運営者
Bitlet
姉妹サービス
kokalog - 国会
yonalog - 47都道府県議会
nisalog - 東京23区議会
serelog - 政令指定都市議会
hokkaidolog - 北海道内市区町村議会
aomorilog - 青森県内市区町村議会
iwatelog - 岩手県内市区町村議会
miyagilog - 宮城県内市区町村議会
akitalog - 秋田県内市区町村議会
yamagatalog - 山形県内市区町村議会
fukushimalog - 福島県内市区町村議会
ibarakilog - 茨城県内市区町村議会
tochigilog - 栃木県内市区町村議会
gunmalog - 群馬県内市区町村議会
saitamalog - 埼玉県内市区町村議会
chibalog - 千葉県内市区町村議会
tokyolog - 東京都内市区町村議会
kanagawalog - 神奈川県内市区町村議会
nigatalog - 新潟県内市区町村議会
toyamalog - 富山県内市区町村議会
ishikawalog - 石川県内市区町村議会
fukuilog - 福井県内市区町村議会
yamanashilog - 山梨県内市区町村議会
naganolog - 長野県内市区町村議会
gifulog - 岐阜県内市区町村議会
sizuokalog - 静岡県内市区町村議会
aichilog - 愛知県内市区町村議会
mielog - 三重県内市区町村議会
shigalog - 滋賀県内市区町村議会
kyotolog - 京都府内市区町村議会
osakalog - 大阪府内市区町村議会
hyogolog - 兵庫県内市区町村議会
naralog - 奈良県内市区町村議会
wakayamalog - 和歌山県内市区町村議会
tottorilog - 鳥取県内市区町村議会
shimanelog - 島根県内市区町村議会
okayamalog - 岡山県内市区町村議会
hiroshimalog - 広島県内市区町村議会
yamaguchilog - 山口県内市区町村議会
tokushimalog - 徳島県内市区町村議会
kagawalog - 香川県内市区町村議会
ehimelog - 愛媛県内市区町村議会
kochilog - 高知県内市区町村議会
fukuokalog - 福岡県内市区町村議会
sagalog - 佐賀県内市区町村議会
nagasakilog - 長崎県内市区町村議会
kumamotolog - 熊本県内市区町村議会
oitalog - 大分県内市区町村議会
miyazakilog - 宮崎県内市区町村議会
kagoshimalog - 鹿児島県内市区町村議会
okinawalog - 沖縄県内市区町村議会
使い方
FAQ
このサイトについて
|
login
×
kokalog - 国会議事録検索
1977-02-17 第80回国会 衆議院 本会議 第5号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
五十二年二月十七日(木曜日) ――
―――――――――――
議事日程
第五号
昭和
五十二年二月十七日 午後零時三十分
開議
第 一
皇室会議予備議員
の
選挙
第 二
皇室経済会議予備議員
の
選挙
第 三
検察官適格審査会委員
及び同
予備委員
の
選挙
第 四
国土総合開発審議会委員
の
選挙
第 五
東北開発審議会委員
の
選挙
第 六
九州地方開発審議会委員
の
選挙
第 七
四国地方開発審議会委員
の
選挙
第 八
中国地方開発審議会委員
の
選挙
第 九
北陸地方開発審議会委員
の
選挙
第 十
首都圏整備審議会委員
の
選挙
第十一
豪雪地帯対策審議会委員
の
選挙
第十二
離島振興対策審議会委員
の
選挙
第十三
国土開発幹線自動車道建設審議会委員
の
選挙
第十四
台風
常
襲地帯対策審議会委員
の
選挙
第十五
北海道開発審議会委員
の
選挙
第十六
日本ユネスコ国内委員会委員
の
選挙
