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1977-04-06 第80回国会 衆議院 文教委員会入試問題に関する小委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十二年四月六日(水曜日)     午前十時七分開議  出席小委員    小委員長 藤波 孝生君       石川 要三君    石橋 一弥君       小島 静馬君    登坂重次郎君       中村  靖君    長谷川 峻君       小川 仁一君    木島喜兵衞君       中西 績介君    池田 克也君       鍛冶  清君    曽祢  益君       山原健二郎君    西岡 武夫君  出席政府委員         文部大臣官房長 井内慶次郎君         文部省大学局長 佐野文一郎君  小委員外出席者         文教委員    有島 重武君         文部省大学局大         学課長     阿部 充夫君         参  考  人         (東北大学学         長)      加藤陸奥雄君         参  考  人         (大阪大学学         長)      若槻 哲雄君         参  考  人         (広島大学学         長)      飯島 宗一君         参  考  人         (東京大学教養         学部教授)   湊  秀雄君         文教委員会調査         室長      大中臣信令君     ————————————— 四月六日  小委員山原健二郎君同月五日委員辞任につき、  その補欠として山原健二郎君が委員長指名で  小委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  入試問題に関する件      ————◇—————
  2. 藤波孝生

    藤波委員長 これより入試問題に関する小委員会を開会いたします。  入試問題に関する件について調査を進めます。  本日は、本件について参考人として、東北大学学長加藤陸奥雄君、大阪大学学長若槻哲雄君、広島大学学長飯島宗一君及び東京大学教養学部教授湊秀雄君に御出席を願っております。  参考人各位には御多用中のところ本小委員会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。  まず、議事の順序について申し上げます。  初めに、小委員長から、本小委員会において討議を重ねてまいりました中から集約された問題点についてお尋ねをいたしまして、その後各小委員質疑に対し参考人お答えお願いいたしたいと存じます。  本小委員会は、さきに文教委員会において可決いたしました国立学校設置法及び国立養護教諭養成所設置法の一部を改正する法律案によって設置されます大学入試センター運営内容を中心に、いまや大きな社会問題の一つになっております入学試験改善に関し、国民的立場から調査する必要があるとして設けられたものであります。  大学入試は、各大学自主性に基づいて行われることは、いまさら言うまでもありません。今度行われる共通第一次テスト大学入試一つ改善策として、国立大学協会の長年にわたる建設的な調査研究に基づくものでありまして、これまでの御努力に対し心から敬意を表するものでございます。  今日まで本委員会は、いろいろな角度から討議を重ねてまいりましたが、その中で幾つかの問題点が指摘されましたので、これらの点について種種お考えを承り、私どもの理解を深めさせていただきますと同時に、国民のいろいろな意見を背景として法律の審査や国政の調査を進めております私ども意見や心配も参考人各位にお聞き取り願い、御参考にしていただければ、本日の会議意味はさらに大きくなるものと存じます。できる限りやわらかい雰囲気で会議を進め、隔意のない意見の開陳をお願いいたしたいと存じますので、何とぞ御協力お願い申し上げます。  まず、国、公、私を通ずるわが国大学入試改善方策についてでございます。  わが国大学入試現状は、大きな社会問題となっており、その改善が急務であるとされております。  まず、国大協としては、国、公、私を通ずる大学入試改善方策については、一、二期校問題、共通テスト、第二次テスト調査書面接等ひっくるめて全般的にどのように考えておられますか。  次に、共通第一次学力試験実施に伴う高校教育への影響についてであります。  大学入試あり方が、高校教育に大きな影響を及ぼすことは言うまでもないことですが、特に、この試験実施するに当たりましては、実施期日が十二月下旬ということでありますが、高校教育課程との関係試験内容達成度の取り方などに問題があるのではないか。また、実施を予定しておりますマークシートを利用した客観テスト方式につきましては、利点、長所もあるかわりに、種々の制約や留意すべき問題点もあるのではないか。また、共通試験であることから職業高校出身者への配慮が必要になるのではないかなどの諸点について指摘がなされましたが、これらの点についてはどのように考えておられるのでしょうか。  次に、各大学の行う第二次試験内容、方法についてであります。  今度行われます第一次試験と各大学が行う第二次試験関係はどのように考えられておられますか。もし、各大学が行う第二次試験が従来どおりでは、受験者の負担が過重となり、入試改善の目的も達成できないと考えます。ガイドラインに示されたような方針が実際に貫かれるように強い方策考えられるべきではないでしょうか。その点、いかにお考えになっておられますか。  次に、入試期日一元化に伴う受験機会減少等についてであります。  入試期日一元化により、受験者が国、公立大学受験する機会が一回限りとなるわけでありますが、何らかの形で第二次志望を生かす方途は考えておられないでしょうか。高校調査書面接、第一次テスト及び第二次テスト等により総合的判断を行って入学者を決めるという方針から見まして、第一次試験の成績によるいわゆる足切りは、いかなる大学においても行わないことにすべきではないかと考えますが、いかがでしょうか。  次に、大学入試センター運営と機能についてであります。  大学入試センターがその役割りを十分に果たしていきますためには、国大協自主性の確保、高校関係者等の意向の反映等の仕方に注意を払っていく必要があり、また、研究部門におきましては、共通入試そのものに限らず、より基礎的、基本的な入試制度内容に関する調査研究のため体制が必要だと思いますが、どのように考えておられますか。  最後に、大学改革必要性等についてであります。  わが国における学歴偏重有名校偏重社会的風潮を是正いたしますためには、生徒がそれぞれの生徒個性能力に適した高等教育機関に対して進学するよう、広く国民に対し意識の変革を求める必要がありますが、大学自体現状についても検討すべき点が多々あると思います。地方大学充実、国、公、私大学問学術交流、国、公、私大学のそれぞれの特色を発揮した教育研究体制充実学部などの小さな壁を乗り越えて、開かれた研究体制をつくること、入退学の弾力化単位積み重ね方式制度など課題が山積をいたしており、これらを解決していくことが入試改善と対応して非常に大切なことと思いますが、いかがお考えでしょうか。  以上、大きく六項目につきまして、従来本委員会でいろいろ御討議がありましたことの中からかいつまんで問題点を浮かび上がらせて総括的にお尋ねをいたしました。  これより、各項目別質疑に入りますが、本日は午後四時ごろまでに終わりたいと存じますので、余りどの問題に何分というふうにかた苦しく決めようと思いませんけれども、大体各項目について約四、五十分程度質疑を行って、この項目項目をこなしていきたい、こう思いますので、進行についてどうぞ御協力お願いをいたしたいと思います。  なお、参考人各位に申し上げますが、発言の際は小委員長の許可を得て御発言お願いいたしたいと思います。また、念のため申し上げますが、参考人は小委員に対して質疑はできないことになっておりますので、妙な話でございますけれども、これは定めでございますので御了承をお願いをいたしたいと思います。  なお、小委員各位に申し上げますが、自由に御質疑を願いたいと存じますが、会議進行上、質疑をされる方は、小委員長指名により御発言願いたいと思います。  それでは、まず、国立大学協会考えておられます入試改善方策について最初お尋ねをいたします。どうぞお願いいたします。加藤参考人
  3. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 東北大学加藤でございます。  第一のテーマでございますが、国立大学協会として現在共通一次試験ということを考えるに至ったわけでございますが、それにつきまして、この質問については、国大協がそもそも最初に発足した経緯を申し上げることが一番よろしいのではないかというふうに思いますが、国大協会がこの大学入試問題を取り上げましたのが四十五年、ですからもう足かけ七年になります。いわば国大協会設立と同時に始まったと言えるかと思います。  御承知のように、国立大学入学試験は、戦前は各大学が個々別々に独自な入学試験をやってきたわけでございますが、戦後、急に大学の数がふえ、さらにそれに伴いまして大学への進学率が二〇%、三〇%、現在四〇%近くなってきているわけですが、そういう実情考えますと、大学全体の入学試験というものについて社会的な問題が非常に多くなってきた、それに伴いまして大学側もそれを考えるべき時点に来ているのではないか。当時国立大学としますと六十五ございました。現在八十八でございますか、当時国立大学が六十五ですが、それでも非常にそのような大学入学試験問題というのが社会問題になりつつあった時代でございますので、それに対応して大学全体の入学試験というものをどうあるべきかということを考えるべしというのが、国大協の第二常置委員会がその種の問題を扱う委員会でございますが、そこで取り上げを始めたわけでございます。そこで、入学試験全般について改善しなくちゃならぬという出発点から始まったわけでございますが、国立大学あるいは公立大学ないし私立大学というものがそれぞれ設置形態が違っておりますし、さらにまた大学内容の性格がそれぞれに異なった点が非常に多いであろうということから、その全体の入学試験改革というものをともかく同じ土俵を持っている国立大学だけでも考えていくべきではないか、そこで一つ入学試験問題ということに対する国立大学としての責任をその場で果たす必要がないであろうかという考え方を持ったわけでございまして、その結果が、現在私ども御審議いただいております共通一次試験方式考え出したわけですが、その時点になりましてから、公立大学からこの試験方式に対して利用したいという申し出をいただいてきておるわけでございます。このことは大学協会としては非常にありがたいことだと思っておりますが、私立大学当局者の二、三の方々からもそれに対し大きな関心をお示しいただいているということは、私ども承知しておるわけでございますので、再出発点大学というものの入学試験改善するということがこのような公立大学あるいは私立大学に御関心をお持ちいただくに至ってきているということは、非常に重要なことだというふうに私ども考えております。当面、ともかく国立大学だけでもこの社会で重要問題視している入学試験というのに対応した答えを出すべきであろう、そのことでいま申しました共通一次方式考えたわけでございます。  そこで、それの内容を少し触れさせていただいてよろしゅうございましょうか。——ここで問題になりますのは、大学入試ということについていろいろな批判がなされておりますが、それについての批判を私どもとしてやはり十分解析してそれに当たらなければならないということでございます。一つは、競争が激化してくるに従って、問題に対する批判が非常に多くなってきているということがございますし、さらに、いわゆる一発勝負という言葉で言われているように、ただ一回の入学試験志願者が判定されるという一つの不公平さといいましょうか、不公平さということについて考えなければならぬということで、当然のことでありますが、現在でもそうですが、調査書あるいは面接、特に調査書については文部省からの指導もあるわけで、高等学校におけるこのような調査書というものをやはり十分に勘案しながら考えていかなければならぬ。その問題は現在もありますので、それはそのまま続行していくべきである。問題になるのは、こちらで選抜させていただく。選抜させていただくという点は、国立大学だけをともかく考えたわけですが、いま全国立大学定員が約八万名でございます。推定の志願者がいまのところ大体三十万、こういうふうに私ども見ております。そういう志願者に対して定員が八万であるということからしますと、これはよしあしにかかわらず選抜ということをさせていただかなければならぬという実情がございます。そうなると、その選抜あり方を十分に合理的に、しかも平等に、公平にやるべきであるという考え方に立って私ども検討を進めなければならぬという立場に置かれているわけです。  そこで、いろんな批判にこたえるためにはどうしたらいいか。いわゆる一発勝負というようなことでありますので、やはり志願者というものを私ども選抜するという立場をとったときに、十分な資料を持ってその志願者判断する必要があろうということ。資料が多ければ多いほどいいはずであります。その一つが、現在も言われているような調査書とか面接とか、そういうことがその部分になるわけですが、学力試験についてもやはり資料が多くあってしかるべきであるということが考えられます。そういうようなことを勘案しながら、いろんな議論の末に共通一次というものと共通二次というものを組み合わせる。するとそこで、立場を変えますけれども資料が二つそろうという点があるわけで、そういうような意味共通一次それから二次テストというものを学力の場面で総合判断するという考え方がいまの合理性を持つのではないかというふうに考えるに至ったわけでございます。  ところで、一方、五十一年から高等学校の例の教科課程が変わってまいりました。高等学校教科課程内容を見ますと、最近また変わりましたが、現段階では、高等学校に入ってから卒業までの間に個人一つ能力分化あるいは適性分化が起こってまいります。それに対応した意味で、低学年では必修科目が課せられております。それから中高学年になりますと、選択科目をそれに上乗せするという課程が、現在五十一年度に改定が行われております。その姿をやはり私どもは十分に考えなくてはならない。そういう状態と、学力試験についても資料を多くしなければならぬということをどう組み合わせるかという問題が出てくるわけでございます。そういう点で共通一次というのは、国立大学といえども、現在八十八ですけれども、それぞれにキャラクターがございまして、単科大学的なのから総合大学がありますし、同じ総合大学の同じ学部でも大学によって性質が違いますから、本来的に選抜はそれぞれの大学キャラクターに従ってやるべきだという考え方が依然として理念的にあるわけであります。そのこともいまの問題にどう組み合わせるかという考え方が必要になってくるわけでございます。そういう点で考えますと、高等学校において必修科目を課しているということは、高等学校教育の中で全人格的な養成のためには、その科目は全部必要なんであるということに基盤があるのだと考えます。  さらに、高等学校の中で適性分化個人個人で出てきたときは、それに選択科目が対応して考えられるのだということが考えられますので、つまり大学として共通的に考えられるのは、高等学校卒業してきているという点で、基盤的に持っている内容を少なくも国立大学共通的に判断する土俵があり得るのではないかということであります。それといまの共通必修科目がペイをする形になるわけであります。そこで共通一次試験は、いまの必修科目というものを課することによって共通一次をする。それは大学全体が共通的に志願者に対して判断し得る一つ基盤があるわけであります。  そこで、先ほどちょっと申しました、大学それ自身それぞれの学部でも一つ個性があるわけで、それを目指して志願してくるわけでございますから、その点の判断は各大学が第二次試験としてそれに対応した選択科目というものがございますから、それと見合った形で第二次試験というものを行う。そうしますと、一番最初に申しました趣旨が一応生きてくるのではないかというふうに考えるわけです。  そういうことで共通一次試験は、高等学校生として高等学校における全人格養成というものについて対応した教科、それの学力を全般的に見る、そういうことを私どもとしては高等学校教育における達成度という表現で使わしていただいているわけです。その基本になる教科科目についてそれを共通一次としてやる。高等学校卒業というものは、それだけの内容は全部持っているべきはずであるということを判断させていただく、それが達成度を見るために共通一次テストをやるのだという趣旨でございます。  さらに、今度は各大学がそれぞれにキャラクターを持っているし、そのキャラクターに対応して受験生は志願してきているはずでありますから、そういう点についてはそれぞれの大学がそれぞれのキャラクターに対応して、いまの共通一次の趣旨を十分理解した上で二次試験大学が課したらよろしい。そうしますと資料が多くなると同時に、さらに従来から現在でもあります調査書なり云々は、そのままそれを引き継ぐ形ということで総合判断をしたらよろしかろうというようなことを考えたわけでございます。  さらに、ここにありますように、その問題と一期校、二期校の問題が一つございます。これは国大協として実は一期校、ちょっと話を前に戻した方がいいかもしれませんでしたが、この入学試験という問題は、試験そのもの改善と、それからもう一つ問題になっております一期校、二期校の問題があるわけで、その二つの問題を国大協としては並行して検討を進めてきたわけですが、一期校、二期校の現在の状態というのは非常に不合理な面がございます。いい面は、受験生に対して少なくも二度の受験機会を与える、これは受験者側からしますと非常に大きなメリットだと私は思います。ところが別の立場からしますと、社会通念でいうところの格差というものを生んできてしまっております。これは大学自体にもそういう通念的な気持ちを持つようになると同時に、受験生自身もそれを持つという問題が一つ出てきております。そういう点をどう解消したらいいか、一期校、二期校を存続したままでその点をうまく解消できるかという問題が一つはあるわけです。  御承知と存じますけれども、実は現在本当に公平的に二度の機会があるかというと、その点で非常に疑問があるわけです。と申しますのは、たとえば法学部という例で申しますと、法学部という学部を持っている大学はすべて一期校だけでございまして、二期校にはございません。もう一つ医学部も、二期校にもございますが、大部分一期校に属しております。そういうことからくるアンバランスが、本当の公平な立場で二回の機会を与えるということに対して一つ問題点を私どもは感ずるわけです。そういうようなことを解消するためには一期校、二期校という制度をどうしたらいいかというのをやはり国大協で数年にわたりまして検討を進めてまいりました。たとえば同種の大学というものを大学単位でうまく一期校、二期校に分けられないか、あるいは地域的に分けられないか、あるいはいまの例として法学部医学部を申しましたけれども、各大学の持つ学部構成というものを平均的に一期、二期に分けて考えることができるかどうかということをずいぶんと検討してまいりました。それをやりますと、従来にも増したデメリットを起こす問題が非常に強いというふうになりましたわけで、さらに受験生側からしますと、例の現在の二期校は時期的に年度末に非常に詰まっておりますし、そしてそれにもかかわらず試験をしなくてはならない、さらに受験生が非常に殺到してきているという状態で、実施という面でも非常な混乱を起こしているのが実情でございます。と同時に、欠員欠席欠席受験の場合の欠席でございますが、後で入学時の欠員関係というものが、特に国立大学の場合には欠員を起こすということは非常に大きな問題であろうかと思います。この制度はそのこととかなりひっかかってくる問題であります。  そういう不都合な点を考えますと、二度受けるという点については問題はあろうけれども、いまのような合理性なり何なりを考えますと、この際一期校、二期校を解消して一度にやってはどうか。当然にその場合には入試全体をどうすべきかということと結びつけて考えなくてはいかぬということが出てまいりますので、実は共通一次ということが可能であるというふうに私どもは結論を持ってきましたのですが、いまのような共通一次の状態考えますと、一期校、二期校を解消して、同時にそれをやってしまうというところでかなりの問題が解消してきて、合理的にそれを処置できるのではないかというような一つ考えを持つに至ったわけでございます。  大体そのようなことで進んできたわけですけれども、要は高等学校において、高等学校卒業生であるということとして、いわば人文社会系学生であろうともあるいは自然科学系適性を持った学生であろうとも、基本的に持っている高等学校としての達成度というものを共通一次でやる。これは大学共通考えられることで、それに加えてそれぞれの大学が持っている特質と受験生個性適性と結びつけた第二次の試験をやる。それの資料を総合的に判断して、さらに調査書なりその他のことを加えて受験生選抜させていただくということは非常に合理性があるのではないかというふうに考えたわけです。このような考え方に対して、公立大学が非常にその点を評価していただきまして、早速利用したいという申し出をいただいたわけでして、その点私どもとしては非常に喜んでおるわけでございます。  このようなことが、ともかく出発点は、同じ土俵を持っている国立大学だけでもいいから、大学入試というこの社会問題に対して対応しなくてはならぬということで具体的な一歩を踏み出したわけですが、それが公立大学なり私立大学関心を呼ぶに至ったという点を考えまして、われわれとしては大学全体の入試が今後これを一つの契機として合理的な方向に歩んでいくということを願っているわけでございます。  大体そのようなことで、具体的な点はこの二の項目以外からあるいは出てくるかもしれませんですが……。
  4. 藤波孝生

    藤波委員長 きょういろいろお伺いをいたしますことのいわば総論的なことを最初にいまお答えをいただいたわけでございますが、お手元のメモにございますように、具体的に各項目についてはそれぞれ後からまた突っ込んでいきたいと思いますけれども、いま御意見の発表のございました総論的なことについて御質疑がございましたらどうぞお出しをいただきたいと思います。
  5. 木島喜兵衞

    木島委員 大変に御努力いただいている点は感じました。  いまのお話しございましたように、八万のところに三十万も来る、したがって選抜せざるを得ない。だが大学全体で見れば、浪人考えなければ大ざっぱに言って高校からの進学者数大学の入れ物は大体同じ、それに浪人を入れて平均したら一・三四倍になるのでございましょうか。ですから、本来枠だけで言えばそう大きな問題が、社会的な問題で言われるほど問題ないのかもしれません。あるのは、格差があるから有名校に殺到するからよけいになるという視点に立てば、今回の制度格差が一体どうなるのか。格差がもしこのことによって拡大するならば、このことの出発格差によって起こっておるとすれば、このことによって格差がもしも仮に拡大されるというようなことがあれば、この目的、皆さんの御苦心というものの基本が崩れてくることになりはしないか。  一つは、私立が入らないということは、これから御期待なさるという最後の言葉がございましたけれども、私立が入らないということになりますと、学生の負担からしますと、さっき一期、二期の二回のチャンスということがありましたが、一回にしてもしょせん私立の方も受けることになりますね。子供の負担は、それで試験の形が違いますから負担にもなりますが、同時に国立の第一次に受けて落ちた者が私立に行くというような形になる可能性はある。あるいは第一次テストで高い点を取った者が有名校に志望をするということになっていくのだろうと思いますね。すると、いままでは受験生が自分の判断有名校に殺到したのですけれども、今度は共通一次テストという一つの公式なといいますか、そういうものの中で、何点ぐらいの者はたとえば東大、何点の者は加藤先生の東北大、こういう公認的格差になり、かつ国公私立の格差という面でも大きな格差が出てくるのではないか。そういうことにもしなれば、先ほど申しましたようにこの一番基本のねらいというものが、格差があるから殺到する、そのことの解消のために出発したものが、実は格差を拡大していくということになりはしないかという点がいままでの中でも多く議論のあったところなのですけれども、いかがなものでございましょう。
  6. 飯島宗一

    飯島参考人 いまの話は、私ども確かに共通第一次テストを行う場合の非常に重要な問題点であるというふうに考えております。  それで、問題はその大学格差とは何を言うかという問題でありますけれども、これはたとえば大学の設置なり組織なり内容なりの基本的条件にいろいろな違いがある。たとえば定員とか財政の面で違いがあるという格差が基本的な問題だと思いますが、それ以外に言われているところの格差というのは、たとえば卒業生に対する社会的評価が非常に違う、あるいは地理的な便、不便があるというふうな問題等がいわば総合的に格差ということの中にほうり込まれておる。それで御指摘のように、日本の大学の中で少なくとも、設置形態からいって、国立大学私立大学という非常に大きな二つのジャンルがございます。それでこれは、たとえば学生の就学に対する経費の負担だけから考えてみましても、一般論として、私立大学に比べて国立大学の方が負担が非常に安いということで、すでにそこに基本的な差異があるわけでございます。私ども国立大学協会としては、もちろんこういう日本における大学格差というものは、解消する方向に進まなければならないという前提に立っておることは申し上げるまでもないことであります。  そこで、先ほどの御質問に関連して、共通一次試験を行った場合に、いま御指摘のように、共通一次試験の成績というものによって、言われているところの総合的な格差がある程度浮き彫りになってくるということは、可能性としては否定できないと私は思います。しかし、それは問題を浮き立たせただけにすぎないのであって、格差を助長するということとすぐつながるかどうかは、今後のわれわれの対応の問題ではないかというふうに考えております。つまり、いままでは受験生の任意の選択というふうにおっしゃいましたけれども、しかし受験生の任意の選択によって格差は存在しているのではなくて、現に社会的にいろいろな意味での格差は確かに存在している。そのことが、今般の共通一次試験を試行することによってあるいは浮き立ってくるかもしれませんけれども、その浮き立ってきた場面で、私ども大学関係者もあるいは国民全体もそのはっきり浮き立ってきた格差をどう対処していくかということをもう少し明確に取り組むということが、直ちに次の手だてとして存在をしなければならない。たとえばその格差と言われているものの中に、いま申し上げたように、設置の基本の条件にかかわる格差というものが確かに存在するとすれば、それは修正する方向で努力しなければなりませんし、また卒業生を受け取る社会の側に、いろいろな従来からの考え方からいって格差感を生ぜしめるような問題点があるとすれば、その解消に努力をしなくてはならない。  それから本来、仮に社会的な受け取り方の基本条件が同じであっても、やはり大学といえども大学の構成員が一生懸命に教育に献身をし、そして成果を上げるということがなければ、どうしてもいい大学と悪い大学ができてくるのはあたりまえのことであります。その大学関係者に残された教育研究の努力の余地によるところの各大学内容充実のための一種の競争と申しますか、お互いに励み合うという部分のことは、これはいつの世になっても残っても構わないことであって、むしろ各大学学生を含めてその努力をする。  ですから、御指摘のように、この問題によってあるいは日本における大学格差というものが浮かび上がってくるかもしれませんけれども、それは事態を新しくつけ加えることではなくて、事態をより明確にする一つの現象であるというふうに考えれば、当然われわれはその明確に浮き上がってきたものに対して対処をしなければならない。根本的に申し上げれば、これは共通一次を課したから格差が拡大するという程度の問題ではなくて、共通一次試験をやろうがやるまいが、現にわれわれの日本の大学問題として基本的な格差問題というものが存在をしている。もしこのことが共通一次試験によって浮き上がってき、それが悪循環の方向へ転換するというようなことになるならば、大学としてもあるいは国全体としてもあるいは国民全体としても、それに対する対処を、いまよりもさらに明確な認識で進めなければならないというふうに、私ども考えております。
  7. 木島喜兵衞

    木島委員 私だけ独占して済みません、もう一問でやめますから。  お話はわかります。先生おっしゃるように、国立大学だけで言えば、二次との絡みで、たとえばおのおのの大学個性化というのでありましょうか、特徴というのでありましょうか、そういうものの中から格差というものを自主的になくしていくということができてくるであろうという御説、これはわかります。けれども、時間があれですから一つだけ言うと、国大の中における格差と、もう一つは国公私立の格差という二つがどうしても出てくると思うのです。その私立との格差関係をやはり考えないと、国立大学だけの問題では国立大学として任務を完全に果たしたと言えないと思うのです。私立との関係では、国立と私立の格差は、社会的評価というのはこのことを通してかえって拡大をするのじゃないのか。なぜ私立も含めたことを最初からやれなかったのだろうかというところに、これはもう少し私の質問の最後に行くのかもしれませんが、その辺はどうなのでしょうか。
  8. 飯島宗一

