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孫田参考人 孫田良平であります。
本日は、
地方公務員の
給与について自由な
意見を述べてくれという要請がございましたので、参った次第であります。その
きっかけになりましたのは、昨年「
現代の
労働」という雑誌に、
国家公務員との対比におけるさまざまな
地方公務員の問題があるのでありますけれども、特に
地方公務員給与と
給与政策ということについて書きましたものが、恐らくは
きっかけではあるまいかと思うわけであります。そこに
二つのことが書いてありますので、きょうはその
お話をしたいと考えます。
なお、御
参考までに申し上げますが、私はもともと
労働省に
昭和二十四年に入りまして、
昭和三十八年から四十五年までは、
中央労働委員会事務局のあっせん、調停に関する
担当課長をやっておりまして、四十五年に
日本賃金研究センター、
金子美夫氏主宰でありますが、一緒に設立いたしまして、今日に及んでいるものであります。そして、この
地方公務員等の
給与問題とのかかわり合いは、
昭和四十六年に
自治省の中に
地方公務員給与の
専門調査研究会というのが設けられましたときに、その座長を仰せつかりまして、そこで
地方公務員の
給与問題に初めて接するという
立場をとりました。ただし、きょうはそのこととは無
関係に、
賃金専門家としての
立場から、
地方公務員給与を
賃金問題、
給与問題という側からながめたらどういうふうに考えたらよいのか、
地方自治の
専門家ではありませんし、また
地方公務員について深く研究
調査したという
立場ではなくて、むしろ、一般的
賃金問題としてこの問題をどう考えるか、こういう
側面で
お話を申し上げるというのがきょうの
立場であります。
何といたしましても、御
承知のとおり、
給与問題は
大変争いが多い問題であります。そして、その解答というようなものもなかなかうまい
答えというのが出てきません。非常に困難が多い問題であります。そして、常に
賃金問題についての
対立点というのは、
三つの側から行われるわけです。
一つの側は、いわば受け取る側と申しましょうか、
労働者の側と申しましょうか、
生活費用、収入というような
側面であります。これは
労働組合が常にその声を代表することは御
承知のとおりです。
もう
一つは、
支払い側の
経営原則、
支払い能力、
生産性といったような側から、いかにして
人件費コストを小さくするか、必ずしもこれは低
賃金とは結びつきませんで、
現代ではむしろ高
能率、高
賃金と申しましょうか、一割
賃金を高くしても一割五分だけ
能率を上げたら
コストとしては安いわけであります。そういう
コスト原則としての
立場。
それから第三の
立場が、一般的に
賃金を
労働力の取引の
値段というふうに考えますと、それは
国民経済あるいは
地域経済における価格の一種と考える、総体的な
値段の一種と考える、そしてそれはときには
所得政策の
対象になったり
労働市場政策の
対象になったりする、そういう問題であります。
この
三つの
立場というのが絶えずあらわれてまいりまして、それぞれの
立場ごとに主張が違うという点がその困難の第一の点です。
さらに、この問題は、まだ
日本では歴史も浅いけれども、とにかく
雇用労働市場その他の変化が大変激しいものですから、
価値基準が常に変わっていく。ですから、十年前には正しいと思って主張されたことが今日必ずしもそうとも言えないというような問題が常に起こる。こういうむずかしい問題であることを最初に申し上げておきます。
雑談めきますけれども、われわれ
賃金問題でときどき悩まされる
質問がございますが、賃「金」と書いてどうして「
ギン」と読むのかなどという
質問がある。実はこれさえもわれわれはわかっていないというぐらいです。「金」を「
ギン」と読む例はほかにはないわけでありますが、こういうように、そのことさえもわからないという問題がまずこの性格の第一歩である。
そこで、きょうは
二つのことを申します。
第一は、
賃金の
比較、特に今日問題になっております