第十七
鉄道建設審議会委員
の
選挙
第十八
昭和
五十一年度の
水田総合利用奨励補
助金
についての
所得税
及び
法人税
の臨
時特例
に関する
法律案
(
大蔵委員長提
出) ――
―――――――――――
○本日の
会議
に付した案件
議員請暇
の件
日程
第一
皇室会議予備議員
の
選挙
日程
第二
皇室経済会議予備議員
の
選挙
日程
第三
検察官適格審査会委員
及び同
予備委
員の
選挙
日程
第四
国土総合開発審議会委員
の
選挙
日程
第五
東北開発審議会委員
の
選挙
日程
第六
九州地方開発審議会委員
の
選挙
日程
第七
四国地方開発審議会委員
の
選挙
日程
第八
中国地方開発審議会委員
の
選挙
日程
第九
北陸地方開発審議会委員
の
選挙
日程
第十
首都圏整備審議会委員
の
選挙
日程
第十一
豪雪地帯対策審議会委員
の
選挙
日程
第十二
離島振興対策審議会委員
の
選挙
日程
第十三
国土開発幹線自動車道建設審議会
委員
の
選挙
日程
第十四
台風
常
襲地帯対策審議会委員
の選 挙
日程
第十五
北海道開発審議会委員
の
選挙
日程
第十六
日本ユネスコ国内委員会委員
の選 挙
日程
第十七
鉄道建設審議会委員
の
選挙
日程
第十八
昭和
五十一年度の
水田総合利用奨
励補助金
についての
所得税
及び
法人税
の
臨時
特例
に関する
法律案
(
大蔵委員長提出
)
木原実
君の故
議員水田三喜男
君に対する
追悼演
説
太田一夫
君の故
議員浦野幸男
君に対する
追悼演
説 午後零時三十四分
開議
保利茂
1
○
議長
(
保利茂
君) これより
会議
を開きます。 ――
――◇―――――
議員請暇
の件
保利茂
2
○
議長
(
保利茂
君)
議員請暇
の件につきお諮りいたします。
加藤紘一
君、
佐藤観樹
君、
中馬弘毅
君、
中川嘉美
君、
林義郎
君及び
渡辺朗
君から、二月二十一日より二十八日まで八日間、右いずれも
海外旅行
のため、
請暇
の申し出があります。これを許可するに御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
保利茂
3
○
議長
(
保利茂
君) 御
異議
なしと認めます。よって、いずれも許可するに決しました。 ――
――◇―――――
保利茂
4
○
議長
(
保利茂
君)
日程
第一ないし第十七に掲げました
各種委員
の
選挙
を行います。
瓦力
5
○
瓦力
君
各種委員
の
選挙
は、いずれもその手続を省略して、
議長
において指名せられ、
皇室会議予備議員
、
皇室経済会議予備議員
の
職務
を行う
順序
については、
議長
において定められんことを望みます。
保利茂
6
○
議長
(
保利茂
君)
瓦力
君の
動議
に御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
保利茂
7
○
議長
(
保利茂
君) 御
異議
なしと認めます。よって、
動議
のごとく決しました。
議長
は、
皇室会議予備議員
に 船田 中君 及び
前尾繁三郎
君を指名いたします。 なお、その
職務
を行う
順序
は、ただいま指名した
順序
によることといたします。 次に、
皇室経済会議予備議員
に
田中伊
三次君 及び
荒舩清十郎
君を指名いたします。 なお、その
職務
を行う
順序
は、ただいま指名した
順序
によることといたします。 次に、
検察官適格審査会委員
に
天野
光晴
君
古屋
亨君 楯 兼
次郎
君 及び
沖本
泰幸
君 を指名いたします。 また、
保岡興治
君を
天野光晴
君の
予備委員
に、
山崎武三郎
君を
古屋亨
君の
予備委員
に、
広瀬秀吉
君を楯兼
次郎
君の
予備委員
に、
長谷雄幸久
君を
沖本泰幸
君の
予備委員
に指名いたします。 次に、
国土総合開発審議会委員
に 三池 信君 野田 卯一君 古井
喜実
君
天野
光晴
君 服部 安司君 井上 普方君 村山
喜一
