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竹内参考人 私はこの問題に関心を持ちましたのは、昭和四十六年五月七日、NHKのドキュメンタリー番組で
ネズミ講というものについて初めて知ったときであります。そしてこれはゆゆしいことだと考えまして、すぐ「商事法務」という雑誌の五百六十四号に、四十六年六月でございますが、「
ネズミ講の法的規制」という小さい論文を書きました。その中で次のように述べておりますので、それを引用させてい
ただきます。
内村式の
ネズミ講は、十万円払うと当時は五百二十八万円になって返ってくるという
説明であったわけでございますが、「
会員が増え続けるという前提が続く限り、次々と一〇万円で五二八万円を入手しうるということになるが、もちろん問題は
会員になる者の数が無限ではないという点にある。会がどんどん発展して加入者が尽きたときには、一〇万円を出資したものの、どこからも送金されて来ないという無数の
会員を残して、会は終りをつげる。
内村所長は、
人間は次々と生まれてくるのだから
会員がなくなることはないと強弁していたらしい。本当にそうなら、国民所得の増大を目ざす各国の政府は、とっくに全国民強制加入の
ネズミ講をはじめていたことだろう。しかし、全国民を強制的に加入させたところで、どの夫婦も」
——これは各人が二人加入させるということでございますから、夫婦でありますと、「どの夫婦も四ツ子をもうけ、それが
たちまち成人して、また四ツ子を生むという文字通りネズミ算式な人口増加を伴わぬ限り、
たちまちゆきづまる。送金ごっこをしているだけで投資額が五〇倍にふえるというような話は、話としてもばかばかしい限りであるが、
会員が増えて会が発展すればするほど、最後に泣く
被害者がふえるというのが、
ネズミ講の仕組みである。
ネズミ講は必ず
被害者を生む。
被害者がどれだけにとどまるかは、
ネズミ講が何時つぶれるかによる。早くつぶれればつぶれるほど、
被害者は少なくてすむというだけで、
被害者を出さないで終ることは決してないのである。」ということを述べまして、出資受入法とか証券取引法とかいう
法律をこの場合に動かせないというのならば、新しい
法律を一刻も早くつくる必要があるということを申したわけでございます。
それで、現在の、一人で二人ずつ加入させるというやり方をとりますと、計算すればすぐわかることでございましょうが、恐らく三十世代ぐらいで地球上の全人口はこれに加入するという勘定になるのではなかろうか。そうだとしますと、一週間に一世代ずつ加入することに成功するとすれば、恐らく半年かそこらで地球上の
人間は全部これに入るということになるでありましょう。私は現に入っておらないわけであります。ということは、その
勧誘がいかに困難かということでございまして、もう
ネズミ講なるものが発足して十年もたっておるのに、少なくとも私は入っていないということは、その
勧誘がいかに困難かということを示しているわけであります。そのことはとりもなおさず、途中で泣いている
人間がいかに多いかということを意味しているわけでございます。
マルチも、
ネズミ講と同様の問題を含んでおります。客観的に有限なはずの
人狩りが無限に続くかのように錯覚させる、そう言って人を欺くという点では同じことであります。
先ほど、
堺参考人それから西さんから、これは行為規制であって
禁止規定ではないというふうに言われましたけれ
ども、私もこの法案の審議に参加した者の一人として申し上げますと、われわれは実質的
禁止をねらったものでございます。もちろん、もう頭ごなしに、こういうことを言い出した者は片っ端から刑務所へぶち込むというやり方はしておりません。なぜそういうやり方をしなかったかと申しますと、マルチというものは大体が、その発端がそうでございますように、外資系
企業であります。したがって、張本人は海外にいる。それで国内においてロボットみたいな者を使いまして、それを
責任者にする。そういう
人間を刑務所へぶち込むといったところで、やはり次から次へと悪いやつは出てくるだろう。したがって、そういうことではなしに、われわれとしては、マルチに公正にやれと言いさえすれば、それはできなくなるはずなんです。マルチが行えるということは、すなわち不公正だから成り立つのです。公正にやりなさいと言いさえすれば、マルチというものはそもそも成り立たないわけです。したがって、マルチに、言ってみれば、公正さという消毒剤を加えることによってこれを
禁止しようというのが、この訪販法のねらっていたところであります。
今回の
摘発についても、先ほど両
参考人から言われましたように、発端は十五条の
違反だということで行われているようでございますが、私は、調べていけば当然十二条
違反ということが問題になってくるのではなかろうかと考えております。
それは、去年の五月十八日、この
委員会ではございませんが、衆議院の商工
委員会で申したことでございますが、仮にたった一人の
セールスマンを使いまして
マルチ商法を始めまして、一カ月に一人ずつ新たな
勧誘ができるという前提で計算をいたしましても、三十二カ月後にはやはり地球上の全人口がこれに加入してしまうという計算になります。したがいまして、一カ月に一人募集に成功するというときには、三十二カ月後にはだれも加入させることはできなくなりますということを同時に言わなければならないはずであります。そうしなければ、十二条に定めておりますような重要な事項についての不実告知ということになるはずでありまして、わかりやすく申しますと、マルチに加入すれば、