地方公務員の
給与は高いか低いか、この
賃金の
比較に関する問題であります。
御
承知のように、
地方公務員の
職員の
給与の
決定原則というのは、地公法の二十四条三項に、
生計費、それから国及び他の
地方公共団体と
民間事業の
従事者の
給与その他の事情を考慮して定めるというふうに書いてございますが、その場合に、現在は、
戦争直後の
時代と違いまして、
生計費原則というよりは、むしろ
比較さるべき
給与とどういうふうな
均衡を保つべきか、
賃金比較の問題としてとらえられております。このことは一般的な
民間においても同様でありまして、まず
一般的賃金相場、あるいはよそが幾ら払っているかということから、当然
賃金比較の問題が出てまいります。考えてみますと、
賃金問題の
出発点は、実は
賃金の
比較の問題であります。一
企業の中においても、
新入社員と上司の
給与をどういうふうに定めるか、
企業と
企業との
関係においても、どういうように高いか安いかというように、
賃金は常に
比較対照さるべきものとして問題になる。
比較対照がなければ
賃金問題はないというぐらいの
意味を持っている。この中で
地方公務員の
給与を
一つは他の
地方公共団体と
比較する、それから国と
比較をする、それから
民間事業と
比較をする、この場合のバランスをどのようにとったらよいかということが
一つの宿題であろうと思います。
現代はいわば根本的に物を考え直す
時代でありますから、そういう点で白紙に立ち戻って考えるべきだと思いますが、従来は
国家公務員の
給与との
均衡ということがまず第一義的に考えられており、そして俗に申します
ラスパイレス指数算式による
給与水準の結果というようなものも、これは国の
公務員との
関係についてのみ議論するという
立場であります。ここで問題になりますのは、その
地域住民の
給与水準との
関係はどうかということでありますが、従来は
国家公務員の
給与が
民間に対応して定められる、その
国家公務員の
給与に対応して
地方公務員の
給与を定めるならば、それはいわば
民間給与との
均衡を考えたことになる、そういう論法で行われておったわけですね。ただいま申し上げることは、その国の
公務員との
比較の
基準に関することをまず申し上げます。
ラスパイレス指数算式という
方法がとられておりますが、この
方法と申しますのは、非常に単純化して申し上げますと、国の
公務員に、Aという
仕事については簡単に十万円払っていると仮定いたします。Bという
職務に対しては五万円払っているというように仮定いたします。その十万円と五万円のA、Bそれぞれの
仕事が、国の場合には単純にAが四人でBが六人だ、こういうふうにいたします。そういたしますと、全体では十万円のものが四人で、五万円のものが六人でありますから、総合計
人件費は四十万円
プラス三十万円で七十万円、一
人頭七万円、こういうことになりますね。今度はそのAに対してある
自治体が十一万円、十万円ではなくて十一万円、一割よけいに払っているというふうにいたします。Bという
職務については国と同じく五万円、十一万円対五万円払っているというふうにいたします。そういたしますと、
ラスパイレス指数算式は、その十一万円のAという
仕事が国と同じく四人おるものと勘定いたしまして、
人員は国の方をとりまして、十一万円掛ける四人の四十四万円
プラス、五万円のBという
職務に対する
国家公務員の六人を掛けて三十万円、合計いたしまして七十四万円で、一
人頭平均七万四千円。そうすると、国が七万円で
地方が七万四千円だから、割り算をいたしますと一・〇五七倍、一〇五・七%の
ラスパイレス指数、こういうふうになりまして、五・七%だけ国よりも高い、こういう
計算をするわけであります。
この
方式は大変一般的に用いられておるものでありまして、たとえば最近の春闘におきましても、
国鉄と
私鉄の
賃金格差というときに、
私鉄の
労働組合は、常に昔からこの
ラスパイレス指数算式で
国鉄よりも低いというようなそういう
計算を出すわけですね。
国鉄労働組合はまた、
一般民間賃金に比べて、