君 岡本 富夫君 及び 内海 清君を指名いたします。 次に、
東北開発審議会委員
に 松沢 雄蔵君 菅波 茂君 竹中 修一君 川口 大助君 及び 武田
一夫
君 を指名いたします。 次に、
九州地方開発審議会委員
に 二階堂 進君
佐藤
文生君 山下 徳夫君 細谷
治嘉
君 及び 大橋 敏雄君 を指名いたします。 次に、
四国地方開発審議会委員
に
加藤常太郎
君 大西
正男
君 今井 勇君 藤田
高敏
君 及び 広沢 直樹君 を指名いたします。 次に、
中国地方開発審議会委員
に
灘尾
弘吉君
加藤
六月君 高村
坂彦君
福岡 義登君 及び
古川
雅司君 を指名いたします。 次に、
北陸地方開発審議会委員
に 坂本三十次君 片岡 清一君 平泉 渉君
古川
喜一
君 及び 西中 清君 を指名いたします。 次に、
首都圏整備審議会委員
に 中野 四郎君 濱野 清吾君
広瀬
秀吉
君 及び 鳥居 一雄君 を指名いたします。 次に、
豪雪地帯対策審議会委員
に
笹山茂太郎
君 箕輪 登君
佐藤
隆君
渡辺
三郎
君 及び 古寺 宏君 を指名いたします。 次に、
離島振興対策審議会委員
に 櫻内 義雄君 白浜 仁吉君 小沢 辰男君 宮崎 茂一君 中村 重光君 大柴 滋夫君 及び 谷口
是巨君
を指名いたします。 次に、
国土開発幹線自動車道建設審議会委員
に
大平
正芳
君
江崎
真澄
君
河本
敏夫
君 竹下 登君 下平 正一君 斉藤
正男
君 宮井
泰良
君 及び 曽祢 益君 を指名いたします。 次に、
台風
常
襲地帯対策審議会委員
に 山中
貞則
君 江藤 隆美君 谷川 寛三君 川崎 寛治君 及び
平石磨作太郎
君 を指名いたします。 次に、
北海道開発審議会委員
に 篠田
弘作
君 本名 武君
田中
正巳君 島田 琢郎君 及び 斎藤 実君 を指名いたします。 次に、
日本ユネスコ国内委員会委員
に
渡辺
紘三君 三塚 博君
長谷川正三
君 及び 有島 重武君 を指名いたします。 次に、
鉄道建設審議会委員
に
大平
正芳
君
江崎
真澄
君
河本
敏夫
君 原 茂君 平林 剛君 及び
石田幸四郎
君 を指名いたします。 ――
――◇―――――
保利茂
8
○
議長
(
保利茂
君)
日程
第十八は、
委員長提出
の
議案
でありますから、
委員会
の
審査
を省略するに御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
保利茂
9
○
議長
(
保利茂
君) 御
異議
なしと認めます。 ――
――◇―――――
日程
第十八
昭和
五十一年度の
水田総合利用奨励補助金
についての
所得税
及び
法人税
の
臨時特例
に関する
法律案
(
大蔵委員長提出
)
保利茂
10
○
議長
(
保利茂
君)
日程
第十八、
昭和
五十一年度の
水田総合利用奨励補助金
についての
所得税
及び
法人税
の
臨時特例
に関する
法律案
を
議題
といたします。
委員長
の
趣旨弁明
を許します。
大蔵委員長小渕恵三
君。 ――
―――――――――――
昭和
五十一年度の
水田総合利用奨励補助金
についての
所得税
及び
法人税
の
臨時特例
に関する
法律案
〔
本号末尾
に掲載〕 ――
―――――――――――
〔
小渕恵三
君
登壇
〕
小渕恵三
11
○
小渕恵三
君 ただいま
議題
となりました
昭和
五十一年度の
水田総合利用奨励補助金
についての
所得税
及び
法人税
の
臨時特例
に関する
法律案
につきまして、
提案
の
趣旨
及びその
概要
を御説明申し上げます。 この
法律案
は、昨二月十六日、
大蔵委員会
において
全会一致
をもって
起草
、提出いたしたものであります。 御承知のとおり、
政府
は、
昭和
五十一年度におきまして、
水田
の
総合利用
を推進するため、その一環として、
稲作
の
転換
を行う
者等
に対し
奨励補助金
を
交付
することといたしておりますが、
本案
は、この
補助金
に係る
所得税
及び
法人税
