。そういうこともございますけれども、なるたけ具体的にこういうぐあいにやりたい、努力いたしたい、そうしてまたこの問題は政府そのものが行うということは当然でございますが、全国の御婦人方の御協力があって初めてでき上がるものだ、かようにも思っておりますので、そういう意味合いでわれわれは環境づくりに努力するし、また具体的にそういう問題も出していきたい、かように思います。
  99. 金子みつ

    金子(み)分科員 ありがとうございました。
  100. 瓦力

    ○瓦主査代理 古川雅司君。
  101. 古川雅司

    古川(雅)分科員 私は、恩給の問題について若干お尋ねをしてまいりたいと思います。  いわゆる恩給につきましては、終戦という特別な事情がございまして、それに関連して非常に不利な処遇を受けざるを得なかった人々に対する措置、あるいは各種公的年金等の整備拡充に伴って、その制度と恩給制度の関連、こうしたことからその様態が非常に複雑多岐をきわめているわけでございます。私は、きょうはなかんずくいわゆる軍人恩給といわれる旧軍人に対する恩給の問題について、大変断片的になりますけれども、二、三お伺いをしてまいりたいと思います。と申しますのは、こうして非常に複雑な仕組みもありまして一般にはかなり認識の誤り、誤解といったものがあるのじゃないか、そういうことを私感じておりますし、また昭和三十二年に臨時恩給等調査会、四十一年には恩給審議会ができまして、その答申を踏まえて今日まで数々の改善が行われてまいりました。大きく分けて、いわゆる年金価値を維持するための増額改定とその他の改善措置と申しますか、そういうものに分けられるわけでございますが、きょうはその増額改定の方は差しおきまして、その他の改善に関連のある部分についてお伺いしていこうと思います。  まず最初に、非常に大きな不満としてまだ残っておりますのは、いわゆる階級による公的関係扶助料の倍率あるいは恩給金額の計算の基礎となりますいわゆる基礎俸給の計算、その辺にまだ不満があるようでございまして、かつての上厚下薄ということから年次改善を加えまして、上に薄く下に厚いといういわゆる上薄下厚という措置を年々とってきているわけでございますが、これについてはまだまだ一般の認識も足りないと思いますし、実質的な給付内容から見てこの上薄下厚という一つの方向が着実に示されてきているのかどうか、また今後ともさらにそういう傾向を強めて改善を重ねていくのか、現状とその見通しについてまずお伺いしたいと思います。
  102. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 お答え申し上げます。  いま御指摘の上薄下厚の問題でございますけれども、これも先生すでに御存じのとおりに、昨年から、公務員給与が持っております現在の傾向の上薄下厚というのを入れているわけでございまして、来年度の予算あるいは法案につきましてもそういう傾向のものをもちろん入れております。それから全体的に申しますと、そのほかに、従来の恩給制度にはなかった最低保障という制度を昭和四十一年につくりまして、それも逐次改善をしながら額も上げましてやっておりまして、そういう面でも下の者に厚くするという考え方が恩給制度の中にかなり色濃く入ってきているわけでございまして、こういう問題につきましては、私は、低額恩給の是正というのは恩給問題の今後の一つの重要な方向であるというふうに存じている次第でございます。
  103. 古川雅司

    古川(雅)分科員 そういう上薄下厚という傾向を取り入れてきて改善を重ねている、しかも、いまの御答弁にございましたとおり、いわゆる倍率の改善を初めとして最低額の保障というものもございますし、特に傷病恩給等につきましては非常に細かい改善が繰り返されてきているわけであります。しかもなおかつ一般にはまだまだ階級によって上に厚く下の方に薄いのじゃないかという不満の声が強いのは、一体どういうわけでございましょう。どのように御認識なさっていらっしゃいますか。
  104. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 恩給制度でございますので、恩給というのは百年の歴史を経ておりますけれども、それは在職年と最終俸給月額というもので額の計算がなされてきているわけでございまして、そういう大原則と申しますか、仕組みというものは一遍に直すわけにはいかないわけでございます。一つ例を申し上げますと、たとえばいま言われました終戦時の仮定俸給でございますけれども、終戦時の大将と兵の階級の仮定俸給の差は十六・七倍という数字でございましたが、それは現在はるかに狭い四割程度縮小されたような倍率になっております。そういうことをやっているわけでございますし、それから、たとえば先ほど申しました最低保障の問題あるいは公務扶助料につきましては、ほとんど九割ぐらいの方が同じ最低保障を受けるということになっておるわけでございますので、先生の指摘された点については非常に改善をされているというふうに自負をいたしております。そう言いながらいまなお階級の差があるではないかという御指摘があるようにお伺いしたわけでございますけれども、個々のいろいろな例につきましては、逆に従来そういう階級差があった、あるいは最終俸月額が違っていた者が一緒になっちゃったじゃないかという批判の方も大変あるわけでございまして、全体のことを考えますと、非常に縮小されたというふうに言えると思います。個々の方について、どういう御不満があるかよくわかりませんけれども、さらにそういう問題につきましては、具体例等も十分調べさしていただきまして、勉強さしていただきたいと思います。
  105. 古川雅司

    古川(雅)分科員 昭和五十年法律第七十号によりまして、このときの改正で、いわゆる「引き続く実在職年が三年以上七年未満」の兵に対しても一時恩給が支給されることになったわけであります。ここで問題になりますのは、いわゆる三年未満についての兵に対する一時恩給ということがまだ考えられていないわけでございまして、先ほど来からの御答弁を伺っておりますと、これは多分に財源的な絡みもあると思われますけれども、三年未満の兵に対する一時恩給というものが支給されないその実情について、ひとつお伺いをしたいと思います。
  106. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 恩給は先ほど申しましたように非常に長い歴史を持っているのでございますけれども、やはり公務に生涯をささげたと申しますか、そういう方々のために年金である恩給がある。ただそれが主体になるわけでございますけれども、そういう長いと申しましても、年限があるわけでございまして、文官十七年あるいは軍人は十二年または十三年という制度がありますが、それに至らない、しかしかなり長い期間公務のためにお尽くしになった方々に対しては、年金は出ないけれども、その御功労に報いるために一時金をお出しするということでございますが、さらにきわめて短かい期間の方々については、これは年金を一時金も支給しないという制度になっているわけでございまして、その三年というのが妥当かどうかという議論はありますけれども、これは戦前から三年以下の者は支給されておりませんし、それから軍人のお話をされたわけでございますが、文官も、これも戦前から三年以下という方は支給されないというシステムになっているわけでございます。いま言われました兵の階級の者については、特別に三年以上七年未満という、かつてないような制度についても道を開いたわけでございますので、恩給制度の歴史なりあるいは中身のことを考えますと、きわめて短期間公務につかれた方方について一時金が支給できないというのは、これはやむを得ないのではないかというふうに思っております。
  107. 古川雅司

    古川(雅)分科員 私は、きょうは軍人の恩給についてしぼってお伺いをしているわけでございまして、いわゆる公務と申しましても、戦時体制という非常に異常な状況下にあります。三年と区切ったことについて、いろいろ問題があるわけでございますけれども、これはきわめて世俗的な言い方になりまして恐縮でありますが、いわゆる一年か二年応召されて、生きるか死ぬかという思いをして、やっと助かって復員をしてきた、しかし、三年以上ということにかからないで、何ら一時恩給の対象にもならない、それに対して十二年、十三年、確かに公務に携わっていた期間はあったけれども、鉄砲の弾の一つくぐらないで、これはもう恩給、年金の対象になっている、その辺に一つの大きな不満の声があるんじゃないかと私は思うのです。したがいまして、三年以上七年未満の兵に対してもというこの昭和五十年の決定も、その三年というところできっぱり切らないで、それはたとえ一年であれ半年であれ、一つの段階を設けて、何らかの形でやはり一時恩給というような措置も講ずべきではなかったのか。また、今後そういう検討、そしてまた実現の見通しというのは立てられるのではないか、このように考えられるわけでございますが、いかがでございますか。
  108. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 先ほど御説明するときにちょっと落としたような気がいたしますけれども、兵の階級の者に三年以上七年未満の者を入れましたのは、これは戦前にも下士官以上については三年以上引き続いておる者については出るということがございましたので、そういう意味で文官もそうでございますけれども、戦前にあった下士官の制度というものを十分配慮いたしまして、兵の者にも三年以上の者には出すというふうな階級を拡大をするという措置をとったのでございまして、そういう意味でございますので、三年未満の者、一年、二年未満の者についてはこれを一時金として出すということはなかなかむずかしいというふうに現在考えております。  もちろん当然でございますけれども、一年、二年でありましても、けがをなさったり、亡くなられたりしたというような方々については傷病恩給なり、公務扶助料なり、そういうものが出ているわけでございます。
  109. 古川雅司

    古川(雅)分科員 この問題にちょっとこだわるようでございますが、いわゆる兵に対する一時恩給の支給については引き続く実在職年三年以上というこの引き続きという項があるわけでございますけれども、いわゆる三年以上七年未満があっても、これが断続された場合、途中で切れる。応召されて二年間兵役について、そこで除隊になって帰ってくる、そうしてまた召集される。通算すれば三年以上になるけれども、断続で三年に満たない。これは現在は、引き続く実在職年という表現から見ると一時恩給の対象になっていないように思うわけでございます。この点についていかがでございますか。
  110. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 いまの問題も昔からそうなっておりまして、それから文官でも軍人でもそうなっているわけで、先ほど申しました下士官の場合にもそうなっているわけでございます。五十年に兵に及ぼしましたときにもそういう意味でそういう条件をつけざるを得なかったわけでございますけれども、したがって、いま考えておりましてもなかなかむずかしいことでございます。むずかしいことでございますけれども、ただ兵に及ぼしたということは、兵の場合には明らかに兵役で現役で二年参りまして、帰ってきてからまた応召で二年行ったとか、三年行ったとか、そういう方々が非常に多くいるということは私たちも認識しているわけでございますので、いま先生の御指摘の点につきましては、従来はそういう制度ございませんが、兵に拡大をしたということに応じて、何といいますか、非常に問題を持っている方々、要するに断続一恩的なものを持っている方が相当おられる、したがって、問題はかなりあるのではないかという認識はいたしております。  そういう点で、その点につきましてはまだどういう方針を決めたということではございませんけれども、まず実態をつかむ必要があるというふうに考えておりますので、本年度は調査費を二百万ばかり御要求申し上げまして、予算案の中に組まれているわけでございます。それによってそういう実態の方々がどれだけどういう形態でおられるかということを調べてみたいと思っているところでございます。
  111. 古川雅司

    古川(雅)分科員 調査費をつけて実態の掌握に当たるということでございますので、やがてその実数が明らかになってくると思いますが、これはどう考えても、大臣、おかしいわけですね。過去のそういう慣例と申しますか、事例にならえば、非常にむずかしい面もあるかと思いますが、一般には実在職年が断続的になっているので対象にならないというところから、非常に不満もたくさん出ているわけでございます。どうか、これから明らかになる実態を踏まえてひとつ拡大をして、こういう方々に対して一時恩給受給の対象に入るように十分にひとつ御配慮いただきたいと思うのでございますが、いかがでございますか。
  112. 藤田正明

    藤田国務大臣 ただいま事務当局が申し上げましたように、軍歴実態調査という項目で予算も五十二年度で計上いたしておりますので、その調査の結果を待ちまして御趣旨に沿うような努力をいたしたい、かように考えております。
  113. 古川雅司

    古川(雅)分科員 ただいまの件につきまして、ことし一年で調査ができるかどうか、その辺ちょっと私も理解しかねますけれども、この実態が明らかになりまして直ちにそれに対する決断というのができるものでしょうか。さっきの局長の御答弁だと、非常にむずかしいというニュアンスも多少残っているように思いますが、可能性はいかがでございましょうか。実態が明らかになった暁にはどうでしょう。
  114. 藤田正明

    藤田国務大臣 先生の御趣旨は、断続した期間を通算したらどうかと、こういうお言葉だと思うのですね。ですから、いまの継続的な三年以上ということではなくて、断続すれば五年にもなり六年にもなっていく、そういうことに関しましては、これは当然何らかの措置をしなければならぬのじゃないかという前提のもとにいま実態調査を行っておるわけでございます。ただ、おっしゃいましたように、一年間で実態の調査ができるかどうか、それは問題でございます。しかし、一年かかろうが二年かかろうが、この実態調査をやりまして、検討いたしたい、かように考えております。
  115. 古川雅司

    古川(雅)分科員 これは同じような問題になりますが、昭和四十一年の法律第百二十一号の改正で、事変地または戦地において旧陸海軍の戦時衛生勤務に服した日本赤十字の救護員についての改善措置がなされております。これは、看護婦長以上については一応の措置がなされたわけでございまして、それ以下の看護員といいますか、についてはまだ措置がなされていないように私理解しておりますが、この点いかがでございますか。
  116. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 看護婦長以上ですと、たとえば陸軍の看護婦長ですと、判任とするということで当然すでに官吏であって、恩給法の適用があったわけでございまして、一般の看護婦さんの方は、いわゆる雇傭人、傭人に当たるわけでございますので、これは共済の方の適用があるということで、恩給法ではございません。そういうことで、日赤の看護婦さんの場合にも、それぞれ看護婦長なり看護婦、そういう地位がございますので、それに着目をいたしまして、四十一年の改正以来、戦地において戦時勤務に服された方々が帰ってきて、なおまた国立病院とか県立病院とか、そういう公務員になられた場合に限ってでございますが、看護婦長以上の場合には恩給期間に通算をする、それから、一般の看護婦さんの場合には、これは恩給ではございませんが、共済の方の資格期間として通算をする、そういうふうな制度になったわけでございます。
  117. 古川雅司

    古川(雅)分科員 時間が詰まってしまいまして、次に移りますが、軍人恩給の資格認定を申請する手続でございますが、非常に時間がかかるという不満が多いわけでございます。特に傷病恩給等については極端に事務が停滞をしているということでございますが、大ざっぱで結構でございます。大体年間どのくらいの新規の受理件数があるのか、それをお教え願いたいと思いますし、県が窓口でありますけれども、実際には市町村が窓口になりましてそういう申請を受理して、これが県、そして厚生省援護局、恩給局と回ってくるわけでございますけれども、どうしてこんなに事務処理が停滞するのか、それを受け入れる事務局の陣容といいますか、人手不足なのかあるいは何らかの機構の欠陥があるのか、その実情についてちょっと御説明をいただきたいと思います。
  118. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 昨年一年の数字をちょっと申し上げてみたいと思いますけれども、昨年一年で、たとえば恩給局に出てまいりましたのは、普通恩給で約三万二千件、それから扶助料で六万一千件、傷病恩給で約一万七千件、それから一時恩給が十一万五千件という数でございます。合計いたしますと二十二、三万になりますが、いま非常に時間がかかるじゃないかと言われました中で、先生も御指摘になりましたように、傷病恩給だけは非常に時間がかかります。と申しますのは、傷病恩給というのは、もういまから三十年前の傷なりあるいは御病気によりまして、それが因果関係を持って今日の現象にどういうふうに出ているかということを調べるわけでございますので、ものによりましては実態調査をいたしましたり、あるいはもう一つ公的な病院で、検診と申しておりますが、診断をしていただいたり、あるいは、これは全部やるのですが、恩給局に顧問医というそうそうたる先生方がおるのですが、そういう先生方に、その出てきました資料を全部お見せして公務かどうかという鑑定を受ける、あるいは程度はどのくらいかという鑑定を受ける、そういう手続を経ますので、傷病恩給については時間が実際かなりかかっております。しかしこれも、そう問題でないのは恩給局に受け付けましてからは二、三カ月あるいは半年ぐらいで処理をいたしておりまして、遅くとも一年以内にはやっているというのが実情でございまして、傷病恩給に関しては、速さというのももちろんでございますが、それ以上に正確さというのが要求されるというふうに思うからでございます。  それからもう一点、いま最もおくれておりますのは一時恩給でございますが、先ほど御指摘のあった兵の一時恩給というのは、五十年の改正で五十一年から出てきたということでございますので非常にいまたくさん一遍に出てきたということで、昨年も一年間で十万以上の件数が出てきておりますので、ちょっと都道府県の窓口でたまっているケースが多いわけでございます。しかし、それはなるべく早くするということで、厚生省とも御相談をして要員の確保なりあるいは事務の簡素化ということをやっておりますので、その体制も徐々によくなっているというふうに信じております。恩給局に出てまいりましてからはほとんど一カ月以内にやっております。
  119. 古川雅司

    古川(雅)分科員 とにかく傷病恩給につきましては極端に遅くなるわけでございまして、私は、決して正確さをどうこうしろと言うわけじゃありません。当然正確さは厳格に求められなければならないと思いますけれども、いまの御答弁では大体傷病恩給については申請が一万七千件とおっしゃったんですか、この専門医、いわゆる顧問医のチェックを受けるわけでございますが、これは何人ぐらいの顧問医でこれだけの件数を処理しておりますか。
  120. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 約十人の顧問医が恩給局におりまして、これはもう斯界のそうそうたる方々でございます。しかもそれは内科とか外科とか耳鼻科とか眼科とか、そういう専門に分かれておりますので、それぞれの態様に応じまして先生方の御鑑定を受けております。
  121. 古川雅司

    古川(雅)分科員 この顧問医の陣容について手薄であるとか陣容が少ないとか、そういう主張はございませんか。
  122. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 一般的にそういうことはないと思います。ただ、眼科と耳鼻科は従来一名でございましたけれども、やはりそういう眼科や耳鼻科の関係のものも多うございますので、今度の予算ではそれぞれ一名ずつふやしていただくようにお願いをいたしているところでございます。
  123. 古川雅司

    古川(雅)分科員 いずれにいたしましても、事務処理の繁雑さというものはよく理解をできますけれども、申請をする側からすれば一日も早くその結果について知りたいということも、これはまた人情でございまして、ひとつ正確さと同時に事務処理の迅速化を図っていただくように要望いたしまして、私の質問を終わります。
  124. 瓦力

    ○瓦主査代理 大原亨君。
  125. 大原亨

    大原(亨)分科員 二つの点について質問したいと思うのですが、第一は、社会保障制度審議会のこれからの運営を含めての問題について、二点だけひとつ長官の御意見をお伺いしたいと思うのです。  私も社会保障制度審議会へ先般から出ておるのですが、これは自由民主党からも、あるいは社会党、公明党まで今度は出ております。学識経験者で、つまりこれは専門家の、あるいはいろいろな経験を持っておる人の総理大臣に対する答申、勧告の機関であることは御承知のとおりであります。これは三者構成ではありませんから、いろいろな答申や勧告等につきましてはいままで一本にしてやっておるわけですが、これは昭和三十六年当時であったと思うのですが、日本の社会保障制度を総合的、体系的に整備するための問題点を非常に長文のもので政府に勧告いたしました。考えてみると、このことを政府が忠実にやっておりますと日本の社会保障制度もいまとは違っておったというふうに私は思うのです。何といっても、いまの日本の医療にいたしましても年金制度にいたしましても継ぎ足し継ぎ足しでありまして、非常に欠陥が多いわけです。いわゆる欠陥福祉、私はこういうふうに言うのですが、そういうことなんです。各省にばらばらになっているのを総合的に見直しをしながら体系づけていくという観点で、いろいろな政府の提出法案その他を審議するわけです。  そこで、私は二つの点について感想を持っておるので、長官の御意見を聞きたいのです。  第一は、社会保障制度審議会に対する内閣のウエートのかけ方、位置づけ、そういうものについてだんだんと軽視する方向というか、存在について積極的に評価しない方向にあるのではないか。たとえば学識経験者の一元的な組織ですからですが、専門家をさらに呼びましたり、あるいは調査を委託いたしましたり、あるいは調査員をつくりましたり、そうしてやはり積極的な機能が発揮できるような予算措置を十分にしてもらって、そして年金にいたしましてもあるいは健康保険にいたしましても、たくさんの制度がばらばらになっておるのを、各省のセクトではなしに総合的に見直していく、そういうことの任務が果たせるように積極的に考えていくべきではないか。こういう点を私は意見として持っておるわけですが、この点についての見解を聞きたいということ。  それから、申し上げましたが、公的年金制度は厚生年金、国民年金、各種共済全部分かれておるし、公務員共済もそうでありますし、地方公務員共済もあるわけですが、所管省が非常に区々になっておるので、これの一元化を図るべきである。これはだれが一体イニシアチブをとるかということになるわけです。これは無政府状況であります。たとえば、国鉄の共済年金は、短期、それから長期があるのですが、長期は年金ですが、これはもう五年、十年いたしますと入ってくる金よりも出る金の方が多いわけですよ。だから、これはパンク寸前です。だれが見てもめちゃくちゃです。ですから、そういうセクト的な運営はもうできないような時代に入っておるわけですから、一体だれがイニシアをとってこれを整備をしていくというふうに考えておるのか。総務長官社会保障制度審議会の言うなれば主管の長官ですから……そういうものをやるのが日本においてはいない。社会保険もそうです。社会保障全体もそうです。これは総理大臣がやるべきです。アメリカなんかだったら、そういう専門家を置いておいて、就任したら直ちに問題に取り組んで、大統領のイニシアチブで改革をするということになるのですが、日本はもう高度成長以来だあっと続いておって、矛盾が累積をしておるわけです。この点について、やはり社会保障制度審議会も大きな役割りを果たすし、あるいは総務長官総理大臣の大きな知恵袋にもなる、こういうふうに私は考えるわけです。  この二つの点について、私は年金の一元化の問題を第二の質問にいたしますが、その問題に対する総務長官の見解をお聞きをしたい、反省を含めてお聞きをしたい、これが第一。
  126. 藤田正明

    藤田国務大臣 大原先生がおっしゃいますように、この社会保障制度審議会というものは決して政府が軽視しているとか漸次そういう方向に向かっておるとはゆめ考えておりませんで、予算の面におきましても五十一年度から五十二年度につきましては相当なアップがございます。  それからまた、人事の面でいまの専門委員だとかそういう人たちを置くとか呼ぶとかというふうなこともございますが、いまのところこれも決して十分ではございませんけれども各省庁の専門家を直ちに呼べる、そしてまた研究に当たらせるというふうなことで補っておるわけでございます。予算の面におきましても人事の面におきましても決して十分とは申し上げませんけれども、まあまあ渋滞なくその審議会が運営されておるというふうに考えております。  年金その他が多様化しておって、その間における調和といいますか整合性といいますか、そういうものを欠いておるということでございますが、これに対しましては、私たちは厚生省内部に設けられておりますところの年金制度懇談会でございますか、厚生大臣の私的諮問機関であろうと思いますが、これらが現在その調整に当たっておられるということで注目をいたしております。
  127. 大原亨