ラスパイレス指数算式で出せばどれだけ低いというようなことを出すのであります。
労働関係では、こういう
ラスパイレス指数算式を使って行われていることが普通であります。人事院の
給与勧告におきましても、国の
公務員の数に対しまして
民間では幾ら払っているかということで、
人員を
国家公務員を使いました
ラスパイレス指数算式でつくるということで、これは大変広く行われているものであります。
ところが問題は
二つあります。
一つは技術的な問題ですね。いまの
ラスパイレス指数算式は国の
人員に対応して、ただいまの例ですというと、Aが四人でBが六人ということを
前提にして
計算するわけであります。ところがもしも
地方自治体の
給与政策が、なるほどAは十万円ではなくて十一万円と高く払っているけれども、そちらの方の人数はしぼって、相対的に
割り安のBの方の人をたくさん雇って節約したい、あるいは
能率を発揮したい、こういうふうに仮に考えたといたします。可能、不可能は別な話ですが、仮にそう考えたといたしまして、Aの方は国が四人雇うところを二人雇う、Bの方はそのかわりに二人ふやして八人雇う、こういう
計算をいたしますと、国の方の四人、六人に対しまして、
地方の方の二人、八人で
計算したらどうなるか。そうすると今度は、
国家公務員の方が十万円の人が二人の二十万円、五万円の人が八人の四十万円、合わせて六十万円。それに対して
地方の方は、十一万円が二人で五万円が八人、合わせますと一人
平均六万二千円となりまして、
計算は一〇三・三%となります。
つまり先ほどの
ラスパイレス指数が一〇五・七%に対して一〇三・三%という
答えになるわけですね。これを
パーシェ指数算式と言っております。
ラスパイレスも
パーシェもともに
物価指数の
計算の仕方を示したもので、人の名前でありますが、ここでは
物価指数ではなくて
賃金をある同一時点について
比較するということで、本当の
ラスパイレスさんや
パーシェさんは怒るだろうと思いますけれども、とにかくわが国ではそういうふうに使うわけであります。
さて、いま
地方自治体が高い
給与は払うけれども少なくしぼってという、いわゆる高
賃金少数精鋭主義でやった場合には一〇五・七ではなくて一〇三・三になる。
パーシェ指数算式の方が、いまの場合は低くなるわけですね。こういうように常に
計算技術は
二つあります。また別に考えますと、こういう
賃金の
比較方法はほかにもございます。たとえばいまの十万円対十一万円を一一〇%、五万円対五万円を一〇〇%というようにそのパーセンテージだけを加重算術
平均する
やり方もございますし、またそのほか
昇給の
基準と
年齢基準などを考えてやる
やり方とかいろいろあるのでありますが、さしあたって
パーシェか
ラスか、こういう問題になりますと、そこにいま言ったように、
パーシェならばその
自治体の
人員なり
給与なりの
考え方が反映される。それに対して
ラスパイレスの方は、
地方自治体の
給与、
人員政策とは無
関係に、
計算上国と比べたら何割高いか、こういう結果になる、そこが
意味が違うわけですね。もちろん終局的に申しますと、その数字が非常に似ている場合があります。特に最近
自治省からいただきました資料によりますと、以前に比べて確かに
ラスパイレスと
パーシェの
算式は差が小さくなっておりまして、まあ余り目くじら立てるほどの大きな違いはありません、一%か二%の違いでありますから。数字的に申しますと小さいのでありますが、ただ私が申し上げたいのは、
考え方の相違であります。結果は同じかもしれませんけれども、しかし少なくも
ラスよりは
パーシェの方が
自治体の
給与政策を反映する。いい
意味でも悪い
意味でも、
野方図に高
賃金の者を雇っているというような、いわば
給与政策なしという場合があるかもしれませんが、その場合もそれが反映されるということになります。
なおつけ加えますと、この
やり方というのは新しいものではありませんで、
昭和十五年の第二次
賃金統制令が行われましたときに、国が定めました
年齢と
経験年数と
地域と
業種別の
賃金の