    飯島参考人 先ほど私の申し述べたことは、格差と言って表現しておるのは、国立大学だけに限って申し上げているわけではなくて、私立大学も含めた日本全体の大学格差の問題というものは厳存するという趣旨で申し上げました。  それから、入学試験の問題を考える場合に、先ほど加藤参考人からお述べになったように、国大協も私学の問題を全く念頭に置かないで今日まで議論してきたわけではございません。現在、日本の中で国公私立が一堂に会していろいろな共通的なことを議論できる場というのは、御承知のように非常に乏しゅうございまして、唯一のその機関としては大学基準協会というものが存在しております。この大学基準協会でも、国公私立を通じた入学試験の改革という問題についてはいろいろ御議論があり、その基準協会における入学試験の改革の問題については国立大学協会も従来から御協力を申し上げ、意見交換をしております。それから、今日までの作業過程の中で、きわめてインフォーマルな形でありますけれども、私学関係の少なくとも三つの団体、御承知のように私学はこれまた大学の連合会が三つに分かれておりますけれども、それぞれの団体とも意見交換をしております。したがって、私どもの意識の中で、私立大学を含めた格差解消の方向への努力というものは終始いたしておりますけれども、これは国立大学が私学の問題に対して、もし容喙をするという誤解を受けるような運び方では問題があるということで、私ども国立大学だけに閉じこもる考えは毛頭ございませんで、今後機会をとらえて、先ほど加藤参考人も申し上げたように、私学の問題も一緒に考えていきたい。  それから、この共通一次試験が私学と国立ということで格差感を助長するということは、それほど強くはあらわれてこないのではないかというふうに私は考えております。これは見解の問題でございますから、根拠はございません。
  9. 小島静馬

    ○小島小委員 いま飯島先生の御指摘の点、私は非常に同感でございます。と申しますのは、ただ格差の拡大ということ、あるいは格差ということに注目をし過ぎますと、実は量的な拡大を図り得たとしても資質の低落を招く、こういうことになるだろうと思います。受験地獄というような言葉で表現されているその不合理は改善しなければなりませんが、さりとて、人間には本来資質の優劣がございます。やはりその資質をどういうふうに伸ばしていくかというところに教育の基本がなければならない。この点はやはり大切なことだろう。ただ楽にしてやればいいという考え方であってはならぬという気がするのですがね。そういう中で難問奇問が出て、何が何だか、学校以外の勉強をしなければいかぬというふうなことで全体をゆがめる、初等教育をゆがめてしまう、あるいは中等教育をゆがめてしまう、そういう観点から高等教育への入試の関門というものを考えていかなければならぬ。私は、スタートというものを明確にしていかなければならないという考え方の中で、一つこのことが重要な動機であったというふうに感ずるわけですね。そういうことの中で、それでは具体的には一次共通テスト、それから二次テスト、それからその中に問題になってくるところの高校調査書のようなものですね。さらに、そこまで言いますと、高校同士が、あの学校はどの程度のレベルだとかいうふうな認識というものが当然あるわけですが、そういうものをひっくるめまして、配点はどういうふうになさるのか、選抜の中での配点はそれぞれ各大学が自主的に行うのか、それとも大まかなガイドラインがあるものなのか、そういう点はいかがですか。
  10. 飯島宗一

    飯島参考人 それでは初めの部分だけちょっと簡単にお答えして、あとは加藤参考人から具体的なことをお答えいただくようにいたしますが、仰せのとおり、人間の資質、能力に少なくともいろいろなバラエティーがあるということは、私は事実だと思います。これを直ちに一般論として優劣という形で言うかどうかというのは、これは私ども医学等をやっておりますけれども、なかなか容易には決められない。ただ、資質のバラエティーというものに応じてそれぞれのバラエティーを社会が十分に受け入れ、またそれぞれの人がそれぞれの特徴を持った、それぞれに与えられた能力をなるべく豊かに伸ばしていくような形で、高等教育及びその選抜の問題も考えていきたい。ですから、いま格差という形で上下の問題で考えられている事柄をもう少し平面的な場面でのいろいろな豊かな展開という点で考えていけないかということが一般論として私ども考えておることでございまして、物理に非常に能力のある人は大いに物理をやる、しかし、たとえば絵をかくことに非常に能力がある人はそちらを伸ばしてもらいたいというようなことをなるべく多くの、先ほど加藤参考人もおっしゃった多面的な条項、多面的な評価というもので、それぞれを位置づけていくという作業を私ども国立大学関係者も入学試験選抜という場面でも考えていきたいという趣旨でございます。
  11. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 いま飯島参考人のお話ししたのは、これは一般論でございますが、いまお話ございました具体的な配点云々に関連したことを申し上げたいと思いますが、おっしゃるように、現在大学入試批判されている面は、いまお話ございましたように、いわば高等学校卒業程度をオーバーするようなむずかしい問題を出す、あるいはいわゆる俗に言う難問奇問というようなものが出てくるんだ。そのことが一具体的場面では格差問題ということにもつながっている面があろうかと思うのです。そういう点はやはり解消しなくてはなりませんので、そういう点で共通一次を考えていくということは、そこに非常に大きなウエートがかかっているわけでして、この共通一次をやりますときの出題なりなんなりは、全国の大学教官が寄り集まりまして、その問題設定をするという方式をとっておりますので、おかげさまで昨年までの実験的なテストをやっておりますが、その段階での問題に対する評価は、高等学校関係からも非常にいい、妥当な問題であるというようなことの批評をいただいているわけです。そういうことが高等学校の全般の教育というものの目印を置いた意味での設問がなされるという点は非常に重要なことだと思っております。  それに対応して今度は、いま先ほどからお話がありますように、各大学の持つ特性、したがって、受験生がそれに対応して特性を持っている。それの結びつきを二次試験でやろうという形になっておるわけでして、ですから、共通一次は、その意味では高等学校全体の教育に対応するような妥当な、いわば従来から言いますと、難問というものではなくて、適切な問題が設定される可能性がある。それといまの個人適性というものが、二次で組み合わさる。そこの点数配分をどうするのかというお話だと思いますが、そこは、共通一次と二次の状態をうまくどう組み合わせるかという点は、これは各大学に任せてございます。ですから、まだはっきりいたしません。各大学共通一次と二次をどういうウエートでかみ合わせるかというのは、いま飯島参考人のお話にもありますように、それぞれの受験生個性を伸ばすようにという立場を、それぞれ性格を持った学部がそれを判断するという形でございますので、そういう趣旨から一次、二次の点数配分のウエートというものは、大学の良識において、その点をいまの趣旨を踏まえた上で考えるべしということにしてあるわけでございます。
  12. 小島静馬

    ○小島小委員 もう一つ、関連して。  いま言いました配点の問題は一次、二次の絡み合わせで大学独自ということはわかりました。  そこで、もう一つ調査書の問題ですね。これはどの程度に御参照になりますか。
  13. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 調査書につきましては、現在の各大学が——一応私ども国立大学という表現を使わしていただきますが、現在の大学がやっております状態を促進するという趣旨を持っておりますけれども、その点について私どもずっと研究してきた段階においては特に取り上げておりませんが、その取り上げ方も調査書のそれの参考に仕方も各大学が、いま先ほどからお話になっているような趣旨に沿って調査書を利用すべしということにとどまっております。一律的にどうすべしということは打ち出してございません。
  14. 西岡武夫

    ○西岡小委員 国大協の先生方に国大協としての基本的な御認識というものを二点ばかりお尋ねしたいのですが、一点は、国大協としては現在のわが国高等教育機関の数が多過ぎるという御認識はないのかどうか。高等教育というものが量的に拡大し過ぎているという御認識がおありかどうか。これが一点です。  もう一つは、入試の問題を考える場合に、高等教育を受けるためには一定の平均的な能力が前提というふうにお考えなのか。先ほど飯島先生はそれぞれの才能というものを伸ばしていくべきだ、それぞれの能力というものを伸ばしていくべきだということを具体的におっしゃったわけですけれども、それにしても高等教育機関入学するためには、その人の特別の才能以外の基礎的な学力というものをやはり大学として要求なさるのかどうか、そこのところの兼ね合いですね。  この二点をお尋ねいたします。
  15. 飯島宗一

    飯島参考人 私ばかり申し上げて恐縮ですが、まず第一の、日本の高等教育機関が多過ぎるかどうかというのは、私どもは多過ぎるということは簡単には言えないと思います。と申しますのは、問題はむしろ高等教育というものの中身は何であるかということにかかわってくるので、もし高等教育ということを最近アメリカ等で言われておりますポストセカンダリーエデュケーションという言葉に置きかえるといたしますと、社会がますます高度化し、豊かになり、そうして文化的にも発展していく要因としてポストセカンダリーエデュケーションの機会というものは、それを望むなるべく多くの市民に与えられるというのは、これは一つの必然的な方向であって、その限りにおいてもし高等教育という言葉をポストセカンダリーエデュケーションに置きかえるとすれば、現在でもう十分だという議論にはならない。ただポストセカンダリーエデュケーションの中で従来たとえば国立大学などが行ってきました高等教育と申します部分は、最小限度三つの具体的な目標がございます。  一つは、専門家ないしはセミプロフェッショナル、あるいはある資格を持った社会通念としてこれだけの能力、資格が欲しいという人を養成する、つまり専門家養成ということが一つでございます。  それから第二に、新しい学問を生んでいくための研究者の学問的後継者の養成ということがございます。  それから第三番目に、ポストセカンダリーエデュケーションの意味で現在われわれが持っている、あるいは新しくできていく学問、知識、文化をなるべく多くの市民に広める、与えるという三つの要素がすでに現在の国立大学の中には含まれておりますが、その中でプロフェッショナルの養成あるいは研究後継者の養成という問題はそれぞれの専門領域の内容に従ってそれに最も有効に取り組んでいってもらうためのある一定の素質、条件が必要であるということは、これはもう明らかでございます。ですから、私どもはこのポストセカンダリーエデュケーションの意味での高等教育というものは今後ますます拡大をしていく必要があると思いますけれども、その中で上下の問題ではなしに、機能分担の問題としてポストセカンダリーエデュケーションにかかわるインスティチューションがそれぞれのミッションに応じた働きを今後整理をしていく。その中で国立大学はいままでの伝統、現状から考えまして、その中にプロフェッショナルの養成と学問的後継者の養成という重要な社会的使命を持っておりまして、この部分については、それぞれの専門分野あるいはそれぞれの目標に応じてある一定の能力、素質というものを要求するということはやむを得ないことであると申しますのは、もしそれを無視してだれにでも、たとえば数学の研究者の道を開放する、だれにでも非常に高度な物理学の研究の道を開放するといたしましても、それは実際上実効も上がらず、意味のないことでありますから、そういう部分に関してはある一定の素質の要求が行われるということは当然ではないかと思います。
  16. 藤波孝生

    藤波委員長 もう一つの方のお話はどうでございますか。第二の一定の能力……。
  17. 飯島宗一

    飯島参考人 したがいまして、いま第二の問題もあわせてお答えをしたわけでございますが、国立大学共通と申しましても、二次試験がかみ合わさって、たとえば教育学部のこういう部分についてはこういう人が欲しい、あるいは医学部の医師として専門家を養成するためにはこれだけの素質の人が欲しいということは当然残ってまいりますし、それは最終的な意味での能力ばかりではなくて、私どもの教育責務から考えまして、教育することが効果があり可能であり、私どもが責任を持てるという範囲でのある素質が要求される部分というのは確かにございます。
  18. 西岡武夫

    ○西岡小委員 ちょっとそれに関連して。そうしますと、いまの飯島先生のお話をさらに進めて展開をしていきますと、大学における量的な拡大と質的な充実、質的なものについての要請という、二つのある意味では相矛盾する役割りを、大学は矛盾の中に引き受けなければならないというふうにお考えなのか、それとも量的拡大と質的充実ということは相矛盾するものであるから当然質的な要求、先ほどおっしゃった専門家というものと学問の後継者を養成するというような役割りを果たす高等教育機関と、三番目に御指摘のあったいわば量的拡大にこたえる高等教育機関という二つの系統に日本の大学は再編成されるべきであるというふうにお考えなのか、その点はいかがでしょうか。
  19. 飯島宗一

    飯島参考人 問題を、いま西岡委員のおっしゃったように非常にクリアにある機能とある機能というものに分けますと、論理の必然性から言って、主としていま言った専門家養成、それから学問的後継者養成のインスティチューションと一般的な教養ないしは学問、文化を広く付与する機能というものとは論理的には二つの機能に分化しなければならないということになるのは当然であると思いますが、しかし私どもは、実は大学なりあるいは学校なりという機関というものが、それほど論理的にクリアにカットできる要素ばかりを持っているわけではない。たとえば研究を進めていく、あるいは専門家を養成するというものの中にも、多くの若い諸君に接触をする中からおのずから大学教育の中でそういう方向に定まっていく人を見守って養成するというゆとりが少なくともインスティチューションの中にはなければならない。それからまた、逆に一般市民にいわゆる高等と申しますか、ポストセカンダリーエデュケーションの意味での知識、文化を与えるといたしましても、与えるもとをどこが生産するかと言えば、どこかでやはり学問の創造ということをやらなければならない。ある部分は学問の創造だけに限られ、ある部分はその創造されたもののメッセンジャーにとどまるというような形態は、社会的、現実的に存在している大学としては、あるいは社会の進歩によってはそういうことがよりクリアになる部分が出てくる。たとえば付置研究所なりあるいは研究所がだんだんに高等教育機関の中であるシェアをふやしていくということはあるかもしれませんし、あるいはいわゆるコミュニティーカレッジのような形で主として知識の伝達のような部分が肥大していくということはあり得るかもしれませんし、それは当然のことでありますけれども、現在私ども総合大学として認識しておりますのは、いま御指摘の矛盾的要素というものは存在するけれども、歴史的、現実的な存在形態としての総合大学というものは、その矛盾をなるべく克服する形で私ども大学考えていきたい。それは先ほど申し上げましたように、ある論理の断面から言えば、分離さるべき要素を持っておるけれども、また別の観点から見れば、お互に相連係して一つになっていく部分というものも歴史的、現実的に存在しているのでありますから、私ども現在の現に大学をお預かりしている者の立場としては、いまのような意識で大学改革なりあるいは大学の機能の整備ということに努めてまいりたいというふうに考えております。
  20. 山原健二郎

    ○山原小委員 三つばかりお尋ねしたいのですが、一つは、先ほど昭和四十五年から国大協共通一次試験というものに到達する経過と考え方が報告されたわけですが、これは純粋に国大協自体の経過の御報告であったと思いますけれども、この間に、たとえば他動的といいましょうか、政治的あるいは文部省などの見解というものがどのような形で国大協に反映をされてきたか、そういうものは全くなくて国大協自体が共通一次試験ということに到達したかという問題でございます。これを少しお聞きしたいと思うのです。  それから二つ目は、一期校と二期校の問題でありますが、一期校二期校というのは、もともとそういう制度ができたときにどういう理念のもとにできたかということが私には少し不明確なんです。したがって、一期校、二期校を一元化する場合に、考え方としてはいろいろな形態が考えられたのではなかろうかと思うのです。たとえば一期校、二期校を固定化せずに流動的なものにするとかいうようなこともあり得たのではないかと思います。しかし一方では、共通一次テストというものが設定をされると必然的に一期校、二期校が解消されて一元化されたのではなかろうか、そういうことを感じるわけでございますが、最初にこの二つの点についてお伺いしておきます。
  21. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 第一の問題でございますが、国大協がこの点の検討をしてくる経緯においてほかの方からのいろいろな問題があったかどうかということでございますが、これは一言で申しますと、全くございません。国大協、実は四十五年から始まったわけですけれども、私が委員になりましたのは四十六年からでございますが、それ以外は国大協が全くの大学という共通意識において議論を進めてきてこのような結果に到達したということでございまして、その点では文部省なり何なりからの指示というものはございません。ただ、問題ありとするならば、例の改善会議がございますが、改善会議と通称で私ども言っておりますが、そういうところの方で御議論いただいている点は、私どもとしてむしろ主体的にそれを読ませていただいているということはございます。ございますが、この方式検討してくる過程においては、全く国立大学の教官連中の一つのコンセンサスを得るという努力をこの六、七年間続けてきたということにとどまろうかと思います。具体的なことでもっと御質問がございますればお答えいたします。  それから第二番目の一期校、二期校が共通一次試験をやるということに伴って、一期校、二期校を解消することが出てきたのではないかというお話だと思いますが、実はこの一期校、二期校と、共通一次試験方式というものを考えるに至りました経緯は、国大協検討の経緯を申しますと、第二常置委員会入試問題の改善はこの二つの問題があるということをまず最初に認識いたしました。それから検討を進めてまいりましたが、この二つの問題についてそれぞれ別の特別委員会がつくられました。その意味では、一期校と二期校というものの解消問題と共通一次試験問題というものは、検討の経過においては全く独立的に進んできております。現に、一期校、二期校というものを解消して一本立てにすべしという理屈は、国大協としましてはいまから三年前にもうすでに結論を出しております。その時点では共通一次方式はまだ中間報告を出す段階にまでも至っておりません。ですから、この二つの問題は実は質的に非常に違う問題を絡んでおりまして、それぞれ別々に解決すべき問題であるというふうに話の発端がございます。  ところで、この共通一次方式というものを考えるに至りましたときに、いま一期校、二期校を一斉にすべしということは、全体的な入学試験改善という点では、それが非常に無理なく合理的にドッキングをしたということの考え方であろうと思います。  一期校、二期校についてのいろいろなメリット、デメリットについては、いろいろございますが、先ほどその一端を申しましたけれども、その線で一期校、二期校はすでに三年前に、解消すべしというのが国大協の全体的な意見としてまとまったわけでございます。ですから、共通一次試験というものを考えるために一期校、二期校を解消したということではございません。
  22. 山原健二郎

    ○山原小委員 そうしますと、足かけ七年前から国大協検討が始まって、四年たった約三年前、大体一期校、二期校問題についての結論が出ている。それから後で共通一次試験の問題が出てくるということになりますと、共通一次試験という問題については、比較的新しい時期で、こちらから見るならば遅い時期で、決定をされたということになるのでしょうか。共通一次試験という問題はかなりそういう意味ではいろいろ言われてきたけれども、約二、三年前にほぼ結論に達したというふうに考えてよろしいのでしょうか。
  23. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 時間的経過の問題に絡むと思いますが、第二常置委員会で二つの問題を同時に取り上げ始めたわけでして、そしてそれをするためには第二常置委員会自体がその二つの問題を検討するに、余りに問題が大きかろうということで、それぞれ特別委員会を二つつくったわけです。その二つつくった段階で、すでに出発点においてその特別委員会ができた段階では、一期校、二期校をどう考えるかという問題と、もう一つはそのときすでにもう共通一次方式はどうであろうかという研究問題がそこが出発点になっております。共通一次方式というものを理念的に考えたのはその以前になって、四十五年にさかのぼるわけでして、四十六年に特別委員会ができた段階では、その特別委員会共通一次方式というものが十分に考え方としても成り立つか、それに合理性があるかないかという点を始めたわけでして、しかし問題が共通一次方式というのは一期校、二期校を一本化するということよりも、内容的には非常に複雑な問題をはらんでおります。そのことが時間的に非常にかかってきたということでして、現実に共通一次方式考えるに当たっては実際上の実験的なテストもしなければならぬという問題も出てきておりますし、そういうことのために時間がかかってきたということで、一期校、二期校がいま御質問いただいたように見解が統一した後に共通一次方式というものを考え出したということではございません。
  24. 山原健二郎

    ○山原小委員 もう一回、時間をとってはいけませんので……。  四十五年に発足した当時から共通一次テストという問題が私はあったと思いますけれども、そのほかにもいろいろな形態の問題があったわけですね。それは何か報告書の中に出ているのでしょうか。
  25. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 その四十五年から特別委員会ができて以後のつながりの、その共通一次方式考えるに至ってからの時間が非常に長いわけですが、それ以前にはたとえば一斉にもう全部、お互いの現在、現状でもって、一期校、二期校を解消して現状状態でやったらよろしいとか、あるいは各大学が自在に適当なそれぞれの大学の主観において考えた日にちにやったらよろしいとか、そういういろいろな方式考えられますが、それを議論したあげくに、その当時もうすでに共通一次方式一つのテーマとして上がっておりますが、そういう議論の経過は詳しい報告としては国大協としては出しておりません。部内のものとしての記録はございます。
  26. 山原健二郎

    ○山原小委員 幾つかの方式が出た中で共通一次試験が浮かび上がってきて、これを採択したという……。
  27. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 そうです。理念的にはこれが一番よろしかろうということで出発しておるわけです。
  28. 曾禰益

    ○曽祢小委員 これは詳しくは第二次試験のときにお尋ねすることかもしれませんが、基本的な問題ですから。  第一次と第二次とを分けている意味が、先ほどから特に加藤参考人のお話ですが、なるべく必要にして十分なデータを集めて選抜したいということから言って、第一次試験のあれで大体総合的に高校卒の学力テストするのに必要にして十分だと仮にしても、やはり学校によっては特殊のたとえば体育とか音楽とかいう場合には特にそうでしょう、特殊の能力テストが要る、そういう意味での第二次試験というものをどうしても合理化しなければならぬという面があるように考えられます。それとともに、しかし第一次試験をどんなにあれしてみてもやはりマークシート方式というようなものでやれば、いわゆる一発勝負的に終わるので、やはりそれでは足りぬではないか。かと言って、三十万人ぐらいのあれを大量に消化するためには、個々面接だとか内申書ですか調査書等々で一々点検するわけにいかない。だから第一次試験にはやはり技術的に限界がある。したがって、その分はやはり第二次で各校でやってもらってもしようがないだろう。だから各校で能力テストする必要がある部門と、必ずしもそうでなしに、第一次ではどうも無理だ、だからどうしても二次において各大学がやる中に当然にもう少しバランスのとれた能力テストする分と、自分の学校にふさわしいもの、両方あるんだ、それを第二次と総括しているのだ、こういう意味にもとられるのですが、大体どうなのですか。
  29. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 おっしゃるとおりでございます。と申しますのは、先ほど一般論的に申しましたので、具体的な個々の問題にすでにお触れいただいたかと思います。おっしゃるように、共通一次試験というのは学力としての高等学校における基盤的に持っている知識を見るのだ、それに加えてその次の段階として各大学あるいは各学部がそれぞれのキャラクターを持っている。と同時に、それに対応して志願者のそれに対する適性がそれにタイアップするはずであるという考え方、その中には、ですから第二次としては学力も含むであろうし、いまの特殊な面では技能的なものも含むはずであります。そういう点を含めて第二次としてやっていただくというのが趣旨であります。同時に、いまおっしゃるようにこの三十万から、私どもこの共通一次をやるに当たっては四十万ないし五十万を想定しております。そういうものを高等学校における達成度という表現を使わしていただきますが、それを学力試験をするためには、これは当然の結果としていわゆるマークシート方式でそれを処置しなければなりません。マークシート方式によっても、世に言うところの客観テストというものについての研究をずいぶん深めなくてはならない、それが先ほどもお話がございましたように、年数を要した一つの要素でもあるわけですが、客観テストをなるべく、たとえば具体的に申しますと、客観テストであってもグラフも書けるようなテストはできないか、そういうような研究をずいぶんと重ねてまいりました。世に言うところの客観テストよりは非常に進んだ形の客観テストができるように一応なってまいりました。これは今後とも研究が続くはずだと思っております。それであったところでやはり局限があります、制限があるわけでして、たとえば表現力とか長い作文的なものとか、そういうものは課すことができません。そういう点もこの二次試験の方で欠を補う、つまり二次試験の広い意味学力試験というものの中にはそういうものも加えていただく必要があろう。ですから、これは別に分けますと、小論文的なものとか、あるいはでき得べくんば面接もやる、そういう要素も含めて第二次の選抜試験をやっていただく、それが私ども趣旨でございます。いまおっしゃったとおりのことが二次の中には含んでおります。これの客観テスト云々につきましては……。
  30. 湊秀雄

    ○湊参考人 ただいまのお話をちょっと付言させていただきます。いずれまた技術的な問題につきましては次の項目で触れさせていただきたいと存じますけれども、ただいま加藤参考人から申し上げましたように、認定といたしましてはマークシートの方式を全部私ども検討いたしまして、読解力だとか思考力等も見られるようになっておりますが、ただ、いかんせんどうにもできませんのは、文章を書かせて読み取るということでございます。現在の社会からの要望といたしましては、やはり文章を書くということが大変重要でございますが、この点はいたし方なく二次に譲らざるを得ないというのが一点でございます。  それともう一点は、先ほどから御説明申し上げておりますように、共通一次試験と申しますのは、広く全部の高校生が受けられるようにするということでございますので、必修科目に限るということでございます。ところが、私、理科関係なものでございますので、ちょっと例を挙げさせていただきますが、たとえば理科の化学に進みたい、ケミストリーに進みたいという入学者に対しまして、実は化学の一次でございますと無機化学が主体で、有機化学はほとんど出題されないわけでございます。ところが入りましても、やはり有機化学の知識というものは当然その専門家にはある程度は必要でございますので、そういう点、必要なことは二次でやらなければならない。こういうことで、共通一次テストの方法における制限と、もう一点は内容における制限というのもございますので、二次ではそれを補っていく。ただし、一次と二次を十分有機的に関連させながら最後の選抜を行う、もちろん面接等もそれに入れてでございますけれども。こういうようなことが現在考えられております趣旨でございます。
  31. 藤波孝生