    大原(亨)分科員 これに時間をとりたくないのですが、制度審議会会議費調査費、あるいはスタッフ、あるいはそれに対する位置づけ、そういうものについては八月以降新しい年度の予算審議が始まるわけですが、これは十分留意して万遺憾なきを期してもらいたい。総務長官、私はやはり社会保障制度審議会が特に総理大臣のスタッフになって、いろんな建議をしたり勧告をしたり諮問に応ずる、こういう機能を十分発揮して、全く言うなれば矛盾だらけになっておるいまの制度というものを整合性のあるように立て直していくということをやることが必要である、こういうふうに思うわけです。その点は特に要望いたしておきます。あなたはいつまで総務長官をやられるかわからぬが、しかし任期中に予算の編成が始まるわけですから、その点を留意していただきたいと思う。  それから、年金の一元化について私の意見を申し上げておくのですが、これはたとえば公共企業体でしたら運輸省が一部扱っておりまして、それぞればらばらです。あるいは公務員も地方公務員もばらばらです。教職員もばらばらです。そして恩給との関係があります。それから厚生省は厚生年金、国民年金の関係があるし、大蔵省でも公務員関係を扱っておりますから、これはもう全く全体として改革しようと思った場合にはどうにもならぬという仕組みになっておる。その実態について十分検討されて、この問題についてはやはり総理府がイニシアをとる、総理大臣がイニシアをとる、そのためにはスタッフをきちっとする、こういうことでやらないと、厚生省の一角で厚生大臣の諮問機関みたいなのが案をつくったって全然大蔵省なんか相手にしない、日本はそういう非常にセクト的な官僚主義、官僚政治です。ですから、矛盾が累積をいたしまして半身不随になるということです。この二つの点を重ねて指摘をしておきます。  それから第二の問題ですが、これは総務長官にお尋ねすると言いましてもなんですが、あなたは広島ですから関係深いわけですが、戦争犠牲者に対する日本の対策は、恩給法が一つあるわけです。それから戦傷病者戦没者遺族等援護法があるわけです。それから原爆二法があるわけです。最近非常に関心や要求が高まってまいりましたが、一部は実施されておるわけですけれども、東京空襲とか、名古屋とか大阪空襲とか、大都市の空襲を中心に一般戦災者の問題が出てきておるわけです。私はその法律関係をずっとこの十年来追及をしてきたんですが、きょうはどこまでの資料があるかということについて、重要な点だけをピックアップして質問をし、お答えをいただきたいと思うのですが、昭和二十年八月十五日に戦争が終わりましてから、陸軍省、海軍省、次いで警察をやっておりました内務省が解体をしたわけです。そして、現在の恩給法や現行援護法の対象以外の人々を主として対象としている戦争動員と援護の問題については、資料を焼くように自衛隊に対しては命令いたしました。閣議決定等は、どこが所管するかわからないというふうな状況であったわけです。  そこで、その中で一つの非常に重要な法律は、昭和二十年六月二十二日に議会で議決をいたしまして、そして即日公布をいたしました義勇兵役法という法律があるんです。これは、中身の議論はきょうは私はいたしませんで、これは一つの基礎になるので申し上げるのですが、その義勇兵役法は第九条までしかないんです。これは兵役法や総動員法による国民の総動員に関する法律ですね、包括委任立法ですが。いまだったら違憲ですけれども、当時は包括立法です。そのほかに義勇兵役法の第一条には、「大東亜戦争ニ際シ帝國臣民ハ兵役法ノ定ムル所ニ依ルノ外本法ノ定ムル所ニ依リ兵役ニ服ス 本法ニ依ル兵役ハ之ヲ義勇兵役ト穂ス 本法ハ兵役法ノ適用ヲ妨グルコトナシ」こうありまして、第二条では、男女の年齢を規制をしながら、志願兵制度でそうでない人も義勇兵士に採用することはできるということで、第五条では、「義勇兵ハ必要ニ鷹ジ勅令ノ定ムル所ニ依リ之ヲ召集シ國民義勇戦闘豫ニ編入ス 本法ニ依ル召集ハ之ヲ義勇召集ト構ス」ということで、九条ほど法律をつくりまして、そして義勇兵役の法律を六月の二十二日に議決をいたしまして公布したわけです。  問題は、これが公布されたわけですから、ずっと末端まで行っておりましたならば、戦闘員と非戦闘員の差はなくなるわけです。ですから、いわゆる公務であるとか特別権力関係であるとかいう議論は、なくなってしまうわけです。あなたも広島出身ですから、非常に深い関心を持っておられると思うんですが、原爆の問題でも一般戦災者の問題でもそうです。一般戦災者の死没者は、約五十万というふうに国会で言われております。原爆の場合には、三十五、六万というふうに言われております。そういう法律について、戦時の対策が不公正でないようにする。それぞれの段階はあるかもしれない。薄い濃いはあるかもしれない。質的な問題はあるかもしれない。しかし、これは不公平であってはならぬという観点で、現行援護法等も逐次改正してきました。  そこで、ここに御出席を願っているのは、総務長官知っておられますか、そのお隣の人。これは岩倉国立公文書館長と言われて、総理府長官をしておられたことがあるんです。私は岩倉さんに、それに関係いたしました法律、勅令その他について——国立公文書館というりっぱな建物ができておりますが、そこで昭和二十年までの明治以来の文書を整理をしておられるわけですが、岩倉さんは最後は総理府長官だったと思うんですが、いまは館長。昭和二十年六月当時、戦争終結の前ですが、その当時は何をおやりになっていらっしゃいましたか。そのポストです。
  128. 岩倉規夫

    ○岩倉説明員 お答えいたします。  私は、昭和十二年に内務省に採用されまして、十四年に内閣官房に転任を命ぜられて内閣書記官になりました。昭和二十年の四月に内閣官房会計課長、したがいまして終戦のときも官房会計課長内閣書記官の任務についておりました。
  129. 大原亨

    大原(亨)分科員 だから私の調べた範囲では、参議院の迫水さんが書記官長を当時しておりましたが、亡くなりました厚生大臣の斎藤さんが恐らく防空本部の三局長の一人をしていたと思うんですが、その当時の官房の会計課長ですから、すべての仕事に関係しておられたと思うんですが、そういう人はいないわけですね。私が調べておりましたら、岩倉さんが当時おられた。そこで、あなたについて私は、当時の資料を公文書館でできるだけ調べてください、こういう要請をしておきましたが、義勇兵役法それからそれに基づく勅令、施行令、こういうもの等について、これが公布されました当時の事情でわかる範囲のお答えをいただきたい。
  130. 岩倉規夫

    ○岩倉説明員 お答えいたします。  国立公文書館は、昭和四十六年の七月に設置せられました。国の行政に関する公文書並びに記録を保存し閲覧に供しておる、総理府の付属機関でございます。義勇兵役法等につきましては、現在私どもの方に保管いたしております公文類集と申します書類の中に、順に申し上げますが、義勇兵役法とそれから義勇兵役施行令、これは兵役法の方は昭和二十年法律第三十九号、施行令の方は勅令第三百八十五号でございまして、いずれも公文類集第六十九編昭和二十年巻の五十二の中に、それから義勇兵役法施行規則と申しますものは、昭和二十年七月五日付の官報に陸海軍省令第八号として載っております。
  131. 大原亨

    大原(亨)分科員 それで、これは当時お知りでなければお答えいただく必要はないのですが、戦傷病者戦没者遺族等援護法で今度の法律が出ておるわけですけれども、その中の第二条第三項第三号におきまして、「昭和二十年三月二十三日の閣議決定国民義勇隊組織に関する件に基いて組織された国民義勇隊の隊員」というのが、つまり準軍属といたしまして援護法の対象になっているわけです。遺族給与金と障害年金医療費等給付されている。これは国民義勇隊です。これは三月二十三日の閣議決定です。これと、いまの六月二十二日の義勇兵役法との関係について、何か御理解になっておることがあればひとつ記録にとどめてもらいたい。お知りにならなければよろしい。
  132. 岩倉規夫

    ○岩倉説明員 お答えいたします。  ただいま先生のおっしゃいました「国民義勇隊組織二関スル件」という閣議決定は、昭和二十年の三月二十三日閣甲八十六号という番号で閣議決定になっておりますが、同年四月十三日閣甲百二号で、全く同じ件名の「国民義勇隊組織ニ関スル件」という閣議決定がなされております。これは調べてみましたら、同じ件名のものが実は二件ございまして、三月の分がただいま先生のおっしゃったことと思います。ただ、それが先ほどおっしゃいました法律との関連につきましては、つまびらかにいたしません。
  133. 大原亨

    大原(亨)分科員 あなたは当時内閣の会計課長をしておられて、中枢におられて、そういう書類については扱っておられたということは私も理解できるわけですが、その法律関係その他については、上部の全体の総動員体制については御承知なかったと思うのです。ただ、私がいただきました資料で調べてみますと、義勇兵役法施行令について六月二十二日、法律と同じ日に勅令で施行令が出ておるわけですが、その第八条によりますと、「義勇兵二野シテハ編入セラルベキ國民義勇戦闘除名、國民義勇戦圖隊ノ職員ニ充テラルベキ者ニ在リテハ其ノ職名其ノ他必要ナル事項ヲ豫メ通知ス」とあるのですが、その他たくさん出ておりますが、「國民義勇戦闘隊」「國民義勇戦闘隊員」、こういう文言が使ってあるわけです。これは、三月二十三日の閣議決定に基づく国民義勇隊と同じではないかというふうに理解をしておる。それを法律で裏づけた、オーソライズした、こういうふうに私は理解をしたわけです。  しかし、そのことについての議論は別にいたしまして、このことについてさらにあなたの公文書館におきまして、資料がございましたならば調査をいただきたい、このことをお願いをしておきます。
  134. 岩倉規夫

    ○岩倉説明員 当館におきましては、公文書並びに記録に関する調査研究も任務となっておりますので、そのような方向で調べてみたいと思います。
  135. 大原亨

    大原(亨)分科員 陸軍省と海軍省で、国民義勇兵役法の主務大臣は陸軍大臣と海軍大臣でありました。  そこで、きょうは防衛庁にも御出席いただいておるわけですけれども、義勇兵役法と関連いたしました勅令、省令その他の法令についてお調べいただきました法令の件名を防衛庁の方からお答えいただきたい。
  136. 木梨一雄

    ○木梨説明員 お答えいたします。  当方が保存しております昭和二十年の法令全書第六号によりますと、先ほど御指摘の法律といたしましては義勇兵役法というのがございまして、これは昭和二十年法律第三十九号でございまして、公布、施行は六月二十二日でございます。  この法律を施行する命令といたしまして、勅令と軍令とがございますが、勅令といたしましては義勇兵役法施行令というのがございまして、これは昭和二十年勅令第三百八十五号でございます。公布、施行は六月二十二日でございます。  もう一つの勅令といたしましては、國民義勇戦闘隊員服装及給典令というのがございまして、これは昭和二十年勅令第三百八十六号でございます。公布、施行は六月二十二日でございます。  そのほか、「内閣ニ国民義勇隊巡閲ヲ置クノ件」というのがございまして、これは昭和二十年勅令第四百七十号でございまして、八月十五日の公布、施行となっております。  軍令といたしましては、国民義勇戦闘隊統率令というのがございまして、これは昭和二十年軍令第二号でございまして、施行は六月二十三日でございます。  さらに、これらを受けます細部の規定といたしまして陸海軍省の省令がございます。  第一番目は、義勇兵役法施行規則というのがございます。これは昭和二十年陸海軍省令第八号でございまして、七月五日公布、施行となっております。  次に、国民義勇戦闘隊員給与等規則というのがございまして、これは昭和二十年陸海軍省令第四号でございます。公布、施行は六月二十三日でございます。  そのほか、船舶義勇戦闘隊規程というのがございまして、これは昭和二十年海軍省令第二十七号でございまして、公布、施行は八月二日でございます。  このほか、この義勇兵役法に関連する法令といたしまして、軍刑法の特例関係規定がございまして、件名を申しますと、國民義勇戦翻隊員ニ開スル陸軍刑法、海軍刑法、陸軍軍法会議法及海軍軍法会議法ノ適用ニ關スル法律というのがございまして、昭和二十年法律第四十号、公布、施行は六月二十二日でございます。  この特例法の施行命令として勅令が一つございまして、「国民義勇戦闘隊員に関スル陸軍監獄令ノ特例ニ関スル件」というのがございます。これは昭和二十年勅令第四百六十八号でございまして、公布、施行は八月十日でございます。  以上でございます。
  137. 大原亨

    大原(亨)分科員 これは総務長官、私がなぜこういうことを言ったかといいますと、一最初申し上げたように、アメリカの占領軍が入ってきましてから、兵役法とか総動員法関係はこれは逃れることはできない、こう思いまして、法令等は全部占領軍に出したのですが、あとの旧防空法と国民義勇兵役法の関係等は全部書類を焼却しまして、そして、言うなれば責任者は戦争犯罪の追及を免れた。非戦闘員を戦闘に動員しているということについては国際法で追及される可能性がある、こういうことで焼却いたしました。  われわれも援護法を審議するときに、沖繩は昭和十九年の十月十日、これは上原君に、沖繩の人ですから聞いてみましたら、これは第十次空襲ですが、それ以降の沖繩の日本人は、戦闘員、非戦闘員にかかわらず戦闘状況に置かれて戦争に協力したという決定を下しまして、そうして準軍属として援護法の対象にしている。  ですから、どういう程度にどういう政策でやるかは別にいたしまして、三月二十三日の閣議決定の義勇兵役法については、準軍属としてその一部を入れているわけですが、しかしだんだん戦争が、沖繩もだめになって、本土決戦の段階になって、ここにもしばしば出ておりますが、一億総武装という段階において、特にいま御説明いただきました六月二十二日、義勇兵役法が出て以降の勅令や省令や軍令その他の規則というものは 一斉に、内務大臣で警察が前面に出ておったのを、今度は軍が前面に出まして、そうして地方長官やあるいは自治体の市町村長をそれぞれの本部長といたしまして、全部が本土決戦の体制に入ったのであります。ですから、移動その他についても自由がなかったわけであります。  そういう決戦の状況、全部が戦闘の状況の中において発生いたしました被害については、国が責任がないなどというふうなことは絶対に私は許さない、こういうふうに主張をいたしておる。国家補償の精神で、それぞれの政策のバランスはあるであろう、あるけれどもやらなければいけない。  当時の終戦直後のどさくさの状況できわめて問題がたくさんあるという事実は知っておりますが、そういう点で、資料を追跡をいたしまして、そうして公文書館長岩倉さんやあるいは防衛庁からも、陸軍、海軍に関する文書は引き継いでおりますから、そこで具体的にはどのように本土の決戦体制が法令上とられておったかということを調べたわけであります。  たとえば、現地広島におきましても、もう六月、七月、八月の段階になりましたら戦闘員と非戦闘員の差はありませんよと言って、各団体の長や職場責任者を集めまして、軍が直接参りまして訓辞をしておるわけであります。確かにこの法律が具体的にどこまで施行されたかということについては混乱期で議論がありますが、しかし完全に一億総動員の体制であったことは間違いない。  ですから、一般戦災者も死没者は五十万人程度でありますし、原爆は三十数万程度であります。だから、それぞれの特殊事情を考えながら、戦争犠牲者については何らかの措置をすべし、引きあげ者については一時金を出したわけですから。これは財産被害ですけれどもね。事人命と健康にかかわる問題については、西ドイツの例にあるように差別をつけるべきではないというのが私の一貫した考えです。国際法違反の議論は別の議論として政策論議で議論いたしますが、せっかく藤田長官は広島の出身ですし、自由民主党の県連の会長ですから、この問題についてよく資料をいままで努力して防衛庁と公文書館長に出していただきましたから、さらに足りない点は出していただいて、法令はもちろん、事実を確かめまして、そしてその根拠を明確にしながら戦争犠牲者に対する援護の公正を期していきたい、こう私は思うのです。最後に総務長官の国務大臣としての所感をひとつ聞きまして、私の質問を終わります。
  138. 藤田正明

    藤田国務大臣 ただいまおっしゃった大原先生の御意見は一応私もよくわかります。しかし、事は重大な問題でございますので、なお検討、研究をさせていただきたいと思います。
  139. 瓦力

    ○瓦主査代理 田口一男君。
  140. 田口一男

    田口分科員 きょうは恩給の問題について、一部年金にも関連をするのですが、時間がなんですから、二つほど質問をしたいと思うのです。  まず、その前に、今日まで恩給法、関連する年金共済組合法の改正が何回かありまして、逐年改善をされてきておるということは認めるにやぶさかでないのですけれども、本年の四月現在、来月ですね、今回、国会に提案をしております恩給法の一部改正などによって、文官、軍人を含めて恩給法というものの対象人員というものは、概算でいいのですが、一体どれぐらいあるのか。できれば文官と軍人を分ければいいと思うのですが、概数で結構ですから……。
  141. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 実は、資料を見れば正確な数字がわかります。概算でよろしいということでございますがお答えをいたしますと、文官が二十万弱でございまして、軍人が二百四十万程度でございます。合わせまして約二百六十万でございます。
  142. 田口一男

    田口分科員 そうしますと、逐年改善をされた結果としてそういった数字になってきておるのだろうと思うのですが、これもおおよその数字で結構なんですが、今日なお、そういった改善措置がとられてきたにもかかわらず、いろいろな法の不備または制度にひっかからない、こういうことで、それらを改善するとすればあとどれぐらい取りこぼしがあるのか、そういった点で検討されたことはございませんか。
  143. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 いろいろ問題はございますけれども、そのときにおいて恩給法の範囲をどういうふうに決めるか、恩給公務員の範囲を決めるかということ等は非常に重大な問題でございますが、しかし、これは百年の長い歴史を持っておるわけでございますので、そう簡単に右から左に動かせるようなしろものではございません。  そこで、いま先生の御指摘は、取りこぼしと言われたのでございますが、どうもそういう恩給法の範囲内におきましては、現在取りこぼしというものは特にないというふうに思っております。ただ、いろいろな問題として提起されている問題は、問題点としてお聞きしているものはございますけれども、これは恩給法の処理の中でできるような問題でないものが多うございまして、そういう意味では取りこぼしという性格のものはないのじゃないかというふうに思っております。
  144. 田口一男

    田口分科員 取りこぼしという表現を使ったので私の尋ね方がなんですが、恩給法自体で見れば、先ほどから私が申し上げておりますように、相当改善をされてきておる。しかし、恩給法でいったら百年、今日恩給と各種年金、こういったかかわり合いが相当ふえてきておると思います。  そこで、お尋ねをしたいのですが、一体恩給法というものは、法制定当時の精神ではなくて、今日時点で見た場合に、国家公務員共済組合法それから地方職員、公共企業体、こういった旧官公吏と言われた者の各種共済組合法ができておるのですが、そういうものができた今日で、一体恩給法と共済組合法との性格の違い、そして共済組合法ができた今日、いまでは恩給法というのはどういうふうな性格を与えればいいのか。その点、初歩的な質問ですが……。
  145. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 先生初歩的と言われましたけれども基本的な問題でございまして、まあ大変むずかしい問題だと思いますけれども御存じのように、恩給というのは、国家にいろいろ功労を尽くして長い間勤めて、あるいは傷ついたりあるいは亡くなったりしました者を対象にいたしまして、その方々の生活の適当な支えというものをするために払われる年金なり一時金なりというものだと思います。それに対しまして、共済組合法というのは社会保険の一種でございまして、一種という言い方がいいのかどうか私もよくわかりませんけれども、広い意味の社会保険の中に包含される性格を持っていると思います。したがいまして、それぞれが掛金を掛け、そうして相互に救済をするというものを持ったそういう性格であろうと思います。大ざっぱに私はそういうふうに理解をいたしております。
  146. 田口一男

    田口分科員 恩給と年金との違いは、厳密に定義づければそういうことになると思うのですが、私はさっき取りこぼしと言ったことできょうは二つだけ、こういう場合には恩給法の精神から照らして、さらにいまの共済年金という観点から見てどうなのかという意味で質問したいと思うのですが、代表的な例をまず二つ申し上げたいと思うのです。  その一つは、こういうケースを私はいろいろと相談を受けて、似たり寄ったりのうちの一つを申し上げますが、昭和十一年に、月日は省略しますが、県穀物検査員、いまこういう官名はありませんけれども、に採用になり、そして昭和十七年十二月まで、その間職名の変更がありまして、たとえば県農産物検査技手とか、こういう名前には変わってきておりますが、ともかく十一年から十七年まで勤めた。それから職名、官名の変更で昭和十七年十二月付で県食糧検査技手、それがずっときまして、二十二年の五月には農林技官というふうに職名が変わり、昭和三十二年七月に実は退職をしておるわけであります。  このいま申し上げた例を先般恩給局から資料をいただいたものに照らしますと、恩給の種類一、普通恩給で十七年以上、こういう年限、受給資格期間を決められておるのですが、昭和十一年から昭和三十二年までという、単純に計算をした場合にはざっと二十二年ですね。それから雇いとか臨時とかいう身分がありますから、厳密に言うと昭和十四年からになるのですが、約十八年から十九年公務員としての期間がある。ところが、こういった経験を持った人が実は恩給ももらっていない、年金ももらっていない、どうなんだろうかという質問があるわけです。  そこで、さっき私が質問いたしましたように、恩給法の観点から言ってこれがどこが受給資格を満たさないのか。いま昭和五十二年の今日から見た場合には、二十年以上勤務しているのですから、国家公務員なり地方公務員なりの共済組合の受給資格二十年を優に満たしておる。これまた年金をもらっていない。どこに問題があるのか、こういう疑問がたくさんあるわけですね。  二つあるうちの一つを先にお聞きをしたいのですが、ちょっと事前に話をしておりますから時間の関係ではしょった点もありますが、こういう場合はどこにどういう欠陥があるのかお答えをいただきたいと思います。
  147. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 初めに、全般的な制度といいますか、そういうものの御説明をしたいと思います。  恩給制度なりその他の共済制度等の公務員の年金制度でございますけれども、従来、国と地方、あるいは国の中でも官吏と雇用人等の身分の違い等等によりまして非常にいろいろな制度がございました。しかもその制度というのは、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、恩給制度と共済制度というのはやはり性格も違っていたわけでございます。対象もそういうふうに違うわけでございますので、それぞれ相互に通算をするというような制度がないわけでございます。現在の時点におきまして考えてみます場合には、先生御指摘のとおり全部が共済組合員ということになって、それらの期間が全部通算されているわけでございます。いろんな時点の区分がございますけれども、いま御指摘のような例によりますと、その当時においても全くそういう制度がなく、ばらばらになったわけでございます。  そこで、いまお示しの例によりますと、県の吏員としての期間が七年ぐらいございまして、これは恐らくそこで一時金をもらって県の吏員としてはおやめになった。それから、その後に国の恩給公務員の対象になるそういう身分になりまして十一年余お勤めになったということでございますので、そこで恩給公務員としても一時恩給が出たということになろうと思います。したがいまして、三十二年七月に御退職になるときには、そういう制度でなかったのみならず、おやめになる御本人についても、恐らくそこでやめたならば年金は出ないということは十分御承知の上でおやめになったのではないかと思います。そういう意味におきまして、いま振り返りますと、先生御指摘のようにお気の毒だという感じもしないわけではございませんけれども、その当時における制度といたしましてはやむを得ないのではないかというふうに理解をいたしております。
  148. 田口一男

    田口分科員 いま私が挙げた例については、昭和三十二年当時そういった救済措置といいますか、それに該当しないからというようなことになると思うのです。  たまたまこれは恩給局にも、本年の二月に「共済年金・恩給の改善に関する陳情書」として全国市町村職員年金者連盟というものから陳情の文書が行っておると思うのですが、その陳情の中に、いま私が挙げました例とは今度は逆な意味でこういう陳情の趣旨があるのです。それといま挙げた例とどう違うのかをはっきりしていただきたいのです。     〔瓦主査代理退席、主査着席〕 「旧年金施行前の職員期間を、完全に年金額算定の基礎となる組合員期間に算入願いたいことについて。」という表題です。その「理由」として、「旧恩給条例年金制度及び旧共済組合法年金制度の施行前に在職した期間で新共済組合法の施行日」——これは地方公務員ですから昭和三十七年十二月一日をいっておるのですが、この新法の「施行日に引き続かない公務員期間は、単に年金受給資格を取得せしめるための資格期間としてのみ取り扱われ、年金額計算の基礎期間に算入されておりません」、以下あるのですが、それは別として、ここで陳情の「理由」に言っておるのは、旧恩給条例年金制度、また旧共済組合法年金制度施行前に在職した期間は、期間としては引き続くけれども金額の計算の対象にならぬというのですよ。ところが、さっき私が挙げた例は、昭和十一年から昭和三十二年まで、この間官制の変更によって職名は変わったけれども、同一職場におって公務員として勤務をしておる、ところが恩給法のたてまえとここで言っておる旧恩給条例年金制度との違いによって全然恩給がもらえないのだ、どこか矛盾していないかというこの該当者からの意見はどうでしょうね。
  149. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 お答え申し上げます。  いまの後の例の問題でございますが、ちょっと具体的に先生お述べになっただけでは十分理解いたしておりませんけれども、その問題は全く恩給の問題ではございませんで、現在の共済組合制度のもとにおける制度なり運用なりでございますので、恩給局の立場からちょっとお答えできないわけでございます。恐らく先生御指摘されたようなことになっているのだと思いますけれども、ちょっと私ども立場からは正確にお答えができませんので、あしからずお許し願います。
  150. 田口一男

    田口分科員 それもそうだろうと思うのですが、一番先に挙げた例にもう一遍戻って、端的にこれによく似た人の言い分をここで紹介しますと、こういう言い分をしておるのですよ。この人と同じ職場におった方で、採用が二、三年違いますけれども、同じように穀物検査員とか食物検査技手とかといったような職名を経て三十四年、三十五年に退職した人は、年金をもらっておるのですね。ところが三十二年に退職したためにこの方は何もひっかからない。そこで私もいろいろと法令集を引っ張り出して聞きますと、昭和三十四年に国家公務員共済組合法が施行になった、三十七年には地方公務員が共済組合ができた、そのときに在職しておれば過去どういった経歴があっても引き続いて計算します、ところがその前に退職したからそれはひっかからぬのだ、簡単に言うとそういう理由だというのですね。  それに対して、よく似たような人が旧満州とかなんとかという話が持ち出されましたから、おたくの方からいただいた「恩給百年の歩み」の中でそれに似たところを調べてみますと、「外国政府職員等の在職期間の通算」ということについてこの「百年の歩み」の三十三ページに要約して載っておるのですけれども、この中で「昭和三十六年法律第百三十九号によれば、外国政府職員となる前に普通恩給年限に達していないことを前提として」三つ四つのケースがありますね。そのうちの「外国政府職員となるため公務員を退職し、当該職員として昭和二十年八月八日まで在職」した場合にも、これは在職期間を認める、こういうことですね。このように、これは悪いと言うのじゃないのですが、外国政府に勤続したり、それから特殊法人であった旧満鉄、旧満電、こういったところに勤務をした、これらの方には、先輩になるのですが、そういった方が在職期間が見られておるのに、同じところにずっと二十年もおって、何も対象にならぬのはどうしても腑に落ちぬと言うのですね。この意味わかるでしょう。これを何とか救う方法はないかということです。一人や二人なら例外ということもありますから、まあしようがなかったという言い方で済むことがあると思うのですよ。しかし、聞いてみると、同じような例の方が、私は県で聞いたんですが、恩給法の改正の都度、私はどうだ私はどうだと言って照会があるというのですね。全部いま言ったようなケースでけられておる。ですから、対象者は一けた二けたの数字ではないと思うのです。こういう問題を救うには、制度の上で言って、まずどこがネックになるのか、これをもう一遍はっきりとしていただきたいのです。そこのネックがはっきりすれば、それを変えるためには、ひとつ変える方法を考えてもらいたい。こういう点についてどうでしょう。
  151. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 お答え申し上げます。  私は、確かに先生指摘されるような重大な問題をはらんでいると思いますが、一般的な制度改正と申しますか、年金制度の改正と申しますのは、新しい制度ができた後において、年金の場合には退職をするという人から適用をするというのは、これは年金制度だけじゃないかもしれませんが、物事の本筋じゃないかと思います。たとえば、いま国民年金や厚生年金や全部の制度が通算されるような通算年金の通則法ができておりますけれども、それもその制度ができる前にすでにおやめになってしまった人については、当然適用がないわけでございまして、現在の公務員の中の共済と恩給とのかかわりにおいても、やはり基本的にはそういうことではないかと思います。共済制度ができて、過去の制度が全部取り込まれるということになりましたときに、いる人については当然やりましても、その前にやめた方について既得権は当然保護されなければならないと思いますし、期待権というものにも相当の考慮が払われなければならぬと思いますけれども、いま先生がお挙げになられた方は、まさにそういう方ではなくて、やはりおやめになるときにはすでにそういうことが制度として厳然とあり、そのことを御存じの上でおやめになった方でございますので、先ほどもちょっと申しましたけれども、いま振り返ってみると、両方をつなげれば年金になるということで、お気の毒だという気もしないわけではありませんけれども、やむを得ないのではないかというのが基本的な考え方でございます。  その方々についても、これは年金と一時金はどっちが得かということになりますと、いろいろな議論がありますし、いろいろなケースがありますので、一概には申せませんけれども、二つ離れた適用法律が違うための、それぞれの時期において一時金は出ているわけでございますが、その額なり、あるいは現在までずっと御丈夫でおられるということを考えると、年金の方がはるかに有利だということは一般的には言えるかもしれませんけれども、それぞれの一時金というものもその期間が全然無視されているわけではないわけでございますので、そういう観点から見る場合もあり得ると思います。  もう一つ先生が御指摘になりました満州国政府の職員等の問題でございますけれども、これは終戦という非常な特別な事態になりまして、満州国政府の職員なりなんなりが帰ってきてまた公務員になった、そういうきわめて例外的な前の期間を通算をするということにいたしたわけでございまして、きわめて例外的な措置であるというふうに思っております。
  152. 田口一男