テーブル、これは最低と最高の幅がございましたが、それでそれぞれの
企業ごとの
人員を
計算して、
ラスパイレス指数算式が一〇〇になるような範囲の中で自由に
給与を決定するという
やり方がございました。これを
総額制限方式と申しましたが、その
やり方がまさに
パーシェなのであります。そのそれぞれの一〇〇の中ではある程度自由に
給与を決定することができるという
意味を持っているわけです。そういうことから考えますと、技術的な
方式として
ラスパイレス指数算式は、結果はあるいはネグリジブルであるかもしれませんけれども、個々の
自治体ごとにいまのようなことを出しますと、ひょっとしたらギャップが大きい場合、どちらをよりよきものとして選ぶかということになりますと、
パーシェ指数算式の方が個別の
給与政策をあらわすという
意味では
意味があるのではないかと思います。人によりましては、いまの
二つのものを
平均したらよいではないか、これを幾何
平均いたしましてその
指数算式を
フィッシャー算式と申しますが、その方がよいという方もおられますけれども、私自身は
ラスと
パーシェとはそれぞれ別の
意味があるのでそれぞれ別個でよいので、単なる
平均というのは
技術主義に片寄った
考え方であろうと考えております。
それから、いまの
指数算式の
前提になっております
考え方は、
比較の
やり方というのが
職務別、
経験年数別の
給与であります。この場合の
経験というのは
給与決定に使われる
経験、
民間歴十年を何年に換算するかというようなことが決まっておりますけれども、そういうもので定めたものであります。そうして考えてないものは何かということになりますと、それは
勤労意欲とか
勤務成績とか
仕事に必要な
知識とか
能力とか、そういうことは一切抜きであります。要するに、どういう
仕事を何年やったらということだけが
前提になっている。
もう
一つは、こういうようなものは小さな市町村の場合にはなかなか困難であります。いわば
異常値が出るわけですね。そういう点で大数法則的にながめたものである。そこで必然的に
経験年数なども一年半、二年という細かい
刻みではなくて、ある程度大ぐくりの五年
刻みということが行われることになるわけであります。
そういうような幅がある。これが
前提になっている。
つまり給与の
決定原則はたくさんあるのですが、その中で特に
職務の
経験年数あるいは
年齢というようなことが結果に出てくるようなものでなっているという点、これが
一つの約束で、いい悪いというのは後から申し上げますが、そういう点になっているということですね。
以上のことから、国と
地方自治体との
給与の
比較をいたします場合に、たくさんの
方式の中で特に
ラスパイレス算式だけにこだわるということはできません。実は
自治省でも両方をチェックされているそうでありまして、このことは当然であると考えますが、どうも世上、新聞などに出てまいりますのに
ラスパイレス算式が常に多く出るものですから、これは私がかねがね疑問に思っている点でありまして、さらにいろいろな工夫をなさいまして改善されたらと思うわけであります。
なお、すべての
公務員というようなものは、これは国だけの
職務もございますし、
地方公務員特有の
仕事もあります。当然
民間には全く存在しないという
職務が公務の
特殊性なのであります。そういう点から考えても、
比較し得る
職務というふうなこともさらに検討さるべきではないかというふうにも思うわけであります。
第二点について申し上げます。それは
地方公務員給与の非常に大きな問題になっております俗に
渡りあるいは
昇短といわれている問題であります。
地方公務員法の二十四条の一項に「
職員の
給与は、その
職務と
責任に応ずるものでなければならない。」というふうに書いてあるのであります。その
職務と
責任に応ずる
給与の
テーブルに着いて、
職務も変わらない、
責任も変わらないのに、ある
一定の年限がたちますと自動的に昇格をするというようなのが俗に
渡りといわれている
現象ですね。また
昇給短縮というのは、一年間良好な
成績で勤務したら
