○西宮
委員 わかりました。労働省としての基本的な姿勢が明確であってくれれば、後は、実は私
どももよくわからないんだけれ
ども、そういう会社とか宗教団体が入り組んでいるという
状況等はわかりませんけれ
ども、こういうことこそ、私はこの
委員会に参考人として呼んでいただくというようなことになるとまことに明瞭にわかると思うのであります。そういう
意味で、参考人の招致ということを先般来
理事会では議論をしているわけでありますが、そういう内部事情に詳しい人たちに来てもらえば直ちにわかることでありますから、私はそういう
意味で参考人の招致が早く実現することを望んでいるわけでございます。
この花売りあるいは募金等については、つい最近、たとえばアメリカのニューズウイーク等では、こういう子供たちは一日十八時間、ピーナツ、キャンデー、花などを売り歩いている、こういうことを報道しておるのでありますが、その子供たちはあるいは会社の従業員ではないかもしれません。したがって、労働基準法の適用対象ではないかもしれません。しかし、そういうことが、これはアメリカはアメリカが適当にやるのでしょうが、日本も、何時間か知らないが、とにかくさっきの誓いの言葉によると、寝ないでやれと書いてあるわけですから、そういうことが、ある程度それに近いような状態があるというようなことならば、私はどうしても——さっきここのところをたしか読み落としましたな。「一睡もしなくても神のみ旨を成し遂げること。」こういうような過酷な条件で働かされるということは許すことができないことだと思います。
あるいは最近三カ年の
自治省の報告を調べてみますと、統一協会は宗教団体として毎年四千万に余る金を勝共連合という政治団体に献金をしているわけであります。私はそういう点についても
かなり問題があると考えるわけですけれ
ども、勝共連合なるものは単なる政治団体、そこに宗教法人である統一協会が四千万に余る金を毎年毎年献金をしている。こういったようなことは重大な問題だと思うわけです。しばしば雑誌その他にこの統一協会あるいは原理運動が論評されておりますが、宗教の装いをこらした金もうけの団体である、こういうふうに
指摘をされている例が非常に多いわけであります。私は、こういう
実態を見てみると、いかにもその表現は当たるのではないかという
感じがいたします。そのいわゆる金もうけでありますが、まず親に向かっては、金を出さないといきなりサタンだと呼びつける、ののしる。つまり悪魔だとののしる。あるいは金を出さないと殺されると言って脅迫する。金を出さないと親子の縁を切ってくれと言う。あるいは遺産相続を前渡ししろと言う。あるいは女の子ならば嫁には行かないから支度金をよこせ、こういうことを言うというようなことがあちこちの新聞等に出ているのを私は拾い集めたわけであります。
その金についての考え方だと思うのでありますが、たとえば会長代理の小山田という方はキリスト新聞にこういうことを言っております。「実は、私たちはカネを儲けるためにあるのです。今までのキリスト教会は金銭で弱かったが、金儲けのことなら私達のところへ来てください、お教えします。今はキリストさえ金がなければ証しできないと思います。」たとえばこの前帝国ホテルの晩さん会に行かれた方がたくさんあったようでありますが、ずいぶん豪勢な会合であるということがよくわかると思う。だからずいぶん莫大な金を使っていることもわかると思うのであります。あるいはアメリカでもやっていることが事細かに書いてありますけれ
ども、日本と全く同じであります。
最近のニューズウイークなどはほとんど一冊費やしてこの文鮮明の問題を特集しております。表紙には文鮮明の顔を大きく掲げて、何ページでしたか、とにかくたくさんのスペースを費やしてこれを特集しているというような記事があるわけです。そのうちの一つに、「信者が世界を救うためには、人力と金力が必要であることを教えられ、新人獲得と献金が義務づけられている。彼らは貯金や家族からの仕送り、
自分の給与などをすべて教会に寄付してしまうこともしばしばである。」こういうふうに書いておる。要するに、世界を救うためには人力と金力が必要だというので、いわゆる人力、同じような信者になる人を集めるために、大変な無理な活動をしているわけです。それから金集めです。最近はフランスでも大分問題になりまして、ちょうど日本と同じように
被害者父母の会というようなものができまして、子供どろぼうということで、親が子供を返せということを主張いたしております。あるいはアメリカでは、五人の親が一緒になって子供を返せということを裁判に訴えまして、先月の二十四日に勝訴をいたしております。これはサンフランシスコの裁判所であります。統一教会は直ちに控訴をいたしております。全米には
かなり大きな反響を呼んでいるというふうに報道されておるのであります。
とにかくそういう子供をとられたという親たちが子供を返せという運動を起こしたり、あるいはまた裁判で争うというような問題が起こったり、至るところにこういう問題が起こりつつあるわけでありまして、文部省あるいは
総理府の
青少年対策本部からもおいでをいただいておりますから、後で御所見等を伺いたいと思いますが、この際、私は、この前人権
局長の日野
委員に対するお答えでありましたが、しかし強制はないのじゃないか、つまり信者になるために強制されることはないんだ、なってから後いろいろ問題があるようだけれ
ども、なるまでは自由意思だ、こういうことで、その点は私もそうだと思います。しかし、なぜこんなに若い諸君が新興宗教、あるいはこういう新しい政治運動に引かれていくのかという点についてはわれわれも反省しなければなりません。たとえばまず第一に反省しなければならぬのは、従来の宗教人のまことに無気力な状態だと思います。しかし、この運動にねらわれる子供たちというのは、日本あるいはアメリカその他も大体同じようで、家庭は大体中流以上、そしてきわめてまじめな正直な家庭の子供、そしてしかも高等学校に入ったばかりとか大学に入ったばかり、つまり高等学校に入ったけれ