について、その負担の軽減を図るため、おおむね次のような
特例措置
を講じようとするものであります。 すなわち、同
補助金
のうち
個人
が
交付
を受けるものについては、これを一時
所得
とみなすとともに、
農業生産法人
が
交付
を受けるものについては、
交付
を受けた後二年以内に
固定資産
の
取得
または改良に充てた場合には、
圧縮記帳
の
特例
を認めることといたしております。 したがいまして、
個人
の場合は、その
所得
の計算に当たり、五十万円までの
特別控除
が認められ、これを超える部分の金額につきましても、その半額が
課税対象
から除かれることになります。また、
法人
の場合には、
取得
した
固定資産
の
帳簿価額
から、その
取得
に充てた
補助金
の額を減額することにより、その
減額分
が損金と認められ、
補助金
を受けたことに伴い直ちに
課税関係
が発生しないことになるのであります。 なお、
本案
による国税の
減収額
は、
昭和
五十一年度において約三億円と見積もられるのでありまして、
大蔵委員会
におきましては、
本案
の
提案
を決定するに際しまして、
政府
の
意見
を求めましたところ、
稲作転換対策
の
必要性
に顧み、あえて反対しない旨の
意見
が開陳されました。 以上がこの
法律案
の
提案
の
趣旨
とその
概要
であります。 何とぞ、速やかに御賛成あらんことをお願い申し上げます。(
拍手
) ――
―――――――――――
保利茂
12
○
議長
(
保利茂
君) 採決いたします。
本案
を可決するに御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
保利茂
13
○
議長
(
保利茂
君) 御
異議
なしと認めます。よって、
本案
は可決いたしました。 ――
――◇―――――
保利茂
14
○
議長
(
保利茂
君) 御
報告
いたすことがあります。
議員水田三喜男
君は、昨年十二月二十二日逝去せられました。まことに
哀悼痛惜
の
至り
にたえません。
同君
に対する
弔詞
は、去る一月十八日贈呈いたしました。これを朗読いたします。 〔
総員起立
〕
衆議院
は多年
憲政
のために尽力し特に
院議
をもつてその功労を表彰され
さき
に
経済安定委員長公職選挙法改正
に関する
調査特別委員長
の
要職
につきまたしばしば
国務大臣
の
重任
にあたられた
議員従二位勲一等水田三喜男
君の
長逝
を
哀悼
しつつ
しん
で
弔詞
をささげます ――
―――――――――――
故
議員水田三喜男
君に対する
追悼演説
保利茂
15
○
議長
(
保利茂
君) この際、
弔意
を表するため、
木原実
君から
発言
を求められております。これを許します。
木原実
君。 〔
木原実
君
登壇
〕
木原実
16
○
木原実
君 ただいま
議長
から御
報告
のありましたとおり、本
院議員水田三喜男
君は、昨年十二月二十二日逝去されました。
水田先生
は、過般の
衆議院議員
総
選挙
に
千葉
県第三区から立候補され、
最高点
をもって連続十三回目の
当選
を果たされました。しかるに、十二月二十四日に召集された総
選挙
後初の
臨時国会
を目前にして、病魔のためついに不帰の客となられました。いかに天命とは申せ、
痛恨
のきわみであります。 私は、
諸君
の御
同意
を得て、
議員一同
を代表し、謹んで
哀悼
の
言葉
を申し述べたいと存じます。
水田先生
は、明治三十八年四月、房総半島の南端、現在の
千葉
県鴨川市にお
生まれ
になりました。御両親から受け継がれた恵まれた体躯とすぐれた頭脳は、豊かな感受性とともに大きく成長し、やがて
安房中学
から
水戸高等学校
を経て
京都帝国大学法学部
へ進まれました。
学生時代
は、あらゆる文献から吸収した該博な知識と鋭敏な感覚をもって現実をとらえ、
社会主義理論
にも関心を寄せて、
学生運動
にも打ち込んだ血気盛んな青年でありました。後年、
政治家
として大成する基盤が、この時期に着々とつくり上げられたものと想像するにかたくありません。