    田口分科員 いや、旧満州や公益特殊法人の例は悪いとかどうとかという意味じゃなくて、確かにああいった事態で人事管理上これはそういう制度改正は必要であったと思うのです。  ところが、私がなぜそれを引用したかといいますと、外国政府職員の期間を持つ、そしてまた昭和二十年八月に日本に帰ってきて、どこかの役所に入る、こういった場合には十七年なり二十年という一つの根拠があると思うんですね。しかし、さっき私が挙げた二番目の例は、普通恩給の十七年に満たないうちに日本政府の職員をやめて満州へ行って、そこでまたやめているわけでしょう。そういう場合は合わして見ましょうという趣旨なんですから、そういう趣旨があるのならば、さっきも私が言って繰り返すようですが、同じ職場に二十年もずっとおってなぜもらえないのだという素朴な疑問は当然出てきますわね。  しかも、いま局長、三十二年退職された当時にはその辺の事情を知った上で退職したのだからというような御答弁がございましたけれども、このケースだけとってみれば恩給公務員になって十五年八カ月、後約二年おれば十七年になってもらえるのだ、この辺の計算の基礎はいろいろ違うようですが、私なりに計算し、一つの例として挙がったのは、後十七年までに一年四カ月勤めておれば恩給がもらえる。それをあえて十五年八カ月の恩給期間でやめたというのは、本人の意思とかどうとかじゃなくて、いろいろな外圧があったと思うのですね。私はいまその外圧がけしからぬとかどうとか言うのじゃなくて、しかも私は善意に解釈した場合には、もうここでやめても十七年以上の年限に達しておるのだから当然にもらえるものだと思って退職願を出したと私は思うのです。ところが、あにはからんや後からもらったものを見れば退職一時金であり、どちらも年金がもらえませんよ、恩給の資格がありませんよ、これじゃ当の本人釈然とせぬのはあたりまえだと思うのですね。一杯食わされたという気にもなるかもわかりません、そう言っておりますから。  ですから、私はこれをどうこうするのじゃなくて、さっきも言ったように、一人、二人ならばしようがないで済ませる問題かもしれませんが、これに似たケースがたくさんあるという現実を踏まえて、しかも昭和三十四年当時在職をしておれば、同僚は年金がもらえるけれども、二、三年早目にやめたために一切合財パーになる、これをやっぱり救っていく、しかも当時、退職一時金なりなんなりをもらっておるならば、それを年賦で償還するなりというふうな措置も考えられて、ともかく恩給権年金権というものにつなげるようなことが考えられないか。問題はここなんですよ。もう時間が来ましたから、なんですが、そのつなげる方法について、最後に大臣ひとつ御理解をいただきたいと思いますね。つなぐ方法、改善の方法についてひとつ前向きに御検討いただきたいと思うのですが、お考えを承りたいと思います。
  153. 藤田正明

    藤田国務大臣 自治省との問題も絡みますし、研究はさしていただきますけれども、なかなかむずかしい問題だと思います。よく研究をさしていただきます。
  154. 田口一男

    田口分科員 じゃ、終わります。
  155. 木野晴夫

    木野主査 次に、中川秀直君。
  156. 中川秀直

    中川(秀)分科員 私は、福田内閣が八月までに成案を出すと大変力を入れられることになっているはずの行政改革について若干の御質問をしたいと存じます。  まず、長官にお伺いをしたいと存じますが、望ましい行政の姿、行政機構、こういうものは大臣はどのようなものだとお考えになっておられるでしょうか。いわゆる八月までに御成案を得るところのその幾つかの問題も含めまして、行政改革の目標というものは、抽象的で結構でございますけれども、どういうものを描いておられるのか、お考えをお聞かせ願いたいと思います。
  157. 西村英一

    ○西村国務大臣 福田内閣ができましてから、福田総理からも私に、どうしても行政改革をやらなければならぬねと、こういうことを言われました。恐らく詳しい話はしておりませんでしたが、大分経済社会も変わっておるし、かたがた財政の硬直化もありますし、やはり民間は相当に難儀をしておるから、この際政府としても範を示さなければならないということであろうと私も思った次第で賛成をいたしました。  どういう行政が好ましいかということですが、一口に申しますと、やはり簡素なということでございます。しかし、簡素なとはいいましてもなかなか行政が複雑しております。昔とは大分違いますので、調整をとりつつ、なるべく簡素に、なるべく行政で金がかからぬように、行政コストを下げるように、まあそういうことであろうかと思っておるような次第でございますから、それを中心にして、そういう姿勢をもって取り組まなければならぬと思う次第でございます。  まあ行政改革といいますと、とかく人員を減らすとかなんとかというようなことに取り違えられるが、やはり業務の、仕事の面からどうあるべきだということを考えたいと私は思っておるような次第でございます。
  158. 中川秀直

    中川(秀)分科員 いま大臣がおっしゃった簡素な政府ということでございますが、臨時行政調査会の答申の中にも簡素な政府という言葉は使っておりませんけれども行政というものは国民の身近なところになければいけない、いわゆる現地性ということで、事務処理は国民の一番身近なところでやるのをたてまえとする。第二に、行政機関の側からも国民の側からも事務処理に要する経費というものはできるだけ最小なものになるように努力をする、経済性。そして第三に、総合調整機能を有する。地方公共団体、自治体ですね、これにできるだけ多くの事務を配分して、市町村の窓口で処理ができるように市町村優先主義をとるべきなんだ。こういう現地性、総合性、経済性、三つの原則で行政機構のあるべき姿を答申を出しているわけでございますが、簡素な政府という、大臣がおっしゃった言葉からすると、当然それはいまの三つの原則に当てはめましても、事務あるいは権限あるいは財源、税源いろいろなものをできるだけ地方に分かち与えるという方向でなければ、これはいけないのではないか、簡素な政府イコール地方分権ということになるのではないか、こう思うわけですが、その点について大臣どう思うか。短いお答えで結構でございます。
  159. 西村英一

    ○西村国務大臣 私は、元来自分の好みから言っても考え方から言っても、余りに中央集権的になっておるから、業務はすべからく地方に移さなければならぬということを考えておるわけでございます。しかし、それだからといって行政管理庁がどれだけの権限を持っておるかというと、行政の大部分は各省が持っておるのでございますから、中央集権を是正するということになりますると、これは大変むずかしいことになるんですが、姿勢としては余りにも中央集権になり過ぎておるから、事柄によってはこの際、できるだけ地方に仕事を分散しなければならぬという考え方でございます。
  160. 中川秀直

    中川(秀)分科員 としますと、これは総理の御指示のようでございますけれども、八月までに成案をつくってほしいという行政改革のたちまち当面する問題としての四つの柱を、特殊法人の整理統合とかあるいは審議会の整理とか許認可事項の統廃合とか地方出先機関の合理化とかという、この四つの柱を出されておられるんですね。しかしこれは、御認識は本当に私は正しいと思うのですけれども、いま大臣がおっしゃったような本当の抜本的な行政改革ということからしますと、いま挙げた総理の御指示の四本柱というのは、少なくともいま国民が期待をしておるところの行政改革の姿としては、たとえば地方自治体への機関委任事務の洗い直しとかあるいは特に補助金の洗い直しとかいった大事な問題が入っていない。なぜこの四本柱の中に入っていないのか、大臣どう思われますか。
  161. 西村英一

    ○西村国務大臣 いや、それは総理とのお話でも決めたものではございませんで、やはり例示したものでございまして、あれやこれや話をしておる間にそれが出たのでございまして、私はやはり行政改革に取り組むのは全般を見なければならぬと思います。あなたがいまお挙げになりました業務の地方分散とかあるいは補助金とか、これはもう重大な関係があるわけでございます。しかし、世間わかりのしたようなことをずっと言っただけで、それだけを決めたものじゃ絶対ございませんので、行政の全般について見直しをするということで、あの四つの柱というのは四つの柱じゃございません、まあたとえばということでございまして、それ以外は取り上げぬというようなことはないので、それ以上に必要なことも多々あるわけでありますから、全般を見直すということでございます。
  162. 中川秀直

    中川(秀)分科員 そうしますと、国家予算で、たとえば五十一年度でも補助金の一般会計に占める割合が大方三三・七%、五十二年度三五%とだんだん大きくなっているこの補助金の問題も、当然この八月までに御成案を得る行政改革の検討対象の中に入れられると、こういうふうに理解してよろしゅうございますか。
  163. 西村英一

    ○西村国務大臣 この補助金それ自身の問題は行管の所管ではございませんので、予算編成のときに大蔵省が直接のことをやっておるわけでございます。しかし、行政管理庁といたしましても過去に監査をいたしまして、いままでの補助金について、こういうところは改めるべきじゃないか、こういう零細なものはこうしなさいというような監査をいたしまして、それを大蔵省に勧告いたしておるのでございます。直接私のところが、この補助金はこうせよとかこの補助金はどうせよというような指示はいたしておるのではございません。しかし、御指摘もありますから、今後の予算編成のときにもさらに突っ込んで、私は補助金に対しても注意しなければならぬと思っておりまして、直接の具体的な問題になりますると、これは大蔵省の予算編成のときの交渉で決まるものでございます。後にわれわれとしては監査をして悪いものは訂正をさせるということにしかすぎないのでございますが、さらに私ども補助金問題、地方分散の問題につきましても留意したいと、かように考えておる次第でございます。
  164. 中川秀直

    中川(秀)分科員 ぜひともそう願いたいと思います。  ところで、いま行管庁の監査のことが出ましたが、これは多分五十年の四月から七月にかけて第一・四半期に行われた監査のことを指しておられるのだろうと思います。この監査、全体の補助金からしますと長期で零細で同種なものがあるといった、そういった物差しで選び出したごくごく一部の補助金について監査をしたようでございます。ところが、そのごくごく一部の補助金監査の結果さえ、今日までもう二年になるのですが、一切公にされてないようでございますね。これはどういうことなのか、なぜ発表なさらないのか。大臣でなくても結構ですが、理由があるならば簡潔にお答えを願いたいと思います。
  165. 川島鉄男

    ○川島政府委員 お答えいたします。  補助金の監察をやりました場合のテーマとか、あるいは最終的にはいまのように整理になりましたものがどういうものか、なぜ発表しないのかというお話でございます。これは一つは、予算編成の段階で結実するものでございまして、わが庁で確かに調査をいたしました。そしていろいろ問題の補助金について調査の結果を大蔵当局につなぎましたのでございますが、その場合に、別に関係省庁に対しても御意見を申し上げておるわけでもございませんししますので、あくまでも予算編成作業の一環として御活用願うということで外部には出してないわけでございます。
  166. 中川秀直

    中川(秀)分科員 しかし、十年前同じような監査をしたときは勧告というかっこうで各省にもあるいは大蔵省にもそうした監査の結果を出しておられる、そういう経過もございますね。行政改革をやる場合は、仮にそういう監察をしていろいろな意見が各方面から巻き起ころうとも、結果的には政府予算案をつくる過程で必ずそれは明らかになることでございますし、その明らかになった段階でいろいろ各党にも大変な陳情もあるでしょう。しかし、それは結果として同じことになるのであって、本物の行政改革というものは国民に公開された形で堂々とおやりにならないとできないのではないか、私はこう思うわけです。そういう監査を、もちろんこれは行政の枠内でおやりになったことでもございますし、そういう資料があるとするならばぜひとも明らかにしていただきたいと思う。どんなものが調査対象になってどこまで措置したのか、あるいは五十二年度はこのうち何を何件措置をしているのか、ぜひこの席で明らかにしていただきたいと思います。
  167. 川島鉄男

    ○川島政府委員 具体的に固有名詞を申し上げますと相当な件数になります。件数の数で御説明さしていただきたいと思います。  この監察は総数で二百三十四件調査いたしました。調査した結果、措置するには及ばない、早く言えば、整理合理化の対象となりにくいんではないかと思われるので一応その問題から外したのが四十件ございます。そこで残ったもののうち百八十二件が措置済みになっております。内訳がございまして、五十年に監察いたしまして昭和五十一年度の予算編成に大分生かしていただいたわけでございますが、五十一年度に百六十七件、それから五十二年度の予算に反映していただいているのが十五件ということになります。たとえば五十二年度で申し上げますと、廃止が一件、減額が十一件、統合したもの三件というようなことかと思います。  そこで、いまの調査件数からずっと見てまいりますと、今後さらに検討を要するというようなものが残っております。十二件でございます。この十二件につきましてはさらに今後検討し改善の方向に進むものであるというふうに理解しております。  以上が大体全体的な件数での内訳でございます。
  168. 中川秀直

    中川(秀)分科員 その具体的な内容等についても、きょうは時間がありませんから省きますが、どのようなことになっているのかぜひ一度御説明を願いたいと思います。  いまお話伺いますと、この五十二年度予算でもなお措置しなかったものというものが十二件残っている。監察そのものは五十年の第一・四半期にやって、なお十二件も残っている。これはどういうことなのか。せっかく監査して問題があるということなのに、大蔵省においてそれをお受け取りになってなお十二件残っているということは、これはどうしてもう二年も前の調査で問題だということにされていながら残したのか。私は、これは大変な問題だと思うわけでございます。大蔵省の御見解をお聞かせ願いたいと思います。
  169. 岡崎洋

    ○岡崎説明員 いま個々十二件につきまして、具体的にどの省庁のどういう案件について予算査定の段階でどういう形で相談をし取りまとめていったかということについて、私まことに恐縮でございますけれども行政管理庁の予算の担当者でございまして、そのそれぞれの現場の省庁予算を逐一報告を受けておりませんので、直ちにお答えすることはできませんが、帰りまして関係部局によく話をしてみます。
  170. 中川秀直

    中川(秀)分科員 これは御答弁願いたいということで御出席をお願いしておいたのですが、それじゃまた別の機会でも結構です。どういうことになっているのか、それはぜひとも御説明を願いたい、こう思います。  昭和五十年第一・四半期に行われた補助金監察の結果、いま初めて件数等もお伺いをしたわけでございますけれども、しかし、それは監察の対象は法律補助というものは一切除いていると伺っておりますけれども、補助金の大半は法律による補助なんですね。八割以上はもうそうだ。今後いままでのような監察や補助金の合理化等では抜本的な補助金の整理統合、合理化というのはできないだろう、行管の中にもそういうお声があるというふうに私は伺っておるわけです。  これは一つの例ですが、ここに新聞のスクラップがございますけれども、アメリカのカーター大統領の行政改革の手法というのは、補助金等についても常にゼロからスタートする、ゼロ・ベース・バジェット、前の年に幾ら幾らついていたからことしは幾ら幾らということではなくて、一年度明けたら次の年はもうゼロからスタートという発想ですべて補助金は考えていく。あるいは「中長期の連邦支出については、「サンセット・ビル・アプローチ」」とここには書いてありますけれども、徹底的な再検討を加えて、これはもう日没が来たんだという補助金については完全に清算をしていくというような手法をとって、全部の補助金についてそういう厳しい姿勢で臨む、こういうことが伝えられているわけでございます。わが国においては、監察するのはごく一部。また、ごく一部のその監察の結果も明らかにしない。しかも膨大な法律補助というのが残されている。行政府として、この法律補助について立法府に気がねがある。立法府がそれはやるんだ、こうおっしゃるかもしれないけれども、立法府はしたくったって材料がない、資料がないということでは、本当の補助金統廃合なんというようなことはできっこないのです。  この際、御確認を願いたいのですが、法による補助金というものについても、行政管理庁において監察をする御意思があるかないか。私はぜひしていただきたいと思う。われわれ立法府にぜひそういう資料を提供していただきたいと思う。  それから、これからアメリカ・カーター式の手法で補助金問題を考えていっていただきたいと思いますが、このことについて大蔵省の御見解も含めまして、行管庁と両省からお答えを賜りたい。大臣でも結構でございます。
  171. 西村英一

    ○西村国務大臣 いまあなたが言ったように補助金ゼロからスタートしなさい、どうもそれが、習慣になっておるのですか、五十一年度は百万円であったから予算がどれだけ規模が上がったから今度は百万円を百十万円にする、そういう習慣があるのですね。したがって、やはりこの習慣を直して、大蔵省も査定をするときに直してやらなければならぬと思っております。前の予算を見て、それより少し上がる、どうもそういうくせといいますか慣習があるようでございますから、やはりスタートして新たに見直すということはぜひ必要であろうと思っております。私の方も、やはりこの際でございまするから徹底的にこの監査をして、改めるものは大蔵省等にも十分注意をする、できないものはなぜできないか、こういうような再勧告をするというようなこともしなければ徹底しないと思いまするから、十分気をつけていきたいと思っております。
  172. 岡崎洋

    ○岡崎説明員 補助金の整理合理化ということは私どもとしても念願としておるところでございまして、趣旨につきましては先生と全く同感でございます。毎年度の予算編成のときにおきましても、私どもの方針といたしまして、各省庁に予算編成方針といたしましても、閣議決定をしていただきまして補助金の整理合理化あるいは廃止、減額ということに御協力いただくようにと強くお願いしておるところでございまして、この線に沿いまして個々具体的な予算編成の査定を行っておるわけでございますけれども、いま御指摘のようにまだまだ行き届かない面もあろうかとも思いますので、今後とも私ども立場なりに全力を尽くしてまいりたい、こういうふうに思っております。
  173. 中川秀直

    中川(秀)分科員 大臣、いま一度御確認を願いたいのでありますが、そういたしますと、大変前向きな御答弁をちょうだいいたしましたが、いままでの行管庁の補助金についての監察というものはこれは予算補助だけなんです。全体の補助金から言うとこれっぽっちの予算補助、しかも長期に、五年以上にわたって都道府県単位で三百万円以下のもう本当に少額になっている零細な補助金というその限定された部分しかやっていない。先ほどお話にあった二百三十四件の補助金監察というのは、そういうごく一部なんです。全体は法による補助なんですね。しかも、法による補助も重複しているのもあるし、時代の役割りを終えているものもあるし、いろいろなものがある。いっそもうこれは一々東京に陳情団が来なくても地方自治体に最初からその部分の予算としてつけておいた方がいい部分もあるし、いろいろなものがあろうかと思うのです。そういうものも含めまして、これからこの法律補助も含めて行管庁として監察をしていただけるかどうか、立法府として材料をちょうだいしなければ、立法府もそれについていろいろな検討を加えることはできないわけでございます。それについて、大臣の明確な御見解をちょうだいしたいと思います。
  174. 川島鉄男

    ○川島政府委員 基本の線は先ほど大臣から御返事申し上げましたとおりでございまして、大臣の御意向をちょうだいして私どもがそれに当たることになると存じます。  ただ、法律補助の問題につきまして若干御説明申し上げますと、いま先生御質問の趣旨のとおり法律補助が大体補助金の、一般会計でいきますと八割くらいになっておるというようなことで、大宗を占めておるということは事実でございまして、そういう意味では、法律で定められている補助というものをわきに置いておいては補助金問題を十分に取り上げていることにはならぬという御趣旨そのものはそのとおりでございます。ただ一つ、この補助金は法律に根拠を持つものは、すなわち法律に規定してございますその政策なり制度なりの中における実現の手段の一つでございますので、この制度そのものにまずあるべき姿というものの議論がございまして、その手段としてどうなのだというような——補助金が一つの実現の手段であるということでございます。したがって、補助金を整理するという立場からだけでは論じ得ないというような要素もございますということが、この法律補助が大宗を占めておりながらなかなかそこに手がつかないゆえんだと思います。  そこで、私どもいろいろの行政各般にわたりまして行政監察を実施いたしますが、そこでそういう制度そのものの運用などを検討いたします際に、補助金もその着眼の中から落ちないように努めようということはもうはっきりお約束できるかと思います。
  175. 中川秀直

    中川(秀)分科員 わかりました。ぜひ御努力を願いたいと思います。  冒頭、大臣もこれからのあるべき行政改革というものは中央集権ではだめである、地方分権である、明快な御答弁をちょうだいしましたが、とすれば、この補助金の問題が入り口になってくるはずであります。行管庁もそういうお立場でぜひ今後とも御努力を願いたい、こう思うわけでございます。  実はいろいろ御質問申し上げたいことがたくさんあるのでございますけれども、とても時間がございませんから次回に譲るといたしまして、大臣にひとつ臨調答申にある文章について御感想をお伺いしたいことがございます。  それは、行政機構の組織管理、機構管理とでも言います行管庁のお仕事、まさにそういう部分を担っているわけでございますが、それについて臨調答申、いまからもうかなり前でございます。これが三十九年でございますから、もう十二年以上前、そのときにこういう文章が書いてある。組織管理にかかる部局というものが各省においても不備であるのは、本来その任に当たるべき行政管理庁が、「その歴史も新しく(戦前においては、内閣法制局において組織・定員の管理が行われていた。)」法制局が行管の仕事もやり、いまの法制局の仕事もやり、人事局も兼ねていた、こういう大変大蔵省主計局のカウンターパートとも言うべき相当の権限を握っていたのですね。そのことを書いてあるわけですが、行政管理庁が「その歴史も新しく、また、機構的にも、各省庁から一定期限を画した出向者によって構成されており、その一体性に欠けていること、および行政組織の管理は、本質的に行政管理局が主であり予算編成の見地よりこれを審査する大蔵省主計局は従であるべきであるにもかかわらず、実態的には、主客転倒し、主計局が主導権を掌握していることによるものである。」こういう文章なんです、三十九年度の。  どうもこの文章読んでおりますと、先ほどの補助金の監察の結果も、いまきょう二年たって初めて内容が教えてもらえるというようなことを見ますと、十二年たってもこの文章はかなり現実に生きているのではないか、こういう気がしてならないのであります。  大臣の御感想をお伺いする前にひとつ御提案なんでございますけれども、これは政府全体として考えなければならない問題ですが、行政管理庁というものが総じて行政改革における立場というものをもっと強くしていかなければいけない、そのためには場合によっては、イギリスにはマネジメントレビューというのがございまして、先ほどこの文章にもございましたようにいまの行管、法制局、人事局、これが一体の組織になっておって、シビル・サービス・デパートメントというのですか、一つの機構になっている、そして各省庁を六、七年に一遍ずつのサイクルで、機構がどうかあるいはそこについている補助金の運用がどうか、制度がどうか、あるいは人員がどうかというようなことを監察をしていくというシステムをとっているわけであります。日本もこれから本当行政改革をしようと思ったら、そこまで踏み込んだ議論をし、そこまで踏み込んだ展開をしていかないと、本当行政改革はできないのではないか。御感想とともに、その御提案についての御意見大臣からお伺いをいたしまして、質問を終わりたいと思います。
  176. 西村英一