    藤波委員長 よろしゅうございますか。
  32. 曾禰益

    ○曽祢小委員 結構です。
  33. 鍛冶清

    ○鍛冶小委員 せっかくこういうテストをやるということになってきたわけですが、やるためには、ぜひとも、いまの受験地獄なり教育に与える影響は大変大きいですし、よりよくなるためにという考え方でやらなければいけないと思うのです。そういう意味で善意に御解釈を願って、多少失礼なことをお聞きするようになるかもわかりませんが、お許しを願いたいと思います。  私どもとしては、長年かけて国大協で先生方鋭意ここまでまとめていただいて、こういうものに踏み切るということについて、その努力には大変敬意を表しておるわけでございますけれども、私たち国民の側それから受験する側、父兄の側、こういった立場から見ますとやはり大変な問題でございますし、その行うについての内容はやはり早く知りながら、しかもメリット、デメリットというものをわきまえながらよりよい方向に進んでいくということでなければいけませんし、国民全体の一つの流れといいますか、これを実施するに当たっては、どうしてもよりよい方向にやろうというような意味での世論を盛り上げていくということが非常に大切ではないかというふうに実は考えておるわけです。そういう意味で、先ほどお答えいただいた中でも、各界との話し合いもしたというふうなお話は出ておったのでございますけれども、実際に私も地元に帰ってあちらこちらいろいろな人に会ったたびに聞いてみますと、この問題についての認識というのがほとんどありません。しかもそういう話をしますと、むしろ重荷として考えている向きが大変多いわけです。そういう中で、私も初めて国会に入りましたので教育の方には素人でございますけれども、そういう意味ではもう一つどもの重荷としては、ここまで年月かけてコンセンサスをしていただいたのであるならば、さらにそういう国大協以外のたとえば私立大学関係、それから日教組の関係とか父兄の団体等もございますし、マスコミの方々もいらっしゃいますし、またわれわれ政党側もありますし、そういう側に対しても思い切った、大胆な提案かもわかりませんが、素人的な考え方かもわかりませんが、そういうメリット、デメリットははっきりと示しながら、総合的に判断してなおかっこういうメリットも考えられる、そういうことを実施するについてどういう考え方か、率直にお聞かせ願いたい。もう一年ぐらい時間をかけて、文部当局がやる問題であるか国大協がやる問題か、そこのところははっきりわかりませんけれども、そういう形の中でしっかりもんで、みんなでやる気を起こした中で、デメリットがありながらも、よしというような世論のコンセンサスをもう一つ大きくおやりいただいたらよかったのじゃなかろうか。そういう意味で、いままでの話し合いの中で、対外的に特にやらなければならぬことに対する話し合いというものが足りなかったのじゃないだろうか。十分いままでのコンセンサスの内容を存じませんのでわかりませんが、そういう感じがしてならないわけです。そういう点についての国大協あたりでおやりになりました努力なりやり方なりというものについてお聞かせ願いたい。
  34. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 おっしゃる筋ごもっともだと思います。実は、これは私どもの持つ性格の欠点の面が一つあろうかと思いますが、いまお話しいただきました御趣旨については、大いに努力してやるべしという考え方を持っているわけですし、従来も持ってきたわけでございます。一つ重要なことは、この方式国大協がやっているわけですけれども、毎年学長を含めて教官も委員もやっていただきますが、大体二百名から三百名の委員を動員しましてこの六年か七年やってきたわけです。私どもとしては大変な努力をしてきたわけですが、それにもかかわらず問題なのは、当面主人公である大学全体のコンセンサスを得ることが一つの大きな問題でございます。そういう意味で、途中正式に五回にわたって国立大学すべてに対するアンケートを出したり、それの往復をやっております。さらに中間報告を出して以後は、この委員がブロック別に出向きまして、大学当局のそれを担当する教官なり事務、そういう者に対して説明会を開くと同時に質問をいただく。つまり、委員でもまだ大学という立場に立っても考え及ばぬ面があるのではないかという懸念を持ちますので、そういうことをまず重ねてまいりました。さらに、いまおっしゃるように大学批判される立場でありますから、やはり批判者側の意見は当然に聞くべきであるということで、いま申しましたのと並行いたしまして高等学校会議、そういう方々にはこちらからも御連絡を申し上げるし、先方からも御連絡をいただいて、その都度に応じてブロック別に説明会をやる。さらに説明会に出ました委員は、あるいは県単位でもあるいは学校単位でも、説明を必要とするならばいつでも出向きますということの私ども考え方を申し述べまして、私自身も数回県単位なりあるいは学校単位には出向きまして、御説明申し上げると同時に御意見を伺って、その後の検討資料にさせていただいたという経緯はございます。さらにもう一つは、いまちょっとお言葉に出ておりましたが、日教組関係とも年に一度ないし二度は必ずお目にかかって、いろいろな御意見も伺うし、こちらの趣旨もお伝え申し上げておるという経緯はたどってきておりますが、それにもかかわらず、いま御指摘いただいたような点の漏れがないとは言えない。そこいらに私ども持っている、最初に申し上げました性格なり人間性なりが反映している可能性もあろうと思います。私ども趣旨としては、そういう機会はできるだけ多く求めていきたいと思います。  もう一つは、入試センターをお願いしているわけですが、それが発足しても、今後ともこれの内容改善は進んでいかなくてはなりませんので、そういう御意見を伺い、御注意いただくような一つのシステムを考える必要があろうか、いままでは私どもがいわば一種の研究グループとして研究してきておりましたから、随時そういう機会を積極的に求めたし、求められれば積極的にそれに対応したという筋をとってきておりますので、今後はもっと積極性を持ってそういうもののあり方を具体的に考えながら、当然また改良していかなくてはならぬことだと思っております。
  35. 小川仁一

    ○小川(仁)小委員 大学格差の問題なのですけれども、浮き上がるだろう、明確になってくるだろうというおそれをお話しになりましたが、大変失礼ですが、大学の学区制などということについて国大協の中でお話し合いになったことがございますか。大学の種類で言えば、北海道から九州まで旧帝大がありますし、新しく各県に大学ができてきた、そういう中で学区制問題をお考えになったことはございますか。
  36. 飯島宗一

    飯島参考人 言葉のそのままの意味での学区制という問題を国大協で特に取り上げて議論したことはないと思います。ただ、全国的に国立大学学部その他の分布が非常に不均衡であるという問題は、国大協から大学改革のいろいろな調査報告書が出ておりまして、そういう議論の範囲内でもかなり出ておりますし、それから、私どもの協会の組織の性格上主として話は国立大学に限られますけれども国立大学の分布、格差の解消ということについては大変多くの研究意見が出ておりまして、国内における分布のバランスを十分にうまくとりながら全体として整備していくという点についての意見文部省その他にもたびたび申しております。ただ、言葉の意味どおりでの学区制という議論はしておりません。
  37. 木島喜兵衞

    木島委員 時間が大変延びていますから簡単に聞きますが、一つは、第一次テストは難問奇問ということですかね。選択肢が多く、かつ高校を普通にやっておればということになりますと、問題例がそう多くないのではないかというのが受験産業等の意見ですね。何年かやっていきますと、受験産業もやりますから、おのずから問題はみんな準備でもってできてしまう。しょせん、みんないい点になりますね、みんな満点に近くなる。満点に近くなるから、点でもって選択すればしょせんそこに集中する。ということになると選択できませんから、したがって難問奇問になる可能性はないのか、これが第一。  第二は、さっきちょっと飯島先生からお話がございましたが、第一次で、学部ごとに、五教科のうち加重採点ですか、たとえば理科系ならば数学と理科は二倍にするとか、文科系ならば国語と社会あるいは英語を二倍にするとかというようなことを各大学考えますか、考えませんか。
  38. 湊秀雄

    ○湊参考人 ただいまは二点の御質問だと思いますが、一点は、こういう試験方法をとっておりますと問題が種切れになるというような解釈でよろしゅうございましょうか。——そういう点でございますが、こういう客観テストの特徴といたしましては、時間に対して問題数を比較的多くするというのが一つ方式でございます。出ております問題等をごらんいただきますとそういう傾向がある程度あらわれておると思いますが、こういうことで、あるいは類似の問題が出るかもしれませんけれども、それぞれ年によって問題の内容が少しずつ変わってきておるわけでございまして、全く種切れになって例年同じ問題が出るということは皆無だと私は思います。このような点は、たとえばすでにやっておりますアメリカのテストなどでもそうでございまして、比較的問題数を多くしてそういう点をカバーしているというのがこの方法の常識と申しますかルールでございますので、そういう点でいくように私ども考えております。それから、高校の必修の内容と申しましても大変なボリュームでございますから、これを全部まる暗記するということはちょっと考えられませんので、やはりこういう方式で十分差のつく試験ができるだろう、そういうふうにしなければならないということでここ数年間努力しておりまして、数年間繰り返しておりますが、年々新しい傾向の問題も現状ではつくられていっております。こういうことが一点でございます。  それから、第二点でございますが、第一次試験の取り扱い方につきましては各大学にお任せしてございますので、ただいま例をお挙げになりましたように、文科系、理科系での点数のウエートの差というものをお考えいただくことも多分にできます。ただ、そこで一つどもが御注意申し上げておりますのは、たとえば工学部に行く受験生と申しますか、入学選抜に対しまして、一次でも数学を二倍、物理を二倍ということにし、また二次でも物理のIIをやり数IIをやりということをいたしますと、ただ物理と数学さえできればこの大学の工学部は十分合格できるのだということは必ずしもいい選抜ではないだろうと思いますので、そういう点はよく御配慮いただきまして、選抜方式を独自にお考えいただきます場合も十分御配慮いただきたい、こういうふうにお願いしております。
  39. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 いまの第一の問題に関連しまして少し補足させていただきます。  種切れというのは非常にわかりやすい言葉ですが、そういう点は考え方としてあり得るわけですけれども、そうあってはならぬというのが私ども考え方なのです。それに対応した組織が一つございますが、たとえば私ども大学だけでそういうことをやりますと、あるいはそういうことが早い時期に来る可能性もあるかもしれませんが、今度の設題委員というのは、全国の大学から委嘱した委員をもって構成し、それが二年交代あるいは三年交代でかわっていくということで、人が違ってくるわけです。ですから、頭の中で考える抽象的な同じ設問でも、問題そのものの形においては変わってくる可能性があるし、変わらなければならぬと考えております。そういう問題設定委員なり作成委員なり選定委員というものを流動的に全国から集めてやる、衆知を集めてやるということが、いい問題をつくると同時に、そういう問題の一つのチェックになるわけです。そういう努力をずっと重ねていこうというのが私ども考え方で、かなり長い間は種切れという現象はまず出ないだろうと思います。  もう一つは、先ほどもちょっと出ましたように、客観テストあり方の中に、思考力そのものをずばり出すような作文はできませんけれども、思考しなければ答えられないような設問の方式をずいぶん研究を進めてきておりますので、そういうことも、単純明快な意味でのマル・バツではない、機械的な答えではないということを私ども考えていきたいと思っておるわけです。
  40. 藤波孝生

    藤波委員長 いろいろ御質疑がおありのことと思いますが、入試改善の全体的な仕組みについて、総論として少し時間をかけて御質疑お願いしたわけでございます。     —————————————
  41. 藤波孝生

    藤波委員長 大体、各委員からそれぞれ御質疑は一わたりありましたので、各論に入って、また総論的なことについてもどうぞ御遠慮なく御意見を出していただいて結構でございますので、進ましていただきたいたいと思います。  冒頭にお伺いをいたしましたメモによりまして、まず共通第一次学力試験実施に伴う内容とかいろいろな問題点について御意見をお述べいただきたいと思います。加藤参考人
  42. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 これを読ましていただきますと、大学入試あり方が、高校教育に大きな影響を及ぼすという点、それと期日の問題それからマークシートの問題、さらに職業高校の出身生の配慮という項目が中に盛られておると思いますが、共通一次方式考えました点で、全般的に申しますと、高等学校教育に悪い影響を与えることがあってはならぬという考え方でございます。つまり、従来高等学校教育にある種のひずみを与えているのではないかという批判があるわけでございます。その点をやはり私どもは非常に重要な問題として考えたわけでございまして、それが共通一次、二次というものを考え一つ趣旨になっているわけです。  この共通一次の科目必修科目にして五教科科目を課させていただいた、その中で、必修と私先ほどから申しておりますが、外国語だけは高等学校で必修ではございません。しかし外国語につきましては、大学の教育という立場をとらせていただきますと、外国語についての学力試験はどうしても避けることはできないというので、それだけは加えさしていただいておりますが、それ以外のことにつきましては必修を基準にして第一次テストをやる、入学試験学力試験をやるということです。  五教科科目をやるということでそれに対する批判をいただいておりますのは、一つはその科目をもっと少なくできないかという批判をあちらこちらで聞いております。しかし、もしもわれわれがその科目を狭めますと、これは実は高等学校教育に非常なゆがみをむしろ与えるのではないかというふうに考えております。つまり、基本的に持つべき科目として高等学校にこれだけ設定されているわけですから、なるべく底の広い立場での適切な設問をすれば、むしろ高等学校の教育の正常化にその点でもわれわれとしての手助けができるのではないかという考え方一つ持っております。当然にそのとき絶対条件としてわれわれに課せられているのは、適切な問題でなくてはならぬということであります。そういうことが全般的な共通一次試験教科科目考える場合に考えさしていただいた非常に重要な一つの問題でございます。  次の時期の問題でございますが、十二月下旬というのは、高等学校は三月に終わるわけですから、まだ途中になっているわけですけれども、この点に対して私どもはやはり非常に問題を感じたわけでございます。ただここの点は、いま批判をいただいておりますように、二月ないし三月に共通一次がもし行われるとするならばそれが非常に理想的であろうと思います。ただ、三月二十日段階で大学が受け入れるべき入学者を決定するという一つの基準がございます。それに対して、共通一次、二次方式考えさしていただくとなりますと、コンピューターなり何なりの作業過程というものを当然に頭に入れなければなりませんし、それの逆算をしますと冬休み段階でやらなければどうにも処置ができないという問題が一つございます。そういうことから、機械的な意味がかなり大きな意味として十二月下旬というのを共通一次として考えさしていただいたわけです。  そのときに問題になりますのは、高等学校における教科課程のタイムスケジュールに合わせて検討しましたのですが、共通一次は——二次は当然に従来と同じように三月に行われますから高等学校教科課程に対して乱すことはないわけですが、一次は下旬ですから、その点でまだ二カ月分残っているという問題があるわけですが、それにひっかかりますのは、先ほどから申しましたように、共通一次は必修科目を主としてございます。その点では高等学校において低学年ですでに履修済みであるという問題が大部分については言えるわけです。ただ、それがひつかかってまいりますのは、社会の歴史、特に日本史関係が現実の高等学校教科のタイムスケジュールを組みますとひっかかる面が出てまいります。その部分につきましては、私どもとして共通一次試験の問題作成に当たっては、その進行過程を十分に参酌しながら設問をすべしというふうに考えておりまして、高等学校の教育を乱さないように、つまり一月、二月についての履修されるであろう部分については、そのひっかかります社会の中の日本史というものについては、それを考えながら、そういう状態であるということを承知した設問をすべしというふうにしてそれに対応しようかというふうに考えているわけです。  そこで、実はその点を全く合理的にしますと、当然に三月末にやらなければならない。そうしますと四月入学という点にひっかかってまいります。そういう根本的な制度というものについては、われわれ委員会としてはそれをいじることはこの際は考えずにいこうじゃないかという点からこのような実際上の問題になったわけでございます。それについてもいろいろなあれがあろうかと思いますが、そういう実情に従ってこのようなことを考えて、高等学校教育を乱さないような趣旨の設問をすべしというふうに考えたわけであります。  その次の段階のマークシート云々、それから職業高校につきましては湊先生から……。
  43. 湊秀雄

    ○湊参考人 たびたびお話が出ております、技術的な問題でございますマークシートを利用いたしました答案用紙形式による客観テストでございますが、このマークシート形式の客観テストと申しますのは諸外国でも使われております方法でございまして、私どもも私どもなりにここ数年間綿密に検討してまいった次第でございます。  その結果は、いわゆる客観テストであってマークシート形式であると言えばマル・バツ形式だというふうに取りやすいものでございますけれども、ある程度検討してまいりました段階においては、非常に綿密な試験が可能であるようになってまいりました。たとえば国語等でございますと、思考力だとかあるいは読解力等も相当のところまで検討することができるようでございます。  なお、技術的な点につきまして触れさせていただきますと、一組のマークの中でダブルマーク等を選びまして、二カ所正確についていればこれで相当の読解力、理解力等のテストができますようなことも検討いたしましたし、また、A段階からの選択肢から何を選べば、それによって正解はB段階からは、次のランクの選択肢の中からは何を選ぶのが正解であるというようなこと、それから十点もありますし、あるいは五点もあるというような採点方法等もとれるようになりまして、こういうことを厳密に検討してまいりますと、読解力、思考力というようなこともテストできるようになってまいりました。  ただいま申し上げましたのは国語の例でございますが、同時にやはり社会の二部の科目ではこういうことが可能でございます。  それからまた、数学、理科等でございますが、先ほど加藤参考人から申し上げましたが、簡単なグラフでございますと、書かせて、これを読み取りまして、そして採点も十分可能であるようになっております。  また、数学で申しますと、座標を決めておきまして、その中で所定の場所の面積だとかあるいはエリアの指定等も十分にできまして、その間で細かい採点ができます。  それから理科あるいは数学にも関係いたしますし、時によりますと社会等にも関係いたしますが、図を書きまして、その上にマークをさせて図面上の位置の採点というようなことも可能になってまいりました。  それからまた、数学でございますが、実際に計算して出しました数値をこのマークシートの上にマークによって書き写させるということもできますし、また、文字をその中に入れなければなりませんような場合は、文字を選択肢として使うというようなことで、ただこれが合っているか違っているかというような簡単な方法ではなくて、数値も書き入れるというようなことも可能になってまいりました次第でございます。こういうことで大変綿密な試験が可能になったのでございますが、なおマークシート形式でございますと、正解でないところにマークをしておりましても、全部マークしておけば点が取れるのではないかというような御懸念も起こるのではないかと思いますが、これにつきましては現在余分のところにマークしておりますとそれで減点方式をとっておりますので、とにかくマークさえすれば点が取れるというような形式は現在成り立たない形にしております。こういうことで大変私ども考えます綿密な試験が可能になったように考えております。  ただ先ほど申し上げましたように、いかにこういう方法をとりましてもマークシートを使うという形でございますと、文章を書かせましたり、あるいは書き取りをさせるということは不可能でございますので、こういう点はやはり二次試験に譲らざるを得ない、これが一つの限度でございます。  それからこのマークシートの読み取り精度というようなこともございまして、これまで三年間国産の機械で十分検討してまいりましたが、精度、それからスピードというような点につきましてちょっと問題点ございますが、これは国産の機械といいますのがマークシートを読み取る専用機ということで開発されておりませんで、むしろ文字を読む方に相当の重点を置いておりますためこういう方面で問題点がございます。ところが国外で、特にアメリカでございますが、このマークシートを読み取らせるやり方というのを多年検討しておりまして、その専用機を長い年月をかけて開発しております。これは諸外国に輸出して使っておりますので、日本の方法でもこの方式を使わざるを得ないのではないかということで検討してまいりまして、すでに機種等も決定し、予算等の御配慮もいただいておりますが、こういうことで正確な読み取り、それからスピードを上げた読み取りということも十分検討してまいりまして、本年の秋から冬にかけましての試行テスト、それから本番の試験というものに対して備えております。こういうことでマークシート方式を使いました客観テストも、マル・バツではなくて、ただいま申し上げました相当綿密な試験が可能であるというところまで進めております。先ほども御指摘ございましたように、長い年月がかかりましたのにも、一点にはこういう具体面の検討があったからでございます。  それから職業高校の出身者への配慮ということでございますが、この問題につきましては職業高校からのいろいろの御要望もありますし、私どもも職業高校の御意見を十分尊重しながら検討してまいりましたが、職業高校でやっております専門科目共通一次に取り入れられないかというような点が一点でございましたが、この点につきましてはいろいろ御相談申し上げたところでございますが、余り出題科目が多岐にわたりましても、学科、学科の間のアンバランス等もございますので、そういう点はこういう共通試験という性格においてはいささか困難であろうということでございますので、職業高校の出身者に対しまして一番問題になりますのは、一つは数学でありますし、第二は理科でございます。こういうことで職業高校の必須科目としてそういう方面をカバーしておりますのに、数学では数学一般という科目が必須に課せられておりますし、理科では基礎理科というものが課せられておりますので、そういう人たちに対しましては高校で履修したものに限るという条件をつけておりますが、数学一般及び基礎理科でこれをカバーするようにということで、職業高校のそれぞれの職業課程の代替科目というような問題をこれで配慮させていただいております。  それからもう一点、職業高校出身者につきまして問題点になっておりますのは外国語でございまして、普通高校でございますと、英語Bという課程で進んでまいっておりますが、職業高校の一部におきましては、少し範囲の狭い英語Aというので履修しております。こういうことでございますので、いろいろ御相談を申し上げながらこれまで検討してまいりました結果では、英語Aの範囲での出題ということもいたしまして、そして職業高校の出身者に対して不利な取り扱いをやらないようにということで現在鋭意検討を進めております。職業高校につきましては、このような点をいろいろ職業高校の先生方とも御相談を申し上げながら十分配慮して検討しておる次第でございます。  ただいま私ちょっとうっかりしておりましたが、こういうような職業高校で受けられております専門の科目につきましては、それぞれの志望大学におきましての二次試験でこういう出題を可能な限りやっていただいて、十分配慮していただきますようお願いしております。この点につきましては、すでに現在の入学試験でも職業高校の職業課程の出題につきまして実施しておられ、十分御配慮願っておりますので、そういう方面での御努力を特に期待しております。  それからまた職業高校からの受験生につきましては従来も行われておりますが、推薦入学という点を十分配慮いたしまして、これにつきましては推薦入学そのものの趣旨がいろいろございますので、共通一次学力試験の成績を加味する、あるいは加味しなくてもよろしいという二本立てで十分検討しておりますので、こういう点でも、いろいろ職業高校出身者の方につきまして、この方法を含めて検討しております。
  44. 藤波孝生

    藤波委員長 以上の御意見に対してどうぞ御質疑お願いします。
  45. 長谷川峻

    ○長谷川(峻)小委員 いま推薦の話が出ましたが、私も文教委員会に大分所属しているけれども国立大学で推薦で学生を入れるという話は余り聞かないが、どういうところでどういうふうに入れているかちょっと聞かしてください。
  46. 佐野文一郎

    ○佐野(文)政府委員 とりあえず数字だけを申し上げますが、五十二年度の入試では、推薦入学を採用しておりますのは国立三十三大学であります。それから短大では国立は十二が採用しております。私立に比べれば数はまだかなり少ないのですけれども、全体の数からしますとかなり多いのです。
  47. 長谷川峻

    ○長谷川(峻)小委員 どういう大学、どういう学科ですか。
  48. 佐野文一郎

    ○佐野(文)政府委員 とりあえず手元に職業高校を指定している大学のものがございますので申し上げますと、弘前大学の農学部園芸学科、岩手大学学部の畜産学科、山形大学学部の高分子系統精密工学科、同じく山形大学の農学部園芸学科、茨城大学の農学部畜産学科、千葉大学園芸学部の園芸学科、島根大学学部の農学科、農林経済学科、林学科、香川大学の農学部園芸学科、愛媛大学学部の同じく園芸、林業、農業、工業、経営農学の各学科、高知大学の暖地農学科、長崎大学水産学部の水産学科、鹿児島大学水産学部の水産学科、そういったところが国立では職業高校を指定して推薦をさせております。
  49. 長谷川峻

    ○長谷川(峻)小委員 何名くらいですか。
  50. 佐野文一郎

    ○佐野(文)政府委員 いまのは農業高校その他の職業高校を指定しているものでございますが、それ以外に普通高校からの推薦等を求めているものもございますので、全体としては、五十一年度の数字ですが、国立大学二十八大学で推薦で入ってきたものが八百六名おります。
  51. 西岡武夫

    ○西岡小委員 共通一次試験実施時期についてでございますが、先ほどちょっと御説明ありましたけれども、やはり現状大学入試の時期自体にももちろん問題はあるわけですけれども、こうして国大協共通学力試験実施するということになれば、やはり高等教育とのかかわりについてはもっと真剣に考えるべきではないか。個々の配慮とかいうような問題ではなくて、十二月に共通試験をなさるということであれば、高等学校における教育の到達度を見るのだ、そういう趣旨から共通の一次試験というものがよりよい形で行われるという形で進められているわけでありまして、そうなりますと、大学は、高等学校の三年間の一番最後の部分の三学期というものは全く無視してその共通一次試験をなさるということに、どんなにいろいろ御説明があろうとも、事実の問題としてはなるわけですね。この点をやはりここまで問題を進めてこられた以上、避けてお通りにならないで、かねてから国大協でも御議論があるようでございますが、大学の始業の時期を思い切って九月なら九月にするという、これは国際的にも非常に大きなメリットがあるのではないかと思うのですけれども、そういうような根本的な改革というのはなぜお考えにならないのか、その点をまずお尋ねをしたいと思います。
  52. 飯島宗一

    飯島参考人 考えていないわけではございませんで、国立大学の中にも、学期の問題あるいは修業年限の問題あるいは学年の区切りの問題等について、いろいろな議論がございます。それで、いま御指摘のように、共通入試の問題は、最も端的にその問題にかかわりますけれども、同時に、国際交流が非常に盛んになってまいりましたので、多くの諸外国の大学と日本の大学の学期、学年の関係が調整されることは非常に好ましいということは議論をされておりますし、それから第二常置委員長若槻さん、ここにおられますので、その問題等についての現在の第二常置委員会での御議論も、あるいは後ほどお話があるかもしれませんが、検討を進めております。  ただ問題は、もしたとえば九月新学期ということに踏み切るといたしますと、高等学校までは三月修了で、大学は九月から始まる。これは大学にとっては、入学試験から言っても、採用から言っても、選択から言っても大変好都合でございますけれども、就職時期という問題からいたしますと、高等学校卒業した諸君の就職時期は四月であり、それから、もし大学を受けて、大学受験に失敗をして、就職をしようと思う諸君の採用時期は十月であり、大学卒業者の就職時期も、もし大学の年限を短縮しない限り九月であるというふうなことが、日本の現行の社会的な雇用状態及び高等学校卒業者への雇用状態影響を与えないかどうかというような問題もございますし、それから一般的に、会計年度が、全部のリズムが四月一日から始まって三月三十一日に終わるということになっておりますので、それらとの関係がどういうふうになってくるかという問題がございます。ただ、大学自体だけの立場に立てば、いま御指摘のように、九月新学期、そして九月修了、十月から始めて九月に終わるというようなリズム自体を、大学として非常に差し支えがあるという根拠は何もございません。したがいまして、これは大学だけでいわば議論をしてそういう考えをまとめていいことではなくて、関係方面とのお話が十分詰められる必要があると思いまけれども考えていないわけではございませんで、いろいろ影響するところが多いので、今後各方面と連絡をとりながら、慎重に事を進めていかなければならないという大体の姿勢でございます。
  53. 西岡武夫

    ○西岡小委員 いまの問題は、それでは国大協としては九月からの新学期ということは全く問題がないので、他との関連さえ別に問題がなければ、いつでも実施するというふうに理解してよろしゅうございますか。
  54. 飯島宗一