自分が泣くか多くの他人を泣かせるか、そのいずれかになるということを告げなければ、それは重要な事項の不実告知だというふうに解釈すべきものではなかろうか、私はそのように前回商工
委員会では申しましたし、いまでもそのように考えております。
マルチの場合には、程度は別として、ともかく
商品流通に伴う利益というものもあり得るわけでございますけれ
ども、
ネズミ講の場合には、
お金を送ったり送り返したりしているだけのことでございまして、これで金がふえるというなら、だれも苦労する者はないはずであります。こういうものすら
禁止されていないのに、ともかく
商品流通に伴う利益というものが若干なりともあるマルチについてまず規制するというのはいかがなものかということが、
訪問販売等に関する
法律の制定過程で当然議論されたわけでありまして、その前に
ネズミ講というものが規制されておれば、マルチについても同じようなやり方をするのだ、同じような考え方をこれに及ぼし得るのだということは簡単に出てきたはずであります。
ネズミ講の方で野放しになっておりますから
——野放しというのは、少なくとも立法的には野放しになっておりますから、したがって、訪販法の審議のときにはそれをやりにくかったということが言えるわけでございます。
それから、
訪問販売等に関する
法律について私が
意見を述べましてかちまた一年
たちました。私がテレビを見て小さな論文を書いたときからはすでに六年がたっております。その間国税庁は、
ネズミ講の
講元から
税金を取ろうといたしました。しかし、
税金を取るということは、要するにどろぼうからでも国として分け前をい
ただくというだけのことでございまして、
被害者の方の救済を全うしようというつもりでないことは言うまでもございません。
税金を取らない方がいいか、取る方がいいかと言えば、私も、取った方がいい、こう思うのに決まっているわけでございますけれ
ども、取ったからといって、
ネズミ講がなくなるわけのものでもない。
国税庁はそのようなことをいたしましたし、それから
会員主導型の二、三の
ネズミ講につきましては、警察あるいは検察庁ががんばって起訴し、有罪判決を得たものもございます。それから
長野地裁では、先ほど、
被害者の方と
弁護士の方の努力によりまして、
入会金を返せという判決が下った。このような形でいろいろな
被害者の救済それから
被害の
拡大の防止のための努力がある程度行われたということは事実でございますが、その間新たな立法措置が全くなされなかったということは、非常に重大なことではなかろうか。私は、国
会議員の皆様方に、立法府として国民に対する政治的な
責任を果たすということがこれで全うされているのだろうかという点について、十分お考えい
ただきたい、このように感ずるわけであります。
国じゅうにペスト、コレラが蔓延しているのに六年間も、あるいは
ネズミ講が発足し始めてからだといたしますと十年間も、何らの立法措置がとられなかったということ、これは非常に情けないと思うのです。立法の能率という点から見て、はなはだ残念なことだというふうに感ずるものでございます。
もちろん、できのよいスマートな
法律をつくるということになりますと、これは
ネズミ講の形態が千差万別でございますから、それはなかなかむずかしいという議論もあり得るかと思います。全面
禁止をいたしまして、それに
刑罰を科するということにいたしましても、その構成要件をどのように決めるかということは、技術的に相当むずかしい問題であるということは私も存じております。しかしながら、現在の状況を見ておりますと、できのいいスマートな
法律をつくるためにはどうやったらいいかということを考えている時期じゃないのじゃないかというふうに思うわけでありまして、スマートなできのいい、見ばえのいい
法律ができないというのなら、不細工でも何でもいいから、現在やっている
ネズミ講の類型を全部書き出して、これだけはやってはいかぬ、それを主導、募集したものは
刑罰に処するというやり方をして、それをさらにもぐるものが出てきたら、次の通常
国会でまたお直しになったらいいじゃないか。次の
国会で
法律を改正することは、いまの状況を放置するのに比べれば、その方がはるかにいいというふうに考えるわけであります。
もちろん、先ほど西さんもおっしゃいましたように、それにひっかかるというのは甘さがある、これは確かにそのとおりでありましょう。
法律の中には、言ってみれば、ばかは死ななきゃ治らないという考え方でできている
法律もないではありません。しかし、投資家保護とか消費者保護というのは、そういう考え方では成り立たないわけであります。人が愚かであるという弱みにつけ込むやつは許さないという考え方をとらなければ、投資家保護だの消費者保護だのというのはそもそも成り立たないわけでありますから、そんなものにひっかかるのは甘いではないか、
自分ももうけようとしたのであろう、そういうものは損をしても仕方がないではないかというようなことを言っておったのでは話にならない、私はこう思うわけであります。
その意味で、こういうインチキなことを取り締まる
法律というものは一刻も早く行われるべきである。それはあたかも、国じゅうにペストやコレラが蔓延してきたというふうな場合には、ともかく応急処置をとるということが当然必要なことであります。
法律的にはこれはペストやコレラと同じことでございますから、そのような観点から、とにかく急ぐことが必要だということを繰り返し申し上げようと思います。