大学卒業
後、
昭和
七年
東京
市に奉職、その後
昭和
十四年には
日本銅板工業株式会社
の
常務取締役
に
就任
されました。
昭和
二十年八月終戦となり、
従業員
の身の振り方や会社の整理に腐心されましたが、その忙殺された日々からようやく解放された
先生
は、
郷里
に身を寄せて、静かに
日本
の将来と民族の歩むべき道を思索されました。
基本的人権
と思想の自由は与えられたものの、家は焼かれ、
食糧
は乏しく、身にまとう衣料とてなく、路頭に迷う
国民
の苦悩を目の当たりにした
先生
は、
大衆
を救い
国土
の
復興
を図るためみずから
政界
に身を投じんとの
決意
を固められたのであります。 やがて
昭和
二十一年四月、戦後初の
衆議院議員
総
選挙
を迎えました。この
選挙戦
において
先生
が提唱した
食糧
問題の
解決策
と
インフレ克服
の方策は、
先生
の徹底した
平和主義
、
民主主義
を基調とする
憲法論
とともに
選挙民
に大きな感銘を与え、みごと初
当選
の
栄冠
を獲得されました。時まさに四十一歳、
新生日本
の
再建
という大きな使命を担って第九十回
帝国議会
に初登院した
水田先生
は、歴史的な
帝国憲法改正案
を初め、戦後処理の
各種
の
議案
や新
憲法制定
に伴う数々の
基本法
の
審議
に当たられたのであります。
昭和
二十三年十月には、
経済安定委員長
に御
就任
、次いで
民主自由党
の
政務調査会
の副
会長
として、
戦時経済統制
の撤廃、
基幹産業
の
再建
、
インフレ防止等
々困難な課題と取り組み、並み並みならぬ御苦労を重ねられたのであります。 また、
昭和
二十四年六月には、
池田大蔵大臣
のもとで
政務次官
として、いわゆるドッジ・ラインあるいは
シャウプ勧告
に基づく
財政
、税制の大改革に当たられ、
昭和
二十六年五月には、
公職選挙法改正
に関する
調査特別委員長
に選任されて、
選挙法改正
の
立案作業
を進められました。 このように、戦後
政治経済
の困難な変革期に、立法、
行政両面
を通じて研さんを積まれた
先生
は、すぐれた
政策通
として衆目の認めるところとなり、
昭和
二十七年二月、
自由党政務調査会長
に御
就任
になりました。 自来、今日までの二十数年間、一貫して党と
内閣
の枢要な地位につき、
幾多
の予算の編成に当たるなど、ひのき舞台での華々しい
活躍
をされたのであります。 すなわち、
自由民主党政務調査会長
の職にあること五たび、また、
昭和
二十八年には
吉田内閣
の
経済審議庁長官
として入閣、さらに、
石橋内閣
及び
岸内閣
の
通商産業大臣
、次いで
池田内閣
及び
佐藤内閣
において五たび
大蔵大臣
の
重責
を担われました。
所得倍増計画
を掲げて登場した
池田内閣
の
大蔵大臣
として
積極財政
を打ち出した
水田先生
は、第二次
佐藤内閣
のもとにおいては
財政
の
硬直化
にメスをふるい、
引き締め策
を断行されたのであります。
昭和
四十六年には、
国際通貨調整
という、
先生
の
蔵相在任
中の最大の難関に逢着されました。すなわち、
ドル防衛
によるニクソン・ショックを契機として、戦後
世界経済
を支えてきた
IMF体制
が揺らぎ、同年十二月、ワシントンの
スミソニアン博物館
で開催された十カ国
蔵相会議
に出席して、
国民世論
を背景に大いに奮闘されたことは、私どもの記憶のなお新たなところであります。
先生
は、この新たな
事態
に対処して、
国際協調
を図りつつ、同時に、国内不安を解消するため、適切な
財政金融政策
を講じて、よくこの危機を乗り切られたのであります。 国の
財政経済政策
に対する評価が
政党政派
によって異なることは当然のことでありますけれども、
先生
が、戦後の
日本経済
の
復興
とその後の
発展
に大きく貢献された
政治家
であったことは、否定し得ないものがあります。そして、国の将来を思い、
大衆
の幸せを願う
水田
さんの真摯な