    飯島参考人 実は、きょうは国大協の代表ということで参っておりますけれども国大協での意思決定というのは、そういうことは委員会等で議論されておりますけれども、決めるとなれば、各大学へもう全部お伺いして、各大学の御意見を承って賛成という手続をとらなければなりませんので、いま私の申し上げたことで、国大協すなわち国立大学全体はそれで賛成であるというふうにおとりいただくのは、手続上の問題として少し尚早だと思います。
  55. 西岡武夫

    ○西岡小委員 そうであるならば、そういうことでこの共通一次試験実施の問題とも密接に関係する問題でございますから、思い切って国大協としての方向をお出しになったらどうでしょうか。
  56. 飯島宗一

    飯島参考人 大変重要な、参考的な御意見として承ります。  それからもう一つは、さっき申し落としましたけれども大学教育を終えるまでの年限が、したがって全体として半年間長くなるというような問題がございますので、検討は進めさせていただきますが、いろいろ問題点があるということは事実でございます。
  57. 西岡武夫

    ○西岡小委員 私は、夏休みというものを差し引けば、半年ではなくて三カ月で大体済むのではないかというように思っておりますが、やはりこの問題はそういう大学の始業の時期をどうするかということが社会的に大きな影響があるだろう、確かに事実あるわけですけれども、それは、非常に独断的に申せば、大した大きな問題ではないというふうに思いますし、そのことよりは、高等学校の教育を、やはり非常に大きな意味で、今度の共通一次試験というものを十二月に行うことによって、あるいはこれを仮に一月に持ってきたとしても事は同じでございまして、そのことの意味することをやはり国大協としても真剣にお考えになるべきではないか。そういたしませんと、共通一次試験というものが、やはりわが国高等学校における教育そのものに実質的にはどんなに工夫をしても影響を与えるということは、これは否定できないわけで、それは高等学校の犠牲において共通一次試験が行われるということを意味するわけですので、やはり国大協におかれては、その問題からこの新学期の問題ということに入っていただく方が入りやすいはずですし、一気に五十四年に共通一次試験実施されるという計画に合わせて、ぜひ抜本的な改革に取り組まれることを強く希望をいたします。
  58. 若槻哲雄

    若槻参考人 ただいまの御意見は、実施時期が十二月下旬ということで、これはもう全く技術的な問題でございますから、そういう問題は解消いたしますし、そのほかいろいろな面で、大学だけのことをことに今回お願いしておりますが、国立大学または公立大学だけのことでございましたら大変結構だとも思うのでございますけれども、たとえば私立大学のこともこれはまた関係がございますし、そうなりますと、またこの共通一次のやり方とか全体の仕組みについても私立大学の方のいろんな御事情もございますので、またかなり検討を要する。もし一緒にやるといたしますと、やはりかなり変わってくる、こういう可能性もございます。社会的な問題もございますので、これは始終、外国の大学は九月でございますので、そういう議論はちょくちょく出てくるのでございますけれども、やはり社会的な問題その他いろいろございますので、いままでは余りそういう方向で詰めて議論してございませんでしたけれども、今後一つ検討課題にさせていただきたいと思っております。
  59. 藤波孝生

    藤波委員長 ほかに……。どうぞ。
  60. 湊秀雄

    ○湊参考人 ちょっと一言よろしゅうございますか。  ただいま西岡さん、夏休みの三カ月間を差し引けばとおっしゃいましたが、実はこの三カ月間といいますのは理科関係学生にとりましては大変重要な実習期間でございますので、これはどうぞ差し引かないでやっていただきたい。
  61. 木島喜兵衞

    木島委員 さっき加藤さんから、高校教育を乱してはならないというお話でしたけれども、たださっきのお話の一期校、二期校という二回のチャンスをなくしたとするならば、大体いま大学生は平均しまして三・五回くらいの受験をしていますから、そうしますと、国立大学に二度のチャンスがあったのが一回になれば、倍率は半分になるかもしれませんけれども、その分は私立を受けますね。すると、私立はいままでどおりです。だから、高校からすれば、皆さんの国立大学協会としての御高配はわかっても、私立はいままでどおりでありますから、逆に言うならば、新しい国大の受験勉強といままでどおりの勉強を二重にしなければならないということになります。そういうことを抜きにして、国大協の面だけから見て高校にいい影響を与えるという、そういうことには直ちにならないという心配があると思います。国大協のこのことだけならばいいですね。しかし、私立を受けるんですから。すると、逆に高校は二重の混乱になるおそれはないのか。  そして、そのことを今度は逆に言うと、いま到達度ということを見るとすれば、いわば内申書的性格のものですね。それで、今回、内申書という式のものを重視するんだとおっしゃいますが、いままでだって重視することになっているのですが、実際には余り内申書というのは——これは私は大変だと思うのですよ。だって、三十万、いや四十万の子供が三回受けますと、内申書を書くだけでも高校の先生は大変ですね、何百万通書くわけですから。しかし、それがほとんど没になってしまう。しかし、第一次共通テストが内申書的性格のものであり、到達度を見るものであるとするならば、逆にいま皆さんが御研究になっていらっしゃることを高校サイドでやれば、到達度を見るという、その到達度は二学期なら二学期までの到達度でもいいし、それは私立も使えると。とすれば、いまの高校の問題に焦点を合わせれば、先ほど加藤さんがおっしゃいました高校のそういうものが解消される。そういう観点が一体なかったのだろうか。それが第一であります。  それから、第二は、たとえば思考力をいろいろマークシートで出せるかということで、いままで何回かやられましたテスト、あれの正解例がまだ出ておりません。あの正解例を出して識者の批判を受けていただきたい。初めてのテストですから、やはりその問題の中のあるものについては識者の間ではいろいろと疑問を持っているだろうと思うのです。悪いというのじゃないですよ、私は知りませんから。大変御研究なさっていることはわかりますけれども、しかし、その正解例を出して、その批判を識者から浴びることによってよりよきものができるのではないかという気がいたします。  それから、先ほど第一次の加重ということを申しましたのは、たとえば職業高校の場合、ある科目で一・二倍にするのだというようなことにすることによってそういう弊害を除去するようなことはできないだろうか、その点に関してです。
  62. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 いまのお話、非常にごもっともなんですが、国立大学協会考えましたことは、いわば全体で三十万志願者がある、それに八万の定員であるということなのですが、そこで、その姿をもって入学者を決めなければならぬということになれば、当然に選抜試験をさしてもらわなければならぬということになります。そこで、選抜試験を合理化するという立場での研究がずうっと進んできているわけなのです。そこで、その形として、共通一次、二次という二つの立場からの選抜あり方大学としてとりたいというのが趣旨でございます。  そこで、その一次として高等学校の教育を乱さないようにと考えている。全体として乱してはならぬわけですが、特に共通的にやる共通一次はその点に留意が非常になくてはならないわけです。そういうことから、共通一次というものを五教科科目、と申しますのは、高等学校における学力に関するような科目のほとんど全部という形になるわけです。それを合理的な姿でやろうということはどういうことかと言いますと、設問なり何なりの委員会なり何なりの構成を全国から集めて、そこでいい問題をしようという形、ということは、私どもとしては従来言うところのいわゆる高度の問題に対する一つ受験勉強ということが一つ問題であったわけですから、その点は避けることができるわけです。
  63. 木島喜兵衞

    木島委員 国大協としてですね。
  64. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 大学としてですね。大学という立場において、つまり難問なり何なりを出すということは避けられるわけですから、そこで高等学校全般の一つの姿を見るということはできるわけです。それが、高等学校に対しては、その意味で、高等学校で正常な教育が常に行われておれば、それに対応した問題が出されるのだという考え方です。ですから、その点は国大協だけの立場ではなくて、だから、そういう性質だということでかなり評価が、ある点において公立学校もそれを利用しようという姿が出てきたし、二、三の私立大学なんかでも、私も存じておりますが、それに非常な関心をお持ちになるようになってきたということだと解しているわけです。  そこで、高等学校側に対してやるという内申書とどこが違うのだという問題が一つあるわけでありますが、この立場は、私先ほど前半に申しましたように、選抜をさせていただくのだという立場における一つの要素としてそれを考えているのだということなのです。同時に一方では、大学としては高等学校における内申書も重要視していきましょうということがやはりここで打ち出されておるわけです。と同時に、受験生というものを一つの人口として扱うという立場が出てきますから、いわゆる客観的な立場というものはその共通一次試験という選抜のスタイルでやらせていただこう、その内容はいま申しましたようなことなものですから、かなり共通的な立場でもってそれを理解できるのではないかという考え方を持っているわけなんです。
  65. 木島喜兵衞

    木島委員 ちょっと、私の質問は、それはそれなりにわかるのです。けれども、この前この委員会でもって参考人をお呼びしたときに、私大側は大変に冷ややかであり、冷たいということでありますから、国大協としてお考えになることはよくわかりました。けれども、私立がそこに入らない限り、高校生からすればいままでどおりの受験勉強と新しいこのマークシートの受験の準備をせねばならぬという、これは二重ではございませんか。それが高校教育の正常化とどうなるのですかということです。
  66. 湊秀雄

    ○湊参考人 高校教育の正常化という問題はいろいろな観点があると思うのでございますが、一点は、先ほど加藤委員長より申し上げましたように、これは大変残念な現象でございますけれども入学試験に課せられない科目高校における授業というのは大変冷遇視されているというのがもう現状でございます。こういうことではいけないのではないかというのが今回の私どもの観点の一つでございますので、必修科目というのはなるべく平等に行われるようにということを考えまして、それで必修科目というのはとにかく共通一次試験では全部出題をする。ただし、これは全部の学生高校で全部平等に履修する時間はございませんので、その中から各受験生が選んだ、履修したものに限って、試験場で選択ができるようなことを、ここでは理科、社会についてでございますが、考えて、必修科目を受けている状況において、余分なことはしなくとも、共通一次学力試験は受けられる。そういうことでございます。
  67. 木島喜兵衞

    木島委員 それはわかっているのです。それはいいとしても、極論いたしますと、一期校、二期校が受からなかったら私立を受けますね。私立はいままでどおりですね。これは高校受験者だけから言えばその上に新しいものができるわけですから、これは高校ということだけから言えばない方がいい。いままでどおりなら二重でなく一重なのですが、そういうことをやったから、逆に言えば、私立も入ればいいのですけれども、このことをやることによって二重になりませんか、そういう質問なのです。
  68. 飯島宗一

    飯島参考人 私立も入った形で全体的な大学入試改善を行うということは、もちろん私どもの理想でございます。したがって、今回国立大学試験だけを共通一次化したからといって、それだけですべての問題が解決をしていくわけではない。やはりこの問題はステップを追って進んでいくよりほか仕方がないわけでございまして、先ほどちょっと申し上げましたとおり、私学関係の人ともいろいろな場面で意見交換を行いましたけれども、私学の多様性とその持っている実情からいって、現在の段階でその問題を私学も含めて解決をするということには大変困難があり、時間がかかる、その条件の中でワンステップ前の方へ進む方向として、国立大学側としては共通一次テスト考えてみたらどうだろうかというのが今回の経過でございます。  それから第二に、いま過重になるとおっしゃいましたけれども、私どもの方では、いままで国立大学が行っている学科試験の一部を共通化したというふうに考える、またその中で二期校等が出しておった特別の難問奇問というものを排除して、そしていわば従来の国立大学入学試験の中の一部の学科試験を正常に持っていくという考え方で今後のすべての問題作成等を進めていく。これはだんだんに実現された暁に高等学校なり受験者の方もその状態を御認識いただいて、新しいものが加わればすぐ受験産業に頼って特別な受験勉強をしなければならないという常識自体をだんだんに打ち破っていただかなければこれは永久に解決はつかないと私ども考えております。  それから第三に、内申書はほとんど没だとおっしゃいますけれども、これは各大学のそれぞれの事情がございますので、たとえば私ども大学では、内申書を少なくとも取り扱いを研究いたしまして、入学総点の最小限度二〇%、学部によっては五〇%に評価をするという措置をここ数年間試みております。またその内申書の利用ということについては、それが高等学校の教育面でプラスに作用する要因もありますけれども、使い方によってはマイナスの弊害も起こるということで、高等学校側からの御心配も相当あることでありますから、したがって、内申書利用ということも、そういうメリット、デメリット両方をよくにらみながら今後漸次改革をしていかなければならない。  それから、長くなりますけれども、最後にもう一つ申し上げたいのですが、高等学校で評価をするというのは、たとえばドイツのアビツーアとかあるいはフランスのシステムでございます。ところが、御承知のように、西ドイツでは大学進学者の数が非常に多くなりまして、高等学校大学入学資格を与えるというアビツーアの制度はほとんど破綻に瀕しております。それで、最近もドイツの各州文部大臣会議の方から私どもの方へも人がずいぶん来られまして、近い将来に西ドイツでも大学入試に関しては日本でいま研究しているような共通テストを導入しなくてはならないのではないかという御議論もあるようであります。私は、高等学校で評価することが悪いとか、あるいは大学側共通試験を行うことが絶対だというふうにには思いませんけれども、そういう現実面を各国の比較等も見ながら漸次改善をしていくという一つのステップとして、先ほどほかの委員からもお話がございましたけれども、私どもの方の情報の伝達も非常に不十分な点もありますけれども、こうなりましたら、一つお願いとしては、これをいま御心配のような方向へ逆回転をさせないで、何とか全体をプラスの方へ進めるためのワンステップに、私どもも努力をいたしますので、先生方にも御指導をいただいてそういうふうに進めたい。御指摘の点は、私ども数年間悩みに悩んでいろいろ検討してきたところであるということだけ申し上げたいと思います。
  69. 木島喜兵衞

    木島委員 おっしゃるとおり、改革への第一歩という意味はよくわかっております。そして、われわれ日ごろ議案なら議案を審議するときには、先生方に参考人としておいでいただいて意見を聞いております。しかし、今回のは逆です。授業をしておるのは皆様でありますから、われわれは逆に参考人としての意見を申し述べているのです。普通のと違います。そういう意味では、評価するものは評価しておりますけれども、逆に言うと、国民的な立場から物を申すとすればわれわれしかないだろうと思うからこそ、そういう点は、大変失礼なこともありますけれども、申し上げておる点は御了解いただきたいと思います。  それでたとえば、第一歩としてはわかりますけれども、すでに旺文社などではずいぶんやっていましてね。だから逆に言うと——いま私が言ったのは、高校側の到達度というのは資格試験を言っておるのではありません。先生方御研究になって、そのままたとえば仮に第一次共通テスト高校お願いして高校サイドでやれば私立も使えますね、仮に同じものであるとすると。そうでしょう。私大も使えます。とすれば、高校の正常化ということから言えば先生方の趣旨は貫けます。そうでなく、私立が入らないものですから、そこで二重の、加重することになるだろうというのです。旺文社はやっています。それと逆に、先生方のお考えというものと現実は二重になってしまったのでは先生方の意思に相反するだろう。だから仮に、同じことをやるなら同じことを高校がやる。たとえば、湊先生おっしゃいましたね、受験科目以外は冷遇されておる。内申書的性格を持ってその他のことを、あるいは文章に書くかもしれませんね。あるいはスポーツだとか課外活動とか趣味だとか、そういうものも入ってきますね、文章に。そういうものも含めて私大も国立も使えるということになれば、内申書、内申書と言われながら今日まで使われなかった——使っておったところもあるということでございますが、率直に言って、ということですよ。そういうものをもっと重視されていく。いうなれば学力テストという学力の点数でもって振り落とすということから、いろいろな多様な性格を持ち、多種多様な人間がその中でもってみがかれていく大学というものに、もしこの選抜というものを考えるならば、そういうことの方が一次共通テストをやるとしても、高校教育、といういまテーマでありますが、その件から見てもかえってよりいいんじゃないかということを御質問しておるのです。
  70. 飯島宗一

    飯島参考人 御趣旨は全くそのとおりだと思います。ですから、今後これを一つのステップにして、たとえばいまおっしゃるように、高等学校側がそれだけの責任のある自己の教育評価を客観的に表現する努力をしてくださるということであれば、これは一つの大変新しい、よりベターな方法でありますから、私どもとしても歓迎いたしますし、またそういう方向で高等学校側から御議論が起こって、国立大学側がそれにどう対応するかというような事態になりましたら、私どもも十分検討させていただいて御協力をする。それは恐らく、これは私が申し上げていいかどうかわかりませんけれども、今度もし入試センターというものができるとすれば、この入試センターの使命は、入学試験の問題を現状で固定するということではございませんで、むしろその中に研究部を持って、いま御指摘のような問題点等も含めてよりよい入学試験制度確立の国立大学共同の研究をやるということが入試センターの使命でございますから、その作業の中でも、いま御指摘の問題あるいはその他多くの委員の方から御指摘の問題などを私どもとしても大変重要な御意見として参考にさせていただいて前の方に進むということについて、私ども全く異論がございませんし、そのとおりだと思います。
  71. 山原健二郎

    ○山原小委員 入試センターの使命ということをいまおっしゃった。これは研究、追跡、調査ということは大変大事なことで、この入試センターの法案に対しても私ども賛成した一つ意味はそこにあるわけですね。しかし、共同利用研究機関とはまた違って、実施という側面も持っておるわけです。そこで、先ほど西岡先生の方から出されました、五十四年実施という共通一次試験の問題を含めて、たとえば入学期を九月にするというような一つの提案がなされて、それに対して比較的簡単に検討しますという御答弁があったものですから、そうしますと五十四年というのは一体何だろうという気になってくるわけです。五十四年というのは、たしか国大協の報告によりますと、五十四年実施可能だというお考えのように思うのです。では、五十四年実施ということを決断するのは一体どこかという問題ですね。国大協が決断するのか、あるいは入試センターが決断するのか、あるいは文部省が決意をして指示するのかというそういう問題があると思うのです。私どもとしては、たとえば仮にいま西岡さんが提案された問題を検討するとするならば、これは当然五十四年という時期は少し早過ぎるのではないかという感じもするわけです。これは感じで物を言っておってはいけないのですけれども、この五十四年実施ということがどうしても頭にありまして、果たして入学期を九月にするだけの提案でなくて、またそういう根本的な提案がなされた場合に五十四年という実施時期の設定というのが果たして適切かどうかという問題、これは考えておく必要があるのではないかと思うのです。今度の共通一次試験というものの非常に大きなメリットとして難問奇問をなくするということであれば、私はいま出されているガイドラインのような形で現在の状態を続けながら、難問奇問をなくしていくという各大学の努力を激励をしながら、その経験を積み重ねていくということと同時に、入試センターを中心とし、また国大協意見などを反映しながらこの入試問題の改革についての検討が進められていって、そしてその中で適切な時期というものが決断されていいのではないか、こういう感じであります。ところが、五十四年というものがぱしっと目の前にあるものですから、いろいろな疑惑を持ちながら、それが疑惑ばかり出しても問題は解決しないと思いますけれども、しかしそこそこ解決しておかなければならぬ問題があるのではなかろうか。いま木島先生から出されていることにしましても、十二月下旬に共通一次試験をやる、こういうことになりますと、それをめぐって入らすべき高等学校の方では、来年度、再来年度についてのカリキュラムの組みかえが行われているという状態ですね。ですから、文部省がことしの六月に実施要綱を発表するということに対してももっと早く発表してもらいたいという声すら出てくる。したがって、そういうふうに国大協のお考えになった共通一次試験に対して高等学校のカリキュラムの編成まで組みかえが行われる、こういうところまではや進んできているわけですね。旺文社だけでなくて、もうすでに全国の予備校が共通してマークシート方式テストもやっているという状態でもう事態がどんどん進んでいるわけですが、そういうことを絡めますと、たとえばカリキュラムの編成にしても共通一次試験用のカリキュラム、それからいまおっしゃった二月、三月に行われる私立大学受験する場合のカリキュラムといいますか、そういう問題が一体どうなるのかというようなことも考えられる。したがって、この五十四年という設定というのが果たしてどこまで固まったものであるかということを伺っておきたいのですけれども
  72. 飯島宗一

    飯島参考人 先ほど私が、入学期を九月にずらすことは検討する可能性があると申しましたのは、それの検討を前提として現在の問題になっておる共通一次を実施するという意味ではございませんで、大変基本的な御提案でありますので、それは私どもとしても今後努力をして検討いたしますということを申し上げました。  これは国大協が決めると申しましても、たとえばおよそ日本における高等教育全体が九月に始まるということでなければほとんど意味がないわけでございまして、したがって国大協だけがそれを決定するというような性質の範囲を越えております。  それから現在議論されておる共通一次テストというのは、先ほど加藤参考人からもお話がありましたように、別に九月期にするというふうなことを前提とする、あるいはそれを考慮してのことではなくて、現行の制度の中でよりよい形の入試改善を行うという趣旨で延々数年間検討いたしまして国大協としての合意に達したことでありまして、五十四年実施するということは国大協の総会で全大学の合意を得ております。したがってこれは国立大学としては決定されたことであるというふうに私どもは理解をしております。  それからいまお話しの高等学校側あるいは受験産業側の対応の問題でございますけれども、私ども根本的な理想を言えば、私ども改善趣旨高等学校教育をなるべく正常化して、受験予備校的性質を少しでも打破する方向でこれを使ってもらいたいというのが趣旨でございます。それを今度はまた受験体制を強化するような側で準備をするということに対応してわれわれが延々研究をし、私どもの乏しい知恵でありますけれども、一歩改善への前進であるということで打ち出した問題を、高等学校側の受験準備が問題であるからまた延期をしろと、もしそういう御趣旨の御意見であれば、私どもとしてはそれは事態が逆転しているのではないかというふうに考えます。
  73. 小川仁一

    ○小川(仁)小委員 実施時期ですけれども、技術的に言って、この十二月下旬というのをおくらせるとすれば、現在の高速コンピューターを用いられるのだそうですが、大学の先生や皆さんの御努力を含めていつまでおくらせることができますか。
  74. 湊秀雄

    ○湊参考人 この問題はコンピューターの問題という点ではございませんで、一つには、日本全国でということになりますと、豪雪地帯がございますので、その点から申しますと十二月中であれば何とか措置ができますが、一月に入ればとにかく雪害という問題でとうてい不可能であろうというのが一点でございます。  それから御承知のように、十二月末から一月の半ばまでと申しますのは、ちょうど正月で、日本全国異常な状態がございますので、その間に試験問題を輸送し、かつ、保管するということが大変困難ではないかというのが、私どもの取り越し苦労かもしれませんけれども問題点でございますので、もし一月にやるとすればどうしても一月の半ば過ぎにならざるを得ないという点で申しますと、では追試験を一回行わなければなりませんが、こういうことも含めまして、どうしても私立大学入学試験期に大幅に食い込んでくるということ等もございますので、これでいろいろな点、日本の現状のいろいろの習慣等を考えますと、まあ十二月末が一番好都合ではないか、こういうことでございます。
  75. 小川仁一

    ○小川(仁)小委員 いや、いろいろな条件を抜きにして、技術的にだけおやりできるとすればという意味でございます。
  76. 湊秀雄

    ○湊参考人 ぎりぎりいっぱい一月十日まで下げられますかどうでしょうか、そんなところでございましょう。一月十日前くらいまでだと思います。
  77. 西岡武夫

    ○西岡小委員 先ほど山原さんの御質問に対する飯島先生のお答え、ちょっと何かずれていたような感じがするのですけれども、私が先ほど九月の新学期ということを御提案申し上げているのは、これはぜひ五十四年度の共通一次試験実施に合わせて国大協としては踏み切っていただきたいという希望を申し上げておるわけです。これはいろいろな見方があるでしょうけれども国大協がそのことを具体的な形で提案をして呼びかけをなされば、文部省の方も全体的な問題としてこれは取り組む方向に必ず行くと思いますし、いろいろなところに関係があるとは言っても、そう大して大きな弊害はないのではないか。強いて言えば、私学の授業料が半年分吹っ飛んでしまうということが一番実害のある現実的な処理の問題としては起こってくるであろうというくらいで、やる気になっていただけばやれないことはないだろうというふうに思います。ところがそれをもしもおやりいただけないということならば、高等学校における教育を、先ほど山原先生がおっしゃったのは、その方の事情で入試改善をおくらせるということではなくて、高等学校にそれだけの大きな影響を与えるのであるから、大学がもしもそこの根本的なところをいじらないで実施なさろうとすれば、高等学校の三学期が終わった時点共通一次試験実施されて、そのしわ寄せは大学自身が新学期の中でみずからその問題を処理すべきであって、高等学校の側に食い込んでいくというのは問題があるのではないかと私は思うのです。御自分の方の大学の四月の新学期のところは全然影響はなくしたまま、高等学校の三学期を無視するような形で共通一次試験をなさるのは一体どういうことなのか、もしも九月の新学期ということを五十四年度から実施なさらないということであるならば、当然大学側の四月からの新学期の授業の実施のところにみずからしわ寄せをして、そこで調査なさるべきではないか、これはどうでしょうか。
  78. 飯島宗一

    飯島参考人 きょう私どもの方から御質問ができないので、どうも確かめてどういう御趣旨かということが伺えないので、お答えがとんちんかんになるのは申しわけないのでございますが、いま西岡委員のお話で私が了解いたしましたことは、つまり大学の修業年限の中で四月から九月までの時間をあけろという御趣旨であったと思いますが、それは、先ほど私が申し上げました大学入学卒業のリズムを、私どもは半年ずらすということを考えていたわけでございますけれども大学の中にそれを取り込むということについては、これはやはり相当大学の中で議論をいたしませんと、実は現在……(西岡小委員「そういう意味じゃないのですよ」と呼ぶ)そういう意味であれば、大変問題があるので、大変むずかしいと思います。  そうでなければ、いま西岡委員から、おまえらが心配するほどむずかしい問題ではないという大変いい御激励をちょうだいいたしましたから、もちろんそれが各国立大学の合意を得られ、それから私立大学の合意も得られ、それから関係方面の合意も得られて、これが五十四年度から実施できることになれば、それは先ほど来大変御議論のある十二月試験という問題も解消いたしますし、大学関係としては少しもやぶさかではございませんから、そういう努力をいたします。どうもありがとうございました。
  79. 藤波孝生