    ○西村国務大臣 非常に重要な問題でございますが、行政改革をしても行政管理庁のやり得る限度はどうかということでございますが、これは現在では各省の了承が得られないとなかなか、つまり政府全体として取り組まなければならぬということでございます。かてて加えて、多くの事柄は全部法制化されておるので、この国会で議員の方々に与野党を通じて協力を願わなければできないことでございます。政府全体がある成案を得て、そうして国会の了承を得なければ何事もできないのでございます。  臨時行政調査会は多くの事柄で答申をいたしておると思います。その中で行管として取り上げたものにつきましても、まあいろいろありまするが、法律を提案しなければできないこともあり、法律を提案しましたが、中には審議未了になったものも多々あるわけでございます。しかし、相当に貴重な答申をいただいておりますから、私たちとしては政府全体で合意を得て取りまとめるということ、また、与野党を通じて御協力を願うということ、そういうことをやらないとできないと思っております。総理も八月までには何とかひとつ具体案をまとめようじゃないかという非常に熱意でございますから、私も長官として誠意をもってこの問題には取り組むつもりでございますから、今後とも皆さま方の御意見を十分承りまして進めたい、かように思っておる次第でございます。
  177. 中川秀直

    中川(秀)分科員 組織の中にもまだ矛盾が相当ございます。私が調べたところでも。きょうもそれを御質問しようと思ったのですが、補助金という大事な問題でしたので、次回に譲らせていただきます。ぜひともいま御答弁いただいた線で御努力願いたい。重ねてお願いを申し上げまして、質問を終わります。ありがとうございました。
  178. 木野晴夫

    木野主査 次に、上田卓三君。
  179. 上田卓三

    上田分科員 私は部落解放行政につきまして、政府、とりわけ総理府に対して基本的な問題につき御質問を申し上げたい、このように思うわけであります。  同和問題につきましては、昭和四十年の八月十一日に内閣のもとに設置されました同和対策審議会の答申では、「同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。」ということが述べられておるわけであります。そこで、この答申に基づきまして昭和四十四年の七月十日に同和対策事業特別措置法というものが出されて、十年の時限立法になっておることは御承知のことだというように思うわけでありますが、この五十二年度の予算が可決、決定されるとするならば、予算措置としてはあと一カ年を残すのみということになったわけであります。  そういう意味で、まず総務長官に、同和問題がいま政府の手によってどこまで解決しつつあるのか、とりわけ五十二年度の政府予算が一体どのような位置づけになっておるのか、そのことについてお聞きいたしたいと思います。
  180. 藤田正明

    藤田国務大臣 上田委員のおっしゃるとおりでございまして、あと、五十二年度予算が終われば五十三年度の予算が一カ年しか残っておりません。しかし、そういうところでございますけれども、現在まだ差別感情といいますか、地名総鑑だとかそういうものが出てきておるということに関しましてまだまだ残っておるということを痛感いたしております。  そういうことで、昭和五十二年度の予算に関しましては、特に啓発と申しますか、そういうふうな関係予算をとる、それからまた対象事業の拡大を行う、こういうふうな考え方でございまして、七百三十二億円を同和対策事業予算としては計上したわけでございます。これは三五・三%の前年比伸びということでございます。一般公共事業の方は、同和枠を全部含めますと二九・一%の伸び、一千三百九十二億、こういうことに相なっております。
  181. 上田卓三

    上田分科員 現在の昭和五十二年度の同和予算について各省から、いわゆる一般枠も含めまして一千七百十二億の要求があったわけであります。それに対して大蔵省の査定によりまして千三百九十二億に削られ、その中での純同和予算が、いま総務長官がおっしゃいましたように七百三十二億ということになっておる、こういうように思うわけでありますけれども総務長官としてこの各省の要求自身が、特別措置法があと一年だという状況のもとでの予算として妥当なものであったというように理解しておるのか、また同時に、各省予算要求を大幅に削られているということに対して、総務長官としてこれは満足しておるのか不満足なのか、その点ひとつ見解をただしたいと思います。
  182. 藤田正明

    藤田国務大臣 おっしゃいましたように、確かに千七百十二億というものを要求しながらも千三百九十二億というふうに削られたわけでありますが、これはまあ昭和五十二年度の予算が前年度に引き続き財政的に非常に困った、貧しい状況にあったということは、もう御承知だと思います。  ただ、政府全体の平均伸び率からいたしますと、先ほどちょっと申し上げましたように、全体は一七・四でございますから、関係予算の方は二九・一%伸びておりますから、全体的には平均よりは伸びておるということでございますが、決して私はこれで満足であるということではございません。本来千七百数億というものを要求したわけでございますから、削られたことは残念であります。
  183. 上田卓三

    上田分科員 いずれにいたしましても、同和対策事業特別措置法は十年で日本の社会から部落問題を解決するという法律であると私は信じておるわけであります。さすればあと五十三年度の予算を組めば一応法律は切れるということになるわけでありますが、いまの政府の同和問題の認識といいますか、あるいは過去八年ないし九年近い同和対策の推移から見て、あと一カ年の同和対策予算で同和問題がすべて解決すると考えておるのかどうか、ひとつその点についてお聞きしたいと思います。
  184. 藤田正明

    藤田国務大臣 五十二年度の予算、これを使ってしまえば確かにあと五十三年度一年しかないわけですから、五十年の調査によりましても一兆二千億云々というふうな同和関係予算が要るというふうな調査が出ております。ですから、時限立法でありますから、五十三年度、十カ年の最終年を終えて、そこで問題が全部終わるというふうなことは考えておりません。ここに相当な積み残しができるというふうに思っております。この特別措置法の制定当時のことを考えてみても、最後には政府提案というかっこうで出されたわけでありますが、実際には各党で十分にお打ち合わせの上でできた法案でございますから、五十三年度で終わるものではないということはもうはっきりいたしておりますから、それらのことを含めて、五十二年度中にまた各党間においていろいろ御協議を願い、また政府も入りまして今後の処置をどうするかを取り決めていきたい、かように考えております。
  185. 上田卓三

    上田分科員 それでは、あと一年の予算でもって、五十三年度の予算でもって同和問題は解決しないというお考えですね。  そこで、お聞きしたいわけでありますが、いま長官がおっしゃいました一兆二千八十二億、これは五十年の六月の調査で積み残し事業として計上され、その後五十年度、五十一年度そして五十二年度の予算が組まれるということで、それを差し引けば明らかになるわけですけれども、一兆二千億といいましても、これは三分の二の補助ということになりますと、国の方では八千億ということになりますから、三年度分を引きますと、当然あと積み残しの予算というものが明らかになるわけでありまして、われわれ計算しましても四千七百七億が残るということになるわけであります。ことしの予算が一般を含めて一千四百億弱でありますが二千億組んだとしてもあと二千七百億残るということになるわけでありますし、また同時に、これは五十年度のときの単価でありますから、その後大幅に物価の上昇等もあるというように思うわけでありますが、特にお聞きしたいのは、五十年の調査の時点で積み残しとして一兆二千億の事業量が残ったとおっしゃるわけでありますが、われわれここに大きな疑義を持っております。  調査の仕方につきましても、たとえば同和対策審議会の答申によりますと、総括いたしておりまして、「以上の評価に立つと、同和問題の根本的解決を目標とする行政方向としては、地区住民の自発的意志に基づく自主的運動と緊密な調和を保ち、地区の特殊性に即応した総合的な計画性をもった諸施策を積極的に実施しなければならない。」こういうことになっておるわけであります。同和問題が非常にむずかしい問題であることは事実であります。そういう立場から、当然地区の総合計画を立てるわけでありますが、地域住民とやはり相談をしてやられるのが当然だというように思うわけでありますが、総理府の五十年の調査は、全く地元の意見が入れられていない。端的に言うならば、市町村なり府県が、いわゆる超過負担の問題は後で井上議員からお話があると思いますが、そういう部落の実態に即して事業量を算出するのではなしに、自治体があと二、三年の間でできる自信のある範囲内で、いわゆる自治体の予算の範囲内で挙げた数字になっておる、こういうようにわれわれは考えておるわけであります。そういう点で、この五十年調査について、果たして全国の幾らの地区を調べたのか、そして現在この法律に基づきまして同和地区の指定が幾らなされておるのか、また一兆二千億の府県別、市町村別、個所別の内訳を聞かしていただきたい、こういうように思うわけであります。
  186. 今泉昭雄

    ○今泉(昭)政府委員 同和地区の実態でございますが、昭和五十年の調査におきましては四千三百七十四地区という数が出ております。これは前回に比しまして、四十六年の調査のときは三千九百七十二地区でございましたので、約四百地区増加しているということが言えます。それでなお、私どもも正確にはあれですが、昔の資料を見ますと、昭和十年の財団法人中央融和事業協会というものが調査したときの資料では、これはほかのいろいろな本で、同対審などに出ている数字でございますけれども、五千三百六十五地区となっております。したがいまして、その差があるわけでございますが、その間の、昭和十年以降の戦災なり人口の移動等の変動を考えますと、この数字と昭和五十年の調査の差をもって未調査地区とみなすことは必ずしも適当とは考えられないと思いますけれども、しかし、この調査は非常に大事なことで、今後の同和対策事業の推進のためには基礎資料となるものでございますので、できる限り実態を把握したいということで、報告のなかった都道府県に対しましては、昭和五十年の九月と十月に、総理府から二回にわたりまして照会、督促の措置をとりました。さらに、過去に対象地域が存在していたと言われた県に対しましては、担当係官を派遣するなどの指導の徹底を図っているところでございます。  こういう調査につきましては、一応締め切り期間がございますけれども、特にこういう問題でございますので、一応現在でも窓口をあけているわけでございます。この一応の調査締め切りが昭和五十一年の三月だったのでございますが、昭和五十二年二月までの間にさらに三十三地区出てきておりましたので、現在では四千四百七地区であります。  これは先生御承知のように、この調査は、別に指定という行政行為はございませんで、こういう地区が政府に出てまいりますと、その地区につきまして国庫補助金等が流れる、そういう仕組みになっておるわけでございます。  次の御質問でございますが……(上田分科員「地区指定」と呼ぶ)地区指定ということは、特に法的にはございませんので……。
  187. 上田卓三

    上田分科員 あるじゃないですか。同和対策事業をする場合は、都道府県知事から国に上がってきて、それを地区指定する。たとえば、東京都自身が同和対策をやりながらいまだに地区指定しない。そういうのは国庫補助の対象になっていないことは、今泉さん一番よく御存じじゃないのですか。地区指定がないのに同和対策ができる、あるいは政府の組んだ予算が府県、市町村を通じて事業がなされるということはないわけでありますから、法律にないというような形でごまかしは許せないと思うのですけれども……。
  188. 今泉昭雄

    ○今泉(昭)政府委員 ただいま私の言葉が非常に足りなかったので恐縮でございますが、法律にございますように、「歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域(以下「対象地域」という。)」ということで、確かに地域という概念はございます。ただ、いま申しましたのは、行政的に、たとえば都市計画のように官報に告示するというような行為はございません。ただ、市町村においてこの線引きをいたしまして各省庁に出してくる、それを私どもの方がそのまま認めているということでございます。
  189. 上田卓三

    上田分科員 私が聞きたいのは、四千四百七の総理府が調査した対象地域、しかし、大正年間に調べた時点では五千三百からあったという話がありますし、われわれがいまけしからぬということで糾弾しておるところのいわゆる差別地名総鑑でさえも、五千三百の地域を彼らは調査の結果発表しておるわけでありまして、五十年の調査の中にまず東京都が入っていない、あるいは愛知県が入っていない、神奈川、宮崎、その他大阪においてもすべての部落が報告されておるのかというと、決してそうではないという現状があるわけであります。そういう意味で、政府の調査によってさらに三十地区が対象地域として報告があったということでありますが、もっともっと政府が本格的に調査するならば、少なくともあと五百や六百の地域が掘り起こされてくるのではないか、私はこういうように思うわけであります。  いま私が申し上げたのは、その問題じゃなしに、現在政府が掌握している四千四百七の地域の中で、どれだけの地域が同和事業をしておるのか、すべての地域に同和対策がされておるのかどうかということを私は聞いておるわけであります。あなたのところはちゃんと予算を府県を通じておろされておるわけでありますから、どれだけの地域が特別措置法の恩恵にあずかっておるかということは、それははっきりと報告できるのじゃないかと思うのですけれども
  190. 今泉昭雄

    ○今泉(昭)政府委員 四千四百の地区のうち、各省施策によりましては、やはり行政効果等から考えまして、非常に小さな地区につきましては現在の採択基準に乗らないということがございますので、たとえばここで今回の調査では……
  191. 上田卓三

    上田分科員 同和事業をしているところだけ言うてください。何地区ですか。
  192. 今泉昭雄

    ○今泉(昭)政府委員 それは属人的なこともございますので……
  193. 上田卓三

    上田分科員 いや、同和事業ですよ。属人は言うていません。
  194. 今泉昭雄

    ○今泉(昭)政府委員 たとえば高校進学奨励金というような制度につきましては、一応すべての地区が対象になっていると思います。
  195. 上田卓三

    上田分科員 環境改善とかいわゆる地区指定に基づいて同和対策をやっている地域です。
  196. 今泉昭雄

    ○今泉(昭)政府委員 その辺はちょっと各省庁にわたりますので、いま手元にございませんので、ちょっとわかりかねますが……。
  197. 上田卓三

    上田分科員 怠慢もはなはだしいと思うのです。果たして同和対策をどのように認識しておるのかということで、本当にわれわれとしては不満であります。  いずれにいたしましても、総理府長官がおっしゃったように、この同和問題については、同対審の答申で言うところのいわゆる実態的差別だけじゃなしに、いわゆる心理的な差別をなくさなければならぬ。今日、悪質な地名総鑑の問題が出て、同和地区の出身者を採用から締め出そうというようなそういう大きなキャンペーンもありますし、また、政府の怠慢から同和対策について地方自治体で超過負担の問題があるというようなことから、そこに大きな問題があることを抜きにして、いわゆる同和予算の取り過ぎではないか、多過ぎるじゃないかという形で、日本共産党によるところの悪質な差別キャンペーンがあることも事実だろう、こういうように思うわけでありますが、そういうようないわゆる特別措置法があとわずかな時点で切れるというこの時期に、そういう差別事件が枚挙にいとまのないほど出てきているということに対して、総理府長官はどのように考えているのか、お答え願いたいと思います。
  198. 藤田正明

    藤田国務大臣 十カ年計画のうちの過去八年を経過したわけでございます。できるだけのことはやってきたつもりでありますが、残念ながら、そういうふうな差別が、精神的なものがまだ残っておるという事実をまざまざと見せつけられたわけでありますので、そういう点についてはなお重ねて国民の啓発といいますか、これを続けていくことに徹しなければならぬ、かように考えております。
  199. 上田卓三

    上田分科員 実態的差別の問題についても、いま言うように、政府の怠慢から遅々として進んでおらない。総理大臣も衆議院本会議において、進んでいる地域もあるがおくれている地域もある、こういうことを言われておるわけでありまして、進んでいる地域でもまだまだ問題があるわけであります。いわんや、おくれている地域の問題については、本当に全然この特別措置法の恩恵を受けていない、事業対象になっていない、予算がおりてない、こういう現状があるわけであります。私たちの若干の調査によりますと、全国の約六千地区と言われる同和地区の三分の二が特別措置法の対象外になっておる、また、人口にして二分の一が恩恵を受けていない、われわれはそういうように考えておるわけであります。  そういう状況のもとで、特別措置法が切れるという状況があるわけでありますが、われわれはこの時点で、やはり同和対策審議会の答申の精神にいまこそ立ち返るときが来たのではないか、こういうふうに思うわけであります。四十年に出されて、そして法律が四十四年、焦眉の急を要する問題だと言いながら四年間放置されている。それだけじゃなしに、総理府に同和対策室ができたのは何と昭和四十九年である。前記五カ年計画が終わって、後期五カ年計画に入ってやっと同対室ができる。それも、五十年の調査が非常に不十分であると同対室長みずからが認めるような現状にあるわけであります。そういう点で、私たちは、いまこそ抜本的にこの部落問題を解決するために特別措置法をやはりもっと強化し、洗い直して、抜本的な改正が必要ではないか、こういうように思うわけであります。そういう点で、部落問題がこの日本の社会から解決するまで半永久的な同和対策の基本法をやはり打ち立てて、その基本法に基づいて各省別の特別措置法がいまこそ必要ではないか。たとえば文部省においては同和教育振興法であるとか、あるいは通産省においては同和産業振興法、あるいは労働省においては同和対策の就職促進法であるとか、あるいは国税当局においては同和対策の税金対策をされておりますが、これは法の運用でなされておるわけでありまして、同和の人は得だなあというような形のねたみ、差別的なものが出されておるわけでありますから、そういう点で、国税当局においてもやはり同和対策の租税特別措置というものがあってしかるべきだ、こういうように思っておるわけであります。  そういう点で、この時点での法の抜本的な改正と同時に、各省別の具体的な措置法が必要だとわれわれは考えておるわけでありますが、総理府長官はどのような見解を持っているか、お聞かせ願いたいと思います。
  200. 藤田正明

    藤田国務大臣 いま上田委員がおっしゃいましたような抜本的な基本法といいますか、そういうものとか、各省も具体的な今後の措置をというようなことでございますが、それらを全部含めまして、時限立法で五十三年に現在の特別措置が切れるわけですから、五十二年中にそれらを全部含めて各党間でよく相談いたしたい、かように考えているのです。
  201. 上田卓三

    上田分科員 相談されるのはいいというように思うわけであります。しかし、確かに同和対策事業特別措置法が、自民党も含めまして与野党の、そういう議員立法ということではなかったにしても、各政党が寄り集まりまして最終的にまとめたといういきさつがあることは事実であります。しかしながら、やはりその法律を執行するのが政府責任であっただろう。その政府の怠慢から、やはりいまなお解決してないという問題があるわけでありますから、政党に責任を転嫁するのじゃなしに、政府みずからがみずからの責任でやはりこの問題をどうするのかという一定の考え方をまとめて、そうして政党に対してこのようにしたいのだというような考え方がなければおかしいのではないか、私はこういうふうに思うわけであります。そういう点で、いま総理府長官の言われたことは、何か政府が後ろへ一歩引いて、政党の方でひとつ御討議願いたいという逃げ腰のような、責任逃れのような感じがしないでもないわけですから、その点についてひとつお答え願いたいと思います。
  202. 藤田正明

    藤田国務大臣 別段責任逃れなことを申し上げたつもりもないのであって、政府が行うにいたしましても、各政党とよく意見の交換をして、十分な相談の上で政府の方においても法律案を決定いたしたいし、いろいろな措置をとっていきたいし、そういう意味合いのことを申し上げたわけですから、一歩も二歩も下がって、政党の方でおやりなさい、こういう意味合いで申し上げたわけじゃございません。
  203. 上田卓三

    上田分科員 お答えの趣旨はわからぬでもないわけですけれども、いずれにいたしましても、政府基本的な腹をくくって、そして関係の団体とも、同対協もあるわけですから十分相談されて、その上で一定のものを持って政党と意見調整をしていただくということはあってしかるべきだ、こういうふうに思いますが、そういうことですか、お答え願いたいと思います。
  204. 藤田正明

    藤田国務大臣 原案というふうなものは当然こちらの方でつくります。しかし、その案につきましても御相談を申し上げたい、こういうことですから、何も持たないで政党間で御相談願いたい、こう言っておるわけではないのです。その点を御理解願いたいと思います。
  205. 上田卓三

    上田分科員 この問題は非常に大きな問題でございますし、歴史のある事柄でございます。部落差別の解消が本当日本の社会から一切の差別をなくするという意味では原点でもあろう、こういうように思うわけであります。まだまだ政府内においても部落問題を人種差別だというような差別発言をする局長もおられるということでもありますし、先般二日の予算委員会一般質問でも、商工中金が忌まわしい差別地名総鑑を購入するというようなことも起こっておるわけでありますから、そういう点で総理府が中心になって各省を督促していただいて、本当にこの問題の早期解決のために長官におかれましては大いに努力していただきたい、こういうように思うわけであります。  いずれにしても、いままでの政府のやり方というものに対して大いに不満であり、いままでのやり方それ自身は差別行政そのものである、そういう政府の怠慢がいままで長年にわたって部落差別を温存助長してきた、このようにわれわれは考えるわけであります。そういう点で特に市町村での財政危機に関連して大きな問題が出てきておるわけでありますし、基本的な認識についてさらに進めた形で私はお聞きしたいわけでありますが、あと、われわれの仲間であります大阪の井上一成代議士の方から御質問がありますので譲ることにしたいと思います。
  206. 木野晴夫

    木野主査 次に、井上一成君。
  207. 井上一成

    井上(一)分科員 私は、世界のすべての国からあらゆる差別をなくする、そんな世の中、そういう世界をつくりたい、日ごろから強い信念を持っているわけなんです。人類を滅亡に導くのは、戦争につながる核と生きる望みをなくさせる差別である、そういう意味でこの社会から核と差別をなくすることが私の求める政治の基本的な姿勢だと考えておるわけでありますが、この私の考え方に対して長官基本的なお考えをまずお聞かせいただきたいと思います。
  208. 藤田正明

    藤田国務大臣 基本的に全く賛成でございます。
  209. 井上一成

    井上(一)分科員 さて、わが国における部落差別というものが誤った為政者の遺物として、今日、その解消が国民的な課題だとして、すべての国民がこの差別解消に努力をすると誓い合ってすでに八年経過をしているわけなんです。そのような形の中で、政府が率先して取り組んできたその姿勢の中身というものをいま謙虚に振り返って、担当大臣でいらっしゃる長官はどのようにお受け取りになられていらっしゃるのか、お聞きをしたいと思います。
  210. 藤田正明

    藤田国務大臣 八年間の反省ということでございますが、この八年間のやってきたことにつきまして、人権の問題であるとかあるいは産業にしてもそうでございますが産業振興、企業振興、これを端的に数字であらわすことができませんものですから、八〇%方できたのだとか六〇%方できたのだとかというふうな表現がなかなかむずかしいかと思います。しかし、先ほどもちょっと申し上げましたように「部落地名総鑑」というふうなものがいまごろになって出回るということにつきましては、これは八年間やってきたことに対して精神的な面においても進んでいないな、こういう感じを持たざるを得ないわけでございますから、その点においては大いに反省を強めておるという今日でございます。
  211. 井上一成

    井上(一)分科員 先ほどのわが党の上田委員の質問でもただいまのお答えでも明確になりましたように、大変残念なことではあるけれども、いわゆる特別措置法を制定した当初の目的が完全に達成でき得なかった、でき得ておらないということをお認めになっていらっしゃるというふうに理解をしてよろしゅうございますか。
  212. 藤田正明

    藤田国務大臣 特に精神的な面において人権というふうな面において残念である、だから徹底がまだ十分に図られているとは決して言いがたい、このように感じております。
  213. 井上一成

    井上(一)分科員 それでは長官、なぜ差別が残っているのか、なぜ差別が解消されないのか、長官なりのお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  214. 藤田正明

    藤田国務大臣 啓蒙、宣伝ということが大変むずかしいというふうなことを強く感じさせられております。今後ともこの啓蒙、宣伝、教育、こういうことを引き続き強力にやっていかなければならぬ。一億の国民がおるわけでございまして、長年の間そういうふうな一つの差別という認識が深く沈潜しておったということを強く反省させられておる次第でございます。
  215. 井上一成

    井上(一)分科員 私は、精神的な面もさることながら、やはり施策それ自体に十分でない誤りがあったということを指摘していきたいと思うのです。国民の一人一人の幕らしが本当に平和で豊かな暮らしを保障していくのだという政治理念にのっとって行政というものはなされているわけであります。ところが、実際はそうじゃない。いわゆる憲法二十五条で保障された最低限度の文化的生活すら、あるいはもっと極端なことを申し上げれば、国民としての生きる権利すら十分保障されておらない今日の政治の貧困さがさらに差別を拡大していっているというふうに私は理解するわけなんです。具体的に私自身、同和対策事業にこれまで政府が取り組んできた数々のいわゆる実績、それについても私なりには一定の努力の経緯というものは、取り組んできたことについては認めたいと思います。しかし、残念だけれども、その取り組みの中でより差別を拡大すべき要因をつくったものがある。それはまさに行政用語で一言で申し上げれば超過負担である、こういうふうに思うのです。いわゆる同和対策事業については、法の第七条あるいは第十条において、超過負担が生じないように措置をされることがちゃんと明記されているわけなんですけれども、実際には膨大な超過負担が地方自治体に押しつけられている、こういうのが実情であります。たとえば、昭和四十九年度の大阪府下の市町村の同和関係の普通建設事業費は二百八十九億一千七十二万円だ、これに対して国の補助額は三十七億二千三百五十七万円である。補助率にして、わずか一二・九%にすぎない。いわゆる国が負担をすべき、あるいは国が当然措置をしなければいけない、約百五十五億以上になると思いますけれども、それだけの多額な超過負担を地方自治体に押しつけておる。こういうことが意識のおくれた人々にいわゆるねたみ差別を引き起こす原因にもなっておるし、あるいはさらに地方自治体が同和対策事業に取り組むことに財政的負担を押しつけられておるという二つの誤った結果を生み出しておるということが今日の実情であります。こういうことについて長官のお考えを、あるいはこういう実情をどれほど御承知をなさっていらっしゃるのか、あわせてお聞きをいたしたいと思います。
  216. 今泉昭雄