政治姿勢
に対してはだれもが感動を覚え、その御労苦に対してはだれもが感謝の念を惜しまなかったと信じます。(
拍手
) 思えば、
昭和
四十五年二月、第六十三回
特別国会
において、
先生
は、
自由民主党
を代表して、この壇上から、時の
内閣総理大臣佐藤栄作
氏に対し質疑をなさいました。 その中で、
先生
は、
国会運営
のあり方に触れ、「
国会運営
は
政府主導
型でなされてはならない。いやしくも立法府を構成する
議員
の任期が、行
政府
の一方的な恣意による解散によって左右せらるるがごときは、
民主主義
の指向するところではない」と断言をされました。この堂々の論陣を張った
水田先生
の叫びが、いまだに私の耳にはっきりと残っております。長年風雪に耐え抜いてこられた
政党政治家水田先生
の見識に心から敬意の念を抱いたのは、私一人ではなかったと思います。(
拍手
) かくて、
水田先生
は、本
院議員
として在職すること実に三十年十カ月の長きにわたり、
昭和
四十六年三月には、永年
在職議員
として
院議
をもって表彰を受けられたのであります。「あたたかき
安房
と上総の情けもて吾が辿り来し今日を謝すべく」と歌に託された。これまでの
郷党
の恩義を謝し、これに報いる道は、みずからの身辺をされいにして、清廉の士に徹することだと心に誓っておられました。この
水田先生
の
姿勢
こそ、
政治家
のかがみとして、われわれの胸に永く刻み込まれるものと信じます。
先生
は、大きな国難に逢着しても、常にひょうひょうとしてこれを乗り切ってこられました。この天衣無縫ともいうべき
人間性
に、
郷里
の
人々
が大きな
信頼
を寄せ、長きにわたり心からの支援を送ったのも、けだし当然のことと申さねばなりません。(
拍手
) 昨年、クリスマスを前にして、
病院
のベッドで、御
家族
と一諸にジングルベルを歌い、「来春には退院して元気に働かなければ」と言われていた
水田先生
は、その後突如容態が変化して、御
家族
の懸命の看護もむなしく、七十一歳の生涯を閉じられました。御
家族
の心中を思うとき、まことに
痛恨
の念にたえません。 内外の諸情勢はきわめて厳しく、
わが国
が重大な局面を迎えつつある今日、練達の
政党政治家
であり、屈指の
財政経済
の
指導者
であった
先生
を失いましたことは、返す返すも残念なことであり、本院にとっても、国家にとっても、この上もない大きな損失であると申さねばなりません。(
拍手
) ここに、謹んで
水田三喜男先生
の生前の
功績
をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りして、
追悼
の
言葉
といたします。(
拍手
) ――
――◇―――――
保利茂
17
○
議長
(
保利茂
君) 御
報告
いたすことがあります。
議員浦野幸男
君は、去る一月十六日逝去せられました。まことに
哀悼痛惜
の
至り
にたえません。
同君
に対する
弔詞
は、去る一月二十三日贈呈いたしました。これを朗読いたします。 〔
総員起立
〕
衆議院
は多年
憲政
のために尽力し
さき
に
商工委員長
の
要職
につきまた
国務大臣
の
重任
にあたられた
議員従三位勲一等浦野幸男
君の
長逝
を
哀悼
しつつ
しん
で
弔詞
をささげます ――
―――――――――――
故
議員浦野幸男
君に対する
追悼演説
保利茂
18
○
議長
(
保利茂
君) この際、
弔意
を表するため、
太田一夫
君から
発言
を求められております。これを許します。
太田一夫
君。 〔
太田一夫
君
登壇
〕
太田一夫
19
○
太田一夫
君 ただいま
議長
から御
報告
のありましたとおり、
愛知
県第四区
選出議員浦野幸男
君は、去る一月十六日、心不全のため、
東京労災病院
において逝去されました。まことに
痛惜
の念にたえません。 私は、ここに、
諸君
の御
同意
を得て、
議員一同
を代表して、謹んで
哀悼
の
言葉
を申し述べます。(
拍手
)
浦野先生