どもあるいは大学に入ったけれ
ども、入ってみると、バラ色の期待をしておったのが裏切られて非常に挫折感を感ずるといったような思想的な混乱があるわけであります。そういうときにそういう子供たちがねらわれるのだということが新聞等には
かなり詳しく報道されております。
そういうものの一つに、ちょうど送られてまいりましたので私はこういうのを持ってまいりました。これは「感動ある人生のために…… 市民大学講座」。会費は入学金と受講料を合わせて一万五千円でありますが、四月十五日から七月十五日まであるわけであります。そしてずらっと講師陣が並んでおります。「統一テーマ」は「歴史とロマンの探求」というので、主催者は東北文化協会と書いてあります。そういうことになっておりますが、これは一見して何の変哲もない
あたりまえの広告であります。しかし、「歴史とロマンの探求」というのでありますから、そういうのに引かれて行ってみると、集まった人の名簿が集約されて、だんだん原理運動に引っ張られていく、こういう経過をたどるわけであります。実はいま現に仙台でも、数年前にこれで入っていったのがもとでまことに悲惨な状態に子供がなって、今日なお回復しないというので、全く悲惨のどん底にある家庭があるわけであります。あるいは、この間の新聞でありますけれ
ども、東大で合格発表の日に、東大成進育英東大学生寮というところで、これは東大の
先生がやっている、施設も大変よろしい、こういうふうに宣伝をされて、それで面接試験まで受けて二十名が行った。入ってみたらば、だんだん日がたつと、これは原理運動の教育だということがわかったと言われております。あるいは先月の三日に、東京都の北区の議会で、世界統一十字軍というのにこの北区の教育長が推薦の言葉を書いておったというので議会で問題になりまして、議会でつるし上げを食ったわけであります。それで教育長は、宗教団体とは全く知らず、教育上共鳴する面があったのでメッセージを書いたと言って、平謝りに謝ったということでありますが、それでそのまま議会は了承したらしいから、また教育長の言っているとおり何も知らないで書いたんだと思うのでありますけれ
ども、同じようなことが私も、私の
事務所に、東北大学生新聞というのに私の激励の言葉というか、そういうものを書いてほしいと何回も何回も電話で来るので、おかしいと思っていろいろ調べてみたらば、やはりそれがいわゆる原理運動だったということでありますが、そういう何にも知らない人をそういうふうにして引っ張っていくというやり方が、私は宗教団体らしくないと思うのですね。
たとえば大々的にやった、五十年の二月の十三、十四、十五と三日間、九段の武道館で大集会が行われました。そのときの主催者はインターナショナル・ワン・ワールド・クルゼード。そこで
お話をする人の顔が大きく出て、下に書いてありますけれ
ども、「現代の予言者レバレンド・サン・ミヨン・ムーン」、こう書いてあるわけです。これが、いわゆるレバレンド・サン・ミヨン・ムーンというのが文鮮明だと気がついた人は少なかったと思う。したがって、後でこのことに気がついた
被害者父母の会の人たちがじだんだを踏んでくやしがった。もし文鮮明氏が来るならば、われわれ飛行場に押しかけてでも日本に来日するのを阻止したかった、こういうことを言っておったというのでありますけれ
ども、全く、主催者は英語でインターナショナル・ワン・ワールド・クルゼードというのだし、そこへあらわれる人物はレバレント・サン・ミヨン・ムーンーサン——ムーン、太陽と月、こういうのでありますから、名前だけでも大変すばらしい名前でありますが、これが文鮮明という
意味なんだそうであります。
こういうことを考えてみると、そんなにありがたいりっぱな宗教なりあるいは運動なりならば、なぜ堂々と名のらないかということを私はどうしても言いたいのですね。ですから、そんなにりっぱなドクトリンを持った宗教なり運動ならば、堂々と名前を名のってやるべきだと思う。だから、いま
国会に呼ぶとか呼ばぬとかと言って議論をしておりますが、これは無論、いまの段階は呼ぶ呼ばないということを議論しておるわけでありますから、文鮮明氏の側の方々が来るか来ないかということを言っているのじゃないんで、来てくれと言ったら喜んで来るのかもしれませんけれ
ども、私の勝手な想像を許していただくならば、その呼ばないという御主張の中には、呼ばないでほしい、こういう働きかけがあるのではないかと私は想像するわけです。これはげすの勘ぐりかもしれませんけれ
ども、私はそういうふうに想像する。そうではなしに、こういうことが
国会で呼ぶとか呼ばぬとか言われて問題になっているというなら、むしろこれはまことにいいチャンスだ、ぜひおれも行かせてくれというようなことで出てきてほしいと思うのです。と申しますのは、この前予算
委員会で社会党の書記長が
質問したときに、この統一協会の問題を取り上げた。そうしたら、われわれの言うことも全然聞かないで勝手なことを言ってけしからぬ、こういうことで猛烈に抗議をしてきたわけであります。だから、むしろ
国会に来てぜひ述べてもらいたいということをわれわれは主張しておるのだけれ
ども、いまもってそれが実現しないというのはまことにおかしい。私は、もしキリスト教の、まあ私も若干
関係があるわけでありますが、キリスト教の他の派なら、
国会で発言の
場所を提供すると言ったら、これは感謝感激、喜び勇んでやってくるに違いないと思うのですよ。それを、こういういろんな違ったやり方で、行ってみたら、実は長い間聞いているうちにだんだん原理運動ということがわかってきたとか、さっきいろんな例を幾つか申し上げたけれ
ども、そういうことでやられるというようなことは、私は大変に残念だと思うのです。
一言だけ文部省にお尋ねをいたします。大学において原理研という学生の運動がありますけれ
ども、その
実態がおわかりでしたら、簡単にお答えいただきたいと思います。