昇給させるということができるというのに対しまして、一年ではなくて六ヵ月なり八ヵ月なり十ヵ月なりというようなことで一斉に、一部分の者のみの場合もございますけれども、上がる、これを
昇給短縮、略して
昇短、こう言っておるわけですね。これについては
考え方が
二つあると思います。その
二つのもののけじめがつかないというところが実は
問題点なんです。
その
一つは、
行政というものの
複雑度は今日、十年、二十年前に比べるとその比を見ないぐらいより細かくなり、多岐になり、とうてい尋常一様の
経験なり
知識だけではできなくなっている、そういう
職務というものがふえているわけであります。つまり
職員に必要とされる
知識なり
能力なりが飛躍的に大きくなっている、深くなっている、こういう場合であります。当然のことながら、その業務に従事する
職員は自分で勉強したり、いろいろな機会をとらえて資格をとったりしてやるわけでありましょうけれども、この場合は一般的な名称としての
職務の中身が変わっていく場合であります。つまりこの場合には、形式上からも
職務の格づけというものが当然変わっていかなければならない、より専門的な
比較し得ない
知識ということになるわけですね。
そういう
きっかけで、本来たとえば四
等級と定められた
職務が三
等級というように上がっていくということは、これは
行政というもののレベルの向上に伴って当然伴うことなのであります。
ところが問題は第二、一たびその形が採用されますと、本来的に
専門的知識がない者についても、その後継ぎがある
一定の
年数に到達いたしますと自動的に上がっていく、そして
給与全体がふくらんでいく。その場合全面的にそういう
現象が起こり始めると、これは際限なく、特に戦後、
昭和二十年代に若い
職員を大量に採用いたしました
新興都市の場合においては、現在その
職員がそろそろ四十代から五十代になろうというようなときに、
給与本来の姿から離れての
人事管理政策として、
給与の
均衡の名においてそういうことが行われる、こういうことが行われるわけですね。この
二つのもののうちの後の方は、本来の法規が定めるものとは違っているので違法である、こういうふうに言われるわけです。
ところで、そういうような
給与の
テーブルが仮に単純に定められたとしたらどうなるか。ある
自治体が、本来四
等級、五
等級、六
等級というふうな階段を設けるところをまるっきり単純化してしまって、ちょうど
戦争直後の
公務員給与が一
号俸から七十四
号俸までの細かいはしご段一本であった時期が、短い間でございましたがありました。俗に通し
号俸と言っております。それをとりますと、いまのような昇格というものは本来的に存在しないということになります。それだったらそれは法律に違反していないか、こういうことがいろいろ起こるわけですね。これに伴いまして
渡り、
昇短については多くの論議が出てくるわけであります。これをどういうふうに考えるのか。
まず第一の
前提は、
日本の
賃金は年功型でございますから、ある程度年功で上がるのはやむを得ないという点がございます。
日本のと申しましたが、実はごく最近
労働省からの
労働統計
調査月報、これは三月号でございますが、ここに「イギリスの一般
民間産業における
職員給与」というのが出ておりまして、「一九七五年六月、製造業の
賃金給与」ということで出ております。この中の管理、事務、技術職、つまりホワイトカラー職、これの
給与の表は、これはイギリス
労働省の統計ですけれども、二十歳から二十四歳を一〇〇にすると三十から三十九歳でもって一五二、つまり五二%上がる、四十から四十九歳では一五九という数字が出ております。この数字は一方の生産現場における
労働者よりは上がり方が大きいわけであります。二十から二十四歳に比べますと四十から四十九歳が一五九というようなことであります。これが
日本で同じことをやってみますと、一五九というイギリスに対して
日本は二〇五ということになっております。そして現在の
日本はこの上昇率がだんだんと小さくなって、いわばイギリスに近づきつつある。俗に申します中高年
給与の中だるみ