の御一門は、かつてお二人の代議士を世に送られ、また御尊父は、信望も厚く、村長をお務めになられたという
地方
の名門でありました。
先生
は、大正三年一月、このような誉れ高き家系の御長男として、現在の豊田市にお
生まれ
になり、長じて、
名古屋市立東邦商業学校
を御
卒業
の後、
日本大学
に進学され、やがて家業の
米穀商
に従事されることになりました。 その後、
先生
は、戦中、戦後にかけて
食糧営団
の役職にあり、
食糧不足
と
インフレ
に苦しむ庶民の生々しい
生活実態
に触れられ、何にも増して血の通った
政治
による救済が必要である、と痛感されたと伺っております。
昭和
二十六年、
先生
は、
愛知県議会議員
に御
当選
、以来県議三期、十年余にわたって、エネルギッシュな
行動力
と豊かな
包容力
とをもって、よく
地域
の
発展
と
地域住民
の福祉の増進に尽力されたのであります。
昭和
三十五年、
先生
は、東海・
北陸
七県の
欧米産業視察議員団
の団長として渡航中、折から同郷の先輩でありました
小林錡代議士
の急逝の報に接し、急遽帰国されることになりました。時あたかも、第二十九回総
選挙
の
公示日
前夜でありました。
郷党
の
人々
の懇望もだしがたく、
先生
は、羽田空港で立候補の
決意
を固められたとのことであります。このような事情から、
選挙戦
の不利は否めなかったところでありましたが、多年
地方政界
に尽くされた数々の業績と、地元の方々の熱烈な後援によって、みごと初
当選
の
栄冠
を得られたのであります。 本
院議員
となられた
先生
は、
商工
、運輸、
社会労働等
の各
委員会
の
委員
として国政の
審議
に当たり、また、
行政管理政務次官
あるいは
防衛政務次官
として
行政
に参画されるなど、幅広い御
活躍
をされたのであります。とりわけ
先生
は、
通商産業
の分野において、その本領を遺憾なく発揮されました。
昭和
四十四年、
米国
の
繊維品輸入制限
問題が起こるや、
先生
は、
自由貿易
の原則と、被害なきところに規制なしという
筋論
をもってこれに対処し、同年五月の、本院における
米国
の
繊維品輸入制限
に関する決議の際には、
提出者
の一員となってその案文の
起草
に当たり、また、翌四十五年、
日米繊維交渉
が暗礁に乗り上げるや、福田一
議員
らとともに訪米し、アメリカの
議会筋
あるいは
政府
の要人と会見して、粘り強く
日本
の実情を訴え、
交渉打開
に尽力されたのであります。 第七十一回
特別国会
の
昭和
四十七年十二月には、
商工委員長
に選任されました。当時、
わが国
は、
為替変動相場制
への移行など、
経済環境
の変化に伴う各般の施策が要請されておりました。
先生
は、
政府
を鞭撻して、強力な
通商産業行政
の推進を図るとともに、大
規模小売店舗法案
、
中小小売商業振興法案
、また、いわゆる
ドル対策法改正案
など、
幾多
の
重要法案
について各党の
委員諸君
と徹底した話し合いを行って
修正案
を取りまとめ、また、
議員提出法律案
についても精力的に
審議
を重ねるなど、
委員長
としてよくその
重責
を果たされたのであります。
昭和
五十一年九月、
浦野先生
は、嘱望されて
三木内閣
の
労働大臣
に
就任
されました。当時、公労協は、
仲裁裁定
の
早期完全実施
を目指して
実力行使
の構えにあり、とりわけ、
労働大臣
の手腕に
国民
の大きな期待が寄せられておりました。
先生
は、連日この
事態収拾
に努力し、大詰めの
政労間交渉
には、
関係閣僚
とともに、深夜にわたって鋭意折衝を重ねられ、円満に
解決
が図られたのであります。 私は、この
交渉
に当たって示された
先生
の誠意ある人柄と、約束は必ず実行するとの責任ある態度が、
組合側
の理解と
信頼
を深め、この成功がもたらされたものと思うのでありまして、
先生
の
労働大臣
としての
功績
は、高く評価されるべきものと確信いたすものであります。(
拍手
)
先生