    藤波委員長 共通テストの時期に関して何か御質疑ございましたら、どうぞ。
  80. 山原健二郎

    ○山原小委員 いま飯島先生ちょっと誤解をされているのではないかと思うのですが、私が申しましたのは高等学校側の受験体制ができないから延ばせなんて言っているのではないのです。これは理解していただきたいと思います。  それから、私、一昨日京都で京滋地区私立大学学長会議に出たのですけれども、これは教育学術新聞ですが、入学者選抜制度改善、私大協会の研究委員会の報告が出ています。これはもちろん御承知だと思いますが、かなりの項目にわたって問題点を感じておられるようです。  そういう点で、私の話の背景には、先ほど鍛冶先生からおっしゃった、いわゆる国民的コンセンサスとまでは言いませんけれども、少なくとも教育関係者のかなりのコンセンサス、合意の問題が、国大協の性格から申してもそうだと思いますけれども、欠落した部分があるものですから、そういう点でこの実施時期についての危惧を出しておるのございまして、その点は御理解いただきたいと思います。
  81. 藤波孝生

    藤波委員長 特に共通テストの時期等よろしゅうございますか。  共通テストをめぐったいろいろな御意見、御質疑があると思いますけれども、午前の部、午後の部、大体こう分けてやっていきたいと思います。午後また共通テストをめぐって御質疑がございましたら、お触れいただいて結構でございます。  午後一時三十分に再開することにいたしまして、暫時休憩をいたします。     午後零時四十五分休憩      ————◇—————     午後一時三十五分開議
  82. 藤波孝生

    藤波委員長 休憩前に引き続き入試問題に関する小委員会を開会いたします。  午前に引き続き、参考人に対し質疑を行います。  午前中、入試改善に関する総論的なこと、それから共通テストの問題についていろいろ御質疑をいただいたわけでございますが、共通テストについてはさらにいろいろ御意見、御質疑等もおありと思いますけれども、全体がワンパッケージの問題で、あちこちからやはり項目を立ててはおりますものの、いろいろな角度から御意見を承っていく方が全体像が浮かび上がってくるかと思いますので、ひとまず先に急がせていただいて、各大学の行います第二次試験内容や方法等について参考人の御意見を伺って、質疑を進めていきたいと思います。  相当にきょうは時間をとったつもりでおりますけれども、やっぱりいろいろ難問奇問も出てくるものですから、時間もとってしまいます。やはりきょうは何といいましても参考人の御意見をよく聞くという機会でございますので、なるべくひとつ御質疑は、お聞きになる方は簡単に伺っていただいて、参考人の方々の御意見を承るようにしたいと思いますので、御協力をひとつお願いをいたします。  それじゃ、どうぞお願いいたします。加藤参考人
  83. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 二次試験内容、方法についてでございますが、先ほど来お話し合いありましたように、一次試験の性質、二次試験の性質というものがあるわけでございまして、その点、その趣旨を十分踏まえた上で二次試験を各大学はやってほしいという趣旨でございますが、二次試験の方は、先ほど来話し合った内容に、学力試験もそれに伴ってきますし、さらには一次試験というものの、いわゆる客観テストに伴うものの欠を補うものもそこの中に加味してやっていただくということを考えております。ともかくきめの細かい判断大学がすべきであるということがこの二次試験の方にゆだねられている面がかなりございます。一つ学力試験に限定して考えますと、一次試験は、先ほど来ありますように、ピラミッドにたとえて言いますと、ピラミッドの底辺についての試験を一次試験としてやるわけでございますから、受験生適性がございますが、それに対応した試験を各大学が行うべしということ、同時に、各大学が行うにつきましては、各大学一つの特質があるわけです。それぞれの大学における特質並びに学部に持っている特質があるわけですから、やはりそれに受験生が対応していただく必要がある。そういう点で、二次試験学力試験科目なり何なりは、その意味で、国大協として統一的にこうあるべしという明確なことは控えるべきであろう、各大学がその趣旨を十分に理解した上で、大学が持っている、あるいは学部が持っている特質と受験生適性というものがドッキングするような意味試験をすべきであるという考え方ですから、その立場からいいますと、具体的に各大学の二次試験はこうでなければならぬということは国大協としては指示することは控えるべきである。これは試験の性質上そういうことでもあろうかと思います。ただ、問題なのは、その趣旨を徹底しなければなりません。そういう意味国大協としてはガイドラインというものを出しているわけでございます。これは、一番最初に単純に理解いたしますと、現在各大学試験科目を設定しておられます。それは、各大学がそう考えていられるからそれらの科目が設定されているんだと思いますが、それと共通一次の科目を差し引きますと、残り物というものも一つ出てきまして、それがピラミッドのピークに当たる形になろうかとも思うのです。単純な機械的なとらえ方でありますけれども。そういうこともあってこの二次試験というのは、学力試験に関する限り、当然のこととして高等学校における選択科目に対応した形がとられるはずであろう。となりますと、また当然のこととして科目の数は減ってくる、減らなければならぬというふうに考えます。そういう趣旨の点はガイドラインで各大学に示したわけです。同時に、各大学共通一次で私ども非常に気を使っていますのは、適正な問題、いい問題を出すべきであるという考え方を持っておりますが、このいい問題というのは二次試験であろうと同じであるはずなのでありまして、二次試験学力試験についてもいい問題を出し、そういう筋からくる高等学校への悪影響を防がなければならぬわけです。二次試験に難問奇問が、あるいは非常に高度な、程度を超したような問題が出ては困るわけでありまして、そういうことも十分踏まえてやってほしいという点もガイドラインには含まれておるわけでありまして、そういうような意味のガイドラインを国大協としては示すにとどめたいというわけでございます。繰り返しになりますが、この委員会として考えましたことはこの趣旨を十分各大学が踏まえた上で二次試験考えてほしいのだということです。  それと、いまのは学力試験の問題でございますが、そのほかに共通一次では一つのデメリットと言いましょうか、先ほどから問題になっております思考力とかそういう点の欠けている面がございますから、二次試験学力試験に伴ってそのようなことも勘案してほしいというガイドラインを出しております。さらには、学力試験とは別個な形で小論文方式考えてもらってよろしいのだ。さらにはまた、できるならば面接もあってほしいというような趣旨を二次試験には要望しているわけです。  そこで、その点の調整なり、各大学にしても、これは国大協総会でも非常に問題になったのですけれども、二次試験はどうあるべきかということが各大学立場からすると一番重要な問題になってくる。だから、そうは言うものの各大学問で連絡をして情勢を知る必要があろうということで、今回の三月末の段階でその二次試験検討している途中の状況を国大協としては集めております。まだそれの集約は完全にやっておりませんが、それを整理した上でまた各大学にフィールドアップいたしまして、各大学はいまの検討に続けて検討を続けていくというような形を二次試験についてはとっておるわけであります。
  84. 藤波孝生

    藤波委員長 どうぞ質疑お願いします。
  85. 小川仁一

    ○小川(仁)小委員 これは朝日新聞が調べたものでありますが、非常に特徴的な意見が出ているわけです。特に東大は第一次と第二次の試験は異質なものだという考え方。したがって、異質なものだから第一次に第二次を加算できない、こういう考え方が存在する。底辺とピラミッドの頂点がつながらない考え方なんです。やはり二次と一次と異質のものとして見るか、どう見るかということが共通して国大協の中で行われていないと、やはり問題が起こると思うのです。この点の性格を国大協の統一的な立場でどう考えておられるか。
  86. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 これは新聞記事なわけですけれども、その異質という言葉のとらえ方が一つあるのではないかというふうに私は理解するのですが、先ほど共通一次はどういうものかといいますと、底辺にある、基本的にある学力テストしてもらうのだということです。それから二次は、その個人個人が持つ適性というものをそれに加えて判断さしていただくのだ。それと大学が持っているその特質というものをそこで合わせよう、そういう意味から言いますと、まさに異質だと思います。われわれ先ほど申しましたピラミッドというのは、そういうものを総合された上での学力というものをピラミッド方式として考えておるわけでございます。それに当然学力以外のものは入りますけれども。だから、異質というもののとらえ方にもよるのではないかという気はしておるのですが、どうですか。
  87. 湊秀雄

    ○湊参考人 ちょっといまのお話、つけ加えさしていただきますが、何が異質で同質かといいますのも大変むずかしい問題なのでございますけれども、結局共通一次試験の、ただいま加藤参考人からは内容的なことを申し上げましたが、もう一つは、形式的に共通第一次試験の方は客観テストであり、第二次試験の方は論文テストであるということの異質さもあるわけでございますが、そのために、やはり形式的なことで申しますと、どうしても、マークシート方式というのは相当客観的になっておるわけでございますが、先ほど申しましたように、読解力、思考力等もある程度テストできますので、結局一次、二次と合わせて、ちょうど中間では相互乗り入れ的な性格を持ちまして乗り入れて、そして合わせて一本、これまでやっております入学試験の形式的なものと合わせて一本になりますし、それから内容的にも合わせて一本になりますが、端と端とをとりますと非常に異質的なものになるわけでございます。そのあたり見方によりますと異質であり、ちょうど中間をとれば同質のものも入っておりまして、二つの次元であわせて広い見方をして選抜をすることが改善になるのだというのが現在私ども考えておりますところでございます。
  88. 長谷川峻

    ○長谷川(峻)小委員 国大協の皆さん方が、いまの入試制度をこういうふうに御研究された、そしていままでの説明があった。それと東大が皆さん方の話と合っているかどうか。合っているだろうと思うのですよ。私どもそれを心配しておるのですよ。
  89. 飯島宗一

    飯島参考人 その試験のやり方とか内容については両参考人のおっしゃったように、それぞれ性格が違うところがある。これは当然でございますが、国大協として共通第一次試験を全体の入学試験の中でどうとらえているかと申しますと、それは簡単に申せば、国立大学が行う入学試験の中の学科試験の一部を共通化して行うという認識でございまして、あくまで共通一次と二次とが一本化して適正な選択が行われるというのが共通の理解でございます。したがって、その東大の御発言の新聞記事の真意はわかりませんけれども、基本的な前提はいま申し上げたことで動いておらないというのが国大協の見解でございます。つまりわれわれとしては、両者が全くばらばらなことをやるのではなくて、各大学の行う学科試験の一部を共通化して行う。したがって、一次と二次とを相合して一つの系統的な選考体制をつくるものである。これは総会等でも皆さん共通の御認識であったと思います。
  90. 長谷川峻

    ○長谷川(峻)小委員 それをずっとしっかり東大に、エリート中のエリートであり、受験地獄の一番悪いのは東大なのだから、あなた方それをずっと国大協としてやってもらいたいということです。後はその大学が自分に合うような試験をするということは、当然自主性で構いませんが、全体が崩れないように、あなた方の足取りが。そのことだけです。
  91. 小川仁一

    ○小川(仁)小委員 大体同じような種類の質問になるかもしれませんが、やっぱり受験地獄の頂点にある学校がどう対応するかによって、入学試験共通一次から二次へのセットがいろいろな形で受け取られてくる。それに対応する塾もまた盛んになってくる。こういうことになりますと、せっかく国大協の皆さんがおやりになった考え方というものが、どっか一番頂点の部分で破られてしまいますと、御苦労なさったことが水のあわになってしまうだろう、そういう懸念を持つわけですし、また同時に、新聞に書かれてあるということは、これを通してしか学生や父兄はわかりませんから、そういう意味で、一つは、国大協考え方というものを何か正式に発表する以前に、いまおっしゃられたような基本的なものをもっと公にしていただきたいというお願いと、それから異質、同質の問題ですけれども、それぞれ特徴のある大学あるいは特性のある学校をつくろうとすると、どうしても異質性みたいなものが先行せざるを得ないと思うのです。その異質性が高度の水準を持つ異質性ではなくて、学校の特徴を持つような異質性になってくると、私は入試問題というのが大きく改善されるというふうに思うので、大学に対する適正能力ですか、そういうものの異質性というふうなものについて、何か皆さんの方でいろいろ二次試験を通じて考えられる点がありましたらお伺いしたいと思います。
  92. 飯島宗一

    飯島参考人 これは加藤参考人の方がお答えが的確だと思いますけれども、二次試験をどういうふうにやるかということは、御承知のように現在各大学でいろいろ検討しておりまして、遅くもこの六月、七月末までには各大学は正式な態度を決定をして正式な公表に進むという段取りで物事は進んでおるわけであります。それで、その経過中にどうするかということは、先ほど御説明のように、各大学との情報交換を十分にいたしまして、各大学が全体の調和の中で、せっかく共同的な仕事をやるわけですから、その効果を阻害しないということを期待して、国大協としては十分なインフォメーションを各大学に差し上げて、その枠の中で各大学それぞれ特色のある二次試験をお考えいただくという線で現在作業が進んでいるわけでございまして、御指摘の点は当然のことでございますから、われわれもできるだけの努力はいたしたいと思います。  それから、各大学での二次試験あり方というものについては、先般の新聞等にも多少出ておりますけれども、私どもの印象ではこれを機会に各大学大学ともかなり二次試験あり方についてはいろいろ御工夫が進んでおるという感じでございます。また、各大学ばかりではなくて、たとえば医学部なら医学部、工学部なら工学部という同一種類の学部を並べてみますと、同じ医学部を志望しようというときに、その二次試験がA医学部とB医学部でひどく食い違いが起こるというふうなことは受験生にとっても迷惑ではないかというので、それぞれの専門分野別のいろいろな委員会、あるいは学部会議等で、その統一と申しますか、調和の統一を図っていただいておるわけでございますが、その範囲内で、たとえば医学教育学会の一部等では、これもお耳に入っているように、思い切って二次試験では学科を省略して、面接あるいは論文というような全体の人間像を把握することができるようなことを考えてみよう、あるいは教育学部の一部ではそれに新しい工夫を加えていこうというふうなことも漸次提案として出てきてまいっておるように思われますので、それらのことが特色をそれぞれ出しながら、整合性として全体の共同作業の効果を高めるというように、ぜひ連絡調整を国大協としては十分に進めたいというふうに考えております。
  93. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 飯島参考人のお話で尽きると思いますが、一つ先ほどからの異質性、同質性の問題ですが、一次と二次というものをあわせて総合判断する、その性質は個人能力適性ということからすると、一つのピラミッドであるということは、私は先ほどお話があったように、国大協で十分に共通理解ができているというふうに考えます。ただ、問題なのは異質だという性質が出てくるのは、その一次と二次の方法、形式によって非常に違うわけです。と言いますのは、一次は客観テストでございますから、二次試験はそれぞれの大学がやる方式でやるわけですから、そういう意味では非常に異質的な内容を伴っている。同時に、そういう意味での異質性からくる面で二次試験として考えなければならない各大学立場というのは、客観テストの欠を補う部分もそこの中でやらなければならぬというような具体的事項があるわけです。それも実はガイドラインにも書いておるわけですが、そういう点が入っている、そこの点を各大学として二次試験でどう取り扱ったらいいかという点が、検討の非常な重要問題になっているわけです。そういう事柄の中にいまの異質性、同質性という問題が出てきているように思う面があると思っているのですが、だから全体的な概念といいますか、そういう形では十分な総合判断をすべきだという意味共通理解は各大学国大協全体としてあるのだというふうに私どもは理解するし、その立場で仕事を進めてきているということであります。
  94. 木島喜兵衞

    木島委員 二次テストについて大体理解をしておるつもりでありますけれども、たとえば学力テストをやらないところがありますね。それはそれなりに……。ただ、だからみんな心配されることは、一次テストをやりながら、二次テスト、ペーパーテスト学力テストをやる。その学力テストがもちろん科目の縮小もお考えですが、それがいままでと同じような難問奇問になるならば一次テスト意味ないじゃないかということが一番共通の心配な問題なのだろうと思うのです。言うなれば、客観的に学力を見ることと、そして個性というのでありますか、専門性というのですか、そういうものと、さっきおっしゃった大学個性と三者が結合される。その場合に、さっきお話がございましたように大学の教養、専門、研究、大衆大学的な要素から、そういうあたりを一体どのレベルくらいに、簡単に言えば難問奇問になるのではないか、いまと同じようなことになるのではないかということのその辺の基準というのでしょうか、この辺がすきっとできないかということです。私の質問もちょっとわからないのです、すきっとしておりませんが、(笑声)そのすきっとしないところがみんながすきっとしたいところではないかと思うのです。
  95. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 おっしゃること、ごもっともでございます。前段でお話いただきましたように、一次試験、二次試験というのは、先ほどからのお話でございますが、その大学の性格において二次としての学力試験を課す必要がないと考え大学もあり得るわけです。しかし、その学力試験ではなくて、その大学に適合するような別の試験をやるという考え方が各大学に出てくる可能性があるということは私は当然に起こってくることだし、それはこの試験方式から言うと望ましいことだと思います。ですから二次試験として学力試験もやはり課さなければならぬと考え大学もあってしかるべしだし、それはわが大学としてはそのような学力試験はもう一次試験でよろしい、そのほかの実技試験なり技能試験なりそういうもの、あるいは面接試験というものを課すのが必要であるというふうに考えることはあり得ることだと思いますが、問題なのはいま御指摘いただいたとおりたとえば学力試験をするという場合に、せっかく一次試験でその難問奇問といいますか、いい問題を出すということを非常に努力してやっているわけでございますから、それに対応してそれぞれの大学は二次試験についていい問題でなければならぬということは、これはわれわれとしては至上命令的に考えるべきだという問題を持っておりますが、それにいまおっしゃるような何か基準はないのかということになりますと、共通一次の場合にはやはり高等学校教科書なり何なりを十分にわれわれがそしゃくした上で、少なくもこの程度は解けるであろう、六十点平均ぐらいとか七十点平均ぐらいとかということを基準に置いた問題を出す、そういう努力をするわけですけれども、それと同じ努力はやはり二次試験の方でもやっていただく必要があるというふうには考えているのですが、それは……。
  96. 木島喜兵衞

    木島委員 ちょっと。だから私が基準と言ったのはそこなのです。一次は高校をまともにやっておればいい問題である。しかし、それで一次が終わったらそれでいいはずです、もし高校の正常化なり入試なりという問題に焦点を合わせれば。ところが、その上に二次の学力ということになれば、高校をまともにやっておれば一次でいいはずなのに二次をやるということは、それ以上の問題なり何かということになるのだろうか。逆に言うならば、だから一次の中でもって、おっしゃる二次も含めたことだってあり得るではないかという議論もあるわけです。
  97. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 いまの問題は、先ほど来申し上げていますように、共通一次試験必修科目としてやっているわけです。ところが、高等学校教育課程の中で必修科目に行かされてその生徒諸君は適性分化を起こしている、それが選択科目になっております。具体的に申しますと、たとえば自然科学に適性であるかどうかという判断は、当然にその生徒諸君は高等学校時代に理科のIIというものを選択しているはずであります。それから数学で言いますと、数学Iだけが共通一次ですから、II、IIIというものを履修しているはずであります。だから理科選択を加えたものが高等学校としての、その意味では適性を加味した意味での達成度になるわけです。そこの部分、たとえば文科系ですと、いまの文科系に指向した高等学校生徒諸君は、恐らく理科のIIとかいうものは履修しなくていいわけです。その点を大学の方では十分に理解した上で、文科系の二次の学力試験をやるならば科目設定をすべきだということです。ですから、高等学校適性分化を起こした生徒諸君を対象にした達成度というものを二次試験として考えている。ですから、大学によっては、そこまで求めなくてよろしいという大学があってもいいわけですし、現にあるわけです。その大学は、二次試験というものの科目に恐らく設定されないだろうと考える。だから、そこらの問題があるわけです。それでいいですか。
  98. 木島喜兵衞

    木島委員 私、結構です。きょうは国大協として来ていただいていますから、ガイドラインの枠しか国大協としてはできませんから、結局は第一回の試験を見てみなければ何とも言えません。ただ私がそういう心配をすることは、後に出てくるでありましょうけれども足切りの問題と絡んでそういう心配がみんなの中にあるだろうと思って言っておるわけであります。足切りはまた後にやります。
  99. 中村靖

    ○中村(靖)小委員 いま、第二次テストをどういうテストにするかという御議論は非常に大切な問題だと私は思います。  いま木島委員からも最後のお言葉の中に足切り云々というお言葉が出ましたが、私、そのことについて、次の項目に入ってしまってまことに申しわけないのですけれども、先ほど飯島参考人のお話の中で、一次と二次とを相合して総合判断をするのだということをはっきりおっしゃっておりましたが、そのことと、やはり第二次試験についてのガイドラインの第三項目にうたっております一次試験の成績によっていわゆる足切りは原則としてしない、しかし受験生の数が極度に多い場合等特殊な事情があった場合にはこれもやむを得ないのではないか、しかし入学定員の少なくとも三倍程度の数は受験をさせる、こういうガイドラインがございますね。これとはまことに相反したことになると私は思うので、足切りをやりたいと考えておられる大学もあるようでございますが、国大協としてできる限りこの足切りをなさらないような方向で御指導いただけないものだろうか。なぜ私、これを申し上げるかと言いますと、実はこの間、この小委員会で懇談会がございまして、その席で私がこの話を持ち出しましたときに、政府委員から、たとえば東大においてはいま一次試験と二次試験とやっているのだ、一次試験を受けた者が落ちた場合には当然二次試験は受けられないのだからそれと同じではないですかというような御発言に私は伺ったのですけれども、そのことと足切りとは質的に非常に違う。たとえば私は東大を受けたいということで一次を受けた、そこで合格しなくて二次を受けられなかったということで、仕方がない、自分は落ちたのだからあきらめたということと、それから共通一次テストを受けておいて、やはり自分としては東大を受けられる能力がありそうだと思って申請をした、ところが自動的に足切りをされてしまった、結論的には一次テストしか受けられないで、東大の試験はついに受けられなかったということは、これはまことに質的に違った重大な問題だと思うのです。やはりその子供は、受けたけれども自分の努力が足りなかった、あるいは資質が足りなかったということで納得をして落ちるのと、当然のように足を切られて受けられないのとでは非常に違う。そういう意味でこの問題は非常に私は重大な問題だと思いますので、その辺、どなたでも結構ですが、ぜひお聞かせいただきたいと思います。
  100. 藤波孝生

    藤波委員長 御質問が次の項目足切り問題のところに入っておりますので、やはりみんな一緒に考えて御質疑願った方がいいと思いますから、参考人のどなたかから、入試期日の問題とそれから足切りの問題についてお触れをいただいて、そしていまの二次試験の問題も絡めて御質疑を願いたいと思います。  どうぞ飯島さん。
  101. 飯島宗一

    飯島参考人 それでは足切りのことだけちょっと私、申し上げたいと思います。  いまお説のように、今回の入試改善趣旨から申しまして足切りというのは好ましくないというのは、もうお説のとおりだと思います。  それで、まだ現在各大学での二次試験に関する議論あるいは足切りに対する態度等は正式に確定しているわけではございませんで、われわれもいろいろな中間的な情報を聞いているわけでございますが、それを見ておりますと、非常に特徴的なことの一つは、従来二期校等で十倍、十五倍、四十倍というような非常に倍率の多い入学試験を経験していらした大学では、どうしても非常にたくさん押しかけてきたということのイメージが抜け切れないものですから、そういう大学では、そういう事態が起こった場合には、幾ら何でも多少足切りをして——と申しますのは、二次試験を丁寧に行うという効果が、定員に対して二十倍、三十倍ということでは結局丁寧にできない、また二次試験が難問奇問に陥るというおそれがあるというイメージが前の経験に引き続き残っておりまして、そういう多くの大学が場合によれば足切り考えるということをおっしゃっております。ただ、私どもが、これはまだ起こってみなければわからないことですけれども、今度のように入試期が一応統一をされて、そうして共通一次が行われるという状態のもとでは、かつて国立大学の二期校が経験したような十倍、二十倍というような志願者が、特定大学ないしは特定学部に集中することは実際問題としてはあり得ないだろう。したがって、現在そういう状況を頭に置いて足切りということを非常に強く考えていらっしゃる学校も、実際の事態をごらんになれば、この本来の趣旨を生かす方向で、足切りなど必要なく、御趣旨のような試験を行うという方向に向かっていただけるだろうというふうに、現在、私どもは見ております。
  102. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 足切り問題について飯島参考人のお話で、われわれがやむを得ず足切りをする場合にはというふうに報告書にも書いておきました趣旨は、全く従来の経験で非常な苦いといいますか、重い、そういう経験を持っている大学があるものですから、そのイメージはその大学にとっては非常に大きなものになっております、二十倍、三十倍が。そういうことを経験から想定せざるを得ませんので書いたということでして、あの報告書の中にも、この試験制度趣旨からしますと足切りということはあるべからざることだという点は、各大学でも理解していただいていると思います。  それに関連しまして、いま委員長の方からございましたように、次の問題を全般的にお話し申し上げたいと思いますが、一元化に伴う受験機会の減少という点がございます。現に一期校、二期校の問題についての国立大学に関するだけで言っても二度の機会があるという点は、その事柄だけをとらえますと明らかにメリットなわけでして、そういう性質を今回の場合に何らかの形で生かすことができるだろうかという点を、やはり私ども、ずいぶんと検討させていただいたわけです。その一つ考え方として、共通一次の志願をするときには、その時点ではまだ、われわれのいまの案で言いますと、二次試験の期日からかなりさかのぼることになります。そういう点で、志願する生徒諸君がまだ志を十分に立てないということも心配されるわけです。そういうことから、二校、複数の大学をその時点では登録していただいて結構であるし、さらにまた現実に二次試験を受ける大学に志願する際には、そのときの志願校と変えてもよろしい、変わってもやむを得ないという一つの線をつくりました。  さらにもう一つは、一次試験が二次試験実施日よりもかなりさかのぼることになりますので、一次試験の志望状況を各大学に、あるいは学部レベルでどの程度の志願があったか、この希望志願でございますね、希望志願があったかという点は公表いたします。そういう意味で、その志願生徒諸君が自己判断する資料はそこで提供しようということを考えております。それがいまのメリットに対する、何とかこの制度でならぬかという一つの配慮とお考えいただければと思うのです。  さらにもう一つ、ここにもございますように、第二次志望というものを生かす方途は考えられないかということのお話がございましたが、そのことについても、実はいまこれを真剣な形で検討を続けております。と申しまするのは、一次試験、二次試験がございますが、二次試験でそれで決定してしまいますが、そのときに定員に余裕を持たしておいて、そうして二次志望というものが考えられないかという方式をいま私どもは現実のものとして検討を続けております。そういう点が、現在一期校、二期校ということに対するメリットの部分をこの方式の中で何か生かす道がないかという点を考えておるわけでございます。  それから、あとはこの足切りの問題になっているわけですけれども、当然第二次の試験の場合には、各大学入学者を決定するに当たっては、いまの第二次学力試験を行わないところもありましょうが、第二次試験という学力試験あるいは小論文その他というものを総合判断する、さらに当然のことですが、調査書は従来どおりの形でそれを促進するという考え方です。そういうので総合判断しようという方式をとっています。ですから、いまの趣旨から申しますと、いま最初の御質問にありました足切りというのは原則的にあり得べからざることに私ども考える。足切り問題云々の実情は、いま飯島参考人からも申し上げたとおりです。
  103. 鍛冶清