    ○今泉(昭)政府委員 同和対策事業につきましては、原則として三分の二の国庫補助方式、あるいは自治大臣の指定する十条関係につきましては基準財政需要額に算入する等の措置が一応制度的にはとられておりますが、それでも、たとえばただいま先生もおっしゃいましたが、昭和五十年度の地方債充当結果報告等によりましても、これによりますと総事業費が千八百三十五億円となっておりますが、そのうち国費が六百九十二億円、地方費が千百四十二億円というような構成割合になっておりまして、地方団体の財政負担が非常に増大している事実は承知しておるわけでございまして、このような事情も考慮いたしまして、年々国庫補助額の増額等、あるいは国庫補助対象事業、今年度五十二年度は四つの補助対象を拡大いたしましたが、あるいは単価の引き上げ等の努力を図っておるところでございます。  それから、ねたみ差別の原因をどう認識しているかという御質問ではないかと思いますが、御指摘の問題につきましては、確かに地方公共団体の財政負担が増大しているということが一つの大きな原因ではないかと考えられるのでございます。このような事情も考慮いたしまして年々予算の充実を図っておるということは、ただいま申し上げましたとおりでございますが、なおこの問題、同和問題の解決というのは国民的課題とされておりまして、国民全体の理解と協力があって初めて効果があるというようなことが昭和五十一年五月二十一日の同和対策協議会の意見具申にも出ておりますので、そういうような御意見も参考にしながら、やはりこの問題に対しては予算の増額とともに地域の住民の十分な理解と協力、さらには地区内外の住民の交流が必要である。したがって、そういう面の啓蒙、啓発についても一層の努力を払う必要があるのではないか、このように考えております。
  217. 井上一成

    井上(一)分科員 いま室長からもお答えがあったわけですけれども、さらに私は長官にお聞きをしたいと思うのです。  いわゆる超過負担がこれほど大きく地方自治体にその財政的負担を押しつけておるという事実、そういうことが、残念なことだけれども同和対策事業が計画より大幅におくれる結果になったのではないか。これは一に政府の法を遵守しない、いわゆる自治体に対する上からの押しつけ、超過負担のいじめ、そういうことが当初の目的をおくらせておる一因でもあるということです。また、差別を解消するために制定された同和対策事業特別措置法のもとで、実際には対策事業を行うと同時に超過負担を押しつけられ、片側では誤った意識だけれどもねたみの逆差別が助長していくという、こういう現実を見るとき、真剣に差別をなくしていこうと取り組んでおる地方自治体の取り組みを阻害する原因は、政府の取り組む姿勢がその阻害をすることになってくる。そういうことで、あえてここでそのような努力をしてきましたとお答えなさるでしょうけれども、努力をしてきた過程の中で、いま申し上げたような差別をさらに拡大する、あるいは当初の目的を大幅におくらせるような要因をつくった事実ですね、このことについての国の責任、いわゆる今後の取り組みも含めてどのようにお考えでしょうか、お尋ねをいたしたいと思います。
  218. 藤田正明

    藤田国務大臣 超過負担の問題は、これは同和地区を含めて全国の自治体の問題だと思うのです。ですから、これは特に同和地区だけの問題ではなくて全国的に超過負担の問題は解消されていかなければならぬ、かように思います。  それからまた、地区の問題につきましては、何か交流が少し欠けておるのではないかという感じがいたします。そこで地域と隣の地域、そういうふうな交流を今後密接にやっていかなければなりませんし、お互いに何といいますか話し合いの中で、その大きな地域全体について向上させていこうというふうな形の地域開発、生活の向上、今後これらを考えていかないと、何かこう別な形でその地域だけ云々というようなことがあっては、さっきおっしゃいましたようなねたみ意識だとか、そういうものが生じてきますから、その辺の全体的な向上、交流というふうなことが特に必要ではないか。超過負担につきましてはこれはもう全国的な問題ですから、解消すべく全力を挙げて努力をしなければならぬ、かように考えております。
  219. 井上一成

    井上(一)分科員 地方自治体を所管する自治省から、予算編成に当たっては、イの一番に超過負担の解消を図るべきであるという次官通達がなされているわけなんですね。そうして地方財政法の趣旨からいっても、超過負担を押しつけていくということは基本的に誤りであると思うのです。大変念を入れて質問するようでありますけれども基本的に誤りであるということについて、私はその点をあらゆる機会を通して政府当局に強く訴えているのですけれども総理府長官として、超過負担は基本的には誤りであるという私の考え方について長官考え方をお聞かせいただきたいと思います。
  220. 藤田正明

    藤田国務大臣 当然国が補助すべきたとえば三分の二のものであるならば、その三分の二は国が補助し、三分の一は地元が負担をしてその目的のものができ上がっていかなければならぬわけでありますから、それが三分の二でできない、あるいは三分の一加えてそれでできないということは基本的におかしいということは確かであります。そのとおりだと思います。
  221. 井上一成

    井上(一)分科員 そこで、少し現実的な五十二年度の政府予算に入るわけですが、私はいま事業費の問題については超過負担を強く訴えたわけですけれども、いわゆる物の考え方、意識変革を求めての取り組みに対する予算というものが非常に少ないと思うのですね。啓発活動、啓蒙費、研修費を含めて約八千万余りなんです。私自身は本来ならばこのような予算がなくなることを望むのですよ。こういう予算が全くなくてもいい世の中をつくるために、私は冒頭にも訴えているわけなんです。でも、残念だけれども今日の社会の中ではまだまだ差別現象が先ほど上田委員の御指摘のように地名総鑑という悪質な形の中で存在をしておるという今日の実情から考えて、余りにも少な過ぎはしないか、こういうふうに考えるのです。この点についてお考えをお聞きいたしたいと思います。
  222. 今泉昭雄

    ○今泉(昭)政府委員 同和問題の解決には、物的な生活環境の改善のみでなくて、人権とか教育とか就労とか重要な各対策の取り組みも必要だ、全く同感でございます。いままでいろいろ物的のことを御説明いたしましたが、たとえば昭和四十四年度には非物的な生活関係予算、いま申しましたような人権、教育、雇用促進、産業振興、こういうような関係予算が三億八千万ぐらいでございましたが、現在では二百二十億というような数字にまでなっているということを申し上げたいと思います。
  223. 井上一成

    井上(一)分科員 いわゆる実情を正確に把握する意味からも五十年度の調査が不完全だと私は思うわけなんです。そういう意味からももう一度いわゆる差別の解消につながる実態調査を必要とするのではないか、必要である。その折には物的施設だけでは不十分である。いわゆる雇用、労働の問題だとか、あるいは営業、産業の問題だとか、あるいは教育等も含めてすべてにわたって実態を調査し、完全なものを把握することが次への差別解消に向けての行動が起こせると私は思うのです。そういう意味でいま具体的に申し上げたような実態調査をぜひやるべきだと考えるわけですけれども、これについてのお答えをいただきたいと思います。
  224. 今泉昭雄

    ○今泉(昭)政府委員 ただいま、昭和五十一年度に労働省におきまして就労実態調査というのを行っております。そういうようなこともございますけれども、この総理府の実態調査につきましては、過去、四十二年から四年ごとに四十六年、五十年と行ってきたわけでございますが、今回の調査につきましても、調査締め切り後、昭和五十年の三月末日で一応締め切ったのでございますけれども、この調査の重要性にかんがみまして窓口をあけておりまして、その間に今日まで、二月末まで三十三地区の追加報告があったというようなことがございますので、まず、そのような面の方で報告があるように、私どももいろいろ関係対象地域なりに係官を派遣するなどして指導の徹底を図ってまいりたい、このように思いますが、改めて今後調査を行うか否かについては、関係省庁とも慎重に検討を進めてまいりたいと思います。
  225. 井上一成

    井上(一)分科員 時間がありませんので、さらに質問を続けたいわけでありますが、要約して長官にぜひお答えをいただきたいわけなんです。  先ほどの上田委員の質問に対して、いわゆる各党と相談をしながら政府基本的な姿勢、原案を示していきたいという御発言があったわけですね。これはもちろん差別解消に向けての特別措置法をより充実強化をしながら差別解消に取り組むというお考えであると理解してよろしゅうございますか。
  226. 藤田正明

    藤田国務大臣 差別解消に取り組むということについてはそのとおりでございます。ただ内容をどうするかということについては、五十二年、五十三年とまるまる二年残っておりますから、いま政府で、ここで原案を示せと言われても、これはまだないわけですから、その姿勢としてはいま言われたとおり差別を解消していく、これは当然のことであります。そういう姿勢のもとに原案をつくる、こういうことでございます。
  227. 井上一成

    井上(一)分科員 最後に、私の意見も含めて質問をしたいと思います。  差別をなくするためにはどうしたらいいだろうか。いわゆる人間が人間として尊重されるような社会をつくることが差別がなくなることに通ずるのだ。むしろいまの社会の仕組みを部分的には変えなければいけないかもわからない、こういうふうに私は思うのです。そういう観点から社会の実情、差別の実情を深く承知して、認識して、その上に立って、新しい差別を生まないような方法で、さっきから言っておるように、超過負担だとかあるいは誤った考え方の中で施策を講じるとかえって差別を拡大生産していくわけですから、そういう差別をなくするためにもやはり特別措置法というものの中身をより強化をし、そして一日も早く差別がなくなることをだれよりも願うんですけれども差別があるという実態、今日のその社会を見詰めたら、残念だけれども延長をして、いわゆる差別がなくなるまでそのような手だて、政策を講じることが、差別をなくすることに通ずると思うんです。それが平和な、われわれの求めるべき社会だと思う。  そういう私なりの意見も踏まえて、最後に長官から、現在の立法措置をより充実強化をし、差別解消のために最大の努力をする決意の一端をひとつお聞かせいただければ、私の質問を終えたいと思います。
  228. 藤田正明

    藤田国務大臣 差別の解消について、これに邁進することは、これはもうやぶさかでないわけであります。私たちは、毛頭そういう差別考えておるわけじゃありませんし、どうして国民の諸君の中にそういうことを感じ、またやる人がおるのかなと残念でたまらない、こういう気持ちでございます。ですから、そういうふうな方向ですべての施策が今後進んでいくことは間違いない事実でございますが、いま具体的にどうこうということは申し上げられない、こういうことでございます。
  229. 木野晴夫

    木野主査 次に、田口一男君。
  230. 田口一男

    田口分科員 自動車の運転免許制度についてのみお伺いをしたいと思います。  いまさら私がここで長々と申し上げる必要はないと思うんですが、最近の自動車の事情、はっきり言っていい悪いは別として、自動車が足同様になってきておりますね。そういうことにかんがみて、免許制度の改善ということについては、今日まで相当進められてきておることは私も認めます。たとえば学科試験の一本化であるとか、初心者標識の採用であるとか、さらにまた、運転免許試験で肢体障害者に対する免許の取得範囲を拡大をするとか、このように逐次運転免許制度の繁雑さを改善をする、また取りやすいようにする、こういう点で前進をしてきておることは、私はここで評価をするにやぶさかではありません。  そういった前提に立って、二、三今日までの傾向を大まかで結構ですからお聞きをしたいんですが、この免許制度の改善のうち、たとえばいま言った肢体障害者の方々の取得範囲を拡大をする、大変結構なことだと思うんですが、あってはならぬことですが、そのことによって交通事故安全対策、こういうものについて何か支障を来しておるようなことはないかどうか。  それから、それとよく似たようなことで、たしか去年かおととしだったと思うんですが、仮免許の適性検査に補聴器を認める、こういったことになっておると聞いておるんですが、これもあってはならぬと思うんですが、そのことによって安全運転の上からどうかと思うというふうなことが起きておるかどうか、そういう点をまずお伺いしたいと思います。
  231. 杉原正

    ○杉原政府委員 委員の御質問にかかわる身体障害者につきまして、運転免許の条件上いろいろな配慮した問題、それから補聴器の問題等含めまして、改正後道路交通の安全の面で支障を生じているような点はございません。
  232. 田口一男

    田口分科員 それは大変結構なことだと思うんですが、そこで一歩進めて、いま私が言ったのは、たとえば肢体障害者であるとか、補聴器をつけるというんですから難聴ということで、器械によって一般健康者とはそういう識別がどうこうという問題はないということだと思うんですが、それを一歩進めていわゆる聾唖者ですね、こういった方々もいま運転免許を取りたい、自動車の運転できればなあという要望が相当強く出ておることは御存じだと思うんですが、こういう聾唖者の方方に対しても、いまのような趣旨に立って何らかの免許の取得範囲の拡大の中に入れる手だて、こういうものは考えられないか、まずひとつお伺いいたします。
  233. 八島幸彦

    ○八島説明員 お答え申し上げます。  現在道交法上は、完全に耳が聞こえない人あるいは口がきけない人につきましては免許を受けることができない、こういうふうになってございます。しかし、いわゆる聾唖者と言われる方の中にも、完全に耳が聞こえないということではなくて、いわゆる難聴という方がかなり多いわけでございます。従来は先ほど先生御指摘のように、運転免許試験の適性試験、聴力の試験につきましては、補聴器をつけて試験を受けるということが認められていなかったのでございますけれども昭和五十年の四月一日に道路交通法施行規則が改正になりまして、補聴器を用いて試験を受けることができる、こういうふうに改められたのでございますが、このためかなりの難聴者でございましても免許を受けているのが実情でございまして、昨年一年間にこういう補聴器を使用するという条件づきで運転免許を受けた方が千五百三人おられます。そういうことで、かなりの方々が現実には救われている、そういうふうに考えております。
  234. 田口一男

    田口分科員 そうしますと、いわゆる聾唖者の方々でも、五十年四月一日のそういった適性試験に補聴器の使用を認める、私はそこまではちょっと知らぬのですが、いわゆる聾唖者の方でも補聴器をつけて音を識別できる程度ならば認める、こういうことでございますか。
  235. 八島幸彦

    ○八島説明員 現在適性試験の基準につきましては、道路交通法施行規則にそれぞれ合格基準が定められておりますが、聴力に関しましては、十メートル離れた位置で九十ホンの音が聞こえるということが合格基準になっておりまして、補聴器をつけた上でその基準に達していれば合格する、そういうことでございます。
  236. 田口一男

    田口分科員 わかりました。  それで、私は極端な例ばかりを持ち出すようですけれども、さっきも申し上げたように、これほど車が発達をしますと、やはり車そのものが日常の生活用具、言いかえると、車によって生計を立てていかなければならぬ、こういう性格が一つあるわけですね。ところが一方で、このようにふえてまいりますと、まあふえる、少ないは別といたしまして、当然に安全運転ということが重視をされなければならぬ。極端な言い方をすると、一方で車がなければ生計が立っていかぬ。一方では安全運転ということも守らなければならない。これはあたりまえのことだと思うのです。  そういったことから私が申し上げたい一つの例は、いま言った聾唖者の方々の問題もそうなんですが、いま国の制度、それから県、市町村の制度として自動車運転訓練の補講の助成といった、これは自動車学校へ行く場合だと思うのですが、こういう制度や、それから自動車運転免許取得費補助金、こういった制度があることは御存じだと思います。たとえば私が調べた限りでは、自動車学校へ入学をするためにある県の単独事業として、普通車については一人七万五千円、大型については五万二千円、大型特殊については五万三千円、これを県が自動車学校に一括納入をする。それだけではなくて、ある期間必要でしょうから、その間訓練手当として、これも月六万円と聞いているのですが、それを三カ月間支給するとか、こういった運転免許を取得するために制度としていろいろな手だてを講じておる。これはとりもなおさず、さっき申し上げた、車によって生計を立てていかなければならぬ、生計手段として車が唯一だという者に対してこういう補助金なり助成を出して職業補導をやっている。これは、私は大変いいことだと思うのですよ。  そういう制度のおかげで、私の県は三重県なんですが、三重県だけをとってみましても、年間五十人から六十人、この制度の対象になり運転免許をとっておる、そのことによって生計を立てていく、ここまではいいのですが、この後が問題なんですね。こういったいい制度があるからということで自動車学校に入る。自動車学校に入れば当然運転の方の技能というのですか、実地の方は一点非の打ちどころがないぐらいすぐれておるというのですよ。ところが、学科試験についてだめなんですね。これも極端な話なんですが、三十二回受験をして三十二回ともだめだった。私、冗談に言ったんです、鉛筆立てて転んだ方に一遍丸をつけてみたらどうだ、三十二回も受けるのですからね、まぐれで通ることもあるだろう。いや、それもやってみたけれども受からぬと言うのですね。三十二回も受けてなぜ通らぬ、よっぽど頭悪いんかと私は冗談に言ったんですが、そこで、実はという話ですよ。目に一丁字がないのですね、いわゆる文盲。これはこういう時間のないときに余談みたいになるのですが、その人は四十四歳、もう明けて五歳になるのですが、結婚をしてから奥さんがおやじさんの文盲であることを知らなかった。毎朝食事のときに新聞を見るというのです。新聞を見ておるから字が読めるものだと思っておったけれども、それまで知らなんだというのですね。そこで自動車学校に行って運転ができるものですから、結局商売のために自動車を運転をする。すると何かでひっかかる。当然これは無免許ですね。無免許になってひっかかって、これはいいことじゃないと思うのですが、何とか警察でしてもらえぬか、そういう話が二度三度あった上でこういうことになったのですけれども、よく聞いてみると、五十人、六十人がそういった助成措置によって毎年運転免許をとる、自動車学校に入る、そのうちで四、五人は文盲がおるというのです。その程度の問題なんですが、自動車学校、運転免許試験場にいろいろ私も話をしました。ひらがななんか読める場合は支障はないわけですが、そこに漢字が出てくる場合に、手を挙げて試験官に、どうも印刷がぼけておるがこの字は何と書いてあるのだというような式でルビをふってもらう、こういったことである程度学科試験を通っておる向きもあるのですが、極端な場合ひらがなもかたかなも読めぬ。といって、若ければいまから勉強してひらがなぐらいは覚えようということも話はできるでしょうけれども、いま言った昭和一けた生まれに——いろいろな事情があったのでしょうが、学校に行く機会もなかった。結局字が覚えられなかった。生活を立てていかなければならぬから、そういった国なり県なりの制度に乗っかって運転免許の取得に行った。ところが、いま言ったように三十二回も受けたけれどもだめだった。これをひとつ何とかしてもらいたいというのが、一県五、六人で、私のところの県だけかと思ったら、県警あたりで聞きますと、いや、全国的に一県当たり四、五人というものはあるような話を聞いておるということですね。そうなると、二百人、三百人ということなんですが、こういう便法というよりも、さっき申し上げたように、年年運転免許制度についての改善を図られてきておる、しかも、生活手段としての自動車、一方、安全運転ということはどうしても守らなければならぬ、これをどこで調和をさすかということです。  極端な例を申し上げたのですが、こういった文盲、数は少ないと思うのですが、文盲の方々の生活手段を立てていくための運転免許制度というもの、この辺についてお考えはないかどうか。
  237. 杉原正

    ○杉原政府委員 先ほどの田口委員の御質問の趣旨は十分理解ができるところでございます。実情を申し上げますと、学科試験は、道路交通法の施行規則というのがございまして、すべて筆記試験によって行うということになっておりまして、現在筆記試験以外の方法ではやっておりません。ただ、漢字の読めない方がかなりおいでになりますので、大多数の府県でもうすでに漢字に振りがなを打った学科試験を実施して、そのような漢字の読めない方につきましては便宜を図っているのが実情でございます。  ただ、ひらがなも含めて全く字が読めないいわゆる文盲の方になりますと、学科試験の問題、学科試験の方法ということ以前に、実はこのような方に免許を出した場合、たとえば案内標識とかの道路標識、道路標示、補助板を含めますとかなり漢字、ひらがなが使われておるわけでございます。それから、道路交通法令がたびたび改正になりますが、その改正をする場合の周知徹底の方策を考える場合、大半の場合が図を示したり文書でこれを一般にPRするという現状でございますので、ある程度ひらがな程度のものは読めて理解ができませんと、本人自身が現実に車を使って道路に出られた場合に、ある局部的な、自分がよく知っているところだけですとまだ賄えるにしましても、府県間にわたってあるいは他のいろいろな都市にお出かけになるときに、本人自身のことも含めまして、交通の安全上非常に問題が出てくるということも、他面また考えなければなりません。今後とも、そういう非常に不幸な方にこのかな振り文字による試験をもっと普及させるということ等を検討しまして、御要望の趣旨にできるだけ近い運用をやってまいりたいと考えております。
  238. 田口一男

    田口分科員 おっしゃるとおり、他人に対する損害、本人の安全ということも含めれば、いまの制度の中では大変な支障があることは私もわかります。通いなれた道なればそう標識がなくてもどうこうということはないでしょうけれども。  そこで、思いつきのようなのですが、こういうことはどうでしょうね。たとえば試験でも、術科の方はいいわけですが、学科のときに、しゃべることはできるわけですから、口頭試問的にやって、それで筆記試験と同様の評価を下す。それから、すでに制度の改善としてとられております初心者用の若葉の標識がありますね、ああいう標識をその自動車に関してはつける。そうすると、他府県や遠方に出かけていって、何キロ先に道路工事とかなんとかという場合にはちょっと困ると思うのですが、とりあえず運転免許を与える、そして他の車からも一目でわかるようなそういうことをやれば、多少安全運転ということで事故を防ぐことができるのじゃないかという気がするのですが、その点はどうでしょう。
  239. 杉原正

    ○杉原政府委員 先ほど申しましたように、御本人自身と他のドライバーあるいは歩行者との安全の調和みたいなものがどこのところで保たれるか、そういう観点からわれわれも十分配慮して、どういう試験方法があるのか十分検討してまいりたいと思います。
  240. 田口一男

    田口分科員 これで終わりますが、運転ができても、そういうことで他人また本人に大きな交通事故が起これば、これは何にもならぬわけですから、私はその辺のところに若干の危惧があるのです。ただ、いまのような経済状態の中で、自動車の運転によってのみ生計を立てておる、また他に手段がないという話でありますと、そんな無理をしてまで自動車の運転をせずに、他の職業についたらどうかという言い方もできませんし、数は少ないのですが、やはりそれ以外にないだろう。それが、いま言った安全運転の面でどうしても調和ができない。さっきと同じことの言い返しになるのですが、ひとつ何らかの方法を考えてもらいたい。  同時に、どこの県警でも、運転免許を与える場合に、制度間に多少連絡の不十分がありますから、せっかく助成金をもらって行った、だめだ、こういう行き違いがあるわけですね。ですから、その辺の連絡を十分とってもらって——薄情な言い方をすればいかんともしがたいのですが、そういう方については、助成措置も講じられないし、門戸をシャットアウトするわけですから、他の方法で生計を立てるようにするという手だてもあるでしょう。いまのところ、せっかく補助金をもらって、受けた、だめだ、これだけしか残らぬわけですよ。その辺のところを、資格が与えられるような方法も検討していただくと同時に、制度間の連絡を密にする、こうすれば、たとえ一県当たり五人、六人という数であっても、後に何も気持ちの悪いものが残らぬ。こういうことでありますから、ひとつ十分に検討していただいて、できれば免許が与えられるような制度を早急につくり出していただきたい。このことを要望いたしまして、私の質問を終わります。
  241. 木野晴夫

    木野主査 次に、大原亨君。
  242. 大原亨

    大原(亨)分科員 きょうは法制関係だけで、従来から議論いたしました問題について質問いたしますが、第一は、戦傷病者戦没者遺族等援護法の立法の趣旨で、「国家補償の精神」というのがあるわけですが、「国家補償の精神」ということで補償制度をやる。その範囲は、軍人は恩給を除外しましたから軍属と準軍属、準軍属の範囲を逐次拡大をしてきたわけです。その国家補償の論拠はどういうことか、改めてひとつ法制局の答弁を求めます。
  243. 別府正夫

    ○別府政府委員 お答えいたします。  援護法は、ただいま大原委員おっしゃいましたように、「軍人軍属等の公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し、国家補償の精神に基き、」援護の措置を講ずるということが書いてあるわけでございますけれども、まず軍人軍属等の中で軍人軍属以外の者、これに準ずる者というのは、御存じのとおりに援護法二条三項にいろいろ掲げてございます。こういうようなものを含めまして、国が「国家補償の精神に基き、」とわざわざ目的に書いてやりましたのは、要するに援護の措置の対象がどういうものになるかということを、援護法制定の際、立案の際に考えたということだと思います。  その趣旨をやや詳しく申し上げますと、軍人軍属等以外の者でも、戦争遂行に際して国と一定の使用関係にあった者に対しては、使用者として国が使用者責任に基づいて戦争公務にかかわる災害の補償をやろうということを考えたというのが、まず第一でございます。  なお、国と一定の使用関係にあった者以外につきましても、これは大原委員よく御存じのように、大原委員の御指摘に従って数回改正もしたわけでございますけれども、それに準ずる者に対しても使用者に準ずる立場で補償をすべきであろうということで、御存じのとおりに、二条三項の各号の改正を数回にわたって行って、その範囲を広げているというような状況でございます。
  244. 大原亨

    大原(亨)分科員 国との関係で使用関係に準ずる者という場合に、国との関係は、法律的に言うならば、どういう関係なのですか。
  245. 別府正夫

    ○別府政府委員 国と直接に使用関係があったかなかったかという点につきまして、使用関係がある者についてはわざわざ申し上げることもないかと思いますが、戦争遂行のために軍事行動関連の業務に従事することを義務づけられたような者、これは法令に基づいてあるいは国の要請に基づいて、いろいろ具体的にケースはあると思いますが、そういう義務づけが行われた。この一つの典型は、罰則によって担保されて強制をされたというような関係が生じている場合というふうに考えられると解しております。
  246. 大原亨