は、
さき
の総
選挙
では、現職の
労働大臣
としての激職にあって
選挙戦
に臨まれましたが、その
ハードスケジュール
が
先生
をして過労に追い込んだのでありましょうか、御
当選
後、間もなく入院のやむなきに至ったのであります。 昨年十二月二十四日の第七十九回
臨時国会
の
召集日
には、
先生
は、病躯にむちうちながら登院され、
議員
としての
職務
を全うされたのでありまして、私は、
先生
のこの強固な責任感に胸を強く打たれたのであります。(
拍手
) かくして、
先生
は、本
院議員
に連続して
当選
すること六回、在職十六年五カ月に及び、この間、国政に残された
功績
はまことに偉大なものがあります。
先生
は、「春風堂に満つる」という
言葉
を愛し、「春風はどんな不幸な家庭にも、どんな貧しい
人々
にも、分け隔てなく訪れてくれる、これと同じように、
政治
も特定な人、仕事、
地域
に偏ることなく、平等に行われてこそ、本当の
政治
である」と周囲の
人々
に語り、みずからもこれを実践してこられました。私は、この
先生
の言こそ、まさに議会制
民主主義
における
政治
理念であると存じます。
先生
は、その言のごとく、温厚篤実、常に春風のごとき笑みをもって人に接せられ、「心の触れ合った
政治
」、「汗を惜しまない
政治
」をモットーとして、国家
国民
のために、また、
郷里
の
人々
のために献身的な御
活躍
をされたのであります。 思えば、
昭和
四十七年七月、
愛知
県を襲った未曾有の集中豪雨により、西三河
地方
の山間部、矢作川流域一帯は甚大な被害を受けたのであります。
先生
は、陣頭に立ち寝食を忘れて被災住民の救援と災害復旧に献身されました。やがて、
先生
のこの御努力が実を結び、今日、りっぱに復旧された被災地を見るにつけ、私は、奮闘された
先生
の当時のお姿を、つい昨日のごとく脳裏に思い起こさずにはおられません。
先生
、御年六十三歳、雄図半ばにして職に殉じられた
先生
を思うとき、私は
痛恨
の念やる方ないものを覚えるのであります。 現下、
わが国
は、内政外交ともにきわめて重要な問題が山積し、国会に課せられた使命のいよいよ重きを加えようとするとき、
先生
のごときすぐれた
政党政治家
を失いましたことは、返す返すも残念なことであり、国家
国民
のために、大きな損失であると申さねばなりません。 ここに、
先生
の生前の御
功績
をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りいたしまして、
哀悼
の
言葉
といたします。(
拍手
) ――
――◇―――――
保利茂
20
○
議長
(
保利茂
君) 御
報告
いたすことがあります。 永年
在職議員
として表彰された元
議員
堂森芳夫君は、去る一月十三日逝去せられました。 永年
在職議員
として表彰された元
議員
島村一郎君は、去る二月一日逝去せられました。 まことに
哀悼痛惜
の
至り
にたえません。 堂森芳夫君に対する
弔詞
は、去る一月二十日、島村一郎君に対する
弔詞
は、去る二月十五日、
議長
においてそれぞれ贈呈いたしました。これを朗読いたします。 〔
総員起立
〕
衆議院
は多年
憲政
のために尽力し特に
院議
をもつてその功労を表彰され
さき
に石炭対策特別
委員長
の
要職
にあたられた正三位勲一等堂森芳夫君の
長逝
を
哀悼
しつつ
しん
で
弔詞
をささげます …………………………………
衆議院
は多年
憲政
のために尽力し特に
院議
をもつてその功労を表彰され
さき
に大蔵
委員長
商工委員長
オリンピック
東京
大会準備促進特別
委員長
等の
要職
にあたられた正三位勲一等島村一郎君の
長逝
を
哀悼
しつつ
しん
で
弔詞
をささげます ――
――◇―――――
保利茂
21
○
議長
(
保利茂
君) 本日は、これにて散会いたします。 午後一時十二分散会 ――
――◇―――――
出席
国務大臣
大 蔵 大 臣 坊 秀男君 ――
――◇―――――