    ○鍛冶小委員 一次試験と二次試験ですね、これはやはり総合して学力判定することですが、報告書なんか見てみても、また先生方にお伺いしてみても、一次で客観テストをやって二次をやる場合に、一次の試験内容、これがはっきりわからないと、二次試験の問題が正確につくりにくい、こういうことが言われているわけですね。そうしますと、日時的に見て、一次試験内容がわかって二次の問題を作成するということはちょっと不可能なような感じが私どもしているわけですが、そういう場合に、大変不本意な試験内容学力の判定がなされるという形が生ずるのではないか、ちょっとこういう思いがあるわけです。この点についてひとつお聞きしたいことと、それからもう一つ、昨日、朝日に若干出ていたそうですが、私、ちょっと地元へ行き来して読んでおりませんのであれですが、六月に二次試験の各大学内容が発表される、こういうことですが、今回のこういう共通第一次テスト国大協でお考えになられた趣旨がやはり一つのいまの教育のゆがみをここから少しでも直そうという意図にあるように私たちもお聞きしておりますし、そうしますと、多少大学自主性ということと相反することになるかもわかりませんけれども、第二次のガイドラインというものは一応設定はされておりますけれども、いまのところ、そのガイドラインを超えて二次試験をやるということも考え得るし、きのう新聞を見た方にちょっと伺ってみても、それを超えたものがどうもあったというふうなことでございますし、しかもそれが、そういうところの学校に限って、皆が特に志望が多いというふうな形が出てくるということですね。これはやはり大変な問題を残すのではないか。そうなりますと、やはりこういう共通第一次テスト考えられたその原点に厳しく戻っていただいて、そして六月の時点で仮に発表されたときにガイドラインを超えるものがあれば、やはりこれはそれで決定してしまってもうどうしてもそのままやってしまうということでなくて、ガイドラインを超えるところについては再度また話し合う機会をつくっていただく、そしてかっちりと本来の趣旨に合ったものにこれはそろえていくという形がないと、結局は、これはもう一校でも出てくる、特定のところへ出てくるということになると、従来より増して受験生また高校、中学、先生方、関係のところに、想定されている危惧される大変な問題がさらにまた起こってくる、こう考えるわけです。  そういう意味で、二次試験ということについては、ガイドラインの制約力については先日の岡本参考人もおっしゃっておられましたけれども、われわれとしては大学自主性と多少相反することが出てくるかもわからないけれども、相当な規制力でもって本来の原点の立場から考えておやりいただくという考え方も必要ではないだろうか、こういうふうに思うのですが、こういう点について……。
  104. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 第一の問題でございますが、二次試験の実際上問題をつくる時点では、一次試験の問題を見た上でつくることができないではないか、そこからくる一つのトラブルはないかという趣旨と……。よろしゅうございましょうか。  その問題でございますが、実は、話はちょっとさかのぼりますけれども、現在各大学で、二次試験どうあるべしということを御検討いただいておる際に、私どもとしては、いままでに幸いに三度の実験テストをやらしていただいております。と申しますのは、いわゆる客観テストというものはこういう形であるというのが現実でそれを理解できるかと思いますが、従来われわれが出しております問題を各大学は十分具体的に見て、そこでいろいろな判断をしていただきたい。一次試験というものの趣旨を理解すると同時に、全体の試験方式というものはどうあるのだということの理解にも役立つということでその要請をしているわけです。その線に沿って——形式的には二次試験は恐らくマークシートということにはいまの段階ではすぐさまは出てこないわけだと思います。そういう点で形式的に違うわけですけれども、どういう性質のものが一次試験で出ているかということは、過去の三回のテストからも十分理解ができているはずだと思います。それに従って二次試験をどういう科目を設定するか、あるいはしないかということを判断いただいているわけです。しかし、その二次試験学力試験をもしやるとするならば、その形式はかなり違った形式になるわけですから、その点での重複はない形になる。そしてまた、たまたま同じような設問というものを頭に描いたとしても、そのあらわれ方は違ってくる可能性がございます。だから、純粋に物理的に言いますとダブることはあり得ても、その設問様式という立場はかなり違ってくる可能性があると思います。完全に同じものがダブるという物理的な頻度というのは非常に少ないということが一つと、もう一つは、万が一そういうことが完全にダブったとしても、その設問様式なり何なりは違ってくるわけだし、立場もやはり違う形があると思いますから、その点は、私どもとしてはそのような理解でその問題に対処できるのではないかというふうに考えております。  第二の問題ですが、これは先ほどからのに関連性があると思うのですが、二次試験あり方を、その趣旨にそぐわないような大学が出ては困るという筋の御発言だと思います。その点は、実はいま、これも先ほどの話と重複する点があるかと思いますが、国大協の総会でも、二次試験というものが非常に重要だからともかく各大学検討途中でもいいからそのデータをお互いに見ようではないかということが発議されまして、そこで現在進行中の三月末で、検討途中の結果でもいいから知らしてほしいというので、国大協がそのお世話をしまして、それをまとめてまた各大学に戻すというわけで、各大学がそれを見ながら検討してくださるということになろうかと思います。そういうことを国大協の総会で提案されたということは、いまの趣旨にそぐわないというそしりを何とか避けようという各大学の意思がそこに働いているのだというふうにいまも私思っておりますが、現実には七月段階でそれを各大学が独自に発表するという形になって、あるいはこれは可能性の問題ですからわかりませんが、御心配のようなことが皆無だといまここで私が断言するわけにいきませんけれども、そのような努力は国大協内部でお互いが十分にしているし、しなければならぬというふうに思っております。
  105. 鍛冶清

    ○鍛冶小委員 さっき、二回やった設問で二次試験考えられているというお話でしたけれども、午前中のお話を伺っていますと、問題については、それぞれ担当者をかえたり、またはいろいろな角度から思考力や理解力を含めて新しい深みのあるものをどんどん考えていくのだというお話があったわけですね。そうしますと、そういう意味ではそれに対応した二次試験の問題の出し方というものは若干ずれてくる。われわれ素人考えでそうなる。そうすると、二次試験、一次試験を通じて判断するということについて危険性というものがやはりこういう形で相当出てくるのではないか、そういうものが起こるのではなかろうか。それと、もうちょっと後の問題で、七月に万が一出た場合には、これは何とかそういうものがおさまるかっこうにいかないだろうか。それがいかないのならば、ますます悪い方向にエスカレートして、逆になるというおそれが——結局、いまの教育のひずみを直そうというこの共通テストがたったそれだけのために、アリの一穴みたいなもので、もう何もかもアブハチ取らずで、受験生やほかの関係の人に二重、三重の負担をかけるにすぎなくなってしまう。こういう気持ちがしきりにしているわけですね。ですから、そういう点は大学の自治ということと大変相反しますし、それぞれの持ち分、いわゆる守備範囲ということでも違いがあるかもわかりませんけれども、そういうものがさらに出た場合に、あえて原点に立っての話し合いというものはできないのかということが一つ。  それから、各大学で二次試験が七月に発表されるときに、うちの大学ではどことどことどの科目と出てくるわけでしょうが、その内容の到達度といいますか、ここらあたりまで公開して出してしまう、発表するといいますか、ちょっとこれも素人考えであれですが、というようなことになると、また違った形で、本来の趣旨に沿った教育のゆがみを直す意味受験地獄の解消ということにも若干役立つのではないかというような気もするわけですが、そこら辺も含めて……。
  106. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 最初のダブル問題のことですが、過去三回にわたってテストをやりましたけれども、それ自体として、現在、改良は進めておる、今後も改良しなくちゃいかぬ。改良すると、そこでずれができないかという御意見だと思うのですが、これは、現在出ております過去三回の問題を改良するということとその性格ということとはまたちょっと違う面がございます。性格なり何なりは各大学がその問題を見れば十分に理解できると思います。ですから、いまおっしゃった改良という筋は、共通一次の性格まで変えるという改良ではございません。そういう意味の改良ですから、従来の問題を各大学が十分に検討してくだされば、その姿はおのずから理解できる面があると思います。ですから、いまおっしゃったのは内部の小さな動きの問題だと思いますので、その点は、趣旨としてはそう間違いがないことは各大学が理解し得ると思います。現実に物理的に、性格的に同じ設問のことは、可能性としてはパーセンテージが低いにしてもあり得る可能性がありますが、これは設問様式がいまの性質が違いますので、その点でのダブリは別に問題がないのではないかというふうに考えるのです。
  107. 飯島宗一

    飯島参考人 二次試験内容を相当厳重に規制すると申しますか、調整をするようにという御意見は、その基礎になる御心配については、私も重重そのとおりであると思います。  ただ、こういうことをここで申し上げるのは適切かどうかわかりませんけれども、実は国大協の内部で、この統一試験というものに踏み切るかどうかというような議論を最終的に行いました段階で、ちょっと大げさに申しますと、二次試験の取り扱い方については意見が真っ二つに対立をしたと言ってもいいほどなのです。それはどういうふうに対立したかと申しますと、一つは、共通一次試験というものを考える以上、二次試験がちゃんとしなければほとんど意味がないのではないか、したがって、国大協は単にあいまいなガイドラインを示すだけでなくて、もっとはっきり、たとえば二科目以上やってはいかぬとか、あるいはこういうことをやれとかいうことを自己規制するべく努力をすべきだという意見と、それから、本来入学試験というのはやはり大学の教育、研究の自主的なものにかかわる大変基本的な仕事であって、それを各大学自主性を圧殺して、二次試験の細部にわたってまで国大協が指示するということは行き過ぎである、もしそういう態度で物を行うということであれば、共通一次そのものについてもわれわれの大学としては考え直さなければならないというふうな非常に強い御意見がございまして、それで延々時間を費やして議論をいたしましたが、結局のところ総会全体として、共通第一次試験をなぜ行うのか、それから第二次試験がどういう位置づけがあるかという位置づけについては、先ほど申し上げたように基本的な考え方を了解する、それから二次試験については、ただ野放しにしないで、結局各大学が自主的にいい方向へ考えてもらうような連絡調整の労を国大協を場として大いにとろうということで、実は結着した経過がございます。したがって私は、各大学の良識を国大協立場としては信頼をして、御心配のことのないような方向に行けるものと期待をしておりますが、万一御心配のような事態が出た場合については、それが大幅にずれてくれば、結局世間の議論としては、それ見たことか、だから、これはもう場合によれば法律によってでも第二次試験を規制してしまった方がいいではないかというような議論になりかねない。そういたしますと、私ども考えでは、大学自主性ということにこだわる余り、大学の全体的な責任というものを放棄した行為がそこにあらわれてくれば、結局は大学みずからが法律によって自治を狭めるような効果を招きかねないということもわれわれは十分考えなくてはならないので、そういう点で、今回、第一回のときにはどうなるかということはわかりませんけれども、少なくともそういう考え方で各大学問で十分に話し合いまして、御趣旨を生かす方にまずいきたい。これをまだ事態が出てこないうちに、あらかじめ国大協として、これに違反したるものは国大協を除名するというような措置をとる権限もございませんし、それからまた、それだけのことを言うということの副作用も十分に考えなければならないので、いまの御発言は、委員としての御発言ばかりではなくて、バックに社会的にそういう芽がたくさんあるということをわれわれもよく認識をいたしまして、できれば大学自主性入学試験全体の改善のための大学の良識というものを私どもに与えられている自主性の範囲で解決をしてお目にかけたいというつもりでおりまして、その努力は大いにいたします。
  108. 曾禰益

    ○曽祢小委員 もういままでの質疑のあれで尽きたようなものですけれども、もう一遍だけ。  第二次試験についての一番重要な点は二つだと思うのですね。一つは、やはりこれを足切りに使わないように、これが非常に重要だと思うのです。それから第二は、その方が試験の技術から言うと問題かもしれませんが、これも委員長の代表質問の中に書いてあるとおり、要するに受験者の負担の過重にならないように、それは第一次では足りないだろうし、他の適性を検査するために第一次のマークシート以外のもう少しいろいろ面接だとか作文とかというものをやる必要がある。  それからもう一つは、各大学あるいは学部が独自の立場から、たとえば医科大学だったら特別の医者としてのモラルの問題もあるのだから、そういう点で人物考査も必要だろうし、こういうことまでは認めるけれども、しかしそれをたとえば東大なら東大なんかというところが、実際上自主性の名においてほとんど第一次試験とダブるがごとき一般学術試験みたいなものを課するのだったら全くこれは意味をなさないことになるわけです。ですから、この委員長の質問あるいは要望の中の表現をもってすれば、やはり国大協としては統制機関ではございませんから、合意のもとに進めていくのだから、むずかしいと思うけれども、この第一次、第二次、特に第二次で学術みたいなものをやる場合には、特別に学校のあれだからやるのではなくて、学問のそれぞれの特色に従っての特別な学科の試験という以外は、他の問題はなるべく作文とか面接方式でやるという方にぜひ強力な指導というと怒られるかもしれないが、調整を、国大協の力でこれを成功させるためこの二点に調整力を極力発揮していただきたい、これは希望でございますけれども申し上げておきます。
  109. 湊秀雄

    ○湊参考人 いまの御趣旨は全くごもっともでございますし、私どももその線でいままでも努力してまいったし、これからも努力せねばいかぬと思っております。  ただここで一つの矛盾的現象といいましょうか、そういうものを足切り問題と絡んで私どもとして一つ感じておることがございます。これは原則的に足切りすべからずというのは当然のことなのです。二次試験学力試験を課す場合はあるわけですけれども、その場合には足切り問題というのは先ほど来の趣旨がそのまま生かされてしかるべきだという考えが当然出てくるのですが、また一方からいうと、その二次試験の中にはそれだけではなくて、むしろそういうものをうんと軽くして小論文なり面接なりというきめの細かさをそこに加味すべしということは趣旨の上から当然に考えられる。そうしますと、そこで小論文なり面接なりということをまともに考えますと、そこでの五倍、六倍という志願者に対してそういう態度でそういうものを課したときにどうそれが処置できるか、延々何日も続くというような問題があっては困る。そこの矛盾をいささか感じている点がございます。そういう点は、今後ともそれぞれ国大協としても大学としても、いまの趣旨とその線との矛盾をどう解決していくかということは、非常な研究問題にはなるわけでございます。ちょっとその点の感じている点だけを申し上げさせていただきます。
  110. 中村靖

    ○中村(靖)小委員 重ねて足切り問題で、大変しつこいようで恐縮なのですけれども大事な問題でありますからもう一つだけ御質問させていただきたいと思います。  手元にきのうの朝日新聞がございます。各参考人もお読みいただいておると思いますけれども、大体有名大学は正式に決めたわけではないでしょうけれども、朝日の問い合わせに対して、やはり足切りをするという方向の大学が調べた範囲ではかなり多いようでございます。たとえば東大はまだはっきりしていないけれども、どうもそういう方向に行きそうであるということが書いてございますし、たとえば東京工大、一橋大学、外語大学、学芸大学といったような有名大学、皆大体足切りを三倍、五倍という形でやらざるを得ないのではないかというようなことが書いてあるわけで、先ほど各参考人の方々からの御説明のとおりに、ぜひなるべく足切りが行われないような形で運営をしていただきたいということをまずお願いいたします。  同時に私が仄聞しております統一テストが始まってからの入試の日程の案というものが、漠然とですけれども、私が伺っている範囲では、足切りをどうしてもやらなければならないときに、足切りを行う大学はその結果を受験生に通知をするということにどうもなるわけですから、その段階でほかの大学へ申請をし直すチャンスというものを与えられないはずはない。これは日時的に苦しいかもしれませんけれども、本人にとってはできれば受験したい学校を受験させてやりたいというように私は思いますので、足切られた子供がほかの学校へ申請をし直すチャンスというものをもう一遍国大協としてお考えいただく余地というものがないだろうかということだけを最後に御質問しておきたいのです。
  111. 藤波孝生

    藤波委員長 足切られた受験生がどこかほかを受けるということですか。
  112. 小川仁一

    ○小川(仁)小委員 足切られてから志願校を変えることができるかどうかということでしょう。
  113. 湊秀雄

    ○湊参考人 ただいまの御発案につきまして、国大協でも十分気がついて吟味したのでございますが、そこで問題になります点が二、三点ございまして、これはやはり教育上いろいろの見地からやらない方がより正当であろうという結論に達したわけでございます。その理由は、一点は、足を切られた受験生といいますのは、その大学については、たとえば三倍で足を切ったとしますと、三倍の中の三分の一以下でございますね、その受験生たちは合格できないわけでございます。つまり数で申しますと定員が百名で、三倍で足切りいたしますと三百名までが一次試験で合格線に入る。三百一番からは不合格になるわけです。三百一番からの不合格の受験生というのは、共通一次がすべてであるとはいえませんけれども、ともかく三百番までよりは共通一次の成績が悪い。その悪い受験生が他大学に再志願をいたしますと、中には通る可能性がある。ところがそれよりも成績のよかった百一番から三百番まではその年は浮かばれないわけでございます。日本の受験といいますのは非常にシビアでございまして、一点の差も問題にしているような受験をやっております場合に、そういうのが、成績の悪い方が得をするということがいいだろうかということも十分吟味いたしまして、そして大変お気の毒ではあるけれども、再志願ということは、そういう教育的見地からおもしろくないのではないかということで再志願をやらないようにということで決めてまいりましたのが一点。  それからもう一つは、こういうことで足切りで不合格になりました受験生というのが再志願をいたしました場合、現状の処理期間では、とうていそれぞれ再志願を受け入れます大学の方の事務処置が不可能なのでございます。そういうことで、いろいろほかにも細かい点がございましたが、大きな問題点を挙げますとそういう二点から現状では不可能であるという結論に達しているわけでございます。  それからもう一点。先ほどちょっと共通第一次試験の時期を繰り下げられないかということでございますが、細かく計算いたして現在やっておりますのは、二次試験をやります少なくとも五十五日前には試験が終わっていないとできないものでございますので、そういうようなことから三月三日の試験というようなこと、それから追試験というようなことを考えてまいりますと、あるいはまた推薦入学というようなことに共通一次試験の点数を利用しようということになりますと、どうしても一月五日までには第一回目の共通一次試験は終わっていないと処置不可能であるというようなことも、事務的といいますか、細かく計算してまいりますと出ておりますので、先ほどちょっと十日ぐらいはということもございましたが、もう少しやはり繰り上げて終えておかないとまずいわけでございます。ちょっと補足でございます。
  114. 藤波孝生

    藤波委員長 従来のこの委員会でのいろんな御討議の中では、一部の方は違った意見を持っておられるかもわかりませんけれども足切りはどうしてもそういう方向でいかないようにしてもらいたいという意見が非常に強うございまして、足切られた者がもう一回受けられるようにならぬかという中村委員の御発言は、足切られる場合もあるかもわからないとこの委員会考えているというふうにお考えにならないように。これは相当強いですから。やはりそれはあそこの大学足切りをやるぞというようなことで、その大学がまたエリート意識を持っていく、そこのエリートをまた目指していくというようなことで、結局、有名校偏重に輪をかけるようなことになるのではないかという非常に強いお考え委員の方々におありになることを御理解いただいておきたいと思います。
  115. 小川仁一

    ○小川(仁)小委員 そこで、さっき言った異質と同質の問題が出てくると思うのです、大学の特徴が。いまこの前の新聞では、医学部教育専門委員会は三倍。新聞を見ますと、医学部をお持ちの大学は、ほとんど足切りをやるという方向に出ていますが、それは医者としての適性を見るためにということが前提になるならば、さっき言った百人の定員の三百番と三百一番との中でどういう特徴のある者が見出せるかという課題になると思う。どこで切るかというのはむずかしいでしょうけれども、やはり大変な問題になってくる。特に、高校到達度という形で共通第一次試験が行われるようになりますと、私たちの考え方によりますと、上位はほとんど水準がぴしっと固まってしまいます。縦にバランスができるのではなくて、横の同じ点数の層が非常にぐっと広がった中で、そういうことが前提で特異な、異質な、いわゆる適性を、能力を見るとするならば、むしろ一定の標準以上は足を切らないで、そこの中から適性ある者を見るというのの方が入学試験としてはよりよい状態になるのではないか、こういう考え方が、先ほど委員長がおっしゃった足切りをすべきではないという考え方の私なりの解釈なのです。そういう意味で、同質、異質という考え方が、何かお聞きしているとやはり東大方式の一次試験で落として、もう大学へ入れる者は入れる者なのだからということで、その足切りが異質性を妙に違った意味で使われているような感じがするのですが、先に言った考え方を含めて、ひとつお考えを出していただきたいのですが。
  116. 湊秀雄

    ○湊参考人 まず上位にずらっと並んでしまうというお考えでございますけれども、これまで三回やっております実地テストの結果を見てみますと、これは総点で見ておりますけれども、決して百点のあたりにざっと全部並んでいるのではございませんで、大変いろいろな点数をとってのばらつきがございます。そういうことで、現状試験問題でございますと、ずいぶんと点数の差の出ていることも明瞭でございますので、そのあたり御質問にちょっと私答え得てないかとは思いますが、一つのデータとして御参考までに申し上げたいと存じます。
  117. 小川仁一

    ○小川(仁)小委員 文部省の方でこの前までのテストの結果のデータを出してくれることにしておったのですが、それがあると、私たちもいまみたいな質問をしないで済むのですけれども委員長ひとつお願いします。
  118. 藤波孝生

    藤波委員長 すぐ配付しましょうか。
  119. 小川仁一

    ○小川(仁)小委員 はい。
  120. 山原健二郎

    ○山原小委員 いま資料が出てくるわけですが、いままで三回模擬テストをやっておられるわけですね。ちょっとそれが出てこないとわかりませんけれども、私たちの聞くところでは学校を指定して、大体いわゆる優等生クラスが受けているのですよ。だから、今度十一月に八万人の対象で模擬テストをやるということですね。私は実はそれが一番大きな模擬テストであって、その分析がなされてから各大学実施要綱が出るものだと思っておったのです。ところが、文部省の方から聞きますと、ことしの七月に各大学からの実施要綱が出るということになりますと、いままでの三回分が基礎になるわけですね。一次と二次テストが一貫したものだという合わせて一本の選抜試験だということになりますと、いままでの三回のものがどういうものであるか、ちょっと疑問を感じておりまして、いまここに出てきたわけですが、今度の第四回目の模擬テスト八万人対象というのは、お聞きしますと、これはもはやコンピューターの集計能力を見るためのものだというふうに聞くわけですね。そうしますと、現在各大学実施要綱を検討されておると思いますが、基礎になる部分がちょっと薄弱ではないかという気がするのです。  それからもう一つは、これは文部省に聞くべきことかもしれませんが、国立大学協会入試センターの関係です。今度法律大学設置法の中で入試センターが設立をされた。その入試センターが、設立をして活動開始していく中で行われる模擬試験なのか、国立大学協会がやる模擬テストなのか、ここの性格がちょっとわからなくなったのです。そうしますと、入試センターとは一体何ものか。実施の期日も決まり、あるいはほぼ路線は国立大学協会でずっと敷かれてしまって、さて、この入試センターというものは一体何なのか。法律の成立の過程からすれば、入試センターができて、研究調査、追跡をやる、そうして同時に実施もしていくという一つの独立した機関としての性格を持っておるものなのですけれども、いままでお聞きしますと、もうこれはがんじがらめに方針はすべて路線は敷かれたものを踏襲するだけの機関になるのか。本来ならば、入試センターというものが法律によって国会を通ってできた、そこでテストをやる、そうしてそれを追跡する、そうして分析をする、そうしてその中から共通一次試験というものが出てくるとか、あるいはいろいろな方法が出てくるというのが、本来法律の成立の過程ではないかと思うのですがね。その辺が入試センターが一体どういう性格——入試センターが即国大協ではないだろうと思いますが、その辺の性格はどんなふうになっているのでしょうね。
  121. 藤波孝生

    藤波委員長 自動的に次の項目に入っていっていただいているのですが。
  122. 山原健二郎

    ○山原小委員 私はその前に一つは二次試験の……。
  123. 藤波孝生

    藤波委員長 それをまず答えていただいて、その後またひっくるめてやっていただいて結構です。  入試センターそのものについて御意見をどうぞ。
  124. 山原健二郎

    ○山原小委員 これは先生方の方でないかもしれませんが。
  125. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 私ども立場のことを申し上げたいと思います。  いま山原先生お話しの前段の問題ですが、いままでの実地研究テストというやつですが、それの受験をしていただいた方は、高等学校学生諸君にいわば公募の形でお願いしたわけですが、その際に私どもとしてやはり意思を働かせている面がございます。と申しますのは、そこからのランダムなサンプリングであるべきだというのが一つなのです。そういうことを特に意思的に入れまして、われわれの方からまんべんない高等学校お願いに行ったという経緯がございます。それにもかかわらず人数が少ないわけでございますから、全くの母集団をそのままそこに反映したかどうかという点の証拠的なものはないわけですけれども、そういう配慮をしているということで、いままでの実施研究テストに対しては、高等学校生徒諸君の中で当然に大学に入るべき、いわゆる優秀な人間だけが来たということではございません。まんべんなく受験していただくようにこちらから積極的に働きかけて御参加をいただいたという経緯を持っておりますので、大体の流れはわかり得る可能性が強くあります。  さらに、先ほど湊参考人からお話がございましたように、その問題が適切な問題であるという御批判高等学校側からもいただいているわけですけれども、その問題について、すべての人間が非常に上位の点数をとるということではなくて、そこに当然の正規分布的な点数配分は出てきておりますので、今後ともそういうことはあり得ることだと思います。  その次の段階の、入試センター云々の問題でございますが、私ども考えさせていただきました入試センターと申しますのは、国立大学が共同して一次試験共通的にやろうというための大学の共同利用機関として設置をお願いしているということでございます。性質はそういう性質のものですから、国立大学の総意のもとに共同利用して入学試験というものを行うという姿の入試センターの設置をお願いするという性質ですから、その点では、いままで国大協考えてきておりました入試あり方、こういう姿でやるのだということはそのまま生かされる共同利用機関であるというふうに考えております。共同利用機関という意味で、それの設置のためには法律制定をお願いしなくてはならぬという姿が出てきたというふうに私どもは理解しておるわけです。当然のこととして、その意味では、共同利用機関でございますから、入学試験ということに立った上でのそういう運営形式が将来とも保障されるべき共同利用機関であるというふうに考えておるわけで、そういうような背景を持って、この国大協自主性というものがそこで確保されるという表現でよろしいのか、大学全体の総意がそこで結集されて、将来とも続いて確保されるべきものであるというふうに言った方がいいかもしれません。そういう性質のものが出てきておりますから、内容的にはいままで国大協考えてきたものをそのまま継承して共通一次試験というものが行われるべきものだ。その意味でこれはそのような意思が将来とも続いていくような管理運営機構が保たれなければならぬというのが私どもの主張、考え方でございまして、そういう意味で、評議会、運営協議会とかそういうものを考えさしていただいているということでございます。
  126. 藤波孝生