    大原(亨)分科員 現行援護法の準軍属の中で、御指摘のように法律の第二条の中で、「昭和二十年三月二十三日の閣議決定国民義勇隊組織に関する件に基いて組織された国民義勇隊の隊員」というふうになっておりますが、これは、たとえば罰則等の担保、国の担保はなくて、しかも閣議決定なのですが、これは準じた者にということで広く解したのかどうか。
  247. 別府正夫

    ○別府政府委員 お答えいたします。  ただいま御指摘の援護法二条三項の御指摘の点は三号に書いてあるわけでございますけれども大原委員御指摘のとおりに、罰則の担保はございませんが、先ほどお答えの最初に申し上げましたように、広い意味で軍事行動関連業務に従事することを義務づけられた者、閣議決定があることによって解されるだろうというふうに考えております。  なお、罰則担保云々は、その典型としてというつもりで申し上げたということであります。
  248. 大原亨

    大原(亨)分科員 三月二十三日のいまの国民義勇隊に関する閣議決定をさらに受けて、いよいよ沖繩が陥落した、決定的になった、こういう段階で、四月の二十七日、これは安倍内務大臣ですが、閣議決定に基づいて主務大臣が「国民義勇隊ノ組織運営指導ニ関スル件」こういうのを閣議決定に提案をして執行いたしておるわけですが、これは三月二十三日の決定とはどういう関係ですか。
  249. 別府正夫

    ○別府政府委員 お答えいたします。  ただいま大原委員御指摘の閣議決定は、「国民義勇隊組織ニ関スル件」というのと別のものであるかどうか。「組織ニ関スル件」ということでよろしければ、三月二十三日の閣議決定がございますので、それに沿ってお答えしたいと思いますが……。
  250. 大原亨

    大原(亨)分科員 つまり、情勢が急迫して戦場となるべき地域の国民義勇隊はそのまま戦闘隊に転移するものとするというそういう方針で国民義勇隊は戦闘隊に転移するということの方針を決めた閣議決定である。情勢がだんだんと緊迫してきたから、それに対応して閣議決定をさらに強めて、そして職場や地域に戦闘隊を編成する、こういう国民義勇隊を戦闘隊に転移するということで、生産、輸送、築城、防空復旧、救護以外に戦闘任務に服して、もって郷土自衛の措置を講ずる、そういうことで具体的に決定しておるわけですね。そしてそれは戦闘隊に移行いたしますと陸軍大臣、海軍大臣の指揮下に入る。これは内務大臣と陸海軍大臣とで管轄について義勇隊は非常に論争、対立があったわけですが、しかし、そういう戦闘隊に移行した後においては陸海軍大臣の指揮下に入る、こういうことではないかというふうに理解をしているのですが、間違いないですか。
  251. 別府正夫

    ○別府政府委員 お答えいたします。  先ほど私の聞き取り方が不十分だったために、三月二十三日の閣議決定は「国民義勇隊組織ニ関スル件」ではございませんでしょうかと申し上げましたが、三月二十三日の「国民義勇隊組織ニ関スル件」の後、四月十三日の閣議決定でただいま大原委員から御指摘のございました「状勢急迫セル場合ニ応スル国民戦闘組織ニ関スル件」という閣議決定がございますので、この件についての御質問ということでお答えしてよろしゅうございましょうか。——では引き続きお答えいたします。  国民義勇隊につきましては、すでに援護法で援護法の対象として取り上げられているわけでございますが、その次の四月十三日のただいま読み上げました「状勢急迫セル場合ニ応スル国民戦闘組織ニ関スル件」という閣議決定の内容として、ただいまの御質問にございましたようにいままでの国民義勇隊は「左ニ準據シ」ということでいろいろ書いてございますが、「之ヲ戦闘組織ニ転移セシム」ということが書いてあり、その「左ニ準據シ」のところに「一、状勢急迫セハ戦場トナルヘキ地域ノ国民義勇隊ハ軍ノ指揮下ニ人リ夫々郷土ヲ核心トシ防衛、戦闘等ニ任スル戦闘隊ニ転移スルモノトシ」云々と書いてございます。したがって、このような事実があるとすれば国民義勇隊が国民戦闘隊に転移したということになるかと存じます。  その次に同じ閣議決定の次の段に、これも大原委員十分御存じのはずでございますけれども、「右ノ為兵役法ニ規定スル者以外ノ帝国臣民」云々を「「兵」トシテ動員シ統帥権下ニ服役セシメ得ル如ク必要ナル法的措置ヲ講ス」ということが書いてございますので、その法的措置が十分講じられた後に転移するということではなかったか。これは推測でございますが、そういうふうに考えております。
  252. 大原亨

    大原(亨)分科員 それでその次は問題の、法制長官との論争もずっと続いておったわけです、途中で中断しておりましたが、昭和二十年の六月二十二日に制定されて即日公布された義勇兵役法であります。第一条に「大東亜戦争ニ際シ帝國臣民ハ兵役法ノ定ムル所ニ依ルノ外本法ノ定ムル所ニ依り兵役ニ服ス 本法ニ依ル兵役ハ之ヲ義勇兵役ト構ス」部長の方から説明がありましたように、これは年齢を規制いたしまして志願兵制度も設けるようにしておいて、そして第五条におきましては「義勇兵ハ必要ニ應ジ勅令ノ定ムル所ニ依り之ヲ召集シ国民義勇戦闘隊二編入ス 本法ニ依る召集ハ之ヲ義勇召集ト稱ス」ということで、いろいろな行動に対して逃亡したり身体を毀傷したり疾病を作為したりその他詐偽の行為をした者は二年以下の懲役にするなどというふうないわゆる罰則の担保がついておるわけですが、これは六月いよいよ沖繩で完全に牛島中将が自決をして後のことであります。これはまさに本土の主要都市を中心といたしまして本土決戦段階でここに掲げられておるのですが、一億総武装の体制だ、こういうふうに私は理解しておるし、それは四月の「状勢急迫セル場合」における閣議決定を受けて立法化したのではないか、こういうように私は考えますが、いかがでしょう。
  253. 別府正夫

    ○別府政府委員 お答えいたします。  先ほどの四月十三日の閣議決定を一部読み上げました際に申し上げたとおり、この閣議決定が「状勢急迫セル場合ニ応スル国民戦闘組織ニ関スル件」という題名であるのからもわかりますように、国民義勇戦闘隊というような名前を後ほど使っているようでございますけれども、こういうようなもののいわば法律的な裏づけとして、大原委員御指摘の六月二十三日でございますかの義勇兵役法が公布施行になったというところまでは大原委員の御指摘のとおりというふうに考えます。
  254. 大原亨

    大原(亨)分科員 それで私は、きょう午後二時過ぎに総理府の外局である公文書館長岩倉さん、当時官房の会計課長をしておった元総理府長官出席を求めて、その当時の閣議決定や勅令等についての具申をした書類等にサインをしている人ですから、その当時のことを聞きました。それから防衛庁に移行いたしております陸海軍の事務の当時の書類について調べてもらいました。そこで出てまいりましたのは、国民義勇兵役法以外にそれに基づく勅令あるいは軍令、省令、たくさんの項目をずっと挙げてありますが、それに基づいて、つまり本土決戦の段階においてなされたすべての法令、これは六月二十二日以降立て続けに出しておりますが、それについて資料を出してもらいました。  そこで、その資料に基づいて、法律は具体的に国民義勇兵役法の段階になりますとこれは陸軍大臣、海軍大臣、これを主務大臣といたしております。内務大臣から義勇隊を引き継ぐという形であります。これは国民義勇戦闘隊という言葉が勅令にも引用されておりますから、私はそれと密接な関係ありというふうに考えますが、三月二十三日の国民義勇隊と四月の国民戦闘隊移行の閣議決定と、それから義勇兵役法と勅令、その他施行細則、軍令、省令、規則との関係、そういうものは法律的にどのように理解をしておりますか。
  255. 別府正夫

    ○別府政府委員 お答えいたします。  大原委員御指摘のとおりに一方で閣議決定があり、その約二カ月後六月二十三日の官報で公布され施行されたということになっております。(大原委員「六月二十二日じゃないですか」と呼ぶ)官報二十三日掲載ということでございますので、よろしゅうごさいましょうか。——二十三日の官報で公布され施行されました法律三十九号議勇兵役法とは、閣議決定と法律といういわば法形式が全然違うということもございますので、必ずしもその間の関連がいま三十年前のことを振り返りまして一義的に私なかなか言いにくい点があるかと思いますが、大原委員御指摘のとおりに昭和二十年四月から六月の段階で閣議決定の裏づけとして、閣議決定でも予想しておりました法的措置として義勇兵役法が公布施行されたという点はおっしゃるとおりであろうというふうに考えております。
  256. 大原亨

    大原(亨)分科員 六月二十二日のこれは主務大臣は海軍大臣米内光政、陸軍大臣阿南惟幾、内務大臣安倍源基、勅令第三百八十五号義勇兵役法施行令。義勇兵役法は九条ぐらいな簡単なものですが、これは施行令ですね。他の人でわかっている人、調べた人が答えてもいいですよ。  それで、たとえば勅令の第八条をとってみますと、「義勇兵ニ對シテハ編入セラルベキ國民義勇戦闘除名、國民義勇戦闘隊ノ職員ニ充テラルベキ者ニ在リテハ其ノ職名其ノ他必要ナル事項ヲ豫メ通知ス」とありますが、第十条には「義勇召集ハ國民義勇戦闘隊編成下令ヲ以テ之ヲ實施シ義勇召集ノ解除ハ國民義勇戦圖隊編成解除ヲ以テ之ヲ實施ス但シ必要アルトキハ之ニ依ラザルコトヲ得」こう書いてあるのですが、その中の「義勇召集ハ國民義勇戦闘隊編成下令ヲ以テ」と、こういうふうにあるわけですね。したがって、先ほど申し上げたように、やはり戦局が非常に急迫をいたしまして、そして一方は兵役法、一方は総動員業務、もう一つ関係があるのですが、これは防空法、警防団、その他私が議論して準軍属へ入れたのがありますが、それとの関係は別に一応置いておきまして、そしてこの兵役法に基づく勅令や省令、軍令というものは、六月の二十二日閣議決定以降、ほとんど同じような日付をもって公布されておるわけです。そうすると、軍部が今度は前面に出てまいりまして、地方長官、つまり県知事や市長、村長に対しまして、いままでの義勇隊決定に基づく内務大臣と軍の共管の事項について、軍が前面に出てこれを引き継いで決戦体制をとった、こういう法律関係ではないかというふうに私は理解をするのですが、いかがでしょう。
  257. 別府正夫

    ○別府政府委員 お答えいたします。  義勇兵役法及び義勇兵役法施行令の規定に書いてあるところでは、大原委員御指摘のとおりであるというふうに考えます。
  258. 大原亨

    大原(亨)分科員 そこで、たとえば広島の場合、これは原爆関係だけでなしに、これは一般戦災者にも関係する。聞いてみますと、三重にいたしましても、七月にB29が大挙来てやっておる。東京空襲、大阪空襲、ずうっと戦局が緊迫するに従いましてそういう体制の中へ入るわけです。  そこで、私は戦傷病者戦没者遺族等援護法で沖繩の犠牲者を議論した際に、この項目にありますが、戦地、つまり「事変地又は戦地に準ずる地域における勤務に従事中の」者、これは沖繩で言うならば、第十次の空襲がありました、十九年の十月の一日以降の沖繩における戦闘犠牲者というものは、現行戦傷病者戦没者遺族等援護法の準軍属としての援護の対象になっているわけです。つまり、戦闘状況に入った、戦地として指定した以降の者については準軍属としての処遇をしているわけです。ですから、八月六日あるいは八月の九日というふうに広島、長崎に原爆が落ちた当時の情勢は六月以降の情勢というものは、内地の主要地域は全部戦地と同じような状況にあったというふうに、閣議決定の積み重ねやあるいは六月の義勇兵役法、これはまさに義勇兵役法ですが、義勇兵役法や勅令その他というものが、すべてが総合されて戦地における体制になったのではないか。現に私の手元に、市や県の当時の議事の中に、軍が隣組や町内会長や地域の警防団長、あるいは職域の警防団やそれから愛国婦人会等、すべての地域、職場の団体に召集をかけまして、いよいよこれからは戦闘員も非戦闘員も差別がない、こういう訓辞をしたという記録があるわけです。だから、戦闘員と非戦闘員を、政策においての特殊性はあるかもしれない、あるかもしれないが、現在政府がやっておる現行法だけで戦争の犠牲者が公平に処遇されたとは私は考えない。財産被害については、移動その他全国民的なものがあって政策の対象とはなし得ないかもしれないが、人命や健康に関する問題、障害、疾病に関する問題については、やはり現行法を頭に置きながら政策を立てるということは、国家補償の精神に基づく現行法の体系から言って法律論として当然ではないか。政策論ではありません、法律論としては当然ではないか。差別をつける理由はないのではないか。その他の法律論としてはあるのですよ。  私は、そういう面からアプローチいたしまして、この問題についてはやはり洗い直して考えるべきではないか。特に、私もずっとやってまいりましたが、このデータというものは、義勇隊の閣議決定や義勇兵役法やその他関係勅令を含めて、たとえば下部に対しましては全部戦後焼却を命じている。アメリカの占領軍から、非戦闘員に対する軍事動員として追及されることを恐れたというふうに言われておるが、全部焼却を命じている。ところが、政府は正式にはこの資料を出さなかった。閣議決定の日付も間違っておった。三月二十三日である閣議を二十二日というふうに当初は書いておった。  そういうふうに十分検討されていないで、軍属や準軍属の範囲を拡大したことはよろしいのですが、改正したことはよろしいのですが、そういう点で私は、法律的にも事実上も言い得るのではないか。非戦闘員と戦闘員をいままでの観念で機械的に区別をするということは、六月以降の、義勇兵役法が決定をされて布告された以降においては、本土はまさに戦闘員も非戦闘員も差別がなしに、軍が前面に出て、一億総武装の本土決戦の体制に入ったのではないか。そういう面において、それぞれのジャンルによって、それは政策上の差があるかもしれない。特殊性があるかもしれない。原爆については原爆二法案ができておる。国家補償との中間措置だというふうに言われておるが、しかし、基本的に被害者の立場に立つと、国民の立場に立つと、それは非戦闘員と戦闘員の差を今日までのように機械的につけることは、法律上も事実上も間違いではないか、こういう点を私は指摘をするわけです。  その点について、法律的な法制局の見解、立法作業を進めていくときにチェックする法制局の見解、これをお聞きします。
  259. 別府正夫

    ○別府政府委員 お答えいたします。  ただいまの大原委員の御指摘のうち、政策論と法律論を別にしてというような御指摘でございましたが、ただいまの御質問のうちにございました、沖繩が昭和十九年の十月十日以降戦地扱いになっているのと同様な状況に内地、まあ本土と申しますかが、たとえば二十年の三月、四月以降、あるいは義勇兵役法の公布、施行された六月以降はそれと同じ状態であったのではないかという点についての判断は、実は法律論より先に政策論が先行するような問題とわれわれ理解しておりますので、その点について、いまの援護法の対象とすることが適当かどうかのまず政策的判断を担当省庁が下した上で当方が判断するという立場は破れないと私は考えております。ただし、もしもそのような判断を厚生省がして、持ってまいりました際に、たとえば、ただいまの二条三項の、先ほどお話の出ました国民義勇隊の隊員がなっているのとのいわばバランス上、国民義勇戦闘隊の隊員というようなものがあったとすれば、その国民義勇戦闘隊の隊員あるいは義勇兵役法による義勇召集を受けた者があったとすれば、義勇召集を受けた者が援護法の対象になることについて著しく不合理か、この目的の中に入らないかというような、まあ失礼でございますが、仮定の議論として考えますると、それは援護法の対象になって決して不合理ではないというふうに私考えておるわけであります。——ちょっと補足してよろしゅうございましょうか。いま私……
  260. 大原亨

    大原(亨)分科員 時間がないから、ちょっと一つだけ。  あと時間が少しになったので、これはもう少し、援護法の審議のときもあるし、それからこれからも続けてやるわけですが、このほか政府が都道府県知事やあるいは自治体に対して、つまり第一線の自治体に対しまして資料の焼却を命じたものの中に防空法の関係があるわけです。防空法の関係はこれは義勇兵役法についての結びつきとの関係と同じようにネグレクトしてしまった、抹殺したわけです。そして、兵役法と総動員法、包括的な委任立法ですが、それに基づく徴用工とか動員学徒とか、あるいはそれに準ずる義勇隊とかいうものを準軍属として軍属並みに扱って、公務によるものとしたわけです。そこで、戦闘が急迫いたしまして、それが全国民的な規模に応じてやり、男子は六十五歳あるいは六十歳、女子は四十五歳というふうにやりましたけれども、それ以外の者についても協力するということについては閣議決定や条文があるわけです。  したがって、私が議論をしたいのは、法制局に法律的に詰めてもらいたいのは、防空法による警防団、医療従事者、これは防空法の六条二項によりまして、議論をした末に昭和四十九年から準軍属に入れました。それと同じように、防空法体制の中で職場や地域において、私も戦争中新聞社におったので経験があるわけですけれども、そういうところにも全部警防組織をつくった。それが六月以降においては義勇戦闘隊と重なった、本土決戦の段階で。防空法の関係でも職場や地域における一定の年齢や対象者に対しては、警防団まで、医療従事者まで行っておるわけですから、それも動員体制をとった。そこで、警防団と義勇隊の関係はどうかということになります。その法律関係について、法制局はもう少しこれを究明してもらいたい。これが一つの要望です。これは改めて議論しましょう。  そこで、東京空襲も名古屋空襲もそうなんですけれども、もちろん広島、長崎の原爆もそうなんですけれども、これは厳密に言うならば、ヘーグの陸戦法規や、いわゆる国際法に違反するのです。原爆はもちろん違反いたしますと思います。しかしそれは、議論いたしましたら、精神に違反するということを当時の藤山外務大臣昭和三十四年ごろ答弁いたしました。しかし、それはともかくといたしまして、毒ガス以上ですから、陸戦法規は非人道的な兵器は抽象的、一般的に禁止をしているのですから、そういう意味において、害敵手段やあるいは攻撃の目標、そういうものにおいて国際法に触れると私は思っておりますが、しかし、その議論は、そういう国際法に違反するという問題とサンフランシスコ条約関係、賠償関係についてはいままで裁判で争われたことなんです。だから、そういうもの等を考えて、あるいは原爆等の非人道性を考えて、これは何らか国が国家補償の精神で立法を進めていく。ただし、現行援護法との関係をどうするかということについては政策上の問題ですが、進めるということは、法のもとにおける平等という新しい憲法の精神や立法の精神からいっても非常に大切な点ではないか、究明すべき大切な点ではないか。特に、占領軍が来たときにこれは全部資料を焼いたわけですから、隠したわけですから、それを非戦闘員の自発的な活動、ボランタリー活動と称して。自分の財産を守る、自分のそういう活動と称してやったということですから、私はそういう点において、その点を具体的な法律と事実に基づいて究明する中で法制局は、先ほどの総理府と防衛庁が持っている資料の中で全部を出してもらいましたから、その関係法律を精査していただいて、法律上の見解だけでも明らかにしてもらうということを要望しておきます。それを私は別な機会に議論をします。  政策上の問題、どういうふうな政策をとるかという問題は、これは国家補償の精神で援護するということの上に立って国がどう処置するかということは経過や現行法を踏まえながらやるということになる。それはあなたの方と直接関係ないかもしれぬが、しかし内閣法制局としては、その法律関係について正確に把握をしてもらいたい、追究してもらいたい、法律関係を明らかにしてもらいたい、そういうことだけを申し上げておきまして、私の質問を終わります。
  261. 木野晴夫

    木野主査 次に、川口大助君。
  262. 川口大助

    川口分科員 初めての質問でありますので、お伺いしますが、きょうはどういうお方が答弁においでになっていますか。
  263. 木野晴夫

    木野主査 鈴木刑事局長、杉原交通局長、広谷交通指導課長、八島運転免許課長、この四名でございます。
  264. 川口大助

    川口分科員 私はまずお伺いしたいのは、警察官の資格と警察業務をつかさどる姿勢についてお伺いしたいのであります。  具体的な例から申し上げますと、最近の弘前大学の教授夫人殺しの事件について、二月十五日の再審で無罪の判決を得たわけですが、十五年間服役をしまして無罪の判決を得ましても人生は取り返しがつかぬものでありまして、これはいかなる補償がありましても取り返しのつかないものだと思うのです。私は、二度と再びこういうふうな人権を無視されるようなことは困る、こういう立場で聞くわけでありますが、その再審の結審の際に、どうも警察のでっち上げによるものじゃないかというふうな文書もあったようでありますが、これにつきましていかがにお考えになっていますか、まずお伺いしたいと思います。
  265. 鈴木貞敏

    ○鈴木政府委員 いまおっしゃいましたでっち上げというふうな点につきましては、率直に言いまして、この事件の捜査、これは申すまでもなく当時自治体警察でございました弘前市警察が鋭意捜査を遂げて、検察、裁判というふうなプロセスを経まして最終的に無罪、こういうふうになったわけでございますけれども、当時としましては弘前市警として最大、できる限りの捜査を尽くして送致した、こういうふうに確信しておりますし、また、その後の捜査の結果でもでっち上げというようなことは絶対ないということを私自身も確信いたします。
  266. 川口大助

    川口分科員 といいますことは、再審の結審になりました無罪も、これは妥当でないというふうにお考えになっておるのですか。
  267. 鈴木貞敏

    ○鈴木政府委員 そういう意味ではございませんで、当時の警察としては最善を尽くして、ベストを尽くして捜査をした、決して捏造というふうなことではない、結果的に無罪というふうな判決が下りた以上、その判決につきましては真摯にこれを受けとめるということでございます。
  268. 川口大助

    川口分科員 私は何も責めようということで。ないし、また、いまあなたに責任をとれということでもないのです。ただ、二度と再びあっては困る、こういう立場で私はお尋ねするわけであります。しかし、この無罪も一人の新聞記者が、どうもこれは不思議だ、合点がいかない、こういうことで走り回って真犯人を突きとめた、こういうことにも言われておりますので、一人の新聞記者というような、警察当局からすればいわば素人だと思うのですが、その素人が疑問を持つようなことであったわけでありますから、当時は自治体警察だとこうおっしゃいますが、自治体警察の未熟さがあったのか、本当にあのころの捜査としては確信を持って手落ちのない捜査をされたというふうにお考えになっておるのか、いま一度お伺いしたいと思うわけです。
  269. 鈴木貞敏

    ○鈴木政府委員 おっしゃるとおり、当時自治体警察ということで、もとより機構が国家地方警察、自治体警察というふうに昭和二十九年六月の警察法改正までは分かれておったわけでございますが、そういうことを別にいたしまして、やはり警察は警察としての同等といいましょうか一貫性を持っているというふうに私は理解するわけでございまして、そういう意味で無罪の判決ということにつきましてはこれを真摯に受けとめ、そしてこの中から将来を含めてひとつこういうことのないような適正なる捜査というものをいかにしてわれわれとしてやっていくかということを謙虚に反省し、そしてまた教養その他の面についても詰めていかなければならぬ。そういう意味の捜査の厳しさといいましょうか、そういうことを強く感ずる次第でございます。
  270. 川口大助

    川口分科員 それで、現在に立ち返って、私は秋田の出身です。秋田県警のすべてが悪い、こういうことを申し上げているわけではないのです。たまたま一人の警官の行動によって、場合によっては警察全体に対する不信になる場合もあるわけです。たとえば今回の鬼頭判事補のような事件にいたしましても、裁判官というものはああいうものか、警察官というものはああいうものかというふうなことになりますと、法治国家として大変ゆゆしき問題だというふうに私考えるわけであります。  そこで、ごく最近における事例ですが、一人の市民を対象にしまして、その市民の身辺につきまとっておるというふうなことがございまして、その本人から秋田の県警本部に対してどういうわけで私につきまとうのかという質問書が出されておるわけですが、そういう事実は御存じでありますか。
  271. 鈴木貞敏

    ○鈴木政府委員 御質疑の秋田県でのそういう一人の人に警察がまつわりついているという内容につきましては、ちょっと私承知しておりません。
  272. 川口大助

    川口分科員 これは、本人から県警本部に間違いなく質問書が出ているわけでありますから後でお調べになっていただきたいと思いますが、どうもややもすると現職警察署長なり刑事部長が自分の退職後の再就職の問題に絡んで、その再就職をお世話願えるような人に特におもねるといいますか、あるいは顔色をうかがうといいますか、そういうふうなことも私はあるのではないかというふうに思うのであります。  現に秋田にもいろいろな例があるわけですが、そういう立場でちょっと別の角度からお伺いしますが、大体警察署長や県警の刑事部長さんが退職後再就職されているような個所はいろいろあるでしょうが、おおむねどんなところへ再就職なされるかお調べになったことがございますか。
  273. 鈴木貞敏

    ○鈴木政府委員 もう率直に言いまして、これはばらばらでございまして、どこにどうというあれは、調べたケースはもとより人事当局もないと思いますし、私の人事を担当した経歴、経験でもそういうことはございませんし、一人一人がそれぞれ違う、こういうふうに言ってよかろうかと思います。
  274. 川口大助