現象と言われているのがこれであります。
こういう点で考えてみますと、いまのイギリスもこれは下手に考えますと年功給型に見えるが、実は年功給ではありません。ホワイトカラーは五年、十年、十五年たちますと、
能力、
知識、
経験がふえ、それに応じてより困難な
仕事が可能になり、そこに昇進していく、こういう姿がある。アメリカでも同様であります。アメリカのホワイトカラーについても古いものですが、同様の統計がございます。
そう考えてみますと、
日本の年功
賃金といいますが、実はホワイトカラーは一般的にそのような傾向を持っている。仮に
日本の
特殊性ということを申しますと、
日本人の幅の広さとか適応力とかいうことが
一つの基礎になろうと思います。営業から経理へというようなことは、われわれではあたりまえのことですが、外国にはそれが存在しない。
職務に対するフレキシビリティーが非常に高い、その上、
企業の発展力か高い、この点が違うのであります。
さて、以上のことを考えて、
民間に比べてなおかつ
公務員の方がより年功型昇進が強いのかという点が
一つの問題であります。
はしょりまして、結論として、結局、いまのようなことについては、ある
意味では
行政の
複雑度が高まるにつれてやむを得ない点があるが、これを、自動的にいつまでも上がるということになりますと、そこに対策がどうしても必要になります。
第一は、いまのような
渡りをせざるを得ないような
給与表ということに問題はないか。
渡りが当然だということは問題でありましょう。けれども、当然ではないにしても、渡らざるを得ないということになっておりますと、そこにひとつ問題が出てくるわけです。
第二番目、年功
賃金の
前提は、五年、十年の
経験があれば必然的に
能力が高まっている、
能力に対応するものだ。結果的に見ますと多少無理はあるけれども、自分で勉強し、
能力を高め、あるいは管理者がより
能力が高まるような機会を与える、こういうようなことで質的に向上する、
値段に合わせて質を上げていく、こういう政策がとられていれば、いまの問題は起こらない。
結局、最終的な結論ということになりますと、いまの
自治体の
給与の決定について、一から十まで、十から百まで
国家公務員のいわばフレームというものを何らかの形で押しつけるというようなことが仮にありますと、そこには、
民間企業でも同様ですけれども、みずからの
給与政策はみずからで決めるという原則は失われて、形式主義が横行するということになります。
能力がある者も
給与がかなり低い、
能力がなくても
給与が高いというような結果になるわけですね。そういう
意味では、もう一度
給与政策とは何であるか、
自治体ごとの
給与政策の幅というものはとり得ないものかどうか。仮にとり得ないとしたならば、その制約は何だろうか。その制約がある限り、労使双方が当事者
能力がないままですから、第一に、
労働関係は大変困難をきわめるわけであります。
日本の労使
関係がいろいろ悪い点がたくさんありますが、いい点もたくさんあります。その悪いところを特に産業別に申しますと、たとえば病院であるとかあるいは学校であるとかあるいは出版であるとか、さまざまな幾つかの類型がございますが、一様に言えることは、人間をやめて機械化する、設備に取りかえるということはできない、そういう職場、しかもそこでは当事者
能力がはなはだしく不十分で、いろいろな制約があって自由な
給与決定ができない。何となく当事者双方がもやもやした雰囲気で、余り愉快ではないという状態で
給与が支払われている、受け取られている、こういうことですね。
こういう点から考えますと、
公務員給与の問題は大変影響力が強いことであります。新しい観点に立って、一体
公務員の
給与が高いか低いかということと、それからいまのように中高年
労働力がふえていきます場合に、人事費がふえるのは
民間も同様でありますが、特に
公務員の場合はそれが顕著でありまして、これをどうするかという人事政策の問題と、双方について根本的に考え直す時期である、こういうふうに思ったわけであります。
少し時間を超過して申しわけありません。これをもって終わります。