    藤波委員長 少し入試センターの運営と機能についてしぼって御質疑いただきたいと思います。いかがでしょうか。これは今回の法改正の一番大きな中心でもあるのですから。少ししぼってどうぞ。
  127. 木島喜兵衞

    木島委員 入試センターには、基本的、基礎的な研究、すなわち第一次共通テストないし第二次というものを前提にした研究部門と管理運営部門とございますな。その研究部門というものは、今次皆さん方がお考えになったものを前提としてのたとえば追跡調査とか一次、二次の関係とかというふうになっております。したがって、基礎的とか基本的と委員長のこの質問にも書いてありますね、そういう研究はなさるのですか。簡単でいいです、イエスかノーか。
  128. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 いたします。当然に入っております。
  129. 木島喜兵衞

    木島委員 すると、いわゆる研究部門は基本的、基礎的な研究部門とそして前提にしたところのものとの二つの部門に分かれるということになるわけでありますけれども、今回の予算ではそうなっておらないわけです。初めからなぜそのようなことができなかったのですか。今回のセンターの構成図は前提にしたところの研究部門と管理運営部門と二つになっておりますね。もし基本的、基礎的なものも研究するのだという前提に立つならば、センターの機構は基礎的、基本的な研究部門、そこには私立や高校等もたくさん入ったもっと総合的な研究になるかもしれませんが、そういうものがないわけですね。文部省は来年から予算をとってやります、こう言っているのですけれども、私は文部省の意思はわかった、しかし、主体は試験実施するのも大学の自治の問題であり、そしてセンターもいま私が言ったように国大協、個々の国立大学が連合して使う共同利用の場であって、その運営は自治である。自治であるから、したがって、国大協がそういうことを考えなければ、つくるわけにはいかない。したがって、国大協としてはもし最初からお考えであったならば、最初からそういう部門というものがなければならないと思います。どうでしょうか。
  130. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 いまおっしゃった御質問の趣旨が後段で具体的に高等学校云々のような話が出ましたので理解ができたわけですが、研究部門なり何なりというものを申請した形、入試センターの組織、機構そのものは国立大学の共同利用機関であるという形をとっております。ですから、その意味では徹頭徹尾国立大学側がすべてに対して責任を持つべきだというふうな考え方を持っております。ですから、研究部門もそれだけにしぼった形で出ているわけです。だから、研究部門という中では当然に、われわれいま考えたものの研究、それの改善策もありましょうし、その研究の中で基本的な考え方もしなくてはならぬ、それも国立大学の責任においてすべきだという態勢で研究部門があるわけです。いまおっしゃいました高等学校側の意見なり何なり、その点であるいは協議をする、そういう形での基本的な研究調査はあるわけであります。それは別個に一つの連絡会議といいましょうか、いまのところまだはっきりしておりませんが、そういうような形をもって——これは午前中御質問がございましたように、各方面の意見をいままで聞いてきたか、足りなかったかというような御意見もありましたが、われわれとしてはずいぶん努力をしたつもりでおります。あのときに私が触れさせていただきましたが、それはわれわれのいまの研究段階では随意的にそういう場をつくってそういう御意見を伺ってきたということを申し上げたわけです。入試センターというものがはっきり設定されれば、その立場においてそういう一つの協議機関といいましょうか、そういうものはいま私どもがここで考え研究部門とは別個に考えるべきではないかというふうにいま考えているわけなんです。
  131. 木島喜兵衞

    木島委員 重ねて。基本的な研究というのは、いま私立大学高等学校とちょっと言ったものだからそれにとらわれていらっしゃるようですが、必ずしもそうでなくていいのですよ。国大協研究なさって、私大もあるいは高等学校もみんな協力できるようなものがあれば、必ずしも入れなくたっていいですよ。国大協の共同利用だということですから、共同利用機関についてのシステムとかその他いろいろありますけれども、それは別個にしまして、いまのセンターは、それではより基本的、より基礎的といいましょうか、よりよきものを求める、このことにとらわれないといいましょうか、これを前提としない研究はセンターとしてはやらないのですか。
  132. 飯島宗一

    飯島参考人 先ほど加藤参考人お答えになったように、私ども考え方としては、今度できるセンターでいま御指摘のようなたとえば共通一次に関する研究をやるとか、二次だけに関する研究をやるというのではなくて、やはり入試問題全体の基礎的な研究をもこのセンターでやっていきたいということは確定をした希望でございます。ただ、このたび認められたセンターの規模とそれからわれわれが本来もっと研究部門が大きくてもいいではないかと言って行政の方へお話ししたものとの間には、予算の関係とか定員関係とかで多少距離がまだ残っておって、この問題については今後われわれの方としても、さらに研究部門充実するということでお願いをし、整理をしていく余地は十分に残っている。大学は自治でありますけれども大学お願いすることが研究所といわずあるいは大学といわずまるまる政府、国会でお認めいただければこんなさわやかなことはないわけでありますけれども、現実にはなかなかそうはいかないので、私どもは、この研究センターについても、今後必要である部分についてはさらに今後の整備を継続していただくという理解でございます。
  133. 木島喜兵衞

    木島委員 今回はそういう要求をされたけれども予算を切られた。したがって、来年また要求する、そういうことですか。
  134. 飯島宗一

    飯島参考人 簡単に言えばそういうことです。
  135. 山原健二郎

    ○山原小委員 今度の模擬テストはどこがやるのですか。
  136. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 今度の模擬テストは、幸いにも入試センターというものが、確定いたします、それを前提として考えておるわけですが、それは入試センターが実施いたします。
  137. 飯島宗一

    飯島参考人 補足をいたしますが、大学一般の気持ちとしては足切りをぜひやりたいとか好んでやりたいとか足切りに固執しておるということは基本的にはございませんので、先ほど申し上げたように、もし足切りというものが必要であるとすれば、二次試験にゆとりをつけるためのやむを得ざる措置としてということは、国大協のレベルでもそれから各大学のレベルでも一貫して考えられておるということは念のために一言申し上げておきたいと思います。好んで足切りをやろうという考えは全然ございません。
  138. 木島喜兵衞

    木島委員 そのことに関連をして、先ほどからお話があるように、国大協で、強制的ではないが、しかし話し合いでもってお互いに足切りをしないでおこうということの結論を得られなかった理由は何ですか。
  139. 飯島宗一

    飯島参考人 それは先ほど申し上げたように、そもそも一次試験共通でやろうという合意に達した段階において、この共通一次試験の結果をどう利用するかという問題と、それからその二次試験の問題については、先ほど申し上げたように、各大学自主性の問題と全体の調整の問題とで大変激しく原理的なものを含めた議論がございまして、そして先ほど私からちょっと申し上げたように、全体の基本線を確認しながら各大学自主性を生かそうということで今回の全国立大学の合意が成立したわけです。
  140. 木島喜兵衞

    木島委員 足切りはどうして全体の合意にならなかったのですか。
  141. 飯島宗一

    飯島参考人 それは私に御質問いただいても御返事できる事柄ではありませんけれども……。
  142. 木島喜兵衞

    木島委員 本当のところは。
  143. 飯島宗一

    飯島参考人 本当のところを私に聞かれても、私は東大の先生ではないし、あるいは東工大の先生でもありませんからどういうふうにお考えかというのは問題ですけれども、ただ一般論として、足切りというのはそういうやむを得ざる場合の措置であるということで合意が得られているということは繰り返すようですけれども、われわれ全体の認識でございます。
  144. 木島喜兵衞

    木島委員 結局、足切りをやらねばならないと主張をする学校が幾つか大変に強くありて、そのために、原則的なことであるかもしれませんけれども合意に達しなかったということは、足切りが必ずあるということになるのではありませんか。
  145. 飯島宗一

    飯島参考人 そういうふうに短絡して言っていただくとやや御返事に困りますが、申し上げているのは、あくまで足切りというのは、全体の方法の中でどこかに非常なひずみを生ずるおそれがある場合にやむを得ず採用すべき事柄であるという認識においては、繰り返すようですけれども一致をしております。
  146. 若槻哲雄

    若槻参考人 私、第二次試験につきましていろいろな御議論の中で私どもの理解と多少外れる点があるのではないかしらと思いますので、ちょっと申し上げたいと思うのですが、それは第二次試験のねらいというのは、先ほど第一次と同質のものかどうかという御質問もございましたのですが、確かに同質の部分もございます。たとえば先ほど加藤さんから御説明がございましたように、第一次テストというのは大部分はもう一、二年の間でとってしまう分だけの試験でございます。ですからそういう意味では、高等学校における各生徒の完全な到達度を全部見ているわけではないのでございます。それで三年になりますと、たとえば数学にいたしますと、数Iのほかに理科系に行くのでしたら数IIとか数IIIというのがございます。また、これをとってきませんと大学へ来てからの講義がもう全然わからない。数IIというのになりまして初めて、非常に簡単でございますけれども、微分であるとか微分方程式とかいうようなものの概念的なことがわかります。たとえば、そういうことがわかりませんと、理工系の方に行く学生は全然講義についていけない、こういったようなものがかなりあるわけでございます。それで、また一方では一次試験にどうも疑問がある、二次試験でどうしても——たとえばそういう理工系の学部ですと数IIをやるとか物理のIIをやるとか化学のIIをやるとか、そういうことがございませんと、高等学校でまた勉強してくれない、そういう可能性も非常に強い。そういう意味では高等学校の正常化というのには、何しろ二次も減らせ減らせという議論ございますけれども、むちゃくちゃに減らしたらこれは正常化にならないし、大学でも授業が満足に行われない、そういうファクターがございます。したがって、そういったようなそれぞれの学部、学科によって、どうしてもこれはとってきてもらわなければならない。もちろんその範囲というのは、大体高等学校では数IIの場合はどこまでというのはきちっと決まっておりますから、範囲がむちゃくちゃになるわけではございません。そういうものを学科試験としてやる。これはまたある意味では、数学がきらいで数IIがいやだからとらなかったというのは理工系に来てもらっては困るわけなので、そういう意味では適性を見るという試験にもなり得るわけです。ですから、そういう試験部分がかなりございます。これは足切りをする必要は全然ないわけでございます、筆記試験でございますから。何人来ようとそう困ることはない。  それからもう一つの、二次試験のときに非常に言われておりますのは、二次試験というのは何しろ面接とか作文とかそういうことをやればいいのではないかということでございますけれども、いま二次テストのときに一次と多少学科では重なっているのを課する、そういうことが少しございます。たとえば英語というのもございますけれども、英語の試験といいましてもやはりコンピューターを使いますから、非常に制限がある。どうしても語学を高等学校で三年まできっちりやってきてもらわないと困る、そういうところはやる。ですから、これは試験の方法が多少変わる。そういうことで、やはりこれが二次試験でございますが、これも足切りの必要はございません。ですから、そういうところは大体足切りをやらないわけでございます。ただ、先ほど医学部入学試験のお話がございましたのですけれども、たとえば面接で医者としての適性を見るというのは、これは言うはやすく行うはかたしで、私は実際的には非常にむずかしい問題だと思うのです。しかも、非常にわずかな点差でもって合否が決まる。しかも、試験というのは公正でなければならぬ、そういうことになりますと、面接試験というものについては、もしやるとすれば非常に覚悟が要りますし、非常な準備も要る。そのために、もしもどうしてもこれをやるべきであるという結論が出ました場合には、これはたとえば相当大ぜいの試験官を用意して、しかも非常に客観性をはっきりさせて、公正という点で一点非の打ちどころがないようにしなければならぬ、こうなりますと、非常に手間がかかります。そして、そうむやみに日にちをかけるわけにいきませんので、そういう場合にはどうしてもやむを得ず足切りをせざるを得ないということが出てくるのではないか、こういうふうに思うわけでございます。  この足切りという問題はどうしても、筆記試験のようなものはもう一次でやったのだからいいのではないかという議論がよく出るのでございますけれども、筆記試験でも一次の場合のコンピューターを使うのとはかなり違いますので、そういう形で、そのかわり足切りはしないというタイプの二次試験とそれからもう一つは、いま申し上げたような、非常な覚悟を持ってやる場合の試験、こういう二種類あるのではないか、そういうふうに思うのでございます。
  147. 木島喜兵衞

    木島委員 要するに、足切りは、最初申しましたように格差があるから、こういうことを皆さんが御苦心なさらなければならない。その足切りは、格差というものを明らかにすることでありますから、そのことを問題点として皆さん意識されていると思うのです。  そこで、二次試験、たとえば、さっきもお話ございますように百人の三倍で、三百人だから二百人落ちる、二百人落っても第二次試験はその百名よりよけいなことはないのでありますから——これは一期、二期なくなったのですから一回しかチャンスがないのですからね。一体どのくらいの枠を、どのくらいの率の二次試験というものをお考えですか。欠員や何か含めて二次試験をやるとするでしょう。
  148. 藤波孝生

    藤波委員長 二次募集のことですね。
  149. 木島喜兵衞

    木島委員 ええ。二次募集は、どのくらいの枠になっていますか。
  150. 藤波孝生

    藤波委員長 考え方で結構です。具体的にはまだ知りませんから。
  151. 湊秀雄

    ○湊参考人 この二次募集の件につきましては、まだ十分国大協でディスカッションしている段階ではないのでございます。
  152. 木島喜兵衞

    木島委員 わかりました。  それから、さっきの山原さんおっしゃった足切りを終わってから出すというのは私は反対なのですが、第一次が終わって第二次を出すときに、一校しか出せないのか、二校を出したら悪いのか、あるいはこっそり三校出したのはわかる……。
  153. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 第一次試験の志願の場合には複数書いてよろしいが……
  154. 木島喜兵衞

    木島委員 二次は。
  155. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 二次の場合には一校に限るということにしてあります。これはわかります。
  156. 木島喜兵衞

    木島委員 そうですか。二校にしたらいけないのですか。
  157. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 併願をすればわかってしまいます。
  158. 木島喜兵衞

    木島委員 わかってもいいですが、三校どうして志望してはいけないのですか。試験を受けるのは一つだけれども足切り防止だ。足切りをやられたらぱっと行けるように……。
  159. 湊秀雄

    ○湊参考人 ただいまのお話しの足切りをごくわずかやります大学受験生で足を切られた者は救えますけれども、結局一期校と二期校と両方あるのと同じことになるわけじゃございませんでしょうか。
  160. 木島喜兵衞

    木島委員 一回しか受けないことは確かだ、同じ日にやるから。二つ出して、足切りされそうなところ、点数の高い方へいったからおれはとてもだめだ、おれはもっと下げよう、だから差のあるところで二つ出したとする……。
  161. 山原健二郎

    ○山原小委員 検討中にちょっとお聞きしたいのですが、よろしいですか……。
  162. 湊秀雄

    ○湊参考人 ただいまのお話は重複志願になるわけでございますね。そうしますと、結局そのために余分の席もつくらなければならないし、整理ということも相当大変になるわけでございます。こういう点で現状大変やりにくいというのが私どもいままで吟味してきたところで、結局重複志願は現在のところでは認めないことでいきましょう、こういうことでございます。
  163. 木島喜兵衞

    木島委員 ちょっと意見だけ申しますが、どうも国大協入試技術上からが中心であって、受験者というものが中心に考えられていないというような感がいたしますな。感想です。
  164. 山原健二郎

    ○山原小委員 足切りというのは、たとえば一つ大学法学部足切りをやらない、医学部はやるという場合に、その大学足切り大学ということになるのですか。
  165. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 いまおっしゃったとおりの判断になると思います。大学が足を切るのではなくて、ある大学医学部は足を切る、それ以外は切らないということで、一つ大学足切りというふうに俗には言うかもしれませんが……。
  166. 山原健二郎

    ○山原小委員 大学というふうに一律にいままで話してきて、足切りをやる大学とか、やらない大学とか言ってきたのですけれども一つ学部の問題があるのですね。学部自主性という問題があるので、その辺との関係で、たとえば現在はどういうふうになっておるか知りませんが、一つ大学がまとまって足切りをやるということになるとこれはちょっと問題が大きいと思いますね。それからまた、その辺の実態というのも、これは想像する以外にないわけでして、だからいま、きょうの新聞などにも出ておる足切りをやる大学もある、共通一次試験足切りに使う大学があるというその辺は、中身はどういうふうに判断されておりますか。
  167. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 いま非常に具体的な、私どもちょっと認識不足だった面でございますが、いまの足切り問題云々は、現在の入学試験でもそれぞれの学部の独立性において志願者を決めております。それを別な見方をしますと、それぞれの学部においてそれに志願する母集団は違った母集団だというふうに判断せざるを得ない実情がございます。それがやはり志願する高等学校生徒諸君の適性というものの分布になってきているのではないかと思います。そういう意味で、特に総合大学なり学部がたくさんある大学においては、いまの足切り云々の問題も、あるいは二次試験あり方の問題も、学部のその特性というものが生かされる必要がある。現在の受験体制の中でもそれがあるわけですが、いま申しましたようにある大学足切りをするというのではなくて、その大学のある学部足切りをせざるを得ないということになってくると思います。その大学一本という形ではございません。
  168. 藤波孝生

    藤波委員長 特に別の角度から入試万般について御質疑がありましたら、どうぞ。
  169. 小川仁一

    ○小川(仁)小委員 国立大学というのは国民の税金でつくられている大学ですね。したがって税金を納めている国民受験者の側からすれば、受験機会を一次二次が一つのセットで決まってあるものであれば、国民の側の権利として当然おしまいまで受けさせてもらう権利がある。その権利を保障してやるというのが国立大学としての国民に対する一つの義務じゃないでしょうか。ですから、私はもう一次と二次というものを一つのセットとして考えておったのです。そういう認識で考えておるのですが、いまお聞きしますと、大変失礼ですが、東大の一次試験と二次試験のような形を各大学のいろいろな学部に適用して、失礼な言い方をすると、大学の先生方が入学試験の労力を非常に簡単に省くというような誤解を国民に与えるおそれがあるような気がしているのです。しかも一期と二期を一緒にして受験の回数を少なくする、こうなりますと、入試改善という考え方国民が受け取るのではなくて、むしろ国民足切り問題を含めて改悪という受け取り方をする可能性があるが、そういう国民の心情をお考えになったことがあるかどうかが一つ。  まだあります。それからもう一つの問題ですが、やはりいまの高校生は、大学が大衆化したという言い方の中において大学進学率が非常に拡大をしてきております。その子供たちが将来何になるか、何を希望するかといったような高校生の気持ち、希望というものを十分考えた上で、ある意味では人生指導なりあるいは大学の進路を決めてやるなりという方向での研究部門、さっき木島委員がおっしゃった基礎的な研究というものはこういうものも含むと思います。こういう研究機構を、これは文部省国大協お願いするかどうかは別として、やはりそういう部分をつけなければ当然のことですけれども国大協だけのエゴイズムという感じに受け取られる。この前の参考人のときに私立大学の方が、文部省国大協だけでおやりになっていることで私らには関係ありませんという非常に印象的な言葉を吐かれましたが、そういう印象で受け取られますと、これまた国立大学というものが一体国民にどうこたえるのかという課題がやはり率直にあると思う。  それから三つ目の問題ですが、これは高校の到達度というお話をし、先ほどの加藤参考人のお話だと六十点から七十点ぐらいはとれる程度の問題、こういうお話でした。そしていまのテスト方式というのはマークシート方式になれていませんから確かに点数が分布したと思いますけれども高校卒業到達度を見るということで、さらに旺文社等を含めたテストの塾準備が始まってくると、本当に高校教育のことを考えてやるならば、高校の水準を考えるなら点数は非常に濃密のある一定部分が出てくるだろうということを私は予想します。それが予想できないということになれば、奇問はなくてもやはり難問、程度の高い問題が出てこなければ、いままでのいろいろな試験問題の結果で分布が一定のバランスを持って出てこないような気がする。ですからどうしても到達度というものの考え方が、私が考え考え方は、高校でまともに勉強していれば一定の点数はとれるようなものと考えておるけれども、皆さんの御認識はそうではなしに、何か、やはり上から下に、縦に分布する、こういう形態のように到達度を見ておられるのですが、そうなってくると高校到達度というものに対する認識の違いが私と皆さんの間にあるような気がする、あるいは父兄と皆さんの間にあるような気がする。さらに入試改善という形での考え方の中にやはり違いがあるような気がして、どうも先ほどからお聞きしていますと、何かやはり足切りを含めて、これは失礼な言い方ですけれども、皆さんの労力の手抜き、あるいは受験技術で非常に楽ができると言っては大変語弊がありますけれども、いままでよりも繁雑さを防ぐ、そんなふうな部分が衣の下からちらちら見えてしようがないのですが、この辺ざっくばらんにお話し願えないでしょうか。もうとても技術的に対応できないのだからこういう方法をとるのだ、足を切るのだ、それならそれで結構なのです。
  170. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 三つの問題の中で二番目の点はまた後でお聞きしてからと思いますが、最初足切り問題ですが、現在東大で行っているようなものをわれわれが想定しているのではないかというような趣旨に伺ったのですが、これは、いまお話しのことは私どもの意思に実は全く反しているので非常に残念なのですけれども……。実は先ほどから足切りするならばどうかという御質問が非常に多かったものですから、そのことだけに限って、もしあるならばこういうことになるでしょうという答えに終始したものですから、それが本来的にわれわれが考えているのだというふうにもしも御理解いただいたとすると私どもの意に反するということでございます。  一番最初申しましたように一次、二次は合わせて一本総合判断するのだという考え方でずっと終始してきているわけで、ですから私ども報告書にも足切りはあり得ないことなのだという趣旨をうたっているわけです。もしもやるならばということで話が出ているわけで、もしもやるならばという問題だけに先ほどから集中されておるものですから、それがクローズアップされたかというふうに私思いますが、おっしゃっている趣旨のとおりに私ども考えておる。つまり共通一次というものと二次というものを合わせて総合判断をすべし、ですから理論的に、当然足切りというものはあり得ないわけです。それを私どもは言っているわけです。ただ、全く例外的な考え方としてはあり得るかもしらぬという問題がいまクローズアップされて、先ほどから一時間ぐらいにわたって議論されているものですから、それを本来的に考えたかというふうにもし御理解いただいたとすると、私どもの本心ではないということです。
  171. 小川仁一

    ○小川(仁)小委員 本心であってもなくてもいいですが、やるか、やらないか聞いているのです。
  172. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 ですから先ほどから言うように、私はかなり大部分のものが足切りというものはあり得ないのではないかと思っております。現実の問題として出てくる可能性は先ほどからの話の問題だということで、考え方としては足切りそのものを私どもは否定している。
  173. 長谷川峻

    ○長谷川(峻)小委員 あなたの大学はどうですか。
  174. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 いまここで個々別々を言うことは、私は失礼させていただきたいと存じます。
  175. 小川仁一

    ○小川(仁)小委員 二番目は、現在の青年や若い学生たちのああした進路指導……。
  176. 湊秀雄

    ○湊参考人 ただいまのお話は高校生の広い意味での進学指導の努力はできないか、こういう御趣旨でございますね。
  177. 小川仁一

    ○小川(仁)小委員 そういう研究部門考えられないかということです。
  178. 湊秀雄

    ○湊参考人 ごもっともでございます。その点は外国の例を見ますと、特にアメリカの例はこのあたり非常に進んでおるようでございます。  アメリカでは、企業として二つございまして、ETSとACTとございますが、どちらも進学指導、特にACTの方は進学指導をずいぶん強力にデータをつくってサービスとしてやっております。こういう面に私ども気がついておりますので、これから希望として努力すべきであろうと思いますが、ただこれをやりますには、やはり相当の研究陣を持たないとできませんので、第二段階としてこういうことが可能であれば、ぜひやっていくべきだろうと思っております。これは国大協でどうこうというのではなくて今後、私ども一つの希望面だと思います。  それから、この進学指導も、たとえばこれは私の誤解かもしれませんが現状をお話伺ってみますると、うちの高校から何人入ったのが進学指導が優秀であるということではなくて、こういう性質を持った高校生はどういう方面に進むのが社会的に一番よろしいか、そういう面の進学指導ということでございまして、それにはやはり相当膨大な研究陣を持たなければできないということも事実でございまして、そういう点はこれから大いに努力すべき点だろうと思っております。
  179. 飯島宗一