    川口分科員 大体県警本部長さんたちは、退職が近づいてまいりますと、署長や刑事部長の就職などのいろんな御心配をなさるわけですが、いまの御答弁はそういうこともやっておらぬというふうに解してよろしゅうございますか。
  275. 鈴木貞敏

    ○鈴木政府委員 私の言い方がちょっと間違いましたらあれでございますが、ばらばらだという意味は、一人一人もとより退職した後の再就職、第二の人生、こういった問題につきましては本部長初め、やはり県の幹部のそういう就職のあっせんといいましょうか、当然そういうことはいろいろ努力するということは先生御承知のとおりでございまして、そういう意味のあれはそれぞれやっていますが、進むべき道がそれぞれ一人一人違う、適性、その他個人の事情、そういったことで一人一人が違う、こういう意味合いで申し上げた次第であります。
  276. 川口大助

    川口分科員 これは結構です。再就職は結構ですから。  考えようによっては、少なくとも警察署長ぐらい勤めて御難儀なさった方は、退職後は悠々自適するぐらいの給与なり退職金が支給される状態であれば、これはいかにも望ましいことだと思うのです。大体警察官には団結権もありませんし、また団体交渉権もありませんし、争議権もないわけです。本当に黙々として国民の生命財産を守り、人権を守っているわけですから、そういうことであればなおさら結構なのですが、どうもいまの給与は必ずしもそうとは限りませんので、再就職もこれはやむを得ないと思うのであります。しかし、その再就職も、ややもすると、現職の間に次の再就職を考えまして、手心を加える例、こういうものがあるのです。私はここで事実を申し上げて、特定の人を名指して言う気持ちはないのですが、その中から捜査の乱れが起きているようなことがないかということを私は心配するわけであります。この点についていかがですか。
  277. 鈴木貞敏

    ○鈴木政府委員 その点につきましては、捜査の厳しさということを先ほども申しましたけれども、やはり警察官としての職業の厳しさと言ってもいいと思いますが、厳正公平ということが生命でございますので、在職中はそういうのを第一モットーに、上から下まで一番それを基本原則として執務に当たるというのがわれわれの基本原則でございます。
  278. 川口大助

    川口分科員 これは議論じゃありませんで、私は先ほど申し上げたとおり、二度と再びやっては困るという立場で申し上げておるわけです。  一つの例でありますが、ある警察署長は、これは私が今度退職後お世話になるので、この人の言うことはどうしても聞かなければならないのだとはっきり言っておるようなこともございます。それから中には警察署長をやめまして、われわれの立場にも関係がありますが、某代議士の秘書をやりまして、直後にありました選挙では買収の事犯を起こして処罰をされておる、こういう署長もございます。  でありますから、私は、ぜひひとつ、そういう退職後のことを考えてそのようなことに陥ることになりますと、三十何年も警察に勤務して営々としてがんばって署長になった、しかし、どうも上がりがうまくなかった、こういうことでは、これは本人にとっても大変気の毒なことでございますので、これはできるならば、一つの要望になりますが、待遇等につきましでも、余り後顧の憂えのないような待遇をぜひしていただくと同時に、本当に厳正に執務をするように、心から私は要望申し上げるわけであります。  次に、そういうことでどうも答弁を願うのもちょっと筋違いかと思いますが、地方には県知事と県警との癒着がございますと、県の行政も乱れますし、また県政自体も腐敗をすることがあるわけであります。なるほど県警というものは県の予算ももらいますから、ある程度の連携が必要だと思いますが、やはり癒着しない程度の、つかず離れずということになると思うのですが、そういう人情まで絡んだ癒着をするようなことは厳に監督をしていただきたい、こう思います。  と同時に、自治大臣と国家公安委員長の兼務ということは、これはいかがにお考えになっておりますか。妥当なことだとお考えになっておるか、御意見を伺う相手にしてはどうもぐあいが悪いかと思うのですが、個人的な見解でもいいからお答え願いたいと思うのです。
  279. 鈴木貞敏

    ○鈴木政府委員 前段の県警察と知事部局との癒着といいましょうか、その点につきましては、先生のおっしゃったとおり、やはり職務に私情を交える、これはわれわれとして、先ほど来言っている厳正公正なる職務の執行という面から、厳に戒めなくてはならぬ問題でございますので、今後ともひとつそういう面で十分な配意をしてまいりたいということでございます。  それから、後段の国家公安委員会委員長と自治大臣との兼任につきましては、それぞれ単独で国家公安委員会の委員長であられたときもございますし、現在はたまたま兼任、北海道開発庁長官も兼任されておるということでございますが、これは広い意味でそのときの政府のあれで決まった、こういうふうに理解いたします。
  280. 川口大助

    川口分科員 この問題につきましても、若干意見がございますが、どうもきょうは質問する当事者がちょっと違いますので、やめます。  次に、いま非常に問題になっているような暴走族の件についてお伺いしたいのですが、これは大変困った問題だと思うのです。ただ、私非常に不思議に思いますことは、たとえばバイクなどの一定の規格があるはずなんです。暴走族はマフラーのしんを抜きまして物すごい高い音を立てるような改造をするわけです。あるいはハンドルなんかにつきましても規定より高くいたしまして、スリルを味わうといいますか、そういうことをやりながら、暴走族ということになって一つの集団をつくってやっているのですが、これは取り締まりは車の取得者ということになって、乗り回しておる者は確かにおしかりを受けると思うのですが、ただ車検という制度があるわけです。したがって、警察庁の立場として、これは運輸省の管轄かどうかもはっきりしませんが、そういう改造をするのはつまり車屋さんなんですね。そういう規格外れの改造に対して、よし悪しの行政的な指導といいますか、あるいはもっと厳格に言うと、規格以外の車の改造はできないのだというぐらいの意見をひとつ関係当局にお話をして、取り締まりの立場から、どんどん野放しに改造されますと、幾ら警官が増員されてもたまったものじゃないと思うのですよ。だからそういう意味で、そういう点についていままでどのようなお取り計らいをしてきたか、伺いたいと思います。
  281. 杉原正

    ○杉原政府委員 暴走族の関係につきましては、先ほど川口委員から御指摘のとおりでございまして、ボデーを下げたりマフラーを切ったり、取りかえたりというような、いわゆる構造を悪く改めてやっているというのが多い。これにつきましては、道路運送車両法の領域で、いわゆる保安基準というものがございます。これの違反になるケース、それから道路交通法でそういう整備不良車両を運転した者についての直罰の規定がございます。昨年、いわゆる整備不良車両の運転禁止違反行為、これは道路交通法の領域でございますけれども、これで約十五万件検挙いたしております。それから同じく道路交通法の領域で、整備不良車両を直せということで、整備通告がやれるようになっておりますが、これは約三十万件の通告をいたしておるわけでございます。これは道路交通法のわれわれの所管の領域でございますが、同時に、道路運送法違反、いわゆる運輸省所管の法律でございますが、これはいわゆる分解整備検査、自動車の検査証の記載事項の変更や構造変更の検査、こういうふうなものを受けてないもの、それからこの違反に関連をいたしまして、どこにやらしたのだというふうなことで、この整備業者に対しまして、いわゆる道路運送車両法違反の幇助というふうなことで約二千件のものを取り扱っておりますが、これは交通の安全にも非常に影響をする事柄でございますし、それから騒音その他で非常に住民に迷惑をかけるということでございますので、この方向につきましては今後さらに強化をしたいと思いますし、運輸省と連携を強化いたしまして徹底した措置を講じてまいりたいというふうに考えております。
  282. 川口大助

    川口分科員 やはりこういうものはとても警察だけの取り締まりでは徹底できるものではないわけですから、関係個所が本当に密接な連絡をとって、そういう車をつくることはもうできないのだ、また工場等でもそういうものを改造するようなことはやってならぬのだというふうな規制をもっと厳しくやってしかるべきではないかというふうに考えます。  それから次は、東京には余り見えませんが、田舎の方に行きますと、人形のおまわりさんや白バイの壊れたようなものを置くわけですが、あれはやはり取り締まりのためですか、おどしのためですか。私どもはどうもこれは若干理解に苦しむのですが、その取り締まりの姿勢として正しいものかどうかということについて私、疑問を持っているわけですが、この点いかがですか。
  283. 杉原正

    ○杉原政府委員 実は委員の御指摘のとおりでございますが、ああいう警察官の人形であるとか、壊れたような白バイを、これはいずれも非常に交通の危険な現場に置いてあるわけでございます。なぜこんな前近代的なものが置かれているのかということでございますが、実は昭和四十五年がピークで、それから事故が減少するようになりましたが、昭和四十五年ぐらいまでもう年々事故がどんどん多発をする、それに対応していわゆる街頭に立つ警察官というものが非常に人手不足であった、それからいまのように安全施設というものが物的に整備をされない、そういう時代で事故だけはどんどん多発をしていくということで、地域の住民といいますか安全協会などが費用を出し合ってああいうものを便宜建てて、ちょうど死亡事故などが起こったときに地蔵さんみたいなものを建てた、ああいう祈るような気持ちでああいうものを、当時物が足りない、現実に人が監視できないというようなことで建ててきたというのが実情であったようでございますが、そうは言いましても、われわれは、願いをこめて住民がああいうものを建てられたということ、当時の状況としては理解ができるわけですが、これだけ安全施設が整備されるようになったというふうなことから言いますと、あれは単に威嚇作用という面からこれをながめますと、決して望ましい姿ではなく、やはり危険個所には安全施設なり点滅装置なりそういうふうな正規のもので、危ないですよということで一般のドライバーの注意を喚起をする、そういうふうな方向で持っていくべきものだと思いますし、ああいう警察官の人形だとか、壊れた白バイを置いておくというふうなことでの威嚇ということでなくて、ドライバーが危険個所について注意をするというふうな方向に持っていくべきものだと思いますし、逐次ああいうものは撤去してまいりたいというふうに考えております。
  284. 川口大助

    川口分科員 わかりました。地蔵さんの場合はやはり何回通ってもそこにちょっと目礼するぐらいの気持ちがありますが、おまわりさんの場合、二度目に合うとしゃくにさわるようなことなんで、決して効果のあるものではないというふうに思います。  そこで、世にいうネズミ取りというのがあるのですが、これはスピード違反ですが、これも私、最近考えますと、本当にスピード違反を取り締まるためにやっているのか、あるいはまた罰金を徴収するためにやっているのか、疑わしくなる点もあるわけです。というのは、人手が足りない、人手が足りないというけれども、少なくとも四、五人、多いときは五人ぐらい、スピード取り締まりの、世に言うネズミ取りの現場におるのですよ。おまわりさんを五人立てられるわけですね。本当に国民に対して危ないんだ、気をつけろというふうになりますと、人形でなしに警官を五人立てるわけですよ。ですから、確かに罰金を取りまして道路もよくなるのかもわかりませんけれども、どうもいまの地方でやっておるネズミ取りというやり方は、何か草むらに隠れておったり、物陰に隠れておってぱっと飛び出してつかまえる。つかまったのは災難だけれども、うまくいったのはそのまま通り越した、何かこういうようなかっこうになっておりまして、必ずしもドライバーに対していい心証も与えていないのではないかと思うのです。ですから苦心はわかりますよ、苦心はわかりますが、やはり初めから国民は悪いものだ、どうもだめなものだ、先ほどのでっち上げの問題も同じですが、初動捜査の段階においてすでにもうこれは悪だ、見込み捜査の中でしゃにむに犯人にでっち上げていくというような思想とやや似たようなかっこうになれば困るというのが私の懸念なんです。  ですから、先ほど言ったとおり、決してなじるとかあるいは皆さんを責めるとかという感じじゃなしに、何とかひとつ人間は人間らしい気持ちの中で法を守るような体制にお互いに力を合わせてやっていけないものか、こういう意味でお尋ねするわけであります。
  285. 杉原正

    ○杉原政府委員 御指摘の点でございますが、実は私ども自動車のスピード違反の問題につきましては、御質問でございますけれども、これからもかなり力を入れていかなければいかぬという感じがいたしております。  その理由は、実は先ほど言いましたように、四十五年を境にしまして交通事故の死者などは特に半減に近い状態になってきているということで、いろんな構成比その他が絶対数が下がる中で、死亡事故の直接原因に結びついているスピード違反だけが絶対数も構成比もだんだん年々高くなってきておるわけでございます。ちなみに昭和四十五年の死亡事故の中で最高速度違反というものが八・七%を占めておったものが、五十一年、昨年の死亡事故では、最高速度違反が一七・七%の構成を占めているという実態がございます。  そこで、スピードについての違反の処理、対応の仕方ですけれども、御案内のように街頭で警察官がかなり立って監視をして、監視をすることで気をつけてもらう。それから交差点その他で白バイで待機をしておりまして、ある程度そこで注意をしてもらうという方法とあわせて、定置式の交通取り締まりの方法というものを併用をしている。立っているだけですと、予防面で十分効果がある面もありますが、悪質なのはそれでも逃げてしまうというふうな問題がありますので、そういういろいろなやり方を併用しながら何とかスピード違反というふうなものを抑制をして、道路交通の安全を確保したいということでございますので、定置式のやり方、場所等についての工夫の余地はまだまだあると思いますけれども、やはり今後もそういういろんなやり方を併用して万全を期すようにしたいというふうに考えております。
  286. 川口大助

    川口分科員 時間がありませんので、最後に一つ見解をお伺いしたいのですが、いま免許証は十八歳からですね。ところが十八歳でありますから、大学生でも車をどんどん持つ、車を持たない者はいないくらいになるわけですね。しかし、本当に学生は車が必要なものかと考えますと、どちらかというと本人のレジャーか何かのための場合が非常に多いんじゃないか。最近、またアルバイトでも、車の免許を持っていないとアルバイトの先も十分でないというふうなこともあるようであります。しかし、私は、少なくとも自賠責を自分の力で払えるような人ぐらいでないと免許証を与えるべきじゃないのじゃないかという感じを持っているわけです。  さらにまた、車の制限につきましても、どんどんつくらせて取り締まりは一切警察官の責任だと言われても、これは迷惑な話だと思うのです。ですから日本の道路の事情やいまのような資格者のことを検討して、やはりつくるところでもっと規制をさせる、年に何台なら何台以上つくってはならぬというふうな、極端に言えばそういうところまで考えていかないと、なかなか交通事故はなくならぬのじゃないか、こう思うのです。  そういう意味で、私のそういう考え方に対してどうお考えになっておるか、一言だけ伺って質問を終わりたいと思います。
  287. 杉原正

    ○杉原政府委員 質問の第一の免許年齢の関係でございますが、これは過去、原付を十四歳から十六歳にする、それから小型自動車とか三輪あるいは軽、これらを十六歳であったものを十八歳にする、あるいはマイクロにつきましても大型免許が必要だということにしたことに伴いまして、十八歳から二十歳にこれを引き上げるというふうなことで、年齢につきましては事故分析等を踏んまえまして、逐次年齢の引き上げをやってまいりました。運転経験が浅いことからくる問題につきましては、初心者マークの表示義務を新設するとか、二輪免許の技能試験の強化を図るということでやっております。  それから、御指摘の年齢の引き上げにつきましては、社会的な背景といいますか、十八歳から十九歳、この辺のいわゆる就業者、職についている者がかなりある。十八歳については三二・八%、十九歳については五四%ぐらいが職業を持っておる青年であるというふうな問題をやはり踏まえて物事を考えませんと、これは一つの労働問題ということがございます。過去の、先ほど申しました免許年齢の引き上げの経緯であるとか国際的な年齢基準、そういう初心者対策、そういったいろいろな運転者対策とのかかわり合いの中で、さらにわれわれも検討してまいりたいと思います。  それから未成年者の賠償能力との関連でございますけれども、確かに限度額には問題はございますけれども、いまの自賠責といいますのはだれが乗ろうとその保有者というものが負担をするということでございますので、これは自賠責の領域で片がつく問題だと思います。任意保険の領域についてはそういう問題があろうと思いますが、任意保険も、いま任意保険に入る人の年齢の範囲というのがだんだん広がっておるようでございますので、そういうふうなものもあわせ考えながら、運転免許年齢というものを今後も絶えず検討の対象にしてまいりたいというふうに考えております。  車の台数の問題につきましては、すぐこの場では、所管との関連がございますが、ただ、いま私どもが進めておりますのはいろいろな排気ガスその他の問題等に関連しまして、自動車の交通総量の削減ということを銘打って、いま対策を進めております。そういうものとの関連の中で、わが国の自動車台数というのはどうあるべきか、どういう走行がよろしいかというふうなことは別の観点からまた検討さるべきものであろうというふうに考えております。
  288. 木野晴夫

    木野主査 次に、権藤恒夫君。
  289. 権藤恒夫

    権藤分科員 私も、もう相当遅いようでございますので簡単にやりますので、要領よくひとつお答え願いたいと思います。  年来の不況で一般の就職がきわめて厳しい状態の中で、国家公務員に志望する人が非常に多い状態でございますが、その国家公務員の試験もますます厳しくなってきております。そこで公務員の資格試験について、若干お伺いしたいと思います。  国家公務員の採用試験合格者数の枠の基準でございますけれども、これはどのようにして決定してあるのかということがまず第一点であります。これは合格点なのか、あるいは前年度の採用数というものが基準になっておるのかということです。この点についてお伺いしたいと思います。
  290. 藤井貞夫

    ○藤井(貞)政府委員 一般的な問題で私からまずお答えを申し上げまして、あとは専門の任用局長が参っておりますので任用局長からお答えをいたします。  いまお話がございましたように、国家公務員の関係では、欠員が生じましたりあるいは新しいポストができるということに相なりますと、それに充員をいたしますために試験を実施いたすわけでございます。この試験の性質と申しますか、いまの法律制度のたてまえでは任用試験というふうに相なっておるわけでございます。欠員があればこれを充員する、あるいは新しい仕事ができましてそれに充てるための増員が行われるという場合に、これに充ててまいりまするために試験を行っておるということでございますが、これを任用試験というふうに申しておるわけでございます。いま先生お話しになりましたように、一種の資格試験のような形をとっておりますけれども、これは正確に申しますと、資格試験というのではなくて、任用のための試験というふうに相なっておるわけでございます。これは、その任用の資格、任用いたしまする職務に従いましていろいろの試験の種類がございます。一般の試験ということに相なりますと、これだけでも初級試験それから中級試験それから上級試験というふうに相なっておりまして、それぞれの試験に応じてまたそれぞれのやり方をやって今日まで来ておるわけでございます。このやり方等につきましては、毎年の実績その他に応じていろいろ改善の措置を講じてまいってきておりまするけれども、それらの点につきましては、いろいろ問題点がございますものにつきまして改善の措置を講ずるということについてはやぶさかではないという態度で今後ともやってまいりたいというふうに考えております。
  291. 権藤恒夫

    権藤分科員 私、申し上げたいことは、前年度の採用の枠というものが基準になっているように思うわけでございますが、かなりその試験には合格しても採用される方が少ないですね。五十年度の例をとってみますと、中級試験で、九州の方では九十人合格されております。けれども、採用されたのは四十九名。北海道、合格者九十七名で、採用が六十名ということなんですね。こういう各事務局別のアンバランスがあるわけなんです。こういうことはやはり平等性という観点から不公平じゃないかと思うわけなんです。合格者の枠の洗い直しといいますか、そういう点についてもう一段と考えていかなければならない、こういうふうに私は思うわけでございますが、この点につきまして御意見を承りたいと思います。
  292. 今村久明

    ○今村(久)政府委員 お答えいたします。  ただいま権藤委員の方から御質問ございましたが、まず最初に、公務員の採用試験の性格につきましては、ただいま総裁の方から述べましたとおりでございますが、ちょっと補足させていただきますと、この採用試験の性格は資格試験ではございません。資格試験ではございませんという意味は、資格試験でございますと一定の資格、あるいは技術的な免許、あるいは一定の学力というようなものの水準を決めまして、そしてその水準以上の者を合格させるというのが資格試験でございますが、私どもの行っております採用試験というのは全くそういうものでございませんで、要するに欠員の官職を補充するということでございます。したがいまして、その欠員数、これが基準になりまして、欠員者の数をもとにしまして合格者の数を決めていくということになります。  したがいまして、欠員の数というのは、先ほど前年度の枠があるじゃないか、こういうお話がございましたが、ただいまのところ大体前年度に近い数字が出ておりますけれども、別に前年度の枠で決めるということではございませんで、新年度に生ずる欠員の数を各省庁で予測いたします。これは採用予定数と申してございますが、この採用予定数の報告を私ども人事院で求めまして、これを累積しまして合格者数の一つの基準にするということにしておるわけでございます。その場合に、そういうことでございますので、採用予定数というものは年によって変動があるわけでございまして、問題は、最近のところではおっしゃるようにその変動の幅がわりに少のうございますけれども、応募者の方が先生御存じのように最近非常にふえておりますので、非常に競争が高いという状況が生じておるわけです。  問題は、ただいま地域差のようなお話がございましたが、初級試験の場合が非常にその問題があるわけでございますけれども、初級試験の場合は高校卒業程度の試験でございます。したがいまして、年齢が低い者でございますので、どうしても希望者も大体地元の官署に就職したいという希望があるわけでございます。また、採用官庁側もできるだけ地元の者を採用したいという希望があるわけでございます。したがいまして、地域によりましてその需給関係が非常に違っておりまして、端的に申し上げますと、九州とか東北とかは、需給関係といいますか、需要が少なくて供給が多いという状況がございますし、関東とかあるいは近畿とか大都市のところでは逆でございまして、需要は多いけれども供給が少ないという状況がございまして、この格差が実は非常に大きいのでございます。したがいまして、それぞれの地域で地元採用するという原則に立ちますと、どうしてもそこで競争率の高いところと低いところで合格者の最低得点である合格点が違ってくるということが出ます。これが資格試験でございますと、おっしゃるとおり全国統一的に切れるのでございますけれども、地域試験でございますので、やはり地元採用に結びつけて試験をやっていくということになりますと、どうしてもこうした合格点の差が生ずることはやむを得ないというふうに私ども考えておる次第でございます。
  293. 権藤恒夫

    権藤分科員 もう答弁の方がどんどん先行されますので、申し上げることがないようになりましたけれども、概略だけ申し上げます。  いまおっしゃいましたように中級と初級の採用率にかなり差がありますので、ここのところはもう少し検討を加える必要があるのじゃないかというふうに思います。  それと、初級は非常に応募者が多いわりに採用率が少ないということでございますが、資料を見てみますと、これは人事院の白書なんでございますが、この中で学歴別で見てみますと、大学卒が二三%、それから短大卒が一一・四%、こうなっております。ところが、民間に例をとりますと、民間は大学卒が一二%、短大卒が五・二%であるわけなんです。ですから民間と比較しますと、かなり公務員の高学歴化が進んでおるということが言えると思うわけであります。したがいまして、平均年齢も三十九・八歳になっておる。こういうことから考えますと、もう少し初級の採用率をこの際高めていってはどうか、こういうふうに私は一般的に思うわけでございますが、この点はいかがでございましょうか。
  294. 今村久明

    ○今村(久)政府委員 ただいまお話にございました高学歴化の問題でございますが、御指摘のように最近高学歴化の現象が非常に顕著でございます。これは一般的に教育水準の向上といいますか、高等教育機関への進学率が非常に高くなっておりますので、供給構造そのものが非常に変わっておるという状況があるわけでございまして、それが反映いたしまして、私どもの試験で申しますと、上級試験、これは大学卒業程度の試験でございますが、実はここでは理工系では五割以上が大学院の関係者、つまり大学卒業程度といいますけれども、大学院へ進む者が過半数を占めておるというような状況がもうすでに生じております。  それから中級試験で申し上げますと、これは短大卒業程度の試験でございますが、実はこの合格者は九割台まで大学卒業見込みの者あるいは大学卒業者であるというような状況であります。初級にも若干大学関係者が入ってきておるというような状況がございまして、いまのような進学率の向上の状況が続き、かつ採用関係におきまして、民間の方でかなり採用手控えがあるやに聞いておりますが、そういう関係で公務員の方へ流入する労働力が非常に多いわけでございますが、こういう状況が進みますと、どうしてもこの高学歴化の供給状況というのを受けていかなければいかぬということで、私どもそれを一つの問題点としまして、いままで大体大ざっぱに申し上げますと、大学卒業者は比較的少なく採り、高校卒業者をたくさん採るという考え方でやっておりましたけれども、なかなかそうも言っていられないではないかということで、いまいろいろと検討しておる最中でございます。
  295. 権藤恒夫

    権藤分科員 ぜひとも、いろいろむずかしいこともあろうと思いますけれども検討してほしいということです。  それから、欠員の補充をするたびに地域別の差があるのはいたし方ないというお話でございますけれども、そういうことがありまして、やはり地方から都会へ相当受験をするために出ていくという傾向もあるわけなんです。やはり御承知のとおり、特に北海道、東北になりますと、九州あたりもそうでございますが、北九州を除きましては、もうそれでなくても都会への人口流出というのが激しいわけですね。そういうことから考え合わせまして——試験は全国一律の同一問題でございます。しかしながら、地域別によって欠員の問題で差があるということ、したがって合格点も違ってくる。ある場合には七十点でいいかもわかりませんし、ある場合には八十点以上取らなければならぬということになると思うのですが、そういうことは機会均等という意味から私ども若干理解しにくいわけなんです。等々考え合わせていきまして、やはり過疎対策を何とかしていこうということで、地域で育った人が地域にとどまるように、地方公共団体だっていろいろ工夫しておるわけなんですね。だから、やはりこの過疎対策というのは国策でもございますし、そういう点からもう少し配慮して、そして地元に優秀な人材がとどまるような、国策に沿う施策をひとつぜひともしてほしい、こういうふうに私は思います。これは要望しておきます。そういう声が強いということをひとつ御認識いただきたいと思うのです。  それから、合格しましてから採用されるまでのいわゆる採用候補者名簿の有効期間の問題なんですが、これはあなたの方から資料をいただいております中にるる説明がしてあります。それを見てよくわかるのですけれども、やはり初級の一年というのは若干短いのではないか、こういうふうに私ども考えますので、これを是正される、いや是正ということよりも延長されるお考えがおありかどうか、ひとつ御答弁願いたいと思います。
  296. 今村久明