    飯島参考人 世の中には誤解ということがありますから、われわれの本心をいまの御発言のようにお考えになる方も世間に多いのはやむを得ないと思います。しかし、事実、毎年毎年国立大学入学試験ということをやっておりますものは、この必要悪と思えるようなことを、その必要悪の範囲で幾らかでもよきものにしようという、それはもう切実な願いを持って仕事をしておるということだけはこの際、御認識いただきたいと思います。  それで、楽をしようとか国立大学独善でこの問題を扱おうなどということであれば、そもそも共通一次などという社会的にもいろいろ大変問題がある問題を実行してまで入試改善の一歩を進めようなどということになるはずはないと私は思います。  それから、国立大学がロード的に楽をするのではないかということでございますが、事実申しますとこの共通一次の試験が起こったときに、各大学で事実上かなりの抵抗がございましたのは、こうなりますと各大学は一年に二回受験生を集めて入学試験的なことをやる、つまり共通テストと申しますけれども、現実問題としては各大学がそれぞれの地域の試験の事務を担当してやらなければなりません。したがって、ことに職員の人たちの労力ということから申しますと、従来行っている各大学の独自の入学試験に加えてもう一遍、十二月なり一月なりに大変神経を使う、万一事故が起これば大変なことになるという仕事を大学の教職員の方々にお願いをしなければならないというので、大学のロードが非常に少なくなることを願っているというのは、御発言の流れでそうおっしゃったのだと思いますが、そういうことは毛頭ございませんから御認識いただきたいと思います。
  180. 小川仁一

    ○小川(仁)小委員 いま言った誤解がかなりあるということをやはり御認識願いたいと思います。
  181. 飯島宗一

    飯島参考人 それは十分認識をしております。したがって、こういう機会にぜひ先生方も世間の認識を是正していただくようにひとつよろしくお願いいたします。
  182. 西岡武夫

    ○西岡小委員 何の問題でもよろしいですか。
  183. 藤波孝生

    藤波委員長 ごく簡潔に。最後の項目に移りたいものですから……。
  184. 西岡武夫

    ○西岡小委員 先ほどの、例の九月を新学期にしてはどうかという問題については、国大協としても積極的に検討をするというお答えをいただいたわけでございますが、私がその問題に関連して先ほど申し上げましたのは、実はこういう意味なんです。  それは、五十四年度に共通の一次試験が行われる、それまでに九月から新学期にするのだということは、そう簡単にはなかなか行われないだろう。それを前提としては考えられないだろうというのであれば、だからといって、共通一次試験を十二月なり一月なりに行うのはやむを得ないのだというお考えではなく、高等学校の中に足を踏み込んで大学入学選抜を行うのではなくて、四月の新学期のところを大学側が工夫をして受けとめるべき課題ではないでしょうか。私が九月をということを提案をしたのは、何も入試の問題だけに限って提案しているわけではありませんから、大学の四年間の授業時間を短縮するべきだという意味で申し上げているわけでは決してありませんで、そう誤解をしていただきたくないのです。  その問題は一応さておいて、五十四年度から新学期を九月からということに一気にできれば自動的に解決すると思いますけれども、そうならないのであるならば、十二月、一月というような形ではなくて、やはり高等学校の三年間、三学期まで含めた高等学校における授業というものは大学側も十分尊重をされて、そしてそのしわ寄せは、みずから四月なり五月なりの学校における授業というものを工夫をすることによっておさめるべき課題ではないでしょうか、そういうことを申し上げているわけです。その点はいかがでしょうか。
  185. 飯島宗一

    飯島参考人 御趣旨は大変よく理解をいたします。ただ、例の入試期の問題で、入試期をいつに持っていくかということで一つ非常に重要なことになりましたのは、私学の入学試験国立大学入学試験の前後関係ということがございます。  私学の方からは、国立大学入学試験が私学の入学試験の後になるということは、後の学生の辞退の問題とかあるいはその他の問題で非常に混乱を起こすので、したがって、少なくとも共通一次の問題だけは私学の入学試験の始まる前を希望するという実情がございます。これはもちろん私学の方といろいろお話し合いをして、そして調整をするという可能性はないとは申せませんけれども国立大学だけが、たとえば新学期を五月にずらす、あるいは六月にずらすということをやるのは、これはわれわれの責任だけでその可能性があればもちろん検討に値すると思いますけれども、同時にこの問題は、それで私学の方はよろしゅうございますかということを私学側とも十分お話し合いをする必要があるということが一件残っているということだけをちょっと申し上げておきます。
  186. 西岡武夫

    ○西岡小委員 私は、やはり大学入学試験制度というものは国立私立を通じて、全体を通じてやらなければ完全な意味をなすものにはならないというふうに心得ておりますし、そういうことを願っているわけですけれども、いま国大協がお進めになっておられます共通一次試験というものは、国大協大学を対象としてこれを進めようとしておられるわけですから、いままでのいろいろな問題について、国大協が何か国大協としてなされるときに、常に公私立の他の大学のことを考えて、それとの調整がつかなければ何もやらなかったということはないはずですし、それほどわが国の国公私立を通じて大学間の連絡というものが常に十分に行われて、同一歩調をとっていままで歩んでこられたというのは残念ながら、ちょっとそういうようなことも余り聞きませんし、せっかくの飯島先生のお話ですけれども、そのことでやはりだめなのですかということで納得はできない。
  187. 飯島宗一

    飯島参考人 お言葉をそのまま返すようで大変恐縮なんですが、国公私立の間の連絡ということがいま御指摘のような状態にあるがゆえに、いまのような問題を私立側と話し合って了解を得てすっきりさせるということについては格段の努力が今後まだ要るだろうということを私は申し上げたのです。  それから、先ほどから国大協のエゴイズムではないかといういろいろな場面でのお言葉もあるわけです。われわれは、入学試験というのは大学としては本質的な非常に大事な仕事でありますけれども、同時に社会的な影響の強い問題であるから、この問題については格別配慮をしなければならないという姿勢でやってまいりましたが、それにもかかわらず、先ほど来まだおまえたちの一般へのPR、認識の努力は足りないぞという御忠告をたくさんいただいているわけでありまして、いま西岡委員のおっしゃったように、いままで勝手にやってたんだからその件もおまえ勝手にやれ、はいというわけにはいかないと思います。
  188. 藤波孝生

    藤波委員長 討論の場ではありませんので、意見をお聞きになるようでございましたら、かいつまんで……
  189. 西岡武夫

    ○西岡小委員 私は決して討論をしているわけではないので、それでは高等学校の教育の中に国大協が何の権利があって踏み込んで、一月なり十二月なりに共通一次試験を行うということが許されるのか、私が強調しているのはそのことを申し上げているのです。ですから、そのことを今度は私学との調整が問題だからというふうに問題をそちらの方に持っていかれるので、私は申し上げたくないようなこともちょっと申し上げたわけで、そのことに真っ正面からお答えいただかないと困ります。
  190. 藤波孝生

    藤波委員長 先般の本小委員会でも文部省に対してやはり同じような質疑がございまして、国大協の御努力に対し、私学との調整の問題であるとかあるいは大学の年始、年度をどこに持っていくかというような問題については当然文部省自身考えていくべきことであって、そのことについてはいろいろな質疑があったわけですけれども国大協としてもどうお考えになるかということを皆心配をして聞いておるのだと思いますので、どうぞ誤解のないようにお願いいたします。
  191. 飯島宗一

    飯島参考人 別に誤解をしていません。ただ、私、お聞きになったことにまともにお答えをしているので、もし十二月の問題を何とかいい解決があるかということであれば、その点について恐らく加藤参考人の方がお詳しいと思いますのでお答えいたします。
  192. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 先ほど来九月入学期という問題ですが、私ども委員会でもその点は真剣に議論になってきたことです。ただし、それについてすぐさま私どもがまともから提案なかったという趣旨は、午前中も飯島参考人がおっしゃったその趣旨で出なかったわけです。かといって、いま御指摘のように高等学校に対するゆがみというものをその点から大学が与えてはならぬということに対してどう対処したらいいかという点を私ども考えたわけです。  ですから、これから申しますのは九月入学期ということは一応わきに置かしていただきまして、どういうふうな対処をしたかという点で申しますと、先ほど来私も申しましたし、若槻先生も非常に詳しくおっしゃったのですが、共通一次試験というものは大部分が——大部分というよりもほとんど全部の教科が低学年で終えている科目に限られておるわけです。その意味では、これは一つの私どもの自分自身に対する言いわけみたいになる可能性は非常に強うございますけれども、低学年で終えている科目に限っているということ、必修ですからそういうことになる。それでいまのお答えにしたいというのが一つです。  ただ、それにもかかわらずひっかかってきますのは、社会の日本史の部分がひっかかってくる可能性があるということであります。ですから、そのことに対する出題なり何なりの点の配慮をわれわれとしてはする必要があろうということを考えて、九月問題をわきに置かしていただいて、高等学校のいま西岡先生おっしゃる中に入り込んだということに対する償いをそこで考えている、そういう点の説明は、高等学校協会なり何なりでもやらしていただいております。  しかし、今度は二次の方になりますと、一月、二月にかかわった科目がやはり当然にひっかかってくるわけですが、それは従来の期日で行うということですので、特別的にそっちの問題にはひっかからぬだろうという考え方を持っているわけです。ですから、いま西岡先生から御提出の問題については、九月問題は十分議論したけれども飯島先生のおっしゃったような趣旨でわれわれとしては一応表に出すことを控えた、しかし、その問題があるから検討するというのがいまのような考え方で出てきたわけであります。
  193. 西岡武夫

    ○西岡小委員 これは科目についてのいろいろな配慮ということも大事なのでしょうけれども高等学校のまさに学習の真っ最中にそういう共通一次試験という統一したものをおやりになること自体を申し上げているわけですね。ですから、大学側が、企業の青田刈りはけしからぬというような議論がいままでずっとあって、そうおっしゃっておきながら、一つの学校の教育の流れですから、高等学校に対してはのこのこと踏み込んでいってその時期でやっていいというのは、ちょっと筋が通らないのではないか。それならば、くどいようですけれども、四月のところで、私学との関係とかなんとかということではなくて、国大協としてこのことを五十四年度から実施されるわけですから、そちらの方で調整するというのが筋ではありませんかと申し上げているわけですね。どうもちょっと納得がいかないのです。
  194. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 おっしゃるとおりで、いま御指摘いただいた点についてはどうにも拭い去れない一つの問題がございます。おっしゃるとおりだと思います。そうならば、いまの段階では国立大学ですが、国立大学のみずからのしわ寄せといいましょうか、その中で解決すべきじゃないかというようなお話ですね。その中にも先ほど飯島先生がおっしゃった問題が含まれているわけです。それも実は考えたわけです。われわれとしてやはり検討を加えました。それがいまのたとえば私立大学の方の問題との調整がそこでうまくいくであろうかという問題も含んだものですから、そこでいま表に出すことを差し控えていたということで、午前中からのお話のように、飯島先生がおっしゃったように国大協としてはその問題は検討すべき問題として伺わせていただくし、真剣に検討すべきだと思っております。
  195. 藤波孝生

    藤波委員長 時間の関係もございますので、最後の項目に入らしていただいて、その中でまたありましたら、時間の許される限り御質疑を願いたいと思います。  入試改善を進めてまいりますと同時に、わが国の高等教育のあり方なり、また大学の改革なりについて考えるべきこと、なすべきことがたくさんにあるのじゃないか、きょう一日の質疑の中からも散見してそんな感じがおくみ取り願えたと思うのですけれども国大協としてもいろいろな御議論を重ね、御努力をいただいてきておると思いますので、これは少し具体的に書いてありますけれども、このことにこだわらずに、大学の改革全体についてお考え方を御開陳願えればありがたいと思います。
  196. 飯島宗一

    飯島参考人 きょう午前中の初めの方でもずいぶん大学あり方等についての御質問がございまして、若干それに対してもすでにお答えをいたしましたが、国立大学協会といたしましても、ことにいまから八、九年前の大学紛争の経験というものも踏まえまして、国立大学協会の中に大学改革に関するさまざまの検討委員会をつくりまして、国立大学の改革に関する報告書を、少なくともかなりまとまったものを前後二回にわたって提案をしておるわけでございます。のみならず、国大協の中で、たとえば教員養成制度の問題とか、一般教育の問題とか、大学院の問題とか、あるいは格差解消の問題、図書館の改善、それから新設大学の整備の問題、医学教育の問題というふうな問題につきましては、常置委員会あるいは特別委員会を設けましてそれぞれの時点でそれぞれの検討を進めておりますし、また、それらの中に、各国立大学が現在進めているところの改革の構想についてもできるだけ資料を集めまして、それをまとめるようなことを行ってまいっておるわけでございます。したがいまして、時間もございませんしその詳細にわたってお話を申し上げることはできませんけれども、それらの資料もございますので、今後お目をとめていただければ大変ありがたいと思います。  それで、大学の改革の問題は、大学自体にかかわる問題とそれから大学社会構造の中で位置づけの問題というふうに大きく二つに分けられると思います。それで、大学自体の中でも、日本の場合には、先ほどからいろいろお話がございますように、設置形態の上で国公私立という相違がございまして、それぞれに問題点を含んでおりますし、相互の連絡調整あるいは相互関係の整備というようなことも重大な課題として認識をされております。  それで、大学について申しますと、先ほどけさ一番初めの討論のときに、今後大学はどういうふうになるかという西岡委員からの御質問もございました。確かに、大学の大衆化ということに表現されるように、いわゆるポストセカンドリーエデュケーションが国民の中に広く普及するという傾向は今後われわれの社会の発展に伴ってますます拡大をしていくであろう。そういう経過の中で、いわゆる古典的な大学に課せられておる、けさも申しました学問的な創造、つまり研究の問題、それから専門家ないしはセミプロフェッショナルの養成の問題、それから一般的な文化、教養、素養の拡大ないしは普及の問題という三つの仕事が全体の形として見るとそれぞれ多少ずつ分化をしていかざるを得ないであろうということは、そのとおりだろうと私ども考えております。  ただ、ヨーロッパ、アメリカにおきましても議論されておりますように、大学という形のインスティチューションは、この間非常に激しい人類社会の構造の変化あるいは経済基盤の変転、政治状況の変化等があったにもかかわらず、少なくとも過去八世紀にわたってある一つの安定した形態というものを保ってきたという歴史がございます。私がけさもちょっと申し上げましたのは、そういう社会的に生まれてきた一つの生き物としての大学という構造の中には、これを単純に分解してしまうということだけでは恐らく足りなくなるようないろんな要素が存在をしておるので、これは大学論そのものになりますけれども、そういう点も留意をしながら、しかしながら社会的な要求ないしは先ほど来申し上げました新しい形への移行というものに現在大学がどう対処していくかということが各大学に課せられている当面の大学改革の問題だろうというふうに考えております。  具体的には、各国立大学の中では、まずマス化した学生に対して一般教育ないしは人間教育というものをどのような形でどのように回復するか、それから第二の問題は、研究体制が、先ほど国民の税金を使っているというお話がございましたが、そのとおりでございまして、そういう貴重な資材を受けてわれわれは果たして日本のためにあるいは世界のために役立つような学問的創造というものをよく果たし得ているかどうかという問題、それから第三番目には、大学の中で一般教育を行うばかりではなくて、大学社会に対して開かれた大学として大学の持っている機能をポストセカンドリーエデュケーションの拡大というフレームワーク全体の中でどこまでエクステンドしていけるかという問題。それから第四番目には、大学は本来世界どこの大学でも抽象的に社会の中に存在しているだけの存在ではございませんで、ことに日本の場合には地域社会大学という形で結集されるところの学問、文化、教育の問題がどういうふうな交流を持ち、どういうふうな支えを持つかということを考えていかなければならない。それから最終的には国際交流、国際的な連帯の中での日本の大学についてはどう考えていかなければならないかということ。大学の内部構造の問題につきましては以上申し上げたようなことで、具体的には大学院をどうするかという問題、一般教育課程をどうするかという問題あるいは外国人留学生、国際交流の問題をどうするか、あるいは地域社会に対する大学施設の開放、あるいは大学機能のエクステンドというものをどうしていくかということで、しさいにわたっては省略をいたしますけれども、各大学それぞれにいろいろな工夫を進めてまいっておるわけでございまして、このことはさらに進めていかなければならないと思っております。  それから大学問の問題について申しますと、いわゆる国立大学間でもけさからお話のある格差の問題というのがございます。その格差というのは、けさもちょっと申し上げましたように大変多面的な意味がありまして、大学自体が基本条件として持っている諸条項の差異ということもございますし、それから社会的な評価、それは歴史的にいろいろな形で定まってきたものでありますけれども、受け取り方に関する格差というものもございますけれども、少なくとも国立大学問においてはいま申し上げた大学の基本的な仕事を行うための基本条件に著しい傾斜があるということは好ましくないという考え方で、その辺の整備をわれわれ自身検討し、文部省あるいは政府にも要求をし話し合っておるところでございます。  それから第三番目に、日本の場合には先ほど申しましたように国立大学私立大学の間の問題というのがむしろ歴史的に大変大きな課題を背負っておるわけでございます。戦後、大学の急増、大学生の急増ということがございましたけれども、その急増はほとんど私立大学によって吸収をされ、現在の入学定員のシェアから申しますと国立大学は二〇%、私立大学が八〇%というものを背負っております。したがいまして、今後の日本の大学というものを考えていく場合に、国公私立の間の関係をどういうふうにやっていくかということは国立大学としても免れることのできない一つの大きな課題でございます。さしあたっては国立大学あるいは公立大学私立大学間の教官の交流、学生の交流、単位互換あるいは施設の共用、セミナーハウスの共用というような具体的な大学の仕事を通じてそれらの連帯関係を深めていこうということが現在国大協のレベルではいろいろ考えられておりまして、それを推し進めていくという方向で進んでまいりたいと思っております。  さらにそれ以外にポスト・セカンドリー・エデュケーショナル・インスティチューションとして、たとえば各種学校の問題があり、あるいはそれらも包含した意味での放送大学、通信教育の問題あるいは社会教育の問題があり、そういう方向へ国立大学がどこまでどういうふうにエクステンドできるかという問題についてもそれぞれの場面で検討を進めさせていただきたいというのが実情のようでございます。  これを要するに、入学試験の問題に関してけさほど来いろいろな御忠告、御意見を私どもちょうだいをして大変感銘をしておりますけれども、そういう社会的な御要望というものも十分認識をいたしまして日本の大学、ことに現在私どもが直接責任を持っておる国立大学が、先ほど申しました四つないし五つの基本機能の面で国民の十分な支持が得られるような形のものに大学を発展させていきたいといま考えております。  細かいことを申し上げると大変長くなりますので大変抽象的な意見の述べ方で申しわけありませんが、以上……。
  197. 藤波孝生

    藤波委員長 いま飯島参考人からお述べいただきました項目内容はきょうの主題ではないわけですけれども入試改善と絡んで従来も本委員会でいろいろ議論が重ねられてきたところでございます。特に国立大学を中心にいたしまして高等教育のあり方なり大学の改革等について御質疑がございましたら、どうぞお出しをいただきたいと思います。
  198. 長谷川峻

    ○長谷川(峻)小委員 問題が大き過ぎるし、それだけを独立してやらなければ……。
  199. 藤波孝生

    藤波委員長 それでは、きょうは参考人の御意見を聞いたということにさせていただきたいと思います。  長時間御質疑をいただいてまいりましたが、ぜひこれだけはどうしてもきょうの機会に聞いておきたいということがございましたらどうぞ御遠慮なく。
  200. 池田克也

    ○池田(克)小委員 きょう私午後から参りましたのでダブるかもしれませんが、一言だけ。  社会的問題になっております入試地獄の解消という問題で私、委員会で文部大臣に何年ぐらいのめどでこれを解決するおつもりかと質問いたしまして、文部大臣は五年ということをおっしゃって、昭和五十四年の統一一次入試が始まれば解決されるとおっしゃっておられた。私は、これは何年かかるか、長い問題だと思います。しかしやる側としては時間をある程度区切って、決意を持って臨まなければならないのではないか。そういうことが一点。  もう一つ率直に伺いたいのですが、このことによって当面どういう効果があらわれるか。問題がやさしくなるか。やさしいという評価はいろいろありましょうが、最後の一つの締めくくりみたいなことで一言だけお答えいただきたいと思うのです。
  201. 飯島宗一

    飯島参考人 初めの問題は私がちょっと申しまして、あと加藤参考人に……。  いつごろまでに入試地獄が解消するか、文部大臣が五年とおっしゃっていることに私はほとほと敬服をいたします。それほど簡単な問題ではないと私は思います。と申しますのは、私がいま改めて申し上げるまでもなくいまの日本の大学学生を入れるキャパシティーは、国公私立全部を通ずれば高等学校の現役の卒業生とそんなに大きなキャパシティーの相違はございません。入試地獄を引き起こしている根本の原因は、大学の中でどの大学を選ぼうかという配分の問題が非常に困難な問題を起こしている。それもいい先生がいる、質がいいということによって大学が選別されているかと申しますと、それも作用しておることは確かでありますけれども社会的な全体の動きの中でそれに対する渇望が非常に強い。ことに私ども庶民の立場でおりますと、日本の一般の庶民としてみれば、何とかして子弟をよりよき大学に出してやるということが次の世代を考え得る唯一の具体的な方法であって、それ以外には土地を買うお金もないし、家をつくるお金もないし、何にもやりようがない。しかも日本の雇用形態というものが大体中央化してしまっておって、公務員になるにしてもあるいは企業に就職するにしても各地域で若い人を吸収するだけの力がだんだんになくなってしまっておる。そうすればどうしても抽象的に大学へ投資をして子供を学校にやらなければならないし、志望のいかんを問わず将来の保障としてはこの道をとらさなければならないという中で入試地獄というのは非常に深刻化しております。したがってわれわれ国立大学の側としては、われわれのできる範囲のことで入試自体の持つ欠陥は一歩一歩改善をしてまいりますけれども、同時にまた社会的な一つの問題としてそういう外部的な条件を大学の側もお手伝いをさせていただいて順次改めていく必要があるように思います。その仕事が五年でできることを私は希望いたしますけれども、まだまだ努力を要するのでないかと考えております。
  202. 加藤陸奥雄

    加藤参考人 いまの飯島先生ので尽きると思いますけれども、やはり大学入試問題という広い問題が、われわれがいま考えました共通一次方式で一〇〇%解決がつくものだとは私どもは思っておりません。そういう思い上がりをしないつもりでありますが、しかし、いまの状態を一歩改善するに役立っているのではないかというふうに思っております。  どこが改善されるかという問題になるかと思いますが、先ほどからの入試地獄といいますと、いま飯島先生がおっしゃったとおりでありますが、国立大学だけを考えても、その志望者が三十万前後、定員は八万である。そういう意味で、その状態が、この入試制度のために、それだけ考えますと物理的に倍数がはっきりしているわけですが、その倍数が消えてしまうのだ、物理的な意味の地獄がそれで解決するわけではないのだというふうに思います。そうだとすると、そういう試験を受ける人たちに、ゆがんだような受験準備というような、そういう意味がどう大学側として解消できるであろうかというのが私どもの願いであったわけでして、その点で一番問題になるのはいい問題を出すべきだということでございます。  その点については、私、非常に一歩も二歩も進んだのではないかという気を持っています。と申しますのは、やはり全国の教官の総意でもってそういう問題を練りながらやっておりますので、そういう面での処置ができる可能性が非常に強いということ。それから、もう一つは、これは手前みそみたいになるわけですけれども、一次方式では基礎になる教科をやりますから、その点で、あるいは見方によっては、高等学校側としては正常の授業を従来よりきっちりやらなくてはいかぬという問題が起こってくるかもしれませんが、そのような姿はむしろ望ましいことではないかというふうに積極的に考える面がございますので、そういう点の問題が一つあるだろうというような気がしますし、さらにもう一つは、先ほどもちょっと出ました、大学側からも受験生に対するガイダンスということは将来問題として考えていかなくてはなりませんが、高等学校側として生徒たちにガイダンスを与えるという点は、この方式が非常に定着しますと、高等学校側として受験生に対するガイダンスというものがかなり適正に行えるのではないかというような気も持っております。  いろいろそういったような点で、根本的にはとても解決はなかなかできませんけれども、根本的に解決するには、大学側もこれから考えていかなくてはならぬと同時に、社会情勢というものとの歩調を合わせる問題があるかと思いますが、当面改善をする一つのステップは踏めるのではないかというふうに思っているわけでございます。
  203. 湊秀雄

    ○湊参考人 ただいまお二人よりいろいろと御説明を申し上げまして、もう意は十分足りているのでございますが、ただ、私ここで簡単に考えつきますことは、日本には日本特有の入学試験というものがあるべきでありまして、現在私どもがやっております、これは一朝にして生まれたものではなくて、やはり明治以来の日本の国民、日本の歴史に合った入学試験制度というものがここまで培われてきたわけでございます。それにはそれなりのいい点もありますし、同時に悪い点もありますので、それは改善していかなければならないと思いますが、同時に、外国でやっておりますものをわあっと取り込んでそれで成り立つものではないということも、私どもよく認識しておりますので、どうぞそういう点でやっておりますことも御認識いただきまして、いろいろお教えいただきたい、こう思います。
  204. 藤波孝生

    藤波委員長 ほかにございませんか。
  205. 木島喜兵衞

    木島委員 さっき飯島さん、きょうはいろいろな貴重な意見をいただいて大変参考になりまして感銘をなんて、大変リップサービスをいただきましてありがとうございましたが、きょうは逆に私ども参考人として、国民的な立場からという意味で御意見を申し上げたり、あるいは幾つかの御提案を申し上げましたけれども、おのおの提案をしたり質問をしたものが全部釈然としたかというと、必ずしもそうではないものもあるようにも見受けられるわけでありますけれども、きょういろいろと意見が出たものを国大協としてさらに検討していただくというようなものが幾つかあると考えてよろしゅうございますか。
  206. 飯島宗一

    飯島参考人 うそは申しませんという言葉がありますが、別にリップサービスではございません。それで、きょういろいろな御意見を承って大変ありがたいと思っておりますし、仰せのように、きょういろいろ御心配、御提案の点のありましたことについては、私ども責任を持って国大協に伝えまして、今後検討いたします。  それから、これだけの時間でこの問題についてお互いに納得できないというのはむしろ当然のことでございまして、もう盤根錯節とした非常に大きな問題がございます。私どもでお役に立つことがあればいつでも先生方と、いろいろお教えをいただいたりあるいはお話をすることにはやぶさかではございませんので、これもリップサービスではなくて、今後もどうぞよろしくお願いいたします。
  207. 藤波孝生

    藤波委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位には、長時間にわたり御出席いただき、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  私ども小委員会にとりまして非常に参考になりましたが、国大協におかれましても、本日の質疑の中で、各小委員から出ましたいろいろな意見や提案をどうぞ十分御参考にしていただきまして、わが国教育の進展のために御自愛、御努力くださいますようお願い申し上げます。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時六分散会