    ○今村(久)政府委員 採用候補者名簿の有効期間についてのお尋ねでございますけれども、ただいま御指摘のように、初級関係につきましては有効期間が一年ということにいたしておるわけでございます。  実はこの関係は、従前二年であったわけでございますが、一年にしたわけでございますけれども、これは候補者名簿二年のときに、どうしても二年間の二年目の、一年以上経過した後で採用されるという者が非常に少ないということになります。そしてしかも、名簿にやはり載っておりますと、どうしてもこれは人情といたしまして、採用されるであろうという希望を持つわけでございます。したがいまして、どうしても採用に結びつかない状況が出ますと、この試験は採用試験と言いながらなかなか採用されないじゃないかという苦情もございまして、やはり従前の実情に合わせまして、そこで一年間の有効期間にするという改正に踏み切ったわけでございます。  そこで、改正に踏み切ったばかりでございまして、ただいま先生がまた二年に延ばしたらどうかというお話がございましたけれども、私どもとしましては、いまの一年間というのがいわば実情に即した措置と考えておりますので、この状況を見守ってまいりたいというふうに思う次第でございます。
  297. 権藤恒夫

    権藤分科員 それから、これは昨年の十一月の新聞なんですけれども、九州で今回二十六人の方が資格失効——資格と言えば先ほどの話でございますけれども、失効しておるわけなんですね。その人たちに対しましては非常に気の毒だと思うわけなんです。いろいろ、いつ通知が来るかということを楽しみにして待ちながら、アルバイトだとかいろいろなことをしておったわけなんですけれども、最終的には取り消しになったということなんですね。学校もやはり非常にショックを受けておるわけなんです。本人はもちろん当然のことなんですけれども。そういうようなことでございますので、やはり合格者というものは極力採用に持っていくようにひとつ、御苦労であろうと思いますけれども、努力をしてもらいたいと強くお願いしたいわけなんです。  年々、総定員法だとか、採用者枠が厳しくなっていく中で今後どういうふうにして合格から採用まで持っていくか、そのことについていろいろとお考えがあろうと思いますけれども、その点についてお伺いしたいと思います。
  298. 今村久明

    ○今村(久)政府委員 ただいま九州関係の採用状況のお話が出ましたわけでございますが、私ども、こうした採用試験に合格しまして、そして採用候補者名簿に載りながら、なかなか各官署に就職できないという方がおられるものですから、その点は人事院の各地方事務局がこれを担当してございますけれども、担当の者が各官署の方にも連絡をし、非常に努力をしておることはしておるわけでございます。同時に、合格者に対しましては採用希望の有無というものにつきましてその意向を明らかにする意向届というものを出すようにということで、いわば義務づけてやっておるわけでございますが、その意向届を見まして、そして合格者の意向状況というのを把握いたしまして採用官庁の方と連絡をとりながら採用に結びつけるような努力をしておるわけでございます。  ところが、最近非常に厳しい状況がございまして、その採用がなかなかスムーズにいっていないという面が一部にあるやに聞いておりますけれども、ただその場合でも、本人が採用官署の希望を、たとえば通勤の範囲でなければいやだとか、どこの省庁でなければいやだということを言わないで、もう少し弾力的に考えていただければまたやりようがあるのでございますが、若い女子等の方ですと、自宅から通勤できる範囲とか、どこの省庁はいやだとか、いろいろ希望がございまして、なかなかそこがかみ合わない。中には、採りたいと思っている官署でも、なかなか人が来てくれなくて困っているというところも実はあるわけでございます。その辺のところの組み合わせがうまくまいりますと非常によくいくのですけれども、そこがなかなかうまくいかない場合がいまのようなケースだろうと思います。  私ども、そういうことで、関係者と連絡をとりながらやっておりますので、またさらに努力を続けてまいりたい、かように考えております。
  299. 権藤恒夫

    権藤分科員 御苦労なさっていることは、よく私も承知しておるつもりでございます。しかしながら、学卒者あるいは新卒者は非常に期待をしているわけでございますから、その挫折感は非常に大きなものだと思います。そういうことから、今後、各省庁から来る採用予定数というかそれと、実際採用する員数、それの把握をもう少し厳密にやる必要があるのじゃないか。厳しくされるということになると思うのですけれども、これはやはり採用されるのだということを予定しておりながら、その挫折感から比べますと、はるかにそちらの方が精神的にも楽じゃないかと思います。そういうことから思い合わせまして、もう少し実際に即した実情の把握をしてほしい。人事院、各省庁のいわば見通しの甘さについて、私は反省してほしいと思うわけです。  そういうことを最後に要望いたしまして、もう時間も遅いようでございますから、これで質問は終わりたいと思います。
  300. 藤井貞夫

    ○藤井(貞)政府委員 いまのお話は、全くもっとも至極のことでございます。われわれといたしましては、その点、せっかく試験を受けた、非常に純真な、また前途大変有為であるべき青年でございますので、その挫折感を呼び起こすようなことは絶対に避けなければならぬという気持ちでいままでやっております。  ただ、いろいろな条件がございますし、環境もございまして、なかなか所期の目的どおりにはまいらないという点がございますことは、先生も十分御承知のとおりでございますけれども、われわれといたしましても、その点の格差をできるだけつづめるように今後とも努力をしてまいりたい、かように考えておりますので、よろしく御協力をお願い申し上げます。
  301. 権藤恒夫

    権藤分科員 以上です。
  302. 木野晴夫

    木野主査 速記をとめて。     〔速記中止〕
  303. 木野晴夫

    木野主査 速記を始めて。  安井吉典君。
  304. 安井吉典

    安井分科員 北海道開発計画等につきまして、若干伺いたいと思います。  その前に、北海道総合開発計画といえども、いわゆるいま策定中の三全総の中の一部であるはずでありますので、三全総が策定時期がおくれているということも伝えられているわけでありますが、なぜおくれているのか。各自治体の方は三全総待ちというようなかっこうで、早くかっこうを見せてほしいという希望があるわけであります。待ち切れずにそれぞれの計画が着手されているというふうな状況もあります。現在の作業状況はどうなっているか、見通しはどうか、その点から伺います。
  305. 宇都宮寛

    ○宇都宮説明員 三全総につきましては、御承知のとおり昭和五十年十二月に第三次全国総合開発計画概案というものを取りまとめた次第でございます。その概案によりますと、人口定住構想に基づきます総合的な整備ということを考えておるわけでございまして、そのような基本的な方向に沿って、現在、鋭意検討中でございます。  それで、大体現在の計画といたしましては、六月か七月ごろには事務当局としての原案を取りまとめまして、その後、国土総合開発審議会の御意見を徴したり、各方面の御意見を伺いまして、本年秋には策定をしてまいりたいというふうに考えております。
  306. 安井吉典

    安井分科員 現在その概案に基づいて各地方の意見をまとめている、いわゆるアンケートをやっているというふうなことも伝えられておりますが、その辺はどうなっていますか。
  307. 宇都宮寛

    ○宇都宮説明員 先生御指摘のとおり、三全総は当然地域の特性を生かしたものでなければなりませんので、都道府県知事あるいは市町村長の御意見を徴すことといたしておりまして、全国三千二百七十九の市町村長及び特別区の首長に対しまして意見を照会いたしました。すでに三千を超す首長から回答を得ております。現在分析中でございます。また、都道府県知事に関しましては、先般知事の意向を照会いたしまして、現在取りまとめ中でございます。
  308. 安井吉典

    安井分科員 三全総の中で、北海道開発法に基づく北海道総合開発計画あるいは地方自治法に基礎があると思うのですけれども、北海道知事が北海道発展計画というような名前で計画を進めつつあるようであります。これらと三全総との関係をどうとらえていけばよろしいのですか。
  309. 宇都宮寛

    ○宇都宮説明員 もちろん北海道総合開発計画は国の計画でございますし、三全総も国の基本的な開発の計画でございます。両者間の整合性は十分確保されなければなりませんので、北海道の意向を初め北海道開発庁とも十分調整をとりまして、三全総とも調整のとれたものといたしたいというふうに考えております。
  310. 安井吉典

    安井分科員 そうしますと、策定の時期についてはちぐはぐになっては困るから、同じようにそろえなければいけない、そうお考えですか。
  311. 宇都宮寛

    ○宇都宮説明員 策定の時期につきましては、必ずしも一緒でなければならないとは考えておりません。中身につきまして十分調整のとれたものといたしたいというふうに考えております。
  312. 安井吉典

    安井分科員 三全総の基本的な考え方で、社会開発や福祉を優先させるとか地方都市の整備だとか、農村整備の総合ビジョンだとかいままで発表されたものもあるし、そういう報道もなされたものもあるわけでありますが、三全総における基本的な考え方の要点といいますか、それはどういうことですか。
  313. 宇都宮寛

    ○宇都宮説明員 三全総は、エネルギー問題とか食糧問題を初めとする厳しい国際情勢、あるいは国民の生活に関する意識の変化、国土資源の有限性の顕在化、あるいは安定成長軌道へのわが国経済の移行という新しい時代の中で、人口定住構想に沿って、国民の安定感のある健康で文化的な居住の総合的環境を計画的に整備することが基本的目標であると考えております。このために住宅等の整備、食糧、エネルギーの確保、国土の保全、地方都市の整備等、国民生活の安定と安全を確保することを重要な計画課題として策定をしてまいりたいというふうに考えております。
  314. 安井吉典

    安井分科員 大体大まかな考え方がそれで浮かんでくるわけですが、しかし、具体的なものを見せていただかなければ議論の対象になりませんけれども、そういう三全総の考え方に一つの基礎を置きながら、北海道開発計画の問題にだんだん論点を移していきたいと思うのです。  総務監理官がおいでですからひとつお答えをいただきたいわけでありますが、現在策定のスケジュールはどうなっているか。さらに昨年は、ことしの四月ごろにはもうできていることになっていたのがおくれているわけであります。その原因はどこにあるか、それらも含めてお答えいただきたいと思います。
  315. 黒田晃

    ○黒田政府委員 新計画の現在策定のスケジュールでございますが、御存じのように四十九年の秋に北海道開発審議会から、こういういわゆる経済の激動する社会情勢、経済情勢に合うような計画をもう一度考え直すべきじゃないかというような提案を受けまして、その後ずっと引き続いて検討を進めてきておる次第でございます。現在、北海道開発審議会の中にいろいろな部会を五つ設けまして、そこで現状の分析並びに今後の北海道開発の課題というようなものを検討を進めておるわけでございまして、私どもといたしましては、大体そういう検討を踏まえまして、本年の七月ごろまでに大体概案というようなものをつくってまいりたいというように考えておる次第でございます。  片一方、開発法三条に基づきまして、地方自治体が国に意見を申し出ることができるようになっておるわけでございますが、現在、道においてそれの意見についていろいろ検討しているところでございまして、いずれその意見が出てまいるだろうと思います。そういう意見を十分尊重いたしまして、概案を成案といたしまして五十三年度発足ができますように、できるだけ早い機会に計画を取りまとめてまいりたいというように考えておるわけでございます。  次に、当初五十二年発足というような形で検討をしてまいったわけでございますが、現状におきましてなかなか将来の日本の社会情勢、経済情勢を見きわめるということが困難な状況にあったわけでございまして、そういうようなことをいろいろ検討分析するということに時間がかかっておりまして、五十三年度発足というような次第になっておる次第でございます。
  316. 安井吉典

    安井分科員 三全総がおくれているのと、北海道開発計画がおくれているのと同じ理由なんですか。そのペースを一緒にしようということでそうなっているわけですか。
  317. 黒田晃

    ○黒田政府委員 理由は、やはり日本の経済の将来の方向というようなものをなかなか見つけ出しにくいという世界経済の情勢の中であるということでは一致しておると思うわけでございますけれども、先ほど国土庁からも御説明がございましたように、それを合わせるというようなことよりも、私どもといたしましては、これは予算に関連する事項でもございますから、五十三年度発足に間に合うようにできるだけ早い機会に設けてまいりたいというように考えておる次第でございまして、国土庁はまた三全総という立場で一つの日本の将来の形をつくるわけでございますから、これはまた先ほどお話がございましたように、できるだけ早く——先ほど秋ごろという話がございましたように、でき上がる時期というのは必ずしも合わなくてもいいんじゃないかというように考えております。
  318. 安井吉典

    安井分科員 黒田監理官に伺いますが、いまの段階でも大体フレームはできているのではないかと思うのですが、現在の作業はどういう段階ですか。
  319. 黒田晃

    ○黒田政府委員 先ほど申し上げましたように、五つの分科会でいろいろ検討をしておる段階でございまして、まだフレームそのものを私どもの方で、こういうフレームでまず枠を設けていくのだという段階にまでは至っていないのが現状でございます。
  320. 安井吉典

    安井分科員 現在、北海道では道段階で第三期総合開発計画の見直しから始めて、六十年代の北海道を展望する新長期計画というまとめの作業が一応の段階に来て、いま開かれている北海道議会に提示されているということのようであります。北海道議会でもいま国がやっている計画もあるし、道の計画もあるし、いわゆる新長期計画というのは一本なのか二本なのかという論議があるそうでありますが、その二つの計画関係はどういうふうにとらえておられますか。
  321. 黒田晃

    ○黒田政府委員 現在、北海道において新しいといいますか、長期計画の策定作業を進めておるということでございますが、この計画につきましては、地方公共団体としての道が道としての総合行政の指針とするため作成しているものというように私どもは伺っておるわけでございます。したがいまして、開発法に基づきまして国がつくる計画とは性格的に、また本質的に違うというように私ども考えておるわけでございます。  しかし、開発の対象区域が北海道という同じ地域でございます。したがいまして、その基本的な方向においては当然一致していなければならないわけでございまして、私どもといたしましては国の立場、また道としては地方自治体の立場、両方を総合いたしまして、総合開発が円滑に推進し、効果を発揮するように図ってまいりたいというように考えておる次第でございます。
  322. 安井吉典

    安井分科員 道のいまの計画策定の段階で、北海道開発庁として意見を述べたり、協力をしたりしたことになっているのかどうか。そうだとすれば、どういうふうな形でなされたか、それを伺います。
  323. 黒田晃

    ○黒田政府委員 いわゆる道の自治体としての独自の計画でございます。したがいまして、私どもといたしましては、大筋といたしましてはその問題についてどうこうという意思表示はしていないわけでございます。  ただ、いわゆる道計画といたしまして、当然国の投資という問題が出てまいるであろうと思うわけでございます。これにつきましては、若干今後いろいろな面が出てきて、国がどれだけ道の総合開発、いわゆる道計画に対して期待するかという面については、今後検討課題として残されておるように思います。
  324. 安井吉典

    安井分科員 それはまあ、投資の問題についてはそういうつながりが出てくるのは当然だと思うのですけれども、私が特に伺いたいのは、先ほどフレームがまだできていない、こう言われたが、北海道発展計画の方は一応のものができているわけですね。そしていまもおっしゃったように、対象は全く同じものであるわけです。道という自治体がつくろうと国がつくろうと、同じ対象を客体として作業をしているということになるはずです。ですから、たとえば経済成長率の見通しだとか、とりわけ人口をどれくらいに置くとか、その他枠組みの相当部分で一致していないとおかしいと思うのです。いまの御答弁ですと、別々なものでいいんだということですが、それも一つの考え方かもしれませんけれども、たとえば人口が、道の計画と国がこれから策定される計画と違っているということもあり得る、そういうようなことですか。その点、どうですか。
  325. 黒田晃

    ○黒田政府委員 先ほど、国の計画と地方自治体の計画ということで相違があるというお話を申し上げたわけでございますが、その中で大きな食い違いは恐らく出てこないだろうという感じがするわけでございます。人口の問題につきましても、現在、道がある仮定のもとに作業を進めておると思うわけでございますけれども、私どもといたしましても、北海道の開発と、それから先ほどのいわゆる日本の将来の人口定住構想という国の立場からどれだけ北海道が分担すべきであるかという問題があるわけでございます。したがいまして、私どもといたしましては、現在の段階では、北海道の人口を少なくとも封鎖人口以上に持っていかなければならないだろう、十カ年計画でございますから、十年後には封鎖人口プラスアルファといいますか、そういうようなものが最小限なければいけないのだろう。ただ、そのプラスアルファをどれだけにやるかというのがいわゆる今後の課題として、人間を集めるというばかりじゃなしに、それに伴いますいわゆる職の問題あるいは生活環境の問題、そういうような問題も当然付随してくるわけでございますので、今後の検討に残されるわけでございますが、そう大きな差は出てこないだろうというように感ずる次第でございます。
  326. 安井吉典

    安井分科員 いま監理官のお話の中で私ちょっと気にかかるのは、道の方で策定しているように見えますとか、何かよそよそしいかっこうを国の方でしておかなければ都合が悪いような御発言なり態度なのがちょっと気にかかるのですがね。いずれにしても、手っ取り早く言えば、道の新しい計画と大体似たようなものになるのではなかろうかと思うのですね。そうしてまた、自治体側の意見を聞くことになっているわけですが、その有力な意見開陳の材料ということでそれがそっくりそのまま提示されるのではないか、そうも思うのです。  大臣、いま議論していたのは、北海道がつくっている計画と、それから北海道開発庁がつくっている計画と、それからもう一つ三全総もあるわけですが、同じ北海道という客体を対象にしながら三つできるわけですよ。そのものの関連を伺っていたわけなのですが、北海道でいまつくられている計画を、特に大臣には、新しく北海道開発庁が策定する計画にどの程度取り入れ、どの程度尊重するのか、そのことなのですが、どうですか。
  327. 小川平二

    ○小川国務大臣 北海道の計画は地方公共団体としての北海道のいわば行政指針とも申すべきものでございましょうから、国の計画とは性格に若干の相違があると存じまするけれども、北海道の方で計画を策定いたしました段階で、国の方に内容の説明があるはずでございまするから、そのときに計画の内容等についても十分聴取いたしまして、取り入れるべきものは取り入れていく、こういうことになると存じます。
  328. 安井吉典

    安井分科員 計画の開陳があると言ったって、もう私らのところまで、こんな厚いやつがみんな来てますよ、まだ案ですけれども。ですから、開発庁だって、自分の作業している中に一つの重要な資料としてもうすでに入っているのじゃないかと思うのですね。何か、向こうは向こう、こっちはこっちと違うようなポーズをしなければいけないような、そんなふうに私は受けとめるのですが、それはどうですか。
  329. 小川平二

    ○小川国務大臣 先ほど来監理官からお耳に入れているのではなかろうかと存じまするが、フレームについてはまだ決定をいたしておりませんけれども方向においてはこれはほぼ一致するものと期待をいたしております。
  330. 安井吉典

    安井分科員 そこで、いわゆる苫小牧東部開発の計画あるいは石狩新港等のいわゆる大規模プロジェクトの置き方なのですが、高度成長政策の申し子みたいであった現行計画の中のプロジェクト、ですから今度は徹底的な見直しがなければならぬと私は思います。現在の計画の根本的な理念が、新しい計画と違ってこなければいけないと思うのですね。特に大規模プロジェクトの置き方ですね、もう一度見直さなければいけないということは明らかではないかと思うのですが、どうですか。
  331. 小川平二

    ○小川国務大臣 お言葉のように、経済の環境、社会環境、相当な変化が生じておるわけでございますから、新たな環境に適応させるという趣旨で計画を策定する必要があると存じます。御指摘の大規模プロジェクトというような点につきましても、こういう世の中になってきておるわけでございまするから、環境の保全ということに十分意を用いて策定さるべきは当然だと考えております。
  332. 安井吉典

    安井分科員 それじゃ苫東ももう一度基本的な見直しが行われる、こう受けとめていいわけですね。
  333. 黒田晃

    ○黒田政府委員 北海道の開発につきましていろいろ議論があるわけでございますが、一つには、私どもといたしましては、あの北海道の自然な豊かな環境をいかにして保全していくかという問題が一つあろうと思います。それからもう一つには、北海道の経済またわが国の経済をある程度発展を維持していくためには、やはり新たな産業の開発というようなものも必要であろう、また増加する人口を北海道が分担するというようなことである程度の人口分担をしなければならない、こういうような三つの課題があるだろうと思うわけでございますが、そういう課題を達成することによって、私どもはそういう住民の福祉、地域の問題というようなものになってくるんじゃないか、先ほど申しました三つの課題を実現することによって、北海道のそういう問題が実現していくんじゃないかというように考えております。  したがいまして、御指摘の大規模開発、特に苫小牧東部ということでございますが、苫小牧東部につきましては、現在全体の構想、先生御存じのように六十年代という大きな構想があるわけでございますが、その全体の構想につきましては現在見直しの作業を進めておるわけでございまして、どういう形で新しい計画の中でそれが出ていくかということはまだはっきりしていないわけでございます。見直しの検討を踏まえまして、十分新しい計画に反映をしてまいりたいというように考えておる次第でございます。
  334. 安井吉典

    安井分科員 もう一つ、北海道開発法そのものがいまの新しい社会開発などの側面が欠落している、沖繩開発法などと比べて一昔前のものであって、そういう点について改正が必要ではないかという声が相変わらずあります。  それからもう一つ、福田首相が行政改革論を打ち出して、これは総理そのものが言ったのかどうか知りませんし、いろいろな報道が乱れ飛んでいるわけですから、どこまでがどうかわかりませんけれども北海道開発庁などというふうな形で改廃が報ぜられたりしています。そして小川長官も記者会見でその問題について発言もされているという報道も見たわけでありますが、法律の問題と役所の問題と、この二つについて伺っておきたいと思います。
  335. 小川平二

    ○小川国務大臣 開発法に基づきます国の計画、これは食糧あるいは基幹的工業生産の基盤を養う、あるいはまた人口定住、国土の利用を実現するという趣旨で策定をいたすわけでございますが、これらの観点から実行いたしまする施策というものは、究極において、良好な生活環境を形成して、地域における住民福祉の向上と安定に役立つものと信じておるわけでございます。  それから、行政機構の改革につきましては、総理その他あるいは行管長官北海道開発庁の改廃ということに触れた公式発言というものは一度もないわけでございまして、今日北海道開発の意義依然としてこれはきわめて重要な問題だと存じておりまするし、北海道の開発あるいはこの水準の引き上げという仕事、まだまだこれから大いに努力する余地を残しておると存じまするので、私といたしましては、今回企図されておりまする行政機構改革の際に北海道開発庁を廃止するというようなこと、万々あってはならないことだと考えております。
  336. 安井吉典

    安井分科員 それじゃ最後に一つだけ、地熱開発利用の促進について、北海道市町村地熱資源開発利用促進協議会というふうな組織ができて盛んに活動を続けているのは、地熱というような問題に北海道という一つの地の利があるということからの問題提起だと思うのですが、新しい計画の中にももう少しこういう面を織り込んではどうかということであります。そしてこの間も層雲峡の地熱開発の問題について非常に熱心な問題提起を私も聞いておりますけれども、調査の段階だと思いますが、今後それらについてどうお考えになっているか。つまり、総体的な問題と層雲峡の問題とこの二つに分けてお答えください。
  337. 小川平二

    ○小川国務大臣 新しい計画には、地熱発電の問題もとより取り入れておるわけでございます。北海道は有数の地熱包蔵地帯でございますので、総合開発の観点から地熱の開発利用についての調査を進めておるわけでございますが、白水沢におきましてはこういう調査の一環として四十八年度から発電及び熱水の多目的利用ということを目的に調査をいたしましたけれども、発電利用につきましては、御高承のとおり国立公園の公園計画との調整ということが必要になっておりまするし、また、発電を除きました場合は特に経済性という点について問題が出てきているというようなわけでございますが、五十二年度におきましては北海道庁あるいは関係省庁とも御相談をしつつ、制度の面の検討を含めて開発の可能性について引き続いて調査をしてまいりたいと、こう考えておるわけであります。
  338. 安井吉典

    安井分科員 その調査の予算はきちっとしていますね。
  339. 黒田晃

    ○黒田政府委員 現在までも四十八年度から白水沢について調査をしてきておるわけでございますけれども、先ほど長官から話がありましたように、一つには国立公園の問題、それからその中で発電所をつくっていくという問題、それから、仮にそれができない場合には経済性ということでございまして、予算的にも、私どもの方で国の金と、それから道とも打ち合わせをいたしまして道の方も予算を計上することになっておるわけでございまして、そういう点ではっきりとした予算措置のもとに今後検討を進めていくということになっておるわけでございます。
  340. 木野晴夫

    木野主査 次回は、明十五日火曜日午前十時開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後七時二十一分散会